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村瀬藤城(むらせ とうじょう)1794 寛政6年 〜 1853 嘉永6年9月3日
姓は源、名は褧(けい)。字は士錦、通称敬治。少時平助と称し、長じて五代平次郎を襲ふ。号に、藤城、庸齋、嘉溪徳など。
美濃上有地(こうずち)の人。江戸後期美濃漢詩壇の重鎮。頼山陽門下一の高足にして、一家の風を立て、主に文章と学殖を以って聞えた。
一所不定の詩的生涯を送った同郷梁川星巌に比すれは、郷にあってよく庄屋職の社会的責任を果たした彼の、冢子としての運命と性格を、遺された文業が物語ってゐる。
その足跡を顧みても、啻に漢籍の博渉のみならず、私塾「梅花村舎」を経営する教育家として、また「曽代用水訴訟」を始め、度重なる飢饉に係り、地元民の救恤に奔走した民政家として、
ひろく郷土の信望を鍾めた「知行一致の人」であったことが注目されよう。磊落な師、山陽からはときに“堅物視”されたが、詩的小旅行を好む一面を持ち、梁川星巌、
江馬細香らとは「白鴎詩社」を結成、陶冶された人格・詩風とともに、習熟を積んだ味はひのある墨蹟が愛された。
次弟に医官の立齋(りゅうさい)、末弟に画家の秋水(しゅうすい)、また眷属に異色の文人、太乙(たいいつ)がある。嘉永6年9月、城崎旅行中に病を得て易簀。享年63歳。
塋域を美濃市圓通寺に定む。
墨蹟類
墓所(美濃市円通寺) 詩碑(城崎)と、 その来歴を記した掛軸 頌徳碑(美濃市) 筆跡(梅荘百年楼記) 白鴎社集会図記 碑文類
掛軸1「白山遊行」 掛軸2「於名古屋寓窗」 掛軸3「早起書感」 掛軸4「宿千疋中村家」 掛軸5「岐阜稲葉山」 掛軸6「山水画景」
(土産品「織福」の包装紙) 色紙(舟行、岐阜山下を過ぎりての即目)、短冊(上京道中:摺針峠) 掛軸7「天王山(美濃市大矢田)観紅葉」 掛軸8「菅公像讃」
掛軸9「贈陶工文吉」 掛軸10「乾山侯」 掛軸11「養老」 掛軸12「豊岡即目」(絶筆の類) 和歌「胡蝶」 掛軸13「藍水即目」(頼山陽送別後)
掛軸14「浪華寓窓書事」 掛軸15「山耶雲耶」 掛軸16「鸕鷀(ろじ)」 掛軸17「天保倹約令への論策」
著作
『藤城遺稿』 (とうじょういこう)
1927 昭和2年,村瀬藤城遺著 林魁一私家版,和綴75丁; 24cm
著者生前に刊行計画のあった「藤城詩文集」の残稿に、既刊の「山陽藤城二家対策」の上篇を加へて編輯された。
『藤城遺稿』復刻版
1999 平成11年,村瀬藤城遺著 西部文雄私家版,上製二冊「本編75丁; 24cm」「別冊補注; 54p;26.5cm」
昭和2年の初版を影印複製。合はせて西部文雄氏による訓読補注別冊を附す。
『二家対策』 (にかたいさく)
写本 『藤翁詩巻』 (とうおうしかん)
詞華集 『近世名家詩鈔』 (きんせいめいかししょう)
編著作・題跋
『嚢中錦心』 (のうちゅうきんしん)
勾田寛(勾田臺嶺)編 ; 上 , 下 -- 松屋善兵衛,2冊. 跋文(文化11年) 跋文1 跋文2
『清百家絶句』 (しんひゃっかぜっく)
1815 文化12年,村瀬藤城,後藤松陰/共編著
風月庄左衛門版,和綴 22.0×15.0cm 全3冊
【上】序:2丁(頼山陽)/ 例:2丁 / 上:32丁 【中】中:22丁 【下】下:23丁
著者25才時の処女出版
『宋詩合璧』初版 (そうしごうへき)
1818 文政元年 月,村瀬藤城編著
東璧堂版,和綴 21.8×13.1cm 全1冊
序:1丁(菅茶山)/ 序:1丁(頼山陽) / 上:6丁(1-6)/ 下:5丁(7-12)
清の聖霊派が範をとった宋時代の詩篇を撰して祖述したもの(著者28才)
『漢渓書法通解』 (かんけいしょほうつうかい)
8巻6冊 22.6×15.6cm
名古屋 : 松屋善兵衞 ほか版
清の戈守智が編纂した中国の書論を集成したものに藤城が訓点を施したもの。
『宋詩合璧』 (そうしごうへき)
1849 嘉永2年11月,村瀬藤城編著
慶雲堂版,和綴 22.7×15.9cm 全4冊
【[麒](上巻上)】序:1丁(菅茶山)/ 序:1丁(頼山陽) / 例言:4丁/ 上巻:6丁(1-6)/ 續上巻:18丁(7-25)
【鳳(上巻下)】下巻:5丁(1-5)/ 續下巻:18丁(6-23)
【亀(下巻上)】雑續上巻:27丁
【龍(下巻下)】雑續下巻:28丁
初版の好評を得て続編を追補し刊行(著者59才)