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村瀬藤城著作集


藤城遺稿

「藤城遺稿」 (とうじょういこう)

1927年,林魁一私家版,和綴75丁; 24cm
1999年,西部文雄私家版,上製75丁; 24cm(影印複製、附別冊「補注」)
著者生前に刊行計画のあった「藤城詩文集」の残稿に、既刊の「山陽藤城二家対策」の上篇を加へて編輯された。

散逸した「藤城詩文集」の内容としては、序文の記載や大正期、伊藤信によってなされた調査により
「初稿」 「白山遊稿」 「己卯汗漫稿」 「白鴎社遊稿」「三樹柳陰稿」「庸齋稿」「庸齋二稿」「庸齋三稿」
「東行稿」「浴遊稿」「梅下前稿」「戊申遊稿」「梅下後稿」があったことが確認されてゐる


『藤城遺稿』テキスト版

 「初稿」 「上山陽先生書」  「白山遊稿」 「韓淮陰論ほか」 「己卯汗漫稿」 「序跋類(望雲録序ほか)」

『藤城遺稿』画像版

 序(後藤機(松陰)、『山陽藤城二家対策』より)T U
 序(逵致民)
 凡例(小坂海岳)
 同追記(林魁一)


「初稿」

01.初稿
02.辛未春浪華日本橋僑寓書事
03.訪高岡静古老人於岡山村居。次韻老人見似。
04.梅花書屋集。諸先生次韻余僑寓作見賜。再疊却呈三島先生。

05.同上。呈小竹先生。
06.同上。呈山陽先生。
06.浪華即目。寄郷友友某。
08.聞山陽先生京寓略定。賦此寄懐。
09.秋日過人別墅

10雪中訪醫國良仙翁於八神村三首。
11.春寒
12.雨夜
13.自嘲
14.春遊

15.新燕
16.柳
17.蠶繭
18.蝿虎

19.遊高澤
20.池亭聞蛙
21.山寺春晩

22.將遊養老。舟下藍川。紀事得三絶句。
23.養老
24.掃地

25.汲泉
26.閲教
27.拾枯
28.執爨
29.煎茶
30.灌園
31.洗衣

32.把鍼
33.坐禪
34.中秋
35.秋日
36.僻村
37.冬夜

38.冬初夜坐
39.畫景
40.新造屏障。雪邱子爲畫西湖。走筆題長句。
41.江楼

42.至後出村
43.下渡雪甚
44.舟行
45.雪意
46.偶作
47.遊仙

48.出雲廟祝中村文大見過。酒間賦贈。文大善唱古調子。蓋其國所傳云。
49.藤士厚及諸弟子。要余於觀音山置酒。
50.遊高澤。歸路再訪良仙翁
51.武侯像

52.挿秧二首
53.上京道中
54.遊巨椋[柳−木+水]觀荷

55.陪山陽先生及諸子。遊糺林。時有善詩女子阿蘭倚檻吹笛。吾嘗知阿蘭於濃中。
56.發京口號
57.過勾臺嶺。遂共[酉+燕]於滄浪先生

58.小牧驛
59.與山陽先生同赴郡上。途中憶昔年見先生於三島先生家時之事。成四絶句。
60.題伯牙彈琴圖。送大宗師還信濃。

61.誘山陽先生遊善應寺。和尚出端溪硯。程君房墨。黄庭古帖見[目+示]。竝皆佳品。因分端程黄爲韻。余得端字。先生明日將舟行赴岐阜。
62.藍水別山陽先生
63.藍水即目
64.寄題穀|門

65.値等觀師

「初稿」跋文(武元登々庵、武元君立、小石元瑞、藤城) T U


「上山陽先生書」

既刊「二家對策」上巻より 問答18つ

19   20   2 1   22   23   24   25   26   27丁

66.渉湖説
67.痘神

68.紀平井恆次無頼事
69.觀烏鬼捕魚記
70.題鈴木琴雨家所蔵宋李伯時畫十八學士圖後 T U

跋文(山陽、武元君立、小石元瑞) T U


「白山遊稿」

71.六月十二日發程途上
72.訪龜年長老二首
73.路過群城。山水穏秀。不類下流險絶。其境酷與嵐[山+喬]諸勝相肖。
74.途上
75.長瀧寺
76.彌陀瀑

77.與龜年長老知常道士。及京人利兵同登白山。時文化甲戌六月十四日也。
78.十五日下岳。宿杉本氏林泉亭。
79.此行拉龜年長老。往悟竹院再宿焉。留此爲別。院乃長老新住。

80.畫鶴
81.間窗芭蕉圖
82.山水小景
83.子規。西土人愁諸春。此間喜諸夏。各見詩歌。栲亭集中已言之矣。甲戌四月十八日夜會知常道人宅。林月皓然。忽聞一聲。即得二絶。一愁一喜。并彼此之例也。
84.讀史

85.乙亥新正。立齋弟歸覲。書事。
86.新正月九日過南村
87.次韻一齋先生廻文作
88.病起絶句

89.六言
90.書事寄懐臺嶺畫伯
91.次韻晦[山+品]禪師莫問吟十首T
  U
92.三輪村後藤氏後園
93.十月晦夜。同二故人抵一酒家。壁上認余舊題。屈指七年矣。覺而得絶句。
94.知常道士南堂小集得三江
95.冬日田家。得六麻
96.暁發

97.十二月四日。出村而歸。即目。
98.丙子二月四日。早起發家。日午自勝山。經犬山城。暮達浪越。道上得二律。
99.城中書事
100.與津拙齋等諸人。同留宿平井東野翁家。酒間作書數紙。

101.呈東野翁絶句
102.從大桑赴谷汲道中
103.絲貫蹟即目
104.題玄對閣

105.丁丑五月題藤城山房壁
106.題遠村晩歸圖
107.觀飛騨人一山畫藤橋圖

108.籠渡圖
109.赤壁圖
110.埋雲精盧杜鵑花
111.七月朔遊蜂谷。晩歸螺川渡口。書事。
112.飛騨國禪昌寺十勝詩。爲棠林和尚嘱。T
  U  V


「韓淮陰論ほか」

113.韓淮陰論
114.讀叔孫通傳
115.宋詩合璧後序
116.晩唐李杜絶句序

117.遊白山記 T  U
118.可涼亭記
119.中倫堂記
120.朝爽夕佳園記
121.椿窩記
122.通霽閣記
123.書臨[衣+者]河南千文後三首
124.跋嚢中錦心

125.[衣+者]公千文後
126.書宋元明清絶句四十首後
127.答藤世張

128.與晦[山+品]禪師


「己卯汗漫稿」

129.四月十六日暁發
130.養老山瀑布泉二首

131.題養老白玉扇
132.高田諸子。曾宴登庵翁及勾臺嶺於千歳楼。臺嶺製其圖。翁有詩爲題。余嘗辱翁之交。讀之有感。因題其後。
133.磨鍼嶺寫懐
134.在湯島買舟泛海

135.係舟于瀬戸。過頂福寺。
136.鷹浦有栗山先生題名。土人勒之石。曰。睨隠岐佐渡於肘腋。望満州女直於雲天之外云。
137.閏四月24日。訪福謙齋。座有茶山老人詩。因依其韻。
138.懐花楼即目
139.過興國寺。黄檗高泉和尚開創地。

140.豐岡客居
141.自姫路至讃岐。舟中絶句。
142.屋山
143.壇浦懐古
144.自高松至歌津道中

145.暮到佛生
146.將發高松。東[土+它]居士畫山水見賜。賦此留謝。
147.佛生山與諸子納涼即目
148.宿二川氏天保園絶句
149.六月十四日發引田浦
150.十五日一雨風順。遂達兵庫。
151.訪静古老人

152.還到京師。寓磯村君家旬日。君自吾州郡佐。轉祇役京師。
153.聴香雪翁彈琵琶
154.十雨絶句

155.題寫生蕪菁
156.中元後一夕集後藤氏園
157.訪耕雲道士
158.悼亡絶句


「望雲録序ほか」

159.望雲録序
160.懐花楼記
161參堂記
162.春濃亭記
163.鶴亭記

164.天保園記
165.茶香秋夢軒記
166.有竹亭記
167.跋明人陳洪猷山水畫軸

168.跋董太史後赤壁雙鈎帖
169.跋徠翁答柳川氏書稿後

170.跋秦君紀蔵文南岳畫巻
171.跋僧牧溪禪師雲龍畫軸
172.跋清王永齋山水畫巻

奥付


二家対策

『二家対策』 (にかたいさく)


藤翁詩巻

写本  『藤翁詩巻』

(『四家詞藻』 (68-77までの画像) 早稲田大学古典籍総合データベースより)


近世名家詩鈔

詞華集  『近世名家詩鈔』 より

(『中巻』(20-21丁までの画像) 早稲田大学古典籍総合データベースより)

p3 p4

後藤世張家作
藍水即目
城中即事
養老山瀑布泉
池塘雨
悼亡


拾遺T

以下に『梁川星巖翁 附紅蘭女史』 執筆時には確認されてゐた散逸詩文をあつめる。

「心遠亭記」(50p)

陶詩云。「結廬在人境。而無車馬喧。問君何能爾。心遠地自偏。」梁君伯兎取以名其亭。徴余記之。余以爲地猶跡也。心遠而跡偏者少矣。跡偏而心不遠者或時有。 至於跡不偏心不遠者則比々皆然。今夫士之在都會。以一能一伎聞者。輿迎舟送。食必梁肉衣必軽煖。雖然都會盛衰。朝暮以變。方其盛時戸外客屨累々者。忽而雀躁蝿弔。 移奪於瞬息間。孰獲其心之遠耶。余懐一及之。未嘗不爲之愁然焉。是跡不偏。心不遠者也。如吾伯兎捲身山埜寂寞之間可謂跡偏矣。名不必求聞也。伎不必求售也。可謂心遠矣。 夫心而能遠。淵然以静。浩然以廣。遇喜而喜。遇怒而怒。至於毀誉得喪之觸于中。與夫世變否泰現于前。皆不能眩乱反覆我心。猶何跡之偏不偏是問哉。雖處於四通五達之會。 其心遠者自若也。而况我濃之僻乎。絅生長於濃。嘗苦其僻。湖海飄蕩之想與城郡奔逐之念。常交於胸次。跡已偏矣。而心不能遠。爲可愧也。今得伯兎與相往來。啜茗山窓。 挹酒水檻。論文評詩。不知人世之樂何以換之。深得伯兎避喧遯世所以心遠不待問何能爾也。(庸齋三稿)

 陶詩に云ふ。「廬を結んで人境に在り。而も車馬の喧しき無し。君に問ふ、何ぞ能く爾るやと。心遠ければ地自づから偏なり。」と。
 梁君伯兎、取って以って其の亭に名づけ、余に徴して之を記せしむ。余おもへらく、地は猶ほ、跡(在り処)のごとき也。心遠くして跡の偏(辺鄙)なるは少なし。跡の偏にして心遠からざるは或は時に有り。 跡偏ならず心も遠からざる者に至っては、則ち比々(頻々)皆然り。
 今、夫れ士の都会に在りて、一能一伎を以て聞ゆる者は、輿にて迎へ舟にて送らる。食は必ず梁肉(美食)、衣は必ず軽煖たり。然りと雖も都会の盛衰は朝暮以て変る。其の盛時に方(あた)り、 戸外に客屨(はきもの)累々たる者も、忽而として雀躁蝿弔(門前雀羅の謂)、瞬息の間に移奪さる。孰か其の心の遠を獲るや。余は懐ふ。一たび之に及べば未だ嘗て之の為に愁然たらざることなからん。 是れ跡の偏にあらずして、心の遠からざる者也。
 吾が伯兎の如き、山埜寂寞の間に身を捲(おさ)めて、跡偏なりと謂ふべきなり。名は必ずしも聞くを求めず、伎は必ずしも售(売)るを求めず、また心も遠しと謂ふべきなり。 夫れ心をして能く遠からしめ、淵然以て静かに、浩然以て廣くす。喜びに遇へば喜び、怒りに遇へば怒る。毀誉得喪に於て之れ中(心のうち)に触れるのと、夫れ世の変じて否泰(吉凶)前に現るのと、 皆な我が心を眩乱反覆を能くせざるに至るならば、猶ほ何ぞ跡の偏・不偏のごときか、是を問はんや。四通五達の会する処と雖も、其の心遠き者は自若たる也。
 而して况や我が濃(美濃)の僻をや。絅(けい:藤城の名)、濃に生長す。嘗て其の僻に苦しむ。湖海を飄蕩せん想ひと、城郡を奔逐せん念ひと、常に胸次に交(こもごも)す。 跡は已に偏たり。而れども心は能く遠くせず。愧づべきと為す也。今、伯兎を得てともに相ひ往来し、茗を山窓に啜り、酒を水檻に挹(く)む。文を論じ詩を評し、 人の世の楽しみ何を以て之に換へるか知らず。伯兎の、喧を避け世を遯れ、心遠き所以(ゆえん)を深く得れば「何ぞ能く爾るや」と問ふを待たず。(庸齋三稿)

 「與梁伯兎」(58p) (『詩本草』跋)

如亭山人遺稿校刻竣否。詩本草閲了返納。僕於山人、其交太淺。然誦其書、想其爲人、知不特筆墨凡百事皆別具一家法。故刪潤之際、宜務不損其本色。拙處雖不充一咲、 至其超妙處或逼明清名家。恐世文士少能及者。是所以爲山人歟。山人常下視世儒、不翅草芥。故世儒亦皆仇讎視之、非笑不置。不解山人所爲復有何等趣也。噫、推奨之世有幾人。公其勉之。          会末 邨瀬絅拝啓 梁伯兎仁兄盟 臺下

 梁伯兎に与ふ
 如亭山人遺稿の校刻、竣るや否や。詩本草閲了し、返納す。僕の山人におけるやその交はり太だ残し。然してその書を誦してその人と為りを想ふに、特に筆墨のみならず凡百の事皆な別に一家法を具ふるを知る。 故に刪潤の際、宜しくその本色を損なはざらんことを務むべし。拙き処は一咲(一笑)にも充たずと錐も、その超妙の処に至りては、或ひは明清の名家に逼らん。恐らくは世の文士の能く及ぶ者少なからん。 是れ山人たる所以か。山人、常に世儒を下し視ること、ただに草芥のごとくのみならず。故に世儒も亦た皆な仇讎のごとくこれを視て、笑ふに非ざれば置かず。山人の為す所、 復た何等の趣有ることを解せざるなり。ああ、これを推奨するもの世に幾人か有らん。公、それこれを勉めよ。           会末※不詳 邨瀬絅拝啓

  梁伯兎仁兄盟 台下(庸齋三稿)

 (59p)
見示頼翁如亭山人遺稿序。借河西野諸家爲陪講。而山人峻骨盡露。讀到訪郊居一段。淒愴淋漓。殆使人泣下。信非頼翁不能道也。公常稱翁古詩韻範序不措。今以此視彼。亦別手法。葢随題変化者耳

 頼翁の「如亭山人遺稿序」を示さる。借りに(たとへ)河西野(市河寛齋)諸家は陪講と為れども(上流に陪席すれども)。而れども山人は、峻骨尽く露はし、 郊居を訪ふ一段に読み到っては、淒愴淋漓、殆んど人をして泣下せしむ。信(まこと)に頼翁にあらざれば道(言)ふ能はざる也。公は常に翁の「古詩韻範序」を称して措かざれど、 今以て此れ彼を視るに、亦別手法たり。葢し題に随って変化する者のみ。(庸齋三稿)

 (222p)
二月七日。晴。風甚。是日未牌二點。神田佐久間町二丁目。出火。延燒南八丁堀、佃島、大川西畔及兩國而止。馬喰町四丁目少不燒。通白金町、十軒店、東片側皆燒、南及南傳馬町一丁目而止。此火燒者九時。至八日天明而滅。

二月七日。晴。風甚し。是の日未牌二點(不詳)。神田佐久間町二丁目の出火。延燒すること南は八丁堀、佃島、大川西畔、両国に及びて止む。馬喰町四丁目は少しで焼けず。 通りは白金町、十軒店、東片側は皆焼け、南は南傳馬町一丁目に及びて止む。此の火、焼くは九時にして八日天明に至りて滅す。(東行日記)

 訪梁星巖於向島

 (223p)
 二月七日之災及梁星巖家。余走赴其家。既不可救。勸之亟逃。星巖家有愛畜白兎一。忽忙中苦其處置。余遽拉之而走。爾後星巖寄書云。向島鴉子隱居畔。有所知而寓焉。越其廿一日。與宮子淵、藤強哉謀。買舟昌平橋。泛墨江而訪之。載兎以送還之。

 (二月七日の災、梁星巌の家に及ぶ。余、走りて其の家に赴くに、既に救ふべからず。之に亟(すみや)かに逃るを勧む。星巌の家に愛畜白兎の一(1匹)有り。忽忙の中、 其の処置に苦しむ。余、にはかに之を拉して走る。爾後、星巌書を寄して云ふに、向島鴉子の隠居畔に知る所有りて寓すと。越えて其れ二十一日。宮子淵(宮原節庵)藤強哉(藤井竹外)と謀りて、 舟を昌平橋に買ひ、墨江に泛べて之を訪はしめ、兎を載せて以て之を送還す。

鶏犬圖書欲委塵  鶏犬、図書、塵に委せんと欲す
世間烟火及仙津  世間の烟火、仙津にも及べり
葛洪急急移家去  葛洪(道士:星巌の謂)も急急に、家を移し去る
留箇兎兒長寄人  箇の兎児を留め、長らく人に寄す
訪君鴉子隱居邊  君を訪ぬ、鴉子隠居の辺り
墨水閑泛送兎船  墨水、閑かに泛ぶ、兎を送る船
避火亦知避奏似  火を避くるはまた奏を避くる※に似るを知りたり
桃花灣外認炊煙  桃花湾外、炊煙を認む※            (※「桃花源之記」)
映杯碧水縠紋[巡?]  杯に碧水を映じて、縠紋(ちりめんのやうな波紋)の[巡?]り
弱柳生風翠欲顰  弱柳、風生じて、翠は顰まんと欲す
爲是尋人撥橈去  是れ人を尋ねるを為して、橈(かじ)を撥ねて去り
却看濹上一番春  却って看る、墨(隅田川)上一番の春  (東行日記)

三月廿四日。與梁巖。別飲愛宕山。次韵其近製 (225p)
告歸攜手思紛紛  帰るを告げ、手を携へるに、思ひ紛紛
落日憑高瞰夕曛  落日高く憑りて夕曛を瞰る
緑酒唯慙映華髪  緑酒(良い酒)唯だ慙づ、華髪(白髪)を映ずるを
碧樓復曷酔紅裙  碧楼、復たなんぞ紅裙(花妓)に酔はん
鷗波棲古濃原水  鴎波、棲み古りし、濃原の水
鴈影行殘海道雲  鴈影、行き残る、海道の雲
杯榼未傾談未止  杯榼(酒樽)未だ傾かず、談未だ止まず
山僧許否燭三分  山僧、許すや否や、燭三分するを(夜半に至るを)
  鷗波星巖在濃時別號。愛宕有旗亭。但禁轟飲至夜、故云。
  (「鴎波」は星巌の濃(美濃)に在りし時の別号なり。愛宕に旗亭あり。但し轟飲、夜に至るを禁ず、故に云ふ。)  (東行日記)


拾遺U

以下に美濃市で行はれた村瀬籐城生誕二百年記念展出品図録『藤城遺墨集』(1993年3月 美濃市刊 :市原三三・西部文雄編集)に掲載の散逸詩文をあつめる。


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