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村瀬藤城 筆跡


村瀬藤城 掛軸 (2021年12月際遇)



平田栽得緑絲々
戕賊屈伸唯所為
一種青々河岸柳
剥全天性不曾移

豊岡即目 此郷多業織
柳籠者 蓋杞柳之類與
河柳又別 故云
癸丑新秋 藤城褧



平田、栽し得て緑、絲々
戕賊・屈伸(切って矯めて)して唯だ為す所
一種、青々たるは河岸の柳
全く剥ぐも天性、曾て移さず

豊岡即目 此の郷、柳籠を織るを業とする者多し。
蓋し杞柳の類と河柳とは又た別なり。故に云ふ。
癸丑(嘉永6年)新秋 藤城褧


※『孟子』告子章句上:「孟子曰く、子能く杞柳の性に順いて以て桮棬(はいけん:曲げ物)を為すか。將た杞柳を戕賊(しょうぞく)して而る後以て桮棬を為すか。」を踏まへる。

【付記】
癸丑(嘉永6年)、新秋(7月)、城崎温泉の湯治に向かった途中の作か。豊岡は楊柳行李の生産で知られる。
その後、病を得て9月3日に亡くなるまでの2カ月、城崎に留まったに違ひなく、けだし本作は詩人の絶筆の類と思はれる。

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