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村瀬藤城 筆跡


村瀬藤城 論策掛軸 (2024年09月入手)

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壬寅孟春以来新政令畳出。所謂新民之道也。於是凡天下之飽粱肉者皆喫麦
飯。菜羹衣絹帛者皆披布褐綿袍。則六十餘州人民家々贏幾多粱
肉贏幾多絹帛。國用給而不乏。國勢亦自堅實。四方蠻貃不生覬覦之心。
夫然而後晏然可以高枕※矣。當此之時教學可興也。教學一興而明
徳可明也。至善可止也。闔国豈止驩虞之民而已哉。
※而臥 



壬寅(天保14年1842)孟春(1月)以来、新しき政令(倹約令)、畳(かさ)ねて出づ。
所謂(いはゆる)「民を新しくするの道」也。
是に於いて凡そ天下の粱肉(贅沢な食事)に飽く者は、皆な麦飯菜羹(粗食)を喫し、
(贅沢な)絹帛を衣(き)る者は、皆な(粗末な)布褐綿袍を被(かづ)く。
則ち六十餘州、人民の家々、幾多の粱肉を贏(あま:余)し、幾多の絹帛を贏す。
國用給(た)りて而して乏しからず、國勢亦た自(おのづか)ら堅實たり。
四方の蠻貃(ばんぱく:外敵)も、覬覦(侵略)の心を生ぜず。
夫れ然らば而後、晏然として、以て高枕而臥(枕を高くして眠る)すべきかな。
當に此の時、教學興るべき也。
教學一たび興らば、而して明徳、明かなるべき也。至善、止(とど)まるべきなり也。(『大学』)
闔国(国全体)、豈に止(ただ)に驩虞の民(一時の贅沢を喜ぶ民衆)のみならんや。(『孟子』)  褧


天保の改革の一環として行はれた倹約令に即して述べられた一文である。もとより幕府への批判を表立って述べる訳にもゆかず、
「贅沢をやめれば国が富み、それゆゑ外国も変な気を起こさず私達は安心して暮らすことが出来る。 清貧のもとでこそ教学は盛んになるのだ。この国は一時の贅沢に喜んでゐる人間ばかりではないぞ。」
といった内容。時局を甘んじて受け入れた上での檄文といふべきであらう。

天保の改革は2年ほどで失敗に終ったといふから、文章は天保の終りから弘化の初めに書かれたものである。
その内容はしかし、倹約を掲げる政治家など絶えて見ることのない今日の日本、 飽食浪費生活に浸かりきって足ることを知らぬ現代人「驩虞の民」にこそ相応しい檄文といへるではないだらうか・・・。


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