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村瀬藤城 筆跡
村瀬藤城 城崎(竹野浜)詩碑来歴 掛軸
(岐阜市歴史博物館所蔵)
雖免嶧山野火焚
風霜氷雪亦紛々
従今建石保無缺
安築一亭庇此文
與湯島諸君同遊鷹濱有
拙詩如是 諸君善領会詩意
謀築亭甚急 乃使吾写此
詩一冊子端以換募縁疎焉
爾 隗始之任吾亦義不可辞
也 目併贅識 時
嘉永元年戊申仲夏下弦 藤城褧
嶧山(始皇帝の称徳碑)の野火に焚かるるを免るると雖も
風霜氷雪また紛々たり
今より石を建てて無欠を保ち
一亭を安築して此の文を庇はん
湯島諸君と同(とも)に鷹濱(城崎竹野浜)に遊び、
拙詩如是のごとき有り。諸君、善く詩意を領会(了解)し、亭を築くこと謀る甚だ急なり。
乃ち吾をして此詩を写さしめ、一冊子端以て「募縁疎」(募金趣意書)に換ふるのみ。
「隗より始めよの任」吾また義にして辞すべからざる也。目して併せ識を贅す。時に
嘉永元年(1848)戊申仲夏下弦(6月下旬) 藤城褧