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村瀬藤城 筆跡


村瀬藤城 掛軸 (2010年06月購入)

p1

岐阜稲葉山 平處有露臺
西南曠豁感 織豐誌公事
慨然有賦似 藤晩堂百峰
美濃別称善言山峰之繁也
故云
値道百峰間地無 飛欄聚遠酒堪呼
晴川抱埜明還滅 夏木蔵邨客又疏
誰識英雄興起處 却成觴詠戯游區
昔聞濃尾同豐沛 今日高陽有舊徒

藤城山人

岐阜稲葉山、平処に露台有り
西南曠豁にして、織豊(織田豊臣)の公事を誌せるに感感ず
慨然として賦有りて、藤晩堂百峰(牧百峰)に似(示)す
美濃の別称は、善く山峰の繁きを言ふ也。
故に云ふ
値(あ)ひて道(い)ふ、百峰に間地の無きことを。飛欄(飛騨山系)を遠く聚めて、酒呼ぶに堪へたり。
晴川、埜を抱きて明また滅し 夏木、邨を蔵(かく)して、客また疏なり
誰か識らん、英雄の興起する処 却って觴詠(一觴一詠)戯游の區(区々たる)を成す
昔、濃尾、豊と沛(劉邦)とは同じと聞く、今日、高陽の旧徒(酒徒:自称)有り

藤城山人

p2  p3
源褧士錦

p4

奥美濃、長良川の巉岩を彷彿させる水石


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