も どる

2011年7-12月 日録 掲示板 過去ログ


よいお年を。

 投稿者:やす  投稿日:2011年12月31日(土)01時21分9秒
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   さきの投稿で、四 季派について何だかこれ以上書くことがなくなってしまった、なんて記しましたが、これは詩集コレクション構築に対する執心が低下したからかもしれません。 もちろんモチベーションの低減には理由があって、

1.探求書の最高峰であった宮澤賢治の詩集を、古書店の御厚意で手に入れたこと。
2.反対に、(資金・地の利はともかく)、私の了見が狭い所為でこの数年間次々に知友と専門店のコネクションを失ったこと。
3.国会図書館やgoogle booksで実現しはじめた著作権切れ書籍の公開事業により、これまで拙サイト上で公開してきた原資料画像に「賞味期限」が設けられる見通しがついたこ と。
4.そして最後に(これが一番の理由ですが)、興味分野に「郷土漢詩」が加はったことでいろんな「防衛機制」がされるやうになったこと。つまり近代詩の詩 集が買へなかったら漢詩集を買ふ、或ひは漢詩が素養として強いる道徳によって執心をクールダウンできるやうになったといふことが挙げられると思ひます。勿 論わが年齢もありませう。

 幻の詩集とよばれた稀覯本も早晩パソコン上で読めるやうになり、所在情報の詳細が明らかになれば、原物を借りる方策も立ち、購入に際しては価格の比較だ けでなく在庫のだぶつき具合も確認できるやうになる。こんな具合に敷居が下がったのはすべてインターネットの恩恵ですが、さらに個人的な状況として、まだ 味読されてゐない多くの本が、書棚から恨めしげに私を見下ろしてゐるのにそろそろ耐へられなくなってきた、といふ事もあります(笑)。なるほど難しい研究 書を読み返すことがなくなり、この年末に段ボール5箱ほどを“断捨離”した私は、もはや四季派愛好家として薹が立ったと云へるかもしれません。床の間に安 置した良寛禅師坐像に向かひ、「修証義」の諷経を日課とすること一年。そのうち野狐禅の説く「コレクター修養講義」が始まりさうです(笑)。

 冗談はさて措き、そのほかのニュースおよび、本年の収穫を御報告。


 「日本古書通信」12月号の巻頭記事にありました、地方図書館の和本群が財政上の理由で博物館に移管されるといふ話。確かに江戸時代の刊本をコピーにか けることを古文書同様に禁ずる学芸員と、読まれることを願って世に送り出された著作物について可能な限り利用促進を図らうとする司書とでは、和本に対する 立ち位置が全く違ひます。殊にも私のやうな人間は、原資料を実際に手にとることこそ、著者と著者の生きた時代に直接つながるための唯一の儀式であると実感 してきた人間なので(ネット上で行ってゐるのはあくまでも代償行為と興趣喚起です)、地元博物館へ調査に行った際にも同種の不満を感じたことですが、死蔵 されんとする和
本資料の悲運を思っ ては同情を禁じ得ません。


 高木斐瑳雄が社長を務めてゐた実家、伊勢久の社史『伊勢久二百五十年』を寄贈頂きました。地元陶磁器産業の歴史資料としても貴重であり、図書館へ寄贈さ せて頂きましたが、詩人に至るまでの歴代社長の経歴紹介ページについては、許可を得て転載 公開してをります。御覧下さい。
 思へば大震災の当日あの時間に何をしてゐたのかといふと、私は図書館まで御足労下さった社長さんと高木斐瑳雄のことをお話ししてゐたんですね。その一年 が暮れてゆかうとしてをります。まことに公私ともに厳しい運命が啓かれんとする一年でした。 どなた様もよいお年をお迎へ下さいませ。


2011年の収穫より (収集順)

安西冬衞詩集『渇ける神』
松浦悦郎遺稿集『五つの言葉』
『淺野晃詩文集』中村一仁編 新刊
大垣鷃笑社編『鷃笑新誌』1-11合冊
頭山満翁 掛軸
澤田眉山詩集『三堂集』
大沼枕山詩集『枕山詩鈔』初刷
岡田新川詩集『鬯園詩草』
杉山平一詩集『希望』新刊
前田英樹著『保田與重郎を知る』新刊
加藤千晴詩集『宣告』
館柳湾詩集『柳湾漁唱 初集』初刷

「感泣亭秋報」第6号

 投稿者:やす  投稿日:2011年12月30日(金)21時55分6秒
    小山正見様より年刊雑誌「感泣亭秋報」第6号を拝受。手違ひあってクリスマスプレゼントとなりました。今年の「感泣亭秋報」は小山正孝夫人、常子氏の新刊 エッセイ『主人は留守、しかし…』の出版記念号となってゐるのですが、夫妻の最大の理解者であった坂口昌明氏が9月に逝去。来春には竣工するといふ、物理 的顕彰空間となる「スペース感泣亭(仮称)」の構想にも氏は大きく関ってゐた筈であり、今後の感泣亭運営に於けるこのスペース(空席)の喪失感は計り知れ ぬものがあります。ここにても御冥福をお祈り申し上げます。

 かくいふ私も今回原稿依頼を受けたのは、一度坂口さんからは忌憚ない御意見を賜りたかったから。この機に(書き手でもあった)自分の中の四季派理解につ いて、なるべく分かり易く述べてみよう、と総括を試みたつもりでした。しかし批正を乞ふことも叶はずなり、また自分自身を見透かすやうな文章を書いてしま ひ、今後「四季派とは何ぞや」なる設問に対して、なんだかこれ以上書くことがなくなってしまったやうな気もしてゐます。

 ただ雑誌の内容は、晦渋な恋愛詩を書き続けた詩人である夫について、みずみずしい感性で自ら思ひ当たる夫婦関係の節々を回顧した著者の文才に焦点が集ま り、これに大いに掻きまはされた執筆陣が一様に踏みこんだ感想と考察をものしてゐます。「第2特集」――麥書房社主堀内達夫氏に関する文章とともに、年刊 雑誌に相応しい充実した内容となったことはお慶び申し上げる次第。ネット上では話題に上ることの少ない個人研究誌ですが(サイト上でも未だ今号の紹介はさ れてゐませんね)、詩人と親和性ある気圏に対象を広げてゆきたいと抱負を語られた感泣亭アーカイヴズの主宰者、御子息正見氏の今後の舵取りは、坂口氏の後 ろ盾を失ひ前途多難ではありませうが、雑誌「感泣亭秋報」が四季派研究家・愛好家の欠くべからざる必須文献として、この平成も20年代に入った現代、毎年 刊行され続けてゐる意義といふのはまことに大きい。今回は刷り上がりを3冊頂いたうち2冊を差し上げてしまったので、拙文については許可を得て
【四 季派の外縁を散歩する  第17回】にて公 開させて頂きました。

「感泣亭秋報 六」 2011.11.13 感泣亭アーカイヴズ発行 21cm, 68p  連絡先は感泣亭サイトまで。

【目次】

【詩】 誰が一番好きかと聞かれたら 小山正孝 2p

恋愛詩人が作る物語と現実――小山常子『主人は留守、しかし…』を読んで 國中 治 4p
正孝氏への「返歌」 里中智沙 12p
最良にして稀有の伴侶――小山常子著『主人は留守、しかし…』 高橋博夫 14p
詩人再考――小山常子氏の新刊に寄せて 中嶋康博 16p
常子夫人と小山正孝氏 大坂宏子 23p
小山常子様の出版を祝して 圓子哲雄 27p
坂口さんが発見した『津軽』――坂口昌明さんを悼む―― 竹森茂裕 30p
小山正孝の詩世界5『散ル木ノ葉』 近藤晴彦 32p

【感泣亭通信】  松木文子 瀧本寛子 高橋 修 永島靖戸 山田雅彦 絲 りつ 國中 治 石黒英一 神田重幸 相馬明文 佐藤 實 中嶋康博 西垣志げ子 荒井悌介 小栗 浩 西村啓治 馬場晴世 高木瑞穂 益子 昇 安利麻 愼 木村 和

【詩】テイク番号 森永かず子 50p
   あなたの羨望が 大坂宏子 52p
   明日 里中智沙 54p


立原道造を偲ぶ会と堀内達夫さん 益子 昇 56p
堀内達夫さんのこと 藤田晴央 58p
昭和二十年代の小山正孝2――小山−杉浦往復書簡から―― 若杉美智子 61p
小山正孝伝記への試み2――前回の修正と初恋の話―― 南雲政之 63p

感泣亭アーカイヴズ便り (編集部) 67p

『和本のすすめ』岩波新書

 投稿者:やす  投稿日:2011年12月 4日(日)20時52分29秒
編集済
    新書を読む人に気忙しい人が多いためか、冒頭早々「江戸観の変遷」「江戸に即した江戸理解を」といふ核心的結論が掲げられてゐるのですが、ここを読んで何 も感じないやうなら、その後に続く文章はもとより、和本といふ気軽に手にすることのできる自国の文化遺産には無縁の人なのでせう。抑もそんな御仁はこんな 名前の本を手にとる訳もないか(笑)。

 しかしながら、かつて岩波文庫に『伊東静雄詩集』が迎へ入れられた際、少なからず感動を覚えた者として、再び感慨に堪へないのは、近代進歩主義もしくは 西洋教養主義に対する痛烈な反省を迫った本書の内容が、その牙城であった岩波新書自身の一冊として刊行されたことであります。何度も書かれてゐるのが享保 の出版条例のことで、それが言論統制といふより出版上の営業権利を保障するものであったこと。江戸時代の封建制度における庶民の自由と権利が、為政者の成 熟した倫理感のもとで十全に確保されてゐたことを、その後の出版隆盛に鑑み「事実として肯定」してゐる点ですが、ここに至って五度目の「江戸観の変遷」、 すなはち五度目の自国文化に対する反省を迎へた日本の学芸界が、左傾した思想偏重主義から本当に脱却しつつあるのだな、といふ「事実としての肯定」を、私 は岩波新書といふ象徴的な「物」に即してまざまざと見せつけられた観がしてなりませんでした。尤も岩波書店の販促誌「図書」に連載の文章ですから、新書に まとられたのは当然なんですが、本書に説かれてゐる「物」としての和本の大切さといふのも、今様に実感するなら、つまりさういふことなのであります。

 論旨たる「和本リテラシー」については前半三章に集中して説かれてゐます。分かり易く書かれた和本学概論としては、「誠心堂書店」主人橋口侯之介氏によ る『和本入門』(平凡社 2007, 2011平凡社ライブラリー)と双璧をなしませうが、研究者としての興味はやはりサブ カルチャーに傾くもののやうで、漢詩好きとしては後半は流し読み。謹恪な行文は和文脈に親しい著者にして、気合や皮肉の入る処で長くなる様子が、管見では 一寸三好達治の息遣ひに通ずる面白さがあるものに感じました。

 電車の中で、新書や文庫、たまに洋書のペーパーバックなんぞを披いてゐる人も見かけることはあるのですが、ついぞ和綴本の字面を追ってる人を見たことが ありません。外出時に携帯したいのは、手にささへかねるやうな一冊の和本。そんな老人になるべく、最近は毎朝トイレで『集字墨場必携』の字面と睨めっこし てをります。

中野三敏著『和本のすすめ』2011.10 岩波新書 新赤版 1336 \903

掘出しもの二題

 投稿者:やす  投稿日:2011年11月 8日(火)23時55分37秒
編集済
   掘出しものが二つ 到着。

 一つは苦労して掘り出したといふより、誰でも目につくやうな露天掘りの目録から逸早く注文できた僥倖に過ぎないが、なにしろ揃ひを断念した筈の『柳湾漁 礁』の初集である。二集、三集と一冊づつ手に入れてきたが、ハイブロウな古書通にとって今や館柳湾は柏木如亭に次ぐ大人気の漢詩人。入れ本で揃ったこの嬉 しさは、山本書店版の『立原道造全集』特製版のとき以来かもしれない(笑)。

 しかもやはり「掘り出しもの」には違ひないことが分かって、吃驚してゐる。といふのも、買った所や値段・汚れ具合から、初(うぶ)ものであるとは思った が、奥付や見返し印刷がなく、おまけに巻頭にあるべき日野資愛卿の序文さへ無かったことである。普段、古本を買って落丁に遭へばガッカリ肩を落とすところ だが、こと和本に限ってはさうとばかりは云へない。つまりこの本、市販される前に頒布された初刷版かもしれないのである。贔屓目で見れば二三集とはサイ ズ・色も違ふし、本文紙も厚い。因みに太平文庫復刻版に於る序文を記せば
1. 日野資愛、2.呉竹沙の絵・永根鉉、3.大窪詩仏、4.葛西因是、5.亀田鵬齋、6.北條霞亭、7.松崎慊堂、8. 菊池五山の順だが、この本では
1. 松崎慊堂、2. 北條霞亭、3. 菊池五山、4. 大窪詩仏、5. 葛西因是、6. 亀田鵬齋、7. 呉竹沙の絵・永根鉉となってゐる。序文の順序を製本時にしくじるのはよくあることだし、角裂れがないので入れ替への可能性も残るものの、一応参考までに記 しおく。本文に異同はないやうである。





 もう一つの掘出し も漢詩で、こちらは掛軸。昨日ツィッターでつぶやいたが、わが所蔵する筆跡の最古記録を更新したことである。明和5年(1768)といふから今から250 年前、尾藩督学だった岡田新川と いふ儒者の書で、こちらへの注文は或ひは私だけだったかもしれない。当時32才、発足したばかりの名古屋の藩校明倫堂の公務忙殺の合間、近くに住みながら 疎遠中の詩盟に向かって、菊でも眺めながら陶淵明みたいに新酒で一杯やろみゃーかと呼びかけた詩。今夏購入した晩年の詩集には収められてゐなかったが、そ の友人の名はあった。そこで序でのことながら夥しく現れる人名をタイトルごと抜き書きして添へてみた。なかには美濃の人もあるやうで、何かの覚えになれば といふ魂胆。実は我ながらをかしいが、調べもので検索してゐると屡々自分のサイトにヒットして自らに教へを乞うてゐるやうな体たらくなのである。

詩人の声

 投稿者:やす  投稿日:2011年11月 6日(日)00時43分10秒
  二宮さま

 淺野晃の番組、よ い出来であった由、なによりです。しかし保田與重郎のDVDといひ、あってもよい筈の肉声や映像が出て来ないのも、謦咳に接し得なかっ た私達後学には歯痒く思はれるところです。かく云ふ私も、田中先生との対談を録音しておけば面白かったんですが、一度要請したら峻拒されました(笑)。今 では小さなチップで何でも盗撮盗聴できてしまふ時代ですから、却って恐いですが。

 先日CDではじめて北原白秋や萩原朔太郎の肉声を聞きました(ここから試聴で きます)。戦後の音源集はすでに知ってゐましたが(『昭和の巨星 肉声の記録 : 昭和35年ー39年の映像資料 ; 文学者編』)、まさか昭和初期に録音された詩人達の声がこんな高音質で残ってゐたなんて、初耳にして一体これまでどこにお蔵入りされてゐたものやら、懐か しさに絶句されたであらう、今はこの世に無い諸先輩方の生前に企画されるべき貴重な貴重な音源集でした。

『コロムビア創立100周年記念企画 文化を聴く 』

淺野晃についての番組

 投稿者:二宮佳景  投稿日:2011年11月 5日(土)20時26分5秒
編集済
    先月、苫小牧ケーブルテレビで淺野晃についての番組(「刻の旅〜ANOHI」 苫小牧人物伝・浅野晃)が放映されました。このほど、それを収録したDVDを観る機会に恵まれました。20分の短い番組でしたが、生前の淺野晃を知る平井 義氏(元国策パルプ工業勇払工場総務課長)の回想が番組に説得力をつけていました。水野成夫や南喜一の写真が出てくれば、もっと良かったと思いました。し かし、全体として、淺野について何も知らない視聴者には実にいい入門篇というべき放送内容で、制作者に敬意を払いたいと思った次第です。
 平井氏が取材に際して、『淺野晃詩文集』を手に姿を見せたのに、思わずニヤリとしてしまいました。また、館長や司書こそ姿を見せませんでしたが、苫小牧 市立中央図書館の手厚いサポートを、番組から強く感じました。地域の図書館のあるべき姿を、改めて強く思ったことでした。
 


近況

 投稿者:やす  投稿日:2011年11月 5日(土)15時52分7秒
編集済
   前の投稿に対する 政治的レスは不要です。

 また、10月20日に加藤千晴の『詩集宣告』の 画像をupしましたが、30日の山形新聞朝刊にて、詩人の紹介記事(「やまがた再発見」高沢マキ氏)が大きく一面で掲載せられた由、酒田市の齋藤智様より 現物とともにお知らせ頂きました。ありがたうございました。

 風邪が治らず、明日の杉山平一先生を囲む会には出られさうもありません。お知らせ頂きました矢野敏行様には、面目なく、残念でたまりません。
 

雑感

 投稿者:やす  投稿日:2011年11月 5日(土)15時49分40秒
    大牧冨士夫様より『遊民』4号落掌。小野十三郎の思ひ出を興味深く拝読しました。戦後の一時期、わが師田中克己とは帝塚山学院で同僚だった時期があります が、戦時下を凌いだ大物左翼詩人であり、戦後詩壇で反抒情気運を扇動する一世代上の彼と先生とは、おなじく同僚でも『大阪文学』と『四季』の同人であった 杉山平一先生を年少の詩友にもつことで、直接の接触の機会をお互ひが避け合ったもののやうに、私は感じてゐます。少なくとも帝塚山時代のお話を伺ふたびに その名は出るものの、田中先生は憎しみも親愛も示しにはなりませんでした。

 その世代――近代の節目を飾った明治末年〜大正初年生まれの人達による精神的所産が、詩の分野に限らずおそらく日本の知識人が示した最後の高みであった らうことは、これから迎へる百年で、嫌といふほど私達子孫は思ひ知らされることになりませう。

 このたびの雑誌では、左翼陣営にある同人の方々の筆鋒が、定番の戦前軍国主義の批判から、下って此度の大震災、ことにも原発問題に向けられてをります。 次代を担ふ孫たちの命を守る、そのために食生活を守る、当たり前の話ですが、しかしそれは同時に食をとりまく環境と文化を守ることでもあって、この危機に 対しては、今や右も左もないのでは、と私などは思ひます。旧世代の左翼陣営にとっても、守らなくてはならない食生活のアイデンティティに、必ず日本文化の 連続性がくっついてくるがどうする、といふ、今までの批判者一辺倒からの転身が迫られてゐるやうに感じるのです。

 たとへば「非国民」なんてのはまことに聞き捨てならぬレッテル言葉ですが、軍国主義を想起するより、もはや豊かさ(物欲)の奴隷になり下がってゐる私た ちを打つ「警策の言葉」として、その語気を以て投げつけるに相応しい現実の数々に、いま正に私たちは直面してゐるのではないか――そんな気がしてなりませ ん。はしなくも原発事故や口蹄疫・鳥インフルエンザによって明らかになったのは、これまで浪費文化が隠し続けてきた恥部なのであって、このたびのTPP問 題をめぐっても、私はそんな視点から賛成派の人々が示す損得勘定を注視してゐます。さきのレビューに上した『保田與重郎を知る』で何度も語られてゐたの は、米作りを基本とする日本の国体でした。天皇制を解体するのにTPPは決定的な政策である筈ですが、生活防衛を盾に共産党が右派政党と同じく反対に回っ てゐることに、私は勝概を禁じえないのです。同人のみなさんが地域の先達に仰ぐ一人には、杉浦明平がある由。彼が生涯を通じて憎悪した同時代文学者こそ保 田與重郎でありました。両者の和解はないまま、憎悪も祈念も、ともに将来の記録文化事業のなかで懐旧されるだけの時代がやってくるかもしれない・・・そん な未来の日本への分岐点に立たされてゐるやうな、不穏な空気が社会にたちこめて参りました。

 ここにても御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

『保田與重郎を 知る』

 投稿者:やす  投稿日:2011年10月27日(木)22時46分56秒
   先日 刊行を知って遅まきながらamazonに 註文したうっかり者です。帯に「入門の決定版」と謳ってありますが、これまでいろんな評論家によって明らかにされてきた「隠遁詩人の系譜」や「米づくり」 など、キーワードを態よくまとめて解説してゐる本ではありませんでした。誰しもなかなかうまく言葉にはできなかった読後感の正体を、易しく語ることは、 「ですます」調の語り口とは次元のちがふ話で、そらすことなく得心ゆく説明をするのは決して「易しいこと」ではない――「入門の決定版」なのはその通りで すが、初学者のための一冊といふより、核心を突いた一冊、否、私自身が初学者であることを思ひ知らされた一冊でありました。といふのも、このサイトでは嘗 て、保田與重郎の文体と「自然」とが、人に及ぼす形而上的な感興を一にする不思議について、訳わからぬまま極めて稚拙な感想を上してゐたからです。

 
出版元の創業精神を思へば、この本が所謂国文学の専門家ではなく、思想家と剣術家、謂はば文武両道をよくする教育家の手で、 祖述者の姿勢に貫かれて書かれてゐることに、深い意義を感じたことでした。

「この人くらい、こ の名が完全に、異様に不似合いなところまで昇りつめた「文芸評論家」はいないでしょう。」4p

「すでにこの少年 は、学校の勉強とはかけ離れた本格の教養を身につけてしまっていた。この読書法は、後の文芸評論家、保田與重郎の文学界における孤独というものを約束して いるようにも思われます。」16p

(柳宗悦や折口信夫)ら の学問は、始めから政府や大学からのお墨付きをもらえる公の方法を注意深く拒むものでした。」22p

「たとえ、そこに暴 言に近いものがあったにせよ、何もかもが覚悟の上、というふてぶてしさに文は溢れていました。」26p

「彼の文章は、主 語、述語といった統語要素の首尾一貫した構成で成っているのではありませ ん。言葉は言葉を粘りのある糸のように吐きだして、うねるようにその文脈を引き延ばし、変化させてゆきます。このような在り方は、古代日本人が、大陸から 文字というものを移植して以来、長い訓練の歴史を通して作り上げていった和文の本質です。保田は、そうした和文の本質を、日本語による近代散文のなかに はっきり生み出そうとしているのでしょう。その文章のどこか捉えどころのない進み具合は、まさにここで保田が描き出そうと している日本の橋と、またその機 能と、たとえようもなく一致しているではありませんか。」36p

(系譜の樹立)そ れは「樹立」であって、追跡や調査では決してありません。保田の文業がこの「系譜」を「樹立」するとは「系譜」の全体が、彼自身の文体によってまるごと再 創造されることを意味し、また「系譜」の尖端にみずからの文業がはっきりと据えられることを意味するのです。」71p

 など、各所で繰り出される言葉が実に気持ちよく胸に落ち、また原発事故 やTPP問題の前に刊行された本であるにも拘らず、抄出される文章に は、つひ日本の行末を重ねてしまひ、粛然たる思ひを致さずには居られなかったです。

(ガンジーの無抵抗主義は)日 本の自由主義者のやうに、戦争は嫌ひだ、自衛権の一切は振るへない、しかし生活は近代生活を続けたいといった、甘い考へ方ではありません。その考へ方は非 道徳的であって、決して無抵抗主義ではありません。(昭和25年『絶対平和論』)142p

「我々は百年前、黒 艦と大砲の脅迫下で、鎖国を守るべきだと主張した国論の真意を、今日、高 く大きい声として、再び世界の人道に呼びかけるべきである。鎖国を主張した日本のその日の立場には一種の惰性的な安逸感を保持しようといふ消極退嬰のもの をふくんでゐたかもしれない。今日はしからずして、人道の根拠として世界に叫ばねばならない。この思想を我々は国民の内的生命に於いて確認するからであ る。(昭和59年 『日本史新論』)147p



 さて付属のDVDで すが、こちらは大和の風俗と米作りに絞って、思想の紹介に重きが置かれてをり、映像が美しかったです。人となりが窺はれるエピソードを、インタビューや(もしあれば)録 音資料など雑へてもっと多く紹介し、人物伝としても充実させることができたら、このままテレビの深夜枠の特番ででも流してもらひたい感じです。実は初めて の紹介映像といふことで、私はもっと手前味噌の出来栄えを予想してゐたのですが、帰農した菅原文太が東北人である自らを「まつろはぬ民」として一言くさび を差しつつ自嘲してみせるコメントがあったり、谷崎昭男氏、前田英樹氏のインタビューならびに特典映像での身余堂未カット映像集にはただもう興味津津、見 入ってしまったことです。

 ひとこと宣伝まで。

 

(無題)

 投稿者:やす  投稿日:2011年10月27日(木)22時21分31秒
  二宮様

 『不二』は昔の歌誌のやうに思ってゐましたが『桃』『風日』同様、現役雑誌なのですね。一番書いて頂きたい方の評言に、編者の中村さんも人心地ついたの ではないでせうか。喜びも一入のことと拝察。読んでみたいです。

 また、圓子哲雄様より「朔」172号の御寄贈に与りました。地震の心労により刊行が遅延せられたことに自責の必要はございませんし、ただ震災が詩人達の 胸に深く蔵され、滓が沈み、抒情詩として上澄みが掬ひ取れるやうになるまでには、今しばらく時間がかかるのでは。東北・東日本の同人が多く、皆様方からは 今後、満を持しての投稿が寄せられることでありませう。
 ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

『不二』九・十 月合併号

 投稿者:二宮佳景  投稿日:2011年10月25日(火)01時37分3秒
   野乃宮紀子氏によ る書評「『淺野晃詩文集』に寄せて」を収録してをります。淺野と縁浅からぬ『不二』に書評が発表されたことに、深い感慨を覚えます。
 野乃宮氏は淺野晃の薫陶を受けた方で、芹沢光治良の研究家です。

『桃の会だより』 / 『保田與重郎を知る』

 投稿者:やす  投稿日:2011年10月17日(月)23時40分45秒
編集済
   山川京子様より 『桃の会だより』6号をお送り頂きました。ここにてもあつく御礼を申し上げます。ありがたうございました。

 例によって短歌に評など下せぬ自分ですが、文章はいつも楽しく拝見、今回は野田安平氏による棟方志功を語る短文あり、詩人山川弘至『国風の守護』と京子 氏『愛恋譜』の二冊を「装釘がとりもった比翼」と表現されたのを、いみじき言葉に受けとめました。「志功装」といふだけで、著者間の教養にも何某かの共通 理解が保証されたもののやうに感じてしまふのは、もちろん雄渾な筆さばきの為せる力技でせうが、画伯が『改版日本の橋』を代表とする日本浪曼派関連の印刷 物の装釘を戦争中に一手に引き受けたことが、戦後は仇となり、版画家として「世界のムナカタ」に功成り名を遂げた後も、造本家としては色眼鏡でみられるこ と多々あったに相違ないと推察します。尤も画伯自身が彼らとの交友を革めなかったことが、日本浪曼派の為にはきっと得がたい恩となり、また時を経た今と なっては、再評価の成った保田與重郎とともに、節操の輝きをお互ひに永久のものにしようとしてゐる。これは有難いことであり、棟方志功と日本浪曼派といふ のが、そもそもさうした連理の関係にあるやうです。
 四季派における深沢紅子と日本浪曼派における棟方志功は、伝統を現代のなかに活かさうと目論んだ昭和十年代の抒情を、本の型に凝らせることに成功した装 釘家として双璧と呼ばれませう。著者においても彼等の装釘を戴くことが時代の勲章だったといふことを、野田さんの御文章からもあらためて感じました。
 またさういふ気圏の中で起きた詩人山川弘至と京子様との物語は、古代を現ずる一種の神話として語り継がれる運命にあり、郡上の山の奥に安置せられた「本 尊」である詩人と、その「語り部」である京子様の、一対一に向き合はれた絶対の関係は、京子様の人徳と雑誌継続の意志により、今では野田氏を始めとする 『桃』会員のみなさんとの関係に、うたの道としてひとしく受け継がれてゐる。――編集に当たられてゐる鷲野氏といひ、野田氏といひ、まことに心強いことに 存じます。末尾に鷲野氏が抄出された石田圭介氏の代表作は、奥美濃の八月、蝉しぐれの中の静寂を写して実に愛誦に堪ふべきものと感じ入りました。

御歌碑をめぐりて咲けるおそなつの花うつくしく山深きいろ


 またこのたび『保田與重郎を知る』(前田英樹著 新学社2010.11)といふ、生誕百年を記念して昨年刊行された本のあることを知り早速註文、遅まき ながら手にとったところです。冒頭まえがきでは――、これまで「文芸評論家」としてしか肩書がなかった保田與重郎について、日本古来の精神を「文章といふ 肉体のなかに発光してくる取り換えのきかない意味」のなかで再体験すること、その大切さを一番に語り継がうとした「思想家」として、また歴史的にはその最 後の祖述者となった「文人」としてみつめなほし「簡潔に素描」することが目的であると、述べられてゐます。生誕百年の感慨を新たにせずに居られません。 「ですます」調だからといって何が入門書であるものでせう、ゆっくり本文を味読すべく(まだDVD観てない♪)、合せて茲に御報告まで申し上げます。

『布野謙爾遺稿集』

 投稿者:やす  投稿日:2011年10月17日(月)12時37分51秒
   このお休みを、杉 山平一先生の編集に係る『布野謙爾遺稿集』の、 特に日記と手紙を抜き書きしながら読んでをりました。恰度、手皮小四郎様の前回の連載「モダニズム詩人荘原照子聞書(「菱」173号)」で、当時の「椎の 木」に惹起した内紛と分裂について記されてゐるのですが、この遺稿集に収められた日記・書簡を読むと、当時の彼は荘原照子とは反対に、大阪に拠点が移った 第四年次の「椎の木」に残り、編集を受け継いだ山村酉之助(荘原照子曰く「ギリシャ語もラテン語もできるブルジョワの息子」)の人柄についても信を寄せて ゐたことがわかります。

□「いま大阪で私たちのやってる椎の木を編集してゐる山村さんといふひとに、よく便りをいただ いてゐますが 今年二十七才位のひとですが、なんだか人間的に私をひきつけるものがあります。このひととなら、のるか、そるかのところまで一緒に雑誌のことを手伝って行 き度いといふ情熱を私に持たせます。まだ逢ってゐない人だけれど、ちかころこのひとがあることが、私にはひとつの慰みとなりました。大阪人には気まぐれは 少いといふことを悟りました。このあたりか、ひとの好し悪しに関係なく大阪人の特性だと思ひます。お金持で教養のある人は(その教養は単にサロン的教養で はありません。ブルジョアの社会的意義を究明し尽くした教養)やはりプロレタリヤの教養のあるひとより精神的に美しいと思ひまし た。」(1935.6.18 草光まつの宛)

 しかしこのさき名跡「椎の木」と、あたらしく分かれ別冊誌の名を継いだ「苑」は、同じく季刊を継いで月刊となった「四季」のやうには長命を保つことがで きず、ある種共倒れの感を呈して廃刊に至ります。それはモダニズムの裾野が囲い込まれてゆく時代状況にあって、中途半端なモダニズムが新領土に淘汰凝縮さ れていったこと、そしてこの分裂劇以降「新進詩人の育成」について、自身のモダニズム転向を封印(?)してしまった宗匠の百田宗次が興味を失ひ、放擲して しまったといふ事情にあったもののやうです。
 「椎の木」の同人達、とりわけ布野謙爾と姻戚関係にあったと思しき景山節二については、なぜ先輩と袂を分かって「苑」の方へ参加したのか。生前の詩人と 面識のあったといふ手皮様も、今回景山家に叔父がゐた事実には驚かれたとのこと。今後、言及が俟たれます。また私も高 松章宍道達と いったマイナーポエトの詩集との出会ひを私かに喜んでゐたところ、こんなところでその名に出喰はすとは思ひませんでした。全集類における日記や書信、そし て序・跋において明らかにされる交友関係といふのはとりわけ詩人に於いて頻繁で、興味の尽きないところです。さうして布野謙爾が杉山平一を通じて「四季」 「日本浪曼派」などモダニズムから意味の回復への接近してゆく過程といふのは、謂はば結核にむしばまれた彼の衰弱過程に沿ってゐるやうです。

□「四季の会に 出かけた由、そんな雰囲気はどうにもうらやましくてなりません。詩を作る機縁なんて、つまるところこの雰囲気がなくては駄目だと思ってゐます。」 (1936.7.20 杉山平一宛)

 健康さへ許せばおそらく内地での就学とともに、中央詩人達との通行、また発表の機会も拡がってゐたことでせう。ファッショを厭ひ、朝鮮の現状に心を痛 め、杉山平一の詩に萌芽するヒューマニズムを賞してゐた彼にあって、「お金持で教養のある人はプロレタリヤの教養のあるひとより精神的に美しい」と観念し た精神が、先鋭化に伴ふ手段としての詩に傾斜していったモダニズムに対して、どのやうな回答を実作において示し得ただらうか。さう残念に思はれてなりませ ん。

荘原照子聞書:秋朱之介、『マルスの薔薇』を編む

 投稿者:やす  投稿日:2011年10月14日(金)11時14分33秒
   鳥取 の手皮小四郎様より『菱』175号をお送り頂きました。早速披けば前号休載だった荘原照子の聞書き 伝記の再開に抃舞――連載15回目にして、たうとう『マルスの薔薇』の刊行時(昭和11)にたどりついたのです。 

彼女の処女作品集にして唯一の単行本『マルスの薔 薇』は、前半に表題の中編小説を据え、後半に詩10篇 を収めた詩文集で、稀覯本の多いモダニズム文献の中でも人気の高い一冊であります。表題作である“ろまん「マルスの薔薇」”が、フィクションといふより作 者の伝記的事実をそのままなぞってゐるらしいことは、ために彼女の勘当が家族会議で諮られた事実からも窺はれ、手皮様も独自に裏付けをとりつつ、これまで も度々考証の手掛かりとして引用してこられました。謂はば印刷に付された「吐露エ ピソード」の宝庫なのですが、これが発表を前提に書かれたのは確かなが ら、どうやら進んで刊行された素性のものではない、刊行後に著作者をめぐって物議をかもした本なのです。今回はあらためて最初から筋道を追ってプロット全 体の解説が試みられ、次いでその物議について考察が加へられてをります。

伝記的事実――子ども時代に強烈な印象を詩人に与へ たと思しき、個々の出来事や登場人物の造形に妙なリアリティ が感じられることは、初めての小説にして天稟煥発と云ってはそれまでですが、父親の酔態描写などなるほど勘当の発議もありなんと思はされます。ラブレター は実際に投函された写しが使はれたでのでせうが、客間に現れる山師の女怪に至っては「水色地に華麗な紅薔薇の花模様の着物、紫無地の羽織をつけ、深紅に近 いゑび色の袴」といふ、さながら宮崎アニメに出くる魔法使ひといったいでたち()、実際に見聞した人物であったのかどうか。露悪的といふより頽唐的な描 写は、自身に関しても、素裸にされガラス箱に閉じ込められるといふ、嗜虐的なトラウマを白状(夢 想?)してみせるのですが、これなど真偽の程はともかく、文学が不良青少年のたしなみだっ た当時、田舎の未婚の箱入り娘が初めて書いた小説で披露できる表現でないことだけは、確かでありませう。後生可畏と家族一同が息をのんだことは想像に難く ありません。

手皮様は、この風変りな教養小説()の 魅力が「数学的構成による姿態」といふ著者の抱負にではなく、あくまでも「小説の面目は、 詩人の書いた小説であり、イメージの表出の鮮度にあった」ことを 指摘し、伝記的事実が与へたリアリティであるとは語ってはをられません。しかしもうひとつの物議、この意匠抜群の一冊の編者であった、ロマン派気質たっぷ りの出版仕掛人・秋朱之介に対して、著者が思ひ出を振り返るたびに激怒してゐた事実について語ります。一篇の作品が一冊の本に凝る時に、共有すべき責任が 放擲された事。この本の、断りなく著者の与り知らぬところで刊行された「サプライズ」が、意図に反して全く逆効果に終った理由。つまり物議はむら気な編者 による「校正の杜撰さ」に対して起ったのですが――それも取り返しのつかない誤植として、主人公タカナの恋人の年齢「廾五(25)」を一本棒を間違へて青年から「卅五(35)」のオジサンにしてしまった、その一事に極 まったのだらう、と推察された条り、これはまことに炯眼と思ひました。若き日の失恋を弔ふべく心血を注いだ“ろまん”に対するこの上もない冒瀆。もっとも この「恋人25才 説」は、本人に直接確かめることのなかった仮説ではありまが、しかし罵倒の歇むことのなかった詩人と永らく対峙された手皮様だからこそ、後年フィールド ワークの結果くだし得た断案は「聞書きに残されなかった不可触の真実」のひとつではなかったのか。私もさう思はずにゐられないのです。醜聞 の曝露など、そ もそも発表されることを覚悟の上で書いた原稿であってみれば、それが勝手に刊行されたからといって何の怒る理由には当りませんから。

さらに私が思ったのは、「数学的構成による姿態」と いふのも、緻密に筋を組み上げていったといふより、当時の自 分の心情に忠実なところを、思ひ出と書簡を縦横に利用しながら、詩を書くやうに書き進めてゆくことで、モダニズム特有のコラージュ発想が散文にあっては奇 しくも場面の切替りの妙として作用したのではなかったか、といふこと。いきなり書いた長い小説が、破綻を免れ詩的香気豊かな佳編に結実したのは、もしかし たら「詩人の自伝」に許された一回限りの僥倖・ビギナーズラックではなかったらうか、といふことでした。実際、かうした小説は以後も書かれたのでありませ うか。これについてはやがて「著作目録」の後半とともに明らかにされませう。

とまれ意味不明の飛躍が当たり前のモダニズム詩文学 に於いて、誤植の具体的な証言が本人より得られてゐるのは貴 重であり、味読の上で見過ごせない「理性」→「野生」など、早速公開中の画像を訂正することにしました。いつか活字になることがあったら、定本は本文の方 を「廿五歳」と記してあげてほしいところです。

舞台はこのさきモダニズム受難の時代に入ってゆきま す。いづれ彼女の詩壇退場劇については、聞書きにより明らか になった顛末も描かれることになるのでせう。今わたしが一番たのしみにしてゐる連載なので、手皮様には貴重な当時のモダニズム詩人達との交友記録を、出来 うる限り多く、長く綴って頂けたらとねがってをります。

御健筆をお祈りするとともにここにてもあつく御礼を 申し上げます。ありがたうございました。

『菱』175号 2011.9.1詩誌「菱」の会発行 \500 問合 先:0857-23-3486小寺様方


杉山平一詩集『希望』

 投稿者:やす  投稿日:2011年10月13日(木)18時34分04秒
   杉山 平一先生より新刊詩集『希望』の御寄贈に与りました。刊行のお慶びと共に、ここにても篤く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

「季」誌上ですでに拝見し、見覚えある詩篇はなつかしく、ことに拙掲示板(2007 718)でも紹介した「わからない 100p」 といふ詩の思ひ出が深かったのですが、今回まとめて拝見することで、あらたに「顔 14p」 「ポケット 16p」「真相 22p」「反射 24p」 「一軒家 26p」「天女 34p」「不合格 44p」 「待つ 48p」「ぬくみ 67p」「処方 71p」 「答え 88p」「うしろ髪 106p」「忘れもの 108p」 などの名篇を記し得、これらを近什に有する杉山先生九十七年の詩業に対し、真に瞠目の念を禁じ得ぬところ。編集工房ノアの再びの詩集刊行のオファーも宜也 哉と肯はれたことです。


「ポケット」      杉山平一

町のなかにポケット
たくさんある

建物の黒い影
横丁の路地裏

そこへ手を突込むと
手にふれてくる

なつかしいもの
忘れていたもの         16p


「天女」

その日 ぼんやり
広場を横切っていた

そのとき とつぜん
ドサッと女の子が落ちてきた
すべり台から

女の子は恥しそうに私を見上げ
微笑んでみせた

きょうは何かよいことが
ありそうだ         34p


「ぬくみ」

冷たい言葉を投げて
席を立った 男の
椅子に ぬくみがしがみついていた 67p



「わからない」

お父さんは
お母さんに怒鳴りました
こんなことわからんのか

お母さんは兄さんを叱りました
どうしてわからないの

お兄さんは妹につゝかゝりました
お前はバカだな

妹は犬の頭をなでゝ
よしよしといゝました

犬の名はジョンといゝます            100p


前にも申し上げたことかもしれませんが、「杉山詩」にみられる、裏側からの考 察・逆転の発想。その基底に横たはってゐるのが、攻撃的なあてこすり(批 判精神)で なく、防御姿勢をくずさぬヒューマニズムであること。――それがまた裏側からの考察・逆転の発想であり、且つ、手法は明快な機知を旨としつつ、その思惑は いつも明快ならざる人生の「何故」に鍾まる。――「杉山詩」に接する毎に心に残るのは、つつましさや諦念といった、ロマン派が去った後のビーダーマイヤー 風の表情、微苦笑しながら決意する市井の一員のそれであります。それは戦争が始まる前から詩人の本然としてさうだった。さらにそんな「分かった風の評言」 こそ詩人が警戒した褒め殺しであってみれば、詩編の最後には、ときに心憎いサゲの代りに個人的な意思が「強いつぶやき」として故意に付されてゐるのを看る こともある。――それが、機知に自らいい気にならぬため、新品をちょいと汚して用ゐる、詩人一流の「含羞」の為せる仕業ではないのか、さう勘ぐったりする こともありました。もちろんそんなところが、詩人杉山平一がモダニズムを発祥とする戦後現代詩詩人ではなく、恐竜の尻尾を隠し持つ「四季派」現役の最後の 御一人者として、日本の抒情詩人の正統に位置づけられる所以なのだと私は信じてをり、史観を同じくする若い読者の一人でも増へてくれることを庶幾して、こ のホームページ上で四季・コギト派の顕彰を続けてゐる訳ですが、今回新著に冠せられた『希望』といふ表題詩編の、まるで震災に対する祈念であるかのやうな いみじき結構も、そのまま抒情詩人たちの評価がくぐってきた長いトンネルの歴史のやうに私には思はれ、感慨ふかく拝読したのでした。

  「希望」       杉山平一

夕ぐれはしずかに
おそってくるのに
不幸や悲しみの
事件は

列車や電車の
トンネルのように
とつぜん不意に
自分たちを
闇のなかに放り込んでしまうが
我慢していればいいのだ
一点
小さな銀貨のような光が
みるみるぐんぐん
拡がって迎えにくる筈だ

負けるな          12p

今回の詩集のあとがきには、ふしぎなことに「四季」 のことも、師である三好達治のことも触れられてゐません。た だ布野謙爾といふ、戦争前夜に夭折したマイナーポエット、高校時代に仰いだ先輩を先行詩人としてただ一人、名指しして挙げられたのを、私は杉山平一を詩壇 の耆宿としてしか認識してゐない今の詩人達に対する不意打ち的な自己紹介として、カバーを剥した時に現れる本冊の意匠とともに大変面白く感じ、彼が自分の 処女作に先だちまず世に送り出したといふその遺稿詩集を読んでみたいといふ、ささやかな「希望」が起りました。これを著作権終了資 料であることをよいことに誰でも読めるや う本 文画像を公開させて頂きました。

「昨日「椎の木」が来た。左川ちか、江間章子の次の方へ載せられて、いささか恐縮した。すこし本格的に頑張らぬと恥しい。」 (1934.6.5)

「朝、百田宗治氏より来信あり。主として“椎の木”経営についてのことであった。新しくアンデパンダン制にしたものの集まった作品のレベルが余りに低く、 遂に十名位を編集委員とし、委員中心の純粋詩誌にするとのことであった。小生もその一員に推されたが、拠出金が余りにその額が大なので、これを何とか緩和 して貰へないかといふやうな意味の便りを出した。」(1934.8.20)

「ボン書店より、レスプリ・ヌボウの同人になってくれと言ってきた。」(1934.8.30)
「春琴抄に対する保田與重郎氏の評論は面白く読んだ。」(1934.9.3)

 詩も良いですが、こんな具合に「椎 の木」に限らず、モダニズム・四季派・日本浪曼派など当年の抒情詩壇との接点が綴られる日記と書簡に興味津々、まだ途中ですが 付箋をつけながら看入ってゐます。

 

それから杉山先生を奉戴する同人詩誌「季」95号も合せ て拝受しました。矢野さん舟山さんなど長年の仲間のなかでも、杉本深由紀といふひとが杉山平一の真正の後継者として、二番煎じではなく歴史を捨象した女性 ならではの感性を以て精進を積んでをられることは特筆に値します。散文で我を主張してゐるのをみたことがないのも奇特のことに感じてゐます。合せて御紹 介。


「サヨナラ。」   杉本深由紀

やっと書いた サヨナラを
みつめていたら
目の中で 水中花のようにゆれた

そのうち
 ひらひら
  ひらひら

便箋から浮かび上がってきたので
息を止めて その下に書いた
ちいさな ちいさなマルひとつ

石みたいに 重たい             「季」95号 2011.9


ここにても御礼を重ねます。ありがたうございました。


淺野晃文学散歩

 投稿者:やす  投稿日:2011年 9月18日(日)22時33分41秒
   先週、北海道に一 泊。所用を終へた翌日、苫小牧市立図書館を訪ね、所蔵する淺野晃の資料群を拝見し、その足で勇払に建 つ詩碑も見てきました。
資料群には淺野晃の 著作ほか来簡集がファイルされてあり、時間さへ許せば一通一通ゆっくり拝見したかったところ。詩碑は、今は日本製紙工場入口の緑地内 に、盟友南喜一の石碑と一緒に移されてゐました。

われらはみな
愛した
責務と
永訣の時を


 後ろに、建立当時存命だった全ての日本浪曼派関係者、発起人・賛同者の名を連ねたプレートが埋められてゐて、この北限の地で出遇った田中克己先生をはじ めとする懐かしい名前の数々を、指に押さへて確かめる感触は格別でした。

 苫小牧市立図書館の大泉博嗣様、また周旋頂いた中村一仁様にここにても深謝申し上げます。ありがたうございました。

 

残暑見舞

 投稿者:やす  投稿日:2011年 8月31日(水)17時31分56秒
編集済
   大震災以来、憂き ことばかり続きます。過激化する環境は自然ばかりでなく、原発災害および外圧に対する人的なミスリードにおいても私たちの生活を脅かしてをり、「国難」と いふ言葉が少しずつ息苦しく実感されるところとなってきました。

 本八月晦日は田中克己先生の生誕百年。不肖の弟子にも多少の感慨あって然るべきところですが、目下、私生活においても意気消沈の最中、気の効いたことひ とつ云へず、看書もままならず、朝夕の習ひとなった諷経に己が無力感を重ね合せてをります。

 残暑見舞ひ申し上げます。

『われら戦ふ : ナチスドイツ青年詩集』

 投稿者:やす  投稿日:2011年 7月26日(火)23時17分53秒
編集済
   先日 入手した武藤和夫の詩集、「ヒットラー・ ユーゲント歓迎」 を収めた『高らかに祖國を歌はん』に続いて、同じく地元詩人の雄、佐藤一英による訳詩 集『われら戦ふ : ナチスド イツ青年詩集』の特装版を入手。珍しい文献なので早速画像をupしました。が、何でせう。 何かしら考へろとの因縁ですかね。ノルウェーで信じられないやうな悲惨な右派テロが起きました。

 「多文化共生」といふ理念は、「よそ様」と「身内」とを峻別して、身内に厳しくあるところに本来意義があると思ふの ですが(さう考へる処がすでに我が倫理的思 考の限界ですが)、節度を抜きにかざされる「文化摩擦に耐える逞しさが必要」なんていふ強者の正義は、こんな犯人にとっては尚のこと、自国文化に同化しな い「よそ者」に寛容すぎる売国的な偽善にしか映らなかったのでありませう。わが国ではそれが「自虐史観」と絡めてこれまで論じられてきましたし、隣国でも そんな摩擦は許し難い侵略と同義なのであるらしい。地球の中での「多文化共生」問題も解決できてゐないのに、一国内に「多文化共生」を積極的に抱へ込まう とするのは、いくら世界一成熟した民主主義国家とは云へ、コスモポリタリズムによせる過信はなかったかと、拙速を心配するところです。

 ナチス党の台頭と独裁も、けだし当時の最も民主的な憲法下で、ユダヤ人が目の敵にされ、多数決によって熱狂的に 迎へられたことを考へると、今回のやうな典型的な右派テロも、あながち遠い時代のこと遠い国での出来事とばかり言ってはをられぬ気もします。


書影は『ナチス詩集』1941神保光太郎訳、『ナチスドイツ青年詩集』1942佐 藤一英訳、『民族の花環』1943笹澤美明訳


『主人は留守、しかし・・・』

 投稿者:やす  投稿日:2011年 7月19日(火)23時38分5秒
  詩人小山正孝夫人で ある常子氏による新刊随筆集『主人は留守、しかし・・・』の御寄贈に与りました。
この一、二年、同人誌「朔」誌上において掲載されてきたものを中心に、このたび御家族の手で一冊にまとめられる事になったものです。
わが感想は、別に印刷に付せられる予定にて『只今執筆中、しかし・・・』 幸せな結婚について思ひを致すことが今の私には難しく(苦笑)、あらためて「愛の詩人」のアウトラインを描くべく、唸ってをります。
とりいそぎ刊行のお報せ一報まで。 ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

随筆集『主人は留守、しかし・・・』  小山常子著 のんびる編集部 2011年7月刊  180p ; 18.8cm, 1200円

 問合せは「感泣亭―詩人小山正孝の世界」サイトまで。
 

(無題)

 投稿者:やす  投稿日:2011年 7月16日(土)21時19分35秒
  ○山川京子様より 『桃の会だより』5号、手皮小四郎様より『菱』174号(今回は連載休筆)を御寄贈頂きました。
 ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

○今月の『日本古書通信』984号に、地元岐阜市太郎丸の詩人、深尾贇之丞の遺稿詩集『天の鍵』についての紹介記事「犬も歩けば近代文学資料探索 19 曾根博義氏」あり。
 拙サイトも紹介に与りました。

○近況:「長年の探求本」『木葉童子詩経』(丸栄古書即売会)の抽選は外れ。代りに有料会員を辞めたオークションにて頭山満翁の共 箱付掛軸を落札。
 翁の筆札は全くの自己流である由、吾もまた平仄無き悪詩をものして一粲を博さんと。

  頭山満翁少壮日   頭山満翁、少壮の日

 天与兼備知仁勇  天与の兼備「知・仁・勇」
 加之皆称以乱暴  しかのみならず皆称するに「乱暴」を以てす
 乱義逆転青雲日  「乱」の義は逆転す、青雲の日
 女傑善教人参畑  女傑善く教ふ、人参畑

○近況2:この3連休は今日月曜と仕事で潰れ、明日また家族の世話に費ゆべし。一句。

 ひとりごつ吾れをみつむる母と犬

加藤千晴の絶筆 ほか

 投稿者:やす  投稿日:2011年 7月 2日(土)17時00分33秒
  ○ 加 藤千晴詩集刊行会の齋藤智さまより『加藤千晴詩集』に漏れた最晩年の詩篇一編、挟み込む用に印刷された一葉をお 贈り頂いた。池内規行氏が所蔵の雑誌より発見の由、刊行会への連絡で実に公刊後7年を経ての補遺となった。単なる拾遺詩篇でなく絶筆とみられることから特 別に印刷・頒布に至ったものにて、茲に掲げる。


 静かなこころ   加藤千晴

 

静かなこころ

なやみかなしみも

底に沈んで

何も思わない

何も夢みない

ただ憧れる

ただ祈願する

この静かなこころ

 

生きる日の

なやみかなしみの

嵐のなかに

かくも静かなひととき

これは神のたまもの

時間空間のまんなかに

ひとり在る

この静かなこころ

 

ああ このひととき

生きている 生きている

ただ安らかに

ただ充ちたりて

静かなこころよ

われに在れ われに在れ

生きる日の

この神のたまもの

          (1949.12.20)

 

○ 梅雨の合間の一日、岐阜市立歴史博物館へ江戸後期岐阜詩壇の山田 鼎石金龍道人の墨蹟などを撮影に(市 内円徳寺所蔵委託資料)。合せて館蔵の藤城、星巌ほかの掛軸もカメラに 収めて帰る。成果の公開は順次追って【古典郷土詩の窓】にて。

○ 図 書館のあつまり(6/28)で講師に招いた松岡正剛さんに名刺交換を強 ふ。「千夜千冊」に『淺野晃詩文集』どうでせう、と喉元まで出て果たせず(悔)。

 近 況:職場人事ほか身辺くさぐさの変更の予感。古書的話題では、地元山県市大桑出身の武藤和夫第二詩集『高らかに祖國を歌はん』や、美濃国不破故関銘の拓本掛 軸を入手。さらに長年の探求本の抽選結果など、目下何事に於いても息をつめて推移を見守る毎日です。


も どる