(2002.10.12up / 2018.12.04update)
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たかまつ あきら【高松章】『高松章詩集』1982


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高松章詩集

高松章遺稿詩集

昭和57年11月26日 編集工房ノア(大阪)刊

20.1×18.0cm 上製函  2500円


コメント:

 昭和57年刊行の本であるが、著者は「椎の木」詩人のアンソロジー『詩抄』(1932年・椎の木社刊)の中で紹介されてゐる詩歴の古い詩人である。

 詩篇は戦後のものと思しき作品も含めて、すべて歴史的仮名遣ひに拠ってをり、一貫するところは、言葉の知的選択と観照の態度と。まさしく昭和初期の詩誌「椎の木」の詩人たちにみられた、モダニズムの影響が色濃い抒情である。

 詩集の半分は「俳句」で占められてゐる。これまた所謂モダニズムを経た「詩人の句」であって、彼の辿った道行きを強く示している。 以下に抄出する。

パンの実を焼けば野営に星にほふ
星の峯一碧の果われ死なむ
敵機去り厨に寝間に椰子の影
捧げもち揺れゆたかなる六菊花
つつじ咲きかつ散る川の濯ぎもの
旅客機の春燈しばし星の座に
注射針皿に良夜の音立つる
あきぐさを結べば愁ひあるごとし
峰めぐるサイレン谿に栗ひらふ
コスモス濃ゆし清貧の灯をかかげ
人として山羊として生れ枯野に遭ふ
掌に渦紋炭火に染みてひとりゐむ

 生前に詩集を持つことなく終った詩人の遺稿詩集であるが、
 山本信雄の詩集『木苺』とほぼ同型であり、文字組みもまた余白を活かし、「椎の木社」版の名詩集の装釘をなぞってをり、ゆかしく感じられる。

(2002.10.12up / 2018.12.3 update)


作品抄出: (2018.12.3 update)

 窓

鳥籠に鳥がゐない。鳥籠に雲が出たり入つたりしてゐる。木洩れ日が窓掛で鞦韆してゐる。風が明るいからだらう。籔鶯が脊戸の林にきこえるのはいつも二人でゐる時だ。

 水だまり

雨があがる。浅い草叢の水に白い雲が澄む。雛雞達がそろつて啄みにゆく。雛雞達は上手に裾をまくつてゐる。

 うろこ雲

垣根の落葉から仔犬が産れる。
朝。雞たちは水を飲む。少女は含喇薬を使ふ。彼女たちはいちやうに咽喉を張る。さうして貝殻のいつぱいつまつてゐる、美しい雲に見恍れる。

 筏

 1.
日々に空晴れる。この頃。河べりの老椿も花を飾つてゐる。椿の花を商ふのであらう。いつも樹影に筏が繋がれてゐる。筏は枝葉のままに椿の花を満載してゐる。

 2.
少年が樹に登る。葉影が乱れる。少年は筏の積荷の上に寝そべつてリイダアを復唱する。
 Winter is gone. Spring has come.

 3.
筏は出発しない。筏が椿の花を積み切らないうちに日が暮れる。

 村 初夏
川べりに樹が影を落す。この村では葉蔭の果実を冷すのであらう。川底に沈めてゐる。人のゐない養雞所では影が飼はれてゐる。
正午。雞達が陽当りの叢に遊びにゆく。その間影は雞小舎の戸を開けたり閉めたりする。どの家の庭にもいつぱい木の蔭が蔵つてある。この器には影が多すぎるのであらう。夕方空馬車が町ヘ運むでゆく。

 今日
葉蔭が乱れる。貝殻の零れる庭へ卓子を搬ち出す。私はパンを喰べる。遠い空を見る。

 空は澄むでゐる。
 ミルクは流れる。
 雲は廻つてゐる。
 銀の小匙は沈む。

小鳥が下りてくる。軽い草叢のピアノが聴こえる。私は本をひらく。私は眼を閉ぢる。

夕暮れが垣根を越える。樹影が芝生へ入る。私は樹に凭れる。古びてゆく絵を眺める。

 庭
庭に日ざしが移る。石の壁に木の蔭が吊つてある。いつも明るい鳥影がうごく。微風が過ぎる。いつせいに鳥籠が揺れる。
「玻璃窓が嵌めてある。今日の胸に靠れて、悪戯書きをしてゐる。それは誰でせう。」

折々小鳥が啄む。葉蔭を洩れて日だまりが零れる。よい遊びに費えるたくさんの時間が……庭石に落ちる。少しづつ午後が消えてゆく。

 森
また夜になる。……私と遊むでゐた一日が帰つてゆく。はや空の道は樹の蔭が深く、すぐ見えなくなる。太陽は急いで階段を下りる。
冷たくなつた裏庭は空になる。窓は見えない。露臺はどこにもない。ただ影ばかりの暗い森だけである。そして静かな樹の枝に、だんだん明るい果実が熟れる。

 晝
雲が流れる。葉擦れが鳴つてる。

その梢から、身を投げる。
日ざしのなげき。

甃の上に砕けて散つてしまふ。
眞畫の谺するのが聴える。

……谺は
静かな響を閉ぢたまま
空つぽの庭に沈む。

 露臺
街に雲が下りる。空は明るい。雲は少女より高くない。少女は遠い手欄に凭れて、夕の祈りを告げる。
風に毀れて、銀のラムプは没えかかる。しかし愁しみはしない。一人きりでゐると、雲の秘密が了る。少女は諦らめる。そして静かに眼を瞑ぷる。
少女は十字に切られて、次第に血を流す。少女のマントオはながく芝生に垂れ下る。

 散策
林では蔭がテントを張る。眠つてゐるのは雲ではない。寒さに牡雞は膨れる。盲目の牡雞は寐舎を知らない。そして昏くなれば啼かない。探ねるにしては、林は遠すぎる。私は路傍の叢に彳む。村にもう灯がともる。 しかしまだ誰かが探してゐる。巨きな灯が並木の端を曲る。やがて全く夜になる。

 並木道
戸外で、老いた人が燈をともす。誰もゐなくなる。すつかり寂れた街を新しい道が越えてゆく。
道に沿ふて並木がつづく。樹もなく落葉もない。ここでは勿論季節は死むでゐる。舗石は静もり碧く澄むでゐる。逍遙する人影もない。
誰もが知らない。白いヴェールを纏つて天使が散歩に出かける。石道は次第に明るくなる。

 村
 1.
 草叢でベルが鳴る。
 小径に樹々がたふれる。
 今日の山は閑かに進む。
 畑を越える。橋を渡る。

 2.
この村に夕陽が下りてくる。林の道に枝が折れてゐる。馬車が通る。夕暮れが通る。樹々の臥床にラムプを提げて、ひと時の夕暮れが睡る。木蔭の揺籃が揺れつづける。

 3.
夜。丘に墳井が湧く。それが林を越える。村を越える。
水は澄み渡る。
村は正直になる。
犬は吠えない。
いい月が出る。

 蘆
草の中。奏でられない、メランコリヤの歌が震える。私は静かに眺める。

 (霧が流れる)
 (水の匂ひ木の匂ひ)

昏々と睡る仄白い小鳥たち。永遠にめざめぬ 囀りを撒き散らす。

閉ぢ込められた一すぢの聲よ。私の見る蘆の葉。私は私を聴いてゐる。

 聖餐
若い白鳥たちが微睡むやうに、
輝く静寂は草叢に身を寄せる。
日光の果実をふるはせる華やかな噴水の灌典よ。
聖餐の空に、凍つた水いろの響を献げる。
綺麗な精霊たちが永遠性を透かせまする。

 パン
木蔭に雪の睡りは消えて
明るかつた草の上 晝のパンを澪す
カナカナが夕餉を了るなら
空しく日向に憩ふオルケストルも。

 三月のほとり
日光は空の鐘を伝つてゆく。
愉しい琥珀の熟れる灌木の道をどうしてあどけない悲哀が誘はれて行くのか。

正午は黄泉の想ひ出に擁かれてゐる。
さうして日々の空に清々しい音が集められてゐるやうに碧い。

今日の茂みから帰つてゆく静けさのなかに。
私は大理石よりも静かな歩みを聴く。
すべての拍手が涯しない瞬きで僕等を遠くへ運んでしまふのを。

 森の休暇
感じ易い樹は煙る樹液で一杯だつた。
どの枝も若々しい聲を閉ぢるであらう。

夏は嘗つて眩暈のために空虚ではなかつた。

微塵に私を編むだらう。
叢のひと呼吸とその漣が私を隔てる時には。

そして寂寞よりも遙るかに想ひ出は喚びかへされ、その山彦を越えた。
もはや木蔭は記念するその時ではなかつた。

 郷愁
木霊は孤独な楽鍵でひとときの勾配をわたる。
崇高な藍を浪費する澄んだ溪間の

微風の向ふに、その聲は思ひ出すことができない。
薄明りの叢から、満ちたその時刻の音楽に連れ戻すやうに
それは空気に響きかへす時に、毀れ易い静けさを曇らせる。

そこで月光の方へ熱をひらく畝道を続けながら……
すみやかに郷愁は蒼い冷気へ流れる。
それは私の心臓を霞んで霊に堕ちる喜びのために。

 沈みゆく気候
樹々の響は空に向つて澪れる。感情的な薺気は夜に高くかすれた、悲しみは静かな雨に編まれて弾かれてゐる。烈しい絹づくめのまどろみを有つた静寂はそこから這ひ上るだらう。

今は滅多にこの夏のごとく、しめつぽい緑の熱を感じない。微風の中で、碧空に滴りゆくもの音をも感じない。

愚鈍で、もの淋しい聲々を後曳く九月の夢は他の心に登つた。それゆゑ私の心に悲嘆の音は永遠であらう。歳と月がもう一度ゆらゆらする内気なレース であり、私を凭れさせて置く時。冬へ切りつけた孤独は海の涯から尤も早く雪崩れてくるだらう。

 夜曲
あてどのない太陽の生涯のごとく
この悲しい十月――。
一年中冷たい眠りを横切り
時はヴァルスの鮮かな裾を曳いてゆく
荒凉と鳴りわたる天を遠ざかり
ただ月明りに海亀の思想を戯れてゐる。

 営み
葉ごもりの奥に
墳水(ふきあげ)は凍つた響きを献げる

――私は邃かな額に落葉を聴く

 樹木の精神
遠方は呼吸を止めてしまひ
その合図する聲が
樹木の精神を泡立たせるところの
寂寞の凹みから幼年時代を呼びさます

この裸な秋の隅々までもわが身を霽れわたらせておく
樹木のやうな喜びを夢見ながら
むなしい音を立てて頰笑むのは
  愚かなキリストのこころもちがする

草や微風の向ふで
生きてゐる心は温い青空だ。

 高原
風は
想ひ出のたるんだ海鳴りに載つて
宵闇よりも遠くを匂はした。

烟る鍾は私を渦巻いた。

草深いところに珊瑚の薫りが垂れ下つて
果敢なさもない望みもない心臓は高原いつぱいにめざめた。

 淡い午後
彼女は三月の頬にふれてみる
同じ悲しみにユーカリ樹の葉はまたたく
草むらの中のむかし燃えた静かな思ひは
曇つた眼とその夢に翳る
はるかにかかげる憂鬱は彼女が取り戻した
思はずも空の葉つぱが飛ぶところに

 エスキース
日ざしは濡れてひそかな村だ
緑する啼き聲に行きつく
ああ なんのせつなさであらう
淡い心を傷ましめるタンポポの音が

 青葉の誘ひ
新緑よりも覚め易い夏
私の風懐は白い素馨の香にのぼる
青葉の夢を睡るときとなつて
眩暈などはるかにきこゑ

 音
秋はあかあかとする葉の中に
草叢は露はに見える

木ゆれはあのやうに遠く
空の音は透ける

枝々の霜となる沈黙に
ひとりで歩く

虚しい風は冷たく横はる

朝焼けよ! ふりそそげ
葉蔭に私は身を凍らせる

 落葉期
静けさはユーカリの葉に埋めておく
午後になると 水沫も眠り
林の枯れた日射しのやうに 微風は痛む
波音にぬれて 樹も響かない

 河原
風は草むらを分けて青い息を吐く

水が低くなり
月光の裂けてゐるところで犬が鳴く

村は砂漠の色に照らされて
月明を聴く 曇つた胸だけがめざめてゐる

 早春
その中では青い壜がうなつてゐる空
遙かな地方の暖い気候を憶ふと
やつぱり薄氷が破られてゐるらしい
ここの瀬鳴りに寝そべつて
日あたりは草の匂ひにやけつく
河沿ひに耳傾ける風と一緒に
その歌は日ねもす雲雀を揚げてゐる

 三月の歌
野の微風にぬれた小鳥らの
鳴き音をきびしくする季節のあはひ
凍つた雲を解いて
冬と春と 険しく日毎に往き替る
光りに傷つき易いひとに
太陽はむかしの風をひらめかす
けふ その輝やかしいために
ひねくれた思ひ出となり 青空にのぼる
山巔のかたことに耳を澄ます 稚さで
野咲きの花の 蔭をこばつ戦ぎ
うつとり遠くから たのしいソロで戯れ
そして不意に悲しくなる賑やかさで
だんだらの風は風のなかをすれちがふ
三月華やかに混乱した雲のために
きれぎれに数をかぞへる風は
世界を揺ぶる歌となり 春の地平を駆けぬける

 恋の歌
私たちを隔ててゐる涯しない海が
私たちを合唱させるのだと思ひこむ
そしてひとけのない海の
つねに目覚めてゐる氷流へ
私たちの歌を彷徨ふままにする
静かな波と泡とがあつまり
そこは終極よりも明るい
そして あなたとともに歌つてゐるときは
私たちの夢が千の波に夕焼けて
ひとつきりの海となる眩しさを
よろこび 愛してゐると信じこむ

 慄ヘる日光が……
そのしづくする氷れるリトムで
夜々 胸の石くれを溶かし
浅い眠りに攀ぢのぼつては
ありあけのうす風にさまよふ
瞬く瞳の
冴えわたる嚝野の 光れるを越へ
あの遠い世界の 到るところで
鮮かにアンニュイの碧玉を砕く
暗くしづかな東雲の 身にひそめた
太陽の歌が噴出する
すでに熱してくる山脈の 向ふ
悲哀も悔恨も灼けつくやうに
慓へる日光が凝固する時を……。

 礫ほどの風たちの歌
聴いてゐた
はげしい調べの向ふから 夕焼けてくる 村々を
風であつたから あの歌で煌く 彩(いろ)を捉へる
むかしのひかりが涵す そこでは
堪えがたく みづからの白さに 雲は鳴る
また思ひ知つてゐた 鳴りゆくものの疼みを
眼路のかぎりに灼け崩れ 惟ひはよれよれ
せんない風で あつたから
一途(ひとすじ)の傷で耀く それは歌はない
聲はうすく照り かすれた跡にうねうねしく
育ひであつたから 遠く また近く 埋もれた谺に 滞つてゐた

 水禽
住居の裏には白楊の木が茂り
女は朝毎に虔ましい水を汲み上げる
男のために美しい手をもつてゐた
男は小学生の日のやうに夢から脱け出し
霜ぱんだ女の微笑にまもられて陽気な街に出る
月夜の藪沿ひに掠めて来た女――
その頃の真剣な疲れが男を追ひ廻し
男は忘河(レテ)の水が干潟を露はすとき
おれの瞳も渇くのだと思ひ込んでゐる
曾つて雪が裸かにした高原の想ひ出から
遁れるためにずるく想ひ出にずり堕ち
白晝から虚脱した男は死ぬほど心はたのしい
そのリトムに少年の日の頬白の歌もまぢつて
男は毎日毎日この百貨店の屋上庭園を徘徊き
傷ついた獣の不逞を貪りたのしむ
篠懸並木の風は
人々の心に霞んで逃れ去り
五円の夢や八円の夢を携へた風に
男は趣きありげに吹かれてゐる
女にとつては愛情も!すぢの䓤の匂ひもごちゃくになつてしまひ
男は焦燥(いら)だち青空に溶けた日を恢復しようと魂胆する
飄々と湧きあがる故郷の雲を放ち
無欲恬淡な青空の侵すままの姿勢だ
金網の向ふで水禽は嗄れた聲を啄み
悲しみの真ン中に来て停どまる……

 ひとりの娼婦に贈る歌
秋になると目にしみるやうに空が耀く
青い雲のなかの秋や鳥や
建物や屋上のあの稲荷神社のこんもり茂つた緑は村の鎮守のやうに小さい森だ
範子よ
おまへの黝光る格子の世界からは
そこでカナカナが啼くと
聞ヘるか
春や夏や秋や冬や
そしてそれらの意味を
おまへは余りに早く知りすぎた
春や夏や秋や冬や
移りかはりまた帰つてくる時に
思ひ出す
鶺鴒(セキレイ)のやうな足どりを
柿のやうな豊かな頬を
みんなどこへ見失つたらう
お寺の森の一番喬い木の枝で
明るい黄昏が
やがてお支ひとりを残して行つてしまつたそのやうに

 鳥
ある春の
晴れわたつた陽光にまぢる羽搏きを
私は聞いた

銀燻しの沼沢を後にして
その爽やかな響は野末をわたり
カール・ブッセの山々を越え
いつまでも私のなかに谺してゐた
そして永い徒労のあとで辿りついた
夕暮色のこんな田舎の街――
いまでは
私の歌をうたふことで
空の明るい青の一ばん高いところへ
あの鳥の像(かたち)を描く方法(てだて)としてゐる

備考 「窓」「水だまり」「うろこ雲」「筏」「村 初夏」「今日」「庭」「森」「晝」は、百田宗治主宰、椎の木社発行(昭8.3.18)の『詩抄』所載。

  (補遺)

 夏
草の葉はふしぎな歌をうたつてゐた

わたしたちは歩きながら聴き入つた。
あの緑のミクロポリス。愉しい小鳥らの歌に啄まれて 碧空に谺するとき 親しみぶかい沈黙の中では、夏はわたしたちの心を玻璃色に染めた。

わたしたちは歩みつづけた
暑い花のやうに目を瞑しわたしたちは心許した。夏の魔のささやきに、
知り難い泪にぬれて……
ああ はるかに眩暈のやうに
濃い樹液が匂ふそよ風にひびき去つた夏!

 高野
麓から湧く夕焼けに逐はれて

標高二粁

山襞のしづかな空気の底では

老杉をめぐる あれら紫紺の微塵が烟る

雲に軋る索道のひゞきは

放心の日を摘め去るやうにひつそり

私は 巨きな海をだしてきた男の影を

風雪に濯はれた村の頂きに曳きながら

 帰郷
今日私は晴れた青空を眺める。
風のやうに0かるこれらの果実は――この重量(おもり)は稚かつた日の憶ひ出に揺れながら

めいめいにきらめき喋言る麦畑の、ひかる道で不意に美しく立上り――
それは私に脊を向けたまま、愛するひとのパラソルのやうに

うす蒼い山脈の向ふで雲は記憶の旗を靡せる。
今。時間だけが透明な陽ざしのやうに美しい。

 夕べ、鴉に
鴉よ!夙く帰つてこい
孤独な空の上
街のひそかな隙間から
淫らな灯影を
ひろげる夕闇の中に
いまはもう帰つて来い
鴉よ!
人々が不安もなく
楽しげに歩み入つた路改の奥――
夕焼がいま一層
あえなく映えさせてゐる時に。

 連絡船の女
汽笛は町はずれの海に散ばつて没(き)えた

鉄錆びた貨物船の舳に鳴る潮風よ

海峡の青にぬれた女を吹け

よごれたラベルの小さなトランクを吹け

昏れ明るむタ星はめいめいの思ひのやうで

人は繞る山々を手操つてゐる

いま山腹に嵩むだ家々の陰から夕暮の色は海ににじみでる

 木蔭や少女や海に寄せる歌
かつて 港の街の
屋並々々にひかりは溢れ
石と樹と水で
ひとびとは瑞々しかつた

海辺の声は 小禽となつて
耀かしく木稍れを飛ぴ翔ち
少女らのさざめきは
夏波のやうに 丘を越えた

この丘 あの木蔭に
失はれたのはなんであらう
敗屋の草叢のなかに
埋れ去つたのは……

わたしは昏い街角を曲り
廂をくぐる――
波の音に飜つてくるのは
遠き日 頬白のうた

今日 その想ひ出に
わたしは還つてきた
わたしは信じてゐたのだが……
海のあの青 雲のあの白

並木の影ふかく
どんな時間をきざむだのか
樹陰に むなしい
僕の昨日よ あなたの昨日よ

わたしは佇つてゐる
カナカナに啼かれながら
わたしは佇つてゐる
浜辺に日暮れられながら

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たかまつ あきら【高松章】(1909〜1981)

本名・高松明。明治42年兵庫県明石市に生る。神戸一中卒。「椎の木」同人。大阪新聞在勤中、昭和16年応召。旧北満州緩西、南洋群島パラオを転戦。昭和19年6月海軍病院氷川丸へ入院。昭和20年召集解除。昭和56年11月26日肺癌の為北野病院にて没。


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