(無題) 投稿者:やす 投稿日: 8月31日(火)23時22分58秒
ymnkさま
上京の際はこちらこそまたよろしくお願ひ申し上げます。
「平凡パンチの三島由紀夫」は本になるのでせうかね。
やす様
先日はお疲れ様でした、また、わざわざ三島資料コピーをご持参いただきありがとうございました。いやーなんだか、さぼうるは盛り上がっていましたねー、あ まり盛り上がりすぎて、途中体力切れになってしまいました。また御上京の際はよろしくお願いします。
くだん様
了解です(但し来年の研修は新潟とか)。前回皆でお邪魔した御自宅が私学会館の前だったとは気がつきませんでした。
で、「和本についてのお三方のやりとり」といふのは、
貞之介様、薔薇族様、恩地喜多八様の通称“三羽蝙蝠”連のことですよね(また勝手に名付ける 笑)。もちろ ん初学者の私も目を白黒させて拝聴してをりました(かわほり堂さま御配慮ありがたく恩地さまへの本と共に送本させて頂きます)。
次の日、さうして文徳書房に行ったのですが、貞之介様の助言通り事前に電話連絡しておいて正解でした。閑静な住宅街の普通の家の玄関を開けたら床から天 井まで漢籍が足の踏み場も無く積み上げられてゐる、なんて経験を初めて味はひました(何も買へず挨拶のみ)。
やす様
27日はお疲れ様でした。お元気そうで安心しました。
和本についてのお三方のやりとりにはついていけず、目を白黒させておりました。
今度お仕事の会議がまた同じ場所で行われるようであれば、ご一報下さい。
うちは文字通り目と鼻の先ですので。
出張に続く全上京日程終了。昨日は立原道造記念館を見学して帰途に付き、ぐっすりやすん で本日は休養してをります。
和綴漢文集『(山陽藤城)二家對策』扉無後版(?)菱屋孫兵衛・栗田東平[ほか] 明治4年序文記 \14,000
和綴漢詩集『柳湾漁唱二集』出雲寺文次郎・英大助[ほか] 文政4年 \12,000
和綴漢詩集『漱石詩集(復刻版)』日本近代文学館 昭和54年 \2,000
和綴漢文集『文竹堂文鈔(上)』伊勢氏蔵版(仙台) 明治12年 \300
和綴漢詩集『評点今古名家詩文(下)』(近藤元粋編輯)下松村九兵衛・森本太助 明治11年 \200
パンフ『岩波講座日本文学史第七巻近世・近世儒者の文学観』中村幸彦 昭和33年 \200
雑誌『Poetica特集富士川英郎』小沢書店 1992年 彭城矯介氏より賜る。
※ (しかし古書展で拾った\200の和本と専門店で買った\14,000の和本の違ひは、一般人にはどう映ずるのでせう。ま、戦前の詩集も同じか。)
詩集『風土 特製60部版(署名画入り帙欠並本)』北園克衛 昭森社 昭和17年 \20,000
※(kikuさまが買はないちうから私が買っただよ。)
詩集『轉身の頌 復刻版』日本近代文学館 昭和55年 \7,000
※(これも結局誰も買はんから最終日に私が買っただよ。笑)
訳詩集『ワーズワース詩集』浅野晃訳 酣燈社 昭和25年 \1,500
訳詩集『ホイットマン詩集』浅野晃訳 酣燈社 昭和25年 \1,500
文集『栗の木のある家』生田勉 泰流社 昭和57年 彭城矯介氏より賜る。
詩集『一九二七年詩集(函付美本)』抒情詩社 昭和2年 \12,000
※(玉石混淆のアンソロジー。三好達治ほか詩集収録のデビューをこの本で果たした有名詩人も多いのでは。昔売って後悔した本を再買。)
詩集『あこがれ』石川啄木 小田島書房 明治38年 \8,000(初版!但し表紙半分欠)
※購入翌日、御存知某詩集収集家(笑)と歓談、既にして譲りたれば何卒諒せられたく人魚の嘆き様にはお詫びしなくてはなりません。
以上!
>やす樣
すみません。間違へました。
岸野圀望氏が長男で、岸野光男氏が次男でした。變だな〜とは思つたのですが(笑)。大變失禮をば致しました。
エンセキ ユウ【燕石 猷(岸野知雄)】『(英詩撰譯)<王周>玉集』1986/岸野ミエ子・圀望・光男(河出書房新社)/226p/19.5×14cm機械函/非 賣本
その字、當方ではコピーも出來ないやうです(泣)。
琱
でました。パソコンによっては化けてるかも。
彭城矯介さま
ありがたうございます。金曜日は午後から神保町界隈をうろうろしてゐるだらうとおもひます。
Å Å
ウロウロ 〜( ̄, ̄ )〜 ))) ウロウロ((( 〜(  ̄, ̄)〜 ウロウロ
>やす樣
毎度お世話になつてをります。
折角ですので燕石猷の未掲載の分も書いておきます。
エンセキ ユウ【燕石 猷(岸野知雄)】『(遺稿詩集)斜影』1975/岸野ミエ子(河出書房新社)/62p/19×13.5cm上製貼函/非賣品
エンセキ ユウ【燕石 猷(岸野知雄)】『(英詩撰譯)<王周>玉集』1986/岸野ミエ子・圀望光男(河出書房新社)/226p/19.5×14cm機械函/非賣 本
日夏全集の絡みで製作は河出書房新社が行つてゐますが、御遺族の自費出版でせう。
岸野ミエ子さんが未亡人で、圀望光男氏が御子息です。
「王」偏に「周」の字は漢字が出ないのですが、音は「チョウ(テウ)」で「玉をみがく」の意。この字、出せますか?
譯稿は日夏の阿佐ヶ谷時代に出來てゐて、日夏が出版社の交渉までしてゐたやうですが、未刊の儘になつてゐたものの由。
二册とも齋藤磯雄の盡力(打合せから校正まで)によつて出されたやうです。
以前、城北展の目録に『稠玉集(英詩選譯)』といふ題で出てゐた旨書き込みましたが、こちらは誤記でありますので御注意下さいまし。
「ポエティカ」の富士川英郎特輯は27日に持つてまゐります。
それと、以前「均一臺」で獲得された生田勉の『栗の木のある家』(風信社)は、多分まだ「人魚の嘆き」に放置された儘だと
思ひますので、折角開店日にお越しになるのですから、ついでに拾つて行つてやつて下さいね。
本日、念願の村瀬藤城、立齋、秋水、太乙ら、所謂「村瀬一族」の墓参を敢行しました。
明日は出勤日なので、画像upできたらします。お楽しみに。
悪人様こんばんは。(改名だめですか。正太夫ぢゃなくて承知の介は?正直承知之介。)
さて“ブログ”ですね、これは過去の記事にポソッとコメント入れられても管理人は気づかないかもしれないので困りものです。付随機能や拡張性はあるのです が、あんまり書込みしない人(特に私のやうにどんどん落ち込んでゆく向き)には、以前の掲示板(このTeaCupタイプ)の方がよかったかもしれません。 だいたい外部から「呼びかけられる」といふことが、ブログでは見込めませんから。akiko姐さんからの書込みも無くなりました。
さてさて、今晩はひさしぶりに新規追加一個。
ごん太の散歩の途中立ち寄った近所の古本屋さん(有時文庫)で見っけ。\1500でした。
アブラタニ ノブヒロ【油谷亘啓】『白珊瑚』1944/自家版(石川県大聖寺町)/96p/18.4cm並製/\2.00
友人関係に木下春雄、内田博、石川浩、木下夕爾、梶岡秀夫、畠中秀興とあり、「人魚通信」でもふれた終戦直前の若者による「四季派詩集」の一つのやうで す。国会図書館には所蔵がない模様。“ぐぐって”もだめだったけどやはり地元の図書館(金沢大学、金沢市立、小松市立)にはありました。
高価な幻の詩集でなくてもいいから、どんな図書館にもない、無名の幻にもならない詩集を一冊でも掘り出したいですね。
【一応解説】“ブログ”= WebLog / “ぐぐる”= Google検索
P.S. なんだ「日本の古本屋さん」で他にもヒットしてら。ガックリ。(23時03分30秒)
悪人様こんばんは。(改名だめですか。承知の介は?正直承知之介。)
さて“ブログ”ですね、これは過去の記事にポソッとコメント入れられても管理人は気づかないかもしれないので困りものです。付随機能や拡張性はあるのです が、ほとんど書込みしない人(特に私のやうにどんどん落ち込んでゆく人)には、以前の掲示板(TeaCupタイプ)の方がよかったかもしれません。だいた い外部から「呼びかけられる」といふことが、ブログでは見込めませんから。akiko姐さんからの書込みも無くなりました。
さてさて、今晩はひさしぶりに新規追加一個。
ごん太の散歩の途中立ち寄った古本屋さん(有時文庫)で見っけ。\1500でした。
アブラタニ ノブヒロ【油谷亘啓】『白珊瑚』1944/自家版(石川県大聖寺町)/96p/18.4cm並製/\2.00
友人関係に木下春雄、内田博、石川浩、木下夕爾、梶岡秀夫、畠中秀興とあり、「人魚通信」でもふれた終戦直前の若者による「四季派詩集」の一つのやうで す。国会図書館には所蔵がない模様。“ぐぐって”もだめだったけど、やはり地元の図書館(金沢大学、金沢市立、小松市立)にはありました。
【一応解説】“ブログ”=WebLog / “ぐぐる”=Google検索
やすさま
さすがに正直正太夫とか名乗る心臓はありません〜〜〜
>リンク
ありがとうございました。そんなに立派なもんではありませんが(笑)、
気ままに流されていこうかと思ってます。今後ともよろしくお願いいたします。
>「論」
といってもいろいろあると思うんですが……。
ではしばらく、このサイトでの更新を楽しみにしておりまする。
第2BBS、先月末からブログになってたんですね。
いままで気付かずにいてすみません。。。。。。。。。_| ̄|○
使い勝手はいかがでしょう?
わたしみたいなウェブ素人には便利なんですけど。
休み明けに「日本古書通信」落手。今月の「続署名本の世界」連載にはさきの七夕入札会の 感想が。
人魚の嘆き様が、興奮を通り越して感動しちゃふやうな詩集が、世の中にはまだあるんですねー。
「出て来い出て来い稀覯本。」
Å 「コンコン、ヘイ!イエローハットスネーク カモン!」
(´ハ`)
_φÅ___>
/ ^∇^)/|
| ̄ ̄ ̄ ̄| |
|大手拓次|/ (東京コミックショーか!笑)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
悪人様(なにか「御代官様」の正反対みたいですね。)
わたしが(このホームページが)日本浪曼派「論」に踏み入ることは、憑物が落ちちゃったこのさきはないかもしれません。つまり保田與重郎をどのやうに読み 解くかといふところで、自分程度の学力ではさきに「奇魂」に書かせてもらった一文が あっぷあっぷのいいところだと悟ったものですから。詩の良し悪しならば息が短くとも気合で入ってゆけますが、国文学や美術史にわたる広い学識と感性がない と批評は書けないですね。このホームページで論ってゐるところも、ですから論ぜられることの少ない詩人だから意味があるだけのことで、またそれが自分に とっても面白いから続いてゐる。古書といふメディア原質が深くその発掘の面白さに係ってゐることはいふまでもありません。
といふことでもないですが、【四季派の外縁を散歩する】第8回、「四季コギトの第二世代 その2」upしました。
激しく同意! 本当に、どちらにでも踏み出してほしかったと愚生も思います。
わたしは詩を解するこころに欠けているので、あの中島の詩もいいなあと思ったんですが、伊藤静雄や田中克己とも親近しているんですね。やはりちゃんと読み 直さないといけませんね。これを機会にちょっと勉強させていただきます。わたしの「浪曼派」ってちょっと偏頗なんで(笑)
何をいまさらとおっしゃるかもしれませんが、やすさんが師から学び、摂取したもの、本当に大きいのですね。そういうご経験も踏まえた“ファンタスティック な”日本浪曼派論を、ぜひとも1册にまとめてくださることを、一ファンとして期待しています。けっして望蜀だとは思わないのですが、どうでしょう?? 楽 しみにしています!
悪人さま(なにかすごいHNになりましたね)あらためて初めまして。
「「自分」に負けた」といふのは、なるほどさうなのですね。田中先生とつまらなささうな顔で将棋ばかり指してたとも聞いてをります。「著作選」は、いろい ろ線はひいてあるけど私も今は再読の予定がないのであまりいい加減なこと書きたくないのですが、初期の哲学的文学論にみられる、実存の淵の際にとどまらう とするばかりの彼の、ぢゃあ次の一歩、負けたら負けてよいのと私は思ふので、ではどちらに踏み出さうとしてゐたのか、日本の古典なら古典で“ファンタス ティック(ごめんなさい、一寸不明です)”でなくともよいから、主題を定めてもっと沢山書いて、文藝文化叢書の一冊になってほしかったなぁといふのが私の 望蜀の嘆です。なんならもっと“負けて”詩人に戻ってくれたら尚よかった?かな。でも彼の詩は初期は田中克己と、そして伊東静雄へと、かなりスタイルなり 語彙が被ってて、結局書くことをやめてしまふんですね。ただしどちらかがどちらを模倣といふより「コギト」誌上における刺激の様が偲ばれるので、(完成度 は較べるべくもないのですが)本当に残念なことに思ってをります。
掲示板書き込みの訂正は下の「管理人メニュー」をクリックして頂くと、投稿したパソコンからでしたら自分の書き込んだ文章の訂正削除が可能です。ではで は。
>下記「Ten years gone・1」
一行目の絵文字(?)、ムッツリしてますが、入力したときには笑っていたので、くれぐれも誤解なきよう!(笑)←はじめからこうしておけばよかった…… (ノ_ _)ノ
やすさま
さすがにチェック早かったですね〜〜〜 ^^
丁寧に読みこんでくださり、ありがとうございました。古い恥も晒した甲斐がありました(笑)。10年前の自分と対話しつつ、ご意見を拝読させていただきま した。
この程度の文章で自註自解なんて恥の上塗りなのですが、少しだけおゆるしのほど。
*ただし、いま自室を整理中でこの本が見つかりませんので、再読のいとまが
ないままであること、ご寛恕ください。
---
やすさんのおっしゃることは、わたしなりによくわかるのですが――だれも「帝国主義に負けた」なんていってませんよ!(笑) 以下もイデオロギーは抜きで す――「敗北」ということに関していうと、これは鬼貫論にも関係しますが、保田との関係に収斂してしまうと、あまりにも「文学的」というか、まとまりが良 すぎるかな、と思うのです。もう少しかれの見ていたものは一般化、社会化できるのではないかな、というのがわたしの考えです。
拙文ではなんとなく中島の活動を下降線で描いてしまっているように見えますが、かならずしもそういうつもりでもなく、ちょっと輻輳していることをうまく伝 え切れていなかったなと、今回あらためて読み直して汗顔の行ったり来たりです。
モティーフとしてまず第一に、この『著作選』が出るまで、中島についての文章や先行研究が少ないように思われたので、こういう人がいた、こういう作品も あったのだということを紹介したかったということです。もちろん、読んでつまらなければ(愛着がわかなければ)別の本を選択していたでしょう。
もうひとつは、かれの「ロマン主義」論は(久野収の回想に主観が混ざっていないとすれば)、初期の主張からほぼ一貫しているように思えました。つまり、
「想像のうえに繰りひろげられないロマンはもはやロマンではないのである。ロマンは常に想像を現実化したものであり、現実を想像化したもの」(「文学にお ける『距離』の問題)であり、
「だいたい現実政治の挫折を体験し、政治の絶望した思想の深いアイロニーが浪曼派の運動なのだから、その浪曼派が現実政治の中で時を得顔に咲きほこり、わ が世の春をたたえるというのはどういうことかねえ、浪曼派の自己喪失じゃないか」(久野収の回想)
という、このことを一貫した点を伝えたかったんですね。前者のサブタイトルが「ファンタジー考」となっているのは、とても興味深いと思います。これはあき らかにノヴァーリスやシュレーゲルの言説を踏まえているのではないでしょうか。そして、わたしはこの中島の内在的な日本浪曼派批判をおおむね諾うもので す。それはファンタジーの問題なんです(ファンタジーの定義は略しますね)。 つづく
書評『中島栄次 郎著作選』めっけ!
10年前に発表されてゐたとのことですが、知らなかったなぁ。
といふか、左翼文学潮流の話はわたしにはちんぷんかんぷんなのですが、中島栄次郎のことに触れた文章の少ないなか、久野収の同時代の回想「『世界文化』で の経験」(「文学・昭和十年代を聞く」文学的立場編1976勁草書房)をしっかりチェックされてるのには脱帽です。これはひそかに皆知らんだらうと思って ゐた文献だったので。
ただ、(政治意識を排して)「作家的肉体の表現を作家的真実と考え」た彼の態度を“中島栄次郎の本質的な弱点”と捉へたものかどうか。私は「創作態度 (特にリアリズムについて)について断言的な(浪曼派的な)発言」をしてゐた頃の彼の姿勢には、なにか、「共同の営為」に即して本来この人の気質でないデ スパレートな方向にバイアスのかかった論文を書き続けてゐはしなかったか、といふ気持がしてならないし、それは決して無理な方向ではなかったとはいへ、し かし保田與重郎の身内の背後から有効な射程距離を有してゐたのは田中克己でも松下武雄でもなく中島栄次郎ではなかったのか、と思はれてならないのです。 「それまでのスタイルを放棄してしまった」「敗北」した後年の彼の、「転向作家が自分を韜晦してゆくコースそのまま」といふのもだから、“本質的な弱点” と呼ぶのを今日的進歩史観からみた“中島栄次郎の歴史的限界”と読み直せば忽ち無効になるといふか、むしろそれはひっくり返って文学的魅力になってしま ふ。彼の文章のなかで線が引かれるのは、ぐいぐい読み手を引っ張っていった先のつきつめたところであるのに対して、保田與重郎の文章に線が引かれるのは、 ぐにゃぐにゃ韜晦する間隙にしたたかに虚を突いてくるところ。中島栄次郎の古武士の筆峰が適した書き物は、やはり後年の落ち着いた文芸評論にあるのではな かったのかな。しかしながら「完璧の詩人伊丹の鬼貫」といふ表題は「戴冠詩人の御一人者」といふ言挙げの調子を追ってゐる。「敗北」といふのは、帝国主義 に敗北したといふより、保田與重郎に敗北したのだと私は考へてをります。つまり「プロレタリア文学運動から『日本浪曼派』を用意するもの」といふより、 『日本浪曼派』の可能性としての良心であり得たひと。彼は『日本浪曼派』から一号きりで脱落してをります。だから浪曼派のひとからも、浪曼派を攻撃しなく てはならぬ左翼陣営からも、戦死(したので)(したにも拘らず)厚遇は得られなかった。さういふ、誠実であるが故に一番不幸であったところは、肥下恒夫氏 と同列であったもののやうに感じてをります。
二人の人が出会ふ、微笑んで挨拶を交はし、すこし話し合ひ、健康を喜び、そして別れる、 「で は又!」と。そしてお互ひにほっとしてゐる、少なくとも自分でもそれと知らずにほっとしてゐる。そして心の中で襟をたて首を納めて歩いてゆく、何か、「自 分だけのもの」を持って、如何にも大切さうにして行く。
人は誰しも逃げ場所はもってゐるものだ。或る人にとっては思ひ出の輝かしい時が、或る人にとっては野心と希望が、そして或る人にとっては思ひ出に自然に 連なる希望が、極く内密なかうした人に明かさぬ部分となってゐる。そこは暖かい、ともかく居心地が良い、人と争った場合、悲しい場合、ともかく「自分」の 無視された場合、みんなこの人に明かさぬ自分だけのものの中へ逃げ込む、そしてやがてその暖かさにほっとし、首だけ出して安心する。
この内密な部分は心臓の弁のやうに一方向きにしか開かぬ戸を持ってゐて、その内部は本当に別世界だ、不可能な欲望も存在を許され、希望は横柄な現実味を 持ち、不思議なほど追憶はきらきらと生々しく……この奇妙な国の中で、自分の欲しない人間を極秘の中に如何に多く殺傷したことか、己のうけた傷痕を如何に 何度も治癒したことか。そしてかかる殺傷と治癒が多ければ多いだけ、この秘密な部分は増々脳髄の裏側に退き、いよいよ内密になり、従っていよいよ力を増 し、……やがて人はひとりで呟く、自分は孤独だ、と。 (中島栄次郎「孤独について」1938.12「四季」No.43より)
「さて、掲示板運営は知る人ぞ知るサー」(/\゜)ウップ!(^▽^;)「ギタリスト悪麗之介さん。」
最初「A・GLAY之介」さんって読んでました(笑)。リンクをありがたうございます。
休み明けにこちらからもリンクさせて頂きたく、今後ともよろしくお願ひ申上げます!
単純といってしまへばそれまでだけど、これは面白い。漢詩人たち ほか先哲の生没年を入力すると、長い長い江戸時代の人物関係の俯瞰に役立ちさうです。早速LINK集 西岡勝彦さま作成の「江戸文学年表」か ら興味ある人物を追加してゆかうかな。欲を言へば元号表記ができるといいですね。
「ほんとだ。今の今まで気がつかなかった。」(^∇^;)
>やす樣
御教示戴きまして、誠に有難く存じます。
やはり田中氏の話題に關しては「天下無敵」ですね。
でも「嶺丘耿太郎歌集」、原本の表紙の表記は『嶺岡耿太郎歌集』なのですね。
かういふ場合の書誌的扱ひはどうしたらよいのでせうか。
著者はどちらでもよいと思つてをられたのか、はたまた誤記と看做すべきなのか。
すみません、また宿題をふやしてしまひましたね。
『嶺 丘耿太郎歌集』
昭和4年5月〜昭和6年5月になった歌を、並製無地ノート(19.2×13.8cm)に縦書きでまとめられたもの。以後『続嶺丘耿太郎歌集』 (昭和6年4月まで)、『続々嶺丘耿太郎 歌集』 (昭和8年5月まで)として同一ノート中に書き継がれてゐる(全[47]p)。短歌同人誌「R火」(昭和5年1月創刊号〜昭和6 年1月10号)に所載された歌と同じく、詩作日記『夜 光雲』からよりぬかれたものであり、昭和30年に編まれた『歌 集戦後吟』中 の「年少吟」65首(順不同)は、このノートをもとに後年さらに選別されたものであると思はれる。尤も『夜光雲』との異同を検するに、若干の斧鉞の痕を認 めるものの、佳歌と思しき作品をもらしてをり選定基準を詳らかにしない。例へば詩人の代表作「この道を泣きつつわれのゆきしことわがわすれなばたれか知る らむ」の歌が茲に採られてをらず、「詩集西康省あとがき」(昭和13年11月「コギト」78号)で語られたやうに、係る推奨は偏へに保田與重郎の鑑識によ るものであったことが知られる。ペンネーム「嶺丘耿太郎(みねおかこうたろう)」は、古泉千樫の歌「みんなみの嶺丘山の焼くる火のこよひも赤く見えにける かも」、および当時私淑した (?)日夏耿之介に因んだとの由。
『嶺丘耿太郎歌集』206首
昭和四年 52首
昭和五年 116首
昭和六年 38首
『続嶺丘耿太郎歌集』49首
昭和六年 38首
昭和七年 11首
『続々嶺丘耿太郎歌集』33首
昭和七年 19首
昭和八年 14首
いづれ現在公開の『夜 光雲』中に『嶺丘耿太郎歌集』『歌集戦後吟』所載となったものを番号を付して併記できればと考へてをります(また宿題作っちゃった)。
「夾竹桃抄」 嶺丘耿太郎(「R火」6号 昭和5年9月 6-8p)
×七月七日
植込に夾竹桃は咲きさかり浮浪人らはからだ倦むらしも
噴水も水ふきあげざる日のまひるこころ楽しまず身はひた疲れ
×七月八日
雨そそぐ大川の面に芥流れいたくわびしきゆうべとなりぬ
ゆうされば烏ねるとふ法院の塔のむかふの雨空のくらさ
×七月十一日
大御濠しづもり深けれやひつじ草しみみに生ひて花保ちゐる
みささぎの濠の静けさやこぬか雨かかる小舟に菱採れる人
曇り空のみんなみに立つ白雲を暑しと思ふ道の向ふところ
弥勒菩薩ゐます御堂のかび臭さ出世(すいせ)したまふ時節(とき)とほからし
×七月十三日(森の墓)
みんな集つて泣いた日が近づくみ墓べの槙の木さへも茂りたるかも
御墓辺にしきみを捧げ水を手向けわれに出来るはこれのみと思へり
×七月十四日──十八日
汽車とまらぬ小駅の村の花畑カンナ大きく咲けるを見たり
大山の裾からつヾく松林じんじんと重き蝉のこゑきこゆ
城堀の蓮(はちす)の花の咲かむ時にとほくわれらの来りあひたる
あらし来るけはひしるしも線路(みち)ばたの紫陽花の花重たく揺るる
はやち風稲田わたれば靡きふす稲葉の波のやはらかさはも
ぽつぽつと雨ふり出でて車窓(まど)をうち山陽道に汽車ひた向ふ
眼ざむれば頭おもたきひるね後高梁(はし)川も太くなりたる
×七月二十五日
夕やけて蝉もなきごゑやめんとす大空の虹うすらみにけり
×八月三日
ゆうぐれは巨き黒犬牽きゆかしむあなおほ犬と人は云ふなる
ゆうされば生駒の山にともる灯は高みより来るすヾしさ保(も)てり
黒犬とたそがれ道を歩み来て口笛吹けど誰かきたらむ
×八月四日
朝涼は大寺の堀に咲き満てる白蓮花の上に風わたるかな
×八月五日
半鐘がきこゆるといふに話ごゑにはかに止めて皆きくらしも
妹らは火事どきの用意話し出づ女(め)の気弱さときき流されず
……………………………………………………………………………………………………
さういへば今日は、八月三日(↑おんなじだ。)
“ゆうぐれは巨き白犬牽きゆかしむあなおほ糞と人は云ふなる”U^Q^;Uヾ(汗。ごん太)
さてつぎはお尋ねの『嶺丘耿太郎歌集』です。
掲示板【彭城矯介の雜本與太話】投稿者:凹凹團管理 人彭城矯介さま 投稿日: 8月 3日(火)02時40分19秒より
>cogito樣
御無沙汰致してをります。まだ元氣は出ませんか?
(中略)
ところで貴編著『田中克己詩集』の年譜に、手書きの「嶺丘耿太郎歌集」といふのが出てまゐりますが、これは同書の付録にも掲載されてゐる『歌集 戰後吟』の「年少吟」以外は活字化されてゐないのでせうか。
内容的には、「R火」等に發表された歌その儘なのか、ある程度編輯や改稿が加へられてゐるのかどうか、ですが。
と申しますのも、小生は保田與重郎(湯原冬美)の若書きの口語短歌「COGITO」(笑)といふ一連が、かねてより氣になつてをりまして、これは嶺丘耿太 郎の「夾竹桃抄」といふ連作に向けて書かれてゐるからです。
この「夾竹桃抄」といふのは、やはり「R火」に掲載されてゐるのでせうか。
「R火」、小生も閲覧くらゐはしてみたいものですが、「コギト」にすら手が出ない貧民にはとても無理さうですね。
こんばんは、彭城矯介さま。
「R火」はむかし一度だけ山口書店のショーウィンドウに飾ってあったのを、わざわざ御店主が出して手に取らせて下さったことがありました。ほかに何セット 世の中に存在してゐるのか、不明です。自分はその山口書店主作成に係る保田與重郎と田中克己の掲載頁のコピーを所蔵してゐるのですが、他の同人たちの作品 も含めて、この謄写版歌誌の全貌は是非とも復刻の形で共有されるといいですね。
さて“保田與重郎(湯原冬美)の若書きの口語短歌「COGITO」”といふのは大阪高等学校学藝部刊行の「校友會雜誌」(昭和6年3月)所載「因業他五 篇」中に「A KOUTARO MINEOKA」と為書きを付された一章のことですね。まづはお尋ねの「夾竹桃抄」(「R火」6号)を掲げます。『夜 光雲』第3巻所載分(昭和5年)と較べてみて下さい。そして次の『夜 光雲』第4巻(〜 同5年12月)の巻末に、「保田のオリヂナリテイを疑ふ。「古き國原」の歌の如き一寸呆然とさされた。」といふ指摘を受けての興味深い保田與重郎の書込み を見ることが出来るのですが、この「COGITO」の一章は蓋し“「夾竹桃抄」といふ連作に向けて書かれてゐる”といふよりは、かの不本意な疑惑に対して 半ば(;^^Aな感じで実作を以って答へた「若書き破調作品群」のひとつと呼ぶべきものかもしれません。
たうとう行っ て参りました。
本日モダボ隊長より心づくしの贈り物(岐阜戦前詩誌四種)拝受いたしました。厚く御礼 申し上げます。ありがたうございました。これまでにも「詩魔」ほかの詩誌を頂きっぱなしでをりましたが、この機会に岐阜の戦前詩誌について判るところをま とめてみようと思ひ、まずは現物 確認できたものを入力してみました。
で気づいたところ、今回頂いた「十字街」といふ雑誌の発行元になってる西部茂といふ詩人なんですが、住所(武儀郡中有知村生櫛)って、なんか見覚え が…。
「あ、『藤城遺稿補注(1999年私家版)』を出された西部文雄さんと同じ町内!」
『岐阜県詩集』所載の略歴を拾ってみると、「小製糸工場の四男」とあります。これは一寸暑中見舞でも出して照会してみる価値があるかもしれませんね。
またこちらは以前くぢらさんから頂いた「詩と創作」(昭和15年6月)。何故かひとりきり遠方の横浜から同人になってる高柳奈美といふのは、さうです。 乾直恵の奥さんになるひとですね。「不思議に岐阜と縁が深い人」ってどんな関係があったのでせう。後日コピーをupします。
「扶桑書房目録」に『R火』(3-11,13)10冊\280.000が登場。1,2も 揃ってたら手を挙げてゐたかも。「田中冬二研究」はやはり売れてゐました・・・残念。
本日、新岐阜古書展初日。収穫は『(矢橋)赤山・赤水遺稿』\10.000、『(雲 谷)任齋遺稿』\4.000『光霽楼(菱田毅齋)叢話』\1.000、すべて「誰?それ」の世界の本。そして地元掛軸専門店小川 処堂出品の佐 藤一齋の掛 軸!
感ずるところあっての衝動買ひです(……あーあ。U^ェ^;U)。
湘谿秋竹雨霏々 (湘谿の秋竹、雨霏々たり)
風戞煙揩翠欲飛 (風たたき、煙うち、みどり飛ばんと欲す)
此是瀟湘江上路 (此れは是れ瀟湘江上の路)
[舞]妃一去幾時帰 ([舞]妃、一たび去って幾時か帰らん)
煙雨萬竿圖 一齋坦書
実はさらに村瀬太乙の山 水軸にも手を出したのですが(!)、帰宅してから印譜と照合したところ、落款・遊び印ともに偽印であることを知って返品することにU@ェ@U。よ くよく思へば揮毫を間違へてゐる(ありゃりゃん「釜」 の字が重複) のも、詩人らしい“鷹揚さ”の故なんかぢゃなく、態々模写であることを示す“断り書”の謂であったこと、そしてまったく同じ偽印[落款:“太乙老人絶句” /遊び印:“白雪”]を使った“出来のよい贋作例”のお話が、向井桑人氏著す太乙の評伝書にも引かれてあったのでした(苦笑)。「贋太乙」もピンからキリ までざっと七人はゐた由。弟子の模写に対しては、当人が“鑑識”して本物の印を捺すことさへ黙認してゐたといふから、これはもう悪意がない。ゼロが一個な かったら引き取ってもいいなぁ(……あーあ。U^ェ^;U)。
笠野半爾が太宰宅に居候してゐたなんて初耳です。それで、山岸外史の序文ですか。昭和 12年当時といふと、自堕落 な生活をズルズル送ってゐた頃ですね。伺ふところの詩風から推せば、彼もまた “取り巻き連”とか“悪い仲間”とか呼ばれた人たちに属してゐたのかな。序文が消息を伝へてゐるとは思ふんですが。
index更新し忘れちゃひました。日曜出勤時にupします、といふのも明日から三連休。修養します。
『象徴の森』は一応活字で組んでありますが、印刷具合は孔版っぽいというかコピーっぽ いというか、とにかくプロの仕事ではない感じです。ぼくもこんな本が出ているとは知らなかったので、みつけた時は実に?でした。
この詩集には各々やや長めの10篇が入っていますが、後記によれば全て生前の太宰治に献じたものとのこと。1937年、大スランプに陥っていた笠野半爾 は太宰宅に半年居候しており、その間に書いた作品だそうです。笠野と太宰という組み合わせも不思議ですが、とにかく当初詩集刊行を考えていたものではない ようです。作品の内容もそれ以前のコ洒落れた感じは全くなく、どんより暗くてまるで別人のようです。盗作騒動については知りませんでしたが、それも起因し ているのでしょうか、はたまた太宰の影響か、心境も生活もかなり自虐的になっていたようです。
ちなみに太宰宅同居時代の共通の友人山岸外史の序文の日付は1951年になっており、つまり太宰没後に一度は刊行を考えたが空しくなってやめたとのこ と。後記の文脈から察するに、この山岸外史も亡くなりついに刊行を決意したのではないかと推測。2版50部追加というのも何だか妙ですし、いろいろワケあ りのようです。
これら1937年の一連の作品以降、笠野半爾は完全に筆を断ち、ひとつも作品を書いていないそうです。嗚呼。
カサノハンジ【笠野半爾】『象徴の森』1966/無人列島社/41p/21x15cm並 製/非売品,初版150部,2版50部/山岸外史序,著者後記
さうですか。『雲』入手されましたか。うまらやしい!北陸では『雲』のほか明田彌三夫 『足跡』1929、厚見他嶺夫『鱗』1929なんかを探してゐます。新村堂さんの価格では手が出ませんが、ほかに情報ございましたらよろしくお願ひ申上げ ます。
また、path finderには今まで序跋ほかの情報を省いて入れてましたが、折角お寄せ頂いてるのに失礼なことでした。
統一性・整合性よりどれだけひっかかるものを提示できるかの方が大切であることを鑑み、今後は拘り情報を末尾にそのままくっつけて参ります。ありがたうご ざいました(月曜upしますね)。
しかし本日もなんたる曝書日和かな(暑!)。一昨日文徳書房さんから届いた『星巌集』と『蛻巌集』も一緒にやっちまいませう。この二点の新収家宝、ともに 疑ひを入れぬ再刷本ながら、『蛻巌集』は我が家の蔵書の最古記録をあっさり100年塗り替へてしまひました(寛保二年1742初刻、宝暦五年1755刷識 語入。250年前ですよ!)。また、名にし負ふ『星巌集』も揃ひ12冊を確認の上たうとう購入、ともに感無量です。ご存知のやうに梁川星巌(やながわせい がん)といふペンネームは、岐阜に青春を過ごした漢詩人の大先輩、梁田蛻巌(やなだぜいがん)に肖って名付けられたものです。覇儒と称せられた江戸っ子蛻 巌先生ですが、若き日に岐阜加納藩に褐を解いたものの田舎暮らしを喞って十年で致仕してしまひます。牢騒を抱いたまま結局さらに安い俸禄で明石藩に再就職 することになるのですが、人物をもって大変遇せられ、そこを終の栖家に定めます。蘊籍の気盈つると語り伝へられた晩年。けだし岐阜における青春時代もおそ らくは不遇と呼ぶべきものではなかったかもしれません。明石には加納町といふ町名が現存する由、加納藩戸田家は 明 石から移封されてきたお殿様ですから、町名の由来も、また再就職に至ったコネクションも、理由の一半があるのかもしれません。御当地ぐれむん大人 の高説を俟ちたきところです。
クロダヒデオ【黒田秀雄】『雲』1932/黒田秀雄(金澤) /4,6,98,6,6p/19x13cm上製函/\1.5
ちなみに、室生犀星序、伊藤信吉跋、小畠敏種装丁、著者後書、です。
余談ですが path finder にもこういう情報もあるといいなあ……なんて。
波江さま
ホームページにはプロフィールや日記などを併設して
「このひとは一体どんなひとなのだらう」といふ誰もが思ってゐる野次馬心に
ちょこちょこっとサービスしてやったら、もっともっと宣伝になるかと存じます(顔写真まではいいですけど)。
2ndHPの掲示板を閉めたんですけど、うちのごん太がQちゃんのファンみたいなのでU^ェ^U
「ごん太とQちゃんの掲示板」で復活させてもいいですよ(うそ 笑)。
「生命ある言葉」日本語の意義と価値を内外に認知せしめる未曾有の言語実験
。自作のいろは字数歌を漢英訳して各言語間の韻律事情を鮮明にたらしむ。
韻律とは言語の骨組にして、脚韻平仄抑揚音数規則のみが韻律にあらず。
此等は過渡性条件付の韻律にして寧ろ日本語に於ける「いろは」の韻こそが
韻律そのものにして、人類文明の次なる展開を導く基軸なり。此の視点より
して、いはれなく先祖の遺産を汚す「現代かなづかい」「かなころがし」は之
を千載の禍根として早急に断つべく有志に作例を以て訴ふるものなり。
やまとうたをからえびすうたによみかへてかたみのすかたあきらめあはむ
下記へ移動中です。
http://blue.ap.teacup.com/roha/
「日本古書通信」通巻900号。続署名本の世界連載のほか、「新東京古本屋案内(地図 付)」。
今回は中央線沿線の紹介。さうか、晩年の田中先生がよく云ってた「駅前の古本屋」って、
本当に「阿佐谷南口駅前のふるほんや」って名前なんだね(笑)。
さて、今度上京したらこの地図をたよりに文徳書房に行ってみたいな。
また29日から催される“新岐阜当日来場優先古書目録”も到着。郷土の漢詩集もとめて走ります!
詩人小山正孝の自伝的回想+初期小説群と拾遺詩をあつめた詩文集 『感 泣旅行覚え書』が刊行された。御遺族よりお贈り頂いた感謝の第一報をまず茲に記させて頂きます。拝読ののち追って感想かたがたあらためて宣伝させ て頂きたく。ありがたうございました。
オヤマ マサタカ【小山正孝】『感泣旅行覚え書』2004.6.29/潮流社/315p/19.3cmフランス装並製函/\3500(isbn 4886650902) ※付録「感泣亭通信」8P付き
「新村堂書店古書目録」着。
今回の目玉はなんといっても『西康省』三好達治宛署名本でせう。さすがに三冊はいらないのでパスしましたけど
・・・もっとも兄事した詩人に対する署名はどんなだったんでせう。
以前「近江の詩人 井上多喜三郎」を出した彦根市の出版社から、いよいよ「井 上多喜三郎全集」が 刊行される由。A5判500頁、定価6300円の内容ださうです(予約割引有り)。“全集”なので詩篇だけでなくすべての随筆類も収められるらしい。とい ふことは近江詩人会同人の行状なんかについても触れた文章が読めるかもしれないね。とまれ井上多喜三郎の戦前の詩集は、地方発のモダニズム意匠の妙みたい なところが命なんだと私はおもふので、ぜひ稀覯詩集の各書影は大きく紹介して頂き、遺漏なき文献集であるよりも文学アルバムや装釘から“楽しめる全集”に して頂ければ嬉しく思ひます。以上サンライズ出版さんから広告依頼を受けての一言でした。
ねつをあけたこにふられても ♪ U/Д\U
ひくわんするなよさきはなかい U/ェ^ U/♪
へまみておほえろや ♪ヾU^ェ\U
ゆりしとめるそ ゑむうゐち! \U^δ^ U/゛ やったあ!
「だれがなんといはうとQちゃん音頭の勝ち〜っ!」ъU`ェ^ Uo
_ Å ゴンタウルサイ。
| (;‐◇‐)「わたしまけましたわ」
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昔の職場の上司(下町風俗資料元館長)より 「ににん」といふ俳句雑誌を御送り頂きました (Vol.14,15)。
執筆表題の「人はなぜ俳句に身をやつすのか」は、おそらく「日本人はなぜ俳句に身をやつすのか」と「おれはなぜ俳句に身をやつすのか」と二つの義がかけて あるんだと思ひますが、やがて筆者の中で書き分けてゆくこととなるだらう「日本人はなぜいまだに定型俳句なんぞに身をやつしているのか」と「おれはなぜこ れまで口語俳句なんぞに身をやつしてきてしまったのか」といふ、ふたつの事情は、しかしこの俳句雑誌の空気の中ではそんなに対立してゐるやうにはみえな い。ほかにも俳句のことばかりでなく、尾形亀之助や淵上毛銭のことを書いてる詩人もあり、興味深く拝読しました。
ここにても御礼申し上げます。ありがたうございました。
また、今の職場の教授からは山頭火の折本句集の復刻版セットが注文され、先だって古書店から図書館に届いたものを興味深く拝見しました。経本仕立てのあ んなものでもやっぱり初版「本」なんだね。して中身がまた、やっぱりへんなかんじです。野沢一の方がぼくは好きだな。
立原道造記念館からあたらしい企画展「立原道造の生涯と作品V」のお知らせを頂きまし た。以前、風さまが「今年 はもうなにもかも出すッ!」と仰言ったとほり、過去二回の展示も新資料のオンパレードでしたが、謂はば詩人としての開花期をテーマに据えた今回こそ最高の 展示内容となるべきものと存じます。館報もそれを念頭に依頼されたものか、まことに豪華執筆陣。ことにも巻頭を飾る加藤周一(御歳八十五歳!)の、すばら しく平易で明晰な文章は誰しも瞠目するところでせうが、私にとっては「朔」をいつもお送り頂いてゐる八戸の圓子哲雄さまに、それからナントわが職場の名誉 教授も一筆書いてるところが、一入たのしい読み物となりました。教授は先日も「新潮」に太宰治の若書き小説を暴露してみせたけど、なんかここでもへんなこ と書いてますね。(ちなみにぼくは“ミズヒキソウ派”ですけど 笑)。
ともあれこの展示は見逃すわけには参りません。記念館の皆様、御案内をありがたうございました。また学芸員のお二人にはお疲れ様でした(さよなら、お元 気で…Uρェ・U)。
もひとつついでに。
「人魚通信2号」到着しました。七面堂さん(地下本の種々相)と早瀬エムさん(仏蘭西古本ばなし)のお話は、ネタに深い余裕が感じられ、何にも知らない私 みたいな門外漢が読んでて、つい引き込まれます。続きが楽しみですね。そして、われらがりょくちゃんのけれんみたっぷりの文体、これまた今後の展開に注 目!(次回から現代仮名遣ひやめませう 笑)。
「言語に内在する規則性を発見し且つ之を駆使する工夫」といふものは、思想から導かれる ものではなく、民族の詩人の天才によって、「ひびきのうつくしさ」を通して、時代から反対に諷され指示されるところにゆくりなくも発現するものではありま せんか。そして、
【訂正その一】
>韻律が形としてあらはれて居ないものは詩とはいへぬ
韻律がただ形としてあらはれて居れば詩となした理論に拠った詩こそ、以後まともな文学史が書かれる際にはすべからく鍵括弧の「詩」として扱はれることに なるでせう。ですから、
【訂正その二】
>詩といへば漢詩であつた一昔前の常識
は、
「詩」といへば漢詩であつた一昔前の常識
に訂正してください。波江さまの思ひ描く詩は、生きた中国語を知らなかった江戸時代の漢詩人たちが拘った平仄によせる思ひのやうな、せつない徒労と思ひ ます。平仄は伝統に依拠する正当な権威でしたが、波江さまのは新興宗教です。
それにもっといへば詩といへば単なる漢詩ぢゃなく詩経のことですよ。これ一昔前の常識。
いづれにせよ「いろは歌」はごん太や愚生には難しすぎますので(詩経並ですね)レスはこれまで。U^ェ^U
先に宣伝投稿した際にご丁寧なレスがついて居たやうですからひとこと申し添へ置きます が、
ひびきのうつくしさに酔ふをこととして「言語に内在する規則性を発見し且つ之を駆使する工夫」
なほざりにしたものはそも詩とはいへぬと思ひます。ここで扱つてをられる四季派の作品を含む
近代詩現代詩なるものは、以後まともな文学史が書かれる際にはすべからく鍵括弧の「詩」近代
及び現代なる時期に人がこれを以て詩たりと思ひ込んで居た似て非なるものの義とすべきです。
詩といへば漢詩であつた一昔前の常識に立ち返るべきでせう。「言語に内在する規則性を発見し且つ之を駆使する工夫」すなはち韻律が形としてあらはれて居な いものは詩とはいへぬのです。人類他言語がその工夫をいかなる形であらはしたか私なりに鼎訳でその一端をあらはした次第ですが、日本語は僅々二条の最も簡 潔且つ過酷な韻律規則を持つ。
一 字母四十八音を均分に使用すること
一 仮名遣をまもること
この点の発見造形になほざりであつたから現代かなづかいかなころがしの雑菌に憑かれて未だ駆除
し得ぬままで居るのです。ひびきのうつくしさにをこととして何分かの感動を醸成した所で感動
する自分達に感動して居た迄のことになります。要はその言語の言語としてあり続けて来た有り甲斐のほどを確認する儀式たるが詩の本義と私は理解してをりま す。駄弁御免
やまとうたは(やまとうたに限らずですが)、ひびきのうつくしさにあると思ふのですが、理詰めに無理やり言葉をはめ込んだ詩に、意味はもとより語感の調和 がとれる筈もなく、この一事をもって波江さまには、思想が美意識をねじふせる様子に自ら酔ってゐる節をつよく感じます。平たくいへば詩人であって詩人では なく
やまとうたは(やまとうたに限らずですが)、ひびきのうつくしさにあると思ふのですが、理詰めに無理やり言葉をはめ込んだ詩に、意味はもとより語感の調和 がとれる筈もなく、この一事をもって波江さまには、思想が美意識をねじふせる様子に自ら酔ってゐる節をつよく感じます。平たくいへば詩人であって詩人では なく
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|\⌒⌒⌒\ 薮蛇でした。
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