「夜光雲」第四巻
昭和5年8月8日 〜 昭和5年12月25日
20cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き 表紙欠(100ページ)
密 奏 君 王 知 入 月 [※ 君王ニ密奏シテ入月ヲ知ラシム]
喚 人 相 伴 洗 裙 裾 [※ 人ヲ喚ビ相ヒ伴ツテ裙裾(じゅばん)ヲ洗フ/ 王建・宮廷詩より]
湯原冬美 之為尓
嶺丘耿太郎 書
湯原にかいた歌
A 夕ぐれ (五、八、八)
一
夕ぐれ
声なき犬をつれてるさみしさ
かやつり草をひきぬく
二
草の匂ほのかにして
赤とんぼ
とんで来るのがわかる
三
遠くに見える蓮の花よ
夕ぐれ雲
だんだんに押しせまる
四
夕雲のはしに
まだのこる光り
大空高き寒さを思ふ
五
刈られた楠の梢は秋である
見上げてる
六
むらなか
村中にのうぜんかづら咲く塀あつて
既に秋である
七
刈りおとされた楠の小枝は
楠の匂 嗅いでる
B 南極を (五、八、七)
一
氷山游ぶさみしい海に
群れ群れて生物
ハレムを作る
二
夏には氷とけて
そこに禾本[かほん]生ひ鳥巣食ふ磯
三
南極十字星
これは捕鯨船のエンヂン高きよるである
四
夕方
海
荒れてくる
捕つて来た鯨の腹にあたる波
C ある夜 (五、八、八)
一
月梧桐にかかつて
西瓜喰つてるぼくは
いつかのよるをくりかへしてると思つた
二
槐[えんじゅ]ほろほろとちるよるは
屋根を歩く白猫の
跫音のさぶしよ
その日その日
A 夜店 (五、八、七)
一すみに赤い鳳仙花の夜店の植木屋
×
まはりどうろうまはつて夏休み半ばすぎたよる
×
つめ将棋は大人の童心
またもむざむざとつめ得ず
B 日曜 (五、八、九)
槐おほかた散つた空の
雲の高さだ 雷するは
×
遠雷ひびくひるは
庭の樹に蝉来る
×
日えう[曜]、父、弟たちをつれて山のぼり
雷の音する留守居 ※
C 西川と夜麻雀をする (五、八、一○)
月夜のりやんりやんと鉦叩いて
お嫗(バア)らゐる家のぞいてとほる
×
月の暈(カサ)ある夜
電柱けぶる原の向ふに
シグナル灯(ツ)いてる
×
ちりりちりりと月の虫
とほのいてゆくさびしさよ みち
×
夜更けの電車 客少くて
透き見える 尾燈のこる
×
月に吼える犬がかなしも
家の中では目覚めてるかな
×
すんなりと伸びてる杉の梢に
月の暈かヽる 風なしとおもふ
×
女の子ばかりの店 店じまひの埃
土間のまつくらに掃いてゐる
×
鳴き出す一匹の犬につヾいて
だんだんと声の遠い犬べうべうと
×
帰れば虫わが庭にも
青蚊帳釣つてねるに
×
犬のゐる気配外にして
夜更けと月は昇るものか
D 本位田君と心ぶら[※ 心斎橋の散歩] (五、八、一二)
蠣船の女は船艙で化粧すませば
とんとんと梯子を昇ります
「もとの方がいいな(冬美)[※保田與重郎の書き込み]」
×
ネオンサインと金魚の鱗光
匂りのこない果物の飾窓に顔をおしつけ
×
おとがいのやせもさびしく
やがて──ええい やがておれの青春も消えるのか
E 高石町 (八、一三)
僕らむかし描いた洋館を
今 小学生が寫生してる
×
寫生してる小学生のまはりに
子供あつまつてるひるすぎだ
×
洋館のペンキははげ 木も茂つた
あヽ ともだちと来た噴水もこはれたらうか
×
小学生でわかれた友の
はじめてきく大人のこゑ(阿部武雄君)
×
さるすべりの咲くころに
このふるさとを訪ねたことを喜んでる
×
幼年(キントハイト)埋もれてる草原を
食つちまひたい
×
あヽこの並木路を
ぼくの幼年はかけまはり
して 幾度ころんだことか
×
家々の桔梗はしぼみ これから秋が深くなるのです
ぼくの心もおちつけよ
F 海と墓と (八、一四)
花のない晝顔の道の果は海である
×
むかしの臭ひのする聖靈会(エ)
こよひ墓地に集る群のつヽましさ
×
はまごう咲いた砂山くずれて
胸に虚(うつ)ろがある
夕ぐれ(その二) (五、八、一六)
×
野の果のガスタンクけむつて
そのデツキにてるうすら光(ビ)よ
×
大鴉 飛び低く 田圃におりて
空車ひく馬のゆく夕ぐれ
×
送電柱の高さを見上げる
ぼくと犬
向ふで小便するおやぢがある
×
隠元[いんげん]畑まで来れば小便する親父
紫のはな
古川堤街道(八、一七)
寢屋川球場へ一高三高戰を見に行く
楡の木蔭ふかく
水淀むところ
子供ら泳いで 看(ミ)てる女の洋傘
×
土手のすヽきのきれめ毎に
子供らの水浴み場がある
×
夾竹桃の根本まで水が来て
紅い花のかげに百姓家
×
青田のつヾき遠からずして
森
みんな聚落(ムラ)である
×
木蔭を出れば又炎天のみち
とほく小く自轉車の子
×
ひるの市場の土間に西瓜ころがり
子供はあそび大人はひるねする
×
夕方青い河原に牛ゐて
山のかげいよいよ青し
×
丘のむかふの山脈は濃い青色になつて
太鼓のおとまだ胸になつてる
鳳仙花 (五、八、一五)
鳳仙花はぜる夕ぐれは
みつめると太鼓のおとがする
宇陀野のすヽき (五、八、一八)
きみが時々ぼくにひらめかしてゐた細いするどいつめたさにも
君の心のなげきを見た──丸三 のことば
大和のくに宇陀の大野に
冬来ればひろらの野面
そよぐはこれ芒の枯穗
冬日うすけれど霜をとかし
芒葉の光り何ぞ鋭き
旅人のまなこに冴むは遠山
──そはおきつもの名張の山──の
雲のいろ またこのすヽきの光り
しみじみとさみしければ
夕ならずして旅宿り
西に入る日を眺むれば
思郷の心耐へがたしとふ
星座 (五、八、一九)
能勢と今津の海岸で西瓜を食ひながらのはなし
磯 南ニ向ツテ立テバ
銀ノ河(アマノガハ) 海ニ入ルトコロ曇ツテル
×
漁船ノ灯 沖ニ一ツアツテ
赤ク星ヨリモハカナシ
×
アレガ蝎座 威勢ヨク巻イタ尾ヲ見ロヨ
毒ノ針ハアノヘンダ
×
蝎ノ心臓ノアンタレス 眞紅ダラウ
恋ノ星ノ感ジガスルネ
×
海豚座 小ツチヤナ星座ダガ
死ンダ友ハヨブ[※ヨブ 聖書]ノ柩ダト愛シテヰタ
×
人魂ノイロノ淡イ星達
ムカシノ熱心ニオ前ラヲ愛シタ心ヲオモツテル
×
白鳥座ハ天ノ川ニカケタ橋ダ
今ニモ飛ビサウニモ見エルダロ
×
彦星 織女トミンナ昔ノ人達ダ
ソンナ時代ハモウ過ギタサウダガ
×
W字形ノカシオペイア 北極星ヲ中ニシテ
北斗七星ト天秤ニナツテルノダ
×
ネエ ゴラン アノ蛇遣ヒト蛇座ヲ
暑イ夏ノ夜ノ感ジソノママダラウ
×
射手(ケンタウラス)ノ弓ノ上ニガンバツテルノハ
木星ダラウカ 土星ダラウカ
×
射手ノ足ノアタリデ アマノ川ハ消エル
今夜ハ曇ツテ紀州ノ山モ見エナイ
×
アノ天ノ川ヲネ 望遠鏡デ見ルト
誰ダツテ ビツクリスルゼ 人間ヲ小ク思ヒダスヨ
×
アレガ皆星ナノダ 雲ノヤウニモ見エルガ
何ダカ宇宙ノ大[キ]サガボンヤリワカツテ来ル
×
摩耶ノケーブルノ灯 苦楽園ノ灯
アレラモ星座ダネ
×
雲ガウツスラ出テ来タ
神戸ノ港ニ明日ハ行カウ
×
僕ハ自分ノ感傷ガ天ニ上ツテ
星ニナルコトヲ望ンデル
増田正元 神戸ノ港 (五、八、二○)
ラヂオの野球放送聞いてる患者達
楠林の木蔭の青さに
×
日向にゐてきみを青いと思つた
鉢伏山の急斜の見える花園 ※
×
僕たちの笑ひ声が患者らを焦たせないかしらん
×
君もトニオ・クレーゲルをよんだといふ
トニオをやはり自分と思つたヾらうか
×
夕方病院を出て自由な気持ちになる
坂をかけ出す
×
静かな海にクロールで入つてゆく
いつになつたらきみと遊べよう
×
何とはしらぬあこがれにこの波止場へきた
この外國船の名 タルマを忘れまいと思つてる
×
舷側から水が落ちてる
人のこゑが上でする 外國船
×
港をめぐる灯 沖の方には少い
灯をうごかしてランチ[はしけ]が来る
×
ランチの心音だんだん高く
この突堤に来て曲がる
×
黙つて魚を釣つてる人
暗い海は魚で一杯になつてる
×
あヽわれいつの日か魚(いさな)となりて
蒼海の底 日の目なきところに
蒼白のかばねよこたへまし
わが情(こころ)とこしへにとどまりてあらむところと
×
わだつみ
きみを思へば洋のも中に立てる
燈台のさみしきこころたへがたし
波よせ鴎来るとも永久の契のかたきかな
明日は他(よそ)なる仇しごころ
されどそれさへなからむに何をいのちとながらへむ
×
月よの海には魚 波の上に漂(うか)び
吐息つきてこゑなき歌をうたふ
×
さればやみの夜は底に沈みて
きそのよ
昨夜の歌のほころびつくらふかも
×
船動き出でなば 鴎とび立ちて
テープは切れむ
まややまのケーブルののぼり下りも
やがては見えじ
白きビルデイングも小くなりて 神戸のみなと
今ははなれむ
そこおもへば旅ごころ おこりて止まず
旅立ちの日よ いつか来らむ
星座連頌(その一)旗魚座
忘却の海に夕ぐれ白き波頭立ち
海の魚一つ一つとび立ちて
南の旗魚(ドラコ)星座となる
夜と共に磯波の間の
夜光虫数を増し
運命の星蝕まれて
行くはかなさや
今夜はふかく磯に風おちて
三角帆の船 静かに港に入る
──人のゐぬ 灯(あかり)なき孤独の舟よ
ともづなはひとりでに下りて
椰子の根にからみつき
船虫船底より這ひ出る音のかそけさ
あヽ星穹も廻轉をゆるめよこの一時を
(23th August)
星座連頌(その二)射手座
はてしなき一すぢの道さびしくて行けば
いつかわれぴたごらす教團の一人となりて
天空の音楽を聴かんとのあこがれおこる
かヽるとき空の一すみに雲立ちて
たちまちにして空をおほふすさまじさ
胸も暗く道もくらしこの並木路を
やヽにして雲晴れむとき先づ目に入るは
光黄いろき土星やどれる射手座(サギタリウス)の
衆星の聖なるいろ 凡人のあきらめに
恍惚と視覚を働かさしむ
(23th August)
星座連頌(その三)龍座(ドラゴン)
北山の松の木の間よ 雲は起りて
稲光り 雨はいまふり来る
おヽ 龍星座 いづこにかあらめ
(23th August)
星座連頌(その四)銀河
秋立てばぽぷらの梢ゆれ しるく風わたり
天の川みんなみに流るるもさやけし
七夕の笹 巷に朽ちて古き人の恋
そぞろにかなしとおもふ
こよひ星のいろ殊に織女光を増し
牽牛河を渡らむの望あり
かの項[うなじ]長き白鳥 翼光りて伸びたり
わが胸の中か 空か 長く鳴きて
飛びゆくものあり 銀河をおほふこと黒し
星座連頌(その五)蝎座
虔(つヽ)しみて南なるかの赤き星 に願ひ奉る
おんみがつヽましき子 かずならぬわたくしめ
このごろの空の美しさにかの好き心おこりてはなれまをさぬ
まことにおそれ夛きことながらわたくしめ
ひとりの乙女にこひこがれてござりまする
かのくろきひとみとしろきうなじはよごとよごとの
ゆめにかよひきてい[寝]もえさせまをさぬ
わたくしめ浜にいでまをしておんみに祈り申すること
すでにいくにち このこころひとひも離れ申さず あまつさへ
まこと申すもおそれおほきことながら おんみが巻尾の
一列なるがごとき眞珠の頸かざりすら かの乙女のために
熱望いたす よるはよる ひるはまたわたる秋風に安きこころも
あり申さぬ きぬずれのおとさやさやとして
にほひよきかみのひとくるかと思へば ※
はや 遠くの木にある風の奴めら
わたくしめが憎しみの的にてございまする
せめてよなりともいねさしめたまへ 忘れさせたまへ
まつ於[ママ]たつてのことには
かの乙女わがものにせさせたまへとおろかもの わたくしめ
いのちかけておろがみまつる
(23th August)
雜 (五、八、二十四)
遠い磯の海水浴場に
波寄る見える午後
×
夕ぐれて船 港を出て行き
防波堤に砕ける浪のしぶき
×
無花果に日くれて
家蔭に女の行水ある
×
砂浜のかはらよもぎに
ばつた飛んで子供追はんとする
止(ト)める
×
病院の塔にあかりつき
じつと見つめて時の過ぎるのも
×
泥臭い洫[みぞ]川に硫酸積んだ
舟の底がつかへてる
×
工場にモーターの廻轉の音
大煙突をめぐる鳶がゐる
× ×
建物と建物の作る陰影(カゲ)
職工ら見えぬ工場の運轉のおと
× ×
(五、八、二十五)
電燈點くころ
白さるすべりの遠目
×
山の頂に雲おそひ来て
裾の苦楽園の灯二つ三つ
×
六甲山の峰々くつきりと
風を索(モト)めて物干台に登る
×
夕方煙を吐く煙突ある
工場のだんまり
× ×
未練唱
浜も名残と来て見れば
磯にや人影ちらほらと
あの子のかげは見えもせで
沖の煙もさぶしやの
× ×
此の砂浜に残るもの何もなくて
あヽ此の夏もゆくか
未練に泳ぐ人々の肌も吹くかや
秋の風は空の藍より来りて
さうさうと遠くの山脈に衝(アタ)りに
行つてしまふ
(25th August)
星座連頌(その六)蛇遣座及蛇座
大いなる安牟羅樹[マンゴー]のもと
夜深きに焚火もやして
人集まる と見れば央[なか]に蛇遣ひ
笛の音はひいやらひよろと
哀なる蛇ぞ 踊れる楽につれて
集れる群の中「怖(こわ)し」と叫ぶ童あり
蛇が眼は今そこに向へる
二叉の舌にうつれる焚火のいろ
しみじみと赤しと思ふに楽の音止みて
安牟羅果ほたりと蛇の上に落ちぬる
(27th August)
朝の月見草 (五、八、三○)
凋んだ月見草に朝雨の露ある浜へ行く道
×
曇り波の上を帆並べて来る
船の帆の濁りいろ
×
うねり波来る海に泳いで
沖のあらしを思ふ
×
顔を水につけて うねりに
乗つて岸へ泳いで来る
×
溝へおちかけてるトラツクを
囲んで皆見てゐる
×
廃園のるこうさうの朱花(アカバナ)
蔓を引いて切つて来る
或る母と子と (五、九、一)
稼ぎに行く父より遅く起きることこのごろの母の責め言葉となれる
病み伏して神経の尖りいよヽ増せる母のことばは聞くに耐へえず
怠け者のわれのなまけをいふ母の言ににくしみこもれるとおもふ
愛情の何たるかを知らずひたすらに子どもを責むる母のつれなさ
怠け者のひたすらつとめなせること更に責められておこる反抗の心
階級暴露の歌はあれども愛情暴露の歌なきこといぶかしがるも
何もかも楽しくはあらず此のいく年母と子どものたヽかひなりしおもへば
事毎にひがむ母をば眞実の母にあらざる奴と子らもひがむ
朝に出て夕にかへる父上の事の様しらずたヾに子を責む
ある時は家をも出んと思ひしか今は只耐へてすぎむとぞ思ふ
妹の乙女らしからぬねじけ心つくづく見れば母をにくみぬ
われが身のねじけ心もかくしがたしあるはみをせめ或は母をせむ
母の叱責もだ[黙]たええずて妹の論(あげつら)ふこゑはわれを病ましむ
松の葉 (五、九、二)
松の葉は松のにほひすかへではいかに
おさなごのおさなごころやとまとの實
いちじくの葉かげになりて秋づきぬ
せみ死にて残暑のひかりさすところ
きりぎりすおもふもあつし夏の旅
海のおとうみをはなれてきくこころ
山すその傾斜(なだれ)きはまり波ぎさ[渚]なる
頂は朝をさむしと下山(くだ)るひと
小流に水涸れて魚ゐざりけり
桑つみて秋蠶飼ふらし山ふもと
桔梗の二番咲きなる秋の空
夕鴉寺の松にゐて啼かずけり
遠島へ汽船消え行き海のおと
雷雲もいまは動かず山のそら ※
※保田與重郎の書き込み。
室生寺 湯原冬美
しやくなんに虻とんでくるひる下り
秋近き心ひかるる佛たち
水まして白魚うごけり山しみづ
おさげゆふかみのたばねになつかしみ
みじかよの泪はなしのままにして
暑さ去らず
ゆふづヽ[夕星]をまろびつヽ見る暑さかな
消炭にのみの子とまるあつさかな
芭蕉雜爼※をかいて ※大高校友会誌所載
短夜や笹の葉ききつ明かしけり
小(ママ)なんぼとんぼとれヽばとつて見ろ
はげとうにあからとんぼはとまらんか
こほろぎ (五、九、三)
こほろぎこもつて鳴いてる落葉の堆(ヤマ)を焚火する
ある唱と和 (五、九、三)
唱 むさし野の宿の湯に入り貸し浴衣旅のうれしさ胸にこみあぐ
虫すだく庭のしげみのかなたより静かにもるヽ三味のうれしさ
とり島も唐津の海にゆめむすび吾を送りし舟もかへりぬ
和 三味の絲いまきれむときいなびかり
借り衣ののりのにほひぞなつかしき
ゆふぐれはなみをこはがる旅ね哉
唱 島一つ又一つ出る瀬戸の海
櫻葉のはやいろづけり夏のくれ
初盆や燈籠ながし夜の川
和 浪くれて陸(おか)のきれめや星ひとつ
けいとうは虫にくはれて夏のくれ
燈籠の川の上なるひとひかり
秋の素描
斜陽 (五、九、五)
壁にさす光のかたむきに
虫が鳴いてる
×
隠元畑の下に芋の畝
風にゆれる芋の葉 青さ
日は傾いて──
東空に月 大きく うすく
高架の汽罐車のけむり
× ×
山 (五、九、六)
山の襞のふかさいちじるしく
みどりに見えるではないか とほくの山が
×
墓石夛く並ぶ墓地に
光を射し乍ら日は傾くも
×
裸の男泳ぐが冷いと思はせる
秋の川 川上の山のいろ
×
遠くはなれた友もなつかしや
休暇あけの秋のここち
×
草ののびた休暇あけの日のグランド
三三伍伍の生徒のかたまり
×
夏のまの熱情はどこへ行つたか
ほそい風の脚がとほる街よ
×
夜 芝居小屋の旗 風にあふられて ※
空のくらさよ 星がある
×
人々は足を早めてあるくも
秋のかぜ 緑のネオンサインがある
×
早くもぼくは
柿の実る法隆寺への道を思はされた
中高安村服部川千塚 (五、九、七)
鷄頭と日々草の花畑
居らぬとんぼの飛ぶ様も見えて
×
片岡の塚平均(なら)されて蜜柑畑
青みかんみのり日あたりの──
×
塚の開口の前にゐて
四辺に人ゐぬをさびしがつた
×
墓穴の蓋石(フタ)の上に立てば
風通しよく煙草のけむりなびくよ
×
口を開いた塚これで五つである
奥にころがつてる小石をしみじみ見た
×
蜜柑のあひまに槙の木
實つて赤と紫 ポケツトにいくらもつめこむ童心
×
線路を造る工事大分すヽみ
とろつこを押す鮮人を叱つて人間来る
×
日かげの小きみちに
玉虫色の布織つてる田舎の女(ヒト)
×
蜜柑樹の傾斜にころがつてる大石は
廃れたものヽ匂ひがする
×
塚の上半だけ開拓(ひら)かれず
雜木茂つてるもある
×
塚どころへ行くみちの萩の
蕾固く虫が鳴いてる
×
誰かに言葉でもかけられやうなら
泣き出しさうな心地で石ころみちのぼつてる
×
水の匂するとおもふと
堤の上は池であつた
×
汚い池ぶちでものあらふ女(ヒト)
道をそこへ行くとき上つて来た
×
道は石ころみちで 石ころの
丸くなつた角が無情に光る
柏原附近石川河原(五、九、七)
葡萄畑の間のみちをゆくうちに
日はかたむいて了つた
×
葡萄園もゆうぐれて
人々は帰るらし
×
川上の二上山の山隈
静もりふかく夕方が来た
×
川波のはねかへす夕日のひかり
すべなくあかく川下に女がゐる
×
ここに情(こころ)いきどほろしく
石を投げては投げてゐる
×
川堤のポプラが赤く染まつたひととき
恋心かくし能はずなつた
×
金剛山 葛城山 また紀伊見峠と
──わたしは抑へきれない熱情(パトス)をもつ
×
広い河原をうねつて川の流れてゆくところ
堤に牛がゐる
×
川原の白い石にまぎれて
かはせみがゐる
×
川原のよもぎなつかしく
蔭にすわつて煙草をのんだ
×
鮎釣る人が私の坐つてる前で
一尾つり上げた
×
あヽあの紫色の鉱物には
誘惑の觸手がある
×
河上の流のひかり ※
かちわたる人のならんで みだす
千塚補遺
金色の花の畑 遠くかヾやいて
さびしいひとりの道である
×
夾竹桃咲く塀をぬけると
稲田広く 野を遥に水色の山
×
だんだん畑の畦高く
白い犬来て眺めてゐる
×
塚の奥室にこもる“気”をおもひ──
開口に生ひ下る葛の蔓のきみわるさ
残暑(五、九、十一)
秋づくと名のみの残暑に
鳴く虫のこゑ
×
埃肌にべとつく暑さの中を
バスにのつて帰つて来る
×
雲の名を覚えむ心起れり
夕づく日 えん側に暑く
畑の雲(五、九、十二)
秋づくや茄子すがれし畑の雲
秋立つといへども島の小さよ
負ふた子をおどして通る馬の側(ワキ)
Goethe Italienische Reise [※ ゲーテ イタリア紀行]
(その一)(五、九、十二)
秋立つや南に下る旅のきり
ふるさとに似たる河辺の街の鐘 (Rogensburg)
行先の空を眺めて旅やどり (Munchen)
九月の朝(五、九、十二夜)
あヽ縷紅草の朱(アケ)の花に露染み
桔槹(ハネツルベ)の音きしるあしたは
口笛も輕く吹きなして川辺を行けば
学校へ行く楽しみ油然と胸にあるよ
女の児の水兵服もまつ白に
ふつさりとしたお下げの髪のやはらかさ──
子供の秘かな恋心せむすべ知らず ※
犬を苛(イジ)めんの心もちて校門をくぐる
高石小学校同窓生に贈る
伊太利亜紀行(その二、五、九、十三)
山人の祭りを着飾るあはれさよ
(Brenner in Tirol) [※ チロルの峠]
國境峠(ザカヒ)となりて朝明くる
イタリアへ車入らむとす下りなる
石灰岩山姿けはしきはざまみち ※
月かげも洩れぬ木蔭や水車小屋
(Von Brenner bis Trient) [※ブレンネルからトリエントまで]
月けぶるよるの音なる水車かな
果実賣る婦(ヲンナ)来るあたり葡萄山
見かへればすぎし峽におこる雲
今私ははじめて伊太利語ばかりはなす御者を傭つた。宿屋の亭主も独乙語を話さない。
だから私は話す術を弁へねばならぬ。これから愛する國語が生きて使用語となること
を私はどんなに喜んだことだらう。 (Roveredoにて)
橄欖[オリーブ]と無花果を見入る伊太利亜に(GARDA湖)
岩崩(なだれ)のぼりて見るや秋の湖(うみ)
湖岸に遠く町あり光る屋根
夕ぐれや街のぞめきに旅ごころ(VERONA)
アヴェマリアの鐘ならむとき時雨来る
葡萄潰す桶積む車急ぐみち(VICENZA)
朝露や葡萄畑の鋏のおと
南面(おもて)となりて葡萄のみのり深し
葡萄山つヾくあたりや馬車に眠る(PADUA)
果樹園の中に村あり寺の塔
見返へれば越え来し山や雪もよひ
ふるさとや雪に埋れむ山の彼方(をち)
行先に尖塔見え初めヴェニスなる(VENEDIGへ)
南に見えざりし山見え来たる
私のこれらの句はゲーテ自身の見聞では決して無い筈。
私のよみながし式の通讀は、決してそれのみでは句にも何にも変じはしない故に。ゲーテには叱られることヽ思ふが。
玉田先生(五、九、十六)に遇ふ
生徒われ 気の着かざりし 先生にわが名を呼ばれおどろきにけり
小学校六年の頃に似もつかぬと思へるいまの顔見知りたまふ
先生の夏帽のよごれ目にしるく元気も衰へたまへると思ふ
先生に報ゐむ時はまだ遠し壮(わか)かりしひとも老けたまひけり
先生に学校を出でヽまだ会はぬ友を語るもさびしと思ひて
クラス中そろつて此の先生に叱られし日を思ひゐる壮かりし先生
先生のお嬢さんももはや女学校ならむ家を探しに來しとのたまふ
教室の窓から(五、九、十七)
三階の教室にゐて蟲を聽く下の野原に鳴き充てるらし
うつヽなく講義ききゐる味気なさきこえざりし虫聞こえくるかも
雨あとの山のはざまよ雲の片(キレ)ちぎれて空にのぼりやまずも
金剛よ和泉山脈におしうつる平たき雲は山を放(はな)れぬ
紀見峠の向ふの國の紀伊の國雲ひそみゐて雨ふれるらし
とほつひと[遠つ人]おもひしことをはかなしと他國におこる雲を見てをり
二十の男にあればはかな恋こころひとつにおもひてもあらな
おもひでの夏の名残と夾竹桃ちまた巷にのこるさみしさ
いや日にけに朝のつゆけさまさるなり月草の花咲くころとなる
野球クラスマツチ第一回戦、理二乙に負ける 三A[アルファ]対二(九、十九)
秋空にヒツト飛ばさむとあらかじめ思ひゐたれど三振したり
まつすぐにのびてゆくあたり想ひゐて今三振をして帰り来る
はじめのカーヴ見のがし つり球振り直球見のがして三振となる
×友眞 突き指
痛み疼く君が手支へゐたるとき郭公時計なりにけらずや
血に塗(あ)へし示指(ひとさしゆび)のさけ目より白き腱見ゆるを一目は見たり
秋の夜、晝、朝(五、九、二○)
垣内(かいと)には虫みち鳴きて夜ふかし楠のこずゑに星かヽりゐき
隣屋の障子明るく灯かげてり人眠るらし夜は更(くだ)ちつヽ
×
厨べのけむりこもらふ垣内の日ざし長しも朝涼にして
学校へ行かう子供の影長しのうぜんかつらに朝つゆはありて
×
つゆ草にいなごつるみてとびつかむ草むら中にかたまりあるも
大空を雲のかたまり流れゆき流れてのちは何もなかりける
×
街の灯は一直線につらなりて市電走るもここより見ゆれ
まつくろの屋根の囲まりつきるところ空に星ありまたヽかざるも
檻中の水鳥どもは眠りに入りベンチ空しく人ひとり座(ゐ)たり
かヽはりのわれにあらめや不景気のこの世なるカフエにジヤズの音さかる
いつの日か破壊(はえ)は来らむ下の市街(まち)のかふえのともしあかヽりにけり
かの子らのわれが他なる男らにとつがむときもわれは泣かざらむ
× × ×
嵐よ来れ
あヽ嵐来らむとき
われ巷に立ちて笛吹かむ
嵐の力かりて
破壊の術(わざ)行はむ
白堊の家もくだかむ
藝術の燈火も消さむ
黒き嵐のすぐる後
一握の残屑(ざんせう)ものこさヾるべし
嵐すぎなば
清き虚しき野に起ちて
口笛吹かむ 新しきもの興れと
ひヾきに応じ そこより ここより
新しき生(いき)物躍り来り
新しき材集まり来り
盛り上り 組み合ひ
而して存在あり 即ち正義あり
ここにわれ又何らかの不遜を怒る
破壊の嵐起こさむ
破壊の嵐来らしめむ
われこそは神長津彦
猛き神 いみじき神 男さびすと吼る神
とことはに破壊を行ひ
とことはにもの築かしむ
跪けよ 礼拝せよ そこなるけだもの ちりあくたの子
(鬪争に日はくれ 鬪争に身は終るとも 誰か悔いむや)
九月二十一日
午後一時頃大軌堅下[かたしも]駅下車歩いて立田道を越ゆ
埃みちわがゆきし時匂ふ花 外になければ葛とは知れり
堅上村青谷金山彦神社
溜池の水干上りし土の上に鷄あそべるが向岸に見ゆ
み社のかたへのみちやのぼりゆき葡萄つむ車下り来るかも
堅上村雁夛尾畑金山媛神社
万葉人がよみしみちの立田路トマト作らむと誰か知れりし
山畑のだんだん畑の上と下話すを聞けば人死にしこと
山峽の午(ひる)はたけたり死にし人の丈夫なりしこと語りゐるかも
奈良縣生駒郡三郷村立野官幣大社龍田神社
山みちのひとりさびしき曲り角柿の實れるをぬすみくらひしか
山みちをのぼり下りてたむけ[峠]どこ目に迫りくる大和國原
果樹畑のあひまのみちのまがりみちひとひとり行きかへりこぬかも
三山はつばらに見えて低くかりけり吉野の山に雲はひそみゐる
立田山くだりて行けば牛の皮家毎に乾す村に來りし
牛の皮剥がれ干されてなまなまし家中にして鼻緒となるも
法隆寺
おぼほしくくもれる空か班鳩[いかるが]の寺の広庭に鴉下り来る
あららぎ[塔]の九輪の空はくもりしづみいづこにひそみ啼ける虫かも
金堂の諸佛尊し
古代(いにしへ)の恋ひしきかもよこれのみ佛おほろかにして怒りたまはず
薬師佛の小鼻ひらきしおん顔のおほどかにしていよよたふとし
釈迦佛の天蓋にゐます天人の笙[しょう]のひヾきは誰か聞きけむ
伽陵呵[かりょうびんが]来鳴かむときはいつのとき天人の笙もきこえこぬかも
びんづらに結ひし天人もおはしけりむかしの子供おもほゆるがに
これのみ堂にならびゐませるみ佛らもの云はさぬに涙ながれき
五重塔内の塑像を愛[いつく]しむ
涅槃(ニルワナ)につどひて泣きし阿羅漢の泣きゐる口は赤かりしかも
虫けものも来りて泣きし涅槃(ねはん)の場 像のなきがほなんとも云へず
釈尊の最後のみ教へ受くる人ともしき[羨しき]ろかもみ手にふれつヽ
いつしんに口を開きて泣くらかん らかん様の口は忘られなくに
夢殿
法隆寺の勧学院の塀中の柿は未だしあまたみのりつヽ
ひとりをばわれもさぶしと思ひしか女学生徒の遠足の列
夢殿のお寺の庭の奥ふかくまんじゆさげ植えしおぞ人[馬鹿者]やたれ
夢殿の六角堂や何もなしまはりきはめてしか思ひけり
ことさらに歌人[うたびと]さびし門前の芝に坐(ゐ)しかば汽車におくれけり
法隆寺駅へ
堅下の山のくぼみに日はありて大和の稲田にいまだ光あり
ゆうづきてさむき身にしむ次に来む汽車つくまでにまだ半時もある
一汽車をおくれし故に法隆寺の鐘をきヽけりまけおしみにあらじか
飛鳥時代
金堂──薬師如来(銅)、釈迦三尊(銅)、四天王(木)、観音(木)、天人及鳳凰(中ノ間及西ノ間天蓋)(木)、観音(玉虫厨子)(銅)、日光、月光(木)、観音、勢至(木)、
文珠普賢(木)、二臂如意輪像(銅)、誕生佛(銅)、四天王(木)、釈迦三尊(九昭侍欠)(銅)、小観音像数躯(銅)
夢殿──救世観音(木)
奈良時代 前期
金堂──橘夫人念持佛弥陀三尊(銅)
東院絵殿──夢違観音(銅)
奈良時代 本期 ※
五重塔──塔内塑像(塑)
夢殿──行信僧都(乾漆)
食堂──日光、月光(塑)、四天王(塑)
東院傳法堂──薬師三尊(乾漆)
西円堂──薬師如来(乾漆)、九面観音(木)、薬師三尊(乾漆)、弥陀三尊(銅版押出)、薬師如来(銅)
九月二十四日
此の秋はじめてのいヽ天気。朝起きて吸ふた空気の美しさ。十一時頃家を出て保田君とこへ。
このみちを泣きつヽわれの行きしことわが忘れなば誰か知るらむ [※初出]
枕辺に柘榴をわりておいてある弟はいま床を出でたり
柘榴ほじる指の白さよ歯の美(よ)さよ
秋篠寺
秋篠のお寺の門を入りたれば汗かわきしとわれは云ひたり
伎藝天たふとむ心おこりくる高處(たかど)におはす首かしげたまひ
五大力明王といふ 忿怒相たけなはにして眼(まなこ)よりたり
あきしのヽお寺の秘佛われは見きくらきみ厨子にゐましけらずや
おん秘佛は忿怒のすがたものぐらにひかるおん目をあふぎ見にけり
くちなはのまきつけるみ腕ほの見えたりくらからむとまた扉(と)をあけてくれたり
帝釈のおん唇(くち)あかくとほみかど南の島も思ほゆるかも
秘佛 大元帥明王
金堂 伎藝天、五大力明王、大日如来
秘佛堂 梵天、帝釈
功皇后陵より法華寺に
丘合のまがり道べをゆくころに日の沈みゆく山のはを見き
曼珠沙華ここにもあると柿畑の向ふにもあると云ひにけらずや
法華寺
金堂のくらきをのぞき何もなしときみがいひければわれはのぞかず
このみちや陵のまの曲がりみち葉みず花見ず赤かりにけり
海龍王寺
海龍王寺の築地のふるびにゐむかひて尿(しと)しにけるよひと来ぬなれば
海龍王の名をかなしみと来しみてらに何もなければひもじうなれり
不退寺
夕ぐれて稲葉の青さ身にぞ冴む不退寺の屋根は見えてゐるかも
不退寺の御堂修繕に庭せまく白萩咲くをかなしみにけり
平城宮址
奈良にて晩餐、公園を歩く。
九月二十六日、歌会アリ。友眞ニ酬[むく]ユ。
念々に女を念ひゐるなれば女のうたは作らざりけり
をとめ子の世にゐるゆえに山水を美(めぐ)したぬしと思ふにあらずや
九月二十七日、浪高とラグビー、五○−○、大勝。
西原直廉に会ふ
はなれゐてこひゐしともとあひあふは かたりつヽおもにのぼりくるえみもせんなし
九月二十九日 ゲーテを想ふ
伊太利亜への道は
暗くきりでしめつてゐた
闇の中に葡萄がみのつてゐたが
とるべくもないものだつた
時々閃光を発して馬車が
すれちがつて行つたとき
道の両側の岩角が
奇怪な相貌を示した
私はとぼとぼ歩み乍ら
あこがれのヴエニス、ローマ、ミランの
崩壊を夢みてゐた
九月三十日 早朝火事あり。長瀬帝キネ撮影所なり。全焼。
星空を見れば午前の二時頃ならしほのほのヽぼるたかさを見たり
おりおんもしりうすも昇りゐたりけりけむりたなびく空のかたへに
南に赤きほのほのなびく方へ暗き小路をひたかけにけり
前をゆくひとの走るに走りたりいきぐるしくなればその人も歩みぬ
赤き火の天に冲(のぼる)を見たるときわれが野性の血は湧きにけり
さわがしき村の一かたまりの 屋根の向ふゆのぼる火に走りたり
なみださへわきにけるかも大空に赤き煙の立ちのぼる見れば
あなやと思ふに黒煙窓より吹き出しぬこの棟にも早や火は廻りしか
何もなきと思ふ棟さへ室内は赤きほのほのひたくるふ[狂う]とふ
破壊のひヾき来るをしかと感じ赤き炎を見てゐたりけり
大空に高き煙をうちめぐり鳩の番[つがい]はおどろきとべり
鳥じもの夜目や利かむかこのほのほそらに明るくはえて止まざれば
火の勢もやヽおちつきぬと思ふとき消火ホースの水はあがれり
もゆるもの何もなくなりて火はゆるみぬ泣きつヽ女優(をんな)帰りけるかも
半焼の棟におしかける水の音消し止めばとて何かあらぬに
増田正元其他(九、三○)
僕の利己主義はつひにきはまり、それより、何等利益の分配を受けざる人間をば本能的に友として嫌はしく思ふまでになつた。
僕はこのことを此のガラスのやうに厚みのある秋の空の下に感じ何とも知れぬ涙をとヾめることが出来なかつた。そのうた。
一、病室
壁ニ這フ蔦ノ紅キヲ愛デヰツツソコハカトナキ時ヲ過シツ
散髪(カミヲキ)ルキミノ首筋ホソリシト退屈シツツ見テヰタリケリ
病人ノキミガ一心ニハナシカケルコトノツマラナサヲトモカクモコタヘキ
純情ト思ヒヰタリシワガ心今ハワカリキ何カ語ラム
玻璃窓ヲ開ケバ寒キ北ノ窓死ニシ森ヲバ思ヒ出シキ [※森博元(第一巻参照)]
玻璃窓ノ外ニ見エヰル秋ノ空ガラスノ如キニゴリモアレリ
海ヲバツク[BACK]ニ高等商船ガ見エル望遠鏡(メガネ)デハ塔ノ時計ノ針モ見エルトイフ
九月ノ終ノ海ニ小舟達ムレヰル見レバ生キハカナシモ
蔦ノ葉モ色ヅク壁ニ朝日サシ君ガネムリハサメントスルカ
死ニシ友ヲナツカシム心ハテシナシ生キヰル友トイサカフ[諍う]ワレハ
関心(カカハリ)ハココニアラザリヨシトイフ君ガ容態モ今ハ何ナル
カクノミニ冷ケテユキシワガ心ワレトカナシク涙出デ来ヌ
一人居ニナレシト君ガ云フコトヲソレモヨシトハワガキキニケリ
若妻ニ見舞ハレテヰルコノ患者性慾ノキザシ抑ヘガタカラン
菊ノ花、野菊ノ花、薄ノ花、虎杖ノ花
未ダ咲カヌ菊ノ花畑ウツムイテ菊ノ世話スル男ガアレリ
虎杖の咲ケル堤ニ向ヒヰテ小便(ウーリン)シケリ何カ悲シミ
薄穂ハ何ニユレテカサヤギヰヌ美(ヨ)キ少女(メトヘン)ヲワレハ隨(ツ)ケヰタリ
曲リノボル舗石道ノ段々ヲ下リテ来リシ紅ネクタイノ人
カヽルコト又瞬間(タマユラ)ノ享楽(タノシミ)ト知リハ知レドモヨカラザラメヤ
追ヒ越シテマタフリカヘルコトナカラムト思ヒシ少女ヲフリカヘリ見キ
花崗岩クダケテナリシ白砂ノ道ノヲミナハ美[ヨ]カラザラメヤ
Ich kann nicht mehr die ernste Dinge [※ 私はもう真面目なことはできない]
校友ノ葬リニ至ル女学生ヰ群レテユクハカナシクモアルカ
一首、西川英夫ニオクル(十月三日)
木犀の匂へる夜やこれの世の幸ある人らこひかたるらし
眠れぬ夜(十月四日早暁)
眠らうとの努力空しく
くらがりにもがいて居れば
頭の大きな死びと来りて
床の傍に坐りわらふ
その口はひるまくつたいちじくだ
腐肉の臭を嗅ぐまいと
いつしんに息をつめてるしんどさ、こわさ
眠れぬままに今中博物学会誌に「ユーゼニツクス[※ 優性学]の問題」なる小論文を書く。
「きばなのばらもんじん」鎌田氏に提出。
× ×
私は冷酷な収吏(みつぎとり)である
私は私の感性から凡てをしぼりとる
私は惨虐なる殺人狂である
私は私の情緒を斬刑に處する
私はいつまで生存(ながらへ)ることか (一○、四夜)※
西原直廉に(一○、四)
きみの住む町とおもひてもくせいのかをりの中をわれはゆきたり
もくせいの窓よりにほふ車にゐてこの國のきはまるところを見たり
みいりたる稲田の果の山のひだにひそまる雲もわれは見にけり
十月は木犀の花金に咲き海のあなたをなつかしむ月
十月のプールは寒くこれの友こころ一図に争ふを見き
(対関大戦 63−51)
× (一○、五)
高き山せまれる街にちヽのみのVATER[父]とあらそふゆめをわが見き
ちヽのみのVATERと争ひせむすべなきその瞬間にSPLASHしたり
授業料滞納の通知(しらせ)家に来りわがみそかごと露はれにけり
いつか告げむと思ひゐたりしみそかごとあらはれたれば気は先づ晴れき
Dimbalist Vaiolin Consert at Asahi-Kaikan on 6th Okt.[※ ページ上部に]
松浦、森サンに代りてよむ二首 [※ 愛々傘の絵有り]
演奏会はてヽ出で来る町角に月あかあかとのぼりたりけり
ビルデイング街(まち)に灯消えて月高し都会の寂しさせまりくるかも
× ×
十月六日、放課後生徒大会アリ。思フ存分暴レタリ。
おの身の傾向を全体に推しすヽめむとこれの人達争ふなりけり
つくづくと考へて見れば阿呆らしからむしかおもひつヽさわぎたりけり
いざともよさかしらなせそ二十とせのをのこさびしてさかしらなせそ
記念祭の寄付金の夛少を争ふからんしが[おのれの]本性は現はれにけり
をぞびと[馬鹿者]よ、何か事あれば必ずに嘴を出さずして止まざるともがら
十月七日
十六夜の月は南中してゐたり生駒の峰に火星は居たり
たヽかひの星は東にのぼりゐたりまあかき星と見てゐたりけり
十六夜の月の光のうつりゐる蓮池の蓮はにほひするかも
東にほのめく火星を見てゐたるいつときの間のこころわびしさよ
× ×
ゆるやかに目に見えぬ程に傾ける河内大野の傾斜を見たり
みんなみの金剛のみね葛城山ひけるすそのはきはまりて見ゆ
とほきよのすめろぎのかみのみことごとおもひてあればなつかしき野ら
秋の日はすヽきにさして牛のゆくつヽみのみちは白かりにけり
埴生[はにう]野の高き台地にけむりたち日はくれむとす河内國原
×
よるふかく月の踏切こえむときまぼろしにして人屍[かばね]を見たり
十月八日
古事記を讀む(日本古代史新研究 太田亮著)
白兎ことばを知りてわにざめとあげつらひせし古しへ[いにしえ]こひしも
稚子神眠りゐませる葦船の潮のまにまに流れるところ
二つ神浮橋に立ち雲の間よ潮鳴りの音ききますところ
なぎなみの めぐりますみ柱の尖[ほ]空にして雲走る見ゆ
× × ×
つゆじめり重きさ夜ふけ松原に癩病やみの女に会へり
曲馬團 (一○、一一、藤井寺 若林曲馬團)
まはり廻つて此の土地の
暗い淋しいまちはづれ
タンタンタララと太鼓を打つが ※
旗やのぼりを吹く風ばかりよ
私やみなし児ひろはれて
太鼓につれておどるのよ
ランランラララとおどりはすれど
目にはなみだがいつぱいあるのよ
少いお客もかへつたら
むしろのかげでねむるのよ
サンサンサララと夜風が吹けば
夢に太鼓がひヾいてくるのよ
秋季演習 (一○、一三、一四 於信太山)
ものかげに息をひそめて立てりしか敵陣深く斥候われは
やヽ一心にわれらひそまるかたはらに自轉車のひと立ちて見てゐたり
うみつかれたるにともはこひをばかたるなりかなしきこころなきにしもあらず
埴生野や台地となりて金剛の山のふもとの村も見えたり
柿もみぢいろづくころか鳰鳥[におどり]は峽の池にかづき[潜水]してゐたり
ものヽはなやうやく少しこのあした息白きわれを見出しにけり
あさのひのなヽめにさしてしヾまふかし演習やめて草に坐(ゐ)むとす
きりかよへるよぞらながめてゐしときはひとをもわをも許したりしか
ゆうぐれんとして峽田の畔(くろ)われらゆきふぢばかまのはな白しと見たり
青き星ながるを見たるたまゆらよ感傷心はわれにありけり
Deutschen Auslands Gastsfiele Darmst st Theater in asahikaikan um 7pm 16ten Okt [※ 海外客演 ページ上部に]
思ひ出 “ALT HEIDELBERG”
川のきりほのかにあましほつたりと城山の灯はつきにけらずや
しろじろと月はたけたり馬車の音かーる[カール]はけふもよふてかへれる
ほろほろとびーるにがけれかのよるのけてい[ケティ]のばらにとげありしごと
ころも手にきりはおもたしものかげにけていのこひになくね[音]きこゆる
川のおとたかまりしときいとしくてかーるはわれによりにしものを
仲秋愁歩(五、一○、二二)
高井田−意岐部村御厨−新家−玉川村菱江−西之郷村中野−本庄−箕輪−東之郷村吉原−川田−加納−住道村−四條村深野南−中垣内−寺川−野崎−辻−
四條−北條−甲可村川崎−中野−岡山−豊野村小路−寢屋川村堀溝−済堂−川北−住道村大箇−住道−灰塚−北江村鴻池−楠根村橋本−今津−稲田−高井田村 此行程約七里十町
「いまもこの種のうたに喜ぶ。ボクのあはれな本音だ(F)[※保田與重郎の書き込み]」
うれひつヽみちを来れば十月のもみづる山にちかづきにけり
常磐木にもみぢばしるき秋山にひかりかげりてさむくしなれり
みちなかに鴉下りゐてものは[食]めりちかづきゆけばとび立たなむか
遠方に畠打つひとを呼ぶをのこ[男子]いくたびもよびあきらめずけり
まなかひのおかののぼりにいへはあり百済[くだら]王家もたえにけるかも
かなしみはひとにつげむとならずまなふせてすヽきのみちをわれはゆきしか
けふのごと日のかげり夛きあるひとひ親子四人は山にあそびき
かなしみのすべてをおもひはてヽのちいとけなきひのたぬしびをもひき
はぜの樹のもみづる家やいくつならむうれひの去らむことはおもはず
土堤の上のすヽきのみちをゆくひとら肺病やみの女のはなし
たまきはるいのちもてあそぶこヽろまたおこる雲夛き日に野に出でて来し
はろばろと遠つ山脉はてしなし山かげにして山はありしか
遠つ連嶺(ね)につらなる空のすみ[澄み]のいろきはまりたればわれはなきたり
妹をおもひつヽ食むべんとうのかまぼこはまづくた[炊]かれたるかも
たれをかも恨むにあらむこのみちをいつよりわれはなきそめてこし
家さかり[離り]友をはなれて堤べのつりがねさうを愛しみてゐたり
このくにのきはまるところあむの山[※不詳]白き建物見えにけるかも
れうれうとらつぱならして兵ゆけりらつぱかなしとしりそめにしか
笙鼓ならし祭のむれのゆきしあとひとりのわれはゆきにけるかも
山のいろうすさむくしてはてしなし役の小角[※ えんのおづぬ・役の行者]にあひたてまつる
菊の花さかりのころの枚方[ひらかた]に鉛の勲章買つてもらひし
さきはひのめぐしきとものともし[羨し]かもひとりなきつヽきたにみちをとる
おんははとともにあそびしこともありしこれははややはりこのよのことか
野の中を汽車はかなしくすぎゆけりいづこのまちによをはつ[果つ]らむか
うれひきて小学生の隊にあひせむすべもなくかなしみにけり
おごりゐしエゴも折れたり十月の山のもみぢのかなしきがため ※
野に出でて の気配を知りしかばエゴいとほしむこころおそれり
このうらみたがゆえならずいつしかにおのれかなしみゐたりけらずや
このみちやむかしみかりのかた[御狩の方]のみちこれたかのみこ[惟喬親王]もうらみたまひき
十月二十六日 海軍観艦式
雨空の雲低ければ軍艦の探照燈に照らされて見ゆ
軍艦の探照燈の光芒(ほのあかり)われにかヽはりなきを思ひぬ
水兵のゐる風景
ネオンサイン明るき街に水兵らい群れて行くはたのしくもあるか ※
水兵の眼立つて夛き夜なりけり交(かたみ)に敬礼しあふを見たり
× × ×
わが歌は終に利玄の観眼のするどさ
茂吉の現実的哀感調
赤彦の彫心鏤骨の歌に及ばずして終らむ
憲吉の重厚、千樫の光に対する敏感、白秋の詩感もなし。歌を止めんか。
今迄の作品中自ら好むものを挙げれば
はりまぬをはるばる来れば播磨灘海のそぎへに白き雲立つ([昭和]四[年]、六[月])
向つ山の茂みに赤き花くさぎ花の中より雀とび来る (四、八)
下草の羊歯のぬれ葉のもつ光この杉山にみちそよぐ見ゆ (四、八)
飛行機のぷろぺらの音たえたりとわが見上るに宙返りゐる (四、九)
まつくらき檜林を歩むとき人殺さむとひそかに思へり (四、九)
手の尖端(さき)に冷さ感じ歩きゐて菊賣る人に会ひにけるかも(四、一○)
丹波山とほつならりてうら悲し森博元は今はあらずなり(四、十一)
ひるすぎて時雨止みたりわが友のむくろは遂にもえはてにけむ
夛羅の木は白くなれりけり杉山も霜洩るらむとみちを登るも
きまぐれのぬくさにのびし豆の芽はつヾきて来る霜にかれるとか(四、十二)
ゆふあかり冬木のうれに白々と雲かヽりゐてうごかざる見ゆ
ほのぼのと心うれひて大年のよ空ながめてゐたりけるかも
みはかせの剱の池の水へだて光れる生駒さむしとぞ思ふ (五、二)
自己嫌悪はげしきときにまちあるきわが身しばしばふりかへり見つ (五、二)
あまぎらふ光あふれて春畑にあねもねの花咲きにけるかも (五、三)
木の芽の匂ひ風にまじりて来る夜は虎杖もてる人とのりあはす (五、四)
北風はまともに来り日は雲に入るみちばたのゆうかりの木の肌の冷さ
こぬか雨池にふりそそぎ中島のさつきの花はぬれひかるかも
五月野に麥はうれむか野を遠く伏虎城の樹々見えにけるかも (五、五)
女学校のぽぷらの茂りいやふかみゆふべ雀ら鳴きこもるなり (五、六)
ひそやかに病院の坂のぼりゐる身に異状なきが気の毒のごと (五、七)
ゆうぐれはやもり硝子をはひ上りかはゆきかもよ腹うごかしゐる
霧社蕃 蜂起※ (五、一○、二九)[※台湾高砂族の抗日反乱事件]
朝のきりやうやく動くころとなり蕃人蜂起をききにけるかも
高山のはざまにこもり何すとかたけり出しけむ山のはざまに
山峽のきりはやぶれて蕃人のをらびこだますをちこち山に
小か[ささやか]に山峽にひらく運動会阿修羅場とならむと誰か知りけむ
君が代を教へてくれし先生ら父がころすをまさめに見たり
山かひに朝はじまれば蕃屋にけむりのぼるか昨日の如く
蕃人の血にあ[塗]へし槍あかあかと山の夕日にてりにけるかも
夜の間をたき明かしたるかヾり處[ど]の土の黒さを人は見にけり
肥え太りし郡守も首を刎ねられしここにころがるいのちのいくつ ※
蘭の花こずゑに咲きて散りゐたりいまはを人の息づきしかも
この藪とあのやぶに人死にたりとのち見むひとらいひ行くらむか
蕃人に討伐隊迫る (一○、三○)
討伐隊せまれるしらせ蕃童は酋領(かしら)のもとへもたらしにけり
あまかける飛行機にのり日本人草葺小屋を攻めに来るかも
この蕃社亡びる時の来しことをわが悲しむをかれらは知るか
山間の世界をせばみ蕃人らもの知らずしてはふり[屠り]盡さる
蕃界の滅亡(ほろび)の時節(とき)はいまか来る蕃童らの頬はぬれにけるかも
ひるの日は山辺に高し見張のこし蕃人どもはひるねせりけり
山峽に栗を食みつヽ生きしひとらはふりつくされ栗は枯れむか
ものヽ花岸辺にゆれて水迅し土人のかばねながれ行きしか
銃(つヽ)のおとこの山峽にみちみちてあかヾね色の日は昇りしか
死にもの狂ひの土人のたまに討伐隊の兵は倒れきこの山かひに
わが心の歌(マコーマツク[※ 歌手名])十一月一日 於松竹座
松浦悦郎 に捧ぐ
十一月(しもつき)の夜が來ればちるおちばそのはかなさに人は逝きつも
うす青き夜の一間に臨終(いやはて)の文かく女はやせてゐるかも
連丘(なみおか)のはたての空に月落ちて沼地に鳥は鳴きつどひけり
あヽアイルランドよ
わかき日は専心(ひとつごころ)に恋ひぬべし時期(とき)すぎぬればあきらめむとも
二十とせのわかきこころにするわざかひと妻ゆえに断念(あきら)むるとふ
うつろなる眼をあげてそらながむれど少年の夢またやかへらむ
一列に並びてありし鉛の兵隊こわれつくしていく年を経む
あヽ幼き日なでかなしみし犬の玩具兵隊のおもちやはいづく行きけむ
涙あふれてきみとわれ肩くみあひて
少年のゆめ語るとも 歌ふとも
青空のけむりのごとくはろばろと
とほきかも はるけきかもや
× × ×
少年の日はすぎてなげくこと
わが頬の円みは去り
むさきひげ頬に生ひたり
もはや可愛からず
女のひとに可哀がられず
あヽ して女をこふること──
× × ×
私が子供の時
友があつた 銀の兵隊と小犬と
小犬に私はいく度ほヽづりをしたことか
そして又鉛の兵隊はいく度分列し直したことか
私は大将となつて物言はぬ兵隊達を指揮した
すなほな者共だつた でも好きなのときらひなのとあつた
一番好きな兵隊の足が折れた時 私は泣いた
それはいつでも小隊長をさせてあつたのだ
小犬は可愛かつた 抑へると泣声が出るのだつた
あヽその眼がとれて泣いたときからいく年になつたことか
十一月三日 京都 西垣、森
笑ひゐるきみが姿[遺影]の何としたことぞわれらひたすらかなしみゐるに
世に在りし日のきみが笑へる像見れば君死にしこと信じ得んかも
×
町並のはづれに青き衣笠山京もはたてに近しとおもふ
比叡山のとがり峰は空に高くして葬式後のわれら見にけり
東山に月のぼるとき歌つくれとわれに言ひしは何の云ひぞも
他の街のにぎやかさの中歩みをり活動[映画]を見に入りたしと思ひき
東山の紅葉を見むとおもへるに友の急ぎに果たさヾりけり
十一月四日
世の不景気話したかへり銀行の取付さはぎに会ひにけるかも
十一月六日 夕方藤井寺に移る
暗きかげおほふと思ひし家の庭まこと今には別れかねつも
弟妹ら並びてわれを送りし様わが利己心を恥ぢしむるに足る
十一月七日 初めて藤井寺から通学
秋の田の穂の上にきらふ朝霞今まさめにしわれは見にけり
二上の山の半ばゆのぼる日の眩ゆき光二階より見つ ※
み陵の大き体積は夜の闇に定まり見えてわを怖れしむ
十一月八日 記念祭 夜、伊藤(兄)氏の宅にて牛鍋会。
記念祭の朝[あした]そぼふるぬか雨にはりぼての虎はぬれにけらしも
破壊(はえ)このまぬ心にかなし一年生 日のいく日を虎作りせし
記念祭の校庭につどふ少女らが丹頬(にほ)をかなしみわれはさぶしえ
十一月九日 又も雨。肥下の妹二人
雨はしとしとと菩提樹の蔭に降つてゐた
葉にさらさらと鳴つてゐた
私は夢を想つてゐた 振向きもしないで旅人が
道を行つた 遠くで笛の音がした
私の夢は──今語るを欲しない ともかく私は
[※ 以下2ページ破棄。]
LIEBEを (一一、一二)
川堤とほきところに立てる木をきみが村へのしるしときヽし
つゆじもは朝々にまし堤(どて)上のぽぷらの枯れむ時期は来りし
川の水光さむけく流れたり川のはたてに雪降るらむか
こころひとつにおさめかねつるわがおもひ空をながめてけふもくらせし
夏の如き乱雲立つ山辺空こひ知る身には耐へがたきかも
いつの日かともに歩まむとにもかくも君が眼見ずてわれはさぶしも
雜木林いろづく見ゆる電車に居りきみがこころを知るすべをほ[欲]る
秋山のもみぢのいろのあきらけくきみを見む日をわれは知らなく
×
恋人の父に会はむとこころ決めし友の頬骨あらはれしと思ふ
辱かしめられなば蹶起(たてよ)とすヽめ居りなみださしぐみわれのこころから
×
きみの住むところとおもへば青山のさやけき國のいやかなしかも
國原の中つところとある村にきみがゐまさむことのかなしも
× (一一、一三)
ゆうばえの光うつせる池中にうごかぬ水あり何かさびしも
このくにヽ霜枯れの時来りけりわが歌想(うたごころ)既に盡きたり
学校の下駄ばき足の冷さよ丸太の上の霜とける時刻(ころ)
山峽の京都の街は寒からし大学をきめねばならぬこころをもてり
夕づきて雜木林のもみぢのいろほのかに残りさむざむしもよ
雑木もみぢ赤き林は鳥もゐよ すすきの原に虫すだくごと ※
川のいろやヽにつめたみなげくことなにかあらうよおのれしらずも
この原の果(はたて)の山のうすさむいろ まだ見ぬとものこひしきかもよ
わがこひはいつか止まなむ朝じものさむきこのごろたえがたきかも
秋の田の刈り乾すなべに冬の来るおそれを感じこの日頃ゐる
はるかなる将来おもへばこの冬のたヾひとりなるさびしさをおもへ
おのがじしすヽまむみちのわかれどのつむじにたヽむ時はきむかふ
× 十一月十五日
高松に鴉こもりてなく晝は葡萄すがれし園を歩むも (教材園)
はぜもみぢしるしとおもひいてふもみぢ明かりしくになつかしみゐる
東[ひんがし]の野中村辺の陵に鳥は去(い)にたり日はかげりつヽ
くぬぎ林のかげをうつせる大池に午後(ひるすぎ)の雲過ぎにけるかも
まいるよりたのみをかくる藤井寺にお香の匂ひなつかしみけり
山腹の植木畑の山茶花に日かげぬくとし人こぬひるを
ほうと追へばつれて飛立つ水鳥の空に光りてさむざむしかも
稲を扱(こ)く時期(とき)を野に出で寂しかも学士になりて飯食へぬとふ
み陵の濠ばたの土堤のどんぐりを採り溜めにけり少年こひしも
どんぐりのみのるときくれば海べの弟の墓もこひしきろかも (追憶)
この墓地にわが家の墓のなきことをかなしみにつヽ友と遊びき
秋晴の墓地に友らと遊びゐきせんだんの実はみのりたりしか
せんだんに鳥きてとまる見上げつヽ空の青さをわれは見にしか
すヽき穂のすがれし墓地のうらどころ無縁佛の墓はありしか
海難に死にし人らの葬り所(ど)を忌みにけるかも布ちらばれる
葛木の山の肌[はだえ]もむらさきにふじゐでら村にゆふべ来にけり
花畑にユツカ花咲きさかりなりばらのすがれをわれは見にけり
冬まけて牡丹精力(ちから)を地に蔵む何ぞも芝の青々しかも
時ありて照らす秋陽のいやかなしきみが庭には稲乾すらむか
×
クラス会
会者 本位田、関口、丸、西川、山田、田村、松浦、田中、松田、友眞。
酔ひ痴れて道徳律のヽしれる友は法科に進まむとすも(DEN[※ 本位田昇])
世の中の律(さだめ)かなしく思ふひと遠くやりぬる寂しさを語る
思ふひと遠く去る日の近づけば白き奴隷をきみは買ひしか
一生不言とかたくちかひしひめごとを今ぞ語らむきみよりたまへ
ちヽのみのちヽはにくしはヽそばのはヽをあはれむしかにはあらじか
失ひしこひを忘れむすべはなしまじめなことも今はなし得む
×
わが娘きみの卒業を待ちがたし止めよとちヽはかたりしといふ (MATSU[※ 松浦悦郎])
彼女とわれの結合をにくむ母のあるかの母をわれはふかくうらまむ
われらふたりとよりそひしひとわすれずと語りしとももわすれ得むかも
×
阪急に来れといへば行きて見し女の顔は赤かりしかも (NISHIN[※ 西川英夫])
何もかも忘れてのめと愚痴深し酔ふて忘れむ性ならなくに
×
北のかた能登にのこせしをみなこひはたもあらぬか酔ひ泣けるとも (TOMO[※ 友真久衛])
感傷(かなしみ)のあまくすつぱいたのしみにいまこのともは浸りゐるらし
ひた心もりて恋ひ得むわれならずすべての女いまはこひをり
北海の波のひヾきや浜松のさわぎみだれしわがこころかも
北空は遠く晴れたりシベリヤの白き家々見えて来むかも
北空は低くくもりて北極星しづもれるかたに汽船(ふね)は行きけり
×
顔美(よ)からぬ少女をこがれしかはあれど顔美からめとなほも思ふとふ(GAN[※ 丸 三郎])
三時前わかれしをみな思へかものみゐる酒の身には染まざり
恋ごころ一年のものときみはいふ交合せまりてはねられ[フラれ]しとふ
東にかへらむことのうれしかも凡てとわかれかへらむことの
×
家も親類も破産せしとふしかあれどデイレツタンテイズムいかにかすべき (MATSUDAME[※ 松田明])
のめど酔はぬことをあやまりしきみがあし外に出づればもつともあやぶし
×
暁翆園[※ カフェの名]に照ちやんに会ひに行きたけれど金無かりければしぶしぶ帰りき(皆)
十一月十四日 浜口首相を東京駅頭に狙撃せしものあり
テロリストの悲しき宿命も思ひつヽ宰相の車に爆弾をうつ −湯原の歌−
生眞面目一方の宰相を撃ちし青年の芝居気を思ひたのしむわれは
宰相をうつもよからむ不景気はとてもかくても去るものならねど
蒼白の宰相の顔新聞に大きく出でたり生命の瞬間(たまゆら)
宰相をうつてふことを浪漫化し友のうたふを見ればかなしも ※※
何時の日かテロリストたらむと決心(さだ)めつつ彈丸打つすべも未だ習はぬかも
[※※に応えてページ上部に。]
「湯原冬美の弁
私の歌はR火六号(?)九月以前のものです。浪漫化は止むを得ませんと認めます。
嶺丘が「死の犠牲」かを読んだことを考へてもう一度考へてください。
濱口を撃つた奴は私は之をテロリストの範疇に入れぬこととしました。勝手に。」
十八日 万葉地図其一[※「R火」8号所載]かき了る
十一月十九日 小泉八雲全集を讀む
散歩 (北畠−長井−依羅−矢田−瓜破−三宅−松原)
新墾(にひはり)の道をゆきけり櫟原 切り通されし赤土のいろ
臨南寺の森の深みの幽けからむ紅葉(もみぢば)まじる常磐木のいろ
行きゆきて獨[ひとり]も何故(など)か嘆かなむきみをこふれば野に出でて来し
苗畠に鮮(あたら)しきかも花苗のみどりもえつヽ冬近きかも
再びは学校は息(サボ)らざらむ冬浅きここら畑に青葉抜かるる
浅香山浅き山の井見にゆかめど きみなきこころむなしからうよ
むかしの依羅の池の古堤にすヽきほヽける見つヽかなしも
住吉(すみのえ)に難波に行かむと奈良人のこころ急[せ]きけむ難波道やこれ
大依羅の神のみ杜[もり]に入るときむかしの人をこひにけるかも
北風はこれが堤にはげしけど對岸の木のゆれは見えざり
わがきみの瓜破村の道しるべぽぷら落葉は未だ盡きざる
万が一に君にあはむと来し村のむさくるしさをわれは見にけり
子供らしき心捨てかねつ北風のはげしき堤いく町を来し
埴丘の埴赤土をとり瓦焼き竃にやくを見ればかなしも
埴土を運ぶ車を牽く馬の苦しき恋をわれはするかも
(二十三日)
わがきみに会はぬ半月それゆえにきみがひとみもほとと忘れき
二上の山の傾斜のかや原に霜置きけむかあらはに見ゆる
大伯[おじ]の姫王(ひめみこ)恋ひしうつせみの兄背(いろせ)をこひて山登(ゆか)します
山腹の葡萄畑の葉は落ちて日だまりの土に鳥遊ぶらむ
南の空ゆく雲の感觸のそのやはらかき妹を思はめや
散文的なその日その日
文科を選ばんか法科にゆかんか
強く生きよう、しかし──
人形芝居
(文楽座、二十二日、忠臣蔵。肥下、保田、薄井、西原)
僕のひがみ心を許せ
弱いからよけい弱くなる
金が無いから浅間敷なる
泣かうとすれば笑へといふ
判官の切腹姿の凄じさ 人形と思はれず 屍の様は
起たなかつた話(高田一に話すつもりで)
耿太郎は事の始めの様子ははつきり知らぬ。何故なら彼はその発端となるべき思想善導の集会に出席してゐなかつたから。ただその日の朝、文二甲の小崎(この男が一番熱心だつた)が、
俣野理事と文三甲の間を往来してゐたことを知つてゐる。初めの二時間の授業がすむと、講堂で東大教授河合栄次 の講演があることになつてゐた。
耿太郎は物我慢の出来ぬ男だから早速御免蒙つてM[※ 森 良雄]と二人知人の家へ遊びに出かけ、午後の合同教練に間に合ふ様に帰つて来た。
所が未だ誰も講堂から出て来てゐない。ずゐ分永い講演だなと思つてゐる中、一時過ぎにMが事件を聞いて来た。
「昨日の午後五時限の終に文三甲“室 、文二甲“上武 “中道“壇辻 、理一丙“山田の五人が阿部野署に引張られた。これには学校と警察の連絡があるといふのだ」
そこで彼等は喜んで講堂の集会へ参加しに行つた。耿太郎はまた自分の物好寄[ヤジウマ]の血がいたづらをしてゐるなと思つた。入つて行つて見ると、
策動してゐるものは文二甲の連中、及び文三乙、文三甲の一部(福田、藤田)であり、アヂつてゐるのは主として理二乙の不眞面目な輩で、
それらの説明によるととても出目金[佐々木生徒課主事のあだ名]等がいけないのであるが、はつきりとは同感出来ない。その中、出目、朝生の二人が冗々しく釈明をしたので耿太郎も疳が立つて来た。
それがすむと勿体らしく提議だ。文二甲一同よりとして、
「一、吾々は今回の生徒課の言辞及態度にあきたらず欺瞞せしものと認む。
一、吾々は生徒主事佐々木喜市、伊藤朝生の両氏の辞職を要求す
一、学校側の陳謝を要求す。
一、警察に厳重なる抗議を申込むことを要求す。
一、今回の不当なる拘束に対し、警察の説明をなさしむることを要求す (保田の提案)」
以上五ケ條の採決となつた。耿太郎は保守党で、一ケ條の「欺瞞云々」に対し過度を感じ過失と認めたが、採決の結果、非常に少数で葬られた。この採決に於て、
後に反対したM、m、n、h[※ 本宮、丸、西川、本位田]等の悉くが反対表示をしなかつたことは覚えてゐて欲しい。この採決の結果、生徒大会は生徒課の欺瞞を認めたこととなつた。
その上は以下の四ケ條の通過することは明らかである。これに加ふるに、「吾々は此の要求が通るまでは授業を受けず」との條項が加はつた。耿太郎は此の大会で多くのものを見た。
例へば耿太郎の入る迄に或る人は、「先生、僕は授業が受けたいです」といつて泣いて生徒監に訴へ、「さうです、さうです」との賛成を得たとのことである。耿太郎の目撃したところでは、
「先生に対してさういふ要求をするのは果して意義があるでせうか」といつた一年生があるし、授業は断じて休まぬと頑張つた文一甲の連中、
「俺達は勉強したい。世界中を改良する勉強をしたい。こんな小い事を止めて(そして)授業を受けよう」と泣いた理科三年生もある。或は生徒課の説明中、
前の人間に隠れて野次つた理二乙生もある。此の最後の人達は学校を休むことに大賛成で提案した人達である。とにかくかヽる空気の中にあつて耿太郎等は退屈し乍ら冷静であり得た。
そして明朝、決議並に要求を校長に提出することになつて一先づ解散した。時に午後六時半であつた。この生徒大会をまじめにしなかつたことが、耿太郎等の後に非難された理由である故、
よく覚えてゐなければならぬ。
翌二十六日の朝八時に教室に集まり、講堂に入ろうとしたが案の如く閉鎖されてあつた。ゆえに予定の如く寮の食堂に集まり、ここで代表等の齎す学校の回答を待つた。此間、室、
上武、両君の演説あり、彼等の無嫌疑のため釈放されたこと、学校側のデマ等を聞き耿太郎の心も暫次生徒課の欺瞞を認め、漠然とした怒が湧いて来た。 しかし此間、竹内好(文三甲)、
小崎、其他のアヂ演説があつたにも拘らず、また、生徒課のデマがバレたにも拘らず、M、m、h、n等の顔色は依然として冷く、
耿太郎のやヽもすればもえ上がらうとする熱は直に消されるのだつた。その中に学校側の回答がきた。
(三日間の臨時休校が反省のためそれより先に発表されてゐた)。
「第一ケ條に於ては飽迄過失とし、(二)は生徒より要求すべきでない。(三)は朝生遺憾の意を表す。(四)抗議すべし。(五)に対しては“不当なる の文字を除くべし」
がそれであつた。場内には一時沈黙があつた。それは相当永かつた。この明らかな拒絶の態度に対しても、生徒等は直ちには盟休[※ 同盟休校]を叫ばなかつたのである。
然し暫時場内に咳が起り、やがて誰彼(それは常なるアヂテーターである)が起つて学校側の無理解を非難し出したが、盟休に入るとは云はなかつた。併し第六條に依れば、
要求の貫徹でないから授業を受けるわけにはゆかぬ。これ丈はわかるべき筈であつたが、耿太郎も気がつかなかつた。やがて校長の自決を迫るものが出、それは弥次的拍手に迎へられた。
かくして今夜は一晩寮に泊まることヽなり、十時から盟休の宣誓式があることヽなり、各学級は夫々別れて集團を保つことヽした。之が午後四時頃である。この間、寮歌、
野球部歌の合唱があつたが意気甚だ沈滞してゐた。[※ この続き第五巻にあり。]
[同盟休校] 破れたり(十一、二十八) 肥下を訪ふ(布忍[ぬのせ]より)
刑務所のあたりに落ちし陽のいろのまあかきことを忘れずあらむ
夕ぐれ もの音のせぬ刑務所の塀そばをゆきひとりゆきけり
大根の畑の道に日は落ちて菜つぱのいろの鮮あたら)しさを見たり
拷問の楚(しもと)の音は聞えざらむ刑務所の塀側をゆき遠くの號笛をきけり
子供のとき使つたクレヨンのいろそこここにあり初冬の田んぼ道は
大根は緑 はぜは赤 夕雲のいろ 池の水 子供の頃をかなしみてゆく
街道の古びた家に燈(あかり)つき夜は来らしもまだ歩かねばならず
×
(一二、一)
空想の中で私は大鷲になつて 西亜細亜のシリアへと飛んでゆく。
そこの空へと来ると下界は一面の砂原で陽が焼けつく様にあつい。
遠くの遠くの空(夛分地中海だらう)に眞白な雲が立つて静止してゐる。
この無雨の砂原の中に一の都市があつて
白い砂原に蔭を落としてゐる──クツキリと 静かとか虚ろとかの象徴の如く
私は暫くその市の上を飛ぶ。すると
私のかげもやはり砂の上に黒い線となつて映るのだ。
やがて私は囘教院の尖塔の端にとまる。
この時私の嘴は陽に輝いて純金の避雷針とも見えるだらう。
私はじつと止つてゐる。私は此の強い光に耐えられなくなつたのだ。
私が眼をつぶると日中の砂原を通つて市の門へと
やつて来た駱駝のいなヽきが聞こえる。私はそのまヽ眠つて了ふ。
やがて激しい温度の変化で眼をさました私は西の涯に沈んでゆく陽を見る。
囘教寺院の鐘が足許から起こる。此時私は限りもない郷愁にはヾたきするのである。
ローレンス・チベツト、悪漢の唄 (一二、三) At Ohashiza with Mr.Usui
高き雪かむれる山の峽
こーかしあの國 ここに美(よ)き人すめり
即ち我が母と妹
日に日に美しきれーす編めり
山賊雲雀[ひばり]われ 悪業の旅より帰れば
微笑迎へ 歓びの歌高きかな
我が妹 二十歳の若さにあれば
一日街に下りて踊る
美しき微笑(えみ)と輕き舞ぶり
こーかしあに比[たぐ]ひもあらじ
ここに一人の士官あり 高き位と
貴き身分もて辱しめぬ
公の面にして
あはれ こーかしあの處女
恥かしめられなば生きじ 妹
蒼白の面を俯せて家に帰れば
部落の女 悉く集ひて憤り悲しむ
高原に咲きし處女百合
一輪散りしゆふべ 我は帰りて
復仇の臍[ほぞ]を堅めぬ
われは自由の子 山の子 山賊雲雀
伐たでは止まじ 天にかけり地にふすとも
あはれ 伐たでは止まじ
× ×
君よ 行かずや 高加索[コーカシア]
雪頂ける山々に 朝日は
赤く輝きて谷間に煙のぼるなり
今諸々[もろもろ]の鳥啼きて部落(むら)に
朝の業はあり 見よ乙女らが
汲みまがふ清き水 底走る
石魚の光
君よ 行かずや 高加索
高みの牧に駒嘶(な)きて
今 中空に日は高し 日蔭に
雪は残れども 日向の土の温(ぬく)とさに
淡雪草は咲きにけり その美しさに
まがふべき乙女の子らの歌声は
峽にみてり
君よ 行かずや 高加索
谷間の部落に灯はつきて
暮れ方早き渓谷に 見上る
峰の夕明り 牧に駒呼ぶ角笛の
ひヾきはとほく さんたまりあ 鐘の声する
夕ぐれを いざ同輩(とも) 祈り
捧げん 高加索に幸あれと
× ×
落葉松の梢に鳥啼き
啼き止んでの後は山峽には静けさ
神を恐れぬ山賊も谷間に
遠く山彦の音を怪しむ
夜更けて焚火をかこむ精悍の面わ
峽に獸奔つて空の星しばしまたヽく
永き夜を暴風(あらし)も来ぬか 今中夜
北の方 谷のさけ目に霧のさやぎ
川の音 高まり低まり幾度のヽち
夜明け──落葉松の尖端から
息が白い 霜の痛さ 霧が移れば
遠嶺の頂に赤い陽が
鳥 鳥 三羽立つて 又静か
霜の上に獸の足跡 焚火跡の狼藉
あヽ又 移らぬ情(こころ)を尋ねて
幾里の旅を今日も又 山賊の胸
× × 湯原冬美に
阿羅世伊止宇 あらせいとう
南蛮寺に咲き出すと
南蛮船が参ります
阿羅世伊止宇 あらせいとう
紫いろに咲きますと
沖に白帆が浮かびます
あらせいとう あらせいとう
ながさき港のはとばから
けふも三隻発ちました
あらせいとう あらせいとう
じやがたら すまとら ぽるとがる
行けない國のなつかしや
増田正元 (一二、四)甲南病人ホームに能勢と見舞ふ
たまきはるいのちの終り近しとふ鼻高くなりし横顔を見たり
だだつぴろき病室の寢台(ベッド)寒しもよ窓より月光入るにあらずや
東に希望の星の輝けるこのごろの空を見ずかもあらむ
山茶花咲きつゆじも深きこのごろを細りし体耐ゆると思へや
やうやうに終に進むわが友のいまはを待ちてわれら耐へようか
病院を出て夕ぐれの道ゆくわれら丈夫なりし友を語りゐる
暗い道を歩き身にせまる死の蔭に慄ふ落葉した冬木
友ひとり死なむとするを待ちうけて けの永き日をいかで過さむ
全快の暁(とき)をかたれる友の顔に死相ふかければ涙湧きくる
別れを告げ握手して出でむときわれらよりも暖かかりし君が手はも
時走[しわす]の満月近しうす暗き病室にきみを残さねばならず
喉の痛みに食べられるもの数少し明治屋のゼリー語りけるかも
どうしても治らぬ君と残るわれら あきらめられるか
摩耶の山 天上寺にのぼるけーぶるの燈かなしみ神戸の街ゆく
まつくらきだらだら坂を下りゐつヽ港の汽船のあかり見にけり
× ×
神様があるなら癒してやつて下さい
彼はまだ何もしてゐません
いヽことも悪いことも 彼はまだ子供だつたのです
女のことを思ふかい と尋ねると いいやと
答へました 大学は農科へゆくと
云ひます これが命の存續が問題である人の
関心なのです
× ×
山茶花のかげに女の子が泣いてる
山茶花が咲けば霜が降る 目白が来る
山茶花の頃にきつと友を失ふ
山茶花 山茶花 何と寒い星空
× ×
※※※※[※ 編者削除]が発狂したさうである(一二、五)
むつヽりやの※※※※は気がちがひ急にけらけら笑ひ出せしとふ
あるひは笑ひあるひは泣きつヽ小言云ふとふ正気失せたる※※※※あはれ
寒きもの背筋を這ふ この日われ友の物狂ひをきヽにけるかも
河内國原 (一二、八)
鳥散りて枯野に光る銃の音
冬川に煙草吸ひ捨て寒さ哉
午すぎの物のどよみのやヽしばししづまりあれや煙草くゆらす
物の音をちこちに起り傳ひくるこのひるの野にひとり坐れる
街道をどよめかしゆく乗合に處女(をとめ)ものれりぼろ[ボロ]のりあひに
冬畑の大根畑に日はおちて大根(だいこ)さむざむ引抜かるかも
大根の青葉の野良の地平線道とほるらし車行く見ゆ
我 日々に紫水晶の山嶽を思ふ
六稜の山角 陽を受けて
紫摩黄金の光なす
保さん曰く、お前が死んだらすぐに歌なんか焼いて了ふ
僕、 相聞の歌 ははに見せぬ 死ぬまでは
毒瓦斯ホスゲンは山査子の匂がするとふ
山査子の盛ぬくとし首くヽり
首くヽり日向の枝をよけにけり
昨日読んだ本、芥川龍之介全集 五、六
保田のオリヂナリテイを疑ふ。「古き國原」の歌の如き一寸呆然とさされた。※※※
及びバルザツク「知られざる傑作」其他五篇。
※※※に対する保田與重郎の書き込み
「保田の弁明一つ
云ふ迄もなく「古き國原」はアララギのまね、勿論当時ボクはアララギに加わつてゐたからね。
芥川だつてうまいのは大てい茂吉や白秋のまねですよ。ボクが「川田順をかき換えてやれ」と
いつたのがわからんかなあ。コクトオがそんなことを云つたのだが。この頃の「うた」の二つ三つ
は自分のものの様な気がすんのだが(ノートの終りに少しかいたから見てくれ)」
柘榴屋敷
ざくろうをつまだちてとる手の白さ
野中寺の鐘を聞く
くるりくるり日傘まはして菜の花の畑道ゆきしお染死にけり
心中のかのこの帯のなまめかしと隣人かへりて言ひにけるかも
あがれ (おとめたお)
野崎舟上陸(あがれ)ば高き菜の花の香りかなしみ處女[おとめ]手[た]折りき
久松の在所田舎び晝深く桃の花挿しわらべゆきけり
×(一二、一○)
大根干す松の枝に百舌鳥は来ぬ
廃園『R火』戯頌(一○)
夫[そ]れおもむろに観ずれば人おのおのに調あり
湯原の感傷、三崎の艶、猛吉の清楚、鋭二の敏、厚見の慷慨、北能の可憐、佐波の官能※※
いろとりどりに好ましく、例へば、廃れし長崎の、南蛮寺の園生なる、花の色香にさも似たり。
茉莉、石竹、百合、含羞草(みもざ)、紅天竺牡丹(ダリア)、怱忘草は云はずもあれ、
昔の花のあらせいとう、あらせいとう。
称へていへば限りなし。なほおのおのに欠点(おちめ)あり。例へば湯原が茉莉の花、ひるのさかりは凋み果て、たヾゆうかげに咲くものを。昔の花のあらせいとう、
今は聖教(をしへ)もともどもに、知るひともなきその匂ひ。
「ゆうぐれだね(冬美)」※保田與重郎の書き込み
※※いずれも大高短歌同人誌「R火 かぎろひ」のペンネーム。
湯原冬美・・・・・・・・・・・・・・・・(保田與重郎)
三崎皎(滉)・・・・・・・・・・・・(杉浦正一郎)
大東猛吉・・・・・・・・・・・・・・・・(松下武雄)
鋭二(詠二、沖崎猷之介)・・(中島栄次郎)
厚味荘吉・・・・・・・・・・・・・・・・(西川英夫)
北能梨人・・・・・・・・・・・・・・・・(友眞久衞)
佐波曼沙矢 ・・・・・・・・・・・・ (杉野裕次郎)
他に 津田清(服部正己)、山内しげる(中田英一)等が常連。
盟休、犠牲者を出さぬ由、校長声明す(一二、一二)
寒々と山にむかへる大路ゆく朝、舗石のあひまに草は素枯れたりけり
めのまへの電線の空からまつすぐにおちる鳥あり枯草原に
午過ぎやひつそりと鶏(とり)しめられる
眼を病んでまひるまばゆき牡丹哉
氷とけて大根の葉流る小川かな
藤井寺界隈(一二、一二)
みさヽぎに近き淋しき小山かげ帰化外人は住みわたるなり
山かげに外人の家見に来れば牡丹の園にわらがこひせり
白鶏園に遊びて冬近き外人は國を懐ふにかあらむ
壷坂へとの道しるべあり雲深き山おくの寺思ほゆるかも
な泣きそときみはいへどもおほろかのかなしみにたへ涙あふるる
冬さりてたんぽヽ花咲く山原に小鳥下り立ち妻どふらしも
小鳥の秋
松にはつぐみ 群落(むら)には雀の群
壕には游ぐよ鴨が──
渡り鳥 渡り鳥 あヽあの田んぼ
山蔭の澤に細い一本足の鷺
冬は秋の次に 小鳥の来る頃から
始まります もう始業の鐘です
百舌鳥は食物の蛙が冬眠したらどうするのでせう?
雀はこぼれ籾のつきた後を?
小鳥 小鳥──
鳶が今日もお寺の松にいヽこゑで
鳴いてます 空の晴れた日です
枯れた柳にかはせみが来てます
長い尾と可愛い声の
お葬式二つ(一二、一三)
塚本大六(大さん)八日 於廣島旅舎 チブス
婚約の二日前 万喜子さん悲哭
かりそめの世の中かなしつまどひを前にひかへてきみ死にたまふ
象蛇の来哭(きな)かむことは求めざりをとめなげかふ凡人の死は
きみゐます國へおくれてわれもゆかめとをとめ泣きつヽいのりけるとふ
何すればわが兄(せ)死なせしと宿主を責めにけりとふをとめかなしも
城村眞助先生 十二日 於象天坂自宅・西原、金澤
口あらくわれが未来(さだめ)を予言せし師は逝きましぬわれが二十歳に
冬風のさむさを歎じひたすらに咳きしつヽ叱りたまひき
× ぼくの死 (十五日)
にれの木の高にれの木のむら木立死にて坐ますは誰か佛かも
ゆうぎりのわだつみおそふころなれば海去(ゆ)く兄(せ)をばとめむものかな
×
ヒーターの焼けて銅(はがね)の匂ひする朝の電車のうれしもよわれは
西川、京法[※ 京大法学部]に決意す(十四日)
さびしがり西川英夫が皆とはなれ京都にゆくとふさびしからうよ
苦痛月 Der Peinsmond
憂愁を欲するものは此の門をくヾれ(二十日)
恥辱と屈従を見むとするものは此の門をくヾれ
死に近き生を見るを欲するものは此の門をくヾれ
微笑もてくヾれ 泣きつヽ出で来るべし
この門の中に悪の華咲けり 偽善の花咲けり
饐えた喜びを欲するものはこの中に入るべし
罪を犯さんとする者入るべし 罪をあがなはんとするものも入れ
焦慮をもてるもの入るべし
この園中に悪の華咲けり 冷笑の華咲けり
悪罵を欲するものは来れ
哀悼の児は来れ 服喪の女は来れ
慷慨を好むものは来れ 欺瞞を喜ぶものは来れ
この亭中に悪の華咲けり 死腐爛花咲けり
──Yに──
時走月をはりに近くあはき愁しみ空静かなるこのひるにして
首青き鴨の羽色の夕光り光り消えつヽ眠りに入るか
ひかり
鴨の の光澤かヾやき向岸遊べる様をたのしといはむ
ひるすぎの葛木山に迫る雲地物(つちを)なびかし風過ぎにけり
小春日のぬくみ背中にあつまれり少年の恋讀みにけるかも
薄生のすヽきかこめる池中にまひるひそかに鳥来りけり
花皆のすがれかなしも園にひとつユツカ花咲き虻来る見れば
草原にまろべるわれにうるさしと小き羽虫をころしけるかも
暖き野をなつかしみ少女らが出で遊ぶ見ればわがこひ思ほゆ
こひ人にまたあはざらむ知らさヾらむ恋の果かたる書よみにけり
雲ひくヽ地を包めるまひるなりまゆみ実れりその赤き実を (植物園)
植物園のかきのどんぐりかなしかも埃まみれのどんぐりなるかも
赤々と猩々木の鉢植ゑの温室にある外より見つヽ
シクラメンの咲くころとなりうらがなし知り合ひの人誰か病みゐき
どんよりと空うごかざる街にゐてもの乞ひのこころわれは思へり
またたちかへる水無月のなげきを誰に語るべき
沙羅のみずえに花さけばかなしき人の目ぞ見ゆる
新浪漫派を樹立すべし
一度おれの憎んだ君が
今度は俺を憎む
ありさうな事だ
さうなければならぬことだ
時走の幻想(一二、二二及ビ二五)
PROLOG
エルネストシモンましろく消えし辺に(鯨汐ふく)この洋は
モロツコに行きたきあまりアンリーは親の金盗りにげにけらずや
アンリーは船着場にてとらへらる 親不孝めと母泣きにけり
アンリーの家に帰りて五六日 心おちつかずものも食はずゐる
室にこもりアンリーのさま静すぐ[静かすぎる]母はぬすみ見気は絶えにけり
もろつこの風吹く窓に向かひつつアンリーくびれいきはてヽゐる
アンリーの汚れし襟(からー)に食ひ入りし縄に南風(みなみ)は
ふれにけるかも
アンリーの死顔青し小庭なるアフリカの木は茂りたりけり
アンリーよ生きの中にこそモロツコの風香はしと云はましをわれは
アンリーは諾(うべ)なはざらむ 生きのまの快きこと即ちつねによしとて
アンリーの墓に咲く花まつ赤なるモロツコの花時じくの花
アンリーが死んでいく年ふらんすの少年の眼は今も南に
半人半馬(ケンタウルス)かたむくよふけアンリーの墓處に立てり友どちわれら
南の楽園(パラデイソ)にゆく時たちぬ君が墓辺に花もちかへらむ
EPILOG
エルネストシモンま白く南に消え果てむとき君は泣くらむ
偶想
時走の忙しい最中にもこんな閑なことを考へるから
お金を失くするのだよ
きみならで誰にか見せむわがこころの花
かりそめの他(あだ)つ女に手折られしこころう[憂]や
手折られて手折られてたヾに道辺にすてられにけり
× ×
僕は即興詩人になれる、と思ふ
ツネヲ[※ 肥下恒夫]曰く 困ったら命にかけて助けてやる
× ×
ツネヲの為にバラーデンを訳すべい。
× ×
電気時計の針の動きの見ゆる如 月は落ちゆく時走の空に
マント吹く風の寒さよ冬風にネオンサインは青すぎないか
ネオンサインあまり冷しもゆる火はほのほをもちてまた消ゆるものを
あの月の眉持つをみなこひしたひ死なばよからむかなしけれども
雨後の林に生ふる茸のごと低き町並みにビルデングそびゆ
この窓から向ふの窓へ手帛ふり手帛ふりつヽあそびたいな
暗色の空をバツクにビルデング白きを見ればおの泣かれくる
歌人はなぜ悲しかなしと云ふならむ
(たのしたのしとまた云ふてるよ)
かなしさに凡そならよろこびこもる
× × ×
よるひるをたえまもなしにまはるともヴエンチレーターにみヽかたむけぬ
傷ついたろばは傷ついたうまに勝る
× × ×
旗立てる門並さむし雪のこる葛木山に陽はうすづきぬ (大正天皇五年祭)
× × ×
廃園のふきあげに水は出でざりけり おもかげびとの影うつしけり
(ヴエルレーヌをおもひて)
巴里市役所の戸籍係が大詩人のヴエルレーヌなりしかなしといはむ
職業をはなれしのちのヴエルレーヌいよヽかなしくなりにけるかも
普佛戰爭に鉄砲かつぎてヴエルレーヌその重たさに耐へざりしとふ
× × ×
年暮れむ 雲ひとひらの 空のはて (夜光雲第四巻了に)
来年も花咲かさうぞ れんげさう
れんげさう水にこぼれて咲けるかや
謹みてツネヲ・冬美に献ず
※〈保田、田中と一緒に野中寺の弥勒菩薩を見た。〉肥下恒夫コギトメモ:『敗戦日本と浪曼派の態度』澤村修治著2015 140pより
※ 以下、巻末に保田與重郎による書き込み。
「お礼と云ひわけをかねて(湯原冬美)── 嶺丘にものをいふ
※(良心の問題になるからなあ)[※ さらに後から書き足した部分。]
わたる日の光寂しもおしなべて紅葉衰ふ古國原(ふるくにはら)に(赤彦)
わたる日の影淡くしておとろへり牛列びゆく古き國原(生[小生])
山のひざかげおほろかにきりふかしもみじおとろふ太古のよそひ(生)
前樓日登眺流歳暗蹉 坐厨准南守秋山紅樹多(韋蘚州[※ 中唐の詩人])
昭和四年九月
こんだけ並べるとわかるのだが、ボクはちやんと赤彦と芥川全集を並べて真似たので、これは意識的にしたわけである。
その頃ボクはアララギの会員であり七つ八つ歌を出して三つ位のせてもらつてゐたのである。
だからオリヂナリテーをいはれたら止むを得ない。それから僕は芥川の真似はさかんにした。之は君にも西川[※ 西川英夫]にも何べんもいつた筈だ。だが、
茂吉や白秋や勇なんか皆芥川によつて洗練されたとその頃思つたからだ。だから僕はどつかのノートへ芥川が彼のまねの対象をいちいち書いておいたのだが、それを今捜すとない。
芭蕉だつて芥川によつて大いに理解されたと思ふ、だから僕の芭蕉論[※ 論文「芭蕉雑爼」]だつて、僕らの立場から芭蕉の型を拡げた位だつた。「衆道」にしても。
(たヾ芥川の知らないことを僕は一つだけ他の本から見つけたのだから、この篇は「雑爼」の中へ加えただけだが)、
佐々木喜市さん[※ 生徒課主事]が中田に「保田の校友會雜誌の論文や思想の論文は一つの見方だ、だが今ではあんな見方がゆるされてないから、せぬ方がいい」といつたそうだが、
この論文とは芭蕉のことだらうかと考へてゐる。
君が夜光雲第三を終るときの気持ちをボクもR火の七号位からもつている(挽歌だけは別)。それでボクは校友会誌十一号[に]短歌をのせて、
R火十号に「短歌はどこへゆく?」といふエツセイを書いた。例の校友会誌にのせるといつた「広告」はやつぱりそこから出ている。これは原稿で見せる。
校友会の方は前川の模倣だといはれる奴が少しあるかもしれないが、それはボクがわざと考へてしたのだといつておく。(このことも「R火」のエツセイにかいておいた。)
津田清はボクの「R火」九号の「怖ろしき理知」のことを少し云つてくれたのだが、それは友情からの割引がいふとして、その中の三四には今でも愛情をもつてゐる。
感覚とか象徴とか、写生とか、歌謡とか、童心とか、そんなものをすべて否定しゆく気だ。この考へに元気を与へてくれるのは肥下恒夫である。
それから校友会誌十一号がもし出たら僕の「詩」をよんでくれ。これも本当は詩の形をかりた芸術論なんだが──もうボクも人のまねをよそうと考へてゐる。
ところで僕の芸術論はまねがなくては新しい傑作が生れないのだ。この意味で僕はまねをする。このことをコクトオは「傑作への抗議」といつた。
ヘエゲリアンやマルキストは「弁証法」といふだらう。たとへば君の川田のまねだね。アララギのまねをした利玄だ。ボクのオリヂナリテイを本当に観[ママ]して、
こんなものをいふのだが、僕も皆が皆模倣ではないのだがなア。しかしおかげで少し感動したし考へをまとめられた。勿論此は昨年の十月頃から丁度考へていたんだが。
──こんなことを書いてもぼくをあはれがることはよしてくれ。これでいい。だがボクも芥川の他にそう種本をもつていないよ。
勿論之から古い「歌らしいもの」なぞを作る位堕落してはゆくまい。ボクは君の歌は尊敬している。
だからボクは君が東京へいつて詩歌をやることを極力進める。うそだと思ふなら肥下にでもきけ。肥下もきつと進めようと思ふ。
肥下がボクに小説を書けといふ様に、君にもきつといふにちがいないと思ふ。
これで少しホツトした。君がボクを淋しがらせまいとシて改めていふことは不要だ。ボクの芸術論では文学のグループではドヤシつける方が好ましい礼儀だ。しかし、
赤彦のこれらの歌は代表作だから誰でも(特に君なぞ)知つていただらうと思つたのだがなあ。
だが赤彦のことだが、君ならこんなのをどう考へる(「高つき」の如きは自他共に許した代表作である)。
石走る垂水の上の早蕨のもえいづる春となりにけるかも(万葉集)
高つきの木づえにありて頬白のさえづる春となりにけるかも(赤彦)
八雲たつ出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ(万葉集)
打日さす都少女の黒髪は隅田川べの上になづさふ(赤彦)
(附記)出雲は辰見利文のいふところによると、桜井から初雲へゆく途中にある(現存す)部落ならんと。(君の万葉地図のために附記す)
だがもう僕の模倣時代は終つてゐる、と考へる。之から本當の「模倣」を初[ママ]める。おヽきに、ありがと。」
(第4巻終り)