「夜光雲」第三巻

第三巻

昭和5年6月22日 〜 昭和5年8月8日

21cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(42ページ)


p2

僕はこれをこの後僕の友となるべき人に捧げよう

序詞(プロローグ)
混沌(かおす)から飛出した一の塊、それが地球の生みの親、太陽と、
偶然になつたと考へるのは神への冒涜だ。
君はとにかくプロレタリアフオルマリズム[教条的マルクス主義]に立つといふ。
そんならぼくも態度を明かにせねばなるまい。
ぼくは僕自身を心の底までプチブルだと思つてる。モナド[単子]から成立つてるのだから仕方がない。
でと、お気の毒だが、
今年の夏は米國にでも行つて金髪のお嬢さんと遊んでこよう。
よせ、それは感情の浪費だ。言葉の浪費もつヽしめ。
さて、マルシヨン[すすめ]!同胞よ。僕は足を怪我した四頭馬車の馬だ。
すまないが他の三人で車をひいていつてくれたまへ。
すぐに帰つて來るだらうな。ここで待つてるよ。
君がかへらないと云つたつて僕は待つてる。まぐさもここにあるのだぜ。
混沌からはいつになつたら光がさすことだらう。
裏の納屋の鶏はいつまでたつても金の卵を生みやしない。
しかし向ひの娘さんはだんだんお姫様のやうに上品になる。
よせ、どこまでしみ行つた(ママ)子供の玩具。
さて一九三○年の半ばはすぎた。まだ君はこの年を誇るのか。
 (主に湯原冬美に) 一九三○、六、二三 夜
             ──みねおか こうたらう──

梅雨晴 (五、六、二二)
梅雨晴のひるの大地にさす光あまりに強し夏は來むかふ
大地一面から水気はのぼり大空の高どにこもりてむしあつきかも
おほ空は青く晴れたれど水蒸気高空にして流るヽが見ゆ
つゆの雨止みたるひるは紫陽花もすでにうつれりと眺めて通る
家を出て急に身にさす陽のあつさどこかの家に乳児(ちご)啼きやまず
  × (五、六、二○)
かへりみちの乗合自動車(バス)の窓より見る空に雲ひろがりて夕べは来る
つゆの時今ぞ来むかふ合歓の木のこずゑうす紅くけさ咲きにけり
ゆふぐれを学校の歸りおそくなれり道辺のねむはすでにねむれる

螢 (五、六、二四)
PSYCHE[魂]よ、ぷしけえ、ゆふぐれ、ふらふらと、
鉄橋の下をうろついてさ、
お前の昔の持主は誰なのだい。
あの酔拂つて轢かれた爺さんだらうか。
それとも下の水に落ちて溺れ死んだ友達だらうか。
ふわり ふわりと燃え上るお前は或時には生の意義を、
失つた老人のものとも見えるし、
また廻り來る未来をひめて青白い情熱を頬に、
漲らしてゐた若人のとも思はれる。
水面近くまで下るかと見れば、
鉄橋の上まで飛び上がつて来る。
僕は何か、草をでも持つてればよかつた。※
おまへをそれにとまらして明滅する光に、
おまへの素姓を讀まうものを。

雨の夜、増田正元に (五、六、二六)
屍をふみこえ、ふみこえ、ぼくらは進むのだ。
 ──それは誰のこと? あヽ、この雨の夜に
今日も紫陽花の花は萎れを増す。
 あすはもう散つて了ふかもしれない。
眞青な花の中から
 君の眼が僕を凝視める──
あヽ、生命の躍るとき夏が來るのだよ。
 大空の下、はちきれさうな体を見よ──そして、
君は静かに床にゐねばならないのだね。
 でもやはり空を見る。
僕に耐へよといふのかこの苛責を。
 おヽ、ゴツデム。僕はあじさゐの花になりたい。
ともかく君の体にはよくない陰雨が、
 しとしとと大地にふりそヽいでる。とても明日の日の青空は、望めやしない。嗚呼。

病気になつた増田のことを考へれば、胸がキユーツと痛む。とてもひどい責任感だ。
しほしほと神戸へ帰つた後姿を可愛想に思つた。かれの純情の日も遂にすぎるのか
と思つた。神戸の港。船。摩耶山。そして彼を深く深く愛してゐたことを思つた。

27th june 1930
Yuugure Kaiwo-sei(☆) Umi yori haiagari
Toukuno Shima ni Tori wataru
Koibito no Me Yuuyake-zora ni kagayaku to omoe
Sate Akaki sono Kuchi wa
Nishiyama ni iru Hi ka[入る陽か]
Oh pottsurito Hi ga tsuita
Yoshi naki Omoi wa, Negura e kaeru Tori no gotoku,Sareyo!
shimijimi to raihai[礼拝] seyo
Kemuri tatsu Atari ni Tera no Kane Kieuseru!
          ──K,Mineoka──

青き夕暮 (五、六、二九)
夕さりはグラヂオラス畑に光りをり青きが中の花のさみしさ
女学校のポプラの茂りいや深みゆふべ雀ら鳴きこもるなり
いり日赤くうつる早稲田(わさだ)に蛙なきしみみに鳴けば友のこひしも
さみしらに夕日雲の端にせまるなり刻々にせまるその雲の端(は)に
海州常山(くさぎ)の花既に散りたりふるさとの子らのよろこぶ青実結ばな
  選手制度の少年らしい感激に浸り耽り得る、不幸かつ幸福なる人間はぼくでしまひになるだらう。
  反省のないものと思はれることのいやさと、どういふものかをはつきりしつてゐるうれしさが。
増田正元よ。物事を考へる勿れ。(小林正三の言ばをおもひ)

驟雨と街 (五、六、二八)
腐れ饐えた街に眞黒な雲がおそひかヽり
次の瞬間にはポツリポツリと大粒の雨がやつて来た
人々の足は早まり店頭の品物は取り片付けられた
それから次に本物がやつて来た
舗道に叩きつける瀧のやうな水の落下
白いしぶきが道から立上つて
風にあふられてなびく
混乱の刻はもうすぎてゐた。人家の軒下に避難した人達は
つぶやきさへなくそれを眺めてゐる
まこと街は一度人間の手から離れたのだ
街にはゆきかふ人もなく──あヽ、この瞬間道を歩ける人は
英雄だ──おそらく
ひつそりしたさびしさ、さういふものを久し振りに
ぼくは街で見付け出した
楽天地の螺旋閣に電燈がついて
のぼつてゐる人が一人もないのをふとかなしくおもつた
何處かで人が殺されてゐるといふやうな気がした

紫陽花 (五、六、三○)
一日の学(まなび)の業に身は疲れ帰り來る道のあぢさゐの花
親しき友の体の破壊(こはれ)しみじみときづかひゐるも萎れあぢさゐ
ヂキタリス咲き上り上りいやはての花とはなりぬ梅雨すぎむとす
   ヂキタリス=狐の手袋(フォックスグラブ)、サイラス、マアナアに出る。

須磨浦療病院 (五、七、四) 増田正元に
ひそやかに病院の坂のぼりゐる身に異状なきが気の毒のごと
日ざかりの坂の暑さよ病室に患者達(ら)ひるをこもりたらむか
じりじりと花園に焼きつける陽の光患者らひるをシーツほすなり
思ひしより元気なるこそうれしけれ仰向けにねたる顔の小ささ
患者等は時間を限り飯を食ひ人と話し散歩するとふ
日の照る時を動くことさへかなはぬ人らの幾百が集まつてる所だここは
自らを生存競争の敗者とは誰も思はぬ思へば癒るはずがない
海岸へ泳ぎに出掛けた患者らが帰つて来た僕よりもいヽからだ
看護婦のとつて来てくれたといふ花瓶の花を見ながら早くなほりたまへ
何よりも悲観的でないことが一番嬉しい君の全快はそこに約束されてる
沈黙安静の時間をぼくが来たヽめにきみはおしやべりしてしまつた退屈なのだ
後に何か残らねばよいと思ひ乍ら話し込んだぼくも余程不注意だつた
又血啖がでたと話した顔に恨みがないゆえわびの言葉もぼくは知らない
  ×君に話さうと思つた鉢伏山の景色
敦盛そばやで買つたパンを弁当代わりに食べてゐるその金の出所は誰もしるまい
もう決して本なんか賣るまいと日本橋の古本屋のおやぢの顔を思ひ出してる
敦盛の塚の大きさ御曹子なれば敗けて死んでも結構なことだ
めつきりと体弱れりと思ひたりもう下山(おり)ようと考へては又のぼる
あの頂までのぼらねばすまない心がある頂の向ふの空が見たいのだ
一人山にのぼる心細さ下山ようと考へ乍らのぼる 止まぬ気ゆえに
きみのゐる病室の窓が見えてゐる帽子はふるまいとても見えぬだらうから
山裾を汽車つらなりてすぎゆけり窓より我を見出る人あらめや
山の中腹を鳶まふなりなヽめになれば陽光をうけて金色のつばさ
とんび、とんびもう一羽松の間からまひ上る 口笛の様にかすかななきごゑ
これできみと永のわかれになるやうにおもはれて山にのぼるのがさみしかつた
ひとのゐぬ山の頂さびしけばきみをおもひて帽ふりにけり
鉢伏の山の頂よ君のゐる窓に向ひて帽ふりにけり
やまもヽの林にもれる陽の光 零(こぼ)れやまもヽひろふなりけり
暑き日に眩暈感じてこの路のまひる一人をさびしとおもふ
鳶のまふ空とほけれどひいひよろとなくこゑかすかにきこゆるさみしさ
港から汽船が一隻出てきた 他の船は静かに浮いてゐる
山下を通ふ汽船の立つけむりながながつらなり海の面にきゆる
瀬戸をへだてヽ淡路島見ゆ母の國淡路島見ゆ船通ひゆけ
とほ空は重くくもりて内海の島戸(ど)かすかに見ゆるともなき淡さ
鉢伏の山の頂の楊梅(やまもも)の実のなるときにわれは來りし
生れてから二度めにくふこれの実はまこと食ひえむかともかくも喫(く)ふも
草原をとかげあはてヽさけかくる日ざかりあつししみじみとあつし
青き丘つらなり長く眼下に低し傾斜ゆるきは播磨國原
心におもひ登りきたりし北國の丹波茂木にかくれて見えず
ここからも見える病室かの室に幸ひあれと海に見入るも
高處ゆは見ゆる水脈海をゆくかの船等には知られざるらむ
海の果に汽船も通へ心ふかき悔いの心はやるすべなし
  ×君にはぼくの母のことも話してみたい
おんははは天にわたらふ日の如くたふときものをあたたかきものを
むかしとほくはヽの呼吸したまひし淡路島まなかひに見ればいのちかなしも
しみじみといのちかなしもおんははにわれがせたけを見せまつらむを
ほそぼそといのちいけるを眺めませ淡路島山光ゆらぐも
小く白く汽船通ふもあはぢしまへ一人の友は病みこやり[臥]たり
いつかまたおもひいでなむわれひとりあつき日ここにものおもひたりと
おんはははいまは世になしうつそみのきみのいのちよしぬることなかれきゆることなかれ
  ×それからぼくは神戸へ帰つて阪急に乗つた
心と身のつかれ一時に出で来り自棄生命をおもふなりけり
生命も死ねかヽる小き卑しきもののいのち生けるを恥かしとおもへ
神戸の市(まち)は山々近くせまりゐてゆふぐれがたはひとを恐れしむ
子捕者(ことり)歩け 夕くれがたは山のかげ街にみちたれば子供居ざらむ
  ×阪急梅田から中の島へ行つた
英人の子供の発音を美しとおもひてゐたり西宮北口で別る
この上にいまだ疲れを身に得たく西日の街をさまよふわれは
子脱いでかつぱ頭を他人に見せて歩いたきみよ笑ふなかれ目的の対象
ゆふぐれは公園で下手な野球見せ乍らこれらの人は老い行くらむか
ゆふぐれはユニフオームものものしく公園に来りこれらの人は考ふることなきか
いま更にインテリのかなしさは浮浪人に銭与ふるを恥かしみけり
浮浪者が目をつぶつて歩いてゐたゆえに遂に銭は与へえざりけり
ゆふぐれを川岸に犬あそばす看護婦のつぶらひとみは今にきえなむ
  これらのデタラメ或はセンチメンタルな作品を湯原冬美のまへにぼくは恥じる。しかし──
        「冬美曰く、めつそうに、けつしてそんなに思ひません。
            残念なことは あなた(みねおか)の好きな増田君を知りません」※保田與重郎書き込み
  ──試験勉強その他になやまされた頭の産物──
ゆふぐれはやもり硝子を這ひのぼりかはゆきかもよ腹動かしゐる
硝子戸にぴつたりとみをつけてゐるやもりの吸着肢をかわゆしとおもふ

鉢伏山 (五、七、六作)
まひる山道をのぼつてゆけば
何がなしにさびしいのよ
道の果は山の頂
茂つた木がさやさやとゆれるのよ
頂の向ふの北空は青々とすみとほり
遠いあこがれの世界を思はすのよ
ぼく 何してものぼらずにはすまなくて
ひとり寂しみながら山道をのぼつてゐつたよ
  ×
遠く山裾にひろがつた病院
白い建物は南に向ひ
前には花の一杯咲いた庭がある
窓が一つあつてカーテンが上つてる
呼んで見たとてきこえぬものゆえ
ぼく帽子を脱いで振つたよ
これも誰か見てくれようぞと思ひ乍らも
  ×
淡路島と紀州の出鼻との間は
ずゐ分離れてゐるのだな
そのまん中に島が二つ
内海から大津への潮流には
ずゐ分な邪魔だらうから
年々にこれらの島は
飲まれて行くことだらう
あの島の間を汽船が通つてるだらうか
  ×
眞昼の寂しさは
人のゐぬ楊梅[やまもも]林
地に落ちた實を拾ひ
栗鼡のごと食はうとも
落葉わけ訪ひ来る人あらうか
先刻から食べ過ぎた
楊梅の実に ぼく
腹を毀して痛み叫ぶとも
誰も聞きつけまい
しかれば ぼく楊梅の枝を折り
人のゐるところへの
土産にしようと思つたのだ
  ×
目を開いて逝き[し]人を思へば
大空にはつきりとおもかげ────
眼をとぢれば痛いのだよ
強(きつ)すぎる陽がまぶたに────
ぼく せん方なくて
日に背いて笹原を
ざわざわと分けて行つたよ
  ×
あヽ誰が感傷を持つまいぞ
此の山の尾は隣の山につヾき
はるばると一連の大山脈
人間の工(たくみ) 白き家山裾に這ふが ※
中腹にさへ及ばない
何と怒鳴らうともぼくの声は
笹原にしみこみ松林に吸はれ
下界には及ぶまい
その故に ぼくもう下山(おり)ないで
ぼくの声を尋ねようかとも思つた
  ×
あヽ少年の感傷を笑ふ人は
少年時代を持たなかつた人だ
中年にして感傷をもつは
あまり[に]も可哀さうな嘲笑の的
ぼく ひそかに将来の
感傷精算の日をおそる

中之島公園 (五、七、七)
植込に夾竹桃の花咲きさかり浮浪人等は体だるがれる
飯を食はぬ眼には眩[まばゆ]き夾竹桃の紅の花に夏日させれば ※
大川の水は濁れり午過ぎの空のくもりに汗ひた流る
噴水も水ふきあげざるひのひるま心たのしまずみ[身]はひた疲れ
巡航艇すぎゆきしあと岩壁に浪うちよせて音立つるなり
ひたひたと岸を洗へる水の音なごりさびしも艇(ふね)ははろかなる
夾竹桃の蔭にひるねせる人のむれ麥稈 を欲しとおもへり
 川田順の歌と吉江孤雁(喬松)の文とで懐かしい木の夾竹桃。
 大阪の地方色を最もよく表してゐるものであらう。
生活難の老人が先日身投げせしお濠の端(はた)の夾竹桃の花
南より陽移れば來たる夏の日に夾竹桃は花開くなり
  ×
敗残の人の群には
遠くより流れ來た此の花が
一番相応はしいかも知れぬ
しかしその花の紅の色は
数日来の空腹の身には
焦だたしさの種となる
あふりかの花よ わが單衣の
汚れを凝視めるがいい

控訴院の塔 (五、七、八)
控訴院の赤煉瓦の塔に雨そそぎ鐘鳴らずして黄昏れにけり
川向ふの古い赤煉瓦の控訴院の窓のいくつかに灯(あかり)つきたり
雨そそぐ大川の面に芥流れいたくわびしき夕べとなりぬ
夕されば烏ねるとふ法院の塔のむかふの雨空のくらさ ※
しとしとと大川の上に降る雨にゆふべわびしく水堰(ダム)の灯つくも

ぼく、でぃれつたんと(湯原冬美の史学研究会檄にこたへて)五、七、八
幾百の白い手が廻轉する車にしかれて
流れた血が空中に大きくイルミネーシヨンとなる
血みどろな斗争 新しい白い手入用と
ぼく 少なからず心を惹かれるが
ふらふらとぼくの手を差し上げようとて
ぼく でぃれつたんと 何の血が出ようものか
されば日毎日毎掌の運命線を眺めて
ぼく ひそかに胸に食ひ下がる虫をおもふ

ある花園を (五、七、一○)
夏はそれ自身の中に後に来る秋を蔵してゐる
向日葵の花の精力的な輝きには
秋の要素(エレメント)がふんだんにこもつてるとおもふ
雨の来る空に高いぽぷらの木のゆれるのは
それをゆする力のしみじみとした深さを感ぜしめる
日々草 金蓮花と 何と昔臭い花ばかりだらう
はるかな幼年の思ひ出が耐らなく胸を抑へる
ぼく 無花果の木蔭に花園を眺めてるのである

俳句一首 (五、七、一一)
夏山や蛇を恐れし紺脚絆

仲哀天皇惠我長野西陵及河内國野中寺 (五、七、一一)
ほり
大御濠(ほり)しづもり深けれやひつじ草しみみに生ひて花保ちゐる
朝涼のみささぎの木にしんしんと蝉鳴きしきり雨げはひ[気配]すも
おのが身を不可斐なしとぞ思ひゐる 道べ明るきあざみの花に
こ雨ふる朝を田に出て草すける人の業(なりはひ)をかそかとおもふ
葛木に朝ゐる雲の空おほひ雨(あ)も降らんときに家に帰らな
みさヽぎの濠のしづけさやこぬか雨かヽる小舟に菱採れる人
  ×辛國神社(藤井寺村岡ニアリ)
朝空のくもり暑くるしき道べより足ふみ入れしもりのみ
  ×
曇り空のみんなみに立つ白雲を暑しとおもふ道の向ふところ
葡萄山の葡萄葉の動きそよろなし害虫(むし)葉をくへるおとのきこゆる
葡萄葉に硫酸銅の結晶ありむしあつきひると歩みかねたり
こもり堂ひつそりとして戸をとざす み寺さびしも中庭の苔
頭ばかり大きな弥勒菩薩像めんどうくさく拝観したり
なつくさのしげく生ひたれば蚋夛きお染久松の墓所訪ふ
弥勒菩薩座(ゐま)すみ堂のかび臭さ出世(すいせ)したまふ時遠からし
  ×
緑松一群立つは藤井寺この埃道そこに通へる

嗚呼 竹増俊明君 (五、七、一二)
  図らざりきかく急に君の追悼文をかヽんとは。
  昭和五年七月十一日午後四時四十分、
  深江沖にて心臓発麻痺のため永眠。
なかなかに信ずる心出でてこずおとついはきみとかたりしものを
ときどきはつと気づいて愕然とする生きてゐた君がもうゐないのだ
 何といふ遠さだつたらう
 一昨日 否 昨日までの
 君と死のへだたりは
 柔和(やさ)しい 勉強もよくすれば
 遊びもするいヽ友達だつた
一度きりし髪やヽのびてゐたりけりそを思ふときいきどほろしも
笑ふこと夛かりしきみなりければ
かヽるかなしみもてわれらをおそはんとは
誰か知れりきや
青海に陽の燦々とふるひるをきみのいのちを死なしめしはたれ
青海に心うばはれてふたヽびはかへりこずちふ[という]きみを見む日もが
ふたたびはいまは会ひ得じあまりにも早きわかれをいたまむやいたまむや
休みのためわれらはわかれき ふたヽびとあひ見むためにわれら別れたりき
何すればかねておもはむおとついの無意のわかれの永久にならむとは
 今よりは海龍王にわれ恨を抱かんかな
泣けよ泣け ま夏の海に入りしまヽかへらぬころのおもかげにだに
みづあみすと海に入りしまヽきみがたまついにかへらずむなしきむくろなんにせむとや
 ×
君にさヽぐるかなしみの詩もつい[終]の日はわれのはふり[葬]の詩とならむとや

見不可見 (五、七、一三)
竹増君よわが最後の罪を許したまへ
 はかなしともはかなしや
 きみがみたまとはにきよかれ
 きみがむくろちにくつる[朽ちる]も
 みたまそらにのぼりきよくありませ
 よみがへり
 復活の日まで その日まで

森博元君の墓に訪(もう)づ(翠蓮社泰譽上人務学博元和尚)
みんなこぞつて泣いた日が近づくみ墓べの槙の木さへも茂りたるかも
み墓辺にしきみをさヽげ水を手向けわれに出来るはこれのみと思へり
きみがみを犠牲にまでしてをきながらわれらの得もの少きを恥ず
すぐるもの日々にうとしとふかなしさは忘られざれどおもかげのうすさ
 ×悼 竹増君
み葬りの日さへかの海きらきらとかヾよひゐたりつれなきものか
おん母の嘆きの叫びいつの日かわれら忘れむ死なざらむゆめ ※
 松田一郎君、橋本益太郎君逝去すと
つぎつぎに人の死するを聞くときしかぼそきものか世に生けらくは
つぎつぎに知る人たちは死に行くをいまさらにいきのいのちをたふとくはおもへ
増田正元よゆめ死ぬ勿れ若くして逝きてわれらを嘆かしむなかれ

對校試合松江紀行
一、車中 (五、七、一四)
 九十九の隧道に弱つた。
ひる畑にきりぎりす鳴くあつくるしさ
 汽車すぎゆけるたまゆらを聞く(藍本)
線路行手に大きくカーブして
 赤いシグナル旅心おこる(三田[さんだ])
小石夛き河原に群咲く月見草
 晝近くして赤くしぼみたり(三田)
河原の芝につながれほしいまヽに尾ふり
 草食む馬のかはゆさ(下夜久野[しもやくの])
田んぼの畦にあざみ花夛し
 遠方の山脉の上に夏雲立てり(広野)
丹波の篠山あたり小盆地
 めぐる山なべて白雲おこす(篠山)
何もなき円き草山ひのまひる
 もだのぼりゆく我をゆめみる(上夜久野)
何もなき草山の線かぎる空の
 青きが中を雲動きゆく
何もなき円草山も のぼる人やはりあらむか
 蹊(みち)つけるなり

トンネルを出づれば青き波の色まなこにしみてこころさびしも
汽車とまらぬ小駅の村の花畑カンナ大きく咲けるを見たり (古市)
山間の小村の学校の運動場赤帽の児ら整列してる (古市)
震災の名残は見えて城崎の街の屋並は皆新しき (城崎)
両岸に芦群生へる円山川 海近ければ流のゆるさ (玄武洞)
日本海の青潮にさす陽の光波は光りてよせ来るかも (鐙)※
磯の辺のいくり藻生へるあたりすら青潮めぐるをかなしとおもふ
海と隧道たがひちがひに現れて忙しきかもよろひのあたり
日本海のうしほよせくるこの港あか瓦の家かたまりゐるも
この湾の防波堤なす岬角裸岩根に浪砕けたり
風あれや鈍く光りて波がしら磯の小島にきては砕くる
古しへの語かなしき湖山池めぐれる山に雲かヽるなり (湖山)
砂丘にまばらに生へる姫小松旅心すでに定まり本をよむなり
はヽきねはあらはれそめし山肌にくもはかヽらずあらはなるかも (鳥取をすぎたあたり)※
伯耆嶺のつらなり長く空かぎる此の一連[つら]の聖座たふとし
伯耆ねのそがひの空や山陽道何かあらむや雲立ちのぼる
白い雲日に光りつヽまひ上る山のそがひにこころかよふも
大山の裾野の原は低まりてきはまるはては海に入るかも
大山の裾野桑畑草を刈る乙女の家は遠からしとおもふ (赤碕)
大山の麓からつヾく赤松林じんじんと重き蝉のなき声
日本海はとほくくもりて何もなし隠岐の島深ししばらくで止めき
おきの島しばしもとむれど日本海くもはろばろと何も見えざり
大山の北の斜面の岩崩(いわくえ)の眼にあらはにていくときばかり
大山のひける斜面の美しさ めかれずゐるも裾のめぐる汽車に
大山の岩崩のあたり一片(ひら)のふき雲かかる米子に近づきし ※
安来すぎてこの汽車旅も終るともふ 棚の荷物をおろしそめたり

 その二、松江の宿
互に相容れぬ心あり 今更にわがひがみ心をいとふ
 城山にて
古典的(クラシカル)な観念精算の希望ありその不可能を感じゐる古城で
  ×松高で練習
練習中後の山で鳴くせみのこゑきこゆるはうれしきかもよ (高校)
何事もうるさしとおもふむしあつくシヤツ一杯に汗づくなれば
  ×夜、散歩
とほく来て夜の散歩さへおちつかず田舎の街とおとしめゐるも
しろ堀のはすやヽにして咲きぬべしとほくわれらの来りつる時季(とき)に
八雲たついづもの國はまな下にみれどみあかぬ山川のいろ
大鳶は老松の秀ゆとび立ちてわが眼の高さにまひ来るかも
湖の面をすべる帆船ありへだてとほければうごきのろしも ※
旅館の窓先にゆるヽめん竹の秀先うるさしと心いらだつ
きりぎりす鳴くこゑしげきこの晝を球追ふ友とはなれたく思ふ
 蓋し現実逃避を責めらるヽ原因か
きりぎりす叢中に鳴くこゑをしげしともへば裏山の蝉のこゑもまじれる
  ×
おれの神経の先で蝉がジンジン鳴いてる (七、一七)
おれの目の中で竹やぶがゆれる
おれは血管の中に緑の血をかよはす
それでも俺は人並のことをせにやならぬか
  ×
何故おれはお前達といがみあはねばならぬか
なぜおれはお前達を嘲笑せねばならぬか
又なぜおれはお前達を愛しようと力まねばならぬか
バカヤラウ!
  ×
ナイーヴといふことはがさつで利己的なことだ
デリケートとは小心で利己的なことだ
それ丈のちがひぢやないか
いやだなあ

 三、対校試合 [※対校試合についての新聞の切貼あり]
俺達は宿から
球場へのバスの中で
出陣の歌と部歌を歌つた
何だか金属性の声が出た
歌をうたつてると泣けて仕方がない
横を見ると友眞も
丸も──長いまつ毛だと思つた──
俺は俺達の感傷を
恥しがつたが或は之が
ほんとかもしれんとも思つた
只何故泣かねばならぬかは
何うしてもわからなかつた
  ×
試合が始まつた
俺はバツト拾ひの役だ
一心になつてピンチ毎に
胸が痛くなつた
後の山で鳴いてゐた蝉の声を
いつも後には思出すだらう
とにかくシーソーゲームで
何度も心配さヽれた後に勝つた
十三対十一
選手達や先輩は躍つてる
俺も飛出してゆきたかつたが
止めた しかしそれにも劣らず
嬉しかつた 拍手してやつた
歌をうたつた 涙が出た
これですんだと思つた
予期してゐた寂しさは感じなかつた
俺は此の野球部に更に
新しい意義を見付け得たから
  ×
祝勝会だ
皆子供の様に喜んでる
北村を一番嬉しいと思つた
此の気に巻込まれぬ俣野理事を
不幸に思つた
俺達の感想に次いで
新しいメンバーが
頼もしい抱負を聞かしてくれた
先輩らしい いヽ気になつた

かにかくにたける心は抑へがたしこの心はもよしとゆるしゐる
自らは戰ひ得ざる体(み)の弱さかくて若き日すぎゆかむかも
友だちの喜びおどるをながめゐるおなじ心のわれならなくに
喜びの表現はそこに求(と)めずともうれしさはすでにとヾめかねつる
みな人のよへる[ママ酔]おもヽち見てあればよへるまねさへしたくなるなり
友どちのよひのたはぶれおぞ[愚]なれとさかしらをしてさびしがるなきみ

眼瞑れば どうどうに             ※「Erinnerung」と書かれた紙に。
心に浮ぶ 友の顔
菅田が丘に かちどきの
歌うたひしは まざまざと
われらいつとて 忘れむや
卿[きみ]が情けに 一年の
苦しみを耐へ 過しきて
ここに勝利の 喜びの
涙流して 躍るなり
われらいつとて 忘れむや
帰り来れば はろばろと
戰の日ぞ 思ひ出(づ)る
遠く松江の 湖の
ほとりにわれら 戰ひき
われらいつとて わすれむや

 五、思ひ出の人々よ
P 内田英成 C 能勢正元 1B 丸三郎、北村春雄 2B 高田一 3B 渡辺忠 SS 小林正三 LF 友眞久衛 CF 豊田久男 RF 三島中
Mng[マネージャー]田中克己
部長 脇坂教授
コーチャー 伊藤建次郎 ベンチコーチャー 門野正雄
先輩 國行義道 清徳保男 金崎忠彦 吉延陽治 増田正元 中島駒次郎 村山高 川勝常次郎 小竹稔 吉岡弥之助
                   [※試合のレコードあり]

 四、伯備線途中
暴風雨(あらし)来るけはひしるしも線路(みち)ばたの唐きびの秀はゆれてやまずも
はやち風稲田わたればなびき伏すいな葉の波のやはらかさはも
向つ丘(おか)の木の葉さわぎてうらがへる葉うらの白さをしるしともへり
あらし来る前の湖のくもり色や重くひかりて波たてる見ゆ
湖(うみ)ばたの松の木の葉のにぶ光りあらし来らむ空のくろさよ
古しへの民族穴居の穴夛きこの丘の辺のあぢさゐの花
太古(おほむかし)のこと思はされてゐる頭にあぢさゐの花はしるく光りたり
草山のなぞへ長々とつらなりて高しとおもふ草ばかりの山
ぽつぽつと雨ふりゐて車窓(まど)をうつ山陽道に汽車ひたむかふ
大山の西のふもとをぬひめぐる汽車にゐるなり大き山なるかな
たまたまの丘のきれめに見ゆる山雲かヽる山をそれとおもへり
南瓜畑に黄色く咲けりあたりの空気おもくるしければいちじるき光り
日野川の水上のぼる汽車にゐてむかしのかたりおもほゆるかな
上石見すぐればすでに山陽道心あらたまる 雨は止まざり
高梁川[たかはしがわ]にしたがひて下る川のふちところどころに青くよどめる
百合の花畑のくまに咲きたればその山畑のなつかしきかな
雨しぶく山の林になくせみの一匹なれやなきつぎはあらず
雨中になくせみのこゑすみとほり心かたむけきいてゐるなり
川のわだ鮎つるらしも人一人立ちはゐるなりわびしともはずや
 ×倉敷近くまで眠る
眼ざむれば頭おもたきひるねあと高梁川も太くなりたる
やがてわかれる友をさぶしと思ひゐるこの山國の駅のきり雨
山峽の小村の家の花畑に西洋花咲くをさびしとおもふ
のうぜんかづら花茂みもちて山畑の畔[くろ]の潅木にまつはれる見ゆ
 ×岡山で山陽線にのりかへ (七、一八)
山間に珍しきかも三石の盆地は夛し工場の煙突
夕ぐれはいそべによせる波の色のにごりさびしく旅もお(ママ)はらな
あはぢしまいはや[岩屋]燈台の灯は孤(ひと)つわれらはやがてわかれなむかも
丘の下松の木の間に墓石にいまはしきことまた思ふなり
印南野[いなみの]の丘べの墓地の夕ぐれに心おそれきと人にかたるな
夕ぐれの黒波よする音さびし友と語りてさびしがるかも
海水浴場に人一人ゐずあかあかとともしてり[照り]ゐるさびしさをしれや
しばしでわかれねばならぬ旅のをはりみんな冗談をいひかはすなり

 六、帰着 (七、一九) 帰来故園皆依舊。
桔梗つぼみふヽみて色に出づ旅のことどもおもひゐるかも
かへりきてひとりはさびしきわがやかも友のかほかたちうかべたのしむ
さびしさのひしひしくひ入るむねのあたり庭木の幹に蝉鳴きさかる
何もかも手にはつかずも旅づかれしるしとおもふ体のだるさ
目的をしとげた後の味気なさ なすべきことをみつけねばならず
生き甲斐のあり得た精進の日を思ひかへしてるあヽなにをなすべきか
 山川の流のたぎち高きとき川辺百合花ゆれのしるしも

 松江の思ひ出 (五、七、二一)
概念的抽象的な詩の一連を私は幾日かつヾけて書くことであらう。
  その一
遠くのとほくの松江まで出かけて行つて
ぼくのもてあそんだ玩具の
白ペンキの匂が鼻にしみついてとれない
その感触が手にこびりついてゐる
ぼくははろばろと偲んでは
湖のきりの様にしめつぽいそれらの
思ひ出のなつかしさに泣けて来るのである
  その二
イデオロギー
ぎごちない異國風なひヾきよりも ※
私にはあの茫としたとりとめのない
東洋的感触の詩がこひしい
あヽ何と遠いしかもなつかしいそれであらう
  その三
古城の 甍 陽に 照りかへり
老松の 枝に 葉がくれて
鳥 巣をつくる 時ありて 中空を
舞ふものあり あヽ その しみじみとした 光りよ
  その四
夜深く ぼくら 湖上に 舟を 漕いだ
櫂の 音の たよりなさ
行手を いづことか あヽ 嫁が島の
灯も 消えるではないか
櫂に まつはる 藻は 執念の
魔女の 腕[かいな]か ああ われら
若き 生命の かなしさを
深く 思つたではないか
            松江大橋 流れよと まヽよ
            和田見通ひは 船でする
 その五
水郷の哀しさよ
センチメンタリズムは街一杯にみちて
しかも誰一人
安来節をきかしてはくれなかつた
  その六 (五、七、二二)
あの湖のほとりで
女達は無智のままに亡んで行く
おれ達も苦しみもがきながら
いづれ亡びなければなるまい
なまじつかなアンテリジヤンスが
おれ達の苦しみの基だ (セイチヤン、綾チヤンなる女達に)※
  その七
薄暗い座敷で
飲むお茶の緑のいろ
庭のあぢさゐに降る雨は──
その花の色もしつとりと落着いて
あヽ沈々と夜は更ける そこの
茗荷の花に螢が居るではないか
  ──Ideelle[空想の] Matsue──
  その八
二つの叫びがある
トシアキサン トシアキサーン
負けるものか 負けるものか
耳朶を打つ叫び
永久に忘れられない叫び
  その九
まひる キラキラと 氷のかたまりが
集まり 旋回(まは)つて 昇つて 行つた
きれいな 雲だなと 俺達 見てゐた
 疲れた人を (七、二三)
夜遅くバスに乗つた
ぢいさん(いやな奴だ)が
女車掌に話かけてる
ふん八時間(労働時間か)えらいやろな
女車掌は泣いてると思つた
お互にもつと強くならうと思つた
 須磨海水浴場で (七、二三)
日本人といふ民族は
朗らかさのない民族だ
もつともおれの腹工合の故(せゐ)かもしれぬ
  その十 [松江の思い出のつづき ※抹消]
  その十一
稲田を 暴風雨(あらし)の 前駆が 渡る
さらさらと 靡く 稲の 葉裏の
光沢は 絹糸の やはらかさ
あヽ 向ふの丘に 五加(うこぎ)の 花が ゆれてる(五、七、二四)
  その十二
いであの世界があの青空より近いものとは
何うしても思はれない
それかあらぬか プラトニズムの使徒達は
深い懐疑の淵に陥るか
想ひ出の世界──いであの世界──へと
自らその生を短くしたではないか
雨空から閃く微光(ジンメル)の如く
想起の微光(エリンネルンク)は来るとも [※erinnerung]
俺の乏しい感受性を如何せんだ (五、七、二四)
  その十三
俺のポマードは鈴蘭の匂がする (五、七、二四)

 増田正元を訪ふ (七、二三)
林の木蔭の空気青ければきみをもわをも体(み)を愛(かな)しがれり
林の中の寝台のきみと話すことなくなりし時谷間のとんび

虹 (七、二五)
夕ぐれの東の空のうすぐろさよく見つむれば虹のこりゐる
やヽにしてうすらあかり東の空にいたる西空の雲うすれたるらし
夕焼の赤き光は小田の水にほのぼのうつり蛙鳴くなり
夕やけて蝉もなきごゑやめんとす大空の虹うすらみにけり

線路工夫 (七、二五)
汽関車は貨物列車を牽き来り工作場に入れば止まり笛鳴らす
貨車の連りことごとく赤土(つち)をつむ二十数台の均整の美しさ
汽車とまれば一台に工夫一人づヽ乗りて赤土の山おしくづす
赤土の山おしくづす工夫らのふりあぐるシヤベルの一斉の光
工夫らは声を出さず一斉に土くづす音の集りは高し
ざくざくとしばし音あり人声なし貨車の赤土は次第になくなる
自分の車の土おろしきつたものは隣の車にうつり又もシヤベルふり上げる
皆土をおろしきつたれば列車から飛下り汽笛鳴らして汽車うごき出す
これで仕事がすんだと東の空の虹見てる手拭で顔ふいてるもある
線路工夫は大方鮮人の工夫なり東の空の虹見てるなり

四高対横工戰後 (七、二七)
同感出来るとしばしばうなづいてをり戰後の四高生の南下軍の歌
コーチヤーの大学生が皆に挨拶してる何かせずにはゐられないのだ
お前も一緒にと寫眞をとる場にさそはれていやだといふのか首ふつてるコーチヤー
何だか云はれて冗談に撲つてる子供みたいになつてる大学生のコーチヤー
  此の人を以て國行、清徳、門野、村山を表す。
南下軍の歌の繰返し既に四回なり僕らそろそろ帰らうとする
勝つてうれし涙を流してる人々はこれから後になにをするであらうか

Was wollen Sie tun? [何が彼女をそうさせたか]
Das gleichen furchten Wir! [我々はその類のことを心配する]
und jetzt noch wandere ich murmelnd[そして私は今もつぶやきながら、さまよう]
“Was mu ich tun [“私は何をしなければならぬか と]

わかきいのちたへがたくしてこのここになみだながしたるひとをなわすれそ
わかきひの純情の感激よまことこの正体の何にてもあれ
 はかなかりしかな はなやかなりしかなと
 涙もて ふりかへりみむ日あらめ 子ら

槐[えんじゅ] (五、七、二八)
槐 花咲いて
思ひきり幽か
大空の青にまぎれて──

槐 花咲かうとも
過ぎた昔が帰らうか
あはあはとした悔いのこころである

槐 青空の下
花をこぼす そこはかとなき
小さな花の雨である

寧樂の都 (五、七、二九)
寧樂の都は青丹よし
伽藍の隙を乙女達が
裳を引いて遊びたはむれた時代[とき]

そして又地方では
純朴な田舎乙女が地方官の
貴族の子息[むすこ]達に従順な
愛を捧げた時代

地方の青年達は
稟々しい軍服を喜んで 防人になつて行つた時代
かく思ふは現実主義者ではある (不然乎[しからずや]、湯原冬美)        ※※
浪漫化(ろまんていーれん)の裳は霞の如く
この都を包み 貴族達の飾りとはなつたが
土民達には貴族との障壁でしかあり得ない

少数の浪漫貴人はこの壁を透して
賎しい者の生活を眺め
気まぐれな同情を送り 或は
詩歌の題材としてそれが彼等への
蔑視であることをも知らなかつた

同情は常により偉きものより、幸(であると思はれる)な者より、
劣つた、不幸な人達へ流れる

併しともかく上下共に幸福の限りであつた時代
み民われの歌は彼等の本音である(不然乎、湯原冬美)              ※※

 

冬美の答へ
防人に立ちし朝けの金門出に手放れ惜しみ泣きし児らはも
玉虫の厨子のまへで、一つの羽根をむしりとるため体を殺された虫どもに暗然と奈良文化の象徴を見たといつた人がありました。(奴隷と農奴の搾取の上にたつた文化!)
けれども喜んで徴兵にとられているようです。やつぱり勇ましい祝福の短歌を人々は彼らに送ります。
名古屋市は九十万とかいくらかで、いとも盛大な人口百万突破の祝宴をやりました。之は記録にのつてゐると思ふ。無産党の反対は一蹴されました。九十何万の實数はあとでわかつたのですよ。
今でもその時代が幸福だつたと思つてゐられますか?  [※※に対して、このページの裏面に書き込まれた保田與重郎の返答]

帝陵の歌 (五、七、三十)
一、あヽ われ生命若ければ ここ帝陵の若草に
  純情(こころ)をせめて嘆くなり わが青春の跫音の
  丘の彼方に消え行くを
二、丘にまろびて仰ぎ見る かの蒼穹の星辰や
  銀河連り流るとも 不動の相(すがた)ここに見む
  理想(のぞみ)の途やここに見む
三、橄欖[かんらん]茂り深くとも 熟睡[うまゐ]いつまでつヾくべき
  同朋[とも]よ覚醒めよ卿[きみ]や看む地平よとほくこの丘に
  希望の光来れるを
四、眞理は遠く道長し 心鬱(むす)ぼれ夕暮は
  丘の息吹に嘆くとも 朝の鐘の鳴る毎に
  起ちて進まん新しく

夏の雨籠 (五、八、一)
雨止みをまちて鳴き出る庭の蝉そこの木の葉はまだ滴するに
黒犬の散歩 (五、八、三)
日々の務として我が家の黒犬の鎖ひきて散歩せしむるなり。
の使降りたまふにやあらむ西空の雲のいろどりいはむかたなし
イスラエルにみ栄あれともろ人のさわぎしときに立ちし雲のいろ
眞球貝の持てる光沢(いろつや)にさも似たりパライゾ[天国]雲とぞいふにやあらむ
夕ぐれを大き黒犬ひき行かしむあな巨犬と人は云ふなる
ゆふぐれの古街道のみちのくま犬とわれとはおしだまりたつ
道の辺のぽぷらのしげみ雨空をそがひにしたれまつくろのいろ
向ふの変電所にともる電燈(ひ)の数は夛けどてらさるる人なしに
ゆふされば野も果てしなくひろがりぬとほ村の灯をもだみつめゐる
とほ村に人は焼かれて煙(けむ)となる寺の鐘鳴らむきこえ来ぬかも
ゆふさればいこまの山にともる灯は高みよりくるすヾしさもてり
黒犬にうすくら道をひかれ来て口笛吹けば誰か来るなり
メフィストフェレスわれにかあらむ村はずれ墓地にさみしく雨ふりいづる
墓地近く犬は大便すなりけりなは[縄]もち待ちてすべなしおもふ
犬に牽かれ田圃畦道走り来て犬をかわゆしとおもふ心出づ
この犬は何の能なく弱き犬見つめてあれば誰ぞこのこれは
すべなきはかはたれどきの黒犬の綱ひく力姿見えねば
ひたひたと草履音して田んぼ道来る人のかほなかなか見えぬ
  ×
朝涼は大寺の堀に咲き満てる白蓮花の上に風渡るかな
お盆の日近くしなれば祖母(おほはは)とみ寺に参り蓮葉もらひ来
蓮(はちす)ばのもてる寺臭さ帰るさの電車の中に感じゐたりき
おほ寺のみほりの蓮 花はちす 逝きし人どもかへりこむかも
  ×
 塚口克己君の百日祭 椎寺町鳳林寺であり。
三露久一郎君、阿部成男君、山田鷹夫君らが来てゐた。式後、阿部君の挨拶、主治医の病状報告、お父さんの話あり。(五、八、四)
思ふまヽに生けりしきみとふおもふまヽに生きても生けるよの中なりしか
おもふまヽ生きしきみゆえかたはらにゐてはあるとききみを悪[にく]みき
おほろかのかなしみとなおもひつぎつぎに知れる人逝くはさびしさのきはみ
 ×高石へ海水浴にゆき村田幸君、浅井君、神志那君、船富アサ君等に会ふ。夕方浜寺の叔父の許へ遊びにゆく。
  浅井君のねえさんもう子供が二人もある。浅井君の家族こそ最も夛(ママ)なものであらう。
小さかりしわれを知る人のふるきこといひ出る口は老いにけるかも
 ×帰りに麦わら帽を買ふ。
これをきてわが歩くとき(モーリス)シユバリエに似たりときみよおだてる勿れ
かんかん帽はシユバリエ好みパリジエンの一人となるが如きここちす

火の見半鐘 (五、八、五) 今里火事。
半鐘がきこゆるといふに話声にはかにやみてみなきく[聴く]らしも
たちまちに邑[むら]はさはがしくなりにけり犬吠え出づも方々の家に
妹らは火事時の用意話しゐる女(メ)の気弱をきヽながされず

死の南極、ボージエストを観る (五、八、七)
氷日に光つて何もない陸 空に雲昇る
何もない陸の果の海 生物ゐる 群れにむれて
夏には禾本[かほん]生ゆるところあり ここに烏巣食ふ
氷少しとけてフイヨルドに捕鯨船游ぶ
澄む空に光る銀の峯 外に見る人なし
氷の上踏む靴音 夏である故郷を懐ふ
夜 南極十字星 風吼り[たけり]氷山の荒ぶ音
ペンギン群れてゐる眼下の砂原 話しかけようとて返事するものでなし
ペンギンも親あつて子を育てる ここは南の果 地の盡きるところ
海辺にねころぶ海象の子や まろまろと
ふかぶかとねむりふかき海象たち ハレムの主はいづこに
ここから故郷は見えぬ 海のはて雲が立つぞ白雲が
ゆふ方海荒れて来る 捕つた鯨の腹にあたる波
鯨の皮はいで忙し 脂肪の塊の白さ
鯨を追ふ船のエンヂン休まず 砲手舷(てすり)によつて煙草のむ
ゆふ方氷山行手にゐる くれのこる日のいろその頂に
  ×
沙漠のまん中に塞[とりで]一つ これは又何といふむごさ
死骸ばかりの塞に陽がつれなや 沙漠の風 壁に
ここに死んだ人幾人 腐れはてようとも人は来ず
沙漠を一人でとぼとぼゆく人の気の強さ
赤い夕日 あしたの来るまで夜の砂原を守るものなし
ぱつと火が立つたぞ 塞がもえるぞ勇士達の骸[むくろ]が
皆な死にはてた塞は大洋の幽霊船 いつまでも黙つて立つてる
砂の山のなみ涯なくはてなくこの旅のさびしさ 里のこひしさ
らくだ死んで横[よこたわ]る 大きな体のかげ土に黒く
らくだの骸 遠くからも見える ふりかへりふりかへり
  ×
かやつり草ほのかに匂つて赤とんぼ飛んでくる (五、八、八)
夕ぐれ 声なき犬をつれてる寂しさ かやつり草を引抜く
蓮の白花は
とほくから見えて
夕ぐもだんだんに押しせまる
夕雲の端にまだのこる光
大空に高きさむさを思ふ
×
刈られた楠の梢を見上げて
秋をおもつてる
村中にのうぜんかづら垂れる塀あつて
既に秋である
×
楠の小枝
伐りおとされて
楠の匂ひである

   EPILOG

偶々買つて見た井泉水句集が、
韻律に対する最後のHINTとなつて眼を開けてくれた。
今までの三十一文字型内に於る苦しき努力も、考へて見れば将来ためにはむなしきものではなかつた。
これからは勇敢にフレツシユな歌を作つてゆけるであらう。
ここで僕の夜行雲第三巻を終るのがほんとうであるが、紙の都合上もう少し書きつヾけるかもしれない。
  × × ×
[※以下6ページ分は第4巻冒頭に写されているので省略。]
(第3巻終り)


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