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田中克己日記 1980


【昭和55年】

 この年、あらたに頻出するやうになる高円寺の老鋪古書店、都丸書店支店の瀬見伊三郎氏。
 戦時中の南方派遣時に共通の上官を持ったことが分かり意気投合します。
 退任間近の蔵書家の大学教授は、少々気難しいものの古本屋にとってはお得意様に違ひありません。
 詩人も行きつけの喫茶店「プティ・パレ」が阿佐谷〜高円寺の途中にあったこともあり、日課の散歩は駅前の佐伯書店だけでなく、都丸書店への往復が新たなコースとして加はりました。喫茶店にはcopy機があり、卒論学生を連れて資料複写にゆくこともあったようです。

 そして古本屋といへば、この年刊行された『中国の民俗と歴史』。その発行所の研文出版は、これも懇意の漢籍古書店、神田神保町の山本書店の出版部でした。
 ただし今回は学術論文集です。巻末に、評判の良かった旧作エッセイ「始皇帝の末裔」が再録されましたが、史的な考証で埋められた内容は、親しい学者から古稀記念として言祝がれたものの、並べてもらった都丸書店をはじめ、さすがに一般書のやうな捗々しい売れ行きとはならなかったやうです。
 山本書店社長の山本敬太郎氏ですが、この専門書に続いて、詩人がこれまで伝記・訳詩をものしてきた李白白楽天杜甫の中国詩人シリーズの最後にもう一冊、単行本を書き下ろすことを慫慂します。
 二人の縁については、完成まで足かけ3年掛かったといふその伝記本『蘇東坡』の「あとがき」に記されてゐます。曰く、

「うれしかったのは、差入れを許された獄中の共産党の某氏が「この本(※『李太白(昭和19年)』)は面白い」と愛読したことと、たまたま店頭を訪れたわたしに「あの(※シリーズ本19冊の)叢書では武田泰淳さんの『司馬遷』とあなたの『李太白』とが双璧ですね」と評された山本書店主山本敬太郎さんのかざりけないおことばとで、わたしはここに知己がいたかと喜んだ。」296p

と、初めて書いた評伝本を玄人に評価されたことに喜び、執筆を決意したとあります。
 図らずもこの一冊が東洋史学者田中克己としての掉尾を飾る著作となりました。

 私生活面では、相変らず「躁」時期における取り沙汰が日記を彩ってゐます。
 寛解したとて塩入医院からの薬を中止したところ、年末に路上で自転車に乗る男女(おそらく若者?)に激昂(接触でもしたのでしょうか)。翌年には近所の靴屋と喧嘩し、やはり警察署に訴へてゐます。
 もっとも「この界隈で着流しで歩いてゐるのは僕だけや」と私にされた自慢話は、そのまま界隈の噂となって交番にも伝はってゐたものか、詩人の癇癪は警察署で丁重なもてなしを受けて収まってをります。

 「絶交癖」も健在です。この年は、さきの瀬見さんやプティ・パレのマダム、そして親友丸三郎さんにも絶交を通告しては、その都度没交渉に耐えきれず、これまた一方的に取り下げてゐます。日記に

 わたしの一番好きなのはタバコ
 二はおしゃべり─することもきくことも─
 三は本

と書いてゐますが、その時の気分で癇が起るものの、孤独嫌ひで人恋しさ一倍の詩人に、朋友と絶交などおいそれと出来やう筈もないのです。

 現今のポリコレ基準とは程遠い40年前のこと。当時の常識・慣例に加へて、詩人ならではの奇矯な発言・行動については、躁状態のなせるところと詩人自身が自覚して記してをり、私的な日記であることを踏まへ苦笑を願ふ他ありません。
 執筆中の『蘇東坡』に、各地を流浪した詩人になぞらへて、こんな一文がありますので引いておきます。

「詩のおかげで他人より苦労したというなら、あるいは詩人の本懐であるかもしれない。」262p

 成城高校の山川京子氏が停職と聞いては校長を訪ねて口論、また大学では学長の不倫疑惑を本人に直接質すなど、直情径行は正に詩人の業といふべきですが、不正や権力に対する清廉さには、翌年悩まされることが起ります。

 さてこの夏も避暑を思ひ立ちます。このたびの逗留先、木曽駒高原の別荘を世話してくれたのは教へ子の荻村雅子氏でした。翌年、松本での結婚式に仲人として詩人夫妻を招きますが、なんと前日に保田與重郎の訃報が・・・続きは次年解説にて。都丸書店は2020年、前年の東豊書店に続いて88年の歴史を閉じ店仕舞しましたが、荻村氏の実家は木曽平沢の地で今も名産木曽漆器のお店を今も開いてをられるやうで何よりです。


 この年の出来事

1月 都丸書店支店の瀬見伊三郎氏と意気投合、佐伯書店・東豊書店と並ぶ懇意の古書店となる。
2月 プティ・パレと絶交するも旬余にして解く。中公出版に第6詩集刊行を咨るも断念。
   山口書店主より『R火』所載文コピーを貰ひ『四季』復刻版を進呈。
3月 山本書店、200部買取で『中国の民俗と歴史』』の出版を請負ふ(9月刊行)。
7月26日-8月25日 木曽高原谷口山荘にて執筆。
9月  丸三郎と絶交。二旬余にして解く。
10月 書評や売れ行きを案ず。夫婦喧嘩。
11月 塩入医院への薬依頼を止む。
11月 親友西川英夫68才藍綬褒章。12月受章祝。
12月 山川京子停職と聞き、成城高校へ諸我校長を訪ね口論。
12月 近所の路上で自転車に乗る男女に怒り、杉並警察署や区会議員に電話。また成城大学学長の不倫疑惑を本人に質す。


昭和55年 1月 1日〜昭和55年12月31日
25.0cm×18.0cm 横掛ノートに横書き


1月1日
終日鬱。賀状多く来り、一名外国よりのわからず。

1月2日
午后2時宏一郎、孝行来り、すぐ京、健太郎つれて来り、16時去る。John Wain見てウツとれる。

1月3日
炬燵にて賀状の返事かきに苦しみし。

1月4日
午後、雨、降り出せしに、ユ外出、京より電話「来る」と。哲夫、健太郎もともに来り、(※省略)
鬱なり。20:00ごろより眠がるユをはげまし教へ子の賀状すます。

1月5日
寒し。午后、弓子夫妻3児をつれて来る。(※省略)

1月6日(日)
8:20起され礼拝にゆかず。留守番して何事もせず。(※省略)
13:00渡辺登美子生、日本着にて来り、14:00森山マリ子姉弟来ると入れちがひとなる。
送り出して佐伯(※阿佐谷駅前佐伯書店)に寄り英文Bible買ふ(500)。正月以来の初外出にて初買なり。(※省略)

1月7日
寒し。塩入先生(※精神科)にゆけば薬かへたまふ。(※省略) 帰りて12:00すぎし故、Petit Paris(プティ・パレ:喫茶店)に初行く。(※省略)
ユ帰り来りしあと千草つれて母来る。(※省略)
川久保(※川久保悌郎)に電話すれば無事と。夜、タクラマカン砂漠の写真をteleviに映す。羽田博士と明君のことしきりに思ふ。(※省略)
自彊会員名簿来る。わりあひに生き残れり(但し消息なき者あり)。

1月8日
寒き中を9:30出て定期買ひ登校すれば高田君と入れちがひ(※省略)
大学院へおくれてゆけば3生そろひをり。(※省略) semiにゆけば荻村生をり、(※省略)
帰りの電車荻村生と共に各駅に乗り東豊(※代々木の東豊書店)へゆけば簡木桂主人不在。
奥さんと姪とにて茶よばれ『端午考』荻村生にと買ふ(600)。(※省略)

1月9日
8:00起き(※省略) 岩崎昭弥君より電話あり社会党本部にゐるとのことに「も少しガンバレ」といふ。
プティ・パレへゆけば村上夫人一人にて福地夫人まだ来ざる也。パンと紅茶とにて帰れば、ユ帰りをり。

1月10日
5:20さめ7:00起床。9:30出て(※省略)10:30登校。天丼あつかへ(600)学科会議(※省略)
帰らんとすればsemiの説明会と。中央線沿線でなければダメといふ。(※省略) 躁なるらし。

1月11日
7:00さめ午、ユ不在とてプティ・パレへゆきパン食ふ。村上夫人一人にてすみ、年賀状出しにゆきまたゆきて紅茶のみタバコ買ふ。
(※省略) 京に電話すれば「用あれば母呼ぶ」と也。めでたし。卒論4冊すましわがsemiの良きを喜び、(※省略)

1月12日
6:30さめ卒論5冊もちて登校。副手にわたし東豊に電話して12:30到着。教科書の取寄せたのむ。
(※省略) われ高砂族関係16万余注文し、払ひを5月とす。簡木桂喜び夜、電話すれば19:00もち来ると。
来りしにWhiskyのます。21:00帰宅。我、(※簡木桂の)自宅に電話す。夫人出て毎晩のこととておどろかずと。

1月13日(日)
礼拝休む。雪ふり、パン食ひ、14:05丸重俊来り、ユ14:00駅まで川副嬢迎へにゆき、我、丸に華僑の本2冊貸し、
外出いひてプティ・パレへゆき、福地夫人と今年初めの会話し、16:30帰宅。大雪ふりをり。
以外にも(※見合の)2人まだをり、追出してプティ・パレへやる。(※省略) John Wain見てユと喧嘩す。

1月14日
7:30さむ。9:00家を出て登校。卒論すませ、売店のcopyに忙しく失礼なるを総務課長にいひにゆけば売店長、売子と共にあやまりに来ってすむる
出て東豊にゆき店主忙しく話しもせず、中国医薬史3の借金見つけらる。16:00帰宅。(※省略)

1月15日
8:00さむ。昼食くひて13:30丸宅へユとゆき川副嬢の吊書見せ丸の吊り書を夫人書き直す。
重俊呼びて古本屋にさそへば否と。都丸にて文庫(100)買ひ、球陽書房にて1,500買ひ、石鹸を年賀にもらひ、17:00ごろ帰宅。
佐伯呼べば角力すみて来り、9,000にて雑本買ひ呉れ、茶のみ菓子もち帰る。
石井君(※ファンの石井正吉氏)より電話「詩書いてくれ」と。超特急酒1本と色紙もち来れば詩かくといひ26日19:00来ることとなる。

1月16日
6:00さめ7:30ユ起床。われ8:00さめ9:30中央線にて大久保下車(120)゜薬店へゆき薬(※漢方)買ふ(4,900)。15日分なり。
森山嬢に『京都(500)』礼として与ふ。(※省略) 帰宅すればユ帰り、京の禎子(※発育)まあまあなり。(※省略)

1月17日
4:00さめ5:30ユさむれども起きて来ず、10:00すぎ医者へゆく。
球陽書房へ電話すれば「開店」と。「本売りにゆく」といへば「どうぞ」と。
カミュの「異邦人」見る。(※省略) 高円寺の球陽書房へゆけば本支店ともにしまりをり。都丸あきし故、本見せれば3,000で買ふ。
『ロシア語4週間』、『アポリネール遺稿詩篇(2,200)』などで3,000つかひ、球陽に電話かければ本支店ともあきをり。
本店にて500買ひ、支店にて『ゲオルゲ詩集』、『中原中也詩集』買ふ。
(都丸の番頭、瀬見伊三郎、横田高明中尉、衛陽にて夜戦、流れ弾に当たりて戦死すと。)
帰りプティ・パレに寄り紅茶のみ(170)家へ帰りて昼食す。14:00荻村秋元2生来り、弓子母子来る。(※省略)
16:00まで面接の心得話しワリ勘にてプティ・パレへまたゆけば (※省略)
ユ咽喉わるく、あす心電図とってもらふと。映画見了りて就寝。

1月18日
7:00さむ。寒し。足立氏より2月8日大高野球部の会行ふ。手紙日曜に来る云々。今年喜寿と夫人と代りてわれも古稀といふ。
9:30ユ山住医院へ心電図とりにゆく。プティ・パレへゆけば11:00まだしめをり。日向で10分まてば村上夫人入れてくれる。(※省略)
高円寺の球陽書房へゆけば本支店ともにしまりをり。(※以下、前日記事と重複。再録?)
都丸本店にて3,000本売り番頭に横田高明の話きき、昭南支局長たりしこといへば、兵長として中隊長の中NO.1なりしと。
大高先輩にて昭南島にて1,00円借りしこといへば遺族のところしらせと。
帰途球陽書房にて200買ひ帰宅すればユをり、昼食くひ、(※省略)
川久保呼んで将棋さし(佐伯にて3,000買ひ500円年賀の本呉る)、17:00川久保機嫌よく帰り、televiの飛行機墜落の話見て23:00就寝。

1月19日
8:00夢見てさむ。防衛庁のソ連スパイ事件がtopのnewsなり。ゾルゲ事件以来7回目なりと。
ユ眼科へゆきわれ11:00プティ・パレへゆき、12:30帰宅。13:30荒木生来り「優良」といへば喜ぶ。14:10菊地生来り16:00ま へともに出てプティ・パレへゆき20分ゐて高円寺まで同行。途中、日大生と婚約したといふ。式に2人で出てくれといふ。
都丸支店にて別れ、支店長と話し、共に喫茶店にゆき横田高明氏より始まり兵の苦しみを語り800円おごられ店へ帰り『淀川(200)』。
電話家へかけ球陽書房支店に寄り『残酷の日本史(140)』にて、途中便を漏して帰宅。入浴。(※スパイ事件の)カゾロフ大佐帰国と。

1月20日(日)
8:00起き下痢なほる。礼拝夫婦とも休む。プティ・パレへゆき高校生に丸重俊の見合の様子見しをきく。(※省略)
丸夫人より15:15前に電話「今出る」と也。丸三郎も賛成と也。(※省略) 丸重俊より「今別れました」とのみ電話。
足立さんより「手紙ついたか」との電話、「つかず。つけば電話する」と返事。(※省略)

1月21日
7:30さめ8:00簡木桂に電話すれば夫人「都立に娘きめをり」と。二人で塩入医院にゆく。(※省略)
柏井へゆけば光一君茶入れてくれユ治療してもらふ。駅前で別れecho1ケ買へば礼云はる!
プティ・パレへゆき茶のみpão食って家に電話して高円寺にゆき、球陽本店にゆき店長にあひ、
横田高明少尉未亡人への手紙出しにゆくといふ支店長と別れ、プティ・パレにまたより、家に電話しユに400もって来さし帰宅。
簡木桂と丸に電話し、安達氏(※安達遂)の手紙につき丸、室と3人2月8日正午-15:00日本ビル中央日韓協会にての会に出席と決まる。(※省略)
神田信夫君より電話「Ogilby (※John Ogilby)の複写につき渡辺氏に話して返事してくれる」と。

1月22日
よべ2:00悪夢にさめユ起す。その後ウトウトし7:00さめユ起し7:30起床。(※省略) 9:10ユ京へと出てゆく。
山住先生にゆけば風邪と。のど洗はれ薬3日分、血圧124。
佐伯へ『中国学芸大辞典』売りにゆけば8,000と。雑本1,500買ひ戸田家へゆき(※ユの)画の欠席届く。(※省略)
川久保へ電話し『シロコゴロフ辞典』のこといへば「多謝、校正中」と。(※省略)
秋元生来り、飴呉れ「15:30までゐる」と。われ面接の心得話しゐる(※省略)、岡林生来り「御夫婦で来てくれ」と祝辞の予習さす。
17:00ユ帰り、19:00岡林生家へ電話し母と言ひ争ひ、住川学士来ると。(※省略) 将棋さし吾優勢のところにて打切る。(※省略)

1月23日
6:30目覚む。ユ起し7:30起床。10:00出て副査すみ(※卒論試問)午后までやる。
われ講師室にて(浜谷)河野夫人に会ひ、マッチ箱やり切手交換すれば、昼飯大学院でと。浜谷を帰し、ちらし寿司入歯にて食へず飲物のみとる。
1時間遅れにて午后。待合室にて「鎌田にかまふな」といひ、タバコ買ひにやらす。150円の「seven star」買ひ呉る。
面接室にて森岡semiきく。近江に無墓制と。彦根に墓ありしこといへば沈黙。最後に我がsemiあり。森岡・平山両博士(※平山敏治郎、森岡清美)として質問す。
われ字をほめ予定通りすむ。鎌田女史沈黙。16:00東豊に電話し17:00ゆくといひユに17:00帰るといふ。
森岡博士に20年の歴史を語り笑はす。新宿で別れ(※東豊書店)、新城博士(※新城常三)より云はれし大学院の5万円をといへば49,800円とり出しくる。(※省略)
帰宅。(※省略) 丸重俊来りし故出てプティ・パレ。(※省略) 球陽にゆけば夫人、都丸へゆけば閉店、球陽本店にて息子に会ひ、
向ひの喫茶店「オリッサ」にゆき紅茶注文。のまずらユに電話して帰宅。発作起り(21:30)入浴就寝。

1月24日
7:30起き8:00起床。11:00登校の筈なりしに11:15つけば面接了りに近く、西山主任(※西山松之助)に副査の意見書呈出。
鰻ちょっと食ひ野口教授と3人にて閑談。pão屋にてパンとcoffee tea。
ふと麥書房にゆき夫妻に歓待受け『四季とコギトの仲間』もう50枚ほど書くこととなり(堀多恵子夫人の本もらふ)。
古本屋やめ小さき出版屋となりしと。駅まで送らる。帰宅6:00 (※省略)
荻村生に電話すれば「謝恩会する」と。「会場を我家にせよ」と答ふ。

1月25日
よべ23:00にね、2:00さめて眠れず。(※省略) 成城へ11:20着きpãoとcoffeeにて450。講師室にゐれば飯用意とありと。 いらずといひ河野生の来るをまち『常民文化紀要1』進呈。本3冊貸す。
15:30までゐると高田君試験監督に来り、船越君来りしも河野生去らず皮肉をいふにもてあます。
築島博士(※築島謙三)に久しぶりに会ひ歓迎会に中国服で出るといひ「この間は愉快なりし」と常民文化の会のこといはる。
面接室にゆけど進まずユに14:30電話し帰れざるを云へば、夜行・飲食につき(※医師より)注意されしと。(※省略)
荻村・秋元優にて、菊池、近藤は良となる。小沢生に「優とれれば写真呉れ」といへば「OK」と。わが顔知るや否や危し。
ユの注意により茶のまず、皆に先だちて出れば、(※省略) 18:00帰宅。ユ塩入先生に心配さると也。

1月26日
 京の終り
風邪をひいて軽い熱
医師は外出を禁止した
電話を方々にかけると
うれしい返事ばかりだった
わたしはうれしくなってタバコを喫った
それは妻の禁止してゐる事の一つだった
最後にうれしい電話だった
石井正吉からの即興詩の依頼だった
今晩はうれしく眠ることだらう (※石井氏に書いた詩?)

8:30起き、佐伯に雑本18,500売る。小沢生に電話すれば「写真呉る」と。苑ちゃん(※船越苑子)来しに本棚代1.2万円、ユにとり返さる。(※省略)
石井氏より超特急酒(3千円?)もらひ、煎餅と軍歌集と三好達治のハガキやりしことすっかり忘れをり。
John Wayneの警察もの見てユ、先に就寝。
(大13:00来り「2週間外遊2月2日には出席。咲耶来り母をつれてゆく」と。)

1月27日(日)
午前中無為。13:00出て登校。卒論4篇とり秋元生探せば入試準備室にありと。(※省略) まっすぐ帰り南阿佐谷で電話「古本屋に電話すればすぐ来る」と。駈足で16:30帰り、30分まち来り23:00までをり狐うどんとる。(古代賁4.2万円と)。家宝の秘本(※不詳)やる。
入浴し2時間ね、4:30起床(約束をprintにてすることとす) (※不詳)。
(※都丸書店)瀬見支店長来り、4.2万円で雑本買ひ置いてゆく23:00傘1本海苔1缶与ふ。

1月28日
9:30さめ朝食。11:00東豊に電話、借金15,400。瀬見氏に電話14:00-15:00来ると。
ゼミ3生来る(菊地を除く)。論文訂正を命じすみて「仰げば尊し」合唱。15:00、3生出てゆく(瀬見氏来り本運ぶ)。
われも出て球陽書房にゆけば夫人留守。瀬見氏につかまり「あす傘返しに来る」と。小古本屋まはり雑本買ひ帰宅。17:30

1月29日
(※記述なし)

1月30日
よべ大雨。7:00さめる。ユ清瀬へゆく。瀬見氏にまた本売る。(プティ・パレにて絶交(※理由不詳)。1万円の売上なり)。
16:00ユ帰り、集英社に電話し「わが詩集出すや否や」の返事まだ故、鈴木氏(※鈴木省三)にたのめば「もはや力ないが一応話しおく」と也。
怒り出せば塩入dr.にユ電話すれば「熊倉氏に任した」と。taxiにて上井草まで380。熊倉氏の注射拒み薬かへてもらふ。相談料も含め 3,000也しと。
我先に出て母のところへゆく。(せんべい180買へば(※着物の)とんびほめらる)。すしユ買ひ来り2階の座敷にてもらふも眠れず、ユと帰宅。
瀬見氏に「本とりに来よ」といへば「先生の気持わかるが世の中は云々」。薬のみ就寝。

1月31日
8:30目ざめる。9:00散髪にゆき昼食し登校。3万円受領、14:10の教授会に出席。栃尾氏(※栃尾武)に1万円の本売り、本棚の贈与とりきむ。(※省略)
築島氏と同車、送別会にGaudeamus igitur (※学生歌)歌ふといへば「可」と。18:00帰宅。伊勢淳をり本2冊貸す。(※省略)

2月1日
6:30さむ。(※省略)9:00まへ出て登校。(※省略) 東豊へゆき14,500払ひ6万円もちて帰宅。
すぐ古本屋へと出、球陽にて売買し、都丸の支店長に横田高明夫人二三子氏の返事をよみ、500払ひ球陽堂にて250買ひ、
都丸支店で『トルキスタン(500)』買はんとし金なきに気付く。交番にゆき紛失物届かかされ電話番号もきかれ帰宅すれば咲耶をり。
ユ怒らず。ユ五叉路まで送りて帰宅。厄落としたといふ。
都丸書店に電話し、笑ひてすむ。(※省略)

2月2日
7:00さめユ起す。7:30咲耶に電話し(※省略)、8:30出て阿佐谷駅北でtaxiひろひ、
大の家の手前で待つ母と咲耶のせて市ヶ谷修道寮に着く。(※親類結婚式)
Catholicにて神父(外人)の司式にて順調に進む。聖歌隊がカソ讃美歌うたふ。指輪交換、署名すみ(※省略)
我の番となり「帰れソレント(原語)」アンコール「富士山」歌。(※省略)
新郎に「上州はカカア天下」といひ4人でtaxi、大の家。明日「千草、咲耶来る」と。(※省略) 22:00ごろ眠る。
2月3日(日)
8:00起床。聖餐式にゆくこととなる。とよ先生失明に近きを知る。先生聖書をよみちがへられ、小声で直してユに叱らる。
11:30すみ近鉄百貨店にゆく途、岡林生の婚約者の家見付く。近鉄にて狐うどん食ひて阿佐谷。
佐伯に寄れば『堀辰雄全集』の残りまだ来ず雑本買ひ残り102円となり退去。(※省略)
千草来り、譏嫌よし、ふしぎなることかな。父よりの写真帖見せ、与へし物もち帰る。22:00就寝。

2月4日
4:00さめ5時起き、ユ7時起きる。入浴2回。許されて佐伯へゆき本買へば1,000と。借りてユあとにて返しにゆく。
その間、都丸支店長、吉祥寺女史、東条書店と電話し、ユ帰りしあとおとなしくなる。
17:00菊地生来り、卒論すみしといへば「白鳥君のこる」と自白す。電話して18:10帰り去る。(※省略)

2月5日
7:00起き9:00出て新宿、大久保へ10:30、待ちて柏木女先生の治療受け、待合室の『天津と華北・東北』欲しくなり、本屋さがしつつ大久保より阿佐谷。
本屋見てまはり書原にて『天津と華北・東北(1,800)』見つけて帰宅。(※省略)
都丸支店長君の『書道全集26冊』を4万円にて買取り、鉄冠茶もち来しに見せ寄りの電話にて19:00匆々と帰りゆく。
春寒をそろばんはじきふけにける

2月6日
6:30さめ8:00起く。「鮎のうた」見てよろし。9:30郵便局とカギ屋にゆき洗濯屋にゆき11:00帰り12:30昼食中、稲田さん来て(※孫入学報告 省略)
ユ、丸に電話、重俊帰らず丸夫人に「電話せよ」と伝へてもらふこととなる。(※省略) 「ツングース語辞典」の表題のみかく。(※省略)

2月7日
7:00さめ起きる。ユもともに也。9:00山住医院へゆき(※省略) 「外出禁止、タバコやめよ」と也。
(※船越)苑子に電話す。苑子来りcard見せ、100わたしユと出てゆく。(※省略)
プティ・パレに電話し福地夫人に「二度とゆかず、聖書にかけて」といふ。

2月8日
6:30さめ7:30起く。9:00ユ清瀬へゆきしあと、戸をしめ出て東京駅にて迷ひ、大野会場(※大高野球会)へゆけば日鮮会あり副理事長より挨拶うく。
補聴器つけし安達氏の来りしをはじめ、室清を最後に10人集り、発起人となり名誉会長に一回生の加藤竜郎氏選ばれ、幹事長に吉岡克己氏就任。
5日ごろ再会を約し一、二回生を残して解散、室と我と喫茶、室おごる。西川を訪ねて丸のこといへば「見舞に何もちゆかん」と。答へず51:30辞去。
中公出版にゆき我が第6詩集のこといへば「原稿見て」と社長と重役小倉氏の言。はうはう出て地下鉄さがしあて南阿佐谷にて下車。
書原にて2冊買ひて帰宅。ユも帰りをり、山住医院にゆき混雑の中をのど洗はる。けふは痛くなく血圧126と最高なり。(※省略)
全然仕事進まず躁はげしと思ふ。(ユの言にては夕よりやや収まると也。) (※省略)

2月9日
8:00さめユの朝食を食ひ、佐伯書店9:40来り、4万円と本買ひゆく。われ1千円もちてプティ・パレへ久しぶりにゆけば福地夫人をり。
散歩して川久保宅見れば玄関直しをり。またプティ・パレにゆき新人と福地夫人と話すをあとにて角の写真屋とわかる。
終戦3日前応召、終戦の日脱走し熱河へMongol軍の来しに応戦し逃れしといふ。
川久保に電話して「将棋さしに来ずや」といへば「校正4校とりをり、そのひまなし」と。ユ、川久保の路旁の人なることをいふ。
平野義太郎氏は満鉄の資料室長と連絡して『北方ツングースの社會構成』訳完成せしめし人なり。〒なし。
(西川に電話して栗本中公編集長のこといふ)。苑子より連絡なし。禎子(よしこ)吐きつつ物食ふとなり。三日間ほど眼いたく涙出る。(※省略)

2月10日(日)
7:30起床。9:00礼拝にと家を出る。トヨ先生1ヶ月入院とて先生元気なり。新会堂を見にゆくため早めに説教すまさる。吉祥寺へ出て会堂をのぞく。
講堂前よりせまくなった様なり。便所は男女と分けらると聞く。出て吉祥寺駅。
買物するユを待ちタバコ1本吸ふ。禁酒禁煙より礼拝出席が大事とのみ教へに従ひし也。佐伯に寄り『民俗学の話(1,000)』買ひ家にて昼食とり、
ユの荻窪へ出る前に丸に電話してゆく。途中Hope(75)1箱買ひて与へれば喜ぶ。
夫人ともども重俊に畏れて物云はず。同僚と弘前へゆきしといふに呆れかつ怒る。帰りプティ・パレに寄り電話すれば二度目にユ出て16:00より外出と。
一旦帰宅。ユの出るを待ちまたプティ・パレにゆけば「明日福地夫人来る」とboyとgirlいふ。(※省略)
帰りてteleviのVolley-ball見てゐればユ帰宅。重俊には火曜に厳重にいひわたすとのことなり。(※省略)
わが生(よ)をばくはしく書かん志 われに起りぬ幸せのゆゑ。

2月11日
22:00すぎ就寝。7:30起床。(※省略) 佐伯へゆき、碁うつタバコ屋見て帰り、叱られて母の家へゆけば西島順をり「大の芝居見につれゆく。月収15万円」と。
プティ・パレにゆき福地夫人に久しぶりに会ひ「何故怒りしやわからず」と也。苑子来りcardかく。西川満邸にゆけば伊豆に避寒と。
留守番の女史にHeineをことづけ茶と菓子と賜る。
ユの買物の間に山口基(※山口書店主)来り『田中克己初期文集』(※『R火』所載文のコピーを製本したもの)といふを出す。
おどろきて『四季』(※復刻版)進呈、うどん食はせwhiskyに危くて青梅街道まで『四季』はこびtaxiに「神保町まで」とユ云ふ。
やがて電話、夫人より礼と眼鏡なきや云々、あとにて「眼鏡出て来ん」と山口君。televiユにいはれて「北緯34°32」見る。

2月12日
7:00さめユを起す。寒さややゆるき由。9:00和田夫人呼び古稀祝を箱根でといへば「都内で」といふ。すぐ出て佐伯へゆきついで神田。
山口基に会ひわが「万葉地図(※『R火』所載)」などのcopyもらひ、すし出され少し食ひてのち出、小学館にて鈴木省三氏を呼べば「15:00 まで帰らず」と。
山本書店にて中央アジア関係の本、大学へ来年度予算にてと注文し、地下鉄東西線に乗り中野止りゆゑ、
思ひつきHope2箱買って丸家さがし当てれば丸喜ぶ。「重俊は23:00帰宅」とのこと也。都丸支店にゆき支店長と割勘にて喫茶、帰宅。
西川、神田、和田、小高根の諸知己に『古稀記念論文集』中公事業社より出すゆゑよろしくと挨拶す。(※省略)
20:30西山博士より電話「池田氏(※池田勉)転任はダメ。了承するや」と。「了承した。本代10万円くれ。」「やる。」との問答なりし。

2月13日
5:00起き朝食後1時間眠る。10:30出て佐伯夫人に成城への納本承知させ塩入先生にゆく。先生「健康に気を付けよ」とのみ。
母の所へゆけば「今夜、大、帰国する故」と五目飯くはさる。ユの来しと入れちがひにプティ・パレへゆき福地夫人の史より1才年下なるに気づく。
石井正吉氏より京都の千枚漬「『神軍』初版入手」と。早速返事かく。(※省略)

2月14日
7:00起床。くしゃみ出て風邪やまず。小森副手に電話すれば「学部の購入(※今年度は)もはやダメ。大学院の植木さんにいふ」と也。
ユ帰らざる故、プティ・パレへゆき茶とパン採る。帰ればユ帰りをり。村山高、佐藤健、高橋重臣の諸氏よりの便りに返事かき、鼻水止まらず困る。 (※省略)
歌うたふ心も失せて鼻水をすすりてをれば来りし便り。(※省略)

2月15日
7:00さむ。風邪やや良し。ユ「遷界令と五大商」copyにともちゆく(10:00)。13:00まへ印刷屋にゆけば出来てをり「松竹梅」目の前にてやり呉れし(200)。
佐伯へ寄り支払遅れるかもしれぬといひ『国語辞典(1,000)』買ひ来る。森山さん14:30来り、漢文の予習の処すみ、ついで高野夫人来りユともども語る。
(※省略) 出て印刷所にてcopyとり金払ふ。漸次『古稀記念論文集』の準備進む。(※省略)

2月16日
熟睡7:30起床。9:30苑子来りてcard代(120)払ふ。プティ・パレへ2度ゆく。(※省略) 方々にて古本買ひ、新本買ひて1万円なくす。
『朝鮮史』『朝鮮語入門』など買ひし也。ユ、絵にゆき静物未完成にて帰り来る間、copyにゆきわが『古稀記念東洋学論文集』ほぼ写し了る。(※省略)

2月17日(日)
6:00さむ。咳つづきし由。礼拝ふたりとも休み、われ11:00ごろ母のもとへゆけば大をり「十字架パリの土産」とくれる。
もちてプティ・パレ。電話せしもユをらず。しばらくして帰ればをりパンくはしくる。旨し。(※省略)
寒くて室にこもりをり、ユも戸田先生の祝宴にゆかず。(※省略) 丸に(※電話)、西川見舞に来しと。村山高氏のことも伝ふ。
重俊の相手川副女史、橋にて会ひ「日曜デート」とききし由。めでたし。(※省略) 「中国の諺」の掲載紙見つかり大喜びす。めでたしめでたし。

2月18日
6:30起床。ユ7:30起き9:00先に出て塩入先生。タバコ2本吸ひて御診察。(※省略) 帰ればユpãoを食はす。
14:00石井正吉君来訪。京阪にて各1冊と初版の『神軍』まあたらしく函入りなるを取出して署名さす。『白楽天』見せれば漢文やりたしと。
進学にてはなく、わが詩歌を愛する也。うれしくてプティ・パレにつれゆき彼はmilk、我はteaまた飲み「そのうち歌見せる。先生お疲れ」とて別る。
夕方、山住dr.にゆき「のど赤し」と洗はれ薬もらひて帰宅。ユまことに疲れをり。(※省略) 美紀子より20:10電話、「ハッサク贈る」と也。

2月19日
6:00さめユ7:00起く。京より電話「来るに及ばず」と。
14:00山本書店の令息実君来り、わが原稿もち「中央公論事業出版社の社長と相談の上、見積りさす」と也。
よべよりの雪とけし中を帰りゆく。風邪やや宜し。

2月20日
6:00さむ。ユ7:30呼びて起す。11:00散髪にゆき帰り途に迷ふ。午飯のあとプティ・パレへゆき喫茶(220)。
高円寺にゆきしも瀬見氏見えず。買ふ本もなくただ竹岡書店に買ふ気十分と見て「その内呼ぶ」といひて帰宅。
ユの買物に出しあと瀬見氏見え、紅茶賜ひ横田二三子氏編の33回忌文集見せらる。(※省略)
ユ、依子に電話すれば「風邪ひき裁縫に精出しゐる」と。

2月21日
6:30さむ。8:30出て9:30登校。天丼注文し教授会。事なくすみ竹岡書店来るを待てば13:00来り、『東方学』のそろひ8万円、あと雑本8万円にて、8万円おきゆく。
帰りてプティ・パレ。アキちゃん我のことを福地夫人に恋すると邪推しをり。昭和14年生れにて依子と同歳なり。
帰りてユの帰る待てば「尚子意識不明、柏井歯科今週休み」と也。楽天的に回復をまつとのことに帰り来しと。
夜、竹岡兄弟来り、本また売るやと菓子もち来る。「日曜午後再来」と也。8万円の残りおき去る。

2月22日
23:00と2:00とに尿に起き7:00起床。9:30出て大久保の柏裕堂に10:10ゆけば先客あり風邪薬と双方にて5,900。向ひのルノ アールにて喫茶。
風邪薬のみ、茶禁止され途端に鬱となる。ユ、母の処へゆきし留守に森亮氏の『ロセッティ小曲』届けられ恐縮。岩崎昭弥、中山八郎両氏へ返信。(※省略)

2月23日
8:00ユ起き、我れ先に起きをり。午后プティ・パレより高円寺へゆけば本少々買ひ、瀬見氏より紅茶の接待受く。
夜、森亮氏に礼状かき、(※省略) けふは『日本歌人』来しのみ。

2月24日(日)
ユのみゆき我、礼拝休む。ユ、母のためひかりの切符買ひ来し。われ外出せず。竹岡書店より電話あり「売る本なし」と答へてすむ。(※省略)
20:10高橋重臣君より電話、ユきけば「禁酒。あす夕方来る」と也。我鬱にて困りをり。

2月25日
6:30起床。10:00佐伯へゆき買ふ本なくプティ・パレ。村上夫人一人にて喫茶後、帰来。
18:00高橋重臣君来り「八木と今西春秋の仲しらず」と。夕食くひ、酒医師に止められゐるとてのまず。21:30まで話し眠る。

2月26日
7:00起床。高橋君も起き来り、朝食の用意しユ、母と京宅へと出てゆく。清水さんより電話あり。高橋君、神田へと10:30出てゆく。
11:30天丼食ひにゴールド街へゆく(480)。健太郎より電話「バアチャン帰る」と也。ユ帰り「京、ウツ症」と。母にも聞こえざる声にて話せしと也。
(※省略) 22:00眠る。

2月27日
6:00覚む。晴。母来り、ユと出てゆくに先だち11:00出て東豊書店へゆき『高山族調査報告書』など16万7千円払ひ、何も買はず出て高円寺下車。
球陽書房支店にて本1冊(250)買ひプティ・パレ。すぐ出て在宅。ユ17:00帰り来り、(※省略)
夜、京、姑にはきげんよしとわかる。甘えなり。(けふ山住閣下に逢へば白眉となりたまふ)。

2月28日
眠れず。3:30入浴してのち9:00まで眠る。増田晃の妹君よりハガキありしのみ。食欲なくて困る。(※省略) 兼清より電話「伊藤登死んだ」と也。

2月29日
よく眠り午寝もせしあと鍵かけて(ユ三鷹へゆく)プティ・パレ、高円寺にて『李白』見つけ瀬見氏に贈ればユのため買ひし絵葉書500にまけ呉れる。
そのあとプティ・パレ(『銀花』の増田晃氏かきし号見つからず)。帰りて退屈しをればユ帰り、光一に電話し尚子やや意識回復らし。

3月1日
よべよく眠り7:30起され登校。10:00すぎより大学院面接。修士3人おとし博士2人通す。午食に幕の内食ひ報告会すまし雨の中を帰宅。
ユ、画の稽古しをり16:30帰宅。(※省略)

3月2日(日)
ユに7:30起され礼拝にゆく。(※省略) すみて帰宅。
13:00苑子card100枚もち来る。あとcard買入立替たのむ。
尚子やうやくものいふ様になりしと也。(※省略) 来週にも見舞にゆくときむ。

3月3日
9:00さめ塩入先生にゆく途、柏井歯科へゆく。すぐ診察あり体重41キロとふえてをり。(※省略)
プティ・パレへゆけば臨時休業と。ザマミロ也。
外池昇より「謝恩会23日夜」と出欠問ひ来る。出席と答ふることとす。

3月4日
7:30起されユ、京のところへと出てゆく。午、茶とpãoの為よそへゆけば例の老人も来る(※不詳)。ユに電話2回すれば健太郎出て用すむ。賢し。
弓子よりも電話、あとにて聞けば喪服のこと也。舅いよいよ絶望らし。

3月5日
6:00さむ。ユ出ず。われプティ・パレへゆけば村上夫人病気と。気をよくして高円寺。一寸本屋のぞき帰りまたプティ・パレ。寒やや退く。(※省略)

3月6日
9:00さむ。ややに暖く11:00プティ・パレへゆけば村上夫人病臥と。
福地夫人と話し高円寺。瀬見氏茶おごり呉れ、横田少尉戦死の新聞の写し見せくれ茶おごり呉る。
帰りまたプティ・パレ。(※省略) けふ皇后の喜寿とtelevi放送見る。
(苑子のcard気に入らず。一度説教せん。)

3月7日
6:30さめ11:00出てpãoと紅茶(600)。タバコ買ひ教授会に出席。(※省略)15:20帰宅。
(※省略) 夕食後、校正を見ればなってをらず、憂鬱となる。(※省略)

3月8日
近藤生より電話、卒業を喜ぶと也(8:00さむ)。雨とて外出せず。
「アンジュ族の殉死」初校すます。悒鬱なり。

3月9日(日)
雨降り夫婦ともに礼拝にゆかず。無為。

3月10日
昼食後プティ・パレへゆき氷紅茶のむ。暖し。高円寺までゆき何もせで帰り来る。
(民研へ校正速達す)。石井正吉君より「歌作った。見よ。」と電話。

3月11日
寒し。ユ清瀬へ9:00出てゆく。午食地下街にて雲呑食ふ(380)。16:30ユ帰り来る。禎子笑はずと。

3月12日
ユ、パーマにゆきし間にプティ・パレ。帰り来て昼食13:00。すみて丸宅へゆけば鍵しめをり。またプティ・パレ。
(※省略) 西山博士より電話「池辺弥氏、短大主事となりし云々(※省略)」と。

3月13日
9:00起床。ユ10:30三鷹へゆき京の見舞金ことわられしと也。
われはプティ・パレにゆき紅茶のみ帰宅。(※省略) 鬱とれず。
石井正吉君より歌来る。下手なり。田中久夫氏より『鎌倉仏教』賜はる。

3月14日
9:00さむ。雨降りをり。午后河野夫人弘子来り色々話す。最後は原田への悪口なり。
ユ送りかたがた出しあと依子より「お祖母さん来た」と。
京より電話あり、のちほどまた電話、禎子入院かと。鬱ひどし。

3月15日
9:00さむ。鬱ややのく。午后2時半、荻村・近藤・秋元生来り、時計とユへの贈物呉る。申訳なし。
4時半頃帰りゆく。可愛きsemiなりし。21:30床に入る。

3月16日(日)
8:30起床。ユと礼拝にゆく。4人の新伝道師へBible贈らる。23日がイースターと也。
京より電話、病院よりと。ユ、折しも買物にゆきをり。哀れなり。明日ゆくこととなる。

3月17日
ユ、清瀬へと9:00出るとともにbus停留所までゆき、塩入医院9:30一番にて「死にたくなった」旨申上げれば薬かへらる。
一週間分8,900払ひ出てプティ・パレ11:30。pãoとteaへゆき(※省略)
14:00またプティ・パレでteaのみ、帰り来れば健太郎より電話、ユ16:00帰ると也。
俟てば18:30帰り来り。(※省略) 近代文学館より西島南峰(※実父喜代助)につき知りたしと。
宮崎康平氏逝去。ザボン呉れし人にて62才と。

3月18日
曇。朝よりだるく散歩にゆかんとして引き返す。
佐藤誠より「花嫁来日おくれ披露宴延期」と。終日無為。

3月19日
10:30登校。(※省略) 10:00より入学選衡会聞きゐし也。(※省略)
12:00すぎ終り昼食し、栃尾君に1万円分本売り了へ、金受取る。ケ先生また北京へゆくと也。
匆々出て15:00プティ・パレへゆきて帰れば16:00すぎユ帰宅。
小林の父上の入院費用(※省略)善一郎君承知せしと也。(※省略)

3月20日
よべ4:00尿にて起き、あと寝もやらず9:00起床。(※省略)
村上正平とて新幹線にてともに話せし明大法科大学院生来る(道わからずと電話かけし)。
気持よき青年にてJohnny Walkerのみ鰻食べしあと帰りゆく。福山の出と也。
あす天気わるしとて墓参とりやむ。(※省略)

3月21日
ユ午后三鷹へゆく。われプティ・パレへゆき椅子ひっくり返して足を傷く。
悒鬱たへがたき処へ久礼田房子女史の『夢幻空花』着く。亡夫を偲びたまふ悲歌なり。
ユ16:00帰り来る。小林父上ただ死をまつのみと。

3月22日
雪降る!午后青梅街道まで散髪にゆく。(※省略) 大橋生5千円の蘭もち来る。
茶も出せず弱る。ユ帰り、尚子食をはき出し不相変夫も息子もわからずと也。
この間の我との握手は何なりしや不明。大橋生に5千円の祝贈らんかと思ふ。(※省略)

3月23日(日)
晴。9:00出て10:00前成城。泥の中を大講堂までゆき卒業式に列席。(※省略)
13:00より学科会。(※省略) 16:00出て東西線にて九段下。Grand Palace Hotelにゆき豪華なる席なれど開会おそく、また贈物もらひ20:00すぎ退席。
秋元生袋くれ花束と贈物(あけ見ればタバコセット)もちて東西線にて帰宅。
夜ねむれず0:00まで転々す。

3月24日
晴。8:00さめ9:00すぎ出て塩入先生。(※省略) 鬱いひ薬たまひ12:00帰宅。
14:00ユと柏裕堂にゆきともに診察受く。森山女史四日に来ると也。
薬調合の間に出て新宿三丁目まで歩き地下鉄にて銀座下車。すぐ近くの成城クラブにゆけば幹事川上宏氏のみ。
やがて17:00主賓来りしも開会17:30、南博氏の音頭にて乾杯。すみて閑談。
山田文芸学部長、堀川直義大学院主任の話あり。みなツーツーなるに感心す。
在学9年にて止め仏英に夫人と遊学したまふと。羨しき限なり。20:00すめば川上教授、わがためにtaxiをと。築島先生のいひつけ也と。(※省略) 21:00すぎ帰宅。茶漬食ふ。

3月25日
曇。9:00さめユにせかされて朝食し9:30吉祥寺へと出てゆく。(※省略)13:30帰り来る。
(けさ弓子より電話、舅4:30逝去と。) (※省略)

3月26日
9:00起床。朝昼兼帯の飯くふ。(※省略) 無為。外出もせず。
ユ18:00お通夜にと出てゆく。(※省略)庭のサフラン咲く。

3月27日
晴。よべよくね、12:00家を出て三鷹の小林善治翁の葬儀にゆく。親戚多く盛大なりし。
京夫妻来り、健太郎ついて来る。ユ、林・牛木の二家の婚姻につき苦労す。

3月28日
よべ健太郎の泣きにてさむ。8:00朝食。ユ健太郎つれて出るまへ、(※山本書店の)山本実氏来り、
(※著作出版に)50万円ほど(200部分)出せばよし。『中国の民俗と歴史』と仮称よしとて12:00直前去る。
(※省略) われプティ・パレへゆき帰りて茫然たり。夜、大橋智子へ5千円祝として返す。

3月29日
8:00起床。ユと柏井へゆき光一に義歯のとりかへたのめば4月15日には間に合はずと。
(※省略) われプティ・パレにゆけば福地夫人をり18:00まで勤務と。
17:00前、ユ帰りRigident 前に歯医者で買はされしと見せる。(※省略)

3月30日(日)
礼拝に夫婦にてゆき「棕櫚の日」と教はる。ユ清水赤塚2嫗と話すとてわれ氷茶のみ、ゆっくり帰りて待ちをれば13:00帰り、林氏の詫状必要と。 (※省略)
(丸重俊来り、縁談ことわると。)われやや躁となり丸重俊もち来りし金沢のハクセンコウ食ふ。
けふRigident使用、歯つかへることとなる。

3月31日
8:00さむ。ユ清水さんへゆき、われ柏井歯科。(※省略) 浪速双書みな返さる。
帰宅して13:00昼食。中公事業の須藤氏へ電話し印刷よそでと了解求む。(※省略)

4月1日
雨降り寒し。夜、西氏より電話「鞦韆院落夜沈々」と「月落烏啼霜満天」の作者きき来る。『字源』引きて蘇東坡と張継と答ふ。3分しかかからず。
(川久保、関東学院大学やめさされし由)。
小高根太郎に電話し(※著作に付する)「始皇帝の末裔」に引きし「三浦常夫(※小高根太郎のペンネーム)」を本名にかへることいへば「宜し」と。
丸重俊の相手「承知、今後とも宜しく」と也。televiにて五味康祐癌に死に58才と。

4月2日
ユ相変らず謝罪文のことに関係し15:00清水嫗にて会すると。
14:00ユ出てゆきしあとプティ・パレ。阿紀ちゃんわれのことHといふ。
かまはず高円寺にゆき3冊買ひ、また2冊買ひて帰ればdouble3冊。(※省略)

4月3日
晴。昼食後プティ・パレへゆく。すぐ引返し高校野球を見る。
松本善海未亡人規久子氏より20日14:00善海の7回忌と。(※省略)

4月4日
ユ8:30出てゆく。三鷹の孝行つれて京の許へと也。午まへ宏一郎と克次朗と来り、将棋さし1,000やれば喜びて帰りゆく。
菊地生14:30来り、(※省略) 森山女史来り、(※省略)

4月5日
早く起きしも3万円もちて地下鉄、中野坂上にて3ヶ月分の定期買ひ、朝鮮の民俗の参考書とらんとす。
(途にて神田氏に会へば抜刷賜ひ、和田君承知と)。式には出ず築島氏見つけて喜び、栃尾氏と話しゐれば築島博士は学園長、学長、学部長に挨拶に来しと。(※省略)
新宿にて小田急dept.の14階にゆけば築島博士払ひ、ただにてcaféのみ玉ふ。
人に好かれる人なり。1時間して別れて南阿佐谷、川久保訪へば在宅。満洲語われより出来るやうになりしにうれし。(※省略)

4月6日(日)
ユと礼拝にゆく。復活祭にて長老たち皆そろふ。(※省略) 12:10母の家につき誕生日の祝となる。(※省略)

4月7日
塩入先生にゆく。血圧125にて、(※省略) プティ・パレでpão食ひ、14:00来るかと思ひし寿一15:00来り、瀬見さんと同坐。
『女体美大系(2万円)』と引きかへに3,000の本もちゆく。『ソ連百科辞典』12万円と也。
寿一のこりて寿賀子の電話かかりあはてて帰りゆく。(※省略)

4月8日
昨日と同じく5:00にさむ。10時までに出ることとしユと共に新宿。京王特急にて11:35五日市行に乗り(※上川霊園)。
2年分の墓地代払ひ、梓と次彦の墓の前にてpão食ひ紅茶のみしてのち、讃美歌「きよき岸辺に」合唱す。(※省略)
新宿へ6:00着き都営の地下鉄にて山本書店にゆけば店主と令息とをり。電話にて吉川幸次郎氏死去と入矢義高博士よりの電話なりし。
(※省略) 高円寺にて下車。瀬見氏に会ひにゆけば8時まで営業と。「あす13:00に1.2万円もち来る」といひて早足、飯をうまがりて食ふ。
(※省略)  五味康祐の葬儀21日と。保田来るかどうか。(※省略)

4月9日
3:00さめ朝食のあと1時間眠る。13:00午餐、プティ・パレへ寄り13:00瀬見君に会ひにゆけば買付にと。
30分球陽書房にてゆき『おもろ語辞書』買ひ待てば瀬見兵長迎へに来る。ちゃんと受取くれ茶に誘へばついて来て我に払はす。
その代り『ロシア語辞典(500)』只にて呉れし。(※省略) プティ・パレにまた寄り茶のみ(250)金なくなって帰宅。
(※省略) ユ20:00美紀子に筍の礼いふ。「野麦峠」televiに見て我、築島先生の泣きしを不思議に思ふ。(※省略)

4月10日
5:00にさめ朝食くひ(※省略)、プティ・パレに11:00ゆき(※省略)、高円寺。「ココ」へゆき昆布茶注文し添へしせんべい食ひて都丸にゆけば瀬見氏ゐず。
球陽堂にゆき『甘藷の歴史』買ひ、(※省略) 都丸にゆきしに瀬見氏見えずまたプティ・パレ。お茶のみ来合せし鈴木写真店と話し、(※省略) 帰宅して10分すればユ帰り来る。
築島博士に電話して「(※「野麦峠」の)どこに泣いた」ときけば「兄貴せ負ひて死にしところ」と。われは楽しき時泣くといへば納得。
夕食して和田、神田(※和田久徳・神田信夫)2君へ電話せしも通ぜず野原四郎氏に電話して知己を謝し書簡箋の薄かりしこといへば礼すでに云ひしと也。
筒井(※筒井護郎)に電話し、羽田(※羽田明)に電話すれば(※省略)、「5月17日泊めよ」といへば「泊める」と。
(※省略) (田中冬二氏逝去、86才と。)(※省略)

4月11日
7:30さむ。神田氏に電話し和田氏への伝言托す。岡林に10:00電話し喜びの声きく。
柏井へユと同行し(※省略)11:30数男と3人で医大病院へゆく。(※省略)
数男に案内されて医大病院307号室に尚子見舞へば痛がりつつも話す。(※省略)
ユと新宿で別れ山本にゆき学校への本注文し、山口基にゆき『四季』の代りに『楊貴妃とクレオパトラ』貰ひ、その内また来るといふに安心(『コギト』140見たしと也)。
山本にひき返り中華丼のこといひ『説郛(3.2万)』注文す。
(行きは白水に遭ひ、帰り山住正己氏に遭ふ。戸田先生にも遭ひ、あやまれば宜しと也。
夜、木曽の荻村家に電話すれば母出て「雅子在京」と。夏のことも承知と也。)(※省略) 川久保に寄りいろいろなぐさめる。

4月12日
7:00さめ11:00中山太陽堂夫人来り(われプティ・パレにゆき帰りし)「先生昔通り」と喜ぶ。ともにプティ・パレにゆき「また来る」といひて、ちりめんじゃこ土産としてもち来る。
13:15去りがてにして去り、帰って来れば荻村生、花とカステラもち来り、夏の別荘承知と。ともにプティ・パレにゆき紅茶のます。(※省略)

4月13日(日)
礼拝休む。プティ・パレの齋藤女来り、わが写真帖見せ『女性史』貸す。
17:00山口来り、プティ・パレにつれゆき『コギト』120号のcopyやる。
夕方、瀬見氏来り22:00まで話しゆく。馬来派遣軍の「富」なること忘れし也。

4月14日
6:00さめ11:00弓子来り台所掃除す。ユ帰りしにわれ大久保堂柏裕堂にゆき先生診察簡単、薬10日分といひしに3,200。
東豊へゆけば簡君無愛想なりしもかまはずラーメン食ふ(230)。
帰りて16:00、来る筈の山本待ちしも来ず、電話すれば「忙し」と秘書。
「我も忙し。出版とりやめ」といひスキッとし、川久保にいへば喜ぶ。
瀬見氏大雨にて来ず。19:00雨やみて来り、7万円にて本買ひゆく。入浴中木下生より電話。

4月15日
6:30さむ。授業教室写す。11:00すぎ登校、(※省略)
535のsemiにゆけば女学生3名をり(※省略)、我家へ誘へば来りて狐うどん食ひ(350×4)、21:00ユの促すまで笑ひゆく。「野麦峠」「戦場に架ける橋」見て24:00就寝。

4月16日
5:30中野清見、西川英夫、築島夫人、神田君(※に電話)。
山本の尚子嬢に「実来させよ」といへば「15:00来る」と電話。来りて行田に住む。父は牛込と。50万円もちゆき仮受取かく。
瀬見氏にゆけば『新唐詩選』2冊にて300円と。気の毒にて550円おごる。
明日尚子の手術にてユ早く出ると。健太郎より長電話のあと(川久保に数万円とられしと嘘吐く)、
田中正俊氏に「(※新著)9月10日頃出れば買ってくれ」といへば「皆にいふ」と也。(※省略)

4月17日
雨。6:00さめユ7:30柏井尚子の手術に立会ふと忙しくしをり。(※省略)
11:00登校、天丼あつらへ1/3食ふ。(※省略)高田と教授会にゆき(※省略)。
高田に同行、potageとhot-cakeにてすむ。喜んで帰り高田宅に9千円の財布忘れしと。面白く「明日夫人届けよ」といふ。
(※省略) ユ、数男の狼狽ぶり話す。中山太陽堂夫人より「木曽へ呼べ」と。

4月18日
6:30さめ登校の途、戸田家へよりみつき夫人と話し、鎌田女史の抜刷わたす。
11:00に登校、(※省略)、高田から忘れた財布受取り民研にゆけば筑摩出版社をり、「マンジュ族の殉死」の再校すまし平山と話す(『日本中性家族の研究』呉る。)。
出てpão屋、(※省略) 18:00すぎ帰り川久保の電話ありしときき電話して来りしと将棋して二歩で負ければ喜び、5千円置く。
阿南の本のこと話す。

4月19日
7:45分さむ。午食し散髪にゆく。躁やまず。瀬見氏に『天理の善本稀書(1,200)』ゆづらし『美人画』を球陽書房にて220にさせ、プティ・パレにてcaféたのみ飲まずして出る。
(※省略) 『天理の善本稀書』よみ了り瀬見氏に返本の電話して了る。

4月20日(日)
礼拝夫婦とも休み、ユ大掃除すまし川久保11:00来り、将棋さし勝ち、松本家へゆけば坊主の読経と説教(※松本善海7回忌)。護雅夫君Protestantと。
松高の同窓生1人来しのみ。西島(新潟大教授)、羽田最上席に坐り父子御霊を説教中に感ず。
すみてわれのみcoca-cola(※省略)、羽田、川久保とを我家へ案内す。
羽田『ソ連百科辞典』にフフンといひ川久保の入厠に憂いふ。旨くなだめると也。
18:30川久保、羽田を(※自宅へ)案内す。羽田家に電話す。夫人出て「承知」と。

4月21日
7:30さめ塩入先生へ9:00出て柏井歯科へよれば光一の嫁カヨ子と話す。我のことおぼえをり。
塩入先生、わが好調にあはて給ふ。帰り柏井に寄り、歯すみし。7〜8万円と。
(ユ、長谷川歯科30万近くかかりしと)。
西川満に寄れば夫人出て先生伊豆の山荘と。(※省略)

4月22日
登校、3時間みな早くすまして津端生ともなひて帰り21:00までおきて帰らしめ、電話かければ2度目に本人出る。
東洋史120人となる由、宣伝力の早きに感心す。

4月23日
7:30さむ。杉山平一『詩への接近』かきしと。郵便局へゆき『無限』の2,500受取り、うつぎ書房ひやかし佐伯にゆけば留守と。
隣のしるこ屋に青年誘へば「赤軍派よりまだ左翼、公判中」と。
石竹(500)買ひ山本印刷へ寄れば主人をり、製本機150万円でも買ふと。
午食してプティ・パレに寄り茶のみ高円寺へゆき都丸に寄れば会議中と。
Cocoにて喫茶(250)、(※省略)

4月24日
7:30さむ。11:00登校、12:00文化史の会。森岡主任、平山、両田中(※田中日佐夫,田中宣一)、新城にて昨年通りの論文作成の注意くばり紅茶代1,000を出せ、購入は25万円と。
東豊へ寄れば主人外国へゆきしと。我、掌櫃的(※店主の代り)つとめて帰宅。

4月25日
7:30さめゆるゆる出てcard屋へゆけばしまりをり、10:00故、台所へまはれば夫人出てcard300円分わけくる。
11:00登校、(※省略) 神田君まてば14:00かっきりに来り、万事了解と。
すみて神田家訪問すれば大人のこして神田君去り、喜一郎先生の東京住まひとて本包来をり、神田君の去りしあと大人を笑はして帰り、
東豊に寄りまた掌櫃的つとめ、家に3回目の電話して帰宅。(※省略)
21:30ユ眩暈起し吃驚せしむ。中西夫人より増田晃のほめことばのりし『銀花』送り来る。

4月26日
佐伯へゆき本なし。Watchtower(※ものみの塔:エホバの証人)の男女来り、放々の態で逃げゆく。
午食し高円寺。竹岡の母死にしとて球陽書房留守。Cocoにて瀬見氏まてど来らず、再度プティ・パレにゆきて帰り来る。
(※省略) 瀬見氏21:00より0:00まで我が話きき帰りゆく。

4月27日(日)
9:30さむ。(※省略) 瀬見、柏井、岡林、田中正俊、神田夫人に電話かく。
菱川夫人、夫と2児つれ来り19:00ごろまでをり、子供2人の悪きに感心。将棋さし1番負く。

4月28日
8:00さむ。柏井にゆけば歯出来をり。西川満氏を訪ねビーフンよばれ『ああ野麦峠』と伊豆の別荘とをfilmにて見せらる。「うすら泪のにじむをおぼえし由」。
大の所へゆき『四季』もち朝鮮学校へゆけばわれの寄附せん本のこと忘れをり。
大毎の奥さんのところにて『ああ野麦峠(450)10版』とり鈴木写真館、プティ・パレを通って帰る。(※省略)
瀬見氏に18:00「来よ」といへば来り「老兵の記録」copyし了へしと雑本売れば3,500置き0:30まで騒ぎて帰りゆく。杉山平一氏よりハガキ。
(NHKへ「のど自慢に出してくれ」とハガキ出す)。(中野清見より電話、丸のこと訊ぬ)。(杉山平一氏より本出した、恥かし云々)。(寿一に「来い」といへば「30日午后来る」と)。

4月29日
8:30覚む。朝食後高円寺へゆき5,000の本買ひて帰宅。宏一郎来り、将棋さして負かす。くやしがって家へ帰る。宮崎幸三氏に電話し「3日14:00参る」といふ。
丹波鴻一郎に電話し「古稀の祝せよ」といふ。躁、下火の由、ユいふ。

4月30日
9:00起き文房具屋へcard(300)買ひにゆき、(※省略)
不二歌道会の長谷川塾監に(本※不詳)呉れといふ。(※省略)
杉山平一氏より『詩への接近』贈らる。わがことよく書きあり(ハガキにて礼いひしあと也)。(※省略)

5月1日
8:00さめ9:30出てユのもちしsandwich食ふ。(※省略) 学年2年生の男女二人つれて帰宅、ケムに巻く。
川久保20:00来り、我の鬱みてbeer1本平げて帰る。岡正雄氏、脳軟化症と也。(※省略)

5月2日
8:00さめ10:00佐伯へ寄りしも本なし。card屋起して登学。13:00まで待ちくたびれ235号室でLorelei教へ中国古典20分ですまし高田君にteaおごらる。
岡本敬六教授と同車。(※省略) 南新宿で下車。東豊に寄りラーメンとってもらひ食ひてのち帰宅。『近代史研究(460)』で買ふ。
夜、築島さんより電話、5月23日に会ふ予定となる。(※省略)

5月3日
8:00起き、プティ・パレにゆき(山住女医起し本の礼いふ)(原稿用紙屋起しcard100枚買ふ。)
帰りて木下生来るをまちthemaきめよといへば匈奴の研究したしと。弓子母子来り、画にゆきしユの帰るを見て帰る。
瀬見兵長「老兵の記録よみ了へし」云々。戸田邸に青木書店来るときき追出して嗤ふ。
川久保訪問。植村清二『歴史と文芸の間(360)』買ふ。

5月4日(日)
7:00さむ。9:00まへ出て佐伯にゆけばしまりをり。9:15発にて新築の教会にゆけば3列目の先頭。満員なり。(※省略)
プティ・パレにゆき高円寺にゆけば古本屋休み。またプティ・パレに寄り村上亜紀子嬢つれ帰り将棋教へれば、佐藤嬢「村上夫人用あり」と呼びに来る。
またゆけば亜紀ちゃんをらず佐藤嬢「あす17:00一寸来る」と也。統夫夫妻来り尚子見舞へば好調と。(※省略)
瀬見氏呼び本売れば3千円呉る。22:30までねばりをり。

5月5日
5:00さめ9:00塩入先生へゆく途柏井に寄り一寸話し病院にゆけば女子我を避く。薬もちて柏井に渡し西川満、大、金沢をへてプティ・パレ。
ユの帰る直前帰宅。(※省略)
またプティ・パレ。遠藤女来るかと思ひしに来ず(亜紀ちゃんは祖母の看病と)。
(堀内達夫より速達「先生クリスチャンでせう」に参り、もはやかけずといふ。) 遠藤郁子ちゃん来り歌うたふ。

5月6日
6:30覚め10:00佐伯へゆけば相手とならず。card100枚買ひて登校。ユの作りしsandwichみな食ひ、大学院みなをからかひ、次の東洋文化史もいい加減にて止め出欠とる。
そのあと5時限のsemi3女と木下生とにて喫茶。帰宅すれば植村先生より「本送る」云々。(※省略) 

5月7日
6:00起き柏祐堂へ10:00つきすぐ診断受け薬もらふ(7,900)。Renoirでお茶のみ卵つく。帰りて花井たづ子来るを待ち、長々と話しきく(プティ・パレへ2度ゆく)。
その帰りしあと銀座より岡林生電話かけ来り、20:00まへ来り21:30まで夕食し姑舅の話し、菩提樹歌のこととなる。
(杉山平一君よりわび状来る)

5月8日
5時半さむ。朝食のあと午寝1時間。10:00出て登校。科の会に出ず。鎌田女史(※鎌田久子)『女の庶民史』ユにと呉る。はじめての著書也。 (※省略)
帰宅。プティ・パレにゆく。福地夫人笑ひつづける。和田久徳氏より抜刷と手紙。電話して「明後年の講師承知」と。

5月9日
7:00さむ。7:30朝食。10:00家を出る。雨。中国古典の時間すみ男女2生さそひ食堂にて喫茶。まづければ舟越を成城pãoに誘ひ、(※ 省略)
東豊書店にゆき『国史稿』2,3買ひ1万円くづして帰宅。プティ・パレへゆけば福地夫人をらずすぐ帰り川久保誘へば19:00来り21:30まで酒飲み将棋さす。
(※省略) 三好孝(達治の甥)より「(※出生地大阪市)西区は達治の自称」との長き手紙。(※省略)

5月10日
5:00さめ7:00朝食。10:00佐伯へゆき『シベリアの狩猟儀礼』買ひ、プティ・パレ。すぐ帰り昼食すみて高円寺の都丸支店にゆき瀬見氏とココにて喫茶。またプティ・パレ。
宏一郎と克次朗と来しに将棋さし500づつやりて帰らす。プティ・パレの福地女史に『日本の詩歌(250)』贈りて帰宅。
瀬見氏『大世界史』を4,000にて引取る。18:00木下生来り『アジア歴史辞典』の「匈奴」ひかせ夕食くはす。20:30帰りゆく。
けふ築島博士より「本すみtennisせしあと京都奈良へゆく」と。羨まし。

5月11日(日)
5:00さむ。11:00プティ・パレ。(※省略) 15:00出て国会議事堂前にて下車。Hilton Hotelにて喫茶。庄野生のこと問へば「けふは休日」と。
18:10より披露宴、わが祝詞短くて好評。成城の校歌の音頭とらさる。20:10預けものとり一番にhyreに乗り22:00帰宅。疲れたり。

5月12日
6:00起床。9:30塩入dr.へゆく。(※省略) プティ・パレ。昼食前、瀬見氏来りシロコゴロフ持つと。プティ・パレにまたゆく。
瀬見氏来り、シロコゴロフ1.3万円とりてゆく。川久保に電話し将棋しにゆき2番勝つ。(※省略) 書原にて和辻哲郎『古寺巡礼(300)』、 『京都市地図(500)』買ふ。

5月13日
4:30さむ。10:00出てcard買ひ成城大学へ11:00着きすぐ昼食。(※省略) semiに来し新生にて4人となりし歓迎会をしておごる。疲れて帰宅。
(※省略)

5月14日
8:00さめ午寝す(11:30-12:30)。プティ・パレにゆき高円寺。瀬見氏とKokoにゆく。帰りまたプティ・パレ。
〒にて『奈良中央十三人集』来り、永井聿枝はじめにのす。

5月15日
8:00前さむ。10:00出て成城へ11:00まへ着く。山本実氏も一人つれて来り、研究室の本はこぶ。代金はあとでと。我天丼を餐し、(※省略)
山本氏に天丼食ひ了りしと会ふ。のちほど神田へゆくといひ地下鉄にてゆけば実氏帰りをり、慶太郎氏も出て話す。
6万円のうち1万円で曽問吾『中国経営西域史(1万円)』買ひ、5万円もちて山口基君に会ひにゆけば不在。また地下鉄にて新宿三丁目へ出、鞄重くて困る。けふ〒なし。

5月16日
8:00さむ。ユと東京駅の中央線ホームで待合せときむ。16:36に乗り京都に18:00、Station Hotelの予約せしのち前の小食堂にて夕食。
烏丸車庫までbus、羽田邸へと御園橋下車。暗き中を訪ねたづねしてゆきwhisky1瓶呈し(※羽田明)夫妻と話し、21:30継男君の運転する車にて駅前着。狐うどん食ひてHotelに入る。

5月17日
7:30さめ駅build.にてsoupとhot cakeとり3,000の新茶もちて神田先生訪ひますれば(※新著の扉に)贈呈とかきて宜しと。
名古屋へ14:00着く。ユおくれて17:00着く。(※諏訪家泊)

5月18日(日)
7:30さめて朝食すまし10:30泰をのぞきて12:30昼食。13:55ひかりに乗り東京着16:15。阿佐谷に帰りて事なし。(内閣不信任案通り解散とわかる)

5月19日
6:30さむ。塩入dr.へ10:00ゆきユと別れ帰宅。プティ・パレで昼食。都丸支店で『星林閑話』『日鮮同祖論』買ひユの17:30帰るを待つ。
(石井正吉氏来りしに、歌下手といひ茂吉よめといふ)。けふ佐伯閉店しをり。(※省略)

5月20日
6:30さめ10:00card買ひ登校。大学院旨くゆきしも2D参りて中途で止め、semi5生と喫茶。帰宅して事なし。

5月21日
7:00さめ高橋重臣君へ礼状かく。蒲団を杉山繊維より送り来りし也。9:30山本書店より「民俗関係、市に出しもう6万円贈る」と。
プティ・パレに11:00ゆき、高円寺。都丸支店に『ロシア語Encyclopaedia』学校にと注文す(13万円と也)。午后より雨。
史、19:30来り19:30来し小林善一郎と話す。相続問題について也。(※省略)佐伯休みなれど『唐代社会文化史研究』買ふ。雑本2冊売り余りあり。(※省略)
高橋重臣君に電話し『隔簾花影』のcopyたのむ。史、善一郎と21:00出てゆく。

5月22日
7:00起く。ユ清瀬(※三女宅)へ9:30出てゆく。村上アキ嬢に追ぬかれ佐伯に寄りしも音沙汰なく11:00登校。(※省略)
疲れてpão屋にて紅茶摂りてのち阿佐谷にてcard200枚買ひて帰宅。(※省略)

5月23日
7:00覚む。木下生9:00すぎ来り、共に出て登校。(※省略) 14:00すぎ出て経堂にて小高根夫婦に遇ふ。
準急にのりかへ小田急dept.14階にて14:55より45分(※築島謙三を)待ち電話お宅にすれば出られしと。(※省略)1階の喫茶室にておごらる。
本かき玉ひ、もう一冊かきて秋より外国へゆくと也。16:30別れて帰宅。
大阪国税局直税部所得税課総務係長中山準一氏11:00ごろ孫たちの写真と海苔もち来たまひ、煎餅差上げしと也。
ユ17:00郵便局へゆき山本書店の追加6万円とり来る。田中克己とあり一度ゆかねばならず億劫なり。(成城在職20年の銀盃もらふ)。

5月24日
佐伯へ行けば神田先生の本来てをり。card200枚買ひしあと無為。夜、荻村栄氏より速達、宿世話するとらし。鬱なり。

5月25日(日)
ペンテコステに偶然ゆき、すみて教会新築祝の昼食会。ユ、長島夫人と話す。我殆ど長島氏と話せず。(※省略)
東急にてchocolate買ひ鰻買ひて京のところにゆく。稲田哲夫もの云はず写真とる。健太郎友だちと遊び禎子ほぼ4ヶ月ほどとなる(体重5キロ)。
18:00出て清瀬までbus、西武に乗り中村橋でbusにのり20:30帰宅。

5月26日
林叔母、昨日12:30逝去と。下調べ途中までして18:00出てゆけば諸経中。難波、寿一と話しをり。長き経きき、
すみて丹羽ミサ子より挨拶うけて帰去。21:30帰宅。眠し。(大の香奠預かる)

5月27日
よべ0:30入浴、やっと眠る。7:00さむ。10:30登校。弁当のsandwich食ひ、(※省略) けふユ、林茂子叔母の葬式にゆき初七日やるとて帰り来しと。
高橋重臣君より「隔簾花影」1回分送られ「つづきいるや」と也。

5月28日
引きつづき鬱。ユ尚子見舞にゆきし帰り18:00まで茫然とたり。

5月29日
東洋史、口早にやり教授会。組合委員の改選あり。16:30までまち森岡博士の案内にて銀座の鰻屋へゆく。われ物いへず食ふのみ。
帰途は鎌田女史と同車。中野坂上止りに乗り21:30帰宅。けふソ連百科辞典を小森副手運び呉る。

5月30日
曇。11:00登校。中国古典の出欠とり疲れて30分にてやむ。
夜、吉岡克己氏へ大野会(※大高野球OB会)欠席を電話す。羽田夫人より夜、電話あり。東方学会欠席について也。

5月31日
鬱にて家居す。

6月1日(日)
暑し。礼拝にユのみゆく。我プティ・パレにてpãoとtea。高橋重臣君へ300円の切手同封「あといらずcopy代は」と手紙かく。(※省略)

6月2日
無為。(※省略) 20:00よりの「敦煌」をteleviにて見る。

6月3日
暑し。L2Dの授業うまくゆかず困る。木下欠席ゆゑ3年生4人連れて喫茶(1,910)。

6月4日
外出せず。公平(池上夫人)さん来りユと話し、讃美歌284番合唱し祈って去る。
羽田夫人より菓子来り、山際文雄君より『半田良平』送り返さる。『昭和万葉集』来る。

6月5日
9時半出て山際君へハガキ投函。東洋史の教科書来しといふを忘れ30分位やり、(※省略) 山本書店にゆき朝鮮本『龍飛御天歌』2冊売り、
客帰りしまで待ち校正見ることとなる。鞄軽くなりしを喜び阿佐谷でice tea飲む。山本主人より電話「1万円で買ふ」と也。(※省略)

6月6日
やや涼しく思ひてゆけば暑し。(※省略) 帰り、寄る力なく買物のユと遭ふ。(※省略)

6月7日
9:00起き朝食。散髪にゆき11:30帰宅。午食後暑くねてゐればユ13:30画習ひに戸田家にゆく。我15:15より20分プティ・パレ。
帰りて茫然としをり。(山本書店より1万円来り、高橋重臣氏より「copy代僅少ゆゑ不要」と)

6月8日(日)
よべ眠りにつけず礼拝休む。ユ帰り来り、新長老の任命式ありしと。浜氏12:45来り、小高根氏渡欧と。すぐ帰りゆく。ユ夜戸田さんの会に出てゆく。

6月9日
雨。暑し。弓子来り遺産相続のことをいふ。ユともに出て母の許へゆく。鬱ややのき誠心堂へ『蘇東坡詩集(4.5万)』送付たのむ。

6月10日
曇。9:30登校。大学院早くすましL2Dもうまくゆく。但し疲れ甚し。高田瑞穂『日本近代詩史』呉る。semi4生と喫茶。(※省略)
誠心堂より『蘇東坡詩集』6冊、着きをり。

6月11日
誠心堂へ9:30送金。プティ・パレに2度ゆく。瀬見支店長留守にしてindexつきしに非ずやとの話なりし。『羅葡日対訳辞書検索(3,500)』買ふ。

6月12日
9:30出て登校。(※省略) 14:00からの教授会に出、15:00すみて大学院の会。(※省略)16:00ぬけ出し民研の21日の会に出ることをいひにゆく。
(※省略) 東豊書店に寄り『臨時台湾旧慣調査会第2部』のcopy(2万円)借り、孟森『清史講義』、『金匱要略』の外、法律書そろへて払ひ帰宅すれば法律書はみな在り。
佐伯へ寄れば天理善本『文選・白氏文集(1.6万)』とどけた由。(※省略)

6月13日
9:30出て中国古典すまし、新宿へ15:00つき15:30に近くよりいらいらせし処へユ来り、15:30のはこね号にて香安荘といふに入る(私学のHotel大改築中なりし)。
ユと入湯、背中流してもらひしあとユ喜ぶ。

6月14日
9:00出て強羅公園に入場、暑し。出てcableに2度のり桃源台よりbusにて12:30の急行までに茶のむ。
研文出版の校正すまし夕食後、佐伯へ払ひにゆく(1.6×0.9)。大平氏の告別式に聖歌うたふ。前古未曾有なり。(※6月12日大平正芳元首相逝去)

6月15日(日)
3時に目明く(21時就寝)。夫婦にて礼拝にゆき、われは狐うどん、ユはそば食ふ。(※省略) 夜やや涼し(日中30℃に近かりし也)。(※省略)

6月16日
5時さむ。9:00前出て塩入先生。薬へらし玉ひ9,900となる。喜び出てice tea駅前にてのみ(300)、プティ・パレへもゆきice tea (300)。
ユ帰り来り、午ねす。我出てまたプティ・パレ。瀬見氏に会ひに高円寺にゆけばをり、戦友会に出席、横田夫人にも会ふと。
『切支丹版羅葡日対訳辞書備考』賜ふ。礼に『生活と芸術にあらわれた日本人のからだ(3,500)』と『江戸の文学(700)』買ひ、またプティ・パレ。
(※省略) 荻村生に電話「貸別荘なく人の家にてもよきか」と。「よし。7月24日以后1ヶ月」といふ。

6月17日
よべ1服足してのみ熱帯夜(28℃)を眠り6:00さむ。9:00前出て登校。大学院河野夫人来ず却って気楽なり。2Dも質問して旨くすましsemi5人そろひしをつれて喫茶。
鎌田久子55才にて結婚しsemiに掃除手伝はせしと。感心す。(※省略) ユ、伊勢壽美江つれて清瀬へ行けば禎子物云ふやうになりしと。(※省略)

6月18日
6:00さむ。よべ28℃の熱帯夜なりしと。プティ・パレに。2度ゆき都丸支店で瀬見氏に神田先生のdouble本売り(800)『田沼時代』、『ユダヤの笑話と格言』買ひ、
球陽書房でも『折たく柴の記』買ふ。ややに鬱よりぬけし如し。山本実氏より電話あり「近々2回目の校正送る」と。(※省略)
旧制高校の訪中案内あり「長安行86万円余」と。「中島健蔵の追悼会に500人集まり委員長井上靖と!」。川久保に電話「鬱のいた」、(※省略)

6月19日
6:30さめユ9:10出しあと30分してcard屋夫人を起し100枚買ふ。登校11:00。昼食しSkeyさんと久しぶりに話す。学科会。 (※省略) 疲れて帰宅。

6月20日
7:00さめ9:50card買ひにゆき傘もって登校。(※省略) 傘さして東豊にゆき2万円の借金払ひ、(※省略)
『中国民法婚姻論(190)』、『蒙古世系(850)』、『四十年来之北京(4,050)』買ひて払ひ『韓国漢籍民俗叢書(23,500)』借り来る。
重くてプティ・パレにゆき喫茶するといひまづ鞄おき、福地夫人より冷たき紅茶のみ(300)、ユの帰るを待つ。(※省略)
夜、荻村生より電話「家のことにつき明日午后来る」と。校正すましほっとする。

6月21日
雨止む。6:30さむ。美紀子より電話「(※史氏)本省関税局監視課長(25日付)となりし」と。落胆。
ユ柏井へゆきしあと弓子より電話。佐伯へゆき『シルクロードU』と『花の民俗学』買ひcard買ひ、帰りにユと会ひて忘れ物を云ふ。(※省略)
躁にて筆とるも億劫なり。(※省略) 荻村生来り2DKのところありと。ユの帰り来りしと話せしあと帰りゆく。

6月22日(日)
曇。礼拝われ休み、佐伯へゆき『鹿洲公案』、『ペルシア文化渡来考』その他買ひプティ・パレにゆきなどする。(※省略)
われ選挙にゆき青木茂に投票す。午后また散歩に出、川久保に寄れば鬱と。早々出て加藤俊ちゃんの家のところより引返し木下生来るを待ち、
(※省略) 17:30来り、トルキスタン関係の本返し夕食して20:00すぎ帰りゆく。(※省略)

6月23日
曇。高円寺の都丸支店にゆき『Erotica3冊(900)(※三崎書房の雑誌)』と『蘇東坡集』と買ふ。選挙に自民党大勝。反動の世となりし也。
『中国の民俗史』の「あとがき」200×8書き了へて嬉し。

6月24日
よべよく眠り、山本実氏の来るを待ちわび10:30電話。(※省略)
佐伯へゆき『日葡辞典(1.8万×0.9)』借り来る。
14:00かっきりに山本氏来り(※新著を)『中国の草木と人間』の書題にすると。
(※校正の)のこり置いてゆく。(※著書寄贈10冊名簿にしてわたす。個人は羽田、神田先生父子、野原四郎氏、植村清二先生なり)。
夕方ユ、柏井より帰り「数男が鬱、嫁は低血圧」と也。気の毒。

6月25日
ユ、柏井へゆきしに高円寺にゆき『Le sexe de la femme(8,000)』買ふ。
往復二度プティ・パレに寄る。角川よりHeine25版6,000部7月下旬刊行と。
尚子、石和温泉療養所へと数男より電話。

6月26日
5:00さめ、ユ起し9:00出て山本実君に会ひ10冊の本を送料にと売り『今古奇観』もらひ、
東豊に借金払ひ『漢代婚姻制度』と『節令的故事』買ひ新高円寺下車。瀬見氏に8千円渡せば7千円としてくれる。
プティ・パレに寄りユに電話すれば話中。帰りてみれば和田節子、史の転任知りしと也。
ユ17:00帰宅。けふ集英社より(※『白楽天』)6版600部出すと。昨日のHeineにつづき朗報なり。(※省略)

6月27日
7:30さめ9:30地下鉄、成城へ早くつき(※省略)、『民俗研究所紀要4』5冊もらひ、(※省略)
出て神田家の呼鈴押せしも答なく、和田久徳君へと2冊郵便受けにはふり込み、
pão屋にて喫茶して涼み南阿佐谷下車。川久保家にゆき1冊与ふ。(※省略)
けふ巌南堂より『石田・和田・竜・山中四先生頌寿記念史学論文集(5,000)』来る。
ユ、荻村生に電話すれば(※避暑別荘借り賃)「35万円にまけてくれし云々」。

6月28日
8:30さめ、巌南堂に5千円の払ひし、佐伯に寄りしあとプティ・パレ。(※省略)
午食後、の高円寺の都丸支店にゆき矢沢利彦『中国の布教と迫害(1,400)』見つけて買ひプティ・パレに涼みに入る。
帰宅して冷房し「蘇東坡文」の年表写す。われの書きし「蘇東坡」をいかすこととす。時に22:00なり。

6月29日(日)
8時さめれば雨。礼拝にとユ出てゆく。「蘇東坡」の書き直しし、200×22。
16:20地震あり伊東沖が震源にて震度東京4と也。(※省略)
数男、夜「尚子あす山梨病院へ入院」と電話。

6月30日
よべ2時まで眠れず。8:00起き9:30塩入dr.。好調申上げ2週間分もらふ。(※省略)
母のところへゆき小雨。毎日新聞社員の本屋にて『新島襄書簡集』買ひプティ・パレへゆく。(※省略)
帰宅すればユをり。(※省略)三鷹の2孫来り、克次朗将棋さす。宏一郎と二人つれて高円寺。
都丸にて千円札を500円札2枚にしてもらひ駅まで送りゆく。2人500円もちて喜びをり。
都丸にて『新島襄書簡集(※ママ)』と『アイヌ(1,000)』買ひてわづかになくなり「蘇東坡」の書き直し54×200となる。
疲れて出て休憩。けふ『不二』に影山正治の墓碑、保田かきしと見ゆ。

7月1日
9:30家を出、珍しく研究室で予習。大学院に20分遅れでゆけば全員出席。(※省略)
ゼミ旅行は9月19,20箱根へと。17:00帰宅。疲れて「蘇東坡」やらず。televi見、ねつきわるく補助のむ。(※省略)

7月2日
3時さむ。大雨と。12:00Lilacと花Begoniaもちて丸木(高松)、白水(坂根)、宇井睦子(画をくれし。3婚と。井上)、押上(得津)の4生来り、(※省略)
15:00皆引き上げる。雨の中を出て佐伯に学校宛の本注文し、歩きて都丸支店にゆけば瀬見氏不在。
『日本語の起源(1,000)』買ひて帰宅。(※省略)
川久保に電話して躁いひ『日本語の起源』にTungus語の引用あれどシロコゴロフ引かずといふ。(※省略)

7月3日
8時さめ9:00ユ、友のところへ出てゆくを送り、card100枚買ひ登校、(※省略) 前期の点すます。
(※省略)東豊へより林語堂『蘇東坡伝(720)』と『経進東坡文集事略(2,700)』と買ひ、(※省略)
プティ・パレにゆきて涼みIce coffee(330)値上げ。(※省略)
18:00ユ帰り来り、咲耶去りしあと母より電話あり。(※省略)『堀辰雄全集』10回5,200円で完結の由。

7月4日
よべ22:00ねて4:30起きる。10:00散髪にゆき(※省略)、矢野綾子氏より紅茶もらひ礼かく。
プティ・パレ値上し紅茶300となる。(※省略)17:00とりにこいと郵便局、研文出版より「あとがき」の校正なり。
暁子電話かけ「おばあちゃん」と。美紀子代り「けふ一家上京」と。薬王寺にゐるらし。

7月5日
富山鈴子に返事かき、出しにゆき散髪し、ユの戸田先生にゆくを見送りしあとプティ・パレにゆきすぐ帰宅。
(※省略)杉並郵便局より簡易書留とりに来いとの紙入りをり、ユとりにゆき研文出版の「あとがき」校正なり。すぐやり了へる。21:00早ねす。 (※記述重複)

7月6日(日)
礼拝に夫婦してゆき(※省略)、東急にて昼食し林家へ菓子(1,100)買ひて井の頭線にて(※省略)生田に止まる。
13:30につけば14:00坊さん来り、短き経よみ、すみて飲物、つまみのおかきにて満腹、物くへず17:00最先に出る。
寿一『戦後吟』もち来り我に署名さし咲耶に貸せし。(※省略)

7月7日
ユ、母のもとへゆき咲耶と話す。11:30「外で飯食へ」と。プティ・パレにゆきrice curry(520)とtea(200)。
母のところへゆかんとすれば河北病院の前で遭ひ、(※省略) 我、(※帰阪の)咲耶を駅までつれゆく。3:30に乗ることとなる。
「蘇東坡」対王安石のこと書く。200×100以上となる。(※省略)夜「女性史」すませ「silk road 第4集 幻のカラホト(※黒水城)」見る。

7月8日
7:30さめ寝足る。弁当もたず登校、12:00かっきりに外地生迎へに来、文化史の室にて重久生をまち、
杉山生、磯田生と4人にてMadam Changに案内さる。河野夫人坊やとあり、1卓5葉!すみて饅頭の小さきを食はさる。
20分ほど2Dの「女性史」すみ平常点与へsemiにゆけば1生、60点といひしと泣きをり「安心せよ」といひ、
木下来ぬに4女生相手にすまし南口の汁粉屋にてわれ餡蜜。1人飯くふ。払ひすまし津端かおると同車。
鎌田久子の結婚話に責任もてといふ。新宿でわかれて帰宅。山本実君より8月31日(※誕生日)必ず出来とのハガキ見る。

7月9日
雨。涼し。終日家居。船越苑子来りしもわれは会はず。

7月10日
佐伯へわびにゆき10:30登校。(※省略)教授会早くすみ学科会。(※省略)17:00ごろすみあす一日となりホッとす。(※省略)

7月11日
よべ睡眠不足。最後の授業に出てゆく。高田、鞄おきてあるも会へず。(※省略) ふらふらと15:00帰宅。夜、早く眠る。(※省略)

7月12日
晴れたり曇ったり。よべ早くね、9:00朝食。和田久徳君より中国のハガキにて「紀要受取った。京大へゆく」と也。外出せず無為。
夜、美紀子より電話「あす下阪、雅子のPTAにて(※木曽には)来られず」と。今井翠よりききし也。田村春雄より「昭和万葉集見し」と。

7月13日(日)
ユ礼拝にゆき我ゆかず。下痢を口実とす。午后母来り元気なり。ユ送りゆく。

7月14日
塩入先生にて血圧105と低し。佐伯に寄り『立原道造全集』未着と。無為。林語堂の『蘇東坡』よむ。
夕方都丸支店にゆき『大世界史』売れ残るを見、五山きかる。わからず帰って五山しらべハガキかく。

7月15日
無為。ユ大久保へ14:00薬とりにゆき帰らず。16:00大久保の史宅より電話かけ17:30雨の中を帰り来る。30℃を越す暑さ也し。

7月16日
曇り時々雨。涼しく午、孝行つれて弓子来り、小林の内輪もめを云ふ。孝行将棋2番さす。宇井(井上)睦子より7月2日は愉快なりしと。(※省略)

7月17日
曇り。涼し。ユ、体悪しとねてをり。「蘇東坡」写し200×133となる。鈴木善幸の新内閣決定。面白くなし。

7月18日
曇。寒し。「蘇東坡」出来ず荻村雅子より速達「21日来る。5万円たてかへた。26日のため19日予約の切符買へ」と。

7月19日
7:00さむ。ユ10:30切符買ひにゆき12:30帰宅。塩尻まで9,200、15:00新宿発よりなしと。16:30高円寺まで歩き時刻表買へば信濃平坂へは20:00着くとわかる。

7月20日(日)
暑し。ユも礼拝休む。無為のところへ田中康平の後嗣田中栄太郎、万平をつれ「史訪ひしも夫婦留守なりし」と。
田中昌三叔父、十合商事の社長にて小野事件のまへに十合やめしと也。

7月21日
ユ、京のところへ克次朗・孝行の二人つれてゆく。「あす10:00来る」と荻村生より電話あり。(※省略)
プティ・パレでカレー食ひ氷菓のみ620と安かりし。アキちゃん一人にてserviceす。「蘇東坡」杭州に至りしにて了る。

7月22日
暑し。荻村生来り「塩尻まで父君迎へに来る」と。ユ小包2袋こさへて〒へゆく(書留1,000×2)。14:00木下生来り「史記〜後漢書」copyして帰りゆく。
ユ、けふ母に用たのまれ左右す。service性に富めるに感心す。

7月23日
曇。30℃を越す暑さ。西山博士より『江戸っ子』賜はる。(※省略)われ「蘇東坡」杭州着まで写す。あとは木曽にてとす。

7月24日
10:30ユと共に家を出、昼食後13:00より学科会に出る。(※省略)13:00より教授会、授業料値上げと。立原達夫君より暑中見舞。(※省略)

7月25日
池袋西武へ背広とりにゆく。(※省略) 夕方荻村生より電話「父出る」と代りて「あす泊りどころあり。夕食もしてもらふ。塩尻にて待つ」と也。
(※省略) 母の所にゆけば「90まで生きる」と也。

7月26日
14:00家を出、中央線にて新宿。15:00発の「あづさ」に乗り16:27塩尻につけばホームに雅子まちをり。出口にて父栄氏のhyreに乗り木曾路をゆき荻村家につく。
漆器の机など一杯にあり夕食に鮎とうなぎとすし出され、少し食ひて福島の駒王ホテルといふに案内され、0:00まで騒ぐにねられず。1:00就寝。
3度ゆめ見て叫びし由。

7月27日(日)
6:00さめ朝食7:00。宿賃は払ひあり、7:45荻村栄氏また迎へに来られ、谷口山荘へ案内さる。何もせず三沢氏といふ管理に紹介さる。夜、21:00より熟睡。

7月28日
6:00さむ。日向ぼっこす。御岳に雲かかる。16:00荻村栄氏雅子と来り、ユつれて福島へ買物にゆき18:00すぎ帰り来る。(書留小包2ケ持ち来らる)。
夜、21:00すぎより炬燵入れて熟睡。

7月29日
無為。Hotelまで散歩し、草花ユとる。

7月30日
朝より雨。ユ散歩にゆく。荻村雅子君来り、ユの郵便出しくれると也。「蘇東坡」に久しぶりにてかかる。福井県今立町上田利兵衛氏に「西湖志」見られずと書く。

7月31日
1時間歩いて買物。bus停ありhyreを呼べるらし。帰って昼食す。ユ近くの老嫗の処へゆき「駒の湯近く200円で入湯できる」ときき来る。

8月1日
午后ユと駒の湯にゆく。客ありとて入れず。郵便もちゆきしもダメ也し。東京も異常に涼しと。

8月2日
ユ福島町内にゆき買物し来る。夜、京、弓子より電話。

8月3日(日)
ユと1時間ほど散歩す。御岳の煙吐くを見る。

8月4日
駒の湯の途を下りて福島にゆき喫茶(小川和祐の『伊東静雄』といふ講談社の文庫あり。帰りはbus(350×2)「シルクロード」見了る。)西山博士へハガキ。(中山夫人へ手紙投函)。

8月5日
朝、三沢管理人来り近所に売家ありと。14:00ユ車にて迎へられゆき見れば10坪ほどと。帰る直前、水の如き下痢。帰りしあと嘔吐。はじめてのこと也。

8月6日
広島原爆35周年と。節食し午后「蘇東坡」200×231までとす。依子より衣類来り、ユ電話すれば105円と。

8月7日
けふは出ず。「蘇東坡」200×258までとなる。母よりハガキ来る。

8月8日
10:00ユと三沢亨世話人を訪ぬれば宇山へゆきしと。父上日曜在宅といふに話ききたしと名刺置き、ユ農協の自動車にて買物すませ12:30帰着。

8月9日
ユ買物にゆき早く帰り来る。三沢亨との連絡とれず夫人に父君弥ときく。中山正子より「あす来る」と。

8月10日(日)
けふは中山生来るとてユ9:00のbusにて福島駅へゆき12:30帰り来る。見えざりしと也。14:00中山生、駅についたと。
駒の湯通りてtaxiにて来れといひ、午食して迎へにゆけばtaxi12:00なりし。すしその他山ほどもち来り、タバコ20箱入り3箱に恐れ入る。
ユと木曽駒へと出てゆきしあと荻村生より電話、父と来り95点は未曾有といへば結婚式に呼ぶと也。
やりし中山のcreamもち帰らざるを咎めれば父君出て「ハイ、ハイ」と。18:30三沢家よりユ電話かけ歩きて帰ると也。(※省略)
「蘇東坡」300枚を越す。

8月11日
中山生、手をふりてユと9:00去る。(われよべ不眠、彼女がためか)。15:00福島駅より「奥さまにお礼を」と電話し来る。
ユ帰り開田高原へbusでゆき、そば食ひ駅にて土産与へて別れしと。21:00就寝。(伊勢スミ江より電話かかる。)

8月12日
晴。暑くなりし様なり。「蘇東坡」かきつづける。
 なでしこの群れ咲きゐたる沢地をば妻とのぼりぬ浴衣を着たり。
三沢氏、米をたづさへ坊やつれ来る。creamを奥さんに、whiskyを氏にと贈り、ハガキ3枚を托す。一枚は山本実氏へ進行のこといひやりし也。
 夜半すぎ流星多く見えるてう予言をききぬわれは眠らん。

8月13日
けふはここも涼し。裏山へユとゆきしのみ。「蘇東坡」書きつづけ379pにて突き当る。

8月14日
よべ眠りにくかりし。「蘇東坡」かき300枚こえし故、ユと木曽駒ゴルフ場のshopping centreにゆき買物すませ、16:09のbusに乗る。
(神田信夫君へのハガキ投函)。夕方またかき413×200となる。指疲る。20:00すぎ依子より電話「あす鈍行乗り継にて来る」と。

8月15日
ユ12:39にて福島にゆく。「蘇東坡」2冊などを母へ小包にして送る。
16:00ユ、依子、泰、望とtaxiにて着く。2孫つれて撫子沢へゆき根2ケと花多く、擬宝珠と採り来る。民宿のありか聞く人あり。(※省略)

8月16日
ユ1女2孫と木曽福島へと9:00出てゆく。食欲もなく「蘇東坡」かき465枚とせし処にて司馬光の死にてゆきづまる。16:00すぎ雨の中、4人帰り来る。

8月17日(日)
朝、雨。午、雨やむ。ユ木曽駒中腹へと2孫つれてゆく。夕立あり。帰りおそければ三沢氏に捜索たのめば泰と望の帰り来るを見てたのみ断はる。夕立はスキー場で遭ひしと。

8月18日
けさ小便のため4:00さめ、あと眠れず。炬燵いれる。
ユ、依子、泰、望と荻村家へゆき買物し、お礼のジャケツ進上せしに寝覚ノ床まで案内され名古屋行の特急券用意され、ユを送り賜はる。
われ留守番して「蘇東坡」かけざりしに、杉山博文自家用車にて来り、京の送りし甘納豆もつく。杉山「鎌田先生、大学院の一人一人に結婚いひし」と。
月曜帰るといひて、荻村父上に特急の切符名古屋までとたのむ。日曜に迎へに来らる由。
杉山生を駒の湯にゆかしめんとし道に迷ひて引返し、結局駒の湯までゆきて別れ、道迷ひしも谷口家に帰る。
ユ、よべ眠り少なかりしと。望より電話17:30ごろあり名古屋に帰りし也。(京よりの甘納豆つく)。

8月19日
ユよべ眠る。午后三沢氏へゆかんとせしに、ユ鍵もたず閉め、困り叱る。三沢氏に途であひ(幸運にも)toiletへはしごかけ開けてくれ、
三沢氏までのせてくれ飲物として茶と野菜と呉る。夫人らみな家と也。
木曽駒の3合目ゆき山魚焼かす(950)。ユの云ひし高山植物はダメ也しもキリスト者の古谷さんといふに会ひ、ユあすゆくこととなる。

8月20日
9:20本町2丁目より曲角にて下車(120×2)。古谷夫人にゆく。(※省略) 11:30出て、来しbusに乗れば津田山荘の夫婦乗りをり。 (※省略)
ユ16:09centreより乗り帰り来り夕食兼帯くはす。叱れどもあやまらず。林語堂の「蘇東坡」よみ了りしのみ。(※省略)

8月21日
雨。ユ出ず。夕方われ蜂の巣をつつき大騒ぎとなる。津田山荘に電話すれば若奥さん2人来てアンモニアぬり呉る。三沢氏に電話せしもダメ。
19:30津田さんにゆき礼云ひ西瓜ご馳走となり菓子もらひ送り来たまふ。(※省略)

8月22日
また雨。午后15:00やや少きを見てユをして津田家へ寄らせれば夫人追ひ来りたまひ「散歩をともに」といひて駒の湯近くまで来れば、三沢亨氏来り、
3人をのせて福島のマーケットにて車をとむ。(※省略) ユあすbusにて福島へ同行を約す。(※省略)
夜「蘇東坡」かくも司馬温公行状にて枚数かせぎよけれど一向すすまず484枚となる。

8月23日
よべ眠れず。追加のむ。雨の少きを見て11:00津田家へゆけば(※省略)、隣家の幸田氏一家来りしに12:00となりし故帰宅。
三沢亨氏来り、(※省略) ヤマメ2匹賜はりecho6箱渡せば受取りくる。
これにて「蘇東坡」の司馬温公行状ほぼ訳して500枚を越せし処にて打切る。夜、荻村家へたのむ小包ほぼ了へ、我仕事なくなる。(※省略)
尾崎秀実の妻と怪しかりし元共産党員伊藤律帰国とてNHKに尾崎秀樹まで出る。ソ連の原潜了解を侵犯して曳航さる。
荻村家に電話再三してあすの夕食おごることとなる。

8月24日(日)
荷造りして鞄2つに包み、17:30荻村夫妻、雅子と来り、切符渡され払ひし。
木曽駒Hotelへ案内すれば「中華料理1時間かかる」とのことにスキヤキ5人分たのむ。19:30払ひすます。まづき飯なれど御岳の噴煙見えしを喜ぶ。
雅子生9月2日渡米のため上京と也。

8月25日
宇山110谷口山荘最後となる。
 御岳は全貌見せぬ去るわれを送るが如く秋空のもと。
 道造の思ひ出さそふ萱草を妻はもちたり庭に植えんと。
11:00津田さん迎へに来て11:20taxi。駅前にてice-cream喫し、12:42名古屋行に乗る。14:22名古屋着。ユ萱草を預けにゆく。(※省略)
諏訪宅へ地下鉄にてゆき泰の案内にて散髪。2人に本代3,000与ふ。澄、夕方帰宅。入浴し21:30就寝。

8月26日
曇。7:30起床。諏訪の自動車券にて依子hyre呼び呉れ11:31の新幹線ひかりにて帰る。昼食として赤福と飯ちょっと食ふ。佐伯、店をしめをり。
母のところへゆき木曽福島よりの書留小包1つとり来る。大もをり。
佐藤健「蔡叔奄と9.14銀座アスター津田沼賓館にて12時披露宴」と。出席の返事す。天理の方は断はる。花井たづ子へ電話。(※省略)
川久保に電話すれば「何も出来ず」と。(※省略) 集英社より『白楽天』重版印税16万×9/10来る。

8月27日
小雨。よべ眠薬のまざりしらし。ユ塩入先生へ薬とりにゆく。暑中見舞の返事かく。プティ・パレにゆき喫茶。昼食後、高円寺へゆき瀬見氏に会へばソ連『ツングース語典』あり『中国の絵画』とともに注文。あすもち来ると。夜、また出て高円寺。阿波踊しをり。(※省略)
佐伯にて『日葡辞書』注文すれば「あり」と。『永楽大典(22,500)』ユ払ひ呉る。(※省略)

8月28日
久しぶりに晴のち曇。プティ・パレにゆき福地夫人出勤を見て帰宅。高野さん転宅とて母子で挨拶に来る。(※省略)

8月29日
2:00さめ、ユの薬とりにゆきしにプティ・パレにゆき喫茶。帰れば(※省略、また)、プティ・パレにゆきプティランチ(580)。
電話して瀬見氏来りしに『ツングース、マンジュ語』辞典と『Chinesische Kunst』にて3万円出せば釣銭呉る。和歌山の名産くれ信州の土産ユわたす。
(※省略) 荻村雅子に電話し「荷物ついた、9月2日来るか」ときけば「来る」と。戸田画伯に信州土産もちゆく。(※省略)

8月30日
4:00さめ(※省略★)、8:00丸夫人に電話すれば「Mild Sevenを15:00-16:00に」と也。ユ母のもとへゆきしあと母より電話、甘きもの「克己の誕生祝」と母呉る。
川久保11:00ごろ来てわが見せし『ツングース、マンジュ語』辞典の訳やらんといへどはかばかしき返事せず。(※省略)
14:00山本実氏来るとの電話あり、その間みてプティ・パレにゆき福地夫人に会ふ。14:30山本実氏来るまでに書原ともう一軒へゆき山田俊雄の本探せしもなし。
『朝鮮史』、『木曾路・伊那』、『明治大正の民衆娯楽』、『高砂族に捧げる』、『ごはんの話』など買ふ。
山本氏来り「200部(−10部)は7,8,9日ごろ納める。定価は値上りして2,800になりし。著者には8掛け」と金置いてゆく。
「蘇東坡」よしとすでに予告しあり。瀬見伊三郎氏に忘れし風呂敷とどけ『日本の書物(600)』買ひて金なくなる。
木曽福島でユの見し山田俊雄氏の本なく、高田に電話すれば「俺ももらはず」と。山田氏に電話すれば「やった」と也。
美紀子に電話すれば「史と同道できず」云々。17:00ごろ来る由。『中国の自然と民俗』よみ了へ自ら感心す。(※省略)

8月31日(日)
ユと礼拝にゆく。次の礼拝は聖餐式と。すみて東急dept.の中国物産展にゆき茉莉茶(200)、線香(200)買ひ、海老麦麺くふ(500)。
帰りてプティ・パレにゆき高円寺の古本屋にて1冊買ひ、
美紀子らの来るをまてば淳一、今井の二人とまづ来り、次いで美紀子と雅子、暁子(可愛くなれり)。すし注文し史の来ると同時に来る。(※誕生会)
20:00すぎれば史「帰らう」といひて不快。弓子より電話、経理士世話する様子なり。記念写真とれず5人帰りしあと史に怒れば我の遺伝となり。
『中国の自然と民俗』に二ケ処誤植見つく。

9月1日
22:00ねて6:00さむ。塩入先生にゆけば血圧100にて薬変へたまはず。午后高円寺へゆき球陽書房本店にて三田村『宦官(250)』見つけ、
瀬見氏棚卸しと休みをりしものぞけば入れてLeon Zolbrodのわが詩をゑらみしことのりゐる木村毅の本(※不詳)見せ呉る。
再びプティ・パレにゆき帰りて冷房し、15:00来し本棚に本入れ(9,150)、Toiletの漏水を止めさし(3,000)、写真機の直しさ せなどして日をすごす。
西垣しげ子夫人より「(※亡夫西垣脩の)散文集出す」と。内田五郎氏より兄『内田忠詩集』30回忌に出せしと。けふは暑かりし。

9月2日
曇。佐伯へゆき『北支5冊(500)』など買ひcard買ひして「蘇東坡」よみ直す。
15:00荻村雅子来り「けふは千葉県の同行者の家に泊りあす15:00成田発、2週間の旅」と。木曽の礼いひ、ユに写真とってもらふ。
(けふ西垣夫人より文集発刊と。)けふ本棚買ひ(9,150)、ねし本みなならぶ。

9月3日
7:00さむ。10:30 card買ひにゆき「2万買ふ」といふ。
プティ・パレにゆきて帰れば郵便局より不配の通知来あり、
ゆきて見れば野崎その夫人より、古希祝の本(※新著)を鍛冶、武田、山荘、南隅、椿下、辻、野崎の7人にて買ふと2,500×7、送料として1,000「送付は野崎へ」と也。落着かず。
丸へSeven Star10箱(180×10)もちてゆけば礼もいはず。これにて絶交ときめる。
都丸の瀬見さん「茶のまん」と云ふも新書(50×2)買ひて帰宅。
けふ船越苑子来る。西川名義にて「某日1万円の会せん。目的は大高60周年祝賀」となり。
西川に電話して叱れば「高垣の計画にて我も欠席」となりし。
眼鏡の弦しめてもらひ、いくらときけばただなりし。

9月4日
6:30さめユさそひて竜胆さがしに高麗へゆくこととし、(※省略)西武高麗下車。神社まで遠し。500にて『高麗神社と高麗郷』我買ひ、ユは団輪(※団扇)200買ふ。(※省略)
高麗より所沢にゆき今日のところへゆけば禎子坐れるやうになりをり。健太郎帰るをまちて出、(※省略)帰宅。鈴木正義より大阪7年にしてNHK本部へ帰りしと。

9月5日
7:00さめ9:00すぎ杉並郵便局へゆけば森亮君の『小泉八雲の文学』なりし。(※省略)
佐伯にゆき本買ふ(1,050)。プティ・パレにて小Lunch(580)。橋本貫一より「1冊買ふ」と。野口武徳君より『南島研究の歳月』来る。

9月6日
7:00さめ午后高円寺都丸支店へゆき雑本3冊買ひプティ・パレ、福地夫人をり。
藤田幸子より1冊ほしと3,000来る。(※省略)

9月7日(日)
礼拝にゆく。聖餐式あり。card買ひ本買ひて帰宅。(※省略)
午後より20:00まで弓子行方不明とて小林さはぐ。

9月8日
午まへ山本実氏の使者(※『中国の自然と民俗』)190冊持参。
午飯後、佐伯へ10冊もちゆきしにしまりをり。1冊川久保へもちゆけば丹波と古希祝すと也。
夕立ひどし。プティ・パレへ2冊もちゆき藤田幸子へ1冊。送料200と。
高円寺の都丸支店へ10冊もちゆく。重く6ガケといふ。
夜、野崎その夫人へ10冊包む。(※省略)

9月9日
6:00さめ西山松之助、豊田令枝、津田実夫妻に包む。山住dr.にゆけば休診と。正己先生へと薬局に1冊托す。
午后、東豊書店にゆき10冊預け『宋栞施顧注蘇詩4冊(2万円)』、『東坡楽府(3,000)』、『宋史紀事本末(2,880)』、『西湖詩詞選(760)』計26,640借りて帰宅。(※省略)

9月10日
7:00さむ。山田俊雄、荻村雅子、中山正子に1部づつ。午すぎプティ・パレにゆけば(※省略)。
高円寺の都丸支店へゆけば瀬見氏あはててわが本1冊棚に入れる。面白からず。
午后夕立しばしば。(※省略)

9月11日
よべ2:00さめてね6:00起床。森岡教授、橋本貫一に送本。(※省略)
神田先生より古希祝と月桂冠と本賜はる。
12:30和田・花井2夫人来り、14:00木下雅夫生来しと鉢合せ、和田夫人2,800×0.8、花井夫人3冊もちゆく。
夕方神田先生へ恐縮の礼状かく。

9月12日
風吹き晴。ユ10:00西武へと出てゆく。12:00背広もちて帰宅。
南村夫人より3,000、越智淳子夫人より5,000来る。

9月13日
6:00起床。9:30散髪にゆく。(※省略)井上正氏13:00来ると電話。(※省略)
話巧みにされ17:30送りかたがたゆき地下道にて小便、card買って帰宅。(※省略)

9月14日(日)
ユのみ礼拝にゆく。10:00出て津田沼まで各駅停車に乗り11:30着けば金子も同車と。
佐藤健と蔡叔奄との披露宴にて(※省略)、金子と同車、新宿で下車。
紀伊國屋別巻にゆけば2万5千分の1の地図は関東近辺のみ、『御岳(450)』買ひて帰宅の途、ユと遭ふ。

9月15日
5:00さむ。高田瑞穂、築島、田中久夫の諸友に送る。ユ薬1週間分とり来る。
羽田、野崎そのより受取。西山博士よりも電話にて受取。
14:30田中夫人令嬢つれて来る。弓子2子と来り2冊もちゆき将棋の駒買ひ呉る。

9月16日
暑し。9:50出て松枝茂夫氏に1冊送り、card(300)、正誤表1,000copyし、
保田、田村春雄、ケ健吾、栃尾武の4氏に包む。
小高根太郎夫人、癌にて入院とユ、電話してきく。
(老人検査にて山住dr.よりコレステロール少しと云はる。わけわからず。)
午后、国鉄に乗り高円寺の都丸支店へゆき正誤表わたす。わが本並べてなし。

9月17日
諏訪へ1冊。ユ10:00吉祥寺にゆく。昼食プティ・パレのpetit lunch食ふ(580)。
筑摩書房より「堀辰雄全集10に貴文のせたし」。道下(平山)夫人3,500送り来る。
森岡博士、植村清二先生より受取。外山、西宮2氏に包む。(※省略)
金大中死刑判決の由。台風16号接近と。

9月18日
ユ、吉祥寺へclass会のことにて出ていく。われ在宅。神田信夫氏より「物送った」と。
山本実氏より「文4ヶ所の誤植みつけし」と。杉本田紀子、藤井陽子2夫人より3,000来り500づつ返却す。(※省略)台風それしらし。
夜、丸煦美子「父より」と菓子もち来る。

9月19日
5:00さむ。1時間まちがへて7:30bus乗場につきcafé店あくを見て入るなどし、
8:30塩沢生来り、津端来り、木下に電話かけさすれば姿見え9:15出発。
河口湖にて精進湖畔の富士見荘といふに着く。
青木、馬海生、白馬より来るにおくれ15:00すぎ来る。夕食後wineのみ(※省略)就寝。

9月20日
朝のま、かすかに富士見える。10:00出て本栖湖へゆき午食おごりboatに乗る。風穴といふにゆきbus1時間半待ちて新宿へ17:30着き18:00帰宅。
禎子はふやうになりしと。(※省略)

9月21日(日)
夫婦にて礼拝にゆく。開始50周年とて聖餐あり。
竹森先生に正誤表おわたしすれば「御先祖は中国人」とおよみなり。(※省略)
昼食せずして帰宅、無為。(※省略)

9月22日
よべ9:00にね、けさ5:00にさむ。(※省略)
(長尾)岩崎夫人より3,000、中山、津田由美夫人より受取。竹内夫人より「全集第1回のみ贈る」と。
プティ・パレにゆけば冷房入りをり寒し。「川久保君来り、この間親子3人にて日帰りの奈良行せし」と。
苑ちゃんも来をり、早々帰りゆく。(※省略)

9月23日(秋分の日)
寒く、午后来るといふ森山弟と高野嬢まちしに16:00来り式は来年3月と。(※省略)

9月24日
外出せず。炬燵にて東洋史の予習す。保田より受取。野口君よりBankokにあり、これからPataniにゆき11月に一時帰国と。
(※省略)岩崎昭弥より服部三樹子さん癌で死にしと電話。

9月25日
2:30の地震でさめ、あと眠る。11:00登校。栃尾君にほめらる。ケさん何もいはず。
(※省略)東洋史やり疲れ、pãoの残り食ひ民研にゆけば助手嬢、婚すると。
猿渡君に茶のましてもらひ平山所長にと1冊托す。
夜、高橋重臣君より電話「10月20日午后来て泊る」と。

9月26日
雨。10:30出て登校。平山博士、肩叩きて礼いふ。
池辺・鎌田の2氏に『中国の自然と民俗』贈り、中国古典すませて帰途、小高根家へ寄れば無人。
田中久夫氏(来年より講師やめること承知)、外山軍治博士より受取。
夜、小高根太郎氏に電話すれば「来月退院まで見舞いらず」と。

9月27日
終日雨。外山軍治博士より受取。山田勝久氏中国より。無為。丸山薫を偲ぶ会18日と。高橋君の来る日なり。

9月28日(日)
夫婦にて礼拝にゆき急に墓参りときめ東急にてうどん食ひ、国鉄にて八王子。晴れたり曇ったり。
花さしあり、弓子ならんと思ふ。帰り京王線の特急。夜、何もせずに眠る。

9月29日
(※省略)ユ、咲耶に3冊送る。絵にて外出。
竹内の全集14冊と。第1冊来る。都立書房の請求書見つけしも覚えなくて困る。

9月30日
11:00登校。高田を見ず、話し相手なし。大学院重久欠席、各人に1冊づつやり河野夫人1冊買ふ。
文化史すませれば1人本欲しとて2,200にて買ってゆく。semi匆々すませ茶のみにゆく。(※省略)
帰りて無為。Iran-Irk戦争つづく。19生期会報来る。みな体わるきらしく西川96キロと。

10月1日
堀一郎先生7回忌とておちつかず。ユに当る。行けば地下鉄おそく鎌田女史とほぼ同時。
待合室で大藤氏(※大藤時彦)と握手、高田博士より「やせたな」と云はる。18:00開会50人近く集まり食事のあと指名にてみな堀さんの好学を云ふ。21:00すぎ了り地下鉄にて帰宅。茶漬食ひ、入浴、眠る。

10月2日
11:00登校。Skey女史を見る。東洋史すませ始終眠りゐし男生咎むれば「先生の本ほし」と。14:10の教授会。長引きさうにて山田部長旨くさばく。

10月3日
登校。中国古典の時間に「悠」の字出て来、妻の名といへば知りをり、くさる。印もたず定期代もらひにゆき(※省略)、
帰途、区役所前にて川久保につかまり古稀祝すとのことに来年といひて逃げる。鬱ひどし。

10月4日
山本実に電話すればゐず、(※省略)プティ・パレにゆき瀬見氏まで駈け足すれば「2冊売れた」と(嘘なり)。
帰れば弓子来り、祝3千円くれ、そのあとユ帰らしめしところへ星野夫人来り3,000置いて逃げゆく。(※省略)

10月5日(日)
礼拝にゆかず。(※省略)午后、意外にも井上(宇井睦子夫人)、得津(押上佳子夫人)あらはれ高松(丸木直子夫人)よりの電話は切りゐしためなかりしと。苦笑す。(※意味不詳)

10月6日
ユに追出されて佐伯にゆき支払ひおくれしをことわる。プティ・パレ休みと村上氏に遭ひてきく。
論文かけどもLevirate─中国における─ときめる。(※省略)
東京新聞夕刊に都立大の松井博光なる教授ゐて博引旁証を咎む。皮肉なり。
山本実氏より電話あり「見て腹立ててゐる」といふ。
(福地君より詩ののりし雑誌『海峡』来る。父君80才にて健在。彼も数へ年50才となりしと也。)

10月7日
朝、8:00起きサボることとしユに電話さす。ユ、柏井へゆき恵出産ときく。昼食後船越苑子来りユと出てゆく。女児出産と。(※省略)
『赤岡町史』近森敏夫氏の配慮にて来る。(※省略)

10月8日
午后散髪にゆけば2,300と上りをり。帰れば美紀子松茸1本もち来をり、柏井歯科へと出てゆく。
あすの登校いやなれど学科会ありて仕方なし。

10月9日
ユ、健太郎の運動会へと出てゆく。10:00出て登校。栃尾氏より読売新聞の書評printしてもらふ。この方は好意なり。(※無記名書評「読書メモ」)
(※省略)帰途、東豊へゆき『范成大詩集(1,280)』買ふ。わが本は売れずと也。
近畿大の王先生にきけば「同姓婚inteliは行ふことあり」と。
新宿へ出て山本書店にゆけば父と令息の家へゆくところなり。
茶を山本敬太郎夫人に出されやむを得ず『中国の俗諺(2,500)』買ふ。
17:00すぎて帰宅。咲耶より7,000(3冊分)来る。

10月10日
鬱なり。宏一郎と孝行と来り、ユにつれられて公園へゆきしと。
克次朗来る筈なれど17:00となり「来ざれ」と電話して2孫帰りゆく。狂気中のことをユくりかへし語る。

10月11日
鬱つづく。母来りしに、ユに「出てゆけ」とどなり、母呆れて帰りゆく。
プティ・パレにゆき小雨とて帰り来る。夕食、鯛出てユ哀れなり。(※省略)
ユをして竹内夫人に電話せしむれば「あす午后在宅」と。論文「中国の婚姻」について書くより外なし。
 あはれなり秋ふかくしてどなられり63才迎へけるとよ。

10月12日(日)
予報とちがひ朝、雨止む。夫婦にて礼拝にゆき、東急にてわれは狐うどん(280)、ユそば(300)食ひ、
阪急dept.の満員なるを見すごし竹内家。夫人まちかまへらしく、
2嬢とも結婚、1人は筑摩の社員、一人は建築家にて千葉県に住む。夫人も九十九里の近くに土地買ひし云々。
お花料1万円置きて1時間して出る。

10月13日
8:00起き9:30出て塩入先生。血圧120-80と。3週間分の薬もらひ帰宅。竹内夫人より「沢山いただいて」と電話あり。
16:00すぎ高松(※省略)、白水2夫人来りすぐ帰りゆく。夕食の時、伊勢すみえ来り本返すと21:20まで話しゆく。

10月14日
11:00まへ登校。12:30大学院、年中行事すみ(杉山来ず)、あと冠婚葬祭やることとし、
河野夫人に正誤表かきたしわたし2D文化史。わが問に殆ど答なし。30分早くすませ台風来るとのことに帰宅。

10月15日
晴れる。ユ、画の出展を断念(鈴木氏逝去と)。プティ・パレにゆき元気なしと云はる。card買ひ、
NHKの「Turkstan」第4冊とり「第3冊も」といふ。清末までの結婚法かくことと決める。

10月16日
傘もってゆく。12:00より学科会。鎌田女史欠席きまらず。20分近くおくれて002にゆけば皆しづかにをり。
50分近くやり、Der Kongress tanzt歌ふ。杉山博文生来り6冊注文す。5冊わたす。
ケさんに同姓婚きけば答あやふやなりし。
雨にあはず帰り地下鉄で遇ひしは宮崎県の2D沖田生、新中野で下車といふにともに出て喫茶(280×2)。
先週わが本を買ひしなり。card屋へ寄り300払ふ。
旭川の斎藤氏よりわが著の残部ありやと。『白楽天』と『杜甫伝』刊行社にあらんと答ふ。ユ、風邪と山住dr.に。

10月17日
登校。高田君、くり言いふに気づく。中国古典やり上野生に1冊与ふ。(※省略)4女子と喫茶。みなthemaいふ。
高橋重臣氏より電話「あす午后7時半来る。夕飯すまして」と也。

10月18日
ユ、同窓会へゆき我、プティ・パレで昼食。高円寺の都丸支店にゆけば「1冊も売れざるも期限まで預かる」と瀬見氏。
帰りて論文かく。(「中国の法と民俗─婚姻」とす)15枚×200。ユ17:00帰り、19:20高橋君来り富永館長老い新井女史もとのままと話す。
雑誌置き「会合、三笠宮はじめ300人を越せし」と也。22:00前後眠らせ入浴。

10月19日(日)
朝食の時「高橋マリちゃん再婚の相手見つかりし」と。ユ風邪、我下痢にて礼拝にゆかずときめしあと高橋君出てゆく。
夕方、史親子来り、飯食ふと急ぎ帰る。

10月20日
下痢また起る。紀要の原稿39×200ややに自信つく。
 わがよはひ古稀としなりぬこののちのわれがさだめは神に任せて。
新学社より「千円印税として三井銀行支店に入れし」と。

10月21日
下痢なほり鬱とれて登校。大学院は「朝鮮の婚礼」。2Dも旨くゆき(※省略)、駅にて2Dにつかまり喫茶。
東豊へゆき26,640払ふ。わが本少し売れてゐると也。京よりユに「あす来てくれ」と電話あり。

10月22日
ユ出てゆく(10:00)まへ山住dr.へ下痢の薬もらひにゆき睡眠剤のこといへば「見本持って来い」とのことなりし。
「中国の婚礼法」50×200となり、寒き朝となる。(昼食プティ・パレにてbread & tea 400)。
荻村雅子にハガキかく。今中19期会へ2,00送ることとす。

10月23日
8:00家を出て杉並郵便局、9:00まであかずと気づき、成城駅前局へゆけば「まだ早し」といはれ登校。
(※省略)15:00大学院教授会。英文の1人、西山君の反対にて落す。(※省略)そのあと学科会。
平山君荒れ森岡主任困る。17:30すみて急行にて帰宅。便秘となる。

10月24日
曇。ユ14:00買物にと出てゆく。プティ・パレにゆき写真屋鈴木に会へば「満洲にて月収2,000なりし」と噴く。
帰りて論文かき200×60となる。瀬見氏より電話「増田晃につき聞きたしといふ人あり」と。
「けふ今より来よ」といへば「日曜午后瀬見氏と同道」となり。

10月25日
朝、雨。公平さん急死とてユ、旧友に電話せしあと納棺にゆき18:30会してお通夜にとゆく。
われ論文かき林俊郎より叔父「一周忌を11月30日14:00」と来しに電話して確かむ。論文60枚を越し今ひと息なり。

10月26日(日)
8:00すぎさめ、ユとともに礼拝休む。ユ12:30昼食すませ西永福の池上(公平)由紀恵夫人の葬儀に出てゆく。
13:30瀬見氏、山田清吉(元大尉、明治31年生れ)氏をつれ来る。漢口にゐしと増田晃君の歌のせし『武漢兵站』賜ひ15:00すぎまで話してゆかる。
我も本1冊贈る。(瀬見氏本代もち来りし故「年末に」といひて受取らず)。プティ・パレにゆき喫茶(300)。
佐伯にゆけば『堀辰雄全集12』来り4,600と。払ひ、card買ひて帰宅。論文69×20となる。ユ疲れてねをり。

10月27日
朝の中、雨のこる。山田清吉氏の本よみつつ論文68×200とす。都丸支店に電話し、瀬見氏留守中ゆゑ「本よんだ」の伝言たのむ。
 あなあはれいくさのにはに死にしひと主イエスに祈り死にし人とも。
『人民中国』1年分2,000内山書店へ送る。

10月28日
11:00すぎ登校。大学院みな出席。重久と河野夫人と結婚(※観?)完全に反対にて大笑ひす。
L2Dも旨くやり、高田瑞穂君「新大学」へゆくとて同車、新宿で別れ地下鉄に乗れば2D沖田生隣へ坐る。
再び新中野で下車。われはpudding彼はcaféとcookie、払ひしをれば10円出す。
別れて新高円寺まで乗り瀬見氏に会ひにゆけば不在。山田氏の本の礼を番頭に伝言たのみて帰宅。(※省略)
『ことわざ処世術』買ひ面白くよむ。鍛冶初江嬢より「永生せよ」と。

10月29日
朝6:00さめ (※省略★)、午后佐伯へゆけば(※省略)、井上靖『楊貴妃』文庫にて買ひcard屋にゆき、
高峰竜胆(250)1鉢買ひてプティ・パレ。客我一人にて福地さんと話す。
帰りて「婚姻史」了り80×200.註かき余論かけば了ることとなる。めでたし。鍛冶初江嬢にハガキ投函。

10月30日
8:00さめ朝食し10:30出て登校。急行に立ったままゆく。学科会にて平山博士また怒る。
新城博士に『常民文化紀要』の原稿のこといへば「頼んだおぼえなきもののせる」と。(※省略)
教授会、評議員の選挙にて長びく。全然票なきが半分。すみて鎌田女史より「中国の産育についてかいたものは」と聞かれ「金瓶梅」と答ふ。
阿佐谷にて『木曽路(350)』買ひ、川久保夫人と遭ひ「主人お宅へ」とのことに、急ぎ帰れば瀧川博士にゆきし帰りと来てwhiskyのみゆく。
けふはわがいふことよくききたり。教会より「壮年会へ出よ」と。

10月31日
8:00さめ、10:30出てAnderson講師と名刺交換。在日15年といふ外人講師。(※省略)
(登校途中、臼井名誉教授に会ひ会釈す。佐野元教授には我からす。)(※省略)
semiに木下、鳥海来ず3人つれて喫茶。(※省略)帰途、駅前の本屋にて斎藤茂太『躁と鬱』買ふ。
東豊へゆけば「2冊売れた。もう1冊は我買ふ」と簡さん。国電にて帰宅。
ユ「茂太先生の本は諏訪よりとり来りし」と。不審。

11月1日
ユ、山住dr.にゆき薬もらひ来り、昼食後戸田先生にゆく。われプティ・パレにゆき茶のみ(※省略)、
夕食するところへ弓子3孫つれ来り将棋さす(克次朗、日曜学校へゆくとなり)。
けふ富山鈴子Canadaより星見えるとたよりよこす。(※省略)、塩入先生と縁切れしを喜ぶ。

11月2日(日)
よべ3:00尿で起きまた眠り、7:30起され礼拝に2人してゆく。(※省略)
聖餐式あり、すみて笹淵博士に中河幹子女史の逝去告げ、衛藤瀋吉長老に本、来週もって来るといひ、阿佐谷へ帰りcard買ふ。佐伯夫人中野の市に行きをり今東光『河内風土記(250)』買ふ。
ユ、柏井へ恵の出産祝もちゆき(※省略)、我は近鉄・広島のセパ両リーグ決勝見てをり。
夜、「中国の婚姻」─中華民国民法を写して116×200とす。うれし。(※省略)
新聞に西川英夫68才藍綬褒章をもらひしと出てをり8:00電話せしも返答なし。柏井尚子よく笑ふと也。

11月3日
北風寒し。午后プティ・パレにて喫茶。
高円寺都丸支店へゆき『金槐和歌集』、『中国小説の世界(1,000)』その他買ひ、わが本買ひしといふ人に紹介さる。(※省略)
趙冰博士の『中共婚姻法』の訳にとりかかる。(※省略) 丸に電話すれば夫人「寒しとてねてをり」と。
(※省略) 衛藤博士と野口武徳君に本送る(300×2)。20:00「Turkestan」を見る。

11月4日
8:00さめ中華人民共和国の婚姻法を書き足し200×123とす。昼食後、散髪(1,300)。
カナダへの航空便買ひにゆき(100)、本送る袋(100)とcard買ひ『シャーマニズム(460)』買ひて帰宅。
夜、西川に電話す(勲章もらひし祝、丸のこといへば「この間、金沢へゆきし」と。「古稀の本出した」といへば「買ふ」とのことに「送る」といふ。)
「乃木大将と203高地」を見る。(※省略)荻村雅子に電話すれば「受取書かうと思ってゐた」と也。バカらし。

11月5日
7:30さむ。午前中「中国の婚姻─法と慣習」書き了ふ。200×142.うれしく川久保に電話し、
「13:30ゆく」といひ、ゆきてTungus語辞典ともにやらんといふ。
川久保「時々厭人症になる」と。阿南君の本、出ざるを嘆じ(けふ和田久徳君に1冊送る300と)、
佐伯へゆきて『東アジアの古代文化25』注文し、『シルクロード』来しに払ひ『空母信濃の生涯』買ふ。
プティ・パレにゆき鈴木写真館と話し、(※省略)18:00帰り『信濃』よみ了る。
(郵便屋愛場君といふが「竹内のことききに来る」と。)
三好豊一郎、豊岡保郎2氏より来信、返事かきて投函す。(※省略)
山本実君に電話し「蘇東坡つづきかく」といふ。喜びをり。

11月6日
8:00起き「虹を織る(※NHK連ドラ)」見、10:00一万円もちて出、定期券(7,140)買ひて登校、高田に『堀辰雄』やり菓子もらひ、 (※省略)
高田の帰りしを見て岡本金六教授と同車。地下鉄に乗る彼つれて喫茶(500)。東豊へゆき『黄檗洲詩集(400)』買ふ。わが本3冊売れをり。
また小田急南新宿に引返しcard買ひ、西川への本袋(120)買ひて帰宅。(※省略)
けふにて「信仰の自由」討論すみ神島二郎博士結論いふ。
Reaganの当選にソ連祝電打ち、王選手中国人のままにて巨人軍の副監督となりしなり。

11月7日
7:00まへさめる。立冬と。23℃になり天気悪くなると。10:00出て登校、(※省略)
喫茶店にて『中国史 下(1,500)』津幡生より受取る。帰宅し何もできず。
けふ三笠宮の若宮、吉田茂の孫、麻生太賀吉の娘と結婚。(※省略)

11月8日
6:00起きユ9:30出てゆくを見送る。(※省略) 佐伯へ電話すれば「本来てなし」と。
大都リッチ菊池良子嬢より電話「14:00来い」といふ。(※省略)
プティ・パレへ2度めにゆきPetit lunch食ひ13:40帰ればユ、昼飯くはず戸田さんへとゆく。
14:10石井昭子と2人来り「あす8:00迎へに来る9:15こだまにて一泊、自動車運転できる男とゆく」と。ユの帰る10分前にわが本2冊もちて帰りゆく。(※省略)
小高根太郎氏に電話すれば夫人出て「あす14:00ゆく」といふ。鈴木文平に1冊買はす。斎藤茂太先生にも1冊とす。

11月9日(日)
23:00眠り(※省略)9:00さむ。昼食後13:00出て小田急dept.で5千円のHam買ひ小高根家。
夫人譏嫌よく、太郎手術で心配し娘たち助けしと。出て早川医院さがし『この父にして』、『中国の歴史 中下』買ひ、
早川祖母に案内され大叔母たちに会ひ恭子の心づくしありがたく阿佐谷着。(※省略)
黄宗羲のわが家の『清史』にみつからず困る。(※省略)

11月10日
7:30さむ。ユに本投函にゆかす。母ねてゐると。田中正俊氏に電話すれば不在。大都リッチの石井昭子氏に電話し「来年まで忘れざれ」といへば「承知」と。
午飯すみしあと近江詩人会に「同人費出す。詩のせよ」と。投函かたがた佐伯へゆき鳥山喜一『中国の歴史 上』買ふ。プティ・パレにゆきて喫茶、船越苑子まだをり。三重ノ海連敗、横綱辞職らし。(※省略)

11月11日
6:30覚む。田中正俊氏に電話「月曜法学部講師室に来る」と。10:30出て登校。
昂徳社といふが来り『中国歴史地名大辞典』出す。買へと也。
図書館へつれゆき事務長に紹介すれば「漢文にて会議にかけてもダメ」と。
おどろきて講師室につれ帰り、我契約し、池田温君に紹介す(144,000)。(※省略)
尾形仂教授に1冊呈し『小説三言』に署名をといひ(※省略)、
法学部へゆき「クリスチャン」といへば284番歌はさる。(※省略)
(成城堂にて『史記を語る』買ひ、わが本返本せよといふ。)岡本教授と同車、下北沢で彼は下車。
われ佐伯へゆけば本来ずと。card買ひて帰宅。(※省略)寺本和代氏より「11冊送れ」と。(※省略)

11月12日
5:00尿意にてさむ。(※省略)
われcard買ひ佐伯に『天理善本双書』の注文し、長沢和俊『東西文化の交流(1,200)』買ひて帰来。
午食して高円寺、都丸支店へゆき瀬見氏に清算たのめば「夜来る」と。
『日本語の誕生(1,000)』買ひ球陽書房に寄れば「息子、平山博士宅へゆく」と。
『東西文化の交流(300)』、『戦争体験(700)』買ひてプティ・パレに寄り、(※省略)帰宅。
愛場君、西川の2,250もち来り「この間、電話したが不在なりし」といひし由。(※省略)
21:00瀬見氏より電話「来客あり、あす」と。

11月13日
1:00小便に起き5:00さめ『信徒の友』よむ。10:00出て登校、栃尾君と会ひSkeyさんと会ひ(pão食ひ了る)
(※省略)教授会欠席を山田部長にことわり成城堂に教科書のこといひ『新坂古墳文化小考(360)』買ひ、
青木生と会ひ、さそひて喫茶。(※省略)南阿佐谷にて『古墳の発掘(380)』買ひ、中島健蔵見つけてよむ。我を無視せしが如し。
帰れば瀬見氏(※売れた本)5冊分8,400置きゆきしと。(※省略)
菊地ほなみ、柿もち来り2時間ほどゐて「韮山に家世話す」となり。(※省略)
(藤野一雄君より『彦根の植物』贈られ礼かく。)

11月14日
2:00尿で起きまた眠り6:30さむ。9:30出る。10:30登校。
同窓会にゆき27枚表紙ます(われ再来年3月31日退職、それまでに卒論とりに来い、然らずば送料書留料1,000円よこせと)。
(※省略)14:10ゼミにゆけば4女そろひ木下の卒業アルバムとると。3枚とられワリカンにて喫茶。
(午休みに成城堂にて『中国笑話集(420)』、『中国女性史(1,200)』、『中国婚姻史(1,200)』、『使徒のはたらき(200)』、 『日本語の成立(390)』、『倭国(420)』借りる。)
別れて東豊にゆき本4冊とり『蘇詩補註(7,000)』買ひ(※省略)阿佐谷まで国鉄。
佐伯に4冊あづけcard買ひて帰宅。ユ帰りしところにて「禎子おぶひし」と。
天理より『ビブリア75』、斎藤茂太dr.より受取。牛尾三千夫氏より「田中冬二85才にて死にしを哀悼する」。
夜『続今古史観』は『初刻抽案警奇』よりとりしと伏字うつしにくたびれる。

11月15日
2:00小便に起きしあと眠れず。7:00ユを起し10:00木下雅夫に電話すれば「8:30家を出し」と母。
やがて来りcopyとりにゆく。わがcopyはダメと也。昼食しユの画に出てゆきしあと『楊貴妃伝』もちて帰りゆく。
プティ・パレにて喫茶。瀬見氏に会ひにゆけばわが本おきあり。『酉陽雑俎1(1,250)』買ひて帰宅。
(※省略)美紀子「暁子あす七五三すまして来る」と。藤野一雄君より「本買った」と。
高橋重臣君に『隔簾花影』第6回よりのcopyたのむ。

11月16日(日)
6:30さめ風邪けなり。礼拝夫婦とも休む。三越より小高根夫人の見舞返しにハンカチ来る。
ハガキ3枚買はせ高橋重臣氏へ『隔簾花影』みなcopyしてくれと
牛尾三千夫氏へ「田中冬二85才と知りあやかりたし」と。15:00ごろ暁子来り美紀子来り史来る。
淳一今井家にありと。来るまで待つと。史話さず。われ手紙類の整理す。
ユと美紀子と買物に出しあと淳一来り、将棋さして負かす。(シロコゴロフ見付かる)。月桂冠もちて帰るが17:30なり。
高見山、千代の富士(全勝)勝ち北の湖負け貴乃花負け、王さん最後のHome-run打つ。

11月17日
5:00さめ7:00起きる。9:30年賀状400枚注文。(※省略)佐伯へゆきシロコゴロフ等売り、『古川柳おちばひろひ』、『八木重吉詩集』、『江戸小咄の比較研究』、『沖縄の習俗と研究』、『漢魏六朝詩集』に2,000つけて(※自著の)売上と両方すます。
『中国歴史地名大辞典』につき電話あり12月1万円、1月5万円、のこり3月といふ。
プティ・パレにゆき帰れば伊藤とくより田中家文書。写し了へて返却にゆかす。


 (※省略) 『中国歴史地名大辞典』につき昂徳社へ電話し、まだ池田温、田中正俊両教授に会はずと、叱りつける。プティ・パレにゆきし。(※省略)

11月18日
7:30さめる。10:00出て登校。11:00よりpão食ひはじめしに高田君来る。
12:40大学院にゆけば給仕ゐず(近々結婚となり)、植木眞由美副手に紅茶のましてもらふ。
堀川君かかるよき室もちゐし也。12:50入室おくれて重久武志おぼえある女つれ来る。
旧姓川本(菅野夫人)にて1時間半ききゆく。夫癌より助かりしと也。中国文学史やりて女生の出席いらずといふ。
森田晃一生『日本の詩歌』もちをり誘ひて喫茶、金曜に家に伴なふこととす。
帰りて夕食了りしところ鈴木文平夫人より「来る」と。ユ迎へにゆき、三島にて親類多く文平ともども伊豆の出身と。(※省略)
3冊買ってくれ1万円出しつり要らずといひ創価学会とあかす。(※省略)
筑摩書房より『堀辰雄全集10』(※月報文章)の印税5,591を1月6日に支払ふと。

11月19日
23:00就寝、2:00尿に起きあと『柳樽』。8:00起床。佐伯へゆけばしめをり。(※省略)
眠らんとせしに苑子来る。15:05(※プティ・パレに)ゆけば久保田夫人まちをり(※省略)息子来て「法学部に入りたし」と。英語弱しと也。家にともなひ世界史の試問し「英語やれ」といひ「文芸まづ受け、経・法みな受けよ」といふ。18:00ごろユに促され石神井の家へと帰りゆく。(※省略)

11月20日
22:30入浴して就寝7:00さめ睡眠不足とりかへす。(※省略)16:00出て佐伯へ寄れば天理の本来てをり12,600円。(※省略)成城堂へゆき中島健蔵の本借る。昼の学科会出ず。(※省略)
12:30になりし故002にゆき『アジア歴史辞典』なくなりしこといひ教科書もたざる子を記帳して60とす。
図書館2階にゆけば第2冊なくなりをり、鳥海生をり。司書叱りつければ保存用の1冊もち来る。
東豊にゆき本1冊買ひ、明大生にて道教やるといふが荻窪にすむといふ故、家へつれ来る。
高雄の生れにて在日6年、島田博士に習ふと。最低生活の由、1冊与ふれば来週火曜来ると也。
「阿南惟敬遺稿集11月17日出来11,000に価格変更、ほしきや否や」に「ほし」との返事投函たのむ。(※省略)

11月21日
よべ排尿2回、不眠。6:00起床。10:00ユ出てゆくを見送り10:30出て登校。(※省略)
阿部良助のもち来し葡萄食ひ、茶(200)のみて16:30出て、
郵便局にてハガキ買へば、森田晃一追ひつく。200やりて切符代とし、つれ帰り21:30まで話す。
巖維子より「夫病気、来られず」と1,000送り来る。(※省略)
兼清より「12月6日西川の(※叙勲の)祝す」と。

11月22日
7:00すぎさめる。(※省略) 長沢規矩也先生逝去78才と。田中夫人より「あす13:00夫の車で来る」と。
山住dr.へゆき風邪薬もらひ眠剤10日分もらふ。母より「あす大の誕生祝する」と。(※省略)
佐伯へ雑本もちゆけば300円と。(※省略) 昼食プティ・パレにゆき福地夫人と話す。(※省略)
マーロンブランド見に帰り『川柳』よみす。(※省略) 高橋君より『隔簾花影』48回まで来る。

11月23日(日)
6:00さめユを礼拝にゆかし『柳樽』よむ(11:30了る)。(※省略)
15:00田中(白仁)よう子、夫と2女つれて来り、16:00までゐてキンコンカンへと案内せしむ。
別れて『禁じられた英語(1,500)』買ひて大の53才の誕生祝にゆき、(※省略)
帰宅すれば家の前に愛場君をり21:30まで竹内のこと話さす。(※省略)

11月24日
4:30さめ8:00起床。寺本和代より23,000+360来る。「川柳玄宗と楊貴妃(200×11)」書き、(※省略)
プティ・パレで御隠居さんと話合ひ高円寺。瀬見氏在宅7,000で本売り『中国の俗諺』、『三国志通俗演義訳』など買ひ、球陽書房にて『仏教史概説・中国編(1,000)』買ひ『水滸伝訳』予約して帰宅。
(※省略)夕方、小林善一郎、地下鉄技師としてtelevi3に出る。ユ電話かければ「恥かし」と也しもよくやりし也。

11月25日
7:30起床。10:00家を出、高田と同時に登校。論文だれもとりに来ず。
(成城堂にて『佐千夫歌集』、『アイヌ神謡集』買ふ。)(※省略)雨降りさう故、傘もって帰り新宿にて西川に遭ふ。
書原に寄り『米英回覧実記』、『史記世家』、『こども風土記・母の手毬歌』、『星の民俗学』、『歴史手帖』買ひて帰宅。
(※省略)満洲族やりてのち川久保に電話し「阿南の本来ず」といふ。

11月26日
2:00尿にさめ、また眠り7:00さむ。(※省略) ユ昼食し13:30(※省略)小林の地面見にゆく。
われ『柳樽』一段落させて散髪にゆく(2,300)。すみて高円寺まで歩き球陽書房支店にて『水滸伝3冊』3,000渡せば500円返すと。早走りしてプティ・パレ、紅茶のみ「地図土曜に返せ」といひ帰宅。(※省略)

11月27日
よべ22:00眠剤1ケ半のまされ2:00さめ5:00起く。10:00出て佐伯に寄れば天理の3回配本『茘鏡記(14,000×0.9)』来をり。
11:00登学。試験用紙に原稿かきて教務に届すます。(※省略)教授会にゆき(※省略)
高田の後任3人、築島博士の後任山田爵の業績とりて退席。(※省略)まっすぐ帰る。
18:00黄君来り、わが家の道教と法律書写し夕食くひて帰る(21:00)。
高橋重臣君に電話すれば「(※copy代)5千円位、年末来る時渡せ」と。(※省略)

11月28日
不眠。6:00起床。7:35入浴。11:00すぎ登校。13:00bonusもらひにゆけば(※省略)。
成城堂にゆき『シルクロード辞典(5,000)』ほか7,350買ふ。(※省略)帰りまた成城堂に寄り7,000あまり払ひまた本買ひ、木下と同車。
(※省略)凌雲書房より『中国歴史地名大辞典』送ったと。ユ佐伯の払ひし、賀状5,500なりしと。(※省略)

11月29日
よべ22:00ねて7:30覚め不眠とりかへす(ユと室を別にす)。ユ母とpermaに出てゆく。西川より藍綬褒章祝ひの礼。
(※省略)高橋重臣君より「1万円でおつりが来る」云々。山本書店へ電話して「本売買は」といへば「6時まで」と。
昼食まへユの帰り来るを見てプティ・パレにゆき地図2枚返却を受く。昼食後日清戦争の資料(田村憲子のために買ひし也)をさげて出、
地下鉄新宿三丁目までのりこし(※省略)神保町までゆけば南口に(※山本書店)入口あり。山本父子見積りして3万円と。
『國色天香2冊』、『蒙古世系』、『唐詩[来]事記』買ひ、隣のゾッキや(※芳賀書店)の満員なるに岩波小売部ゆけば土曜休み。
(山本実君に促して百瀬氏の『明清社会経済史』もらひ地下鉄にて新宿三丁目下車。
紅茶(250)のみ紀伊國屋にて地図6枚(140×6)買ひ、新宿まで歩き新高円寺下車。
『日本植民地史 台湾』買へば900にまけてくれ大石書店にて『中国故事(900)』。瀬見氏と喫茶、Hot-cake1キレ食ひ、
『近松門左衛門集 下(400)』買ひ球陽書房支店にて『江戸時代の支配と生活(1,000)』買ひ『エロティカ』とりに来いといひ帰宅。(※省略)

11月30日(日)
6:00さむ。睡眠感なし。東洋大学時代の日記よむ。9:00出て吉祥寺。caféのみ(250)20分前に教会にゆく。(※省略)
古本屋2軒を見、阿佐谷に帰り昼食。ユをせかして13:00家を出てゆく。木下に電話すれば父上出て「2時間前出し」と。
大原三八雄博士来り木下夕爾をラファエル前派といふ。我反対しをれば渡部生来り東洋史のわびいひに来りし也。
大原氏追出し2生と茶のみ、木下の匈奴史の誤字なほし、(※省略)
ユ、新宿より電話かけ来り、鮎もち帰る。旨し。(※省略)

12月1日
23:00臥床、5:00起床。賀状かきそむ。阿南惟敬遺稿集刊行会へ「いくら払へば送りくれるか」と問合せ状かく。
凌雲書房より『中国歴史地名大辞典』6冊着く。午后、ユと口論。例の発作おこす。
出て高円寺へゆき瀬見氏に「(※預けてある)本とり返す。8:00ごろ電話しろ」といひ帰り来れば鈴木寅蔵氏より「同人へ参加よろし」と。
(※省略) 瀬見氏来ず寿一に電話すれば「そのうち来る」と。
ユまた「死にたし」といふところへ母より電話、ユと代れば「(※母)心臓苦し」と。山住dr.にいひ出てゆきしまま帰らず。
美紀子に電話す。
(山川京子氏停職との信来り、若葉と問答し、諸我校長に後任の件にて会ふこととす)。
21:30ユ電話かけ来り、大つかまらず河北病院に入院「今夜つきそへ」といはれしと。日記より歌うつし山川女史に送ることとす。
時に真夜中なり。0:30河北病院に電話しユ呼べば「大丈夫。ねてくれ」となり。(※省略)

12月2日
4:00さむ。ユ6:00帰り来り弁当のsandwichこさへし。
10:00出て(※成城)高校へ諸我校長のところへゆけば「御先約おありですか」と受付。とたんに腹立ち、
タバコくはへ通され、受付の不当なじれば向ふも怒り出す。
名刺出し「はじめまして」といふに「20何年ゐてはじめましてはないでせう」からはじめ、
エンマ帖出し「成城教育」出しこてんこてんにやっつける。「高田、八木と宜し」と。この次ゆっくりといって出、
sandwich1ケのこして大学院。河野夫人ゐず重久活躍す。sandwich食ひながら鳴るまでやり5号館、
給仕に安田一郎の無礼とがめ、X’masの歌うたふをきき、(※省略)。
講師室へ帰れば高田をり、酒のますところへつれゆけといひて、wineのみcheeze食ひ、彼はbeer小瓶2本、
払はさず、礼いひて別れ、南阿佐谷にて冷たい水と紅茶のみ、電話すればユ帰りをり。
茶のみ入浴し、茶漬食ひて21:00就寝。(※省略)今年の歌、山川京子に送る。近江詩人会より(※詩送れば)喜んでのせると。

12月3日
6:00さめユ7:00起く。河北病院へゆきtomato juiceのみて帰り、千草来り、母退院ゆるされしと。
凌雲書房迎へにゆく。信州飯田といひ何とも知らず、すし出し(2,400)土曜1万円とりに来ると。
プティ・パレにゆき紅茶1杯のみ15:30瀬見氏来り『Erotica』3冊もち来る。三品彰英売る(差引7,000)。
川久保来り(16:30)、早々帰る。瀬見氏よりnote3冊ありしと電話。大来て「あす13:00すぎ退院さす」と。

12月4日
22:00就寝。ねむれず。2:30もう一つのみ6:00起床。賀状ソまでかく。10:00高円寺へゆき『Heine2冊(1,000)』、『日本歌謡史』などでもち金はたきプティ・パレで茶のみ12:20帰宅。ユを河北へゆかせれば「退院ささず」となりしと。
夕方ゆけば母、夕飯を食ひをり。バカらしく、ユをしてゆかしめれば眠りをりしと。(※省略)

12月5日
入浴前、風邪気味とてやめ、2枚のんでねしもダメ。風邪薬のむ。
(※省略)7:00ユ起こせば2時間しか眠れず船越でねると也。せかせば河北病院へ出てゆく。
山住先生へ一番にゆき風邪薬もらふ。帰りて『中国歴史地名大辞典』の件にて社長と話し。売りに来し男と話し「あす来い」といふ。(※省略)
山川京子氏に電話すれば「11月末付の免職来りし」と。
けふ母の所へユゆき、寿賀子ゆき、大ゆき、月曜退院と也。(※省略)

12月6日
6:00さめ7:00ユを起す。凌雲書房に電話すれば社長出て来る。10:30に販売係来り「本ひきとる」と。
プティ・パレにゆき73才の翁と話し、帰れば米山まち子まちをり。午飯くはし、本やりてsignすれば、
「古稀記念で買ってくれといへば買ひました」と。sign破り、泣き声化粧して帰る。送りゆき花屋で別れ、
キンコンカンにゆきcafé出させのまずして帰宅。16:30出て西川の会(※受章祝)にゆく。
taxi見つけて5千円渡し13人出席の連中と末席に坐り、兵隊にゆきし、西川の外套来て帰りにといふ。(※不詳)
21:00帰宅。ユと23:00まで話す。(愛場君より来信あり。)

12月7日(日)
6:00さむ。7:00入浴。礼拝にゆかず天野愛一に電話すれば高血圧216と。
(※省略)10:00また入浴。トンビ着て佐伯にゆき『考古小記(1,200)』買ひcard買ひして帰宅。
ヒゲ剃ってもらひプティ・パレ。ひるねし、阿南氏の本2冊受取り、
ユをして川久保に電話せしむれば「あす取りに来る」と。神田氏にもユをして電話せしむ。

12月8日
8:00さむ。川久保10:00来り、本もち1.1万おきゆく。プティ・パレにお茶のみにゆき、ユ12:30出て母迎へにゆきし。(※省略)
瀬見氏来て『大航海時代双書10冊』を2万円といひ、われ1万円しかわれとらず。
入湯、夕食し『戦艦大和』の著者吉田満のことteleviで見、「川柳の中国」かく。

12月9日
よべ眠剤3服。0:00すぎ眠り8:00さむ。11:00登校。(※省略)
南阿佐谷で自転車に乗る男女に怒り、(※省略)帰りて杉並警察に電話すれば相手にせず。黄さん来て夕食少々食ぶ。
(※省略) 寿一来り、signくれと。

12月10日
8:00さめ10:00高円寺へゆくつもりがプティ・パレ御老人山口氏と同席し10:00すぎ帰り、昼食後高円寺。
都丸本店で『六法全書(1,700)』さがしてもらひ(※省略)、帰りまたプティ・パレに寄り名刺をもって警察にへゆき、
(※省略)交通係長に会ふ。茶出されて帰り、電話すれば「善処する。署長にも話した」云々。
丸に電話すれば「処置なし」と。「(岡昭義)署長は大佐級」と。区会議員仁木清二郎氏に電話す。(※省略)

12月11日
6:30さむ。10:00出かけ入口にて林桂子に遭ひ2冊に署名し「俊郎の病院にもちゆく」と。(※省略)
教授会末席にてタバコ吹かし、大教授会にて山田爵、白票5賛成32票に喜び、(※省略)帰宅。
7:30婦警2人と来しと也。『叙景詩』日本文学館より来り、明治34年の西島南峰(※実父喜代助)作3首のりをり。
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko03a/bunko03a_00208/index.html

 無名の封書 千成12月10日出
 ガクエンチョーニスキャンダルアリ
 イゼンカラツキアッテイタジョセイアリ
 トツゼン フジンニシャシ
 ツマノザヲ セガマレタ

 ツマトシテ セケンニ ダスワケニハイカヌタグイノ ジョセイ
 サイコンデキズニイルノハソノタメ

 ガクチョウニナルマエニ スキャンダルヲ モミケシテイル
アルダイガクインセイ(チチオヤハ ガクエンニツトメテイタ)
カノジョガ フイチョーシハジメ ウワサニナッテ アワテテ フウフシテ モミケシタ

 ジブンガツネニ キズヲモツノデ ガクエンナイノ スキャンダルヲミノガシテイル
 タトエバ ジムショクノ ナカデ ヌスミヲ ハタライタ オトコアリ
 モクゲキシャマデアッタ
 ソノオトコヲ イマ アルカチョーニシテイル。
高田問題にせず。三藤学長に正午会ふこととす。(ナンバ和子より電話「その中に見舞に来る」と。寺崎浩死ぬ)

12月12日
7:30さめる。9:00すぎ警察にゆき、交通課長鈴木雄三に本やる。「看板である動かしてもよい」との由なりし。
登校10:00。学長をりときき、怪文書見せれば「承知」と。高田にパンもらひ諸我文吉に会ひにゆく。帰れば片山豊来てをり菓子呉る。
民研にゆき米山の写真わたす。(※省略)帰り町会事務所にゆき、またといひ帰れば母ねてをり。
夕食後19:30母さめて色々話す。(※省略)

12月13日
8:00さめ8:10咲耶に電話す。母と話し、ユに小包出しにゆかせプティ・パレに茶のみにゆき14:00林マリ子の来るを迎ふ。
(難波和子見舞に来る)。ゆっくり話し本やり、プティ・パレにゆき16:00佐伯へゆき『野麦峠(500)』買ひ、
card屋へ寄り町会にゆきて帰宅。〒なし。母きげんよし。「川柳」200×82となる。愛場君「あす夜来る」と。

12月14日(日)
7:00起きる。ユを残し待降第2礼拝にゆく。

 光満つ主うまれましし暗き世に明るき光あふるる夜ぞ
 なが魂よさめよ、もう一度人々を動かすほめうたを作れ主はかう仰せになった
 空に星 地には栄光うぶ声をあげてみ子はも生れたまへり
 富士の根のいただきに雲かかりをり晴れたる冬の清き朝にも
 「もっと光を」といひて死にたる古への詩人をおもふ愛するわれは
 わが室にこもり祈るか礼拝に来るがまことのXmasなり
 ここもまだくらしされども光来(く)と思ふ日ぞこれXmasなれ
 わがゆく日うたはむうたを待降の日にぞうたへり恵みあふれつ

帰宅。「15:00来る」といふ寿一をまち、「孔子の捕はれし」を『史記』で見つく。寿一来り(母への見舞とpye呉る。)
わが「日記5」をよみ出す。愛場君来り、我に文章直させ1冊もちて去る。寿一も去る。
オードリーヘップバーンの「戦争と平和 前篇」televiにて見る。(中公事業出版社より靴下2足賜ふ)。(※省略)

12月15日
8:00起され、母の死に関し思はず落涙。(※省略)昼食後プティ・パレで喫茶、高円寺まで歩き都丸支店で『戦争と平和2冊(800)』で包ませ、
丸宅へ14:00つけば飯の直後と。Mild Seven3ケやり村山、田村両氏にたよりする・せよといひ駈足にて都丸支店。(※省略)
「川柳」は雪中の鯉でゆきづまる。

12月16日
8:00にさむ。宝塚(※NHK連ドラ「虹を織る」)おもしろくなかりし。9:00出て登校。(※省略)文2Dにゆき渡部にP.H.Pにかかせよ といひ握手す。
男生は「田中克己への注文」かけといふ。山中教授に本やるといふ。出て成城堂にて『シンガポール案内(950)』買ひSmith氏と遭ふ。
帰宅すれば母をらず「大のところへわが了解を得てゆきし」と。電話かけて「了解せず」といひ、大出て「今夜泊める。あすゆく」と。
弓子とともに大のもとへゆきしと也。「克己のきげんは」の電話かけ来る。(※省略)華国鋒辞職と。

12月17日
コン(※かつての浮気相手)のゆめ見ておこさる。晴。母に電話して「来よ」といひ(※省略)
11:00まへ母と大と来り、時々大の家へゆくこととなる。賀状了り〒にゆき(※省略)。
木下生14:00すぎ来り、semi指導表に署名捺印さす。プティ・パレにゆき喫茶(280)。
(山田君より『角川国語辞典』送られ電話にて礼いふ。)丸にゆき野球部歌うたひ思い出語る。西川よりThree Seven2箱もらひ、まだ残りありと。
村山高氏にハガキかかせれば極小字。田村春雄に往復かく。(※省略)駈足で帰り『寮歌集』見つけ丸に電話で歌きかす。

12月18日
0:30入浴。柿食ひて眠る。7:00さむ。丸のハガキに追加かく。母眠りしまま9:00出て速達出し、
署へゆけば受付嬢「署長、副署長、交通課長、交通係長みな会議中」と。(※省略)
三藤学長に会ひにゆけば会議中(のちほど会ひ、中国法おけといへば法学部の教授会と。『北京案内記』かせといふ)
山田部長つひに不在。ケさんに逃げられる。毛利先生食事中。(森岡主任にわが後任、我が先づ推薦と申込む)。(※省略)
帰宅の途、杉並警察署に寄れば交通主任代理出て一巡査つけくれ町会まで同行して去る(わが本よみしとあやふや也)。
帰りて夕食せんとすれば瀬見氏シュトラッツもち来り、差額3千円もちゆく。(※省略)
Skey女史、父上病気とて帰国(Canada)と。Merry X’mas Good Health to your Fatherのcard投入を船越苑子にたのむ。
『植物名の由来(980)』買ふ。
  町会長 小河原正光
  交通課長 鈴木雄三
  署長 岡正義
  係長 和久里只夫
母、わがことを父と同じくこっけいな兵隊といふ。われ激怒す。大来り、母つれゆくと也。
ユ、我が躁きつしと祈る(塩入先生の薬もらへと)。
琳琅閣の本つき17,200と。(※省略)

12月19日 ※記述なし

12月20日
7:20さむ。琳琅閣へ払ひの伝票書き込む。(※省略) 小野忍逝去と。堀川博士に病中の見舞の礼いふ。(※省略)
新城博士に『李太白』わたす。14:00より卒論分配、我に13冊わたり木下の卒論、田中宣一君にゆく。(※省略)
taxiひろわす。(※省略)帰宅。(※省略)

12月21日(日)
7:30さむ。(※省略) ユと佐伯で会ひて礼拝。『女・エロス』、『西夏文字』、『太宰治』、『笑いの誕生』買ひ、帰り
『社会人の手帖』、『食前食後』、『波まくらいくたびぞ』にて1,250借り佐伯にす。
『教会40年記念集(2,000)』買ひ、(※省略) 山川京子に(※『桃』への)投稿今回限りといふ。

クリスマス
寒き日を駈けつつ着きし教会の最前列にやっと坐りぬ
みめぐみとまことにみちし栄光を見る日こそこれクリスマスなれ
世のはじめありしロゴスは栄光に充つ肉体となりにけるとよ
栄光に充つ肉体はベツレヘムうまやの中に生まれましけり
ロゴスとは神のみ智慧といひにけりこれが身近となりしその日ぞ


おろかなる老いし母をばキリストを信ずる者となすすべなきか
奇蹟待つ撃たれし如くひれ伏してアーメンと呼べ老いしかの母
神のみ子・めぐみ・まこと(救の道)の三つを見る生誕祭の喜びを祝(ほ)げ

12月22日
7:00起され「宝塚」見、Andy AndersonとMr.Smith講師にMerry Christmasと呼びし非礼をわびる。(※省略)
木下生来りしに叱り(貸した本みな返せしゆゑ2冊やる)、午食させ船橋市教委鈴木氏への推薦状もたし、ともに出て佐伯。(※省略)
プティ・パレにゆき日本茶2杯(300)、ユまだ帰らずあたため了りて帰り来る。(※省略)televiで「創世記」を見、矢内原伊作の名を識る。

12月23日
7:30さむ。8:50山住先生。血圧115-70、ユ140-90、クラタ理容にゆき3千円渡せば良き札入れ呉る。(※省略)
卒論No.2を見てハラ立てる。

12月24日
8:00さむ。(※省略)ユ風邪とて〒にゆきプティ・パレにてlunch。御隠居様と話せば福地夫人、薬たまふ。
christmasの音楽流し呉る。卒論半分見て嘆息。17:00夕食とそば食ひ、〒にてけふ来しWilkins豊田みち子に賀状出せば航空便にて60円足すだけでよかりし。
うつぎにて2冊、吉祥寺にて1冊買ひ、Eve礼拝歌多く歌ふ。
 ほこらかにEve.に参るとアメリカのとよだみち子に我はしるしぬ
 星ひかり栄光みちてあれましぬわれらの罪を救はんがため
 三人の博士らが来て拝みしに生れし嬰児(※みどりご)殺すべくなる
 救ひ主生れましぬれど罪知らぬ人にはかかはりはなし
 主は枯れた花はしぼめどとこしへにかはらぬみこと(約束)われら呼ばはれ
Eveの茶会、早坂礼吾氏に挨拶せしもわからざりし。帰宅入浴。雑炊くふ。

12月25日
8:00さめ「虹を織る」見て出発、〒にて賀状投函。9:30発の特急にて(※省略)小田原、(※省略)来の宮にて下車。
天ぷらそば食ひ、高橋君に電話し迎へに来てもらひ1服後Meria教の美術館にゆけば休館。駅まで下りbusにのり(※熱海)市役所前で下車。
図書館を通りぬけ電話局へゆき電話帳もらひて帰り入浴。(Gelbe Sorte熱海中になしとタバコやの話)
(神田先生を頌す 高橋君)

  お地場 (※天理教の故郷)
 わたしは若くて生意気で
 岸さんがいったように
 皆を一度は怒らせた
 今もわたしは会ふ人みなを
 一度は怒らせている
 わたしの一番好きなのはタバコ
 二はおしゃべり─することもきくことも─
 三は本
 富永牧太先生はわたしに
 『蘭人治下の台湾』の
 著者サイン入りをゆずってくれ
 八木よし子さんは電車賃を
 忘れたわたしに金を貸そうと
 丹波市駅で待っていてくれた
 富永先生も八木さんも
 わたしを忘れたのに
 高橋重臣さんはわたしを抱き
 半ば酔いながら
 中山正善の思い出を話す
 わたしのために家を建ててくれた人
 眞柱と呼ばれた人を
 わたしはなつかしく悼む
 わたしはいまやキリスト者
 今日は主の降誕日
 良き友良き先輩のために
 乾杯!!

12月26日
よべ2:00さめ上厠、入浴。高橋君気づかざりし由。4:00また眠り8:00起き「虹を織る」見、10:00出て、busにて熱海駅。
(※省略)話し相手なく新宿まで無停車にて到着。南阿佐谷より帰宅。(※省略)
澄より「酉をとりと訓ずるわけを29日までに」と。南方熊楠見しもわからず。

12月27日
8:00さめ瀬見氏に諸橋『干支考』ありやときけばのちほど「あり(500)」と答ふ。(※省略)
佐伯にて『明治の御宇(600)』、『あきらめの哲学(1,000)』、『今日のハンガリー(100)』買ふ。
11:00高円寺都丸支店にゆき『干支考(500)』買ひ『The world’s mythology(3,000)』、『ヘブライ語四週間(1,000)』金とらず。
帰れば1.2万入りをり、電話して「参った」と伝へよといふ。
(プティ・パレにゆけば日本茶(270)出し、福地夫人(※省略)「良きお年を」といふ。)
八戸市の圓子哲雄氏より「中野清見存じをり、御意にそふ」と也。
昼食後、ユ山住dr.より『シンガポール案内』返却、歌はさみあり。よめず電話すれば坊や出、夫人出て「閣下お留守」と。
16:00野中タカ子広島よりのミカンもち来る。(※省略)荻村へ電話すれば(※省略)
「材料費7.5万でよし。82銀行塩尻支店(※省略)荻村漆工KK」と。

12月28日(日)
5:00さむ。9:00すぎ出て礼拝に出席。「ヨブ記」読まる。11:30すみ、
『保田與重郎論(1,500)』(※神谷忠孝著)買ふ。「中島栄次郎」といふ章をたつ。
佐伯にて一服『法華経3冊(800)』買ひせんべい買って帰宅。昼食後一眠りして船越苑子の来しに目ざむ。
(※省略)弓子3孫つれて来り、(※省略) 夜(※卒論の)「八戸の祭」260年の変遷をかく(薄場明子)をよみて疲る。

12月29日
6:00さむ(ゆめも見ずぐっすり眠る)。9:00まへ出て荻村漆工KKへ7.5万送る。(※省略)
荻村栄氏より電話「杯代1万円」と。折しも苹果来る。(※省略)
三藤学長に電話すれば「北平案内記なし」と、わが声おぼえをり。荻村雅子に電話しリンゴの礼いひ「来年結婚しろ」といふ。
午まへプティ・パレにゆき母子に挨拶、日本茶のみ帰りて昼食に炒飯少々。ユと決心して柏井へゆくとてbus(※省略)来ず、taxiひろひ(※省略)。
数男われと物いはず尚子と話す。北京天津のこと忘れゐたり。(※省略)
タカ子宅へゆけばスミ子の子も2人をり1人2千円づつ5人に1万円やり、
古本屋にて『立原道造(550)』買ひまた北口にて『イエスの生涯』、『江戸』など安本買ふ。
(午まへ山住閣下に逢ひにゆき『餘花』にのりし詩よめずとてよんでもらひ「遺骨を抱いて」の「シンガポールをおとしても」を合唱す)
丸に電話し「あすゆく」といへば「村山さんより電話、田村春雄より病状しらせ、と来し」と。
「老兵」かくつもりにて原稿用紙買ひ来あり。(※省略) 梅棹忠夫の民族学の講義を3チャンネルにてきく。
丹波鴻一郎に電話すれば「古稀祝を来年8月31日(※誕生日)にす」と。

12月30日
6:30覚む。ゆめも見ざりし。7:30高橋重臣宅へ電話すれば嬢出る。「来年おめでたう。今度は旨くやってね」といふ。
10:30すぎ「echo」20箱もちて高円寺。(※省略) 丸家へゆき二息を見、丸に田村春雄宛のハガキ書かせ、
(※省略)瀬見氏に『北京案内記』たのみ、ゐあはせしX氏(※不詳)誘へば「人間ギラヒ」と。
(※省略) 帰りてまたまた(※省略)引返せば山住閣下、本返しに来たまふ。
妹(※咲耶・大)17:00来り「責任もつ」と。(※不詳)beerのみ茶のみて帰りゆく。(体重39キロ)

12月31日
よべ21:30床に入る。7:00さむ。9:00すぎ咲耶来り、
母への12月分1.5万円受取り父のわが母亡くなりし時の歌見せ、ユと新宿へ地下鉄にと出てゆく。
10:30山本書店に電話すれば実君出て「毎日10部ほど出をり。在庫なくならん」と。
柏井に出すれば数男出て「光一不在、午来れば電話す」と。
11:00川久保より電話「元気らしいね」との声に「来年もよろしく」と返答す。
内村俊雄に電話すれば内蒙古の役人らしく長々と話す。(※省略)
ユ12:00一寸前に帰宅。午后〒にゆく。(※省略)そば2袋買ひ(50×2)天ぷらそば食ふ。
Beethoven第9きくこととす(21:45)。

付記:プライバシーに配慮して一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。


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