『詩文學研究』1937-1943 (2019.12.03up/2019.12.04update)  Back


四季派の外縁を散歩する   第27回

梶浦正之と『詩文學研究』



梶浦正之】(かじうらまさゆき:1903〜1966)

愛知県海部郡佐織町勝幡(しょばた)に生まれる。家は織田信長に苗氏帯刀を許されたといはれる大地主で、邸内にクスノキの巨木があり、楠下園(なんかえん)と呼ばれた。

1918(大正7年)3月、詩誌『現代新詩』を創刊。これがこの地方の同人詩誌活動の蒿矢と云はれる。(名古屋詩壇年表『東海詩集第一輯』1926)
1921(大正10年)、川路柳虹の編集する『現代詩歌』7月号に、梶浦まさゆき名義で「雨の夜の悩み」が掲載される。直後の10月には早くも18歳で第一詩集『飢え悩む群れ(現代新詩社)』を刊行。同年末、詩集『二重国籍者の詩』を刊行して凱旋帰国した、同郷の先輩詩人野口米次郎を翌
1922(大正11年)4月津島の議事堂に迎へて講演会を催す。以後、米次郎を敬仰して生涯の師となした。

1921(大正10年)9月、『現代詩歌』改め創刊された『炬火』に作品を寄せるやうになった彼は、1924(大正13年)に小曲集『砂丘の夢(詩線詩社)』を地元にて刊行するも、同時期に地元名古屋で興った『青騎士』のグループとは組むことなく、1925(大正14年)上京。野口米次郎・川路柳虹の序文を掲げ、代表作となる第3詩集『鳶色の月(曙光詩社) PDF版公開18mb』を刊行する。“白・露”はもとより朔太郎や耿之介まで、同時代詩人の影響をひろくとどめた象徴詩人の一人として認められ、22歳にして日本詩話会会員にも推挙された。以後『眞砂』、『明星』、『日本詩人』、『詩聖』などにも寄稿する。

1926(大正15年)、詩誌『意向的象徴詩派』を創刊。1927(昭和2年)、詩誌『桂冠詩人』を創刊。『桂冠詩人』は1930(昭和5年)法政大学経済学部を卒業後、第4詩集『春鶯』を刊行する1931(昭和6年)まで発行が続けられた。この時期、日本の詩壇を席巻したモダニズムからは距離をとったが、その後「新現実派」を標榜し、第5詩集『豹』1936(昭和11年)をボン書店より勇躍刊行。余勢を駆って1937(昭和12年)、あらたに詩誌『詩文學研究』を創刊・主宰する。
彼が今日詩史に名をのこすのは、青年詩人として活躍した大正時代よりも、むしろこの時から戦時中に掛けて、後輩詩人たちを鳩合したオーガナイザーとしての業績にあるといっていい。

大正末から昭和初期にかけての同人誌乱立時代、春山行夫が編集する『詩と詩論』をハイブロウな頂点として、全国規模で同人を擁することに成功した中央の詩誌が存在したが、それらは『詩の家(佐藤惣之助主宰)』、『椎の木(百田宗治主宰)』、『詩洋(前田鉄之助主宰)』と、大正時代の民衆詩派のリーダーたちが、特定の主義を掲げることなくそれぞれの後輩指導にあたった詩誌であった。その後、『四季』『コギト』『歴程』『新領土』『麺麭』などが創刊されが、これら色合いを変ずる一流詩人のサロンからも一歩退いたところに、『詩文學研究』や、大阪の『日本詩壇(吉川則比古)』、北陸の『詩と詩人(浅井十三郎)』といった「準・中央詩誌」が興った。それはさきの3誌の後継に位置するややローブロウな派閥的詩壇を構成する雑誌であったもののやうに思ふ。つまりエスブリヌーボーの洗礼を受けることなくデビュー場所を需めることとなった次世代詩人たち、謂はば地方でわだかまってゐた無垢な青年詩人たちの信望を集め、昭和10年代の日本の詩壇の「裾野」を形成していたのだと考へられる。
『詩文學研究』の場合、本拠地を東京に置きながらも、梶浦正之の地元東海地方に地の利を得た若手詩人のホームグランドとして機能し、全国に会員200余名を擁したといふ。
ここから育ったホープ詩人として、木下夕爾、 渕上毛銭(喬)、奈良 進が居る。

本来“四季派”として認知されてもをかしくない木下夕爾がこの雑誌に拠ったのは、薬局を継ぐため早稲田での文学修行の道を諦め、名古屋薬専で学業を修めることになった家庭の事情が深く関係している。憧れの堀口大学の門を叩くことができず、三好達治のチェックが厳しいハイブロウな『四季』にも投稿できなかった性格を眷みると、温和なモダニズム系抒情詩のアンデパンダン詩誌として出発したこの雑誌が、失意を抱へた彼のやうな含羞詩人の才能を伸ばす居心地の良い受け皿となったことが首肯されるのである。
また、奈良進(平金鉱山)をはじめ、飛騨在住の勤労詩人たち、小林正純、桂美津夫、 平野卓爾(以上国鉄高山機関区)、樋詰辰夫(同高山検車区)の参加も目に付く。
そして雑誌の印刷を請け負った堀口太平は、ここに会員として参加しながら、『四季』へ詩稿を送る投稿者であり、その後も詩集の出版に携はる印刷屋として、戦後は『山の樹』の同人となり、小山正孝、田中克己らとも親交する。

逆にすでに何らかのデビューを果たし、詩人として一家を任じてゐた人たち、たとへば『椎の木』無きあとの拠点探しをしてゐた荘原照子などは、創刊号ののち書かなくなってゐるのは、誌面を見て失望したものか、それともこの直後『日本詩壇』で彼女が起こした筆禍におどろき、梶浦が執筆を断ったからだったらうか。第一輯、第二輯とエッセイを寄せてゐる淺井十三郎にしても、消息欄で新人と同様に「会員」扱ひされてゐるが、早々にここを去って地元新潟で『詩と詩人』を興してゐる。

この時期の梶浦正之は、詩文學研究會より自家の著作として、第6詩集『青嵐』1939(昭和14年)、『詩の原理と實驗』1939(昭和14年)、第7詩集『梶浦正之詩抄』1940(昭和15年)を刊行、
そして『ヴアレリイ詩抄(訳詩)』1941(昭和16年)を第1編とする「詩文學研究會叢書」を計画した。

詩壇へのメッセージを込めて木下夕爾の第一詩集が豪華に作られた。目的はみごとに命中し、詩集『田舎の食卓』は昭和15年2月第六回文芸汎論詩集賞を受賞する。これは『詩文學研究』の雑誌の誌名を一躍有名にすることに役立った。『田舎の食卓』に倣った装釘で、飛騨高山機関区から稲沢に転じ、編集の手伝ひをしてゐた小林正純の詩集『温室』がつくられたのをはじめ、凝った意匠の詩集(丹羽哲夫『緑色の仮睡』)も幾冊か制作されたやうである。
だが、やがて「叢書」と銘打ち、同装釘の小ぶりの詩集が(おそらく明朗会計にて)計画、斡旋、提供され、用紙事情が悪化した昭和10年代の後半、自分の詩集をせめて一冊はもちたいと願った若者たちのニーズに応へることになった意義はさらに大きい。

以下にその叢書のほか、詩文學研究會から刊行された書目を掲げる。なかには未刊行に終わったものもあり、未確認の詩集を含んでゐる。情報を待ちたい。

      梶浦正之『詩の原理と實驗』1939
      木下夕爾
『田舎の食卓』1939.10
      丹羽哲夫『緑の假睡』1939.10
      梶浦正之『青嵐(第6詩集)』1939.11
      國廣勝太郎『天使の饗宴』1939
      西山五百枝『海洋底質』1939

      木下夕爾『生れた家』1940.9
      梶浦正之『梶浦正之詩抄(第7詩集)』1940

第1編 梶浦正之『ヴアレリイ詩抄(訳詩)』1941.1
第2編 小林正純
『温室』1941
第3編 中村大助『蟲魚』1941.2
第4編 奈良進『出発の朝』1941
第5編 後藤敏夫『流遥抄』1941.3
第6編 森下典夫『地球儀解體』1941
第7編 木下夕爾『青草を籍く』未刊
第8編 加藤貞子『明るい沼』1941.6
第9編 蟹澤悠夫『佐渡』1941
第10編 桑門つた子『庭園師』1941.7
第11編 箕浦彦廣『黄風』1941
第12編 矢倉豐『飯盒の話』1941
第13編 國廣勝太郎『風の音信』1941.9
第14編 竹内はじめ『花葬』1941
第15編 長謙吉『地球の灯』1942
第16編 渡辺澄雄『勝鬨のある街』1942
第17編 赤松芳影『花咲く國』1942.5
第18編 鱶見俊夫(札幌:平松敏雄)『白い眠り』1942
第19編 南咲夫『故園の春』1942.9
第20編 野田稔昌『國境』1942.9
第21編 入内島庸朔『波濤の朝』1942
第22編 澁澤均『さくら』1942.9
第23編 秋山博『北京』1942
第24編 數見竹秘己『高臺の雲』1942.12
第25編 綾見謙『白い渓流』1942.12
第26編 佐藤流木『雪に埋る鉢』1942.12

      小野連司『十三本目の萬年筆で書いた詩集』1942
      梶浦正之『三種の神器(第8詩集)』1942

第27編 久野斌『わたしの旅よ』1943
第28編 高柳文雄『草の實』1943.10
第29編 北谷巖『破魔矢』1943
第30編 岩本勇『カムブリア紀』1943
第31編 西本輝子『白南風』1943.10

      淵上喬『誕生』1943
      森田千鶴子『霧ある旅程』1943
      安田傳吉『信号地帶』1943
      亥原英夫『晩照にうたふ』1943
      八乙女猿助(家喜泰人)『軍神につづく』1943
      水島秋夫『創世記』1943
      菅沼五十一『春幾春』1943

      林敏子『揺籃の歌』1944

戦時体制版 奈良進『風景と處女の歌』1944.11

戦局が厳しくなるなか、詩文學研究會叢書は上記のやうに陸続と刊行され、梶浦正之自らも『三種の神器』なる翼賛詩集を刊行して、 師の野口米次郎と共に積極的に戦意高揚につとめた。この辺り、佐藤一英と福士幸次郎との関係を彷彿させるものを感じる。同人に長谷雄京二、嶺皖彦、江越馨、西本輝子など両誌に重複する尾張近在の出身者も多い。当初は、

「一九三九年の地球の半面は未曾有の惨忍な嵐の襲ふ處となつた。人類の至福のため營々幾世紀に渉って礎き上げた西欧物質文明は遂に人類殺戮の爲に動員される。この秋に當り吾々の精神文化の使命が那邊に其の目的を定むべきかは亦緊要な多くの問題を提出するであらう。(第四輯1939年10月編輯後記)」

などと語ってゐた主宰者であったが、昭和17年7月、総会の為に全国から集まってきた、年代を同じくする青年詩人たちが、短い交歓のひとときを一期一会の思ひで臨んでゐた様子を伝へる一文がある。

(前略)当日の会の顔ぶれは30名たらず。いい合せたように冴えない顔色と暗く沈んだ表情は戦局の不利というよりも、自らに迫ってくる運命とのたたかいに疲れきったといういい方が当っていたであろう。その日、梶浦正之師は詩集「三種の神器」を出版したばかりで、その四六版大の外箱・紫・赤二種色分総生地張の豪華製本は絢爛目を奪うばかり、師の説くところ皇国日本。会する者、ひとしく腕を組み憮然たる面持。(略)血色のすぐれた師をとりかこんでいる愁訴にみちたまなざしを、その日、 全国から集まっている詩人に見たのである。(後略:上本正夫「木下夕爾との出会いのこと」『含羞の詩人木下夕爾』1975年)

出征を控へてゐた彼らにとって、詩集はまさに遺書にほかならなかった。
昭和19年、『風景と處女の歌』の跋文を「北方派遣○○隊」から寄せた奈良進は、敗戦とともに消息を絶ち、豪北に向かった小林正純も行方不明になってゐる。
ここに佐藤一英が主宰する『聯』にも参加し、中国湖南省衝陽県において戦病死した長谷雄京二(1914-1944.10.19)を悼む一文を紹介する。
  錦米次郎「長谷雄京二聯詩集『家』をめぐつて」

さて戦争が終結した。
さぞかし槍玉に挙げられたであらう『三種の神器』が、戦時中に帰郷した梶浦正之の最後の詩集となった。最後の著書は詩文學研究會からではなく、肇書房から1944(昭和19年)に、時局にはむしろ背を向けたやうな、179名にものぼるフランス詩人の紹介『現代仏蘭西詩壇の検討』が刊行されてゐる。

野口米次郎が1947年(昭和22年)、詩壇からの黙殺のなか胃癌で死去。福士幸次郎は前年の1946年(昭和21年)、やはり疎開先で病歿してゐる。
梶浦正之もまた詩壇に対し発表発言する事がなくなった。昭和27年に刊行された東海
詩壇の戦後最初のモニュメント『中部日本詩集』第一集においても、巻末に中部日本詩人連盟の会員の一人として名前が挙げられるのみで作品の掲載はなく、二集以後は名も消えてゐる。

まるで師に殉ずるかのやうに詩筆を折った彼は、詩壇からはなれて実社会に転じた。経営コンサルタントとして数社の企業の面倒をみ、勝幡町の町会議員となり(1952-1955)副議長を務め、町の教育委員や家裁の調停委員等の公職につきなどしたのち、晩年は名古屋広小路に用品店を構へて静かな余生を送ったといふ。

亡くなるまでの戦後二十年間もの長きの間、自らが育成した後輩詩人たちを囲む場を持つことはなかったのか。大正期の東海地方で真ッ先に詩の狼煙を上げたのに、郷友詩人と横の連絡を持たなかったがために、郷里での晩年は文学的には孤独であったことと思はれる。見渡したところ自叙伝はおろか当時をなつかしむ、またなつかしまれる回想も遺されてゐないことが寂しく感じられてならない。


【参考文献】

中部日本詩人連盟『中部日本詩集』第一集1952年
錦米次郎「長谷雄京二聯詩集『家』をめぐつて」『風雪の碑』1966年
杉浦盛雄『名古屋地方詩史』1968年
西村宏一『飛騨戦後詩史』1977年
乙骨明夫「象徴詩人梶浦正之」『現代詩人群像』1991年
久野治『続々中部日本の詩人達』2010年
手皮小四郎「モダニズム詩人荘原照子聞書」『菱vol.176』2012年


詩誌 『詩文學研究』 1937-1943 



『詩文學研究』第一輯  1937年6月刊 80銭 PDF 版公開(31MB)

1937年6月20日發行
編纂者:詩文學研究會
發行者:小野寺輝夫 東京市豊島區池袋1丁目520番地
印刷者:詩文學研究會印刷部 原口房雄 東京市豊島區池袋[1]丁目520番地
發行所:詩文學研究會 東京市麻布區霞町1番地

【エツセイ】
知性の荒鷲…梶浦正之5p
アド・リビタム…鹽野保男11p
透明な思考…丹羽哲夫22p
詩の思想…淺井十三郎27p

【詩】(※以下、好評を得た作品として、第六輯に掲げられた「◦」「○」「◎」を転記した。)
◎荒天…梶浦正之39p
〇聖書、穢土、◦海鳥…津P準41p
蘭の詩…高木秀吉44p
貧衾、生花師の愚痴、試験地獄…越智弾政46p
女神…山崎成美49p
花束と蝶々…細川昊50p
◦海底の氷塊、氣のはずむ日…桑原貞子53p
早春、河岸を歩く…樺澤友佳55p
無言國禮讃…淺井十三郎57p
寒夜…丹羽荘一61p
よあけの歌…萱原信之介65p
◦山峽、虚業の闇…川平洋一70p
哀愁の季節、湖畔の夜明け…最上八平73p
◎雹の降る家、日々…木下タ爾75p
バフ・コーチン…小野寺輝夫77p
雪、白い顔…林正雄78p
スリツパに踏む破片…西山五百枝81p
霧、愛情…丹羽哲夫83p

【研究】
言語の歴史性に就て…細川昊85p
時代語と詩歌…川口治洋90p
女流詩人論…荘原照子95p

【詩】
サーカスの在る風景…渡邊曠彦106p
◦水の夕…城田英子106p
時計台…武藤和夫108p
土の詩…伊藤土詩雄109p
蟻よ!!悲しい…上田義照111p
◦鶴、清のお祈り…石川平愛113p
憂懼、〇朝の歌…小林正純115p
詩情に鞭つ!、寒む空へ…國廣勝太郎117p
意欲…江口與志雄120p
三ケ月…岡より子121p
谿の徑、山冷…法城寺閑(大西溢雄・毛呂溢雄)122p
南の海、地べた…宗武爲康125p
幻樂…別當貞治128p
醱酵する風景、ネオンサイン…壺谷泉一129p
淺春頌、港日抄…杉山眞澄130p
金坑、淺い秋、土塊を喰ふ牝豚…八乙女猿助133p
◦朝、ねむり、君達へ…藤原吟情136p

【感想】
日本詩の方向…林正雄138p
斷想…小野寺輝夫141p
説・所々…西山五百枝144p

【試作】…146p
江越馨 中村元次郎 笠井亘 棚P久雄 桂美津夫(笠俊介)
松本祐順 平野卓爾 加藤靜夜 渡邊中 吉成糸子
花山正也 秦野稔雄 佐野三吉 片岡千代 大橋勝利
大川一子 藤浪里子 松田勇 佐藤一松

【創刊の言葉】…158p
 混乱迷蒙の現日本詩壇、老耄大家の糟糠の陰花、千代紙運動會の閉場の軟風、翩々同人誌の独善的黄口氣焔等々すべて哄笑と顰蹙の 悪夢と何ら異る処 はない。
 詩の生命の栄光は永遠の戦闘者の逞しい巨掌の上にのみ輝やくのだ。詩文學研究會は各人各個が独自の境地を高く把握し、その力作 を相互に檢討しつ つ、前進する処にラジカルな強靱な詩文學の新礎は築かれてゆくを確信する仲間なのである。
 機關誌「詩文學研究」は海外各国の新知識を摂取して新日本詩の建設を図り、尚、詩の社會的進出と新詩人の推挙昂揚とを併せ行は んが為に浩瀚なる 単行本形式を以て刊行する。
 之の豊饒なる素地に展けゆく新らしき三つのRこそ、無限の芽生を含有してやまないであらう。
★入會希望者は返信料を添へ發行所宛會則を請求されたし。

【編輯後記】…158p
 第一輯の發刊が意外におれくれたのは創刊にともなふ属性が頗る多かつたためとして許して頂きたい。私の尽力の三分の一の効果も 誌上に顕はれてゐ ないのが残念でならない。この内外ともに不満な点は勿論順次改めてゆく豫定。乍然本誌と比較し得る詩誌が現在何処にあるであらら か。私たちの対象 は現實の詩壇ではないのだ、もつと一[段]高い処にある。しかもそれは空漠たる夢想ではない、着々と實現化しつつある會員の力量 の精華。
 私は約二十年前に「現代詩歌」「炬火」(第一次)に拠つた以外、何処の雑誌にも同人として加盟した事はない。上京して「新月」 「意向的象徴詩 派」「桂冠詩人」等の詩誌を自ら編輯してゐたが、昭和四年頃を最後として全くのフリイランサアの詩生活に入リ、方々の雑誌に寄稿 してゐたに過ぎな い。その間、二三の月刊雑誌から編輯方を再三依頼されたのであったが悉く辞退した。最早、私には年齢的に謂つても、通読して屑龍 へ捨てねばならぬ やうな雑誌の編輯に月々追はれてゐる生活は出来ない。實際、まとまつた著述の仕事に迫られてゐる時間を、そのやうな事に費やして ゐられない立場に ある。
 詩文學研究會の機關誌も、以上のやうな意味から内外ともに浩瀚な季刊としたのである。吾々は自分の詩品を愛すると同時に其の發 表保存にも留意す べきである。毎月〆切に追はれて駄作を生み、しかも鼻紙のやうな面に刷りたくはない筈だ。粒選りの詩を美しい紙に納め永久に書棚 に飾り、寸暇をぬ すんで絶へず之を檢討してゆく熱意のないものは悲しい頽廃者である。
 乍然、刻あだかも印刷・紙価暴謄の受難期間に際してゐるのだ。私が編輯・経済の責を負ふからには一肌も二肌も脱いで懸らねばな らぬと覚悟してゐ る。
 これは八年振の私の編輯の仕事である。このやうな氣持のよい雑誌の編輯であって見れば最早乗り切る力は私に湧いてゐるのだ。
 勿論、編輯の仕事は私のみが司るのではない。本會の基礎が固まつた頃、會員諸氏の中、適当な人にやつてもらふ豫定である。種々 な意味から私はむ しろ第一線から退いて新人に編輯を托してゆくのも意義あることと思つてゐる。
 次輯から「世界詩壇の状勢」「詩壇時評」「新刊詩書批判」「全国同人詩評」等を各々會員に依頼執筆してもらふ豫定。それから第 一輯が創刊された 後、東京と名古屋の二ヶ所で記念會を開催する豫定。追つて日時は各々へ通知する故、本會に關係なき人も誘ひ合せて是非出席して頂 きたい。
 尚、今月末頃、拙著二冊「詩と科學」「梶浦正之詩抄」が發刊される。この売上金はすべて本會の基金に提供するものであるから是 非諸氏の御購読を 御願ひして置く。
 詩文學研究會に初心の故を以て加入を躊躇してゐる方があるさうであるが、本會は初心の芽生の伸張のために特に誌友欄も設置して あり、次輯に於て は懇切な批評をも添へて掲載し、指導に当る豫定であるから誰でも入會してほしい。誌友に限つて入會資格は設けてはゐない。
 發行に關して小野寺氏、編輯・印刷に就いて壷谷・小林両氏の各助力に深謝する。(梶浦正之)





『詩文學研究』第二輯 1938 年春季版 PDF版公 開(24MB)

1938年5月20日發行 60銭
編纂者:詩文學研究會
發行兼印刷者:堀口太平 東京市麻布區霞町1番地
印刷所:詩文學研究印刷部
發行所:詩文學研究會 東京市麻布區霞町1番地
發賣所:上田屋書店 東京市神田區神保町
大賣捌所:東京堂 東海堂 北隆館 大東館

【エツセイ】
戰争と詩…梶浦正之7p
知的問題…ポオル・ヴアレリイ14p
續詩の思想…淺井十三郎19p
續アド・リビタム…鹽野保男29p
シユル・レアリスムの周圍に…丹羽哲夫36p

【詩作】
◎驟雨通過、LETEMPSINCONNUE…木下夕爾46p
◎蜩の家…最上八平47p
蛇性圖…細川昊49p
黄昏の表情…渡邊曠彦51p
或る出船…西山五百枝52p
自畫像[自然像]、短詩…堀口太平54p
◎東洋…萱原信之介57p
淵、夏草…羽田貞59p
◎秋近く…奈良進61p
貧しき歴程を撲つ豪雨、山想…桑原貞子63p
暦を剥ぐ海鳥、野生の花…島田磬也65p
山と雲…樺澤友佳67p
憤激の水邊…丹羽哲夫69p
若き區劃の中で、蝕月記…池田日呂志71p
◦鳩と永遠…浦P白雨72p
◦作品…安田吾郎74p
〇石器の街、戰…津P準75p
〇茶筵、室内素描…梶浦正之76p

【譯詩】
鸚鵡…エルネエスト・プレヴオ78p
踊子…ポオホル・ジヤン・トウレ79p
帽子と秘史…ジヤツク・デイソホウル80p

【詩作】
群雲、〇翌朝…熾木由美81p
◦風邪色…長谷雄京二83p
空の色…小池亮夫83p
青い空氣、女の顔…小林正純84p
畫室…竹内一85p
法城…渡邊和郎86p
猿酒、遠い悲しみ…八乙女猿助87p
相常住…吉野多美子88p
無軌道市街…國廣勝太郎89p
白き臥床…津坂霞89p
金鯱怪盗…武藤和夫90p
鷗…丸山吉三郎91p
裏町…梅澤恒夫92p
青銅色の紐…宗武爲康93p
◦流れ…小松茂彦94p
微笑花…大山敦五95p
傳習…小田邦雄96p
六月の海邊…上松ちか子97p
仙臺にて…伊野亨二98p
風のない部屋…田中國男98p
十月と樹液…吉成糸子99p
追憶の糧、おんな…牧博美99p
貝殻低唱…江越馨100p
吐息…沖田廸101p
氷菓子…春山章郎102p
堀に立てる夜景、事務室から…亀井義男102p
ひととし…入江伸103p
◦橇鈴の鳴る夜、Xマス近く…鎌田安雄104p

【批評】
詩書管見…梶浦正之106p

【詩作】…109p
榎木浩之輔 田中林彌 松本祐順 藤浪里子 花山正也
加藤銀一 大橋勝利 紀幸子 加藤靜夜 野田久子
青木顯 加藤嘉保 垣しげる 渡邊中

【消息】…115p
★會員 山崎成美、會友 壷谷泉一、江越馨、誌友 松本祐順諸氏應召。祈武運長久。
★新加盟者 浦P白雨、堀口太平、羽田貞、奈良進、島田磬也、池田日呂志、安田吾朗(以上會員)
熾木由美、長谷雄京二、小池亮夫、竹内一、渡邊和郎、吉野多美子、津坂霞、丸山吉三郎、梅澤恒夫、小松茂彦、大山敦五、 小田邦雄、上松ちか子、田 中國男、牧博美、沖田廸、春山章郎、亀井義男、入江伸、鎌田安雄(以上會友)
推薦會員 渡邊曠彦、會友江越馨、吉成糸子、誌友略
★淺井十三郎氏(會員)詩集「断層」を詩生活社より新刊。
★笠井亘氏(誌友)客年十一月逝去、本會より弔辞を呈した。
★客年七月、名古屋、新潟、東京、横浜の各地に於て詩文學研究關係の集會あり、梶浦正之氏會友壷谷泉一氏同伴出席。各地 とも盛會であった。
★注意★入會希望者は作品に返信料を添へ會則を請求されたし。次輯より全国同人詩誌の総評をなす。新刊書、詩誌の寄贈を 望む。
★「第一輯」(定慣八拾銭。送料九銭)を特価提供す、三銭切手同封申込次第詳細通知。
★次輯原稿〆切六月十日。
右の通信はすべて下記編纂者宛の事 愛知県海部郡佐織村勝幡 (※しょ ばた)  梶浦正之(振替名古屋二四八三五)

【編輯後記】…116p
 詩壇は近時表面的に活動旺盛の如くに観えるが対社會的事業には党派情實派が多く仲間 褒め、黙殺等の流行で實蹟は頗る無力である。お互に反省しよ う。本會に拠る人々でも作品の檢討批判は厳格に交換したい。尠くとも之の道場的試練を 嫌ふ人は吾等の仲間には無い筈、本輯の小生の詩書批評も大い ぶ痛い処に触れたが能く了解して頂けると確業「信してゐる。
 本輯は發行所の変更その他にて意外に遲刊、尚第一輯費用多大にて編輯に多少の圧縮を 加へた事等は深く御詫する。これは次輯から順調に改める覚 悟、乍然、内容紙質の低下、雑誌的外観等は絶対に排して飽く迄も単行本的品位は保つて ゆく。幸に仲間も増加する傾向濃厚、之偏に本會關係者の熱意 に他ならない。本輯發行に關して堀口氏、發送に小林、淺井、桑原、安田、萱原、細川、 渡邊の諸氏の甚大な御支援を深謝する。相互に親睦と琢磨精進 とを約して。(かぢうら)





『詩文學研究』第三輯 1939 年6月版 PDF 版公開(22MB)

1939年6月1日發行60銭
編纂者:詩文學研究會
發行兼印刷者:堀口太平 東京市麻布區霞町1番地
印刷所:詩文學研究印刷部
發行所:詩文學研究會 東京市麻布區霞町1番地
發賣所:上田屋書店 東京市神田區神保町
大賣捌所:東京堂 東海堂 北隆館 大東館

【エツセイ】
詩人と人格…梶浦正之6p
現代詩に關するノート…濱名與志春11p
純粋詩論…ポオル・ヴアレリイ17p
詩の難解と哲學詩人…T・S・エリオット19p

【詩作】
◎肉体出發…竹内一24p
〇春への組曲…川口敏男25p
◦丘…柴俊介27p
春への歌…池田日呂志30p
地上、◦聖夜…葛井和雄32p
私信…樺澤友佳34p
北方集…奧保36p
大塩の海岸にて…西山五百枝38p
美しき七月に…奈良進39p
移民地にて、旅順詩帖…渡邊和郎40p
青インクの會話…小林正純43p
◦白日三題…渡邊曠彦44p
昇天、覺醒の一刻…堀口太平46p
〇都會のデツサン…木下夕爾48p
◎青嵐…梶浦正之49p

【譯詩・感想】
ダイオニサス…ミチエル・ロバアツ51p
北方の性格…奧保55p
雜感…渡邊曠彦57p

【詩作】
まみれよ花粉…長谷雄京二58p
ロマン…小池亮夫58p
◦血縁、〇夜の坂…川越勤59p
雲を蹴とばせ…清水達60p
いにしあるの落書…長谷川霧子61p
秋像、新秋…法城寺閑(大西溢雄・毛呂溢雄)62p
昇天、みなみの海…國廣勝太郎63p
雪景…上松ちか子64p
紅宴の片隅にて…梅澤恒夫64p
筵上の老婆…丸山吉三郎65p
書齋、夜霧…津坂霞66p
追想、應答…松村一美67p
◦砂丘の詩…嶺皖彦68p
山裡初夏…堀江信夫69p
追憶、秋…吉成糸子69p
船の中の上、蒲田へ行く男…伊野亨二70p
折れた旗竿、蒼い夜…塩屋安郎71p
◦北壁…佐藤菁雄72p
虚…小松茂彦73p
わかれ…木村茂雄73p
貝殻の中の眞理…江越馨74p
秋夜無想…挽地英夫75p
花…杉山眞澄75p
宴…茅野信義76p
單なる記録…伊藤隆夫77p
小さな貝殻…桑門つた子78p
兎の死、獲入れの朝…前田威79p
花と蝶…藤井伸80p
北の掟…冬木皎之介80p
ある挽歌…小林節子81p
◦白い手の祭、雲、唇…藤浪里子82p
除夜、冬…大橋勝利82p

【批評】
新詩集評…84p
全國詩誌總評…86p

【ノート】
テラスの午後…諸家89p

【試作】…93p
池上ひさ子 野田久子 垣しげる 紀幸子
伊藤照子 松本祐順 田中豊 加藤靜夜
朽木博 稻垣美子 邱淳洸 初井利彦
鶉直皓生 石田節子 石塚まさ子 大河原裸木

【消息】…99p
▲川口敏男氏―詩集「花にながれる水」發刊。
▲濱名與志春氏―エッセイ集「現代詩に關する七つのテオリア」近刊。
▲渡邊和郎氏―詩集「洗車雨」近刊。
▲最上八平氏―満洲國守備隊として出征。
▲竹内一氏―山口県照高水中學校へ赴任。
▲池田日呂志氏―新詩集「夜への歌」近刊。
▲梶浦正之氏―ヱッセイ「詩の原理と實驗」發刊。
▲國廣勝太郎氏―新詩集「天使の饗宴」發刊。
▲柴俊介氏―吉尾、水谷氏等と香川詩話會を樹立。「香川詩壇」を創刊。
▲上松ちか子(石川)渡邊和郎(岐阜)邱淳洸(台湾)津坂霞(下關)の諸氏、 編輯部梶浦宅を訪問。
▲詩話會―本誌名古屋地方會員主催で客年七月十七日、広小路明菓階上。西川直 康、梶浦義之、原比呂志、山口正二、大橋勝利、梶浦正之、加藤靜夜、 丹羽荘一、丹羽哲夫、藤浪里子、小林正純の諸氏出席。主として詩型論を語つ た。
▲新春女性詩會―本誌名古屋地方女性關係者主催、十四年一月七日編輯部梶浦宅 にて、小林節子、野田久子、伊藤照子、池上ひさ子、藤浪里子、伊藤文 子の諸氏。

【編輯後記】…100p
 先づ遲刊の御詫びを申し上げるのであるが、原因は印刷部の職工難と諸氏の作 品を揃へたかつた事との二つである。早く加盟された方に全く心苦しい 次第であるから、次輯からは諸氏各々心懸けて締切を厳守されたい。これは全國 同じ現象であるが、現下は吾々の事業の最大受難期で、即刷紙價は高騰 どころか缺乏である。しかし、小生も齢壮年に垂とする迄この道に苦勞して来た 者の一人だ、責任を以て立つた以上、ちょつとやそつとの支障で腰を折 るやらな事務はしない覺悟であるから仲間諸氏の不断の支援を御願ひして置く。
 本輯には現詩界へ何らかの示唆を與へると自信する濱名氏と小生のヱッセイ。 それからヴアレリイ、エリオツトの再認識、川口氏の譯になるミチエエ ル・ロバアツの長詩は思想性の具象化に一つの新らしい方向を示すもの、竹内一 氏を始め會員會友諸氏の一粒撰りの力作等、すべては重厚性と迫力を以 て読者諸君へ御届けする欣をもつ。拙著「詩の原理と實驗」は意外の好評を以て 迎へられた。未読の方は是非御一読あらむことを切望する、求めて頂き たいが、求められない方は、全國の主要圖書舘なり友人なりから借りてでも一應 眼を通して頂きたい。決して諸君を失望させるやうな事はないと自負し てゐるが故に。(かぢうら)





『詩文學研 究』第四輯 1939 年10月版 PDF 版公開(20MB)

1939年10月10日發行70銭
編纂者:詩文學研究會
發行兼印刷者:堀口太平 東京市麻布區霞町1番地
印刷所:詩文學研究印刷部
發行所:詩文學研究會 東京市麻布區霞町1番地
發賣所:上田屋書店 東京市神田區神保町
大賣捌所:東京堂 東海堂 北隆館 大東館

【エツセイ】
血を呼ぶ埴輪…梶浦正之5p
詩の領海…塩野保男12p
詩の目的・意識の増進…エデイス・シットウエル17p

【詩作】
◦臙脂の焔、◎出發…丹羽哲夫22p
〇青銅の夏…木下夕爾24p
〇航海…清水達26p
三行詩…長谷雄京二29p
花のある患者、陽日…葛井和雄30p
〇初夏…奈良進32p
◦眞盛の夏の夜…小池亮夫33p
〇夕顔抄、霽間…渡邊和郎34p
ある風景…八木國夫36p
愛、歡び…堀口太平37p
◦新居記…挽地英夫39p
秋朝の釣魚…西山五百枝40p
蓮沼、愛憎…多賀城42p
散歩、化粧…伊野亨二43p
晩鐘、月夜…塩屋安郎44p
歎きあるものへ…國廣勝太郎46p
雨夜…松村一美47p
◎詩信…小松茂彦48p
郊外散策…桑門つた子50p
雜話的戯畫…長谷川霧子51p
晩秋景…柴俊介52p
轉居、抱擁…小林正純55p
年齢だけの歌…竹内一57p
◦花を拒否する園…木村茂雄58p
◎巨女の目覺め、〇緑蔭…梶浦正之62p

【譯詩・批評】
私は休息が必要です(ポオル・エリアール)…川口敏男64p
新詩集評・詩文學研究第三輯總評…82p

【詩作】
嘘の構圖、港…岡田武雄66p
〇蒙古…水島秋夫p
◦憩ひのうた…嶺皖彦68p
海の祝祭、◦裏街の黄昏…小林節子69p
リズムある刺繍…藤浪里子70p
迎火…茅野信義70p
かたつむり、蜂…全田修三71p
勞働者…冬木皎之介72p
◦未亡人の會話…上松ちか子72p
河…佐藤菁雅73p
鄙びた朝顔…鈴木二郎73p
白日夢、メランコリイの幻想…津坂霞74p
戀愛以後の日…江越馨75p
時計…森下舜一郎76p
うらぶれし女…丸山吉三郎76p
◦支那兵の骸…小山達也77p
春の座…橋本史芳78p
青い風のある月夜、◦ある刻…野田久子78p
別離…宮川蜻兒79p
◦うらなひ…池上ひさ子80p

【試作】…88p
西本輝子 山口眞佐子 鶉直皓 石塚まさ子 加藤靜夜
伊藤道子 稻垣美子 伊藤智海 皆川令子

【メンバア消息・會記】…81p
□丹羽哲夫氏―詩集「緑の假睡」發刊。
□木下夕爾氏―詩集「田舎の食卓」發刊。
□安田吾朗氏―詩集「歴程」發刊
□小松茂彦氏―満洲國守備隊として出征。
□木村茂雄氏―詩集「貝殻日誌」發刊。
□詩文學研究會―本會中部地方會員主催、六月十八日、尾張梶浦宅。丹 羽哲夫、宮川蜻兒、竹島正勝、伊藤道子、平野すみ子、藤浪里子、池上 ひさ子、 冬木皎之介、小林節子、野田久子、西川直康、板倉道子、渡邊和郎、上 松ちか子、伊藤照子、伊藤文子、伊藤群平、平野敏、近藤和子、皆川令 子、梶浦 正之の諸氏出席、午前は詩の朗讀、作品批評、午後は詩の理論を研究し た。
□梶浦正之氏―詩集「青嵐」發刊。
□全田修三氏―後藤敏夫氏等と文藝誌「作家街」創刊。
□多賀城氏―同氏編輯の詩誌「火の山」は近く復活號が下關市丸山町一 九五五多賀城方から發行される。
□小田邦雄氏―八月廿五日、札幌に於ける「文化の夕」に本誌發表の諸 氏の作品を朗讀された。
□詩話會―中京詩人會主催名古屋鶴舞公園前資生堂に八月二十日。出席 者梶浦正之、伴野龍、丹羽荘一、丹羽哲夫、宮川蜻兒、小林節子、藤浪 里子、西 本輝子、石塚まさ子、稻垣美子、千葉貞子、朝井道正、長谷雄京二、八 木國夫、渡邊和郎の諸氏。
□渡邊和郎、八木國夫、長谷雄京二、藤浪里子、小林節子諸氏發起にて 詩誌「栖」が名古屋市中區鐵砲町三丁目八尾傳方から創刊される。

【編輯後記】…92p
 本輯は例の遲刊を懼れて早急に編輯を進めた爲に數氏の原稿を逸し た。しかし、充實振りは認めて頂けよう。川口氏がエリユアルの作品を 巧に傳へて くれたように、次輯からも他の會員が誰かを譯してくれるであらう。現 在吾々の周圍には屬々として有力な新人が出現しつつある。本輯にも實 力ある新 加盟者、新人を各欄へ推擧した。最早會員會友の區別すら必要を感じな くなつた。この時局下に本會の機構と本誌の形式とを不變の儘續行して ゆく事が 如何に困難な事業であるかは謂ふ迄もないが、責任ある小生は飽く迄も 守りつづける覺悟である。本誌は創刊以來、仲間以外の寄稿は一切掲げ てゐな い。この一事を以てしても吾々の新興的詩業の意義は自ら明かである。 情實や利害で因循姑息な妥協や排撃が詩界に横行しようとも吾々は絶對 に厳正批 判を相互に交はしつつ前進するであらう。詩人を群盲ばかりと思惟して ゐる人は哀しむべき存在とならう。大乗的見地にあつて自らを鞭つ新人 群の籏出 の前に吾々は何を捨てても一肌ぬがねばならぬであらう。
 一九三九年の地球の半面は未曾有の惨忍な嵐の襲ふ處となつた。人類 の至福のため營々幾世紀に渉って礎き上げた西欧物質文明は遂に人類殺 戮の爲に 動員される。この秋に當り吾々の精神文化の使命が那邊に其の目的を定 むべきかは亦緊要な多くの問題を提出するであらう。(かぢうら)





『詩 文學研究』第五輯 1940 年春期版 PDF 版公開(26MB)

1940年3月20日發行80銭
編纂者:詩文學研究會
發行兼印刷者:堀口太平 東京市麻布區霞町1番地
印刷所:詩文學研究印刷部
發行所:詩文學研究會 東京市麻布區霞町1番地
發賣所:上田屋書店 東京市神田區神保町
大賣捌所:東京堂 東海堂 北隆館 大東館

【ボウドレイルの横顔(特輯ヱツセイ・譯詩)】
ボウドレイル詩抄…梶浦正之譯7p
ボウドレイルと浪漫派…ポオル・ヴアレリイ12p
ボウドレイルの絵畫觀…エミイル・ベルナアアル17p
憐愍と苦痛の奢侈…ツルクエ・ミルヌ21p
ボウドレイルの自己評價…アンドレ・ジツド24p
ボウドレイルの肖像畫(三十二才當時写真版)…ガスタアブ・ クルペ6p

【詩作】
雪便り…木村茂雄28p
〇説、青春、◎逮夜の夜…山路青佳29p
〇われよる空に描きしは…竹内一30p
病床日誌…小松茂彦32p
◦透明なMUSIC、ふるへやまないこの歡喜よ…清水達 33p
動物園、〇訣別…桑門つた子34p
雲の降る夜です…奈良進35p
六瓣信…挽地英夫37p
〇入江の雅歌、憑かれた夜の歌…塩屋安郎38p
或る晴れた春の日の午後、追想…岩谷健司39p
早春の歌…木下夕爾40p
美訴、栗色の病氣…小林正純41p
◎扇面張合屏風…梶浦正之42p
軟体動物…小池亮夫44p
〇ぶどういろのうた…長谷川霧子45p
少女と詩人とピアノ…高岡眞爾46p
◎孔…伊野亨二47p
生理B、俗風S…長谷雄京二48p
キャバレーの哀夢…小山恒兒49p
◎夜の翼…松村一美50p
◦風のやうに…堀口太平51p
秋風裡…立木冬雄52p
◦光り合ふいのち…國廣勝太郎53p
◦或る風景…西山五百枝54p
絵の島を持ちて…後藤敏夫55p
詩篇…小田邦雄56p
〇港…小林節子p

【エツセイ】
空に結ぶリボン…川口敏男59p
文學以前の諸問題…塩野保男64p
神話の詩人…小田邦雄70p
「詩の原理と實驗」について…濱名與志春74p

【詩作】
斷章…森下舜一郎78p
秋日抄…水島秋夫78p
◦銅像、青夜頌…岡田武雄79p
〇藤房の垂るる頃…藤浪里子80p
〇白い處女…池上ひさ子81p
寒天の胎兒、◦美しい情熱…大橋正種83p
故里の今日を…嶺皖彦83p
◦歸郷…辻井健彦84p
〇春を俟つ…秋葉みさこ85p
冬の日…茅野信義85p
月…寺本亮子86p
冬の窓…松下眞木子87p
鳶…豊田春江87p
春の雨…江越馨88p
月と會合…上松ちか子89p
奔騰の鞭…佐藤菁雅90p
もぐらの式辭…八乙女猿彦90p
或る額縁…褪彩美智正91p
掟は生活を支配すべきか、想ひ出…上田康92p
夜鴉…竹岡範緒93p
二見の浦で、朝熊の頂上…野田久子94p
釣…冬木皎之介94p
朧なす舞台…宮川蜻兒95p
黄風來る時…川崎匡太郎96p
◦疲睡…國分尚治96p
◦雨の夜…稻垣美子97p
〇帶止…西本輝子97p

【批評】
ブツク・レビユウ…99p
「詩文學研究」第四輯讀後感…101p

【試作】…103
◦ナガメ…桂美津夫(笠俊介) 山口眞佐子 安部英雄 鶉直 皓 安井正三 加藤俊吉
田中律 福井鋭三 伊藤智海 衣笠夢二 横田實 小松信彦
福島源次郎 森昌子

【メンバア關係詩誌紹介(順不同)】…98p
☆北方詩族(木村茂雄)函舘市時任町三 仝社
☆香川詩壇(柴俊介・立木冬雄)香川県綾歌郡端岡村 柴俊介 方 香川詩話會
☆鵲(小池亮夫)大連市須磨町五二 八木橋方 鵲發行所
☆言霊(渡邊曠彦)東京市世田谷區三ノ二二四一 坂本浩方  仝社
☆生きちよるか(葛井和雄)高知県香美郡夜須村西山八七四  立仙方 土佐文學社
☆山畑(茅野信義・上松ちか子・橋本史芳)富山市東千石町八 七 仝詩祉
☆作家街(後藤敏夫・寺本亮子)大阪市港區九條通三丁目五三 九 仝發行所
☆八幡船(越智弾政・岡田武雄・清水健士)八幡市枝光堂山町 二丁目 玄海灘詩人聯盟
☆詩性(挽地英夫)仙台市同心町通四十六番地 挽地方 仝社
☆ル・バル(岩谷健司)東京市豊島區池袋二ノ九五五 島田方  ルナ・クラプ
☆茉莉花(濱名與志春)大阪市東淀川區元今里北通二ノ四(北 村方)仝編輯所
☆ごろつちょ(豊田春江)東京市豊島區雜司ケ谷二ノ五○ 坂 本方 仝社

【メンバア消息】…102p
□詩文學研究會―本會中部地方會員主催 客年十月二十二日尾 張楠下園 (※なんかえん:梶浦邸) 。十八名出席。
□津坂霞氏(會友)―客年十月 五日急逝。本倉より弔辭を贈つ た。
□濱名與志春詩論集「現代詩に 關する七つのテオリア」出版記 念會。十一月十一日大阪新町ね ぼけ堂で在阪詩人諸氏發起開 催。
□西山五百枝氏―詩集「海洋底 質」發刊。
□塩谷安郎氏―詩集「招待状」 發刊。
□松村一美氏―客年十一月十二 日久留米商工會議所に於ける 「詩と講演と音樂の會」に詩の 朗讀をされた。
□中京詩人會第二回―舊臘三日 名古屋公園前資生堂にて十五名 出席。
□詩文學講習會―第一回客年十 一月五日、第二回十一月十九日 於楠下園。講師梶浦正之氏。講 義科目、詩學概論、演習、詩史 (日本及歐米)會費無料聽 講希望者は愛知県佐織町勝幡  港屋内 宮川蜻兒宛申込の事、 會場日時等通知す。
□梶浦正之氏―舊臘痔の手術。 目下全癒。
□後藤敏夫氏― 一月二日編輯 部梶浦宅訪問。
□清水達氏―詩集「航海」を發 刊。
□木村茂雄氏―詩集「奇妙な 街」發刊。
□寺元亮子―詩集「地衣帶」發 刊。
□石川県詩話會―三月三日小松 町山川書店に於て中村白鳳、打 和長江、山田彌三平、小山恒 兒、上松ちか子の諸氏出席。□ 竹内一氏―詩集「審美章」發 刊。
□多賀城氏―北京特務機關に赴 任、二月十七日下關市で壮行會 が催された。
□木下夕爾氏―詩集「田舎の食 卓」(本會刊行)は文藝汎論第 六回詩集賞を獲得。

【編輯後記】…110p
本輯はボウドレイルに關するヱ ツセイなど蒐めてみた。いづれ も抄譯ではあるが、各方面の角 度から之の巨人を觀察したもの で多少の意義はあらうと思 ふ。泰西詩人に限らず吾國の先 輩への檢討も此後時折試みて見 たい、適當な人選を仲間諸氏へ 御願して置く。何しろ限られた 頁の中での仕事で不自由な 事夥しく、ために會員數氏の長 い作品は特別二段組とした。諒 とされたい。事局の影響で多く の雜誌が消えて行くのは寂し い。しかし、本誌は如何なる 犠牲を拂つても續刊する。幸に 吾々の献身的詩業に理解ある眞 摯な人々が屬々加盟されるので 力強い限りである。尚、仲間諸 氏に今少し早く原稿を届け られるよう特に御願ひしたい。
 春暖、諸氏の健筆と自愛を祈 る。





『詩文學研究』第六輯 1940 年夏期版 PDF 版公開 (14MB)

1940年8月20日發行50 銭
編纂者:詩文學研究會
發行兼印刷者:堀口太平 東京 市麻布區霞町1番地
印刷所:詩文學研究印刷部
發行所:詩文學研究會 東京市 麻布區霞町1番地
發賣所:上田屋書店 東京市神 田區神保町
大賣捌所:東京堂 東海堂 北 隆館 大東館

【エツセイ】
現代詩の苦悶…梶浦正之6p
詩作と経驗…T・S・エリオッ ト11p

【詩作】
峽舟、光る蛇…葛井和雄15p
二月の祈り…桑門つた子16p
樹齢の血枝に春火を點ず…岡田 武雄17p
海の歌劇、訪問…小林節子 18p
L’ESPOIR、林、晩春… 木下夕爾20p
南風抄、六月の野に寄せて…羽 子田時世21p
かなしい風景…奈良進22p
街路樹の歌…小松茂彦23p
夜への手記…水島秋夫24p
沙漠…清水達26p
はげしきをとめたち…西山五百 枝27p
波止場…岩谷健司27p
投影ヨリ抜ケテ、その殘す跡か た…木村茂雄28p
傳説、室樂…塩屋安郎30p
秘そやかな饗宴…國廣勝太郎 31p
夕…小山恒兒32p
廢園…小池亮夫34p
足袋、櫟、栗の花…堀口太平 35p
野立、月見草…小林正純37p
窓枠に寄る夏…梶浦正之38p
朝…松村一美39p
工場手帖(プレス、旋盤)…長 谷雄京二40p
胸甲類…寺本亮子41p
海の祝宴…辻井健彦42p
盲日の沼…山路青佳43p
型なきアトリエ…上松ちか子 44p
郷影…後藤敏夫45p
書簡…藤浪里子47p
短章…森下紀男48p
掌…國分尚治49p
干乾びた海…丹羽哲夫51p
看護…竹内はじめ51p

【批評・研究】
詩壇主流の動向…小林正純 54p
ブツク・レビユウ…楓月庵主 56p

【詩作】
ゆびの信號、タイピスト…大橋 正種58p
抄…嶺皖彦58p
朝…津川民子59p
PEACEFRONT…竹岡範 緒60p
朝はあをい馬のたてがみだ…脚 雄61p
貝殻に囁く…梅澤恒夫62p
或る生命、谺…稻垣美子63p
春、自然薯堀り…佐藤菁雅 63p
郷愁…松下眞木子64p
その日の視野…朝井美智正 65p
ある午後の散策…西本輝子 66p
三色菫、愛戀…上田康66p
わたしは何もない…豊田春江 67p
海圖、朝…明智康68p
少女と夕景…中村大助69p
生活…美川悧70p
逝く青春…宮川蜻兒70p
病床記…山口眞佐子71p
春雨…桂美津夫(笠俊 介)71p
桃色の霧…安部英雄72p
高原の歌…安井正三73p
友情の炎…福島源次郎73p

【批評・ノート】
第五輯の反響…75p
作品再檢討…76p
「作品再検討「詩文學研究」第 一輯より第五輯に到る全作品 中、世評を博したものを左に掲 げる。
○印◎印は特に好評を得たる作 品。何等かの参考となれば幸 甚。作品の批評讀後感を揮つて 御寄稿あらむことを切望しま す。
(※目次に「◦」「○」「◎」 を転記した。)

【試作】…78p
加藤俊吉 加藤沙だ子 伊藤聖 子 田中律 小松信彦 兒玉弘 子
不二柳子 鈴置勝利 岡田篤世  榊原鈔

【編輯後記】…83p
 本輯が公刊される頃は恐らく 炎暑も峠となつてゐるであら う。本輯は上等印刷紙入手困難 のため竟に紙質を落した。この ために本誌の單行本體裁は多 少解消されるかも知れない。想 へば、本誌は發刊と同時に戰時 局に入つて經濟と物資との苦難 を此處迄續刊し得たのは不思議 な程である。會費も變へず 數冊配本の特典もそのままに續 け得たことなど…仲間諸氏の支 援の賜と思ふ。
 本誌は一切の責任を小生負つ て何處迄も續刊することを更に 固く約束する。毎輯、仲間諸氏 の作品を揃へるため遲刊をまぬ がれないので、此後はたと ひ少人數でも早く刊行してゆく 豫定である。會費も未納の方は 早く納めて頂きたいし、此後は 作品と同時に納入して頂きたい と思ふ。
 私事に渉つて恐縮であるが、 小生四月中旬、岐阜東濃方面、 下旬から五月上旬へかけて北 陸、飛驒方面へ、石川、福井更 に、高山市へ亦、七月中旬大 阪方面へ赴き、各地の詩友諸氏 に多大の歡待を受けた事を、多 忙のため御禮漏もあつたので此 處で厚く感謝する次第である。
 諸氏の自愛と健筆を祈る。 (梶浦正之)



『詩 文學研究』第七輯

『詩文學研究』第八輯

『詩文學研究』第九輯
 1941 年

『詩文學研究』第十輯

『詩文學研究』第十一輯

『詩文學研究』第十二輯

『詩文學研究』第十三輯

『詩文學研究』第十四輯
  1943年

『詩文學研究』第十五輯
  1943年


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