(2007.11.13up)
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なら すすむ【奈良 進】『風景と処女の歌』1944
澄んだ篠笛が
老いたる夏草の熱蒸(いきれ)を拂ふと
紫のモンペ姿の
鄙びた娘らは
ふくよかな肩をぶちつけながら
爽やかな輪舞(ろんど)を踊る
巡る輪のなかで
美しい星が生れる
墜ちてゆく秋冷の夜毎に
杳(とほ)くの山肌に
猪を追ふ野分(のあき)にたえて
蝕んだ日輪にたえて
逞しい主(ぬし)を待つ
仄かな一輪の貌が
爽やかな輪舞に重なつて
白樺の足もとに咲くと
懸崖の角で
雷鳥の羽搏きが
きびしい冬を迎へはじめる
梶浦正之
處女(をとめ)の行手に
祭の路がつづいてゐた
野芹の香が
冷えびえと花に充ちてゐた
古風な雪洞に
深沈と匂つてゐた
あ
微かに頬が火照つてゐた
翳は
あからさまに
人の胸で
かたちをかへてゐた
雲は
こだまを呼び
こだまを
かへしてゐた
掌にとほく
ひとりを愉しみ
山脈(やまなみ)を越えて
ひかつてゐた
岩の蔭
深山りんどうが
なよかに
首を垂れてゐた
誰もゐない處でふるへてゐた
なんにも知らずに
ほのかに笑(ゑ)んでゐた
微風に豫感して
葩(はなびら)は
かすかに憂へてゐた
伸びやうとしては
雲の明るさに
杳く坐つてゐた
半開のコスモスは
透き徹つて
あたたかい庇護を訴へた
幾重もの光の枝に
そつと凭れて
しづかにふるへてゐた
ああ忘却は杳く
處女のまなざしにあつた
いくへにも頑(かた)く
想念を閉ざし忘れられてゐた
けれども言葉は
約束のやうに想ひ起こされただらう
微風にゆれて
光を挿頭(かざ)す流れのそばで
たれも居ない籬(まがき)に
合歓の花が紅るんでゐた
朝の生徒たちは
小鳥のやうにはしやいで
聚落を群れ立つた
片側雪の堤に
水気(すゐき)が
柳のやうに垂れてゐた
太陽(ひ)の放つた矢は
すこし呆けて
的に立つた
乳汁(ちち)が微風のやうに湧いて
くぼんだ足跡に
吹いてゐた
濡れた想念のなかで
あざやかに
木の芽が光つてゐた
口笛のやうに
目覚めの
頭蓋に触れ
誰かが歌つてゐた
耳を澄ませば
星の皈(かへ)つた空を
風が渡つてゆく
――別れた人のうへにも
遠くの谿から
霧の趨る豫感に
しづかに
顫へてゐるものがあつた
霧は
石の階段(きざはし)を登り
落葉を散らした食卓に
朝の署名を終つた
もう躊らはずに
窓からでて去(い)つた
軈て陽差しが
穏やかに皿にたまつた
あ 階段の下で
昨日失つたナイフが
寂念と光つて
見付かつた
陽射の遙(とほ)い日に
葉は枝を離れた
山脈(やまなみ)に向つて傾斜する
追憶の徑を掠めて
祷りの姿のやうに
身を跼(くぐ)め
嫁ぐ處女の
直情(ひたすら)な歌にも肖て
小栗鼠の明るい瞳に
水晶の穹が映つた
ひとつの落葉の
眩きを滾して
ひとつはひとつよりも速く
ひとつはひとつよりも遲く
ひとつは潜り
ひとつは遠くに落ちた
そして幾重にも散り敷いて
風のままに
誰を探すともなく
肩を触れ合はしてゐた
明暗は石のやうに
落葉の貌にあつたが
孤独を染める
何ものもなかつた
杳い純潔のやうに
冬枯の徑で
葦は再び歌はなかつた
葉はすでに色褪せ
散りぢりに裂けて
夢みることもなく
すべては焚かれ
皈(かへ)らぬを呼ぶ
聲も絶えた
火は消え
煙も失(う)せ
もはや混沌も終焉もなく
雨が降つた
孤独だけを残し
處女の胸を翳もなく横切(よぎ)つて
森蔭で
僅かに石が光り
湖(うみ)に鈍く沈んでゐた
てのひらを伏せ
蟋蟀の聲のやうな日を
ひたすら堪へた今
霧に洗はれた瞳を
風が吹いた
――新しい傾斜に向つて
見知つてゐるものは何もなく
だが遙(とほ)い想を搖する
それはどこか太古の日であつた
新しい傾斜地(なぞへ)には
新しいかげろふが
えんえんと炎えてゐた
風に煽られて
梢を離れた雲は
處女の胸を軽く包んだ
あ 視線は伸び
透通る葉脉へ
あざやかに絡んでいつた
みどりはかなしく充ちて
ながいあひだ搖れてゐた
搖れて
又招(よ)んでゐた
寂莫と
招んでゐた
穹を
むらさきを
瞬間(たまゆら)
あけの日の偽りが
蝶の翅に
けんらんととまつた
もうなんにも
ひからなくなつて
微かに傷ましく
風が生れた
さやさやと
睡りに杳く
幾重にも
山脈を越えてゐた
立ち騰る光りが
弓なりに
絶壁に翳を落とした
湧き雲の
徐かに絡むあたり
願望が鋭く懸つて
氷壁を攀ぢ
陽に焦げ
澄明に炎えてゐた
僅かに匂ふ鉄と
指頭の脈搏だけが
あやふく天地を支へ
風の死んだ寂寞を
頭蓋に杳く
水が奔つた
発止
岩燕が飛礫(つぶて)のやうに
斜面を掠めた
夜は
闃(げき)として聲なく
火の粉を噴いてゐた
饐えた
硝煙のなか
月が執拗に懸つてゐた
さんらんした星を
脅えた手が
楯のやうにかき抱いてゐた
背後へ
朱(あけ)に炎えて
いのちが迫つた
さやかに
東方の金鵄が
天の河を渡る
いつせいにひらめく
いのちの光芒に
星はあへなく潰え去つた
その行方を
たれも知らなかつた
歌つたのを
誰も聽かなかつた
溟く
潮流が奔り
こぼれも
滞りもしなかつた
終日
雲とスコールと
太陽は
饐えた花のやうに咲(ひら)いた
忘却が繰り返され
面貌は
朱(あけ)に炎えて
闇へ向つた
花が散ると
もはや何もなかつた
?々と水が
水だけがあつた
風が笛のやうに鳴つた
倨傲の日を痛く
青一色に
吹き徹してゐた
天にあふれ
地にあふれ
際限なく
雪原はたそがれてゐた
いくへもの沈黙(しじま)で
畏怖が
一瞬
火の蛇のやうに蜒(のたく)つた
もうつめたく
仇怨は凍つた
みづからのうちに
深く沈んでゐた
妖しく
猫の目を反射(うつ)して
怯えるやうに
燻つてゐた
あ 黒く
地平線に向つて
雪橇(そり)が
鴉がけしとんだ
灼け燼したあとの
寂かなたたずまひを
地平線近く
雲は皈(かへ)つた
月は天の階段(きざはし)を踏み
蛇の妖しく
あざやかな眼を
闇にそそいだ
深い想ひに流れる
天の河は
喪心した枝毎に
翠の思惟をばら撒いた
處女は掌をひろげ
擽(くすぐ)つたい感触に
滴る水晶を蓄へた
それは尖塔のやうに光つた
憑かれたやうに鐘が鳴り
幽かな葉のそよぎに
季節を吹き通す風の
祝祭があつた
谿の流れに沐浴して、頂に眸をやれば、ほつかりと雪洞がともされて、祭の徑がとほく搖れてゐる、
山霊の娘の宴に招かれた彼は木の葉に盛られた芹の香にむせてしまふ。――これは物語である、奈良進のふところで孵されるひとつの夢だ。
湧き雲に呼びかけ、岩燕を追つて、氷壁を攀る彼の足指、爪は剥れ血さへ滴つてゐるではないか、難行は「出発の朝」から、
否早暁から続いてゐる。「私はいつでもぎりぎりいつぱいの思ひで書いてゐるのだ、早く書き上げたいと焦つて、完成してほつと救はれた氣持になる。」と彼は述懷してゐるが、
よく撓され活された語句、その言葉、躍動からは、額に膏をにじませてゐる彼の姿を思ふことができる。雪原の歌、登攀の歌、秋来る日の歌、落葉の歌、
などが最も彼の体臭をつけた作とも云へやう。
彼は現在、栄ある應徴士として敢闘をつづけながらも、生来の抒情魂を失ふどころか、いよいよ澄明に磨きがかけられてゆくのである。私は友人の一人として、
ひたむきなその精進に心からの敬意を表したい。彼は、雪の雫にたたかれ、神秘に導かれて黙々鉱脈を求めて進む、若い鉱山の科学者である。彼こそは生涯、
その詩の真実の鉱脈を求めて生きる宿命に起つてゐるのである。彼の掲げる抒情の灯の、ますます旺んならんことを祈りつつ、
多くの人々とともに、次のおほきな歌聲を待たう。 一八、一一
加藤貞子
少年の日は終つたらうか、二十六たびむかへる冬の日は、昔の歌のやうに懷しく、ひんやりと触れてはくるが、幼(いとけな)い頬に羞かみの色美しかつた、 あの林檎はどこへ噛み捨てられたのか。
その日々を、わが同胞(はらから)励み努めけん、防人と召され、大君の辺にこそ咲くに、恥多くになひ、塵に塗れた痩躯を、この僕はいかに捧げるといふのか。
念ひ徒らにして、身を捨てるにもあらず、僅かに努めて他をそしり、もの頼むにあらざる神に、少年の日の杳ざかるを怨む、 ああ性(さが)とは何處の國のものにありしか、妻など娶らば恥の身に恥を重ねて、弱きをのみしるして歌といふ、やすらひの日に生きるにあらざるや。
少年の日は還らぬものか、冬告げる日のつめたい窓に、吹き寄せる煤煙をみつめて、いのちひとすぢに炎やすのみ、ひたすらあせり、神の住むてふ、飛騨の山々に白いであらう、 雪を恋ふてゐる僕――
ああ 少年の日は還らぬものか、少年の日よ僕に還れ。
最後に小集のために序詩を賜つた梶浦先生、挿画を恵まれた青木氏、亦跋文を下さつた加藤さんに深謝する。
梶浦先生の御盡力にも拘らず昨年の秋から埋もれてゐた――否、永久に埋もれて了ふたかも知れないこの詩集が、戰時体制版としてガリ版刷で世に出ることになり、 そうしたら如何といふ先生のお便りが、はるばる皇土最東北端に訪れた日の夜は、美しい星空で、その星を眺め乍ら、私は泪を流してゐたらしかつた。
見、聞き、触れるもの凡てに、素直に感謝し得る嬉しさからであつたかもしれない。――漠然とした、こういふ云ひ方は近頃流行らないかも知れないが、 私は考へてもみない以上に大げさなものの云ひ方をすることは、いつでも嫌ひなものだから。
どんなみすぼらしい姿ででも、今、この詩集が出ることは、私には無精に嬉しいのである。私の第三詩集であるこの詩集は、身装に反比例して、 私のこれ迄の最も充実した詩集であることを、この詩集を読んで下さる方々に御告げしたいのである。
昭和十九年九月○日
北方派遣○○隊
奈良 進