今年最後の収穫報告 投稿者:やす 投稿日: 2007年12月29日(土)21時07分5秒 |
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帰還しました。 投稿者:やす 投稿日: 2007年12月24日(月)20時40分53秒 |
古本 なかまの皆様、在京中は楽しい時間をありがたうございました。 |
(無題) 投稿者:やす 投稿日: 2007年12月24日(月)11時09分3秒 |
もいちど会場に立ち寄ってから帰
ります。 古本に温まりて新幹線に乗る、亦た楽しからずや。 |
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『若き世代に語る日中戦争』 投稿者:やす 投稿日:2007年12月 9日(日)20時50分25秒 |
戦後、第四次からの参加なが
ら、「四季」世代の同人最後の孤塁を、現在杉山平一先生と共に守られて
ゐる、文壇の重鎮伊藤桂一先生ですが、この度、さきの戦争に対する思ひを聞き書きにまとめた一冊 『若き世代に語る日中戦争』(文春新書)を、ゆくりなくも山川弘至記念館の資料整理をされてゐる野田安平様よ
りお送り頂きました。インタビュアーは野田様の奥様です。 今や何をどう話しても腥いクレームのついてまはる日中戦争ですが、所謂「従軍慰安婦」「南京事件」「三光作戦」についても、ひとりの女性を前に置いて、 自身の戦場体験と戦後に行った取材活動を元に、理性的に誠実に答へてをられます。インタビュアーが、長年小説作法を学ぶ師弟の関係であれば、頓珍漢な問答 にもならず、悪の権化の如く伝へ聞く日本陸軍の実情が、ここでは現場の兵隊の目線で率直に語られてゐる印象を受けました。解りづらい軍隊の身分・編成や、 対峙した国民党軍・共産党軍の違ひなどわかりやすく説明されてゐるので、当時の歴史を勉強する際の入門にもよいかもしれません。敗戦時に蒋介石が示達した 大国らしい襟度、共産党軍が最後に勝利した理由、また大木惇夫の戦争詩のことも出てきます。ですが私には著者が最後に慨嘆されるところの、「自分たちはや ることをやったんだ、これでいいんだ」といふ気持。それが子供(団塊世代)にも伝はらない。戦中世代が歴史の中で浮き上がったまま、消えてゆかうとしてゐ る。しかし書き残したものから、次の世代の人が推し量って考へてくれたら、といふ切実なメッセージ、そして、 「どうしてこんな無礼な若者が多くなったんだろう、(中略)亡くなった戦友たちが見たら何というか、 「こんな日本にするために自分たちは戦って死んだのか」と口惜しがるに違いない。」161p といふ、何ともいへぬやりきれなさに思ひを致さないではゐられませんでした。 野田様にはここにても御礼申しあげます。ありがたうございました。 |
「昧 爽」16号 投稿者:やす 投稿日:2007年12月 8日(土)15時22分19秒 |
『昧爽』16号をお送りいただ
きました。中村一仁氏の浅野晃論は、敗戦を迎へた詩人が北海道での流
謫の日々を送るくだり
です。当時の「新日本文学」の連中による紅衛兵まがひの吊し上げを、杉浦明平自身の回想による「敗戦奢り」といふ言葉を使って言及するところがいいです
ね。確かに晩年の杉浦氏は岩波文庫版の『立原道造詩集』の解説でも、親友の立原道造が日本浪曼派に近づいていったのは、単に眩惑されたのではなく、必然的
な資質と真摯さによるところを認めてゐて、(岩波文庫に立原道造や伊東静雄が入るやうになったこと自体もびっくりでしたが)良心を感じたものでした。 浅野晃に、弾劾や戦犯疑義に対する弁解の場が与へられなかったこと、中村氏が書かれるまでもなく、それはそれでよかったのであって、反論などせず甘受し た一切を詩に託し、思ひを凝らした述志の余生を送るに至って初めて、「本物」が輝きはじめたのではないかと思ひます。「石炭」の詩の最初の4行 爐にいぶる逞しいなま木よ とめどなくしみ出るわが涙よ 音たてて赤々と燃え進む それの焔の色とりどりの無言よ は『天と海』の数章とともに生涯の絶唱です。まさに数奇な運命を生き抜いたひとならではの独白にして代弁、隠喩に富んだ表現は、抒情詩の本統を継いだ戦後 詩の精華として長く記憶されることでせう。 そんな詩人のことを小馬鹿にされたと中村様から仄聞して、以前(2006年1月10日)ここでその保田與重郎の直弟子歌人とやらに毒づいてみたのです が、それが今回同じい冊子で中村様によって追悼されてゐる御方とは思ひもよりませんでした。『大東亜詩文集』の編集でこのたび知遇を忝くしました吉村千穎 様の萱堂であったと聞いては二度吃驚。 折しも風日社からお頒け頂いた五十年記念誌『風日志』と「風日」の輓近号を読んで、あらましが判然とした次第です (私はてっきり六、七十の方と思ってをりました)。つまり思想云々ではなく、後添への夫人のことを思ひやっての疳積だった訳であり、中村様の心情も忖度で きたのでした。前言を反省・ご冥福をお祈りするばかりです。 いったいに保田與重郎は古来女流文学の奔放を嘉する人だし、みやびな学識、慕はれるべき人徳・風貌を、教養ある淑女たちが抛って置く筈がなく、さういふ オーラがない日本浪曼派の男達はみんな、真率な烈女歌人にあっては本当のところ「ただの取り巻き」なのかもしれません。 ここにても御礼を申し上げます。ありがとうございました。 同人誌「昧爽」16号 (特集「銀幕の宇宙」) 平成19年12月1日 中村一仁・山本直人共同編集 112p \700 問合せ先 〒340-0011 埼玉県草加市栄町3-1-31-406(中村一仁氏) 〒173-0015 東京都板橋区栄町5-17-201(山本直人氏) |
「感泣亭秋報」第二号 投稿者:やす 投稿日: 2007年12月 1日(土)20時29分46秒 |
横浜の
小山正見さまより「感泣亭秋報」第二号をお送り頂きました。ありがた
うございました。 御存知のやうに「四季」の詩人小山正孝を偲ぶ年刊雑誌ですが、私にとって今回一番の読み物は、感泣亭 例会での八木憲爾氏の談話を記録した「小山正孝と「四 季」」でありました。歯に絹を着せぬ懐かしいお話しぶりが目に浮かびます。戦後角川書店から出た第三次「四季」の創刊号が一万部で半分以上返品、第五号の 最終号に至っては千部出して売れたのが三百部といふ「討ち死」の実情など、はじめて知りました。ちょうど同じ頃、詩人も自らが中心となり、戦前「四季」で 育った若手第二世代を結集して「胡 桃」といふ雑誌を 創刊してゐるのですが、八木会長のお話を敷衍すると、「四季」の露払ひ(もしくは斬り込み隊?)をする筈だったこの雑誌の収支も、そら恐ろしいやうな気が いたします。「夏季号」と銘打ち、季刊のつもりだったやうですが、189pといふ大部の冊子を一体いくら刷ったものでせう。この話は出なかったやうです が、実に雑誌「胡桃」は、一冊きりで終ったものの、混迷する戦後詩壇に抒情の正統を問ふ意気込みを感じる誌面で、みなさんが仰言る詩人の意外な一面の、こ れもひとつだらう、などと私は感じてをります。 また近藤晴彦氏の一文「小山正孝の詩の世界」では、リアリズムに長けた詩人が小説道に精進せず「立原ソネット」の呪縛に苦しんだことを惜しみ、しかも残 された小説よりも詩の方に、より物語的余韻が馥郁と感じられる矛盾(?)についても指摘されてゐて、相槌を打ちながら拝読しました。尤も詩人が苦しみつつ 書き継いで行った、情慾と実存の淵を垣間見せる戦後詩篇といふのは、(前にも書きましたが)私にはアルコール度が強すぎて堪能することができず、その分、 伊勢山峻氏が口を極めて称賛されたところ、「水の上」をはじめ詩人の最初期の詩篇群に一層の愛著を覚えます。かの雑誌「胡桃」とともに赤坂書店から出され た仙花紙の処女詩集『雪つぶて』を愛蔵してゐるやうな始末です。 とりいそぎここにても御礼を申上げます。ありがたうございました。 |
「コレクターを引退」?! 投稿者:やす 投稿日: 2007年11月19日(月)23時05分42秒 |
今月号の「日本古書通信」で川
島幸希さんが「古本講座」の連載を終へる由。長い間お疲れ様でした。
コレクターを引退
(?!)するにあたっての「最後の挨拶」では、自ら蔵書目録は作らないといふことですが、残念といふか、なんとも勿体無い気が致します(U^ェ^;Uその
分量を知らないですからね〜 笑)。 さて拙宅の片々たる蔵書とは云へば、全て「詩集目録index」に画像を貼り付ける予定です・・・。これをもって私も近代詩集のコレクターを引退するこ とになるのかな。尤もすでにあるコレクションを手放すつもりはないのですが、川島さんも「古本講座」で仰言るやうに、マイナー作家(=ここでは中堅〜無名 詩集)の目録古書価に光が当たり、中身もみないで注文などなかなか出来なくなってきましたから。これは新たな興味分野の江戸漢詩でも同様です。つまりは今 手許にある本を、もっと大切に読み直してみようと思ってをります。 「詩集目録index」はさういふ訳ですから、皆様からの提供画像もあれば是非追加したく、リスト上の(或はリストにもない)こんな詩集をお持ちだといふ 方がみえましたら、書影と奥付の画像だけで結構ですからメール貼付でお送り頂けましたら幸甚です。家蔵分は今年中にupを終へる予定です。よろしく御協力 をお待ち申し上げます。 そして二次情報の「書誌」についてはそんな完成予定図もあるのですが、一次情報「バーチャル詩集図書館」構想に至ってはどうなりますことやら。コンテンツ 作りの労力もさることながら、サーバー容量に限りがあること、加へて詩人は著作権継承者の所在がわからない場合も多く、ここでは著作権保護機関が終了して ゐない(つまり没後50年を迎へてゐない)と思はれる詩人について、 1. 当サイト上の論評に関係する参考文献として、 2. 戦後に集成本が出ておらず、詩人の作品に接することが困難であり、 3. (そしてこれが一番大切ですが) 管理人が愛着を深くする詩集に対して、 本冊の内容を、改変・誤植が加はらぬやう一冊丸ごと画像によって公開し、往年の詩人の詩業を紹介してゆけたら、と考へてをります。もとより「著作権継承に 係る情報を募る」旨のコメントとともに、御遺族から御意見があれば如何様にも取り計らふ所存ですが、各位におかれましては当ホームページの掲げます「隠れ た戦前詩人の詩業顕彰」の趣旨に沿って御諒察を賜りましたら、管理人として大変うれしく存じます。 以上、ちかごろ詩集のスキャンに余念のない管理人からの御報告とお願ひまで、でした。 |
(無題) 投稿者:やす 投稿日: 2007年10月21日(日)22時59分10秒 |
>池内様 こんばんは。御無沙汰してをります。 業績の紹介は齋藤さまの図書館報の一文に尽きてをります。 特には更新報知をしませんが、これから詩集の書影と奥付写真だけでも、詩人indexサイトにペタペタ貼りつけてゆかうと考へてをります。皆様の助けを得 ながら、どんな「詩集図鑑」に育ってゆくやら、今後ともよろしく御見守り頂ければと存じます。ありがたうございました。 |
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『蘘荷溪詩集』 投稿者:やす 投稿日: 2007年10月15日(月)12時17分2秒 |
郡上藩の文学、杉岡暾桑の『蘘荷
溪詩集:じょうかけいししゅう』をupしました。 九巻五冊の殆どが郡上に来る前、在京時代の作品であり、菅茶山の末弟である恥庵ほかの著名人との交游や、流行の詠物詩に余念のなかったさまが窺はれ、それ はそれで貴重なのですが、巻四の後半から、やうやく田舎の小藩に聘せられてはるばる山峡へやってきた漢詩人の、半ばは都落ちの感慨も諷せられる詩に接する ことが出来ます。スター扱ひはともあれ、本屋さんがすくないのが不満だったのは、同感ですけど仕方ありませんね(笑)。 毎日人の詩を乞ふ、余、矜恃を施さず。一揮これに応ずれば彼謝するに酒符を以てす。 着処なんぞ須ひん頴芒を惜しむを ※頴芒:筆の穂先 墨雲揮ひ破る剡溪(せんけい)の霜 ※剡溪:良い紙。「えーい、ままよ。」の意 あり?(笑)。 酒符投到る風葉より多し 省みず先生酒量のなきを 蘘荷溪は市街に咫尺たり。資用供給頗る弁に足る。唯だ欠くる所は乃ち書肆。故に虧乏を覚ゆ。 市肆、渾て閲すべき書なし 論衡、筆を下すも、故に蕭疎 文に臨んで腹を捫で奇古を温(たず)ぬ ※お腹を温めると温故を掛けてるのかな。 傚はず、李家の獺祭魚 ※カワウソが獲物をひろげるやうに参考書を並べた李商隠のこと。 |
東濃地方の孔版詩誌 投稿者:やす 投稿日: 2007年10月 6日(土)22時14分45秒 |
鯨書房さんに入荷した大正10
年当時の東濃地方(多治見、恵那)の孔版詩誌数冊をみせて頂く。同人
の名前で見覚えがある
のは鵜飼選吉、落合しげる位でしたが、取次店が名古屋東文堂になってゐるものもあってびっくり。「青騎士」創刊前夜の同人誌は珍しく、末尾の他誌消息も興
味深い資料でした。国文学科がなくなった職場では、かういふ資料をコレクション構築する計画が果敢無くなり、まずは大きな公共機関に収まることを願ふばか
り。 気炎吐き続ける「あ・ほうかい」最新号第6号も頂きました。 ありがたうございました。 |
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更新報告 投稿者:やす 投稿日: 2007年 9月13日(木)12時12分3秒 |
日塔貞子の初出誌の画
像を奥平玲子様よりお送り頂きました。 木下夕爾の故郷を旅したレポートをアップいたしました。 塋域から南方を眺 望。 |
まなぐら? 投稿者:やす 投稿日: 2007年 8月31日(金)20時51分50秒 |
出張が終はりました。本日は万能 倉といふ土地の、商人宿(?)に宿泊。明日帰還します。落ち着いたら 思ひ出に残る一夕の御報告をしたいと思ひます。ありがたとうございました。おやすみなさい。【携帯より】 |
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どういたしまして 投稿者:池内規行 投稿日:2007年 8月 6日(月)23時12分27秒 |
アクレーノスケさま 先日は遠いところ、また暑い中をお越しいただき、ご苦労さまでした。珍しい資料といってはあまりありませんでしたが、喜んでいただいて、小生もうれしいで す。 お互い山岸外史の復権・再評価をめざして、努力いたしましょう。 やすさま おかげさまで、アクレーノスケさんと対面するに至り、長時間語り合いました。奇宝珍宝というのは過大評価で、多少珍しいものもあるという程度に受け取って おいてください。 山岸外史周辺の人たち(林富士馬氏・川添一郎氏・桜岡孝治氏・佐野竜馬夫妻・長篠康一郎氏など)については、小生だけが承知しているエピソードなどもあり ますので、何らかの形で書き残しておきたいと念じています。 では、今後ともよろしくお願いいたします。 |
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「桃」「季」 投稿者:やす 投稿日: 2007年 7月18日(水)21時27分52秒 |
山川京子さま主宰「桃」、関西
四季の会「季」をお送りいただきました。 「桃」と一緒に同封いただきました松本和男氏の論集「伊良子清白『孔雀船』とその後」には写真を多く収め、郡上の記念館もふくめて見開きで頁が割かれてあ り、うれしく拝見。 また杉山先生のこのたびの新作には心が温まる思ひです。久しぶりに同人みなさまの平易闊達の詩文にふれて嬉しく存じました。 ここにても厚く御礼申上げます。 わからない 杉山平一 お父さんは お母さんに怒鳴りました こんなことわからんのか お母さんは兄さんを叱りました どうしてわからないの お兄さんは妹につゝかゝりました お前はバカだな 妹は犬の頭をなでゝ よしよしといゝました 犬の名はジョンといゝます |
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菫川千童『譚』 / 『加藤千晴詩集』 投稿者:やす 投稿日:2007年 7月 2日(月)22時35分35秒 |
先日、満州で発行された『譚』
といふ稀覯詩集についてレファレンスを頂き、ネット上の情報をお伝へ
したところ、その高額
の古書を入手された御遺族の方から、御丁寧にも礼状と共にコピーをお送り頂きました。ありがたうございました。早速書影とともに貴重な内容をupさせて頂
きます。 御存知のやうに満州の刊行物は戦後引き上げ時に携帯を許されず、国内に現存する本は寄贈もしくは敗戦以前に持ち帰られたものに限られてゐます。況や昭和 16年わずか21才で仆れ、刊行された部数もたった100冊とあっては、後世ほとんど知られることなく、長らく古書店の間で語り草として伝承される「幻の 詩集」に祀り上げられてゐたのも仕方なかったかもしれません。余白を活かした活字配分の意匠は、昭和初年のモダニズム詩集を髣髴させ、一読またイメージと 語彙の豊富さに驚いてゐるところです。十代の少年が書いた詩集と聞いては天才を感じざるを得ません。 菫川千童(遠藤美津男)詩集『譚』1939 年 満州文学同人(新京) 限定100部刊行 それから山形酒田市の加藤千晴詩集刊行委員会(齋藤智[さとる]様)より、頒布が既に終了した詩集の残部を無理に分けて頂き、また続編Uの寄贈にあづか りました。仲立ち頂きました池内規行さまのおかげです。ともに厚く御礼申し上げます。 私はこの詩人の名を、『観音』といふ詩集をもってゐたので女性とは思はなかったけれども、男であるがゆゑに却って本名であると、そして世代的にも日塔聰 などと同じく四季派第二世代の人かと思ひ違ひをしてをりました。このたびの集成に添へられた解説・回想によって、詩歴は長く大正末年にまで遡ること。つま りさきの菫川千童とは反対に、大成を期して孤独に沈潜、詩作に刻苦した結果、竟に何ものかに開眼したところで失明、失意に斃れるに至ったといふこと。この 詩人についてはいくつかの謎も蟠り、いづれ一文を草したいものと考へてをりますが、しばらくお待ち下さい。 いろいろ読みたい本、紹介したい本がたまる一方で、スケジュールを眺めては、すでに若い日の夏休みのやうな気持に自ら陥ってをります(笑)。 といふのも今月から職場に欠員が生じ、図書館業務を一人できりもりすることになりました。利用者にも面目ないことですが、心に余裕がないので、折角家に 帰って本に向っても気が急くばかりで、詩なんぞといふものに当っては、菲才ながら外史氏同様「雑駁な気持でこれを読んだり忙しい気持でその稿を繰りひろげ たりしてゐたのでは正しい感受が起こらない」(『詩 集8人』序)のであります。 事情お含み頂きましてホームページの更新については、何卒長〜い眼で御覧頂けましたら幸甚です。 目録多数拝謝。ことにも本日到着、落穂舎古書目録の山本文庫(『林檎みのる頃』\40,000『ランボオ詩抄』\35,000ほかドッサリ)は見もので した。『ヒアシンスと花薔薇』\7000は安いと思ひます。 |