も どる
2007年7-12月 日録掲示板 過去ログ

今年最後の収穫報告   投稿者:やす  投稿日: 2007年12月29日(土)21時07分5秒    編集済
 
 和本分野で宿願だった探求書『黄葉夕陽村舎詩』の揃ひ13冊が本日到着。状態不詳で注文したもの の、包みを開けて
みたら [正篇]、続編、遺稿の装釘は別々で、文化9年,文政6年,天保3年の奥付をそれぞれ持ってをり、虫入りも僅かなら摺りも悪くない。頼山陽の自筆書帖(牧 百峰跋)とともに本年最大の古書収穫となりました。休暇はこれを眺めつつ(まだ読むんぢゃないのか 笑)、中途で止んだ『伊澤蘭軒』の読解に再び勤しむ予 定です…。
 


「初版本」第2号   投稿者:やす  投稿日: 2007年12月27日(木)21時14分19秒
  本日、古本雑誌「初 版本」第2号到着しました。
明日仕事納めなので、年末にかけて隅々までゆっくり拝見させて頂きます。ありがたうござ いました。
(献本一冊ですので、予約されなかった方には、拙稿はHP版upの機会までお待ち下さい。)

「初版本」2号 川島幸希責任編集(編集協力:東原武文 造本:真田幸治)  2007年12月31日 人
魚書房発行 定価\1000(限定300部予約配本)

目録
逸見猶吉 詩と絵画の接点 東原武文 2-11p
陰の珍本あれこれ 山口哲司 12-19p
潤一郎の書棚から 作家の参照した関連文献 山中剛史 20-29p
表紙の本『黄色い帽子の蛇』 (大手拓次編輯「あをちどり」第一輯 全文復刻) 30-53p
文芸市場社以前の梅原北明 佐々木宏明 54-60p
耶止説夫の稀覯本 若狭邦男 61-65p
我が愛する版型詩集の列記 中嶋康博 66-71p
室生犀星自筆題字本考 樽見博 72-77p

「創刊号」余談 78-79p
清方と英朋の木版口絵 (復刻) 80-83p
〈続〉・酔多道士の著作について 平田雅樹 84-91p
雑本蒐書録 其之貳 彭城矯介 92-97p
伝説の売立 川島幸希 98-111p


帰還しました。   投稿者:やす  投稿日: 2007年12月24日(月)20時40分53秒
  古本 なかまの皆様、在京中は楽しい時間をありがたうございました。

(無題)   投稿者:やす  投稿日: 2007年12月24日(月)11時09分3秒
  もいちど会場に立ち寄ってから帰 ります。
古本に温まりて新幹線に乗る、亦た楽しからずや。
 


戦ひ終へて日が暮れて  投稿者:やす  投稿日:2007年12月23日(日) 21時57分40秒
  Salon de 書痴の旧知の面々と久闊を叙し只今散会、御馳走さまでした。おやすみなさい。  

F1実況  投稿者:やす  投稿日:2007年12月23日(日) 17時29分3秒    編集済
  保田與重郎と浅野晃 の諸著作、『日本の橋』(芝書店版函欠\1800)ほか壁棚の品揃へ が軒並安いのに吃驚、所蔵なれば手を出さず。既にして独り退場、逆旅に戻り書之。  

ただいま上京中です。  投稿者:やす  投稿日:2007年12月23日(日) 11時31分12秒    編集済
   昨日は田村書店の 店先で偶然お会ひした郡淳一郎様とティータイム。「稲垣足穂未収録短 編新刊編集会議」の触りに陪席させ て頂きました(みなさん楽しいお話をありがたうございました)。『一千一秒物語』もたうとう初版本の忠実な復刻が出たのですね(沖積舎 2007/11 300部)、これはかわほり堂で購入。知りませんでした。なにやらタルホづいた一日でありました。

 さて本日はこれより「F1」(笑)とも称せられる扶桑書房の古書展に参戦(?)、夜は古本仲間と歓談の予定です。神保町周辺をうろうろしてをりますの で、お気軽にお声をかけて下さいませ〜(ホテルの端末より)。

『若き世代に語る日中戦争』  投稿者:やす  投稿日:2007年12月 9日(日)20時50分25秒    編集済
   戦後、第四次からの参加なが ら、「四季」世代の同人最後の孤塁を、現在杉山平一先生と共に守られて ゐる、文壇の重鎮伊藤桂一先生ですが、この度、さきの戦争に対する思ひを聞き書きにまとめた一冊 『若き世代に語る日中戦争』(文春新書)を、ゆくりなくも山川弘至記念館の資料整理をされてゐる野田安平様よ りお送り頂きました。インタビュアーは野田様の奥様です。
 今や何をどう話しても腥いクレームのついてまはる日中戦争ですが、所謂「従軍慰安婦」「南京事件」「三光作戦」についても、ひとりの女性を前に置いて、 自身の戦場体験と戦後に行った取材活動を元に、理性的に誠実に答へてをられます。インタビュアーが、長年小説作法を学ぶ師弟の関係であれば、頓珍漢な問答 にもならず、悪の権化の如く伝へ聞く日本陸軍の実情が、ここでは現場の兵隊の目線で率直に語られてゐる印象を受けました。解りづらい軍隊の身分・編成や、 対峙した国民党軍・共産党軍の違ひなどわかりやすく説明されてゐるので、当時の歴史を勉強する際の入門にもよいかもしれません。敗戦時に蒋介石が示達した 大国らしい襟度、共産党軍が最後に勝利した理由、また大木惇夫の戦争詩のことも出てきます。ですが私には著者が最後に慨嘆されるところの、「自分たちはや ることをやったんだ、これでいいんだ」といふ気持。それが子供(団塊世代)にも伝はらない。戦中世代が歴史の中で浮き上がったまま、消えてゆかうとしてゐ る。しかし書き残したものから、次の世代の人が推し量って考へてくれたら、といふ切実なメッセージ、そして、

「どうしてこんな無礼な若者が多くなったんだろう、(中略)亡くなった戦友たちが見たら何というか、 「こんな日本にするために自分たちは戦って死んだのか」と口惜しがるに違いない。」161p

 といふ、何ともいへぬやりきれなさに思ひを致さないではゐられませんでした。
 野田様にはここにても御礼申しあげます。ありがたうございました。

「昧 爽」16号  投稿者:やす  投稿日:2007年12月 8日(土)15時22分19秒    編集済
   『昧爽』16号をお送りいただ きました。中村一仁氏の浅野晃論は、敗戦を迎へた詩人が北海道での流 謫の日々を送るくだり です。当時の「新日本文学」の連中による紅衛兵まがひの吊し上げを、杉浦明平自身の回想による「敗戦奢り」といふ言葉を使って言及するところがいいです ね。確かに晩年の杉浦氏は岩波文庫版の『立原道造詩集』の解説でも、親友の立原道造が日本浪曼派に近づいていったのは、単に眩惑されたのではなく、必然的 な資質と真摯さによるところを認めてゐて、(岩波文庫に立原道造や伊東静雄が入るやうになったこと自体もびっくりでしたが)良心を感じたものでした。
 浅野晃に、弾劾や戦犯疑義に対する弁解の場が与へられなかったこと、中村氏が書かれるまでもなく、それはそれでよかったのであって、反論などせず甘受し た一切を詩に託し、思ひを凝らした述志の余生を送るに至って初めて、「本物」が輝きはじめたのではないかと思ひます。「石炭」の詩の最初の4行

爐にいぶる逞しいなま木よ
とめどなくしみ出るわが涙よ

音たてて赤々と燃え進む
それの焔の色とりどりの無言よ


は『天と海』の数章とともに生涯の絶唱です。まさに数奇な運命を生き抜いたひとならではの独白にして代弁、隠喩に富んだ表現は、抒情詩の本統を継いだ戦後 詩の精華として長く記憶されることでせう。

 そんな詩人のことを小馬鹿にされたと中村様から仄聞して、以前(2006年1月10日)ここでその保田與重郎の直弟子歌人とやらに毒づいてみたのです が、それが今回同じい冊子で中村様によって追悼されてゐる御方とは思ひもよりませんでした。『大東亜詩文集』の編集でこのたび知遇を忝くしました吉村千穎 様の萱堂であったと聞いては二度吃驚。 折しも風日社からお頒け頂いた五十年記念誌『風日志』と「風日」の輓近号を読んで、あらましが判然とした次第です (私はてっきり六、七十の方と思ってをりました)。つまり思想云々ではなく、後添への夫人のことを思ひやっての疳積だった訳であり、中村様の心情も忖度で きたのでした。前言を反省・ご冥福をお祈りするばかりです。
 いったいに保田與重郎は古来女流文学の奔放を嘉する人だし、みやびな学識、慕はれるべき人徳・風貌を、教養ある淑女たちが抛って置く筈がなく、さういふ オーラがない日本浪曼派の男達はみんな、真率な烈女歌人にあっては本当のところ「ただの取り巻き」なのかもしれません。

ここにても御礼を申し上げます。ありがとうございました。

同人誌「昧爽」16号 (特集「銀幕の宇宙」) 平成19年12月1日 中村一仁・山本直人共同編集 112p \700
問合せ先 〒340-0011 埼玉県草加市栄町3-1-31-406(中村一仁氏) 〒173-0015 東京都板橋区栄町5-17-201(山本直人氏)

「感泣亭秋報」第二号   投稿者:やす  投稿日: 2007年12月 1日(土)20時29分46秒
    横浜の 小山正見さまより「感泣亭秋報」第二号をお送り頂きました。ありがた うございました。
御存知のやうに「四季」の詩人小山正孝を偲ぶ年刊雑誌ですが、私にとって今回一番の読み物は、感泣亭 例会での八木憲爾氏の談話を記録した「小山正孝と「四 季」」でありました。歯に絹を着せぬ懐かしいお話しぶりが目に浮かびます。戦後角川書店から出た第三次「四季」の創刊号が一万部で半分以上返品、第五号の 最終号に至っては千部出して売れたのが三百部といふ「討ち死」の実情など、はじめて知りました。ちょうど同じ頃、詩人も自らが中心となり、戦前「四季」で 育った若手第二世代を結集して「胡 桃」といふ雑誌を 創刊してゐるのですが、八木会長のお話を敷衍すると、「四季」の露払ひ(もしくは斬り込み隊?)をする筈だったこの雑誌の収支も、そら恐ろしいやうな気が いたします。「夏季号」と銘打ち、季刊のつもりだったやうですが、189pといふ大部の冊子を一体いくら刷ったものでせう。この話は出なかったやうです が、実に雑誌「胡桃」は、一冊きりで終ったものの、混迷する戦後詩壇に抒情の正統を問ふ意気込みを感じる誌面で、みなさんが仰言る詩人の意外な一面の、こ れもひとつだらう、などと私は感じてをります。
 また近藤晴彦氏の一文「小山正孝の詩の世界」では、リアリズムに長けた詩人が小説道に精進せず「立原ソネット」の呪縛に苦しんだことを惜しみ、しかも残 された小説よりも詩の方に、より物語的余韻が馥郁と感じられる矛盾(?)についても指摘されてゐて、相槌を打ちながら拝読しました。尤も詩人が苦しみつつ 書き継いで行った、情慾と実存の淵を垣間見せる戦後詩篇といふのは、(前にも書きましたが)私にはアルコール度が強すぎて堪能することができず、その分、 伊勢山峻氏が口を極めて称賛されたところ、「水の上」をはじめ詩人の最初期の詩篇群に一層の愛著を覚えます。かの雑誌「胡桃」とともに赤坂書店から出され た仙花紙の処女詩集『雪つぶて』を愛蔵してゐるやうな始末です。
 とりいそぎここにても御礼を申上げます。ありがたうございました。

「コレクターを引退」?!   投稿者:やす  投稿日: 2007年11月19日(月)23時05分42秒    編集済
   今月号の「日本古書通信」で川 島幸希さんが「古本講座」の連載を終へる由。長い間お疲れ様でした。 コレクターを引退 (?!)するにあたっての「最後の挨拶」では、自ら蔵書目録は作らないといふことですが、残念といふか、なんとも勿体無い気が致します(U^ェ^;Uその 分量を知らないですからね〜 笑)。
 さて拙宅の片々たる蔵書とは云へば、全て「詩集目録index」に画像を貼り付ける予定です・・・。これをもって私も近代詩集のコレクターを引退するこ とになるのかな。尤もすでにあるコレクションを手放すつもりはないのですが、川島さんも「古本講座」で仰言るやうに、マイナー作家(=ここでは中堅〜無名 詩集)の目録古書価に光が当たり、中身もみないで注文などなかなか出来なくなってきましたから。これは新たな興味分野の江戸漢詩でも同様です。つまりは今 手許にある本を、もっと大切に読み直してみようと思ってをります。
「詩集目録index」はさういふ訳ですから、皆様からの提供画像もあれば是非追加したく、リスト上の(或はリストにもない)こんな詩集をお持ちだといふ 方がみえましたら、書影と奥付の画像だけで結構ですからメール貼付でお送り頂けましたら幸甚です。家蔵分は今年中にupを終へる予定です。よろしく御協力 をお待ち申し上げます。
そして二次情報の「書誌」についてはそんな完成予定図もあるのですが、一次情報「バーチャル詩集図書館」構想に至ってはどうなりますことやら。コンテンツ 作りの労力もさることながら、サーバー容量に限りがあること、加へて詩人は著作権継承者の所在がわからない場合も多く、ここでは著作権保護機関が終了して ゐない(つまり没後50年を迎へてゐない)と思はれる詩人について、

1. 当サイト上の論評に関係する参考文献として、
2. 戦後に集成本が出ておらず、詩人の作品に接することが困難であり、
3. (そしてこれが一番大切ですが) 管理人が愛着を深くする詩集に対して、

本冊の内容を、改変・誤植が加はらぬやう一冊丸ごと画像によって公開し、往年の詩人の詩業を紹介してゆけたら、と考へてをります。もとより「著作権継承に 係る情報を募る」旨のコメントとともに、御遺族から御意見があれば如何様にも取り計らふ所存ですが、各位におかれましては当ホームページの掲げます「隠れ た戦前詩人の詩業顕彰」の趣旨に沿って御諒察を賜りましたら、管理人として大変うれしく存じます。

 以上、ちかごろ詩集のスキャンに余念のない管理人からの御報告とお願ひまで、でした。


(無題)   投稿者:やす  投稿日: 2007年10月21日(日)22時59分10秒
  >池内様

こんばんは。御無沙汰してをります。
業績の紹介は齋藤さまの図書館報の一文に尽きてをります。

特には更新報知をしませんが、これから詩集の書影と奥付写真だけでも、詩人indexサイトにペタペタ貼りつけてゆかうと考へてをります。皆様の助けを得 ながら、どんな「詩集図鑑」に育ってゆくやら、今後ともよろしく御見守り頂ければと存じます。ありがたうございました。
 


ありがとうございます   投稿者:池内規行  投稿日:2007年10月21日(日)15時07分13秒
  やす 様

 われらが愛する四季派の抒情詩人、加藤千晴の『宣告』『観音』『加藤千晴詩集』等のご紹介、お疲れさまでした、そしてありがとうございました。齋藤智様 をはじめ、関係者の方々も、もどんなにお喜びのことかと存じます。私などは齋藤様から資料を頂いても、手元に仕舞い込むのみですが、やす様の情熱、積極性 には改めて驚かされ、また、感謝申し上げる次第です。多少のかかわりのあった者として、嬉しさを隠し切れません。
 (この場をお借りして、齋藤様へお喜びを申し上げることをお許しください。)

齋藤智 様

 このたびは、加藤千晴の詩集(業績)について、やす様が丁寧にご紹介くださって、本当によろしかったですね。加藤千晴の詩人としての素晴らしさはもちろ んですが、齋藤様の千晴への愛情、そしてご誠実なお人柄がやす様の情熱を更にかきたてたに違いありません。
 齋藤様のお喜びのさまを想いうかべながら、わたくしも幸せな気持ちを味わっております。
 

『加藤千晴詩集』   投稿者:やす  投稿日: 2007年10月20日(土)19時25分4秒
   といふことで、先 達ては『加藤千晴詩集』をお送り頂きながら、紹介する機会が延ばしの ばしになってをりましたが、とりあ へず『宣告』『観音』『加藤千晴詩集』について、加藤千晴詩集刊行会の齊藤智様による解説(酒田市立図書館報より)を付して紹介させて頂きました。(丸山 薫によって生前の刊行詩集を凌ぐと絶賛された遺稿集『みちのく抄』もテキスト化する予定です。)

 ことにも今回は、別冊資料として小部数配布された、『宣告』に対する師友からの返信・礼状の公開について合せて掲載許可を頂きました。彼の初期の口語詩 に綴られた孤独が、やがて文語詩の端正な肌触りと綯ひ交ぜになって宗教的にのぼりつめてゆく様子、それは昭和初期の同人誌乱立時代に詩魂を享けた詩人が、 詩壇の潮流とともに成長してゆく過程と期を一にしてをります。「感想集」を清書するにあたって、萩原朔太郎と三好達治を劈頭に据えたのも、格別の感慨が あったからに相違ありません。顕著な宗教性も、キリスト教に帰依してゐる訳でなく、所謂『黒衣聖母』風の跪拝から、東洋的な諦念に根ざすものに漸次変化し てゐるやうでもあり、信ずる境地を歌ふのでなく、一心の祈念を赤裸々にするところに共感を覚えます。
 残念なのは『詩集U』において編集委員の間に議論があり、収録を見合はせた詩篇があったといふことですが、おそらくは戦争に関るものでありませう。失明 と死因の因果関係が不明であることと共に、謎を残す結果となりました。

 ともあれ『加藤千晴詩集』が絶版であり、図書館にもあまり所蔵がないので、今後一般の方がこの詩人の存在を知るきっかけとなったら何よりです。齊藤様に はあらためて御礼申しあげます。
 ありがたうございました。

 

はじめまして。   投稿者:やす  投稿日: 2007年10月20日(土)19時19分28秒    編集済
  >やぶちゃん様 は じめまして。

 増田晃詩集『白鳥』テキスト版作成のお知らせありがたうございました。ブログも拝見致しました。サイト誤記の指摘もありがたく、日々の入力作業に添へられた詳しい注記には、亡き詩 人の幸せ、冥利を思ひました。
 増田晃など戦争に身も心も殉じたといってよい詩人たちに対してどのやうな態度で接するのか、厳粛な問題と思ひます。生き残った者が過去を恥かしく思ふの は決死の人々への冒涜に他なりませんし、過去が渾て正しかったとふんぞり返る心得違ひも、たとへば伊東静雄みたいな先生が今に健在なら、ピシャリと窘めら れたでせうね。体験をもとに一家言ある父君の存在を羨ましく存じました。
 清廉の抒情詩に対する偏愛を同じくする者として、今後も街の本屋さんに並ぶことのない、どこでもデジタルアーカイヴされさうもない、古い無名の詩集に対 する声援を、何卒よろしくお願ひを申上げます。
 

増田晃「白鳥」   投稿者:やぶちゃ ん  投稿日:2007年10月20日(土)10時57分9秒
  拝啓。
初めまして。小生、文学及び博物学書のテクスト化を全くの趣味で行っております。
偶々、貴サイトの増田晃の詩集「白鳥」に心打たれ、写真版画像を画面で拝見しながら、手打ちで電子テクスト化を行い、本日公開に漕ぎ着けました。

http://homepage2.nifty.com/onibi/masudaakira.html

門外漢の暴虎馮河の注等、ご笑覧下さい。誤植・注の誤り等、御座いましたらご連絡下されば幸いです。サイトの資料を遣わせて戴き、誠に有難う存じました。 今後とも、よろしくお願い申し上げます。
敬具。

http://homepage2.nifty.com/onibi/index.htm


『蘘荷溪詩集』   投稿者:やす  投稿日: 2007年10月15日(月)12時17分2秒    編集済
  郡上藩の文学、杉岡暾桑の『蘘荷 溪詩集:じょうかけいししゅう』をupしました。

九巻五冊の殆どが郡上に来る前、在京時代の作品であり、菅茶山の末弟である恥庵ほかの著名人との交游や、流行の詠物詩に余念のなかったさまが窺はれ、それ はそれで貴重なのですが、巻四の後半から、やうやく田舎の小藩に聘せられてはるばる山峡へやってきた漢詩人の、半ばは都落ちの感慨も諷せられる詩に接する ことが出来ます。スター扱ひはともあれ、本屋さんがすくないのが不満だったのは、同感ですけど仕方ありませんね(笑)。

 毎日人の詩を乞ふ、余、矜恃を施さず。一揮これに応ずれば彼謝するに酒符を以てす。

着処なんぞ須ひん頴芒を惜しむを        ※頴芒:筆の穂先
墨雲揮ひ破る剡溪(せんけい)の霜         ※剡溪:良い紙。「えーい、ままよ。」の意 あり?(笑)。
酒符投到る風葉より多し
省みず先生酒量のなきを


 蘘荷溪は市街に咫尺たり。資用供給頗る弁に足る。唯だ欠くる所は乃ち書肆。故に虧乏を覚ゆ。

市肆、渾て閲すべき書なし
論衡、筆を下すも、故に蕭疎
文に臨んで腹を捫で奇古を温(たず)ぬ      ※お腹を温めると温故を掛けてるのかな。
傚はず、李家の獺祭魚             ※カワウソが獲物をひろげるやうに参考書を並べた李商隠のこと。

東濃地方の孔版詩誌   投稿者:やす  投稿日: 2007年10月 6日(土)22時14分45秒    編集済
   鯨書房さんに入荷した大正10 年当時の東濃地方(多治見、恵那)の孔版詩誌数冊をみせて頂く。同人 の名前で見覚えがある のは鵜飼選吉、落合しげる位でしたが、取次店が名古屋東文堂になってゐるものもあってびっくり。「青騎士」創刊前夜の同人誌は珍しく、末尾の他誌消息も興 味深い資料でした。国文学科がなくなった職場では、かういふ資料をコレクション構築する計画が果敢無くなり、まずは大きな公共機関に収まることを願ふばか り。
 気炎吐き続ける「あ・ほうかい」最新号第6号も頂きました。
 ありがたうございました。
 


三好達治の葉書   投稿者:やす  投稿日: 2007年 9月27日(木)11時51分45秒
   先日、何の気なし に「日本の古本屋」サイトを検索してゐたら三好達治の田中先生宛の葉 書がみつかって、破格だったので注 文しました。以前買った伊東静雄の葉書と同様、破格は値段のみならず、破れと、それから今回は染みまであって、これらはすべて後年私が買ひ戻せるやうに予 定調和的破損を蒙ったのだらうか、と勝手に思ひ込んでは喜んで居る次第です(笑)。Book Reviewサイトにupしましたので興味のある方は御覧下さい。  

梁川星巌150年回記念特別展  投稿者:やす  投稿日:2007年 9月23日(日)23時37分23秒
  大垣市主催の 梁川星巌150年回記念特別展に行ってきました。わが所蔵せる贋物のお手本もみられてよかったです(泣)。

U^ェ^U「図録(\700)もあるだに。」

 

寄贈御礼 その二 「朔」鈴木亨追悼号  投稿者:やす  投稿日:2007年 9月22日(土)00時11分8秒    編集済
  「朔」第161号 (朔社 2007.8.20) 圓子哲雄様より
 ※鈴木亨追悼号。1-28p(堀多恵子、小山常子[正孝未亡人]、村次郎[口述記録]、穂積生萩、川田靖子、山本みち子、小柳玲子、圓子哲雄)
 穂積生萩氏の回想が揮ってゐました。戦時中、家庭教師と生徒だった以来の仲とか。意味深長にお互ひの恋心を諷してあっけらかん。決してお婆ちゃんの文章 ではありません。モダニズム詩人澤木隆子の妹と聞いたれば二度びっくり。
 また圓子さんが引かれた村次郎の口述記録のなかで
「俺も彼もだが「四季」より「歴程」に近いのではと思っている。」
 とあるのも、まことに正鵠を射た評言と存じました。
ここにても御礼申上げます。ありがたうございました。


 さて、私にとって鈴木亨氏の訃報は、前号「朔」の後記で触れられてゐたにも拘らず、今回の追悼号がまるで初耳のやうに聞こえたのでした。記事を見落とし てゐたとも思はれず、掲示板でのコメント(4/15付)でも圓子様への御礼状でも触れてゐないことを確かめると、あらためて言葉を失ったのでした。指摘も ありませんでしたし、この詩人と親しくお話しする機会が終になかったのは何か、かうなってみると最初のボタンから掛け違って今日に至ったもののやうに思は れてなりません・・・。
 実は、田中克己先生のところへ出入りしてゐた当時のことですが、先生から伺ったお話のなかで、戦後何かの詩人会の席上で「わたしは四季派ではない」と公 言して憚らなかった鈴木氏にとても憤慨したといふことを聞き及んだ私は、この人に対して些か失望した時期がありました。けだし田中先生にとっては伊東静雄 の教へ子であり、クリスチャンでもあり、つまり身近に感じて当然の条件をもつが故、尚更そのスピーチは「四季」の存在を蔑ろにする背信行為に映ったのだら うと思ひます。戦争詩に手を染めずに戦後を迎へた四季派第二世代の「処世」を感じて私も悲しくなったのでした。
 尤も鈴木氏の発言の真意は、「四季派といふエコールなどは存在しないから私は四季派ではない」といふ程のことだったのかもしれない。しかし角川書店から 出た戦前の「山の樹」の復刻版を知らず、なかんずく『少年聖歌隊』といふ詩人の処女作品集に大いに不満であった私は、たうとう自分の最初の詩集を刊行時に もお送りしませんでした。
 その後田中先生の葬儀で受付に立ったとき、目の前の署名にハッとして顔を上げ、未知の方々と御挨拶を交はしたのですが、鈴木氏が杖を引いて弔問にみえた ことは、意外に感じられたので覚えてゐます。
 日夏耿之介のあとを襲って書かれた明治詩史に驚嘆し、また「山の樹」復刻を手に入れると当時の交歓の様子もわかってきました。しかし非礼を悟ったものの 時すでに遅く、二番目の詩集に対しては礼状も頂けなかった。いつか四季派学会が名古屋で行はれた夏の夜、会員でも無いのに打上げ会場にのこのこ顔を出した ところ、一言「君が中嶋君か。」と一瞥されて縮み上がり、杉山平一先生の陰に隠れてゐたことなど思ひ出します。恐らく田中先生について発表して会誌に載っ た僭越の文章が目に触れたのでせう。
 詮方なきこととはいへ、沢山のお弟子さんに囲まれて幸せだったといふ晩年を伺へば、田中先生の勘違ひに殉じた私はそれでよかったと諦め、今は神の御許で 再会する詩人たちの御冥福をお祈りするばかりです。とりとめない話となりました。
 

はじめまして。   投稿者:やす  投稿日: 2007年 9月21日(金)22時45分55秒
   手皮小四郎さま
 はじめまして。お返事はメールに認めました。訂正情報をありがたうございました。この詩集は250部の発行数ですから、発禁でもないかぎり天下に二冊と いふことはないでせう。しかしモダニズム詩集の人気が高い現今、古書目録に現れても一般人の手の出ない価格が付せられるか、すぐに売れてしまふかのどちら かで、稀覯詩集であることに変りはありません。ですので、当時のモダニズムシーンを語った貴重な聞き書きテープといふのは、是非テキストにおこされ、どこ かの文藝雑誌に発表されたらと存じます。師友との交歓の日々が明らかにされることを望みます。その折には及ばずながら喧伝に努めたく、御一報頂けましたら 何よりです。今後ともよろしくお願ひを申上げます。
 

マルスの薔薇   投稿者:手皮小四郎  投稿日: 2007年 9月20日(木)21時05分31秒
   初めてお便りしま す。
たまたまインターネットで「モダニズム詩」と打ったところ、「四季・コギト・詩集ホームページ」に行き当たり、ままよとばかり「し行」の荘原照子を開くと 「マルスの薔薇」の映像が出てきて驚きました。これは第114号とありますが、中嶋さんの蔵書でしょうか。
 実はぼくもこの詩集を持っているのですが、「マルスの薔薇」がほかにも残存していたということに驚いています。
 2002年6月3日逝去された菊池美和子さんが所蔵されておられましたが、ほかにぼくが持っている第12号しか存在しないものと思いこんでいました。ぼ くのは「日本詩壇」の吉川則比古へ贈呈したものです。
 中嶋様がご存じのことを一報願えれば幸甚です。
 小生は詩誌「菱」(鳥取)「裸足」(岡山)の同人で、学生時代カトリック教会で彼女と出会いました。彼女のことを学友に話したことから、学友と交際の あった毎日新聞鳥取支局の記者の取材するところとなって、昭和42年8月21日の記事となったわけです。

 荘原照子(峠田照子)は解説にある1910年の生まれではありませんし、また松江に行ったのは母の郷里だったからではありません。彼女の誕生日は明治 42年1月16日。山口県防府市三田尻です。
 彼女の聞き書き用のテープをかなり持っています。お役に立つことがあればお言いつけください。
                手皮(てび)小四郎
 中嶋康博様

                             9月19日 深更
 

ありがとうございます   投稿者:池内規行  投稿日:2007年 9月19日(水)22時48分29秒
  やす 様

早速、貴ホームページでご紹介賜わり、ありがとうございます。
お心のこもったコメントを頂き、感謝申し上げます。いつもながらの的確な寸評に、感心いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。
 

寄贈御礼 その一   投稿者:やす  投稿日: 2007年 9月19日(水)00時34分10秒    編集済
  「桃」9月号(桃の 会 2007.9.15発行) 山川京子様より
 ※巻末後記の、世間一般の御年配の慨嘆とは異なるお言葉にハッとしました。けだし今日の七十代といへども戦後に人格形成をされた方ばかりであり、日本人 のお爺さんお婆さんと呼べないやうなひとたちもみかけるやうになりました。茲に「貧しくても清潔で品性の高い日本の国民性」とあるのは、京子様をはじめ、 そのやうな「細やかなくらしぶり」を実践してこられた世代にして説得力のある、言葉を裏打ちする誠実と信念に他なりません。

「北方人」第11号( 北方文学研究会 2007.9.10発行) 池内規行様より
 ※随想「永遠の文学青年」林富士馬先生のこと。 30-35p
 昭和60年刊行の『人間山岸外史』以後、沈黙を守ってきた著者がふたたびペンを執り、ものするのは身近に出会った日本浪曼派の人物たちに関する追想。そ の一回目は山岸外史に詩集序文も書いてもらったといふ林富士馬氏についてです。
 痛ましき共産党時代の詩人から逃げ回ってゐたといふ林氏が、池内様の文章を通じて、やがて自身の回想の空白時代を埋めてゆく喜びに至り、その出版記念会 にも心を砕く姿といふのは、高潔な詩人たちの縁しがなせる業とはいへ、それを記す池内様も、さすがに著者冥利を感じてをられる様子で羨望の限り。
「前略…つまり、今から五十年くらい前に文学少年として、山岸外史さんにこういう会に年 中連れて行ってもらったの を、今日思い出します。あまり顔がはっきりしない人もありますが、小山正孝君だったり大木実君に会えるのもこういう会のおかげです。池内君が本を出したお かげです。文学のあり方がどんどん変っていっていますが、変わらない面もあるように思います。…後略」

 ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。

更新報告   投稿者:やす  投稿日: 2007年 9月13日(木)12時12分3秒
  日塔貞子の初出誌の画 像を奥平玲子様よりお送り頂きました。
木下夕爾の故郷を旅したレポートをアップいたしました。

塋域から南方を眺望。 塋域から南方を眺 望。


まなぐら?   投稿者:やす  投稿日: 2007年 8月31日(金)20時51分50秒
  出張が終はりました。本日は万能 倉といふ土地の、商人宿(?)に宿泊。明日帰還します。落ち着いたら 思ひ出に残る一夕の御報告をしたいと思ひます。ありがたとうございました。おやすみなさい。【携帯より】  


『風景画の窓』   投稿者:やす  投稿日: 2007年 8月20日(月)22時03分48秒    編集済
  中村様

 ヤナギランの群落なんて、霧が峰に咲いてゐるのを心の中でふくらませて『春と修羅』を 読んでゐたものですが、これが群落の実景なのですね。

 さて本日、國中治様より新刊小説集『風景画の窓』(れんが書房新社刊, 2007, 287p ; 19cm)をお送り頂きました。
 以前同人誌「愛虫たち」を読ませて頂きましたが、かうして詩集、評論集とは別に一本にまとまると、いったいあの精緻な四季派詩人の解読が、現代読み物を 書く際にどんな具合に表れるものなのか興味深く、目下の仕事が終ったらゆっくり読ませて頂きたく楽しみです。
 「あとがき」の最後に「杉山先生と同じ時代に生まれ合わせたことは、思えば信じられないほどの幸運なのである。」と締められてゐますが同感、帯に戴いた 評言また羨望を禁じえない感じです。

 ここにても広告かたがた厚く御礼申しあげます。ありがたうございました。
 

ヤナギランの写真です   投稿者:中村一仁  投稿日: 2007年 8月19日(日)23時03分28秒
  やす様

 ヤナギランのことをさらっと書くあたり、さすがです。賢治初心者の私としては、さう申し上げる他ありません。「銀河鉄道の夜」のモチーフになったとされ る線路を、一時間ほど電車で北上しました。線路沿ひはハマナスが今を盛りと咲き誇つてゐました。ユジノサハリンスクの博物館にはチェーホフの資料も展示さ れてゐましたが、あの肺病病みの作家がよくもまあ、あんな囚人の島まで行つたものだなと思ひました。
 栄浜から白鳥湖に向かふ途中の橋から撮影したヤナギランの群生の写真です。斉藤さんも神谷先生も、この風景に感嘆してをられました。
 

(無題)   投稿者:やす  投稿日: 2007年 8月19日(日)21時58分53秒
  中村様 こんばん は。

サハリン行を敢行されたのですね。私の方は北海道ボケにつづく連日の暑さで頭がうまく働 きません。このまま月末はまた出張で不在となります。困りました。

>宮澤賢治にゆかりのある場所
鈴谷平原をはしる木造客車にゆられてみたいです(写真は穂別町の廃駅にて)。ヤナギランの群落、チモシイの穂、すがるの描く抛物線・・・。またサハリンで はチェーホフを偲ぶ旅もできさうですね。

『昧爽』御健筆お祈り申しあげます。
 

残暑お見舞ひ申し上げます   投稿者:中村一仁  投稿日: 2007年 8月19日(日)12時17分14秒
  やす様

 残暑お見舞ひ申し上げます。御健勝のこととお慶び申し上げます。

 穂別では支庁舎や資料室が休みだつたやうで残念でした。記念碑は支庁舎近くの神社の境 内にあります。資料室に
入るには教育委員会の許可が必要です。機会 があれば一度ご覧になられることを強くお勧めします。しかしながら、市町村合併で教育委員会自体が資料室をどう扱つてよいか分からないでゐるやうです。残 念といふ他ありません。
 私は8月5日から8日まで、斉藤征義、天澤退二郎、神谷忠孝の諸氏を含む一行に加はつてサハリンに行つてまいりました。寒川光太郎や宮澤賢治にゆかりの ある場所に足を運びました。しかしそれらの文学散歩以上に、日本との
中立条約を一方的に破棄し、昭和20年8月15日以降も日本側への攻撃を続けた旧ソ連 の暴虐について考へさせられました。軍人のみならず非戦闘員が多数殺害された熊笹峠には旧ソ連の戦勝記念碑があり、日本人遺族はその碑に花輪を手向けてお り、その皮肉に言葉もありませんでした。場所は違ひますが、長尾辰夫の『シベリア詩集』の諸篇が思ひ出されました。今回の旅のこと、そしてそれに先立つて 室蘭や苫小牧で取材した淺野晃の勇払滞在のことは、『昧爽』第16号で書くつもりです。
 写真は9人の女性局員の自決で知られる真岡郵便局事件の現場の跡です。今は高層アパート(?)が建つてゐて、事件当時を偲ばせるものはありませんでし た。
 末筆ながら、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
 

夏休み   投稿者:やす  投稿日: 2007年 8月18日(土)00時00分20秒
   お盆をはさみ、し ばらく北海道日高町にて銷夏の日々。穂別にも行ったのですが、浅野晃 の記念碑を見学しように
も役場はお休み、しっかり調べてからゆけばよかったと後悔しきり、結局資料館は無人で入 れませんでした(写真は宮澤賢治の花壇を模したもの)。

 留守中気がかりだったのはNHKのテレビ番組「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜」と、「硫黄島 玉砕戦 〜生還者 61年目の証言〜」の再放送。うまく撮れてるかな。

 さて南方に向け、悲壮な面持ちで飛行場に降り立ってみれば、やはりそこは史上最高気温を記録した地獄でありました。本日より勤務再開ですが、空調のない 図書館の書庫はまさに擂鉢山のトンネル状態です・・・(苦笑)。
 


どういたしまして   投稿者:池内規行  投稿日:2007年 8月 6日(月)23時12分27秒
  アクレーノスケさま
先日は遠いところ、また暑い中をお越しいただき、ご苦労さまでした。珍しい資料といってはあまりありませんでしたが、喜んでいただいて、小生もうれしいで す。
お互い山岸外史の復権・再評価をめざして、努力いたしましょう。

やすさま
おかげさまで、アクレーノスケさんと対面するに至り、長時間語り合いました。奇宝珍宝というのは過大評価で、多少珍しいものもあるという程度に受け取って おいてください。
山岸外史周辺の人たち(林富士馬氏・川添一郎氏・桜岡孝治氏・佐野竜馬夫妻・長篠康一郎氏など)については、小生だけが承知しているエピソードなどもあり ますので、何らかの形で書き残しておきたいと念じています。
では、今後ともよろしくお願いいたします。
 


残暑お見舞ひ申しあげます   投稿者:やす  投稿日: 2007年 8月 6日(月)23時01分11秒
  >アクレーノスケさ ま
ブログを拝見いたしました。上京・喬遷のお慶び申しあげます。早速池内さまの謦咳に接せられた由、「奇宝珍宝のかずかず」は如何でありましたでせう。いみ じき出会ひにあらためて乾杯です。
さてもさても神保町が近くなりましたね!
 

お礼   投稿者:アクレーノスケ  投稿 日:2007年 8月 6日(月)22時37分42秒
  さる日曜日、世界初 の「山岸外史研究者」である池内規行さんのご自宅にお招きいただき、 ご蔵書やかずかずの奇宝珍 宝に接するという光栄に浴する機会を得ました。これも本掲示板あってのこと。ありがとうございました。

また、この場をお借りして池内さんにもお礼を。大切なお休みのところ失礼いたしました。あらためて今後ともよろしくお願い申しあげます。
 

『初版本』創刊号 / 「あ・ほうかい」第5号  投稿者:やす  投稿日:2007年 8月 2日(木)22時54分15秒    編集済
  ★『初版本』創刊号 たうとう届きました。執筆・関係者のみなさま、お慶び申し上げます。 目次を速報致します。

シベリアを渡った漱石の献呈本 川島幸希 2
優れた火災の完了 詩人塩寺はるよ 内堀弘(:石神井書林主人)16
雪岱本おぽえ帖 第一回 異装あれこれ 平田雅樹 24
三島由紀夫の著者四部本 山中剛史 33
白秋の雀 北原白秋挿画考 樽見博 44
『社会主義詩集』と神のようなコレクター 長田鬼太郎 50
戦前の探偵小説 『日満殺人事件』 若狭邦男 61
書物のリヴァース・エンジニアリング 第一回『地上の祭』、見果てぬ夢の形見 片塩二朗、田中栞、郡淳一郎 66
陰の珍本あれこれ 山口哲司 78
「椎の木社」の本 征矢哲郎 87
雑本蒐書録 其之壱 彭城矯介 98

三島由紀夫の稀覯雑誌 『故園』と『シリウス』 東原武文(:扶桑書房主人) 104

『初版本』創刊号 2007年7月30日人魚書房刊行(責任編集:川島幸希)300部予約頒布本(\1000)

【メモ】
戦前浜松のモダニズム詩人、塩寺はるよの遺稿詩集『化粧匣の都邑』の書影がついに明らかに。内堀さんの文章、いつもながらのツボを押さへた語り口で読ませ ますね。

    水色のランプ    塩寺はるよ

この誇を傷めまい
あなたの耳朶に搖られて石像はやさしく
葡萄畑におり立たう
にはかに歸る人聲が聞えると
影の人の
夜の會話は吐切れました


【メモ】
椎の木社刊行の遺稿集、『曇日に』昭和15年(増田晃編 広島刊)の著者室川創は、『詩鈔』巻末の紹介では別名増田潤二(明治38年 広島生れ)となって ゐる(HP参照)。十歳年上だが増田晃の眷属だらうか。後記をみれば分るのだらうが、利子未亡人にも訊ねてみたいところ。

【メモ】
三島由紀夫の詩「春の狐」を創刊号の巻頭に載せた同人誌『故園』(昭和18年2月創刊、2号:昭和18年4月、3号:昭和18年6月)について。発行者稲 葉健吉は翌年『故園の花』といふ処女詩集を出してゐますが、序文を蓮田善明と、雑誌の題字を書いてもらった丸山薫に依頼してゐます。蓮田善明(教授)と書 いてゐるのは師弟関係だからでせう、その縁故で三島由紀夫の原稿を得たのではないかとは東原さんの推測です。ほか雑誌に詩を寄せる金沢肇、牧章造、田中光 子などはみな四季の投稿者、2号には山川弘至の名も虫眼鏡でなんとか確認できました(汗)。

    日ぐれの歌    稲葉健吉 (『故園の花』より)

子供の殘して行つた紙鳶(たこ)
そいつを しつかとにぎつて
ひろい競技場(グランド)を 突つ走つた
風はあるのに かたくなにも紙鳶は
地面を噛んで 上らなかつた
そのとき
君は じいつと瞳をこらして
蒼空の果てをながめてゐた――(後略)



B5版112pオールカラー…ともかく世の中に300人だけが読むことのできる破格の贅沢雑誌です。週末にじっくり。



★また「あ・ほうかい」第5号を鯨書房さんより御寄贈いただきました。ありがたうございました。
実存とがっぷり四つに組んだ激しい自論が開陳されてゐますが、想ひ描かれた「文学」に沿って詩人にないものねだりをしてゐるやうなところもあり、今回の過 激な詩と詩論は、私のやうな四季派および漢詩文の日和見愛好者には理解がおよびませんでした…。
 

『山高水長図記』   投稿者:やす  投稿日: 2007年 7月28日(土)11時46分45秒    編集済
  【今週の買ひ物】
『近代文人のいとなみ』で紹介されてゐた鴻雪爪の漢詩文集『山高水長図記』が誠心堂書店 より到着。なるほど図版が多く、文中欄外にあらはれる交友関係も、 村瀬藤城なきあと幕末明治の美濃漢詩壇の掉尾を飾った小原鉄心を中心にした美濃大垣方面の人物に集中してをりました。値段も高額でなく、さきにもとめた 『亦奇録』とともに、むしろ詩集より面白さうな感じがします(あくまでも感じ(笑)はやく読みこなせるやうになりたいね U^ェ^U)。

写真は小原鉄心とともに大垣全昌寺にある墓碑(2006年11月撮影)。
 

『昧爽』第15号 / 『近代文人のいとなみ』  投稿者:やす  投稿日:2007年 7月20日(金)22時33分23秒
   『昧爽』第15号 の御寄贈をかたじけなく致しました。
 斉藤征義氏・中村一仁氏の浅野晃論。前者は左翼活動を中心にそれに挺身する妻千代子の 生ひ立ちに触れ、後者の評伝は対米英開戦ののち空襲、疎開に至る非 常の時にあった詩人の動静を追ってゐます。なるほどと思ったのは、詩人が宣伝班員として南方へ赴いたときに、乗ってゐた輸送船が撃沈され、命からがら脱出 した経験が後年の『天と海』へ昇華したといふ中村氏の指摘。田中先生が徴用となった第二班と較べ、この第一斑目の派遣はまさしく戦線の伊吹とともにあった 訳で、現地における熱烈な歓迎も、その時点では全く大東亜共栄圏の趣旨に違ふところのない「解放軍」に対してであったもののやうです。特集は「物語の復 興」。
 ありがたうございました。
   『昧爽』(中村一仁・山本直人氏共同編輯)
   編集部:nahoto@wf7.so-net.ne.jp (@は@です)

【本の紹介】

『近代文人のいとなみ』(成田山書道美術館 監修2006.11 \2800)。 写真多数。日本の漢詩文愛好者には必携の一冊となるでせう。収録された幕末明治の文人達は「秋月古香、浅井柳塘、有島生馬、石川鴻齋、板 倉槐堂、巌谷一六、江馬天江、鴻 雪爪、大沼枕山、岡本黄石、奥原晴湖、小野湖山、川上冬崖、川田甕江、岸田劉生、木戸松菊、日下部鳴鶴、草場船山、神山 鳳陽、小曽根乾堂、児玉果亭、小山正太郎、菅原白龍、杉 聴雨、杉渓六橋、宗 星石、副島蒼海、田近竹邨、谷 如意、田能村直入、千原夕田、長 三洲、富 岡鉄齋、内藤湖南、長尾雨山、永坂石、中村敬宇、中村不折、夏目漱石、西川春洞、貫名菘翁、野口小蘋、日根対山、前田黙鳳、松林桂月、森 槐南、森 春 涛、安田老山、山岡米華、山中信天翁、山本竹雲、吉嗣拝山、依田学海」

「桃」「季」   投稿者:やす  投稿日: 2007年 7月18日(水)21時27分52秒    編集済
   山川京子さま主宰「桃」、関西 四季の会「季」をお送りいただきました。

「桃」と一緒に同封いただきました松本和男氏の論集「伊良子清白『孔雀船』とその後」には写真を多く収め、郡上の記念館もふくめて見開きで頁が割かれてあ り、うれしく拝見。

 また杉山先生のこのたびの新作には心が温まる思ひです。久しぶりに同人みなさまの平易闊達の詩文にふれて嬉しく存じました。

 ここにても厚く御礼申上げます。


 わからない       杉山平一

お父さんは

お母さんに怒鳴りました

こんなことわからんのか


お母さんは兄さんを叱りました

どうしてわからないの


お兄さんは妹につゝかゝりました

お前はバカだな


妹は犬の頭をなでゝ

よしよしといゝました


犬の名はジョンといゝます
 


七夕入札会ほか   投稿者:やす  投稿日: 2007年 7月14日(土)22時46分51秒    編集済
   先週は上京して明 治古典会七夕入札会の下見展覧を久々に見学、近代文学の直筆や漢詩集 など眼福に与る楽しい週末を過ごし ました。四季派の出物では、宛名を消した神西清宛『暁と夕の歌』、見返しにびっしり詩篇が書き込まれた『春のいそぎ』などなど。朔太郎の葉書の文面には失 笑しました。漢詩ものでは加納の儒者長戸得斎の紀行文集『北道遊簿』や『黄葉夕陽村舎詩』、梁川星巌の肖像掛軸(真贋不明)など。
 また田村書店で詩集を買ったのもしさしぶりです。『場末の子(難あり)』\6500、『物象詩集』函・名刺つき\4000、『山の祭』 \6500と、珍しく四季派づいた買ひ物。なんでもまとまって入荷したやうで、今後しばらく入れ替はりするだらう詩集棚に未練たらたらで帰ってきました。
 「ぽえむ・ぱろうる」のなくなった池袋西武に、小宮山書店の支店ができたのも知りませんでした。詩集コーナーもあって割と廉価。以前神保町でみた北園関 係の展示物が、すべてこちらの飾り棚に移ってゐるやうです(こちらは超高価)。

 帰ってきましたら相変らず、疲れ目で本を読む気力がおこらないやうな有様で、閉口してゐます。連休唯一の休みの明日は、静かに雨だれに聴き入りながら寝 てゐたいものですが、台風なればそんな悠長な感じでもなささうです…。


菫川千童『譚』 / 『加藤千晴詩集』  投稿者:やす  投稿日:2007年 7月 2日(月)22時35分35秒    編集済
   先日、満州で発行された『譚』 といふ稀覯詩集についてレファレンスを頂き、ネット上の情報をお伝へ したところ、その高額 の古書を入手された御遺族の方から、御丁寧にも礼状と共にコピーをお送り頂きました。ありがたうございました。早速書影とともに貴重な内容をupさせて頂 きます。
 御存知のやうに満州の刊行物は戦後引き上げ時に携帯を許されず、国内に現存する本は寄贈もしくは敗戦以前に持ち帰られたものに限られてゐます。況や昭和 16年わずか21才で仆れ、刊行された部数もたった100冊とあっては、後世ほとんど知られることなく、長らく古書店の間で語り草として伝承される「幻の 詩集」に祀り上げられてゐたのも仕方なかったかもしれません。余白を活かした活字配分の意匠は、昭和初年のモダニズム詩集を髣髴させ、一読またイメージと 語彙の豊富さに驚いてゐるところです。十代の少年が書いた詩集と聞いては天才を感じざるを得ません。
菫川千童(遠藤美津男)詩集『譚』1939 年 満州文学同人(新京) 限定100部刊行

 それから山形酒田市の加藤千晴詩集刊行委員会(齋藤智[さとる]様)より、頒布が既に終了した詩集の残部を無理に分けて頂き、また続編Uの寄贈にあづか りました。仲立ち頂きました池内規行さまのおかげです。ともに厚く御礼申し上げます。
 私はこの詩人の名を、『観音』といふ詩集をもってゐたので女性とは思はなかったけれども、男であるがゆゑに却って本名であると、そして世代的にも日塔聰 などと同じく四季派第二世代の人かと思ひ違ひをしてをりました。このたびの集成に添へられた解説・回想によって、詩歴は長く大正末年にまで遡ること。つま りさきの菫川千童とは反対に、大成を期して孤独に沈潜、詩作に刻苦した結果、竟に何ものかに開眼したところで失明、失意に斃れるに至ったといふこと。この 詩人についてはいくつかの謎も蟠り、いづれ一文を草したいものと考へてをりますが、しばらくお待ち下さい。

 いろいろ読みたい本、紹介したい本がたまる一方で、スケジュールを眺めては、すでに若い日の夏休みのやうな気持に自ら陥ってをります(笑)。
 といふのも今月から職場に欠員が生じ、図書館業務を一人できりもりすることになりました。利用者にも面目ないことですが、心に余裕がないので、折角家に 帰って本に向っても気が急くばかりで、詩なんぞといふものに当っては、菲才ながら外史氏同様「雑駁な気持でこれを読んだり忙しい気持でその稿を繰りひろげ たりしてゐたのでは正しい感受が起こらない」(『詩 集8人』序)のであります。
 事情お含み頂きましてホームページの更新については、何卒長〜い眼で御覧頂けましたら幸甚です。

 目録多数拝謝。ことにも本日到着、落穂舎古書目録の山本文庫(『林檎みのる頃』\40,000『ランボオ詩抄』\35,000ほかドッサリ)は見もので した。『ヒアシンスと花薔薇』\7000は安いと思ひます。