も どる
2007年1-6月 日録掲示板 過去ログ

梅雨晴れに碍子かがやく庇かな  投稿者:やす  投稿日:2007年 6月15日(金)08時23分41秒    編集済
  丸山薫研究会(豊橋市文化市民部 文化課)より会誌「ランプの灯りに集う」Vol.3
個人向けに送って頂きました。ありがとうございました。

「月の輪書林古書目録15 三田平凡寺」目録の域を越えた内容。写真も豊富なので職場の図書館で資産外の寄贈資料として登録させて頂きました。ほかに「石 神井書林古書目録」Vol.72「新村堂書店古書目録」89号到着、『春と修羅』\89,250(難波田龍起旧蔵)は早速売れてしまったとか。(・ω・ `)

「日本古書通信」935号到着、川島さんから今度出される古本雑誌『初版本』についての予告。対談形式でおもしろく紹介されてゐます。すでに予約〆切され てゐる雑誌ですが、どうしても手に入れたい人は、さきの石神井書林目録から何か買って希望すれば先着20名限定で申し込めるさうです♪
 


庇をお借りしっぱなしですが   投稿者:アクレー ノスケ  投稿日:2007年 6月10日(日)20時21分0秒
  池内規行 さま

ご丁寧なお返事、ありがとうございます。こういうお話をずっとお伺いしたかったので、ほんとに感無量です。愚生に上京の機会でもあれば、ぜひいちどお時間 をいただければ、こころよりうれしく存じます。『正岡子規』だけは一度も見たことがなかったんですが、未刊だった(らしい)ということですね……。山岸の 著作自体が少ないので、すこし寂しい気もしますが、了解いたしました。

あとひとつだけ、愚生が田村書店でご高著を入手できた理由が、あまりにも明快だったのでびっくりいたしました (^_^;)。。。そういえば、碓井雄一さまとこの掲示板で知遇を得ましたのも、田村書店で入手した何冊目かの山岸著『芥川龍之介』が、林修平(林富士 馬)宛の著者献呈本だったからでした。なんとも奇縁を感じる次第です。

このたびはありがとうございました。今後ともなにかとご教示くださいますよう、お願い申しあげます。また拝眉の日を楽しみにしております。

やすさま
どうもいろいろありがとうございました〜。
 

改版『雪に燃える花 日塔貞子の生涯』  投稿者:やす  投稿日:2007年 6月10日(日)20時16分49秒    編集済
  池内さま
アクレーノスケさま


  「占拠」なんてとんでもありません。いろいろ初めて聞くことばかりで、この掲示板に 記されたことが光栄です。本当言ひますと、勝手にリンクしておきな がら、アクレーノスケさまからもレス頂けるかなーと、お待ちしてをりましたから(笑)。同好の士の通交が始まることを祈ってをります。まずはお礼まで。

 丸山薫のこと書いてをりましたら、かねて予告のありました『雪に燃える花 日塔貞子の生涯』の改訂版が届き、にこにこ顔のパニックに陥ってをります (笑)。 今度は巻末ポケットに別冊付録つき。寒河江の奥平玲子様、ありがたうございました。とりいそぎ掲示板上での御報告と御礼。増田晃について書くの はも少し後に延びさうです。

 改版『雪に燃える花 日塔貞子の生涯』ISBN:9784990339029
   安達徹著 2007.5.30寒河江印刷「桜桃花会」刊行
   上製カバー325p
    + 別冊[10p]「手紙 柏倉昌美から安達徹へ」
    + 別刷家系図1枚

 

たびたびですみません   投稿者:池内規行  投稿日:2007年 6月10日(日)17時45分41秒
  やすさま
 たびたび、やすさまのDiary欄を拝借して(というよりは占拠しているようで)、相すみません。四季そしてコギトの詩人山岸外史に免じてお許しくださ いますよう、お願いいたします。

アクレーノスケさま
 ご丁寧なご挨拶をありがとうございました。悪麗之介氏のブログはときどき拝見しておりますので、『煉獄の表情』の紹介文や、山岸藪鶯についての記述は承 知しておりました。いやー、これは強敵が現れたなと思っていました、というほどの競争心はありませんが、資料が蒐集しにくくなるなとは思っていました。し かし、山岸外史を評価する人が一人でも多く現れるのは心強いですし、私の名前と『評伝・山岸外史』の名を挙げてくださっていますので、うれしくありがたい ことと感謝しております。ちなみに、山岸藪鶯の『空中軍艦』など、見たこともなく、あなたのブログの写真で初めて目にしました。
 サーニン氏のお名前も、他のブログで承知しておりましたが、お二人が同一人物だとは気付いていませんでした。

 さて、『評伝・山岸外史』は、山岸外史のご長女晶さんのご主人佐野竜馬さん(中央公論社の取締役)のお骨折り・ご援助で一冊にまとめられたものでした。 自分で申し上げるのは気が引けるのですが、同人誌「青い花」に連載中から割合内外での評判がよく、一冊にまとめなければいけないかなと考え、同人の先輩須 田兼吉氏(筆名:須山哲生、当時は、すばる書房の編集長)の紹介で別の出版社から出そうということで、序文も青山光二先生の了解をいただいていました。青 山先生は、直接山岸さんとの縁はありませんが、私が直接師事し尊敬する作家でしたので、おそらくわが生涯で唯一の本の巻頭を飾っていただこうと考えていた のです。
 そこへ、佐野さんから「友人が新しく出版社を始めるので、自分も援助するからそこから出さないか」というお話があり、須田さんにも断わったうえで、万有 企画から刊行することになったものです。なにせ佐野さんはプロ中のプロの編集者なので、佐野さんの装丁・造本によりあのような立派な本が出来上がったもの です。
 表紙には、川添一郎さんが所有していた彫刻家本郷新描くところの山岸外史の肖像画を拝借し、ウラ表紙のカットには佐野さん所有の阿部合成の絵を使ったも ので、本郷、阿部のお二人とも山岸外史に縁の深い芸術家なので、よくぞ実現したものだと、この上ない幸せを感じました。ただし、川添さんからは「池内く ん、この絵は喜んでお貸しするが、山岸先生はこの絵を嫌っていたよ。本郷さんに描いてもらったけど気に入らないと言って、ぼくが先生からもらったものなん だ。最初本郷さんの落款は押してなかったんだけど、山岸先生からもらったその足で本郷さんの所へ駆けつけ、落款を押していただいたんだよ」との注釈があり ました。
 なお、この絵の山岸外史の鼻の先が尖っていますが、最初本郷新の描いたものは鼻先がもっと丸かったのを、山岸さんが気に入らず、元の線を消して修整した 結果このようになったそうです。天下の彫刻家本郷新の描いた絵に、簡単に手を加えてしまうところに山岸外史の奇人振りがうかがわれます。
 この本にはお二人の方の跋文が載っていますが、山下肇先生には私から、林富士馬先生には佐野さんからお願いした後私からも直接お願いして、快諾していた だいたものです。お二人とも序文は固辞されて、跋文が二つになったものです。
 こうして『評伝・山岸外史』が1000冊出来上がったのですが、最大の誤算は当初の話と違って、万有企画が書籍の卸会社に口座を持てなかったことでし た。流通経路に乗せることができなかっかた『評伝・山岸外史』は、大量に売れ残る結果となり、というよりはほとんど売れず、初期費用に加えて更に在庫の大 量買取により著者に打撃を与えるという結果に相成ったものです。
 このように、主人公の山岸外史と同じく不遇な『評伝・山岸外史』ではありましたが、読んでくださった方からの評価は高く、見知らぬ方からの賛辞の手紙も 届くなど、感激を味わったものでした。
 そんな中にアクレーノスケさんもいらっしゃったのですね。田村書店さんとは、本の売買を通じてだけではなく、私が中学校と大学の後輩になることなどから 好意的に接してくださって、当初何冊かをお店に置いてくださったものです(もちろん先輩用には1冊謹呈しました)。いつでも持ってきていいよ、とおっ しゃっていただくのですが、お店の棚に並んでいるのを見るのがつらく、ほんの最初だけでした。同様に扶桑書房さんにも1冊謹呈し、3冊ほど買い上げていた だきました。そういうわけで、田村書店さんでお買い求めいただいたのだと思います。
 この20年間一貫して置いていただいているのは、けやき書店さんです。けやき書店の隠れたベストセラー(^.^)なのです。というのは冗談で、この20 年で30〜40冊くらい売れたのでしょうか。しかし、著者としては大変ありがたく、けやき書店さんには頭があがりません。

 『煉獄の表情』について書きたいことなどもありますが、またまた長くなっておりますので(やすさま、ゴメンナサイ)、『正岡子規』について記して終わり にします。
 『正岡子規』は結局刊行されなかったようです。山岸外史年譜の昭和22年の項に載せた不明をお詫びして訂正しなければなりません。最近も若い方が山岸外 史と太宰治の二人の年譜を作るというユニークな試みをなさっているのを知り、参考文献の一つに拙著を挙げていたので、あわてて訂正のメールを差し上げたこ とでした。(アクレーノスケさんと同様、10代で太宰治への傾倒から山岸外史に関心を抱き、まだ大学1年生という多才・多感な若い方です。)
 脱線しかけましたが、『正岡子規』が刊行されなかったとの結論に至ったのは、次のように関係者の方から証言をいただいたからです。
 まず、南風書房に縁の深かった眞鍋呉夫氏に、『正岡子規』刊行の広告の載った雑誌(詩風土)のコピーを同封した手紙を差し上げて尋ねたところ、「自分の 記憶では刊行されなかったように思うが、確かなところは南風書房で編集実務を担当しており、のちに北川晃二氏(亡)と結婚した北川冨美子さんに照会したら はっきりすると思う」と北川冨美子様を紹介していただきました。そこで九州の筑紫野市にお住まいの北川様にも同様に手紙で問い合わせたところ、「御申越の 山岸外史先生“正岡子規”は広告にあるように予定はあったと思いますが、刊行は出来ませんでしたので、真鍋さんの仰る通りだと存じます」とのお葉書を頂戴 しました。そこで、長年にわたる疑問も解け、刊行されなかったことがはっきりした次第です。

 以上、特に発表の場を持たない身でありますので、やすさまのお人好しをいいことに、またもやダラダラと書きつづってしまいました。やすさま、申し訳あり ません。そして、ありがとうございました。
 それでは、アクレーノスケさま、ご懇篤なご挨拶に再度お礼申し上げ、今後ともいろいろご教示たまわりますようお願い申し上げまして失礼いたします。

『評伝・山岸外史』にことよせて  投稿者:アクレー ノスケ  投稿日:2007年 6月10日(日)00時53分39秒
  やすさま
碓井雄一さま
 こちらではすっかりごぶさたしております。そのあいだに大変なことになってるんですね……。やすさんには拙ブログの1コーナーにリンクを貼っていただい たようで、恐縮しています。ありがとうございます。

池内規行さま
 遅ればせながら、はじめてのご挨拶をおゆるしください。愚生が碓井さんのおっしゃるサーニン、やすさんが参考としてあげてくださったブログの管理人、悪 麗之介と申します。愚生もご高著『評伝・山岸外史』から大きな感銘を受けたもののひとりです。以下、少しばかり自分語りのスペースとお時間を頂戴できます でしょうか。

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 愚生がはじめて山岸外史の著作を手にしたのは、ご多分に漏れず『人間太宰治』でした。これは、ぽやぽや頭の高校生にかなり密度の濃いショックを与えまし た。さっそく書店で入手可能な山岸の本を探したところ、新刊で入手可能だったのが、太宰治論2冊をのぞけば、木耳社版『人間キリスト記』と第四次『四季』 のBN(欠号あり)でした。それらはとにかくすべて入手して、そのころようやく勝手がわかりかけてきた古書店で、偶然(奥付が欠けていたため均一台で)入 手したのが『煉獄の表情』だったのです。
 これにはすっかりノックアウトされました。もうとにかく山岸の他の著書はずべて読まないと――と思っていたところ、大学受験のため上京中に立ち寄った神 田の古書店(田村書店です)で入手したのが、『評伝・山岸外史』でした。1986年ころのことなので、ご高著が刊行されてしばらくのことだったのでしょう か。本当に、むさぼるように拝読させていただきました。ところどころの表現などは血肉化してるかも……というほどです f(^_^;)

 大学入学後はもう授業などには出ず、もっぱら図書館で資料探しかアルバイトばかりしてたのですが、その大学には山下肇氏が勤務していることを知り、ご高 著を携えてお話をうかがおうと押しかけたことも思い出されます(その顛末についてはちょっとここには書けないのですが……)。

 とにかく愚生なりに、よたよたと、ご高著『評伝・山岸外史』を手に、山岸の著作や掲載誌を探し求めたり、またその父・山岸薮鴬への関心を深めたりして、 のちに京都の大学院に入院したあとは、ある研究会で発表したりもしました。そうした際にも、ご高著はいつも、文字通り愚生の座右の書でした。愚生は詩につ いてはまったく門外漢なのですが、(やすさんもレヴュウされていますが)四季派をはじめとするさまざまな詩人を知り、自分自身の裾野が広がった思いがした ものでした。

 愚生もいちおう研究者のはしくれ(だったの)ですが、池内さまのお仕事に追いつけ追い越せの気持ちで、なにか書き残すことができれば、そのときあらため てご連絡させていただくなり、あらためていろいろご教示いただけたらなあ、などと都合のいいことを思いつつ、紆余曲折あって現在にいたってしまった次第で す(現在は大学の研究者ではありません)。
 このような機会に、なにか庇を借りて云々の気もなくないまま、ずうずうしく自己紹介をさせていただきました。本掲示版の読者のみなさまはじめ、お目汚し の点はあらためてお詫び申しあげます。

『評伝・山岸外史』をこの20年近く愛読して参りましたものとして、いろいろとお伺いしたいことなどもあり、もしもご迷惑でなければ、今後ともご高配賜れ ば幸甚に存じます。あらためましてどうぞよろしくお願い申しあげます。

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 余談ながら、レヴュウ欄に掲出された山岸の著作一覧で『正岡子規』がありませんが、これは未刊だったのでしょうか? 愚生の手にある山岸外史の著作は、 『新イソップ物語』初版(戦後版はあるんですが)と『眠られぬ夜の詩論』の再版(?)以外はすべて揃っているようで、すこしばかり安堵したことでした…… f(^_^;)
 


『詩集8人』について   投稿者:池内規行  投稿日:2007年 6月 8日(金)00時52分19秒
  やすさま
 こんばんは。
 取り急ぎ『詩集8人』について記します。
 正式なタイトルは、『詩集8人』です。“8”は漢数字の八ではなく、算用数字です。ただし、背表紙は「詩集8人」となっていますが(発行者や発行所など はなく、タイトルのみです)、表表紙には中央に大きくコーヒーポットのような絵が描かれ、左上に縦書きで「詩集」とあり「8人」の文字はありません。中扉 には横書きで「詩集8人」とあります。
 内容は、山岸外史の序文「洋燈に灼らされた言葉」に続いて8人の作品(詩)が載っていますが、その氏名と始まりのページは次のとおりです。

 川添 一郎・・・・・  4
 吉野  實・・・・・ 34
 村上道太郎・・・・・ 60
 野口 儀道・・・・・ 80
 秋田  彰・・・・・110
 關 須美夫・・・・・116
 末長  通・・・・・128
 小野 英幸・・・・・136

 最後のページは、141ページで「編輯後記」と奥付になっています。「編輯後記」は大きく二分され、前半の最後に(川添記)、後半の最後に(吉野、村 上、野口記)とあります。
 奥付の最初に、詩集8人 非賣品 とあります。発行年月日は昭和十七年十一月廿五日、編輯兼発行者は、東京市本郷區元町1の2 加藤方 野口儀道、発行所は、詩集8人発行所で、その住所は、東京市本郷區元町1の2 加藤方 野口儀道内、となっています。
 なお、並製、カバーなしの本で、サイズは縦21センチ、横14.8センチです。

 具体的な中味につきましては、いずれコピーをとるか何かの方法ででも、お目にかけたいと思います。

 桜岡孝治さん、川添一郎さん、林富士馬さん、長篠康一郎さん、あるいは山岸外史の長女晶さんとそのご主人佐野竜馬さんなど、懐かしく想い出されます。桜 岡さんの消息は判りませんが、桜岡さん以外の方は皆さん亡くなられてしまいました。できれば何らかの形で、思い出など書きたい気もいたします。
 せっかくですから、桜岡さんの本をめぐる山岸さんとのエピソードを一つ。
 桜岡さんの著書『テラ・インコグニタ』(昭和46年3月、光風社書店刊)に山岸さんが14ページの長きにわたって序文「序文として」を書いていますが、 これは桜岡さんが山岸さんに「1枚につき00円の稿料をお支払いします。何ページでも構いませんから序文を書いてください」と頼んだことにより、400字 詰原稿用紙30枚以上という異例の長さになったそうです。これなどは桜岡さん流の、師外史への尊敬と愛情の示し方だとうなづけ、微笑ましくなります。
 例によってキリがありませんので、このあたりで失礼します。
 今週は明日もう一日働いて、9日(土)は長篠さんを偲ぶ集いに参加する予定です。
 どうぞお元気でご活躍のほど、念じ上げます。
 

「ランプの灯りに集う」Vol.3  投稿者:やす  投稿日:2007年 6月 7日(木)21時58分45秒    編集済
   さて本日、丸山薫 研究会(豊橋市文化市民部文化課)から会誌「ランプの灯りに集う」 Vol.3の寄贈が図書館にありまし た。これも職場に国文学科があったころ、詩の講義をされてゐた冨長覚梁氏が代表をつとめていらっしゃる会なのですが、今回の会誌には拙掲示板でも告知しま した愛知大学で行はれた昨年の会合「丸山薫の魅力」における八木憲爾氏の講演録が収められてゐて貴重です。生憎仕事で参加できませんでしたが、今後丸山薫 を語る際には避けて通れないやうな創見をお話しされたやうです。冒頭に、
「それは兎も角、従来「丸山薫を語る」となると、まずその出自、それに絡んだ解説や鑑賞 がなされてきました。が、それらの多くは、私にはピンとこなかった。」
と世の丸山論のピントはずれ(それは「四季派=消極的戦犯詩人」とみなした戦後現代詩人達の、彼を批判の俎上から救はうとした成心も含んでゐるやうに思ひ ますが)を牽制してをられますが、それに続くお話では
「萩原朔太郎、丸山薫、稲垣足穂、江戸川乱歩、この四人は藝術の上で、同じ血筋」
「果たして、丸山薫は、その影響を――モダニズムの洗礼を、強く受けただろうか。私には思い至らないのです。そのように見えるものは、薫が天性持っていた ものではなかったか。これは大切なことで、いままでいわれてないことですが、薫には、生来、シュールレアリストの気質が多分にあった、といってもいいかと 思います。」

と、出版のお世話にはじまり、詩人と家族の身近にあって一番に気を許された人ならではの卓見が並ぶのです。ことにも詩篇「汽車にのって」の解釈は見事とし か言ひやうがなく、
「汽車に乗って、あいるらんどのような処へ行けますか。船に乗って、ではないのです。悲 しい少年の、愉しさをあこがれる、あどけない空想だからです。それゆえに、ついで「窓に映った時分の顔を道づれにして」とくるのです。」
といふところは読みつつ胸が熱くなってしまひました。
 続きはまたブックレビューに(笑 こればっかり)。

 写真は復刻版『帆・ランプ・鷗』(1965 冬至書房版)の扉に入った識語。
 

 

『詩集8人』   投稿者:やす  投稿日: 2007年 6月 7日(木)21時56分13秒
  >池内規行さま
過分のお言葉を賜り、恐縮するとともにそんな風に云って下さるとやはり嬉しくて仕方ございません。

 相馬教授は職場に国文学科があったころ、私が教務課にをりました時分に、御自宅のある信州追分から二週間に一度、下界に降りてこられ、また高原に帰って ゆかれるといふ、大変羨ましい身分の先生でした。深くお話する機会もありませんでしたが、それでも『夜光雲』を出したことをお伝へしたら二つ返事で買って 下さいました。浩瀚な評伝の著者らしく鷹揚な優しい感じの先生でらっしゃいました。

 さて掲示板にございました『詩集8人』は初耳です。書誌が国会図書館サイト他でもみつからないので、どんな本なのか興味津々。詩風も典型的な日本浪曼派 第二世代によるアンソロジーなのでせうね。探して読んでみたくなりました。型破りの詩人たちの逸話、桜岡孝治氏の話ももっとお伺ひしたいところです。私が 知るのはほか、伊東静雄の葉書くらゐしかありませんから(いま玉英堂のHPに写真が出てゐますね)。

ありがとうございました。
 

Book Review ありがとうございました  投稿者:池内規行  投稿日:2007年 6月 6日(水)23時25分43秒
  やすさま
 「Book Review」感銘深く拝見いたしました。これほど詳細に好意的にご紹介くださり、また、やすさまの直截なご感想を賜わりましたことに対し、心からありが たく厚く御礼申し上げます。こんなことなら、20年前に差し上げておけばよかった、というのは冗談ですが、やはり“該博な知識”と鋭い洞察力、柔軟な感性 に裏付けられた的確なご指摘・ご批評に、感心したと申し上げたいと思います。(該博な知識も、単にひけらかしたり、他の人を冷やかしたり、揚げ足を取った りする匿名のある種の人たちの場合は、“該博な痴識”とでも言っておきましょう。)また、一方的にお送りした情報を上手に取り入れて、よくぞ要領よくまと めてくださったことと、感服いたしております。
 太宰治をめぐる山岸外史・長尾良組と、井伏鱒二・相馬正一氏組との懸隔について触れた拙文に着目され、支持していただいたのは嬉しかったです。このあた りは、私に外史伝を書かせた大きな動機のひとつなのですから。
 やすさまは、桜岡孝治氏に目を留めておられますが、桜岡さんはずいぶん血の気が多く、喧嘩っ早い詩人で、林富士馬さんとも長い間絶交状態が続いたようで す。また、桜岡さんは千葉県の鎌ヶ谷で養鶏業をなさったり、町会議員を務めたりされたとのことです。
 山岸外史は「詩人の奇矯癖は、あえて怪しむに足りない」という人ですから、周辺には奇人めいた人もいたようです。碓井雄一様が「プシケ」から探し出され た山岸さんの「馬の鈴」に出てくる吉野實という詩人などは、女物の着物に赤い腰紐一本を締めて現れるなど、山岸さんが呆れるくらいの奇人だったようです。 この女物の着物のことは、山岸外史のお弟子さんの川添一郎さんも書き留めておられます。この川添一郎や吉野實、野口儀道、村上道太郎など8人の詩人が、 『詩集8人』という本を出しており(昭和17年11月、詩集8人発行所)、山岸さんが「洋燈に灼らされた言葉」という序文を書いています。
 まだまだ書き足りない気がしますが、キリがありませんので、今日はこのあたりで止めます。それにしましても、本当にこの本をまとめておいてよかったと、 つくづく感じます。新しい交友の輪が広がり、やすさま、碓井さま、皆様から新しい情報や刺激を頂いています。これもインターネットのおかげなのですが、太 宰治を愛読する若い人が『評伝・山岸外史』をよく読んでくださっているのを知り、大いに勇気付けられています。
 やすさま、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

出張より帰還致しました。   投稿者:やす  投稿日: 2007年 6月 1日(金)17時40分11秒    編集済
  >池内規行さま
「Salon de書痴掲示板」が終了してからHNによる表立っての書き込みは歇みましたが、過去ログをみて頂ければ分かりますとほり、「該博」など云はれるとコレク ターや古書店主達の失笑が聞こえてきさうです。著書で紹介されてゐた長篠康一郎氏が今年逝去された由、御冥福をお祈り申上げます。

>碓井雄一さま
上野の聚楽にてコーヒー一杯で二時間も話し込んだこと(笑)すっかり失念してをりました。1998.2.22・・・もう十年も以前のことになるのですね。 米倉巌氏の著書では他にも『四季派詩人の思想と様式』のなかで、杉山平一先生のことを対談とともに取り上げてをられるのが貴重に存じます。

 思ふに山岸外史、林富士馬、田中克己と三者三様、イッコク故に世間と扞格をきたした述志の文人を選んで師と仰いだことが、結局は自身に対する支へとな り、また新しい出会ひのきっかけともなってゐるといふのは、誠にいみじき縁しであるやうに存じます。今後ともよろしくお願ひを申上げます。

 出張先で立ち寄った古書店では、戦後まもなく刊行されたにも拘らず、徒花のごとく増田晃への愛慕を表明してゐる奇特な詩集に遭遇しました。 詩人は庭園史研究第一人者の血統。詩集の表題は萬葉集冒頭の御歌に喚起された詩篇からでせう か。
 


改めまして。   投稿者:碓井雄一  投稿日: 2007年 5月31日(木)20時53分48秒
  池内さま。高著、本 当に興味深く(躍動的な記述を)拝読致しました。実は、拙誌につきお 問い合わせいただきましたのが、池内さまが初めてでしたので、このことも本当に嬉しいことなのです。どうぞ、今後とも御教導を賜りますよう、お願い申し上 げます。
やすさま。御迷惑をお掛け致しましたこと、衷心よりお詫び申し上げます。また、有難うございました。委細、ここで申し上げるべきではありませんね(汗…)
林富士馬(あえて呼び捨てなのです)研究に生涯を捧げたいと存じております。大仰な言い方ですが、思うところもあり、「研究」というより「僕は林富士馬に 愛されていた一時期があった」という思いが、僕のつらい日常を支えているのであれば、その思いに正直にと、つくづく考えたりも致しております。と申せ、来 る仕事はホイホイ請けて、挙句に窮地に陥るのですが(その節は本当に御迷惑をお掛け致しました)。やすさま、池内さまとの本当に嬉しいやり取り、そして サーニンさまの腹のくくり方をブログで拝し、後に続きたいなと、そのこと自体を齷齪考えるのが悪いところなのでしょう、これは直りません。
同人誌を創るに当り、「ショック」ともいうべき関わりをお示し下さったのが米倉巌先生です。端的に「破格の人」なのです。というのは、一度もお会いしたこ とがないのにも拘らず(いまだにお会いしたことがなく)、拙誌お贈り申し上げるたびに、「資金は大丈夫か?」「また寄稿したい」と仰ってくださる方、なの です。僕自身は酔っ払いのダメ人間なのですが、生涯のひと時でも、このような方々に支えられて参りましたこと、涙ぐむような、至福を感じております。
米倉先生の、もちろん『萩原朔太郎』一連の御著も大切なのですが、僕にとりましては、学部生のときに新刊書にて拝した『伊東静雄―憂情の美学』(審美社) から学ばせていただいたことの大きは生涯の宝なのだと感じております。
思い出しますことは、突然の不躾な申上げように対して、しかも過ぎたお願い事に対して「ひとつ返事」でお応え下さいました中嶋さま(上野駅でお会いしてか ら、もう10年ですね!)、拙誌をお気に留めて下さり御連絡を賜りました池内さま、米倉先生をお慕い申し上げております思いと同様の気持ちで、酔いに任せ て取り留めのないメールでございます。どうぞ、今後とも宜しくお願い申し上げます。
 

(無題)   投稿者:池内規行  投稿日:2007年 5月29日(火)00時08分21秒
  やすさま
 拙著『評伝・山岸外史』についてご懇篤なご紹介を賜り、ありがとうございます。貴ホームページというよりは、やすさまというお名前は、もう一つのアル ファベット名前ともども以前から気になる存在でありましたが、このたびの碓井雄一様とのご縁から交流が始まり、嬉しく思っています。あらためまして、この 場をお借りして、碓井様へ心からのお礼を申し上げたいと存じます。
 私が山岸さんについて書こうと思ったのは、『人間キリスト記』『芥川龍之介』『煉獄の表情』『ロダン論』『眠られぬ夜の詩論』『人間太宰治』と、独自の 発想と詩的な文体で多彩な作品を著しながら、正当な評価を得ていないということへの疑問・憤りからでした。戦前の書物は手に入れにくく、評価のしようがな いのは解りますが、太宰研究書中の白眉というべき山岸さんの『人間太宰治』が歪めて評価され、その人間性まで否定されかねないのを見ては黙っていられな い、という気持ちです。先入観を持たないで、虚心に山岸さんの太宰論を読めば、また、山岸さんの太宰宛書簡に目を通せば、真に太宰治を語るにふさわしいの は、山岸さんを措いて他にいないということは自明の理であります。
 太宰治研究に関連して触れますと、山崎富栄の実像を探求し、田辺あつみの出自を探り出したあの長篠康一郎氏が今年2月に満80歳で亡くなられましたが、 長篠さんも山岸さんに師事され井伏鱒二やその一門の作家・研究者から排斥された在野の太宰研究家でありました。(6月9日正午から東京市ケ谷の旧私学会館 で、かつての太宰文学研究会の会員の方たちを中心に、長篠さんを偲ぶ集いが開催されます)
 太宰治関連の話ばかりになりましたが、やすさまの該博な知識と鋭い洞察力に裏付けられた寸評へのお礼の言葉を申し上げるのが、そもそもの趣旨でありまし たが、脱線してしまい申し訳ございませんでした。いずれブックレビューでもご紹介・ご批評を頂戴できるとのことで、望外の幸せを感じております。
 やすさま、碓井様、本当にありがとうございました。

『評伝・山岸外史』   投稿者:やす  投稿日: 2007年 5月28日(月)00時11分51秒    編集済
   このたび林富士馬のお弟子さん である碓井雄一様との御縁を通じ、山岸外史に私淑された池内則行様か ら御高著『評伝・山岸 外史』をお送り頂きました。現在書きかけのまま進まない別稿の作文を措いて読み始めたところ、面白いので読み通してしまひました。さういへばこの山岸外史 といふ人は、四季・コギト・日本浪曼派の人脈を考へる上でのキーパーソンであります。悪麗之介さんも大推薦の散文詩集『煉獄の表情』は 未見ですが、自意識の強い癖のある文体は、批評家の立言と云ふより詩人の述志と称すべく、彼を一躍有名にした『人間太宰治』のほか折々にものされた人物月 旦など、地べたゼロメートルから放たれる切り口・語り口がまず破格です。「太宰はしか」に罹ってゐた大学生の時分、『人間太宰治』を読んで、はぁー、これ が文士といふものか(ハートマーク)、彼と檀一雄こそ一番の親友だ、特にこのひとがも少し「おせっかい」であったら太宰治は死ぬことがなかったのぢゃない か、とさへ思ったものでした。一切の権威を無視してなされる彼の不逞な「断定」のすぐ裏にはしかし、同時にサムライに類する「はにかみ」があって、例へば イエスキリストに対する牽強付会が立原道造に対してはそのもろい美しさに理解を示したりする。その育ちの良い禀質には学識と贅沢が助長させた甘えが癒着し てゐて、近親に対して居丈高であると思へば、仲間に喝破されると年長であらうが忽ち軽んぜられることとなる。田中克己先生は「山岸」と呼び捨てにして太宰 治か ら窘められたさうですが、晩年の先生から、さきのキリスト論に呆れ返ったことや、萩原葉子さんとの恋愛(?)を醜聞として聞かされたことでした。文章でも 「いい人だが、何をたのみに生きてゐるのかと心配でならない。」などと書かれてゐるのですが、つまりは憎めない(笑)。けだし日本浪曼派グループの中でも 最も向日的なドイツロマン派気質を持ったタイプとして、芳賀檀とともに双璧のやうに思ひます。著者に対する芳賀檀氏からの礼状コピーも拝読させて頂 きました。戦後あれほ ど悪罵の中にあった芳賀氏の許へ、同志の監視員(?)付きで久闊を辞しに来たとのこと。なるほどあまりに破天荒すぎて、共産党に入ったことさ へ(その後のなりゆきを見ましても)自身をもてあました奇行癖の結果と呼びたくもなります。尤も文壇から嫌はれた東京生まれらしからぬ「非スマートさ」 も、約 めてみれば江戸っ子の向日性と含羞から発したものには違ひなく、もともと陰にこもったものがないから、かうして実害の無くなったところで(?)必ず擁護者 も表れる訳であります。冒頭太宰治論をめぐっては、井伏鱒二の側に立つ余り山岸外史に噛み付いた相馬正一氏に対する反駁が快く、また当の井伏鱒二に対して も、山岸外史自身では弁解できないところを第三者である長尾良(コギト同人)等の回想文など援用して、謦咳に接し得なかった師の身の証しを両者並び立つ形 で立てられておられます。

 続きはまたブックレビューに場を移して書き直したく、とりいそぎこの場にて御礼の一報まで申上げます。今週は出張でまたしばらく留守にする予定です。

ごぶさた近況報告   投稿者:やす  投稿日: 2007年 5月20日(日)20時24分27秒
   仕事や家のことで何かと気忙し く、コンテンツの更新も滞ってをりますが、比較的元気でをります。

 歌誌「桃」五月号(No.624)を、主宰の山川京子様より御寄贈にあづかりました。ありがたうございました。毎号末尾に山川弘至にまつはる書簡、書 評、断簡零墨が掲げられ、歌の分らぬ私にとっては大変興味深い文献です。さういへば久しく絶版となってゐた「日本浪曼派」「文藝文化」の復刻がオンデマン ドで再刊される由(雄松堂出版)。各々\68250、\94500であります。

 「日本古書通信」No.934到着。 川島さんが「本の保存法」について、名高いナフタリンペーパーの使用をやめた経緯など含め面白く解説されてゐま す。蔵書家の最大の敵は光・埃・虫・泥棒でもなく家族だとか(さきの再刊にしても結構有名な人々の家族が分らないやうになってるみ たいです)。 家族はともかく(笑&汗)目下、私も和綴本の保存(配架)についてはどうしたものか苦慮中。雰囲気は良い慳貪箱も隙間だらけだし、 あら隠しに最適なグラシン紙も、酸性紙であってみれば保存に良いのか悪いのかわからぬなんて聞くと訳がわからなくなります。

 さうして今月は宿願、といふか寧ろ生涯手許に置くことは諦めてゐた四季派の稀覯詩集の入手が叶ひました。本屋さんに感謝、献呈先に吃驚。これ以上云ふと またバチが当りさうな気がします。ほかにも富岡鉄斎の複製書軸など、さても五月は物入り月となる気配。
 (この掛軸といふヤツ、書籍と違ひ、複製であっても図書館のDBに「書誌」がまとめられてゐるといふことはないやうです。ちなみに鉄斎のものは何社から 何種類位出てゐるのでせう。複製とて正価では手が出ない代物ですが、今回たまさか手に落ちたのはこれまた僥倖です。)

 「あ・ほうかい」4号を鯨さんより寄贈にあづかりました。ありがたうございました。客間の事を「でえ」と呼ぶのですね。知らなんだです。

奥居頼子遺稿詩文集『和光』   投稿者:やす  投稿日: 2007年 4月22日(日)11時12分55秒
   詩人増田晃が少年の頃、上野図 書館に通って閲覧、密かに恋してゐたといふ夭折少女奥居頼子の遺稿詩 文集『和光』 (1927.7奥居彦松編 非売私家版1000部)が偶々ネット書店に出てゐた。どんな本だったのか興味があって早速注文したのはよかったが、届いた仏壇 の如き壮麗な装釘と、いたいけな内容とのギャップに少なからず驚いた。
 第一勧銀の支店長だった父親が自身のコネクションを総動員して、画家から慰撫の絵画を、親戚友人からは追悼文を集め、編輯する自分の後ろ姿も一緒に、将 来の嫁入費用を全額遺稿集出版につぎ込んだらこんな本になってしまった、といふ感じの本である(90,210,190p ; 23cm上製函)。収められた遺稿も断簡零墨のすべてに亘ってをり、一寸他愛無い程だが、それだけに普通は窺ひ知ることの出来ない同年輩の少女の心のうち が隅々まで晒されて、可憐な遺影とともに多感な少年の詩心に強烈な灯を点しただらうことは想像に難くない。後年詩人は詩集『白鳥』に収められた当時の所産 となる初期詩篇について疎隔の意を漏らし、日本浪曼派の古代禮讃へとのめりこんでゆくことになるが、伊福部隆彦をして天才出現を叫ばしめたそれら殉情詩篇 にこそ、私もまた強く惹かれる。詩人の出征中、新婚の利子氏は、伝へ聞くこの本を同じ上野図書館でアルバイトの最中に発見し「ドキドキしながら頁を繰って みた」。詩人の戦死広報を受取るのはその夏のことである。

  「花束の思出」   奥居頼子

どれがいいかしら──
これもあれもみんな
お友達から送られた花束です

一ツのは赤いバラ
もう一ツのはヤドリ木
第三番目のはカーネーション

終のは枯れてしまいそうな
月見草! でした

赤いバラは美しき愛
ヤドリ木は接吻を乞ふ
カーネーションは

あなたの奴隷になる
月見草! 沈黙せる愛情

私がまよって居るときに
ちいさい聲が言ひました
月見草が一番安全ですよ──と
私は従ひました 小さい聲に
ちいさい聲が言った通り
私はいつまでも幸福でした
 


古書目録御礼   投稿者:やす  投稿日: 2007年 4月16日(月)19時45分51秒    編集済
   先週から、扶桑書 房さん、新村堂、誠心堂書店、森井書店と続々目録到 着。 森井書店の古書目録は毎度ながら御礼を言ひたくなるほどの美しさ。

 別冊太陽の「中原中也」を思はず購入。今月29日が生誕百年とか。記念グッズもいろいろと。

 

『朔』160号 一戸謙三特集(終)  投稿者:やす  投稿日:2007年 4月15日(日)00時03分0秒    編集済
   八戸の圓子哲雄様 より「朔」160号の御寄贈にあづかりました。二年間六回にもわたっ た一戸謙三特輯号は今回が最終回で す。解説の坂口昌明氏は皮相な定説として避けてをられますが、時代的にはその「繊細で感性豊な抒情詩から、いかにも青年の客気にまかせたヨーロピアン・ス タイルの前衛的曲芸にいったんは身を投じた」詩人の前半期について、さらに戦後も引きついでなされた訳詩業を加へて、従来方言詩人としてのイメージしかな かった読者の目を開かせる拾遺資料の紹介、解説、回想が一通りなされた、といったところではないでせうか。ここをもって最終回とするのも、つまりは詩人自 身が若気の至りとして訣別した特に初期の時代こそ、詩人が詩人らしい感性の輝きに溢れてゐた時期であったと編集部が判断したからであって、斯様な巻頭特集 を連続で組まれた意義はまことに青森詩壇のみならず、口語抒情詩の全国展開を俯瞰する上でも大きなものだったと思ひます。私自身、うわさの『ねぷた』と いふ詩集を手にして、初めてこの詩人を知った者ですが、さうして詩人といふのは処女詩集の評価が決定的であると謂はれますけれども、実は正直のところあの 一冊では詩人の名が云々される理由がわかりませんでした。語句の解説があらうと青森弁の抑揚を知らないのだから当たり前ですよね。むしろこのたび紹介され た大正〜昭和初期にかけての、中央詩壇の動きや質に較べて遜色の無い抒情詩、モダニズム詩に没頭した詩歴が、後年詩風を転じた後もオーラとなって裾野を引 いて、過去を封印した筈の詩人に漂ふ一種の風格となるに至ったんぢゃないか、さうも感じた次第です。残念なことはそれを訪ねるべき肝心の、戦前の詩業を収 めたといふ第二詩集『歴年』自体が既に稀覯になってゐることでせうか(昭和23年青森美術社刊、200部)。(今回特集となったシュルレアリズム期の作品 のいくつかは、アンソロジー『詩鈔』にみることができます。)
 ともあれ坂口昌明氏が中心となって紹介の労をとられたこれまでの拾遺詩篇特集が、あらためての詩集刊行にまで引き継がれることを願ってやみませんが、思 ひはさらに村次郎、草飼稔、和泉幸一郎と、青森抒情詩の先人たちの「文庫叢書」にまで広がってしまひます。

 また同人となられた小山正孝夫人常子氏の回想はしばらく連載されるとのこと。しっぽりと睦まじい回想を伺ふと、田中克己先生の逸話もこんな風に今は亡き 夫人に書いて頂きたかった気が致します。推理小説がお好きだと仰言ってゐたから、さぞお話の緒も抽斗もあったでせう。但しこちらはちょっぴり面白をかし く・・・。

 ここにても御礼を申しあげます。ありがたうございました。

『緑竹園詩集』復刻版  投稿者:やす  投稿日: 4月12日(木)12時21分0秒    編集済
   角田錦江特別展の資料協力をさ せて頂いた折、主宰の資料館に在庫を無心した故村瀬一郎先生畢生の編 著のうち、 『緑竹園詩集』復刻版全3冊と遺墨資料1冊(冠峰先生顕彰研究会,1990.11)を、このたび冠峰顕彰会の宮崎惇様よりお贈り頂きました。この場を借り まして厚く御礼を申し上げます。
 前に記しましたが、翁はその全詩に解釈を付し『緑竹園詩集訓解』(2001.11)として刊行。か つて江村北海に
「冠峰をして身都下に在って藝苑に馳聘せしめば、すなはち其の詩歌の名、方今の赤羽(服部南郭)、蘐 洲の諸子(徂徠の弟子達)に讓らざるべし、惜いかな」
 と評せしめた詩人伊藤冠峰の詩業が、私のやうな初学者にも明らかになりました。これはその原本の復刻。翁の後記によれば、刊本ながら今では日本に二、三 冊しか現存しないと云はれる『緑竹園詩集』のコピーを京都大学図書館からとりよせ、一丁一丁に語句の校訂、印字の補修、原寸大への拡大を施しながら「全行 全字全線空間まで殆ど手を加えない箇所は無いと言っても過言ではないほど」労力を傾けられた由。こちらの250冊の復刻は古書店にも現れず、一本を愛蔵し たいと長ら く念じてゐたのでした。
 しかし斯様なまでの苦労をされてゐることを知れば、亡き翁には詩集の実物を一度手にとって御覧頂きたかった気も致します。図書館では直接コピー機に当て ることを拒絶され、送られてきた写真撮影なるものにさきに述べた御苦労が三年間に亘って課せられた由。当時は天下に二冊と思ひなしてゐた刊本も、今ネット で調べてみるとなんと近場の、愛知大学の豊橋図書館(菅沼文庫)に もある様子。1989年12月の調査とありますから、もとより復刻作業に資すべくはなかったかもしれませんが、残念なことは2001年の『緑竹園詩集訓 解』後記のどこにも新しく刊本と出会った事実が記されてゐないことです。正式な目録もまだない貴重書文庫のやうですから、結局は御存知なかったのでせう。 愛知大学でも名古屋図書館の方には復刻本の寄贈があったのですから、利用者と図書館の双方のすれ違ひは、コピーの件といひ、罪作りなことであり ます。
 つまらんこと記しました。

『生き残りの記 嫁菜の記その後』  投稿者:やす  投稿日: 4月 8日(日)15時39分18秒    編集済
 
 先日アップした【四季派の外縁を 散歩する】で、「このところ戦争中に詩的開花を遂げた夭折詩人について、復刻・ 回顧の出版が続いてゐる」と書いたのですが、以前に刊行予告を頂いてゐた『生き残りの記  嫁菜の記その後』を鈴木利子様からお送り頂き、思ひはピークに達 してをります。山川弘至についてはさきの回に記しましたが、文庫版『大東亜戦争詩文集』に同じく収められた、新生活を絶たれたもうひとりの戦没詩人が増田 晃です。山川弘至の場合と同様、申し分ない才能と手放しの愛情表現を兼ね備へた詩人らしい夫君に文学的素養を培はれ、共にあった短い日々がそれ故に殊更消 しがたい生涯の傷痕となって焼き付けられたのは、戦後再婚された利子氏にあっても同じこと。それがさきの『嫁菜の記』に続き今回刊行された限定二百冊の非 売本のなかに、傘寿の視座から生涯の縁しを俯瞰するやうな、穏やかな筆致で認められてをります。戦時中の同人誌「狼煙」追悼号を中心に、詩人を愛惜する諸 氏の文章を後半に収めてをり、読んでゆくと突然若い日の師友の言葉に出会ふ巧まぬ構成が、資料の復刻意義とは別に読むものをして「時の感慨」に駆り立てま す。家族を収めた数葉の写真のなかで唯一当時のもの、結婚挙式時の写真にはページを繰った誰しもが息をのむことでせう。また私は本書のおかげで田中克己先 生の拾遺詩一篇とゆくりなくも邂逅を得、冒頭『大東亜戦争詩文集』に係り自分のことが引かれてあるのには冷汗を流しました。 つづきは再び後日の書評に て。

 さてこの本の中でも回想されてゐる林富士馬は、山川弘至や増田晃と同様、育ちのよさの面でもいかにも日本浪曼派の第二世代を代表する詩人のひとりです が、戦争をくぐりぬけてのちは、「文学を何故するのだ」といふ青臭さを大切にし、ディレッタントの生涯を貫き通した辛口文芸批評家にして町のお医者様で す。晩年のお弟子さんであり、雑誌『近代文学資料と試論』を独力で主宰してをられる碓井雄一様から此のたび第六号の寄贈に与りました。前号に引き続き「林 富士馬・資料と考察(三)」のなかで、戦後期に詩人が主宰した同人誌『玻璃』について目録に沿って論及をされてゐます。戦後文壇において日本浪曼派の出自 を持つ自分のやうな者は、おのれの文学観に殉じて後日の審判を待てばよいのだとする自負。ジャーナリズムの渦中に去った後輩三島由紀夫を意識したともみえ る、敢へて万年文学青年を標榜するかの姿を抄出したり、また寄稿者山岸外史の随想に独特の感傷をみようとする碓井氏の視点は、「サムライ」好きの私にして も全く同感であります。毎度思ふことながら、同人誌といふより大学国文科の紀要に比して遜色ない学術雑誌といふべき。CiNiiで全目次を閲覧できます。『近代文学資 料と試論』(「近代文学資料と試論」の会 〒358-0011 埼玉県入間市下藤沢653-1-408 碓井方)

 さらに活動拠点を関西から九州に移された西村将洋様よりは、雑誌「昭和文学研究」第54集をお送り頂きました。保田與重郎の多岐にわたる研究動向につい て、各論文の意義を比較検証した短評を下されてゐます。私なんぞの読みとは濃度・次元が違ふなあ(汗)。しかし西村様始め、知遇を忝くする近代文学研究者 の皆様から一様に喬遷・転封のお知らせを頂くことに驚いてゐます。

 皆様方にはこの場にても健筆ご活躍を祈念するとともに厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。


週間報告  投稿者:や す  投稿日: 3月31日(土)11時52分50秒    編集済
  ○ 頂きもの
鯨書房さんより詩誌「あ・ほうかい」(まづは一里塚の第三号おめでたうございます。といって文章には古本屋さんの苦しみが切々と綴られてゐるのですが。)
横浜市大庭様より『李太白』の縦書きpdf文書ファイル
ともに御礼申し上げます。ありがたうございました。

○ 購入もの
後藤松陰の直筆折帖を入手し ました♪ しかし一体なんの理由があってこんな手習ひものを認めたのでせう。国会図書館の所蔵本とところどころ同じ文句がありますが、もとより「世話千字文」なるものについて不詳です。どなたか御教 示頂ければ幸甚です。

○ また歳をひとつ重ねました。
「偉さうにすることもされることも嫌ひ」で来たせゐか、いまだに年かさの自分だけ君付けで呼ばれます。人徳なければただ軽んぜられるだけです。

詩集『私の墓は』, 評伝『雪に燃える花 詩人日塔貞子の生涯』再刊本  投 稿者:やす  投稿日: 3月21日(水)17時58分5秒    編集済
  山形県寒河江市の奥平玲子様よ り、日塔貞子の詩集『私の墓は』および彼女の評伝で同じく稀覯となってゐる安達徹氏の『雪に燃える花 詩人日塔貞子の生涯』の、各再刊版を御寄贈頂きました。厚く御礼を申し上げます。
昭和24年に亡くなった詩人の遺稿詩集が出たのが昭和32年のこと。晩年を看取った四季同人の日塔聰はその後再婚して山形を去ります。遺された日記をもと に安達徹氏 が書き綴った評伝の初版が出たのが昭和47年、それからさらに35年の時を経て、当時感銘を受けた奥平様ほか友人四人の自称「主婦のグループ」の手によっ て、このたびその評伝が甦ったのです。有志はそのためだけに立ち上がり出版に奔走された由(いつの世も美しいものはやはり誰かが抛っては置かないものです ね)。さうして昨春刊行された、この28歳で夭折した純正抒情詩人を紹介した本は地元でも話題を呼び、おかげで詩集自体も再刊の運びとなり、なんと現在3 刷とのこと。地元の公共図書館以外、まだ大学図書館にも寄贈されてゐない様子で、研究者といふより詩を愛する読書家の間で詩人の伝説が流布され続けてゐる のです。
 詩集の瀟灑な装釘は、サイズや版組みだけでなく、カバーを取ると一層初版本へのリスペクトを感じるもの。評伝の方は新聞連載だったせゐでせう、最初、時 系列が不分明なところや、脚色過多ではないかと感じる冒頭を過ぎると、次第に面白くなってきます(こちらは近く著者自ら補筆して再再刊される予定)。唯一 残念なのは・・・詩人仲間の誰もが感嘆したといふ閨秀詩人の容姿が、今回の再刊本どちらにも写真で紹介されてゐないことでせうか。 つづきは後日の書評に て。 お問ひ合せは
991-0023 山形県寒河江市丸内2-4-19 桜桃花会 まで。

詩集『私の墓は』 \1800 (紀伊国屋サイトでも購入可)  『雪に燃える花 詩人日塔貞子の生涯』 \1500

 


古本雑誌「初版本」  投稿者:やす  投稿日: 3月17日(土)23時04分40秒    編集済
  「日本古書通信」 Vol.72(3) 到着。
「古書展の思い出(古本講座14)」で『孟夏飛霜』を\500で掘出した話、続いて五冊も集めた話には吃驚しましたが(私まだ読んだことない 笑)、今号裏表紙には扨いよいよ計画中の新雑誌「初版本」の全容が発表されました。旧「Salon De 書癡」掲示板出入りの面々に扶桑書房・石神井書林の店主ほかを加へた執筆陣といふのは楽しみです。B5版オールカラー100pで\1000(〒込)といふ のも本造り同様、責任編集川島さんの採算度外視の意気込みが窺へます。「人魚通信」の時は限定200〜300部でしたが今回は期限内に申し込めば全員が購 読できる模様。 みなさんもどうぞ。 あ、私まだ入金してなかった(笑)。ゴメンナサイ。【〆切は5月31日まで】

 

「桃」三月号  投稿者:やす  投稿日: 3月17日(土)23時03分24秒    編集済
   山川京子氏主宰 「桃」三月号をお送り頂きました。誌面後半に、昨秋刊行された山川弘至『國 風の守護』についての諸氏から寄せられた読後感が掲載されてゐます。
 私も頂きましたこの復刻本、著者の薀蓄を縦横に傾けた美術史論や国学の評論は、先輩と仰ぐ保田與重郎やシュペングラー張りの断定が爽快ですが、専門知識 の乏しい者が評するところでありません。むしろ叙述の端々から私が読み取ったのは、戦争といふ異常な時代、詩心の純潔を守り通すために古典の言葉で自らを 防禦しようとした姿勢、むしろ言葉の方が行く先々で詩人を支へてゐるやうな激烈な祈りの様相です。それが痛ましくも見ゆるのは他でもなく彼が非業の死を遂 げたからでありますが、それゆゑ容認される文辞を退けたところで、なほ今の飽満の世に生きる私たちが望み得ない真摯な詩への憧憬が、彼の信仰となり全身を めぐる様子は圧巻の一言に尽き、それこそは詩人の生理と名付けてよからうと思ふものです。「七生報国」を「神国の倫理」とも「青春そのものの象徴」とも言 挙げる詩人はまた、「戦争遂行の臨時措置として神国を言ふがごとき輩は、真の日本の国体を知らず、歴史を知らず、又神をおそれざる不逞の輩である。」と、 厳しく自らの生死を託するに神話への帰依をもってするとともに、「もし自分の言ふことが、神がかってゐると嘲笑するひとがあれば、」と、その自覚をも表明 して恥じない。勿論さうでなければ保ち得なかった“國風の守護”でありますが、同時に國風によって自らの純潔が守護されるといふ、詩人ならではの信仰の約 束であったのだと思ひ至ります。

 この場にても御礼申し上げます。ありがたうございました。

 さて以前行った四季派学会の講演について印刷用の原稿を送りました。これまた田中克己先生の戦争詩について述べさせてもらったものであります。まとまっ て先生のことについて書いたのは二度目で、この話題はどうしても避けて通れないものでしたから、ひとつ肩の荷を下ろした気分です。読んで頂ければわかりま すが、ページの関係で詩を抄出できませんでしたから、こちらのホームページでテキスト共にしっかりフォローさせて頂かうと思ってをります。
 

『昧爽』第14号  投稿者:やす  投稿日: 3月13日(火)21時10分50秒    編集済
  『昧爽』第14号の 御寄贈をかたじけなく致しました。

 特集は「言葉言葉言葉」。と聞いて思ひ出す野嵜さんは書いてゐませんが、この雑誌が特集を組むのですから仮名遣ひに喝が入るのは当然のこと。しかし皆さ ん色々な方角からの国語に対する憂慮を、漢字・仮名遣ひは投稿のままで載せてゐるところが嬉しいです。最初に一文を寄せられた渥美國泰氏は、私どもテレビ 世代には馴染み深い悪役俳優にして、現在は江戸民間書画美術館館長。また宮里立士氏の文章に
「…こう書いてきて思い出す話がある。それは書籍の流通が乏しかった近代以前、学問を志す人問は貴重な書籍を暗誦できるまで自らのものにし、その内容を終 生忘れることはなかったという話である。書籍を、所有するのではなく、借覧して読むのが当たり前の時代、同じ本は二度とは読めない頃の人の記憶カというの は、現代人には想像できない、雲をつかむようなものに感じられる。…」
 とあるのに、当時の和本や掛軸が比較的簡単に手に入ってしまふ現在の状況が、いかに異常でさういつまでも続くものでない状況であるかに思ひを致し、同感 したことでした。

 そして今号は、そのやうに内容にも幅広いところをみせておきながら、前号後記で予告された、浅野晃と伊藤千代子のことをめぐっての『苫小牧市民文芸』の 一文に激怒した中村氏の「鉄槌」が、えらい剣幕で気を吐いてゐるのが、もう、槍玉に挙がった先方が可哀想にさへなる位(笑)。おそらくヒューマニズムの在 り処がたったこの四半世紀ばかりの間に大衆のなかで大きく変ってきたことを、前衛の自負が財産のこのひとは理解できない(したくない)のだらうし、中村氏 も未だ自らの優位に安心ができず過剰反応の気味。斉藤征義氏の新連載となる浅野晃論が、もう少し共産党の事情に暗い自分などにも分るやう手引きされれば、 と思ふ一方で、中村氏が今回のことで神経を擦り切らしてしまはないか懼れる次第です。

 ありがたうございました。

『昧爽』(中村一仁・山本直人氏共同編輯)
    編集部:nahoto@wf7.so-net.ne.jp (@は@です)
 

晦跡韜名爲世所貴・・・  投稿者:やす  投稿日: 3月 3日(土)23時51分33秒
   先週は美濃市まで 村瀬藤城一族の碑文を読みに、今週は笠松町の歴史民俗資料館へ角田錦 江展の見学に行って参りま した。角田錦江といふ儒者が全国的に知られてゐないことはわかってゐましたが、教へて頂いたお寺には立札もなく、それどころかお墓が皆目みつかりません。 そんなはずは。必死に探し回って・・・あ、ありました(汗)。直系の角田家は絶えた由ですが、此度の回顧展が町の教育史の先覚を、そして血縁の誇るべき御 先祖様を見直すきっかけになったらと願はずにはゐられませんでした。

錦江夫妻(釋錦江居士、釋幸照大姉)の墓碑。

 

『日々の嘱目』  投稿者:やす  投稿日: 3月 2日(金)20時34分5秒    編集済
   あたらしくはじめ られたブログの、清澄な写真とともに西岡様の清潔感あふれるコメント をいつも楽しみにしてをり ます。この世知辛い時代にも人生を満喫するとはどういふことなのか、日々の嘱目の端々に顕れる生活態度に教へられるところが非常に多いです。出張のため訂 正はしばらくさきになりますが、御教示御指摘のほど今後とも何卒よろしくお願ひを申上げます。ありがたうございました。

>戦後の詩は特に心に響きますね。
心に響く・・・服膺したい詩句がみつかるのが戦前なら、戦後は痛々しい鎮魂の吐露に尽きるやうです。
 

ドイツ文は  投稿者:西岡勝彦  投稿日: 3月 2日(金)18時26分28秒
  直っているようです ね。  

業務連絡2つ  投稿者:西岡勝彦  投稿日: 3月 2日(金)18時19分29秒
  ブログから引き続い て書き込んでおります。
1.レンタルサーバーが終わってしまいましたので、ホームページを移動しました。お手数ですが、リンクの書き替えをお願いいたします。
2.田中先生の詩集テキストで気づいた誤植です。
『詩集西康省』
「歴史」5行目 説明科→説明料
「西康省」2行目 Dichtungund→Dichtung und
『悲歌』
「卒業式」1行目 で口を出した→舌を出した
お蔭さまで、アンソロジーでは分らなかった田中克己という詩人の魅力が分かりました。戦後の詩は特に心に響きますね。

寄贈御礼『緑竹園詩集訓解』ほか  投稿者:やす  投稿日: 2月23日(金)21時04分49秒    編集済
   笠松町歴史民俗資料館から『緑 竹園詩集訓解』村瀬一郎著。
 著者は伊藤冠峰に私淑してその顕彰に退職後の余生を捧げられた岐阜市出身の最後の古老です。学芸員の方の説明で、これまでに「冠峰先生顕彰研究会」から 出た本がすべて個人資金によるものだったことを知りました。笠松および御在所岳山上の石碑も、村瀬氏一人の尽力に係る建立と聞き、晩年身寄りなく老人ホー ムの一室を終の栖処と卜され、そこから先哲の面影にむけて終生敬慕の念を発し続けた翁に、崇敬の念を抱くに至りました。

また鯨書房さんより詩誌「あ・ほうかい」第2号。
>モーニングセットてんこ盛りの茶店林立するこの岐阜を怖れよ(山口省三氏「日常」より)
なるほど明日はそれをば頂き、岐阜駅ビルの古書展初日でもめぐりませう(笑)。
 


角田錦江展  投稿者:や す  投稿日: 2月23日(金)11時45分58秒
   本日職場に笠松町歴史民俗資料 館から学芸員がおみえになり、拙蔵の 村瀬太乙・角田錦江合作掛軸を借りてゆかれました。3/1よりはじまる角田錦江の特別展に展示される由。毎度 「授業料」払って研鑽を積んでをります(苦笑)漢詩の掛軸ですが、今回のみは僥倖といふべき歟。展示の概要は以下のとほり。見学記はまた追ってupの予定です。

平成19年3月1日〜3月30日 笠松町歴史民俗資料館企画展
「笠松の 儒学者 角田錦江」


 


詩雑誌『新生』  投稿者:やす  投稿日: 2月21日(水)22時50分41秒    編集済
  『杜甫伝』『蘇東 坡』のテキスト化は、出版社の見解があくまでも「絶版ではなく品切れ重 刷未定」とのことゆゑなかなか難しいやうです。残念。

「美濃地方漢詩文学年表」に秦滄浪の掛軸ほかupしました。
 解読中につき皆様からの御教示をお待ちしてをります。よろしくお願ひを申上げます。

またJIN様より貴重な戦前名古屋の詩雑誌『新生』を 三冊も頂きました。順次upして参ります。お楽しみに!



『李太白』  投稿者:や す  投稿日: 2月12日(月)11時56分39秒    編集済
   『李太 白』、やうやく全ての校 正を終へテキスト化終了しました。休み明けにup致しますので、同好 の皆様方には御覧頂けましたら嬉しく存じます。なにぶん初版再版ともに印刷が古く、文字化けに悩みましたので、校正もれの御指摘などございましたら嬉しく 存じます。

 さて田中克己先生の中国詩人「評伝三部作」ですが、残り二冊も久しく絶版となってをります。これらについてサイト上にテキスト復刻してよいものか、刊行 元へ許可を願ひ得た上で、順次『杜甫伝』『蘇東坡』と計画中です(むづかしいかもしれません。絶版書籍についてのネット閲覧可能に関する著作権法改正は来 年になるやうです)。

 不肖の弟子ではありますが、これらの著作の顕彰を終へぬかぎり、江戸にせよ郷土にせよ漢詩を云々する資格がないことに気がついた次第です。なほ『李太 白』の抄出詩には現代訳がなく、『杜甫伝』『蘇東坡』は反対に訓読が読み飛ばされてをります。この点、口語抒情詩人の真骨頂をしめすべく不取敢『李太白』 には後年発表された口語訳を付与して鑑賞の助けに供したいと存じます。すべて今年の宿題として更新を気長にお待ち下さい。
 


礑と気づけば落札価に蹌踉たり。  投稿者:やす  投稿日: 2月11日(日)22時10分17秒    編集済
   今朝方メールで御 連絡申上げましたが、仲冬望は仲冬の望、仰言るやうに旧暦十一月のも ちづき十五日のことではないかと思ひます。
 しかしあまりにもタイムリーな話ですが、秦滄浪の掛軸(例によって写し?汗)を、先ほど落札したところであります。これ以上高くなったら諦めるつもりで したので内心ハラハラしてをりました(笑)。詳細は到着の後またいづれの機会に。
 

仲冬望とは  投稿者:o.kumazaki  投稿日: 2月11日(日)08時56分16秒
  仲冬望とは旧暦十一 月でいいのでしょうか。
ご指導下さい。


 

飛騨山川を画像に示します  投稿者:o.kumazaki  投稿日: 2月11日(日)02時17分3秒
  消してしまいました ので再度掲示しました。「飛騨山川」をみると、名前のところは曰と なっていました。伝説では孝子は門原左近守とされているため、幼少期の名前か、母の名前か迷います。6行目の走は、やはり是が妥当でしょうか。


 

伊藤聴秋  投稿者:やす  投稿日: 2月10日(土)23時34分4秒    編集済
   o.kumazaki さま(名前を存じ上げませんが)、再びの画像掲載鳴謝します。
 この連休中に終へてしまひたい仕事がありますので、その後ゆっくり拝見させて頂きたく存じます。

 といふことで本日は江戸漢詩の話題に田中克己先生の名が出た序でに私からも。
 このたび田中家のふるさと淡路島の漢詩人伊藤聴秋の掛軸が 手に入りました。何と詩人同士は姻戚関係にもあったやうです。ただし立派すぎるこの筆札、判読がむつかしく・・・鳴門の渦みたいな筆跡です。また字が読め たところで故事の素養が未だしなれば、ネコに小判、やすに掛軸。折角の「掘り出し物」のお宝も「埋め戻し物」なんてことにならぬやう(汗)。 ではでは。
 


判読について  投稿者:o.kumazaki  投稿日: 2月10日(土)21時12分57秒
  この画像は、カメラ が悪く、少し解読しにくいと思います。各行の直していただいたもの は、やはり相当おかしかったですね。チェックしていただき助かりました。
旧家で古文書を見せていただくのですがどれをお借りするのか読めなくて泣いています。


 

気のついたところなど  投稿者:やす  投稿日: 2月10日(土)20時45分2秒
  こちらこそよろしく お願ひを申上げます。
それから拡大して頂いた秦滄浪の掛軸ですが、(画像が小さいのでなんとも云へませんが)判読や訓みを再考された方がいい点、私でわかる範囲で初めのところ だけ書き記してみます。

4行目:其名曰作苦事親→其名○作善事親 其の名[○作]、善く親に事へ
6行目:孝子走従其所求→孝子是従其所求 孝子これよりその求むる処
7行目:自飛至江三百里 みずからさんびゃくりをとんで→飛(州)より江(州)に至る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

ありがとうございました  投稿者:o.kumazaki  投稿日: 2月10日(土)20時16分16秒
  赤田臥牛と尾張秦鼎 についてふるさと研究会へ紹介し、中原史の一部へ取り入れたいと思い ます。今後ともよろしくお願いします。


 

(無題)  投稿者:やす  投稿日: 2月10日(土)19時21分24秒
  掛軸拡大画像再掲あ りがたうございました。郷土の漢詩人についてこれからも学習を続けて 参ります。拙いホームページですがどうぞ長い目で見守って下さいませ。

よく分かりました  投稿者:o.kumazaki  投稿日: 2月10日(土)18時02分17秒
  ご指摘ありがとうございます。
尾張と氏、名を分けなければいけないですね。
はた かなへと したいと思います。



をはり・はた・かなへ  投稿者:やす  投稿日: 2月10日(土)16時27分31秒    編集済
  尾 張秦鼎は、尾張の国の秦(はた)氏、名は鼎(かなへもしくはテイ)と読ませるのではないでせうか。
秦氏について詳しくは田中先生の「始皇帝の末裔」まで(笑)。

貴重な掛軸、もしできますことでしたら写真を大きく掲げて頂けましたら眼福 です。
 


尾張秦鼎掛け軸  投稿者:o.kumazaki  投稿日: 2月10日(土)15時55分41秒
  前出の掛け軸の文書 を画像のように修正しました。
ご指導ありがとうございました。

http://6426.teacup.com/cogito/bbs


秦滄浪について  投稿者:o.kumazaki  投稿日: 2月10日(土)12時57分15秒
  ご指導いただいたことから、秦滄 浪(尾張秦鼎)は、江戸時代中期の儒者、尾張藩校明倫堂教授 (1831年没)であることが分かりました。おかげさまで大変参考になる情報が得られました。赤田臥牛と秦滄浪は深い親交があったようですね。




尾張秦鼎  投稿者:や す  投稿日: 2月10日(土)11時56分20秒    編集済
  尾張秦鼎つまり尾張の秦鼎は『臥牛集』の序文を書いてる秦滄浪で あります。
レファレンスありがたうございました。この件につきましてどなたか御存知の方はよろしくお願ひを申上げます。
 


早速のご連絡ありがとございます  投稿者:o.kumazaki  投稿日: 2月10日(土)11時53分45秒
  さっそくご回答いた だきありがとうございます。公開していただいている『臥牛集』には
無いようですね。「真木佐久飛騨の山蹈 」にも同じ漢文が記載されていましたので、どこかに記載のあるものと思っていました。「尾張泰胤」と「尾張秦鼎」については、再度確認してみました結果、 「飛騨山川」と「真木佐久飛騨の山蹈 」ともご指摘のとおりで「鼎」した。掛け軸を見たとき間違えていました。「尾張秦鼎」の情報はございますでしょうか。私は、現在下呂市の中原地区「ふるさ と研究会」の歴史書編纂の応援で、この地方のことを調査しているものです。中原地区の門原と瀬戸という地域に「門原左近伝説」あるいは「孝地水伝説」が伝 承されています。この関連で調査をしています。よろしくご指導お願いします。


とりいそぎ  投稿者:や す  投稿日: 2月10日(土)09時32分26秒
  はじめまして。
1、赤田臥牛について知るところは公開しました『臥牛集』の限りです。どなたか御存知の方はよろしくお願ひを申上げます。
2、画像が小さいのでよく分らないのですが「尾張泰胤」は「尾張秦鼎」の記し間違ひといふことはないですよね。

以上管理人よりはとりいそぎ。
 


教えてください  投稿者:o.kumazaki  投稿日: 2月10日(土)08時19分0秒    編集済
  どなたか教えてくだ さい。
1、飛騨山川(岡村利平著)という古書にある赤田臥牛の「孝池水」という漢文は、どこの詩集にありますか。
2、また、同書に記載されている、書(画像)の「尾張泰胤」についてご存知のかたあれば教えてください。


 

(無題)  投稿者:やす  投稿日: 1月28日(日)16時53分56秒    編集済
  漢文は媚びないとこ ろが好きです。
むかしはこんなものをすらすら読むお爺さんがどこの村にも居ったのです。面白いですね。
 

(無題)  投稿者:mmmk  投稿日: 1月28日(日)14時46分2秒
  やすさん、お礼遅く なってすみません!!

学校の先生に嫌われてるので、なかなか質問できなかったので、、、

でも、ありがとうございました!!
 

一週間のできごと  投稿者:やす  投稿日: 1月28日(日)10時56分30秒    編集済
  新村堂目録(よくよ く新収分を見ないとね。残念。) 和洋会古書展目録では酒井正平の遺 稿詩集『小さい時間』が玉睛さんから。
まつもとかずや様(元下町風俗資料館館長)より、執筆依頼分掲載の「銀河系通信」第十九号をご寄贈頂きました。地方発の辞書級(厚みです)口語俳句個人誌 に驚嘆。
雑誌「暮しの手帖」第四世紀26号記事 「ヒヤシンスハウス」。

杉山平一先生奥様訃報 謹んでお悔みを申上げます。


『桃』1月号  投稿者:や す  投稿日: 1月17日(水)23時41分23秒
   山川京子様より『桃』1月号 (622号)をお送り頂きました。山川弘至記念館の拝観記(野田安平 氏)をなつかしく拝読。そして後記につづられた京子様の回想。
 昭和19年、前線へ送られることが決まりそれが最後の面会となった折に
「お帰りになるまで東京へは帰りません。郡上でお待ちします」
 の言葉に対して詩人が放った
「よして下さい。そんなことをされたら、僕が忘れられてしまふ」
 といふ一言。その一言にこめられた滲むやうな思ひと、その一言に殉じてこられた年月の重みに今更ながらうろたへる私です。記念館落成式の際にも感じたこ とですが、御遺族はともかく「桃」社中の方々が詩人を慕ってこられた心情には、京子様の存在を通じて仰がれる象徴としての日本の姿があるやうに存じまし た。
 とりいそぎこの場におきましても御礼認めます。ありがたうございました。

 


久しぶりに古書目録速報。  投稿者:やす  投稿日: 1月17日(水)17時49分0秒
  本日到着ほやほや 「石神井書林古書目録」71より(03-3995-7949)
今回は乾直恵ほか詩人達の昭森社森谷均あて書簡類を多数掲載。
『ペリカン嶋』渡邊修三 昭和8年 函付き染みあり。\21000(早い者勝ち。)
『百万遍』一戸謙三津輕方言詩集 昭和9年私家版孔版 \52500(眼福。)

「趣味の古書展1/26-/27目録」より(抽選1/26 03-5280-2288)
臥遊堂さん(頑張って下さい。03-6909-1359)
 No.11『花ざかりの森』昭和19年 カバー欠。並。\24000
扶桑書房さん(03-5228-3088)
 No.780『象牙海岸』竹中郁 昭和7年 函きず。\4000(函付きですよ!)
 No.781『間花集』三好達治 昭和9年 背題簽欠。\3500(復刻ではありませんよ!)
 No.788『野村英夫詩集』昭和28年 函きず。\3000(これも函付きで!)
 

歌集『戦後吟』  投稿者:やす  投稿日: 1月15日(月)22時39分18秒
  歌集『戦後吟』を upしました。
戦後吟とはいふものの、戦中吟、年少吟とともに収められた、全歌集と呼ぶべき内容であり、ことにも年少吟は素晴らしいです。和歌のわからない自分も、次の やうな歌は愛誦してゐます。

冬花(ふゆばな)のマーガレットの白ければきみに買はむとかねておもひき

ゆくさきをまじめに思へばなみだ出づゆでたまごをば食はざりにけり

ゆふぐれはやもり硝子をはひのぼりかはゆきかもよ腹うごかしゐる

埃みちわがゆきしとき匂ふ花ほかになければ葛と知りたり

わがまへにならびゐませるみはらからことごとく泣けばわれも泣きたり

さて、次回予定は戦争末期に刊行され評判を読んだ長編『李太白』、いよいよ先生から漢詩講義を受ける気持して何がなし初心に戻った気分です。


『漢詩閑話 他三篇』  投稿者:やす  投稿日: 1月 8日(月)23時28分29秒
   この連休、さきに掲示板で紹介 いたしました中村竹陽翁の遺文集『漢詩閑話 他三篇』を読み、その魅力に惹き込まれてをりました。書評コーナーにて御紹介致します。
 


「パルナス」Vol.8  投稿者:やす  投稿日: 1月 7日(日)00時35分33秒
  旧モダニズム防衛隊 斬込隊長kikuさまより「パルナス」Vol.8 お送り頂きました。前号から実に五年ぶりの刊行の由、巻頭には故串田孫一氏の寄稿を再掲、同人誌にこれだけの作品を書き下ろして寄せられた詩人に感銘で す。
ここにても御礼申上げます(早期のネット復帰をお祈りします)。ありがたうございました。
 

(無題)  投稿者:やす  投稿日: 1月 5日(金)21時22分7秒    編集済
  『也』は助字(の助 詞)で、平仮名にするかどうかはケースバイケースではないですか。漢 詩文では「や」「なり」といった普通の訓みかたのほかに 「また」と訓ませたり、置 き字で読まないこともあります。この手の質問はインターネット掲示板でのいい加減な回答はあてにしないで、先生に尋ねたり、しっかり辞書ひいた方 がいいですよ。  

(無題)  投稿者:mmmk  投稿日: 1月 5日(金)20時38分54秒
  はじめまして!!わ ざわざ書き込むことではないと思われてしまうかもしれないのですが、
どうしても急いでいます。

漢詩の『也』という漢字は、助動詞ですか??書き下ろし文にするとき、平仮名にしなくてはいけませんか??

ほんとくだらないと思うのですが、急いでます。よろしくおねがいします。

御挨拶  投稿者:やす  投稿日: 1月 4日(木)01時17分17秒    編集済
  今年もひきつづき郷土漢詩の修養 ならびに「田中克己文学館」の充実に力を注ぎたく。
本年もよろしくお願ひを申し上げます。