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赤田臥牛(あかだ がぎゅう)(1747 廷享4年 〜 1822 文政5年)
名は朱義のち元義と改める。字は伯宜。通称新助。臥牛山人と号す。代々高山にて造り酒屋を営む。
出遊の志あるも家業のため故郷にとどまり、独学を余儀なくす。長じて学すすみ、郷人をあつめ帷を下すに「静修館」と顔す。
友人に津野滄洲あり、臥牛に師友なきことを憫み松平君山、浅井図南、龍草盧ら諸儒の紹介に周旋す。なかんずく館柳湾にあっては、
寛政・文化の年間、高山陣屋に奉職するの際、詩酒徴逐をもって忘年の友情を結び、終生渝ることがなかった。生涯、敢へて聞達をもとめず、
詩集も生前には公刊されることがなかった(江村北海の序は、津野滄洲が私かに乞うたもの)。また刊行も三編まで奥付に予告されたが初編のみで終ってゐる。
文政5年7月22日長逝、76歳。文獻先生と諡号す。塋域は高山市
愛宕町大雄寺。 筆迹(「悼梅林師」文政元年色紙ほか)
以下リンク画像は岐阜県立図書館蔵本。刈谷市中央図書館蔵の高画質データベースをお勧めします。2024.04.27
序 菅原長親(文政2年6月 1819) 1 2 3 4
序 江村北海(天明元年5月 1781) 1 2 3
4 5
付言 津野廷賢 1
序 秦 滄浪(文政10年冬 1827) 1 2 3
4 5 6
自序(文化14年2月 1817) 1 2 3
4 5 6
【臥牛山人集初編 巻之一】
頌 1
古楽府
擬短歌行 1
五言古詩
有所思
咏懐
羽林騎閨人
咏史二首
自悔詩
雑詩
月下弾琴 1 2
池上楼避暑
小集講史記 1 2
悼梅林師 筆迹(「悼梅林師」文政元年色紙)
見漁者 1 2
雑詩二首
雑懐
夜過白眉禅師寓居聞梵
感懐
奉和赤城君南遊
夏夜過池亭 1 2
田家秋日
三日沈流亭詩 1 2
田家雑興傚陶體
田文稽青山館
春日城南数里作
松石亭
田家雑興 1 2
雑詩
月下弾琴
擬阮嗣宗詠詩
隴頭水
送藤郎君赴挙二首 1 2
秋宵雑懐
和土州山君集月窟亭賞月詩
冬日館郡丞書斎
九月十三夜賞月同友人賦
林園閑坐
月夜邊氏錦江別荘聞紀山人弾琴 1 2
和秦士鉉飛騨道中喜源有年見邀之作 1 2
冬夜静修館同諸子賦得玉字
【臥牛山人集初編 巻之二】
七言古詩
羽衣行 1 2
片月丈人七十誕節使児貞吉写墨竹図以献余乃為之歌 1 2
丹青引贈諸葛生 1 2
贈長嘯主人歌
粟津覽古 1 2
除日寄懐浪華田子明
稲荷山歌示田大 1 2
賦得月下懐旧遊寄田紀文 1 2
折梅歌寄謝尾崎村民熊崎氏
箕面山泉歌送大成道士従 白川皇子駕入山 1 2
田家行 1 2 3
瘞鶴行 1 2 3
壽雪下丈人 1 2 3
藤三郎君恵扇三柄附以精里翁写詩一篇敢奉謝
懸度行 1 2
猩猩舞歌壽蘆葉翁応橋本生需 1 2
酒仙歌壽北岡村民長介九十 1 2
【臥牛山人集初編 巻之三】
五言律
擬平城諸賢秋日宴左僕射長屋王宅餞新羅客之作
田清二子過訪錦山楼 1 2
銅雀妓
集山子健宅
蘭洲席上賦示龍上人
夏日懐山中隠者
小園即事
擬長安逢故人
和君美春日即事之作 1 2
小集
伯瑜来訪
袈裟山
和子敬夏日遊八幡長久寺之作
擬送某校書従軍
子敬邀飲松氏錦川草堂
暮春同子敬伯瑜子錫登臥牛山訪五雲壇到般若台下作
行踰蕪城嶺
題輞川図
冬至同諸子集 伯瑜
九日寄原明府
暮秋遊山寺
山家 1 2
中秋前一夕雨災後有感
北岡郊行
秋日寄西郊瑛尊者二首 1 2
秋日雑詩二首
春夜聞雁 1 2
席上送別司馬子紀
雨中春暮同士錫賦
客中秋雨
夏日同田子道巌士邦及清伯瑜 水世甫避暑久昌禅院
秋江夜泊二首
過士蒸柳原別荘
今日菴席上作
夜集邉士蒸
春雨登楼
文畏宅賦盆梅
過友人荘二首
飲馬長城窟
和子道留別之作因為別
廃寺
送洞水禅師北還
観猟
擬冬送人遊邊
次韻明府三首 新歳
次韻明府三首 除夕
次韻明府三首 春興
遥咏亀石為勢州澤邉氏
長嘯亭集
九月朔日陪郡丞登冑城山頂同諸子賦
田家雑興 1 2
華厳師過訪話旧臨別托書寄君美情見乎辞
送鳥巣上人還常陽
咏篠魚
見阿巌懐君美
晩春閑適
蛍
江上晩帰
冬夜子美子瑜見訪
詠霧
三日郊行
關山月 1 2
擬送人使河原
春日過東村邉氏田家三首 1 2
送人遊東奥
雨後早秋
奉呈箕山先生 1 2
十日菊
東皐先生挽歌 1 2
登松倉大悲閣
送僧諦善還郷
籠渡
藤橋
早春登華頂山
春日閑興 1 2
題蘇子遊赤壁図
賡伯圭韻
細江懐古
山居九首 1 2
本府属長田近某以吏事有才幹 閣老賞賜金若干府君之嗣子同日有入直之命賦此併賀 1 2
白牡丹
追輓安江松翁 1 2
秋日静修館集示諸子
恭聞 綾小路世子拝任左近衛少将賦以奉賀 1 2
題陶淵明図
五言排律七首
壽草盧先生六十 1 2
初夏遊逍遥園
春日同諸子陪洞水禅師遊子敬宅 1 2
秋日良駒至喜賦
壇浦懐古 1 2
早春呈佛山大禅師
壽竹母翁 1 2
【臥牛山人集初編 巻之四】
七言律 上
送埜滄洲翁遊崎陽
比叡山 1 2
黄檗山
恭謁北野菅公廟
同埜翁及諸子遊宮村山中
春夜子敬子賛士良伯健景逸至 1 2
三日枕流閣集分得東字
寄寒巌道人
擬唐人主家応制之作
早春 明府席上賜宴得花字 1 2
擬老杜秋興
先人忌日諸君至
子敬宅集分題須磨懐古
水世甫至分韻
仲篤亡後夏日同山月師及諸子過伯瑜宅慨然感懐 1 2
早春過良駒宅
経美人旧宅
咏蘭
賦山寺読書
上巳前日集老子信宅 1 2
同賦吉野懐古
中秋前一夕
雨
送人帰山
和答子敬 1 2
賀相常師新住古川本光寺
伯瑜臥病齋中有作因和
奉寄常山先生
寄熊子彦 1 2
聞君美登日光山賦贈
秋晩送子敬之賀州 1 2
和答西門田生早春見寄
立春諸子至
秋宵寓直
次韻和答彦藩相宗子安見寄
春日同諸子遊雲龍洞水禅師房禅師有詩賦此和呈
和西郊師春日山居之作
秋日作八首 1 2 3 4
春夜雨田中氏席上送于松二生経東海赴南都
中秋五雲壇賞月
春日漫興
早春奉和
齋前松移栽 1 2
寄谷翔之
春雨中青山楼分韻
過士錫宅次韻主人
送世甫遊学張州
送田東壁之京 1 2
北海先生遊郡上寄書来云経中山峡来過我既以途艱事迫不果賦以奉寄
次韻 明府席上見示 1 2
春日過繊江與南江師話旧席上出示諸尊衲詩賦贈
春日巌氏忘機亭探韻得吹字 1 2
辛丑上巳壽鳴門田翁六十
壽平安醫生松下主人七十
奉和 明府留別之作二首
病懐三首
君美題余諸詩稿見示賦答之 1 2
聞浪華木世肅徙家勢州遥有此寄
聞友人登富嶽賦以寄贈
松倉懐古二首
追悼北海先生 1 2
秋夜草堂同世甫賦分韻
壽玄圃先生六十
明府席上同賦夏日遊菟道
平安春望
江都春望 1 2
浪華春望
【臥牛山人集初編 巻之五】
七言律 下
送君美之伊勢是我
遥聞東皐先生開壽筵賦此奉賀
聞草盧先生還東山旧盧賦此寄呈
壽湖上石亭翁 1 2
秋夜寄慰西門田生
聞香陵師以法王命奉使西海又如越遥有此寄 1 2
秋雨君美来訪
蟋蟀
田君美病中有詩見寄且見示東遊詩草賦此答寄
歳暮宴郡丞清陰館
草堂集 1 2
新秋雨伯瑜士良見訪同賦
壽西京指月師七十
清公績教授于郡上遥有此寄
春日漫興
士人勝君清陰館二首 1 2
送士乂従 明府赴越前
聞荒園翁登立嶽賦寄
君山先生告老賦以奉呈寄
松平伯邦襲職賦此寄賀 1 2
伯瑜士良夜過
次韻荒園翁登立嶽之作
龍澤君挽詞
悼草盧龍先生二首
冬日寄宮闈令龍溪致仕
早春松石園即事
春日遊東村邉氏 1 2
松石亭集
春日攜諸子侄遊鳩峯途中作
草堂同士徳賦
君美見過
追悼鳴門大人 1 2
喜皆演尊者過訪
哭士乂
冬日同諸君遊東村邉氏宅
哭君山先生二首
和角溪尊者幽居韻
夏日同子敬伯瑜士良過八幡旭師房
遊松木氏邂逅越中成西二生 1 2
中秋同伯瑜伯健士信、登五雲壇賞月
伯瑜伯健文畏、秋日登袈裟山、余有故不果往故賦以贈 1 2
重陽前一日同伯健文畏士信登飯山寺
九日雨寄子敬
奉送 原明府西巡
悼伯瑜
和答士徳見過之作 1 2
十六夜待士徳不至
冬日某師寓居埜子容宅賦以贈
初夏洞水師及諸君枉駕草堂
意城上人過訪有詩見示
送木士咸 1 2
過亡友伯瑜居
追悼滄洲老人二首 1 2
草堂即事
送田君美攜家属遊尾崎
月夜邉士蒸見訪
暮春夜叢桂園
奉壽箕山先生八十 1 2
九日遊北岡
賦得竹契遐年壽平安淇水楼主人五十応田士煥需 1 2
暮春謁山王祠途中作
次韻子敬別墅之作二首 1 2
九日雲龍別院集常陽鳥巣上人在坐
送存妙禅師転住能州総持寺
田家夏日
暮春郊行次岡生韻
岐蘓石作士幹、寄示翠山楼集、聞近任執政職因賦呈寄 1 2
明府枉駕静修館賦以奉呈
【臥牛山人集初編 巻之六】
五言絶句
夜踰七盤嶺
彦根客舎
客中五日
分題羽林騎閨人
傚古
閨怨
山水図
自君之出矣
古意
詠詩
閨情
平蕃曲
採蓮曲
小集分題公子行
胃城山 明府逍遥園七勝之一
黄花塢 同上
青松径 同上
柳原亭分題閨怨
暮春遊玄興寺得花字
江南曲
遥題勢州某氏所蔵酒盞、盞豊王之賜也
雪峯瑞上人、滅後垂二十年、一寺罹災、旧貫不存、凡百廃闕唯有法孫尼、為修忌祭云、二首
秋香圃
飛泉澗 尊渚亭五勝之一
清灣 同上
松間月
野寺晨鐘 有莘堂十勝之一
菅祠松樹 同上
松村夜雨 同上
山水図
草堂喜士徳至、得窓字
牡丹
漁父
鳥巣六詠応東峨師需
右筑波夕陽
右平田落雁
右野橋凉月
右小水孤舟
右富士積雪
右鬱林宿鳥
四妃怨
右湘妃怨
右虞妃怨
右班妃怨
右明妃怨
新燕
七言絶句
明府席上望乗嶽雪
少年行
彦根城西郊行
西京途中
春宮曲
荒園席上分題蟋蟀入牀 1 2
寒江独釣図
青楼曲
逢侠者
子敬宅集分題塞上曲
園菊為馬所嚼
宮詞二首 1 2
偶作
山中二首
賦得湘霊鼓瑟
子敬臥病賦此寄贈二首
明府席上分題塞下曲 1 2
秋閨怨二首
春日作
暮春田家五首
従軍行奉次韻 明府
埜有章宅送恵旭師還石動山
三日集伯健錦江別荘二首
送伯健
送君美
軍城早秋
羽林少年行
過酒家
賦得柳邉繋馬二首
春日漫興
城西訪季文
和某禅師寓居之作六首節二首 1 2
藤橋 有記茲不贅
籃渡 同前
喜鳥巣上人過訪
秋思
九月八日過東村邉氏飲
還家寄仙楠
老将
寒夜友人過訪得居字
寄某禅師
採蓮曲二首 1 2
春日新晴
圓位法師墓
次韻谷子疇山家春日之作
同賦途中寒食
夜雨
窖梅為鼡所囓
江楼聞雁
哭巌城長兄
題紫媛石山著史図 1 2
白牡丹
秋夜雨得雨字
題荘周像
春日即事
山寺避暑
乙卯八月記迷
擬出塞 1 2
雨夜寄館郡丞 時行役吉城郡
雨夜感懐
西郊師房前松数年枝葉繁茂慨然有感
九月七日寒山居士忌辰 寒山亡友伯瑜之法諡也
三月二日清水館即興
雲林書屋図
南総分題雨後江上泛舟
春閨怨
暮春草堂即事
送人遊伊勢
塞下二首
十日子敬子良至 1 2
災後口占二首
田家雑興
伯夷扣馬図
擣衣
送埜氏容南遊
蘇子後赤壁図 1 2
雨中観挿秧
早春送人登秋葉山
【臥牛山人集初編 巻之七】
序
壽沼先生序 1 2 3 4
壽北海先生序 1 2 3
壽呂竹丈人序 1 2 3 4
壽滄洲老人序 1 2 3 4
送相常師序 1 2 3
有莘堂十勝詩集序 1 2 3 4 5 6
送館郡丞省郷序 1 2 3
【臥牛山人集初編 巻之八】
記
白山廟記 1 2 3 4
忘機亭記 1 2 3 4
雪草菴記 1 2 3
今日菴記 1 2 3
遵渚亭記 1 2 3 4
洋踽園記 1 2 3 4 5
両岐麥記 1 2 3 4 5 6
論
傅説論 1 2 3
駿馬論 1 2 3
三仁論 1 2 3
駁范増論 1 2 3 4 5
【臥牛山人集初編 巻之九】
賛
神農像賛
海老図賛
壽星図賛
雲中老子賛
吸酢三聖図賛
陸處士画像賛
普門元定居士像賛並序 1 2
野中氏母清愛玉置氏像賛
雎陽五老會図賛
銘
硯銘為文畏
挿花瓠銘
挿花二口筒銘
臥鯨石銘 1 2
笙銘
一位木銘
化石銘並序 1 2
紅白一双勾玉銘、応天倪山恵順師需 1 2
淺水琴銘
杖銘 虎杖草也
駿骨銘並序 1 2 3
碑碣
故處子滄洲翁墓 1 2
桃蹊元先生墓 1 2 3 4
後藤子碑 1 2 3 4
傘松城碑 1 2 3
【臥牛山人集初編 巻之十】
雑著
紀野首邑長祈年事 1 2 3
黒百合 1 2 3 4 5
陰徳叟伝 1 2 3
樵翁伝 1 2 3 4 5 6 7
題言
題俳歌花霽首
題濃騨紀行首 1 2
題邀月齋記後 1 2 3 4
書牘
與東皐先生 1 2
復洞水師 1 2
答相常師
復荒園先生
答荒園先生 1 2
報石士幹 1 2
與箕山先生 1 2
復了超師 1 2 3
與清公績
答大江稚圭 1 2
赤田三先生碑陰記
是我飛騨先儒、赤田三先生之墳塋也。地屬高山大雄寺兆域、中央臥牛先生、後爲章齋先生、北則誠軒先生。父子三世盡力ヘ學、生徒彬彬有所矜式。臥牛先生文政
五年七月廿二日歿。章齋先生弘化二年八月二十九日歿。誠軒先生以明治六年五月廿七日易簀。有故獨葬於其夫人市村氏之松倉山先塋。子孫遠去墳墓、荒涼不祀。
鳴呼三先生以一門文学、扶植一國ヘ者、
一首餘年矣。爲飛騨人者、豈可不懐其徳哉。頃者同志胥謀、修墳墓理塋域、改葬誠軒先生於此。始獲致春秋同祀之敬。因新建石表其基、題字集臥牛先生之書。寓
景仰之意又叙修理之始末、刻於碑陰、俾後人追思勿諼焉。
大正十五年仲秋中村信夫謹撰 松井澂書 湯萬年刻
赤田三先生稗陰記
これ我が飛騨の先儒、赤田三先生の墳塋(墓)なり。地は高山大雄寺の兆域(墓域)に属し、中央は臥牛先生、後ろは章斎(光暢)先生たり、北は則ち誠軒先生なり。
父子三世、力を教学に尽くし、生徒彬々として矜式(キョウショク:謹んで手本に)する所多し。
臥牛先生は文政五年(1822)7月22日に歿し、章齋先生は弘化二年(1845)8月29日に歿す。誠軒先生は明治六年(1873)5月27日を以て易簀(エキサク:高貴の人の死)するも、
ゆゑありて独りその夫人市村氏の松倉山の先域に葬らる。子孫、遠く墳墓を去り、荒涼として祀らず。
ああ三先生、一門の学を以て一国の風教を扶植(植えつける)する者、一百余年なりき。飛騨人たる者、あに其の徳を懐はざるべけんや。
頃者(このごろ)同志、あひ謀りて墳墓を修し、塋域を理(おさ)め改めて、誠軒先生を此に葬る。始めて春秋同祀の敬を致すをえたり。よりて新たに石を建て其の墓に表す。
題字は臥牛先生の書を集め、景仰の意を寓す。又、修理の始末を叙し、碑陰に刻し、後人をして追思し、わするることなからしめんとす。
大正十五年仲秋 中村信夫謹撰 松井澂書 湯萬年刻 (高山市大雄寺山内)
『碑文をたずねて 一 岐阜県下碑文漢文の部』(1994岐阜県歴史資料館刊行)に拠った。
伊藤信『濃飛文学史』421-423p
赤田臥牛
初名、朱義、のち元義と改む。字は伯宜、通称新助、臥牛山人と号す。延享四年某月を以て生る。其の家、世々高山町に住し醸酒業を営む。
臥牛、幼より学を好み、初め雪峰師に就きて、論・孟及び五経の句読を受け、また柚于盤につきて魯論十篇及び唐明人の詩説を受け、それより広
く經史諸子群書を渉猟し、専ら荻生徂徠、太宰春台の学風を慕ひ、また服部南郭の詩を喜ぶ。然れども郷党師友無く、出遊せんとするも、父その遠
行を喜ばず。故を以て独学、具に辛酸を嘗む。
郷人に津野滄洲と云ふものあり。臥牛の独学にして師友なきを憫み、為めに紹介して尾(州)の松平君山、浅井図南、江(州)の龍草廬、越
(後)の館柳湾の諸儒と通交せしむ。
是より名声漸く著はる。曾て江村北海『日本詩史』を撰するや
「堀川(伊藤仁斎)の古学を創唱するの日より、惟だ飛騨・佐渡・隠岐の士の至る者無く、今時もまた然り。其れ学に嚮(むか)はざるを知るべき
也。」
の語あり。のち臥牛の詩を見るに及び、飛騨またこの文人あるを知り、その稿に序して奨励を加ふ。時に天明元年五月、臥牛、年三十五歳なりき。
寛政・文化の間、館柳湾、職を飛州に奉ずる数年、臥牛これと交り、交酒徴逐、日として楽しまざるはなし。
臥牛、年長ずるに従ひ、学識益々進み、郷人翕然としてその門に入る。即ち帷を下して静修館と云ふ。飛騨に学塾の設けあり。蓋し之を権輿とな
す。
その学、一家を墨守せず。専ら朱子の学を本とし、諸家の説を参取す。門弟、日に進み、名声大に顕る。老いて倦まず、興に乗じて吟詠自ら楽し
む。恒に人に教へて曰く
「詩は諸(これ)を古唐を本とし、文は諸(これ)を秦漢を本とし、是れ蘐老の復古の教へ也。」
と、以てその好尚を知るべし。甞て論語を講ずるや、仁科白谷聴講し、嘆賞して曰く、
「斯の先生あり。漢籍を学ばんと欲する者、必ずしも京師に出づるを要せず」 と。
臥牛、天資精敏、篤厚恭倹、敢て聞達(売名)を求めず。もとより漢学の造詣深きのみならず、皇室を尊崇するの念、頗る篤し。曾て津野滄洲と
謀り、籠渡・藤橋の二図を作り、式部大輔菅原長親を経、これを乙夜の覧に供し、其の嘉納せられしを聞くや、懸度行の七言長古一篇を賦して歓喜
の情を述ぶ。
文政五年七月二十二日没す。年七十六。文献先生と諡す。大雄寺山に葬る。遺稿あり『臥牛集』と云ふ。その詩、古色藹然、気韻尚ぶへし。門下
秀才少からず。
「野滄洲翁の崎陽(長崎)に遊ぶを送る。」
孤帆、遠く懸く夕賜の頭(ほとり)。何処の波間にか九州を問ふ。潮汐、長へに通ず、玄菟(大陸)の塞。風雲尽きんと欲す蜻蜒洲(あきつし
ま)。
星を衡く剣、天涯に向ひて動く。月を貫いて槎、海上の遊びに応ず。別れに臨みて躊躇、留むも駐まらず。君を送りて西望す、離愁をいかんせん。
「明府(代官)の静修館に枉駕す、賦して以て奉呈す。」
清秋明府、高軒に駐す。一畝宮成小杏園。剣履逍遥乗暇日。裳衣転倒掃閑門。
屋間新壁泥鰌湿。窓外修篁陰未繁。茗話倉皇還促駕。疎鐘声裡月黄昏。
「春日作」
宅は纔かに三畝、市鄽の間。終日営み無く心自ら閑たり。乳雀、階庭、来て粒を啄む。牀頭坐して見る臥牛山。
「雨夜、館郡丞に寄る。時に吉城郡に行役す。」
細江の秋色、水烟、孤たり。行役、看君、官途に困しむ。客夜蕭然、人寝ず。菅禽、只管、雨中に呼ぶ。
赤田章齋
名は光暢、字は永和、別号鉅埜逸民、通称晋助、臥牛の子なり。安永四年を以て生れ、父臥牛の教を受く。のち静修館の教授を継ぎ、弟子益々進
む。
章齋、人となり恭敬謹慎、門生を待つこと朋友の如し。凡そ国人の経史を講習するもの、一としてその門に至らざるはなし。後年、中島棕隠の飛
騨に遊ぶや、章齋を静修館に訪ひ、詩を贈って曰く、
「静修館席上、赤田章齋に贈る」 中島棕隠
郷校の由来は典型存するも、静修の偉業、君に到りて成る。一時の士庶、先進(新先生:論語)を推す。奕世(代々)文章、旧盟を結ぶ。
為に羨む、牛山高臥の態。敢て陳ぶ、鴨水独遊の情。皐比(講義)講ずる暇、相ひ許す如し。また匏尊(酒)を把りて月明に酔はん。
天保中、時の郡代、大井永昌、時々請うて經書を講ぜしむ。爾後郡代より講談せしめて聴くを例とせり。のちの郡代、元締菊田泰蔵首唱し、飛騨
三郡の有志者に醵金せしめて、学舎を建設し、また釈奠を営ましめ、郡代往きて参拝す。爾後郡代僚属、釈奠に参拝するを例とせり。章齋また詩文
に長じ、画を善くす。
弘化二年九月二十九日、病を以て没す。時に年六十二。諡して恭靖先生と云ふ。
「松隠禪師広瀬に遊び桜花を賞の韻に賡ぐ」
広瀬、春深く、花、山に満る。蕭然たる荒塁、繍雲の間。吟じ来って古へを弔ひ、徘徊久し。処々の香風、客還るを送る。