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田中克己日記 1951


【昭和26年】

 昭和26年、彦根の地に移った詩人ですが翌27年、自身の活躍の場を再び畿内に戻すべく、叔父が専務を務める会社(富士鋼業)のコネを頼り、 社長(山本藤助)が理事長を務める帝塚山学院への移籍が実現します。生活の窮状を救ってくれた彦根短期大学を、たった1年で辞めてしまふことについては周囲からの異論・慰留の声も多く、 その理由は自ら挙げた寒冷のためばかりではなかったのでしょうが、決めてしまったことは仕方がなく、 父親からは「まう今度は腰を据えるつもりで皆の事を考へねばいけない。」と手紙にても諭されてゐます(2月16日消印封書)。

新居は布施市(現東大阪市)富士鋼業の男子寮の敷地内に建てられた一軒家に決りました。条件として寮生の管理を仰せつかった詩人は、講義にゆく傍ら会社にも出社し、 ワンマン叔父さんの配下に入って、寮に図書室を作ったり、賄ひ婦を探したり、素行不良者の生活指導を行ったりと、 雑務に教員ノウハウを発揮して、その報酬をも生活費(図書費?)に充てることができるやうになりました。

移籍先の帝塚山学院短期大学は滋賀県立短期大学と同様、発足して間もない学校でしたが、ここで『四季』同人の後輩である杉山平一と、同僚として出会ふことになります。(参考資料「短大の歩み」杉山平一) 共に幼子を喪った身の上を話し合ってゐますが、帝塚山には同じく詩人である小野十三郎も居りました。戦時中も抵抗精神を持し、 戦後現代詩陣営からは反抒情詩の立場を掲げた文学者の鑑として、やがて「関西詩壇のドン」に目されてゆく彼ですが、一方の田中克己はといへば、 日本浪曼派の文化圏にあって戦争中は皇国史観を体現する詩集を刊行してきた根っからの抒情詩派です。日記から詩壇の消息がどこまで窺はれるのか、 相反する二者の間に杉山平一を置き、キャンパスの文学者たちをめぐる今後の交流に興味津々です。

もっとも田中克己も、近江詩人会においては実力一番の詩人です。といふより結成の立役者でしたから、 滋賀県の詩人たちは彦根を去らんとする詩人をこぞって行く春とともに惜しみました。規約を定めぬ会において地元不在の彼は、この後も名誉職のやうに遇され、 昭和32年に上京して以降も永く、亡くなるまで交流は続いたのでした。一番に信を寄せた井上多喜三郎とは、共に京都のコルボオ詩話会に参加してをり、 また近江詩人会とコルボオ詩話会の印刷者は同じく山前実治、古書店をたたみ奈良女子に奉職した天野忠とも、天理図書館時代の同僚たちと行き来する途次に復活し、 と前述の帝塚山の仲間をふくめ、詩人達との往来も却って増へてゐる様子が窺へます。

その井上多喜三郎「多喜さん」が田中克己の転地を知り、近江の詩人たちと相謀り、餞別のプレゼントとして詩人には内緒で編集・印刷されたのが詩集『寒冷地帯』です。タイトルネーミングに田中克己ばりの皮肉を効かすべく、敢へて選んだ表題作ほか、 選択された作品の出来が詩人は不本意だったらしく、後年も正式な著書としてカウントこそされてゐませんが(詩人の書架にも見つかりませんでした)、 世間の目には触れぬ50冊限りの印刷だったこともあり、日記を繰れば判るやうに、学生にやったのを後悔して取り返すなど、彦根で暮らした記念(かたみ)として、 田舎ならではの詩友からの心づくしには感じ入ったやうです。

さて帝塚山学院短期大学に奉職して田中克己が早速おこなったのは、コギト時代の盟友で親友だった亡き中島栄次郎の蔵書処分でした。 和書900冊はそのまま図書館に買ひ取られることになりましたが、残りの洋書(100冊?で計1000冊余?)は帝塚山短大では手に余ったやうで、 野田又夫に紹介された服部英次郎を通じ名古屋大学に買ひ取られることが最終的に決まります。日記にはその間の記録が、 中島の遺族や伊東静雄の教へ子である古書店の間に入り目まぐるしく周旋する様子が詳しく記されてゐます。他にもこれも伊東静雄がらみだったか、 西垣脩を呼ばうと動いてゐたことなど初耳に属することです。

浪速中学時代の教へ子らによって、詩人の風貌を冠して名付けた「蜻蛉の会」が始まったのもこの年、もちろん大阪高等学校時代の旧友の消息を伝へる記事も多くみられます。 小高根二郎はコルボウ詩話会の同人ですが、変った話題では松浦悦郎の兄との偶然の再会、また東京の竹内好が下阪した際、歓迎の宴で話題にのぼった昔の?恋人を探さうとしたなどといふ一件には笑はされます。
しかし肥下恒夫とは引き続き水の如き交はりといふよりもはや疎遠に、親戚の全田家を通じ困窮の様子を聞いても、お互ひ自身の生活で一杯といった感じで先行きが案じられます。 中島栄次郎についても、蔵書の整理はされても著作集の発行の話が出てこないのは、売値に執心する遺族の経済状態が芳しくないからなのでしょう。日記でも著作集については一言も出て来ません。
さうして保田與重郎ですが、前年に文学的再出発といふべき2冊の著作集『絶對平和論』『日本に祈る』を祖國社より刊行することで果たし、追放も解除されるのですが、 直後の7月には結核で入院してゐることが知られます。大阪の警察病院に見舞の様子があって田中克己サイドからの友情を再確認させますが、 あれほど足繁く通った祖国社(吉野書房)へ顔出しすることはまれとなり、羽田明邸への訪問も減ってゐます。住居のある布施市徳庵は京都よりは大阪のすぐ隣で奈良が近く、 もはや京都大学グループを巡り歩くやうな就職活動をする必要もなくなった彼にとって、コルボオ詩話会の集まりを除けば無理にも通ふ土地ではなくなったのかもしれません。

幸ひ、保田與重郎は短期の入院で完治したものの結核と云へば、詩人の例の恋人にも病巣が見つかり、せっかく彦根より下阪して頻繁に会へるやうになったのに、 2年間の療養を要すとの診断を下されてしまひます。友人を多くこの病ひで喪ってゐる詩人は、結核に関する書籍を買ひ漁り、親切を極める助言に心を砕いてゐますが、 伊東静雄と堀辰雄が結核によって病没するのは2年後の昭和28年のことです。行方は次年以降の日記にゆだねられますが、娘たちをも手懐けることに成功した御両人の縁しが、 どのやうに終息に向かふのか。御長女依子さんに訊ねても不明なこの恋愛の結末について、関西在住日記のこのさき、下世話な事ながら詩人らの動向とともにこちらも気になるところです。


昭和26年1月1日〜昭和26年2月11日
25.5cm×18.1cm 横掛ノート(文部省選定教育ノート大学高専用)に横書き (冒頭8p学生が使ひさしたノートを使用)

ノート   田中家系図

1月1日
雨、新年の式に出ず。12:00すぎ中島利夫氏お越し、ややして宮川、山下二君祝ひに来りしも上らず。子ら遊び、われ餅を飽食。悠紀子風邪とて寐たり起きたり。 賀状46枚、中に珍しきは菅谷晴子(山中)夫人よりあり。あとは学校の生徒、近江詩人会、天理など殆ど目下のみ。

1月2日
年賀状16枚、佐賀へ帰りしといふ杉浦正一郎。『くれなゐ』の会5日と。岩崎君誘ひに来り青年会へゆく。太田守松、河村ドクター、世良氏、市役所西田氏がお客にて14:30まで待たされ遊戯ささる。 夜、田村君より電報「3日ゆけず」と。けふも孔明書く気にならず。

1月3日
10:00すぎ依子に川崎君へ使にやりしに帰らず、史をやりて呼び返せば返事なし。昼食して床にをれば電話かかり、行けば広瀬先生、宮川君あり。17:00まで大食して帰る。けふ賀状6枚。父より6日頃来ると。

1月4日
晴、寒し。10:00始業とて登学せしに学長来られず御帰郷らし。宮本君を訪ね公舎見て松村家へ御挨拶して帰る。辰巳事務部長夫妻来訪につき案内す。夜、赤塚夫妻帰宅。
けふ賀状、篠田先生と嬢ちゃん(紀子)、外に朝日の青年記者田川君東京より。

1月5日
8:45の汽車にて上洛、米二升もち11:00先づ依田氏に寄りしに10:00から会と。そのままゐて来ざる小高根に電話せしに出張と。丹波市も来ず。昨年度のコルボオ賞選定に、 わが「哀歌」8票で一位、安藤、天野忠と入選。朗読でわが“パンパンの詩”みな笑ふ。
薬師寺の母君に会ひに中座せしも詩集いまのところ出さずと。2月11日の七回忌前後に知友の会せよといひ、依田君に引返し酒の会。葡萄酒1瓶賞にもらひ、 依田、安藤、山前、俵、荒木利夫、阿原、大西と8人にて新京極の金剛なるおでんやにゆき0:30まで飲み、resistanceを語り、大西邸でまたむし返し、泊めてもらふこととなり囲碁、入浴。 寝床の中にて「すまんすまん」とくり返す。

1月6日
9:00目ざめ、置手紙して出、10:30駅前で五目そば食ひ、昼食し、800+100払ひ吉野書房にゆき「孔明」書く気なきことをいひ、印刷所に電話かけ祇園行にて河原町三條に出、古本屋を見、 塩谷温『中国小説の研究(30)』買へば、紳士挨拶す、ややにして淀野隆三氏なることを思ひ出す。話しつつ京阪までゆき三井寺前の川村学長をお訪ねすれば病臥と。 葡萄酒置きて膳所より乗車。20:00家に帰れば父来り、寐をる。城平叔父より帝塚山のこと(※帝塚山学院への転職の件)聞きしと。年賀状多数、服部より関大に口かかりしとて相談。 この間の会にて抽籤当りしとてウイスキー1瓶を岩崎君もち来りくれしを父のみしと。

1月7日(日)
父13:10にと出てゆく。もろこを土産にゆき子買ひし由。その後臥床、大食。
服部へ下阪せよと。大西卯一郎、依田義賢、山前実治へ礼状。
近江の湖ながるる水の京にゆきなにわにゆくと思へばうれしも。
雪国の雪の下萌えほのぼのと息かよはせて談らんと思ふ。

1月8日
荒木利夫君に(※〒)、新しき年の初に新しき友を得しとぞわれは喜ぶ。
篠田紀嬢に無韻(※〒)、斯水西流落洛陽、洛陽花不知咲否、惟過得昨不惑歳、今年若惑君莫嗤(※斯の水、西に流れて洛陽に落つ、洛陽の花、知らず咲くや否や、 惟れ過って得る昨の不惑の歳、今年若し惑へども君、嗤ふ莫れ)
井上多喜三郎氏に上の歌の和訳、三木為堂先生に添削たのみ、堀場氏に一万円先払たのみ、堀(※辰雄)、和田(※清)、佐藤(※春夫)、河上(※徹太郎)、 三好(※達治)、野田(※又夫)、保田、工藤(※名古屋大学)、林(※)の10先生へ寄贈と35冊送付たのむ。
登学。月給もらひ金森使丁に明日の手伝たのみして帰る。和田先生より勉強すれば他を考へんと。石浜先生、矢野(※峰人)先生、桑田博士(阪大)、岩村教授より賀状の返し。堀夫人より同。
帰れば松本(※善海)、川久保よりハガキ。散歩にまた登学。諸届し17:10帰り来し赤塚夫妻と晩餐をともにし従来の学誼を謝す。不快なることなかりし人々なり。

1月9日
10:00まへ宮本君手伝いひに来てくれ、ややして金森使丁来る。われ新居にゐて受取り後、遅々として進まず。昼食にうどん2杯、松村家よりたまふ。午後、宮川、 山下嬢と連れ立って微酔にて来る(東山生そのまへにクラス会に呼びしも行かず)。17:00終り、悠紀子に松村家に挨拶にゆかしあとは明日とす。けふ篠田先生よりハガキ。

1月10日
朝、赤塚氏新聞を届けたまふ。悠紀子具合わるさうなれど登学。漢文のプリントにゆきしに中島氏中心となりて図書館の会しゐる。松村氏もありと。 田中嬢呼び出しプリント刷らしめ『くれなゐ』(次の締切10日と)受取り、山本治雄のハガキ受取る、病気せしと。帰りて悠紀子悪さうなれば河村氏に往診たのみ、 するめ3帖買ひ帰りて史、依子を使って炊事、ひまを見て隣の下里氏に挨拶。19:00往診したまひし河村氏と21:00まで話す。

1月11日
8:45より漢文、瀛涯勝覧天方国すませ、長春真人西遊記刷る。図書館の岩田氏と話して帰り昼食。午後河村ドクター見え、送り出して正法寺の小林(※英俊)氏にゆきお年玉(200)子らに与へ餅もらひて帰る。
けふ保田の小坊(恒三郎)より手紙。夜、松村氏へゆき挨拶。ついでに帝塚山のこといへば中島氏よりききをり、とめずと。講師として1日位来よとのことになりし様子。

1月12日
工科へ授業にゆく。ノートに要点のみ記しゆき講義せしも旨くゆきし。帰りて本部へゆき山下、長尾、宮川3君に雑誌の論文催促す。17日山下君と印刷所へゆくこととす。
帰りて井之口氏にゆき締切いひ、また出直して宮本君にゆけば風呂へゆきしと。夜食のとき史、旧友風間を家に置きたれば叱りしに出てゆく。あとで風間家を訪ねしに二人とも不在。 河村ドクターにゆき市立病院への紹介の名刺をもらひ中村竹次郎君にゆけば疲れて眠ると。けふ堀さんへ『くれなゐ』。埜中君へ原稿のことわりのハガキ書く。

1月13日
12:00まで床にをる。悠紀子その間に病院へゆき窪田ドクターの診察受けしと。13:00登学。矢野峰人先生をお迎へし、場つなぎに先生の紹介演説やり(美作の人と)ややすれば御講義。 学長先生より来よとのことにて、ゆきて辞意申上げ小野勝年氏のこといへば肯はる。14:30より酒客、われ一滴ものまず18:35にと矢野先生を送り出し、井之口、松村、 宮本三氏に先立って帰宅。松本、川久保へハガキ。

1月14日(日)
8:45に乗らんとしてゆきしに土橋にてバス来ず。川崎君に寄り、ともにゆく。所謂了解に終りたり。13:00鶴橋着、久しぶりにて戎橋、千日前、道頓堀歩き梅田で「戦場」なる戦争映画を見、 喫茶。山本にゆけば疑似猩紅熱なりしと。夕飯もらって泊めてもらふ。(※歌一種抹消)

1月15日
電話して庄野英二(※父は庄野貞一:帝塚山前学院長。昭和25年10月死去)に連絡たのみ帝塚山にゆき守本氏と鼎座。 山本理事長(※3代目山本藤助:帝塚山学院理事長)よりの話にて収入の点承知したが13時間もってもらふ(歴史と国文)、大笑ひなり。城平叔父にゆけば出勤と。 置手紙し15:10にのりて帰彦。雲井書店より梅崎春生『日の果て』送り来しのみ。

1月16日
朝、城平叔父より速達、直接守本氏と話しあとで山本社長(※富士鋼業社長=帝塚山学園理事長)にゆけと。
久しぶりに学芸部で歴史、すまして山下、長尾と話し、田村君に帰り家に来れといひ昼食。ハイネ出し由にて学校へ矢野先生、家へ和田先生の礼状。和田先生は『中国史概説』下さる由。 梅原京子氏より何かやらん申し出よと。大よりハイネ送れと。田村君来り、貸金月末と、退職のこと了解すと。ハイネ彦根でも見しと。18:00退出。
夜、松村先生にゆき大学の雑誌の話。すみて町内の常会、23:00まで、ばからし。

1月17日
10:00田中嬢ハガキ(工藤先生)もちて来る。追ひてゆき会計より定期代強奪!し、萩原先生より米国タバコもらひ井之口氏の原稿受取り佐藤教授に雑誌のこと話し(広瀬先生欠勤と)、 河村先生にゆき強心剤うってもらひ駅にゆき、11:57にのり膳所で山下君見えぬにいらいらし、京都へつけば在焉。ともに吉野書房にゆき高鳥君と話せしのち石田印刷所へゆき割付し、 支配人に7、8万円までといひ、(100頁内外、2月末必ず出来と)、吉野書房に引返し、うどんよばれ羽田にゆけば会議に出しと。置手紙して帰る(22:30)。

1月18日
漢文講義すませプリントに宋名臣言行録すらせ、帰ればハイネ5冊のみ来あり、富本君に一冊もちゆけば留守。まもなく西河君来り、十合受けしも最終番にて650と。思込みなからん。
帰りしあと宮本君来り話す。(けふ悠紀子市立病院に手続にゆき500とられし)。夕方、礼かたがた河村ドクターにゆけばまた注射うち下さる。女歌人あり、三好達治に弟子入りしたしと。 次いで来りし徳永嬢らと話し、22:00帰宅。けふ無名の年賀来る。白鳥先生ならん。転任世話のことなど云はれず。
さりともと礼するわれにまなこ避けゆきしをみなよこの怨みをば(某青年の話)。

1月19日
よべ不眠。あさ史に市川氏へ欠講の届けさせ、昼まで臥床。来りし宮川に退職いへば、我の時も原隨園氏より推薦せんとせしと。小野、宇都宮諸氏のこといひ、 雑誌のこと山下君とともにやり呉るやうたのみ、山下君と連絡ささんとせし所へ田中女史来る。手紙わたしてゆかせしに、宮川君帰りしあと林女史来り、連絡とれざりし。
あさ酣燈社堀場君に1万円の催促、夜、保田恒三郎君に手紙。與重郎へも添へ手紙して堀場君へ催促たのみ、田中城平叔父に山本理事長へわびたのむ。雨降りていやなり。心悸時々昂進す。

1月20日
8:00の汽車にのらんとしてゆけば8:45出しあと。10:02まで待つこととなり朝日の田川君と話し9:45にて来たまひし篠田先生つかまへ、けふの帰り問へば15:00またはそのあとと。 勝手にしろで別る。(中島氏、学長もありし)。中島嬢と25分おくれし汽車にて京都12:30着。吉野書房にゆき宮山君呼びて雑誌大体6.2万円としてもらひ、 羽田に電話して呼び出し池内先生の満鮮古代史を祖国社より出すこととし、文部省の某氏の推薦の辞その場で書かされ菓子たうべ、奥西保氏より2000借り、 ともに石田大成社にゆき刷り見本みて丸太町で別れ、丸物百貨店にて佐藤春夫『神々のたはむれ(80)』、赤彦『十年(30)』買ひ、●物買ひて帰り200引けば1300円!(河村ドクターへの礼に菓子150)。
けふ硲君より大阪北畠へ転居せしと。羽田より入れ違ひにハガキ。(羽田には1.小野勝年、2.堀井一雄、3.宇都宮清吉といひ承知せしむ)。

1月21日(日)
郵便なし。昼まへ駅にゆけば小林英俊。ついで中川君、宇田(※良子)嬢と4人にて安土着。近江詩人会。16人会し、すみて新年宴会。井上多喜三郎、井上源一郎、初田(清海)、小林、 辻君の6人。450の会費借りて帰る。彦根は雪積る。
わが心つめたくあらばこの国の空のもとなる土にねむらん。
をみな子のごときものいひするをのこわれをめぐりてあるがごとしも。

1月22日
よべ眠りにくく12:00までごろごろし登学。中島氏と会へば栄転ゆゑ止めず、篠田博士も了解しゐしと。協議会に出て井之口氏つかまへ原稿かへし、山下君、宮川君に印刷所のこと話し、 うだうだの会議大方終りまでゐて田村君を助教授にといひしが無理とわかり引込め、出られし広瀬先生追ひかければ松村氏すでに云ひ、宇都宮氏を云ひしと。小野君のこと話し、 近藤氏のこと云はれ御再考を乞ふ。
夜、宮本氏来り、コルボオに少し金出してもよしと、学校のことで考へ深く態度慎重なり。(けふ宮本夫人赤塚夫人ともに心配してくれし)。

1月23日
文科授業すませ俸給(17900)手取り8471貰ひて病院へゆけば、宮本、赤塚両夫人あり。身の廻り品選び呉れらしと。夫人たちかへりしあと夫君たち次々と見舞に来らる。ドクター、 看護婦ともに冷淡。18:00一旦家に帰りて夕食。また京(※みやこ:三女)を依子に背負にしてゆき我のみ20:30帰宅。けふ子らに100づつやる。けふ朝日の田川青年に会へば川崎君すでにわが退職しゃべりしと。

1月24日
晴、10:00宮本氏来訪に起きて病院にゆき窪田ドクターに会ひ、回診の際たのみしが冷淡。15:00看護婦に300わたせば俄かに手術してくるることとなる。 中西ドクター用意そろはざる中にやりくれ、その後婦長親切。但し窪田氏は謡曲やりゐたり。夕食時来りし宮本氏にいへば、云ふひまなかりしが、そんなことなりと。20:00までゐて帰り来る。
けふ保田より速達にて堀場に催促したが君よりも再々やれ、大阪へゆくなと。子らかはゆく●け合ふ。このをみな死なばあくる日つまむかへねばならぬ身と事にあひ知る。

1月25日
なだれおつる雪のごとくにひたむきになれに向へるこころはしらじ。
朝、弓子、依子、京にて病院。経過よささうゆゑ、あとまかせ史を学校へゆかせ依子、弓子を留守せしめて漢文教へ帰りて二女また病院にゆかせ13:00帰り来しによりまた登学。 教養部設置の会に出る。松村、中島ラインのきらはれかた見るに気の毒なり。われ文科へ残ることとなりしゆゑ直ちに退去。
けふ上田嘉俊より寒中見舞、女児出来しと。保田へ礼のハガキ書く。
若狭より積み越しかれひはみながらゆくすゑおもひ妻はなげくらし。
降りつもる雪のとぼそを叩くひとけふもなくして文作れとや。
死児埋葬品に印押す。

1月26日
10:00まへ家を出て病院によれば経過良好、すでに同室あり子癇にて帝王切開と。10:02出て58までなきゆゑ歩きて工科にゆき近藤氏と一寸話して講義。すませて近藤氏に転任いひ、 出れば12:28取り消し、58まで待つ間うどん食ひ、その家のババアに腹立て。
彦根で河村ドクターにいひ退院よろしと。喜びてゆけば早く出てほしきとわかる。学校にゆき金森使丁まち、長尾君と話せば山下君本校に愛人ありと。伊藤生東大を受くるため休学許可を求む。 許して金森を待ちて出、病院にゆけば既に室追ひ出されてあり。吹雪の中を帰らんとすれば自転車預りの婆さん電話かけてくれ輪タクにて悠紀子帰宅。 われも帰り宮本君と話し同君気は良きも典型的なるインテリにして無力とわかる。
けふ市役所に手続し芹橋の長久寺に埋むる許可を受く。入院料1122少しも安くなし。けふ旅費名目にてボーナス1690もらふ。

1月27日
朝、長久寺にゆき山に埋め、梵妻に200わたして回向たのみ、登学。篠田先生に大体の話をし、13:00の汽車で同行を約し、昼食後また登学。 (広瀬先生とけふはゆっくり話をし川崎氏に正月の200わたせし)。駅にゆけば篠田先生来られず川崎氏とゆき京都着。稲荷にゆき靴磨きに靴直され400とられ、羽倉にゆく。 和田先生にいろいろ弁解してくれし由。お餅御馳走になり、ともに出て四條南座の前にて別れ(村上一時間講師として900の月俸。東京左右の別れきつき由)。羽田にゆけば夕食中。 砂糖一斤土産とし、小野君彦根を辺鄙とていやがりをる様子ゆゑ、他を考へて研究室より宮川、田村に通ずべき旨いひ、21:20出て篠田博士邸へゆきとめてもらふ。松村氏はアル中と。 帝塚山永つづきせずと。学芸大学長北川氏は官僚的にていま喧嘩中と。ゆき子さんにハイネ進呈(博士風呂ぎらひ、朝顔を洗わずと)。

1月28日(日)
朝食よばれて9:30おともし、丸物にてジェレシャ・カーチン 『蒙古史(150)』買ひ、昼食たうべ髭のばせしまま彦根へ帰る。京、お多福風邪か腸わるきかと。
わが血肉岩と木の根の山の辺に埋めしことは忘れずあらむ。
このをとめさかしきさがにをぞびとらこはがりつつもののしるらしき。
(900+140+160=1200(400))。真野君、田川君、中川君みな留守中来りしと。(帰りの汽車、守山まで山本矩久子嬢と同車、谷崎源氏改訂の下[請]やると)

1月29日
朝、子ら登校。われ食糧公団へゆき市役所へゆき市内転住の手続し、米7キロもち米とし、八木原ドクターに往診乞ひ、帰りて昼食、登学。田中女史より彙報の原稿もらひ帰れば宮本君来り、 話すうち八木原氏お見え口内炎と。
けふ万暦武功録のカード作り初む。城平叔父、三木正治氏へハガキ。夜、岩崎昭弥、中川郁雄、藤野(※一雄)、若森、徳永嬢ら次々にあらはれ嬢をのぞく4人おそくまで話してゆく。 岩崎君(※京都市)西半木町西部岩森花方へ下宿と。

1月30日
歴史授業、レポートの題5を出す。野田又夫よりハイネの礼状。きのふ書きし彙報を山下君にわたし旅費請求をして帰り昼寝。悠紀子けふより炊事やる。夜、福島生の母親来り、 麻雀犯を止めてくれよと。市川夫人、田中禎子嬢の縁談につき訊ねに来る。

1月31日
10:00学校へゆき福島生をきけばあらずと。小使室で見付け家へつれ帰り事情きき、河村ドクターに『月下の一群』もちゆき、徳永女史に会ひ、福島の父母に話し、帰途、中川郁雄君に会ひ、 滋賀大の杉本(※長夫)氏会ひたがるときき、昼食後ゆく。暖かく景色よし。夫人とともに歓談さる。京城より引揚げしと。 12級1号俸と。帰りて見付け置きし『宋名臣言行録 上(50)』と伊東『反響(40)』買ひ、山の湯に入浴。
夜、田川君来り話しゆく。
春めきて荒神山に立つかすみこのままにして死なばよからむ。

2月1日
8:45より漢文講義し、蘇洵の文をテキストに刷りて11:00帰宅。昼食してひるね。夜、来客あり村田といふに誰かと思へば幸三郎。飯すすめしもすみしと。 金なくて困りしに察してか20:12にて帰ると(金沢からの途中下車と)。送りにゆけば東海道線不通、再びつれ帰り途中買ひし酒一升の中6合をのみて酔ひ、高石での妻、筋肉炎で死し、 北京での第二の妻、憲兵少佐の姪にて帰りしのち合はず協議離婚し、いま第三の妻もらひ豊川村道祖本宿川原に住み、6月より富田に家買ふと。旧友の話いろいろしてうれしかりし。

2月2日
8:00起床、村田と朝食し、またしゃべりしのちともに彦根駅へ出、別れて電車にて工科、ヒミコの話中途までして帰り、宮川君に会ひにゆけばぐうたらぐうたらして、 川崎君の意見では第一案は村松部長の云ふ通り宇都宮氏と我とを講師にせんと。梅原糸子氏へのハガキを投函して帰宅。羽田より佐中氏も如何とのハガキ見て、 宇都宮氏との連絡促すハガキ書きて依子に投函せしむ。夜、岩崎君来る。。

2月3日
寒し、よべより雪つもり、けふも降ってはまた止む。昼、学校へゆき篠田博士と会ひ話さんとする所へ松村、佐藤二氏来合せしにより帰る。藤野君リンゴもちて来り、夕飯まで話しゆく。
けふ「祖国」2月号来り、和田先生の還暦記念論叢講談社より出るにつき15日までにレジュメをとのハガキ来る。きのふより万暦武功録のノート作る。

2月4日(日)
雪降り止まず、河村ドクターに貸せし本とりにゆきしも起きず。バスにて8:45にのり京都着。山前君にゆき昼食。13:00依田君にゆく。小高根二郎、大浜、高橋など来ず、 井上多喜三郎とともに岩佐東一郎現はれ詩の朗読すみて歓迎会と。依田君のおごりにてビール。20:30みなと出て天野忠君に泊めてもらふ。奈良女子大より話ありと。 サラリーマンになる勿れといふ。

2月5日
8:00起き、話す中佐々木君見えいろいろ話し、10:00すぎ3人にて出て店にゆき歴史書2000ほど短大に送れといふ。『神々の戯れ』(450)につけあるを見る。吉野書房にゆけば栢木君あり、 「祖国」の編輯けふ保田来ると。昼食よばれ社長5000だけ立替へんと。あとで2000借金引かれ3000受取り彙文堂へゆき岩村『長春真人西遊記(120)』、隣で『辺略五種(20)』、 『水沫集(100)』。一旦帰り小高根二郎待ち、来りしと話し15:00の汽車にのるとふ保田待ちしが来ず16:30出て河原町にゆきコーヒー奢って貰ふ。(今村治子女史のことで叱らる)。
別れてゴム長、子らにと思ひしも高く、帰れば保田まだ来ず岩崎昭弥君と夕食くひにゆく途、宮山弟君に会ひ夕食おごり呉る。(13:00ゆきて支配人に会ひ500部中20部抜刷のこといひし)。 一度彦根に挨拶に来ると。(藤枝に電話し後任の件いふ)。帰れば保田あり。久しぶりなれどいふことなし。父君、小坊によろしくとたのみ、 (あす棟方(※志功)と伏見の酒屋にゆくと)19:57をつかまへ文学談しつつ帰れば隣席の画家話し掛く。同車に中村竹次郎君あることを発見、話しつつ帰る。
けふ広瀬先生宮川君と見えし由。河村ドクター悠紀子診察、貧血と。磯崎道子氏の詩稿おきゆかれしと。梅原京子氏より2月11日●之助氏の7回忌と。服部(※正己)より今年は転任せずと。

2月6日
登学。ヒミコの話すませ広瀬先生にお会ひすれば昨日村上成実氏を後任に定めんとして宮川君とともに来たまひしと。よからんといひて田村君に京大へ返事してもらふこととなる。 中島利夫氏久しぶりに研究室に来しゆゑ土曜に訪ねまつるといふ。山下君15:00来宅、坪井(※明)への紹介状書きてわたす。小林英俊氏来り、きけば病臥しゐしと。 17:30河村ドクターお越し悠紀子われともに注射うちてもらひ、詩の話くさぐさして帰らる。心悸よべ3:00までし、けふもをかし。服部、西村、薬師寺母君(10日参上と)、上田嘉俊へハガキ書く。

2月7日
井上多喜三郎氏来訪。14日老蘇にて青年相手の話せよ、7:20安土着にて来よとなり、ついで小使来り、東野女史の使にて「酒の肴」もちゆく。ひるまへ登学。 川村学長に地歴科教官の承認ありしこといひ広瀬先生に申せば松村氏に先づ云はんと。一旦帰りて河村ドクターにゆき強心剤打ってもらひ中川君に会ひドクターの詩のこといひ「酒の肴」買ひ足しにゆけば真野君に会ふ。 別れて協議会にゆけば広瀬さん、松村氏むくれてもう一年吾に苦労させようといひをりし由。紀要の伺ひ書き(7万円)帰れば、藤野君来りてやりやひて夜19:00よりの学長の馬の話ききにゆけと云ひし由。 夜来りてゆかんとすすむれど寒く心悸昂進すれば断り「詩人」を「Poets’ School」に送ること中川君にたのんでもらふ。
けふ城平叔父より速達、4間の家3月15日ごろ建つ。20〜25日引越せと也。12日伺ふ旨速達す。梅原京子氏より3品送りしとハガキ。気の毒なることなるかな。

2月8日
登学、漢文教へ一旦帰り12:30ゆき俸給もらふ、8000余となりし。やがて藤野君来り、中島氏来りしも10日の18:00待つとのことにて上らず。長尾君去り2氏17:30去る。
けふ梅原氏より小包にてネクタイと布地と絵はがき賜ふ。
うたうたふ雲雀の如きわがまなこ春めく空を見ればうれしも。
指折りて会ふ日かぞふる京をみななには乙女かわがこふらくは。
三木正浩君よりハガキ。夜、和田先生論叢のレジュメ書き酣燈社へ受取と35冊の催促書く。

2月9日
工科へゆく。雨中歩きてなり。河村専太郎あり、松村氏と連結なりしと。近藤君に村上氏のこといひ、また歩きて帰り宮川君まてば松村氏に話し了解得しと。 広瀬先生と顔見合せ今夜われ行きてあやまることとし、夜、松村家にゆけば広瀬氏には云ひしもよからんと。社交的談話すませて帰る。これにて短大との仲旨くすみたり。 (けさ岩崎君来り、当分彦根より通ふと。工科の授業にてヒミコは倭トトヒモモソヒメノミコトと新説を説く)。

2月10日
10:00まへ学校へゆき中島氏の本と天野君の書類とらんとせしに広瀬、川崎二氏あり。昨日の松村会見のこと話し、帰りて11:00まへ家を出、河村ドクターに強心剤打っていただき11:57にのりて上洛、 吉野書房にゆけば奥西兄氏のみ。2000だけ立替へてもらひ、梅原さんにゆき(300香奠)、歓待さる。大正11、12年の洋行の話さる。出て研究所にゆけば藤枝不在。入矢氏と話し伝言たのみ(竹内好教科書を出しゐし)、 中島氏に寄って見れば既に帰宅さる。ハモなべ食べさしてもらひ(宮川来会す)、20:30出て藤枝に礼いひ、宮川と別れて天野君にゆけば不在?。やむなく佐々木君にゆき伝言たのみ、 ともに出て致し方なく駅前の宿屋に泊る。

2月11日(日)
四條にゆき洋傘ひやかし結局10:00開店の大丸の木綿市で750で買ひ、靴下2足(160)買ひし。丸物にゆき下阪。田村春雄にゆけば夫人産褥、嬢や(和子と)を生みて9日目と。 春雄少しも可哀がらぬがふしぎなり。風呂に入れてもらひコーヒーのましてもらひしてとまる。山本義助邸は北畠と。
さくら咲く丘にのぼりてこひのうたふたりうたふ日いまか来たらむ。
たれひとりその吉ひ(※さひはひ)をうばはずてこのこひとげむすべをおもへる。
をのこわれみめはほこらずことごとにこまかきなさけたぐひありなし。
をのこわれつつ(※銃)とるときもよそびとにひかねどやぶれ知りては泣きぬ。
黒奴も支那農民も殺さずてはな咲くつちとなさむ時がな。


昭和26年2月12日〜昭和26年12月31日
24.6cm×17.3cm 横掛大学ノートに横書き

p2

2月12日
8:30の講義にゆく春雄とともに出て8:00天王寺で別れ、今川の城平叔父を訪ね、ともに自動車で徳庵にゆく。運転手の帰るを11:00まで待ち、その間叔父のワンマン振りを見る。 父来合せきのふ山本重武に会ひしと。母ひがみゐるゆゑ一度来よと。康平叔父もあり。
安堂寺橋にゆき12:30山本社長に引合され、礼いひ「ハイネ」贈りまた自動車で帝塚山。叔父にたのんでもらひ学長に会ふ。出て住吉高校にゆき山本重武に8年ぶりに会ひ、 うどんおごってもらひ硲君の家へつれてゆかれ(途中池沢(※茂)に寄りしも夜にならねば帰らずと)、ミルク御馳走になりアベノ橋で別れ、 大手前の坪井(※明)を訪ぬればP.T.A.で忙し。すぐ出て梅田にゆき17:10に乗り能登川をすぎれば雪。傘役に立てて同車なりし川崎君と帰る。宮本君来しと。

2月13日
登学。歴史の講義すませ天野忠より来しハガキ見れば送料きめてあらずと。田中健二氏より『陶淵明』買ってくれよと。帰りて昼食すませれば藤野(※一雄)君来り、ややして宮本君来り、 藤野君帰りしあと徳永嬢来る。(けふ田村君5,000また返せず断りいふ)

2月14日
5:00起き6:00家を出6:40の下りに乗り安土着。7:20のバスで老蘇、井上邸に入る。小林英俊肋膜と。9:20より小学校での青年修養講座に出、 「青年のすすむべき道」との題で反戦論やりしも反響なし。昼食よばれて井上邸に帰り、もてなし受け15:00講演終りし滋賀新聞編輯長木村緑生氏と夕食たまふ。 憲法第9條の改正近くあらんと。それに無抵抗の気持は青年たちと同じ。18:00すぎ雪の中をともに出て近鉄の駅まで歩き20:00彦根に帰る。夕方松村氏、 明日の虎姫の特殊部落見学の案内をされ、岩崎君あすより京都住ひといひに来し由。羽田より速達、山下君の就職につき姫岡氏にたのめと。 けふ井上氏気付にて臼井(※喜之介)より中河与一『秘帖』(50+12)送り来りし。

2月15日
けふ虎姫の部落祝祭にと3教授そろひてゆきし由なれど我ゆかず、松村家へ悠紀子ことはりにやればすでに出しあと。漢文すませ広瀬先生に伺へば宮川君「飲酒研究」と悪口いひゐしと。
天野忠よりことわり状、ラヂオ聞きゐしと。帰りてひるね中、藤野君来しも悠紀子帰せしと。夜、石浜先生、羽田へ便りかく。

2月16日
曇、工科へゆき12:10ごろ家へ帰れば悠紀子不在。また学校へゆき山下君に姫岡氏へゆくことをすすむ。宮川君「われも世話せよ」といふ。帰れば朝日の田川君来り写真とる。 13:30正法寺の小林君見舞にゆけば入れ違ひとなりしと。井上多喜三郎氏より礼状、いたみ入る。
けふ石浜先生への手紙投函し臼井喜之介へ『秘帖』の代、3月コルボオの会にて払はんといふ。

2月17日
晴曇半ばし寒し。家居、富士の原義元氏より図書室のこと。父より通学と配給のこと。けふ和田先生、坂口允男へ手紙。原氏へハガキ。 大へ「酣燈社へ35冊とりにゆきくれよ」と。午後中川郁雄、藤野一雄2君来る。明日11:57でゆくと。『ワーズワース』と『詩鑑賞』と2冊づつ買ふ。(150)

2月18日(日)
朝、大江叔母へハガキ書き11:57に乗ると出てゆきしにおくれ、中村竹次郎へ寄りしも不在。13:12にて八幡着。産業会館の詩人会にゆけば30人ほど、盛会。わが詩よみ終りしとき、 史来り「ジヨウヘイヤマヒワルシ フジコウギヨウヘコイ、エン」との電報もち来る。あはてて17:10の汽車に飛び乗り19:00徳庵へゆけば「警察病院へ入院せし」と。 久美子の婿松尾、同君の父(もと住中校長と)とともに桃谷の病院へゆけば胆嚢炎と。一目見しのみにて大江叔母、田中叔母、今川町の叔母、きわ叔母と話し、うろたへし康平叔父、 東京より帰りし大江叔父、昌三叔父、久美子などと一座し20:30藤井寺にゆきて泊る。(けふ『Golden treasury』120で見付け買ふ。)

2月19日
10:00藤井寺を出て市立病院にゆけば春雄診察中、まちて散髪し、コーヒーにトースト摂り14:00すみし春雄の部屋へゆき石浜先生の甥君と話し、 警察病院の外科部長に紹介状書いてもらひ病院へゆけば16:00。父あり「病状心配いらぬ」といひ、叔父にも会って退去。
天理にゆき金井(※寅之助)君にゆく。18:00ごろまで帰らぬ由を呼んでもらひ彦根(※就職の口)脈なきことを申渡して泊めてもらふ。 (中村忠行に途で会ふ、帝塚山のこと知りゐる。金井君は知らず。佐藤誠やめしと。)

2月20日
金井君に一歩おくれ駅より大学まへ行のバスにのり図書館にゆく。佐藤誠来ず。10:30出れば新城氏養徳社まで送り来る。上田嘉俊呼び出せばまた整理と。 吉岡君危しと。鈴木氏2ヶ月欠勤と。コーヒーおごられ西ノ京へゆき薬師寺の塔頭に住む佐藤君にゆけば「夫人東京にやり自炊」と。東京よりの客3人ゐる。ともに出て西大寺で別れ京都着。 吉野書房へゆき2900もらひ、帰れば19:00。
留守中、田村君4000返せしと。山下君礼もち来しと。(けふ姫岡氏に天理で会ひてきけばあやふやなり)。三木為堂、田村実造博士、 井上多喜三郎氏よりハガキ「近江詩人会3月は彦根図書館にて18日10時より。原稿は10日締切」と。
けふ石田大成社より校正受取り、帰りてあけ見れば井之口氏と我との分なりし。

2月21日
晴、暖し。10:30井之口氏に校正もちゆき自らも校正す。山下君より手紙。美術大の口なりしとて喜ぶ。『天狼』より「選句を」と。斯波氏『陶淵明(240)』送り来る。
帰りて昼食してまた登学。中島氏に会へば「学長、家空けくるるや心配しゐる」と。「金井君は欠員なきため(※呼ぶこと)ならず、天理よりなにか告口ありし」と。気の毒なり。 協議会つまらず。いよいよ不快。帰れば「小林君、餅もちて来たまひし」と。藤野君にゆきて此間の会のこといひ、帰れば守田、徳永2嬢お越し、話す中、井上多喜三郎氏来る。 ややあって小使来り、「家賃2300を後期月給より引く」と。2嬢帰りしあと井上氏に夕食たべてもらひ、送り出して宮本君にゆく。徳永嬢は諏訪氏に断られしと。 世界地図(宝暦版)もらひ帰宅。けふ『くれなゐ』にと歌12首かきぬく(会費200同封)。

2月22日
8:45の漢文の講義にゆき帰りて岩崎昭弥の失恋といふハガキ見てゐれば、徳永嬢来り京に絵本2冊呉れ、昼食たうべ15:00まで話しゆく。(けさ平凡社より「辞典5項目書け」と、 善海の心配りなり)。午後、井上多喜三郎氏より礼状。

2月23日
朝、和田先生より「中国史概説」たまはる。工科にゆき何も教へず、帰りて昼食、登学。
山下君に途で会ひ「田中秀央先生にもたのむべし」といひ、校正宮川君にわたし、サラリーの不平聞き、帰らんとすれば藤野一雄君?受験の聞合せに来る。別れて新聞部の卒業生たちと会し、 帰れば「留守中藤野一雄君2度来し」と。夜来しと岩崎昭弥のことなど語り送り出せば12時すぎ。
けふ金井、平凡社、田村実造博士へハガキ。大より「酣燈社にゆけば送りしとて帰り来し」と。けふ萩原博士に聞けば「学長、工科の人にあとわたすゆゑ心配しゐる」と。 折よく来たまひしに「3月25日頃明けわたす」といふ。月給より家賃2300引かれし。

2月24日
11:30まで寝て起きれば酣燈社より35冊来ゐし。学校にゆき図書館に一冊わたし、萩原博士の室で篠田先生まち13:12の汽車を約し先に出て中川君に留守いひ、 駅で山本副手とともになり待つ中2博士お越し、中島氏「松村はこの頃悪くなりし」と云ひゐるとのことに「前よりならん」といひ、山下君のあとたのみ、大阪着。警察病院にゆけば、 城平叔父好きらしバナナ昭和17年よりの年ぶりに食ひ、アベノ橋で中華そば食ひ、京都へ帰り下総町にゆく。久美子の母は今川夫人と。似ゐると思ひし。

2月25日(日)
洋傘借りて出、駅前にゆき羽田にゆけば同窓会とて不在。4月博士邸へ越す由、夕食すすむる夫人にことわり下総町に傘かへし19:55にて帰宅。「留守中、小林君来り、若森君来し」と。
けふ父より山上次郎『斎藤茂吉研究』2冊もらひ車中よみて来し。
客入らぬ古本店にふみよめる友のひたひを車中より見し。
あたたかき春をおもへばへやのそとはしための泣く宿に泊りつ。
ちちははのなきぬ歌よみこのをとめややにさかしくなりゆくらしき。

2月26日
角川より税金申告、「31400(源泉4710、未払15248)とせし」由。
11:30出しにバス出しあと、汽車14:00までなければ河村先生にゆき『茂吉』1冊贈り福島にゆきしに母のみあり。学校へより宮川と話す、「転職す」といきまいきゐたり。 出てバス待ち、13:12にて湖岸伝ひに長浜にゆき武田君に『ハイネ』冊贈り、陵木(※おかぎ)君に会ひ『孔子伝(30)』、 『十八史略(30)』買ひして時間つぶし17:00より田楽くはしてもらひ二人で酒一合のみて帰る。子供へ絵本もらひ18:50の汽車。米原にて電車また来じ。
ねぎみそを和へし豆腐をはみつつも詩をつくりたくわれはなりゐし。

2月27日
井上多喜三郎氏より「近江詩人会18日」と。登校。学芸部最後の歴史の講義す。学生はまだ知らざる様子。長谷川嬢旅費1280もち来り、「宮川君よりわが転任ききし」と。
昼食しひるねしてゐれば真野君来る。夜、田村春雄、武田豊へハガキ。
けふ姫野助教授より校正来り「転任を山下君よりききし」と。武田へ「北国の門口にある町にゆき心かなしくわれはをりたり。」

2月28日
田中嬢来り「図書館委員会に出よ」と。居留守つかはしむ。けふ依子の学芸会とて悠紀子出しあと長尾君来る。春めきたり。坂口君より「9000いつにても出す。奈良学芸大高校へかはる」と。
夕方、河村氏にゆき『斎藤茂吉』もちゆく。帰り古本屋にて『法隆寺(120)』、『石神問答(60)』買ひ、帰れば松村氏来り「三木君8月以後は療養できず。 中村忠行より卒業生やとへと云ひ来し」と。「帝塚山より学長に挨拶すべし」など。けふ武田豊と田村春雄へ礼状出す。

3月1日
漢文の授業にゆく。天野忠、埜中清市より「金受けとりし」と。帰りて昼寐、夜、坂口允男にハガキ書く。

3月2日
風吹きやや寒し。工科へゆく。岩崎昭弥より「仲直りした」とハガキ。『風流滑稽譚3』を買ひ、これでそろふ。午後図書館へゆき『東洋歴史大辞典』ちょっと見る。「学芸の学生わが転任を知りし」と。

3月3日
風吹きて寒し。羽田よりハガキ、「村上氏15日すぎに来彦」の由。山本治雄学校へ来しとのことに裁判所へゆき12:30またゆき伴ひ帰る。呉竹、廣野の事件との由。 昼食せしめ15:00の汽車にと駅まで送る。『ランボオ詩集』、ゴローニン『日本幽囚記(30)』買ふ。けふ和田先生へ礼状。羽田、堀場、三木氏へハガキ。(三木君、滋賀新聞にてわが転任を知りし由)。
夜、朝日の田川君来る。ボケた写真置いてゆく。

3月4日(日)
8:05に乗らんといそいで出、『堀辰雄』買ひ、よみもてゆけば(花もてる女)、八幡より井上源一郎君、女と乗り話し相手あり。山前君にゆきコルボオ双書の清算し(264)、 坂口君のことたのみ、大西卯一郎へゆけば留守。ここにも『ハイネ』置く。
春あさき湖の色わかれ来しいまのまなこに見るはかなしも。
けふ山前君にきけば井上多喜三郎君、われの詩集(※『寒冷地帯』の印刷)たのみゐし。

3月5日
よべ雪降りけふは晴、一日臥床、来客もなし。
なには津にわれら下るとももやまのみささぎのへにゆきし日のあり。
ながおもてまなこつぶれば鮮やかに見ゆる日けふをあやしみてをり。

3月6日
雨、午後田中嬢卒業式の饅頭もち来り、「石田印刷所の宮山君、明日来る」と電話ありしと。
大に『ハイネ』2冊送り、帝塚山の庄野英二君に「院長の学長あて挨拶状のことたのむ」手紙出す。
夜、若森君菓子もち来り2:00まで話しゆく。「岩崎昭弥の愛人、立命の夜学に通ふ」と。「自らは大阪の離婚、子1人ある女に養子にゆく」と。

3月7日
寒し。田中嬢校正もち来る。登学すれば電話かかり「宮山君あす来る」と。馬場課長にきけば「退職手当なし」と。西沢課長に院長の学長あての手紙の書式ききして帰り、 校正(再校)やり(ひるまへ田村瑞穂君1000返しに来り、これですみ)。
夜、井之口氏にもちゆき宮山君に校正見せ、帰れば岩崎昭弥君来り「18日の会来れず改めて送別会する」と。

3月8日
晴、8:45より漢文。李白杜甫やり、すみて試験問題かき、帰りてまたゆき山下君に校正見せ、中島氏井之口氏に校正の連絡とり、俸給もらひ13:30来し宮山秀夫君を案内して30000とらせ山下君に紹介し、 帰りて徳永嬢に『ハイネ』1冊与ふ。藤野、中川君と話し夕食後、河村先生にゆき話し帰途、田川君と会ひ、うどん食ひて別る。けふ硲君よりハガキ。『日本爆撃記』買ふ。

3月9日
10:00工科へゆき左翼学生より「人民の歴史」をとの注文きき、帰りて早ひる、散髪せんとせしもコミゐしに、辰巳事務長を見舞にゆく。13:12にのり京都下車。 山前君に『ハイネ』と彦根で買ひし『Pantheon』10冊(200)預け、散髪して乗車、病院にゆけば叔父機嫌よく話す中、昌三叔父も来る。ともに出て大江へゆき(叔父上京)、 おえん叔母と3:00まで話す。賀陽の宮の話面白かりし。

3月10日
7:00起き8:00駅にゆけば中村治光「飛行機をつくる」と。学院にゆき短大にゆき試験監督2時限目とわかり11:00まで待たさる。硲君来る。美学の岩崎氏と話す。 瀧遼一、三上次男、内藤コー次郎を知り、小高根、保田を知らず。
1時間半監督、形式だけの試験と知るゆゑ面白からず。すみて昼食くひ、英二君に『ハイネ』やり、洋傘を探せばかへられたり!14:00病院にゆき叔父と学則をよみ、 大江叔母と月給5000(手取り)ときめてもらひ、10,000もらひ父と出、京阪五條下車、山前君にゆけば映画。夫人にいひ散歩に出、大西卯一郎にゆけば酒宴中。 『コギト詩集』預り、出て澄田正一『中國先史文化(30)』、三浦周行『日本法制史(70)』買ひ、山前君にもどり、印刷たのみ泊めてもらふ。

3月11日(日)
8:00ごろ朝食よばれ、よべ1:00までかかりて切りし原紙の校正をし、百万遍までゆき臼井(※臼井書房)に寄れば「病臥」と。『ハイネ』1冊やり、篠田先生にゆく途中、 江上波夫『ユウラシア古代北方文化(150)』見付けうれし。文子さんにけふの会にゆくことすすめ、外山氏にゆく。『世界人名小辞典』3版になりしとてもらふ。 藤枝の家にゆけば研究所と。ゆきて田中健二氏へと『陶淵明』の240ことづけ、山前氏に帰れば「すでに依田氏にゆきし」と。むべなり。13:30なり。
依田氏にゆけば主人よみ合せとて不在。来会の天野忠、天野隆一、城小碓、俵青茅、荒木二三、阿原、井上多喜三郎、山村順、安藤、佐々木、高橋重臣に『ハイネ』一冊づつ贈り、 篠田嬢に『Pantheon』預け、山前君にプリントの清算す(1500と。以外の高値なり)。
大阪の交替詩派の8,9人来る。喜志邦三を大将とする一派なり。17:00ごろ来し岩崎昭弥と高橋君と三人にて出、岩崎君に外食おごってもらひ鞍馬口まで歩きて後会を約し、 父のもとへゆきプリントことづけまた出る。近所の府立医大学長夫人殺されしとてあたりさはがし。岩崎にことはりしあと野田又夫にゆく。 保田の批評を割に真剣にやりし。迎へに来し岩崎君と出て近藤助教授をたづね(武安向ひ)写真あまた見せられ、ごち走になりして出、古本屋またひやかして矢野仁一『支那の社会と経済(70)』買ひ、 岩崎昭弥の下宿にゆけば同室あり。女主人の老婆酔ひて叱るにいやになりて出、烏丸車庫で別る。(井上多喜三郎氏『寒冷地帯』つひに白状し1冊手渡す。 鈴木寅蔵『若き日』も呉れし)。
ながわれを愛すと知りぬながそをば心づく日をわれはおそるる。

3月12日
よべ寝にくかりし。9:00羽田にゆき『内蒙古諸部落の起源(※和田清)』借り、引返して母の直しくれし鞄もちて(200)吉野書房に寄り、石田大成社にゆき校正、ひるめし振舞はれて終り、 奥西保君に池内先生の本を催促の手紙のこして宇治へゆき、小高根二郎の案内で寮則もらひ、(※富士鋼業の)寮母さんたちと話し「寮長」は選挙と知り、大阪へゆかんと思ひしが考へ直し下総町。 父にいへば「明日でよからん」と。夕食ふるまはれ19:55にのりて一先づ帰宅。 「留守中真野君来り、神谷博君を紹介せし」と。西川英夫よりハガキ。「本位田昇渡米」と。角川より「5000送りし」と。

3月13日
歴史大辞典かく筈なりしかど出来ず昼まで臥床。西川、坂口へハガキかき、14:00登校。博士となりし川村徹君に祝辞いひ、萩原博士に「同車せん」と書き置きし中川郁雄君に会ひ寮規則のこときき15:00にのる。 原女史と同車、転任のこといふ。
18:00徳庵着、丹羽千年を訪ね桂信子氏とも会ひて話す(外食券にて天丼35)。『ハイネ』1冊置く。20:00寮に着き、 城平叔父と対談中の重役課長に「寮長」のことなどいひしも心配なしと。おそくまで話す。

3月14日
よべ眠れず。喘息の発作起る。7:00起き朝食。8:00(※富士鋼業の)工場へゆきそろって寮へゆき開寮式。城平叔父能弁なり。松尾部長のあとわれ挨拶。あまり旨く出来ず。 懇談11:30すみ、撮影すみて人々を送り出しわれ昼食試食、麦飯なり。24、5日転居を寮員と約し、会社によりしのち14:10にのりて帰宅。角川のカハセ来ず。大、佐々木邦彦氏よりハガキ。 若森君来り空函くれ「トラックの心配せん」と。21:00田川君来り、「中島信子嬢を泣かせし」と。

3月15日
8:45のつもりにてゆきしが9:45より漢文の試験、全然出来ず。広瀬先生来られ「きのふの協議会にて部長より発表あり、中島氏、地歴の冗員を云ひし」と。2回生の組主任を宮川、 1回生を村上氏と。ときめ、「田村君にはやむを得ずば英語手伝はせん」といふ。
「明日歓送迎会」と宮川君に連絡たのまれし。山下君に表紙のことにて石田にゆくことたのむ。帰りて漢文の採点。
けふ喜多村、岡村、下里の諸氏に挨拶し、辞表かき、帝塚山の手紙、西沢課長にわたす。
奥西保君よりハガキ。池内先生の本やはり4月らし。21:00若森君来り「トラックの世話しくる」と。菜物学の話してゆく「朝顔の種子4ケ位で下剤になる」と。

3月16日
小林英俊来り「18日16:00より出席」と。「(※八木嬢?)また発熱せし」と。米2斗たのむ。田村君来り入学試験問題集おきゆく。12:30登学。萩原先生と話し学長に会ひにゆき挨拶す。 その他挨拶す。長谷川嬢なにとかいひてわが肩に手を置き怨むふりす、ふしぎなることかな。14:00村上君来り学長に会ひにゆく。その間待ちて退屈す。15:30呼びにやり引きつぎす。 「学長のまへで部長15日まで用なしといひし」と。おかげで入学試験をわがやることとなる。漢文は「唐詩選」やると。工科の歴史は田村君ゆくらし。
16:30より作法室にて松村氏を含めてわが送別会。酒2本出て会席料理。気の毒なり。松村氏、名大の工藤先生に会ひ、 わがこといへば「その故に名古屋にも来ざりしかと了解されし」と、ふしぎなることかな。
18:00先に出て帰れば宮本君来り「地歴の女生悪評あり」と。ややして中川郁雄、真野両君来る。トラックのことたのむ。23:00まで話しゐたり。けふも辞典書けず気がかりなり。
【歌稿ページ(6p/36p)より】3.16
しろじろと浪花ばら咲く垣根みちかなしといひてわれらわかれず。
海港のはるけき汽笛よはすぎてわれらめざめてききにけるかも。
もやふかきまちの四つ角たちどまりあかぬわかれをわれらなげける。
去るわれをとめんとのべしなれが手のぬくかりしてと今も忘れず。

3月17日
8:30中村竹次郎君来り「21日夕食をふるまふ」と。9:00学校へゆき漢文の答案かへし順次説教す。片山久子赤くなりしをはじめて見し。すみて篠田先生の室にゆけば松村氏あり。 「24日の転居以後は来ずともよし」との口振りなりし。帰りて飯食ひ昼寝せんとすれば若森君来る。中川君よりの電話をとりちがへしらし(けふ八木女史よりハガキ。 「25日以後休みと」。岩崎昭弥より「住田加茂の宮司となるやもしれず」と)。上田女史、田川君とともに来り、最中20ケたまふ。 松村氏●●君の留守中となりの室に男やもめ入れんといひ「猫に鰹節」と反対せしと。可笑。

3月18日(日)
近江詩人会とて9:00家を出、図書館で『東洋歴史大辞典』写せしのち会場にゆけば集りおそく、12:00まへやっと出そろふ。総数20人ほど、中に河村純一先生あって退屈されをり。 17:30記念撮影すませて一度散会、やりやにての送別宴、12人(河村純一、杉本長夫、井上多喜三郎、井上源一郎、錦織白羊、中川郁雄、岩崎昭弥、真野、武田豊、藤野一雄と我)。 気の毒にて1合位のみ、21:30杉本氏を誘ひて帰る。

3月19日
よべ不眠。送別会を思ひ出してなぜやら不快。長尾君来りぐち云ふ。西村より「明日帰丹(※丹波市)の途寄る」と。徳永嬢来り「22日わが家で会する」と。 ことわりしがきかず宮本君来り「工科の教授、すでに来り家の空くを待ちゐる」と。夜、工科の採点しゐれば宮本夫人来り「哀歌」見て泣きしと。かはった人なり。松村氏また上京と。
けふ昼すぎまでかかり「カルカ、カラチン、ガルダン、オードス」書き平凡社へ速達せしむ。夜、西村より「21日朝にす」と電報。

3月20日
悠紀子、小学校へ転出の手続きたのみにゆきて間に山下君来り「就職駄目なりし」と。
11:00中学にゆき今村先生に転出たのむ。太田校長、宮村嬢にも会ひし。石島博士にも挨拶し、帰りて昼食。(けふ依子に八木嬢へ手紙かかせ「28日来よ」といひやる)
13:30学生10人来り「グッドバイ(※詩)」よみてきかせ説教もす。宮川、中島二君とも評判わるく「理由は上にへつらひ下にきつきがゆゑ」と。感心してきく。われは「全学のNo.1なり」と。 とりわけ家政のお嬢さんによしと。ふしぎ。
17:00みな去りゆく。けふ学校へ来し村上氏の手紙。時間割のこと。夕食後、市川氏にゆきしに帰らず夫人にきけば「田中禎子嬢技術者にゆきたしと教師の話ことはりし」と。ふしぎ。
床に入れば松村氏来り「大阪図書館長八高出」と。「試験監督せずともよし」と。けふ『戦後吟』65首写す。

3月21日
春分の日と。9:00西村喜世和来り話す中、藤野君来る。22日の会ことはり23日荷物造りの時、徳永嬢も来てもらふこととす。
12:30学校にゆき長谷氏に会ひ採点わたし村上氏の出勤日の相談す。「中島氏評判わるし」と。
城山に案内し、河原町歩き、別れて帰れば若森君留守の間に来り「8500出せばトラックその日にてある」由。夕食後中村君にゆけば「明日のつもり」と。 ことはりて帰れば河村純一先生お越し、シンガポールの話し、たばこ賜り恐縮す。

3月22日
登学、試験問題作る。田中嬢も中島氏と宮川君のこと知りをる。廣瀬さんと話して帰り、午後出て望月澄子氏に挨拶にゆき帰れば、藤野君箱4ケもち来り若森君2ケもち来る。トラック8500のになる様子。
けふ「東洋学」送り来り、平凡社より原稿の受取来る。21:00すぎ中村竹次郎来り「いまより来よ」と。けふ退職せし様子、しかも明日上京と。かわった男にて薄気味悪ければ寒さ申し立ててことはる。

3月23日
12:00まで子ら学校にゆき、われ入れちがひに登校。(大橋氏来り送別会の日取も[ち]、中島君来り八木嬢に案内されしと)
田村君に後事托し月給もらひて出、(東山、水、二人にて記念品もち来る。気の毒なりし)、帰れば若森君、真野君来る。(真野君、エプロン、ちゃんちゃんとお菓子たまふ)。 山下君(タオルたまふ)。長尾君来りしも上げず、田中嬢来りタオルたまふ。徳永嬢短冊と額縁たまふ。佐田嬢餅菓子たまふ。下里夫人ネープル(150)たまふ。赤塚氏菓子(75)たまふ。 夜食、うどんと忙し、宮本君(ドロップ1缶)もち来り赤塚君と21:30までゐて手伝ひせず。若森君独り舞台なりし。24:00まへまで3君話して帰る。中村竹次郎「東京へゆく」と18:30来り、 肉200匁呉る、「西川英夫に会へ」といふ。芳野清よりハガキ。けふ徳永嬢わが別れの挨拶に泣きし。ふしぎなることかな。「東洋学」また来る。
【歌稿ページ(6p/36p)より】3.23
わがために泪おとして送り来しひとはねむりにいりにけらしも。

3月24日
6:30起き7:00頃よりふとん包みはじめ7:30若森、藤野、中川3君来り、水嬢来りし。8:30来しトラックには学生4人、その他大勢手伝ひ呉る。 芹川堤に見送る岩田氏をはじめ諸氏に別れを告げ、9:00中川君、福島生を相棒に出発。中仙道を下る。途中やや寒く、逢坂山、山科の検問所で引っかかりしも教授の面子で勘弁してもらひ14:00着。 8500中川君にことづけ500チップにやりして帰ってもらふ。(けふ寺村先生に依子らの証明書とノート1冊もち来らる。長谷川嬢キャラメル7ケ呉る。)
城平専務に挨拶おくれ苦き顔さる。堀の向ふに荷物置き17:30帰りし寮員に運ばし、あと音沙汰なきに腹立ちしも仕方なし。「叔父死して帰郷す」といふ子あり。羽衣の叔母来しあり。

3月25日(日)
7:00起き9:30来りし城平叔父を囲む懇談会に出て司会者やる。城平叔父の懐旧談中々うまくホロリとす。12:00まへすみ、丹羽千年へゆき帰る途中、雨。美次子家まで来り傘借りて帰る。 夜、電気つかずいらいらする中、来って直しくる。それより寮長と懇談会。いろいろ話きく。買ひて欲しといふ本の中にVan De Velde(※『完全なる結婚』著者)あり。衣川なる綾部出身がリーダーなり。
けふ彦根、布施両郵便局へ転居通知、若森君へハガキ書く。京、夕食食べず熱計れば39℃とて心配。

3月26日
寮長申告かく。帝塚山、彦根の短大へ転居通知。9:00すぎ会社へゆき康平叔父、大江課長、松尾君などのゐる倉庫部へゆきしあと、専務に申告書出せば娯楽書でむつかしき顔す。 先日立替の1500もらひ転住、転学の手続たのみて帰れば11:00。父来り、こないだ預けし本もち呉る。送り出して昼寝せんとすれば庶務課長、配給のことで呼出し。 引受けて夕食すむをまちて寮員呼出せばまたわからず20:00寮母杉浦、炊婦安倍を呼出して話をきく。けふ田中禎子、徳永の2嬢へ挨拶のハガキかく。両井上、『くれなゐ』、羽田へ転居通知。
【歌稿ページ(6p/36p)より】3.26
春あさき老蘇の森の下草のひめたることはいはで別れぬ。(井上多喜三郎に)

3月27日
朝6:30起床、9:00まへ会社へゆき俸給5000もらひ庶務課長竹村氏と区役所にゆき転校の手続きし、課長室で茶と羊羹たまひしのち、放出中学、榎本小学校を歴訪、 会社で昼食よばれ専務に礼のべしあと藤井寺にゆき会合中の大江叔母にまた昼食おごられ(タバコ置き土産とす)、杉浦寮母出戻りの娘にて初枝叔母の妹と知る。 市民病院に田村春雄訪ぬれば帰宅。徳庵駅前で穎原退蔵『俳諧史の研究(80)』買ひ、帰りて飯くへば停電。和歌山の寮員「ぼんやりなりやこそ工場の意もわかりませぬ」とほざく(小倉修)。 23:30までかかりて主食の表作る。眠れずハガキ書く(中川郁雄、萩原博士、硲晃、服部正己)。
【歌稿ページ(6p/36p)より】3.27
風寒き淀の流にき●くるか●ごししこと今は恥づるも。(中川郁雄に)
なが●どに坐りしをさな水かはる浪華の家にひと夜熱病む。(徳永昭子に)

3月28日
8:00会社へゆふべの表もちゆきしに竹村君勘定わからず。衣川、代表として(+)(−)をなしにせんといふ。外へ出てより持参のクーポンを表につけざることわかる。 坪井にゆく途中散髪し(80)、銀行にゐるをつかまへ金井君のこといへば「浪速大学に江川あり国文さがしゐる」と。よろしくたのむ。学校までゆき昼食よばれ、12:30出て、 大軌(※大阪電気軌道)にゆき、百貨店で村田治郎『満州の史蹟(150)』、『ゴローニン上(30)』買ひ、ぜんざい食ひて(50)別る。
夜、寮長あつめゐれば監督も来り、写真わけ近々ボーナス出ることを云ひす。D室の横山、高知、須崎の折合あしきを●ふ。
春の海の青き見し夜はこひしくてほとほと死にききみをおもひて(みえ女の云へる)。

3月29日
錦織悦夫、林正哉、西島健、西島寿一、西島大、西川英夫へ転居通知。堀さん、酣燈社、外山軍司、小川浩へ同。太田守松、相野忠雄、尾西実、渡清彦、鷲教社へ同。悠紀子、 京を池川医院へつれゆき診てもらひしも原因不明。
けふ案内を見廻りしに一人臥床、寮母にゆかせしに仮病らし。12:00会社へゆき云へば「労務課長叱りし」と。13:23にて天王寺へゆき市民病院へゆけば田村春雄出張と。 石浜先生へタバコもちて(500)お礼にゆく。「関大へ呼びたかりし」と。嬢ちゃん『ハイネ』を喜びてうけたまふ。藤沢桓夫氏も一寸来られ「長沖一氏父君に父ゆきて(※帝塚山への就職のこと)云ひし」と。 帰り大鉄百貨店にて『孔子家語(30)』、喜田貞吉『飛鳥宮(50)』、体温計(200)買ふ。
夜、仮病の鳥飼生あやまりに来る。
けふ彦根より回送の『くれなゐ』10部。『大阪東北部1/25000(15)』買ふ。会社へ『祖国』4月号来る。
【歌稿ページ(6p/36p)より】3.29
水ぬるむなにはの野辺にあそぶ子らこの子らゆゑに帰り来しはや。

3月30日
悠紀子、黒板に落書ありと発見「パンよこせ」なり。会社にゆきて云へば原君、気にするなと、尤もなり。河村純一先生、佐田佳子、角川書店へハガキ。15:00まへ専務、総務部長、 山本社長を案内し来りボーナス1000賜ふ。
けふ中川郁雄、田中禎子、中島利夫の諸氏よりハガキ。東海日日新聞より宗教につき1200字をと。15:00すぎ八木嬢来訪。夕食食ひ、尼ケ崎へゆくとて早々退去。夜、須崎校の塚本、 職に通ぜずとて辞任申し出づ。岩崎昭弥、神田喜一郎博士、川久保悌郎、笠井信夫へ転居通知。
【歌稿ページ(6p/36p)より】3.30
あたらしき庭に四本のさくらばな植うるときのふひとは来りし。(宇田良子に)

3月31日
けふ原監督転居し来る。われ東山、水、福島の3生、川崎健史、神田信夫、金井寅之助、芳野清、竹内好、田村実造博士、武田豊、田村瑞穂へ転居通知。12:00出んとすれば徳永嬢より手紙。 角川より5000。国会図書館より「地誌安徽省の部」。会社にゆきしも庶務課長ゐず、四条畷の杉浦総務部長宅へと一級酒1升(825)もちゆき、四条畷高校できけば相馬実、病臥と。 50分まちて河内磐船より私市(※きさいち)にゆけばちがひ、反対の交野村私部(※かたのむらきさべ)にゆく。病気は結核にてマイシン4、50本うちしと。母上いかが見たまふやと泣かる。 気の毒なり。戦友たちに相談せんと思ひて帰る。われと仲の好かりし野村も近くにありと再訪約して帰る。また丹羽千年によりしも不在。けふ移転祝とて酒一升たまふ。一級酒の日なり。

4月1日(日)
筒井、辻研、中島明子、中村治光、長谷川英子、宇都宮清吉、薄井敏夫、上田嘉俊へ転居通知書き、丹羽千年に寄れば英語の家庭教師忙しくて出来ずと。 電車で香代子と夫森君とに会ひ梅田までゆき今里へ引返し、埜中清市訪へば留守。
けふは一日雨なり。笠井、錦織両氏よりハガキ。夜、原氏へゆきて話す。佐賀の人なり。

4月2日
9:00放出中学へ史の転学でゆきしに10:00よりはじまり退屈す。入学金150を収め、帰りて昼食、ひるね。散髪屋諏訪来る。大三島の男と。面白し。
短大へ挨拶状。山田鷹夫、山下幸雄、工藤先生、桑田先生、竹川、中村竹次郎、村田、杉本長夫、野上、野田、桑原武雄、梅原糸子、保田、山本重武、 安田章生、矢野峰人博士、山本治雄、川崎、田川正義諸氏へ転居通知。
けふ『くれなゐ』へ10首送る。夜、原監督より転居の挨拶にて茶菓ふるまふとてゆく。22:00までお説教す。昼来し散髪屋の件もあり可笑。夜、善海、菅谷晴子、平凡社、俣野、前川、 吉野書房、呉野、藤野、丸、藤井通雄、藤枝、小高根二郎へハガキかく。
【歌稿ページ(6p/36p)より】4.2
わが友ら城山の上にうちつどひこひかたる日ははやめぐり来ぬ。
みづうみの冷きいろをかなしみて去りにし友をわするるなかれ。

4月3日
雨、小林英俊、青木富太郎、小高根太郎、江口三五、池田直也、寺島徳八郎翁、近藤豊諸氏へハガキ。10:00会社へゆき専務に礼いひ総務より礼出され11:00一旦家にかへり酒一升さげて藤井寺。 大江叔母不在。初江叔母、松尾久美子と話し肥下にゆき話して帰り、叔母より色々きく。杉浦美都子は大分のかはり者なりと。専務の都合伺って私宅へゆけと。甚幸入社せしと。21:20帰宅。 宇田氏、硲晃よりハガキ。近江詩人会より通知。埜中君よりまた『くれなゐ』。堀内民一より泉尾高校にかはりしと。けふ大鉄百貨店にて1/25000吹田。アテネ文庫『源氏物語』、 『科学人名事典』買ひ大江叔母より500もらふ。

※〈四月三日 午后二時田中克己来訪。帝塚山短期大学教授ニ転ジタ由。詩集「寒冷地帯」ヲ貰フ。四時頃カヘル。〉 肥下恒夫日記:『悲傷の追想』澤村修治著2012 91p

4月4日
朝、雨。ひるすぎ止み、史を布施へ本買ひにやる(350)。岩崎昭弥より手紙。若森君失恋、みなさびしがって我をおもふと。東山、水2生よりハガキ。新城英太郎、島、三木為次郎、宮川、 坂口、堀内(泉尾高校へかはりしと)、宮本、鈴木俊、末吉、杉森、杉浦正一郎、平戸、姫野、広瀬浄慧、白鳥清、篠田統の諸氏へ転居通知。京都上京郵便局へ同。
父来り夕食食ひタバコ銭200もちゆく。先月城平叔父より10,000もらひしと。服部よりハガキ「豊橋面白くなし」と。夜、入湯。

4月5日
朝、会社へゆき一旦引返し早ひるたべて長沖一にゆく。父の友なる父君、長沖先生ともにうす[毛]なり。「あまり学校に熱心にならざるがよし」といふ。 『ハイネ』一冊おきて教はりし庄野英二の家へゆき佐藤春夫先生接待中とのことにかけ足にて本家へゆけば潤三(弟)その他をあはせて坊ちゃんと同行の先生接待中。 「本をありがたう」といはる。われひとりしゃべり短冊いただく。「ニセ詩人貧農を助くるの話」の賜物なり。「龍児君もわがこといひをる」由。
13:30学院にゆき「金曜あけたまへ」と云ひ「9日高校の開業式」ときき、すぐ出て硲君にゆき東大国文大学院の川口朗君と二人を相手にしゃべる。 「佐藤先生にいま愛人あり。鴎外も風流なりし」など聞く。「虎杖丸の曲」たまはると。夕食よばれてともに出、池沢によれば在宅、夫人かへせし様子、悲観的なるをはげまし松虫まで歩かす。 同君妹、立野利男の夫人なるを忘れて気の毒したり。「兄立野いまも狂気して上野芝に住む」と。
帰れば竹内好よりハガキ。これも「先日佐藤先生にあひし」と。文学青年西村来り24:00まで話しゆく。「みちひられしやら」と喜ぶも哀れなり。

4月6日
また雨。会社にゆき専務に話にゆく日時設定たのめば今夜来よと。そこで少し話きけば夜尿症ありと。救急薬もらひ帰れば竹村、原二課長来り、炊事増員の相談す。野上、竹内、藤野、 安田、中村竹次郎、全田叔母、羽倉、江口、羽田、武田、埜中よりハガキ。角川よりA6にして(『ハイネ戀愛詩集(文庫版)』))二冊にすと。 16:00夕食食ひ藤井寺へゆけば大江叔母手習中。寮母たのみ肥下で時間つぶし、今川町にゆき今後のこといふ。20:30来りしトラックにて帰れば22:00
けふ短大教授と中島利夫氏よりの餞別「我的書」来る。竹内好、田中禎子へハガキ。
【歌稿ページ(6p/36p)より】4.6
こけかづらすとふ岩かげなとゐれば神々のごと思ほゆるかも。

4月7日
曇。羽倉へハガキ。国会図書館小笠原正治氏へハガキ。午寝し午後出んと思ひしも小雨とて止む。前川佐美雄より『うづまき』の評かけと。川久保より弘前大学へゆくと。 中川郁雄、平戸禎一、井上多喜三郎、林叔母、俣野よりハガキ。羽田より弟に室せわせよと。西村健来る、リルケの話す。明日コルボウ詩話会にさそふ。

4月8日(日)
8:30誘ひに来し西村と出て京橋より京阪、稲荷で降り羽倉にゆけば「教師の口か電鉄の口さがしくれよ」と也。出て烏丸丸太町より歩きて新町一條上に西村の知合にゆき、 我は別れて丸太町にて『リンゲルナッツ(100)』買ひ、大西卯一郎にゆけば一着。14:00より10人集り詩話会。西村は7:00まへ一寸顔出しあと迎へに来し少女と残る。 高橋、大浜二君で「送程」やるとて『渕上毛銭追悼号』呉る。
けふ花見とて人群れコーヒー店も見付からず、三條より細君子宮癌との山村順と同車。帰れば19:00帝塚山より「明日出校せよ」と(事務三苫)。真野君よりハガキ。 けふコルボオの中選「トラック」を作りてわたす。「近江詩人会22日」「コルボオ来月3日」と。高橋君に「13日天理へゆく」といひし。 21:00杉浦寮母帰りエアシップ(※烟草)10箱呉る。義弟山本夫妻挨拶に来しゆゑ常備薬とDDTとたのむ。

4月9日
9:00より始業式゜とのことにて7:30史と家を出てゆく。森高校主事の挨拶長々しくばからし。すみて紹介さる。職員室で新聞委員来り、趣味はといふに「たばことおしゃべり」と答ふ。 石浜先生に『インドネシア語派の身体呼称』届ければ出たまひしあと。全田にゆき挨拶し竹川の職場とほしとてやめて帰り15:00までまちて教授会。文芸科われと岩崎氏、 家政科守本氏と中田氏。つまらず長し。新校舎へゆけば研究室なし。17:00放免。「明日また来よ」と。時間割金曜をのぞき全部。専任5名と。いやになる。藤井、小高根兄弟、丸、青木富太郎より返事。

4月10日
9:30登校、漢文の授業なく、ややして時間割の作成その他に追ひ廻さる。山本理事長来り、こわき顔しゐし。私立高のウラのこりなく見ゆ、やむを得ず。16:30まんぢう食うべて帰る。 藤井寺にゆかんと思ひしも果さず。金井、小林英俊、工藤好美、近江詩人会、池沢より便り。「彦根の送別会11日」と。

4月11日
9:30にと登校、小野十三郎、長沖一などの講師来る。式で学長の話長し。すみて新学舎に案内し、学科選択の指導を岩崎君とやり昼食で一旦休む。すし出るとの話なりしかば用意せざりしに出ず。 うどんとらしむ。12:30よりまた指導。13:30すませて市民病院にゆき田村春雄と一寸会ひ、藤井寺にゆく。「寮母少し待て」と。3000借り久美子とすし食ひ、 別れを告げて傘忘れし来しに気付きまた市民病院にゆけば春雄手術中。傘とりて出、古本屋でRobinson『A general history of Europe(200)』買ひ、新本屋で『太平洋戦争隆戦概史』買ひ、 京橋でとみくじ三本買ひして帰る。角川より『ハイネ』改装本。長谷川英子、田村春雄、相野忠雄、福島悟、村田幸三郎よりハガキ。
【歌稿ページ(6p/36p)より】4.11
ながおもに似しをもとめてひたまもる別れていくかへぬるふたりぞ。

4月12日
9:30登校。二年生の学科指導。一年生の子ひとり来て昨日のつづきをいふ。みなかはゆし。ひるまへ大の添書もちて坂根図雄君来る。詩作品見せられ、ともに北畠まで歩きコーヒーのみて(80)別る。 住吉高校にゆき山本重武、硲晃君と会ひ、後会を約して帰り会社にゆけば専務帰宅後。帰りて庶務課長と話す。杉森久英、岩崎昭弥よりハガキ。 夜、寮務分担表つくり徳永昭子嬢にあてし手紙にせる「うずまき」評(400×6)かく。けふMacArthur免職。

4月13日
8:30会社へゆき原君と話してのち専務来るのを待ち寮務分担表を見せいろいろ意見きく。図書費として毎月1000円以外に一時[金]5000もらふ。健康保険もいれてもらふこととなる。 にこにこして10:00電車にて天理にゆき12:00過ぎ図書館着。昼食食ひ富永氏に中国地誌のこといひ、八木嬢呼ばせ大浜、高橋と話せば大浜「奥村学監が悪口いひゐし」と。 山崎忠に会ひ抜刷わたし(富永、中山管長にも一部づつ)、金井君に中村忠行のこといひ、国文三冊夫人史としてMorganの『Woman and her master』二冊借り、 八木嬢より「日曜来る」との悠紀子宛ての手紙ことづかり、出て帰途鈴木氏にゆき半額給となりしとの話きき、小阪よりバスにて帰着。
あす午後移りてよしと現場監督の話なり。西村呼びて話し、すみて室長会議「みな原監督をきらふ」と。「西村同室におけず」とD室長の話。
けふ山下幸雄、杉本長夫氏よりハガキ。寮長日誌どこやらへ置き忘れ気になりてねにくし。彦根の二回生と徳永嬢にハガキ。

4月14日
角川書店松原純一、埜中清市へハガキ。9:00会社にゆき、寮長日誌忘れありしを返してもらひ、大手前へゆき坪井に会ひ、出て葉巻2本買ひしのち引返し、 昼食後ひるね。15:00より宿替へをす。手伝ひ一人もなし。夜、杉浦、津田、安倍に汁粉くはせて注意し、ややして来りし西村に明後日よりの同室をいひ、 手伝はせて本はこびゐる中、出火の声におどろきてゆけばガソリン引火(B室竹中)、幸ひに大事なかりしも驚きに動悸せし。
けふ彦根より免職の辞令と徳永嬢の手紙。姫野氏のハガキ。

4月15日(日)
朝食後7:30すでに呼び出され受付係となる。一族みなみな来る。午後剣舞白虎隊の解説やらさる。八木嬢米2升もちて10:30来りゆっくりしてゆく。城平叔父の子、みな美し。 16:00八木嬢かへり17:30会終る。康平叔父一家ちょっと寄り呉れ杉浦総務の子の医学生話しゆく。今夜より西村を泊めることとす。

4月16日
7:30家を出、定期買ふ(省線360上町線140)。9:00登校、一時間して杉山平一、授業すみて来る。「萩原先生のパノンの会にても会ひし」と。1時間目歴史、女のための歴史を話すこととし、 2時間目万葉集をやることとす。1人服飾科で漢文・古典講義ききたしといふものあり。帰り西尾実『国文学入門』買ひ、百貨店休みとて帰り来り、 天丼食ひ散髪屋のぞきしに休み!三木為次郎氏よりハガキ「喜多村氏農大専任となりし」と。大「世田谷にかはりし」と。

4月17日
9:00登校、太宰先生あり「中島利夫よべも来てわがこと話せし」と。高校の漢文、生徒みな笑ひ止まず。2年の教科教授法で日本語のこと教ふ。すみて昼食、 出て姫松の本屋にゆき西村のための仏蘭西語の教科書かひやり『コフマン世界人類史物語(20)』、『国語[教育]歌謡(20)]買ふ。帰って散髪にゆけばけふより90円と。
けふ父来り「明日も来る」といひて帰りしと。沢田よりハガキ、神田博士よりお葉書。夕方須崎高校の田村先生来られ「会社に感謝す」と、うれし。

4月18日
あさ田村先生と話し履歴書1枚預り9:00天王寺着。東天下茶屋でおり古本屋にて『本朝文粋』、内藤湖南『近世文学史』、藤村作『日本文学史概説』買ひ、 『萩原朔太郎詩鈔』買ひ、大高へ寄り神田力氏に置手紙し登校。高校すみて写真とられ、大学すませしところへ相野忠雄来る。山下幸雄のことたのむ。ともに出て住高により、 山本君へ15:00ゆくこととし、汁粉食ひコーヒー飲み南田辺で別れ山本君にゆく。硲君もあり。酒ご馳走となる(お土産菓子150)。 18:30出て帰り来れば寮員あり「レントゲンの結果わるし」と。他に2名計4名と。心配しつつ帰り、胃わるしといふ吉本をどなりて医者にゆかせ、 帰りし5名のこときき大したことなしとのことに安堵す。けふ若森君来り「布施の俊、徳道の中川ゴムへ就職せし」と。若森君より手紙も来をり、 宮本君より手紙「田村満穂君、奈良女子大へかはりし」と。
けふ父14:00来り『万葉集略解』2冊もち呉る。200渡せしと。

4月19日
8:20会社にゆき専務待つ間種々話す。松尾部長口よき人にて西村のことで礼云はる。
きのふ預りし履歴書わたし10:00来りし専務にLunge(※結核)たちのこといひ、帝塚山にゆけば石浜先生帰られしあと、お宅へ電話せしも「京都へゆかる」と。 長沖一氏と話し西保嬢(※西保恵以子)の恋歌よみて感心し、縁談の問合せすまして帰り来る。
ひるね出来ず。金井君より履歴書。杉浦よりハガキ。辰巳部長よりあやまり状。夜、部屋替のことにてH室全部押しかけしゆゑ、責任もたしていふ通りにし、 衣川と話し(病院にゆきてLunge大したことなしときき)帰り来し西村と殆ど話さず眠る。

4月20日
家居。矢代嬢のこと会社の武田君に届けさし昼食後ひるね。起きて構内歩きまはりしのみ。けふ宮本正都、岩田新蔵、入江来布の3氏へハガキ。

4月21日
登校。よべ眠り足らず授業不熱心で慚愧。西保嬢に歌の批評をす。3時限いい加減にし、パン食ひ終れば硲君来り「末永博士、奈良」とのことに会ひへゆくこと止む。 (石浜先生より「22日10:00ラムステッドの会」と)。戎橋にゆき画帖買へば2冊で1400!沢柳大五郎『鴎外箚記』買ひ、芳賀矢一『国文学史十講』、大山定一『ドイツ愛唱詩集』、 高木惣吉『軍事基地』などを買ひ、帰り電車で丹羽千年に会ふ。
けふ山下幸雄にハガキ。「不二」より「原稿を」と。関軍治氏、桃山学院へ就任。井上多喜三郎氏「あすぜひ来よ」と。梅原糸子氏より「本送った」などと。

4月22日(日)
5:30起き7:00出て学校へゆく。8:00すぎ着、9:20より試験。ひるま働く故、第一部とちがひみすぼらし。学科出来ざることは同じこと。ひるちらしずし食はさる。15:30出て田村春雄にゆき、 井上芳郎『古代女性史論』、クノー『マルクスの歴史社會並に國家理論』、上スターマーク『人間結婚史』借りる。(けふ学校で土屋充理夫のハガキ受取りミス大阪山本節子さんを見る)。
帰れば19:00梅原夫人より薬師寺衛の本(※蔵書)、犀星『鶴』、中也『ありし日の歌』、『ランボオ詩集』、耿之介『転身の頌』、大学『ヴェルレエヌ詩鈔』賜る。平凡社より「法隆寺」かけと。

4月23日
ゆめなかもうつつのごとくわがままとならぬなんぢに
4:00起きて歴史の準備せしためねむし。ゆきて歴史うまく出来、万葉あごを出す(※万葉集講義は不出来)。立替の1400とりて帰る。 岩崎君より「朝鮮人を若森と二人して傷つけ彦根中大さはぎとなりし」と。埜中清市君より「25日16:00上六小劇場前で待つ」と。
けふ村田幸三郎に電話せしも不在。杉山平一に『寒冷地帯』一冊贈る。梅原糸子、岩崎昭弥、石浜先生、井上多喜三郎、関軍治の諸氏へハガキ書く。
【歌稿ページ(6p/36p)より】4.23
ゆめにあひしなんぢとわれもひとめをぢせはしきこひをするものなりき。

4月24日
登校。高校漢文。文二の教科教育すませ太宰先生と話し、また高校の漢文。この間とりし写真もらふ。帰途、大手前へゆけば坪井出張。石山直一に会ひ(10年以上ぶり)、 金井君の履歴書ことづけバスにて帰る。近江詩人会より写真と「Poets’ School 9」。短大より年度末手当と互助会とて2100。

4月25日
登校まへ大鉄百貨店で『比律賓史』二冊(100)。けふは漢文とてうまく教へ、ひる来し硲君とともに大高(阪大南校)にゆき、図書館見せてもらひ、神田力館長に挨拶し、北畠で別れ、 戎橋に出て十合で『寺田虎彦随筆集4冊(400)』買ひ、上六(※上本町)にゆき百貨店の古書即売会で『懐風藻(40)』買ひ、埜中、山口2君と会ひ、コーヒー、ケーキ、麦酒おごらる。 会員となり会費200出すこととなりし様なり。別れてまた学院、第二部の入学式に出、すし食って帰れば22:00。井上多喜三郎、真野の2君よりハガキ。富士(※富士鋼業)サラリー5000もらひし。

4月26日
8:30会社へゆき康平叔父より食事につき話され、城平叔父に云ふ。「理事長宅へ一度お伺ひせよ」と。10:30帰りて昼寝せんとせしが出来ず徳庵駅前へ散歩に出て鴎外『栗山大膳(10)』、 『人体と結核(50)』買ふ。杉浦、吉村、津田、安倍の炊事どもを何とかせんと思ふ。夜、原課長にゆきて話す。

4月27日
朝一度起きて昼寝、父来しを知らず12:00起きて3000わたす。沢潟『万葉集講話』『狐の詩情(60)』持ち来りくれし。『略解』300とし100わたし、ともに会社にゆく。椅子2脚呉ると。 「5月3日の入寮には用なし」と。ともに天満橋にゆき坪井、吉永に会ふ。松田『結核』を買ひ、土産ドロップ(80)買ひして、坪井宅に夫人より『全釈万葉集』借り、片町より乗車17:00帰る。 前川より礼状、彦根より試験手当300(−税)送り来る。夜、「帰郷」書き山前氏に送り、彦根嶋田女史に礼状。

4月28日
登校。国文学史やりサラリーもらふ(17500)。藤井寺へゆきしにお艶叔母上京、お徳叔母留守しゐれば早々退出。肥下に寄りしも田圃。放出で草花の種子買ひ(55)、 徳庵で名刺あつらへ(130)て帰宅。島稔よりハガキ。杉山平一より『寒冷地帯』の批評。彦根短大長谷九平氏より補点のこと。角川よりハイネのこと。

4月29日(日)
「不二」へ「四月二十九日吟」かき、彦根の長谷九平氏に補点かき、杉浦、島へハガキかき9:00出て小阪、布施をあるき鶴橋で喫茶。大江にゆき力夫妻に会ふ(子どもへ120のセルロイド[※玩具])。 「社長へは350位の菓子よからん」と。千草夫婦やきもちやきゐる様子。出て放出下車。『隔簾花影 上』買ひ、武田祐吉『古典の精神』買ひ、帰れば八木嬢あり。 Harperの『ハムラビ法典』借りに明日ゆくと約するところへ岩崎昭弥来り、『祖国』5月号呉る。夕飯たべさして返し、実生と話し22:00。けふ立原道造の手紙なくなりしに気付く。西村の所為か。

4月30日
8:00登校、杉山平一と話せば「一児疫痢、一児肺炎で亡くせし」と。歴史、万葉ともにうまくすませ、鶴橋で昼食し、天理高校へゆき八木嬢よりHarper『The code of Ḫammurabi』借る。 金井君「高校ならことわる」と。「生駒藤雄3人目もらひ幸せなり」と(後刻阿部女史とわかる)。
けふ中村孝志に会ふ、『靖海記』かしくれと、不快なる男ますますみにくし。20:30帰り西村のゐざる部屋に一人いぬることとなる。梅原梨子氏より「3日待つ」と。山下幸雄より履歴書。 長谷川英子嬢より手紙。『祖国』三冊。

5月1日
4時間授業し窪田空穂『和泉式部』アリストファネス『蛙』買ひ、市民病院にゆけば田村春雄疲れゐたり。早々出で新世界にゆきリヤー『婚姻の諸形式(30)』買ひ、 歩きて松坂屋で青木良吉『西洋服飾史要(50)』買ひ、千日前で焼そば食ひて17:00となり登校、夜学を教へ2年生3名とともに出、その中の一人と鶴橋まで同車して帰る。 芳野清より手紙と詩。会社より酒肴料300、わけわからず。

5月2日
登校まぎは原君に「会社へゆくか」と念押され「ゆく」と答ふ。講義すませ(2Bにてのた写真を高校生より貰ふ。)硲君と出て帝塚山書店にゆき吉沢義則『国語史概説(40)』『思ひ出(40)』 『白文万葉集(150)』『古風土記集 下(10)』『南洋文献目録(40)』買ひし。住高により山本君に礼いひ、帰途会社にゆき城平叔父に会ひ徳従婦のことに触れ「藤井寺に置きたまへ」とすすむ。 (けふゆきがけ350の洋菓子買ひ山本理事長宅へ挨拶にゆきしも留守。)
かへり米田君に506工業雑誌のことハガキにてきく。5月5日朝より入寮式、午後園遊会となり。角川より「5000送る」と。宮本夫人より手紙と詩(ゆき子へ)。小川浩よりハガキ。

5月3日
けふ32名熊本より来る筈なるも放って上洛。五條にて有朋堂文庫『詔勅集(20)』『古事記・祝詞・風土記(20)』『古京遺文(40)』買ひ、篠田氏にゆけば先生不在。ふみ子さんに挨拶。 梅原糸子氏に羊羹3棹(350)もちゆきお礼とせしに昼食たまはる。農学部前にて『中国叢報索引(100)』新村出『言葉の歴史(40)』、大学前にて『神話学(40)』『朝の蛍(20)』買ひ、 臨川にて『乾隆帝伝(60)』探しあて、依田君にゆけば主人不在。母君に会ひ不機嫌とて下賀茂社の一殿借り(500)に佐々木邦彦君とゆきコルボオ会。出席少し。 荒木利夫君「小野十三郎と大阪にて歓迎会す」と。多喜さんよりこけし人形4ケ(27×4)買ひ、16:30出て下総町。父のみ。羽田に小西氏より電話すれば「まもなく帰宅せん」と。 『古代国語の音韻について』と『ことばの講座』とにて200払ひ、羽田へゆけば帰らず。(角砂糖200)。母堂「おやせになってお見それせし」と。 20:00電話かかりしゆゑ烏丸車庫にて待合せ喫茶(100)。「川久保弘前にゆき、守屋美都雄阪大に来し。小野勝年肺病」と。別れて電車にのりアメリカ水兵にこけし1ケやり、 羽田家に置きしと2本なくなる。帰宅23:10夜食して眠る。羽田「19日午後来る」と。

5月4日
7:30熊本の古賀教頭挨拶に来る。10:00出て会社にゆき、城平叔父に会ひ病人のこといふ。出て、南海高島屋にゆき1900の靴買ひ支那そば食ひ(80)、市役所へゆけば筒井不在。 池田にゆきバカ話し、沢井種雄の所へゆくみち山本治雄に会ふ。沢井「吉永氏よりききし」と。山本の昼食に接伴してコーヒーのみ、大手前にゆき坪井に金井君のこといひバスにて帰る。
夜19:00より入寮者に注意。けふハイネ『歌の本 下』買ふ。杉浦氏長男来り話しゆく。八木嬢より「2日から東京へ出張、富永の同伴」と。支那地誌のことならん。危きことかな。 武田豊、真野、錦織より寄せ書。夜、新潟鉄工所の技師来て我室に泊る。

5月5日
子どもの日と。8:30竹村課長に会へばつっかかる如きものいひせしがあとでごまかせし。9:00より(※富士鋼業)入寮式。われ「釘と鉄」の話す。すみて記念撮影。 城平叔父「2、3日中に来よ、せびろやらん」と。12:00出て阿倍野橋にて時間つぶしに古書店。『柿本人麻呂(100)』『サン・ヌゥヴェル・ヌゥヴェル(130)』『古語拾遺(20)』 『みたみわれ(20)』『続アルスアマトリア(180)』『ハルツ紀行(30)』と買ひ、始末に困り硲君とへば留守。階下の主人たちに預けて山下邸にゆけば「田中先生お越し」との声あり。 隠し芸きき、みな下品なるに感心す。16:30出て硲君により未だ帰らざるゆゑ折詰、下宿にやり、またバスにて天理。大江にゆけば叔父叔母と初江叔母とのみなりしもやがて勉夫婦かへり城平叔父来り、 久美子かへり来る。久美子の妹けがせしとて早々帰る、哀れなり。刺身にてめし食ひ『サンヌウエ゛ル(※cent nouvelles)』あたへて帰らんとすれば叔父、手提鞄呉る。けふ堀内民一、岩崎昭弥よりハガキ。

5月6日(日)
朝寝せしあと昼寝し、午後「わかれのことば」を「Poets’School」のため書き、河村純一氏にハガキ書き「祖国」送る手筈し、D室のすき焼きに招かれE室で碁打ちて帰る。

5月7日
登校、歴史うまくゆけ、万葉の時、法隆寺見学いひ渡辺、中許2嬢に世話役たのむ。13:00すぎ鶴橋小学校に埜中氏を訪ひ「祖国」わたし200(4月分会費)わたして帰る。
けふ宇田嬢の家での会の寄せ書と。天野忠君より。相野忠雄へ山下君の履歴書送る。夜、原監督にビール2本のます。

5月8日
雨。昼4時間やり藤井寺にゆく。大江叔母血圧175と。久美子も来り話す。夜学2時間やる。1年生より声あり「語句の解釈は高校の虎の巻でわかるゆゑ歌の長所短所をくはしくやれ」と。 雨中を帰れば若森君あり「休みなし」と。杉浦実君より「10日阪大病院へ講演に来よ」と。「近江詩人会5月20日13:00八日市町にて」と。

5月9日
雨止む。文2西保ら「土曜に法隆寺にゆかん」といふ「相談せよ」といふ。文1齋藤の母に会ふ。硲君来りこの間の礼いふ。帝塚山書店で『歌曲集(50)』買ふ。第1回教授会。 壽岳博士をはじめて見る。岩橋講師「全田の純子と女専の同級生」と。帰りてすぐ寝る。堀内民一と川久保へハガキ。

5月10日
8:30会社にゆき11:00までかかりて叔父と話す。負傷者出て大さはぎなりし。12:00まへかへりて食事。父来り『霊異記』と『祝詞講義』おきゆく(150)。 出て小坂までのバスにのり布施郵便局にて5000とり登校。旅行の案内書刷り、出て散髪(100)。古本屋にて『法隆寺建築(80)』と『ハイネと青年独逸派(65)』買ひ阪大へゆかんと地下鉄淀屋橋で降り、 生徒に会ひともに朝日会館までゆき16:30より大高会。猥談し、釜洞先生と出て梅田の料理屋、カフェにゆき帰れば18:00。熊本古賀先生より礼状。八木君より「明日!室生寺へゆく」と。

5月11日
7:30家を出て天理にゆきしに図書館休みらし。講師室にて石浜先生待つ中、仙田、中村孝志などいやな奴ばかり来る。「佐藤誠5日に引払ひて[東]上せし」と。 浅見篤にきけば「川西氏異常なる人」と。鈴木治に寄りて帰り来る。
けふ咲耶よりハガキ。山本の共産党推薦のハガキ1月おくれて?来る。角川へ受取と『立原全集』のこと。

5月12日
創立35周年とかにて休みなるを利用し法隆寺ゆき。8:30天王寺。鳥打買ふ(700)。9:20に集まりしもの10名(2年伊井、植木、西保、土井、則武、山城、小島、引地、1年川崎外1人)。 9:25にのり法隆寺。井上氏すでに通じたまひ寺内見、写真うつされ中宮寺、法輪寺にて昼食13:00。十一面観音と塔の写真かひ、井上師と話し、法起寺にゆき15:40のバスにのり天王寺(80)。 駅前で別れアイスクリームたべて帰る。
けふ彦根より退職手当(7350)。島稔よりハガキ。河村純一氏より「祖国」の歌に感心せし様子。八木さんから子どちへハガキ。前川佐美雄より「20日に八Pで会するゆゑ来よ」と。 (石浜先生にけさ天王寺でお会ひし[明日]のウラにアルタイ学会の案内いただく。)
【歌稿ページ(6p/36p)より】5.12
なれをこふわがうたひとを喜ばせ五月大和の丘になれこふ。
かの丘にまなこをとぢて眠ります追憶の神われはゆめみる。

5月13日(日)
よべ悪日にて怪我人出来(雨谷)、酔払ひ来り(魚住)夜半まで眠れず。ひる医者にゆき怪我のことにつきききしのち外語にゆく。『希臘宗教発展の五段階(20)』。 石浜先生、山本守氏(「高知大に荒木修中隊長ゐし」と。「石浜先生も御存じで大好き」と。)の外、山崎忠、中村孝志の2天理、桑田博士来られ御挨拶す。 「鴻池新田にお住ひ、守屋美都雄まだ来ず。君と思ひしが」とあやまられし。(神田博士も「田中さう(※勤め先を)かはってはと心配されゐし」と石浜先生。)
岡崎精郎の話きかずして帰り入湯。寮長会をし魚住をやっつけ、雨谷の件にておどかして1:00眠る。

5月14日
9:00登校。篠田博士より「五穀の起源」の抜刷来りをる。歴史けふより講堂にてやり万葉4号教室となる。すみて渡辺、中許嬢らに了解の意味を示す。めんどうなることかな。 教授室に机入る。西保嬢の和歌よみをへしころ、大浜厳比古あらはれ、ともに出て阿倍野橋でアイスクリームのまし、河野岑夫にゆけば「大阪支店へ転ぜし」と。
帰れば杉浦実君より礼状。川崎菅雄より「27日に山本宅にてクラス会す」と。埜中君より岡本和子のところ。前川佐美雄より「20日に京都で会す」と。川久保へのハガキ。 弘前より帰り来し、ふしぎ。けふ松本善海へハガキかき「辞典送れ」といふ。明日10:20の汽車にて悠紀子彦根へゆくと。

5月15日
登校。文二の2派はっきりわかり守本氏にいへば「正義派とヤンチャ派」と。山城生、堀さんの手紙見に来たし」と。午後雨。傘かりてナンバにゆき露伴『骨董(60)』、 安藤圓秀『詩経随筆(50)』の外、史に『英和辞典(100)』買ひワンタン(50)食べて帰る。
けふより電話かかりしゆゑ村田に電話す(住吉3949)。夜学嬢の話では「太宰施門博士の講義面白し」と。(けふ博士のゐるところで入江来布氏より「29日までに何か」といはれ「杜甫かく」といひし)。
雨の中帰り駅に迎へし悠紀子と帰る。「彦根へゆき宮本夫人に会ひ、きけば中島君生徒より排斥されし」と。「藤野(※一雄)君に出会ひよろこばれし」と。 ハガキ藤野君より偶然来をり「杉本長夫氏に『祖国』の歌見せられし」と、ふしぎ。徳永嬢、小林英俊と彦根より3通あり。ヒコネデーか。八木嬢よりハガキ。『くれなゐ』57号10部。

5月16日
定期券買ふ。登校。ひる休み硲君来り、ともに出て帝塚山書店でエンゲルス『家族私有財産国家の起源(100)』、平野『太平洋の民族=政治学(60)』買ふ。埜中、井上、小林、藤野、 前川(20日の会のことわり)、川崎(肥下・坪井への通知承諾)へハガキ。
けふ「伊井、山城、土井の三嬢土曜に来訪する」と。教授会。壽岳博士欠席。「樟蔭、天理、奈良女子大へ出張せよ」と。「来年、長沖氏を専任にせよ」と。 17:00すみて藤井寺。「今川町に自動車のガレージ出来るとのことにて到頭本宅となりし」と久美子いふ。「山下幸男少年は大江のネエやの子」と。手紙預り来ってわたす。

5月17日
9:00会社へゆきしも「専務に夜伺ふ」といひしのみ。樟蔭にゆき安田章生君に案内書もらひ、詩について一席しゃべらさる。反響なし。 かへり山口君に寄り飲物のましてもらひ一寸散歩して青陵『希臘紀行(20)』買ひ、帰りひるねせんとせしがだめ。入浴して19:00子供の本もちて今川にゆき、 少し待たされ寮のこといふ。21:30池川医院により雨中をかへる。けふ史、近江八景へ遠足。

5月18日
9:00奈良へゆき前川佐美雄にゆき11:00まで話す。保田家にゆき「『ねえさん』死なれし」と。「保田夫人また家(※実家)に帰り、このごろ帰りて恐人症」と。 「資産税690万円かかりし」と。「吉村正一郎、夫人を50万円にて離縁し玉井照子(25才)を娶りし」と。(※奈良)女子大の横田俊一氏(※太宰治研究者)に紹介され、ゆきしも不在。教務にゆきて応募きき、 天野忠ゐるを見る。「田村満穂も着任」と。忠さんにうどん奢ってもらひ、古本屋ひやかして天理へゆき、短大で書類もらひ高校に寄り、図書館へゆけば日の寄進デーとて草むしりゐる。 大浜君に澤潟先生へ紹介され、サイダーのみにゆき、八木嬢よりGeikie借りて16:00のバスにて帰る。鈴木治氏より「松岡國雄(九文乙)が寮母世話しくる」とハガキ。

5月19日
登校。鍋井克之氏けふより講義。けふはじめて国文学史2時間かっちりやりMiss西保の法輪寺の歌3首とふるさと吟5首とをとり、伊井、山城、2嬢をつれて帰りいろいろ話し17:00ごろ送り出す。 中原中也と「祖国」とをもちゆきし。けふ見原文月氏の歌集と近江兄弟社の詩集と来り、真野氏より手紙。羽田より「来られず」との断り状。 悠紀子の話によれば「今月収入33000、われのみにて14000費ひし」と。「あす9:00城平叔父来る」と。けふサラリーもらひしも17000。少なくなりをる。夜、井上敬道氏へ手紙。

5月20日(日)
肥下、坪井へクラス会通知。9:00より懇談会。城平叔父、松尾部長列席。10:30すみ昼食して12:40の大阪発にとゆく。八幡着15:00まへ。八日市まで守山の岩崎君とゆき、 つけば河村純一先生の外、宇田嬢あり。ついで徳永嬢も来る。16:40出てともに八幡まで出る。二嬢果物買ひてたまふ。 15:26にのりて東西に分かれ20:00まへ帰宅。けふ車中でHammurabiの法典ちょっと読めし。八木嬢より「明日来る」と。山本、川崎よりともにクラス会通知。雲井書店より月末来さうな手紙を彦根へ。

5月21日
登校まへ杉浦氏来られ「美都子君かへれず」と。ゆきて阿部野橋にて電車故障、バスにてゆく。西保、伊井2君の歌をゑらぶ。八木嬢より電話なきゆゑ上六で1時間まち呆け。 鶴橋小学校に埜中君訪へば「授業中ゆゑ会はさず」と。歌ことづけて帰り来ればみちで八木嬢に会ひ、家にともなひ16:00ともに出て上六。 信子君くるをまちてすし食はす。けふ雲井書店へ転居通知。田中秀央『アエネーイス2冊(100)』フレーザー『サイキス・タスク(40)』『ジャンヌダルク』買ふ。帰途、 御散歩の桑田博士夫妻に会ひ奉る。

5月22日
登校。高校遠足とて授業なし。太宰博士と話す。漢文のテキスト切りて帰り、大鉄デパートで松田『結核をなくすために』2冊買ひ、帰りて安田章生のハガキと『樟蔭文学2』。 藤野一雄のハガキ。岡本和子より悠紀子あてのハガキ。岸田国士「善魔」(郵便不足54)よみしてゐる中、熊本の校長来りしとて呼びに来る。会社より料理屋にゆき、みな平げて帰る。 (20:00)。「康平叔父に腹立てし」と松尾、原2氏の話ききづらかりし。室長会をやりA(和歌山)文句うるさく「どうでもせよ」との意見をいふ。

5月23日
出勤。法隆寺門前での写真1枚だけ西保君くれし。教授会あるかと思ひしもとりやめ。藤井寺へゆき叔母にいへば「下元帰すは叔父かへるまで待て」 「帝塚山の月給のことは自らいへ」「康平叔父はよき人、松尾はよくなし」とのことなりし。
駅にて丁度バスありしゆゑ太田の鷲をたづねにゆき小学校、家、檀家とまはりて会ひ相馬のこといひしも反響なし。八尾に出て帰り、 すぐ眠らんとせしに吉田鳥飼ら3人「上阪の女学生に会ひにゆく」と1000借りに来し。
けふ岩佐(※岩佐東一郎)、武田(※豊)、多喜さん連盟の長浜よりのハガキ。「岩佐23、26両日北極屋泊り」と。羽倉より電話番号。埜中、坪井より金井君の履歴書返送。江川の手紙同封しあり。

5月24日
朝、下元生よびて話す。藤野、篠田紀、安田章生へハガキ。奥西保君へ池内先生のことで手紙。百瀬弘氏より「神戸着任」の挨拶、 並びにこちらへ来てから「田中は居住地手当が増しただけだのに月給が上がったと喜んでゐるからバカだ」といふ噂を二度ききし由。「松田壽男、●谷氏なども来阪」と。 相野より「山下君の業績表送れ」と。山下君へその旨通知。下元鼻血出しとて池川医院へより17:00岡本和子の母君に会ひ「一度来よ」といひやり、地図4枚買ひて登校。 二時間目は御所出身の嬢ひとり(他に昼の渡辺三栄子)。京橋まで同車、話しつつ帰り、池川医院へゆきしもごま化さる。けふ学校へ大浜君より「来てくれ」との電報

5月25日
7:30家を出て9:00天理へつき大浜君の家へゆけば「登校」と。呼出してきけば「16:30」と。呆れてものもいへず図書館にゆく途中八木嬢にハムラビかへし、ともにゆけば山崎君に会ひ、 室にゆくといひ、大学により石浜先生に伝言たのみ山崎君の室にてギリシア史よみ12:00食堂にゆきて焼飯注文すれば大浜君来る。「賄人も少し待て」と。図書館も面白からず。 鈴木治氏にゆけば「賄人たのみしも応答なし」と。15:30までゐて大浜君と大学前で会ひ朔太郎の話。すみて500もらひ八木嬢より米もらひて帰れば20:00まへ。 中村竹次郎より「退職せし」と。中川郁雄君。けふ入違ひにMiss八木より「17:30-18:00つるはしへ来よ」との手紙来り、史ゆきしと。

5月26日
登校。文学史の講義す。けさは伊井生と同車。山城生より「祖国」写せしと返され、この派に偏すらし。守本氏にことわりてのち会計中村に云ひにゆけば「理事長のお指図通り」と。
硲君来てくれ、ともに出て天王寺美術館にゆき、末永博士に紹介され、樋渡事務長(東洋史昭8)に会ひ、マチス展硲夫人のおかげでただで見、 コーヒー喫茶室でのみて新世界通りぬけ(けふはじめて茶臼山を通りし)、春山行夫『台風風物詩(30)』『古墳横穴地名表(40)』『改正杏花史(50)』買ひして丸善にゆく。 途中「北極屋」に岩佐東一郎氏のことききにゆきしに支配人不愛想なれば早々に出、成見屋に[小杉]ためしに訪ねれば在焉。丸善の隣の露店市見しのち男つれて地下鉄で天王寺に出て帰る。 宇田嬢よりハガキ。徳永嬢より「みづき」と栄養科の書類送らる。夕食入湯後、杉浦家にゆき美都子のこと相談して帰る。

5月27日(日)
朝早く起きる筈なりしも、よべさはがしく1:00すぎ迄眠れず。駅にゆけば9:00すぎ。上六に出て天地書房で井坂『支那民族生活史(50)』買ふ。雨となる。鶴橋、京橋、 吹田にゆき俣野と駅で会ひ傘に入れてもらふ。本庄先生、後藤、坪井、来をり、あと川崎来しのみにて7人。「田村死にし」と。「福田戦死せし」と。「山内四郎大阪に勤めゐる」と。 18:00早く出て今川にゆきしも城平叔父帰らず?賄人の件、小松保の件、帝塚山のサラリーの件、手紙にし、カステラ、海苔もらひて21:00帰宅。徳永嬢よりハガキ。 吹田にて青木良吉『日本服飾史要(45)』、『梁塵秘抄(30)』、『さんびか(25)』『音楽辞典』買ふ。

5月28日
登校。学長に調査の結果はなし大浜君と出て家へつれ帰り、ビールのませ夕飯食はす。(「大谷女子大学にて1ヶ月に1回づつ詩の話せよ」と。)
夜、雨谷呼びつけて叱る。

5月29日
登校。15:00すませ時間つぶしに阿倍野橋に出、古本屋で『人体と結核(20)』、野上豊一郎『クレオパトラ(80)』買ひし。帰校。 夕食食べ夜学「万葉集」すませれば文学史の生徒一人もなく岩橋女史とともに帰る。C室長有馬「やめて帰国、雑貨屋やる」とてタバコもち来る。 山下幸雄より「東京へゆくにつき大阪へは来ず」とことわり来る。末永博士よりわび状。岡本和子より「いつか来る」と。

5月30日
登校。「土曜休む」と生徒に通告す。ひるすぎより「国破山河在」をかき入江来布氏に届け(200×8)、大阪女子大へゆき佐野氏の部屋にゆく。支那文の高馬三良教授に紹介さる。 帰って教授会と。教師補充の名に西垣修(※西垣脩)あり。「明大にゐる」と。学長来ざるゆゑうやむやにすみ17:00平野の学芸大分校へゆきしも相野会議中。呼出して山下君のこと話してことわり、 古本屋に寄れば『楊貴妃とクレオパトラ』あり50を30にまけさして帰る。夜、雨谷来り「本かせ」と。

5月31日
雨、見原文月氏へ「雲泥読後」。松本善海へ問合せ。会社へゆき色々いひしも一つも通らぬ様子。帰りて11:00より炊事監督。21:50引取る。

6月1日
3:15に起こされるまで殆ど眠らず。起きて6:30まで監督。朝食後一寸眠り、7:30またゆきし。昼食後また寝る。創立記念日のボーナス1000もらひ、庶務課長と一寸話し、 天野忠へコルボオ会のことわりいひ(3日11:00より祝賀会と)、18:00和歌山へ帰る有馬に300餞別につつみ19:30散歩に出、丹羽千年にゆき桂信子とも話す。
けふ徳永昭子嬢より「マチスに来れず」と。「くれなゐ58」10部来る。西保、伊井2嬢の歌そのままのりゐる。徳永嬢へ1部送る。

6月2日
3:30一度起きて賄監督。羽倉、中川、石瀬、中村竹次郎へのハガキ。9:00賄2人をつれて会社へゆき11:00待つ。蒲生へ散髪にゆき『東亜植物(70)』買ひて帰り、 島稔よりのハガキ見る「服部に会ひし」由。山下幸雄へハガキかく。けふ平凡社より2100来る。

6月3日(日)
11:00よりの幹部会のため何もせず。康平叔父より草刈を命じらる。13:00までで引上げしが城平叔父の自動車故障とて我家にあぐ。One-manの声あり。浴衣と石鹸とをもらふ。 夕方散歩にゆき放出、鴫野をあるき朝鮮語1冊(20)買ひて帰る。

6月4日
登校の途、伊井、土井2嬢と会ひ『くれなゐ』渡す。学校にて西保嬢にわたし100受取る。伊井嬢文学座の6日分の切符呉る。ひる大浜君来り「賄みつからず」と。 羽倉より電話「明日16時南海高島屋の本売り場にて会ふ」と決む。ともに出て古本屋見、『神楽坂(30)』をわれ買ひ、『コギト詩集(80)』彼買ふ。大谷短大にゆき紹介うけ(吉井、山本2君)、 うどんたぶる彼を待ち、アベノ橋にてコーヒーのみしのち別れんとすれば久美子と会ふ。上六にゆけば「八木あき子嬢、火・木・土登校」と。帰る。けふ出張手当340もらふ。

6月5日
登校。講義すませ出て上六にゆけば八木あき子女史あらず。古本屋ひやかし『五[合]山(70)』、『李長吉詩集(50)』。溝端清にて『Stories from the ancient histry(30)』買ひ、 ナンバ高島屋にて羽倉に会ひ「首になりさうゆゑ高校でよし」と。ともに喫茶、やきそば食ひ(200)別れて夜学。沢山来をる。 帰れば「あき子女史、家へ来てくれし」と。有馬幸一より図書室へ『花水木』寄贈し来る。

6月6日
登校。ひる漢文の試験問題提出。硲君来りともに出て田村春雄にゆき本かへし、小児麻痺のこときき、大鉄百貨店見しあと硲君と別れ、学校にかへり教授会(17:00まで)。 (けふ「国破山河在」の校正見せらる)。すぐ大手前の毎日会議に文学座「武蔵野夫人」見にゆく。大浜君来てあり。2幕見しあと出て山城、伊井2嬢と話す。 伊井嬢に『クレオパトラ』やり『寒冷地帯』かへしてもらふこととす。古本屋で『蜻蛉日記(40)』買ひ夕飯。サンドイッチとコーヒー(110)
けふ岩崎昭弥より「我歌滋賀新聞にのりし。中島嬢と話しあり徳永嬢泣きし」と。天野忠より天理の2詩人のことと「anthorogyの締切20日」と。 井上多喜三郎氏より「10日までにPoets’ Schoolの詩を」と。則武三雄氏より「杉本長夫氏と友人、三好達治の弟子」と。
【歌稿ページ(6p/36p)より】6.6伊井玲子に1首
長瀬川ながるる水の清かりしわがわかき日はいづちゆきなむ。
夜のゆめに出で来しひとはわがかたを見ぬふりしては旨く[去に]き。

6月7日
朝、広瀬来り退社退室を申出づ。きけば泣くばかりゆゑ市立病院につれゆくこととし、会社へことはり、午后ゆけば田村春雄不在。宮本氏に話し入院をさすこととし連れ帰る途中伊井女史に会ふ。 きのふの「先生いたいところあるでせう」をあやまらせ、鶴橋で別れ会社へよれば城平叔父不機嫌なり。まあまあ入院をみとめさせ夕方また広瀬をよびて説き伏せ、 埜中にゆき450わたし『くれなゐ』4部もらひて22:00帰宅。(「大和通信8」と西保女史の歌わたす)。
けふ長谷川英子女史よりハガキ。「短大やめし」と。保田「追放解除」の予告新聞に出づ。

6月8日
9:00すぎ広瀬つれて市立病院へゆき。「きのふ春雄16:00に来て宮本さんよりききし」と。「入院するまでに注射して見ん」と。問へば「きのふは1ヶ月に1、2回」といひ、 けふは「3ヶ月せず」といふ。わけわからず。すみてコーヒーのまし藤井寺にゆく。大江叔母「それにて宜しからん、齋藤嫗は今川夫人の義母」と。 13:00出て北田辺の古本屋見しあと帰り来る。けふ「薮の中の彼」を近江詩人会に送る。

6月9日
登校。Miss伊井より『寒冷地帯』かへしてもらふ。かへり上六の学校にゆきしも八木あき子女史あらず。百貨店で『十六夜日記(20)』『今鏡(20)』買ひ帰りて昼食。 16:30風呂に入ればあき子女史来る。「母上肝臓炎」と。春雄へ小児麻痺の紹介状かき、八木女史に『ゲルマニア』たのみ夕食たべてもらふ。 18:00桑田六郎博士をお訪ねし苺ミルクいただいて帰る。けふ雲井貞長氏より「10日すぎ来阪」と。津田侑より「村上氏より唐詩選の名講義きく」と。

6月10日(日)
朝、退屈す。12:00出て天満橋にゆき『国語の歴史(80)』買ひて緒方塾(※適塾)さがしまはる。石浜先生にお会ひし、ともに探し、ゆけば「会費200円」と。 あやまりて浪速芸文会の「王静安25周年追悼会」に出る。神田先生に挨拶申上しもこはい顔してをられし。同先生司会にて鈴木豹件(※虎雄)、橋川、梅村の諸先生の話うかがふ。 金戸守呉生(泉尾にて堀内民一より『戦後吟』見せられしと)。高橋盛孝先生などに挨拶し、彙文堂の隣に坐りし。かへり坪井に寄り19:00片町より乗車。「寮生2名、金かりに来し」と。 「乾隆帝」書けず。しらぬ顔することとす。

6月11日
登校。「あす高校試験」と。出ずともよろしきららし。西保嬢、石浜先生に会ひ「田中は日本で何番目かの詩人ゆゑいぢめるな」と云はれしと。山内四郎に電話せしも不在。 住高にゆき硲君に会ひ、北畠にゆき上田書店にて太田亮『姓氏と家系』、棚瀬『東亜の民族と宗教』買ふ(90)。後者は愚著なり。けふ平凡社の稿料貯金に入りしと。

6月12日
登校。試験監督なかりし故1時間あき帝塚山書店にゆき『明徳記』『雨月物語』『中等国文法』、佐藤春夫『美人』買ふ(95)。 教科教授法すまし漢文のテキスト刷り山城嬢より婚約の相手の調査たのまれて上六。八木あき子女史よりタキッス(※タキトゥス)『ゲルマニア』受取り、ともに喫茶。 (けふ入江来布氏より「梅花」7月号と稿料500受取)。梅田にゆきギャバンの人情もの「鉄格子の彼方」見、17:30あはてて登校。夜学教へて帰り、高知高校の校長先生の会にゆく。 「不平派をなだめていただけじゃ。」
けふ岡本和子より「猫やらん」と。埜中氏より「15日16:30上六へ来よ」と。西川より「関口八太郎、(※警察)予備隊の大阪管区幕僚長となりし」と。

6月13日
高知工高の校長先生挨拶に見えしかば追かけて会社にゆく。城平叔父来るを待ちて出て登校。奥西保よりハガキ。「池内先生の本、7月末となりし」由。「羽田に電話で叱られし」と。 「年少吟、さはらぎ物語とともにかけ」と。ひる休み硲君来り、タキッスかしくれ、マチス展の絵葉書3枚たまふ。教授会。来年度国文科を置くことはやめになりし様子。 帰れば中村竹次郎より手紙「小説を朝日新聞社に紹介せよ」と。広瀬父より礼状。けふ木村英一氏へわび状と200送る。

6月14日
徳永嬢、河村純一ドクターへマチスの絵葉書。会社へゆき原課長より吉本のわる口をきく。天理へ高橋君の弟とことにてゆけばたのみしおぼえなき様ないひ方をするゆゑ一寸腹立つ。 (八木嬢に本かへす)。ひるめし食はされ大浜君に会ひして養徳社によりしのち帰る。(吉岡君に西大寺で会ふ。) 奈良まで汽車。女子大にゆき天野君に会ひ「二君脱会の心なし」といひ、 横田[純]一(※横田俊一)氏に会ひ服部英次郎氏に会へず古本屋でまた横田氏に会ふ。前川氏にゆく。「保田京都にかはる」様子。「谷川あひかはらず養父母と喧嘩」と。 かへり小阪で下り古本屋大[進]書房によれば「先生ならずや」と。「浪中の堀内進にして伊東の弟子」と(※『VIKING』同人)。『山家集(30)』『記紀歌謡集(30)』『河内(20)』にしてくる。 山口君にゆけば埜中君あり。「あすの会ゆけざるかもしれず」といふ。帰りて吉本呼び叱れば「原課長のいひしことは事実無根」と。(けふ会社より坪井に電話し関口のこといふ。)  山前君より「坂口君の校正出でし」と。宮本夫人より「いろいろの話」。中に「福島自転車泥棒にてあげられし」と。

6月15日
羽田、山前へハガキ。祖国社へ「年少吟」52首。寮母賄人の採点表かく。9:30会社へゆけば城平叔父不在。康平叔父に高橋君の弟のことわりいひ一旦帰る。 徳永嬢より「10日マチス展見に来て感激せし」と。天野忠よりハガキ。雨ひどきゆゑ止むを待ち16:00出て上六へゆき山口、埜中二君の御馳走にて難波君の歓迎会。 18:00すましアベノ橋へ出、岡本嬢に寄れば皺寄りゐる。今川にゆけば城平叔父まだ帰らず。藤井寺にゆき叔母習字中なるを待つ中、叔父帰り来て夕飯。 すみていろいろ相談しレインコート借りて帰る。今川へゆけば21:30「貸金はやめよ、組合結成の動きあり注意せよ」云々。23:30帰宅。「留守中3人ほど金かりに来し」と。

6月16日
朝8:00すぎ家を出て会社へゆけば重役会。置手紙して登校。私語せしゆゑ伊井嬢らを叱りて11:30すませ、ナンバより市電にて朝日新聞。谷川新之輔に会ひ、 茶おごられ中村竹次郎のこといへば「駄目なれど会って見ん」と。「訴訟山本にたのめ」といひ、山本の事務所までゆく(途中『狐の詩情(35)』見つけて買ふ)。不在。
天満橋へ出、月見うどん食ひ(50)、会社へゆき10000借りる。ひるねし入湯。夕食。あとで10人近く3000借りに来る。
けふ木村英一氏より会費受取。角川より「立原道造全集送る。印税残額も送る」と。

6月17日(日)
9:00出て上六、本屋休みなり。「日本歌人」の大阪会にゆき前川佐美雄と並ぶ。川邨夫人あり。10年ぶりなり。他に見原文月、梁夫人、池田君などあり。 田中武彦といふ偉き人も来る。山本に電話して中座。18:00より会するとて忙しく谷川のことたのみて帰る。
うた作るこころをひとのさまざまにあげつらふ場にわれはあくびす。
うたつくるこころとなりてなれとゐし六月のバラさくひるまへを。
20時頃原君酔ひて帰り来り「御用組合出来たれば寮の者をこれに入るるから努力せよ」と。きき流しにす。

6月18日
登校。山城嬢に『狐の詩情』与へ『寒冷地帯』かへせといふ。「金曜に天理へ守本氏ゆく」と。帰り阿倍野橋でコーヒーのみ帰宅ひるね。末吉より「一度来よ」と。 岩波文庫『小公子』『にんじん』『風車小屋だより』買ふ(220)。夜、みな借金に来る。けふ西川、島へハガキ。中村竹次郎へハガキ。

6月19日
登校の途、守衛と同伴。いろいろ組合問題をきく。みな不慣れにてうろたへてゐるらしき。家族主義ここに終りを告ぐるか。5時間目眠し。
けふ太宰先生に山城嬢の見合の相手のこときけば「五條大路の瀬戸物屋の子にして近頃法科の大学院の例にもれず一流にてはなし」と。嬢にはよく云へば喜ぶ。 『狐の詩情』の代りもち来らず。漢文テキストに聊斎のp13「偸盗」を刷らしむ。散歩に出て春雄にゆき宮本氏へと弘瀬の石鹸托し、戎町で岩村忍『蒙古史雑考(60)』、 鉄道院『China(100)』『国訳漢文大成 剪灯新話(100)』買ひ、堀内民一に会ひ喫茶(100)。「北極星」で支那そば食ひ夜学。国文学史の教科書16日に失ひしらし。 帰りてきけば「2組合ほぼ同数」と。藤野君よりハガキ。佐々木邦彦よりハガキ。

6月20日
登校。ひるすぎ帝塚山書店にゆき『李花集(25)』『東関紀行(25)』買ふ。西保、植木、伊井、土井、山城嬢らと写真うつす。教授会あり「夏休み7月14日から」と。 「中島(※栄次郎)の本買へと」と日野君に話せば学長にいひ「よし」といふことになりし。また用ふえたり。けふ本屋へゆきしまに父訪ね来し模様。 帰り大鉄にて5万分の1「神戸須磨」買ふ。定期買ふ(360)。
角川より『立原全集』1、2来り、1を西村にわたす。「Poets’ School 11」来る。角川経理部長坂作二郎へ受取と1、3(2部)の註文。

6月21日
一の谷へ遠足と。曇ゆゑ傘もちてゆく。2年は山城、西保、津熊の3人のみ。付添守本、中田、長沖。三生に学長西宮より加はる。一の谷へ行くころ雨ひどく、 観光ホテルといふへ上る。13:30出発、また阪神国道を走り梅田でわれ下車。高尾書店で『Nelson's encyclopaedia(750)』と『更級日記(30)』買ひて帰る。またまた金借りに多く来る。 郵便来ず。珍し。

6月22日
会社へ9:30ゆく。康平叔父大国氏と衝突せしらしく悪口云はる。自転車で通ふとののしらるはまだ笑ふべきも竹村「子供までせわになってゐて」とほざきしには腹立つ。 けふ八木あき子嬢に依子ハガキ出せしことわかる。15:00藤井寺にゆき叔母のため歌3首代作。久美子とすしよばれて帰る。今川で下車、四辺歩きしも古本屋もなし。 中島に寄らんとせしも雨。帰れば16:00ごろ。あきちゃん来しと。祖国社より「年少吟8月号」と。夜、山下章男よび大江叔母よりあづかりし万年筆わたして聞けば、 伍長らの組合共産党ゆゑ他へ入りしと。けふ貞明皇后大葬儀。

6月23日
帰郷4篇を書き足す。会社へゆき1時間半まちて城平叔父に対組合の方針きく。humanistなり。出て関大にゆき末吉、平田、長谷川、3教官と話し、去年の車馬代4400もらひ、 出てすしおごり芳村古本屋にゆき『Wells, A short history of the world(100)』買ひ、夫人より芳村君このごろ競馬で金使って困るときく。(その直前、硲君と会ひし。ふしぎ)。近くの古本屋で『春夫詩鈔』と『青 い鳥』買ひ(105)、『日本文学双書202(150)』買ひ、梅田まで歩いて駅内で岩村忍『マルコポーロ』『土佐日記』『紫式部日記』買ひて帰る。
ゆき子に1200わたし、堀さんよりの『薔薇』受取り夕食後、散髪に出て図書室のため岩波文庫(330)買ひ来る。

6月24日(日)
8:00まへ家を出、省線にて京都。まづ彙文堂に寄り『風土記(100)』『結核(20)』買ひ、篠田博士にゆけば大津へゆかれしと。外山軍司にゆき阪大のあやまり云ひ、 11:00出て百万遍まで歩き『曽我物語(40)』『ローマ法(250)』『埴輪(80)』『金槐集(40)』『漢の武帝(70)』『奥の細道(35)』『伊勢物語(25)』『方丈記(25)』『イワ゛ンゴル(20)』 『日本古代社会の葬制(20)』『日本古代文化(120)』『大和を中心とする日本彫刻史(90)』と買ひあさり、電車で野田へゆけば外出。置手紙して依田君にゆき「帰郷」5篇に1篇つけ加へ、 小高根来ゐるにきけば賄役ありさうと。水曜頃ゆくことを約す。井上多喜三郎来ゐるゆゑ100わたし、会費(200)払ひ、天野隆一『雲の耳(200)』。 そのまへ佐々木邦彦にて『ゲーテ詩集』6冊(120)、羽田に電話かければ来よと。やむなく土産に飴買ひてゆく。「太宰施門薄情な奴なり」と。20:00出て野田君再訪、 中島の本のこといへば宜しからんと。帰り来れば23:30。
けふ寮にて組合の会やりしと。中島夫人よりハガキ来をる、ふしぎなることかな。病気にて大阪に入院しゐしと。

6月25日
雨。登校。杉山平一に『ゲーテ詩集』1冊与ふ。遅刻勝ちと生徒いひ来るをなだめやりし。12:30出て本屋で文学史買ひ直し、中島の家に寄り姉さんに兄さんへの伝言たのむ。 帰りてひるね、すみて消防座敷を借りて宴会。その最中会社より呼びに来しかば、行けば昨日組合に講堂かすといひしかと。云はずと答へ詫びとなる。5000もらひて帰り、 杉浦美都子見込みなきゆゑあと探さんと賄に云ひわたす。島よりハガキ。角川より道造全集3を1冊。

6月26日
登校。『ゲーテ詩集』と天野隆一『雲の耳』4冊づつ生徒にやる。太宰博士の話では「中島利夫意気消沈、川村学長にきけば図書館長にするつもり」と。ひるすぎ出て散髪後、 中島家にゆけば「兄君(※蔵書処分に)異議なく明子夫人に任す」となり。上六に八木あき子嬢に会ひにゆけば「来ず」と。伊井嬢に会ひ欠席咎むれば母親ゐたり。 『天老』『菅江真澄』『印度文化史の課題』みな20円の山にあるを買ひ、夜学すます。

6月27日
会社へゆき賄の欠員われ見付け来るもよきかとことはり登校。須磨の写真を西保君くれ、山城君『寒冷地帯』を返しくる。12:00講義終へれば大谷短大の梶原嬢来り「15-19日の間に詩の講義せよ」と。 送り出して京橋より京阪。宇治のレーヨンへゆけば小高根二郎、会にゆきてあらずと。1時間待ちて王寺ゆきの汽車にのる。 檪本着。坪井の父母に会ひにゆきしとふ中島夫人をまち、本売ることを承諾せしめ一寸整理しかけて止む。

6月28日
朝起きて洋書整理はじめ、弟君に手紙もたし八木嬢呼びにやれば9:30来る。ひるまでに洋書すみ午後和書。全部にて1000冊。リスト洋書全部、和書は立派なるものぬき書きし、 餅たまひ18:30八木嬢とともに丹波市まで歩き、大浜君にゆき賄のこといへば椿氏に話し修養科の卒業生つのりて見んと。19:30出て帰れば長谷川英子嬢よべより来て泊りゐると。
講談社より『和田先生還暦記念論叢』の校正、角川より『立原全集』2冊と印税残額3872円と。宮川満より福島悟生退学となりしと。

6月29日
杉浦美都子来りしゆゑ診断書をそへて辞表を出せとすすむ。10:00すぎ長谷川嬢をつれて梅田を経て心斎橋。ライスカレー食ひ(160)、オリオン座まで歩き「レベッカ」見(180)、 出てコーヒーのみて(100)別れ、岩波文庫を十合で3冊買ひて帰宅。校正やり図書委員を西村、田中、鳥飼の外1名ときめ呼びて話す。
けふ中川郁雄よりハガキ。姫野君より転居通知。「祖国」7月号3冊。浅野晃の「大和紀行」に『西康省』のこと云ふを見る。

6月30日
登校。守本氏にきけば夏休みに白浜と吉野山とへ2、3日づつゆかねばならぬらし。ひるすませて南海高島屋へゆき『マルコポーロ』とりかへさせ『孔子』を礼に買ってやる。 帰れば長谷川嬢出しあと。けふ10時上六で誰かと待合せ明日も彦根へ帰らざる様子。坂口允男より「校正出せし」と。9000山前君にわたすやういひやる。
けふ和田先生の論叢の校正書留にて48なりしと。夜、室長あつめて会議。図書委員をいひ、すみて金かへせと原口、鳥飼を呼ぶ。鳥飼の話にては「高知、熊本おほむね総評に入り、 北野、入山が役員」と。「魚住も総評なり。」「けふBonus出て、組合に入らざりしせいか鳥飼よかりし」と。

7月1日(日)
8:00まへ出て会社へゆきしも杉浦、竹村二氏来ず。原君は竹村とも悪きらしく、賄のことには口出しせずと。出て雨の中を坪井に立寄り、中島家のこといふ。出て上六。 ウラルアルタイ学会にゆかず堀内進(※古書店)にゆけば不在。時枝誠記の国語文法買ひ(120)、伊藤賀祐(※のち岐阜大学)さがせしも見つからず。かへりまた堀内のぞけば帰りゐる。 「伊東静雄散歩しゐる」と。家へ来よとさそひしが「颱風来る」とて来ず。
けふ久しぶりにて高井田村を歩きしが塚本本家を見しのみ。帰れば小高根二郎より手紙「保田警察病院に入院しゐる」と。

7月2日
雨と風、レーンコートきて下駄はきゆきレーンシューズ買ひ(780)登校。「23-25の3日間白浜へゆかねばならぬ」由。12:00出て帰り来る。大谷女子短大より「19日来よ」と。 庶務課長より「原氏夫人の従妹希望ゆゑ賄のこと承知されよ」と。

7月3日
登校。うたつくる心とめえず六月の雲まにひとりなげかひをれば。
いつはりの心うたひて世のひとの心ためさむわがさがかなし。
午後藤井寺にゆく。久美子にきけば「けふボーナス出る」と。叔母より夏衣もらひ、ききしゆゑアベノの大鉄百貨店に寄りて見れば仕入部長は松浦(※松浦悦郎?)の兄なり。 一寸話して別れ、パン二つ食ひ夜学一時間やりて切上げて帰る。梁夫人より礼状。井上多喜三郎より「15日詩人会」。赤塚夫人より「4日出発」と。Bonus8000多くもなし少なくもなし。

7月4日
会社へゆかんとせしもおそくなり、そのまま登校。漢文の試験問題作り自習させしあと短大の漢文。日野君にきけば「学長、中島の哲学書中、独文のテキスト不要といふ」と。 金曜に大和へつれてゆくこととす。学長の書類のことで我も行かねばならぬらし。中島夫人へハガキ書き速達せんと思ひつつ警察病院まで来て投函。保田の366号室にゆけば「結核」と。 夫人付添にて元気なり。安静時間のことなれば一寸話し見舞のタオルわたし玉井君と話せば「心配いらず」と。城平叔父のこと知りをり「会社に来しことあり」と。
大手前へゆき坪井、石山、二教官と話し17:30雨止みを待ちて帰る。中川、藤野両君へハガキ。

7月5日
朝、会社へゆき城平叔父に会ひBonusの礼いふ。「御中元社長以外はよし」と。康平叔父「魚住は悪し」と云ふ。杉浦氏より「美都子心臓脚気」の診断書とり「やめると城平叔父にいふ」となり。 帰りてひるね。夕方西村呼びて、岩波文庫その他買ひにゆき、残金60とし図書室作りす。けふ宮本氏よりハガキ「赤塚氏出発せし」と。

7月6日
8:00出て8:30鶴橋にゆく。9:00日野君来りともに天理にゆく。短大では事務部長まだ栄養士許可来ず書類はその後にと。図書室見しあと図書館にゆき、みなみな話し相手にもならず。 整理24万冊となりしを見る。昼食すまし(金井君病欠と)、高校へゆき八木嬢に案内してもらひ、すみて14:19にて檪本。中島の和書を見せ15:52に乗り奈良で別れて帰る。 神崎学長には愛想つきたり。小阪で文進堂にて『枕草子(30)』買ひ、帰れば岩崎よりハガキ。埜中君よりこの間の写真。
うつくしき山々を見しかへるさは心さびしもむかし思へば。

7月7日
登校。硲君来り、ともに出て美術館にゆきしも末永博士あらず。新世界でコーヒーのみ古本屋見てナンバで別れ、十合で[龍]氏にたのみ夏上衣2750を2500にしてもらふ。 帰れば長谷川嬢より礼状「東京へゆく」と。
けふ学校で山本より「本代の請求」去年10月の分なり。彦根へいひやることとす。図書室うまくゆくらし。夜、原田「歯の治療のため」と2000借りに来る。

7月8日(日)
雨。いやいや13:30出発し上洛。四條の何とか地蔵さがしまはり着けば15:30。臼井、高橋珍しく来をる。すみて山村君、妻君なくせし挨拶をす。気の毒なり。 ともに出て四條河原町の「日本一」なるところへゆき、彼等は酒のみ、われは飯くひ早退して帰る。
けふ青木富太郎より抜刷。京阪書房にてウェスターマーク『婚姻と離婚(40)』。
あまけぶるやましろの野辺かふちのべなれをおもへばわれも哭きたし。
ちちははの許さぬこひとともに知り知りつつつづけ来しいく年ぞ。
「近江詩人」に「帰郷」わたす。
なにあふと帰り来しはやなには江のあしきことどもありと思へど。

7月9日
登校。2、3時間目の間、八木あき子嬢より電話かかり「12:00上六で待つ」とのこと。7月分月給呉る。(8月は20日とのことなり)。中島家へ「和書5万円で引き取る」と手紙せしと日野君の話。 3時間目すまし上六へゆきコーヒーのみ(100)歯医者へゆくとふあきこ嬢より弓子、京の洋服受取り「座右宝美術文庫」4冊(40)『Silver and China(50)』買ひて帰る。 徳永昭子嬢より「幼稚園へ帰りし」と。「岩崎の求婚ことはりし」と。夜、岩崎へハガキ書き青木富太郎へ抜刷送る手続す。
なには江に暑き一夏ともにすみわれらがこひはいやますらむか。

7月10日
暑し。講義すみしころ山内四郎より電話かかり来る。出て阿倍野でライスカレー食ひ(90)(この頃食欲すすまず)、『俳諧七部集(20)』、湖南『近世文学詩論(50)』買ひ、 大鉄百貨店で『東光文化双書10冊(50)』買ひし、鶴橋より上六に出て齋藤昌三『東亜軟書考(20)』買ひ、飴買ひ(150)て保田(※警察病院)にゆき、奥西保、高鳥に久しぶりに会ふ。 池内先生の本まだなり。玉井君にビタミン打ってもらひ学校にかへり夜学すます。けふ中島明子氏に「五万円だけ分けよ」の速達出す。

7月11日
11:30より授業とてゆっくり行き、すみて昼食。向ひへコーヒーのみにゆき2年生6人とともにのみ、おごりし様なこととなり壽岳博士の講義3人にさぼらし、帰れば守本氏まづき顔をしてゐる。 試験の相談をし、すみて帰る。(けふ三野女史あての篠田博士のハガキ見る。われを「詩人」と紹介しあり)。会社へよれば「労基監督署来りをる」と。 原夫人の従妹の話は杉浦氏知らざりし。図書費3000預りて帰り、入浴。労基官知らぬ顔をさせられ、西村呼びて2000わたし「[明]日本を買ひにゆけ」と云ふ。 布施市より「812づつ3245」との通知をとともに来し衣川の通知を渡さんとすれば長話してゆく。角川へ受取。雲井書店、宮川、小高根二郎、前川佐美雄、雨谷父へハガキかく。

7月12日
大江叔母、羽田へハガキ。けふは終日雨とて家居。ひるまへ父来り、1000御中元にわたす。図書委員4人にて本1300ほど買ひ来り、落花生くれ、車代とらず、気の毒なり。 中島夫人より「洋書も売りたし、和書は14日以外ならいつとりに行きてもよし」と。岩佐東一郎より暑中見舞。

7月13日
夕方まで雨降る。家居。彦根短大より『工科紀要』来る。惨たり。

7月14日
登校。国文学史のレポートの題を授く。帰り焼きそば食ひ、雨ゆゑ家に帰れば13:30、八木のあきちゃん来るかと思ひしに来ず。 杉浦実君「家にて待つ」との手紙来しゆゑ16:00四条畷にゆき18:00帰りし源次氏より話きく。22:00帰宅。池川医院の後任はやはり大高(※出身)なりし。ヨドキシンまきしとて家中蚊をらず。 まねて見ん。けふ赤塚氏より「13日渡米」の挨拶。短大図書館より「山本には10月払ひし」と。

7月15日(日)
雨。山本書店より「金10月に受取りゐし」とあやまり状。夕方小阪にゆき堀内進に古本市の価格表かり、Heineの『Buch der Lieder』と『Deutschland』をレクラム文庫で見付け(100)、 『イエス伝(20)』と鴎外『黄金杯(100)』とを買ひ、山口君でサイダーのまされて帰る。4人金借りに来り700もちゆく。

7月16日
時々雨。9:00日野君と鶴橋にて待合せ油阪より奈良駅に出、檪本着。中島夫人にいひ「朝の中に大体計算3.6万ほど、のこり2.4万見つくろひとし6万にてよし」といふこととなる。 (「洋書中、文学書は9月ごろまでに神崎院長に話してみる」となり)。15:00すぎバタバタ来り、日野君積みてゆく。われ丹波市にゆき高校へゆき西村喜世和に会ひ、ともに天理駅まで来り、 氷金時のみて別る。「生駒夫人御機嫌よろし」と。堀内進に『古書通信』かへしHeineの『Neue Gedichte(130)』『東都近世史(100)』買ひてかへる。宮本正都、岡本和子よりハガキ。 前川君より『日本歌人』もう一冊来をり。

7月17日
和田先生へ彦根の雑誌つつみ徳永嬢に『日本歌人』つつむ。会社へゆき城平叔父に美都子の後任のこと、ヨドキシン購入のこといひ、一旦帰り、昼食後ひるね。 新大阪新聞、足立巻一氏より「25日までに詩一篇を」と。藤野君、篠田嬢(丸物地下で花屋すと)、日野君「中島の本530冊ありし」と。「Poets’School12」来る。 16:30出て「かもめ」で『鴎外全集』借り(420)、春夫『荷風雑観』買ひ、やきそば食って夜学。レポートの題云ふ。日野君、紀州へゆきしらし。

7月18日
家居。井上多喜三郎、新大阪、慶松へハガキ。大よりハガキ。夕方室長会。消灯その他きびしくすることとす。夜、図書室に本390買ひにゆく。 帰って不良の巣となりゐるT室にゆきしに不在(鳥飼、清田、東野らが中心か)。

7月19日
篠田紀子嬢へのハガキと慶松への抜刷と投函。7:30出て大谷女子短大へゆき早すぎて困る。9:30より話。すみておうす(※薄茶)とすしと1500もらひ清水光(桑原氏と同級と)と交替し、 吉井君に「大浜君と遊びに来よ」といひ帝塚山。同窓会名簿2冊もらひて(180)帰り、田村春雄さがせしもまだ来ず。石浜君に名簿托し『アテネ文庫』3冊と地図2枚買ひて帰る。 彦根短大図書館より山本のハガキ転送。会社へゆきしも原君、竹村君と話せしのみ。

7月20日
会社へゆき専務に本日寄付4名をいひバスにて天満。坪井にゆきしも会へず。保田にゆく。元気になりをりし(羊羹100)。佐藤春夫『南方紀行(30)』新村(60)アベノ橋で地図1枚買ひ、 教授会、長沖氏はじめて出席。「中島の本の残り7万円で(※計13万)」と学長の話。「23日8時30分アベノ橋に集まり7月30日7:30ナンバに集合」と。けふ久美子にと同窓会名簿わたし、 きけば「大江叔母、房子の見舞いに上京せし」と。中島家により姉さんに中間報告し、帰りて不良を順々に訓戒す。23:30帰り来しを叱りて終る。

7月21日
会社にゆき康平叔父と話し「寮のこと大分心配」ときき、帰りて羽田よりのハガキと池内先生の本の推薦文(わが書きし)を見る。『東洋史研究』11の2来る。
午後ひるねせんとせしに雲井より電報「明日来る」とのことゆゑ「カタマチセントクアンゲシャフジハウスヘ(※片町線徳庵下車富士ハウスへ)」との電報打ち返しにうろうろし京橋駅にてすませ、 散髪して帰る。夜、寮則に関し室長会、23:30ごろすむ。

7月22日(日)
原君、朝出がけにききに来しゆゑ一寸説明し、あとで外泊届とともに報告しおく。13:00ごろ雲井君来る。「もと角川にゐし」と。「稿料4回に分けて払ふ」と。 「谷川徹三氏が推薦されし」と。8月中ごろ送ることとし、風呂に入れ夕食くはせ京橋まで送り坪井にゆく。「明後日より上京」と。中島明子氏に「13万でいかが」と問合せの手紙出す。

7月23日
付添で白浜へ。総勢29名。昼食もたざるは吾のみ。14:00白浜館着。午後水泳の子らを見、入湯2回。23:00すぎまで子らさはぐ。

7月24日
岩崎昭弥、羽田明、島稔、八木、藤野、中山諸氏へハガキ。午後観光バスで湯崎を見にゆき臨海研究所にゆきBougainvillea(※ブーゲンビリア)観る。(新大阪へ詩「8月」送る)。 夜、2年生の室で詩2篇、歌3首をつくる。春夫『玉笛譜』、『美しい町』、ハーン『山光集(20)』
【歌稿ページ(6p/36p)より】7.24白浜にて
あかあかと沈む日みつめゐしわれのかたへにひとはゐざりしごとし。
スマトラにわが見し花をふたたびと紀南の海辺けふ見たるかも。
玉簪花茉莉花かざししみんなみのまちにあひたるをとめのともは。

7月25日
朝入浴せしのみ。14:00までぐうたらし、手当1500もらひ土産「柚もなか(330)」もちて20:30天王寺着。和田先生、慶松、芳野、有馬幸一よりハガキ来をる。

7月26日
朝、会社へゆき電気代払ひにやらる。夕食後硲君来訪。ビールのんでもらひ21:00送りに出、『折たく柴の記』『大学中庸』『近世畸人伝』(110)買ふ。「新大阪」より受取り。 天野忠よりハガキ。夜、「白浜吟」2首清書す。

7月27日
朝、広瀬の父兄来りて応対す。10:00会社へゆく。城平叔父帰り来し。大谷短大より礼状。夜、室長会に原君出て長々としゃべりし。けふも暑し。、
【歌稿ページ(6p/36p)より】7.27
あつき日の日なか汗かきなれこへるこころすずしきをみなと思へば。
あまきおもひこなごなくだきそむきゆくをみなのさがをなれももてるや。
ちちははの命ずる仕事上役の仕事にかまけたよりなき子か。

7月28日
家居。中島の姑、藤谷絹枝氏より「明子未亡人に代りて任す」と返事。岩崎昭弥より「白浜のハガキ見し」と。終日出ず。病人3、4名出し。

7月29日(日)
家に午前中ゐしに午後天理の鈴木松岡ルートより後藤雪子(34才)氏来訪。ハウス内を案内し「履歴書遅れ」といふ。16:30出て桑津の日野君を訪ね極楽寺への返書たのむ。 今川へゆきしに叔父帰らず。『岩波写真文庫』2冊(野球と汽車)とスタイルブック1冊とをお中元に置く(200+160)。古本屋を見て岩波文庫『古今著聞集(80)』『上田敏詩鈔(50)』 『一茶俳句集(30)』『中華六十名家言行録(50)』と「高野山(5万分1)」を買ひて帰り来る。
【歌稿ページ(6p/36p)より】7.29
そむかれしかなしみ告げむ人をなみひとゐぬやまにわれはのぼらむ。

7月30日
7:00家を出、ナンバに8:00着。9:20の特急にのり12:00高野山成福院に入り24:00まで会議。家へハガキ。

7月31日
ひるすぎ散歩。古本屋にて『和泉式部(50)』、有高『唐代の社会と文芸(90)』、児島『支那文学史(80)』を買ふ。夜ふけまで会議、めまひす。
【歌稿ページ(6p/36p)より】7.31
みのりきくこころはもたずすてられし身になぐさめのうたをきかせばや。

8月1日
ひるすぎ古本屋へゆき昨日買ひのこせし『人情本集(150)』買ふ。堀さん、埜中君へハガキ。夜、大阪人を語る。院長先生とこの2、3日碁打ち8目。
【歌稿ページ(6p/36p)より】8.1 堀氏に
この世ならぬひとをぞおもふみ山木のなかをひとりしうなだれゆけば。
わが心つげむすべなみみ山木のしげ木が中になみだおとすも。

8月2日
ひるまへ会議。宝物館へゆく。大師の書と義経の字おもしろかりしのみ。仏像はろくなものなし。帰りてまた碁(8目)。17:00自動的にてケーブル着。 17:43にのり20:00ごろ大阪着。支那料理を会食、大阪駅まで学長と同車。帰宅すれば八木君けふ来り「3、4日中にまた来る」といひて須磨へゆきしと。
『くれなゐ』『凝視』『湖畔の声』来をり。河原正博、岩崎昭弥、中川郁雄、徳永昭子氏より便り。後藤ゆき子氏より履歴書。

8月3日
くもりて涼し。西保恵以子へ『くれなゐ』。『凝視』発行所へ礼状。河原正博へハガキ。徳永昭子氏へ『くれなゐ』。ひるねも旨くゆかず。『祖国』8月号来りしもわが歌のらず。 瀧脇清子(2A)より暑中見舞。伊井玲子へ『くれなゐ』送る。
【歌稿ページ(6p/36p)より】8.3 岩佐東一郎へ
僧去りぬ杉の梢に暮の星
なでしこの両傍に咲くケーブルカー

8月4日
朝、会社へゆきしも叔父来らず。帰りてひるね。(中島、明渡2生より暑中見舞)。前川氏より「12日の会の発起人を」と。15:00再びゆけば組合との間うるさいらしく、 松尾三郎に大江叔母への「せんべい」わたして天満橋。『枕草子 中下(70)』買ひて帰る。22:30まで室長会とて原課長の「熱弁」。

8月5日(日)
9:00家を出、9:26の特急にて京都着。ヌガー買ひて(100)羽田家にゆく。吉野書房の出たらめきき昼食よばれ13:30四條の地蔵前のコルボウ詩話会。篠田紀子嬢来り「花屋やりゐる」と。 吉沢独陽君来会。「近江詩人会19日滋賀大にて」と。17:00小高根二郎とともに出る。(詩集代650払ふ)。前川佐美雄より「12日会する」と。寿一より「竹田龍児氏に会ひてわがこときかれし」と。硲君よりハガキ。

8月6日
八木嬢来るかと思ひしに来ず。午後会社へゆけば城平叔父不在。西保嬢より歌と写真。角川の松原純一氏より「ハイネ」の催促。和田先生より「善海、東大助教授。川久保、 弘前大学教授となりし」由お便り。

8月7日
暑し。会社へ9:00すぎゆき「寮母の件駄目。雨谷の件は馘首せずといへ」と也。帰りてひるねしゐれば八木嬢来る。 「くれなゐ」の原稿とともに西垣修(※西垣脩)への手紙(城平叔父にきけば「家なきため上京せし」と)かき、夕方散歩。林叔母に会ふ。杉浦正一郎、吉田生、山城生より暑中見舞。

8月8日
7:30起き8:00家を出て9:00鶴橋にて日野忠夫氏と待合せ油阪より檪本へゆく。12:00(※中島栄次郎蔵書運搬)トラック来ず昼飯よばる。母君「千三百円をも少し」との言あり、わびし。 賄婦だめとわかる。14:00日野君去り、われ15:01にて桜井にゆき駅にて坂田夫人と会ふ。「10日までの講習すませて山前君へゆく」由。地図かきて渡し、羊羹二棹たまはりて帰る。 (布施−小阪−徳庵)。
けふ伊井嬢より歌、杉浦正一郎より『猿簑』。吉川仁、溝端清、岸明子よりハガキ。山城、吉田、岸、伊井諸嬢へ返事。「くれなゐ」へ伊井嬢の歌。 けふ留守に父来り『万葉集研究』『源氏物語研究』おきゆきし。

8月9日
9:00出て学院にゆけば誰もゐず。教授会記録作り。三苫君をとへば犬に咬まる。出て大江にゆけば叔母一人。「千草月収10,000にて家賃4000、泣くばかり」と。 「松尾三郎のBonus20,000森のBonus30,000」と。夕方帰れば津熊照子より暑中見舞。2B西浦孝子より同。末吉より同。池田道夫より「日本歌人の会に来よ」と。千草でなけれどわが貧にも困じたり。

8月10日
会社へゆきしも専務忙し。竹村、後藤女史のことで怒る。ともに出て寮に帰り固定資産税調査に立ち会ふ。すし賜ふ。康平叔父話ありさうなりしによりまたゆきしに出しあと。 淡路へ墓参のことらしと。帰りて佐竹女史、俣野博夫の暑中見舞と。河出の『現代詩大系』の資料おくれの速達を見る。佐竹、津熊、杉浦正一郎へハガキ。後藤女史へのことはり状。

8月11日
会社へゆき池川医院の中元のことにて原君からかひ、康平叔父にタバコもらひて出、保田を病院に見舞ひ、玉井君に恐水病(※狂犬病)のこといひ、 帰り大手前より坪井(※明)宅にゆきしに「保田には十年不快」と、はじめてきく。あやまりて帰れば八木嬢あり。ドイツ語と宣教師やり、18:00まへ帰す。会社より盆に500呉る。 西保よりハガキ。埜中君よりハガキ「けふ後藤ユキ子氏来り、天理へかへりしとことわり云ひに来し」と。

8月12日(日)
きのふ賄たち布を呉る。真野喜惣治、藤野一雄、青木富太郎(浅野忠允、人口問題研究所で課長と)よりのハガキ見、11:00ズボンの洗濯出来上りしをまちて出、 帝塚山にゆけば「(※咬んだ)犬は桂君の犬にて狂犬の予防注射2回せし」と。三苫君よりBonus(税引き7000余と旅費284)もらひ、 やきそば食ひcoffeeのみ(120)、アベノ百貨店で『東洋中世史3(150)』買ひ、日本歌人の会(※写真あり)に出れば早すぎて15:00まで待たさる。 吉村正一郎、橋本凝胤、安田章生、米田雄郎、壽岳文章ら集り、小高根二郎来ず。『高踏集』なるもの批評さされ、吉村の新夫人ほめて鳧。18:00すぎ散会までに松浦の兄に会ひ、 なくせし手帛かひ(90)、堀内民一、安田章生と出て警察病院へゆく。保田「家のことありて退院せざる」様子。荻野を玉井君見舞はざりしらし。 「恐水病の薬はなし」と。出て『南方随筆2冊(400)』買ひ、天満橋より帰宅。

8月13日
角川、真野、有馬幸一、吉川仁、西保へハガキ。角川へは「8月中に送る」と。11:00出てて私部にゆき(途中昼食)、相馬実を見舞へば意外にも元気(体は衰弱加ふるらし)。 「安岡正篤の弟子なりしも近ごろまた信念をとりもどす」と。見舞300置き星ヶ丘にゆき八木嬢に会ひ「18:00再来」をいひて出、枚方の町散歩、散髪(90)。『末摘花(350)』買ひ、 菓子買ひ(150)して星ヶ丘にゆき、やがて帰り来し松井信子嬢より夕食たまはり[20:00]出て康平叔父にゆく。原君のわる口いふ。叔母よりタバコ2箱と帯じめともらひて出、 甚幸と駅に出て『硫黄島』と『坊ちゃん』とを図書室のため買ひて帰る。

8月14日
芳野清、西島寿一、藤野一雄諸君へハガキ。河出へ「写真詩集送れず」とハガキ。14:00八木嬢来り、勉強18:00までやり帰りゆく。徳庵にゆき『細雪(250)』図書室にと買ひ来り、よみ出す。

8月15日
2B檜垣博子より暑中見舞。昼食ごろ『細雪』よみ終る。夜、丹羽千年へ坂口允男の『シェリー』もちゆく。「神田先生、帝大の文学部長となられん」と。

8月16日
晴、朝10:00会社より呼びに来てゆけば城平叔父「父を就職せしめん」と。「ありがたし」と礼いふ(「20日面会」と)。康平叔父、原君のこと云ふ。出てひる食し、 ひるねせんとすれば八木嬢来り20:00まで仕事す。杉浦正一郎より『奥の細道』。ハガキ中川郁雄。宇田良子よりハガキ。新大阪より「八月の詩」掲載紙来る。父へ速達。 夜、八木嬢送り出して京橋へゆき『柳樽1』買ひ来る。杉浦へ頭註の誤指摘。

8月17日
9:30出て会社へゆき11:00まで待ちて水道代もらひ小阪へゆき大進堂によりて道きき、払ひ終り、冷うどん食ひ、『松の葉(20)』『楚辞(50)』買ひて帝塚山にゆけば三苫君不在。 会計できけば「15:00まで待て」と。恥かきて美術館の硲君の会にゆき話すこととなりしがいやになり別れて帰る。中村竹次郎よりハガキ。堀田靖子より暑中見舞。

8月18日
父、史の受持尾谷邦三郎氏、前川佐美雄よりハガキ。10:00すぎ八木嬢来り「左肺浸潤の診断受け2ヶ月休養を命ぜられし」と。再び医師へゆくとて仕事やめ、 14:00来りし西村の父姉と話し(果物1カゴ。広瀬より栗もらふ)、15:00出て梅田。ハイネ『ロマンツエロ上下』買ふ。けふハイネの追加としてsonett4、5篇訳してうれし。

8月19日(日)
8:18発にて11:00すぎ彦根着。安土より児玉実用をつれて多喜さん乗り来る。駅にて城にゆく2氏と別れ、河村先生にゆき昼食たまひタバコ『茂吉の人間と芸術』たまひ(『末摘花』を贈り、 徳永嬢への帯じめ托す)、ともに陵水会館(※滋賀大)へゆく。13:30より18人にて児玉君の話きく。睡眠不足にてつらかりし。すみて「Poets’ School13」の批評。終りしころ徳永嬢来り、 みなと別れ「やり屋」へゆき(光10箱を贈る)、河村、広田、杉本、藤野、宇田良子、徳永昭子、岩崎昭弥、中川の諸氏にて歓迎会たまはり20:00の汽車にのれず22:00すぎ出て岩崎君の家にゆき4時までとめてもらふこととす。 同級生小倉が来り話すため0時まで眠れず。岩崎「近々岐阜へ転任」と。

8月20日
ひるねして「不二」と同社より「歌稿送れ」のハガキ見て、会社へゆきしも父といれちがひとなる。叔父たち重役会とて会へず。学校へゆき渡辺芳子、母の葬儀にゆきし中村会計待つ間、 学長に会へば「中島の本、あと1万円でよろしきなら洋書もらふ。然らずんば断念す」とのことなりしと。われ「聞かざりしことゆゑ日野君にたしかめん」といひ石浜先生に参る。 藤沢桓夫氏にきけば「新大阪」の詩、社内で好評なりしと。東北大の金谷氏としばらく同席、煙草おきておいとます。嬢ちゃん「歌をかいてくれ」と。 (途中の電車でおりく叔母に会ひし「全田へゆく途中」と)。帝塚山で降り「かもめ」で『鴎外全集』その他受取り、日野君を訪ねしも留守。置手紙し曽祖母の出し日下家おそはり、 帰れば18:30。夜、室長会。自治会も出来る由。父、留守に来り「6000もらへる」由。青木陽生「東京十合へ運動してくれ」と。

8月21日
朝、竹村庶務課長来り出勤表のことと休みのこととで文句いひ、西村父姉とめしを不服さうにいふ。「ハイネ」ちょっと訳し、彦根の諸氏に歌かき、 羽田にハガキせしところへ八木嬢来り「肺門浸潤の診断書なりし」と。ともに鴻池新田に出て、われ四条畷下車。杉浦実君と話し星ヶ丘までゆき八木姉妹に夕食よばれ、結局田村春雄にみさすこととして22:30帰宅。
けふ祖国社より「池内先生の本、月末に出、わが「年少吟」9月号にのせし」と。亀井昇、錦織恒夫、中川郁雄よりハガキ。坂口允男「18日に山前に金もちゆきし」と。
【歌稿ページ(6p/36p)より】8.21 M p in ●●●に
茴香の料理食ひしか食はざりしかかかることにもしばし煩ふ。
いさましき男といはれ笑みし日は海のあなたの●のごとしも。
小休止に鏡よこたへ眠りゐる友をうらやむわれなりしかも。M 藤野一雄に
あかねさすひるま歩けぬ罪人のこころをもちてわれはゐしかも。M 杉本長夫に
疲れ来しわれのまなこに街角に光りてゐしは湖の水かも。Mlle 宇田良子に
わかれ来しひとののこせし言の葉を疲れし脳髄いまだとめたり。同上
河原町太物を売る店つづきここと指されし家の●よ。 M 広田一彦に
秋近き湖畔のまちにうたかたりわれはゐしかも死ぬは忘れて。同上
あまの川としにひとたびあふ二人うらやむわれとなりにけらしな。

8月22日
10:00会社へゆき原、竹村2氏と話し、いやな奴と思ふ。11:30アベノ橋にゆき炒麺くひ、市立病院にゆけば「春雄博士休暇」と。家にゆけば建増してゐる。 あす八木嬢つれ来る約束をして星ヶ丘へゆき、その旨伝へ、きのふ忘れし帽子とりて帰る。
けふ日野君よりのハガキにては「学長8万円といひし」と。(13万はどこより出し数字なりや)「ともあれ話してみん」と。

8月23日
「ハイネ」のソネット大方すみ、14:00まへ出て京橋へゆけば八木嬢14:30来る。アベノで菓子(250)買ひ、上野芝へゆき一寸まてば春雄帰り来り、レントゲン写真見、 聴診(ラッセル聞えず)して「進行中」と。注意きかせ、アベノ橋で『松田道雄(※結核治療の本)』買ひて与へ500貸し、焼売くひて別れ、大江にゆく。「十合の東京支社まだなかなか」と。 帰り来し叔父の不敗論きき笑ひ乍ら出て松原下車。肥下にゆけば「縁談にて忙し」と立話。(けふ春雄より『人類学雑誌総索引』もらふ)。山前君より「坂口君の金もらそし」と。藤野一雄よりハガキ。

※〈八月二十三日 田中克己九時半頃来ル。(保田病気ノ由)〉 肥下恒夫日記:『悲傷の追想』澤村修治著2012 83p

8月24日
山下幸雄より「萩原博士口をきかずなりし」と。「ハイネ」訳了。解説かかばよし。2B明山より暑中見舞。夜、病人多く出、蔭山先生に二度来てもらふ。われも悒鬱。

8月25日
会社へゆき図書費8月分もらひ、叔父に病人15人出しことを云ひ庶務課長より「小きこと」といはれ、原課長より風呂のことでいや味いはれてのち星ヶ丘へゆく(二十世紀5ケ)。
(※八木あき子女史へ)療養のこといひ、しばらく会へずと云はれ暑き日中をさけて18:00枚方ですしおごられ氷金時おごりて帰る。(『万葉秀歌』2冊もらふ)。
けふ徳永嬢より礼のハガキ。新大阪新聞より1600。広田一彦、荒井平治郎、2B油谷よりハガキ。

8月26日(日)
一日家にゐる。午ごろ父来る。西垣修(※西垣脩)君より「勉強も少ししたし」とことわり。中村竹次郎、硲晃よりハガキ。坪井より「保田への誤解とけし」と。保田より「きのふ退院す。 石山直一見舞に来し」と。西垣君へ「再考を」との手紙。夕方『即興詩人(100)』買ひ来る。これをよみて落涙。
【歌稿ページ(6p/36p)より】8.26
病める子を思へばかなしもなれとわがいづれ先立つ知らぬままにも。
わがことをうれひをのが身忘れしと見ゆるもかなし笑まふ子ながら。
秋づくを感じなげかふ年々のならはしならぬなげきわがする。

8月27日
10:00ごろ来診の蔭山先生にことはりて結核の診断してもらひにゆく。ツベルクリン反応と血沈とのみすみ、京橋−天満橋にて坪井宅へゆき、大手前へゆき昼飯くはさる。 「けふ夕方来る」と。石山直一に会へば「現在罹病中」と。「中西義章(布施市永和1の1)に診てもらひゐる」と。天満橋で図書室の本の外、 幸田成友『日欧通行史(100)』、大場磐雄『日本考古学新講(130)』、外山卯三郎『日葡貿易小史(60)』、『俳文俳句集(120)』、野村八良『鎌倉時代の仏教文学(20)』買ふ。 山口実より写真。17:00坪井来り、われにタバコとビール、子らにドロップ呉れ写真とってくれ19:30帰る(※写真あり)。気の毒なり。 西保恵以子よりハガキ。
【歌稿ページ(6p/36p)より】8.27
わがいのちも永くはあらじあと追ふと秋風のごと逝かむと思ひ。
たぐひなくかなしくなりて街ゆけばなとゆきし日はゆめのごとしも。

8月28日
朝、会社へ寄り池川医院へゆく。「陽性にて血沈6−30にて普通」と。レントゲン写真とってもらふ。「3、4日して来よ」と。帰りてハガキ多く書き「不二」へ歌3首書き、河村純一氏へ礼状やっと書く。

8月29日
終日家居。Mission八木嬢に代りてやり、午後「ハイネ」のソネットの註かき解説かき『ハイネ青春詩集』とすべしといひやることとす。
けふ悠紀子、森医院へゆきしもやぶらしければ明日市立病院へゆかしたることとす。埜中清市より『爐』に広告せよと、不快。高2B明山よりハガキ。夜、訪ひの声し出てゆけば亀井昇母子、 西瓜をさげて来る。「勤め先の黒田製薬つぶれし」と。

8月30日
家にゐてJesuitやりしのみ。ふしぎに郵便なし。悠紀子市立病院にゆく。田村春雄に階段で会ひしと。子ら留守番して哀れなり。夕方岩崎昭弥来り、1日より岐阜へゆくと。 保田には会へざりしと。夕食とビール与へ京橋まで送りゆく。

8月31日
10:00依子、京づれにて悠紀子市立病院にゆき弓子留守番。坂口允男よりハガキ。八木嬢より礼状と1000。熱微かにあり道一すじに生きよと説教されしと。昼、コルボオへ「誕生日」「わかれ」を送る。
夕食後、丹羽千年来り、梨5ケ呉る。池川医院へゆく途、亀井に逢ひ家へ帰り待たしむ。レントゲンの結果異状なしと。帰りて亀井23:00まで話す。珠算教へ月収3万円近しと。坂口允男よりハガキ。

9月1日
朝、会社へ久しぶりにゆきしも庶務課長ゐず、立替金くれざりし。帰りて無為。

9月2日(日)
島稔よりハガキ。中野清見と会ふ由。たへがたく悒ければ、15:30小阪へゆき、山口実にゆけば「堀内近々来る」由。日をきけば「6日」と。伊藤賀祐さがせしにまた見つからず。 ノート(60)買ひて帰り、「やり会年表」作ることとす。

9月3日
やはり物悲し。朝、ゆき子保健所にゆき留守す。午すぎ会社へゆけば、大江叔母来合す。家へ伴ひ帰る。(肉100匁と油と呉る)。夕方、森君来る。
けふ岩崎昭弥よりハガキ。「江口三五に会ひしが話さず」と。中川郁雄よりハガキ、「山之口獏彦根へ来し」と。角川の松原純一君よりハガキ。「原稿受取った、すぐとりかかる」と。

9月4日
8:30出て9:45よりの2Aの漢文を教ふ。すみて日野君と中島文庫のこといへば「はじめ5万円のつもりなりし」と。「洋書買入は我より出でし」と、不審。とまれ6万円しか出ぬ由ゆゑ、 その分だけ堀内進(※古書店)にでも見さし、他は我が処分せんといふ。田村春雄にたのみにゆけば「6日11時に来させよ」と。散髪(120)して帰る。いれちがひに日野君よりハガキ。夜、停電10分づつ。

9月5日
登校。高2Cの漢文教へ、熊沢安定氏より西垣君のことききして帰る。(伊井生に電車で会ひし)。小阪にゆき堀内進に明日差支へるをいひ中島文庫のこといふ。 (けふ日野君に13万円のあやまり云ひし)。(授業まへ硲君来り、きのふの留守のわびいたし)。帰りて臥床。

9月6日
朝、依子を休ませ京と3人で留守。13:00八木明子女史来り、八木女史の手紙もち来る。「図書科のレポートとりおかん」と。面会多く話し相手多き様子。 腹立ちて「それを止めよ」の手紙書くところへ悠紀子帰り来る。「春雄女児をなくせし」と。夜、雲井書店より『楊貴妃とクレオパトラ』の催促電報。

9月7日
12:00までに病院にゆくとふゆき子と共に京つれて市場にゆき、2人帰り来て子らの帰りをまちて引返す。田中禎子。赤塚氏アメリカより。松井信子よりハガキ。 夕方ゆき子帰り来り「700円ほどとられし」と。西垣修(※西垣脩)君よりことはり状「この間下阪、伊東静雄に会ひし」と。
けふ、よべ書きし『ハイネ青春詩集』の解説7枚角川の松原純一君に送り、「八木嬢まゐる」なる詩ゆき子に見らる。

9月8日
ゆき子病院へ京、依子とゆく。われ堀内、山田2君来るかと待ちしに来ず。午後駅までゆけばバス不通とわかる。

9月9日(日)
けふよりSummer timeやめとなる。8:00まへ家を出て丁度来合せゐしバスに乗り小阪へゆけば堀内すでに不在。中島のリストとりかへし、 京橋より京阪星ヶ丘へゆき松井信子女史よび出して八木嬢のこときき伝言たのみ、急行で丹波橋のりかへ京都駅より西京大学まへまで市電。 野田君あり「(※中島蔵書洋書売払いの斡旋は)服部英次郎氏にたのむことよからん」と名刺書きて呉る。出てめやみ地蔵のコルボオ会にゆき様々な相談事に夕方までかかり京橋へつけば19:00。 中川郁雄より「八幡高校へ桑原武夫の講演世話せよ」と。「講和条約の調印すみし」と新聞。

9月10日
登校。上町線の定期だけ買ふ。堀内進来るかと思ひしに来ず。学長に会ひ「中島文庫の洋書やめ」のこといひ「国文に早大出の松蔭短大講師いかに」と云はれ「西垣君の方よろし」と答ふ(明治40年生、いま講師と)。
(けふ『奥の細道』使ふこと申渡し、レポート大分受取り、池内先生の本日野氏にたのみ、渡辺芳子へくやみ云ひなどせし)。かへり上六へゆけば明ちゃんに会ひ八木嬢へのわび状わたす。 「殆どねたきりにて背中いたみし」と。帰れば羽田老先生の手紙いただき「坊ちゃんの御縁談にて布施市金岡の山本家とりしらべよ」と。快諾。お返事し、 会社までゆきて金岡しらべれば長瀬近在らし。他に末吉、岩崎寿雄よりのハガキ。「けふ鶴橋−上六間にて挨拶せしは桐野五郎」と。 (杉山平一に『コルボウ詩集』与ふ)。(上六天池書房で佐伯好郎『支那基督教3(60)』買ふ。)

9月11日
登校。佐沢(※佐沢邦子)氏より『あめつち』(※短歌誌)貰ふ。2A教へて帰れば堀内(※古書店)来り、中島文庫見すれば「和書買値4万円、売値6万円か」とす。「洋書は4〜5万円か」と。 寮長女子大のこといひ、コーヒー日野君にのましてもらひ別る。(きのふ中島夫人より電話あり「兄君に1、2万円わたしたればもう渡さぬやうに」と。けふも又電話ありしが中島夫人か)。
出て硲君にゆけば試験監督中。『東方学』置き市立病院へゆき春雄に礼いひ、けふもらひし同窓会の宝塚券(250)わたし、藤井寺にゆけば叔母留守。ひるねさしてもらふ中、久美子来り、 きけば「松尾三郎また乱行はじまり別れた」と。16:00出て硲君にゆき、すし御馳走となり夜学万葉やり文学史。本[容]れ、学生3名いいかげんにしてかへる。
(けふ津熊生ヒステリー起し2時間目ゐず。伊井生に金岡の案内可不可を父母にききくれるやうたのむ)。よべ22時まで自治会の委員長衣川、副委員長来り、 会社への批判せしゆゑ眠りがたし。帰れば大江叔母よりハガキ。

9月12日
登校。ひるすぎ硲君来り『東方学』の100預り「貸間の件たのむ」と。コーヒーのみて別るれば、中島夫人より電話「来週月火水の内に来よ」といひやる。三野女史、 彦根の短大にゆけばみな我をなつかしがりしと。長沖氏来り「中学部の女先生、一時国文に呼ぶはいかに」と。15:00まへ学長に中島文庫901冊のことにつき印押してもらひ、 それより教授会。20:30の講義にてやっとすみし。但しこの会より筆記三苫君となる。
けふ天野忠よりハガキ。服部英次郎氏「来週月火水の午后に」と。けふ『クレオパトラ』2枚かきし。「亀井、夜来て20:30まで待ちし」と。

9月13日
よべも睡眠不足なれど11:00京をつれてゆき子と3人市立病院へ。待ちゐる中、田村春雄に会ひ、礼いひ、きけばもう一回来よと。12:30すみて支那料理食ひ、 長瀬へゆけば金岡は弥刀駅のところと。その辺の同窓生訪ねしに東京へ転居せしと。伊藤賀祐の家(※布施市菱屋西106 のち岐阜大学)さがし当て、夫人にきけば心当たりなしと。
樟蔭にゆき安田章生に父兄への紹介の名刺もらひ、堀内にゆき奈良女子大に19日にゆくことをきめ(14:00近鉄奈良駅、中島の本、評判よかりしと)帰る。
大(※弟ひろし)の処女作のりし『フィガロ』(※演劇同人誌)、清水高範『ひたすらに静かに』贈らる。堀内で小林太市郎『王維の生涯と藝術(100)』借る。夜、またまた寮生借金に来る。

9月14日
9:00出て会社へ寄り父の組合きき、上六へ明子嬢に会ひにゆきしに来はせず。19日(水)のこと伝言たのみ父の組合へゆきまたされ、共同信託のこと教はり、ゆく途、 谷川に寄れば中村竹次郎に度々催促さるると。コーヒーのまされて共同信託にゆきしに不在。また上六へ出て昼食せんとすれば堀内民一来る。『白珠』の名誉同人のこといへば怒る。 何とか双書だめとなり原稿送りかへし来りしと。弥刀にゆき198の1藤田家にゆき夫人に案内され、結局坂本家の隣家へ行きて色々きき布施市役所へゆきし。小阪へ出、 山口実たづぬれば歌集の序詩かかされコーヒーおごらる。帰りて国文学史の予習すませ羽田先生へ手紙かきかけて自治会。西村らの病室泊めにて攻撃食ふ。
けふ祖国社より池内先生『満鮮史研究』著者寄贈一冊。「祖国」3冊来る。

9月15日
登校。2時間すませ12:00出てまっすぐに帰り、疲れて何もせず。夜も早々寝る。「日本歌人」来り、小高根二郎、わが恋歌は「アイロニカル」と。
竹村課長より弁当箱のことで警告あり、生活委員大塚に伝へる。

9月16日(日)
雨。一日家居。祖国社、川久保、山口実へハガキかく。川久保いよいよ弘前へ出発と。父より硲君の間すでにふさがったと。けふより「クレオパトラ」書き70枚。

9月17日
登校。高橋嬢白浜の写真呉る。みな同じなり。ひる食中、中島夫人来り奈良へ話すこと承知。売値10万円といひてくれと、ことわる。ひる食たべて長沖氏を訪ねしに学院と。 高等部へ追ひゆき水曜の教授会のことたのむ。帰れば羽田先生より礼状。中川郁雄君より同。けふ川久保へハガキ。河村先生へ「祖国」。

9月18日
登校。12:00講義すませ出て住高へゆけば硲君欠勤。山本君に部屋ふさがりしあやまりの伝言たのみ、タバコもらひ、藤井寺にゆけばコ叔母と今川夫人と城平叔父と鼎談と。 逃げ出して藤井寺高校のそばへゆけば小雨。引上げて15:30学校へかへり「クレオパトラ」ちょっとやり日野君と夕食すませ、高等部サラリー出しとのことにて三苫君にきけば、 短大授業料出ぬゆゑいつのことやらわからずと。腹立ちて夜学すませて帰れば堀内より明日ゆけず、手を引くと。相馬実より軽快と。服部英次郎氏よりあす16:00来よと電報来あり。 万事みな都合あし。けふ『日韓関係』『日唐関係』『日本神話について』(70)アベノ百貨店で買ふ。

9月19日
9:30出て会社へゆき図書費もらふ。そのあと上六へゆきしも明子氏来ず[伝言]もせずと。12:30天理着。天ぷらうどん食ひて図書館、サラリーここも遅配と。 高橋と話し大浜君日曜にコルボオにゆきしときき、金井君に会ひ青柳嬢に八木嬢への伝言いひ、広田君とともに14:19発にのりて奈良。前川佐美雄に会へば、保田夫人ヒステリー、 保田は我よりなほ無能力者らし。 16:00女子大へゆき天野(※忠)君よりうどんおごられ、やがて服部英次郎氏に会ひて本(※中島栄次郎蔵書)一冊づつ値ぶみしてもらひ10万円余りとなる。 奈良では買へぬゆゑ(※前任の)名大に話しみんと。たのみて天野君と湖月にゆきしるこ奢り、小阪18:30のバスにて帰宅。
咲耶よりハガキ。安田君に礼状。(けふ会社より電話にて休講と教授会欠席とを云ふ。)

9月20日
7:30家を出、桜井に10:00まへつき保田家にゆき槌三郎翁(※與重郎父)にたのみ桜井高女(秋永氏教頭らし)、甲谷医院とまはり若夫人の話にてやっと端緒つかめ。 保田家にて昼食(三輪の池田君、ボロを出して東京へ引上げらし)。保田元気らしきにうれし。
14:58にのり丹波市。羽田先生に速達し、図書館。話し相手もなく館長にゆけば、地誌目録出すと。出て靴直し、大浜君さがし当てことはりて八木家へゆけば、父君すしたまひ、 父子の対病のちがひ云ふ。大浜君にゆき国文の後釜せおはされ、出て本通り下れば高橋、金井2君に会ひ、高橋家へゆきうどん食はされ19:49にのりて21:30家に帰る。
角川より本2冊。宮本君より手紙。(松村、萩原2部長やめ、広瀬、大橋、河村3部長)。祖国社よりわが手にて3冊注文在りしと。

9月21日
終日家居。9:00まで寝、12:00まで臥床。八木嬢より手紙。北海道の高梨嬢つまらずと云ひ来しと。倦怠期ならん。「アジア言語学報1」来る。 大阪国文談話会10月7日400で10時より女子大でと。相馬実へのハガキ。『新現実』の礼状西垣君へ。

9月22日
登校。1時間目にまにあひ文学史の予習す(太平記)。すみて俸給もらひ停車場で硲君に会ひ(鴎外430)、ともにアベノ橋にゆき大鉄で昼食、喫茶して別る(ラッキーストライク2ケもらふ)。 けふふしぎに郵便なし。(けふサラリーもらひしものこりなし)。

9月23日(日)
家居。末吉より10月7日同窓会いかにと。安田章生より、名誉同人も5、6席にのせるがいかにと。雲井より原稿早くと。保田槌三郎翁より小笹家のこと。
正午より今村労務部長の挨拶会。寮のこと何でも寮長の仕事と。「クレオパトラ」けふですみ。

9月24日
秋分の日と。きのふより風邪、一日臥床。岸生よりレポート。羽田先生よりお礼状、もうよしと。宮本君へハガキ。『コルボオ』へ詩2。羽田先生へ保田槌三郎氏の調査。

9月25日
雨、登校。きのふの八木嬢の神田先生レポート書き、けふは日本図書館史その他。守本文生、公立とちがふゆゑサラリーおくれるも止むを得ずと!則武生の落書見てアプレゲールを知るなどいやなこと多し。 漢文14:00すませ家へ帰れば八木嬢より「おさしず」。藤野君より「近代感覚論」。山口実より10月末出来る歌集の出版記念会などなど不快。風邪なほらず。鯨のビフテキ食へず。 けふ『東方学』の400送る。けふより「楊貴妃」かきはじむ。

9月26日
雨、登校。三野女史に不平いふ。相野へ会ひたしとの伝言たのむ。電話かかりしは明子女史ならんと思ひ上六へゆきしも会はず。帰りて「楊貴妃」かく。 徳永女史より岩崎らにからかはれしと。10月24日われ彦根にゆくと。あまり笑談いふなとハガキ書く。

9月27日
7:30家を出て丹波市へゆけば9:30。八木嬢にゆけば書いてくれよと。2つわたし図書館へゆき壽岳教授の分かく。金井君不景気なり。昼食、明子君もって来てくる。 15:00また八木家へ寄り、鈴木氏へゆき吉岡君に会ひして小阪へ18:30着。堀内に王維の代金わたして帰る。宮本正都より文童社へ交渉してくれと。

9月28日
岡本和子嬢結婚して竹村夫人となりしとのハガキ。14:00出て上六へゆき明子女史にレポートわたし、ぜんざいおごりバカ親切はこれで終りといふ。 天地書房で『ガリヤ戦記(30)』『寒山詩(30)』。けふより風邪ほぼよし。「楊貴妃」57枚。

9月29日
終日家居。「楊貴妃伝」121枚となる。〒なし。めずらし。

9月30日(日)
雨。藤野一雄よりハガキ。「徳永嬢よりいはれしが詩のモデルとせしおぼえなし」と。徳永嬢より手紙『戦後吟』のモデル扱ひにされしと。 服部英次郎氏より(※中島栄次郎蔵書の件)名大で受取るゆゑ15日までに送れと。末吉より同窓会月半ばにと。天理短大の上原氏より栄養の助手の待遇いかにと。 夜、亀井、初なりの芋もち来る。末吉好色と。帰してのち「楊貴妃」終る、200枚。

10月1日
登校。歴史の試験、出来ず。中島生、白浜の写真呉くる。日曜の国文談話会とやらの会費を学校より出してくれると。翻訳文学われにてはダメと。長沖氏助教授なりし。 昼食後、長沖氏を訪ねしも不在。古本屋見てかへる。大より角川へゆけば『四季』『コギト』送り呉ると。
『ハイネ[青春詩集]』印刷所にゆきありと。岩崎昭弥より近江詩人会にて杉本長夫氏、多喜さんと衝突すると。けふ「楊貴妃」送りしに75円送料と。 けふより「朝日」朝夕刊抱き合せとなる。けふ学校で長野敏一のハガキ受取る。

10月2日
登校。漢文教へ試験用のプリントかき、会計で中島文庫の金いつでも払ふときき、14:00出て奈良で45分まちバスで檪本。藤谷姑君に会ひ(中島未亡人帰って来ず、 帝塚山よりは17日に金支払ふとの便りありしと)、明日服部氏に会って話きめよといひ、また17:43にて奈良を経て帰宅。
八木嬢よりレポート27日までのびしと、唖然。浪華藝文会7日に関大で泊園文庫の展観と。安田章生より名誉同人の件。 多喜さんより「Poets’School」と14日の長浜での会、29日小林[英俊]君の茸山での会の案内。

10月3日
登校まへ徳庵で散髪。3時間目高校漢文。4時間目短大漢文試験。出来ず。コーヒーのみなどして時間つぶし15:00よりの教授会16:00より17:30まで。一向わが仕事なし。 英文教授出来ざりしらし。壽岳博士にあやまりて図書学の講義いれてもらふ。帰れば雲井より原稿受取の電報。埜中より『爐』に広告かけと。けふ安田、長野、八木3氏へハガキ。

10月4日
家居。岩崎寿雄、井上、岩崎昭弥にハガキ。面白からず。またMissionやり出す。

10月5日
朝の中に会社にゆきしも労務部長と入れちがひ、城平叔父に会ひて退社退寮多きをいふ。帰りてひるね。丸山薫氏より『小学生全集』のため詩をと。2篇送る。 安田章生より歌をと。4篇送る。中川郁雄よりハガキ。

10月6日
家居。よべ窮盗入りしと。原君まかせとなる。服部英次郎氏より藤谷母堂に会へざりしと。16日までに着くやうたのむ。運賃先に払ひてくれよと。その旨檪本(※中島遺族)へいひやる。

10月7日(日)
9:00家を出て女子大へゆき大阪国文談話会なるものに出る。野間光辰来り、犬養助教授来り、安田章生、吉永兄弟あり。料理食ひて14:00出、関大へゆく途、外山軍司、 小野勇2氏とともにゆく。武内義雄先生の話きき懇談会に2番目に指名され「仁丹」のこといふ。けふはじめて武内義雄先生に会ひし。『説文解字註』よめと。
かへり漢口にゐしロータリークラブの人と話し天六より帰る。父よりハガキ、歌3首。

10月8日
登校。2時間目3時間目のあひだ中島夫人と姑君来りしに会ふ。6万円もらひしと。5000円名古屋のへの運賃に預り、昼食まへ近所の運送屋にゆき見積らせれば1500円位でゆかんと。 教科教授法のノート採点すませ帰り来る。藤野君より『戦後吟』のこといひしは彼と、あやまり来る。『湖畔の声』(※雑誌)もらひ礼状かく。

10月9日
登校。運送屋来るといふに9:00より中島の洋書はこび出し荷造さす。午後授業すませ(けふ短大は女子大へゆきわが講義流れし)払ひにゆけば2000円。 12日中につくと。コーヒー一杯のみ疲れて困り全田へゆき夕食くはせてもらふ。純子縁談あり。肥下貧乏で困りをると。夜学すませて帰る。岩崎昭弥より手紙、 藤野君と徳子嬢の間を河村先生とゆきたると、よからん。

10月10日
登校。高校終へて来れば堀内、本もち来りコーヒーのまんと。向ひにゆきわれ金出せしが彼払ふ。(この時500をなくせし)。硲君来りしに『東方学1』を頒ち(100受取り)、 ピカソ展の招待状もらひ、共に出て乗車、彼北畠で降りるを入れちがひに山本重武のり来り、話しつつアベノ橋(コーヒーのおかげで昼食せず)。鶴橋より奈良行にのり500なくせしに気付き、 予定をかへて女子大へゆき服部教授をお宅に訪ね、運送費の受取お渡しし、話中はじめて先生大高でなく三高なりしを知る。わがあはて者にも呆れたり。お礼いひて引取り、 天野君と食堂にゆきて別れ、前川氏を訪ひ、嬢ちゃんつれて木原まで『世界●人名字典』かひにゆき(そのまへ木下杢太郎『日本吉利支丹史鈔(120)』、春夫『田園の悒鬱(60)』)、 小阪へ16:00つき、堀内に寄り落し金のこといはんとせしも夕食中で話せず、歴史地図3冊50で買ひて帰る。入れちがひに天野忠より「コルボオ」の通知。詩集3冊買へと。 百田宗治の会14日と。28日彦根の茸狩と。丸山氏より受取。河出よりまた写真送れと。

10月11日
終日家居。河出書房へは写真なしとことはる。『コルボオ27』来る。

10月12日
朝、会社へゆき今村部長の話きく、面白し。出て天満橋へにゆき『ウスリー探検記(50)』『芭蕉と去来(50)』『中央アジア史(70)』買ひ、大手前高校にゆき坪井と話して帰る。 天野忠より百田宗治の会のびしと。夜、衣川に今村部長との会見すすめし。

10月13日
登校。講義すましてすぐ藤井寺へゆく。叔母をさがし廻り、松尾の老先生も見しにこはき顔をしてゐし。叔母に会ひてきけば久美子この間家出(叔父叔母会議はそのためにして我偶然その日ゆき会はせしなり――18日)、 小豆島に十日ありしと。松尾三郎、会社の亜鉛50万円を拐帯、一部売飛ばせしもとりかへしと。洋裁にて一生たてさすゆゑと竹内女史に紹介たのまれる。二女、長は今川に、 次は松尾の姉夫婦に預くと。伊藤のとく女史来るとのことに待てば上京中なりし大江叔父も帰り来る。とく女史45才と。19:00出て帰る。

10月14日(日)
半日臥床。八木嬢よりハガキ。15:00ごろ丹羽千年へ京つれてゆく。小便かけらる。服部英次郎氏のこと云ふ。

10月15日
登校。颱風ひる頃まで吹く。すませて北畠の古本屋へ習字の本さがしにゆき酒井賢先生に呼びとめらる。職員室へゆき一寸話を伺ふ(『長秋詠藻(20)』)。 帰れば平凡社より「乾隆帝」の催促。野田又夫君へ報告のハガキかく。

10月16日
登校。教科教授に「図書館」やり、ひるすぎになりて竹内女史つかまへ久美子のことたのめば「木曜来させよ」と。14:00すみて帝塚山書店(木村)に寄り、この間の運送屋紹介の礼いひ、 書道の本きけば「なし」と。アベノ百貨店で見付け(阪正臣集130)『吾妻鏡(150)』『ルーヴル美術館(100)』買ひして大江へゆく。久美子の下の子の話ききて哀れなり。 今川へ木曜のこといひにゆき久美子にPhilip Morris1箱もらひ、夜学すませ日野君とともに帰る。長谷川英子より横浜にありとハガキ。『詩人学校10月号』来る。亀井母子来りすし呉れ、 嫁もらふため就職必要と。

10月17日
登校。昼休みに硲君来り、コーヒーおごりくる。ともに出て藤岡『近世絵画史(60)』、鈴木『上海(30)』買ふ。長沖氏るす。また書店で『リーダーズダイジェスト』20冊買ひ教授会。すまして帰る。
川久保より弘前につきしと。藤野一雄よりハガキ。『不二』『日本歌人』。夕方、吉川仁の友達にて四条畷中学の先生といふ人、仁の詩集『陸』もち来り、話さず帰る。 この二日、停電なきもしばらくのことと。けふ新聞で丸才司死亡を見る。55才と。

10月18日
「乾隆帝」書き、真野喜惣治のハガキと日本詩人会の入会問合せのハガキ受取りしところへ亀井来り、昼食食ふ。ともに出て会社に寄り、 山口栄一の米代のことにて腹立て、亀井宅へゆきて母親に会ひ、別れて帰る。

10月19日
ひるまへ会社にゆき城平叔父に会へば久美子、竹内先生に入門せし様子。ゆき子、京と小学校の運動会にゆく。けふ「乾隆帝」かき終へて送る。近江詩人会より病気見舞の寄せ書。 日本詩人クラブ会費とるとわかり断り書く。

10月20日
登校。面白からず。日野氏にきこえるやうに話す。13:00龍神の伊藤家へゆき本見る。『五雑組』『心史』ありしが面白し。書目みつけ、すし振舞はれ27日また古本屋つれて来るを約し、 帝塚山書店へ寄れば主人ゐず。雨降り出ししを帰る。八木嬢よりハガキ。天理図書館より展覧会の案内。中野英夫より京都の西田家にゆきしとのハガキ。彦根より転送。

10月21日(日)
15:00散歩に出、亀井に会ふ。中西義章に火曜診察うけ、はっきりした診断うけしと喜ぶ。コーヒーおごり呉れし。これにて気がかはり枚方の松井信子を訪ぬ。 (京橋で『リーダーズダイジェスト』7冊買ふ)。風邪ひきしとて在宅。八木嬢に下阪せよといふと。枚方で彦坂嬢とあひ、すしおごりて帰る。

10月22日
登校。「ユーゴー」へより『グウルモン詩集』と『ジャム詩集』買ふ。なつかし。上町線の3ヶ月定期買ふ。「かもめ書店」で『鴎外全集5回』受取り、庄野未亡人と潤三のこと話す。 堀内進来りて金受取り、会はずして去る。帝塚山書店で土曜のこときめ(2時待合せ)、職員会に出て35周年の催しの手筈あくびしつつ聞く。岩崎寿恵雄よりハガキ。大江叔母より久美子のことハガキ。

10月23日
登校。雨。ひるすませて夜学まで傘なければ教授室にとどまる。

10月24日
晴、登校。図書室に本150にて引取ってもらふ。午後教授会。西垣(※脩)君に11月学長会はんと。八木明ちゃんより電話、八木嬢血沈高く、11月3日下阪、田村博士にたのむとなり。 「くれなゐ」60号やっと出来。徳永昭子嬢26日夕方来るやもしれずと。川久保より昭和13年に見せし原稿送り返し来る。スローモーションの好き例なり。

10月25日
終日家居。史、四国への修学旅行とて夕方出発。「くれなゐ」のため「詩と歌と」3枚かき歌6首うつす。中村竹次郎より「朝日」の様子しらせと、返事かく。久美子より礼状。 衣川呼べば会社や労務部長への不満いふ。

10月26日
8:30家を出、中村竹次郎へ速達し、会社へゆく。城平叔父上京中と。康平叔父と話す。原君の悪口いふ。原君のことで庶務課長からかひ図書費もらひて3日運動会とのこときき帰る。
東方学会より2日東京日大で第1回総会とて出欠きき来る。藤谷絹枝氏より3000の受取。服部先生より連絡なしと。徳永君より速達にて「けふ来られず」と。 田中禎子氏より日曜に川崎健史君来訪と。すぐ地図かきてハガキす。運動会のこと問題となり城平叔父を諌止せんとす。

10月27日
登校。文学史西鶴で赤出す。日記帖忘れ西保嬢に歌もらひしのみ。木村書店きのふ伊藤にゆき本見、29日再びゆく約束せしと。硲君、 美術館へと誘ひに来しがことわり藤井寺にゆけば4叔母集りをり、運動会のこと云へば城平叔父きかざらんと。父の月給3000増ししゆゑやらずとよしと。 1日の35周年式の礼服のこといへば初枝叔母呉る。大江叔母はYシャツ他、康平叔父の靴きめ叔母きき見んと。3人の子ある2号と別れしと。よきことばかり也。
帰りてけさ盗難ありし始末を清田よりきく。父、増給いはす、3000とりゆきしと。川崎君より今夜来ると電報。川久保より池内先生の本のこと。 川崎君2時間あまりたづね廻って20:00すぎに来り、外へ誘ひ出す。きけば天理へ11月18日、陛下行幸につきその映画とらしてもらひたしと也。

10月28日(日)
起きて鈴木治氏へ紹介状かき、ともに出て小阪で別れ山口実にゆけば「くれなゐ」締切月末と。原稿預け永和の中西義章を訪ふ。満州より引揚げの記念日とて在宅。 手ぶらにてゆきしも行届いたもてなし受け17:00ごろまで7時間ゐて「神の使命」をきいて別る。幸せなる一本道の男なり。大阪一の結核医なるらし。中村竹次郎より礼状。

10月29日
国鉄定期1ヶ月分買って登校。すませば電話かかり、とく女史より来てくれと。つづいて八木明ちゃんより田村博士のこと問合せ、早く来よといひやる。 14:00ごろ龍神へゆき本を2階より下せしも木村来ず。うなぎと吸物と龍神廓内で御馳走になり帰り、木村により明日14:30ごろ来よといふ。
けふ『ルバイヤット(50)』買ふ。熊沢君と西垣修君(※西垣脩)のこと相談。真野喜惣治君へハガキ。川久保へ池内先生の本の案内。

10月30日
登校。運動会予行で高校なし。教育の時間、小島生たしなめて心配となる。14:00ゆきて古書整理。とく中々人を信じぬやうな[の]を知る。木村翁、結局売立てをやってくれることとなる。 林叔母を訪ねて夜学。藤野一雄就職と。守屋美都雄より下阪の挨拶。鈴木治氏より川崎君を紹介してくれしと。『東洋史研究』。大江叔母より「けふ明日の中に来よ」と電話ありしと。

10月31日
登校。高校なし。小島生漢文のプリントもちて欠席ゆゑ、親友引地生呼んでたのむ。西垣君への学長の手紙作り見せ、硲君と出て京都の会のことわりたのみ、藤井寺へゆき、靴、 大江の叔父より、間服、冬服、モーニング、ズボンもらひてのち今川へゆけば叔父まだ帰らず。間オーバーもらひて帰る。大江の叔母の話にては伊藤の叔母狂ひ、わが母、 後妻の祖母を呼び捨てせしと。小高根より河出へわが写真送りしと。埜中君より原稿受取。

11月1日
運動会とて叔父のモーニング、合オーバーにてゆく。君が代、国旗掲揚などあり式辞祝辞長くいやなり。職員の宴も不快。市立病院にゆけば田村春雄退出。けふ中川郁雄よりハガキ。 服部英次郎氏より中島の本の受取。八木君より3、4日に来んと。安藤真澄より3日百田宗治氏、依田君宅へ見えると(けふより運賃、郵便値上げ)。薬師寺衛母堂より本4冊とネクタイ贈らる。

11月2日
会社へゆき大江氏に中西君への紹介状書き重役会とて叔父に会へず。門外にて父に会ひ、鴻池新田にゆき守屋君訪ひしに留守。歓迎会のことわり夫人にいひ、帰りて無為。中野英夫学校へ電話せしと京都より。
午後、雨時々。八木あき子来るかと思ひしに来ず。けふ中島の本のこと藤谷絹枝氏に。

11月3日
けふ運動会なれど雨時々降るゆゑ家居。真野君より来ずと。会社の運動会とて総務部長以下働く。森君来りて原君わがことを間諜といふと。

11月4日(日)
会社の運動会、朝より受付。10:00すぎ八木君来る。田村博士ゐざらむとて待たす。15:00(※結核診断検査)すむ。 (岩佐東一郎、井上多喜三郎寄書。岩崎昭弥のハガキ。)15:30出て田村邸にゆけば帰らず。19:00まで待ちてあきらめ木曜再下阪を約して別る。

11月5日
登校。1時限終へれば服部(※正己)より電話ありしと。2限終へれば来り待つ。ともに出てうどん食はせ田辺の中山宅までゆき夫人の妹と話し、又出て大手前にゆく。 石山君に聞けば中西昼食ごろがよからんと。坪井の家にゆき二人将棋。坪井を負かせし。夕食よばれ片町よりバスにて家へつれ帰りしが泊らず。けふ〒なし。

11月6日
モーニング着て登校。生徒わらふ。太宰博士に聞けばこの間なぐりあひありしと。あとで聞けば三苫君がたたきしと。追悼会で父兄代表の話●中絶、泣きゐるを見てわれも涙もよほす。 すみて時間つぶしに全田へゆく。肥下の父死にたまひしと。すみ子の縁談、阪大のドイツ文学助手ときまり、仲人は吉井市立図書館長と。伊藤の荷物預けを山口義一宅にたのみ見んと。 英文学双書売るゆゑ世話たのむと。帰りて夜学まへにきけば13日文部省より視察来ると。
2時限2名のみゆゑやめて帰る。八木氏より礼状。安田章生氏より歌十日までにと。(けふ羽倉よりクビになりしと。守屋美都雄留守中来しと。)

11月7日
登校。大江叔母へ礼状。安田章生へ歌十首。午後長沖氏司会で文芸講演会、すみて会食。山本理事長、吉村、壽岳、長野氏ら7名、いやなり。全田の英文学双書を借りることとなりし模様。 川崎健史より天理には映写技師ゐてだめなりしと。藤野一雄より徳永女史のこと。『現代詩大系9』見しと。

11月8日
8:30梅田、桜橋まで歩き春日出車庫行にのり、暁明館病院にゆく。中西君に10:00ごろ来る。懇切に見て呉れしと。昼食ともにし、別れて山本治雄を訪ねしも不在。 天野忠よりコルボオに来いと。彦根市役所より本日までに税金出せと。夜、労務部長の話。

11月9日
天野忠へゆけずとのハガキ。終日家居。学院より毎日来よと速達。藤谷絹枝氏より礼状。放送文化研究所より問合せ。川崎健史へハガキ。

11月10日
図書館守本氏あひかはらず不愉快。全田の本、167冊借りて来て成駒屋に運ばす。留守にとく女史来りしと。古本屋にゆけば明日3000円余わたすと。 中西に電話すれば気胸せんまへに今一度診察したしと。金曜10時に来よとハガキ書く。けふ〒なし。

11月11日(日)
登学。守本氏に会ひしのみ。11:00高野線にて上野芝田村邸へゆけば、身体不具者更生所長となりしと。職業主任のこと工業学校へ話すこと承知して帰る。 途中今川へゆき久美子に会ひ、再来週より月水2日英語教ふることとなる。

11月12日
出勤。明日の準備でゴタゴタす。三野女史高校の齋藤婆さんと喧嘩し、やめるといふ。伊藤とく女史より電話、木村書店よりまだ金もらはずと。我、雨中をゆきて4950円預かる。 工芸学校の笠井君に電話し、田村君の話す。けふ「かもめ」で『現代詩大系9』見せてもらふ。彦根の茸狩りの写真と「西康省」と「花の便り」の二篇のる。

11月13日
文部省の学科増設検査とて8:45登校。9:00すぎ安倍能成、園西京大学学長正●、糸魚川和歌山大学学長、関口曽門学務局長来校。案内し会食す。英語教員と書類とに不備いはれしのみ。 よかりしならん。関口氏はシボルガ(※スマトラ)に居られしと(タバヌリ州長官?)。すみて日野月先生を教授にといひ、よからんとなり。
藤井寺にゆく。天理の仕事その他にてお約束なしと。大江で飯よばれ夜学。「今夜先生出来わるし」となり。とく来り、4950わたす。不満さうなり。 帰れば天野忠より480納めよと『コルボオ28』。山前より『シェリー』30冊。岩崎より『現代詩大系』見しと。

11月14日
登校。高校では思ひ出話す。午後、西保嬢にさそはれ『立春』の同人加藤夫人といふに会ひにゆく。見原文月より「神の如き恋歌作り」と紹介されゐしと也。 すみて帰り徳永嬢の手紙を見、笠井、徳永、岩崎、末吉(24日午後会せんと)へハガキかき寝る。

11月15日
会社へゆき、城平叔父に赤(※共産党員)なきやきかる。賄婦の増員たのむ。学校へゆき石浜先生に久しぶりにお会ひす。森繁夫蔵書買はぬかと。長沖氏つかまへ日野月先生のこと云ふ。 コーヒーのみして待ち、15:00より高校PTAの役員会。則武、前野、堀内生の母親などありし。夕方雨となりて帰り来る。鈴木治氏より「失業4ヶ月苦し」と。

11月16日
9:00家を出て上六、梅田まで市電。『ジーキルとハイド』よみゐたれば午すぎ。昼食して16:00山本治雄を訪ね、誘はれて吹田までゆき夕食すき焼食ふ。21:00まへ帰宅。西垣修(※西垣脩)より『三角帽子』2冊。
革命のあかつきはよき法官とならんといへる友と酒のむ。
肺の中空気入れむと医の膝にすがりしといふそれもねたまし。

11月17日
登校。西垣修(※西垣脩)より院長あて手紙。熊沢君開封すればことわり也。月給出ず。京大出の熊沢、岩崎、長沖三氏の名簿作り。藤井寺にゆき大江叔母より1500借用。 今川へ一寸寄り、坪井にゆき名簿わたして帰る。『現代詩大系』第9巻、『不二57』来り、硲君よりハガキ。羽倉の講演19日15:30よりと。

11月18日(日)
終日家居。蜻蛉会(※今中教へ子による同窓会)24日と案内来る。夜、原口遊びに来る。西村に『現代詩大系』貸し図書のことにて来りし魚住と話す。洋服屋来て4人に売りしと。 われにあふ外套なく、また来ると。

11月19日
登校。月給出ず。院長に云はんとせしもだめ。市川女史のことのみ云ひ、西垣君のこと聞きて別る。住高に寄り羽倉君話すみて硲君の家にゆくときき、 今川にゆき(14:30)英語教へて17:00出、佐藤春夫『窓ひらく(20)』買ひ、硲君にゆき退職と就職のこと話し、阿倍野橋にて別れて帰る。

11月20日
2Cの授業を第1限にかへてもらひ8:30登校。ついで2A。短大教科教育法をすませ12:30上六にゆく。サラリー出ず面白からず。(※八木嬢と)松竹映画見てわかる。土曜会はずと。 怒りて夜学にゆき守本氏に日野月先生への就職いひ『鴎外全集6』とりにゆき、かもめ書店主、川端氏(直太郎教授のいとこ)と話し今中と。今の勤め先に西野半三氏ありと。 『不二』より原稿のこと。

11月21日
登校。漢文のみ。午すぎ人来ると電話あり。放送局より26日までに「私のふるさと」を2枚半と。(けふ『不二』へ大正天皇の漢詩については書けずと断りす)。 長沖氏来りしゆゑ日野月先生へ明日ゆくことをきむ。16:00まで待ちしも院長あかず。帰り英語の教科書さがして見つからず。『アラビアンナイト1、2』と『魏志倭人伝(40)』買ひ、 今川で1時間やって帰る。竹内好より23日17:30大阪着と。藤野君より徳永嬢にふられしと。『白珠』12月号。

11月22日
登校。石浜先生と話し歴史すませてまた話し、長沖氏と会ひ、午、院長に会ひて専任科と4時間位とのこと約し、出んとすれば大浜、吉井の2君来る。 ともに電車にのり来週金曜にゆくことを大浜君に約して藤井寺。日野月先生中々うんと云はれざりしも出がけに承諾書よからんと云はれ、大江を敲きしも無人。帰る。 宇田良子氏より寄せ書。けふ長沖氏ウイスキ(1250)1瓶さげゆきし。

11月23日
雨、9:00出て会社へゆきしも話し相手なく不景気話耳にして出、10:30大手前会館にゆき京大クラブ、教育長、教育委員(水川氏と)、高校長らの話きかさる。八田英次に会ひ相野に会ふ。 竹内のこといひ11:00●愛病院に西田哲見舞ふ。手術杜撰なり。玉井をさがせば茨木分院へ転ぜしと。出て大手前へとって帰し坪井宅へゆき、3人にて梅田。谷川新之輔も来り、 竹内(※好)17:43に来しを迎へ、お初天神の朝鮮人の店にて酒のみ、竹内の恋人といふをさがしにゆき3時間かかりて見つければ男と帰り来しにて竹内の連れ出しを吾にたのむ。 きかざればのこして坪井とタクシー。片町まで360円

11月24日
出がけに見れば『和田先生論叢』出来。1470送れと。国文学史やり暁明館へ電話すれば込むと。日野月先生へゆけと書類預り13:00上六。あきらめし所へ14:30みよ来り、昼食。 『サビエル書簡集2冊(160)』買はせコーヒーおごり、生駒まで乗り腹立てて別る。
ある時は我をにくしみあるときはさげすむといふ恋の終か。
17:30すぎ蜻蛉会にゆく。[平]石芳太郎氏も来会。末吉、亀井、加賀山の外、速水、橋本(重役と。歌旨し)、荒井、高橋、服部の8人。21:00出て帰る。13年ぶりの会[ひ]なりし。 (※写真あり)

11月25日(日)
朝の中は西村来り、カナダの姉のもとへ行くべきや否たづぬ。小高根二郎よりハガキ。中河与一の追放解除祝賀会にゆきコギトの再興をのぞまれしと。午すぎ西村とアベノ橋まで出て別れ、 目ざし買ひて藤井寺、城平叔父あり「5、600万円貸しくるる人なきや」と。久美子とかつ子叔母と合はず困るをお艶叔母に云ひに来しと。康平叔父夫婦もあり。 日野月先生にゆけば我あてのハガキ投入して帰り来られ「考へ直してことわる、すまぬ」とのことなりし。色々話し、叔母とも話し夕食くひて帰る。放送原稿かけず。いやなり。

11月26日
よべ3:00にかきし原稿を10:00ごろ放送局へもちゆきしに藤本万里氏ゐず。佐々木英之助氏は文芸課長なりと。受付へ預け登校。 日野月先生のこと守本氏にいひするところへ電話かかり今夜放送すと。(長沖氏は来がけにことわる)。日野氏より全田の本、院長45000でならと云ひしと。全田へゆけば純子に相談して見んと。 純子の婚約者は関大一高の独乙語の先生と。ふしぎ。今川へゆき久美子に説教すれば叔父叔母も古すぎたり。信州長沼静人より詩集『外景』。

11月27日
登校。寒し。よべ放送あり。二、三人聞きしと。夕方かもめにて『マイヤア詩集』と『デカメロン』買ひ、隣のコーヒー屋にゆけば高3林ら3人ゐてPTAの会にて林の母にわれ一生忘れずと云ひしと。 夜学2時間目池田1人、話して帰る。金井君より手紙。どこやらに口ありし様子、体わるしと。

11月28日
登校。寒ければ冬服に合オーバー。短大の漢文すませ上六。(※八木嬢)2年位かかると覚悟せしが哀れなり。茂吉『源実朝(80)』、鈴木成高『ランケと世界史学(10)』。 羽仁『ミケルアンジェロ(30)』買ひ、コーヒーのみ、鶴橋より今川、帰れば竹内より手紙。この間のこと(※昔の恋人のこと)ハガキにかくなと。 けふ授業中に●本眞理子氏来り1000と原稿写しおきゆきくれし。

11月29日
登校。冬オーバー。石浜先生と話しあす養徳社へ記念論叢の原稿たしかめに参ることを約束しまいらす。長沖氏に日野月先生の手紙見せ学部の打合せ。日野君より4万円受取り全田へもちゆき、 ナンバへ出れば創元社の売店なし。『アラビアンナイト4』買ひて帰宅。梅原糸子氏より長き手紙。本の始末のことと家追去のこと。

11月30日
会社へゆけば寮費400円値上のことなど同席ささる。図書費11月分もらひ11:00天理へゆく。先づ養徳社へゆき上田専務にきけばわからず。吉岡君までゆき(工員となる)わからず。 うどん食ひ図書館へゆくみち上田氏追ひ来りありしと。大浜君に会へば講義中にて喜志氏よしと。図書館にて稀書目録と[天覧]目録もらひ、石浜先生と山崎君より羊羹もらひ、 やめてもらひたがられてをる新城君と出てまた養徳社。吉永登氏に連絡たのみ、金井君にゆけば途中、森[忠巳]氏来り、岡島に追ひ出されし。管長派と反管長派とありと。 金井君岡山の短大への同意書に富永(※図書館長)印をくせざれしと、哀れなり。
帰れば服部英次郎氏より2、3、4日の中に金とりに来よと。『詩人学校』『祖国』来をり。

12月1日
出勤。鍋井克之画伯のた新円の税ありと。校門を出れば硲君来り、ともにコーヒーのみ、古本屋まはり東天下茶屋にて別れ「サンデー毎日」と『小島の春』とを見舞にもちて警察病院。 桃谷まで歩きて帰る。山前君より500の受取。風呂へ入れば陽生来る。大阪へ金借りに来しと、不快なり。酒2合とすし食ひて諏訪の森へと去る。昨日けふ電気ストにて停電しばし。

12月2日(日)
家居。風邪ぎみ。竹内より『現代中国論』5冊。武田豊より『晴着』、西垣修(※西垣脩)よりハガキ。藤野一雄、梅原糸子、長沼静人、小高根二郎へハガキ。夜、徳庵の不良との出入につき鳥飼、衣川、魚住と話す。

12月3日
出勤。守本氏相変らず来年の時間割作り、不快なり。午早々に出て上六。シロコゴロフ(80)、『上田秋成集(60)』『父親としてのゲーテ(20)』買ひし、14:00までうろつき15:00今川。 教へて帰れば18:30。天野忠よりコルボオ会費2ヶ月請求。
冬空をみつめてあれば風吹けり生きてこひする身のかなしさは。けふ竹内へハガキ。

12月4日
出勤。午後高校行事。古本屋にゆきルナン『イエス伝』『イエイツ詩抄』羽仁『都市』などにて100。夜学の帰り雲吞くひて帰宅21:30。〒なし。
あやふやの約束をしてあひびきに会はざりしなをあはれとばかり。

12月5日
出勤。三野女史に相野へと竹内の本1冊たのむ。15:00より教授会。日野月先生●●一度たのむこととなり壽岳博士ゆかる。この日学長わがままとていやになりそむ。 明日私鉄ストあらば休校と。今川へゆき19:30帰宅。

12月6日
出勤。きのふ壽岳博士へ日野月先生10日まで待てと云はれしと、気の毒なり。石浜先生と話し花柳ユーコー(※花柳有洸)女史より黄鶴楼のことしらべよと云はれ、午まへ学校を出て大手前。 坪井に竹内の本わたせばひる食御馳走となる。朝日の谷川に行かんとせしがバス来りしゆゑ帰宅。八木嬢より手紙。図書館の誰やら同士結婚せしと。 岩崎昭弥より藤野君と徳富嬢とうまく行かずと。けふより風呂自弁にてたく。

12月7日
晴、暖し。藤野君よりハガキ。梅原糸子氏より家追ひ立てたれの手紙。午後出て会社へゆけば寮の賄を寮長雇ひにかへると専務の話。放出中学へゆき田中校長の話ききPTAの350、 年末までにお払ひをとの話きき、担任尾谷先生に会へば全校4番ゆゑ大手前受けてよしと。

12月8日
朝、雷雨。登校。漢文の高校試験問題出雲氏にわたし、入学案内原稿のことにて守本氏と相談すませ12:30出て上六。
なにゆゑの泪と知らず泣き過ぎて頭いたむと世なれは別れし。
陽生より帰京挨拶。埜中君より歌をと。悠紀子に宮本夫人より。夜、近松を3時まで読む。

12月9日(日)
晴、10:00ごろ守屋美都雄君来り話しゆく。天理の●井廣徳とは同窓と。編書目録2冊を贈る。13:30ごろ徳永昭子嬢来り、藤野君にはゆく気なしと。16:30ごろ止むるをきかず帰りゆく。
けふ和田先生還暦記念論叢の抜刷。日野月先生よりお手紙。山形より断りゆゑ止むを得ず名を貸すと。

12月10日
出勤。大学案内の編輯にとりかかる。日野月先生へ礼状かき三苫君に托す。学長と守本、中田、二教授をまじへ臨時教授会を大鉄のはたで16:30までやり今川。 主としてマミ子を教ふ(へちまを持参)。竹内好より(※預かった著書)保田にやりてよしとハガキ。

12月11日
出勤。12:30出て長沖氏にゆけば3日間不在と。藤井寺にゆき、お艶叔母より陽生のこと、久美子のことなどきき、今川への歳暮にと食用油もらひ夕食よばれて帰校。 夜学、2年は池田一人とてやめ月給もらひて帰宅。『コルボー29』藤谷絹枝氏より5万円受取ったと。けふ久美子に『椿姫(110)』買ふ。けふ留守中、多喜さん来しもよう。

12月12日
出勤。登校の諸先生つかまへ教授内容をかいてもらひ(よべ京、弓子吐瀉にて睡眠不足)。コーヒーのみて元気づけ、散髪にゆきしも教授会16:00まで待たされ、他よりの編入に反対し、 今川にゆけば18:00。マミ子を教へ、すしよばれ、帰りし叔父より歳暮の礼いはれ、自動車にのせてもらって帰宅。
けふ和田先生論叢の1470(カハセ料40、カキトメ45)送り、保田に竹内の本送る。

12月13日
登校。歴史やり石浜先生に抜刷さし上げ、長沖氏と話せばさっぱりわからず。教授内容問合せのプリントに書込みしをへ、米田君よりの電話きいて出る。 今里の埜中清市へゆけば『天雲』出来しを明日もち来る筈なりしと。会費400+西保100わたして帰る。徳永昭子より手紙。下[元]武より解職通知受けしと。 天野忠よりコルボオ1月5日15時より荒木二三宅にてと。けふ春夫先生の『国文学入門』と津村『戸隠の絵本(20)』今里で買ふ。

12月14日
10:00家を出て会社。賄人どもをわが雇用契約とする話、食費値上に寮生反対せしと。12月分図書券1000もらひ帝塚山。小野十三郎に『天雲』わたし、越智生の詩作る話きき、 守本氏と学科の打合せし院長に専任一をとるか然らずば講師とのこといひ過労ことわる。漢文の採点出雲氏にたのみヘンになり、出て田村春雄にゆく。笠井君へは来年正月にと。 出てコーヒーのみ、岩波文庫『キプリング(35)』『十六夜日記(25)』、辻『信長、秀吉、家康(60)』『ファウスト(160)』買ひて帰宅。川久保より池内先生『満鮮上代史』買ひしと。

12月15日
登校。今年最後の授業といひわたし、高校にゆきて漢文の採点。出来わるし。帰り来れば『和田先生論叢』つきあり、うれし。二嬢を幼くして失ひしと。御経歴のところ●し。

12月16日(日)
けふも寒し。入浴。賄にわが雇入となると申渡す。吉村われもこはしと。けふ終日採点。
サザンクロス早く傾くよひよひをやもり啼く音をききて眠りし。
追はれつつなほ汝をこひて星あかきマラッカ海峡わたり終へつる。

12月17日
悪日。『Variétés sinologiques(60)』風呂敷につつみて出、天王寺で上町線にのりて(※紛失に)気付き、天王寺駅でききしがなく、旧の電車にのり、 梅田までゆき中老の人に風呂敷包●たるをもてるにきけば怒りて中見す。あやまりて京バシにゆき、片町線きき合せてもらひしもなし。天王寺の案内所にもたのみて登校。 レポート帰しゐる中、服部来る。関大と京大にてきまりしと。ともに丸善までゆき新世界へゆきて喫茶。別れて今川へゆく。水曜にて年内やめんと。けふ歴史大辞典の稿料2100円彦根へ来る。 (服部を石浜先生へ案内せしも予期通りお留守)。夜、あれこれ考へて眠れず。

12月18日
登校。2A漢文話をし2C切るといひ、レポート返してのち梅田へゆき問―ど遺失物なしと。待合室二ケ所に分かれてムダ待1時間。14:00頃会ひて道頓堀にゆき八木君にまむし食はせ、 南海高島屋にゆきコーヒーのみ乍ら本のこといへば心配いらずと(富松桜井教会長夫人に会ひし)。上六へ出てまたコーヒーのみ、石切●で送りしが、心配しゐざるに感心す。

12月19日
登校。暖し。入学案内書作り、教授会待ちしがお流れ。16:00出て今川にゆけば久美子、佐竹嬢と仲悪く、ここまで一切知れゐるに憤慨す。今年の英語終へ、 帰れば竹村氏より食費の件につき手紙。藤野君より正月遊びに来ると。山前君より5日に来てくれと。宮本正都より大阪へ来りしと。

12月20日
登校まへ会社へゆく。城平叔父こわき顔しゐる。出て学校。石浜先生に服部のこといへばよしと。『Variétés sinologiques』臨川にありと。1月2日藤沢桓夫の新年宴会と。 例の仕事やり14:30出る(土井生に大江への久美子の手紙托す)。警察病院へ西田を見舞にゆけば28、29日頃退院と(『アッシャ家の没落』見舞にやる)。 京橋駅へゆきてきき合せてもらひしも出ずと。けふ『白珠』1月号。徳永嬢よりハガキ。井上多喜三郎のハガキ来る。(大鉄にて『印度案内(150)』買ふ)。

12月21日
登校。提要●どつきしゆゑせず。日野君より2000もらひ全田へ昼食後もちゆき受取もらひ200借る。婿、関高の独乙語教師片山君なりしと。十合で『滑稽本集(120)』買ひ、北浜へゆく。 高橋先生の支那民譚の話。すみて森鹿三、入矢義高らの顔の外に篠田統先生あり。同車に守屋、岡崎(和田先生より守屋君ききたりと)2君を入れすき焼き。19:00退席。 八木嬢よりわが紛失せし部分のみAならずと。夜ふけまで眠れず。

12月22日
雨、悠紀子わが浪費を咎めて不快。15:00すぎ会社へゆく。不景気さうなり。藤井寺へ電話すれば久美子の手紙つきしと。オーバー、昌三叔父の古ありと。 16:30ごろ帰宅。夜、藤野、徳永、下元諸君へハガキ。

12月23日(日)
晴。10:00すぎ丹羽家にゆき信子女史にきけば近鉄車輌は賄婦なしと。鴻池新田まで乗車、守屋美都雄に会ひぜんざい御馳走になり、桑田博士へ抜刷托す。 わが阪大へ定まりゐしこと承知しゐしと。帰りて弘瀬より病気再発のため無断帰郷のわび状見、原課長にいひにゆき風呂に入れば硲君タバコもちて来訪。夕食ともにして送り出す。 けふ宮本正都、武田豊へ便りかく。

12月24日
会社へ10:00ゆく。城平叔父八つ当りす。賄[鯖魚]を竹森課長にいへば直ぐ云へと。やめて給料改正につき叔父に責任もってもらふこととし、出て帝塚山。長沖、小野2君もの云はず。 何かありしか?ボーナスもらひあけても見ず、忘年会。来年ベース上げについては教育で報いよとお説教あり。われは可笑かりし。中途であけ見れば短大はPTAなく17960のみ(1ヶ月分)。 出て梅田にゆき、もらひし弁当食ひ、アベノ橋へ引返しコーヒーのみ、わんたん食ひて別る。
貧しき父もちし子どもにサンタクロースとなれよと云ひてなれをばやりつ。
帰れば末吉より写真、面白くうつりゐる。弘瀬父より途方にくれゐると。けふ史、悠紀子をつかまへてブーブー云ひしと、をかし。

12月25日
朝、会社へゆき由良の日給ついに130円として申請。今月のサラリー28日頃と。学校へ寄り守本氏にシロコゴロフ(※訳書『北方ツングースの社会構成』)で感心され、 硲君にゆき東洋史の名簿もらひ北畠の古本屋でBohnenの『神皇正統記(70)』、ラッパポート『社会進化と婦人の地位(30)』、松崎鶴雄『柔父随筆(45)』買ひして停留所まで送られて帰る。 けふモーニングとりかへよと近藤運転手手伝ひに来りしも、ゆき子高島屋へ買物にゆき明白のこととなりしと。

12月26日
雨。家居ときめてゐれば岩崎昭弥よりハガキ。神保わがこと『現代詩辞典』にかきゐると。保田、近畿行幸の資料集めゐると。正月2日来ると。午すぎ一寸雨やみし故、京都へゆくこととし、 モーニング会社へもちゆく悠紀子と前後して出、13:25京橋発急行、臨川へゆけば『Variétés sinologiques』2年まへに東京の松村書店に売りしと。 『高麗史(450)』とLatourette『The development of China(200)』買ひて東方文化へゆけば藤枝ゐず。入矢君としばらく話し16:00出て東洋史研究室にゆけば佐伯氏あり。 話して羽田三高にゐるとて電話すれば来る。『李朝実録鈔』と『中国史学入門』とくれ『羽田博士論叢(1200)』頒けてもらひ東洋史研究の代金として300おき、 ともに田村博士に寄[りてぶり]村上嘉実邸にゆく。やがて内田智雄、重沢俊[カ]、田村実造の3先生もお越し、引留められて酒3杯と御馳走よばれ、 研究所へゆけば藤枝まだ帰らず入矢氏に風呂敷もらひ本包む中藤枝帰り『東洋学報』3冊わけてもらふ。『Variétés sinologiques』は彼も彼もありか知らずと。 (羽田は大阪の華僑でもちゐるを知る故、紹介せんと)。20:30出て京阪へゆき、支那そばくひ21:00発の急行にのり京橋より22:01にのりて帰宅。けふ『世界歴史辞典』へ受取出す。 入れちがひに聖祖かけと(1月31日しめ切)。

12月27日
ひるすぎ亀井来る。(洋菓子もち来りしゆゑ石鹸やる)。ともに出て会社へゆき明日サラリーボーナスとりに来よと聞き、藤井寺。日野月先生にお歳暮もちゆけば帝塚山よりは挨拶なしと。 匆々退去。叔母に洗濯石鹸わたして羊羹もらひ、今川へのことづけたのまれ行けばみな留守。帰り大鉄で『労働基準法』買ひ、雲吞たべて帰宅。入湯。よべ不眠にてすぐ寝る。

12月28日
14:00来いといはれ午食後すぐ出て亀井にゆきすぐ引返して会社へゆき17:00までかかりて賄の諸手当、サラリーもらひて帰宅。われはBonus10000。専務、 労務部長の説教を工員しづかにききゐし。帰りて4名のBonusなきに気付きあはてしもあとでもち来る。賄ども説教す。 けふ専務より「黒田のあと750万円で買はぬかといはれ断りし。250万円位」とのことなり。「吉岡氏にゆきて話してもみよ」と。

12月29日
ひるまへ出て会社へゆき、上出の皆勤云へば5月22日よりゆゑ資格なしと。天満橋にゆき散髪(120)。パジェス『日本切支丹宗門史 上(10)』買ひ、 梅田にゆきこの間怪しみし「福島工業所専務大島」といふ男、待合室で●かく。15:00うなぎとすし食ひ日記帖買ってもらひ別れて柳田『婚姻の話(120)』『月下の一群(200)』買ひ、 坪井へコーヒー(170)もちゆきキャラメルもらひて帰る。埜中清市より「くれなゐ」新年宴会5日と。

12月30日(日)
終日臥床。〒なし。夕方、上出、買物にゆき釣銭のことにて損せしと。また朝、徳野で払すまして受取らずと云はれしと(100円)。代りに憤慨してやる。

12月31日
午まで臥床。午後奥の室片付け餅食ふ(1斗搗き)。夜、池内、萩原、日野月、白鳥清、篠田、桑田、工藤、宇都宮、川村、神田、和田、羽田、石浜の諸先生、 保田槌三郎(※與重郎父君)、堀辰雄、大江、田中康、田中昌三の諸家へ賀状かく。けふ『祖国』1月号来る。


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