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田中克己 父(西島喜代之助)の手紙  昭和26〜32年


【昭和26年2月16日消印】[封書]
彦根市短期大学芹橋公舎 田中克己様
京都市上京区小山下総町51 西島喜代之助 二月十五日

            悠紀子その後異状なきや、無理しないやうに

○十三日はゆかなかったが、きのふもけふも明日も会社へゆく。
○城平君(※叔父。富士鉱業専務)は十八日上京、二十一日皈阪。それから又九州へ旅行の筈。
○寮長の社宅(※移転予定先)は建築を急いで居る。建坪十六坪、六、六、二、四の間取の由。元の校長社宅は労務課長が住む。
○寮の所在地は布施市(※現東大阪市)なので、配給は鴻池新田まで(徳庵の次の駅)とりにゆかねばならぬ。
  それでは不便なので、労務課長の町藉の住所は会社所在地とし(配給は今津町)、市民税のみ布施市へ納めることに暗黙の諒解が出来た由、庶務課長の話。
  この例に倣っふ外はないとおもふ。食品の買入は徳庵。
○次は学校問題。付近は人家がないので新制中も小学校も遠い。配給の例に倣って会社に籍を置けば会社北一里ほどに榎本小学校(大阪市立)があるが、
  それよりも子供将来の為、依子弓子は帝塚山へ通はせたらと城平君の意見。学院の先生の子女は多く帝塚山へ来て居る由。
  師範付属へ入れる気なら、ここも便宜があるといふ。
  史は帝塚山付属中が大軌沿線にある由、ここがいいではないかといふ。
○まう今度は腰を据えるつもりで皆の事を考へねばいけない。
○寮には図書室、ピンポン室を設ける外、野球場も設致し二チームを養成するとか。

 二月十五日   父より

克己様

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