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p1さとう いちえい【佐藤一英】(1899〜1979)


佐藤一英 一戸謙三宛書簡 1935-1974 

一宮市在住の佐藤一英研究家、田内雅弘様、及び一戸謙三令孫、晃様より示された、 これまで確認されてゐる佐藤一英の一戸謙三宛書翰(昭和10年4月18日〜49年8月30日)を御遺族の承諾を得て公開いたします。
これらは一戸謙三長男の昇氏が生前、佐藤家(佐藤漣氏)に返還した際に、とられたコピーです。(【14.11.17】福士幸次郎はがきコピーの経緯は不詳。)
書簡の現物は行方が分からず、また対応する一戸謙三の書簡も、ここに掲げた二通以外は、現在未確認です。
解説は「詩人一戸謙三の軌跡 方言詩の前後をよみとく」を参照ください。 (不明個所■ほか読み間違い等ございましたら御教示よろしくお願ひ申し上げます。)

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書簡集 戦前・戦中編 PDF版(3MB)(1935-1945)

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【10.4.18】おハガキ拝見。最近忙しくてすつかり失礼してゐます。長崎村は近頃、新詩運動の本部のやうに活気をていしてゐます。貴著詩集が出るのは何よりと存じます。これから適当な本屋をさがしてみませう。いづれみつけ次第お知らせしますが、いくら位、金をかけるおつもりか知らして下さい。自費出版をひきうけるところはいくらもありますが費用のたか(※多寡)によつても相談のしようがあるやうに思ひますから。椎の木社は新詩運動にはもはや関係がうすくなりました。新韻文時代が来たからです。
百田さんはすつかり見きりをつけて、近頃は綴方教師を相手の雑誌に大童です。

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【10.9.10】おハがき新聞ありがたく拝見いたしました。明治詩の御研究は大変結構に存じます。小生も韻律概論を書きたいと思つてゐますが、今秋は長詩を一篇書きたいとも思つてゐるので、あるひは来年になるかも知れません。拙著『新韻律詩抄』は二三日中に発市になります。小野久三さんからお話しがあつたらうと思ひますが、そちらでも愛読會をお作り下されば幸甚です。
福士先生は新潟からまだ帰りません。便りもなく、そろそろ皆がまた心配しはじめました。
笹森猛正君が月始め近くへうつつて来ました。同君に手傳つて貰つて詩の雑誌を始めようと思つてゐます。題名は『ウルカリ』、十月創刊号を出す予定です。

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【10.9.20】こないだは新聞ありがたう。方言詩論、御論し(※論旨)、大変結構にと存じます。福士さんが帰つたら見せましよう。よろこぶ事と思ひます。さて別便主意書のやうな事を始めようと存じます。もし御賛成だつたら、このままでやります。不賛成の場合はいろいろ意見を述べて下さい。中心部は貴兄、笹森君、高木君(※高木恭造)、折戸君(※折戸彫夫)、杉本君(※杉本駿彦)、坂野君(※坂野草史)、逸見君(※逸見猶吉)、 宍戸君(※宍戸儀一)といふところです。もう二三未決定の人がありますが、大体さういふ顔ぶれ。もし御賛成で積極的に参加しようといふお気持ちでしたら、この主意書のトーシヤ刷を少しこしらへてこちらへ送つて下さいませんか。しかしそちらで撒布することは少しお待ち下さい。いま狭い範囲で友人に相談中ですが、この大雑誌計画がうまく行かないときは小雑誌でも必ず出します。ともかく意見を述べて下さい。いづれ笹森君からも何とかいつて行きませう。高木君には御相談下さつてよし。至急御返事を待つ。

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【10.10.18】その後いかがお暮しですか。こちらは福士さん旅行中にまた同氏末子を亡ひました。とても残念ですが、已むを得ず。雑誌は発行を一ケ月延しました。延びるためによくこそすれ、悪くはしないから御安心下さい。二三、原稿も集まりました。
『新韻律詩抄』見て下さいましたか。五百部の発賣なので弘前まで行つてゐるかどうか案じてゐます。八日に発市したさうです。こちらは記念會を大々的にやれといふ意見が多く、人にまかしてありますが、二十五日以後になりませう。そちらでもおやり下さるのなればカンタンにおやり下さい。デンデン祭はまたの機として。雑誌題名は多分『ウルカリ』とします。其意味ですが強いて意味を探れば『高貴なる事をするもの』といふ意味になりませうか。わたしはこの響と影を愛します。

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【10.11.7】こないだはおハガキありがたう存じました。地方主義のための御奮闘、必勝を祈ります。拙著『新韻律詩抄』こないだ小山書店にききましたところ弘前へも行つてるとの事。売り切れたのでせうか。そちらの本屋から注文さして下さい。去る二十九日こちらは記念會をやつてくれました。 雑誌はまた一ケ月延びさうですが、純粋の研究誌にしようかと思つてゐます。しかしいづれにしろ今年中には始めます。『エクリバン』の二号(十一月号)に宍戸儀一君が長い韻律論をかきました。機があつたら御覧下さい。 福士さん未だ帰らず。福士さんの著書『音数律論』も今年の間には今はないやうです。福士ナナちやんの告別式が昨日行はれ、友人の妻君[達]、子供[達]が参列しました。方言詩問題、韻律問題、地方主義問題、行動主義問題、 ともに統一的な立場で論陣をすすめて下さい。バレス・モーラス、こちらにあるのは原文のもののみ。しかし入要なれば送ります。

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【10.11.12】「地方主義、標準語」面白く拝見。論の進め方、実に手に入つてゐます。見事な論陣、この調子なら何人敵があらはれやうが恐れることありません。古典詩抄も面白く拝見してゐます。かういふ仕事に賛成して参加して下さつてありがたう。大いに力強く感じます。拙著『新韻律詩抄』見て下さいましたか。あすこにも十篇ほど入れました。創作では「聯」のやうなものをやつた方が意義があるやうに思ひますが如何。五絶訳は一冊にまとまる位訳してみませんか。小生できるだけ出版を骨折ります。佐藤春夫氏は詩経の訳をやりかけてゐます。
雑誌はいつそ同人費を一円か二円にして四行詩だけの試作研究誌にしようかとも思つてゐます。いづれ今月中に決定、来月創刊号を出します。いよいよ福士さんの音数律論も年内にサイレン社から出ます。 萩原朔太郎氏も第一書房から『韻律論』を近刊する由。

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【10.11.22】その後いかがお暮しにや。唐詩五絶の訳、はかどりますか。体裁は、訳文を先づかかげ、次に原文をかかげ、最後にカンタンな語を附けて下さい。第一書房版『詩経』(※岡田正三訳)や椎の木社版『支那古詩』(※小村定吉訳)のやうな体裁です。 確実にお引きうけはできませんが、出版上、できるだけ骨折ります。次にお願ひあり。拙著『新韻律詩抄』を出した小山書店から児童文学読本の執筆をたのまれてゐます。藤村少年読本とか白秋童謡読本のやうなものです。 即ち各学年別の創作詩文集です。とても一人では書ききれないので一二友人にたのむことにしました。貴下も御援助下さりませんか。韻文でも散文でも結構。貴下の創作(乃至は[児]童の文を加工したもの)で、 学年を書き添へておいていただければ結構です。気が向いたとき少しづつ書いておいて下さいませんか。来春の出版にしたいと思ひます。なほ見本としては、前記藤村白秋氏のものを参考にして下さい。

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【10.11.28】おハガキ拝見。田舎の静かな生活がうかがはれて、なつかしい感深し。いま「詩壇の昨今と漢詩」といふ新聞原稿をかいてゐるところです。適当ないい助手がなく、詩雑誌の創刊も延び延びになつてゐますが、 何もかも自分の手でやるつもりで来月は出ませう。方言詩集はまとめて御覧なさい。一篇一篇に委しい注釈をつけ(訳もつければなほよし)――福士さんの「ジャゴオナゴのヨツパライ」の如し――さらに、詩集全体の解説をつければなほよし。 棟方寅雄君に挿絵を四五枚書いて貰つて、福士さんの序文でもつける。さうなれば東京の本屋でも引きうけるものが出てきませう。わたしも骨折りますよ。原稿こしらへてみませんか。
『新韻律詩抄』御覧下さいましてありがたう。一つ評を聞かせて下さい。『教育国語教育』の秋季増刊号に福士さんが論評してくれます。いろいろの人から評をきける筈になつてゐますが、その他はまだ発表されないやうです。 『椎の木』へ批評原稿送つて下さつてもよろし。正月から百田氏が自ら編輯するさうですから。御試作面白し。わたしのは聯句ですが、あれは双句とか対句とか呼んだらどうです。

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【10.12.3】おハガキありがと。三上君の方よろしく。わたしからも近々手紙出します。林檎は千葉氏から福士さんの旧住所深川へゆき、昨日長崎へ来た由。重い運賃を負つて。来年は子供のための本を二三書きたいと思つてゐます。今夏、夏期大学で話したものを骨子にして。「子どものために詩を語る」といふものを冬中に書いてしまつて、児童文学読本の前に出したいと思つてゐます。
『新韻律詩抄』の御批評是非おきかせ下さい。最近伊藤整君と平野威馬雄君の評を読みました。十人位も評がでたら本屋で批評集をあむかも知れません。福士さんの旅先、新潟県西頚城郡蒲原塩泉温泉旅館。留守宅。東京市としま区長崎仲町一丁目二四四〇番地。
やらなくてはならぬ仕事の山を見て、この冬はまた猛烈な火をもやさうと意気込んでゐます。新韻律の詩も大方は昨冬二三ケ月の間の作です。まつたく「無からの創造」です。文字通り。

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【11.1.23】御新聞の論、面白く拝見しました。『詩学』の二月号見てくれましたか。もしまだ見てゐなかつたらボン書[店]へどんどん要求して下さい。貴兄のことは(※鳥羽茂氏に)よく話してあるから、今後は全然遠慮[い]りません。散文の原稿も送つて下さい。『新韻律詩抄』の御高評期待してゐます。(福士さんもわたしの詩語を平安朝語といはれますが、これは妥当な評語ではないと思ひます。いづれこれについては論じるつもりですが…)
なほ、できれば原稿二通作つてボン書店編輯部へ一通お送りおき下さい。『詩学』に私の息がかかるのは三月号からです。詩壇では既に大きな波が立ち始めました。

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【11.2.8】セステツト(※6行押韻詩)の試作面白し。大いにやつて下さい。わたしもオクタアヴ(※8行押韻詩)、セステツトともにやらうと思つて、またできないでゐるものです。貴作は三音四音のセステツトですから、ただセステツトとせずして特殊の名称がよからむ。ともかく貴兄の形式創造には大いに期待してゐますから乞御精進。
『詩学』三月号から巻頭言を一頁づつ書いてゆきます。(無記名でやります)
巻頭論文は同人が交代でかきます。三月号は宍戸儀一君、七八月頃の分として貴兄も準備しておいて下さい。二三枚か四五枚の小批評小論文をしきりに送つて下さい。作家論作品論も大いにやつて下さい。 ともかく『詩学』の中心詩人は詩作ばかりではなく、評論を書くことを原則として進みます。こないだ笹森君にもいつておきました。高木君にも御暇の節いつてやつて下さい。この雑誌には小野久三君に新進評論家として執筆させます。 表紙は四月号から渡辺義知、カツトは二科彫刻部同人の作で[うづめ]ます。漸次にかうしてモダニズムをこの雑誌から追ひ払つて行きます。

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【11.2.11】前略、四月号をプロソデイ特輯とします。何でもよろし。日本プロソデイに関し、十枚前後お書き下さい。笹森君には詩と音楽について書いて貰ふつもり。各国のプロソデイが発表されます。
『詩人』といふプロ派の大雑誌の正月号を読みました。座談会でプロソデイの事ばかり言ついゐますが、プロソデイがどんなものであるかを彼ら少しも知らず、滑稽のきわみなり。
別便にて大阪聯の會の記事を送ります。かういふ會が全国に十か十五も出来たら、聯の雑誌を独立でこしらへます。現在は東京に一つ、尾張に一つ、大阪に一つと四團体です。まだ他にあるかも知れぬが小生は知らず。高木君(※高木恭造)がよい聯を作つてきました。三月号に出しました。
方言詩も捨てずにやつて下さい。『詩学』でも秋頃に方言詩特輯をやります。行動主義!地方主義!伝統主義!

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【11.2.18】新聞二葉拝見。時評も面白く拝見しましたが。、詩篇「牙」は感嘆しました
三音反覆による自由律には多くの秘密が蔵されてゐることを考へてゐましたが、これもその點で、ある光を投げかけたものです。よい仕事をして呉れました。この勢でどしどし新境地を拓いて下さい。なほよい作がくれば別として、 この作は四月号を飾るものとする考へです。小生、雑誌経営に追はれてゐて、最近殆ど詩作なし。当分論も作も、あまり書けないと思ひます。四月号には論も書いて下さい。局外批評家ですが、原一郎君のプロソデイ論がすでに来てゐます。 局外批評家のものは幼稚で困ります。同人が猛然勇進しなくては駄目です。十枚以上になつてもかまひませんから、論を送つて下さい。福士説、佐藤説の批評でもよろし。気に向いたものを書いて下さい。 福士さんは「古代史研究」に没頭のため『詩学』への執筆は遠慮することにしました。

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【11.5.30】おハガキ拝見。これから『詩学』は毎月出せる予定ですから、いろいろセツセと書いて送つておいて下さい。笹森君も元気がよくなつて、毎月書くといつてゐます。七月号原稿〆切は五日――七日までは待ちます。こんな原稿よいだらうと思ふもの、何でもかまひません。書き送つて下さい。
七月末そちらへ行きたし。去年、名古屋、岐阜でやつたやうな詩の講習會やりたし。わたし一人で、一日は韻律について、一日は日本詩史、一日は小学読本の詩の講義をしたいと思ひます。ナゴヤでは一時間十円、 ギフでは一時間二十五円の割で謝礼を貰ひました。そんな見当で案を立てて見て下さいませんか。来月位、そちらで見聞したいと思ひます。

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【11.6.?】その後いかが。『ね[ぶ]た』(※『ねぷた』)の出版を お祝ひ申し上げます。近頃、高木君から便りなし。彼氏に『ね[ぶ]た』評を書いて貰ひたいと思ひます。そちらからも手紙出して下さい。 『詩学』は来月から毎月出します。七月は無特輯ですが、一方で韻律論はつづけます。論も作もどしどし送つて下さい。『東奥文壇』六月一日に出た「北方の河」を『詩学』来月に掲載したし。作者をしらべて同人参加をカンユーして下さいませんか。 新韻文では青森県下に最も期待されます。どうかよろしく御指導下さい。なほ『ね[ぶ]た』については菊池氏(※菊池仁康)に頼んでおきましたから、デパートに並べること、交渉してごらんなさい。この夏にはわたしも少し詩を書かしたいと思つてゐます。

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【11.7.31】その後いかがお暮しにや。『詩学』七八合併号に貴兄の詩作を見ざることはさびし。来月から毎月見せて下さい。今号には■源三君のものを巻頭にしました。作者をおしらべ下さい。韻律運動は漸次拡大しつつあります。 シユールレアリストからの轉向者もあらはれはじめました。今年中にこの運動の目鼻をつけたし。理論、批評、詩作どしどしくお送り下さい。同人勧誘もお願ひします。今夏、そちらへ行きたいと思つてゐましたが、行けません。 夏中、都の暑気とたたかつてみるつもりです。韻文の長篇スサノオ、散文の長篇ヨシツネを書く予定です。義経は三十枚か五十枚くらゐ。散文で抒情詩を書くわけです。わたしのいふ行動主義小説。 『詩学』を中心にして韻文散文の大革命をやりたいと思ひます。かつてのフランス・ロマン派のやうな運動にしたいものです。行動主義の旗の下に!

p18
【11.12.?】新聞ありがたう。方言問題は韻律問題といつしよに、いよいよ深く追求して行きたいと思ひます。『蝋人形』の正月号に短文を書きました。貴兄のことにも触れておきました。新年はなほ一層詩壇にも積極的に働きかけることにしました。
一、大和の教への宣布。一、行動主義の決定。一、新韻律主義の徹底。一、新定型確立。したがつて萩原一派のロマンチシズムをたたきつぶすこと。自由詩散文詩を追つぱらふこと。
既成宗教、新邪教及びマルクスボーイの一掃。大きい旗を立てませう。『詩学』は『新定型』として復活します。この外に、詩以外に評論や小説もまぜた新雑誌計畫中。無論、詩を中心にします。小生の出版予定。 『わが一九三六年詩集』(PDF版公開(17MB)『新韻律詩論集』『そらうみのたたえ』『日本現代詩史』以上は上半期中に出します。貴兄にも活溌なとしであるに祈ります。

p19
【12.9.7】ソノ後、御元気の事と存じます。暑中休ミも過ぎましたが、暑い事です。暑中は小生、聯研究につひやしました。今年は祈祷詩六十篇、支那訳詩五十篇、聯五十篇ばかり書きました。まだまだ書くつもり。詩作を始めて以来かつてない多作の年です。発表は来年ゆつくりするつもり。
当分うすつぺらな聯専門の雑誌を出してゆかうと思つてゐます。これについては後で主意書を送りますから御覧下さい。八月号の『日本詩壇』見ませんでしたか。貴兄の事、淀君の事など書きました。正月の『蝋人形』にも書きました。折があつたら見ておいて下さい。戦争が大きくなつてきましたが、 僕が軍歌を書かねばならぬところまではまだ来てゐないやうですから。、永遠の事業に没頭してゐるわけです。別便で聯にかんするエツセイ送りました。御覧になりましたら御回送下さい。
宮腰君どうして居ますか。ドーデ夫人の戦争日記あいてゐたら返して下さるやうにいつて下さいませんか。

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【12.11.26】[くぐひ]面白く拝見。あれは聯より音数は十二音少ないにもかかはらず、大きい詩の感じがします。行句の構成といふことの秘密を知つて愉快です。ラインの[意]識と韻律の構成原理は把んだつもりで仲々つかめないものです。小生、十月号の『中央公論』の聯は御覧下さいましたか。今年は聯ばかり十九篇いろいろの雑誌に発表しました。『日本詩論』十二月号へバクゲキ一つ。『眞理』十二月号へも一つ。『蝋人形』十二月号には、記者との一問一答が出てゐます。機あれば御覧下さい。聯雑誌は正月からやります。来月[初]め刷り物送ります。『科学ペン』へはその[節]に書きます。いま詩人の團体(貴兄なども入つて貰ふ)を作りつつあり。
文字通り今年は去年の三倍の仕事(詩)をしました。祈祷詩六十篇、訳詩六十篇、創作聯句詩六十篇、その他。来年は散文も今年の倍ぐらゐは書くつもりです。軍歌をかくこともすすめられてゐますが、おそらく書かないでしまふでせう。 『むらさき』十二月号に小生の戦争詩も出てゐます。

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【13.3.3】こんな葉書で失礼(※出欠葉書を転用)。いよいよ『聯』専門誌を始めます。別途の主意書御覧下さい。カンユー文の書き方よくなかつたらバ別のものをそちらで刷つて配布して下さい。頁は少なくともトテモ美■■な雑誌をこしらへます。 繪入り雑誌で最近チヨツト類例ノなきものです。小生の獨力経営です。ドウカそちらでも多くの同人を作つて下さい。同人の数によつて勇を増減しますが、創刊と同時に五十人の同人を持ちたいと思ひます。でないと非常にやりにくい。 しかし何とかしてこの雑誌だけは永続させます。この雑誌を失敗すれば、今後小生は、詩の雑誌を出さないつもりです。もし成功すれば、もう少し自由な詩の雑誌を今一つ出したいと思つてゐます。 小生の意あるところをお汲み下すつてドウカ御盡力願います。東京同人もハリキツテゐます。少々無理をしてもカツキリ四月一日に創刊します。われわれの全力をつくして活動するときは今だと深く信じます。

p21
【13.3.16】詩うけとりました。さすが美事なもの、感心しました。新聞まだ来ません。福士さんの家で切れはしも見せて貰ひました。今後ともよろしく御容赦願ひます。いま「聯の詩学」といふものを書いてゐます。聯原理の最高理論のつもりです。同時にカンタンな聯の作法書も必要だと思つてゐます。一、各行を獨立的に構成すること。二、音数律の三大形式、57,75,66。三、音韻律の四大形式AAAA、AABB、ABAB、 ABBA。以上の三箇條を刷るだけでもよいと思ひます。「聯の詩学」はフランスその他へ移出するつもりなり。最近世界にない新しい詩の原理がひそんでゐることを知り、喜びこの上もなし。
刷り物できました。社友制ももうけました。経営方針は社友に重きを置かず、同人者中一ケ年前納者に重きをおき、毎月十人づつ、これをふやして行き度いと思つてゐます。久しぶりで去る七日、四人の新人を寄せて合作會をやりました。 結果よし。そちらでもやつてみて下さい。刷り物、明日送ります、いそがしくて便りがあまりできませんが、よろしく。各地ともカツパツに動き出しました。

p22
【13.3.27】ヒロサキ新聞拝見。いよいよ貴詩面白し。小生は昨晩出発、ナゴヤ、ギフ、ハママツなどを聯の宣伝に行き、二日帰京の予定。現在、聯の同人は五十一名です。知名の人も多く這入つてゐます。創刊まで(五月一日)に百名にしたいと思ひます。 そちらでも大いに骨折つて下さい。これは今日までの小生の運動体験で言へば疑いひなく成功します。同人百人、社友千人、読者一万人を目ざして進みませう。ミナがこれこそエポツクを作るだらうといつてゐます。来年は外国へ売り出しませう。 自重、強力に戦ひを始めて下さい。『科学ペン』の五月号には小生の「聯の詩学」が出ます。貴兄の文章も出ます。編輯部でもよろこんでゐました。雑誌が出てからといつてないで、合作會や講演など始め同志を得て下さい。

p23
【13.4.14】同人、現在確実なるもの七十名。月末までに百名にします。これから社友千名のカクトクにかかります。明日乃至明後日、創刊準備号の原稿を印刷屋に渡す筈。準備号には十六人十六篇だけ詩を発表。 創刊号には四十名以上百篇以上の詩を発表する予定。同人達もオツカナがつて詩を送るもの少なし。準備号には貴詩一篇の外に「聯について」の作法の部分を拝借するつもりなり。準備号は八頁也。主要都市に支部をつくりたし。 支部規定につきこちらでも考へますから意見知らして下さい。聯詩運動は成功確実になつてきました。確実強力に行動しつづけませう。高等学校、教員大学などで宣傳して下さい。

【13.4.25】新定型詩誌『聯』創刊準備リーフレット(事実上の創刊号)発行。

p24
【13.5.3】お手紙拝見。お會ひする日を楽しみにしてゐます。私が行くか、貴兄が来るか、いづれにしろ早く會ひたいものです。リーフレットは非常に好評ですが、あれを見てみなおじけだち、同人の集りが悪いのには閉口です。金の集りはなほ悪し。 しかしこれだけは、どんなに頁が少くても私が生きてゐる間はつづけます。今日までの経験(六十日間の運動)ではナマジツカ詩人くずれや文学青年くずれではなく、ズブの素人(それは老若男女をいとはず)を説いた方が効果があるやうです。 聯によつて新しい詩壇を作るのですが、それには一度詩人が入れ代る必要あり。詩壇的に知名の国民詩人を待ちませう。あのリーフでコハレかかつてゐる詩壇がキヨーイを感じてゐることが、いろいろの方面から傳つてゐます。全然新しい分子で強力な関係を作りませう。聯詩社以外に詩壇なし。といふところまで押しすすめませう。二三日前、小包でリーフを数十枚送りました。佐々木君の他にもよろしく。 いま一方で「聯の詩学」のつづきを書いてゐます。

p25
【13.5.8】復啓、堅実なやり方第一主義の忠告を信用の置ける人から多く聞くやうになりました。創刊号は十二頁と決定しました。やはりリーフレットの型で行きます。作は三十二名のものをのせます。同人は百名近くあるけれど、作が出ません。 金の集りは更に悪し。しかし準備号に比べて倍数の人の作をかかげくれるのは愉しい事です。一号一号と増加する事に疑ひありません。雑誌がつづけバ同人費の集りもよくなるだらうから、急に大雑誌を作ることを考へずに、ジリ押しに押して行きます。 雑誌の定價は当分一定しません。従つて単なる誌友募集は当分しないつもりです。この運動援助の意味で、誌友に多くなつて貰つて下さい。これハ、年齢のたけた、大先輩株(何職でもかまひません)に働きかけるのが一番効果的です。 東京でも詩壇文壇の先輩株をぼつぼつ社友にひき入れつつあり。大実業家が一二入れば経営ハやりよくなりませう。それをねらひつつあり。そちらでもそのつもりにて頼みます。雑誌ハ、ドンナ薄いものでも必ず毎月出します。 そしてやはり沢山刷つて広く配布します。

p26
【13.5.14】ホコリまみれになつて聯詩宣伝をして、帰つてくると貴兄からの新聞が来てゐて、トテモ愉快になりました。人見東明さん始め数名の社友を得ました。一二日中に編輯して創刊号の原稿を印刷やに渡すつもり也。百円位づつの寄附者が二三現はれさうですが、まだ決定しません。 『聯』は普通号はリーフレットを二三合せたものとして出し、金がうんと這入つたとき特別号のやうなものを出して続けてゆくつもり也。半年か一年位は苦難の道を歩む覚悟です。しかし必ず勝利を得ます。ドンなに不入のときでも毎月雑誌は出します。 雑誌二三号出したら、いろいろ小生の知つてる新聞雑誌に同人の作をスイセンするつもり也。一二日の運動経験で社友は集めやすいことを知りました。ここ半年か一年で社友千人どうしても得たし。 創刊号には同人募集を書かぬつもり也。そのつもりにて社友カクトク願ひます。素人がよろし。

p27
【13.5.21】鳴海要吉氏の来訪をうけ、昨日「緑風」の寄贈をうけました。鳴海さんは人間として面白い人です。尊敬に値する人です。しかしそのお説は、お會ひしたときも感心できませんでしたが、雑誌を見てもさう思ひました。 今朝、今後親しく論戦したい旨のハガキを出しました。鳴海さんハ、キヨーチヨー(※協調)しに来たといはれましたが、さういふことハ、我々の趣旨の上からいつてもできませんし、必要もないので、そのむねのべておきましたが、 今は雑誌を読んだので、なほハッキリしたことをいつてやりました。聯ハ最小の完全詩型であるのに、緑風制約などを問題にハしてをれません。われわれハ最後マデ、変なダキヨーをさけませう。短歌や俳句ハ、ゲキメツに價ひするだけです。 新しい古いも短歌の中の事なら問題になりません。小生ハ今『日本評論』へやるつもりで「近代日本詩の再建」といふ論を書いてゐます。

p28
【13.6.20】八日、父死去。十日葬儀。十四日初七日。十四日夜ナゴヤ■大にて聯に関する講話。十五日帰京。弘前のカツパツな運動ぶりは名古屋の同志に傳へました。 ナゴヤ聯座は強化、高木ヒサオ君(※高木斐瑳雄)も加入されました。父の五七日にはまた帰省しますから大阪も強化してくるつもりです。黒石新報は興味深く拝見しました。 『日本詩壇』の七月号に坂野君(※坂野草史)が■■を書いてゐます。「聯と合作詩」の[課]題」というような題目で「科学ぺん」へ詩稿を送ってください。すでに了解ずみです。 手市典麦君から数詩稿が来ました。上等の聯詩人です。佐々木・木村の諸君とともに弘前の四本柱を形成してください。手市君には大いなる期待を持ちます。聯詩三号は、十六頁■■■しました。 聯詩社経済力強化について考えています。さしづめ運動員制をもうけるつもりです。

p29
【13.9.5】八月十八日第三種認可。同二十八日聯第四号発行。雑誌の大部分は印刷屋にあるままです。第二の発展期に入つて一週間も雑誌を印刷屋にねかしておくのは、いかにも残念です。そちらの方の諸君、誰か送金できる人はありませんか。今月は佐々木君(※佐々木繁)、森村縫美君と二人新人の作を出しました。手市君(※手市典麦)の作は無論出てゐます。手市君、森村君に話してみて下さいませんか。今回は急ぐので振替によらないやうにお貸下さい。お手数ですがよろしく願ひます。
4号にも書いておきましたが、秋田氏(※秋田雨雀)との論争、面白く拝見してゐます。基礎はできましたから、同人の新加入もみとめようと思つてゐます。新人御推挙下さい。
ポツポツこちらの聯雑誌へ、同人の作をスイセンできるかと思ひます。貴兄および手市君のものなど数篇お送り下さい。

p30
【13.10.28】いつかのお手紙詩稿拝見しました。何分でいいと思つてゐるものが案外人に面白くなかつたり、その反対もあるわけですが、貴兄がスランプと思つてゐられるのは一進歩かと考へます。小生には最近の御作中々面白し。十一月号の『日本短歌』に戸崎君(※戸崎美智雄)のものと貴兄のものを短歌人の反省の資にもと思ひ、評論中にかかげました。機を得て御覧下さい。聯については、やはり十一月『俳句研究』にもかきました。一昨年の拙作「空海頌」は十一月『いのち』に出しました。『大法輪』には五絶譯を連載してゐますが、十一月のには聯に近い話しぶりをしたつもり。
聯運動は金が集まらなくて閉口してゐます。雑誌でなくてリーフだからと思ひますが、運動の性質上、当分リーフを続けたいと思つてゐます。
道楽雑誌に書くのではなく、運動に参加するのだといふ意味を徹底させる必要があると思ひます。そのつもりで勧誘下さい。靖国神社の臨時祭中、読売に「鎮魂歌」一篇かかげました。時事的なものができたら読売文藝部長、清水弥太郎氏宛速達でお送り下さい。

【14.1.7】(義弟看病のため15年ぶりに上京した一戸謙三を迎へ、聯詩社同人(佐藤一英、福士朝子、田邊若男)による「聯座」が催された(於福士幸次郎留守宅)。謙三と一英とはこれが最初で最後の面晤の機会となった。)
「午後に、小野久三氏に送られて佐藤一英氏宅に至る。田辺若男氏と共に福士さん留守宅に至る。梅枝さん(福士幸次郎妻)は相変らずである。朝ちゃんを加へて四人で聯座をひらく。福士さん宅で、シルコ、天どんを御馳走になる。十一時過ぎに帰る。」昭和14年1月7日「一戸謙三日記」

p31
【14.2.11】新聞ハガキ拝読。大いに論陣を張つて下さい。三月五日に東京同人の全会合を[初]めてします。一年目に[初]めて會をもつわけ。これからが楽しみです。三月号月刊『文章』『メトロ』などに貴作出しました。『メトロ』は来月になつてから、こちらで送ります。『文章』はそちらで買つて下さい。四月号の『日本評論』に聯詩集を出します。この葉書つき次第、近作を至急報でお送り下さい。五日までに着かぬとこちらに出てゐるものをつかひます。
聯運動はケイザイ的に一番弱つてゐます。リーフ二月号は三月五日頃出します。これから積極的にケイザイ陣を張ります。そちらでも大いに詩と金とを動員して下さい。
小野君(※小野久三)が、教員[異]動にもっともよいときだ、一戸君が東京へ移住するするとなれバ骨折つてくれるさうです。この際、東京へ進出しませんか。よき同志を一地方においておくのは残念至極です。

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【14.2.22】やつと同人の聯詩集が月刊『文章』に出ました。店頭で三月号の同誌を御覧下さい。月を越してからですが『メトロ時代』の三月号も送りませう。これにも聯詩集あり。『日本評論』はどうしたか、まだ出しません。 今日戸崎君(※戸崎美智雄)から手紙あり。『弘前新聞』学藝欄に於ける一戸君の活動を見てゐると、東北の詩聖といふ気がすると、書いてゐました。はるかに御健闘を祈ります。今年の寒修行では「大八洲男児[替]歌」といふ長詩一篇と、聯を二十篇ばかり書いたきりです。 今年は一寸まいりました。しかし、もう元気をとりもどしました。[替]歌はワインガルトナー賞の入賞者山田和男氏がオーケストラに作曲する筈です。聯詩社はとりあへず東京の――それも近住の同人で運動形態を組織化するつもりでゐます。 運動を拡大し、効果あらしめるには組織が必要なことを痛感しだしてゐます。僕一人では結局、去年やつただけがやつとです。そちらでも組織して下さい。宣傳部、財政部、闘争部、研究部、企劃部など…。東京では四月末、講演朗読の夕を開催と決定。

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【14.5.14】御元気、何よりです。こないだの弘前新聞の詩論面白く拝見いたしました。あれは聯運動始まつて以来、指折りのいい論だと思ひます。ただシュールレアリズムの日本的解釈に立つもののやうに聯が思はれさうな點だけ不満です。東京同人は聯大會の事で大繁忙です。やりかけた事だから大成功をかち得たいと思つてゐます。大家とか先輩とかを頼らないこの會が成功すれば、一つの重大な結果を詩界の上にもたらすでせう。
百田宗治氏が女学生の作文を集めてゐます。手市典麦(※竹内長雄)君その他に話して二三、校友会雑誌のやうなものを至急お送り願へませんか。
福士さんが先月[末]帰京されました。御元気です。
聯リーフ五月号は入手された事と存じます。六月版は大会前に出したいと思つてゐます。

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【14.9.17】久々のおハガキうれしく拝見しました。東京では會合は時々してゐますが、私の個人的繁忙のため、リーフおくれてゐます。月末、8、9、10と三ケ月分いつしよに出すことにしてゐます。その準備もすでにできました。 「イリスに與ふ」は今夏三十篇ほど書いた聯のうちのものです。私も二十年かかつて、聯運動のすばらしい結実をみたいと思つてゐます。参加者は月々増してきますから、運動も自然カツパツになる筈ですが、人生は長く藝術は更に長し、といふ新標語をかかげてやつて行きませう。 私もこの春、第一書房から話がありまして、歴史物語百冊を二十年計畫で書くことにしました。これは国家への奉仕です。六十才以後の文学生活を楽しみ度いと思つてゐます。それは詩だけの生活です。


【14.11.17】【福士幸次郎ハガキ】
前略、昨十二日払暁、高田馬場駅に着きました。用事は大体首尾よく果たし、更に鉄の古代材料までも三個所で調査(郷里、宮城県、福島県の三ヶ所)を終へ帰京した次第で、此の旅行は九十五点と云ふ処でせう。板柳四日、青森三日、それから弘前に廻ってここで又三日、一戸君、繁君(※佐々木繁)等にも会談懇談致しました。 弘前同人は木村弦三君も大賛成にて、明春あたり英君に来弘、聯を中心に講演会を開いてくれる事を望んでゐます。(一行は英君、宍戸君(※宍戸儀一)、それに僕位)。一つ来年五月頃でも押し出しますかネ。 昨夜英君おかへりのあと、直ぐに渡辺さん(※渡辺義知)に参り、菊池君(※菊池仁康)の伝言を果たし、遅いのでお寄りしなかった。奥栄一さんに宜しく言って下さい。遠く成りましたがソレ程でも無いからどうぞ遊びに御出で下さる様に言って下さい。 家も変わったし小生はこれからせうせう原稿稼ぎに従事するつもりです。何しろ小生自身綿入一枚ない有りさまですからネ。呵々。たまをさんに宜しく。

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【15.2.7】お変りない事と存じます。小生、今年は『始の書』につづく『顕現篇』を三十篇書きあげて、いま聯の詩学にまた帰りました。今年は聯運動も少しカツパツになるでせう。いつかおハガキにありました、そちらでの聯大會のこと、企劃進捗してゐますか。実はナゴヤで四月、聯大會をやる申込みがあり、承知しました。費用の都合で、小生一人だけ行くことになりました。女学校の講堂を借りて名古屋新聞に後援して貰ふのださうです。 ナゴヤの聯同人が参加し、名古屋の東洋大学校友會の人々が骨折つてくれるさうです。そちらはタシカ五月にやりたいとの事でしたから、少し間はありますが、具体的な案を立てて見て下さい。旅費さへ出して貰へば、小生は行くつもりでゐますが、できれば聯詩社へ少しでも金がはいるやうに案を立ててほしいと思ひます。 こないだ『音楽世界』社の座談会會へ行きましたので、聯の話をしてきましたが、辰野隆博士が聯に賛意を表しました。雑誌に出る筈です。ご一読下さい。

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【15.8.14】昨夜は第二回研究會でした。良雄氏(※佐藤良雄)の欧米詩に於ける十二音説、小生の日本詩の十二音の講演などの後、質疑応答をしました。司會は三村達磨君。由紀燎二、軍属として戦地へ行き、保永貞夫、臨時召集を受けた今日。 聯運動は一層緊張して続けられねばならぬと思つてゐます。貴君の「火の諺」はこういふ機に表れたのを意味深く思ひます。来月号に小生は批評を書くつもりですが、はげしい抒情性と象徴性が特色的で、これの統一された姿が、 聯の深い行動性と協同性を示してゐる點、大いに問題とすべき作でせう。来月の研究會でも話題にしませう。そちらでも夏休み中に、一二回研究會を開いて下さい。以前は地方の方が勢がありましたが、近頃は少し、どの地方も沈滞気味です。 御尽力を祈ります。この秋には是非アンソロジイも出したいと思つてゐます。

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【15.11.20】お作「泥と火」非常にいいと思ひます。原始の火をかがけて、どうか、力強く立つて下さい。十二月リーフは四五日中に出ます。あれは正月号にもらひます。小生明後日早朝出発、亡父の三年忌を營んできます。 名古屋の同志にもあつてきたいと思つてゐます。新聞で御覧かと思ひますが、新國民詩協會ができました。小生の提唱によるものです。発起人會(創立準備會)にでて、詩人連中もだいぶん考へが変つてきたことを知りました。 それとともに、便乗派ができさうですから、聯詩人は積極的にウンと活動しなければダメです。貴兄も寸暇をつかんで、御地の同志に働きかけて下さい。聯は文字通り国民運動とならねばならぬときがきました。

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【16.2】新國民詩協會の趣意書・規約・入会申込書(一戸謙三は入会せず、これらの書類が遺された)

【16.3】「潮」、【16.4】「弘前聯座」を以て一戸謙三の『聯』への新作発表がなくなる。

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【16.9.24】その後御元気ですか。そちらへ一度行きたいと思ひながら中々行けません。山崎君(※山崎琢水)の『神話』PDF版公開(21MB)が出ました。別便にて十部送りました。 こちらへは全部で七円入れていただければよろしい。同好の士にお世話願へませんか。なるべく定價通りに売つて下さい。聯運動助成の意味を説明して願ひます。小生目下聯詩人挺身隊のことを考案中です。

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【16.10.4】前略、神話こちらからお送りした十部及山崎君から寄贈したもの、ともにお受け取り下さつたことと存じます。聯十月号は二三日中に発行しますが、十一月号に一頁分、神話の批評を書いて下さいませんか。 これの正当な批評は現在、貴兄をおいて他にないと思ひます。万障くりあはせて一つお願ひします。八月号、長谷雄君(※長谷雄京二)の長さを標準にして下さい。〆切十月十五日、字[法]は十四字です。一度そちらへ行き度いと思ひますが、 中々その機なし。いま神話小説を書いてゐます。某誌に連載するものです。来春は『始の書』の最終篇を書かうと思つてゐます。これが楽しみです。

p45
【17.6.10】このハガキが着く頃には大日本詩集が着くことでせう。昨日、見本製本を見てきました。聯詩人六人。これが機會に、そちらでも少し気勢をあげて下さい。三戸にも講演をたのまれてゐるが中々行けません。近いところだつたら、いつしよにやりたい事がたくさんあるのに残念です。 暇を見ては日本詩論といつたものを一冊書きあげませんか。本やは、こちらで見つけます。
十四日に最初の聯詩人大會を開きます。聯詩と日本思想について、小生は話すことになつてゐます。劃期的な催しです。時節柄御自愛を。

p46
【17.6.15】昨日、東京聯詩人によつて第一回聯詩大会を開きました。このとき話した話は欧(旺)文社の世界観講談にのせることになつてゐます。七月は中旬ナゴヤへ行くことになつてゐますので、そちらで講演會をやるなら、 なるべく月末か八月になつてからの方がありがたいです。もつとも小生は別のときに行つてもいいと思ってゐます。近頃バカにいそがしくて、出雲へも富山へもとうとう行けずじまひでした。詩集は中々出しにくく、日本詩論でも出ると、 まとまりやすくなると思ってゐますが、あたつてみませう。佐藤良雄氏の『國語と韻律』、小生の『新国民詩論』など近刊されます。

p47
【17.8.5】お元気と存じます。文藝報国會の講演で八月二十七日午後六時半から、そちらで話すことになりました。国防文化の人々ともそちらで會へるといいと思つてゐます。福士さんはそちらへいらつしやいましたか。 旅行は二十日からで横手、秋田、弘前、盛岡、釜石の五ヶ所で話して三十日か三十一日帰京の予定です。国防の人々との講演の方が楽しさうですが、どうもいたし方ありません。どうせ講演行をするのなればといふので御地を選びましたが面識ない人々と行かねばなりません。

p48
【17.8.12】おハガキ拝見。小生の東北ゆきは、白鳥省吾氏が行きたい言ひ出したのでゆづることにしました。報国會も無定見で困つたものです。小生は八月末から林髞君や土岐善麿氏と中部ゆきを命ぜられましたが、どうなりますやら。 貴兄らに會ふ望み当分なし。残念也。聯詩運動を激しく展開、購読者を逆に教育してください。

p49
【17.8.17】夏休みになつて何か、お仕事できましたか。夏のすきな小生も今年は少しまゐつて、詩を書いたり書物を読んだりで日を送つてゐます。文藝報国の講演には八月一日から十日まで、中部地方を回ることになりましたそちらの講演、 十日以後だつたら小生も参加いたします。先日、旺文社の赤尾氏に、国防協会の面々を紹介しました。新しい會もできるでせうが、その前に合著を出します。貴兄も参加できる何か名案があれば、小生まで申し出て下さい。 近々実現するやうにします。福士さんはまだ板柳(※青森県板柳大蔵町)ですか。近頃、渡辺さん飯村君などチヨイチヨイ来られ、よく話してゐます。

p50
【17.9.29】お元気ですか。小生去る十日に帰京、その後、詩を書いたり雑用を整理したりして日をすごしました。これから少し借金払ひの仕事をせねばならぬと思つてゐます。日本は大変な時にさしかかつてゐるのに、 全般的に緒戦の勝利に酔つて安閑としてゐるところが多い。出版文化も今の状態では仕方がありませんね。聯詩社も全日本聯詩集の出版と同時に積極的にやり出しませう。福士さんはどうしてゐられますか。 講演會は来年のことにして、帰京された方がよいと思ひます。お會ひの節、お傳へ下さい。小生も[年年]はもう出かける余裕がなくなりました。くろしほぶり五十篇ほど書きました。年末本にします。

p51
【17.11.16】こちらも寒くなりました。いかがお暮しです。詩人同志會社『青年朗吟集』の編輯を終りましたが、今度はいよいよ『全日本聯詩集』の編輯にかかります。くろしほぶりを作る人もぼつぼつでてきました。 来春は十人ぐらゐで、くろしほぶり選を出したいと思つてゐます。貴兄も折にふれては書いておいて下さい。聯詩社の哲学者二三人で、いま聯哲学の構想をしてゐます。うみの哲学者■弁証法の人たちが「むすび」「なる」を説くに対してはこちらは「かため」「なす」を主張し、 弁証法の二元論、全弁証法の一元論に対してはこちらは多元論に立ちます。聯詩社の「むすび」は■弁証法の人たちと違ひ、聯詩社の不連続の連続は弁証法の人々と違ふところを明らかにせねばならぬわけです。

p52
【17.11.18】『文庫』(三笠書房)の十一月号に「秋の詩」といふ一文をおくり、貴詩「白菊の門」を紹介しておきました。お序での節、御覧下さい。『文庫』の記者、廣■進君には貴兄の事を特に話しておきましたから散文でも聯でもくろしほぶり(※黒潮振り)でもできたときには寄稿してやつて下さい。 福士さんどうしてゐらつしやいますか。国防文化協会はつぶれかけてゐます。今、再出発しなければ、もうどうにもならないでせう。會つたらよろしくお傳へ下さい。一度帰郷した方がよいと思ひます。

p53
【17.12.26】いよいよ聯詩人が活躍するときがきました。今日某書店から『全日本聯詩集』を出版することに決定しました。貴下には詩集は勿論のこと、論説欄に「聯詩音数律論」を十枚御執筆願ふことにしました。〆切は来月十五日です。 御都合折りかへし御返事下さい。十二月二十五日 佐藤一英

p54
【18.1.11】音数律論、実に手ぎわよくまとまり、結構と存じます。この夏休には是非「日本詩歌音数律論」を三、四百枚お書きなさい。小生必ず出版書店を見つけます。小生の『聯の詩学』も今年中には出せさうです。
聯は小生が選をする筈ですが、なるべく新作を多く入れたいので二三篇でもお送り下さい。『全日本聯詩集』の出版や(※屋)は大阪の湯川弘文社です。小生の『日本美の再建』といふエつセイ集もここから出ます。 これは近々校正が出るところまで行つてゐます。

p55
【18.2.6】寒日あけましたが、寒い事です。そちらは格別でせう。御面倒ですが林檎を二箱お願ひしたいのですが、木村氏(木村弦三)へお話下さいませんか。木村氏へも手紙は出しましたが、よろしく願ひます。『始の書』荘厳篇を二十篇書きました。 今月中はこれの整理に没頭します。みな風邪ひきで困つてゐます。お宅も注意して下さい。

p56
【18.3.8】その後御皆様お変り御座いませんか。御地はまだお寒い事と存じます。佐藤も半月程風を引いて居ましたが咳をしながら聯詩集の編輯をいたしました。十日頃には本屋へ渡すことになつてゐます。それから又御面倒なお願ひで御座いますが、 先日は木村さんへ又リンゴをお願ひ致しまして送つて頂きましたが、おネダンをお尋ねいたしましたも御返事がいただけませんので困つて居ます。又時々お願ひしとう存じますので、ちやんと請求書をお出し下さいますやう御貴殿様からお話願ひ度う存じます。 どうぞよろしくおたのみ申し上げます。かしこ

p57
【18.4.5】その後お変りありませんか。拙作『一の賦(※はじめのうた)』昨夜記念放送されましたが、おきき下さいましたか。AK(JOAK)としても全く新しい企劃によつたものでした。おききでしたらAKへ感想おもらし下さい。 一度そちらへ行つてみたくなりました。「国民詩の夕」といふやうな小集會をやつて貰へませんか。こちらからは小生の外に田辺若男氏が行くことにしたいと思ひます。講演と朗読者が一人づつ行くわけです。 汽車賃と宿料とを出して貰へば田辺氏も承知するだらうと思つてゐます。聯が澤潟久孝氏の女学校教科書に出ました。そちらの女学校でも講演したいと思ひます。この方は謝礼を貰ひたいものですが…。先日木村しげし君にあひました。

p58
【18.5.17】拙著『日本美の再建』に貴家の詩を掲載しました(※「夜」137p)。御購読御利用下さい。

p59
【[18].8.15】今は幹事会で長びいてゐた貴下の詩部会入会の手つづきをおへました。同時に詩人挺身運動の青森地区の地方委員になってもらふ事になりました。貴下よりもう一人委員を推薦してもらふ事になりますが、 その節には山崎琢水(山崎勇)君を御推薦願ひます。文学報国會の今までのすゐせん方法をあらためさせ、今日一度に事をきめてしまったのです。いづれ會から手紙がゆきます。

p60
【19.2.】新国民詩協會のためには、小生も維持會員となって、大いに働くつもりです。貴下が維持會員になって下さることを期待します。佐藤一英
 一戸謙三様(※「新国民詩協會」趣意書・規約・入会申込書を同封)

p61
【19.8.31】前略、御返事に接しませんが、小生来月三日、田舎(尾張)へ帰省。九日上京。十日、春山行夫君の結婚(※この年前妻を亡くし再婚)の仲人として式に列席。そのあとで一行と一緒か或は一人でそちらの講演會におもむきます。そのやうに予定を立てていただくとありがたいです。 つまり来月十二三日から四五日の間に講演會がすむやうにして下さい。月末満洲ゆきの前に東京での準備もありますから。八月三十日(※渡満1944年10月初旬から11月末。)

p62
【19.9.5】前略、予定変更にて、小生七日に帰省して、十三日に上京と決定しました。十三日前にそちらの講演會があるやうでしたら田舎の方へ(愛知県中島郡萩原町高松の佐藤一英)宛、電報を下さい。近頃毎日忙しく、原稿を清書する暇もなしでゐます。 しばらくジャーナリズムともおわかれです。九月五日

p63
【19.9.12】尾張知多半島へ来ました。用を足しながらあちらこちら旅してゐます。御地の講演会はいつそ十一月頃にしませんか。小生も満洲からかへつてゐませう。

p64
【[19].9.21】「津軽には秋いかならむ 月はなき草の葉風に 遂に會はぬ人を思ふ 土の壁 蟲なほ近く 一英」

p65
【20.6.15】御元気ですか。昨日、文報(文学報国会)の連絡幹事會に出て、二つの提案をして可決となりました。第一は、文報の機構の簡素化。これは急速にさうする事となり、連絡幹事會が、文報の推進隊となる事になりました。つぎは十代の天皇の御製より、祈禱のものを中心に謹選し、 決戦下の国民におくること。これもまづ明治天皇のものをはじめとして、実行することになりました。謹選の上はラヂオ、新聞でひろめます。
 すでに雑誌、パンフレットさへ用をなさなくなりました。われわれの国民信仰確立運動も旺文社が全面的に協力してくれる事になりましたが、四つの雑誌はみな焼けてしまって、小生の詩や文章も消えてしまひました。同封のきりとり(不詳)は先月号のものです。まだ一種だけは出してゆくといってゐますが、いつまでつづけられるかわかりません。
 われわれには、祈りつつ行ふ、これだけがのこされてゐます。これは国民とても同じことです。ただ、われわれは信仰の基礎を一声のまことによって、確立することを、どこまでも強力につとめ、詩人の最後の御奉公を完うしたいと思ひます。文報での提案もこれでした。
 すでに東海軍管区内の工場にはいくつか、われわれの同志の推進隊が「まがね會」といふやうな名称のもとに活動を始めてゐます。そちらにもかうしたものができる事を切望してやまず。行動による率先垂範、これだけが国民をひっぱってゆく力です。わたくしは、それを、昨年、九月、渡満の前に『文学報国』に投書しておきました。「まこと一すぢ」この一文が、いまごろになって掲載されてゐます。しかしわれわれは最後まで志をすてません。 雑誌社もだめ、文報もだめ、になっても、われわれ同志の活動はつづけたいと思ってゐます。

 すでに都の残存家屋には、敵のバクダンの集中攻撃がはじまりました。われわれの学問と藝術とを護る意味で、福士、渡辺の長老に、疎開をすすめてゐます。そちらでもおよびを願ひます。東京は、はげしい戦場と化しつつあります。 今後は軍管区単位で活動する事になりますので(これは文報でも立案実行化中)、われわれの若い同志にも、お召しのないものには参軍管区にかへって、そこが戦場化するまで、まこと、まごころの道を説いてくれるやうに頼んでゐます。

 長男は今春、予科練で、入隊しました。こんど特攻隊を志願したさうです。小生に一つの人情をゆるしてもらへるなれば、長男よりさきに死にたいことです。しかし、一切は神意のままです。六月十五日 
                  京都にて 佐藤生
 一戸兄


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