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ふかお すまこ【深尾須磨子】 (1888年11月18日 - 1974年3月31日)
ふかお ひろのすけ/ひろのじょう【深尾贇之丞】 (1886年3月19日〜1920年8月24日)
※深尾須磨子はひろのすけ/郷里ではひろのじょうとよんでゐるやうである。
(2019.07.27 update)
墓碑 (岐阜市太郎丸)
【参考文献】
『深尾須磨子 : わが青春』 高野芳子著. -- 無限, 1976
『岐阜市史 通史篇 近代』平光善久著. -- 岐阜市, 1981 「第5章 文化 第1節 文芸 3.詩と歌謡 近代詩から現代詩へ」909-911p
「岐阜県の近代詩人 1」『郷土研究岐阜』63号 平光善久著. -- 岐阜県郷土資料研究会, 1992.10 6-7
『深尾須磨子 : 女の近代をうたう』逆井尚子著. -- ドメス出版, 2002 「深尾贇之丞の詩」12-22p
『漢詩閑話 他三篇』中村竹陽著. -- 関市千疋メインスタンプ,1991 「竹陽の時代」275-277p
2013.7.7 岐阜新聞8面 「ぎふ快人伝」
深尾須磨子はがき : 昭和11年5月瀧口武士宛
【略歴】
明治19年3月19日 岐阜県山県郡厳美村太郎 丸(現 岐阜氏太郎丸)の旧家の一人子として生まれた。祖先は太郎丸城主深尾和泉守。
明治24年 5歳のとき濃尾震災おこり、父友 太郎、祖母志よう圧死。
明治27年 祖父分家。(母子2人となり、関市千疋の母方伯父 中村嘉市が以後、後見人として財産を見守った。)
明治33年 岐阜県立岐阜中学校入学。校友会誌「華陽」に斥妥、杜若里人、ひさ雄等の筆名で詩、訳詩、短歌、論説などを発表。
明治38年3月 岐阜県立岐阜中学校卒業。
明治39年9月 第六高等学校(岡山)大学予科一部法文科入学。
明治40年9月 第三高等学校大学予科二部 工科へ転学。嶽水会雑誌部理事を勤め、深尾巣阜の筆名で作品を発表。
また記念祭歌などを茅野蕭々教授のもとで作詞した。
明治43年 24歳のとき母死亡。
明治44年7月 第三高等学校大学予科二部 工科卒業。
明治44年9月 京都帝国大学工科大学機械 工学科入学。
明治45年4月 親戚の反対をよそに、川口 孫治郎夫妻の媒酌で萩野須磨子(幼名志げの)と結婚。
贇之丞26歳。須磨子24歳。川口は須磨子の京都師範学校の恩師にして理解者。
大正3年7月 京都帝国大学工科大学機械 工学科卒業。鉄道院(後の鉄遣省)工作局技術部勤務。
大正4年6月 官制改正工作局車両課勤 務。
大正4年7月 九州鉄道管理局(門司) 工作課勤務。
大正5年9月 工作課車両掛兼小倉工場勤 務。
大正5年11月 本省工作局車両課に戻 る。松戸園芸学校活気寮寮歌作成。
大正7年春 東京日日新聞(現在毎日新聞)主催国詩募集作「壁に畫きて」 が一等当選。賞金100円受賞。
大正9年夏 伯父中村嘉市の訃に赴いた帰途、雷雨に遭ひ風邪をこじら せ急性肺炎となる。須磨子の40日の看病もむなしく8月24 日、岐阜病院にて長逝、35歳。
川路柳紅の詩誌「現代詩歌(曙光詩社)」での活躍が期待された矢先のことであった。
こののち須磨子は夫の財産をめぐって単身親族と渡り合ひ、相続に成功すると殆どを換金、
墓碑を建立して養子を定めると岐阜に残し、自身は夫の遺志を継いで新時代の詩人として出発した。その後の活躍は衆目の見るところである。
そして生涯二度と岐阜へ展墓に訪れることはなかった。
大正10年8月 妻須磨子、『天の鍵 (遺稿詩集』を出版(序文森林太郎、跋文与謝野晶子)。
令和元年 墓碑が設置場所より吉祥寺内に無縁仏として移動されていることが明らかになった。
【著作目録 全文画像データ】 (深尾幸雄氏の探索に拠る) 2008.10.22up
雑誌 |
年月 |
題名 |
巻 |
頁 |
筆名 |
所属 |
華陽 |
明治34年7月 |
亡友を想ふて |
- |
- |
深尾斥妥 |
岐阜中学2年 |
華陽 |
明治34年7月 |
余の最も愛せぬ人に |
- |
- |
斥妥 |
岐阜中学2年 |
華陽 |
明治34年12月 |
秋の野 |
- |
- |
深尾斥妥 |
岐阜中学2年 |
華陽 |
明治34年12月 |
第一賞◎秋 |
- |
- |
第二年級深尾贇之丞 |
岐阜中学2年 |
華陽 |
明治35年3月 |
歎冤枉 1 2 |
- |
- |
斥妥 |
岐阜中学2年 |
華陽 |
明治35年8月 |
峡の横雲 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学3年 |
華陽 |
明治35年8月 |
夜の悲劇 1 2 |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学3年 |
華陽 |
明治35年8月 |
野調 |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学3年 |
華陽 |
明治35年8月 |
成蹟調(狂言) 1 2 3 4 |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学3年 |
華陽 |
明治36年3月 |
關陽曲 1 2 3 4 |
- |
- |
杜若里人 |
岐阜中学3年 |
華陽 |
明治36年3月 |
愛ででぞ棄つれ |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学3年 |
華陽 |
明治36年3月 |
友情無情 1 2 |
- |
- |
杜若里人 |
岐阜中学3年 |
華陽 |
明治36年3月 |
聖花和栽 |
- |
- |
杜若里人斥妥謹譯 |
岐阜中学3年 |
華陽 |
明治36年7月 |
晩鐘 1 2 |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治36年7月 |
忍び音 1 2 3 |
- |
- |
杜若里人 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治36年12月 |
剋魔吟(キシ子ッフ街上の悲劇) 1 2 3 4 5 6 7 |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治36年12月 |
荒村行(七言重対律詩) |
- |
- |
斥妥謹譯 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治36年12月 |
聖花和栽(第三稿) |
- |
- |
杜若里人斥妥謹譯 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治36年12月 |
乞食聟(狂言) 1 2 3 4 5 6 7 |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治37年3月 |
紅日 1 2 |
- |
- |
ひさ雄 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治37年3月 |
紅薔薇(驪歌にそえて贈れる) 1 2 |
- |
- |
ひさ雄 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治37年3月 |
聖歌和栽(第四稿) |
- |
- |
杜若里人斥妥謹譯 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治37年3月 |
喜劇いすかの嘴 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 |
- |
- |
斥妥生譯 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治37年3月 |
樂界漫録(節録39則) 1 2 3 4 5 6 |
- |
- |
ひさ雄 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治37年3月 |
岐阜新報に望む |
- |
- |
斥俗妥禅樵夫 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治37年3月 |
文壇時言 1 2 3 4 5 6 7 |
- |
- |
斥俗妥禅樵夫 |
岐阜中学4年 |
華陽 |
明治37年12月 |
終焉の微笑 1 2 3 4 |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学5年 |
華陽 |
明治38年3月 |
進化の理より道徳的行為の動機一元(本能)及び對象歸一(自愛)を論ず(未定稿) 1 2 3 4 5 6 |
- |
- |
深尾斥妥生 |
岐阜中学5年 |
華陽 |
明治38年3月 |
おさらば 1 2 |
- |
- |
深尾斥妥 |
岐阜中学5年 |
華陽 |
明治38年3月 |
華陽三十六号を讀む 1 2 3 4 5 |
- |
- |
斥妥生 |
岐阜中学5年 |
華陽 |
明治38年7月 |
進化の理より道徳的行為の動機一元(本能)及び對象歸一(自愛)を論ず(未定稿)承前 1 2 3 4 5 6 7 |
- |
- |
深尾斥妥生 |
(賛助会員) |
華陽 |
明治38年7月 |
新に分離せる「諾威」に與ふ 1 2 |
- |
- |
斥妥生 |
(賛助会員) |
華陽 |
明治38年12月 |
鴉 1 2 3 |
- |
- |
斥妥生 |
(賛助会員) |
華陽 |
明治38年12月 |
「森の稚見」(紅郎氏訳)を評す 1 2 3 4 5 6 7 8 9 |
- |
- |
斥俗妥禅樵夫 |
(賛助会員) |
華陽 |
明治38年12月 |
花 |
- |
- |
巣阜庵主斥妥 |
(賛助会員) |
華陽 |
明治38年12月 |
華陽前號短評 1 2 3 |
- |
- |
巣阜庵主人 |
(賛助会員) |
華陽 |
明治39年3月 |
馬 1 2 3 4 5 |
- |
- |
巣阜子 |
(賛助会員) |
華陽 |
明治39年3月 |
あしたの歌 |
- |
- |
巣阜庵 |
(賛助会員) |
華陽 |
明治39年10月 |
緑 |
- |
- |
巣阜庵斥妥樵夫 |
六高1年 |
華陽 |
明治39年10月 |
余の動機一元對象歸一論に關する松尾峻浪漁史の評に答ふ 1 2 |
- |
- |
巣阜庵斥妥 |
六高1年 |
華陽 |
明治39年10月 |
化学方程式作成秘訣 1 2 3 4 5 |
- |
- |
巣阜庵 |
六高1年 |
華陽 |
明治40年4月 |
岡山通信 1 2 3 4 5 6 |
- |
- |
深尾贇之丞 |
六高1年 |
華陽 |
明治40年4月 |
暮れ行く二見が浦に對して |
- |
- |
巣阜庵斥妥樵夫 |
六高1年 |
嶽水會雜誌 |
明治40年12月 |
暮れ行く二見が浦に對して 1 2 3 |
38 |
93-97 |
巣阜庵斥妥樵夫 |
三高1年 |
嶽水會雜誌 |
明治41年3月 |
長恨哀歌 1 2 3 4 |
39 |
77-83 |
深尾巣阜 |
三高1年 |
嶽水會雜誌 |
明治41年3月 |
にきほ |
39 |
83 |
巣阜 |
三高1年 |
嶽水會雜誌 |
明治41年6月 |
夏水木 1 2 |
40 |
49-51 |
巣阜 |
三高1年 |
嶽水會雜誌 |
明治42年12月 |
壁畫 1 2 |
44 |
73-75 |
深尾巣阜 |
三高3年 |
嶽水會雜誌 |
明治43年12月 |
ラ、モー、イムモーテル 1 2 3 4 5 6 7 |
47 |
45-56 |
巣阜生 |
三高4年 |
嶽水會雜誌 |
明治43年12月 |
私の耳に響く音樂(京極の晝の印象 試合後の野球場 瓦斯瓶の半音階 蜘と楓との藝術) 1 2 3 |
47 |
81-85 |
巣阜生 |
三高4年 |
嶽水會雜誌 |
明治43年12月 |
二十鳥 |
47 |
88-89 |
巣阜生 |
三高4年 |
嶽水會雜誌 |
明治44年3月 |
柊の葉 |
48 |
103 |
巣阜生 |
三高4年 |
作詞 作曲 |
明治44年 |
記念祭歌 |
- |
- |
- |
- |
作詞 |
明治44年 |
記念祭歌 |
- |
- |
- |
- |
作詞 |
明治44年 |
野球部歌 |
- |
- |
- |
- |
作詞 |
明治45年4月 |
野球部祝勝歌 |
- |
- |
- |
- |
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