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| Å |
|\⌒⌒⌒\ 薮蛇でした。
\|⌒⌒⌒⌒|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
予約したはず……です””
りょくとさんが原稿の一部をちらっと送ってくださったのですが、
きっとスタンダードワークになりそうな予感。楽しみ〜〜 ^ ^
(お役にたてずにすみませんでした。。。)
で、やすさんも書かれたんでショ? ふふふ……。
参りましたっっっ。 _| ̄|○
と思ったら、リンク切れてて(?)助かりました ^^”
また何かこのボードにふさわしい本をみつけて
出直して来ます〜〜。”
(赤いくせに黒いですね〜〜)
Å
( ‐◇‐) …………たぶん こ のひと。
( つ旦O
と_)_)
ほら、あそこですよ(笑)
“「あはれむなしきさすらひの…」で始まるこの詩のタイトルを知りたい。”
名前も名乗られず、三好達治そっくりのお声でいきなり電話で訊ねられてもこちらは仕事中のことゆゑ、来館者や同僚の目もあり、受話器片手にどうお答へたら よかったかしらん。とりわけ七五調に弱いのですが、このホームページを頼りにレファレンスされたとしたら、なんとも恥ずかしいことです。有名な作品も知ら ないものだから。ごめんなさい。さうして不取敢お電話でも御案内した『日本現代詩大系』の索引を今しがた一覧したものの、ありませなんだ。白秋か春夫か達 治かと思ったのだけど。以上事後報告。どなたか御教示下さい。
サーニンさま、メールで教へて頂いた指導教官の先生の退職記念パーティーのHP、(酔っぱらって赤い顔)って、どこにをられるのでせうか(笑)。
わずか1800円でも悩むことがあるのです。
というか昨日はアルコール代に消えてしまったのでした。
どうも消費の優先順位がちがうのかも(汗)
サーニンさま
“やっぱしやめておいたほうが良かったかと、すこし後悔。”といふ本もありますけど、\1800なら後悔しようがないですね。「ツーショット」の件は表 で。(笑 さうか、あちらが“表”だったか。)
それから隊長(おそらく隊長)、はやくホームページ再開してくださいね。
フジムラ セイイチ【藤村 青一】『秘奥』1950/不二書房(大阪)/92p並製/19x13cm/\120/函
以前ゴキった『保羅』に続く第二詩集。ちなみに後記によれば『詩人複眼』(随想集)1940/不朽洞(大阪)という本もあるとのことながら未見。さらに余 談ですが藤村青一は昭和10年頃から藤村誠一で執筆するようになりますが、戦後にはまた藤村青一に戻ってます。はて。
やすさま
毎日ご活躍のことと存じますが……、お忙しいのかしらん。
ますますご健闘のことと存じます。
下の『夜行雲』、縦書きもいいですね〜〜。
少し前の『鳥』写真もいただいてしまいました。
さすがにみんないい顔してますね〜〜。
(こちらは「書癡」管理人さまにもこの場をお借りしてお礼申し上げます)
きょう、ふと立ち寄ったところで、
淺野晃『現象詩集』の森亮宛献呈本が1800円。
他に欲しいのが何冊かあったので見送ってしまいましたが、
やっぱし手に入れておいたほうが良かったかと、すこし後悔。うむむ。
どうしようかな〜〜。あしたもう一度寄ってみようかな……。
(十中八九、もうなくなっているでしょうが)
ところで表の「40男ツーショット」、
どちらがやすさんなんですか?
横浜の大庭様といふ未見のプログラマーの方より、「夜光雲」を縦書きPDFに変換して下 さったものをメールにてお 送り頂きました。やはり美しい活字で縦書きになったものを読むと、印象がちがひますね。大庭様ありがたうございました。返信でもお願ひ致しましたが、ホー ムページ上にも張り付けさせて頂きます。
(1.79mb, 794p!でっかいよん。)
臨時暫定ゴキ99号さま、情報ありがたうございます。
またかわほり堂さんより本到着、「下谷叢話」に感謝。
本日帰宅すれば「稀覯本の世界」管理人様より宅急便が予告なく到着。中身はなんと『風 死なず』(1948東京玄 文社)と『天と海』(1965翼書院)といふ、NHK大河ドラマみたいな名前の詩集が二冊! 例のゴキたん“浅野晃資料一括”の中から、詩人としての出発 点と到達点であるところの、一番集めづらい初版本を頂いてしまひました。ことにも
われらは みな
愛した
責務と
永訣の時を
といふ一節が詩碑にも刻まれて名高い『天と海 英靈にささげる72章』は、日本浪曼派の同志・中谷孝雄宛の毛筆献呈著名入!これはすごいな。ホントによ ろしいのでせうか?(って、さっき電話で御礼述べてたぢゃないか。笑) ありがたうございました。
さて、一緒にお送り頂いた「國語國文」(立正大学國語國文学会Vol.12,1976浅野晃教授退職記念号)をみて知ったのですが、“いまもって文業全 般にわたる形式的なアウトラインさへ引かれて”ないなんて書いておきながら、そこにはすでに根本正義氏による「浅野晃先生著作目録」(7-26p)が、 みっちりと掲載されてをり、(恥&汗)。(;^Q^A 大学紀要なので、中村一仁様はすでに御存知のことだったでせうが、参考まで。
さらに蛇足しますと国文学論文目録データ ベースで調べましたらこの目録にはさらに「補遺・訂正」(Vol.14,1978神崎晃氏)も存在してゐるやうです(このへん、転んでもただでは 起きない図書館員)。
ともあれ(ふたたび)ありがたうございました。大切に致します。
アサノ アキラ【淺野 晃】『小句作』(選評)1960/國策パルプ工業株式会社/61p/18.1cm並製/非売
あと二箱は面倒だから箱も開けずに止め。
アサノ アキラ【淺野 晃】『現代日本詩集』(編著)1968/新学社(新学社文庫)/250p/17.3cm並製/\200
アサノ アキラ【淺野 晃】『殉国の教育者(評論)』(編著)1971/日本教文社/256p/18.8cm並製カバー/\500
なかなか誰も持ってなささう なと ころ突いてきましたネ。
アサノ アキラ【淺野 晃】『尊皇歌人撰集勤皇烈士篇,學者篇(評論)』1943/文松堂書店/2冊/22cm
↓
アサノ アキラ【淺野 晃】『尊皇歌人撰集勤皇烈士篇(評論)』(共編)1943/文松堂書店/12,260p/21.2cm上製カバー/\2.50
アサノ アキラ【淺野 晃】『尊皇歌人撰集勤皇學者篇(評論)』(共編)1943/文松堂書店/8,402p/21.2cm上製カバー/\4.50
アサノ アキラ【淺野 晃】『中里介山と「大菩薩峠」(講演集)』1981/島田久/23p/21.0cm並製/非売
アサノ アキラ【淺野 晃】『現代を生きる(評論)』1978/高文堂出版社(高文堂新書20)/156p/17.2cm並製/\750
>さういへば『昧爽』「浅野晃ノート」続編はどうなったのでせうね。
全く申し訳ありません。第5号も休載しましたが、第6号から連載再開の予定です。第6号の第3回目は、淺野の天心論について書くつもりです。特に、盟友だ つた保田と淺野が、よく比較すると天心論において明らかに態度が違つてゐることを指摘したいものと思つてゐます。淺野論、資料の読み込みが大変で、はつき り言つて、苦労の連続です。
やす様
ご無沙汰致してをりますが、如何お過ごしでせうか。月末には村上一郎特集号の「昧爽」第五号
が出る予定です。また献呈させていただく所存です。ご叱正賜りたく存じます。
さて、ゴキ様の淺野晃の一連の書誌、興味深く拝読させていただきました。自慢めいて聞こえてしまふのが嫌ですが、私は淺野の『幻想詩集』も『共産病患者の 病理』も『曠原』も持つてゐます。特に詩集や歌集はいづれも素晴らしいもので、現在の「全詩集」よりさらに一歩も二歩も踏み込んだ著作集の刊行を強く望ん でゐます。そんな私には、一連の書誌のカキコ、大変うれしく拝見した次第です。
ところで、淺野の著書が大量入荷した古書店つて、どこですか。差し支へなければご教示賜りたく存じます。淺野の著作は全生涯で200点を超えると言われ、 保田與重郎の高弟で新学社社長の高鳥賢司さんが生前、「淺野先生の全集を出したら、(保田)先生の全集より巻数が多くなる」と言はれてゐたことが思ひ出さ れます。
その淺野晃を顕彰する式典「天と海忌」がきたる7月24日、北海道苫小牧市のホテルで開催されます。3年前に穂別町で開催された折には、桶谷秀昭氏が講演 を行いましたが、今年は保田與重郎研究の草分けの一人でもある神谷忠孝氏(北大名誉教授)と、晩年の淺野の立正大学での「語る会」に参加し続け、その講演 録をノートに書き残した野乃宮紀子氏が、淺野の業績や人柄を語る予定となつてゐます。詳しくは穂別町教育委員会の斉藤征義(さいとう・まさよし)さん рO1454・5・2111まで。ご参考になれば幸甚です。
末筆ながら、ますますのご健筆とご活躍を記念申し上げます。
サナダ キシチ【眞田喜七】『白檀』1957/昭森社/141p/18.3cm上製函/\350
トミタ サイカ【富田砕花】『末日頌』1915/岡村盛花堂(盛岡)/394p/20cm函
↓
トミタ サイカ【富田砕花】『末日頌』1915/岡村盛花堂(盛岡)/378,15,9p/20.3cm上製函/\1.20
サナダ キシチ【眞田喜七】『誕生と死』1942/山雅房/156p/19cm四六版上製函
↓
サナダ キシチ【眞田喜七】『誕生と死』1942/山雅房/156p/18.8cm上製函/\1.80
>ゴキ隊長さま。
そりゃ飽きるでせう。(;^δ^A お疲れ様でございました。
>ぐれむん様。
本日お昼は職場へ“いきなり生電話”びっくりいたしました。
行動パターンが本当に隊長とおんなじですねー。(;^∀^A
で、文献のFAXをありがたうございました。御礼メールにも書きましたが今しばらくブンガクに身が入りませんのでコメントは後日。
でも原稿だけはなんとか致します。>人魚通信編集局さま。
アサノ アキラ【淺野 晃】『<青春の伝記>芥川龍之介』1967/鶴書房/281p/19.4cm上製函/\420
「稀覯本の世界」HPから提供頂いた、神保光太郎詩集『鳥』出版記念会(昭和15年2 月)の写真をupしました。
大変大きな画像ですので、各自取り込んで見てみて下さい。
ありがたうございました。http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/tanaka/album/Pict0212.JPG
アサノ アキラ【淺野 晃】『岡倉天心論攷(評論)』1939/思潮社/364,4p/19.0cm上製函/\2.10
アサノ アキラ【淺野 晃】『ホイットマン詩集(訳詩)』1950/創人社(世界名詩選集)/294p/18.7cm並製/\150
アサノ アキラ【淺野 晃】『岡倉天心(評論)』1958/明徳出版社/166p/18.3cm上製バー/\200
アサノ アキラ【淺野 晃】『草原』1976/立正大学國文研究室同窓会//
↓
アサノ アキラ【淺野 晃】『草原』1976/立正大学文学部國文学科同窓会/79p/18.5cm上製カバー
アサノ アキラ【淺野 晃】『剣と美-私の岡倉天心(評論)』1972/日本教文社/246p/19.5cm上製カバー/\680
アサノ アキラ【淺野 晃】『岡倉天心論攷(評論)』1989/永田書房/269p/21.1cm上製函/\2060
アサノ アキラ【淺野 晃】『現代を生きる(評論)』1957/明徳出版社/155p/18.6cm上製/\160
アサノ アキラ【淺野 晃】『ものぐさ手帖(随筆)』1982/経済往来社/285p/19.5cm上製カバー/\1800
>直ってない
人魚通信原稿の書き直し・校正が思ひやられますね。(ρ_・)ねむい・・・
アサノ アキラ【淺野 晃】『詩歌と民族(評論)』1936/平凡社/4、245p/18.2cm並製/\1.20
手元の本は1941年なんだけど1936年にもあるの?
失礼しました。
関西では常識な事項なもんでして。記念館とは富士正晴さんの死後、あの竹林の庵に残った遺品を全て所蔵している大阪の「富士正晴記念館」のことです。
膨大な量の資料が大冊の資料集として今でも出版され続けております。
今回の雑誌には伊東静雄氏が富士さんに出した長尾良氏と「ぐろりあ・そさえて」に関する書簡と献呈された詩集『反響』の写真が転載されていました。
アサノ アキラ【淺野 晃】『ワアヅワアス詩集(訳詩)』1950/酣燈社(詩人全書)/223p/15.7cm並製/\100
アサノ アキラ【淺野 晃】『戦記物語の女性』(日本人のための国史叢書5)1965/日本教文社/4、218p/19.5cm上製カバー/\380
ぐれむん様おしさしぶりです!
その京都の雑誌「SUMUS」の 一件、
VIKINGとはたしか同人誌で“富士さん側”といふのは、ぐろりあそさえてとの関係は存じませんけれども富士正晴のことですね。でも“記念館”といふの はどこの記念館のことでせう。文庫中毒様、これ以上は買はないとわからないみたいですよー。
ゴキ探隊長さま、
さきほど浅野晃本を検索しましたら国会図書館で156件ヒットしました。もしかしてお手持ちはコンプリート、もしくはそれ以上?!
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フフフ。 く ` 「まぁな。」
eー |
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|語気鍛隊|/
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ごぶさたしております。
ゴキさんの淺野 晃書誌改訂の最中に申し訳ありません。
明日、発売予定?の京都の雑誌「SUMUS」12号 特集 小出版社の冒険に中尾務氏が「ぐろりあ・そさえて、再興ならず」という一文を寄稿しておりま す。
文庫中毒さんが追求している時代のことが中心です。遺漏も多々ありますが、
富士さん側から調査することを全く忘れておりました。
時間が出来たら、僕も記念館に調査に行ってみます。
とにかく、報告まで。
アサノ アキラ【淺野 晃】『歴史の精神(評論)』1940/黄河書院/296p/18.5cm並製カバー/\1.70
\1.60
アサノ アキラ【淺野 晃】『橘曙覧(評論)』1944/講談社/376p/19cm
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アサノ アキラ【淺野 晃】『橘曙覧(評論)』1944/大日本雄辯會講談社/4、376p/18.5cm上製カバー/\2.40
アサノ アキラ【淺野 晃】『國民文學論(評論)』1941/高山書院(高山叢書)/282p/19cm
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アサノ アキラ【淺野 晃】『國民文學論(評論)』1941/高山書院(高山叢書)/282p/18.5cm上製/\1.60
アサノ アキラ【淺野 晃】『ジャワ戡定餘話(評論)』1944/白水社/236p/18.3cm上製/\1.80
アサノ アキラ【淺野 晃】『青春の再建(評論)』1941/實業之日本社/282p/18.6cm上製カバー/\1.80
アサノ アキラ【淺野 晃】『詩歌と民族(評論)』1936/平凡社/245p/19cm
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アサノ アキラ【淺野 晃】『詩歌と民族(評論)』1936/平凡社/4、245p/18.2cm並製/\1.20
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アサノ アキラ【淺野 晃】『詩歌と民族(評論)』1941/平凡社/4、245p/18.2cm並製/\1.20
アサノ アキラ【淺野 晃】『詩歌と民族(評論)』1936/平凡社/245p/19cm
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アサノ アキラ【淺野 晃】『詩歌と民族(評論)』1936/平凡社/4、245p/18.2cm並製/\1.20
アサノ アキラ【淺野 晃】『西洋二千年史(評論)』1941/第一書房/314p/19cm
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アサノ アキラ【淺野 晃】『西洋二千年史(評論)』1941/第一書房/16、314p/18.2cm並製/\0.78
アサノ アキラ【淺野 晃】『英雄色を好む(随筆)』1961/大樹書房/6,268p/18.2cm上製カバー/\320
アサノ アキラ【淺野 晃】『明治の精神(評論)』1942/新潮社(新潮叢書)/2,230p/18.2cm並製/\1.00
アサノ アキラ【淺野 晃】『贖(小説)』1952/東光書房/323p/18.4cm上製/\230
アサノ アキラ【淺野 晃】『晩濤篇』1977/倭寇社/53p/22.2cm上製函/\1500
アサノ アキラ【淺野 晃】『曠原(歌集)』1952/淺野晃歌集刊行會(北海道勇払)/257p/17.6cm並製/\250
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アサノ アキラ【淺野 晃】『曠原(歌集)』1952/淺野晃歌集刊行會(北海道勇払)/257p/17.6cm並製カバー/\250
アサノ アキラ【淺野 晃】『草原』1976/立正大学國文研究室同窓会//
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アサノ アキラ【淺野 晃】『草原』1976/立正大学文学部國文学科同窓会/79p/18.5cm上製カバー
アサノ アキラ【淺野 晃】『天と海 英靈にささげる72章』1965/果樹園社(果樹園叢書)//B5版上製
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アサノ アキラ【淺野 晃】『天と海 英靈にささげる72章』1965/翼書院(果樹園叢書)/92p/23.4cm上製カバー函/\870
隊長、浅野晃大量入荷ですね(笑)。もしかしたら現在拙HPのindexにもみられな い新規書誌の追加なんかも ありますでせうか(『幻想詩集』1974/不動工房(岐阜刊)なんて文字通りの幻の詩集もあるやうです)。戦前戦後を通じて時代の振幅を激しくゆり動いた この詩人には、いまもって文業全般にわたる形式的なアウトラインさへ引かれてをりません。殊にも全詩集に著作目録が載せられなかったのは、本人の意向も あったかもしれませんが、杜撰な造本(印字が裏紙に写って読めないページもある)、趣味の悪い装釘とともに、残念な思ひが致します。変更明日update します。
さういへば『昧爽』「浅野晃ノート」続編はどうなったのでせうね。
「 U^ェ^U ひとのこと言えますか。人魚通信の原稿はやく書き直しなさい。」(汗)
アサノ アキラ【淺野 晃】『現象詩集』1972/果樹園社(果樹園叢書)//
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アサノ アキラ【淺野 晃】『現象詩集』1972/果樹園社(果樹園叢書)/81p/22.2cm上製カバー300部/非売
アサノ アキラ【淺野 晃】『箱船』1958/果樹園社//
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アサノ アキラ【淺野 晃】『箱船』1958/果樹園社/98p/17.8上製300部/\300
アサノ アキラ【淺野 晃】『風死なず』1948/玄文社//
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アサノ アキラ【淺野 晃】『風死なず』1948/玄文社/185p/15.0cm上製/\60
アサノ アキラ【淺野 晃】『光の中に歩む』1955/横山正明/159p/19cm
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アサノ アキラ【淺野 晃】『光の中に歩む』1955/横山正明/159p/18.8cm上製/\220
アサノ アキラ【淺野 晃】『觀自在讃』1970/私家版//A5版上製
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アサノ アキラ【淺野 晃】『觀自在讃』1970/私家版/66p/21.5cm上製函300部/\1000
アサノ アキラ【淺野 晃】『石川啄木』1950/祖國社///
アサノ アキラ【淺野 晃】『石川啄木』1950/祖國社/192p/18.4cm/上製/\160
アサノ アキラ【淺野 晃】『浪曼派以後(評論)』1941/協力出版社/284p/19cm
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アサノ アキラ【淺野 晃】『浪曼派以後(評論)』1941/協力出版社/284p/18cm/並製/\1.80
アサノ アキラ【淺野 晃】『流転詩集』1967/私家版//B6版上製
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アサノ アキラ【淺野 晃】『流転詩集』1967/私家版/84p/20.5cm上製カバー250部/\600
今月の復刻第二弾。 投稿者:やす 投稿日: 5月22日(土)22時15分56秒
今月の復刻、『東海詩集』につづく第二弾は椎の木アンソロジー『詩抄』の三冊です。絢 爛たる感性の浪費ともいふ べきアンデパンダンの作品群ではありますが、同じく遠心的ではあっても現代詩と同日に語るべき代物ではありません。言葉の切り口から香るのは、まさに戦前 モダニズムが宿す純真無垢の抒情。それを“椎の木社装釘本”特有の余白レイアウトと共に味はって頂くために今回、蝿頭文字の復刻にかなりの容量を費やしま した。
また本日は扶桑書房さんより注文の詩 集も到着。これはうれしいな。
して、ゴキ鍛隊長にはゴキ嫌よろしう(先程はお電話をありがたうございました)。画像忝く拝受仕候。休み明けにこれまたupの予定です。
サナダ キシチ【眞田喜七】『夜雨す(詩抄)』1944/神奈川縣詩文學會(横浜)/250p/19cm
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サナダ キシチ【眞田喜七】『夜雨す(詩抄)』1944/神奈川縣詩文學會(横浜)/250p/19cm上製カバー/限定200部/非売品
サナダ キシチ【眞田喜七】『夜雨す(詩抄)』1944/神奈川縣詩文學會(横浜)/250p/19cm
サナダ キシチ【眞田喜七】『夜雨す(詩抄)』1944/神奈川縣詩文學會(横浜)/250p/19cm上製/限定200部/非売品
クロダ コウゾウ【黒田耕造】『花茨』1940/アオイ書房/93p/20cm
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クロダ コウゾウ【黒田耕造】『花茨』1940/アオイ書房/93p/19.2cm上製/\1.50
「古書通信」五月号到着。人魚の嘆き様の連載。なかに次の一節、
“インターネットの古書検索でこの本は実に13冊もヒットし、価格は8万4千円から13万円である。これが8万4千円と13万円の二冊しか出ていなけれ ば、8万4千円の本は売れるチャンスが大きかろう。しかし13冊ヒットの時点で客の購買意欲は著しく減退する。”
その通りである。
なんでも開けっぴろげだと、ネット販売が拍車をかけてゐるとも云はれる現在の一般古書価の暴落は歯止めがかからないかもしれない。ものがありすぎて売れ るものも売れない。
その反対に目録で売れない稀覯本を晒し続けて平気な本屋さんがゐる。売った品物を適正価格で買ひ取ることができぬ店。捻った価格を付して本来売れるもの を売らない態度もまた、業界疲弊の要因をなしてゐるやうな気がしてならない。こちらはしかし、ものがなさすぎて、である。
バブルははじけるものとばかりはいへない。
「名古屋詩壇年表」のことなど 投稿者:やす 投稿日: 5月10日(月)22時57分24秒
「団体名義の著作物」でなければ、みみ様の仰言る"個人名義の著作物の集合体"といふ のは「共同著作物」といふ ことになりますね。いろんな詩派が混在するものの、団体の趣旨が郷土詩壇旗揚げのもとに明確であり、クレジットが団体名義である以上、これは共著ではなく 団体名義の著作物と呼んで差し支へないものと私は考へてをります。さきの投稿で申し上げましたが、“団体名義の著作物”のなか で指示される個人と は一体著作上の何を指すのか。それが自説の拠るところの全てでありますが、“それぞれの作者に著作権がない”と云ってゐるのではなく、それが新たに再録さ れれば個人の著作権下に改めて置かれる。たださういふことなのであります。ややこしい条文ですが、この付帯“備考”について著作権法のなかでは正式には、
【第53条の2】前項の規定は、法人その他の団体が著作の名義を有する著作物の著作者である個人が同 項の期間内にその実名又は周知の変名を著作者名として表示してその著作物を公表したときは、適用しない。
として明記されてをりました。
「名古屋詩壇年表」のことにも触れられましたが、年表の事実に著作権が派生する創作性がないのは勿論のこと、この年表自体をそっくりそのまま再録したも のでない限り、原典が特定の個人の著作権下に置かれることはありさうもないです。誰が書いたか証明は不可能であり、さうして孫引きがひとりあるきをしさう であるなら尚のこと、逆に散逸が危ぶまれるこの出典を“改変せず”に“公表”し、記録としてとどめあきらかにすべき性質の、これは「資料」であるのに違ひ ありません。
まぁ、ここまで読んで頂いた方が、各自に判断して頂ければよいので、これにて議論はチョンに致しませう。ここは管理人に免じて締めさせて下さい。著作権 自体が極めて銅臭の強い権利なので、これについて話し続けると“詩”の掲示板が穢れさうです。
埋もれつつある戦前物故詩人の業績を顕彰すべく企画してゐる非営利の公開ですが、みみ様の仰言るやうに、確かに“どこでどういう問題が持ち上がるかわか らない”のはその通りであります。何らかの損害を蒙ってゐると言ひ張る方があればその時にはひっこめます。ただ私が心配してゐるのは、ある筈もない著作権 継承者からの難癖ではなく、もっとべつのことです。自分が所蔵してゐる本ならへいちゃらなのですが、ここはリンクを外す範囲を広げて、いま一歩磐石の態勢 をとることに致します。御覧の方々で「いやこの詩人もさうだぞ。」と御指摘の向きには、メールかこの掲示版にて典拠とともにお知らせ頂ければ幸ひです。
団体名義の著作物じゃないのでは? 投稿者:みみ 投稿日: 5月10日(月)15時09分49秒
やす様
早速のお返事ありがとうございます。
自分の投稿を読み直したら、結局のところ公開に賛成なのか反対なのかよくわからない文章だと我ながら呆れているのですが、こういった画像の公開には賛成で あるものの、今回の公開の仕方は少々疑問がある、といったところだとお考え下さい。
個人的には巻末の「名古屋詩壇年表」のような資料に興味が引かれます。ただ、この年表こそ、「無記名の著作物として掲載され、後に著作者を明らかにしてど こかに採録されている」という可能性も否定できないわけでして...
といった次第で、先ほどの投稿中、名古屋詩壇年表は発行年から著作権切れが確実であるといえる、と申し上げましたが、よく考えてみると上記のように現時点 では著作権切れとは断言できないものでした。どうも失礼しました。
ところで、そもそも『東海詩集 第一輯 大正十五年版』は"団体名義の著作物"ではなく、"個人名義の著作物の集合体"なのではないでしょうか。書籍の形態では東海詩人協会という名称でまとめら れていますが、一つ一つの作品は作者が明らかにされている著作物ですので、どのような形式で刊行されようとも、それぞれの作者に著作権があるのだと思いま す。一冊の本も著作物と考えられますが、但し書きの有無に拘らずそれぞれの作品にもまた著作権が発生します。なので、団体名義の著作物という扱いではな く、あくまでもそれぞれの作品について「著作者が著作物を創作した時点から著作者の死後50年まで」という著作権適用期間の原則が適用されると考えられま す。以後採録されたかされなかったかということは無関係ではないかと思います。
団体名義というのは、例えば各項目の解説に署名がない百科事典とか、"東京サザエさん学会編『磯野家の謎』"のように本のどこにも本文執筆者(個人)の記 載がなく「東京サザエさん学会」という団体名のみが記載されていて、著作者の没年を特定できない場合を指すのではないでしょうか。著作者が亡くなった時を 特定できない以上、発表の時点を起点に計算するしかない、ということではないかと解釈しているのですがいかがでしょう。
というわけで、『東海詩集 第一輯 大正十五年版』の画像公開は、著作権が存在しないと思われる(著作者の表記がない)表紙・目次・奥付・裏表紙と、著作権切れが確認できる作品・文章にとど めるのがよいのではないかと思います。未確認の部分について万全を期すのであれば、リンクをはずした上で、やす様がおっしゃるように、情報を募りつつ問い 合わせがあったら通常の図書館資料として対応する、というのが無難ではないかと思います。
『東海詩集 第一輯 大正十五年版』には複数の人物が関係しているので、ネット上においては問題なく公開できる部分と公開できない部分が混在することになるのではないかと思い ます。せっかくの公開に水をさすようで申し訳ないのですが、どこでどういう問題が持ち上がるかわからないので、こういったことははっきりしておいたほうが よいのではないかと思い、僭越ながら書き込みいたしました。ご検討くださいませ。
資料の入手までにもご苦労がおありになり、公開に伴う作業もいろいろと大変であろうとお察しいたします。
最後になりましたが、今後の資料公開が順調に進みサイトがますます充実されますことをお祈り申し上げます。
団体名義の著作物 投稿者:やす 投稿日: 5月 9日(日)15時59分8秒
みみ様、はじめまして。
早速に法律的な解釈および御指摘を頂きまして痛み入ります。偉ぶっていらんことを書くから一本取られる。実に恥ずかしいですね。
“団体名義の著作物”と して著作権情報センターが謳ってゐるところの、“著作者が個人か法人かにかかわらず”といふ部分について私は、著作者が判明される部分を個人、無記名の部 分を法人と解釈してをりました。つまり著作者が法人といったって誰かが書いてゐるわけでそれが無記名部分に当るのであれば、“著作者が個人にかかわらず” といふ場合の個人とは何を指すのか。それはとりもなほさず該当著作物の中で著作者が特定できる部分(つまり各詩篇部分や序について)に他ならないものと解 釈してをりました。戦前の著作物ですから勿論いまどきの如き“各詩篇の著作権は各著作者に属する”なんて但書はありません。そのやうなクレジットのない共 同の営為の著作物に対して無用の取沙汰を避けるために、一般に適用されるべくこの一項目は設けられたのではないでせうか。
と、ここまではよかったのですが(笑)、「団体が著作名義を表示していても著作者である個人が公表後(創作後)50年以内にその実名・周知の変名で公表 したときは実名名義の場合と同じ」といふ付帯“備考”が別に存在してゐるやうで、それなら今回の場合も、例へばここに収められた詩篇が個人詩集に参入され てゐるなら、作品単位でみみ様の仰言る通りとなる訳です。
結局、
著作権の消滅してゐる詩人。
以後再録されなかった詩篇。
連名部分の序文など。
については間違ひなくOKであるが、さうでない部分は事実上問題は出なくとも法律的にはOKでないと。
いくら亡き詩人達から感謝されようとも、図書館資料を上して職場でなにか云はれるのも嫌ですから、この際“非営利・研究目的”で照会してくる閲覧申出者 に対して、図書館等における複製(31条)に限定して個別に御案内差し上げるやう考へ直した方が無難かもしれませんね。需要なんて殆どないのですから。不 取敢明日の更新では、著作権継承者連絡先が判明しさうな、永瀬清子、山中散生、春山行夫といった名のある詩人達のリンクを(杞憂でせうが)外し、その他不 明詩人については情報を募る“一筆書”を付しておきたいと考へます。
みみ様には手前勝手の解釈に傾く蒙を啓いて頂きありがたうございました。その他各種の御指摘につきましても深謝申し上げます。明日早速訂正致します。
【参考】
インターネッ トの著作権の動向
(無題) 投稿者:みみ 投稿日: 5月 9日(日)12時39分39秒
こんにちわ。
団体名義の著作物というのは団体名以外の著作権者の名前がない場合ではないでしょうか。
『東海詩集 第一輯 大正十五年版』には東海詩人協会との団体名がありますが、個々の作品にはそれぞれの作者が明記されているので、著作権は作品の作者にあると思われます。
また、「序」には「編輯委員」という個人を特定しない名称が用いられていますが、「名古屋詩壇年表」の9番目の画像に編輯委員の個人名が列記されているの で、序を団体名義とするのも難しいかと思われます。
『東海詩集 第一輯 大正十五年版』に記載された人びとの没年は存じ上げないので、もしかしたら全員が没後五十年以上たっているのかもしれませんが、大正十五年という発行年の みから著作権切れが確実であると判断できるのは、名義がかかれていない表紙・名古屋詩壇年表・奥付だけではないでしょうか。
この他気がついた点をいくつか。
まず奥付の発行年が翻刻では「昭和十五年」となっています。
「序」の2ページ目が「目次」に含まれていてわかりにくいです。
あと、裏表紙の画像もあればよいと思います。
【念のため】 投稿者:やす 投稿日: 5月 9日(日)09時42分13秒
団体名義(著作者が個人か法人かにかかわらず、法人などの団体の著作名義で公表された著 作物)の著作物の著作権は、公表後50年です。著作権法第53条
今後もかうしたアーカイヴ作成は、次世代の図書館活動にむけた一司書の研究課題として、個人の営為で行ってゆきたいと考へてゐます。世の中には組織とし てこれにとりくんでゐる余裕のある図書館もあるが、うらやましいとは思はない。ことこの偏狭なジャンルに関しては個人でやってるからこそ自由とモチベー ションが維持できるのでせう。公開形態についてはこれまでいろいろな方法を模索してきましたが、活字と誤植の問題が残る本文のテキスト化ではなく、画像に より進めてゆくことに致しました。なにより仮想図書として原本の雰囲気をを伝へることに、よりホームページの趣旨に沿った意義が認められるものと考へたか らであります。
『デジタル図書館 と著作権』
“図 書館資料のデジタル化”『地域電子図書館の実現に向けて』
おまたせ! 投稿者:やす 投稿日: 5月 9日(日)00時29分29秒
『東 海詩集 第一輯 大正十五年版』のデジタルアーカイヴやうやくもってお目見えです。
週明けに残りの第二輯、第三輯もupします。これで当時の名古屋詩壇の全容が誰でも俯瞰できるやうなりました。
なんせ国文学科最期の補助金“特殊コレクション”のための使途に進言したら許可が下り、最初で最後とばかり三冊30万円(!)で買ってもらっちゃった本 ですからね。皆々さまに利用して頂かないと意味がない。
U^ェ^;U「30万円・・・言葉がないですね。」
『蒼白い追憶』 投稿者:やす 投稿日: 5月 7日(金)00時37分50秒
保田與重郎の歌(棟方板画)を古書店の札紙にあしらった畸人堂さんより、かねて注文の詩 集が届く。
名古屋詩壇創生期の刊行に係る詩集でも、師弟交友関係がはっきりしてゐないと目を引くことも罕なのか、
神チャマ、よくも私なんぞに当てて下すッたものだ。これは嬉しい。やっぱり目録には地道に目を通しておくもんだなぁ・・・。
【中村惠吉】 『蒼 白い追憶』1923/郁文堂/125p/18.8cm上製函(なんと天金)/\1.50
詩人は当時、御器所(ごきそ)在住にて『東海詩集』には第一集のみ参加。これは『名古屋地方詩史』に名のみを留めたる無名詩集の一なり。
『立原道造写真集―青春の記録』 投稿者:やす 投稿日: 5月 5日(水)19時50分42秒
“Salon De 書癡”掲示板においてHNヒヤシンス様が『立原道造写真集―青春の記録』なる未公開資料の影印限定版(なんと10部)を刊行された。いろいろ取り沙汰もあ るやうですが、さきに同じく限定で出された未発表詩集『野辺の花に』(共に非売、書誌不明)とともに、“稀覯本の世界”ホームページにまつはる酔狂な伝説 が、またひとつ形になって歩き出したやうです。ともあれ、
1.営利目的ではないこと。
2.だれにも損害を与えるものではないこと。
これをもって今回の発表が実際にどこかからとやかく言はれるといふことはないでせう。著作権者自身が営利目的の人なら話は別ですが、さうではありません から。また本なら国会図書館への納本義務はありますが、本でなきゃそれさへない。刊行意図を思へばやめた方がいいでせう。
もちろん惜しむらくは、わたくしをはじめ(くやし〜ッ!ホントに口惜しいぞ。笑)、この興味津々の貴重資料を見られなくてやっかまざるを得ない人たち が、権利とか義務とかを離れて大勢ゐることですが(手紙はともかく未公開の写真(肖像?)なんてまだあったんですねー)、詩人の文学的評価が左右される資 料ではない由。これ以上は愛好家(書痴)の世界のこととして、ブンガクどうのかうのを持ち出して議論する筋合のものではないとわたくしも思ひます。
ヒヤシンス様も拙掲示板を御覧下すってる由。とにかく続けてものすごいものつくられましたね!(おめでたうございます、といふかもう瞠目。あちらでは推 敲できないのでこちらで祝させて下さい)。しかしながら多くの人が注視するところの資料ですから、小部数とはいへ一旦公開してしまった以上、一級コレク ターとしてこのさき御自身のお名前も大切にせざるを得ませんね。貴重資料であるといふこととともにどんな装釘で発表されたかも後々語り草になりませう。さ うしていづれはみなさん納得されるやうな形で、詩文学“愛好家”の目に収まることを願ってをります。しかし生原稿切っちゃうてぇのは……賛成ですねぇ (笑)。
(無題) 投稿者:やす 投稿日: 5月 5日(水)00時18分15秒
この連休に『一海知義の漢詩道場』と『五山堂詩話』巻二を読了。昨日は『南宮詩鈔』の序 跋に再度挑戦、『くづし字字典』と睨めっこでへとへとになり申した(どれだけ読めたかは休み明けに)。連休最終日もこんなで終るのかな。
終日無為誰能與小生同。 投稿者:やす 投稿日: 5月 2日(日)23時07分5秒
本夕、ごん太と散歩の帰り道くぢらさんへ立ち寄り、江馬細香の手になる新着の“ブツ” を見せてもらふ。芥子園画伝を模写した巻物で『細香粉本』と題されてゐる。七十三のときのものだから安政六年。前年自宅にかくまってた三樹三郎が殺される 年である。笹の種類や葉っぱを描く順番が記されてたりしてなかなか興味深い。亦一緒に入手したといふ謎の巻物(?)を託されて、今までためつすがめつ。こ ちらは山陽の書の鑑定書でせうか。肝心の書がないんだけど(笑)二人の後人が同じ絹本の上に並んで書いてゐます。
山陽先生観百谷画長編見於山陽詩鈔世人所知先生西遊復百谷尓摩洲賦之此書益贈百谷百谷蔵之没後遂流伝尓世者耶当時先生已層中年華墨老成所作之字極為整齋 毫無粗率之痕不可不貴重也己卯清和月潜[字?衛?]識
山陽翁観田百谷模古画引小題大作見翁之詞鋒横縦無敵而其派作数百字則正筆謹書何其小心翼翼也吁此翁之仍留所著超於人歟
如意山人題 谷鉄臣
山陽先生の「観百谷画(小田百谷の画を観る)」の長編、『山陽詩鈔』に見るは世人の知る所。先生西遊のとき復た百谷も摩洲に之を賦す。此書は百谷に益贈 す。百谷之を蔵するも没後遂に世者に流伝するか。当時先生已に中年を層(かさ)ね、華墨は老成、作る所の字は極めて整齋を為す。毫しも粗率の痕無く、貴重 せざるべからず也。己卯(明治12年)清和月(四月)潜[字?衛?]識。
山陽翁の「観田百谷模古画(田百谷の模古画を観る)」に小題を引く。大作、翁の詞鋒横縦無敵を見る。而るに其れ派れて数百字に作る。則ち正筆謹書、何ぞ其 れ小心翼翼也。ああ此れ翁のすなはち留る所、著は人を超えたる歟
如意山人題す 谷鉄臣
(またをかしな訓読でゴメンナサイ。明日返却致し候。)
【追記】
昨日かわほり堂さんから本到着(シミツです)。うれしいな。蝙蝠傘のマークがなかなか(笑)。http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/9144/kanshi/sanyohyakkoku.JPG