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たかぎ ひさお【高木斐瑳雄】『寒ざらし(遺稿詩集)』1954 【全文テキスト】


寒ざらし

詩集 寒ざらし

高木斐瑳雄 第四詩集(遺稿詩集)

昭和34年9月26日 詩集「寒ざらし」発行所(名古屋)刊

139p 18.4×17.0cm 上製カバー 非売

装幀:鬼頭鍋三郎  刊行数不明


画

鬼頭鍋三郎 画


寒ざらし 目次

序に代えて……(高木沙登)

1 .寒ざらし

碪青磁

2 .春断章
3 .碪青磁
4 .十二の挨拶
5 .緑のかほりなり
6 .庭
7 .李朝の壷
8 .晩秋
9 .秋
10.夕暮
11.桑畑
12.粉雪
13.青い憂ひ

【拾遺】白き椿の花ひとつ落ち

  黄い扇

14.よあけのうた
15.あるひの
16.うつくれよる
17.かはたれの
18.さつきぞら
19.やまぎりよ
20.けふもさる
21.ことだま
22.きない扇
23.しまぎり
24.やすらひ
25.わかばの
26.志らかんば
27.あきのかぜ
28.やまのてら
29.そのひとつ
30.やまがら
31.まだらゆきふむ
32.涙ぞ
33.白き雲
34.落葉
35.旅の窓

  サギト

36.夜話
37.一つの径
38.風のなか
39.雪の断章 A
                    B
                    C
                    D
40.五番目の葬式
41.霧の風景
42.村へきた雲雀の夫婦者
43.夏果 1
               2
               3
44.君を送る五月の日
45.昇天
46.新しい朝
47.森
48.残りの雪
49.春雨
50.中庭
51.麦秋
52.麦生
53.麦刈り
54.朔風
55.寺へ帰った鐘

跋……(高木斐瑳雄)

  青い沼

56.夕陽の川
57.落葉する森へ行かう
58.雑草の芽立ち
59.無題1
60.無題2
61.無題3
62.無題4
63.無題5
64.横井礼以氏へ
65.種子屋の店先に立つのは愉快だ
66.最初の朝
67.朝の会話
68.青沼

遺稿を整理して……(中山伸 落合茂 伴野憲)

後記……(高木喜代治)

著者略歴

装幀 鬼頭鍋三郎
挿画 横井礼以
       中野安次郎


序に代えて

 麦を刈り、畠仕事を終えて、森の冷たい水で汁を流し、ペンを取りました。風さがりというのに涼しい風が森の木々をくぐって吹いてきます。畠仕事に熱した身体へその心地よさ。 脱穀機の音が風の間に間にきこえてきます。あなたは麦刈りがお好きでした。いつも朝風呂に入り、屋敷中を散歩してこの白然を愛していましたっけ──「一年中花の咲く庭にするのだ」と庭に草花を植えて、 庭師に怒られましたね。でもアジサイ、甘草、桔梗、金絲梅、匂いの高い白の山百合をあちらこちらに植えました。桜、金木犀、沈丁花、つつじ、ざくろ。 小松の間から白蓮が顔をのぞいたらと植えましたけれど、その花は見ないで…… ちょうど今は月見草があちらこちらに一杯咲いています。月見草といえば、 新婚旅行で熱海へいった時海岸に咲いていて、帆かけ船がうす闇の中に浮んでいる所を軽便で通りましたね。桃割れ髪に結った私と、横浜埠頭へ、 オキナワ行きの佐藤惣之助氏を花束を持ってお送りにいったのもその時でした。この野田野山へ移り住んでまもなく、近くの酒井正明さんからスピッツの仔を戴き、それが可愛ゆくて、 毎朝あなたを店へ見送る時いつもまがりくねった畠路を犬をつれては柏森駅まで送っていきました。村の人たちとも仲よしになり、村の人たちもいろいろと便利をはかって下さいました。 それであなたは大福帳と書いた和とじの帳面を作り、訪れて下さった方々に記念のために名前と何かを書いていただくことにしました。これをみると、今でもその時時の有様が手にとるように心に浮かんできます。 詩人であることを知った村の人が、盆踊りをこの村でもすることになったとて、二個の行燈になにか書いてくれとのこと──

  踊り子の袖から匂ふおぼろ月      のたのたかぎ
   触れるのはかのにこやかな月のかさ 斐
   白浴衣赤い心をかくしける       のたの住人

あなたは私にも書いてみたらといわれ、恥かしながら

   盆踊りあの子もおどる月三更
  新作をうまく踊って拍手かっさい
  盆踊り人垣分けて頭出し         のたの女

これらはそれぞれに絵も描きいれなかなかおもしろくできました。夏は打水をした庭を眺めながら、あなたが名古屋からさげてきた風呂敷包みの酒肴をひろげ、 縁側で一杯呑むことがあなたの何よりの楽しみでした。また火鉢の頃には居炉裏穴のこたつの中で雑談からカルタ取り、一杯呑むこと、うたた寝、さては好きな詩・小説の朗読、 呼吸のつまる思いできいたものです。こたつと風呂の無い家には住めないといって笑わせなどしました。
 とにかく薬種陶磁器原料化学薬品商の長男(二十四才)と油商の娘(二十一才)のやせ形の二人が大正十一年四月一日結婚して三十二年、あなたは詩を私は生花を趣味として、 あなたの親切な温和な辛抱強い性格の中にすっかり安心していだかれ続けてきました。突然の死、それから七年、あなたは生れて間もなく死んだあの二人の女の児にめぐり逢われましたか。 ──ちょっと身体がたるいとて診療所へいき血圧を計ってもらいましたけれどそれは心配なく大したこともなさそうだとのこと、それでも七日程店を休み、 月曜日に出勤して翌朝嘔吐を催し人事不省・死・この驚き、身体中の血が全部なくなってしまったようなやるせなさ。八十才になる母の顔を見た瞬間ワァッと泣けてしまい、 なかなか泣きやめられませんでした。母は自分と代ったらと泣いていました。倚りかかる人を失いながらも、皆様のご親切に支えられ生きのびてまいりました。 今にして思えば店の裏の家が戦火に焼かれて無一物になり、野田野へ移り十年余、金銭名誉欲に淡白な苦労知らずの私たち、だがきびしい戦後の世情があなたの身体にこたえたのでしょう。 あなたは易者が百まで生きるといったと、太った身体で笑いながらそれを幾分でも信じていましたのに──。

 紫苑、コスモスも秋には、またたくさん咲くことでしょう。

   昭和三十四年六月中旬
           高木沙登


  寒ざらし

昭和二十八年九月、詩誌サロン・ド・ポエット創刊号に発表せられ、はからずも絶筆となった作。

1.

寒ざらし

今日はもう昨日ではない
足早やに去った秋の陽射よ!
冬枯れの木立の向ふに

私を案内する
夕霧の瞑想の沼よ!
松葉たく匂ひがする

すえたる菊の香もする
杉苔の冷えたる肌ざわり

今日はもう昨日ではない
やがて 春の日が訪れよう
若草に萌える野の風景が

私を案内する
通りすぎる吹雪の一陣よ!
空の空なるものがある

響きの 果ての響がきこえる
凍えた 地の底に
古い松風の昔がきこえる。


画

横井礼以 画


  碪青磁

     自 昭和五年
     至 昭和七年

著者が中山 伸、伴野 憲との三人詩誌「友情」に発表した作品。すなわち友情時代のもの。

2 .

春断章

黄と緑の やたら縞のナプキンは
春風をやけに磨くかな
ああ 蜜蜂と揚雲雀
青い空からすべりおちる。

鶺鴒の華奢な扇がひらいたのは
谷の娘の百合の花を見せる手段であったか
盛り上り、かぶさり、なだれ落ちる流
水沫の、水玉のつくる虹、光、音響、河鹿。

花の霞と往く春の短艇は
いまも若荻の中にあるかしら
ああ 暮れなづむ部室に
ひたひたと寄するは何ぞ。

五月の松林をゆけば松蝉しきりなり
忘れられた十字の花は侘びしや
ああ 緑の気流の中に
さまよへるもの、唄ふもの、嘆かうものよ!


3 .

碪青磁

たまたま国原喜一郎奥蒙古より西蔵に入りて苦心蒐集にかかる宋代碪青磁の逸品を愛知県商品陳列館々長のお骨折りにて展覧せられその節拝見し深く心に銘するものありて歌へる。

海の夜明けだ
彼女のとぢられた瞳だ
幽韻な天上楽の音いろだ
そこには漣の格子をくぐる
青い魚の幾群かがあった。

春もちかい野霧だ
昔の面影をしのばせる時の皺だ
いや、季節の波状線だ
そこには あわい沈黙のなかに
うっそうたる森林帯の前列があった。

谷のめざめだ
老いの眼にうつったいと遥かな空だ
そは神のごときもの、交霊の虹だ
そこには 黄塵の行きすぎたあとの
静謐な曠原の明るさがあった。
白皚々の天地だ
氷河の深い眠りだ。


4 .

十二の挨拶

少し開いてゐる扉口から
夜明の跫音のやうに朝日の覗きこんでゐる
 フランソア一世の酒場です──。

衝立の上のプリムラの淋しい微笑よ
印度更紗の中に眠ってゐる青磁の魚紋の皿
裏口の方で かすかに聞こえてゐる炊事の水音
いつからか椅子の間にゐて ヨチヨチ歩いてゐる女の子
ソフアーの上に坐ってゐる手のない人形
ゼリビンズの入った硝子の喇叭
銀鼠いろの光と影とのシンホニー
黙りこんだ グランド オルソホニック。

冷めたい信楽火鉢への弱々しい反射
やっと浮び上った粗末な梯子段
その上にこそ安らかな彼女達の揺籃!

まことに模造(イミテーシヨン)なる フランソア一世の鳩時計が
あくびまじりの十二の挨拶をもって迎へたのです。


5 .

緑のかほりなり

緑のかほりなり
うっそうたる森の静けさにありて
きみの額の白皙(ましろ)さ!
ささやく風の言葉あり
渓流のごとく、遠くかすかに……。

緑のかほりなり
うれひあり、よろこびあり
まなこつむれば
夕虹のごときものまぶたにかかれり
洩れ陽水玉とふりそそぎ
その一つ動かずありぬ

緑のかほりなり
額をつたふは春の海の浪の音なり
松ふく風の空のいろなり
ほほえみなり、
かがやく瞳なり
ああ 声たからかな五月の唄なり。


6 .

知らないうちに青い苔が生え
どこかから虫がきて ないてゐる庭!
沈んだ鐘のやうな侘びしさだ。

山かげりのノスタルヂア
にぶい光りの斑点
木かげ静かな かげらうだ。

石と石とのあはいの羊歯の青さ
木犀の香 流れて
空はいよいよ、青い。

虫がなく 虫がなく
ただに寂びた僧院の内裏のごとく
ひたによする夕波のあり。


7 .

李朝の壺

山かげのやうにすき徹った朝の空気です
美しい女の影です
谷のめざめです
一樹の紅梅の巧みさの中に
鶺鴒も動くことが出来なかった。

風景は壺から浮きでて
しづかに壺に帰ってゐました。


8 .

晩秋

鶺鴒 一羽 水の上を渡り
川向ひの岩のうへにとびぬ
青き水 静かに湛へり。

曇り陽は 燻銀のごとく
川しも既に夕靄のうちに烟れり
流れゆく水の音の微けさ、かそけさ。

われら火桶をかかえ
赤きもみぢの浸せる酒を酌み
静かに堪へる青き水のうちに溺れぬ。


9 .

「お母あさん
 雀のやうに並んでんのね」
べレー帽の子供の指さすところ
小駅の待合室の腰掛を占領した小学生たちです。
野芒(のばな)とコスモスの花束をもち
小さいリクサックを背にした元気な小雀たちだ。

若い母親の膝に倚りかかり
彼女の顔をつついてゐるべレー帽の小さい指先き
黄金いろの稲田の向ふに日の丸の旗が翻り
山裾に沿って玩具のやうな汽車が近づいてくる
汽笛が風に吹かれてくると
涙ぐましい駅の鐘が答へるのだ
若き母親もべレー帽も、小雀たちも
やがて二十世紀風に野芒の向ふに消えるだらう。

「お母さん
群雀のやうにみんな飛びたっちゃうのね」


10.

夕暮

むなしく眼を空に歩むのみ
竹林の風、海の思ひをつげ
渡り鳥、遠く山脈に消ゆれば。

としふりたる柿の木の蔭にいりて
僧院の障子は明るく
紡ぎ車 風の唄 うたふをきく。

とほく思ひの舟 帆走り帆走り
茜雲 鰯雲 ただよふところ
ふたりして立つ 山のいただき。

むなしく眼を空に歩むのみ
口笛、野の涯に流れゆきて
細き月 かのひとの肩の上 山にかかれり。


11.

桑畑

黄ばんだ桑の葉が散ると
桑の木は寒々とけぶった野の風景となるのだ。

朔風が灰色の翼をひろげると
この密林は吹雪のホィッスルの中心地。

雪の朝が訪れると
この疎林の窪地からは麦の芽生がみられる。

するとまもなく細い笞のやうな幹から
青い いのちを発見するやうになるのだ。

つくしんぼうや 草蓬がにほへば
うつらうつらの眠気の緑葉も見られるといふもの。
暫らくの冬眠をまへに、黄ばんで散ってゆく桑の葉
干潟の挿木(さしき)のやうな冷え冷えとした技ばかりの桑の木立。


12.

粉雪

火桶をかかえ
窓玻璃にあたる粉雪の跫音をきくのは愉しいことだ。

眼をとぢると
部屋の調度のすべてが明るく描き出され
そしてその部屋の粗末な椅子による私がわかるのです。

はばたきのやうに遑だしく
或ひは恐ろしい沈黙の深淵にと沈んでゆく
波のごときもの 粉雪よ。

そういへば風もすっかりやんでしまった
世の中全体がきき耳をたててゐるやうに
不思議な魅力をもった跫音 粉雪よ。


13.

青い憂ひ

川から流れてくるのは
はんらんした緑の大気です。

彼女の白足袋(蜜柑の花)をすぐ私は発見(みつけだ)します
蝶々が私の頭の上を越えてゆくので。

光りの礫の輪踊りが、私を
かるいめまいのうち捕へます。

ひととき 私は 青い憂ひに流される。


  黄い扇

     自 昭和十五年
     至 昭和十六年

 「黄い扇」は、昭和十五、六年の頃、しばしば信州上林温泉を訪れ、その折々の作を集めて、著者自筆、自装、自家版として少部数を知友に頒ったもの。 箱までも自作、詩集としては稀有の豪華版。

14.

よあけのうた

斑馬(しまうま)かける    海景ぞ
かすかなかげよ        落葉松
上公鳥(じようびたき)よ うたへ霧を
海底の唄     昧爽(よあけ)の唄

15.

あるひの

青い風が 室内(へや)をぬける
桐の花が      こぼれ碧い
黄い扇       樹にひらけ
ある日の午後の     物語り

16.

うつくれよる

虚くれ倚る     羈旅の椅子
虎耳草(うつぎ)紅く  花の簪
失へる宝石(いし) 青春き日の
欝金の菜の花      忘却の

17.

かはたれの

啼きしきる 松蝉(まつむし)のあり
夕暮の    峯嶺(をね)明ければ
湯浴みする       窓に雲あり
なにか寄る       薄明の寂び

18.

さつきぞら

芽の松は  花を飾れり
山霧も  薄れかほれり
やま鳩の啼く  五月空
眼つむれば 遠き海鳴り

19.

やまぎりよ

ふたりしづかよ やまぎりよ
温泉の雲の  山毛欅にちり
ふさぐともなき 侘びしさや
いつか湯槽に   眠るわれ

20.

けふもさる

霧たちのぼる    夕暮だ
断崖に咲け    かりん花
きのふのやうに けふもさる
きみがかたみの  かりん花

21.

ことだま

朴の葉は  白緑のいのち
木魚す       山の言霊
欲りすのみ  湯槽の雲に
黙すのみ    青葉の風に

22.

きない扇

山は霽れたり    松は青
黄い扇を    樹にみたり
柔かき葉よ    雨に濡れ
きみがあしうら いとしろし

23.

しまぎり

縞霧だ        風景は沈んだ
薄倖(しあわせ)すら 背を向けた
静やかに       とぢよ涙もて
指曼外道  念珠(たま)をつまぐる

24.

やすらひ

仏陀(ほとけ)のみ手に 光る午後
山吹いろの       扇ひらく
欲りす         虹の橋かけよ
やすらひ深く      霧ぎらひ

25.

わかばの

わからぬ影と    くだるなり
忘れし女(ひと)と くだるなり
わけもなくなく   くだるなり
若葉の坂を     くだるなり

26.

志らかんば

かがんだやうな  白樺
まふらあひとつ 白い雲
かがみにうつる 笹の原
まばゆい光  小春日の

27.

あきのかぜ

陽だまりの         椅子にかければ
秋の風           木の葉呉れたり
青檜(あをひば)に    唄ふ野鵐(のじこ)よ
独り居の            山の明け暮れ

28.

やまのてら

霧は湖(こ)となり 山翳り
金と匂ふ陽の   青みどり
木々しづまれる   山の寺
極まりなき     空白ぞ

29.

そのひとつ

雲たち 山きえ 君ゆく
径の落葉  そのひとつ
心うつろの  白  樺
くびすを返せ 吾妹子よ

30.

やまがら

榛の梢(へ)に  山雀が
磐若 波羅三タ密多 心経
白猫は まるく まどろみ
母そはもかく  愉しきを

31.

まだらゆきふむ

忘れられた   ぎやまんの夜
わかれ路(ぢ)の 斑ら雪ふむ
輪にうるむ   月の照り寂び
吾妹子の    肩にかかれる

32.

涙ぞ

山住の    夜半の    寝覚め
氷雨よ    落葉の    上にか
愉安(やすらひ)の 破れし 心 に
光るもの  落つる   涙   ぞ

33.

白き雲

落葉松は          風と散りゆき
山時雨       嘆き悲歌(えれぢ)す
安息(やすらひ)は 温泉(いでゆ)に沈み
杳(か)のくにの    白き雲徂(ゆ)く

34.

落葉

踏むは昨冬(きそ)の    落葉か
そがひとつを      とりて思ふ
ふとあひあひ     ちりちりしか
そがひとつの 運命(さだめ)を思ふ

35.

旅の窓

赤き櫨の木     黄の銀杏
青き山脉(やまなみ) 旅の窓
あつき涙よ 出征(ゆ)く人よ
赤石山に      雪ぞふる

この晩春の旬日を青葉と霧と雨との山の生活にひたり「黄い扇」の主人公黄せきれいに逢ったから…… その殉情と素朴さに自らの魂を潔め昂めここに翼を展げ翔り清き渓谷の巌の上に唄ふことをえたり
  紀元二千六〇一年盛夏   著者 自装版


中野安次郎 画

中野安次郎 画

  サギト

左義長
古昔、正月十五日に行はれし悪魔祓の儀式、清涼殿の庭に青竹を立て、これを焼きて行はれたり(爆竹)

「サギト」は、著者が昭和二十三年に出版するため跋を書き原稿が一冊に綴じあげられてあった。
これらの作品は著者が戦後野田野の村へ移り住んでからのもので、昭和二十一年から翌二十二年の二年間の作品ということになる。 著者が亡くなった昭和二十八年まで六年間未刊のままにあった。
前掲の「左義長云々──」は著者によって書かれたもの。


36.

夜話

「風が戸を叩かっしゃるから
   多分 雪さ 貰ふだろう……」

──私は今しがた歩いてきた方向を振り返へる
青い月明りが賑やかなものにしていた裸の桑畑を、
ところどころ忘れられた青首大根の上半身を、
やさしく締(くく)られた白菜の群れを。

径はしっとりと夜気に魅せられたように
風陣(かぜ)のみが騒がせる雑木林を通り抜けて
点とみえる田舎家の鉄砲風呂の燈りを眼ざして
粗朶のにほいの甘さと、湯浴みの音を楽しみながら辿りついた私は
かじかんだ手で 靴の紐をやっと解いた。


37.

一つの径

白壁の土蔵は
新桑の緑門(アーチ)の向ふにある。
一つの径がそこに走り
腕豆と大根の花畠が、その両翼
終日、揚雲雀の空中散歩があった。

竹林をぬけた青葉いろの風は
けわしい世相を外に
深遠なる魂の唄をうたった
鶏は雛をともない、小兎は小舎に集り
百花の花粉は春琴に和した。

燕の巣籠りがみうけられ
銀いろに光った麦の穂先に
快走する電車がみえ
流れる風景は
緑門(アーチ)に通ずるこの一つの径にあった。


38.

風のなか

草の実の風船が流れる
丁度 そのように杜の上の雲が流れる。

鵯(ひよ)の群れが騒いだあと
百舌鳥は雀を追って空にきえた。

案山子は調子はづれの鳴子に反歯(そっぽ)をむき
野芒(のばな)の陽だまりに赤蜻蛉が光った。

「ほんとうに好いお天気さんで……」

陸稲(おかぼ)を車に積みながら
あなたは汗ばんだ顔をぬぐった。

生活は風景の中に生き
人生は流れる風の中にあった。


39.

雪の断章

A

もう夕暮だった、
乳いろの雪の風景の中に
営養失調の烏の群が立ち騒いだ、
忘れものをしたかのように
月は森の外にあった。

B

起伏する白菜畑の雪のもり土の上に
無数の白い円光の照り返へし
一日の終りの静けさ
雪解の点滴が描く光りの輪が虹を生んだ。

C

疎林の樹氷が解けると
桑畑の向ふに人家が現はれた、
だが まもなく
埋もれていた竹がつぎつぎと立ち上り
その遠望も遮られてしまった。

D

健やかなるために
靱(つよ)くなるために
若松よ
雨風の日 雪の日 嵐の日にも堪えるために
勢一杯 青い空気を喰べよ。


40.

五番目の葬式

前庭の五本の樫の木は好く手入れがしてあり
二人の孫は復員で帰り元気だった
婆あさんは七十五歳の長寿で逝くなった
「村さ これで五番目の葬式だぞえ」
山茶花のこぼれた籬では鶏が啼いた
お葬ひはすんだ
墓場をかこんだ雑木林に月がかかり
新仏(あらぼとけ)の花飾りのみがとりのこされた
四人の孫に担がれた柩は泰らかに地下に眠り
山鳥は 森の方へ歩を運んだ。


41.

霧の風景

村の隣人は洋燈(らんぷ)を齎(もたら)した、
また他の隣人からは石油を貰った、
お蔭で夜の居炉裡(いろり)は明(あかる)くなった。
ぼんやりみえる相手の顔に霧の風景があった
「おうい!」と呼びかけるなつかしさがあった
戸外では粉雪が笹の葉を訪づれた
夜寒が身近にせまる
眼をとぢると、青い月明の畦道が長くつづいた。


42.

村へきた雲雀の夫婦者

左義長(さぎと)の爆竹が村々を賑はせると
麦生はよく踏まれ、青さはいよいよに冴えた
村へきた雲雀の夫婦者は
決して歌を忘れなかった。

丁字花は竹藪を眼覚めさせ
春禽は桃李をかたった
生殖と巣籠りと成育の営みは
空中遊歩の途上に於てあった。

新らしいこの移住地は
一つの寄港地(エスキヤール)でもあるか
新らしい日本の太陽が煌(かがや)き
村々の展望は眼をみはらせた。

桑畑にきた河原鶸(かわらひわ)はぢいっとしていなかったし
乾いた川原にきた鶺鴒(せきれい)は白い扇をひろげて
遠く森の方へとびさり
雲雀の夫婦者の語らひは天と地にあった。

何不自由ない生活だった
戦火を忘れた世界にあって
隣人愛の懐にあっての晴耕雨読
常に碧空をいただいた。

森の径にはわびすけが散り
蕗の薹が咲き
手機(てばた)は竹林をくぐって空に響き
巣の雛は一勢に頭をあげた。

正しい季節の息吹きよ
初夏の陽に金茶に焦げた麦生よ
一家団欒はすでにとほい雲海にあった
青い風は薫り、花粉はとほく流れた。


43.

夏果

1

南瓜(なんきん)は燃える甍の陽炎の中にあった。

昧爽(よあけ)の花々は昆虫をその聖堂に招じた。

受胎の午後は蝉時雨の中にあった。

蜻蛉籠を提げた子供は
「母あさん南瓜八ツだよ」といふ
その子供も丁度そんな年頃だった。

稲田は青簾のように美しかった
胡瓜(きうり)の垣はその向ふにあって
黄いろの提灯を飾った。

君は その葉蔭に
その清楚な姿態をかくした。

竹釣瓶を覗いていたのは向日葵
その上には雷雲の峰が眼に痛い。

茄子には天の窓がある
その濃い瑠璃紺の深淵は
灼熱の陽光のもとにさえ
湛える沼の静謐をきわめた
そこに一点 天に通ずる一つの窓があった
私は一匹の昆虫となって昇天の夢を結ぼう。


44.

君を送る五月の日

檸檬の花が咲くと
緋いろの喇叭が五月の真昼を吹奏する。

麦秋の風は金茶で
馬鈴薯の花房(ブーケ)は虻を集中する。

黄金虫はよく肥とり
蚕室(さんしつ)は寺院のように静かだ。

きゃべつの大きな掌は毬(まり)をささげ
川のせせらぎは手近に歓声をあげる。

黄鶺鴒の夫婦は
その扇面流しの舞ひの手をやすめなかった。

節句の風車は遠く風に乗り
鯉職は飽くなく青い空気を喰べた。

君を送った竹藪からは
粗末な箒のような影絵が逆に私を見送った。


45.

昇天

よく刈りこまれた木犀は
遠くそのかほりを流した
猫の午睡がながくつづき
雲は深い空から抜け出し
野径は蕎麦の花畑を遠景にして
秋の山々を一刷毛に描いた
風が落ち 茶の花がこぼれ
菊薯はよく成長し杜の裾を明るくした
ほし陸稲の垣の向ふに
渡り鳥のいく群れかが消え
落ちてゆく碧さのなかに
秋の気品が昇天する
二点 二点 三点鐘
村の鍛冶屋の若い男の横顔が光った


46.

新しい朝

鶏舎(とや)は昔の盛大さをとりもどした。

掲げられたのは○○産業社の看板であったが
亜鉛(とたん)屋根は霜に飾られ
青空はあまりにも美しかった。

木枯が君の家の木槐樹(むくろじ)を裸にすると
藁束は山と積まれ
山門のように西風を防いだ。

鶏舎では終日製縄機の唄がきかれた
口笛はかがり糸のように起伏して
一つの調和を忘れなかった。

季節の輪舞(ロンド)はこの工場の上にあった
新らしい希望は 朝の光りとなって
この鶏舎の上に息吹きしていた。


47.

森は一つの防風林
私達夫婦の生活を囲んだ
風も遠い潮騒
砂丘への径のように
麦生と桑畑の展望をもかくした。

森は一つの山
物語りは風景の変化に答へ
いつもその周囲の背景に生きた
風も霧も、雨も雪も樹木たちも
その千万の触手で愛撫した。
森は一つのオオゲストラ
葉と葉、木と木、竹と竹
その各々の楽器は天来の妙音をつたえた
甘茶の花はかをり、皐月(さつき)の炎に燃え
あやめの花々のプロローグ!

森は一つの神秘
羊歯・蕨、苔類の密生
木洩れ陽は深淵の海底の光りの斑点
たつのをとしごよ!海蛇よ!
そうした雑草の中を游ぐもの
凩よ山鳩よ木の葉兎(このはづく)よ唄へ、森の午後を。

森は一つの生きもの
呼吸し、生殖し、食慾し
深く感情の火花を浮沈するもの
自然人としての誇りときんぢを保つもの
つねに私達を護り、私達を育むもの。


48.

残りの雪

森のかげには
野兎が屯(たむろ)しているか
残雪は容易にとけようとしなかった。

麦ふみには早い二月の午後
莚機(むしろばた)は織られ ぢみちな生活は
糸車の陽だまりにあった。

供出と肥料の、物価と生計とのアンバランス
そうした陽かげりは
容易に割りきれないものがあった。

──とでもいふかのように
森かげの家の屋根は
白いその半面の顔を北に向けていた。


49.

春雨

春雨は海霧のように私を濡らした、
きみと別れた夜半
村の道はとほくけむり
きみの庭の夜の梅のかをりは
容易に私から去らなかった。

春雨は私を濡らした、
白夜のような空から
たのしい追憶がよみがえり
友情の花粉がこぼれた。

春雨は私のベットまで忍びこんだ、
久し振りの訪問は
話題を退屈させなかったばかりか
そのはてしない話のうちに私を眠らせた。


50.

中庭

高くほされた藁垣は森をかくした
おかげで菜園は西風から護られた
大根も燕もその上半身をもたげ
はや 三寸の麦の成長がみられた
精米機の動力線が張られ
多忙な稲摺りの日が待ちもうけた
締(くく)られた白菜のパズルを縫って
レグホンの夫婦があらはれると
蓆機を整へる若い男が
「ま澄みの空は 朗に晴れて……」と口笛している
私は山茶花の垣に沿って
猫のように、その中庭をみてすぎた。


51.

麦秋

表は熟れた
日夜の道を帰る私には
麦は馬糧(かいば)のにほいがした
終電車はスパークの彼方にきえた
蛙が鳴いている
苗代田をとほりすぎると
桑のトンネルがいつか私を案内する家路……
昨日にかわるその挨拶!
夜露が降りている
森は信仰ぶかい集団のようにうづくまり
小鳥も木莵(みみづく)も野兎も睡いった
風も雨も騒ぎを忘れた
私もやっと精神の住家に辿りついた。


52.

麦生

麦畑は巨きな刷毛(ブラツシユ)
大気は身体をこすりつける
歓声は青い嵐となって
まだ白い帽子を被った伊吹に呼びかける。

船長の髯(ひげ)はのびた
白い航海日誌の頁を考へた君は
海への帰還の催促にうなづきながら
「娘っ子も、小学校へ入学(はい)るのでなあ!」と独言をいった。

麦の生長は驚くはやさだった
君は娘の頭をなでながら
ながい海の日の生活が大きな波浪となって
麦生をわたってくるのを見た。


53.

麦刈り

春蚕(はるこ)の掃きたてが終ると
一勢に麦刈りが始められた。

秋の日に似た挨っぽい風が訪れた
汗ばんだあなたの額には収獲の悦びがあった。

金茶いろの丘が次ぎ次ぎと姿をけすと
青春の哀愁がにほった
裸にされた桑の木のように

「陸稲を うんとつくりまさあ
   供出米をたすけんければ あがったりだからなあ!」
さっさっと麦刈りの鎌は風を截った。


54.

朔風

低い雲脚は三寸の麦の上にあった。
蒿雀(あをじ)がとびさると
寒晒しの朔風が耳にいたかった。
農地委員会の顛末は私の心を暗くした
忍従の生活はただ形をかえたばかりだった
黙々として働く者よ
大地を愛し、大地に額(ぬなづ)くものよ
厳として冒すべからざる成長よ
鶏鳴は竹林にこだまし
雑木の梢の白いものが散った。


55.

寺へ帰った鐘

寺へ帰った鐘は
朝(あした)の夕(ゆふべ)の勤行(ごんぎょう)のときを告げた。

「御授戒へいこきゃあ」
無信心の妻の返事はおもかった。

さんしいと梅と沈丁花の花束をもった隣りの老人は
さかんに鳴る鐘の音いろに耳そばだてた。

「御役にたたなんだが
  御先祖さまはよっく知ってまさあ」
霧雨のなかに消えた老人の声だった。

鐘の余韻は木々の芽立ちを明るくし
寺への道は帰った鐘への悦びで賑はった。

詩集 サギト おはり

ここ数年のうちに、私は敬愛する詩人の多くを失った。とりわけ、陶山篤太郎・萩原朔太郎・佐藤惣之助・福士幸次郎・野口米次郎の諸氏は親交深かっただけに惜まれてならない。

             × × ×

 佐藤惣之助との交遊は、最も古く、最も篤く、わが身の半分を失ったごとき寂寞を感じた。詩誌「日本詩人」(新潮社発行)に、地方詩壇展望として書かれた、 百田宗治氏の一文に、世に紹介せられた当時、福士幸次郎は佐藤一英氏を携え来り、ここに、井口蕉花・春山行夫・私による詩誌「青騎士」が一段の光彩を放つに到った頃、 佐藤惣之助は琉球への詩行脚をつづけその帰途、名古屋に私を訪ね、時たまたま、私の処女詩集(青い嵐)の出版記念会に参加し、けんらんたる名古屋詩壇の開花を齎した。

             × × ×

 一英君の詩話会推薦にひきつづき、翌年には、行夫、小生という、地方詩壇の劃期的な進出のトップをきったばかりでなしに、仝誌が、地方詩人のために特輯した、 新進詩人推薦号には、安井竜(のち伴野竜)、大野勇二両君その他多くの新人を輩出したことを、記憶する。

             × × ×

 その後、昧爽の花・天道祭の二詩集を世に送り、戦ひ半ばに、聯詩集「黄い扇」を知友に送り、戦災によって、蔵書の全部と共に、これらの詩集の総てを灰燼に帰してしまった。

             × × ×

 そこで、一九四五年終戦と前後して、第二の故郷を、尾濃の地にもとめ、沼野(野田野)──名鉄・犬山線柏森駅東南十丁──の雑木林の中に移住し、 田園詩人(一英の所謂の)の本来の生活環境の中に私自らをみいだすことになった。人生の半に達し、未だなすなく、詩作生活三十有余年の生活をふり返へり、 うたた寂漠、五十の齢をけみした。

             × × ×

 幸ひにして、友、画友の祝讃をえて、第五詩集「サギト」を世に送ることを得、感慨また深く、さらにさらに精進のまことをいたし、詩神への求道にやぶさかならむことを。

             × × ×

 ここは、地図の示すごとく、日本ライン畔、犬山城を指呼に眺むるところ、養蚕の中心地、農業では日本のデンマーク・大口村、そのかたほとり、 点在せる杜のその一つに、ささやかな山荘をしつらえ、ここに四年の歳月を、田園人のなかに生活し、交遊し、季節の挨拶に、心躍らし、明朗にして、新らしい希望に燃える勤労の凱歌を、 ここに讃美し、肉体と精神の健全なる、自然と人生との調和ある、偉大なる音楽と絵画とを、わが詩業のうちに交響せむことを、ひたすらに念願してきた。

             × × ×

 かるが故に、ここに輯めた、作品は、まこと、私をとりかこむ、村人によって刺激せられ、深い友愛によって感動づけられたものであって、 これらよき隣人への感謝であり、また、永き過去の厚情溢るる友人達への握手であり、また未知の人々への挨拶でもある訳だ。
 翼くは、左義長の爆竹に耳傾けられよ、そして、かんばしい餅の香を味ひ給はらむことを。


  青い沼

     自 昭和二十二年
     至 昭和二十八年

56.

夕陽の川

秋の入陽は 収穫時のあはただしさです
だが川は それらの風景のまんなかを
悠久のかなたへと流れていた

冬の夕暮は厳しい寒さを連れて降りてきた
夕陽は川を凍結から救はなかったのか
光った枯草はおそれるかのように震へていた

踏切番の灰色の手旗よ
黝んだ森かげよ 烏の群れよ!
奈落への悲哀よ 終焉の鐘の音いろよ

夕陽の川よ
春を告げる 葭切と雲雀の対話を
野茨と恋人たちの ささやき を
その輝しい満月の鏡の中に秘めよ


57.

落葉する森へ行かう

落葉する森へ行かう
はしばみの木の葉が跫音をたてるから
誰人も訪れない晴れた秋の日の午後

蝉とりの子供達は どこへきえたか
甲虫の眠りを驚かせた 彼等は
樹液に集った 山蜂たちは
容易に みつからない不思議な蝶は

落葉する森へ行かう
思ひ出の 足音がきかれるから
珍しかった 青いどんぐりが無数に落ちているから

渡り鳥が梢をかすめる と
冬の風景をのせた雲がいそぎ足にとほりすぎる
そうして耳もとでささやくのです
ゆきゆきてかへらぬ人よ! 過去の日々よ と


58.

雑草の芽立ち

枯草のあはひに
また 日向のくぼみに みられる
名もない草の芽生えの美しさ

おもい雪の下で
また 厳しい 霜柱のかげで
微笑をなげかける きみたち!

溝蕎麦の瑠璃いろの草の実をしのばせたり
どうかすると 小さい花をつけたきみたち
きらきら その緑の葉っぱを輝かせながら

三寸にのびた麦の細いベルトが寒風に首をちぢめているとき
過ぎ去った歳月を忘れた枯草の老人の足許で
流れる銀いろの雲を眺めていた きみたち

すさんだ世相にもめげず
いかなる最悪の状態も不満とせず
まっすぐな 生存意欲に光る瞳よきみたち

一月の雑草の芽立ちの素晴らしさ!
水仙や 葉牡丹や 南天の(赤い実の)下で
緑の円光を噴き上げる きみたち


59.

無題1

何といふあはただしさであらう
一勢にとびたった鳥のようで
栗の木の葉っぱは 一陣の風と共に散ったのです
冬枯の芝生に……。

何んといふあはただしさであらう
校庭から散った 小供達のように
椋の木の葉は 散ってしまったのです
森の木蔭に……。

何といふ あはただしさであらう
時雨がとほりすぎると
山には粉雪のたより
水車の水は枯れて
粉ひきの娘さんの姿は みえない

何といふ あはただしさであらう
雄鶏の緋のとさかに
残菊の白い花房に
戯れた 冬の陽の斜光のすばやさよ

何といふ あはただしさであらう
もみすりの動力線にかげった残光に
供出表を眺めた雀たち


60.

無題2

誰だ 桑の葉を落してゆくのは
次から次へ 落ちてゆくその跫音
なんといふ早さだ

夕映えに黄色い手を挙げた彼女達は
けさ醜い老母のように変りはてた

誰だ この頽廃を挽回するものはないか
森の入口の芭蕉も
櫨の紅葉も 萎んでしまった
霜の廃墟 霜の砂漠は 寂しくてならない

誰か 大声で 叱咤するものはないか
北の窓は かたくとぢられ
うづくまった鶏達は鶏舎で
藁帽子は ふところ手のままで
永遠の睡りが 凍結の冬がくる……。

誰だ 径を走りゆくものは
だが その見えない手は
私の頬を 厳しくたたき
冬の先触れをつげる
ああ 神の笞よ 霊魂の冬よ


61.

無題3

今宵
川は温泉(いでゆ)の湯煙をたてて流れていた
それで 月は
すっかり野霧の沼に溺れるより他なかった

人声も 犬の遠吠えも
この世の外にあったし
森の灯も童話(メルヘン)のなかにあった

客人も 霧の海の中に消えたし
夜気も しんしんとして寝沈まった

うちよせる無言の波浪よ
夢遊病者よ
愴浪ときえた影の影よ


62.

無題4

霧なり 白き霧なり
夢のごとき 径なり
ノスタルジヤの霧なり
忘れん 術なき 胸のきず
ああ そは 幻の果かなさ

霧なり 白き霧なり
眠れる海の昧爽(よあけ)なり
仮泊の 船の 別れなり
つれなき人よ くちづけの
ああ そは 白きばらの花

霧なり 白き霧なり
光れる枯草の遠野なり
月魂(つきじろ)の嘆きの霧なり
吾妹子の 溺れたる
ああ そは 憂ひの深き沼

霧なり 白き霧なり
四辻に迷へる羊なり
はねたるテアトルの吐息なり
失へる人影をしたえる
ああ そは 盲ひの シルエツト

霧なり 白き霧なり
峯々を渡る行者なり
山彦ときたりし霧なり
穢れなき水上や
ああ そは 遠つ代の啓示(さとし)


63.

無題5

雨が木肌にしみ
緑の流れが あなたの瞳を染めた
──とでもいほうか
杉林の匂ひが
夕碁と共に訪れる

浅酌の盃には
ほのかな花葩を浮べよ
れんげ草の一房を つまとせよ
卓上には蚕豆のその一本を飾れ
沈丁花をくぐったあなたの脂粉を
花らんぷのかげに運べ

火桶の埋み火にかざした
あなたの指先から
たちのぼるけむり
流れるときのかなたのしづけざ
床の椿が紅く落ちたのはその時だった

疎林にかかる 眉細き月影よ
うれひに 曇る青白き道よ
夢は あなたの指にからまる花菱草
蝶よ
眠れ


64.

横井礼以氏へ

夜明けの霧が流れる
真夏の夜の夢から醒めた海の貌の上を

白い翼が浮んでいる
あなたはその不自由な服で逐っている
魚族や 海草の物語りを
 不思議の国のアリスのように
あなたの鋭い心眼は
花々にローマンを 人に神性を
そして 風景にリズムをたのしんだ

スーベニールよ
単純のなかの素晴しいオクターブよ
あなたは静かに唄っている
そして静かに流れている
光のように 微風のように
偉大なる魂の美の巡礼者!

            中日文化(第三回)賞を授けられたヨコイレイ氏の記念祝賀会にあたり敬愛する仝氏に献じた詩篇 二五・五・一四


65.

種子屋の店先に立つのは愉快だ

いろいろの球根が机の中にころがってゐるから
親父はその花の名称と色彩をつたえる
土の香をもった球根は
うさんくさそうに
親父の説明なんか問題にしない
いい買主にとり上げられることを求めている
早くこの店からひろい上げて貰ひ
よく耕された土壌に入れて貰ふだけしか考へない
他愛ない私の心情を酌んでくれるひとはないか
真剣な私の生存要求を入れてくれる人はないか

チューリップもサフランも紅百合も
みえない手をさしのべている
無愛想者のダリアがすねている
待ちきれないやつは一寸芽を出して
やんちゃな子供のように
よう 早く よう とせがんでいる
それや これやでみんなごろごろ動き出そうとしているから……


66.

最初の朝

夜着を首のまわりに引き寄せる
ちらと、戸の透きまから月明りに似た、うすあかり
もう暫らく仮睦(まどろ)みようと考へる。

呼吸をころしてから
吸ひこんだ冷たい空気が
私に軽い嚏(くさゑ)を誘った。

続けさま、二度三度
寝がえりをして
また深く、寝入ってしまった。

すえたる菊の香がする
野鳥の群れが、きたのだろう
猫が障子の小窓を通りすぎたから。

「えらい 雪ですよ」
「まだ寝ていますね」
隣人は長靴をはたいていた。

犬をつれてきているらしい
その息吹きは、白い雪の上を走ってきて
疎林の櫨の梢に、最初の朝の陽を告げた。


67.

朝の会話

すっかり葉の落ちた桑畑では
菜種と蚕豆とほうれん草の芽立ち
伊吹の尾根を滑った丹陽(たんよう)地区の風景だった
ぼくとつの手をのべた桑の木の間を通って
拡げた青い麦の三寸の隊列に出遇(でつくわ)すと
私達の朝の会話は白く白く匂った
不安も動揺も忘れよう
生活のくるしさ、つらさ
時世の混乱や、信義の乱れも忘れよう
水渇れた川の橋を渡り、沈黙の径を辿り
飾られた墓前の花に眼を注ぎ
しょうしょうたる竹むらの方へ
歩いてゆく私の影を見送らう。


68.

青沼

気狂は 自分を知らない
たわごとをいふ
自分をいためる
妄想が るみのやうに かけまわる

酒だ、女だ、金だ
めまぐるしいスパークルだ
盲爆だ、不眠の夜がつづく
死んでしまえ
離縁だ、首くくれ
悪魔の笑ひは 君を讃える

夜が更ける
世紀がくづれる
生ける屍の行列がつづく
骸骨旗よ
地獄の歌をうたえ

赤い舌が燃える
青い沼がひろがる
終末の銅鑼が海に吸はれる
ああ 無名の船は沈んだ
月歿とともに……


遺稿を整理して

中山伸 落合茂 伴野憲

 高木斐瑳雄君が亡くなってからもう七年、歴史は七年の時間をうしろへ押しやってしまった。

 遺稿詩集の上梓を、かねてから念願されていた沙登未亡人やご舎弟高木喜代治、栄三、脩吉の諸氏の依願によって、遺稿の整理と出版のお手伝いを引受けその間二ケ月、 やっと題が「寒ざらし」と決定するにおよんで、ながい間肩にしていた荷をおろした思いをした。それほど私達はこの出版を夢に見、長い間待ち望んでいたことを改めて思い知った。

 彼が詩を書き始めたのがたしか大正十年頃、昭和二十八年まで実に三十三年間に亘って書き続けたわけになる。思えば、中部日本誌壇の開花期(大正十一年から昭和五、 六年頃まで)に当って華々しく活躍した詩人群の中で特に立派であった一人として彼を讃嘆する人達は多い。若い頃から永眠まで、終始春風駘蕩、人柄円満、祭礼を喜び、宴を好み、 花を愛し、田園を憧憬した。彼は彼独自、彼の詩、時流に媚を売らず、彼自身の世界をゆったりと歩み進んだ。しかしながら、その振幅は広かった。思い出せばきりがない。 あの温和な人柄の中からひとたび烈々とした熱情が激流する時、彼は詩活動においてあるいは先駆し、あるいは指導し、また進んで開拓をした。それをいまさら言うのはおかしいほど──。 若い或る時期、東京へ出たいと必死に考えたことがあったようだが、長兄であるがゆえに家業に殉じ、出生の地名古屋を去らなかった。はからずもそれが、中部日本詩壇の育成という大きな貢献と、 詩業という美しい遺産をのこすことになったのであった。

 彼自ら言ったように<ホイットマン>の刺激と影響を受けたことは既刊の詩集「青い嵐」「昧爽の花」「天道祭」そしてこの「寒ざらし」の諸作品によって実証は得られるし、 どのように詩を歩いたかの足跡も瞭然とする。また、詩集「天道祭」(昭和四年)の中で《おてんと祭・太陽礼讃・万物礼讃・神と生物との温い握手・もっとそれ以上の力と熱と美・ 詩はそれらを言霊の美妙ないのちをもって交流する。私はここにこの詩集の重心をおく。私はこの詩集がこの表示の一部をはたしていることを信じ、この厳粛なる祭典の言葉にかへる》 と強く高らかに言い切っているのに耳を傾けたい。

 本詩集では作品「寒ざらし」を彼の最後の作と目し、その故に巻頭に、詩集「天道祭」以降の作品を昭和六年発刊の詩誌「友情」の中に求めて「碪青磁」とし、 また「黄い扇」は当時自筆自装限定版(これはごく一部の知友に頒け、現在では五部とは残っていないだろう)をそのままに、「サギト」は自ら刊行を準備し原稿を一冊にまとめあげて置いた未刊のもの、 「青い沼」は戦後終焉までの作品の中から、という配列にした。戦災にあい、尾北の野田野山の静開な森の中に新居を建て、そこで悠々自適の彼の心境を私達はよく諒解できる。 朝は早起き、薪割り、さては畑作り、村の人達とのつき合い、名古屋の本社への通勤など、多忙ではあったがその喜びは全身に溢れ、 田園を愛する彼の心の故郷をここに見付けた明るさは大変なものであった。昭和二十二年二月にはいち早く「新日本詩人懇話会」を結成して敗戦の荒廃の中で詩人達に呼びかけ、 いつも名古屋の例会の席へ、自ら作った畑の芋をむし芋にし、風呂敷にさげて持参し皆にふるまったりしたものだ。

 名古屋詩壇の歴史四十年の中で、その形成期、そして戦後の立ちあがり期に彼が卒先してどんなに貴重な役目を果したかは、この地の詩人達は決して忘れはしない。 それゆえに、さらにまた、彼の作品への回顧や再認識によって、ただそこに彼の面影を探すだけにとどまることなく、強靭なエネルギーを新らしい世紀の詩へと流し込みつつある。

 この出版に当って装幀、装画の仕事をこころよくして下さった三画伯の芳情、栄印刷の横井節之輔氏の好意など、みな彼の知友の心からなる今日の美しい手向けである。

 サロン・ド・ポエット同人、短詩型文学連盟詩部委員長、中部日本詩人連盟顧問、日本詩人クラブ会員であった。


  後記

 いま亡兄の七回忌に当り、遺稿をまとめて霊前にお供えできるようになりましたことを心からうれしく思います。
 生前はもとより、その後も引続いて変らぬご友情を寄せられた皆様、殊に厄介な遺稿の整理と編集とに、ご多忙の中の貴重な時間をさいてお骨折下さった伴野憲、落合茂、中山伸の諸氏、 さらにはこの出版について立派な装幀をして下さった鬼頭鍋三郎、ならびに装画を賜った横井礼以、中野安次郎の諸画伯と栄印刷の横井節之輔氏に心から厚く厚くお礼を申し上げます。
 終りに臨み、お手許にお届けしたこの遺稿集からご寸暇故人をお思出し頂ければ、この上の幸福はございません。
 皆様のご健勝とご多幸をお祈りしつつ。
  昭和三十四年九月二十六日
                高木喜代治

同じ著者によりて
青い嵐    (詩集)一九二二年 絶版
昧爽の花   (詩集)一九二三年 絶版
天道祭    (詩集)一九二九年 絶版
黄い扇    (詩集)一九四一年 絶版

明治三十二年 十月一日 名古屋市東区中市場町に於て創業二百余年の薬種商伊勢久商店六代目高木虎太郡の長男として出生。本名久一郎。同志社大学中退。
大正十年十月  大垣市に稲川勝次郎と角笛社を創立し、詩誌「角笛」を出す。
大正十一年八月  処女詩集「青い嵐」を角笛社から出版。
大正十一年九月  井口蕉花、春山行夫、佐藤一英、斎藤光次郎、稲川勝次郎らと詩誌「青騎士」を創刊。
大正十二年十一月  第二詩集「昧爽の花」を出版。
大正十二年十二月  「名古屋詩人連盟」を提唱、結成に参与し、機関紙「先鋒」を出す。
大正十三年三月  日本詩話会々員となる。
大正十三年九月  詩誌「風と家と岬」を中山伸、佐野英一郎と発起し、野々部逸二、伴野憲、鵜飼選吉、斎藤光次郡、岡山東らと創刊。
大正十四年九月  「風と家と岬」を改題「清火天」とする。
大正十五年一月  さきの「清火天」を「新生」と改題し、杉本駿彦、永瀬清子、岡田淑子(現在井上姓)を加える。
大正十五年十月  「東海詩人協会」発足に尽力し、アンソロジー「東海詩集」の編集委員となり、連年三回におよぶ。
昭和四年十一月  第三詩集「天道祭」を東文堂書店より出版。
昭和六年十一月  伴野憲、仲山伸と三人詩誌「友情」を創刊。
昭和十六年七月  第四詩集「黄い扇」を自家版として出す。
昭和十六年十月  文学報国会に関連し東海詩人連盟を結成する。
昭和十七年   名古屋市翼賛文化連盟主催綜合芸術展に野口米次郎、中山伸と共に審査員となる。
昭和二十二年二月 亀山巌、中山伸、伴野憲らと「新日本詩人懇話会」を発起し、吉田暁一郎、永田義天、坂野草史、丹羽壮一、梶浦正之、中条雅二、野川友喜、平林平八郎らと、 敗戦焦土の名古屋に新しい詩運動を展開。
昭和二十五年十一月   「名古屋市芸術祭」の参加詩作品の審査員となる。 のち短詩型文学連盟主催による「短詩型文学祭」と改称せられるも伴野憲、中山伸らと終焉まで連年これに尽力し審査にあたる。
昭和二十六年五月  「中部日本詩人連盟」が結成せられるやその顧問となる。
昭和二十八年  中部詩人サロン創立と詩誌「サロン・ド・ポエット」創刊に尽す。
賭和二十八年  九月二十四日 愛知県丹羽郡大口村野田野山の自宅に於て永眠。五十三才だった。病名は脳溢血。


奥付

奥付


凡例

表記は仮名遣ひの不統一などすべて原本に従った。ルビは( )内に、また表示上該当漢字がないものも( )に読みを記すにとどめた。(追って改良します)。
新漢字のあるもの、明らかな誤植はこれを改めた。詩篇には頁の代はりに番号を新たに付した。(編者識)


コメント:四季派の外縁を散歩する「名古屋の詩人達 その1」
Memorandum :高木斐瑳雄のこと


たかぎ ひさお【高木斐瑳雄】(1899〜1953)

年譜


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