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村瀬秋水 (1794 寛政6年 〜 1876 明治9年7月29日 83歳)
名は初め清、のちに澂・徽と改む。字は世猷。通称を真吾、のち太六(太良九)と改め平三郎とも称す。号は初め韓江、のち秋水、湖石齋、晩年或は秋翁と。


村瀬秋水 掛軸 (2010年05月入手)

村瀬秋水

p1

p2

秋壑翠圖
  庚戌(嘉永三年)冬日冩
  奉
 柳溪先生一粲
         秋水源徽

余今秋九月有虞之職僻居山中半閲月
頗脱市中之塵累殆如在于世外一日早起
忽見遠近林木變色乃知時序已属晩秋
其眼前心際無適而不可愛亦無處而
不可畫 於此展一帋漫作此圖固不求形似
特寄興會情耳不復計我筆之工拙也
先生如不斥其拙一笑留之几邊幸矣
   徽又識

秋壑翠図
  庚戌(嘉永三年)冬日写す
  奉
 (神田)柳溪先生 一粲
         秋水 源 徽

余、今秋九月、虞の職(山林管理の仕事)有り。山中半ばに僻居して月を閲す。
頗ぶる市中の塵累を脱すれば、殆んど世外に在るが如し。一日、早起すれば
忽ち遠近の林木の変色を見る。乃ち時序の已に晩秋に属せしを知れり。
其の眼前心際、適ふ無ければ愛すべからず、また処なければ描くべからず。
此において一紙を展べ漫りに此の図を作す。固より形似を求めず
特(ひと)り興の情に会するに寄せるのみにして、復た我が筆の工(巧)拙を計らず也。
先生もし其の拙を斥(しりぞ)けず、一笑して之を几辺に留むれば幸ひかな。
   徽又識す


村瀬秋水 掛軸 (2010年12月入手)

p4  p5

淡々疎々、梅一枝。
水仙花は発して秀姿を闘はす。


村瀬秋水 掛軸 (2009年9月入手)

p6

霜葉風花畫最難
花多爲菊少爲蘭
平生愛蘐山中艸
莫待花開別眼看
秋水翁

霜葉と風花(※紅葉と桜)とは、画くに最も難し。
花の多きは菊と為し、少なければ蘭と為す。
平生、蘐(※萱草)を愛す、山中の草なり。
花開くを待ちて別眼で看るなかれ。

p7    p8


村瀬秋水 掛軸 (2006年10月入手)

p9 p10

「孤舟蓑笠獨釣寒江雪」

p11 p12


村瀬秋水 掛軸 (2007年1月入手)

p13 p14

 


村瀬秋水 掛軸 (2020年8月入手)


(クリックで拡大)


村瀬秋水 掛軸 (2020年8月入手)



青紅楼観護烟霞
湖曲高亭竹逕斜
日出炎埃生九野
松陰水石養苔花
題畫圖 湖石齋主 源徴 録

青紅(※絵の具)、楼は観る、烟霞を護るを、
湖の曲(くま)の高亭、竹逕斜めなり。
日、出でて炎埃、九野(※天下)に生ず、
松陰水石、苔花を養ふ。


画図に題す 湖石齋主 源徴 録す。


『秋水山人墨戯(南遊墨戯巻)』

山陽先生評、相州柳田復校訂、[天保十四年]、湖石齋蔵版(私家版)

秋水山人墨戯


『己未秋日作草稿』 PDF(1.7mb)

(岐阜県図書館蔵) 6丁 25cm 己未は安政6年、秋水66歳。

p15


己未秋日作草稿五古十篇之七
己未(安政6年)秋日作の草稿  五古十篇の七

(1)
老朽六十五。身計固任天。自幼頑且鈍。性但嗜山画。
随父遊名府。阻今五十年。問法叩名匠。遂無究其淵。
有聞養我者。家父意不歓。分産亦不許。怱々遷歳月。
因以佐家兄。其身陥俗纏。父亡已卅歳。兄没七年前。
兄甞養一子。箕裘以業伝。我身纔脱累。近得帰静閑。
退身山林地。草木清且妍。戸庭無塵雑。斗室錬画禅。
画禅亦経済。糊口付自然。
(1)
老朽六十五、身計、もとより天に任す。幼より頑かつ鈍。
性はただ山を画くことをたしなむのみ。
父に随って名府(名古屋)に遊ぶ、今に阻(へだ)つこと五十年。
法を問ひ名匠を叩くも、遂にその淵を究めること無し。
我を養はんとする者あると聞く。家父、意は歓ばず、産を分ける(分家)も許さず。
怱々として歳月遷り、因りて以て家兄(村瀬藤城)を佐(たす)け、その身は俗の纏はるに陥る。
父亡じてすでに三十歳、兄は七年前に没す。
兄かつて一子を養ひ、箕裘の業(※家業)もって伝ふ。我が身わずかに(ようやく)累を脱す。
近く静閑に帰すを得て、身を山林の地に退く。
草木清く且つ妍(うつく)しく、戸庭に塵の雑(まじ)ふなし。
斗室(小部屋)、画禅を錬る。画禅また経済なり、糊口(※生計)自然に付く。


(2)
近来脱俗累。始得卜幽居。一区清静処。草屋倚山隈。
紙筆堆榻上。帙散又読書。有客時論画。笑談心自舒。
至此敦宿好。林園踈名利。養真占此地。何更求美誉。
(2)
近来、俗累を脱し、始めて幽居を卜する(※転宅)を得たり。
一区清静の処、草屋は山隈に倚る。
紙筆は榻上に堆く、帙を散らかしてまた書を読む。
客あれば時に画を論じ、笑談して心自ら舒(の)ぶ。
ここに至って宿好を敦うす。林園、名利に踈(うと)し。
真を養ふはこの地を占む。何ぞ更に美誉を求めん。


(3)
一去歛蹤跡。荏苒已四年。故人愛我趣。有時顧林園。
論文脱俗調。論画入新篇。此境如世外。物々隔[塵]縁。
秋菊香籬下。芙蓉発庭前。窮巷亦多楽。何必問蓬仙。
(3)
一たび去って蹤跡を歛(のぞ)み、荏苒すでに四年。
故人、我が趣を愛し、時に林園を顧みるあり。
文を論ずれば俗調を脱し、画を論ずれば新篇に入る。
この境、世外の如く、物々、塵縁を隔つ。
秋菊、籬下に香り、芙蓉、庭前に発(ひら)く。
窮巷また楽多し。何ぞ必ずしも蓬仙を問はん。


(4)
官命為虞職。公事聊相関。孰是無経営。此亦可自安。
但奈家兄没。𦾔業漸蕭然。不似守我職。多歳管林泉。
已使家声減。纔有伝姓名。我又去其宅。自炊居山辺。
哀哉宗家事。窮乏半鬻田。怱々十余歳。豈計値是艱。
有生必有死。有暑必有寒。復𦾔在何年。
(4)
官命じて、虞職(※古城山山奉行)と為り、公事いささか相ひ関す。
孰(いづ)れか是か、経営すること無く、これまた自ら安んずるべし。
ただ家兄の没せしをいかんせん。旧業ようやく(※次第に)蕭然たり。
我れ、職を守るに似ず。多歳、林泉に管す。
すでに家声をして減じせしめ、わずかに姓名を伝ふるのみ。
我またその宅を去りて、自炊して山辺に居る。
哀しいかな、宗家のこと。窮乏して半ば田をひさぐ。
怱々たる十余歳。あにこの艱にあふを計らんや。
生あれば死あり。暑あれば必ず寒あり。復旧いずれの年に在らん。


(5)
山林幽静処。固窮了残生。園中南瓜蔓。殆如擬邵生。
衰栄豈足怪。世路常在旃。幽人起居地。名利無相牽。
縑楮堆座外。揮毫耕硯田。
(5)
山林幽静の処。固より窮して(※『論語』)残生を了らん。
園中の南瓜の蔓、殆ど(※陶淵明の「飲酒」に出て来る)邵生に擬するがごとし。
衰・栄あに怪しむに足らんや。世路つねに旃(これ)あり。
幽人起居の地、名利、相ひ牽くなし。
縑楮は座外に堆し。揮毫して硯田を耕さん。


(6)
居此経四年。非為愛此宅。近多同心人。来必留数夕。
懐之幾春秋。今日正快適。草庵甚狭隘。造築加一席。
喜邀友生至。画論及古昔。展圖共欣賞。鑑定相与析。
(6)
ここに居して四年を経る。この宅を愛する為にはあらず。
近く同じ心の人多く、来れば必ず数夕を留む。
これを懐ひて幾春秋、今日正に快適なり。
草庵はなはだ狭隘なれば、造築して一席を加ふ。
喜びて友生の至るを邀(むか)へ、画論、古昔に及ぶ。
圖を展げてともに欣賞し、鑑定して相ひともに析(わか)つ。


(7)
友生賞我庵。市遠塵事隔。乃言似陶家。柴桑置田宅。
余笑答其言。何得陶家格。陶翁善属文。穎脱真詞伯。
高超節義人。寄酒晦其迹。不恥為躬耕。窮居弁生活。
余今無一畬。腹中無典籍。碌々空白頭。経営無奇策。
幸有一硯田。筆端鋤為適。偏楽友生来。談話終日夕。
聊又縦遥情。忘彼貧窮迫。
(7)
友生、我が庵の、市に遠く塵事を隔つを賞む。
乃ち言ふ、陶家に似る。柴桑(陶淵明の故郷)田宅に置くと。
余、笑ってその言に答ふ。
何ぞ陶家の格を得ん。陶翁よく文を属す。
穎脱まことの詞伯なり。高超節義の人なり。
酒に寄せてその迹を晦ます。躬(みず)から耕すとなすを恥ぢず。
窮居、生活を弁ず。
余、今に一の畬(焼畑)なし。腹中に典籍なし。
碌々むなしく白頭なり。経営、奇策なし。
幸ひに一硯田ありて、筆端の鋤、適ふとなす。
偏へに友生の来るを楽しむ。談話、日夕を終へ、
いささかまた遥情をほしいままにす。かの貧窮の迫るを忘る。

         秋水老人 稿

篇々風韻絶俗皆見公真面目矣妙々能切事情但不文耳。後藤松陰評。
篇々風韻絶俗みな公の真面目見るかな。妙々よく事情を切る。但だ不文のみ。後藤松陰評す。

諸作天真爛漫自肺腑中出自成韻節高処殆逼陶公卑亦不失儲孟今後叙景多於述懐則更妙。広瀬旭荘評。
諸作天真爛漫、自ら肺腑中を出し、自ら韻を成す。節の高き処は殆ど陶公に逼る。卑亦た不失儲孟。今後、述懐より叙景多くすれば則ち更に妙たらん。広瀬旭荘評す。

詩甚似陶而非敢学陶也其所居地位同也。村瀬太乙評。
詩は甚だ陶に似るも、敢て陶に学ぶには非る也。其の地に居る所、位は同じ也。村瀬太乙評。

諸作倶似淡而実美自然雅致他人所不可企及也。草場佩川評。
諸作、倶に淡きに似て実に美し。自然の雅致。他人の企及すべからざる所なり。草場佩川評。

慶応丁卯(3年1867)正月八日夜臥久不得寐復起坐閲旧作詩稿為之慨然因抄此五古七篇以示同志者也。秋水七十三叟。
慶応丁卯(3年1867)正月八日夜、臥すること久しうして寐るを得ず。復た起坐して旧作の詩稿を閲すれば之が為に慨然たり。因って此の五古七篇を抄して以て同志の者に示す也。秋水七十三叟。


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