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村瀬秋水 (1794 寛政6年 〜 1876 明治9年7月29日 83歳)
『秋水山人墨戯(南遊墨戯巻)』
山陽先生評、相州柳田復校訂、[天保十四年]、湖石齋蔵版(私家版)
天保二年、伊勢まで好事家秘蔵の画を観に旅行した際の紀行詩画に対し、生前の頼山陽が評言を付したもの。
天保十四年、山陽の書簡に篠崎小竹、雲華上人の跋を付して刊行された。
左:和紙袋綴版 右:粘葉装版(同袋)
時天保辛卯四月十七日發家上程此行蓋爲視多武収蔵黄子久畫理装云
時は天保辛卯(二年)卯四月十七日、家を発して程に上る。
此の行、けだし多武(多武峰:大和国)に収蔵の黄子久の画を視る為に装(旅装)を理(ととの)へると云ふ (黄子久=黄大痴/黄公望:元末の水墨画家)
美濃 秋水源澂
笠松訪文齋畫友時角田兄在坐作詩見示因次其韵
相對角公和數詩。文齋同病畫中癡。曽言専意追黄畫。陋處溪止亦我州
笠松に文齋画友を訪ふ、時に角田兄(角田錦江)坐に在り、作詩して示さる、因りて其の韵に次す
角公に相対して数詩に和す。文齋同病、画中の痴。曽て言ふ、意を専らにして黄画を追へど、陋き処、溪は止む、また我が州と。
十八日發笠松到桑名舟中即目
水面濛濛雨似絲。浪恬風冷掩篷時。枕肱一覺無人喚。舟到桑城亦未知。
十八日、笠松を発して桑名に到る、舟中即目
水面濛濛、雨、糸に似たり。浪、恬として風冷たく、篷を掩ふ時。枕肱一たび覚めて人の喚ぶ無し。舟、桑城に到りて亦た未だ知らず。
襄云両詩皆有粉本而善學之者(襄[のぼる:頼山陽の自称]云ふ。両詩、皆な粉本ありて而して善く之を学ぶ者なり)
襄云小幅具遠神如此可以壓巻(襄云ふ。小幅にして遠神を具ふ、此の如し。以て圧巻とすべし。)
廿日發關驛途上二首
勢州行盡乃伊州。曲徑穿巌或沿流。循麓知它有人處。小𣘺横處遇耕牛。
樹色青於染。綫花映水時。山深人迹絶。伐木丁々聲。
二十日、関駅を発しての途上二首
勢州、行き尽くして乃ち伊州。曲径、巌を穿ち或は流に沿ふ。麓を循(めぐ)れば知る、佗(他また)人有る処。小橋横たはる処、耕牛に遇ふ。
樹色、染より青し。綫花、水に青ずる時。山深く人迹絶ゆ。木を伐る丁々の声。
此二首伊州山中之景如覩(此の二首、伊州山中の景を覩る如し)
廿日宿 名張驛
蕭條荒驛伊賀州。高低茅屋接林丘。夜窓風暖山含雨。杜宇一聲添旅憂。
蕭条たる荒駅、伊賀の州。高低の茅屋、林丘に接す。夜窓風暖く山、雨を含む。杜宇一声、旅憂に添ふ。
廿一日到多武峯
鞋韈傍嵒角。危途踏白雲。石奇苔色古。風異薬苗薫。塔影盤空現。鐘聲隔谷聞。漸攀最高處。樹杪日將曛。
鞋韈岩角の傍ら、危途白雲を踏む。石は奇苔色は古く、風異なりて薬苗薫る。塔影盤に空しく現れ、鐘声谷を隔てて聞こゆ。漸く最高処に攀づれば樹杪、日は将に曛(く)れんとす。
平談而韵有餘(平談、而して韵に余り有り)
樹法穿挿疎密淡濃合格 (樹法の穿挿、疎密淡濃、格に合へり)
廿二日過松風館即目
清後招撫境。籬逕薬草開。松關人不到。只見向雲来。
清後、招撫の境。籬逕、薬草開く。松関、人到らず。只だ見る向ひて雲来るを。
音在長松落々中。冷然宛似撫孤桐。須知道士地清耳。自有心靈一點通。 此詩善學随園格
音在り長松の落々の中。冷然たり宛ら孤桐を撫すに似たり。須からく道士地耳を清くするを知るべし。自ら心霊有りて一点通ず。
此詩善學随園格(此の詩、善く随園の格を学べり)
訪葆光院
水石潺湲映曲欄。清風輕颺煮茶煙。老僧知我畫圖癖。數幅丹青掛壁看。
水石、潺湲たり、曲欄に映ず。清風軽く颺ぐ、茶を煮る煙。老僧、我が画図の癖を知る。数幅の丹青(絵)壁に掛けて看る。
樹疎而樓臺密配合失宜(樹は疎にして楼台は密、配合宜しきを失す。)
到賢聖院請視黄大痴画院時無主請之執事者有故不肯出視乃作
遊戯丹青二十年。毎視古畫乃欣然。初未能辨南北別。今知董黄有的傳。先師介翁曽有話。黄畫一巻此地存。聞之渇望空十載。今日乃尋此山巓。神霊之秘未許啓。
掻頭空對一溪煙。嗚呼千里之遊徒一耳。夙志不遂狂欲癲。 此詩不當止此
賢聖院に到り黄大痴の画を視んことを請ふ。院、時に主無く、之を執事なる者に請ふも、故(ゆゑ)有りて、出して視せることを肯ぜず、乃ち作る。
丹青に遊戯すること二十年、毎(つね)に古画を視れば乃ち欣然たり。初め未だ能く南北の別を弁ぜずも、今は知る、董黄有的伝。先師介翁かつて話有り、黄画一巻、此の地に存すと。
之を聞きて渇望すること空しく十載(十年)、今日乃ち此の山巓に尋ぬ。神霊の秘、未だ啓くを許さず、頭を掻きて空しく対す一溪の煙。嗚呼、千里の遊も徒(あだ)に一のみ。
夙志遂げずんば狂、癲せんと欲す。 (此の詩、当に此に止むべからず)
賢聖院客僧出紙索画席上作古木竹石
樹古枝不高。石老面唯醜。歳寒与竹墨。舊呼是三友。
賢聖院の客僧、紙を出して画を索(もと)む。席上、古木竹石を作す
樹は古く枝高からず。石老いて面唯だ醜し。歳寒、竹墨とともにす。旧と呼ぶ是れ三友。 合作(格に合ふ作なり)
廿四日發淡山到南都訪加藤翁
晨下淡山巓。客杉一身軽。拾収風光好。縦此詩画情。小憩時命酒。但爲養此生。青煙横林杪。白鴎集水泓。小径通大道。即知到舊京。高隠是誰屋。竹裡讀書聲。
廿四日、淡山を発して南都(奈良)へ到り加藤翁を訪ふ
晨下、淡山の巓。客杉、一身軽し。拾収して風光好く。此を縦にす、詩画の情。小憩、時に酒を命じ。但だ此の生を養ひと為す。青煙、林の杪に横たへ。白鴎、
水の泓きに集ふ。小径は大道に通ず。即ち知んぬ旧京に到るを。高隠、是れ誰の屋。竹裡、読書の声。
廿六日訪楽山翁於上野翁出所作小景見示因賦爲贈
伊賀楽山叟。聞名久慕之。沿叟好南宗画。董巨得風規。所作頗詣妙。墨法自淋漓。列岫籠蒼靄。寒流響董陂。吾亦耽此枝。但恨乏所師。今日一席話。胸中洗宿底。 此亦不當止此。
廿六日楽山翁を上野に訪ふ。翁作る所の小景を出し示さる、因りて賦して贈と為す
伊賀の楽山叟。名を聞きて久しく之を慕ふ。沿叟好南宗画。董巨、風規を得。作る所は頗る妙に詣り。墨法自ら淋漓。列岫、蒼靄に籠り。寒流、董陂に響く。吾亦た此の枝に耽る。
但だ恨む乏所師。今日一席話。胸中、宿底を洗ふ。 (此れ亦た当に此に止むべからず。)
偏點用之極遠之樹而已 (偏って点ず、これを極遠の樹に用ふるのみ)
自作小景呈楽山翁々酧我韓天壽山水一幅上有勾臺嶺紀春栞梁星嵒詩故云
旅窓作小景。袖之上高堂。楽翁賞吾画。焼香掃書床。一見如舊識。雅談到夕陽。窓頭茶烟繞。瓶裏芍薬香。韓翁江山画。雲物自蒼々。上有三人題。盡是吾友良。
墨痕如新繻。俯仰跡已茫。忽巻以贈我。瓊瑶感意長。殷勤記翁意。永年豈可忘。 (此詩叙謝意實際可愛)
自作小景、楽山翁(平松楽山)に呈す。翁、我に酧(むく)いるに韓天壽(山口凹港)の山水一幅を以てす、上に勾臺嶺(勾田台嶺)紀春栞(浦上春琴)梁星嵒(梁川星巌)の詩有り、
故に云ふ
旅窓、小景を作す。之を袖にして高堂に上る。楽翁、吾画を賞し。焼香して書床を掃く。一見、旧識の如し。雅談、夕陽に到る。窓頭、茶烟繞り。瓶裏、芍薬の香。韓翁の江山画。
雲物、自ら蒼々。上に三人の題有り。尽(ことごと)く是れ吾が友良。墨痕、新繻の如し。跡を俯仰するも已に茫たり。忽ち巻きて以て我に贈る。瓊瑶、意長(とこしな)へに感ず。
殷勤、翁が意を記す。永年、豈に忘るべけんや。 (此の詩、謝意の実際を叙して愛すべし)
廿七日發伊州到勢州 途上二首
峯巒羅立籠煙火。一路盤廻不覺賖。嫩緑陰中水濺處。高低欹側野人家。
行人倦日長。呼酒倚茆舎。間看前坡平。群牛散松下。 (山家之真面目如覩)
峯巒、羅を立てて煙火を籠めり。一路盤廻、賖(はる)かなるを覚えず。嫩緑陰中、水濺ぐ処。高低、側に欹つ野人家。
行人、日長に倦む。酒を呼びて茆舎に倚る。間(まま)看る、前坡の平らかなるを。群牛、松下に散ず。 (山家の真面目、覩る如し。)
描遠松似王叔明描牛亦甚有韵 (遠松を描いて王叔明に似たり。牛を描ける、また甚だ韵あり。)
遊多武峯及洞津既帰製山水一幅以寄贈洞津奥田氏
千里赴多武。尋畫入雲霞。寶山却空手。狂道勢海涯。買王且得羊。慰我奥氏家。堂々王健章。函蔵十幅多。幅々経營異。堂上飽烟波。對此帰期逼。未全醫吾痾。
還家思依倣。墨鍱試琢磨。精妙難攀逐。霜縑徒[浚]麻。仙凡自逈別。投筆輙長嗟。 (此詩寫出画家之骨髄合住)
多武峯及び洞津に遊び既にして帰り、山水一幅を製し以て洞津の奥田氏に寄贈す。
千里多武に赴く。画を尋ねて雲霞・宝山に入るも却て空手。狂ひて勢海の涯に道(ゆ)く。王(獻之の書)を買ひ且つ羊(欣の書)もを得たる、我を慰む奥氏の家。堂々たる王健章、
函蔵する十幅の多。幅々は経営異なり。堂上烟波に飽く。此に対して帰期逼るも、未だ全くは吾が痾は医せず。 家に還れば思ひ依倣たれば、墨鍱、琢磨を試す。精妙、攀逐し難く、
霜縑徒らに麻を[浚]す。仙凡、自ら逈(はる)かに別る。投筆、輙ち長嗟す。 (此の詩、画家の骨髄を写し出して合[住])
樹法疎密遠近分明皆合格無一點匠氣可謂真箇華人
(樹法の疎密遠近、分明なり。皆な格に合ひ、一点の匠気なく真箇の華人と謂ふべし)
介津拙脩翁得観奥田
氏珍蔵画遂製海山闊遠圖一横幅以呈謝翁
倪黄去世久。六法因誰傳。裛足去尋画。失望意惘然。拙翁高義在。訪之恃舊縁。翁乃延我去。長縑掛雲烟。欵曰王健章。變化没意筌。竝妙爲幅十。縦観喜欲顛。
青山紅蔚際。長橋飛閣懸。人物呼欲答。個々是神仙。既而指画肚。沈吟按其人。元季元章者。梅隱全其天。清初有元照。乃弇洲之孫。元章与元照。音近皆異文。
要之王家子。画譜自綿聯。江左三王称。芳聲未易専。健章定門葉。一堂應並肩。就此得師學。奚復愁俗纏。斂筆求静韵。自知穉且頑。鼓筆要奇氣。亦非上乗禪。
静躁孰趣舎。其中択取旃。試爲製小景。開此一山川。贈翁以博笑。筆叙代口宣。 (此詩雖詩人所不易得也)
津拙脩翁(津坂拙脩)を介して奥田氏(奥田強齋)珍蔵する画を観るを得。遂に「海山闊遠図」の一横幅を製し、以て呈し翁に謝す。
倪黄(倪瓉と黄公望)去りて世々久し。(画技)六法、誰に因りて伝へん。足を裛(ぬ)らし去(ゆ)きて画を尋ねるも、失望、意は惘然たり。拙翁高義在り、之を訪ひ旧縁を恃む。
翁すなはち我を延いて去り、長縑(掛軸)雲烟に掛く。款(よろこ)びて曰く王健章と。変化没意の筌。並んで妙為る幅は十。縦観して喜び顛せんと欲す。
青山、紅蔚の際。長橋、飛閣懸る。(画中の)人物呼べば答へんと欲し、個々は是れ神仙。既にして画肚を指し。沈吟、其の人を按ず。元季(元代)の元章(王冕)なる者は、梅隱全其天。
清初にも元照(王鑑)あり、乃ち弇洲(王世貞)の孫なり。元章と元照と、音近けれど皆な文を異にす。之を要するに王家の子、画譜自ら綿連たり。江左の三王(王士禎、王士禄、王士祐)と称し、
芳声未だ専ら(ひとりじめ)なるを易へず。健章(王健章)も定めて門葉(一族)ならん、一堂まさに肩を並ぶべし。此に師を得て学に就かば、なんぞ復た俗の纏はるを愁へん。
筆を斂めて静韵を求め、自ら稚く且つ頑ななるを知る。筆を鼓すれば奇気を要すれど、亦た上乗禅には非ず。静・躁いずれか趣舎(取捨)せん。其の中に旃(これ)を択び取り、試みに小景を製して為す。
此に開く一山川。翁に贈りて以て笑を博さん。筆叙は口に代りて宣し。
(此の詩、詩人と雖も易くは得ざるところ也。)
畫山水一幅寄贈南都某君今夏澂過南都欲訪某君先就加藤先生謀聞某君會有官事而不果訪既而聞黄大痴天池石壁圖多武所舊蔵亦近轉在某君家故叙如此求便以呈爲他日相見之資焉時七月上浣
聞君學介翁。畫法超凡流。吾亦同此嗜。介翁曽従遊。則吾於君也。豈道不同儔。工拙或異科。知非風馬牛。適傳大痴画。多武寺中収。聞之擬徃覩。今夏到南州。 恨彼喪画所。行路空悠々。徃帰径君邑。輙欲訪絳幬。聞君有官事。時迎縣尹騶。此際知煩擾。登龍不敢求。既而還家臥。夢中尚冥捜。如聞多武物。今蔵君林邱。 於是驚且喜。神品免沈浮。蔵在同好家。猶似龍帰湫。或有徃請日。寧許登其樓。此期雖未約。此事亦當謀。此情托詩句。一對遥附郵。併呈吾画拙。幸莫叱暗投。 (章法自在深得五古之格)
画山水一幅を南都の某君に寄贈す。今夏、澂[秋水自称]南都を過ぎり某君を訪ねんと欲す。先づ加藤先生に就いて謀り聞く、某君會て官事ありて訪ふを果はず、 既にして聞黄大痴の「天池石壁図』多武に旧蔵する所、また近く転じて某君の家に在り。故に此のごとく求めるを叙して、便ち以て呈して他日相見(まみ)ゆるの資と為す。時に七月上浣。
聞く君、介翁に学ぶと。画法は凡流を超ゆ。吾れまた此の嗜みを同うす。介翁曽て従遊。則吾於君也。豈に道の儔を同じくせざらんや。工拙は或ひは科を異にするも、 風馬牛(無関係)に非ざるを知る。適(たまた)ま大痴の画を伝ふ。多武寺の中に収む。之を聞けば徃きて覩んことを擬す。今夏、南州に到るも、彼の画所を喪ふを恨めり。行路、空しく悠々。 徃帰径君邑。輙ち絳幬を訪はんと欲す。聞く君、官事ありと。時に県尹の騶を迎ふ。此の際、煩擾を知る。登龍は敢へて求めず。既にして家に還りて臥す。夢中なほ冥捜す。 如聞(きくならく)多武の物、今蔵君林邱。是において驚き且つ喜ぶ。神品、沈浮を免がる。同好の家に蔵し在り。猶ほ龍の湫に帰るに似たり。或は徃き日を請ふ有らん。 寧ぞ其の楼に登るを許さん。此の期(約束)未だ約せざると雖も。此の事亦た当に謀るべし。此の情、詩句に托す。一対遥に郵に付す。併せて吾が画の拙なるを呈す。 幸ひに叱り暗投すること莫れ。 (章法自在、深く五古の格を得。)
詩自畫入。故篇々風韵、讀至末篇乃縦横曲折、是讀書人詩、可以壓此巻尾。要之、萬藝無不以讀書爲本者。今世作詩文者、猶不甚讀書、何況畫人。然欲成名於畫知不可不讀書。 [不讀書]者之畫、終不免匠氣。識者以爲不足観也。澂也勉旃。有此玉昆金友。何患欠切磋也。
山陽老叟妄言 澂跡書
詩は画より入る。故に篇々風韵、末篇に読み至れば乃ち縦横曲折。是れ読書人の詩、以て此の巻尾を圧すべし。之を要するによろずの芸は読書を以て本と為さざる者なし。今世、 詩文を作る者、猶ほ読書に甚へず、何ぞ況んや画人をや。然らば画で名を成さんと欲すれば読書せざるべからざる。読書せざる者の画は、終に匠の気を免れざれば、識者は以て観るに足らずと為せる也。 澂や旃(これ)を勉めよ。此の「玉昆金友(すぐれた兄弟)」有りて、何ぞ切磋欠くことを患はん。
澂向聞元人黄大痴天池石壁圖収蔵在於多武峯某寺。乃徃請覩圖時不在寺。轉在南都某君之家也。輙又訪之請焉。君會官冗以無暇見辞實辛卯夏月之事。距今十有三年矣。
今茲再復経過南都就君懇請遂得償其夙望焉。因爲製水墨山水一幅係以此詩以寄呈君聊叙謝意爾時癸卯六月下浣
黄大痴画在多武。我嘗慕之事陟岵。千里之行我豈遠。唯失画所恨欠覩。今日適訪君亭宅。披圖爲我手掛壁。層巒畳嶂勢峭抜。映帯長林凌空碧。幾箇人家自成村。神仙居處正可識。
荊關正傳椎一峯。神品如是不易逢。江山呵護免沈浮。嘱君珍襲更幾重。
右一首山陽先生仙去後之作、因欠朱批、輙附巻尾
癸卯初秋秋水画伯一日来訪、出示此巻。余閲歴之佳篇傑作。山陽翁輙盡加評復有翁之画評、是天下之希覯也矣。讀至此詩、画伯所以遂其多年夙望。唯恨不使翁見之耳。
小竹老人弻
澂向(さき)に元人黄大痴の『天池石壁図』多武峯の某寺に収蔵して在るを聞く。乃ち徃きて覩んことを請ふに図、時に寺に在らず、転じて南都某君の家に在ると也。
輙ちまた之を訪ひて請へり。君、會(たまたま)官冗にして以て暇なく辞せらる。実に辛卯(天保2年)夏月の事、今を距つ十有三年なり。今茲再た復た南都を経過して君に就き懇請、
遂に其の夙望を償ひ得たり。因りて為に水墨山水一幅を製し以て此詩に係り以て君に寄呈し聊か謝意を叙せり。時に癸卯(天保14年)六月下浣(下旬)
黄大痴の画、多武に在り。我れ嘗て之を慕ひて事陟岵。千里の行我れ豈に遠しとせんや。唯だ画の所を失し覩るを欠くを恨む。今日適(たまたま)君の亭宅を訪ふ。
図を披きて我が為に手づから壁に掛く。層巒畳嶂、勢ひ峭抜。長林に映帯して空碧を凌ぐ。幾箇の人家自ら村を成し。神仙居る処正に識るべし。荊関正に伝あ椎一峯。
神品是の如く易らず逢ふ。江山呵護、沈浮を免がる。君に嘱す珍襲すること更に幾重。
右一首山陽先生の仙去後の作、因て朱批を欠く、輙ち巻尾に附す
癸卯(天保14年)初秋、秋水画伯一日来訪、此の巻を出し示す。余、之を閲歴すれば佳篇傑作。山陽翁輙ち尽(ことごと)く評を加へ復た翁の画評も有り。是れ天下の希覯なり。
此詩に読み至れば、画伯の其の多年の夙望を遂げる所以にして、唯だ恨むらくは翁をして之を見せしめざることのみ。
小竹老人弻
秋水老偶過我鴻雪處。見出示南遊巻。輙閲之、其詩畫皆妙也。氣韵可掬。頼翁云、詩自畫入、故風韵有餘。此言無間然也。
嗚呼、天然秀善、渾厚和平之氣、撲人眉宇。一望而知爲端人正士之作也。不勝垂涎、漫題一語於巻尾。
雲華方外史
秋水老、偶(たまたま)我が鴻雪処を過ぎり『南遊巻』を出し示めさる、輙ち之を閲するに其の詩画みな妙なり。気韵掬すべし。頼翁云ふ「詩は画より入り故に風韵余り有り」と。 此の言、間然なきなり。ああ、天然の秀善、渾厚和平の気、人の眉宇を撲つ。一望、而して端人正士の作為るを知る也。垂涎に勝(た)へず、漫りに一語を巻尾に題す
令弟画、度々御越、画帖も拝見、一々
風韻絶俗、可愛、有此兄有此弟(この兄ありてこの弟あり)
兄弟相為朋友、山中自有無
限娯楽と可羨候。僕ハ無兄
弟、客京軟塵中、騎虎之勢
不可中止、噬[臍]候事ども多御座候。
母も老候へバ、一面、帰藝州(広島)可申哉とも存
候へども、先人遺[志]も有之、又母
百年後ハ如何と存候へバ、ヤハリ時々帰
省、又迎母上國承歓候方よろしき
歟とも存候。鴨河、今春之雨ニてP
カハリ、皆向の岸へつき申候て、水亭
前砂磧倍熱候。鄙(ゐなか)にても水木蕭瑟
之処なれバ、可娯と存候。如何。猶拙之
身ニなり御考合(せ)可被下候。
扨、令弟「黄画」と聞て和州へ御出、王建
章と聞て勢州へ御轉遊など、飄々
風情、可愛又可咲。足下送無間
然。黄の某圖など云もの、唐山にてハ此
方(我国)の片つキ(肩衝)ノ茶入と申様の物ニて、何方ニ
収蔵と云事、御府之手前ニても帖面ニ
付有之、それニ付、年貢をもゆるし
あると云程(の由緒あるもの)なるべし。それが東海萬里外ニ
あるべき理なし。王建章十幅對ハ
僕廿年来承及候。此人明末清初、名
不甚著之人ニて、画も二三幅處
々ニ而見及候。是ハ真物なるべし。
凡、贋蹟ニても沈石田以下ハ、拙も時々處々
に而見及候。近来の王石谷・ツ壽平の類
更多候。元四大家などハ、贋も少く候。たまたま
あれバ、とんといけぬ子供だましの様のもの也。
沈文董アタリノ贋ハ、其時代のものなれバ、因其
贋想其眞、亦学画一助と可申。
令弟も御家務御間隙之時あらバ、拙方
ニ二三旬御滞留、少々なれども拙蔵古画
も可入御[覩・漑]。又乍及、拙聞見候だけの画
[診]申上候。何分讀書第一ニて、非
讀萬巻書行万里路(万巻の書を読み手て万里の路を行くにあらざれば)、不可為画
と申候。行万里路ハ誰も家務生計
あるものなれバ、難求候。萬巻書も難
遽々致ものなれ共、其百分(の)一にても画に
預(かり)候書だけニても渉猟心得居度(き)もの也。
そして所居境地、脱出塵俗、山巒
溪澗、竹木、花草、触目皆天然画
法ニて、発我天機(我が天機を発する)ものに候。此機、汨没(コツボツすれば)
塵埃中、則(ち)終歳不活動、故ニ
都会人付合ニかか里居候もの、画難
工、日(日々)与古人背馳候事ニて、令弟
など此処勝利中(の)四、五ニ候。此上、静ニ
読書、定学、画趣向むだの処ニ不用功力
様ニ被成(候)ハバ、沈石田ハさし置(き)、如近代
徐枋・邵彌の流、身在(れども)山林、名動(かす)四海之
業も可庶幾。況有乃兄可相娯乎。(況んや乃はち兄の相娯しむべき有るにおいてをや)。
此節『徐枋詩文集』舶来、四十年隠
居、是(れ)明(の)遺臣故、全節(節を全うせし)ためと相見候。
其内ニ某々諸峰、環繞吾廬、日
変其態如慰、辟世独居之人
と可申事有之、可欽可仰人ニ候。
拙ハ中夜臥讀之、不覚聳然起坐
候事ニ候。不盡。(天保二年)六月二十六日 襄
士錦世猷令兄弟
以上、頼山陽手紙の解読は徳富蘇峰著『頼山陽』大正15年302pに拠った。(一部訂正あり。)
鐡網珊瑚云海門張黄門静之藏黄大癡
天地石壁圖真本在石處士夢賢家上有
柳道傳詩下有錢翼之収蔵印云要之其
源本乃如此余今所観者縦雖贋作亦真可
愛玩寶之者因記其顛末 秋水識
『鉄網珊瑚(漢籍名:珍しい物を探し求めるの謂)』に云ふ、海門・張黄門・静之の蔵する黄大癡の「天地石壁図」、真本は石處士夢賢家に在り。上には柳道傳の詩あり、
下には錢翼之の収蔵印あると云ふ。
之を要するに其の源は本と乃ち此の如し。余の今観る所の者は、縦(たと)ひ贋作と雖も、亦た真(まこと)に愛玩して之を宝とすべき者なり。因りて其の顛末を記す。 秋水識
湖石齋蔵版