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江馬金粟(えま きんぞく) 1812 文化9年〜1882 明治15年


『金粟未呈稿』解題

 さきに自筆詩集を公開した大垣藩士の木村寛齋河合東皐と同じく、オークションサイトにおいて同一出品者から入手した詩稿の中に、やはり大垣の藩士であり洋学教授をつとめた江馬金粟が、1860安政七年(万延元年)の頃にまとめたと思しき自筆稿本『金粟未呈稿』なる小冊子があり、続いて紹介したい。

 江馬金粟(えま・きんぞく1812 文化9年 〜 1882明治15年)については、郷土医学史の碩学青木一郎先生による詳細な伝記『大垣藩の洋医 : 江馬元齢』(江馬文書研究会, 1977.5 334,14p)が存在する。名は桂、字は秋齢、通称を元齢・千次郎(幼名)、金粟はその号、明治の世まで生きのびた人である。著名な蘭学者である江馬蘭齋(1747-1838)の孫、すなわち閨秀詩人江馬細香の甥であるが、江馬家の当主でなく次男であり、彼が藩医となるべく医方に研鑽するようになったのは、斯様な恵まれた環境の中で多くの先輩に交わり、詩文の腕をほしいままに伸ばした青春期の後であったという。明治二年三月に書かれたという「金粟文稿自序」をみると、頼山陽を始めとする文人たちの許で育った彼の詩歴が、維新後の晩年に隠居吟を増やしていった多くの同年輩詩人達とは様相を異にする、早熟な古いものであることがわかる。村瀬氏も「金粟の交際は近代美濃文芸史上のすべての人々に及んでいるといえる。」と伝記の冒頭で述べている通り、徳川の世が終わり蘭学がすたれ、科学者としては知られなくなっているものの、江馬金粟は、幕末から遠く文政期までさかのぼる往時の漢詩壇の模様を、経験を以て語り得た最後世代の一人なのである。

予、年甫十三。学詩於梁川星巌。文於村瀬藤城及神田実甫。
十有五而従於家姨細香。始遊京師。
寓ョ山陽翁塾三年。而帰後、再遊浪華。
学洋書於岡研介及高野長英。
天保十一年庚子春、開業於我大垣竹島街。
山陽翁没後。得詩若文、則乞正於後藤世張。
世張次亦没。文墨之師太属冷索。
於是廃文筆。竭力於刀圭之術十五年。

予はじめて十三、詩を梁川星巌に、文を村瀬藤城及び神田実甫(柳溪)に学ぶ。
十有五にしておば細香に従い始めて京師に遊ぶ。頼山陽翁塾に寓すること三年。
而して帰後浪華に再遊し、洋書を岡研介(山口県岩国侯医)及び高野長英に学ぶ。
天保十一年庚子(1840)春、我が大垣竹島街に開業す。
山陽翁没後、詩もしくは文を得れば則ち正(斧正)を後藤世張(松陰)に乞ふ。世張次いでまた没す。 文墨の師、太だ冷索(衰微)に属す。
ここに於て文筆を廃し、力を刀圭の術(医術)につくすこと十五年。(以下略)
                「金粟文稿自序」明治二年三月より

 周知の通り、伯母の江馬細香(1787-1861)は、頼山陽(1780-1832)の妻となることのなかった相思の女弟子であり、また梁川星巌(1789-1858)・村瀬藤城(1791-1853)・柏淵蛙亭(1785-1835)らが集った美濃地方の詩社「白鷗社」や、その後大垣藩臣の小原鉄心が中心となって結成した「咬菜社」においても、詩画の才能・経歴ともに華のある閨秀として活躍した。傍らにあった金粟は、若くしてそれら全ての人脈と通じ、一方家業においても、大阪に遊学して高野長英や岡研介というシーボルトの高足から蘭学の手ほどきを受け、単なる医師でなく藩校洋学館の教授に就任するという、誠に恵まれた環境と経歴の持ち主だった。

 小伝の為人には、「譚は滑稽を雑へ、もっとも百物の声音形状を擬することを善くして人をして絶倒せしむ。」とあり、伯母さんの御供をして大垣から初めて京都に連れられてきた15歳の千次郎少年は、「宜しく大器と成るべし、小成に安んずるなかれ」と諭された頼山陽から、さぞ愛されたことであろう。
 また山陽からは「桂・秋齢」という名と字を授けられたが、桂の別名が「金粟」と知った彼は自ら号に定めた。さらにある席上で小野湖山から桂花に降る雨を「黄雨」と(趙翼の詩)示され、それまでの「藤渠堂」に加え「黄雨楼」なる庵号が生まれたということである。(「黄雨楼記」1865慶応元年より)

 さて明治15年に亡くなった彼は、詩人をもって任ずることがなかった為、学問書は出されても自身の詩集が生前死後にもなく(科学者であるのに写真が遺されていないのも残念に思われる)、没後ずいぶん経って東京の麋城会より遺稿集『黄雨楼集』(昭和9年78p)が刊行されたが、もと原稿にあった詩337篇、文92篇のうち、詩118篇、文38篇が収録されたに止まったものだという。未刊分を含め、伝記に即して適宜訓読や解説を付して紹介している青木氏の著作は、そのため江馬金粟に関する唯一無二の資料と呼んでよい貴重な資料となっている。

 ここに紹介するのは冒頭に述べたように、彼が1860安政七年(万延元年)の頃の詩稿を小冊子にまとめたものである。版心に「翠雨譯稿」と刷られた薄様和紙の原稿用箋(18.7×13.5cm)5枚に、楷書で24篇の詩が筆記され、表紙を付して紙縒で綴り、表紙の下部に「金粟未呈稿」と表題が記してある。
 翠雨とは、安政七年当時、藩校洋学館にてともに西洋流兵書の訳出に当っていた同僚、小寺常之助(名は弘、字は士毅、号は翠雨。大垣藩士。坪井芳洲、佐久間象山門下)のことで、彼が使用していた専用箋を拝借したのだと思われる。「未定稿」でなく「未呈稿」と読めるのは未呈出の謂か、資料の出所を考えると、さきの木村寛齋・河合東皐と同じく最初は小原鉄心に呈されていたものかもしれない。藩老として重用される鉄心だが、金粟の2才年下、彼に関係して03. 05. 24.の三篇の詩を収めている。

 『黄雨楼集』に収録されていない詩篇もあるが、未刊原稿には含まれているのだろうか。刊行形と異動のみられる詩篇もある(刊行形を#で表示)。 ためしに書き下してみたが、画像PDFとともに掲げるので読み誤り等、御教示をお待ちします。



金粟未呈稿
全文PDF(8.6Mb)

01. 庚申元旦
桝酒香浮面帶紅
曉暾移影射窓櫳
乾坤一革新春象
自在鳥声人語中

 庚申元旦(※安政七年)
桝酒、香り浮き、面、紅を帯び
曉暾、移影して窓櫳を射す
乾坤、一たび革まる新春の象
自ら鳥声、人語の中に在り


02. 畫鶴(#刊行形あり)
誰成丹鳥圖
嘹唳欲呼雛
久欠王候寵(#赤水思珠樹)
曾為處士奴(#青田存玉膚)
月前憐瘦影
松下占清癯
不識樊籠苦
雲山有夢無

 畫鶴
誰か成せる丹鳥の圖
嘹唳、雛を呼ばんと欲す
久しく王候の寵を欠きて(#赤水、珠樹を思ひ※山海經の故事)
曾て處士の奴と為る(#青田、玉膚を存す) (※故事不詳)
月前、瘦影を憐み
松下、清癯を占む
樊籠の苦を識らず
雲山、夢、有りや無しや


03. 題鐵心居 鉄心大夫課題(#刊行形あり)
郭裏種楳々不踈
氷心擁護鐵心居
獨醒之主花知否
要借清機檢簿書

 鐵心居に題す 鉄心大夫の課題
郭裏、楳を種えて楳、踈ならず
氷心は擁護す、鐵心居
獨り醒めゐる主、花は知るや否や
清機を借りるを要して、簿書を檢す


04. 春陰作晴 十二吟社課題
雨脚欲絲雲未開
懶鶯呼睡夢初回
東風忽地吹晴暖
杏綻桃嚬一併來

 春陰、晴を作す 十二吟社の課題
雨脚、絲ならんと欲するも雲、未だ開かず
懶鶯、睡を呼びて夢、初めて回る
東風忽地(たちまち)、晴暖を吹けば
杏綻び桃嚬(ひそ)みて、一に併び來らん


05. 鉄太夫見示蘇道所得之詩於毛芥々乃轉示余因寫其詩意作此圖以供大夫之一粲
活丹青裏活詩人
雲壑煙溪投此身
老脚無由踏艱險
從君新句寫天眞

 鉄太夫、蘇道得る所の詩を毛芥より示され、毛芥乃ち轉じて余にも示す。因りて其の詩意を寫して此の圖を作り、以て大夫の一粲に供す
活ける丹青(※画)の裏には、活ける詩人
雲壑煙溪、此の身を投ず
老脚、艱險を踏むに由し無ければ
君が新句に從ひて天眞を寫さん


06. 題名花十友圖
斑々花幾種
一併筆端開
嬌艷嫣江際
氷顔獨有梅

 名花十友圖に題す
斑々、花幾種
一に併びて、筆端開く
嬌艷、嫣紅(※深紅)の際
氷顔、獨り梅有り


07. 春窓聞鶯
緑罩窓紗紅已摧
晚鶯嬌舌語千回
海棠花重眠難起
喚醒濃々香夢来

 春窓、鶯を聞く
緑、窓紗に罩(こ)めて紅すでに摧(くだ)け
晚鶯の嬌舌、語ること千回
海棠、花重く眠り起き難く
醒めんと喚ぶも濃々、香夢来る


08. 雪日淺野氏小集分得韻麻
吟約具鞋杖
雪清強出家
林光連玉樹
山勢走銀蛇
瓢腹禦寒酒
炉頭愈渇茶
客來非白眼
沈坐到昏鴉

 雪日、淺野氏の小集、分ちて韻「麻」を得る。
吟約、鞋杖を具して
雪清ければ、強いて家を出づ
林光、玉樹連なり
山勢、銀蛇を走らす
瓢腹、寒を禦る酒
炉頭、愈よ茶に渇く
客来り白眼を非とす
沈坐、昏鴉に到らん


09. 10. 寓感 二首
身如驛馬奈奔馳
飯袋酒囊形似尸
世路破舟愁險々
官途痿脚憾遅々
終生志業空帰水
報國心肝唯託詩
霜雪滿顱吾老矣
殘冬兀座護茅茨

五夷来徃若為情
活眼誰能察変更
清國兵機轟砲響
神州治象湧絃声
曾無士氣帰邉警
空歎民心溺利名
咄已斯言非我吻
自甘一剣老書生

 寓感 二首
身は驛馬の如し、奈んぞ奔馳せん
飯袋酒囊、形、尸に似たり
世路、舟は破れて愁ひ險々
官途、脚は痿へて憾み遅々
終生の志業も空しく水に帰し
報國の心肝、唯だ詩に託す
霜雪(※白髪)は顱に滿つ、吾れ老いたり矣
殘冬、兀座して茅茨(※あばら家)を護る

五夷(※五胡:外夷)の来徃、情を若為(いか)んせん
活眼、誰か能く変更を察せん
清國の兵機、砲響を轟かすも
神州の治象、絃声を湧く(※安閑たる有様)
曾て士氣の邉警に帰すること無く
空しく民心の利名に溺るるを歎けり
咄、已に斯の言、我が吻に非ざるも
自ら甘んずるは、一剣の老書生


11. 岡崎城中有古井云
神君甞為諸卒所穿山本翁得其予桶以為花斗其形全然不朽古色粲然可愛乞余詩賦贈
神祖鑿井護堅城
綆桶分泉養渇兵
涵潤及翁眞樂地
[挿]将芳朶報昇平

 岡崎城中に古井有りて云ふ、神君(※家康)甞て諸卒の為に穿つ所、山本翁、其の予桶を得て以て花斗と為せり、其の形、全然不朽、古色粲然として愛すべし。余に詩を乞ふ。賦して贈る
神祖、井を鑿りて堅城を護り
綆桶、泉を分ちて渇兵を養ふ
涵潤、翁に及ぶ眞樂地
挿すに芳朶を将(も)って、昇平に報ゆ


12. - 18. 題自画山水 五絶七首
兎毛不論禿
乾擦墨斑々
畫法無来歴
雨窓漫寫山

不論墨淡濃
舐筆寫心胸
老腕為何用
営々日作峰

各家具真性
筆氣自為岐
潑墨娛清逸
誰稱老畫師
 老杜送鄭廣文詩云酒後常稱老画師 廣文固非画匠

任他為筆使
皴劈乱斜々
山凹空虛處
遙巒曳碧蛇
 王思善云使筆不可反為筆使

小舸輕如葉
柳陰撐棹過
夕陽半湾水
人影落清波

占家嵐翠間
水石擁柴関
世路多艱險
先生莫出山

万峰山四面
千澗水叉流
道士何邉住
白雲深處樓


 自画山水に題す 五絶七首
(※筆の)兎毛、禿を論ぜず
乾き擦れて、墨、斑々
畫法、来歴なし
雨窓、漫ろに山を寫す

墨の淡濃は論ぜず
筆を舐めて心胸を寫す
老腕、何の用をか為す
営々、日(ひび)峰を作す

各家、真性を具へ
筆氣、自ら岐を為す
潑墨、清逸を娛しむ
誰か、老畫師と稱す
  老杜(杜甫)の鄭廣文を送る詩に云ふ、酒後常に老画師を稱すと。廣文、固(もとよ)り画匠に非ず。

任他(さもあらばあれ)「筆の使ひ」と為らん
皴劈、乱れて斜々
山凹、空虛の處
遙巒、碧蛇を曳けり
  王思善云ふ、筆を使ふは不可なり、反って「筆の使ひ」と為れと。

小舸、輕きこと葉の如く
柳陰、棹を撐(さ)して過ぐ
夕陽、半湾の水
人影、清波に落つ

家を嵐翠の間に占ひ
水石を柴関に擁す
世路、艱險多し
先生、山を出ること莫れ

万峰、山、四面
千澗、水、又た流る
道士、何邉にかに住む
白雲、深き處の樓


19. 又
屋靠青山門枕谿
吚唔声裏夕陽低
篁陰盡日摸牕動
峰碧生涯映眼齊
淺水沙邉人獨釣
老松枝上鶴雙栖
林間沽酒童還晩
崖畔籠煙路欲迷

 又
屋は青山に靠(もた)れ、門は谿を枕とし
吚唔(※誦読)の声裏、夕陽低し
篁の陰は盡日、牕に摸して動き
峰の碧は涯(水際)に生じて、眼に齊しく映れり
淺水の沙邉、人、獨り釣りをり
老松の枝上、鶴、雙つ栖めり
林間、酒を沽(買)ふ童の還る晩
崖畔の籠煙、路に迷はんと欲す


20. 又(#刊行形あり)
有文而有畫
寫心誰能知
不敢好工致
眞似嫌多姿
世学倪黄者
棄骨撫其皮
施顰学逾醜
綘粧何療飢
論法原無法
耽詩不必詩
青山與碧水
觸眼是吾師
撥墨宜清逸
用筆須緩遅
縦横得意處
老腕出奇々
抛筆獨自笑
任人作狂痴


 又
文有り、而して畫有り
心を寫せり、誰か能く知らん
敢へて工致を好くせず
眞(まこと)に多姿を嫌ふに似る
世の倪黄(※倪瓚・黄公望)を学ぶ者
骨を棄てて其の皮を撫す
施顰(※西施の顰)、学べば逾よ醜し
綘粧、何ぞ飢えを療さん
論法、原と法無し
耽詩、必ずしも詩ならず
青山と碧水と
眼に觸るるが、是れ吾が師
撥墨、宜しく清逸なるべく
用筆、須らく緩遅なるべし
縦横、意を得る處
老腕も奇々を出だす
筆を抛って、獨り自ら笑ふ
人の狂痴と作すに任す


21. 題章魚圖 前田劉葊嘱
塩海何時受爛燻
滿身紅赤脚如藤
怪君厨下参腥味
瞠眼圓頭第一僧


 章魚の圖に題す 前田劉葊の嘱
塩海、何れの時か爛燻を受けし
滿身紅赤、脚は藤の如し
怪しむ、君が厨下に腥味が参ずるを
眼を瞠る圓頭第一の僧


22. 余平常晏起戲有此詩(#刊行形あり)
辜負先聖惜寸陰
三竿日上睡猶深
家妻早既朝餐了
不似姜妃甞脱簪

 余、平常晏起(※寝坊)す。戲れに此の詩有り
辜負す(※そむく)、先聖の寸陰を惜しむに
三竿日上(※陽も長けて)、睡り猶ほ深し
家妻、早や既に朝餐を了す
似ず、姜妃の甞て簪を脱するには(※宣王の寝坊を諌めた故事)


23. 萬延紀元庚申十月賀挑壷禪師上堂結冬(#刊行形あり)
有龍何者可追呼
忽爾看来眼裏無
雲語風言聴徹了
渇喉一滴令人蘇

 萬延紀元庚申十月、挑壷禪師の堂に上りて結冬(※冬籠もり)するを賀す
龍有り、何者ぞ追ふて呼ぶべく
忽爾、看来って眼裏に無し
雲語風言、聴き徹し了へ
渇ける喉に一滴、人をして蘇らしむ


24. 鐵心大夫以養老山産之竹製龍頭杖三箇以其一要贈海僊老人求余詩賦呈
一龍飛越(雪爪禪師)一龍津(拙堂先生)
養老峰頭縦屈伸
掀尾又從雲窟出
躍然遙伴海僊人

 鐵心大夫、養老山産の竹を以て龍頭杖三箇を製し、其の一を以て海僊老人(※小田海僊)に贈らんと要し余に詩を求むるに賦して呈す
一龍は飛越(※鴻雪爪)に、一龍は津に(※齋藤拙堂)
養老峰頭、屈伸を縦(ほしいまま)にす
尾を掀(あ)げ、又た雲窟より出でて
躍然として遙かに伴ふ、海僊人



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