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右:袋
『聖代春唱』
(せいだい しゅんしょう)
紀世允(堀田華陽)編 文政九年序, 1冊
元旦試毫 聖代春唱 九峯童梅龍 姓森名敬小字菊之助繼業之男
元旦に試毫す“聖代春唱”九歳の童の梅龍。姓は森、名は敬小、字は菊之助(※森梅龍)。継業(※森梅溪)の男(※息子)
筵其来往也。不命籃輿、唯曳一鳩杖。杖則
余七十之春 君公所恩賜者也。諸子
筆健、老夫身健、千春相共回翔藝苑、不
亦楽乎 文政丙戌首春
加納嘯臺宮田維禎識
井上 順。 字成象。 号松山。
佐藤 憲。 字有常。
森 勗 字継業。 号梅溪。 通称孫作。 森球の子。
『三野風雅』採録者
佐藤 煥。 字公章。
井上 仙山。 字有栲。 号楽正齋。
藤井 令壽。 字敬宜、春童 号安亭。 通称藤七。 『安亭集』あり。
『三野風雅』採録者
佐藤 温。 字如王。 号東山。 通称新助。
『三野風雅』採録者
菅 煕。 字公純。 号梅園。
三宅 守真。 字徳夫。 号東皋、信古齋、蓬原亭。 幼名弁二。
通称與三郎。
三宅暢(字季休号牛洞)の二男。寛政5.2.6〜文久2.6.3、穴釜墓地。18歳時(文化7年)宮田維禎の養子となり、篤太郎、篤起といった。
のち三宅家に復帰し、更に分家して断絶せる三宅与三郎家を継承した(『加納町史』)。『三野風雅』採録者
僧 玄珠。 字玄珠。
渡邉 章綱。 字伯有。 号裳華。
宮邉 記治。 字正卿。 号義竹園。 通称玄蕃、代々加納天満宮禰宜として藩公用を勤めた。嘉永6.4.28没。
穴釜墓地(『加納町史』)。『三野風雅』採録者
川出 羲。 号龍山。
(野)田 元堅。 字季好。 号新甫。 通称長十郎、のち文之右衛門と改む。また文柄と称す。
野田凰川、野田良阿の弟、岐阜中新町の酒造家の人。
金華山麓に草菴を構へ白石園と呼んだ。明和8年〜天保5.2.2(64歳)。墓は小熊町円龍寺に兄弟とともに眠る。『白石園集』あり(『濃飛文教史』)。『三野風雅』採録者
三宅 守常。 字廣業、徳。 号樅園。 通称熊助、のち左兵衛と改む。
三宅暢(字季休号牛洞)の長子。寛政3.5.16〜弘化4.1.13(57歳)。加納宿宿老。邸内の樅の木最たるを以て号を名づく。
開墾事業に功迹あり、鵜沼村の原野を拓く、曰く「左兵衛新田」と(『加納町史』)。『三野風雅』採録者
僧 智真。 字道猷。 号貫練、幽篁亭。 方県郡則武の人、尊照寺住職。『三野風雅』採録者
松波 邦道。 字子章。 号水齋。
僧 大信。 字年古。
小野 邦教。 字玄豹。 号石芝、青松堂。 通称周輔、厚見郡御園の医者。吉良流礼法の塾を開く。
『三野風雅』採録者
小塩 良記。 字仲猷。
宮田 龔。 字士愿。『三野風雅』採録者
伊藤 安賢。 字泰良。
紀 廸。 字世允。 号華陽。 野田元堅の甥。本書編纂者。
宮田 維禎。 『三野風雅』採録者
豊 嘉言。 字伯亨。 号華岳。
松浪 吉啓。 字教卿。 通称藤右衛門、加納宿本陣主人。
久村 長。 字士長。 号臨川。
西 益。 字伯謙。 号向陽。
僧 龍津。 字隣明。 号栄観。 姓は曽我、加納玄龍寺13世住職(『加納町史』)。
武(山) 恒徳。 字之固。 号赤壁。 通称巌。
岐阜町の医者。『三野風雅』採録者
僧 恵教。 字泰清。
郷 實元。 字子長。 号東岡。 通称新兵衛。 方県郡御望の人。
『三野風雅』採録者
羽田 時行。 字百生。 号張華。
安池 発。 字子興。 号松亭。
神山 恒殊。 字士彰。 号奕山。
藤田 美建。 字子楽。 号鷹華。
初謀此集於伯父新甫氏而不聴會嘯臺
老人見過曰一遊一豫閑人之度一首一
蘭庭階之観陽和使来鶯花被招橋藻春
葩以答天意何不可之有伯父笑而不答。
於是与吟社諸彦分題各賦物恨時逼歳
除繕録未終穐鼓已晝其不咸此者清
供新年春風春水何不一時来。
紀廸撰
初め此の集を伯父新甫氏に謀る。而して聴かれず。
會(たまた)ま嘯臺老人、過ぎられて曰く、
一遊一豫(※あそびたのしみ)は、閑人の度。
一首一蘭は、庭階の観。
陽和の使ひ来りて鶯花は橋に招かれ、
藻(※詩藻)の春葩、以て天意に答ふ。
何ぞ可ならざることこれ有らん、と。
伯父笑って答へず。
是に於いて吟社の諸彦と与に各おの賦す物を分題し、
時を恨みて、歳除逼るに繕ひ録す。
未だ穐(秋)終らざるに鼓は已に晝。
其れ咸な此者を新年に清供せずんば
春風春水、何ぞ一時に来らざらん。
紀 廸(堀田華陽)撰す。
跋
[実鳥]鳴一聲四山既曙初日熙々
照映於春雪之間和氣氤氳瞻
仰 聖代之景信可楽也紀世
允輯社友五言詩若干首上木
皆以古人春日詩句為題蓋其
意欲使社友懐之以為拝年之
贈可謂賛揚東君使陽春有脚
矣
文政丙戌元旦
新甫田元堅識
跋
[鶏?]鳴一聲、四山は既に曙、初日熙々として春雪の間を照映す。
和氣氤氳として聖代の景を仰ぎ瞻る。信(まこと)に楽しむべき也。
紀世允、社友の五言詩の若干首を輯めて上木す。
皆な古人の春日詩句を以て題と為す。
蓋し其の意(こころ)は、社友をして之を懐はしめ、以て拝年の贈と為さんと欲す。
東君(太陽)を賛揚し、陽春をして脚(※日脚)有らしめんとすと謂ふべし。
文政丙戌(文政九年)元旦
新甫 田元 堅(野田新甫)識す
奥付のない、地元吟社が発行した自費出版の稀覯本です。内題に「九峯童梅龍、姓森名敬け小字菊之助継業(森梅溪)之男」とありますから、 題字を書いてゐるのは実に嘯臺翁の畏友、森東門の孫といふことになります。正に『三野風雅』第二冊目に収められた人たちによる続編といった趣き。編集は紀廸世允、姓が紀、名が廸、 字が世允で、『濃飛文教史』によれば又の名を堀田華陽、岐阜中新町の人とありました。跋文は彼と、もうひとり新甫田元堅。この人は野田白石といふ詩人で新甫は別号、名が元堅、 字は季好、通称長十郎といふ天保5年に64歳で亡くなった同じく岐阜中新町の人。編者堀田華陽の伯父さんです。