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『伊東静雄 ──戦時下の抒情を考える』

青木由弥子 著 2023年3月12日 土曜美術社出版販売刊行 
400p, 19.4cm 上製カバー ISBN:978-4-8120-2743-1


 青木由弥子氏の新刊『伊東静雄―戦時下の抒情』を読了しました。
 伊東静雄──。語り尽されたかのようにみえる詩人ですが、それ故に、これまで多くの研究者が悩んできた難解な詩について、これまでの研究文献を博渉した結果を勘案し、省略・屈折の部分を避けることなく解釈がなされてゐます。

 平成以降の研究書は大学の先生方による分析がかった難解な業績論文が多く、敬遠して手にする機会もなかったのですが、久々に大好きな詩人と正対できました。なにより嬉しいのは「知識として読むのではなく、ひとつの体験として最初に出会った詩人が伊東静雄であった」(27p)と、抒情詩の要諦を制作者の立場で理解してゐる在野の詩人による執筆であることです。「いま伊東静雄を読む意義」を感じさせる文章であることも、後述するやうに私とは立ち位置が違ふものの、うれしく頼もしく感じられました。

 伊東静雄が特別な存在であったことを明かした著者は、彼の作品を宝石にたとへて、原石が叩き割られた際に放つ燿きや、それを怜悧に磨き上げる技量で魅せる第一、第二の詩集ではなく、敢へて「稜角をまろやかに磨き上げた」(28p)カボションカットが見せる石質、自(おのづか)らの透明度と、それから当時の日本に焼き付いた国防色との関係から、従来顧みられること少なかった第三詩集『春のいそぎ』に迫らうとします。
 すなはちタイトルにされた冒頭の第一章「伊東静雄──戦時下の抒情を考える」において、戦時下の伊東静雄の公的な身の処し方と、詩作にだけ顕れる私的繊細な心の処し方とのズレが指摘されてゐるのですが、そのズレが戦後、所謂「抒情詩人の戦争責任」が糺弾される際に、ささやかな抵抗と見做され、彼ひとりが他の多くの戦争詩の制作者から区別されてきたといふ、これまでの詩人評価の歴史があります。その結果に起こった、「“伊東静雄ともあらう詩人がなぜ、書いてしまったのか”」「“これを書いたからといって何が悪い”」と、 政治的に対立した戦後批評家たちについて、終章で簡単に説明されてゐますが、立ちはだかった難題の是非については敢へて踏み込まれてゐません。
 著者は本書を通じて、
「“戦争詩”は本心を守り公刊を担保するための戦時のカモフラージュである、というような欺瞞的な“弁護”をするつもりはない。」(146p)
といふ立場を堅持してゐます。そしてズレが生じた理由について、
「静雄の戦争詩は、詩人に公的な立場を求めない静雄の本来的な性向と、詩壇的リーダーシップを取るべき地位からも免れていた環境」(69p)
が奇しくも戦後は“弁明”として働いた僥倖を述べ、
「“大東亜戦争開戦の詔勅”は「支那事変」の大義を疑っていた知識人たちの疑念を払拭する、圧倒的な感動」(49p)
だったのであり、主義主張関係なしに詩人を含む当時の全ての知識人に、同じやうに迎へられたことを、事実として受け止めたいとしてゐます。
 なるほどアメリカの物量と戦へば負けるといふ冷静な分析も、アジア解放を掲げた大義に隠れた実態も、ともに情報源が新聞ラジオに限られてゐた殆どの国民には無縁で、さうした状況下でなされる詩作が本人の立場や性向により目下の戦争に対してどんな形をとるのかは、各詩人様々だったことでありましょう。

 「静雄の本来的な性向」は、『四季』『コギト』に拠った抒情詩人らしい謙遜と自尊とにあります。
 純情を護るため少々卑屈すぎる含羞やイロニーをまとったところの「いじらしさ」に、私は彼の一番の魅力が存すると思ってゐる者ですが、著者はむしろその防御を剥ぎ露はになったところの純情本来の「優しさ」、そして本書で力瘤を入れて考察する戦時下に於いては、時代に即して生きた詩人の正直な言葉が、はしなくも「預言」として顕れてゐることに、より多くの筆を費してゐます。

 「わが家はいよいよ小さし」の「そは秋におくれし花か さては冬越す菊か」を「菊の命運を問う」(82p)と皇室に見たてのはさすがに穿ちではと思ひましたが、『春のいそぎ』の実質的な掉尾をなす「夏の終」といふ詩は、戦後のアンソロジー『反響』収録に際しても末尾に配されてゐます。あたらしく書かれた「夏の終り」との間に大東亜戦争といふ苛烈な野分の嵐を入れて眺めてみると、二者に顕れた心情は痛いほどに味はふことができ、なるほど詩人が時代の預言者であり体現者であったことが実によく解るのです。
 『コギト』の詩人として伊東静雄のライバルだった田中克己との類比でいふなら、第二詩集(昭和15年)のタイトル詩「大陸遠望」が戦争前夜に書かれた「夏の終」に、そして戦後編まれた第五詩集『悲歌(昭和31年)』に収められた「哀歌」が「夏の終り」の心境に当たるやうに思ひます。

 他には「なかぞらのいづこより」「なかぞらは、うわの空で物思いにふけるイメージ」であって、「朽葉に言の葉を観ることもできよう」(92p)との指摘や、開戦前夜の荒涼鬱屈の詩境と加藤楸邨の隠岐連作の句の境との類似(93-94p)、また佐藤春夫や中原中也の詩からの影響(127-133p)等、深く読み込んだことの無かった『春のいそぎ』といふ詩集について気づかされたことが沢山ありました。
 ことにも当時の戦争詩に於いて、
「“個”を離れ集団に埋没するかのような詩句と、“個”を手放さない詩句とを並置する詩は少ない」(107p)との指摘は創見であり、
そんな詩「わがうたさへや」が詩集巻頭に置かれたことにはやっぱり「重要な意味」がある筈だと、戦後は自ら削除し研究者も顧みなくなった詩の、個々の出来栄えでなく構造や配置において、これが詩集を象徴する作品なのだと看破されました。

 そしてその上で、彼の公的な「“没入”への希求が起きた」ことについては
「戦後民主主義教育の中で育った筆者の価値観をそのままあてはめることはできないだろう」(109p)
と自身の思ひを保留した上で、「当時の“ムード”」に分け入り、「生の鼓舞者としての(※日本浪曼派の)詩情そのものは大切に受け止めたい」といふ姿勢で臨んでゆく。
 折々に著者自身の平和への思ひが「未来への反省とするために」(141p)と添へられてゐるにも拘らず、集中「最も完成度の高い繊細な光陰を示す」「春の雪」が、制作時期を考へても「大詔」で歌われた「感涙の烈しい情動とは表裏であった」(159p)と、その分かちがたさが指摘されてゐます。
 終章では「私の伊東静雄理解は感動、共鳴から擁護へ、そして再び冷静な評価へ、と揺れ」現在を生きてゐる「自らの身に引きつけて考えることが多くなった。」(357p)とも語られてをり、令和となって話題になってゐる、所謂「新しい戦前」に向け、従来はみられなかった抒情詩考察の視点が投げかけられてゐるやうに感じました。

(もっとも私は、「当時の状況と、現在が“似ている”と感じるのは私だけだろうか。」(43p)とのリベラルらしい明言に対しては、西欧的近代を乗り越えるべく打ち出された「亜細亜の盟主として“遅れた”諸国を束ね導く皇国日本、という華々しいイメージ」なるものは、今の日本に存在するのだらうか? むしろ当時日本が侵略した中国の、今現在そしてこれから見せんとしてゐる軍事的な覇権主義剥き出しの様相にこそみられるのではないかと思ってゐます。つまり共産主義独裁国家の市井にこそ伊東静雄のやうな詩人も現れる余地があり、中途の第四章「伊東静雄とその時代」にて著者が別途多大の関心を以て注目してゐる小熊秀雄のやうな反骨詩人も、チベットやウイグルにおいて迫害を受けてゐるのではないかと思ってゐます。)

 事程左様に『春のいそぎ』といふ詩集は、考察にあたって出来不出来の激しい作品をより分けて傑作を鑑賞するのではなく、その構成に思ひをいたすべき詩集であって、伊東静雄といふ一個人の人生においては、この第三詩集を第一詩集『わがひとに與ふる哀歌』以上に重要視したいといふ思ひ。もっといへば娘への呼びかけで締めくくられたこの詩集を「戦争で死ぬであろう自分の、遺言」(146p)だったと結論付けてゐることにも、好きな詩集の順位とは別に、なるほどと納得すると共に全く同感した次第です。

 以後、『夏花』『わがひとに與ふる哀歌』等の各詩の解釈にも立ち入って論考は続いてゆきますが、『夏花』に収めた多くのレクイエムの詩が「死者を追憶し冥福を祈る、という死者に向き合うベクトル」ではなく「残された者がいかに生きていくのか、という生き方を問うベクトル」(183p)であることや、また関係文献をあまねく渉猟して詩人像を豊富な材料で多角的に蓄へ得た成果、その〈わがひと〉に迫る論考も、ツボを押さへたエピソードと共に紹介されてをり、愉しく読むことが出来る後半となってゐます。

 末尾には全集未収録の逸文(大西溢雄詩集『旅途』序文)の紹介も、考察を付して付録されたこのたびの新刊ですが、副題を「戦時下の抒情」とした本書の眼目である第一、二章について、読みつつ気づいたことのみ、これから読む人に記し預けて筆を擱きます。

@ 「誕生日の即興歌」の「ああか くて 誰がために 咲きつぐわれぞ」といふカギかっこに収められた詩句が「誰かの詩の一節なのかもしれないが」(143p)といふことですが、このひとの作詩方法として最初に唇に浮かんだ一句なのでしょう。ハイデガーのヘルダーリンに対するまなざし「何のための詩人か」「とぼしき時代の詩人」といふ実存主義が醗す詩の世界にどっぷり浸かったロマン派らしい一句と思ひました。
A また解釈の難しい「庭の蝉」の「一種前生のおもひと/かすかな暈ひとをともなふ吐気」ですが、「河辺の歌」や「八月の石にすがりて」「空の浴槽」などを引いて「命の限りに鳴き続ける蝉」(154p)といふキーワードにまでたどり着かれてゐますが、私の思ふところは、以前自分なりに解釈してみた「わがひとに與ふる哀歌」の「音なき空虚」との親近を、すなはち「永遠」の感知に関はるもののやうな気がします。
B 疑問を持った解釈は「七月二日・初蝉」の、
「何かかれらに/言つてやりたかつたが/だまつてゐた」
といふ結句についてで、決して「言うべき言葉、通じる言葉を見いせない詩人の悲哀」(63p)によるものではなく、口に出さないことで初夏の朝の透明な涼しさを愉しんでゐる詩人の、自適感情の表明であるやうに思ひます。
C またその前の「菊を思ふ」の、
「けふも久しぶりに琴が聴きたくて/子供の母にそれをいふと/彼女はまるでとりあはず 笑つてもみせなんだ」
といふ「いささか屈折したフレーズの末尾」について「弱弱しい笑みを浮かべる詩人の姿が目に見えるようで切ない」(62p)と、詩人をいたはる著者ですが、これなども風流ぶる夫の悪い癖を知り尽くした古女房の無反応に対するユーモアだと、男の私には感じられます。
 詩人は自分の詩世界とは無縁の人々、例へばそれは「羨望」に出て来る受験生の若者や、 或ひは詩人を志す純情な女性の「訪問者」に対してもシニカルな視点をもってゐたやうですが、一流のイロニーは、自らの孤独を客観視する日記的な小品にあってもしっかり関西流のユーモア(読者へのサービス精神)として活きてゐて、「悲哀」や「切ない」といった解釈で労った途端、「(東京もんが・・・)」と皮肉な笑みで返されさうな気がしてなりません(笑)。
 田中克己の「その一言」によってのみではないでしょうが、成城学園への伝手も教員だった蓮田善明により現実にあり、憧れを抱いてゐた筈だったのに東京進出を諦めた伊東静雄。もし東京に順応できるやうな性向性格を有してゐたら、これは随分大げさな物言ひになりますが、或ひは戦争詩も(悪い方に)違ったものになったのではないかと、私には思はれるのです。

青木由弥子著『伊東静雄──戦時下の抒情を考える』 土曜美術社出版販売, 2023.3
400p, 19.4cm 上製カバー ISBN:978-4-8120-2743-1

【一章】 伊東静雄──戦時下の抒情を考える
 1.はじめに
 2.詩への門出
 3.明と暗
 4.公と私を巡って
 5.静雄の戦争詩 (要請によって書かれたもの)
 6.静雄の戦争詩 (自発的に書かれたもの)
 7.『春のいそぎ』集中の名詩
 8.戦後の作品

【二章】 『春のいそぎ』を読む
 1.なほひかりありしや――戦時下の父の想い
 2.果たして戦争に堪へるだらうか――開戦前夜の憂愁
 3.ささやかなものがひかりを帯びていくとき
 4.「夏の終」とその時代
 5.響きあう詩想と希望の余韻
 6.誰がために咲きつぐわれぞ――後世へのメッセージ
 7.文語詩と口語詩――『春のいそぎ』の構成を考える

【三章】 『夏花』を読む
 1.心眼と肉眼
 2.夭折の嫌忌
 3.賑やかな彼岸
 4.木草の花は咲きつがむ――個の命と永続するいのち
 5.“夜の闇”を突き抜けていく力
 6.憧憬の行方
 7.滅びの美学と生の哲学との狭間で

【四章】 伊東静雄とその時代
 1.戦時下の葛藤
 2.静雄を捉えた“白”
 3.浪漫的憧憬とは何か
 4.夢想と抵抗の間
 5.異常の時代に生れ
 6.そんなに凝視めるな

【五章】 〈わがひと〉を巡って
 1.“ほんとうの恋”を求める青年
 2.百合子と静雄
 3.花子との結婚、そして「呂」の創刊
 4.「コギト」参加と処女詩集の刊行
 5.もうひとりの“わがひと”
 6.花子への想い

〈資料紹介〉 「定本伊東静雄全集』未収録散文一篇 翻刻と解題
1.大西溢雄詩集『旅途』序文報告
 (1) 伊東静雄の文学観について
 (2) 「なかぞらのいづこより」について
 (3) 大西溢雄について
2.『定本 伊東静雄全集』刊行以降の拾遺紹介
 (1)『伊東静雄全集』について
 (2)全集刊行以降の新発見資料報告一覧

【終章】

〈伊東静雄〉作品年譜
伊東静雄年譜
参考文献 初出一覧 謝辞


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