『杉山平一詩集』/『國風の守護』/『紀行・挹源詩集』 投稿者:やす 投稿日:12月29日(金)00時56分 57秒 |
本日は仕事納め。年末年始はど
こゆく予定もなく、家に居って読書に耽られたら云ふことはありませ
ん。さて先週から今週にかけて三冊の寄贈本がございました。とりいそぎの御報告・ここにての御礼を申し上げます。 まずは長年に亘り思潮社から刊行されてゐる新書版の叢書、現代詩文庫第2期近代詩人篇による『杉山平一詩集』。 一瞬改訂版かと思ったら、それは1984年に出た土曜美術社版の『杉山平一詩集』でありました。当 時われらが杉山先生の詩がまとまって読むことが出来る 単行本が出た嬉しさとともに、思潮社版にどうして迎へられないのか、戦後現代詩の系譜優遇の方針に釈然としなかった若い日の自分が思ひ起こされました。あ の土曜美術社版の新書版は実にかゆいところに手の届くやうな人選で、戦前に活躍した中堅詩人達の詩業を押さへ、詩集愛好家も随分裨益を蒙りましたが(尤も 戦争詩を書いた人たちは除かれましたが)、一旦あれに収められてしまふと当時ポピュラーで権威も感じられた思潮社版の文庫で出ることは放棄、みたいな雰囲 気があったのも事実です。そして時がくだり土曜美術社版から出ることのなかった大木実、小山正孝といった詩人達が一足早くこの思潮社版に収まり、このたび は杉山先生、実力でその二文庫制覇の偉業を遂げられた、といふ感じです。尤も裏表紙に印刷される一言コメントが示すやうにこの文庫、純正抒情詩人に対して は抒情の限界を前提に辛口の姿勢で接するのが伝統ですから、今後、四季・コギト・モダニズム系列の抒情詩人たちが続いていかほど収められるかとなると、需 要・魅力とは関係なくまだまだ難しいかもしれません。 さても御歳92才の先生にはお慶びとともに御体の御自愛を切にお祈り申し上げるばかりであります。 つぎに山川京子様よりかねて予告のあった、郡上八幡の詩 人山川弘至の評論集『國風の守護』復刊。 初版本は、戦後世相のなかで顧みられること少なく、また造本 も頁を思ひ切って披くことができない戦時中の稀覯本。此度のハードカバーによる復刻意義は大 きく、しかも棟方志功の挿画を配した意匠の再現は、泉下の詩人もさぞ満足されることではないでせうか。今の世にこれを出す意義を、京子様による跋文もしく はどなたか当代識者による解題として付せて頂けると、市販本として初めてこの著者の本に触れる読者にはありがたかったかと、望蜀するほどに立派な一冊に仕 上がってをります。 そして最後に、これも郡上八幡の詩人の遺稿詩集。川崎市香林寺の岡本冏一様より『紀行・挹源詩集』の 御寄贈にあづかりました。さきのブログで紹介した『竹陽詩鈔』同様、岐阜県図書館の郷土資料コーナーで出会った漢詩集ですが、著者は幕末郡上藩の江戸詰め 藩士、岡本文造(号:高道)。かつて『濃北風雅』を刊行し文教の奨励に努めた郡上藩ですが、その後どのやうな道を辿ったのか、ゆくりなくも幕末の動乱を契 機として、最後の学者が遺していったこれは志の文学であり貴重な歴史の証言です。「白虎隊」は知ってゐても地元「凌霜隊」の史実を、恥ずかしながら職場の 図書館で外部からのレファレンスがあるまで私も知りませんでした。藩の思惑のままに厥起したことが独断行動と見捨てられ他ならぬ藩命によって処断される悔 しさ。放免された後も後ろ指をさす郡上の地を捨てて散り散りにならざるを得なかった隊士たちの知られざる余生。直系遺族は昭和の初期にすでに行方が分ら ず、追善するこの本を墓前に手向けることも叶はないといふ歴史の現実にも驚き・悲しみを禁じえません。 挹源詩集自序 古語日、江河不撰細流矣。蓋従明治戊辰仲冬、到明年己巳秋 謫居之余間、曾所渉危、踏険而経歴、猶以存於其胸臆者、詩之。 随就書。終積為編。素不撰細流之妍媸、謾挹所流出、題以挹源詩集。 不知、果成江河否。竟笑而序焉。 明治二年九月既望、光耀山中書、竝題 岡本高道 古語に日く、江河は細流を撰ばずと。蓋し明治戊辰の仲冬より明年己巳の秋に到り、謫居の余間に、曽て危ふきを渉り険しきを踏みて経歴する所、猶ほ其の胸 臆に存する者を以て之を詩にす。就(な)るに随って書せば終に積もりて編を為す。素より細流の妍媸を撰ぶにあらず、謾りに流出する所を挹(く)み、題する に挹源詩集を以てす。知らず、果たして江河と成るや否やを。竟(つい)に笑いて序とす。 明治二年九月既望(十六夜)、光耀山中にて書し竝びに題す 岡本高道 年の瀬、映画「硫黄島からの手紙」を観て敗北を定められた者たちの心情にこのところ過敏になってゐる管理人であります。ではでは。 |
Merry X`mas 投稿者:やす 投稿日:12月24日(日)21時29分 53秒 |
皆様に素敵なクリスマスを!! 「Ein Märchen」初出誌 昭和15年8月むらさき8月号(貴公凡様より寄贈) |
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『漢詩閑話 他三篇』 『竹陽詩鈔』 投稿者:やす 投稿日:12月11日(月)22時52分 57秒 |
昨日の岐阜県図書館ではまた、
郷土資料コーナーで自費出版と思しき漢詩関係の本に出会ふ。しかしな
がら郷土資料
は貸出禁止でネット書店・古書店でもみつからない。不躾とは存じながら巻末記載の発行所名から電話番号を調べ、問ひ合はせてみれば非売品だが残部があり、
事情を説明したらば何と頂ける由。諦めずに何でも当たってみないとわからないものです。 その一。 『漢詩閑話』([竹陽]中村丈夫著 1991.11関市千疋メインスタンプ刊行19cm上製299p)は、美濃漢詩人の最後の血統を継ぐ方の遺著ですが、初心者を相手に語った晩年の漢詩談話 を中心にまとめられた濃いい一冊です。かつては郷々の旧家に隠棲してゐたらう、そんな漢詩人である「翁」の、その文章と回想には儒学精神を伝へる折り目正 しい日本人最後の人柄を見る思ひがします。著者の御孫様より一緒に頂いた遺稿詩集『竹陽詩鈔』(1972.11私家版23.5cm和綴62丁)の解説によ れば、詩人の家は天保14年、水利権の紛争に当った村瀬藤城が双方を調停する場所として泊り込んだ中立派の大庄屋であって、当時の当主が著者の祖父に当る 由。なんとその時のこされた藤城の墨蹟が伝へられてゐるさうであります。それが職場の目と鼻の先だったんだから、まあ驚いた(笑)。 ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。 |
筑摩書房版 立原道造全集 第一巻 投稿者:やす 投稿日:12月10日(日)22時55分 17秒 |
職場の図書館にはもう高額な文
学書が入れられないので、県立図書館で借りて参りました。清楚な装釘
と意匠、版型
は前回より小さく堀辰雄全集と同じになり、大変好感がもてるものです。オフセットのつるつる感・・・・こればかりは致し方ないです。ともあれ中原中也全集
みたいなことにはならなかったことに安堵。 私自身は研究者ではないので、やはり活字版でジャンル毎がいい。戦前の山本書店版と第三次角川書店版の評論ノート(4巻)書簡集(5巻)の組合せで満足 してゐるのですが、今回新版での建築図集ほか新資料が収められる巻は注目です。この第一巻での見ものは・・・・詩集の寄贈先リストでせうか。田中克己は 27番目也。ほかにコギト同人大高関係者では保田與重郎、中島栄次郎、松下武雄、三浦常夫、小高根二郎。 |
詩集『神軍』 投稿者:や す 投稿日:12月 4日(月)20時47分2秒 |
田中克己先生の第三詩集『神
軍』をupしました。 詩集は日米開戦直後の昭和17年、文士徴用の第二陣で詩人がシンガポールへ派遣された留守中に、保田與重郎の斡旋によって刊行されました。大変目に立つ 『神軍』といふタイトルですが、戦争詩を前面に打ち出した詩集を自ら出版するといふ形をとらなかった、その結果であります。確かになかには同名の「神軍」 といふ詩篇がありますが、一巻のタイトルとして掲げるに相応しいかどうかといへば、含羞を旨とした詩人自身は面食らったかもしれません。さりとて晴れがま しさが無かったかと云へばさうとも思はれず、保田與重郎が跋文で「『神軍』は大東亜戦争を熱禱した新時代の詩集である」と書いてゐますが、今や得意の絶頂 にあった詩人の心を見透かし、これを元気よく後押しする配慮があったのではないでせうか。 その後、詩集は当時の日本出版文化協会の推薦書となり、初版1000部に続いて5000部が再刷されることとなりました。結果的に現在古本屋で一番簡単 に手に入る詩人の詩集となってをります。そのため「神軍」といふ言葉は戦後、戦争責任を論ずる際に詩人を一言で片付ける殺し文句、レッテルともなり、キリ スト教に改宗した詩人を長らく苦しめる言葉となりました。読んでみればわかりますが、開戦以前の佳品を多く収めてゐます。 |
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「田中克己散文集」 投稿者:やす 投稿日:11月27日(月)12時49分 6秒 |
さて今回、詩集の部とは別に
「田中克己散文集」といふ題目のもと、詩人の小説や批評、エッセイ、また同時代人に
よる詩人評なども合はせて公開してゆけたらと考へてをります。さきに紹介致しました小山正孝の「初期短編小説群」を読んだひとなら分るでせうが、詩人の散
文といふのは若書きであっても(むしろ若書きのものが)たいへん面白かったりします。将来小説家になるならうと考へてゐたかどうかはともかく、否それが潰
えるものだったからこそ、未熟な部分とともにそっと伏せられた、当時の赤裸々な心境も窺はれるからです。初期の田中克己におけるさうした、不安なモラトリ
アムの心情を綴った散文といふのは、大岡信氏が中公版『日本の詩歌』で巻末解説を書いた際に引いてゐますが、コギトに掲載した「多摩川」、またそれを変奏
した「冬の日」といった小品にみることができます。 今回手始めにこれら二篇と、またこれは刊行された文集ですが、『楊貴妃とクレオパトラ』のなかから「始皇帝の末裔」の一篇をテキスト化して上しました。 いづれもページの余裕さへあれば潮流社版の『田中克己詩集』に収めておきたかった、詩人の出発期と少壮期が偲ばれる作品であります。 後者の「始皇帝の末裔」は、叙述において鹿爪らしく装ふコギト流の歴史高踏派ぶりがうまい具合に出てゐるエッセイです。北支侵攻中の当時、日本人がどん どん偏狭な民族観に傾斜してゆくなか、自らの出自を故意に秦の始皇帝にまで溯って説いてゐるのが面白く、取って返して敷衍するうち、現在の日本人で大陸・ 半島と血縁上無縁の者などゐさうもないことを、嫌でも再認識させてしまふといった一文。詩人はこの時期、同時に『大陸遠望』に収められる皇国史観を背景に した詩を書いてゐる訳ですが、「西康省」「詩人の生涯」等の長編詩にもみられるやうな彼の、アジアを広範に視野に収めた民族主義が、盟友保田與重郎とは少 しく視点を違へて散文では如何やうに語られるものか、伺ひ知るには好個の読み物と思ひます。 「しかしわたしは何も好んで大名や貴族におのが同族を求めてゐるのではない。ただ島津氏や宗氏がその明らかな系図や史料にも拘らず、これを抹殺し隠蔽せん とした始皇帝の血統を私の家は決して隠さうとしなかつたことに興味が惹かれるのである。(始皇帝の末裔より)」 |
「感泣亭秋報」第一号 投稿者:やす 投稿日:11月26日(日)22時40分 36秒 |
横浜の小山正見さまより「感泣亭
秋報」第一号をお送り頂きました。『感泣旅行覚え書き』『詩人薄命』
『未刊ソネッ
ト集』『小説集 稚兒ヶ淵』とこれまでに、選集と呼ぶべき四冊の作品集がまとめられてをります詩人小山正孝でありますが、つまりは作品といふものもただ出
されるのでなく、批評をもってはじめて世の中に所を得るものであること、さらにその人物が作品の真実を裏打ちしなくてはひとに愛されることは不可能であり
ませう。詩人といふ誤解の多い存在については尚更のこと、周辺の空気さへも人物に染められたところのものを取り出して提示することが必要です。そのための
証言は、やはり同時代人それから御遺族からしか得られないのではないでせうか。このたびの「感泣亭秋報」はそのための紙媒体による年刊小冊子、例ふるなら
「風信子」の小山正孝版、詩人を偲ぶ会会誌の趣きであります。刊行者の抱負にありますやう、今後ホームページ「感泣亭
・小山正孝の世界」につきましても一層の充実が図られることの切に祈念する次第です。 ここにても御礼を申上げます。ありがたうございました。 |
(無題) 投稿者:や す 投稿日:11月13日(月)12時05分29秒 |
広隆寺の国宝、弥勒菩薩の半跏思 惟像は、始皇帝の末裔を自認(?)された田中先生が秦氏の護持仏とし て尊崇、絵葉書を立原道造の枕元にも届けた仏像です。ありがたうございました。 |
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『詩集西康省』 投稿者:やす 投稿日:11月 1日(水)12時47分16秒 |
田中克己先生の処女詩集『詩集西
康省』をupしました。先日の講演録は、いづれ加筆したものをWeb
上に載せる予
定でをります。その前に基本的な文献を誰もが読めるやうにしておく必要があらうものかと、これまで故意に手をつけてゐなかったデジタルアーカイヴの製作に
着手しました。今後順々にupして参りますので御覧頂けましたら嬉しく存じます。
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御礼3 投稿者:やす 投稿日:10月24日(火)22時12分36秒 |
さきほど中村一仁様からメール
あり、けりをつける旨後記に書かれてゐたのは、浅野晃論そのものでは
なく「伊藤千
代子を論じる」ことの由。はじめは不穏なことのやうに思ってましたが、メールを拝見、安心しました。世の中は節操がない人が、まま大きな顔をするやうに出
来てゐますが、少なくともメールで伺ったやうな人から、浅野晃のことを節操がないなんて云ってほしくはありませんよね。私は伊藤千代子のことも英霊達のこ
とも同じやうに考へます。思想に殉じた人間の魂を情勢論から救ふことを一番に考へなくては、と切に思ふのです。浅野晃論、「絶対に時間をかけても書き上
げ」て下さい。御健筆をお祈り申上げます。 再びの御礼を申し上げます。御自愛ください。有難うございました。 |
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稲川勝二郎 投稿者:や す 投稿日:10月12日(木)12時34分44秒 |
久野治様より詩誌「宇宙詩人」
5号を御寄贈いただきました。 連載「黎明期の中部詩人」では、「青騎士」の時代から名古屋詩壇と関はりを持ちながら、いつも詩史の記述からは敬遠気味が窺はれる詩人、稲川勝次郎(勝 二郎・敬高)。木下杢太郎を師と仰いだ、高木斐瑳雄の盟友ですが、如何せんページの制約があり、一般の読者のための、本題に入るための説明文がもったいな い気がしてなりませんでした。印象批評のやうなもので結構ですから、さらに久野様しか書き得ない、詩人の風貌や肉声を、エピソードなどを交へて単行本所載 の際には書き加へて頂けることを切望してをります。 ありがたうございました。 石神井書林古書目録70号お送り頂きました。 今回の稲川勝次郎の詩集(『大垣の空より』1922.2)など、検索するところ衣笠詩文庫位にしかない稀覯詩集ですが、資料的価値としても目録に現れた ら一体幾らになるのでせうか、見当もつきません。(御店主の最近の活躍ぶりは 「scripta」や「月刊Moe10月号」で 笑) 蛙とともに泣く 稲川勝二郎 稲田の蛙が鳴いてゐる 声をかぎりと鳴いてゐる 短かい夏の夜が更けてゆくに従って その声はいよいよ激しく ますます悩ましく 私の眠りをかき乱す 眠られないままに起き出でて 机に頬杖をついて じっと其声に聞き入つてゐると そぞろに私の瞳は 熱い涙にくもり 蛙のやうに 私の心も泣きつづける おお 蛙よ鳴けよ 私と共に泣きつづけてくれ 総ては悩みだ―― 世の中は苦しいのだ 泣く者はお前達ばかりではない 幾万の若い男女が 幾万の人類が 夜に昼に泣きつづけてゐる さうして泣きながら 皆死んでゆくのだ 母の胎内から生まれ出る時に 既に泣くことを教へられた人間は 其短い人生を泣き暮らして 淋しく黄泉(よみ)の道を辿りゆくのだ 恋に泣き 親に別れて泣き 子を失つて泣き 自らの衰へたるに泣く 泣くことが人生なのか おお 蛙よ 私はいま お前とともに泣きつづけてゐる |
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梁田蛻巌遺墨 投稿者:や す 投稿日: 9月12日(火)12時39分29秒 |
新村堂書店古書目録到着。
No.3679『月光室』(\36,750)は明治古典会で出品された片割
れでせうか。 山田翠雨ほか地域の漢詩集もいろいろ出てますが・・・この掲示板で騒いだのが祟ったかな(ごめんなさい)。 このところオークションとかで傷物の掛軸をああだかうだと値踏みしてる方が面白いです。 先日入手したのは四千円で手に入れた二百五十年前のマクリ、わが家最古のお宝を更新しました。 出張続きで原稿書けさうもないのにこんなことばっかりやって・・・。 戯欲寒秀山人諧歌集後 寒秀山人の諧歌集の後に戯せんと欲す 抜去海棠栽芭蕉 海棠を抜き去って芭蕉を栽す 不将穐夕換春朝 穐(秋)夕をおくらず春朝に換ふ 快哉惟有聖咲識 快哉、惟だ聖く咲くを識る有りて 如丈山牕慰寂寥 丈山の牕の如く寂寥を慰む 蛻翁八十一書 丈山は石川丈山? 『諧歌集』って寛延元刊の滝野瓢水の俳書だと合点がゆきます。寒秀山人は別号か。 |
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大東亞戰爭詩文集 投稿者:高坂 投稿日: 8月30日(水)12時43分21秒 |
やすさん、大變ご無沙汰してをり
ました。良い本を御寄贈頂きまして忝く存じます。田中克己の詩はやす
さんが選ばれたのですね。樂しみにじつくり讀みたいと思ひます。 私の方は『論泉』といふウェブ言論誌をやつてをります。今後、文藝の方面を充實させたいと思つてゐますので、何かありましたらまた宜しくお願ひ致します。 |
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小原鉄心 投稿者:や す 投稿日: 7月27日(木)21時33分7秒 |
またまた掛軸を買ってしまひました。
詩人と呼ぶよりは一藩の重臣であります。小原鉄心。 戊辰戦争の際、諸藩に先駆けて大垣藩の藩論をまとめあげた、傑物にして当路の人ですが、関ヶ原を東西にはさむ地で彦根藩の岡本黄石とともに最も苦しみ、 組織の歩むべき道を誤ることなからしめた英雄といってよいのではないかと思ひます。両者ともに維新後早々に役職を辞すところ、いいですね。で、詩句に「理 財」なんて、と思ってネット検索してゐたら、山田方谷の理財論にゆきあたりました。 (前略)それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。而るにいまの理財者は悉く財の内に屈 す。(中略) 君子は其の義を明らかにして其の利を計らず。ただ綱紀を整へ政令を明らかにするを知るのみ。饑寒死亡を免るると免れざるとは天なり。(中略) なほ此の言を迂となして、吾に理財の道あり、饑寒死亡を免るべしと曰はば、則ち之を行ふこと数十年にして、邦家の窮のますます救ふべからざるは何ぞや。 (後略) 涙が出るやうな言葉であります。 一首。 ひととなりしのぶよすがの真蹟の許で本読むその先哲の さて扶桑書房さん目録到着。 『三好達治全集』12巻揃で\3500 『間花集』初版が\4500 ・・・これまた絶句。 |
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尾張攻め 投稿者:や す 投稿日: 7月15日(土)23時19分19秒 |
本日36度の気温を突いて名古
屋へ出陣。定徳寺に高木斐瑳雄大人を展墓、武運祈願して、尋いで古本
屋数軒を掃討
するうちにもう暑さで頭がぐらぐら。本丸の丸栄古書即売会にたどり着くことなく退却致し候。といふか、軍資金が潰えてしまひました(笑)。ぐったり。され
ど戦果は赫々(?)、帰途は犬山経由にて徳授寺太乙墓前に報告は以下の通り。 『柏木如亭集』揖斐高編 限定150部、太平書屋、昭和54年 当時の詩集復刻本五点(別冊解題付)をほぼ当時の頒価で。 『海鴎遺稿』菱田海鴎著 安藤又三郎 昭和3年 \2,000 『美人香草集 下巻』吉田ト橘編 明治18年 \600 最後は名古屋の香草吟社なる同人社集の端本。大沼枕山の評あり。 「登天守閣」 (坂嵜[門+良]苑) 第五層の頭(いただき)、眼界ひろし。人、金鯱を兼ねて(凌いで)雲端にあり。この中まさに他郷の人あるべし。二百余窓に面々看る。 枕(山先生)云ふ。天守閣の全存するはただ尾張城となす。しかるにその二百余窓そなはること、土人(地元の者)といへども或ひはこれを知らざる。この詩 よろしく天守閣の図にならいて、もって四方に伝へるべし。 近代詩の詩集探索と同様、今は失はれた風景との出会ひが一興です。 |
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「近代詩と江戸漢詩のための掲示板」 投稿者:やす@管理人 投稿日: 7月 4日(火)22時38分39秒 |
掲示板の名をホームページの趣旨
に沿って変更しました。 恐縮ですが現代詩ほかのよろず報知ごとは他所の板にてお願ひを申上げます。 |
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