も どる
2006年7-12月 日録掲示板 過去ログ

『杉山平一詩集』/『國風の守護』/『紀行・挹源詩集』  投稿者:やす  投稿日:12月29日(金)00時56分 57秒    編集済
   本日は仕事納め。年末年始はど こゆく予定もなく、家に居って読書に耽られたら云ふことはありませ ん。さて先週から今週にかけて三冊の寄贈本がございました。とりいそぎの御報告・ここにての御礼を申し上げます。


 まずは長年に亘り思潮社から刊行されてゐる新書版の叢書、現代詩文庫第2期近代詩人篇による『杉山平一詩集』
 一瞬改訂版かと思ったら、それは1984年に出た土曜美術社版の『杉山平一詩集』でありました。当 時われらが杉山先生の詩がまとまって読むことが出来る 単行本が出た嬉しさとともに、思潮社版にどうして迎へられないのか、戦後現代詩の系譜優遇の方針に釈然としなかった若い日の自分が思ひ起こされました。あ の土曜美術社版の新書版は実にかゆいところに手の届くやうな人選で、戦前に活躍した中堅詩人達の詩業を押さへ、詩集愛好家も随分裨益を蒙りましたが(尤も 戦争詩を書いた人たちは除かれましたが)、一旦あれに収められてしまふと当時ポピュラーで権威も感じられた思潮社版の文庫で出ることは放棄、みたいな雰囲 気があったのも事実です。そして時がくだり土曜美術社版から出ることのなかった大木実、小山正孝といった詩人達が一足早くこの思潮社版に収まり、このたび は杉山先生、実力でその二文庫制覇の偉業を遂げられた、といふ感じです。尤も裏表紙に印刷される一言コメントが示すやうにこの文庫、純正抒情詩人に対して は抒情の限界を前提に辛口の姿勢で接するのが伝統ですから、今後、四季・コギト・モダニズム系列の抒情詩人たちが続いていかほど収められるかとなると、需 要・魅力とは関係なくまだまだ難しいかもしれません。
 さても御歳92才の先生にはお慶びとともに御体の御自愛を切にお祈り申し上げるばかりであります。


 つぎに山川京子様よりかねて予告のあった、郡上八幡の詩 人山川弘至の評論集『國風の守護』復刊
  初版本は、戦後世相のなかで顧みられること少なく、また造本 も頁を思ひ切って披くことができない戦時中の稀覯本。此度のハードカバーによる復刻意義は大 きく、しかも棟方志功の挿画を配した意匠の再現は、泉下の詩人もさぞ満足されることではないでせうか。今の世にこれを出す意義を、京子様による跋文もしく はどなたか当代識者による解題として付せて頂けると、市販本として初めてこの著者の本に触れる読者にはありがたかったかと、望蜀するほどに立派な一冊に仕 上がってをります。



 そして最後に、これも郡上八幡の詩人の遺稿詩集。川崎市香林寺の岡本冏一様より『紀行・挹源詩集』の 御寄贈にあづかりました。さきのブログで紹介した『竹陽詩鈔』同様、岐阜県図書館の郷土資料コーナーで出会った漢詩集ですが、著者は幕末郡上藩の江戸詰め 藩士、岡本文造(号:高道)。かつて『濃北風雅』を刊行し文教の奨励に努めた郡上藩ですが、その後どのやうな道を辿ったのか、ゆくりなくも幕末の動乱を契 機として、最後の学者が遺していったこれは志の文学であり貴重な歴史の証言です。「白虎隊」は知ってゐても地元「凌霜隊」の史実を、恥ずかしながら職場の 図書館で外部からのレファレンスがあるまで私も知りませんでした。藩の思惑のままに厥起したことが独断行動と見捨てられ他ならぬ藩命によって処断される悔 しさ。放免された後も後ろ指をさす郡上の地を捨てて散り散りにならざるを得なかった隊士たちの知られざる余生。直系遺族は昭和の初期にすでに行方が分ら ず、追善するこの本を墓前に手向けることも叶はないといふ歴史の現実にも驚き・悲しみを禁じえません。

 挹源詩集自序
古語日、江河不撰細流矣。蓋従明治戊辰仲冬、到明年己巳秋
謫居之余間、曾所渉危、踏険而経歴、猶以存於其胸臆者、詩之。
随就書。終積為編。素不撰細流之妍媸、謾挹所流出、題以挹源詩集。
不知、果成江河否。竟笑而序焉。
 明治二年九月既望、光耀山中書、竝題
    岡本高道

 古語に日く、江河は細流を撰ばずと。蓋し明治戊辰の仲冬より明年己巳の秋に到り、謫居の余間に、曽て危ふきを渉り険しきを踏みて経歴する所、猶ほ其の胸 臆に存する者を以て之を詩にす。就(な)るに随って書せば終に積もりて編を為す。素より細流の妍媸を撰ぶにあらず、謾りに流出する所を挹(く)み、題する に挹源詩集を以てす。知らず、果たして江河と成るや否やを。竟(つい)に笑いて序とす。
  明治二年九月既望(十六夜)、光耀山中にて書し竝びに題す
    岡本高道



 年の瀬、映画「硫黄島からの手紙」を観て敗北を定められた者たちの心情にこのところ過敏になってゐる管理人であります。ではでは。


Merry X`mas  投稿者:やす  投稿日:12月24日(日)21時29分 53秒
  皆様に素敵なクリスマスを!!

「Ein Märchen」初出誌 昭和15年8月むらさき8月号(貴公凡様より寄贈)

 


『神聖な約束』  投稿者:やす  投稿日:12月22日(金)12時52分 43秒    編集済
  田中克己先生の最後 の詩集『神聖な約束』をupしました。クリスマスに間に合ってよかっ た〜♪

。."*。*。."**。."*
."*"*。".☆."*.*。"
。."".*/∴\"*。*。
."*""./∴∴\*."*。
。."*/∴∵∴\*.."*
."*"" ̄ ̄■ ̄ ̄"*。*。
 

『五つの言葉』  投稿者:やす  投稿日:12月18日(月)22時05分 56秒    編集済
   田中克己先生が編 集兼発行者になってゐながら、長らく入手できずにゐた本、コギト同人 松浦悦郎の遺稿集『五つの 言葉』(昭和10年5月刊行)ですが、此度コピーを国立国会図書館から送って頂きました。遺稿はほとんどが音楽論で、巻末の追悼文も同人の文章は コギト追 悼号(昭和8年7月14号)からの転載ですが、保田與重郎一人だけ稿をあらためて書いてゐます。流石であります。友誼に感じ入りました。
 

「あ・ほうかい」 / 『悲歌』  投稿者:やす  投稿日:12月18日(月)20時17分 16秒    編集済
   いつもお世話に なってをります鯨書房さん御店主山口省三様と太郎丸の詩人藤吉秀彦氏が つくられた、なんとも人を食ったタイトルの同人誌「あ・ほうかい」1号をお送り頂きました(岐阜弁で「ああ、そうかい」の謂かと)。
 山口さんの詩は初めて読みました。言葉遣ひの緊密さに目を瞠りましたが、松田優作ばりに凶暴のより(笑)、ひらがなの詩が私は好きです。ありがたうござ いました。

「悲歌」       山口省三

ふらつくあし
したたらずなことば
しきりにくうをきるて
じゅうけつしため

みずわりやビールのならぶカウンターをすべるかなしみや
やさしさのかずかず
うすめるわけにはいかないあれやこれや
のみくだせないそれらすべて
カラオケのリズムにのってくるいたい
さけびやふるえ
ボリュームがんがんの
のどをふるわせしぼりだすかぎりないいくつものおもい

コップにうかべるふちどりのあるむすうのゆめやきぼう
ながすにしても
すてるにしてもおもくてもちあげられない
こおりをわるようにはわれないものがあふれているかた

そまつなつまみにもみえてくるおもいで
つりさげるにも
かぜにまきちらそうにもつかめない
はかろうにもはかりきれないきたいでいっぱいのくちびる

かきあげるかみ
なでさするほおやあご
わらいなきでくしゃくしゃのかお
たえることにすらたえているゆみなりのせなか

しやくりあげるのど
たれさがったみみ
なりひびくどうきのくろいセーターのふくらみ
うすいこころをふいごにしなつているちいさなからだ

あたたかな
ゆれているひざしをあびて
いきることを
そのままにみつめようとぶざまにあがいている
ぼくがなぞる
くものむこうに
あなたはいまどうしてる?


といふわけでもないですが、私も田中先生の『悲歌』を本日upしました。
 

従軍詩歌集『南の星』  投稿者:やす  投稿日:12月14日(木)12時52分 35秒    編集済
   田中克己先生の南 方派遣活動の所産といふべき詩歌集『南の星』をupしました。
『田中克己詩集』には歌を割愛して収録しましたので、全貌は序・跋とともに、今回が初の御目見えです。戦争詩集の倣ひである此度の刊行斡旋は三好達治に係 る由。作品は、向かった南方でも実体験となることはなかった戦争といふ題材、そして思考を停止させる気候風土が、詩風に少なからぬ影響を及ぼしてゐるやう に思ひます(詩人自身は「南方ボケ」と表現)。
 ところで杉山平一先生がこの度の新著のなかで、この大東亜戦争遂行中に書かれた所謂戦争詩について、
「詩人は校歌をたのまれて書くやうに、頼まれて戦争詩を書いたと思う。校歌に、山高く川 清し、の慣用句を使う様 に、慣用語で戦争を述べている。そういう仕事だから、出来はもとよりよくない。詩集に、校歌を入れないように、戦争詩を入れない。それは出来が拙いからで ある。そういう作品を他の作品と比較するのは、校歌に川清しと書いた人に川の汚染を書け、と責めるのは酷である。(『詩と生きるかたち』50p 編集工房ノア2006)
 と、大変わかりやすい説明を書いてをられます。しかしながら田中克己をはじめとして戦争詩の作者は、当時「出来がよくない」と思ってこれらの詩を書いて ゐた訳ではないことは云ふまでもありません。はっきり云って戦争詩に価値が失はれたのは、「戦争に負けたから」に他なりません。校歌を作った学校がなく なってしまへば、校歌もまた存在価値を失ふ、さういふことであります。
そして敗戦の年になって自身が二等兵として戦線に送られ、全ての元凶である日本陸軍の体質を肌身で感じることになります。詩集を出して後、戦争末期の日本 で次のやうな追悼詩を商業誌に書いてゐますが、或は保田與重郎とともに徴兵にとられる讖をなしたかもしれません。

ますらを還る 昭和19年12月初出

ちちははの国は紅葉し
篠原に霰たばしる時ちかづきぬ
たよりあり、功(いさを)し立てて
つはものはそのふるさとに神とし還る──

はじめての召しにゆきしは
北支那の紅葉するくに
かへり来て紅葉を見つつ
いひしことわれは忘れず
大陸の空いや青くその紅葉さらに紅しと

ふたたびを召されてゆきし
濠北はマダン、メラウケ、アイタベか
さだかに知らず──常夏の国にありける
紅葉なく青き空には
敵機のみ日がな舞ひたり

ますらをやいさを語らず
飛機のみか弾丸(たま)も送らぬ
ふるさとに恨みも云はず
三年経しけふたよりあり
──ふるさとに神とし還る。


 最後に。この『南の星』に収められた詩篇に関しては、昭和18年2月4日消印で、東京の自宅から大阪中央放送局文芸課(佐々木英之助)宛速達の放送用原 稿が管理人の手許にありますので、合せて御覧下さい。詩集収録に当って若干の異同がみられます。

『漢詩閑話 他三篇』 『竹陽詩鈔』  投稿者:やす  投稿日:12月11日(月)22時52分 57秒    編集済
   昨日の岐阜県図書館ではまた、 郷土資料コーナーで自費出版と思しき漢詩関係の本に出会ふ。しかしな がら郷土資料 は貸出禁止でネット書店・古書店でもみつからない。不躾とは存じながら巻末記載の発行所名から電話番号を調べ、問ひ合はせてみれば非売品だが残部があり、 事情を説明したらば何と頂ける由。諦めずに何でも当たってみないとわからないものです。
 その一。
 『漢詩閑話』([竹陽]中村丈夫著 1991.11関市千疋メインスタンプ刊行19cm上製299p)は、美濃漢詩人の最後の血統を継ぐ方の遺著ですが、初心者を相手に語った晩年の漢詩談話 を中心にまとめられた濃いい一冊です。かつては郷々の旧家に隠棲してゐたらう、そんな漢詩人である「翁」の、その文章と回想には儒学精神を伝へる折り目正 しい日本人最後の人柄を見る思ひがします。著者の御孫様より一緒に頂いた遺稿詩集『竹陽詩鈔』(1972.11私家版23.5cm和綴62丁)の解説によ れば、詩人の家は天保14年、水利権の紛争に当った村瀬藤城が双方を調停する場所として泊り込んだ中立派の大庄屋であって、当時の当主が著者の祖父に当る 由。なんとその時のこされた藤城の墨蹟が伝へられてゐるさうであります。それが職場の目と鼻の先だったんだから、まあ驚いた(笑)。
 ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。



筑摩書房版 立原道造全集 第一巻  投稿者:やす  投稿日:12月10日(日)22時55分 17秒    編集済
   職場の図書館にはもう高額な文 学書が入れられないので、県立図書館で借りて参りました。清楚な装釘 と意匠、版型 は前回より小さく堀辰雄全集と同じになり、大変好感がもてるものです。オフセットのつるつる感・・・・こればかりは致し方ないです。ともあれ中原中也全集 みたいなことにはならなかったことに安堵。
 私自身は研究者ではないので、やはり活字版でジャンル毎がいい。戦前の山本書店版と第三次角川書店版の評論ノート(4巻)書簡集(5巻)の組合せで満足 してゐるのですが、今回新版での建築図集ほか新資料が収められる巻は注目です。この第一巻での見ものは・・・・詩集の寄贈先リストでせうか。田中克己は 27番目也。ほかにコギト同人大高関係者では保田與重郎、中島栄次郎、松下武雄、三浦常夫、小高根二郎。


詩集『神軍』  投稿者:や す  投稿日:12月 4日(月)20時47分2秒    編集済
   田中克己先生の第三詩集『神 軍』をupしました。
 詩集は日米開戦直後の昭和17年、文士徴用の第二陣で詩人がシンガポールへ派遣された留守中に、保田與重郎の斡旋によって刊行されました。大変目に立つ 『神軍』といふタイトルですが、戦争詩を前面に打ち出した詩集を自ら出版するといふ形をとらなかった、その結果であります。確かになかには同名の「神軍」 といふ詩篇がありますが、一巻のタイトルとして掲げるに相応しいかどうかといへば、含羞を旨とした詩人自身は面食らったかもしれません。さりとて晴れがま しさが無かったかと云へばさうとも思はれず、保田與重郎が跋文で「『神軍』は大東亜戦争を熱禱した新時代の詩集である」と書いてゐますが、今や得意の絶頂 にあった詩人の心を見透かし、これを元気よく後押しする配慮があったのではないでせうか。
 その後、詩集は当時の日本出版文化協会の推薦書となり、初版1000部に続いて5000部が再刷されることとなりました。結果的に現在古本屋で一番簡単 に手に入る詩人の詩集となってをります。そのため「神軍」といふ言葉は戦後、戦争責任を論ずる際に詩人を一言で片付ける殺し文句、レッテルともなり、キリ スト教に改宗した詩人を長らく苦しめる言葉となりました。読んでみればわかりますが、開戦以前の佳品を多く収めてゐます。

 


悲喜こもごも  投稿者:やす  投稿日:12月 3日(日)10時11分32秒    編集済
  の一週間のできごと 一括。

【喜】神奈川近代文学館から、マダムブランシュと椎の木のコピーが到着。第一級品の稀覯資料なので難しいかな、といふ気持で申請したのですが、励ましのコ メントつきでお送り下さいました。早速「詩集西康省・拾遺詩篇」に追加♪
【悲】 (略)
【喜】田中先生夫妻の声を収めたテープを御遺族よりお貸し頂き、早速CDRに焼いてコピー。これぞ在りし日の謦咳、十五年ぶりに拝聴。
【悲】 (略)
【喜】御寄贈感謝:山川京子様より山川弘至の同人誌「帰郷者」のことを連載紹介(五十嵐勉氏)してゐる雑誌「文芸思潮ウェーブ」14号、ならびに歌つき詩 篇朗読CD第二弾(シャンソン風?)を。彦根の藤野一雄さまよりは年末恒例の「ふーが」33号を。
【悲】 (略)
【喜】ぐれむん様より突如「FAXおてまみ」。お元気でらっしゃいますか♪
   またこの週末、いい大人がはまってゐるといふ「風雲児たち」を吾もまた耽読。徳川の世の尊王論者たちが変人に描かれてあるのも御愛嬌なれば、そのう ち漢詩人も出てきさうな気配(現在第10巻読了)。

「田中克己散文集」  投稿者:やす  投稿日:11月27日(月)12時49分 6秒    編集済
   さて今回、詩集の部とは別に 「田中克己散文集」といふ題目のもと、詩人の小説や批評、エッセイ、また同時代人に よる詩人評なども合はせて公開してゆけたらと考へてをります。さきに紹介致しました小山正孝の「初期短編小説群」を読んだひとなら分るでせうが、詩人の散 文といふのは若書きであっても(むしろ若書きのものが)たいへん面白かったりします。将来小説家になるならうと考へてゐたかどうかはともかく、否それが潰 えるものだったからこそ、未熟な部分とともにそっと伏せられた、当時の赤裸々な心境も窺はれるからです。初期の田中克己におけるさうした、不安なモラトリ アムの心情を綴った散文といふのは、大岡信氏が中公版『日本の詩歌』で巻末解説を書いた際に引いてゐますが、コギトに掲載した「多摩川」、またそれを変奏 した「冬の日」といった小品にみることができます。
 今回手始めにこれら二篇と、またこれは刊行された文集ですが、『楊貴妃とクレオパトラ』のなかから「始皇帝の末裔」の一篇をテキスト化して上しました。 いづれもページの余裕さへあれば潮流社版の『田中克己詩集』に収めておきたかった、詩人の出発期と少壮期が偲ばれる作品であります。
 後者の「始皇帝の末裔」は、叙述において鹿爪らしく装ふコギト流の歴史高踏派ぶりがうまい具合に出てゐるエッセイです。北支侵攻中の当時、日本人がどん どん偏狭な民族観に傾斜してゆくなか、自らの出自を故意に秦の始皇帝にまで溯って説いてゐるのが面白く、取って返して敷衍するうち、現在の日本人で大陸・ 半島と血縁上無縁の者などゐさうもないことを、嫌でも再認識させてしまふといった一文。詩人はこの時期、同時に『大陸遠望』に収められる皇国史観を背景に した詩を書いてゐる訳ですが、「西康省」「詩人の生涯」等の長編詩にもみられるやうな彼の、アジアを広範に視野に収めた民族主義が、盟友保田與重郎とは少 しく視点を違へて散文では如何やうに語られるものか、伺ひ知るには好個の読み物と思ひます。

「しかしわたしは何も好んで大名や貴族におのが同族を求めてゐるのではない。ただ島津氏や宗氏がその明らかな系図や史料にも拘らず、これを抹殺し隠蔽せん とした始皇帝の血統を私の家は決して隠さうとしなかつたことに興味が惹かれるのである。(始皇帝の末裔より)」

「感泣亭秋報」第一号  投稿者:やす  投稿日:11月26日(日)22時40分 36秒
  横浜の小山正見さまより「感泣亭 秋報」第一号をお送り頂きました。『感泣旅行覚え書き』『詩人薄命』 『未刊ソネッ ト集』『小説集 稚兒ヶ淵』とこれまでに、選集と呼ぶべき四冊の作品集がまとめられてをります詩人小山正孝でありますが、つまりは作品といふものもただ出 されるのでなく、批評をもってはじめて世の中に所を得るものであること、さらにその人物が作品の真実を裏打ちしなくてはひとに愛されることは不可能であり ませう。詩人といふ誤解の多い存在については尚更のこと、周辺の空気さへも人物に染められたところのものを取り出して提示することが必要です。そのための 証言は、やはり同時代人それから御遺族からしか得られないのではないでせうか。このたびの「感泣亭秋報」はそのための紙媒体による年刊小冊子、例ふるなら 「風信子」の小山正孝版、詩人を偲ぶ会会誌の趣きであります。刊行者の抱負にありますやう、今後ホームページ「感泣亭 ・小山正孝の世界」につきましても一層の充実が図られることの切に祈念する次第です。
ここにても御礼を申上げます。ありがたうございました。

(無題)  投稿者:や す  投稿日:11月13日(月)12時05分29秒
  広隆寺の国宝、弥勒菩薩の半跏思 惟像は、始皇帝の末裔を自認(?)された田中先生が秦氏の護持仏とし て尊崇、絵葉書を立原道造の枕元にも届けた仏像です。ありがたうございました。  


ついでに漢訳も  投稿者:波江究一  投稿日:11月13日(月)09時 31分56秒
  昨夜紹介の文は漢訳 もありますのでご専門の管理人氏にはどんなものかと思ひつつ下記紹介 致し置きます。韻だけは揃へても平仄はでたらめなものですが。

彌勒佛の指先から       自彌勒佛指頭零
零れ落ちる種はぬめり     靈種帶潤育上庭
西窓へ水仙萌え        水仙正萌西窓下
絢な腕輪を活けそよ笑む    化爲腕釧微笑屏

野嵜さんにもご光来いただいてお懐かしいですな。
但し以後特にあらはれることはありません。

http://beauty.geocities.jp/jungleroad91/index.html

 

天才は忘れた頃に  投稿者:やす  投稿日:11月13日(月)09時11分 49秒
  竜巻なみの登場です ね♪ お久しぶりでございます。
謹んで“広告”させて頂きます。続けての広告投稿は自粛お願ひ申し上げます。
 

(無題)  投稿者:野嵜  投稿日:11月13日(月)02時48分 18秒
  >広告が目障 りかと思ひますが、いづれ有料版に移行も考へますのでよろしく。

いやあんたの投稿も廣告だらう。
 

字数歌美術館  投稿者:波江究一  投稿日:11月12日(日)23時 46分19秒
  お久しぶりです。こ の度ジオシティーズで新たにサイトを開設せしにつき各位へ紹介までと 思ひ来てみれば画像掲示板 にされてをられたは丁度よい。古今東西の名画にいろはで画賛をつけた趣向です。下記その一例。広告が目障りかと思ひますが、いづれ有料版に移行も考へます のでよろしく。百篇近く収載。追々に追加致しますのでよろしく。名画を楽しみながら国語問題も考へて貰ふ趣旨です。


彌勒佛の指先から
零れ落ちる種はぬめり
西窓へ水仙萌え
絢な腕輪を活けそよ笑む

みろくふつのゆひさきからこほれおちるたねはぬめり
にしまとへすゐせんもえあやなうてわをいけそよゑむ

http://beauty.geocities.jp/jungleroad91/index.html

 

其無如之何  投稿者:やす  投稿日:11月12日(日)21時58分 13秒    編集済
   結局今日は大垣市 郷土館で行はれてゐる「郷土の書人展」に行ってきました。そしたらたかだか20点ばかりのなかに、過去に自分が買った掛軸と全く同 じ詩を書いたものが何と二本も(汗)。
 気を取り直し、過去の図録を買って大垣城見物、さらに小原鐵心の墓がある全昌寺へ。お墓は建て替へられて立派になってゐました。元の石碑は・・・哀れに もボロボロとなり無縁墓石たちと一緒に入口に置かれてをりました。
 寺内には彼の別業「無何有荘」の一部も移築されて残ってゐて、「無にして何ぞあらん」とユートピアの意を込めた紅殻塗りの酔狂な庵ですが、築150年だ けに流石にこちらも今はもの寂びて映ることです・・・こんな処に住んでみたいんだけど。
 さて帰宅後。早速買った図録の印譜と照合するまでもなく、以前オークションで手に入れた鐵心星巌の 書は展示物のまるまる写しであることが判明(笑)。よく見たら鐵心のは裏に「写」とちゃんと書いてある ぢゃないか。掛軸の文句通り「それこれをいかんともするなし」なのでありました。おしまひ。
 

詩集『大陸遠望』  投稿者:やす  投稿日:11月11日(土)23時30分 21秒    編集済
  田中克己先生の第二 詩集『大陸遠望』をupしました。
文藝文化叢書の一冊として同人諸氏の著作とともに書棚に並べると、先生の本だけ丈がちょこっと短い・・・。
つまらんことにまで目がゆくのは本好きだからか、それとも僻み心ゆゑでありませうか。

さて先の連休は親戚の不幸で潰れたので、明日の休日は大垣市郷土館「郷土の書人展」にゆかうか、家でゆっくり本を読んで過ごすか検討中。皆様もよい週末 を。

『詩集西康省』  投稿者:やす  投稿日:11月 1日(水)12時47分16秒    編集済
  田中克己先生の処女詩集『詩集西 康省』をupしました。先日の講演録は、いづれ加筆したものをWeb 上に載せる予 定でをります。その前に基本的な文献を誰もが読めるやうにしておく必要があらうものかと、これまで故意に手をつけてゐなかったデジタルアーカイヴの製作に 着手しました。今後順々にupして参りますので御覧頂けましたら嬉しく存じます。
 


御礼4 山川弘至記念館 新館見学会  投稿 者:やす  投稿日:10月29 日(日)22時34分39秒    編集済
  本日は郡上市高鷲町 にある山川弘至記念館新館の竣工、見学会に推参。京子様主宰の「桃の 会」から、大勢の篤志の皆様が馳せ参ぜられるなか、亡き山川大人に は詩人冥利につきるに違ひない秋旻の一日を、よそ者ながら満喫させて頂きました。過分なるお土産まで頂き恐縮の至り。とりいそぎの御礼をここにても申上げ ます。世間知らず且つ人見知りしますので、御挨拶できず失礼申上げた皆様には御海容のほど。追って訪問記をupします。皆様ありがたうございました。

御礼3  投稿者:やす  投稿日:10月24日(火)22時12分36秒
   さきほど中村一仁様からメール あり、けりをつける旨後記に書かれてゐたのは、浅野晃論そのものでは なく「伊藤千 代子を論じる」ことの由。はじめは不穏なことのやうに思ってましたが、メールを拝見、安心しました。世の中は節操がない人が、まま大きな顔をするやうに出 来てゐますが、少なくともメールで伺ったやうな人から、浅野晃のことを節操がないなんて云ってほしくはありませんよね。私は伊藤千代子のことも英霊達のこ とも同じやうに考へます。思想に殉じた人間の魂を情勢論から救ふことを一番に考へなくては、と切に思ふのです。浅野晃論、「絶対に時間をかけても書き上 げ」て下さい。御健筆をお祈り申上げます。
 再びの御礼を申し上げます。御自愛ください。有難うございました。

 


御礼2  投稿者:やす  投稿日:10月23日(月)23時26分 24秒
  山本直人様より『昧 爽』13号を御寄贈頂きました。特集は「天皇・皇室」といふ直球で す。
今回中村一仁様の浅野晃論は休載。次号に思ひの丈をぶつけて擱筆の由、これはこれで少々残念。
とりいそぎの御礼を申し上げます。有難うございました。
 

御礼  投稿者:やす  投稿日:10月22日(日)17時10分 11秒
  昨日は神戸松蔭大学 会館で行はれた「四季派学会秋季大会」にて、田中克己先生の戦争詩の 周辺について熱弁(?)一時間半。
まづは御歳まもなく92歳、矍鑠たる杉山平一先生に御挨拶。関西四季の会の矢野敏行・舟山逸子先輩と久闊を叙し、懇親会の後は今回お世話になった國中治様 ほか「泊り組」の人達と傾蓋旧の如く、久しぶりに夜半まで熱く熱く詩を語り合ひました。
只今無事帰還致しました御報告まで。みなさま本当にいろいろと御世話になりました。
ありがたうございました。
 

(無題)  投稿者:やす  投稿日:10月18日(水)12時50分 19秒    編集済
  西岡勝彦さま

落札予定の品物を掲示板なんかに載せますと、ここは書痴が覗いてますから知らないですよ〜(笑)
と、おどかしっこは無しで、無事に落札されますことをお祈りしてをります。
当方最近の収穫は後藤松陰、篠崎小竹、梁川星巌、村瀬雪峡の掛軸など。
星巌と太乙は、数ある贋物の少しだけ癖がわかって参りました。
あらたに始められたブログ、 相変らず目の覚めるやうな美しい山岳写真であります。
今後ともよろしくお願ひを申し上げます。

丹生の山田の里の週末に
 跡をとどめんコギト歌もて
 

(無題)  投稿者:西岡勝彦  投稿日:10月18日(水)08時 25分54秒
  こんにちは。
珍しくオークションに江戸の絶句集3種が出てますね。
歴代絶句集はできれば現物を持ってたいものですが、幾らまで行くんでしょう?
私はグッと抑えて、安全な所を入札中です。

丹生の山田の里に秋長けて
 跡をとどめぬ木こり歌かな

稲川勝二郎  投稿者:や す  投稿日:10月12日(木)12時34分44秒    編集済
   久野治様より詩誌「宇宙詩人」 5号を御寄贈いただきました。
 連載「黎明期の中部詩人」では、「青騎士」の時代から名古屋詩壇と関はりを持ちながら、いつも詩史の記述からは敬遠気味が窺はれる詩人、稲川勝次郎(勝 二郎・敬高)。木下杢太郎を師と仰いだ、高木斐瑳雄の盟友ですが、如何せんページの制約があり、一般の読者のための、本題に入るための説明文がもったいな い気がしてなりませんでした。印象批評のやうなもので結構ですから、さらに久野様しか書き得ない、詩人の風貌や肉声を、エピソードなどを交へて単行本所載 の際には書き加へて頂けることを切望してをります。
 ありがたうございました。

 石神井書林古書目録70号お送り頂きました。
 今回の稲川勝次郎の詩集(『大垣の空より』1922.2)など、検索するところ衣笠詩文庫位にしかない稀覯詩集ですが、資料的価値としても目録に現れた ら一体幾らになるのでせうか、見当もつきません。(御店主の最近の活躍ぶりは 「scripta」や「月刊Moe10月号」で 笑)


 蛙とともに泣く 稲川勝二郎

稲田の蛙が鳴いてゐる
声をかぎりと鳴いてゐる
短かい夏の夜が更けてゆくに従って
その声はいよいよ激しく
ますます悩ましく
私の眠りをかき乱す

眠られないままに起き出でて
机に頬杖をついて
じっと其声に聞き入つてゐると
そぞろに私の瞳は
熱い涙にくもり
蛙のやうに
私の心も泣きつづける

おお 蛙よ鳴けよ
私と共に泣きつづけてくれ
総ては悩みだ――
世の中は苦しいのだ
泣く者はお前達ばかりではない
幾万の若い男女が
幾万の人類が
夜に昼に泣きつづけてゐる

さうして泣きながら
皆死んでゆくのだ
母の胎内から生まれ出る時に
既に泣くことを教へられた人間は
其短い人生を泣き暮らして
淋しく黄泉(よみ)の道を辿りゆくのだ

恋に泣き
親に別れて泣き
子を失つて泣き
自らの衰へたるに泣く
泣くことが人生なのか
おお 蛙よ
私はいま お前とともに泣きつづけてゐる



新修 筑摩書房版 立原道造全集  投稿者:やす  投稿日:10月 2日(月)20時43分27秒    編集済
  立原道造記念館より 館報No.39ならびに企画展「立原道造の世界T」の御案内をお送り 頂きました。ありがたうご ざいました。今回、館報は小田久郎氏の講演録ですが、いよいよ新修全集も11月に刊行の運びとなる由。別巻(?)に思潮社版『立原道造研究』の改訂版を出 してほしいですね。詩人のエピソード満載なのに「誤植がひどいから」といふ理由(本当かな)で復刊されてゐません。
装釘は中原中也全集の轍を踏まず、落ち着いた色合ひの、堅牢な作りの本となる模様です。
 

業務連絡  投稿者:やす  投稿日: 9月30日(土)15時02分3秒
  停電に伴うサーバー 復旧作業完了。  

ユリイカ臨時増刊号総特集 稲垣足穂  投稿 者:やす  投稿日: 9月26日(火)12時51分34秒    編集済
  『ユリイカ2006 年9月臨時増刊号』総特集 稲垣足穂でました。ふむふむ新発見作品10篇とな。

ではこちらからも新発見「幻のレターセット」(うそ)♪
 

【情報募集】『高山連月並会狂句柳桜初編』   投稿者:やす  投稿日: 9月22日(金)17時43分48秒    編集済
  以前メールにてレ ファレンスを頂いた、飛騨の文化人について探求されてゐる方から、
「江戸時代の俳諧を研究なさっているような先生、あるいは学生さんで、
 興味のある方がいらっしゃったら、資料をお貸しします、あるいは複写を差し上げます」といふことで
文政十三年『高山連月並会狂句柳桜初編』(東都川柳翁社中松鱸大人撰 飛騨圓永蔵板)といふ本について、情報募集のお願ひがありました。
 自分も浅学ゆゑ、珍しいものかどうかは分かりません。
 郷土の近世文学資料といふことで掲示させて頂きますので、メール転送希望の方はお知らせ下さいませ。
 

サイト移転のお知らせ  投稿者:高坂  投稿日: 9月20日(水)18時50分46秒
  サイトの移転を行な ひましたので、お知らせ致します。

『奇魂』URLhttp://kusimitama.net/
『論泉』URLhttp://kusimitama.net/ronsen/

今後ともよろしくお願ひ申し上げます。高坂

梁田蛻巌遺墨  投稿者:や す  投稿日: 9月12日(火)12時39分29秒
  新村堂書店古書目録到着。 No.3679『月光室』(\36,750)は明治古典会で出品された片割 れでせうか。
山田翠雨ほか地域の漢詩集もいろいろ出てますが・・・この掲示板で騒いだのが祟ったかな(ごめんなさい)。

 このところオークションとかで傷物の掛軸をああだかうだと値踏みしてる方が面白いです。
 先日入手したのは四千円で手に入れた二百五十年前のマクリ、わが家最古のお宝を更新しました。
 出張続きで原稿書けさうもないのにこんなことばっかりやって・・・。

戯欲寒秀山人諧歌集後 寒秀山人の諧歌集の後に戯せんと欲す

 抜去海棠栽芭蕉 海棠を抜き去って芭蕉を栽す
 不将穐夕換春朝 穐(秋)夕をおくらず春朝に換ふ
 快哉惟有聖咲識 快哉、惟だ聖く咲くを識る有りて
 如丈山牕慰寂寥 丈山の牕の如く寂寥を慰む

 蛻翁八十一書

丈山は石川丈山? 『諧歌集』って寛延元刊の滝野瓢水の俳書だと合点がゆきます。寒秀山人は別号か。

文藝の仕事  投稿者:高坂  投稿日: 9月 2日(土)18時06分26秒
  >しかしこの本につ いて触れるには、選者として戦争詩とどう向き合ったのか、つまりさき の大戦をどう観ずるのか、 態度表明を迫られることでもあり、戦慄すべき詞書をもつ遺詠集と一緒に収められてゐますから、所謂靖国問題についても私なりの思ひを述べなくてはならない 気が致します。思想的信条に乏しい詩人としては大変な課題であります。

歴史や政治を踏へつつも、あくまで文藝の立場からの率直な批評を期待してをります。

『論泉』

 

『大東亜戦争詩文集』について  投稿者:やす  投稿日: 9月 1日(金)23時48分16秒    編集済
   高坂さま、今後と もよろしくお願ひを申上げます。

 『大東亜戦争詩文集』ですが、献本少数につきお送りできなかった皆様には不義理をお詫び申上げます。ご海容下さい。収められてゐるのは、戦死・自決・処 刑された人々による「大東亜戦争殉難遺詠集」を前半に置き、右翼の大物三浦義一、影山正治御両人の歌集、続いて田中克己の戦争を背景にした24編の詩のあ と、若手ロマン派詩人の選手であった戦没詩人、増田晃、山川弘至のアンソロジーといった構成で、読んで頂ければわかりますが、前半の歌集部分と後半の詩集 部分は若干異なった印象を与へる内容になってゐます。残念なことに編集後記等はありません。といふことで、私が風日社の方から依頼を受けて選んだのは田中 克己先生の部分だけですが、それについてあとがきを記したいと思ひ、考へ中であります。しかしこの本について触れるには、選者として戦争詩とどう向き合っ たのか、つまりさきの大戦をどう観ずるのか、態度表明を迫られることでもあり、戦慄すべき詞書をもつ遺詠集と一緒に収められてゐますから、所謂靖国問題に ついても私なりの思ひを述べなくてはならない気が致します。思想的信条に乏しい詩人としては大変な課題であります。
 ともあれ、他所の巻に収められた立原道造や伊東静雄など仲間達の作品、或は此の巻に収められた後輩筋にあたる増田晃、山川弘至らに対する選詩の基準にも 比して、何かこの文庫叢書では「ベストセレクション」を採られずひとり損な役回りを演じることとなってしまった先生に対しては、今回「戦争詩」といふ制約 のもとで却って明らかにされたひとつの世代を代表する詩人の精神史を、作品を通じて理解してもらへるやう、選択と順番に私なりの心配りをしました。それが 後年キリスト教に改宗された泉下の先生に対して申し開きになったかどうかは甚だ覚束無いのですが、大東亜戦争を謳った詩人たちに対する先入観が変ってほし いといふ私の願ひが、今回選んだ詩を順番に読んでゆくことでひとに伝はるのなら、またそれを介添へする説明がこれから書けるのなら、嬉しく思ひます。昔に 記した『夜光雲』解説の続編のやうなものにできたらと思って、現在あれやこれやと考へてゐる最中です。


大東亞戰爭詩文集  投稿者:高坂  投稿日: 8月30日(水)12時43分21秒
  やすさん、大變ご無沙汰してをり ました。良い本を御寄贈頂きまして忝く存じます。田中克己の詩はやす さんが選ばれたのですね。樂しみにじつくり讀みたいと思ひます。

私の方は『論泉』といふウェブ言論誌をやつてをります。今後、文藝の方面を充實させたいと思つてゐますので、何かありましたらまた宜しくお願ひ致します。

『論泉』

 


寄贈書御礼  投稿者:やす  投稿日: 8月29日(火)19時55分52秒    編集済
  あはせて『東区橦木町界隈』西尾典祐氏,健友館, 2003.11.7, 266p.の御寄贈に与りました。学生にも読んでもらひたい内容なので大学図書館に収めたいと存じます。厚く御礼を申し上げます。ありがたうございまし た。  

夏バテ  投稿者:やす  投稿日: 8月29日(火)17時25分18秒
   旅から帰ってきて 夏風邪を引いてしまひました。熱も一度下がったと思ったら今度は首筋 (リンパ腺?)が腫れてきて体調すぐれず、折角の残りの夏休も、終日を家でぼうーっと過ごす始末。夏風邪はしつこいですから、皆様もお気をつけ下さい。
 加へて二冊の新刊(杉山平一先生の『詩と生きるかたち』と、自分が選んだ先生のアンソロジーがおさめられてゐる『大東亜戦争詩文集』)について何か紹介 したいのですが、他の事も書けないまま、掲示板の更新がずーっとお留守になってをります。
 少し落ち着いたらまた何か書くでせう。しばらくは夏バテといふことで更新御免・・・。
 

残暑見舞申し上げます  投稿者:やす  投稿日: 8月13日(日)12時56分33秒
  高橋様初めまして。 もとよりど素人の私からは詩人について知るところございませんが、掲 示板御覧の方でどなたか心当たりの方にはよろしく御教示御連絡頂けましたら幸甚です。
旅先より御挨拶申し上げます。
 

宇田栗園  投稿者:高橋信一  投稿日: 8月10日(木)17時16分44秒
  漢詩にはど素人です が、宇田栗園に興味があって、書き込みをしました。彼についてご存知 の方、ご連絡をお待ちしています。漢詩以外での彼の業績、行動の足跡など。よろしくお願いします。
宇田豊四郎の家族はどこかにおられるのでしょうか。
 

かわほり堂和本目録  投稿者:やす  投稿日: 7月31日(月)17時39分4秒    編集済
   かわほり堂さんか ら、記念すべき和本目録(壱)号が到着。
 地元の漢詩集は今回なかったのですが、好評嘖嘖たる近代文学分野に続き、この分野でも特色を放つ古本屋さんになられることと期待◎です。

(前略)心ある好事家や研究者に渡つた一部の珍籍・稀観本は、その情報が世上に上ること もないではありませんが、 個人蔵書にはたとえ天下の孤本であっても顧みられることなく姿を消してしまう場合があります。否、和本いっさいが消え去る命運をはらんでいると言っても過 言ではないかもしれません。目力値がつかずに終わる書籍の山を目の当たりにして、いっそうそうした感を強くいたします。一古書肆のできることは至極限られ ておりますが、書籍の集散地に立ち会う者として、水際で救いあげられる書物・情報もまた尠しとはしません。日々感じる漠としたそうした思いの幾らかでも当 目録に反映できていればと今は祈る気持ちでいっぱいです(後略) (目録同封「ごあいさつ」より)

 今後ともよろしくお願ひを申上げます。

小原鉄心  投稿者:や す  投稿日: 7月27日(木)21時33分7秒    編集済
   またまた掛軸を買ってしまひました。 詩人と呼ぶよりは一藩の重臣であります。小原鉄心。
 戊辰戦争の際、諸藩に先駆けて大垣藩の藩論をまとめあげた、傑物にして当路の人ですが、関ヶ原を東西にはさむ地で彦根藩の岡本黄石とともに最も苦しみ、 組織の歩むべき道を誤ることなからしめた英雄といってよいのではないかと思ひます。両者ともに維新後早々に役職を辞すところ、いいですね。で、詩句に「理 財」なんて、と思ってネット検索してゐたら、山田方谷の理財論にゆきあたりました。
 (前略)それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。而るにいまの理財者は悉く財の内に屈 す。(中略)
 君子は其の義を明らかにして其の利を計らず。ただ綱紀を整へ政令を明らかにするを知るのみ。饑寒死亡を免るると免れざるとは天なり。(中略)
 なほ此の言を迂となして、吾に理財の道あり、饑寒死亡を免るべしと曰はば、則ち之を行ふこと数十年にして、邦家の窮のますます救ふべからざるは何ぞや。 (後略)

 涙が出るやうな言葉であります。

 一首。 ひととなりしのぶよすがの真蹟の許で本読むその先哲の

 さて扶桑書房さん目録到着。
 『三好達治全集』12巻揃で\3500 『間花集』初版が\4500 ・・・これまた絶句。

 


(無題)  投稿者:やす  投稿日: 7月20日(木)12時22分27秒
  はじめまして。わざ わざの御連絡をいただき有難うございました。
時代を異にしたため今は忘れられた詩人たちを顕彰してをります。舌足らずのホームページですが今後ともよろしく御贔屓下さいませ。
 

引用させていただきました  投稿者:金沢市 橘  投稿日: 7月20日(木)08時13分47秒
  メール入り口が見つ からなかったのでこの掲示板で失礼します。
貴サイトは何度か訪問させていただいています。
石川県立美術展での矢野倫真展の感想を私のホームページ内の「管理人のつぶやき」http://members.goo.ne.jp/home/00170227に書き込む際に、
貴サイトの過去ログにあった「水彩画を書いたサムライ」3月11日の文章を引用させていただきました。
ご都合悪いようでしたらご一報ください。

http://www.geocities.jp/ns00170227/index.html

 

『海鷗遺稿』  投稿者:やす  投稿日: 7月18日(火)12時28分51秒    編集済
  『海鷗遺稿』upし ました。戊辰戦争に際して壮絶な体験に触れてあります。

 岐阜県警部長久保誠之君に贈る 并びに引
戊辰人日前一日(慶応4年1月6日)、余、伏見の長人(長州)軍営に縛に就く。伍長等と論議、諤諤数刻に渉る。是夜、余とともに同縛の者、十有余名、之を 前庭にひき出し壮士輩、抜刀先を争ってその頭を斬る、すでに六名に及べり。余たまたまその次に当り、まさに斬られんとす。是において北に向ひて天位を拝 し、従容として詩を賦すに、にはかに免を得る。君、時に年十七、その営に在り、親しく余の状をみる。今茲、君と大垣の嘯東館に逢ひ、談たまたまその事に及 べり。乃ち慨然として此詩を作り以って贈る。実に明治癸巳(26年)六月某日也。

我れ囚に就く時、君は少年。快刀争ひ斬る夜営の前。文山(文天祥)死せずして虚名在り。かち得たり丹心の詩一篇。

幕僚を感服させ、死を免れることとなった詩はこちら。

 まさに屠腹せんとして自らおくる [明治戊辰(元年)正月七日作、先生時三十三歳]
苦学、君父の恩に酬いんと欲す。一燈空しく伴ふ三十余年。從容死に就くこれ今夕。ただ恨む、丹心いまだ天に徹らざるを。
 

山川弘至記念館竣工  投稿者:やす  投稿日: 7月17日(月)20時11分16秒
   山川京子様主宰歌 誌『桃』7月号(619号)をお送り頂きました。高鷲村の実家の屋根 裏から、病気により休学を 余儀なくされた山川弘至少年の、通信教育で用ゐられた作文類が発見された由。斯様な紙片類はなかなか残らないものですが、早熟の文才はともかく、これを誰 にも告げず保管せられた御母堂の、長男に寄せる期待と愛情が察せられることです。
 合せて詩人の記念館の竣工落成をお慶び申し上げます。ちかく地元新聞の記事にて紹介されることでせう。
 ありがたうございました。

尾張攻め  投稿者:や す  投稿日: 7月15日(土)23時19分19秒
   本日36度の気温を突いて名古 屋へ出陣。定徳寺に高木斐瑳雄大人を展墓、武運祈願して、尋いで古本 屋数軒を掃討 するうちにもう暑さで頭がぐらぐら。本丸の丸栄古書即売会にたどり着くことなく退却致し候。といふか、軍資金が潰えてしまひました(笑)。ぐったり。され ど戦果は赫々(?)、帰途は犬山経由にて徳授寺太乙墓前に報告は以下の通り。

『柏木如亭集』揖斐高編 限定150部、太平書屋、昭和54年
 当時の詩集復刻本五点(別冊解題付)をほぼ当時の頒価で。
『海鴎遺稿』菱田海鴎著 安藤又三郎 昭和3年 \2,000
『美人香草集 下巻』吉田ト橘編 明治18年 \600
 最後は名古屋の香草吟社なる同人社集の端本。大沼枕山の評あり。

 「登天守閣」 (坂嵜[門+良]苑)
第五層の頭(いただき)、眼界ひろし。人、金鯱を兼ねて(凌いで)雲端にあり。この中まさに他郷の人あるべし。二百余窓に面々看る。
 枕(山先生)云ふ。天守閣の全存するはただ尾張城となす。しかるにその二百余窓そなはること、土人(地元の者)といへども或ひはこれを知らざる。この詩 よろしく天守閣の図にならいて、もって四方に伝へるべし。

近代詩の詩集探索と同様、今は失はれた風景との出会ひが一興です。
 


汗やす充棟(湿度80%)  投稿者:やす  投稿日: 7月14日(金)12時50分15秒    編集済
  暑いですね〜。ただ いま図書館は書庫の蔵書を大移動中です。

【趣味の古書展(7/21-22)】出品目録より
 1141『在りし日の歌』初版見返切並本\12,000(文学堂)
 1947『北の窓』中山仁詩集 函欠\3,000(畸人堂)
 2507『映画評論集』杉山平一処女作品集 初版函\10,000(月の輪書林)
 

『昧爽』第12号  投稿者:やす  投稿日: 7月 7日(金)22時14分13秒
  『昧爽』第12号を お送り頂きました。岩崎文子氏の保田與重郎にまつはる回想文にこころ 癒されました。中村一仁様 の浅野晃論、その膨大な著作群を読むこと能はざる者にとって、詩人の力作『楠木正成』を中心に据えた創見に、今後の展開がたのしみなところです。ここにて も取り急ぎのお礼まで。ありがたうございました。

「近代詩と江戸漢詩のための掲示板」  投稿者:やす@管理人  投稿日: 7月 4日(火)22時38分39秒
  掲示板の名をホームページの趣旨 に沿って変更しました。
恐縮ですが現代詩ほかのよろず報知ごとは他所の板にてお願ひを申上げます。
 


五百旗頭欣一詩集『故郷』  投稿者:やす  投稿日: 7月 4日(火)21時24分40秒    編集済
   JIN様より『故 郷:ふるさと』五百旗頭欣一第二詩集,1956 光線書房(川崎) /78p/21.5×15.0cm上製函/\250 をお贈り頂きました。厚く御礼を申し上げます。
 序文を北園克衛が書いてゐます。八十島稔ほかファミリーはあとどれだけゐるんだらう。『風土』『家』につらなる郷土詩特有の、ぼそぼそに切れる蕎麦のや うな味はひが嬉しい。

  山径

小さな
話し声でも
澄んでゐる

山桑の花
うつる
波もんを掬うて

ひよ
ひよ

夏草の
明るみに出た

>「ひよひよ」ってペダルを踏んでゐたのかな。

  むべ

むべが
紅く照つてたれてゐるのを

ひとつもらつて
たべた

くろい種子がばらばらつづいて、
なにか冷たい
気がして

よく味ははれなかつた

主人がいかがですと
問うた、
私は何も云へずに
ただうれしかつた。