『玉振集』 投稿者:や す 投稿日: 6月26日(月)21時56分26秒 |
『玉振集』upしました。 頼山陽文化圏による美濃詩壇の再編成が行はれる一世代前、山田鼎石・宮田嘯台・左合龍山といった詩人達の周辺を知る上で貴重な資料です。生憎県立図書館には続巻の所蔵が在りませんでしたが、若き頼春水が名を連ねてゐることも興味を引くところです。 「李杜を左提し王高(王維高適)を右挈し而して左氏司馬二陸(陸機陸雲)三謝(謝霊運謝恵連謝元暉)に旦暮するにあらざるよりは、我は吾が好む所に従はん。 序より」 また本日立原道造記念館より夏季企画展「立原道造の出発」のご案内、および館報38号をお送り頂きました。ありがたうございました。 (草野心平記念文学館の「立原道造展」ポスター、 いいなーと思って某館に貼ってあったのを頼み込んで頂いたのですが、なるほど。館報みて理由がわかりました) |
村瀬太乙遺品 投稿者:や す 投稿日: 6月24日(土)23時11分59秒 |
本日午後より犬山を散策、お城に展示中の村瀬太乙遺品を興味深く拝観、巻子仕立の「梅荘百年楼記」は『藤城遺稿』にも漏れた村瀬藤城の文にて、撮影を試みるも不首尾。その後城下町をひとめぐり、 『村瀬太乙の世界』犬山市文化史料館199847p, 29.5cm \1500 『村瀬太乙名品展』向井桑人監修 岩田洗心館198316p, 25.5cm \300 『村瀬太乙とその周辺展』向井桑人監修 岩田洗心館1984 23p, 25.5cm \400 のパンフレットを購入、徳授寺の墓石を展して帰還。 |
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「丸山薫の魅力」 投稿者:やす 投稿日: 6月10日(土)12時25分0秒 |
今週は週末も土曜開館とオープンキャンパスで出勤です。 愛知大学国文学会と丸山薫研究会が主催する明日の会にも、八木憲爾潮流社会長の講演があることゆゑ、行きたいですが叶ひません。ここにて宣伝のみさせて頂きます。 某目録より念願の長戸得齋『得齋詩文鈔』ほか漢詩集を数点購入。また、むかし集英社が出した富岡鉄斎の掛軸(山荘風雨図 解説にて) は西岡さんのサイト)を手に入れたのですが、これも複製ながら素晴らしいの一言。 |
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本の紹介『舷燈はるかに』 投稿者:やす 投稿日:5月24日(水)18時38分26秒 |
「日本古書通信」古書目録(騎士亭文庫)で見つけた本。 『舷燈はるかに』長谷川敬--木食工房, 1999.2 , 410p ; 19cm, ISBN:なし \3000 あとがきに、 「・・・(前略)この書下ろし作品は既存の出版社からの発行が決定していたが、私自身で設立し、 すでに仲間の詩集を数点発刊した『木食工房』での出版を最終的に決めた。作品を汚したくなかったからである。(後略)・・・」 とあるやうに、他にも多く著書はあるのに不思議なことにこの本のみが世に出回ってゐない。大学図書館はおろか公共図書館にも(豊橋市立図書館を除いて)ない様子である。さて何部刷られたものか。丸山薫の評伝は、未亡人による『マネキンガール 詩人の妻の昭和史』の証言が貴重ですが、著者はそれを企画、執筆の協力もされたとのこと。ただし第四期「四季」編集にも与ったといふのに、潮流社のことにあまり触れられてゐないのも不思議といふか残念。同じ1999年には雁行して『涙した神たち』(八木憲爾著 -- 東京新聞出版局, 1999.10,331p)が上梓された訳ですが、八木会長からもこの本のことやこの方について仄聞した記憶がありません。 生前の詩人から「誤解されやすいから気をつけなさい」と再三にわたり心配された由。しかしこれだけの内容・分量のオマージュが世に知られないのは残念なので、書影を掲げてみました。 読みたい人は図書館に行ってもないですから、直接版元に尋ねてみられたら如何。礼を尽くしてお便りをすれば(残部があれば)頒けて下さるかもしれません。 木食工房 〒351-0105埼玉県和光市西大和団地2-4-501長谷川様方 |
本の紹介『高森文夫詩集』 投稿者:やす 投稿日:5月15日(月)12時20分17秒 |
調べものできのう県立図書館へ立ち寄った際に見つけた本。 『高森文夫詩集』本多寿編・解説 -- 本多企画, 2005.6 , 218p, 図版[7]p. 生前の集成的詩集『舷灯』に未刊詩篇を付したもの。なので『舷灯』を手に入れられなかった人はもとよりですが、むしろ本冊の半分を割いて書き下ろされた、詩人の伝記ともいふべき本多寿氏の懇切な解説ゆゑに、お薦めしたいです。ことにも中原中也との交渉に関して詩人が折々に記してきた文章をもれなくあつめて紹介してあるので、安原喜弘の他にもう一人、気を許した親友であった高森文夫から眺められた中原中也を知るための格好の一冊となってゐます。\2000 |
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管理人です 投稿者:やす 投稿日: 4月24日(月)23時30分1秒 |
こちらこそはじめまして。中嶋康博@管理人です。 お申し越しの件につきましては、どうぞ御自由にお使ひ下さいませ。井口蕉花については木下信三氏の論考が詳しく、すでに収集済みかも知れませんが「東海地域文化研究(名古屋学芸大学短期大学部附属東海地域文化研究所編)」に「井口蕉花ノート」(Vol.2, 73-82p / Vol.3,254-69p)が所載されてをりますので、合せ書き添へます。 「文化のみち二葉館」にはまだ伺ったことがありません(橦木倶楽部ともに素敵な建築ですね)。いづれ拝見に伺ひたく、寄贈の件につきましても、あらためて御相談を申上げたいと存じます。 掲示板にては取り急ぎ用件のみ申上げます。 |
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『昧爽』11号 投稿者:やす 投稿日: 4月 7日(金)17時28分23秒 |
山本直人様より『昧爽』11号の御寄贈をかたじけなく致しました。いつも有難うございます。ここにてもあつく御礼を申し上げます。 さて今回は特集記事の「音響の誘惑/日本語ロックの遺産」とは別に、中村一仁様より北海道むかわ町の淺野晃資料室閉鎖予定について【報告】があり、時々の状況は今後も引き続き報告される模様ですが、ともあれ記されるやうに、詩人宛の来簡ほかの貴重な資料について、その行末がたいへん案じられるところであります。 しかし一口に「資料整理」といっても、達筆の手紙はたしかに読み辛いですよね。先日、四捨五入すると早や五十になることを知ってガクゼンとしました私こと管理人も、管茶山・江馬細香と、このところ念願の墨蹟を“天の命ずる”ままに漁り続けてをりますが(贋物傷物を覚悟の上で、笑)、掛軸や漢詩集の序跋などは『くずし字解読辞典』をもってしてもまだまだ読むことは難しいです。といふか菅茶先生の書など、詩集テキストが無ければ私なんぞになかなか読めるしろものではないであります。 「走雨過山彩霓生 残雲洩日翠秧明 欲知詩画無佗趣 出戸呼童視夕晴 茶山旧製」 |
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インターネット上の古書売買について 投稿者:やす 投稿日: 3月21日(火)08時39分37秒 |
「日本古書通信」No.920到着。前回に引き続き古書店主による座談会は後半「扶桑書房・石神井書林篇」。
ページ数が限られてゐるので、近代文学雑誌とモダニズム詩集の草分けである名物古書店の歴史も、今回は「垣間見る」といった感じに留まってゐるが、同号「古本講座2」ではさうした市場の歴史的動向が今や、ジャンルではなく環境において大きく変化してゐることについて、つまり具体的にいへばインターネット上での売買「Yahoo!オークション」の功罪についてであるが、座談会で司会を執った川島氏自らによるメスが入ってゐるので、一読されたい。 私見を述べるならば、目下日本で一番充実してゐる古本サイト「日本の古本屋」データベースであるが、即時に全国の在庫現状を一覧検索できる特長に加へ、 保存や刷版の状態が問はれる高額本や和本については、さらに客観的な写真情報を複数付与することが可能になったら、古書業界の仇敵「Yahoo!オークション」の魅力は半減するのではないかと思ってゐる。プロの古書店による「日本の古本屋」と、アマチュア出品者による「Yahoo!オークション」が融合されることは、買取システムの位置づけを考へると実際にはなかなか難しいことと思はれるけれども、川島氏の指摘される、稀覯本ジャンルにおける「日本の古本屋」=「最高値」=「売れ残り」といふイメージ、これを払拭することは早急の課題であらう。捻った古書価に苦しんできた愛書家達がまるまるYahoo!オークションへ完全移行してしまふ前に、或は古本業に手を染めたamazonが稀覯本の世界に進出してくる前に、「登録者へのアラート」や「店舗・年代毎の詳細検索」など、システムの課題として組織全体で取り組んだ方がいいんぢゃないか、とも思はれる。事実、このやうなインターネット上の組合を持たない書画骨董の世界は、パソコンをいぢれぬ年配層がゐなくなった時点で全ての顧客が同時に売り手に、一国一城の店主になることも予想される。酷く喩へるなら、ヤクザ社会の権益がなくなってそこら中にチンピラ風市民がのさばりはじめた日本と同じである。先日、バブル期の値段札が付されたままの委託品を大量に陳列してゐる地域の骨董センターに足を運び、その感を強くした。古書店とは異なり鑑識の点では素人売買同様、保証さへない。 学術情報データベースとリンクして、生涯教育にいそしむ国民の資料検索・流通機構としてひらかれるのは、果たして予定通り「日本の古本屋」となるだらうか。その際、初版・復刻毎に古本屋の検索結果も分かれるやうになってゐたら、ポータルサイトはWebCatに移行するかもしれない。数年後が楽しみなことである。 |
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『水彩画を描いたサムライ』 投稿者:やす 投稿日: 3月11日(土)02時00分36秒 |
昨日は職場に一冊の画集が寄贈されました。 なかに私の故郷岐阜市長良より高富街道の建物ごしに仰いだ百々ヶ峰[どどがみね]と思しき一枚があって、興味深く拝見。 本の題名は『矢野倫真水彩画集 : 水彩画を描いたサムライ』といふ79p:30cmの、図録様の装幀であります。 作者の矢野倫真(やのりんしん1864-1943)は、抒情味あふれるこれらの水彩風景画が近年遺族の手で偶然発見され、今回出版の運びにまで至ったといふ明治大正期に活躍した画人でありますが、拙ホームページ管理人としましては、同じく旧制岐阜中学(現岐阜高等学校)の先生で、偶々着任したこの土地に根ざして己のライフワークを大成させた、郷土詩人の第一人者殿岡辰雄のことを真っ先に思ひ起こさせました。尤も殿岡辰雄はバンカラ学生達から「マメさん」と慕はれた土佐生れの英語教師でしたが、加賀藩士の血を引く幕末金沢生れのこの図画の先生はまた、学校で唯ひとり綽名で辱められなかった薀藉の風格の持主であったといふことです。明治画壇の潮流が水彩から油彩へ移っていったとき、時好を追はずに出発点の南画に回帰し、教育者としての本分に安んずることを選んだ生き方にも、明治びとらしい処世のいさぎよさは偲ばれて、「水彩画を描いたサムライ」と副題にはありますが、むしろ富岡鉄斎同様、ゆかしき儒者の風韻を感じてなりません。 『矢野倫真水彩画集 : 水彩画を描いたサムライ』2005.8刊行 \2740(送料とも) 購入は倫真の水彩画を伝える会(〒921-8152石川県金沢市高尾2-1-1早瀬氏)へ。以上勝手に宣伝まで。 |
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遠山雲如の刊行詩集 投稿者:やす 投稿日: 2月5日(日)19時28分47秒 |
和洋会目録、『日月の上に』(扶桑書房さん\3000!)は外れましたが、『雲如山人第四集』は我が手に。中には飛騨の山岳風景を歌った「桟雲集」といふのが収められてゐるのであります(ニコニコ)。 ただしこの本、詩人の第4詩集といふわけではありません。現在遠山雲如の別集(個人集)として確認されてゐる最古の詩集は『雲如山人第三集』。第一集も第二集も伝はってゐないのであります。しかもこの第四集の間になほ『雲如山人集』ほか数冊の刊行があって少々ややこしい。特に『雲如山人詩集(詩鈔(七松堂版))』は、今回需めた『雲如山人第四集(夕爽楼版)』と同内容(但し巻の順序が異なる)の由、「遠山雲如の刊行詩集について」鷲原知良氏(大阪芸文研究誌「混沌」23号)に拠りました。下記に一覧。 『寰内奇詠』(文政9年1826)[編] 半紙本一巻[一冊]。74家138首のうち5首を収む。17才の紅顔詩人を得意の絶頂に至らしめたアンソロジー。 『雲如山人第三集』(天保14年1843) 半紙本二巻一冊。「卜居集[著]」「水雲吟社詩[編]」下総寓居時代の作品。 『雲如山人集』(嘉永2年1849) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:七律、第二冊:七絶。 『墨水四時雜詠』(嘉永3年1850) [著]半紙本一冊。中嶋棕隠『鴨東四時雑詞』にならった江戸版。 『湘雲一朶』(嘉永6年1853) [編]特小本。相模厚木時代の詩友19家を集めたアンソロジー。 『湘雲集』(安政2年1855) [著]特小本二巻二冊。相模厚木時代の作品。 『晃山游草』(安政3年1856) [著]半紙本一冊。八王子時代の作品。 『田園雑興次韻』[安政?年] [著]半紙本。范成大『四時田園雑興六十首』に次韻。 『雲如山人第四集』(文久元年1861) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:「京塵集」二巻、第二冊:「島雲漁唱」「相雲嶽雪集」「棧雲集」。星巌を頼っての上京時代、および明石・淡路・近江・越前・飛騨遊歴の作品。 『雲如山人詩集(詩鈔)』(文久3年1863没年)前述。 『三雲絶句(三雲集)』(没後明治3年1870) [著] 半紙本。宮澤雲山、竹内雲濤らとともに七絶各百首を収める。 『雲如先生遺稿(博愛堂)』(没後明治20年1870) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:七律、第二冊:七絶。 なんでもいいや。早く来ないかな。 到着した『雲如山人第四集』は新品と見紛ふ程の保存状態なのでありました(感涙)。 |
小山正孝著『稚児ケ淵』 投稿者:やす 投稿日: 1月29日(日)21時43分55秒 | 編集済 |
今日はテレビで楽しみにしてゐる「何でも鑑定団」の日(当地では一ヶ月遅れの日曜日のお昼にしか映らないのです)。年末最後の放送といふことで広島県神辺町の廉塾などが紹介されてました。鞆の浦歴史民俗資料館の図録をぐれむん様から贈って頂いたのはさういへばお正月。やっと謎がとけたりして(笑 そんなことはない、か)。 さてやはりこれもお正月に御遺族からお送り頂きました小山正孝『稚児ケ淵』は、閑の折々に読み散らかしてをります。小説については云々できる資質がないので詳しいコメントを差し控へますが、跋文で伊藤桂一氏ほかが言及してゐる初期の「紙漉町」なんかは、はっきり云ったらば大凡私にはもうよくわからないのでした(おそらく大抵の人にも、きっと)。しかし全編こんなドイツロマン派風の主観独白(何故だか昔読んだヴァッケンローダーといふ詩人の小説?を思ひ出した)が続くのかな、と思ったら、さうではなく、表題作や「少年時代」など、青木といふあんまり感心できない少年(笑)の行状・心理を場景とともに客観的に描いてゐる、謂ふところの“青木もの”なんかはとても面白かったです。「少年時代」など、最後に父親に張り倒されるところはカタルシスとして、少年らしい戒心への含みを持たせたエンディングにしたらよほど(彼が立原道造の他に私淑してゐたのではないかといふ太宰治の中期みたいで)読後感がいいのにな、 と、こんなコメントは小説を「楽しめたか・楽しめなかったか」といふ映画観客の域を越える感想が書けない仁の云ふことですから御放念下さい。一体主人公の心理描写って小説家の体験にどこまで基づいてゐるのかな〜、と幼稚なこと云ってる時点で小説なんか書けない人間なのですね。 寄贈頂きました御二方にあらためて御礼申し上げます。 |
詩魔詩人同盟主催「学芸講演会」 投稿者:やす 投稿日: 1月27日(金)17時40分30秒 | 編集済 |
JINさまより昭和初期の岐阜詩壇、詩魔詩人同盟が催した学芸講演会のチラシをお送り頂きました。このやうなチラシは捨てられてしまふのが常ですから大変貴重です。これまでの何度とないご厚意にあらためて御礼を申し上げます。ありがたうございました。さきに「四季派の外縁を散歩する第9回 郷土詩人素描──岐阜県の詩集から」のなかにおいて、 当時の中央詩人たちを盛んに講演に招いてゐるが、歌詞作者として成功した彼らを呼ぶことが、自分たちの世間的認知の後ろ盾にはなっても文学的な地位を高めることになる筈はなかった。揉み手で迎へられた有名詩人達もまた、全く江戸時代の流行漢詩人達が地方行脚を行ったのと等しく、物見遊山を兼ねたビジネスに訪れたのではなかったか。「詩魔」を存分に検分できたら思ふところを語りたい と記しましたが、はしなくもこんな資料が証左のひとつとなるかもしれません。 「私達の為事の基金を得るために特に両講師及現代大家にお願ひしてその肉筆色紙、短冊をいたゞきました。これを同好の方々に市價の半價以下にてお頒けいたします。」 「市價の半價以下」ねぇ。どうせなら朔太郎呼んで欲しかった(無理? 笑)。 本日発表の「趣味の古書展」抽選『光の処女』(文学堂書店\8000)はもちろん(?)はずれました。懲りずに今度は「和洋会」を虎視耽耽(笑)。 |
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御健筆をお祈り申上げます。 投稿者:やす 投稿日: 1月10日(火)21時43分8秒 | 編集済 |
『北条霞亭』連載との取り合はせに思はず微笑んでしまった管理人です(^_^)。今年もよろしくお願ひを申し上げます。 しかしながら淺野晃が保田與重郎の「所詮取り巻きで、ただ長く生きたから皆があれこれ言ふだけ」、とは随分な発言ですね。けだし直弟子といってもおそらく信者みたいな歌人の方なんだらうと存じます。詩がわからんのです(尤も私には和歌や俳句がわからんですが)。 「ただ長く生きたから」ぢゃなく、敗戦の世に存ふる運命を背負ったからこそ抒情詩人としての転生を成したのであり、蔵原伸二郎、伊福部隆彦、芳賀檀といった人々とおんなじ道行をたどった文学者として、戦前はあくまでもその前半史なのだと私は思ってをります。むしろその方の仰言るやう、『天と海』の詩人も日常生活では“ぬらりひょん”みたく時化た顔をして妻には一向頭も上がらないといふのが本当だったら(そんなこと言ってない 笑)、そんな風貌にこそ、私は市井に隠れた浪曼派の妖怪たる面目の真骨頂を感じますね。「連載の時間と労力がもつたいない」などといふことがあるでせうか。もはや日本の老人は戦後派ばかりなので、還暦以上の人々に払ふ敬意にも注意が必要です。なにより未開拓の資料とともにをられるのですから、中村様ご自身の目で確かめになって、急がれることなく仕上げてゆかれたらと存じます。妄言多謝。 |
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新年の御挨拶 投稿者:や す 投稿日: 1月 8日(日)10時26分41秒 | |
あけましておめでたうございます。ことしもよろしくおねがひをもうしあげます。 年末年始をずーと留守にしてをりましたので、読書がまったくできませんでした。 新しいスキャナーを買ったので、許可を得て本日は県立図書館へ参ります。 なほ、お休みの間に詩人小山正孝の選集四部作の最後となる小説集、 『稚児ケ淵』小山正孝著-- 潮流社, 2005.12.26, 19.4cm, 457p. を御遺族より、 また機内のぐれむん様より、広瀬旭荘や中嶋棕隠など江戸後期の漢詩人たちと瀬戸内の大富豪商家中村家との交流を映す資料を綴った図録 『町人文化の栄華 鞆の津の風雅』福山市鞆の浦歴史民俗資料館, 2005.10.14, 25.7cm, 124p. の御寄贈をそれぞれかたじけなくいたしました。 取り急ぎこの場をもちましても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。 |