もどる

2006年1-6月 日録掲示板 過去ログ

『玉振集』  投稿者:や す  投稿日: 6月26日(月)21時56分26秒    編集済
  『玉振集』upしました。
 頼山陽文化圏による美濃詩壇の再編成が行はれる一世代前、山田鼎石・宮田嘯台・左合龍山といった詩人達の周辺を知る上で貴重な資料です。生憎県立図書館には続巻の所蔵が在りませんでしたが、若き頼春水が名を連ねてゐることも興味を引くところです。
「李杜を左提し王高(王維高適)を右挈し而して左氏司馬二陸(陸機陸雲)三謝(謝霊運謝恵連謝元暉)に旦暮するにあらざるよりは、我は吾が好む所に従はん。 序より」

また本日立原道造記念館より夏季企画展「立原道造の出発」のご案内、および館報38号をお送り頂きました。ありがたうございました。
(草野心平記念文学館の「立原道造展」ポスター、 いいなーと思って某館に貼ってあったのを頼み込んで頂いたのですが、なるほど。館報みて理由がわかりました)

村瀬太乙遺品  投稿者:や す  投稿日: 6月24日(土)23時11分59秒
   本日午後より犬山を散策、お城に展示中の村瀬太乙遺品を興味深く拝観、巻子仕立の「梅荘百年楼記」は『藤城遺稿』にも漏れた村瀬藤城の文にて、撮影を試みるも不首尾。その後城下町をひとめぐり、
『村瀬太乙の世界』犬山市文化史料館199847p, 29.5cm \1500
『村瀬太乙名品展』向井桑人監修 岩田洗心館198316p, 25.5cm \300
『村瀬太乙とその周辺展』向井桑人監修 
岩田洗心館1984 23p, 25.5cm \400
のパンフレットを購入、徳授寺の墓石を展して帰還。
 


2006明治古典会七夕古書大入札会より   投稿者:やす  投稿日:6月24日(土)11時29分59秒    編集済
  珍しいところで今年は殿岡辰雄の処女詩集『詩集月光室』が出てゐました。七夕市に出されるなんて名誉なことですが、印刷所が同じ(神戸長瀬:市川合名印刷所)だからって、海港詩人倶楽部の詩集とカップルにされてもどうかと。
ほかにも名古屋の同人文学雑誌一括19冊が入札最低価格「ナリユキ」(?笑)で。

また、四季・コギト関係では、神保光太郎旧蔵本のよいものがこちらで出てゐました。
『山羊の歌』神保光太郎宛献呈名入
中原中也葉書 神保光太郎宛
『愛する神の歌』神保光太郎宛献呈名入
『詩集 鵲』への礼状は昔、玉英堂書店の階段でみたことがあったかな。
津村信夫 竹下彦一宛書簡
『詩集わがひとに與ふる哀歌』
『四季』創刊〜81号・再刊1〜5号
北 園克衛詩稿「四季」(『句集 村』には未収録)。“銀一色”を夏に使ふなんて詩人の句ですね。

   「四季」 北園克衛

  椽
高僧の山路たどるや春の雨

  独居
松も雲も銀一色の団扇かな

  散歩
よきほどの風にまかせる萩の原

  旅
大淀の時雨れて暗し旅の旅
 

立原道造記名入り『天文年鑑』  投稿者:やす  投稿日:6月21日(水)20時22分27秒
  【五反田古書展(6/23-24)古書目録より】
 神保光太郎旧蔵本がいっぱい月の輪書林さんから出てゐる。なかでも立原道造記名入り『天文年鑑 昭和3年版』は蔵書整理の際、形見分けとして神保光太郎の有に帰したものなんだらうが、元祖オタク少年の感性を裏付ける嬉しい発見です。クラブさへあったら天文同好会のほか、切手、ラジオ、鉄道、みなかけもちしたことでせう(ちなみに『天文年鑑』が最初に出たのがこの昭和3年版らしい)。
 しかし今月の日本古書通信『ルウベンスの戯画』一部本(玉英堂書店)といひ、四季派の発見が斯くにも高額に評価されるべきものか・・・。
 

古本屋さんの移転  投稿者:やす  投稿日: 6月20日(火)21時00分5秒
  いつもお世話になってゐる鯨書房さん、長年営業の場所から歩いてすぐの処へ 移転。引越しもほぼ完了の様子にて6/26より営業再開の由。これで隣の騒音[ペットショップの倉庫になってゐて、ワンワンギャンギャン、閉じ込められたまま何年も「おがーちゃーん」と叫び続けてる鳥もゐる(^_^;)ゾー。]から開放されますね〜(笑)。あはせて木曜休みから→日曜・祝日休みに変更されるとのこと。ごん太の散歩コースからの告知でした。

【移転先】〒502-0071 岐阜県岐阜市長良191-15
           Tel:058-294-5578 Fax:058-294-8461
 

『一日集』  投稿者:やす  投稿日:6月19日(月)19時53分19秒
   「石神井書林古書目録69」到着。めずらしいもので目に留まったのは1362『保田與重郎アルバム』\8400/ 3189『正義の兜 シミ有り』\15750などなど。和本にかまけて最近あまり買はなくなった近代詩詩集ですが、四季・コギト・モダニズム系全国区の詩集で買へるものはあらかた揃ったので、あとはなかなか手が出ない領域に突入した感じです。巻頭の『春と修羅』はもとより高鍬光佑『月に開く窓』1922とか米倉壽仁『透明ナ歳月』1937とか、詩集を集め始めるやうになってからその名だけは知ることになった夭折詩人たちについても、どうやらその詩を知らずに過ごしてゆくことになりさうです。そんななか先日「日本古書通信」から、復刻で諦めてゐた『一日集』の原本が到着(札幌弘南堂書店)。このところのレスが収集運気を呼びこんだのか、初期四作の収集で残った最後のピースでした。

 八戸の圓子哲雄様より「朔」158号をご寄贈頂きました。ここにても御礼申し上げます。ありがたうございました。一戸謙三特集(4)は引き続き戦後訳詩の紹介。いづれ坂口氏の編著として、戦前の書影資料などとともに刊行されることを期待したいと存じます。
 

岡鹿門『在臆話記』より  投稿者:やす  投稿日:6月17日(土)18時02分13秒    編集済
   小川萬甫のこと、(第二集巻十二)に記載を見つけたものの、素気なく遺稿集序文の内容を出ませんでした。安積艮斎から、(学資なき者は食客として遇したといふ)羽倉簡堂の許に転塾した模様にて、文才については「さすが拙堂門下の素養なれば文章はやや見るべし」と一言。
 むしろ記事検索中、旅中に訪ねた石野雲嶺や小原鐵心、張紅蘭について興味深い逸話を拾ふ。

【石野雲嶺】(第三集巻一):(藤枝にて) 刺を通じて見を求めるに意、客に在らず。け だし東海道にありて一々遊歴書生に応接せば、これ日足らざる也。吾が聖堂に学ぶと聞き、手書きの小冊を検す。(松本)奎堂の言を記したる中に吾が名姓あるを見て、頓に礼容を致し坐上に延く。これ「その人を知らずしてその交はる所を見る」の謂なり。

【小原鐵心】(第三集巻三):(酒宴中) 鐵心、美人に蘭を作るを教ゆるとて、坐中の絵を善くする者に蘭竹の手本を作らせ、(その美人を)細香女史の替人となさんと。それには雅号が必用。此は遠来の珍客、此詩を贈る者の責任と云ふ。美人(作画後に困って)奉書紙を折り捧出拝請。余、尊名を何と問ふに「をよう」と答ふ。すなはち「某姓第幾女」、次行に「夭々女史」。これを毛詩桃夭之篇にとる。年月落款せしに満坐拍手、妙を称ふ。余、鐵心の人物に推服。

【張紅蘭】(第四集巻四):(星巌没後京都に訪ねるに) 此時、余当惑せしは紅蘭、陽明全集を持ち出して、読めぬ所分らぬ所一々質問せらる。吾は伝習録の何の書たるを知らざる学者なれば、紅蘭の分らぬ所は吾も分らぬ。紅蘭も余の虚名に失望の様子也。
:(また岡本黄石の談とて、大槻磐溪とともに京都で懐旧談に興ずる際に) 紅蘭出て見、何が不興か容貌顔色の意外なるに磐溪も当惑の様子。少頃ありて其の言に「磐溪サン、あなたの江戸に在りし時は美男子の立派なる色男と思ひしに、何ぞ料らん御一新の今日となり、満面皺皴(しわしわ)短髪白頭の醜悪極まる見ともなき老人とならんとは。」此一言には磐溪も一言の答ふべきなし。紅蘭、此一言の外更に無言なれば吾も側に在りて此意外な挨拶に当惑し匆々にして辞出せりと。

「・・・・・。(^△^;)」
 

『其瀾遺稿』  投稿者:やす  投稿日: 6月16日(金)12時30分11秒
  『其瀾遺稿』小川萬甫(粛寛)著 ; 上,下 -- 安田丑作, 1894.8,2冊.
跋は穴津(安濃津)の茅原治清といふ詩人と面識のなかった後輩が書いてゐるが、序は三島中洲と、署名が無いものの岡鹿門(旧号:天爵)である。『在臆話記』に何か記事があるだらうか。
 

夭折漢詩人  投稿者:やす  投稿日: 6月15日(木)20時55分41秒    編集済
   三重県出張より帰還。途次、的矢の北條霞亭一族の塋域に憑弔。墓地は聚落背後の丘の上にありましたが、道も狭いし分り辛い。郷土資料館の司書さんに訊ねなければたどり着けないところでした(懇切に地図を描いて頂き有難うございました)。それからもう一人、このたび遺稿集を入手した小川其瀾(おがわきらん)といふ夭折詩人についても訪ねたかったのですが、こちらは次回にでも。江戸時代の書生は必ず漢詩を勉強しましたから早死にすればみな「夭折詩人」なんですが、現代詩詩人のそれとは大分風格が違ひます。長ずれば必ず一家を成したに相違ない、地元の尊敬と期待を一身に鍾めた選手であります。けだし北條霞亭も長生きとは云へないのですが(44歳)、斎藤拙堂、安積艮斎、羽倉簡堂に将来を嘱望されたこの雋鋭、其瀾小川萬甫は24歳(文久2年)。また最近サイトにupしました郷土美濃の林伯英に至っては、享年なんと19歳。言葉がありません。
 

西脇順三郎記念室  投稿者:やす  投稿日: 6月10日(土)22時13分52秒
   新潟県出張より帰還。小千谷市立図書館内に併設されてゐる西脇順三郎記念室に立ち寄り見学。壁面を填る貴重本の多くがカラーコピー貼りの“ハリボテ”だったことと、文学アルバムのパンフレット三分冊のうち、肝心の戦前期の一冊目が売切だったこと(再刷未定)は残念でしたが、館員の方の温かい応対に、郷土びとの敬愛を鍾めた詩人の人徳を実感したことでした。
 来週は三重県出張。さて北園克衛は郷土詩の詩集を三冊も刊行しながら記念室はありません。帰郷せず、校歌もつくらず、晩年まで若いモダニズム詩人達にかこまれ中央の一線にあったことは、地元資金による記念室設立には結びつかなかったものの、「ふるさとはとほきにありておもふもの」を貫き通した詩人のこれもまたひとつの節操、生家が風景とともに遺されてゐる奇蹟は以前報告したとほりであります。

「丸山薫の魅力」  投稿者:やす  投稿日: 6月10日(土)12時25分0秒    編集済
  今週は週末も土曜開館とオープンキャンパスで出勤です。
愛知大学国文学会と丸山薫研究会が主催する明日の会にも、八木憲爾潮流社会長の講演があることゆゑ、行きたいですが叶ひません。ここにて宣伝のみさせて頂きます。

某目録より念願の長戸得齋『得齋詩文鈔』ほか漢詩集を数点購入。また、むかし集英社が出した富岡鉄斎の掛軸(山荘風雨図 解説にて) は西岡さんのサイト)を手に入れたのですが、これも複製ながら素晴らしいの一言。
 


「丸山薫 : ランプの灯りに集う」  投稿者:やす  投稿日: 6月 5日(月)18時22分6秒    編集済
   豊橋市役所文化市 民部文化課より、丸山薫研究会会誌「丸山薫 : ランプの灯りに集う」(第1号99p 2005,3 第2号83p 2006,3)をお送り頂きました。厚く御礼を申し上げます。
 この研究会、会長はかつてわが職場の国文学科でも御講義頂いた冨長覚梁氏、御尊父は梁川星巌全集を編纂された冨長蝶如先生にあらせられます。戦後、全国はもとより中部日本の詩人達を鳩合する核にも成り得なかった抒情詩ですが、現代詩全盛時代の波が引いた後に顕彰されることになったのが結局、地域組織の中心で積極的に活動することを意識的に避けてゐたやうにもみられる抒情詩人丸山薫だったことは、彼が他の四季派詩人とは一線を画し、現代詩詩人からも一目おかれてゐたコスモポリタン的な立場を有した詩人であったことと思ひ合はせて何かしら感慨を覚えます。つまり郷土文化人として顕彰にそぐはない条件と、優れた詩人として顕彰されるべき条件を二つながら持ち合はせてゐた詩人が、田舎とも云へない小都市に隠遁せざるを得なかったことが、没後すぐの顕彰にならなかった理由の状況だったのだ、と云ったら過ぎるでせうか。
 通りいっぺんの読者にすぎない私には、どうも山形岩根沢で親しみをもって地元の人々から敬愛せられてゐる詩人の姿と、その後何倍もの年月を過ごしたものの結局は邸宅も残せなかった豊橋における姿との間に落差を、詩人の不運を見ようとする向きがあっていけません。
 ともあれこの会がきっかけとなり、詩人があらためて追善されるのは何よりのことであります。また今後詩人の肉声をを知らない世代にバトンタッチされてゆくこれら全国各地に点在する近代詩詩人顕彰活動が、それぞれの地方の単なる観光・町おこしの動機付けに終らないことを祈ってやみません。

【連絡】また明日よりしばらく出張に入ります。
 

和洋会は敗北。  投稿者:やす  投稿日: 6月 2日(金)21時14分6秒    編集済
  岐阜駅での古書展では地元漢文集を購入(結構な値段でした。up済み)。
今週目録は、古書かつらぎ、誠心堂書店などから。眼福の一冊は『良寛道人遺稿』誠心堂書店
さて近世・近代両聖人の詩集、期せずゼロが一つ違ってゐますが「26」は何か意味があるのかな(笑)。
 

今週末は岐阜でも古書展  投稿者:やす  投稿日:5月25日(木)20時14分29秒
  福地書店、一誠堂、和洋会、浪速書林、落穂舎、などなど目録たてつづけに着。
注目は[玉]睛さんの『聖家族』の初版本\50,000(和洋会No.1117)かな。
ともあれ浪速書林から眼福の一冊を掲げます。

本の紹介『舷燈はるかに』  投稿者:やす  投稿日:5月24日(水)18時38分26秒    編集済
  「日本古書通信」古書目録(騎士亭文庫)で見つけた本。
『舷燈はるかに』長谷川敬--木食工房, 1999.2 , 410p ; 19cm, ISBN:なし \3000
 あとがきに、
「・・・(前略)この書下ろし作品は既存の出版社からの発行が決定していたが、私自身で設立し、 すでに仲間の詩集を数点発刊した『木食工房』での出版を最終的に決めた。作品を汚したくなかったからである。(後略)・・・」
 とあるやうに、他にも多く著書はあるのに不思議なことにこの本のみが世に出回ってゐない。大学図書館はおろか公共図書館にも(豊橋市立図書館を除いて)ない様子である。さて何部刷られたものか。丸山薫の評伝は、未亡人による『マネキンガール 詩人の妻の昭和史』の証言が貴重ですが、著者はそれを企画、執筆の協力もされたとのこと。ただし第四期「四季」編集にも与ったといふのに、潮流社のことにあまり触れられてゐないのも不思議といふか残念。同じ1999年には雁行して『涙した神たち』(八木憲爾著 -- 東京新聞出版局, 1999.10,331p)が上梓された訳ですが、八木会長からもこの本のことやこの方について仄聞した記憶がありません。
 生前の詩人から「誤解されやすいから気をつけなさい」と再三にわたり心配された由。しかしこれだけの内容・分量のオマージュが世に知られないのは残念なので、書影を掲げてみました。
 読みたい人は図書館に行ってもないですから、直接版元に尋ねてみられたら如何。礼を尽くしてお便りをすれば(残部があれば)頒けて下さるかもしれません。
 木食工房 〒351-0105埼玉県和光市西大和団地2-4-501長谷川様方


本の紹介『高森文夫詩集』  投稿者:やす  投稿日:5月15日(月)12時20分17秒    編集済
  調べものできのう県立図書館へ立ち寄った際に見つけた本。
『高森文夫詩集』本多寿編・解説 -- 本多企画, 2005.6 , 218p, 図版[7]p.
生前の集成的詩集『舷灯』に未刊詩篇を付したもの。なので『舷灯』を手に入れられなかった人はもとよりですが、むしろ本冊の半分を割いて書き下ろされた、詩人の伝記ともいふべき本多寿氏の懇切な解説ゆゑに、お薦めしたいです。ことにも中原中也との交渉に関して詩人が折々に記してきた文章をもれなくあつめて紹介してあるので、安原喜弘の他にもう一人、気を許した親友であった高森文夫から眺められた中原中也を知るための格好の一冊となってゐます。\2000

 


本の紹介『林園月令』  投稿者:やす  投稿日: 5月13日(土)17時06分10秒
  館柳湾の『林園月令』、訳出が刊行されてゐたんですね。
『漢文歳時記』館柳湾著 杉野茂訳 伊勢新聞社 112p B5 1500円
 

旅人かへる。  投稿者:やす  投稿日:5月11日(木)19時58分51秒    編集済
   自分が「晴れ男」であることはうすうす自覚してゐましたが、今回の出張はまさに雨を避けるやうに北上、雨をやり過ごしてふたたび晴れ間に帰還。御当地新潟では月別気温の記録更新に与ることにもなりました(笑)。
 昨年の担当地区、兵庫・淡路から今年は新潟へ。大地震の痕跡も著しく、と思ったのは、しかしこれは雪害の爪あとでありました。なにしろ三十度近い暑さの中、山間部は道端にもまだ雪が残ってゐるといふ今年の大雪。ゆくりなくも土筆や蕗の薹を摘んで帰るとは思はなかったです。
 ともあれ越後もまた詩人たちの故郷であります。高校訪問の際には校庭の碑や玄関に掲げられた校歌の作者をみてゐるのですが、なんと小千谷高校には西脇順三郎の胸像が!これには驚いたです。今度伺ふときには初版本もって行かうかな(笑)。
 ただ「江戸漢詩先賢追慕行脚者」としては、良寛さんの史跡は沢山あるものの、館柳湾には故郷とて何もない様子。地元高校の国語の先生も御存知なかったのは…当世仕方ないのかな。
 

薹立ちぬ  投稿者:やす  投稿日: 5月7日(日)18時01分32秒
  家人に所用あり、われも上京一泊。折角なので土曜日に神保町を回ったのですが…。
連休中、店の半分は閉まってをりました。本はぐろりあ展で300円の本を一冊拾っただけ。
といふか、念願の『故園の歌』が懇意の本屋さんの「放出棚」に出てゐたのに手が出ませんでした。結局恥かしくて挨拶も出来ずに退散・・・・こんなことは初めてです。戦前抒情詩の分野、(現実的な範囲で)もう欲しい本は数へるほどしかない筈なのに、たうとう収集にも焼きが回ったかな。薹が立ったかな。(あとで「そんなに欲しかったら買へばよかったのに」と云はれてさらにショック。)
U^エ^;U 「いや今回の状況下、選択は正しかったんぢゃないかな。」
 

「橦木倶楽部通信」拝見致しました。  投稿者:やす  投稿日: 5月7日(日)14時52分40秒    編集済
  ありがたうございます。今月は高校訪問の出張(三重・新潟)が引き続き、休みはどこにも行く気がおきないかもしれませんが、次回お伺ひする際には事前に御連絡を申上げます。西尾副館長様にはよろしくお伝へ下さいませ。
ともあれバブル崩壊後に出てきた郷土資料を、どこでどう管理するのか、考へなくてはならない時期かもしれません。新たな予算が付き難く、一旦収まってしまった資料はお蔵入りといふ状況は略、図書館と同様なのだらうと拝察いたします。
佐藤一英資料、初期の稀覯詩集や詩人が関はった同人誌の類ひ、これは万一寄贈されればコレクションの核になるかと存じますが、残ってゐてほしいものですね。

http://white.ap.teacup.com/syumoku/124.html

 

二葉館副館長と話しました。  投稿者:masa  投稿日: 5月 6日(土)18時47分24秒
  こんばんは。今日、二葉館の西尾副館長と話をしました。日時を指定していただければいつでもお会いさせていただくそうです。今日の書庫内では、文学ボランティアの方が城山三郎寄贈の資料を整理されていて、本の間から昔の百円札を見つけ皆で懐かしがっていました。
未整理の寄贈資料の中に「小谷剛」のものと「佐藤一英」のものが目に付きました。「佐藤一英」のものは、たまたま二葉館を訪れたご子息が、寄贈されたもので全集や記念展のパンフレット類、記念切手など比較的新しいものでしたが、これからまだ寄贈されると言うことでした。
 

城めぐり  投稿者:やす  投稿日: 5月4日(木)19時41分5秒    編集済
  連休二日目。「昨日名古屋で今日岐阜城。あした明後日○○城?」
稲葉山山頂で読む漢詩もまた一興(へとへと)です。

 岐府山  金龍道人

古音號稲葉、或稱金華。中古以似中華岐山名岐阜。後至平將軍信長公、移此修覇業、改號岐阜。其地東山右河、山水明麗、爲一都會。信長之孫、信雄黨石田而亡矣。今爲尾州属城、覇業餘風猶存矣。

憶古將縦目 古へを憶へば将に縦目せんとす (縦目:遠望)
城墟聳碧空 城墟、碧空に聳ゆ
路連飛鳥外 路は連る、飛鳥の外
身入亂山中 身は入る、亂山の中
危石徒天險 危石、徒らに天險
老松思國風 老松、國風を思ふ
覇圖雖已矣 覇圖は已むといへども
裁賦欲爭雄 賦を裁して雄を争はんと欲す

 又
岐山雨霽碧崔嵬 岐山、雨霽れて碧、崔嵬
上有平公天主臺 上に平公の天主臺あり
路轉七盤登絶頂 路は七盤を転じて絶頂に登る (七盤:七曲登山道)
千村萬落掌中開 千村萬落、掌中に開く
 

何十年ぶりに金シャチ見学  投稿者:やす  投稿日: 5月3日(水)20時42分14秒
  連休初日。「文化のみち二葉館」を見学。副館長おみえにならず残念でしたが和洋折衷の瀟洒な建物に感銘。帰途、御書物処“永楽屋”に立寄って江戸時代の漢詩集を物色(うそ名古屋城)。藤棚の見ごろはもうすこし先の模様です。
 

城北古書会展目録  投稿者:やす  投稿日: 4月26日(水)21時18分1秒    編集済
  石神井書房さんの出品より四季コギト関係書目。03-3995-7949 Fax:03 -3995-1084
1865『雑誌 果樹園』 \10,000 1-36号合本 昭和31年-33年
1874『コギト詩集』 \12,000 函欠 昭和16年 山雅房
1877『父のゐる庭』 \10,000 函日焼 昭和17年 臼井書房
1878『日まはり』 \30,000 帙少痛 昭和9年 椎の木社
1879『測量船』 \25,000 皮背少痛・函少染  昭和5年 第一書房
2015『田中冬ニ葉書』 \2,000 昭和31年
2020『木下夕爾葉書』 \9,000 戦後

今月いっぱいは公務、来月は高校訪問に忙殺。詩を思ふことしきりなれど。
 

感謝します。  投稿者:masa  投稿日:4月25日(火)08時00分28秒
  ありがとうございます。正直なところ、井口蕉花も春山行夫も高木斐瑳雄も、本当に最近その存在を知ったばかりです。自分の暮らしている街に、かって詩や文学を志した青春群像があったということに感激しています。私も高校生の頃、同人誌を作ったりしていましたが、 今、井口や春山の事歴を勉強し始めて、大正・昭和期の詩人たちの動向に目が向くようになりました。改めて、お礼申し上げます。

管理人です  投稿者:やす  投稿日: 4月24日(月)23時30分1秒    編集済
  こちらこそはじめまして。中嶋康博@管理人です。
お申し越しの件につきましては、どうぞ御自由にお使ひ下さいませ。井口蕉花については木下信三氏の論考が詳しく、すでに収集済みかも知れませんが「東海地域文化研究(名古屋学芸大学短期大学部附属東海地域文化研究所編)」に「井口蕉花ノート」(Vol.2, 73-82p / Vol.3,254-69p)が所載されてをりますので、合せ書き添へます。
「文化のみち二葉館」にはまだ伺ったことがありません(橦木倶楽部ともに素敵な建築ですね)。いづれ拝見に伺ひたく、寄贈の件につきましても、あらためて御相談を申上げたいと存じます。
掲示板にては取り急ぎ用件のみ申上げます。
 


井口蕉花の資料引用について  投稿者:masa  投稿日: 4月24日(月)16時40分11秒
   初めまして。私は愛知県立明和高校の図書館長をいたしております中山と申します。名古屋市「東区まちそだての会」というグループで活動しております。併せて「橦木倶楽部」(旧井元為三郎邸)の維持・管理、保存に向けての活動もいたしており、その一環として「橦木倶楽部通信」というブログを運営しています。私のブログでは現在、尾張や名古屋に関係のある人物の業績を取り上げています。今日は「岡井隆」を紹介しました。明日は「丸山薫」を紹介しようと思っています。この後、「春山行夫」や「井口蕉花」を取り上げていきたいのですが、浅学にして手持ちの資料がありません。年表や詩集の写真など一部使用させていただければ、ありがたいのですが無理でしょうか。むろん、こちらのサイトの紹介とリンク先を載せさせていただきます。
 なお、われわれの仲間の西尾典祐が「文化のみち二葉館」の副館長をしており、文学関係資料の責任者をしております。西尾は毎日新聞紙上に毎週「文化のみち通信」を連載しており、4月11日付けの記事で「春山行夫」「井口蕉花」「折戸彫夫」を取り上げています。一度、二葉館西尾とご連絡頂ければ、寄贈を考えられている資料などの企画展示や常設展示が可能か調整ができると思います。保管庫は空調の完備した蔵造りの立派な代物です。
 橦木倶楽部通信 http://gold.ap.teacup.com/syumoku/

http://gold.ap.teacup.com/syumoku/

 

寄贈御礼  投稿者:やす  投稿日:4月17日(月)21時38分7秒
   多治見の久野治様より新刊『オリベ焼き100選』紹介記事とともに同人誌「宇宙詩人」No.4をお送り頂きました。連載「黎明期の中部地方詩人」は今回、高木斐瑳雄が紹介されてゐますが、限られたページ数のため、さきの著書『中部日本の詩人たち』を出る内容が盛られなかったのは聊か残念でもありました。ともあれ冒頭に拙サイトを紹介頂きまして赧顔の至りであります。ありがたうございました。高木斐瑳雄といへば手許の写真資料など、春山行夫や井口蕉花の生家辺に建った文化のみち二葉館に機会があれば寄贈したいのですが、名古屋で興った「青騎士」運動など、人脈・詩派ともに後裔の喪はれた、現在と絶縁した文学史上の栄光を、アウトソーシング運営の記念館でどんな風に扱って頂けるのかな。久野様も代替はりした高木斐瑳雄の生家に著書を献じたものの、詩人の御先祖を徳に思ふやうな反応は一向返って来なかったとか。

 さて久野治翁といへば在野の織部研究家として、またここでは和仁市太郎の評伝『山脈詩派の詩人』の著者としてもとりあげさせて頂きましたが、かつて御宅までお邪魔して伺った回想談は印象深く、 「狼少年」と恐れられた皇国詩人時代、戦後一転して労働運動に挺身、さらに引退後の古人顕彰活動を独学で成し遂げるに至った、そのロマン派的人生の道行きについては、(はっきり申上げると連載なんかうっちゃってよいから 笑)、ぜひ自叙伝として一冊にまとめてのこして頂きたいと思ふのであります。さう考へるのは私だけではなかったこと、今回同封の「中部ペンクラブ会報」のなかでも慫慂されてをりました。なにとぞ御身体ご自愛の上、御健筆をお祈り申し上げる次第です。
 

本日春満開。  投稿者:ごん太 U^ェ^U  投稿日: 4月9日(日)17時54分33秒
  一目千株花ことごとく開き
満前ただ見る白皚皚
近く犬の吠ゆるを聞けども処を知らず
声は香雲団裏より来たる

『昧爽』11号  投稿者:やす  投稿日: 4月 7日(金)17時28分23秒    編集済
 
山本直人様より『昧爽』11号の御寄贈をかたじけなく致しました。いつも有難うございます。ここにてもあつく御礼を申し上げます。
 さて今回は特集記事の「音響の誘惑/日本語ロックの遺産」とは別に、中村一仁様より北海道むかわ町の淺野晃資料室閉鎖予定について【報告】があり、時々の状況は今後も引き続き報告される模様ですが、ともあれ記されるやうに、詩人宛の来簡ほかの貴重な資料について、その行末がたいへん案じられるところであります。


 しかし一口に「資料整理」といっても、達筆の手紙はたしかに読み辛いですよね。先日、四捨五入すると早や五十になることを知ってガクゼンとしました私こと管理人も、管茶山・江馬細香と、このところ念願の墨蹟を“天の命ずる”ままに漁り続けてをりますが(贋物傷物を覚悟の上で、笑)、掛軸や漢詩集の序跋などは『くずし字解読辞典』をもってしてもまだまだ読むことは難しいです。といふか菅茶先生の書など、詩集テキストが無ければ私なんぞになかなか読めるしろものではないであります。

「走雨過山彩霓生 残雲洩日翠秧明 欲知詩画無佗趣 出戸呼童視夕晴 茶山旧製」
 


残生随白鴎  投稿者:やす  投稿日:3月27日(月)19時11分27秒    編集済
 



 最近は漢詩集だけ では物足りず、たうとう掛軸に手を出し始めた恐いもの知らずの管理人。無論しょぼい小遣ひと真贋知識の範囲で、ここでも「状態不問」の方針は変はりません。
 とはいふもののなかには分不相応の美品が舞ひ込むことも。これは杜甫の詩句ですが、「白鴎」とは星巌、藤城、細香ら美濃の漢詩人達が一堂に会して鴎盟を訂した「白鴎社」に通じ、また星巌全集巻頭に序文が置かれた蘇峰翁の、最晩年の墨蹟なので格別の感慨をもって眺めてゐます。
 余談ながら本日人間ドック再検査の結果、異常なし。「残生白衣に随ふ」にならず良かったです。ちゃんちゃん♪
U^エ^U「くだらないなあ。」
 

『山川弘至遺文集』  投稿者:やす  投稿日:3月26日(日)21時15分4秒    編集済
  桃の会主宰の山川京子様より『山川弘至遺文集』のご恵送に与りました。ここにても心より御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 内容は、Tふるさとの四季、U評論、V祭詞集の三部に分かれてゐますが、私には散文詩の趣きをもって故郷への思ひが胸いっぱいに綴られてゐる初期の文章(Tふるさとの四季)に、早熟にして完成された詩人の才能を確信、あはせて昨秋伺った高鷲の旧家や周りの自然を思ひ起こしながら、濃北の風致の素晴らしさを味はってをります。詩人につきましては不日一項を設けてあらためて紹介もしたいのですが、不取敢先日画像をとりこんできた『詩集ふるくに』をupしましたので御覧下さい。

インターネット上の古書売買について  投稿者:やす  投稿日: 3月21日(火)08時39分37秒    編集済
   「日本古書通信」No.920到着。前回に引き続き古書店主による座談会は後半「扶桑書房・石神井書林篇」。 ページ数が限られてゐるので、近代文学雑誌とモダニズム詩集の草分けである名物古書店の歴史も、今回は「垣間見る」といった感じに留まってゐるが、同号「古本講座2」ではさうした市場の歴史的動向が今や、ジャンルではなく環境において大きく変化してゐることについて、つまり具体的にいへばインターネット上での売買「Yahoo!オークション」の功罪についてであるが、座談会で司会を執った川島氏自らによるメスが入ってゐるので、一読されたい。
 私見を述べるならば、目下日本で一番充実してゐる古本サイト「日本の古本屋」データベースであるが、即時に全国の在庫現状を一覧検索できる特長に加へ、 保存や刷版の状態が問はれる高額本や和本については、さらに客観的な写真情報を複数付与することが可能になったら、古書業界の仇敵「Yahoo!オークション」の魅力は半減するのではないかと思ってゐる。プロの古書店による「日本の古本屋」と、アマチュア出品者による「Yahoo!オークション」が融合されることは、買取システムの位置づけを考へると実際にはなかなか難しいことと思はれるけれども、川島氏の指摘される、稀覯本ジャンルにおける「日本の古本屋」=「最高値」=「売れ残り」といふイメージ、これを払拭することは早急の課題であらう。捻った古書価に苦しんできた愛書家達がまるまるYahoo!オークションへ完全移行してしまふ前に、或は古本業に手を染めたamazonが稀覯本の世界に進出してくる前に、「登録者へのアラート」や「店舗・年代毎の詳細検索」など、システムの課題として組織全体で取り組んだ方がいいんぢゃないか、とも思はれる。事実、このやうなインターネット上の組合を持たない書画骨董の世界は、パソコンをいぢれぬ年配層がゐなくなった時点で全ての顧客が同時に売り手に、一国一城の店主になることも予想される。酷く喩へるなら、ヤクザ社会の権益がなくなってそこら中にチンピラ風市民がのさばりはじめた日本と同じである。先日、バブル期の値段札が付されたままの委託品を大量に陳列してゐる地域の骨董センターに足を運び、その感を強くした。古書店とは異なり鑑識の点では素人売買同様、保証さへない。
 学術情報データベースとリンクして、生涯教育にいそしむ国民の資料検索・流通機構としてひらかれるのは、果たして予定通り「日本の古本屋」となるだらうか。その際、初版・復刻毎に古本屋の検索結果も分かれるやうになってゐたら、ポータルサイトはWebCatに移行するかもしれない。数年後が楽しみなことである。
 


『臥牛山人集』  投稿者:やす  投稿日: 3月20日(月)22時04分39秒    編集済
  akiraさま、はじめまして。ホームページの楽しい山の写真を拝見させて頂きました。 冊子の枠を飛び出したネット上でどのやうに詩を読ませるかは現代詩に限らず、かうしたサイトを運営してゐる管理人の課題でせうが、人それぞれにあるだらう「読む間合ひ」を無視してフレームが勝手に動いてゆくのは(特にそれが作品にとって初舞台となるのは)まづいかもしれませんね。

といふことでこちらでは当分スキャンした画像をぶつ切りに、「冊子再現」とも程遠い「素材提示」でお茶を濁して参ります。本日はやうやう赤田臥牛の 『臥牛山人集』をup しました。晩年は高山在職中の館柳湾とも交流があった詩人ですが、岐阜詩壇が山田鼎石、宮田嘯臺、左合龍山等を中心にさんざめいてゐた頃、彼等とともに龍草盧や江村北海といった、世代的には頼山陽より一世代前の詩宗を仰いだ飛騨高山の漢詩人です。今後も県立図書館禁帯出の貴重な郷土詩集を一冊づつ公開してゆきますのでよろしく。

立原道造記念館より館報No.37ならびに企画展「堀辰雄の構想」の御案内をお送り頂きました。
山川京子様主宰桃の会より歌誌「桃」一月号三月号をお送り頂きました。
ありがたうございました。
 

詩集「シンドロームの街から」   投稿者:akira  投稿日: 3月19日(日)17時41分18秒
   はじめまして。大分、以前にホームページの紹介に伺ったことがあるかもしれません。

宣伝になって恐縮ですが、発売2年目に入る私の詩集を紹介させていただきました。

http://www.bk1.co.jp/product/2516271

http://akira5410.hp.infoseek.co.jp/


矢野倫真水彩画集1864-1943
『水彩画を描いたサムライ』  投稿者:やす  投稿日: 3月11日(土)02時00分36秒    編集済
   昨日は職場に一冊の画集が寄贈されました。
 なかに私の故郷岐阜市長良より高富街道の建物ごしに仰いだ百々ヶ峰[どどがみね]と思しき一枚があって、興味深く拝見。 本の題名は『矢野倫真水彩画集 : 水彩画を描いたサムライ』といふ79p:30cmの、図録様の装幀であります。
 作者の矢野倫真(やのりんしん1864-1943)は、抒情味あふれるこれらの水彩風景画が近年遺族の手で偶然発見され、今回出版の運びにまで至ったといふ明治大正期に活躍した画人でありますが、拙ホームページ管理人としましては、同じく旧制岐阜中学(現岐阜高等学校)の先生で、偶々着任したこの土地に根ざして己のライフワークを大成させた、郷土詩人の第一人者殿岡辰雄のことを真っ先に思ひ起こさせました。尤も殿岡辰雄はバンカラ学生達から「マメさん」と慕はれた土佐生れの英語教師でしたが、加賀藩士の血を引く幕末金沢生れのこの図画の先生はまた、学校で唯ひとり綽名で辱められなかった薀藉の風格の持主であったといふことです。明治画壇の潮流が水彩から油彩へ移っていったとき、時好を追はずに出発点の南画に回帰し、教育者としての本分に安んずることを選んだ生き方にも、明治びとらしい処世のいさぎよさは偲ばれて、「水彩画を描いたサムライ」と副題にはありますが、むしろ富岡鉄斎同様、ゆかしき儒者の風韻を感じてなりません。

『矢野倫真水彩画集 : 水彩画を描いたサムライ』2005.8刊行 \2740(送料とも)
購入は倫真の水彩画を伝える会(〒921-8152石川県金沢市高尾2-1-1早瀬氏)へ。以上勝手に宣伝まで。
 


レファレンス  投稿者:やす  投稿日: 3月6日(月)20時05分0秒
   昨日は県立図書館へ地元夭折詩人の詩集の画像をとりこみにいって参りました。「ふるくに(山川弘至)1943」は酸性化がはげしく既にボロボロ、「伯英遺稿(林伯英)1801」も綴糸が切れてバラバラの状態なり。事前にその旨を伝へて、却って心置きなくスキャンできたのですが、返却の際にジロジロ睨まれてしまったかも(ごめんなさいね、汗)。 順次upしますのでお待ち下さい。

 またメールでレファレンス2件、1件は判る範囲で先程お答へしましたが、次のは何ともならず。通常、メールでの質問はメールでお返しして掲示板には上しませんが、これは発信者の名前もないし、公開捜査としませう。駒場はもとより神奈川にも芦屋にもないなら、図書館員の出番ではなささうです。どなたか分る人がありましたらよろしく(私だって知りたいや)。

雑誌『椎の木』を探しているもの者ですが、第3次第5年(昭和11年)の2,3,5〜8,10冊をどうしても見ることができません。そのうちの1冊についてでも結構です。お心当たりの方、情報をお教えいただけませんでしょうか。
 

(無題)  投稿者:やす  投稿日: 3月 4日(土)22時56分57秒    編集済
   最近、漢字の修養かたがた再び鴎外の史伝に挑戦を始めました。此度は三部作のうち一番長く未読であった『伊澤蘭軒』です。それで『北條霞亭』のときはずっしり重い全集本に読後の達成感を求めましたが、今度は携帯も出来るやう新書版の選集にあれこれ書き込んでゐます。お供のチャンペラは同じく『鷗外歴史文學集(なんと四分冊あります)』。筋より文体が楽しい読み物ですから、斯様な接し方も許さるべく、いっそのこと富士川英郎の『菅茶山』と平行して、一年一年区切りながら読み進んでゆけないか、などと横着なことを考へてをります。

 さて先日、実は手紙にて匿名子より辛辣な御叱正を賜りました。なかに次のやうな件があって、自分が他人さまからさういふ風に思はれてゐることを初めて知って、情けなくなりました。

(前略)わたくしから見ますと、貴兄一人は棒給を得ている身でありながら、懐を痛めることなく、人からお恵みを戴き続けていることを何ら恥じることない、 また、インターネットという媒体を通して、大っぴらに自らの探求物の恵みを賜ることを恬として恥じることのない行為を続けている人のように思われます。
さらに、ほぼ流用に近いデータをさらして、網を張り、そして自ら作ったごとく誇り、在野に隠れている無数の詩人の縁者からの連絡を期待するかと思えば、他に追随する者なきを嘆くというイソップの「からす」のような行いを恥じることはないのでしょうか。 (後略)。

 「からす」といふのはなんでせう、或は「かけす」の誤りと自ら調べさせてことさら辱めるつもりだったのかな。さらに「よかれと思って、インターネット上で他人の著作物を愚弄するに当っては云々」と続いてゐて、未知既知の方々より寄贈いただく本などに対し、これまで論文一本書いたことの無い自分がいい気になって書評をものしてゐた浅はかさを思ひ知らされました。
 顧みますにこのサイトも、いろいろな人々との出会ひによって、これまでモチベーションを高めながら今日を迎へることができたのでした。ことにも稀覯詩集の数々を、頂いたり譲ってもらったり、まるで「古本の神様」でも憑いたかのやうな一時期は、今にしてなほ信じられない気持もし、知識や資金の乏しい田舎棲みの自分が、偶々このサイトを開いてゐたことによって過分の恩恵に与った事実は、確かに匿名子が指摘するやう、側から見たらばまことに独占的な営為に映ってゐたのに相違ありません。それが物質的のことだけであるなら、この手紙を読んでその通りに恥じ入ってしまふところでした。
 もとより詩心といふ、曇ったら無一物になってしまふものに縋って活動してをります。おべんちゃらこそ言はないつもりですが、現代詩に慊らないで来訪して下さった同好者に対して不快感を与へるホームページであっては意義がありません。さうして「あいつうまくやってやがらぁ」と云はれないために、私のできることと云へば、結局のところやはり資料公開をはじめいろいろな有形無形の賜りものを無にしないこと、ではないかとも思はれるのです。批判は謙虚に受け止め初心に立ち返り、(圧力でもない限りは)もうしばらく運営を続けてみようと思ひを新たにしてゐるところです。何卒あたたかくお見守り頂けましたら幸甚に存じます…。

 といふ訳で、
 今週は鯨書房の御主人が編輯に係る地元詩人の詩集『藤吉秀彦詩集』(現代詩人文庫砂子屋書房2006.3)の御恵贈に与りました。また立原道造記念館よりはヒヤシンス忌の御案内 (このさきなかなか参加も叶ひませんが)を頂きました。この場にても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

日録  投稿者:やす  投稿日: 2月18日(土)22時50分8秒
  今月「日本古書通信」は、文学堂・扶桑書房・石神井書林の三古書店主のインタビューを人魚の嘆き様がつとめる第一回目。
扶桑書房・石神井書林の回が楽しみです。

午前中病院見舞、旧友の始めた蕎麦屋 『瑠 草』でお昼。帰宅して読書、犬の散歩。夕飯を挿んでふたたび読書。蕎麦は手打ちでおいしいよ(笑)。

遠山雲如の刊行詩集  投稿者:やす  投稿日: 2月5日(日)19時28分47秒    編集済
   和洋会目録、『日月の上に』(扶桑書房さん\3000!)は外れましたが、『雲如山人第四集』は我が手に。中には飛騨の山岳風景を歌った「桟雲集」といふのが収められてゐるのであります(ニコニコ)。
 ただしこの本、詩人の第4詩集といふわけではありません。現在遠山雲如の別集(個人集)として確認されてゐる最古の詩集は『雲如山人第三集』。第一集も第二集も伝はってゐないのであります。しかもこの第四集の間になほ『雲如山人集』ほか数冊の刊行があって少々ややこしい。特に『雲如山人詩集(詩鈔(七松堂版))』は、今回需めた『雲如山人第四集(夕爽楼版)』と同内容(但し巻の順序が異なる)の由、「遠山雲如の刊行詩集について」鷲原知良氏(大阪芸文研究誌「混沌」23号)に拠りました。下記に一覧。

『寰内奇詠』(文政9年1826)[編] 半紙本一巻[一冊]。74家138首のうち5首を収む。17才の紅顔詩人を得意の絶頂に至らしめたアンソロジー。
『雲如山人第三集』(天保14年1843) 半紙本二巻一冊。「卜居集[著]」「水雲吟社詩[編]」下総寓居時代の作品。
『雲如山人集』(嘉永2年1849) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:七律、第二冊:七絶。
『墨水四時雜詠』(嘉永3年1850) [著]半紙本一冊。中嶋棕隠『鴨東四時雑詞』にならった江戸版。
『湘雲一朶』(嘉永6年1853) [編]特小本。相模厚木時代の詩友19家を集めたアンソロジー。
『湘雲集』(安政2年1855) [著]特小本二巻二冊。相模厚木時代の作品。
『晃山游草』(安政3年1856) [著]半紙本一冊。八王子時代の作品。
『田園雑興次韻』[安政?年] [著]半紙本。范成大『四時田園雑興六十首』に次韻。
『雲如山人第四集』(文久元年1861) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:「京塵集」二巻、第二冊:「島雲漁唱」「相雲嶽雪集」「棧雲集」。星巌を頼っての上京時代、および明石・淡路・近江・越前・飛騨遊歴の作品。
『雲如山人詩集(詩鈔)』(文久3年1863没年)前述。
『三雲絶句(三雲集)』(没後明治3年1870) [著] 半紙本。宮澤雲山、竹内雲濤らとともに七絶各百首を収める。
『雲如先生遺稿(博愛堂)』(没後明治20年1870) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:七律、第二冊:七絶。
なんでもいいや。早く来ないかな。
到着した『雲如山人第四集』は新品と見紛ふ程の保存状態なのでありました(感涙)。

小山正孝著『稚児ケ淵』  投稿者:やす  投稿日: 1月29日(日)21時43分55秒    編集済
   今日はテレビで楽しみにしてゐる「何でも鑑定団」の日(当地では一ヶ月遅れの日曜日のお昼にしか映らないのです)。年末最後の放送といふことで広島県神辺町の廉塾などが紹介されてました。鞆の浦歴史民俗資料館の図録をぐれむん様から贈って頂いたのはさういへばお正月。やっと謎がとけたりして(笑 そんなことはない、か)。

 さてやはりこれもお正月に御遺族からお送り頂きました小山正孝『稚児ケ淵』は、閑の折々に読み散らかしてをります。小説については云々できる資質がないので詳しいコメントを差し控へますが、跋文で伊藤桂一氏ほかが言及してゐる初期の「紙漉町」なんかは、はっきり云ったらば大凡私にはもうよくわからないのでした(おそらく大抵の人にも、きっと)。しかし全編こんなドイツロマン派風の主観独白(何故だか昔読んだヴァッケンローダーといふ詩人の小説?を思ひ出した)が続くのかな、と思ったら、さうではなく、表題作や「少年時代」など、青木といふあんまり感心できない少年(笑)の行状・心理を場景とともに客観的に描いてゐる、謂ふところの“青木もの”なんかはとても面白かったです。「少年時代」など、最後に父親に張り倒されるところはカタルシスとして、少年らしい戒心への含みを持たせたエンディングにしたらよほど(彼が立原道造の他に私淑してゐたのではないかといふ太宰治の中期みたいで)読後感がいいのにな、 と、こんなコメントは小説を「楽しめたか・楽しめなかったか」といふ映画観客の域を越える感想が書けない仁の云ふことですから御放念下さい。一体主人公の心理描写って小説家の体験にどこまで基づいてゐるのかな〜、と幼稚なこと云ってる時点で小説なんか書けない人間なのですね。

寄贈頂きました御二方にあらためて御礼申し上げます。

詩魔詩人同盟主催「学芸講演会」  投稿者:やす  投稿日: 1月27日(金)17時40分30秒    編集済
  JINさまより昭和初期の岐阜詩壇、詩魔詩人同盟が催した学芸講演会のチラシをお送り頂きました。このやうなチラシは捨てられてしまふのが常ですから大変貴重です。これまでの何度とないご厚意にあらためて御礼を申し上げます。ありがたうございました。さきに「四季派の外縁を散歩する第9回 郷土詩人素描──岐阜県の詩集から」のなかにおいて、

当時の中央詩人たちを盛んに講演に招いてゐるが、歌詞作者として成功した彼らを呼ぶことが、自分たちの世間的認知の後ろ盾にはなっても文学的な地位を高めることになる筈はなかった。揉み手で迎へられた有名詩人達もまた、全く江戸時代の流行漢詩人達が地方行脚を行ったのと等しく、物見遊山を兼ねたビジネスに訪れたのではなかったか。「詩魔」を存分に検分できたら思ふところを語りたい

と記しましたが、はしなくもこんな資料が証左のひとつとなるかもしれません。

 「私達の為事の基金を得るために特に両講師及現代大家にお願ひしてその肉筆色紙、短冊をいたゞきました。これを同好の方々に市價の半價以下にてお頒けいたします。」

「市價の半價以下」ねぇ。どうせなら朔太郎呼んで欲しかった(無理? 笑)。

本日発表の「趣味の古書展」抽選『光の処女』(文学堂書店\8000)はもちろん(?)はずれました。懲りずに今度は「和洋会」を虎視耽耽(笑)。
 


ああ  投稿者:やす  投稿日: 1月20日(金)22時16分26秒
  「まだ辺鄙な山里だった150年ほど前の地元が生んだ、たぶん唯一の詩人」
よい言葉ですね。濃尾平野も当時は目路をさえぎる何ものもなく、長良川には湊があったと聞きます。
ああ、日のあたる古い民家の縁側で、お茶啜りながら江戸時代の漢詩人の伝記が読みたい。

【江戸漢詩情報】
以前紹介した「創文」連載の「日本漢詩人紀行」(林田愼之助氏)が講談社現代
新書の一冊になりました。
『漢詩のこころ 日本名作選』(ISBN:406149824X). 269p, 2006年1月20日 760円
 

おお  投稿者:西岡勝彦  投稿日: 1月20日(金)12時29分13秒
  「竹外」とひとこと言えば、図録や掛け軸、詩集イメージまで魔法のように出てくるとは…。僕なんか、展覧会はいちおう見に行ったのですが、墨痕を楽しむところまではとても至り得ません。
「春は帚痕多きところより生ず」いいですね。図録にもこの詩の掛け軸の写真が載ってますが、竹外のお気に入りの詩だったのでしょうか。

「丹生樵歌」の方は、一番近くは大阪の中央図書館にあってコピーもできそうなのですが、なかなか足を運べないでいます。それと国文学研究資料館にもありまして、ここは通信で複写の申し込みができるようですので、試しに電子複写というのを頼んでみるのも面白いかなと思っています。
でもやっぱり、手に入れたいのは実物。まだ辺鄙な山里だった150年ほど前の地元が生んだ、たぶん唯一の詩人ですから、地元の漢詩好きが持ってないでどうする、というわけです。

本年もよろしくお願いいたします。
 

刊行と時期の予告と  投稿者:やす  投稿日: 1月18日(水)21時31分42秒    編集済
   さて、中村さまには遠路まことにお疲れ様でございました。資料室が閉鎖状態に追ひ込まれるとは、つまり穂別町が鵡川町に併呑されるといふことなのでせうか。合併で財政は潤ふ筈なのに、町史への関心は町全体の面積が広がると重心も移動してしまふでせうから。町の「徳」となることも「得」にならんと切捨てられてしまふ世の中です。本当に残念です。
 わたくし事ですが、このたび新学社の『近代浪曼派文庫』の田中先生の部の選詩に関はることになり、文庫の概要を拝見させて頂いたのですが、ここでも淺野晃の収録巻がなく、岡倉天心の訳出者として姿を現すだけとは、これまた残念に思ったことです。
 田中先生においても、今回収録巻のタイトルが「大東亜戦争詩文集」といふことで、あくまでも戦争詩を中心にとの要請でしたから、詩人の佳品の大半が漏れることとなり、晩年戦争詩を深く恥じてをられた泉下の先生に叱られはしまいか、また事情を知らない読者に対し、他巻の詩人たちに伍して面目を保ち得るだらうか、との心配もあったのですが、こちらの方は詩人と戦争との関係が一通りの流れとして捉へられるやうなものにすることで、これはこれで納得したつもりです。でもやっぱり叱られるな(再苦笑)。この春に刊行されるのではないでせうか。
 それから、なるほど北海道には神谷忠孝先生がみえるのですね。心強いですね。>研究団体の設立…お、お金が要るのですか(再々苦笑)。
 

ありがたうございます。  投稿者:やす  投稿日: 1月18日(水)21時15分14秒
   西岡様、おしさしぶりです。こちらよりお伺ひするさきにありがたき御言葉を賜り、感謝に耐へません。有難うございます。年表に付する情報はそのまま、今は亡き郷土漢文学研究の第一人者、伊藤信先生のライフワークからの引写しですが、それでもよいから不取敢どんなものになるのか【明治・大正・昭和初期 詩集目録】と平行してのらくら作りこんでゆく算段です。
 『丹生樵歌』といふ詩集は、分らぬままこれも引写した次第です(恥汗)。西岡様の究極の探求本とは存ぜませんでした。はて私は何だらう。さしづめこないだ県立図書館でいろいろ頬擦りしてきたもんなあ(笑)。順次upしてゆきますのでお待ち下さいませ♪(『丹生樵歌』所蔵の京都大学図書館にもスキャナーの持ち込みが許可されるといいですね)。
 ところで藤井竹外といへば、高槻のしろあと歴史館で「高槻が生んだ幕末の漢詩人 藤井竹外」といふ展示が催されてゐたみたいです。わたくしは郵便で図録(\500)を購入、また、この度はボロボロの貼交ぜ掛軸を入手したので切り取ってこれだけ額に入れ、机 上に飾って雪かきが大変だったこの初春の積雪をしのんでをります(苦笑)。

雪比落花殊不軽  雪は落花に比して殊に軽からず
半庭掃得半庭平  半庭、掃き得て半庭平らかなり
緑芽掀土是何草  緑芽、土をあぐる、是れ何の草ぞ
春自帚痕多處生  春は自から帚痕多き処より生ず
     竹外酔士

今年もよろしくお願ひを申上げます。
 

感動と危機の予感と  投稿者:中村一仁  投稿日: 1月18日(水)02時07分41秒
  やす様

12日から北海道に出向き、淺野晃関係の取材等をしてきました。
12日は苫小牧市立中央図書館を訪れ、生前の淺野が当時の図書館長に託した資料(閉架)を閲覧させてもらひました。先頃、決定版全集に収録された三島由紀夫の書簡2通のほか、保田與重郎の手紙が3通、水野成夫の手紙が3通、変はつたところでは大川周明の手紙が1通、モスクワ留学中の蔵原惟人からの絵葉書が1通…などなど、貴重な来簡がたくさんあるのを眼にして、絶句してしまひました。特に、詩集『寒色』が読売文学賞を受賞した際に水野が書き送つた手紙をこの眼で見た時には、その短い文面に、勇払時代の淺野を励まし続けた水野の歓喜と、2人の長年の友情が凝縮されてゐるやうに思はれて、胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。また、保田の書簡はいづれも淺野から贈られた詩集への礼状で、詩集『草原』への礼状では、佐藤春夫の法要を無事に終へたことや中谷孝雄・平林英子夫妻が参列し、京都の寺めぐりの際に2人が淺野のことを話題にしてゐたことが書かれてゐました。このあたりのことは「昧爽」第11号で詳しく書くつもりです。

13日から15日午前までは、穂別町の資料室の整理を手伝ひました。前にお伝へした、千代子の最後の手紙がノートに写されてゐたといふ話ですが、日記の間に千代子の手紙を写したノートの切れ端が挟まれてゐたといふのが実際のところでした。おそらく実物を苫小牧に送つてしまつた後も、それを読み返してゐたのでせう。淺野がいかに千代子を愛してゐたかが、痛いほど理解されました。また、昭和天皇崩御に際して詠んだ追悼歌の歌稿が見つかり、そこに書かれた歌と、 雑誌に掲載された決定稿の間に若干異同があつたのが興味深かつたです。

穂別町は市町村合併で3月に「むかわ町」になるものの、資料室に配分される新年度の予算がゼロで、3月で資料室は事実上閉鎖状態に追ひ込まれることが判明し、愕然としました。小説『風の生涯』で淺野を描いた作家の辻井喬氏や、北大名誉教授で日本浪曼派研究の泰斗である神谷忠孝氏に発起人になつていただく形で、研究団体の設立を急がうといふ声もあり、その話が具体化した時には、やす様や立正大学OBの諸氏にも改めてお願ひさせていただく所存です。それでも、 斉藤征義氏はあくまで「天と海忌」は開催する方向で動くとのことで、辻井氏に講師を打診すると言つてをられました。私は斉藤さんの判断に従つて、ついていかうと考へてをります。

寒い毎日が続きますが、くれぐれも御自愛専一に願ひ上げます。
 

おっと  投稿者:西岡勝彦  投稿日: 1月17日(火)18時26分16秒
  googleアラートに「丹生樵歌」を設定していたら、飛び込んできたのが江戸文学年表アップロードの通知。すわや、パクリかとクリックしてみたら、中嶋さんだったんですね。しかも美濃に特化して濃〜い年表になりそうな予感。
どうぞどうぞ、というか僕のも大してオリジナリティのあるものではありませんので。
年表作りはexcelのHTML化を利用すれば楽ですよ。だいぶ加工しなくちゃなりませんが。

ところで当方も中嶋さんに煽られて(?)、最近ご当地漢詩人に興味が湧いてきまして、去年は高槻の藤井竹外の「竹外二十八字詩」を手に入れました。アラートの「丹生樵歌」も地元詩人の漢詩集で、今のところ究極の探求本なのです。
 

新刊ふたたび  投稿者:やす  投稿日: 1月13日(金)23時38分57秒    編集済
  クリスマスに『三好達治と立原道造 感受性の森』を刊行された國中治氏ですが、続けて
エッセイ集『書く場所への旅』2005.12.31 れんが書房新社刊行 19.5cm, 275p
 \2000(ISBN 4846203042)
を大晦日に刊行、此度は年始早々の御寄贈に与りました。
日本語教師体験談、ギリシア随想、文章論、文学漫歩と、種々のテーマ別にまとめられ、
「燈火の領分──大木實『柴の折戸』」など、四季派のことも触れられてゐます。
國中さま、重ね重ねこの場にても御礼もうしあげます。有難うございました。


さて今や独立させた方がいいかもしれないやうな江戸時代郷土漢詩人のコーナーですが、
リンクで紹介させて頂いてゐるホームページ 「従 吾所好」に付設されてゐる労作「江戸文学年表」の結構を無断拝借(!)して、リニューアルできないか計画中です(西岡様ゴメンナサイ。いいですか??汗)。

御健筆をお祈り申上げます。  投稿者:やす  投稿日: 1月10日(火)21時43分8秒    編集済
  『北条霞亭』連載との取り合はせに思はず微笑んでしまった管理人です(^_^)。今年もよろしくお願ひを申し上げます。
しかしながら淺野晃が保田與重郎の「所詮取り巻きで、ただ長く生きたから皆があれこれ言ふだけ」、とは随分な発言ですね。けだし直弟子といってもおそらく信者みたいな歌人の方なんだらうと存じます。詩がわからんのです(尤も私には和歌や俳句がわからんですが)。
「ただ長く生きたから」ぢゃなく、敗戦の世に存ふる運命を背負ったからこそ抒情詩人としての転生を成したのであり、蔵原伸二郎、伊福部隆彦、芳賀檀といった人々とおんなじ道行をたどった文学者として、戦前はあくまでもその前半史なのだと私は思ってをります。むしろその方の仰言るやう、『天と海』の詩人も日常生活では“ぬらりひょん”みたく時化た顔をして妻には一向頭も上がらないといふのが本当だったら(そんなこと言ってない 笑)、そんな風貌にこそ、私は市井に隠れた浪曼派の妖怪たる面目の真骨頂を感じますね。「連載の時間と労力がもつたいない」などといふことがあるでせうか。もはや日本の老人は戦後派ばかりなので、還暦以上の人々に払ふ敬意にも注意が必要です。なにより未開拓の資料とともにをられるのですから、中村様ご自身の目で確かめになって、急がれることなく仕上げてゆかれたらと存じます。妄言多謝。
 

今年もよろしくお願い致します  投稿者:中村一仁  投稿日: 1月 9日(月)23時51分19秒
  やす様

改めまして、新年のお慶びを申し上げます。今年もどうぞよろしくお願ひ致します。
12日から休みをとつて北海道に出かけます。苫小牧市立中央図書館で淺野晃の関連
資料を閲覧し、翌13日に穂別入りします。教育委員会の斉藤征義氏と、臨時職員の
本多紀子さんの尽力でかなり整理が進んだやうですが、さらに来簡について精査した
いものと考へてをります。
それと、今年は「天と海忌」開催の年に当たります。具体的に、開催日はいつ頃で、
どこで行ふのか。講師はどなたをお呼びすればよいのか。具体的に話をすることにな
ると思ひますが、一昨年の「天と海忌」の実行委員長がよりによつて「千代子志の会」
のメンバーで、今度はそのへんをどうするのか、難しいところもあります。

手前味噌で恐縮ですが、保田與重郎の直弟子の女性から「あなた達の雑誌は模索して
ゐるところがある。先生が見たら喜んだと思ひますよ」とわざわざ四国からお電話で
「昧爽」へのご声援をいただきました。しかし「あなたの淺野晃の二人の妻について
の文章、面白かつたけど、淺野晃はこの二人の妻に負けてゐますよ。淺野は所詮取り
巻きで、ただ長く生きたから皆があれこれ言ふだけです。連載の時間と労力がもつた
いないですよ」と連載への根底的な批判も頂戴し、かなりヘコミました。この頃、森
鴎外が『北条霞亭』を書いていくうちに味はつた失望感が理解できる時もありますが、
それでも書けるところまで、淺野論を書いていくつもりでをります。

3月刊行予定の第11号は音楽の特集を組む予定です。重ねて、今年もご指導ご鞭撻を
よろしくお願い致します。
 

和本三昧  投稿者:やす  投稿日: 1月 9日(月)21時45分49秒
  この連休は岐阜県立図書館へ日参。郷土漢詩集の精粋『龍山遺稿(左合元鳳)』全一冊、『鼎石詩集 (山田鼎石)』全五巻三冊、『濃中風藻(金龍敬雄)』上巻一冊、『臥牛集(赤田臥牛)』全十巻五冊、
それから近代詩集では今後も当分現れさうもない服部つやの遺稿詩集『天の乳』をとりこんで参りました。あとはもうしばらく待っても入手できなかったら『ふるくに』をとりに行かうかな。
とまれ、江戸時代の読書人は孜々筆写して蔵書を増やした由ですが、コピーにせよスキャナーにせよ、今や楽になったものですね(それでも疲れました〜)。
 

新年の御挨拶  投稿者:や す  投稿日: 1月 8日(日)10時26分41秒
  あけましておめでたうございます。ことしもよろしくおねがひをもうしあげます。
年末年始をずーと留守にしてをりましたので、読書がまったくできませんでした。
新しいスキャナーを買ったので、許可を得て本日は県立図書館へ参ります。

なほ、お休みの間に詩人小山正孝の選集四部作の最後となる小説集、
『稚児ケ淵』小山正孝著-- 潮流社, 2005.12.26, 19.4cm, 457p.
を御遺族より、
また機内のぐれむん様より、広瀬旭荘や中嶋棕隠など江戸後期の漢詩人たちと瀬戸内の大富豪商家中村家との交流を映す資料を綴った図録
『町人文化の栄華 鞆の津の風雅』福山市鞆の浦歴史民俗資料館, 2005.10.14, 25.7cm, 124p.
の御寄贈をそれぞれかたじけなくいたしました。
取り急ぎこの場をもちましても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。