も どる
2005年1-4月 日録掲示板 過去ログ

国民の休日に  投稿者: やす  投稿日: 5月 4日(水)10時26分54秒
 このホームページの公開をはじめてまもなく6年にもなりますが、ずっとふしぎに思って ゐることがあります。それは、このサイトがやってゐること、やらう としてゐることは、おそらくよその人たちによって次々になされ、こんな中途半端なへなちょこサイトは直にインターネット検索結果にもかかりづらくなるだら うと思ってゐたのに、そのやうな状況になかなかならないことでした。尤も、ここが中途半端な書誌公開を中心とするへなちょこ論考サイトであることは的はづ れでない。しかし四季派をはじめとして昭和初期の抒情詩人達をテーマに据えて顕彰・研究をはかるホームページの数が、日本の大学で近代文学の研究をしてゐ るだらう先生方、院生、学生達の数のことを思ふと、あまりにも少ない気がしたのであります。大学における研究成果の一般公開はこれから先どんどん進むもの と考へられます。 CiNiiか ら検索をかければ題目名だけでなく、リンクされた論文本体に直接たどりつく機会も、今後ますます増えてゆくことでせう。しかしそれはあくまでも一度印刷に 付されたものが著者の許可を得て公開されてゐるのであって、つまりそれを書かなければゐられなかった著者に即した理由が、直接彼の手を通じてインターネッ ト上で公衆に対して問はれてゐるわけではありません。私にはそこのところがなんとももどかしく感じられてなりません。一般に研究者業績としてインターネッ ト上の論考が参入されることはないのでせうし、ホームページ掲示板といった、顔の見えない相手とのインタラクティブな交流の場を設けてあげく筆禍に遭ふよ り、上下関係にある学生相手に直接持論を吹聴してゐる方が楽なのには相違ない。また、論文対象について云っても、思想的に攻究できないやうな戦前抒情詩人 たちの文業は、詩史的、書誌的、統計学的に追っかけてゆかなくては研究成果とはなりにくいものだし、それを誰でも閲覧できるところに逐次的に公開してゐた のでは、学術的な実績にもならない訳でせう。逆に云へば、インターネットにおける好事家・アマチュアの出番がそんなところにあるわけで、以前古書店主のあ らわした書誌学的な著書が掲示板上で研究者と思しき人たちから散々に叩かれたことがありましたが、あの内容もインターネット上に無料で閲覧できるやうな形 で公開されてゐたのだったら何も問題にはならなかったに違ひありません。ことほど左様に「印刷に付す」といふことの権威・権益といふものは大変なものなの であります。

 九州地方の文学資産データベースをめざして「ス カラベの会」を たちあげられた亡き花田俊典さんが、御自身のサイトを「ゆるやかに相互連携しあう情報収集と発信のシステム」と位置づけられてをられますが、そのやうな不 文律として成り立つ、当初のインターネットの理念であったらうところの連合に寄せる信頼を私もまた共有できたらと思ひます。

「(前略)それならいっそ情報上の架空の図書館をつくろうというのである。つまり、判明している限りの情報(人名・雑誌名・その他各分野の項目に及ぶ)を 網羅し、その現物の所蔵場所なり人名の詳細文献リストなりを各項目に逐一付記していくのである。将来的にはこのデータを各地の公共図書館で閲覧に供し、同 時にインターネットでも公開する。いずれかの方法でアクセスし、現物が見たかったら、その所蔵者(公共図書館、あるいは閲覧に応じる個人)に申し出て、そ れを手にしたらいいのである。これが全国各地のブロックで実現したら、どんなにわくわくすることだろう。とくに珍しい資料は、(中略)著作権とか版権とか の問題がクリアできるなら、インターネット上のホームページで写真版公開すればいいのである(後略)」(ス カラベの思想より)

 今後の私は、いろいろな理由から古書を買ひ足すことは少なくなってゆくのぢゃないか。ただ現在手持ちの戦前の詩集については、江戸時代の漢詩読書と並行 して、著作権にも配慮しながら書誌と抄出の公開を再開してゆきたいと思ひます。職場〜日本〜地球にいたるまで、なんだか日々すべてが世知辛く生き難くなっ てゆく環境のなかで、この連休、少しく正気と初心をとりもどした頭をゆっくり休めてゐるところ。おかげさまでワン公も無事恢復しました。U^ェ^Uゞ「ご 心配お掛け致しました〜。」
編集済

(無題)  投稿者: やす  投稿日: 4月25日(月)21時07分36秒
>先輩の文学者のお宅をなかば強引に訪れていたようです。(大木氏といえば控えめなこと で有名らしいのですが、私はそんな大木氏も人間くさくて大好きで す。)

とのくだり、とても大切で貴重なことと思ひます。
私も、暮らしの厳しかった当時の詩人の、無心の類にまつはる噂は聞いたことがありましたが、やはり文学的野心も持ち合わせてのことであったかと合点致しま した。

土崩魚爛状態の戦後現代詩詩人については、むしろ悪口も何も語らぬがよい、といへるほどの情勢となって参りました。後世の愛書家に敬愛されぬ詩人に向け て、これ以上目くじらを立てて鞭打つ必要はないかもしれません。エールのお言葉をありがたうございます。


【近況】郵送古書目録より『詩集西康省』(題簽欠シミ有)の津村信夫宛署名本\4,000、ならびに『井口蕉花詩集』(函欠痛み有)\30,000を注文 しました。ひたすら愛犬の回復を願ふ日々。

ご返信ありがとうございました。  投稿者: ど らぽえ  投稿日: 4月25日(月)03時04分56秒
藤澤清造氏がお亡くなりになったのは1932年、大木氏が20歳くらいの頃であり、砂小 屋書房に勤務し始めたのは26歳くらいだから、砂小屋書房とは無関 係のように思われます。20歳前後の大木氏は勤務先が休みのときには関谷忠雄とか杉江長英とか木山捷平だとかいう先輩の文学者のお宅をなかば強引に訪れて いたようです。(大木氏といえば控えめなことで有名らしいのですが、私はそんな大木氏も人間くさくて大好きです。)藤澤清造氏を訪れたのも不思議なことで はありません。(大木氏は当時小説家希望でもあったのですから。)藤澤氏は赤貧あらうがごとき貧乏をおくびにも出さず大木氏を近所の食堂に誘い、何でも好 きなものを食べるようにと言った。ところが、大木氏は後日藤澤氏が行き倒れになったことを知る。大木氏の胸中やいかに!煮魚の味が涙とともに甘くしょっぱ くよみがえってきたのではないでしょうか。「夾竹桃」という作品は大木氏が書かれた作品のなかでも極めて完成度の高い作品であると思われますが、どうして もこれだけは言いたいというやむにやまれぬ真情がそれを可能にしたのではないでしょうか。ところで、やすさんのこのホームページ、四季の詩人についての情 報が満載。私の知らないことだらけで、とても勉強になります。四季の抒情こそ日本抒情詩の正統的伝統です。戦争責任という大義名分のもとにそれを抹殺し自 分たちの党派の伸長をはかった党派抗争的グループ。(詩は政治なんですか?)またそのあとに登場した言語遊戯的グループ。(さすがですね、言葉の使い方の うまさ、かないませんよ。サーカスの曲芸を見る思いです。でも、それがどうしたんですか?詩って言葉のサーカスなんですかねえ?)ストリップ的女性詩のグ ループ(女性がセックスのことを書けば、たいていの男はそれだけで喜ぶんですよ)みんなみんな仇花なのではないかと思われます。文学史に残っていくのは、 四季の伝統を踏まえた櫂グループの詩人たちおよびごく少数の詩人たちのみ。(たぶん)その意味でも、やすさんのこのホームページは貴重です。エールを贈ら ずにはいられません。がんばってください!

http://www1.ttcn.ne.jp/~nango


(無 題)  投稿者: やす  投稿日: 4月22日(金)12時17分28秒
どらぽえ様、はじめまして。
藤澤清造といふのは私小説界の極北を自ら歩んだ人物として有名な小説家ですが、私はこ の本しか読んでゐません。唯一の生前刊行本にして長編の『根津権現裏』の初版本は“稀覯本の世界”サイトでも懸賞品の目玉になりましたし、古書界 でも人気の珍本らしいですね。
第10詩集『冬の支度』中の「夾竹桃」という作品に関する内輪話に類することは、『文学館(潮流社刊)』所載の対談記事でも触れられてをらず、初耳でし た。詩人が砂子屋書房に勤めてをられたことと関係するのでせうか。
今後ともよろしくお願ひを申し上げます。


犬の食欲が一向に回復しないので、大木実の詩にうたはれた柿若葉の美しい季節になっても気持ちがはずみません。
U=ェ =;U

は じめまして  投稿者: ど らぽえ  投稿日: 4月21日(木)03時39分22秒
小山正孝氏の記事からこのサイトに入ってきました。すると驚いたことに藤澤清造氏の記事 があるではありませんか。この人のことを十数年間知りたいと思いな がら果たせぬままでいたのです。小山氏と同じ四季の仲間であった大木実氏が藤澤清造氏の詩を書いていたことをご存知だったでしょうか?(詩の中に藤澤清造 という名前は出てこないのですが。)もし、ご存知なければ私のホームページを是非ご覧になっていただきたいと思っております。私のホームページは次の通り です。http://www1.ttcn.ne.jp/~nangoな お、このあとすぐ、亀鳴屋さんのほうにも同じようなメールを送るつもりでいます。

http://www1.ttcn.ne.jp/~nango


日本古書通信909号  投稿者: やす  投稿日: 4月14日(木)22時40分23秒
 日本古書通信909号本日落手。人魚の嘆き様の連載「続署名本の世界」は、新著の予告 とともに、『在りし日の歌』(刊行)世話人からの中島健蔵宛献呈 本、『愛する神の歌』立原道造宛献呈本、高森文夫詩集『浚渫船』の中原中也宛献呈本の紹介が。人魚の嘆き様は「生前の著作は中也より少ないが、トータルの 署名本の現存部数は確実に立原のほうが多いであろう。」と書いてをられるが、数多くの現物に当られてゐるひとの言葉だけに留意したい。
 ただ文中最後にふれられてゐる「中原中也研究」創刊号(1996.3)所載の高森文夫に関するエピソード(福田百合子 中原中也『山羊の歌』初版の周辺―高森文夫訪問を機に)を、恥ずかしながら私はまだ読んでゐない。高森文夫氏自身が書き残したパッションあふれる好エッセ イ(過ぎし夏の日の事ども―中原中也全集月報U1967.11)を、もう少しときほぐしたものだらうか。高森氏とは一度田中先生宅まで御案内したことがあ るけれど、阿佐ヶ谷駅までの行きかえり、たうとう中原中也のことは訊けず終ひに了った。たまたまネット上でお孫さんが想 ひ出を書いてをられるのをみつけたが、“シリアス系のキャラ”といふか、初対面から飛び込んでゆける詩人ならではのキャラといふ訳ではなかったこ とが残念であった。その後、『舷灯』といふ全詩集をお送り頂いたが、それならもっと強引にお話を伺っておくべきだったのだ。


>凌霄山人さま
「江戸の職業文人の詩にはイライラさせられます。」とありますが、たとへば「婆娑たり」なんて言葉、よく出てきますがたしかに実感沸きませんね。もちろん 私の修行が足りないせゐでせうが、実際の刊行物としての詩集が手許になかったら、江戸時代の漢詩にこんなに入れ込んでゐたものかどうか。「原質の意義」な んて嘯いてゐますが所詮は玩物喪志の類ひかもわかりません。

ではでは。ごん太のおなかの具合が心配です。

漢詩は難しくて  投稿者: 凌  霄 山人  投稿日: 4月13日(水)02時08分56秒
やすさん。早速恐縮です。「保田與重郎の学統を継がれる方」というのは誉めすぎで、実体 はもっとあやふやですのでよろしく。
前に進藤虚籟先生(眼医者でした)はじめ土屋竹雨門下の方からも漢詩を作るのを進められましたが気が進まないのは中国語ができないためで、まだ作った経験 がありません。
また西村公晴先生は和歌でしたが、これも私はまだ一首も作ったことがありません。
己の力量を知る不肖の弟子です。
 読むのは好きで、宋人の詩文集(別集)は静嘉堂文庫で北宋など相当量を「斜め読み」しました。その感覚から言えば、江戸の職業文人の詩にはイライラさせ られます。命がけであった宋代文人官僚と、殆ど、添え物であった江戸の雇われ学者・文人では違いは当然です(勿論、中には、例えば庄内の菅孝伯など、はっ とする詩もありますね)。
 厳しい批評は置いて江戸詩集からは当時の姿が浮かび上がるので興味深いものです。
琴はどちらかというと扱いが雑で、千年前のものも現在演奏に使っています。バイオリンよりも年月がたっていますが。日本にも多くの名琴がありますが、皆さ んの近くでは徳川美術館に星巌と同じ名の「老龍」という名の琴があります(藩祖ゆかりの品です)。
 名品もいいですが、それよりも座右においた琴を静かな夜などに弾くほうがいいですね。

(無題)  投稿者: やす  投稿日: 4月12日(火)23時33分25秒
>凌霄山人さま
 はじめまして。漢詩初学者のサイトに書き込みを賜りうれしく存じます。
初めて訪れた梁川星巌記念館はショーケースの展示物に埃が積もってをり、私立資料館の運営の難しさを思ひました。
理解者の少なくなった分野の文化財をいかに守り伝へてゆくかは、琴でも漢詩集でもさうですが、これからますます大変なことになりさうですね。
洒落云ってる場合ではありませんけれども、ことにも琴は木製楽器ですから湿度等の管理も、老龍琴なんかは本来はストラスバリばりにしなけあいけないんだと 思ひます。
また保田與重郎の学統を継がれる方との由、今後ともよろしくお願ひを申上げます。


 生活のリズムが変はって、このまま本を読まない人間になるんぢゃないかと内心恐れてをりますが(笑)、
目が暗闇になれるやうに少しづつ物も見えてくるんだと思ひます。
古本仲間の皆様をはじめ、御無沙汰を決め込んでゐる今日この頃ですが、しばらくは御免下さい。
手始めに再び漢字の修養をはじめました。

遅れてきましたが  投稿者: 凌  霄 山人  投稿日: 4月12日(火)02時42分46秒
ネットにある東洋琴学研究所の管理人です。遅れてきましたがよろしく。大垣の星巌につい て昔、記念館で講演したこともあり、星巌および江蘭の七絃琴につい ては、20年位前から調べていて、一部は共同で研究していた故岸辺成雄先生(東大名誉教授)の「江戸時代の琴士物語」に紹介されていますが、語りたい事が 山ほどあります。FUUさんの立原道造の系統と(道造が信じる)立原翠軒は水戸琴学でも中心でした。なお私は保田与重郎門下の西村公晴先生(伴林光平研究 で著名)の不肖の弟子です。京大の長尾先生の話が1年前の書き込みにありましたが、先生とも一緒に
高台寺で宴会したことがあります。
 かっては琴を弾ける(レベルの高低はあるにせよ)人は、私を含めて五指に満たなかったのですが、今は中国の音楽学院に学んだ演奏者(?)を含めて、多少 とも弾ける人間は20人は下らない状態です。女子十二楽坊の女の子も七絃琴を弾くくらいですから。もっとも日本で七絃琴を弾く殆どの人も(研究者を含 め)、女子十二楽坊の女の子とそれほど違いません。
 琴も古書も玩物喪志になりやすいようで、琴でも中国の古いものを求めたがりますが、私は呉文光氏(中国音楽学院教授、漢詩も相当つくります。米国で民族 音楽学の博士号、演奏者としても世界の代表者でしょう)の監修した現在のものを愛用しています。
 やすさんの岐阜の詩人の研究は敬意を表します。ちなみに岐阜県の文人の何人もが琴を好みました。今度、お知らせします。
なお老龍琴は星巌記念館にあり、星巌の詩にある唐琴は大阪のある所有となっています。いずれも国宝級の名品です。

一去十三年  投稿者: やす  投稿日: 3月30日(水)12時10分43秒
故郷に帰ってまるっと十三年、本日もって四十四歳、このたび好き好んで塵網の中に落ちま した。
拙を守って、しかし今後は俗韻に塗れて生きてゆく所存とかや・・・今月はずーとかみさんとかわりばんこに風邪ひいて死んでをりましたが、治ったと思ったら 早速、黒崎書店の目録から『黄葉夕陽村舎詩』の十三冊揃ひ(\40.000)を注文。(なんて言ってる時点で病膏肓ですね。売切れで残念やら内心ホッとし たり 苦笑)。

『朔』155号  投稿者: やす  投稿日: 3月28日(月)21時29分21秒
八戸の圓子哲雄様より『朔』155号をお送り頂きました。創刊33周年をお慶び申し上げ ます。ありがたうございました。今号特集の一戸謙三といふ詩人につ いては、稀覯詩集『ねぷた』の全ページを画像情報として拙ホームページ内に公開しておいたのですが、著作権のことがお留守になってゐるのに気がつきまし た。差し障りがあるといけませんので、諒解の頂けるまでしばらくホームページからのLINKを外させて頂くことに致しました。

御礼  投稿者: やす  投稿日: 3月27日(日)21時04分29秒
立原道造記念館より館報と特別展「立原道造が求めた形象」の御案内をお送り頂きました。 ありがたうございます。館報の今号は、巻頭を杉山平一先生の回想が 飾ってをります。
また語気鍛隊隊長、JIN隊長、葵の家隊員ほかのみなさまよりも沢山のお祝ひの品々を頂戴致しました。
ありがたうございます。しつこい風邪は治ってきたのですが、花粉症にひき続いてもうひと月位は頭が読書に向きさうもありません。こまったことであります。

『湘夢遺稿』  投稿者: やす  投稿日: 3月25日(金)12時23分0秒
『湘夢遺稿』二冊揃旧蔵箋貼極少虫の由 \38,000(和洋会) 微妙な価格。状態が みたいけど。
 復刻も持ってるし、物入りの時期に、今回は諦めよう・・・。

業 務連絡 投稿者:やす  投稿日: 3月12日(土)15時15分45秒

来週一週間行き先不明となりますのでよろしく〜(笑)。


RE:どたばた 投稿者:西岡勝彦  投稿日: 3月 9日(水)08時49分23秒

>もちろん持ってますよ(笑)
釈迦に説法でしたね。失礼しました。
少し読んだだけですが、もう少し頑張って解釈してよ、と
言いたくなるところがあるような…。
>近々生活のペースもあらたまって
何かおめでたい便りでも聞けるのでしょうか。この掲示板
から目が離せない?


どたばた中。 投稿者:やす  投稿日: 3月 7日(月)18時39分23秒

 紫野さま、こちらにては初めまして。御無沙汰してをります。さらなるフィールドをひろ げての御活躍の様子を拝 見、ますますの健筆をお祈り申上げます。『季』の皆様方にもよろしくお伝へくださいませ。矢野さんもパソコン買ったみたいですがインターネットどうなった んでせう。一向にメール参りません(笑)。
 序でながらわからぬ方に御説明しますと、『季』といふのは第四次『四季』の解散後、その投稿者だった人々を中心に東西二手に分かれて旗揚げした同人誌 の、関西地区の方の誌名で、(同人ではありませんが)精神的支柱に杉山平一先生を戴いてゐる抒情詩の雑誌です。ちなみに関東地区の方は『四季』の『四』の 方を採って『詩』としたらしいのですが、音が縁起悪いんで『東京四季』にしたとのことです。どちらも私の参加した第五次の『四季』とは関係ないですが、第 五次『四季』を廃刊するときに主宰の田中先生が、杉山先生を通じて私に『季』に参加するよう話をつけて下さり、紫野さんはじめ、矢野敏行さん、舟山逸子さ ん、小林重樹さんといった諸先輩方から、短い間でしたけれども極めて生意気な新人を自由に甘やかして下さいました。自分の詩集はあの同人誌に参加してゐな かったらば、おそらく数も溜まらず刊行には至らなかったでせう。まことにありがたいことであります。

 西岡さまにも、おしさしぶりです。なあんだ、『江戸時代田園漢詩選』。もちろん持ってますよ(笑)。刊行時に鯨さんに教へて頂きました(書き込みはしな かったかも)。しかしながら漢詩の関連書はどんどん増へてゆくのに読むペースが遅すぎるのです。近々生活のペースもあらたまって、漢詩愛好癖に凝り固まっ た孤独な老人といふ、我が覚悟せる将来像の変更も強いられるかもしれません。まことにたいへんなことであります(笑)。
しかしウェブ逍遥で紹介されてゐる国土地理院のHPや、 全国パノラマ展望図集(パノラママガ ジン)は、すごいですね。早速図書館HPのリンク集にも、メモメモφ(._.)、と。


田園漢詩選 投稿者:西岡勝彦  投稿日: 3月 7日(月)12時11分35秒

お久しぶりです。
こんな本が出てました。池澤一郎「江戸時代田園漢詩選」農文協
ちっちゃいペーパーバックですが、\2000也。
最近は若い国文学者で江戸の漢詩をやる人が増えているみたいですね。


ご無沙汰しています。 投稿者:紫 野 京子  投稿日: 3月 5日(土)23時58分19秒

ご無沙汰しています。お元気ですか? 息子は2月末で、2年間の岐阜生活に区切りをつけ て神戸に戻って来ました。2月半ばにWeb Siteを立ち上げました。お暇な折には遊びに来て下さいませ。アドレス記入させて頂きます。
  

http://www.takesada.co.jp/~shinok/


お礼 投稿者:kiku@モダ隊幽霊隊員  投稿日: 3月 4日(金)00時53分33秒

ご無沙汰しております。
拙サイトをご紹介いただき、ありがとうございまます。
今後とも、よろしくお願いいたします。

では、また。


多元語訳いろ は歌映示確認ご協力をお願ひ 投稿者:波江 究一  投稿日: 3月 3日(木)15時59分8秒

翻訳エンジンも発達しまして 英訳からなら欧州語の主な物に訳せるやうになつて居ます。各掲示板での映示確認かたが た紹介まで。仮名遣扱ひの不当性を国際間に隠れなく示す為にも有効かと思いひます。現在独仏西葡伊露希まで愚サイトに載せて居ます。エンジンはライブドア のポータルと下記。エクスプローラーの最新バージョンならドイツ語の特殊符号は映ると思ふのですがどうでせうか。
http://babelfish.altavista.com/


周遊       去聲翰韻畔喚半   abba    

塔の巡りに花咲いて         
うねる岡邊や甘き声         
笑ひ燃え搖れとろけ居ぬ       
星落ち澄む身寄せん津ぞ       

たふのめくりにはなさいてうねるをかへやあまきこゑ
わらひもえゆれとろけゐぬほしおちすむみよせんつそ

晩春     入聲沃韻緑獨屋韻屋 ababc

新緑定まる頃  
娘を嫁がせて
親父腑拔けな笑み
「ワレもはあ居ねえのき」
香ひ搖らう家ぞ        

しんりよくさたまるころむすめをとつかせておやちふぬけ
なゑみわれもはあゐねえのきにほひゆらういへそ


Late Spring

At the time of new green revive newly,
After the bridal party of his daughter
Father,the widower, smiled feebly.
"Really you left here now,oh my dear!
The scent of season,filled around his house.

Spanish

El fin Primaveral

Es el tiempo de nuevo verde reavive
Despues de la fiesta nupcial de su hija
El Padre, de viudo, sonrio debilmente.
"!Realmente usted salio aqui el,oh mi estimado!
El olor de season, alrededor del su casa.


German

Später Frühling

Es ist die Zeit neuen Grünes.
Nach der bräutlichen Partei seiner Tochter.
Vater-Witwer gelächelt schwach.
Wirklich verließen Sie now,oh mein geehrtes hier.
Der Duft von season gefüllt sein Haus.

http://blue.ap.teacup.com/roha/


風信子忌 投稿者:やす  投稿日: 2月28日(月)21時15分35秒

立原道造記念館より本年の風信子忌の御案内を頂きました。が、わたくし事が忙しくて ちょっと出られさうもありません。
参加者は原則として 会員と記念館へのご協力者を対象 の由。
編集済


metal tower 投稿者:やす@モダニズム防衛隊  投稿日: 2月28日(月)19時08分18秒

盟友kiku隊員の ホームページです。よろしく。


訂正 投稿者:やす  投稿日: 2月28日(月)18時58分31秒

人名を勝手に変へてはいけませんね。サンヤマさまありがたうございます。
(無題) 投稿者:サンヤマ  投稿日: 2月28日(月)15時21分30秒

 「福田恒存」ではありません。「福田恆存」です。念のため。老爺心ながら。


「昧爽」第七号 投稿者:やす  投稿日: 2月26日(土)13時48分16秒

 「昧爽」第七号をご恵送頂きました。ここにても厚く御礼を申し上げます。特集にあげら れた福田恆存については知 るところ無きに等しいですが、『私の國語教室』は自分のかな遣ひを改める契機となった本です。前田嘉則氏が、年長の人からネット上で使用してゐる歴史的か な遣ひを注意されたエピソードを語ってをられますが、私もむかし職場でポカをやったとき(ずーと大昔のはなしですよ 笑)、講師への詫び状に歴史的仮名遣 ひを使用して火に油を注いだ経験があります(やっぱり笑へる)。年配ったって戦前を知ってる訳ぢゃなし、その講師が担当してた国文学史だって戦後と切り離 したところの知識にすぎない。歴史的かな遣ひは、今や普段に着てたら変人扱ひされかねない和服とおんなじなのですねー。ただ前田氏は「私たちの歴史はかう であると断定的に「教育」する必要はさらさらない」とも書いてをられますが、私は歴史教育なんて所詮、頭ごなしのものではないかとも思ひます。私らは生物 学的に進化した人類の一匹であるとともに、歴史教育の中では、連続した民族の端っこに連なる一人であることを、その共同体の起源に遡ってお勉強する義務が ある。それは単なる科学的断定や或ひはきな臭い政治的断定ともちがふのですが、先人に対する敬意であるべきで、やっぱり一種の断定、「なんかしらん大昔の 偉い先生だからとりあへず敬へ!」だと思ふんですね。またつまらんこと書きました。
 ともあれ取り急ぎの御礼を申し述べます。ありがたうございました。

「昧爽」第七号 特集:福田恆存(2005,2,1発行 76p \600)
    連絡先(発行人:山本直人氏)nahoto@wf7.so-net.ne.jp
編集済


姫路より@携帯 投稿者:やす  投稿日: 2月23日(水)19時25分48秒

 さうですか。吟詠がパソコンで聞けるのですか。実は漢詩は好きなのですが、詩吟は苦手 です。 私にとっての漢詩って、つきつめると、やっぱり詩集、その版木の字面、なんでせうね。酒や音曲は必要ないんです。
 地元から愛されてゐるのはわかりましたよ。咸宜園近辺の地名がまんま「淡窓」ですから(笑)。


パソコンから吟詠 投稿者:波江究一  投稿日: 2月23日(水)16時30分43秒

早速のレスをどうも。意外に安く手に入るものですね。〒で取り寄せてもよいかも。
レスを見てふと思ひたち検索してみれば、吟詠も聞けるには驚きました。なかなか故郷で大事にされ愛好されて居る人のやうです。吟詠聴きながら小生も呑むと しませうか。
http://iris.hita.net/~city/tanok/tanatcl.htm


七釜温泉より@携帯 投稿者:やす  投稿日: 2月22日(火)20時49分22秒

波江究一さま
出張先からこんばんは〜。よぱらてをります(笑)。岩波の「江戸詩人選集」なんて如何でせう。簡単なのは日田のお土産に小生も買ってきた「廣瀬淡窓・旭荘 名詩選釈」(廣瀬資料館発行97P)の新書版です。400円だったかな。
廣瀬資料館前の骨董屋さんに吊り下がってゐた淡窓の軸、まだ気になってます。やっぱり本物だったのかなー。欲しかったなー。


淡窓 投稿者:波江究一  投稿日: 2月22日(火)15時59分51秒

廣瀬淡窓は「淡窓詩話」くらゐしか読んでゐないのですが、手に入りよい詩集等ありますか ね。

http://blue.ap.teacup.com/roha/


日録 投稿者:やす  投稿日: 2月19日(土)22時41分0秒

 終日家居、昨日今日、何ぞ悒せき。
『湘夢遺稿』復刻、門玲子氏訳注傍らに五十篇読んで熄む。


新岐阜古書展初日 投稿者:やす  投稿日: 2月17日(木)22時32分18秒

本日新岐阜古書展の初日。毎年お休みを貰って開店に備へるのだが、今年は野暮用でお休み をいろいろ頂いてしまってゐるのでアフター5に直行。

『梁川星巌詩集選釋』吉村勝治著,1944年,博文堂書店(岐阜),1000部 \1500
『湘夢遺稿(明治4年刊本の複製、和装2冊)』1960年,大垣市文化財協会,200部 \3000

など収穫しました。

また「日本古書通信」2月号も落手。連載「続署名本の世界」では、人魚の嘆き様が神保町の高橋書店主を回顧してをられる。
われは所載の目録から注文した詩集を先ほどキャンセル。既に送付済みの由にて本当にゴメンナサイ。往復送料負担でお許し下さいませ。<(_ _;)>

また詩人index、遅ればせながら訂正致しました。こちらも申し訳ございませんでした。
編集済


ありがとうございます 投稿者:康@博多  投稿日: 2月12日(土)10時26分52秒

ただいま旅行先にて、帰還後に訂正致します。

昨日は廣瀬淡窓が開塾した咸宜園を訪問、今日は福岡の古本屋さんの散策です。

「中洲なんかにたちよっちゃだめだよ」U^ェ^U


訂正よろしくお願いします 投稿者:孫です  投稿日: 2月11日(金)19時29分38秒

明治 大正 昭和初期 詩集目録の「よ」の欄に吉地昌一ってありますが、ヨシジじゃなくキチジです。編集の方への連絡先がわからなかったので、ここにメールしました。 訂正宜しくお願いします。


われもあら野の人となりつゝ 投稿者:やす  投稿日: 2月 3日(木)12時16分15秒

中村一仁さま
御返事遅れまして申し訳ございません。週末より一昨日まで私用で北辺の地をさまよってをりました。“われもあら野の人となりつゝ”ついでに 浅野 晃流寓の地をこの目で確かめてきたことです。尋常で無い寒さに参りました。「昧爽」御健筆をお祈り申上げます。

しかし帰ってきたらば、こちらもこの冬一番の寒気とか。
岐阜市内は20cm以上の積雪となりまして、ついで「さっ ぽろの古本屋」目録も、うれしい鈴木翁ニ画 伯の表紙で到着〜。

一句。「ゆきんこが去って涙のふりつもる」U^ェ^U


「昧爽」第7号について 投稿者:中村一仁  投稿日: 1月29日(土)17時25分42秒

やす様へ

御健勝のこととお慶び申し上げます。今年もどうぞよろしくお願ひ申し上げます。

「昧爽」第7号がまもなく入稿の予定です。2月中旬にはお手元にお送りできるかと思ひます。今回は、昨年没後10年だつた福田恆存の特集です。福田を尊敬 する若い人たちによるエッセーのほか、劇団「雲」分裂に直接言及した元劇団員の男性による回想文などが収録される予定です。ご叱正賜りたく存じます。

先日山本直人君も書き込みしてをりましたが、旧臘逝去された古木春哉さんを偲ぶ会のご案内状をいただきました。会の報告は第8号に掲載しますが、あわせて 遺稿集『保田與重郎の維新文学』についても書評の形で掲載したいと考へてをります。「昧爽」を応援してくださつた方として、また保田や檀一雄など日本浪曼 派の面々を直接知る方として、本当にもつともつと書いていただきたい人でした。「さきをゆく曠野の人のながき影われもあら野の人となりつゝ」といふ保田の 歌を心の中で口ずさみながら、亡き古木さんの早すぎる死を惜しんでゐます。

詩集等の購入、愛書家として興味深く拝読してをりますが、私は保田たちが創刊した雑誌「新論」のバックナンバーの揃ひを入手致しました。巻を追ふごとに、 編集内容が読者を獲得するために通俗的になつていくのが痛々しく感じられました。

寒い日が続きますが、どうぞ御自愛ください。


いつ読むかあてもないのに買ったよ。第○弾?!  投稿者:やす  投稿日: 1月18日(火)23時32分38秒

『日本詩話叢書』復刻10冊揃・函付美本 \15,000 日本書房さん
以前ぐれむん様にゾッキ本情報として御教示いただいたセット。しかし安すぎます。そして9、10巻に収録の五山堂詩話以外に、読むことあるかな(汗)。
『江戸時代の詩風詩論』初版函付美本 \31,500 キクオ書店さん
廉価情報をずっと探し続けてゐたこの浩瀚かつ高額な研究書も、そろそろこのあたりで手を打って購入しました。で、これまたいつ読めるかな(汗)。

また『山羊の歌』(函欠表紙痛み有り)到着。予告どおり購入最高金額を更新しました(10まんえん)。

今回の散財を頂点に自らの古書に対する姿勢も「あつめること」から「たのしむこと」へ移行したいのだけど、できるかな(汗)。「たのしむ」前に、基礎学力 を涵養するのが先決といふウワサにて。

また石神井書林の古書目録到着。今回の目玉はコギトのほぼ揃ひ一括(139冊/全146冊)\367,500でせうか。田中先生の生原稿「立原道造の思ひ 出」\63,000(!)なんてのも写真入りで紹介されてゐます。誰か買ふのかな。


丸山薫の生音声 投稿者:やす  投稿日: 1月13日(木)19時11分14秒

職場の図書館に本日『丸 山薫賞十周年記念誌・CD』の寄贈あり、詩人丸山薫の生音声(自作詩朗読)初めて聞きました「やすちゃんかんげきー!笑」(収録はほかに鈴木亨 氏、秋谷豊氏、小山正孝夫人等)。ちなみに三好達治はNHKのテレビ出演の模様を納めたビデオ昭 和の巨星・肉声の記録 文学者編で映像がチェックできます。

今一番観たいのは、生前地元テレビ局で唯一度放映されたといふ、保田與重郎が鳴滝の自宅を自ら案内するといふ内容の番組。戦前に活躍した四季・コギト・モ ダニズム詩人たちのそんな肉声・動画ばかりを収めたDVDが出ないかなぁ。
編集済


新春古本ノート 投稿者:やす  投稿日: 1月 9日(日)19時40分15秒

1月8日 廣瀬淡窓漢詩集『遠思楼詩鈔 初・二編』\6,300(新村堂さん)
1月8日 南咲夫詩集『故園の春(詩文学研究会叢書)』\2,625(新村堂さん)
1月8日 漫画 『鈴木翁 ニ作品集』\20,000(高円寺古書展)
    大学生の頃からずーと気になってた処女作品集。内容は『マッチ一本の話』と同じ。
1月4日 漫画『マカロニほうれん荘9冊+マカロニ2』(web目録)\3,000
    といふことで先日来のレスとはなりました。(・◇・)チョー 笑。二十年ぶりに読み返してまだ面白いや。

そのほか大きな買ひものの予定あり、ていふぢゃナ〜イ(内緒だよん)。これ買へたら自腹最高金額になるなー。
ちなみにこれまでの“十傑”は以下のとほり(特別公開)。
拙者のおこずかいではこれが精一杯ですから〜自腹斬り〜切腹(笑)!

【1】わがひとに與ふる哀歌(並) (感無量。[参考]\80,000)
【2】曉と夕の歌(署名・並)(おなじく。事件で一度手放した後だっただけに。)
【3】黒衣聖母(函)
(記念すべき20年前の初ボーナス。両親に何か買ってやることもせず〜、全額こんなものに化けてしまひました。今は函だけ失はれ・・・後悔。)
【4】日まはり(帙)
【5】鯤(カバー)
【6】星を売る店(函欠・破れ)(昨年の苦い記憶?・・・。)
【6】南窗集
【6】一千一秒物語(カバー欠・5版)
【9】校註祝詞 (署名)
【9】ペリカン嶋 (函欠 後日復刻函を自家作成。)

 付記(なにゆゑ“自腹”と特筆するかは説明を要せず 笑)
編集済


「うーん、なんだぁ、あれっ。地震だ。」 投稿 者:やすちゃん@43さい  投稿日: 1月 9日(日)19時01分22秒

野嵜さまは前田馬之介が出てくると黙ってをれないきんどーちゃんみたいですねぇ。お二方 とも今年もよろしく(笑)。
編集済


(無題) 投稿者:野嵜  投稿日: 1月 8日(土)21時02分17秒

ひじかたをどかたと讀んだあの人の頭の程度は波江と同じ


「Qちゃんぢゃないのよ、やあねえあたしはキンドーちゃん。」  投稿者:やすちゃん@43さい  投稿日: 1月 8日(土)20時15分2秒

ひざかたの年ちゃん金土日曜ちゃん併せ祝はむ初春のため

といふわけで年末年始の金・土・日曜にあたま壊れました(笑)。「( ̄◇ ̄)ちょー。」


「賀歌」 投稿者:波江究一  投稿日: 1月 7日(金)19時29分54秒

ひさかたの日と下照らふ月讀を併せ祝はむ後の世のため

といふわけで本年もよろしく。

http://http://blue.ap.teacup.com/roha/


続『詩人薄命』 投稿者:やす  投稿日: 1月 1日(土)11時26分31秒

さて年末に頂いた『詩人薄命』の前半部(T〜W:詩人の回想)と、巻末付録をつらつら早 速読了。
身近にゐた人間だけが大切にし得るほんのゴシップ風の想ひ出を通じて、今は亡き詩人の体温を反芻しようとする回想文は、書き手が伝記的読み物を拒絶する詩 人だけに、読者に痒いところを気づかせるやうな(もっといふと対象の虚にちょっと打ち込んで反応を見るやうな)人物描写がなされ、それゆゑ逆に書かれない (書きたくない)ことも、またひとつのイメージを影として結ぶといった塩梅である。
また編者坂口昌明氏が付録に配した國中治氏の論文のなかの、たとへば小山正孝初期詩篇から「夏」をとりあげて行った“字句解釈”など、実に微に入り細を 穿ってゐる。すなはち、

草々にかこまれて あなたの顔はせまつて来た
おしろいが日に浮かんで 日がしきりに 照りつけた
怒つてゐる事も 忘れたやうに 二人は争つて
それから 僕は だまつたまま あなたを 泣かしといた
夕方の風が来て ほとりに ふと 螢草を
あなたは 僕をふりかへつて ほほ笑んだ
だけれど 星が出た頃まで 僕は答へなかつた

の「ほとりに ふと 螢草を」とは、どういふこっちゃ、といふか、四季派ならではの韜晦の語法を指摘、これを正面から考察されてゐるのである。本編で詩人 が行った対象への接近を、全く反対の手法・姿勢で試みてゐる訳で、泉下の詩人はそれを配した精緻な編者坂口氏の思惑をも感じて苦笑ひしてゐるだらうか (笑)。
たしかに「ほとりに」は「(風の or 草原の)ほとりに」でいいとして、「ふと 螢草を」は難物だ。
國中氏は「ふと 螢草を」が「あなた」に掛かるとした場合、用言を次行の「ふりかえる」に求め、「(あなたは) ふと 螢草を(ふりかへつて、また) あなたは 僕をふりかへつて」と解釈してをられるが、ぼくはこんな詩篇などはあいまいはあいまいのままに、強いて言へば
 夕方の風が来て、(風の or 草原の)ほとりに、ふと螢草を(摘んだ or 見つけた)あなた は、
と、言葉を自分勝手に補って読んでゐたことに気がついた。四季派の詩篇は書き手を離れて解釈されることが前提の語法でつくられてゐること、(成功の可否は ともかく)一種の含羞の表現として常識(論中に曰く「錯叙」)になってる訳だけれども、実際のところはどんなだったんでせうね(笑)。
編集済


今年もよろしく(レス不要) 投稿者:やす  投稿日: 1月 1日(土)11時12分18秒

あけましておめでたうございます。
今年は公私とも転機を迎へ、にはかに身辺も慌しくなりさうな気配ですが、ホームページを閲覧下さってゐる皆々様方におかれましては何卒従前通りの御厚誼を 賜りたく、願ひましてはかしこみかしこみまうす〜。