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田中克己日記 1982


【昭和57年】

 保田與重郎の死、自らも大学を定年退職となり、詩人もいよいよ晩年を意識するやうになります。
 この年には訳出が4度目となる李白の本『天遊の詩人 李白』が平凡社より刊行され、他社本との競合が心配されましたが詩篇に絞った読みやすい内容は好評で増刷もきまります。
 続いて最後の懸案だった『蘇東坡』の評伝にとりかかった詩人は、著述面の業績における大詰めを迎へます。
 またこしかたを振り返り、野球部マネージャーだった彼は大阪高校野球部の回想録の編集にOB部員と共に携はり、大高同窓会「三火会」にも興味を示します。

 しかし詩人として注目すべきは、これまで閲覧困難だった初期詩篇を網羅する詩集を、当時の自筆本の体裁に倣って復刻刊行したことでしょう。
 『田中克己詩集 自選自筆1932-1934』、四季派関連の出版を手掛ける麥書房による刊行です。

 原本は『田中克己遺稿集』といふ何とも不穏なタイトルで、昭和9年大学卒業を機に束見本(所謂“白い本”)に書き留められたノートです。表紙に寒山の詩とカールブッセの有名な「山のあなた」の一節が書かれてゐて、復刻にもそのまま写されてゐます。
 希望する学者としての将来がみえないなか、しばらくの間、書き継がれていった自筆詩集なのですが、表紙に「一九三二年三月以降の愚詩百篇、他大愚詩百篇は之を載せず」とあるものの、復刻の際に来歴・解説をどこにも(宣伝栞にも)記さなかったため、一見すると統一感のない乱雑な筆蹟は、むら気な老詩人によるやっつけ仕事かと思はれたかもしれません(事実、私はさう思った)。
 しかし実はさうではなく、同じく麥書房によって復刻された『四季』派のホープ立原道造の手書き詩集『ゆうすげびとの歌』と彼の最初の詩集『萱草に寄す』との関係が、この手書き詩集と『詩集西康省』との間にも、いかにも『コギト』派の詩人らしく認められる対比物として、田中克己の性向や息遣ひを感じさせる自筆詩集なのでありました。(詳しくはこちらにて。)
 ベストセラー『日本の詩歌』によって興味深く紹介された初期の作品群でもあり、寄贈本の宛先についても心を砕き、あれこれの記録が残ってゐますが、とりわけ受取り返事がなかった井上靖と野田又夫とに「返却せよ」と申し入れて謝罪が入るなど、癇性の詩人の面目躍如たる出来事には微笑まされます。

 井上靖に癇癪を破裂させた頃には、地下街で守衛と喧嘩し、巡査に自転車のことでからみ、妻には絶縁を、近江詩人会にも退会を申しわたさんとする始末。執筆ストレスもあるでしょうが、この頃になると行きつけの古本屋からも「あなたも変人」といはれたと記してゐる通り、有名人として誰も本気に取り合ふことがなくなってゐるやうです。他にも(省略しましたが)、房事やエロ本に関するプライベートが遠慮なく記述されることも、この前後の時期から増へてきた気がします。
 また年の前半には幾度か「夢みごこち」との精神状態の愁訴がありますが、自律神経の乱れによるものでしょうか。私も大学に入学して2ヶ月ほど、 それに類する現実に霞が掛ったやうな朦朧とする感覚に悩まされてゐたことを思ひ出しました。

 さて、外面的には斯様の感じで威勢が良いですが、内面では肩書を気にする正直な感想をみることができます。すなはち内輪では名誉教授に無事任命されたものの、国からの叙勲がなかったことについて、この年、羽田明・外山軍治・藤枝晃(勲3等)、坪井明(勲4等)と、同窓旧友の慶事を記しつつ釈然としない様子が日記の記述からは窺はれるのです。
 保田與重郎なら勲章など「アホな」と一笑に付したことでしょう。
 田中克己が、盟友であり腐れ縁とも思ひなした彼から蒙った影響は大きかったのですが、亡友に対して追悼号らしからぬ、辛辣な印象も交へた回想を書いてゐます。雑誌『近代風土』『浪曼派』の追悼号でよむことができますが、新潮社から依頼されて書いた原稿は(おそらく遺稿集『わが萬葉集』のためでしょう)、どんな言葉が手向けられてゐたのか編集会議で不採用となりました。
 始めに記したやうに、詩人は交際において青春時代の友誼を重んじます(保田與重郎は同窓会と無縁でした)。その一方で相手の出自・学歴を気にして学界の年功序列にも従順でした。権威をめぐる三竦みの関係を、面白く感じます。


 この年の出来事

2、3月、躁鬱転換はげしく「夢みごこち」の朦朧状態に悩む。
2月、大阪高校野球部史の編集をOB共同で開始(筑摩書房事業出版より10月刊行)。
3月、成城大学を定年退職。
5月、成城大学名誉教授となる。
4月、デビュー前の自筆詩集を復刻刊行(『田中克己詩集:自選自筆 1932-1934』)。
7月、長男史氏、東京国税庁総務部長となる。
7月、『天遊の詩人 李白』を擱筆(平凡社9月刊行、11月増刷)、続いて山本書店の依頼で蘇東坡の評伝にかかる。
8月6日弟、西島建、肝臓癌にて逝去。57才。
8月、李白について林富士馬と対談(「詩人李白の世界」『新刊展望』)。
9月、荻窪岩森書店に立原道造の書翰を売却。12月に金尾文淵堂の稀覯本を売却。

昭和57年 1月 1日〜昭和57年4月23日
25.0cm×18.0cm 横掛ノートに横書き


1月1日
下痢にて明け賀状400枚受取る。

1月2日
午后弓子夫妻3孫と京夫妻2孫と来り、(※省略)

1月3日(日)
新年の礼拝夫婦にて休む。(※省略) 史夫婦三鷹を経て18:00来り19:00帰りゆく。

1月4日
苑子来り年賀状かき午食す。11:00村上正平君来り飲み食ひして帰る。鬱のく。

1月5日
苑子賀状手伝ふ。乗杉翁入院してゴタゴタすと也。(※省略)

1月6日
(※省略) 倉橋文雄君14:30阿佐谷駅に来り、法政大学中学部の同僚とおぼえをり。(※省略)
大、母を清川病院に入れしと来り、建より便りなしと珍しく怒りをり。
プティ・パレにつれゆき只にてわれは茶、大はcokeのましてもらふ。

1月7日
8:30さめ卒論2冊見、吉越笑子より「今来る」との電話に待てば父母来り海苔呉る。
(※省略) 瀬見君来り、Nonni語辞典2,700先渡し、安藤学長は田辺の家老(3.5万石)とわかる。時計15,200買ふ。

1月8日
よべ4粒のみ9:00さむ。卒論2冊よみ寒きゆゑ出ず。
17:45山住dr.にゆく。異状なしと。(※省略)
televi見て自衛隊、韓国にては米軍と協同との訓練はじめるときく。
瀬見氏意外にも電話かけて断りしに来り、Nonni語辞典もち来る。
あすはなるともなれと思ふ。

1月9日
午前中卒論よめず11:30餅食って出、研究室にて待つ内、福島えみ子あらはれ(※省略)
14:00まへ榊原生来り321に控室ありと。山本實君来り、茶のむ内、会場に呼ばれ我より話し歌3つ歌ひ今後の計画として『ツングース語辞典』『與重郎と辰雄』『蘇東坡』とかく(實君の話では(※蘇東坡の)訳よき由)。
30分にてやめまた福島山本と話す内、食堂の用意できしと。
代はる代はる頌辞唱ふ。
(出席、浅沼、石川、伊藤博之、上原和、岡本奎六、尾形仂、鎌田、川上、田中宣一、ケ、西山、野口、平山、舟越、堀川、松、毛利、森岡、山田俊雄、山中、短大池辺、我妻(新城の後任)の22人なりしか。)
7:30すみ迎へのhyreにて三鷹で新城博士下車。奥様に挨拶す。
阿佐谷まで来れば運転手香港引揚とて(※路地を)家まで花束運び呉る。
ユ花束もちて山住dr.にゆき戸田画伯にもゆく。3D生10人echo20箱呉る。木下中心に4女生「2次会する」云々。
(重久生結婚10年目と。丸重俊来をり父(※丸三郎)の病状良からずと。矢野光子来り、父(※矢野昌彦)のこといへば泣きて喜ぶ。)

1月10日(日)
晴、風吹きやみしも寒し。礼拝よき声出し。(※省略)
夫婦して角の古本屋にて安本買ひ新本屋のぞき佐伯に寄れば『酉陽雑俎5(1,710)』来をり、借りて帰宅。
保田悠紀雄に電話すればあかね出て「父母留守」と。夜電話すれば「15日夕方来る」と。
この日17:00婚礼(菊地ほなみ)と思ひつき「13:00来よ」とかけ直す。

1月11日
けふにて卒論すみ(※省略)川久保(※川久保悌郎)にゆき『酉陽雑俎5』与へ瀬見氏に電話せしむれば「20:00来る」と。
その間「秀才保田與重郎(7×200)」かき了ふ。あとは子孫と典子夫人の歌と「日本浪曼派広告」にて埋まらん。

1月12日
朝早く起き9:00出て2時限目の試験行ふ。(※省略)
4時限目またすませ学長に会ひ宇治茶。井上河内守正直の曽孫が妻(※悠紀子夫人)といふ。
その後3副手と櫻子(※甘味処)にゆき(※省略)18:30帰宅。

1月13日
6:30さめ10:00出て(※省略) 午飯すれば都留生来る。(※省略)
榊原副手さそへば「30分だけ」と汁粉屋にゆき差し向ひにてpão食ひ、
電車にて乗り合はせし日大生を小田急dept.14階につれゆき
700のませくはせEi uxunem(※不詳)教ふ。
急ぎ帰り又役所角にて川久保に遇ひプティ・パレにゆけば
(※省略)、帰ればユ帰りをり。
よべ林富士馬夫人に『末摘花』引けといへば笑ひて「伝へおく」と。
ユ山住dr.にて躁止め薬くれしと。(※省略)

1月14日
成年の日の前とて早めに散髪にゆき賀代、青木に先立ち津端生来り、まちがひだられを咎め青木胃病とて帰りしあと山本書店来り華僑関係の本もちゆく。(※省略)
庄野(※庄野英二)に電話し潤三に芸術院会員への推薦たのみしとてユに叱らる。
プティ・パレに3度ゆき(※省略)茶おごらせ23日の津田沼の会に我呼べといふ。

1月15日
7:30さめ14:00までプティ・パレへcoffeeにゆき、14:00保田悠紀雄夫妻来て15:00去り16:00出て赤坂見附より taxi(500やる)にてPrince Hotel。
帰り私営業に乗りまた500(今度は喜ぶ)(※省略)16日を夫婦とも15日と間違へし也。

1月16日
7:30さめ佐伯へゆき昼食簡単にとり地下鉄にて神保町下車。
沢田瑞穂に紹介受くる前『金瓶梅考(800)』買ひわれにcard5,000枚あることをいへば彼黙していはず。
わがもちゆきし5冊の再版をいへば「實帰りて」と也。
出て地下鉄に乗る途きけば栃尾君肩叩き『金瓶梅考(800)』買はせ赤坂プリンスホテルまで案内してくれ別れゆく。
菊地ほなみ側の主賓席に坐り(※省略)

1月17日(日)
7:30さめ礼拝休み、佐伯へゆき「あす朝来てくれ」といひプティ・パレへcopyにゆき、
麥書房まてば14:10来り、『コギト』と『四季』わたし(※1月16日『コギト』昭和9年12月号と『歌集くちなし(保田典子)』の誤り)、
(※省略)「秀才保田與重郎」かき了る。
亀井昇と神田先生(※神田喜一郎)に見舞のハガキかく。23:00就床。

1月18日
7:30(当った切手は16枚)起床。佐伯10:30来り1万7千円で買ふ。
ユ10:00鳥海生と柏井歯科へゆき12:00帰り来り、(※省略)
プティ・パレへつれゆけば(※省略)重久生来り、われ払ふ。
2生と帰宅。重久たらこの粕漬、本やり、瀬見さん来り鳥海生に粕(杉山生より来し一部)、ユ佐伯へゆき17:30、瀬見1,000置きゆく。
梅ヶ丘の堀内来り、「與重郎と辰雄」もちゆく。日本浪曼派とドイツ浪曼派のちがひなり。
「神田先生はお元気で寒中見舞お出しになる」と神田信夫夫人(和田先生令嬢)の返答。
21:00入浴。高田瑞穂に電話すれば返答なし。23:00眠る。

1月19日
6:30さめユ7:30起きる。
福地さんの家警官にきけば(※省略)行き見ればしめをり。100円の本さしこみ堀家の家の前通り帰宅。
(※省略) 高円寺小松崎歯科に寄れば夫人茶出し「山本と2人にてお祝に来る」と。
2軒古本屋歩き都丸書店の社長と挨拶しあひ支店にゆけば「主人などこはくない」と茶のまし呉る。帰宅17:00。
(※省略)けふ電話、滝川先生、出雲書店(バカヤローで電話切る)、堀内(出雲書店)、林マリ子。

1月20日
8:00起床9:00滝川博士(※瀧川政次郎)に電話し、佐伯へゆけば閉ぢをり、
14:20本とサントリもちて滝川邸わからず郵便屋さんに途きけば本もって案内し呉る。
(※省略) 先生出て来てsignし、仁兄とかきたまひ、次に君、あと君一つ、様3つsignしたまひ玄関まで引返せば手袋忘れし也。(※省略)
小泉長老夫人より19日17:25竹森トヨ先生逝去と。(※省略)

1月21日
4:00さめ風呂たいて入る。6:30ユを起し神田喜一郎先生の書留700×2ユ出しにゆきcopy(420)山住dr.に届けさす。
(※省略)川久保呼べば14:10来て17:00夫人の電話にて来客ありと帰る。
20:30佐伯さん呼べば「牧野博士関係」と「印度古聖歌」とに1万3千円。whiskyのみほして帰りゆく。
榊原副手、ユ13:05出しあと来て14:30帰りゆく。

1月22日
6:00さめ6:30ユを起し7:00起床。
ユ10:30鳥海生と話して柏井歯科。われプティ・パレに「老兵の記録」のcopyにゆく。(※省略)
植村先生(※植村清二)に「あす午后伺ふ」といふ。高橋重臣氏に電話(20:00)し「隔簾花影」そろひをりといふ。「夏渡米」と。(※省略)
磯貝浜子生より「大学時代の詩見たし」と。杉山博文来り、試験の予習をす。

1月23日
4:00さめ5:30起床。「文芸通信」よむ。19冊までつづきし也。
青木生11:00来りsemiやって13:00まへ出て(※省略)桜ヶ丘よりtaxi(※省略)門前までつく。
(※省略)2冊に署名もらひ、あと2冊貰ひ、タバコ(Mild Seven)1箱もらひ、(※以下翌日記述と混同、不詳)
松本辻までついて来られ松本夫人に依田君にGelbe Sorte呈し(植村先生にも)、夫人に送られて駅前で『練馬区地図』、『古代日本の航海術』買ひ(※省略)家へ16:55つき、
18:30夕食はじめしところ都留生が来て烏龍茶と『蘭嶼之旅』呉れ21:20帰りゆく。(※省略)

1月24日(日)
礼拝にゆかず、ユ帰り来れば青木生、本返しに来り、ともに出て植村先生にゆき(※省略)先生のご本に署名してもらひ「GelbeSorte」10箱さしあげ新刊本いただき(※省略)
松本宅前まで送り、すすめれど寄られず。(※以下前日記述と混同、不詳)
依田君にGelbe Sorte10本やり、夫人「その内お越し」と。
17:00帰宅。18:00夕食はじめしところへ都留生が来り謝恩会案内なかりし、その内やると。高田より26日「すみれ」にてと。

1月25日
8:00さめ9:40家を出て面接に出(署名本もちゆく)築島先生に「すみれ」で15:00会ふこととす。
新城「飛ぶ鳥あとをにごさず」と叱る。会計より呼び出しありと。
18:00面接了り急行で帰り(※省略)、瀬見に茶おごり(640)、荷物あづけ帰宅。
夕食すまし21:00瀬見来り23:15帰りゆく。

1月26日
7:00さめ9:30朝食し(※省略)12:30出て戸田家へ寄り、鎌田女史にと雑誌もらひ13:00すぎ着き、庶務にて16,498,000の退職手当書いてもらひ、会議中の大山学園長と電話で話し副手たちに連絡し、(※省略)すみれに行けば高田門前に待ちをり。
15分遅れて築島博士の来るを待ち、鞄、門衛よりとりもどし築島博士と「18:00より会ある」とのことに高田に礼いひて同車。
アメリカ人にsilver seatゆずられ礼いひ築島博士にたしなめられしもきかず。
新宿にて小田急14階にゆきJuiceおごらる。
集英社より15,000の収入〒にて来る。televi「西太后」をやりをり。
21:30堀内(麥書房)に電話す。

1月27日
4:30さめ5:00起床。ゼミの印捺す。ユ6:00起床。7:00朝食。7:50出て登校。
朝に2生すみ午食。(※省略) 19:00帰宅。
瀬見『世界言語研究 下』見せ家蔵と。ゆづらすこととす。乾杯し23:30帰りゆく。

1月28日
8:30起床。昼食して11:30家を出、(※省略)Skeyさんと話して法学部へゆき部長以下と歓談し(※省略)高田、栃尾と出て別れ、駅前で別れpaffet食ひ(※省略)、朴書店にて雑本買ひ、Michelangelo 4冊買ひ、両手に本かかへて瀬見ゐざるに(※省略)
20:00夕食、(※省略)「流転の王妃」televi。11:00眠る。

1月29日
(※省略)朝食後、採点記入了る。9:00
プティ・パレにゆけばcopy機故障と。帰りて昼食すませれば瀬見氏来り『歩兵操典』賜はり、午後の市にて匆々帰る。(※省略)
15:00鳥海生来り「あす副手の履歴書出す」といひて帰る。
18:00奥井夫人来り、食事おいしく食べヨウモク与へせんべい乾菓子の返礼とす。21:10帰りゆく。22:30せんべい食ってねむる。

1月30日
4:00さめ5:00起床。(※省略)教務に電話すれば教授会10:00と。あはててひげ剃り詩集忘れて出、(※省略)会議にゆけば昇格人事。 (※省略)
欧州文化国文と私語(Rilkeの研究家)して叱られ、中西と問答。
(※省略)14:00すみて栃尾と桜子へゆき彼は雑煮、我はしるこ(陞任祝)。
堀内にゆき原稿にルビふり茶菓出され18:00出て(※省略)吉越家へゆき、駅にて買ひし寿司出せば鍋焼きうどんふるまはれ21:00まで話し、 (※省略)笑子生に送らせ本2冊買ひ与へて南阿佐ヶ谷。(※省略)22:15就寝。

1月31日(日)
9:00さめ礼拝休み、(※省略) 丸へタバコもち、ゆけば重俊のみをり。
本やり(父母は茅ヶ崎)、(※省略)山水書房にて12,700払ひ、雑本もちて家へ来り、朝鮮本みな見(朴氏夫妻)、朝鮮の諺、年中行事を高く評価す。
佐伯へ寄り雑本買ひ三鷹へゆけば田上先生一家お留守。
小林宅へゆけば克次朗扉をあけpão食ひ帰宅。
(※プティ・パレで?)『西康省』のcopyしてもらひ、茶菓にて500、copy代1,300。
家へ電話して帰れば1分遅れてユ帰宅。ユの本1.5万。



2月1日
4:00さめ(※省略★)、ユ青色の紙とりにゆきしまに保田節夫人来り雑本もちゆく。
(※省略)節帰りゆきしあと1分してユ帰来。午食すませてプティ・パレへcopyにゆく。
佐伯にゆき2月末払ひとし『成城国語国文学論集』13冊もちゆく。
山本實「今からゆく」と電話かけ来る(16:00)。(※省略)
『西康省』の訳註のむつかしきに呆れ麥書房に電話し「このみちを」の歌と『西康省』をぬくといひホッとす。
帰宅の途、大林太良博士に会へば社会学博士の資格と。

2月2日
8:00起床。弁当もちて登学。栃尾君に会ひ弁当ちょっと食ひ、職員食堂にて小倉、津留と同席。われはコーヒー。
(※謝恩会2次会)会場を高円寺の成城大飯店と定む。
(※省略)民研にゆき、麥書房にゆき「あとがき」書き了ふ。
帰りて川久保にゆき岡茂雄翁に紹介たのめば、つれ来られ『本屋風情』に署名、八十八才の寿に出る『思ひ出の記』もたまふと。
18:00去られしあと川久保「ツングースやる」と。
19:00帰宅。大に「来い」と電話しBoxingに三原のHeavy選手権失ひしを見て喜ぶ。大にユ「来ずとよし」といひてすみ入浴就寝。

2月3日
節分、寒し。西川、池田温、大山学園長に電話す。
大山「入学試験の日、会ひて話す」と。池田おし切る。
((※編集中の『田中克己詩集 自選自筆1932-1934』)総務部長、大山、安藤には寄贈、中山正子には買はす。高橋にはやる。彦根の河村、藤野には1万円の特製本を買はす。)

2月4日
(※記述錯綜部分省略。)
9:00すぎ出て地下鉄入口の喫茶店レナウン・ミラノで(※省略)傘忘れて出、東豊書店のあくを待ち、台湾本多量に買ひ、欠本在家ときき茶のまされ、1片のpão食ひ、別れて帰宅。
末富翁(※末富栄樹:日本ゴム協会元副会長)に家の前にて会ひ将棋さす約束す。13:00末富家にゆき碁将棋の勝負に興じ、猥本2冊夫婦ともに喜びて借る。
15:30帰宅。都丸瀬見氏に「来よ」といへば「17:00来る」と。
19:00末富家へ菓子もちゆき田上クリニック教へる。
21:15までをりて帰れば教務より1Fの欠点と「院の漢文試験問題につき来よ」と。
電話すれば教務みな帰宅と校務員の声なりし。

2月5日
3:00さめユを大への電話にてさます。8:00大来て共に出て教務へ自動車(2,850)でゆけばすみ、院の会議13:00ときき、麥書房にゆき年譜の件、我家へ10部、買ふ者と贈る者の名簿にせよといひ12:10帰学。
(※省略)院の面接、外池、西山博士にきびしくやられしも旨く答へ、蓮田保田のこと知らず。すみて講師室に行き1時間して行けば磯岡生すみしと。
つれて桜子へ汁粉くひにゆき我家へつれ帰り途教ふ。(※省略)
20:00古崎兄妹、俳人巨橋義顯『夢拾遺』おいて帰る。東豊書店より宅急便にて台湾本35,380着く。

2月6日
7:00さめpão食ひ、末富家へゆき、碁打ち、2目置きとなる。高円寺大石へゆき石川の本2冊と大林太良博士『稲作の神話』3版買ひ、本とりて帰る途中プティ・パレの女主人に遭ひて「来よ」といふ。
大林博士「火曜ちょっと寄る」と。山住家へ買ひし本2冊にsignして返却受け、かゆみ止めの散薬たまふ。
ユ戸田画伯にゆく。佐伯にゆき「本取りに来い」といひ13,000売り(4,800買ひ)差引9,000ほど残り、マコト屋でcopy(925)して帰り来り、ユの教へにて南教授の本とりにゆけばなく、『戦争体験(600)』、『歴史と人物(300)』買ひまことやにゆき香奠袋とcard買ひ(print925ユせし)、失礼咎め、中村屋で餡饅(60)買ひ礼いはれてほめ、中桝で白酒買ひ「うちのパパ」うたへば主人そしらぬ顔、帰り来る。

(※記述重複・煩瑣にて躁はげしく、以下悠紀子夫人の鉛筆書きあり)
夜、亀井昇の事がしきりに心配になり同時に自らの死と亀井昇の死とについてしきりに涙をこぼしているので大阪の川西さんに電話してみると「もうねたと」云って出ず。
11時すぎに、電話をしらべて亀井さんに電話するとしきりにうるさいので、電話すれどここも出ず。
もう最後のおなごりといってねてしまふ。明日はどうしても塩入先生(※精神科)に行こうと決心する。
泣いたりわらったり感情不安定なり。つくづくもうやりきれない気持なれど自分より(※介護)やるものなし。
今夜はねずに様子を見ることにする。 
ユの愛誦歌あなうれし。

2月7日(日)
7:30起床。9:00よりFM、躁につき夫婦とも聖餐式欠席。川西奎之祐より「亀井のこと不明」と電話。
(※省略) 15:00大林太良氏来り「博士は推薦できず」と。
苑子16:00来りcardのことたのみ100枚もち帰ることにせし処へ大来り「南博士に心配いらず云々」
whiskyのみわれ白酒とwineとまぜてのみ「20日出席」といひて去る。(※省略)

2月8日
寒天8:00覚む。ユに病院行すすめ、末富翁、休日土曜はよしと。
山住dr.は「わがこと博士号で心配」と「末富さんと呼ぶたびに気をつけよむ」「喜怒哀楽で心配」と。
鳥居清君に電話し天理の笑画たのむ。快諾さる。
11:00ユの山住dr.にゆく間に弓子来り、餅焼いて食ひ13:30出て「サン・リオ」で喫茶(250)して地下鉄にのり、
山本へ行けば店主呼び、もちゆきし1万円の本とかへことし(『中国音楽史』、『平妖伝』、『十二楼 上下』、『封神演義 上下』、『長恨歌──楊貴妃伝』)貰ひ、
1万円を5,000とかへ、「お見舞」と封筒に書き山口書店にゆけば息子受取る。
すし屋で3000円、うまし。山本に入り直し何事もなく、地下鉄。
「サン・リオ」に再び寄り家に電話して帰宅。瀬見より電話なく、かけしもムダ。
(荒井平次郎より「亀井入院中、便りするな」と。)

2月9日
9:00起き花井夫人より中野駅で待ち合せ(三治、和田両夫人も出席)、佐伯氏来り雑本2,800で買ひゆく。(※省略 登校。)
会計で金もらひ、午食くひにゆき、栃尾に漢文の代行となりしを慰め、高田修博士と遭ひ、成城堂にて新本多く買ひ、
麥書房にゆけば「(※詩集に載せる)履歴書かけ」と。
出て新宿紀伊國屋にて地図2枚(300)買ひ、焼きそば食ひ、折りたたみ乍ら地下鉄(小田急に米人3人と大笑ひして歌うたふ)。
新高円寺Mrs.Koenjiより饅頭、瀬見にゆけば茶のましたまふ。滝沢の電話のこときき「まことや」にてcopyして(30)、
匂ひあらせいとう1本(100)買ひ、酒屋に白酒(500)注文し、夕食くって履歴書かき疲れて白酒のむ。
池田温氏よりもdr.だめと返事あり。

2月10日
9:00起き、ユ西武dept.へ出てゆく。(※省略)
詩歌歴かくうち脱線して履歴小説となる。午は「ピーターパン」にて野菜サンド。本屋にて2冊買ひ末富家へゆけば「薬のみゐる」と。碁将棋ともに負け、帰りて滝沢まてば来りて北海道の文学少女へとsignささる。
旨くゆきさうなり。送りてプティ・パレに寄り『北アジア学報』のcopy受取る(11,850)。
滝沢copyもちゆき我送りかたがた佐伯へゆけば水曜とて休み。
帰りて夕食中村屋で買ひし焼売食ひしあと飯一杯食ひ、入浴して中々ねつかず。

2月11日
6:00起きユの7:00さめるを待ちて朝飯食ひ、入浴して佐伯へゆき本買ひ、
13:00都留生来り「会は4月」と。
杉山博文生栗納豆もちて来る。端午の節句なるを教へ、都留生の帰りしあとプティ・パレへつれゆきcopyたのみ、茶おごらんとすれば無人。
家へゆかせてのち、佐伯へゆき『蒙古学報』かりしもすでに家にありと。
原稿用紙買ひにゆくまに杉山生、佐伯へ『蒙古学報』返却にゆく。
しるこ食ひ、杉山生菓子くひ、おごりてすませ帰宅。
朝かきしあとがき大分長くなりしを「お任せ」と麥書房に包む。

2月12日
8:00さめ10:00佐伯に寄り、南阿佐谷へとゆく途マスク買ひて駅。
各駅停車にて梅ヶ丘、堀内君わがあとがきの不明のところ直し、あとはそのまま、1万円の特製本には苦心。23日までに着くと也。
出てまた各駅にて南新宿、(※東豊書店)簡君よりブヌン・ツオウ(※台湾少数民族)のtext買ひ、借金合計4万円になるも平気なり。
大学院より電話、榊原、西山より「19日の大学院の会に出よ」とありしと。
「帰宅承知」と返事す。「四畳半ふすまの下張り」のそのまま出し文庫本買ひ、驚く。
夜食後21:00すぎ瀬見来り凶酒、握手を求め2:00帰りゆく。

2月13日
8:00起床、9:45瀬見宅へ電話すれば「失礼した。本買ひにゆく」となり。
松枝茂夫氏より「楊雲萍氏の手紙と論文預かったので送った」と。すぐ別便にて来りし故、〒にゆき航空郵便買ひ、川久保に伯父の本への署名たのみ、 汁粉食ひ、ユの画なるを見てプティ・パレにゆき「木曜来って仕事」と。鉄斎しらざるに呆れる。(※省略)
堀多恵氏より「寒くて在京、怒ってゐぬか」と電話、「会ひたし」と答ふ。

2月14日(日)
夫婦にて礼拝にゆき竹森先生にくやみ云ひ、詩集差上げるといふ。(※省略)
ユと別れて角の古本屋にゆき2冊買ひ、昼食後荻窪へとゆく途、堀さん訪ぬればしめをり。加藤家の老母、訪ひ方教へくる。
(※古書店の)岩森夫人「まうけた」と。Gelbe Solbe買ひて帰宅。事なし。(※省略★)。

2月15日
8:00覚む。9:00すぎユ出てゆき我ゴミ箱出す。
滝川博士に電話すれば「あす14:00来よ」と。原田に電話して「あすは会ふのみ」と断れば「宜し」とにりし。
麥書房より電話「22日に出来上がる」と疑問点に応へしあといふ。うれし。
午食後、第一書房へ電話すれば「前金で」と。汲古書院より『敦煌律(英文)』着く。本買ふこと止めん。
15:00柏井に電話すれば「今出た、ゆく」と。
タバコ3本すふまに鳥海生来り、わがこと「祖父の如し」と。「apart変れば報ず」と。
4生への本与へ「謝恩会には出ず」と答ふ。彼女入浴後われも入浴。静矣如神。
(東洋文庫刊『Tun-Huang and Turfan documents 1』着く。ふしぎ)。

2月16日
12:00眠り5:00さむ。8:00朝食、カヨちゃん(※鳥海生)8:30起きて飯くひ10:00我出しあと帰りゆきしと。
銀座にて下車。たづねゆきニュートーキョー10階の(※大高同窓)三火会にゆけば無人。
ややにして西川、室、高垣など来り、われはねのけられて老人と若者の間に坐りMarseillesうたひなどし、
原田(『ソビエト法』わたす)の講演まへに出て銀座線にて新高円寺下車。
成田東3丁目たづねたづねして瀧川邸に14:05つき、おとなへば夫人出て菓子受取らる。
(※瀧川政次郎)わがもちし本に署名され島田正郎君への賞廻状かきたまふ。礼いひて出れば南阿佐谷なり。
しるこ(300)食ひ、帰りて一服し、まこと屋にてcopyし一休みす。夜、長尾忍氏(※長尾良未亡人)に電話すれば新潮社はわが日記欲しとなり。
(神崎清氏の『偲び草』もらひしに礼状かく。廃娼論者なりし『辻馬車』同人)。

2月17日
曇。6:20さめ、ユ7:30起く。築島博士に『唐代詩集 上』送り『六法全書』もちて高円寺へとゆく。駅前〒感じよく、(※省略)
瀬見氏に『六法全書』売れば500呉る。帰れば「明代の死刑」の校正来をり、半ばして疲れし所へ「イエスの友」2人来り、わが説教と歌とききて帰る。
(※省略) 「東京四季の会」より原稿の訂正の電話あり。雨中、苑子の来るを待つ。15:00来りcard100枚(500)を先渡しとす。
乗杉翁危く末富翁は忙しくて相手なし。16:00苑子、中公事業へと書留速達もちてゆき、本屋との結婚を喜ぶ。
二度入浴す。(酒井先生死せしと大高名簿にて知る)。

わたしは清らかな水が欲しい
けがれを去り敬虔な祈りと
高らかな歌とをとなへたい
夜の静けさにさう思ふが
日中はどうだらう
怒りや昂ぶりで一杯で
夜になって悔い改める
これがわたしのしきたりで
祈り了ると眠る
ゆめ見ることもない死んだ子と
いつかわたしが会ふことを信じてゐる

2月18日
5:00さめ7:00ユ起こしてパン食ひ、弁当もちて登校。(※省略) 昼食まに高田瑞穂に電話すれば飯食ひ了りし瞬間来り、
ともに出てwhiskyの水割りのみ、菓子くい、払ひす。23日の乾杯は彼が音頭とると。『国文学論集』に歌かきくれ、
渡辺、井上正蔵と同じく『新思潮』やりしとなり。出て階段にて別れまっすぐ帰宅。
ユ弱りをり入浴して酔さませしあと1,300の内1,000借りて福地女史に『鉄斎研究』7冊貸せば喜ばる。
まっすぐ高円寺、『北京』など,000借りてまたプティ・パレ、一杯飲み直し、竹森トヨ先生のこと思出し(※省略)、
折しも湖上社、草壁焔太氏より「新雑誌に詩かけ(3,000)」との依頼ありしなり。父と母とをかかんとす。(※省略)

2月19日
7:30さめ9:00出て登校。(※省略) 学科会、25万円を送別にもらひ、成城堂で愚本買ひ、(※省略)新高円寺下車。
山水書房にてまた愚本買ひ、瀬見氏に運搬たのみ(成城大飯店にて試食。旨く、わが北京語通ず)瀬見氏上がらず帰りゆく。

2月20日
5:00さめ7:00朝食にpão食ひ、昨日忘れし鞄とりに大学へゆき東豊へ払ひにゆくこととなる。(※省略)
依子、望15:00着き、京母子とそろひ、われ6:00出て都丸へユダヤ人の本返却。
成城大飯店にてまつ内18:40大の発議にて乾盃。孫9人、子3人、弟にて愉快なり。
都丸の瀬見氏来りて、たのみしとて10:40写真をとり散会。京母子、依子母子泊る。
(大山学園長より『Golden Treasury』2冊貸与、早く返せと也)。

2月21日(日)
よべ地震あり。7:00起床。飯くひ孫らもおとなしく禎子なつく。
都留純也君へ4月10日18:00成城堂clubにての会承知と返事かく。(※省略)
12:00出て目黒の雅叙園にての西島一興たみ子23回忌と33回忌にゆく。(書原にて多量に本買ひ金なくなる)。
雨中、目黒駅より歩きしばらくまちしあと献花。寿一丁寧に挨拶す。(※省略)
すみてbusにて目黒駅に着き、寿一より礼の電話。(※省略)鼻水出て困る。最終講義の礼かき始める。

2月22日
17:00京王プラザホテルで送別会。榊原副手に別れ告げる。(※省略) 新嘉坡行は4月8日16:00成田より夜の便。
4月3日は名誉教授の予餞会。みな来る。

2月23日
5:00さむ。11:00河野母子来り、わが躁鬱をいふ。むすめドイツ語とて辞典贈ると約束す(豆とカステラ呉る)。
午后まことやにゆき『Golden Treasury』のShakespeareの部のコピーすます。麥書房へ校正送る。
文化史第1回のNHKの鈴木生より仕事の案内来り「4月の会楽しみ」と也。

2月24日
5:15さむ。寒く、風邪なほらず。最終講義出席の礼、半ばすむ。磯見浜子生に麥書房の紹介す。
11:00出て中央線。地下鉄にのり学士会館へ着けば村山高主賓をはじめ皆着席。幹事吉岡克己君。
村山高氏の隣に坐り「大高野球部史(仮称)」の編集命じらる。
「歴代選手のほか応援団長にも呼びかけよ、(※省略) 昭和1桁はまとまりよく18回以下は実力あり」と。
15:00出て阿佐谷へ帰りShakespeareよろづ屋休みとて他の店にて老婆に(※copy)やらし、封筒100枚買ひ、
帰ればcopyなし。ユにゆかしむれば「包んで上げた」となり。明日とり直すこととす。
ユ封筒に住所捺し、われ署名了へる。分はあす考へん。東城書店より『紅閨春夢』来り、送料とも1,050と。

2月25日
よべ眠く、7:30目ざむ。(※省略) 午后ひるね2時間、15:00西川満氏訪ね歓待受く。
トヨ先生の追悼会13日と。堀川博士の歓迎会3月27日(※省略)と。
京、仙台行とてあすより日曜まで2孫をユ預かることとなる。(Shakespeareのcopyやり直す。よろづ屋にて(※1枚)30円也)。
あすtext学園長室へ届くることとす。

2月26日
7:30起床。村山高氏へ「名簿送れ」と書く。寒し。(※省略)15:00京、2孫つれ来り。
麥書房来り、(※詩集の)送り状見す。23日大学の諸同僚の分もち来り、我が家へは特製本4冊と。うち1冊は西川満氏、あとは我、大、史なり。
◎は1万円の特製本、他は3,500の贈与本なり。井上靖、大岡信には我より挨拶かくこととす。
麥書房帰りしすぐあと川久保来り、伯父岡茂雄氏の署名ある『不埒軍人行状記』賜ふ。阿南陸相と善かりし也。
17:00京の去りしあと2孫ねむらず。健太郎のみ入浴す。われも入浴して日記かく。

2月27日
ユ、2孫つれて三鷹へゆく。我が校正1,000足して送りしと。24日の謝恩会欠席することとす。
16:00ユ、よし子のみ連れて帰り来る。野口武徳氏より「香奠多し、某処へ寄付せし」と。
履歴のみ送らず。『成城文芸』への寄稿の題名忘れしが為なり。『山の樹』の「芥川比呂志追悼号」来る。

2月28日(日)
礼拝休む。ユ、よし子をつれて吉祥寺へゆき11:00帰宅。(昨日22:00山口基夫人逝去との電話あり)。末富夫人より飛騨の漬物賜はる。

3月1日
寒し。佐伯休む。退職記念の餞別金の礼すむ。『北アジア学報』の「北方諸民族のレヴィレート」のcopyすむ。
大学院より3日の出席を命じ来る。

3月2日
寒し。終日雨。午后末富邸に招かれ碁将棋ともに負ける。村山高氏よりたよりなし。明日8:30までに出勤を命令し来る。

3月3日
8:40登学。3号館にて待ち寒し。12:00すぎ昼食にちらし食ひしあと、採点室にて漢文の採点。できず20点増し(※名前S省略)49となる。
帰り鎌田女史と同車(くれし菓子を畑にやる)。平山博士「東男に京女」といはれしと。「わが後任、タイ国史をやる国立研究所所員にて難航」と。
16:00帰宅。村山高氏より「高垣金三郎を入れよ」と。吉岡克己さんに頼むこととす。浅利大作氏の事もあり、わがチームは大半死亡がためなり。
苑子にたのみしcard殆ど役に立たず、仕方なし。汲古書院より『唐才子伝之研究(8,500)』来る。たのみしおぼえなし。躁のいたすところなり。
あす10:00出勤にて役すみとならん。佐伯よりたよりなし。月給50万円を越し、これが最後より2番目なり。
新潮社の某女史より「明後日1時阿佐谷駅に来る。保田與重郎のこと書け」と也。吉岡克己氏に集金たのむ。印刷は我引受けるといふ。

3月4日
10:00前、鎌田女史と院の面接に同行。3号館にて面接、12:10すみ天丼くふ。
(修士2人を落し6人合格。博士は4人とも合格。外地最高点にて杉山は2位、磯岡、細野とつづく)。
大岡、井上2氏の住所写し14:00よりの判定会。すみてまっすぐ帰る。佐伯より消息なく、丸より電話ありしといふに明後日ゆくこととなる。
夜、安達さんより電話「18日学士会館控室にて村山氏と会ふ」こととなる。
ユ、我のことを鬱といふ。これにて御奉公すみたる也。(※省略) 帝塚山の同窓会4月6日13:00山王飯店にてと。

3月5日
戸外暖しと。終日炬燵にあたり無為。巨橋義顯氏に先日の暴言のわび書く。(※省略)
今日13:10新潮社の副編集長小島女史(※小島千加子)「保田の若き日の思ひ出語れ」と。長尾忍夫人よりわがこと聞きしと也。

3月6日
雨。寒し。田中三治より「けふ5:00来る」と。亀井のことか。15:00来り、高石市の教育長その他金属関係の社長と。
なつかしげに話しゆく。亀井のことは知らず。もらひし漬物の返しにユ海苔を出す。(丸に雨中ゆき、野球部のこと殆ど我かく)
(※省略) 夢みごこちつづき麥書房へ「(※詩集)23日30部もち来れ」と電話す。「払ひは月末に」とも云ふ。(※省略)

3月7日(日)
8:00起き、大に「1,2月分の看護料払へ」といへば「退院の時と思ってゐた。月曜払ふ」とのこと也。
ユと礼拝にゆけば聖餐式あり。長老みな若くなり(トヨ先生追悼会13日と)。伊勢丹にて狐うどん昼食くひ佐伯に寄らず帰宅。
気分すぐれず終日炬燵にあり。紅松に「野球部への文章かけ」とハガキ。

3月8日
9:00起き山住dr.にゆく。血圧110-80、下痢と風邪の薬もらふ。鳥海かよ子「君津郡文化財センターに就職」と。
京母子来り、三鷹へと出てゆく(ユも同行)。佐伯さん来て(※詩集)売れしと15,500置き、難物の雑本もちゆき呉る。
夜、青木生より「謝恩会に出よ」と。「病気」といひて断る。

3月9日
9:00起き無為。ユ8,500を汲古書院に送金、鳥海生に祝ひのハガキ出す。末富さんより「あす13:00来い」とさそはる。鬱とれず困る。
成城大学より23日の出欠問ひ来る。(※母入院の)清川医院「3月払ひにてよし」と大。
兼清より「4月3日のクラス会12時ニュートーキョー9階にて」といひ来る。

3月10日
8:00起き無為。ユ税務署にゆき2,000余り戻されしと。13:00末富翁と碁将棋ともに負ける。
20年の東京大空襲の日なり。夜、麥書房に電話すれば「(※詩集)22日に運ぶが学校無人でなきや」と也。

3月11日
鬱つづく。神田先生より『還暦記念論叢』いただく。蔓り「4月10日18:00より成城クラブにてわれら夫妻の会開く」と。
(※省略) 麥書房より「23日には1部見本しかできず」と電話あり、仕方なし。安達さんより「18日13:00学士会館にて」と。

3月12日
けふは無為。瀬見氏来り『コギト』と『四季』の製本屋見つけんと。都留、神田先生へ〒出す。(※省略)
『荊楚歳時記』の書入れ本見しもページ足らず、困りたり。

3月13日
ユ、竹森トヨ先生の追悼会とて出てゆく。(我と同じく明治44年、山本家に生まれ昭和5年ウィルミナ(いま大阪女学院)卒業と。わが母の後輩となり。今年1月19日死去、昭和15年吉祥寺教会牧師となり40年間教会に従事となり)。
われ久しぶりにプティ・パレにゆき、(※省略) 保田のこと書かねばと思ひつづく。
「立原道造44回忌を27日、日本橋公会堂にて」と堀内君より案内。翌日は堀川博士の送別会と会つづきなり。
汲古書院より既に売りし本の送金『8,350』を云ひ来る。入りはなく出ることばかりにて困る。楊雲萍氏への電話代も納めよ(2,800余)と。

3月14日(日)
夫婦とも礼拝休む。鬱のかず。保田の著書26冊を記す。昭和14年と17年に多く出てをり始めは昭和11年なり。自家版の『のりと考』が最後にて召集受けし也。

3月15日
8:30さめ9:00起床。朝食くふ。ユ国際電々に楊雲萍氏との電話料払ひにゆく。
われ午后15:30佐伯へ『アイヌ語辞典』2冊売りにゆき李家正文『泰西中国トイレット文化考(1,400)』買ひて帰る。
保田與重郎論すすまず。成城評議委員会より30日18:00京王プラザホテル43階スバルにての歓送会より問はれし出欠に「出」の返事投函。
汲古書院のよまずして売りし『敦煌吐魯番社会経済資料T(8,250)』を小為替とし夕方ユに投函せしむ。
堀内達夫君より「詩集23日に1冊をと思ひしも不能」との通知あり。仕方なし。
保田の知己、朔太郎の父祖の地は河内木の本にて、保田夫人の故郷太田の隣村、肥下の実家瓜破はそのまた隣にして縁ありと思ふ。萩原密蔵国手は木の本の人なり。

3月16日
8:30さめ9:00起床。朝食のpão食ふ。神田先生の本はdoubleでなく御署名お願ひせしと判明、苦笑す。(※省略)
田中冬二の会より80才を過ぎてなほ詩を作りしこと記し来る。(※省略)
高円寺まで歩き、都丸をさけ中通り歩く。堀内達夫氏に保田典子夫人の『くちなし』返せとかく。
夕ぐれ末富夫人若き声にて「あす13:00来れ」と。ユ三鷹へゆくと也(あす9:00-10:00)。
健太郎すこやかにあれ青葉城となのる角力のごとくなれかし(けふユ電話すれば「風邪ひき休みゐる」となりし)。

3月17日
9:00起床。朝の便にて『常民文化紀要』『成城文芸』の(※校正原稿)2つ来り、責了とし午后投函たのむ。
川崎夫人より「76才をもって天寿を全うし」とのしらせ。丸といひ老友は悲し。末富家へ13:00ゆき碁将棋ともに連敗。
保田典子夫人の歌集返却を麥書房に請求、保田の3男の逝去を悼む女の歌を新潮のため書きて了らんと也。
午后の便にて牛尾三千夫氏より伯耆大山信仰につきての抜き書来る。
(※高校野球部松江遠征時に) 大山をともに見し人あるは死にあるは不随となりし年はも。
ユ16:00帰宅。直前、美紀子より京の出発日問ひ来る。

3月18日
6:30起床。ユ8:00起き朝飯くはし出てゆく。山住dr.に下痢訴へ薬もらふ。血圧105-85
11:30出て地下鉄、学士会館食堂にてpãoとteaとり(280)しあと玄関へゆけば村山、安達、吉岡克己の諸氏そろひをり。
安達氏のおごりにて昼食とbeer(吉岡氏肝臓悪しと)。すみて談話室にて我、勧誘状を作製し郵送することとなる。
15:00すみて村山氏地下鉄の方へ追抜きゆくをみて16:00帰宅。(※省略)
堀内達夫氏より中間報告あり30日に間に合ふか。

3月19日
9:00悪夢より覚む。ユ区役所へ戸籍抄本とりにゆく。昼食して登学。(※省略)
高田瑞穂に駅橋で遭ふ。久しぶりにて手帖とりもどして退出。14:30南阿佐谷着。
あすの道造44回忌は欠席と定む。縁なかりし也。(※省略)
夢みごこち直らずして仕事出来ず。(※省略)

3月20日
雨降り。ユ、画にゆく。保田典子夫人『くちなし』返り来る。平凡社より稿料112,500太陽神戸に入る。
(※省略)
佐々木望氏より「童話送った。「詩集西康省」保田より貰ひし」と。(※省略)

3月21日(日)
8:00起き礼拝にゆき12:00すぎ帰るまで待ち上川霊園へ行くこととす。
堀多恵さんより電話「伺ふ」と。「今より墓参、またの日に」とことわり新宿へ出て京王電車にて八王子。
busすぐ来りしも1時間近くかかる。梓の墓にゆき(※雨)降りてbus待つ間、taxiにのり京王八王子駅まで2,150、20分間につつきし。京王にのり新宿着、われは鍋焼きうどん(800)ユはカレーうどん(600)食ひて帰宅。
雨降りやみ。北海道にて6の地震ありしと。(※省略)

3月22日
8:00起き10:00ユの京の許へゆくを見送り1:00高円寺。散髪し、成城大飯店で焼糕子食ひ(500)帰宅。
けふ保田のR火時代書きし『近代風土』つき、佐々木望氏の童話集来る。
16:00麥書房の堀内氏、詩集の下刷り見せ誤植一ヶ所見付く。3月末には出来さうなり。
村山高氏より「1人入金、勧誘状3通ほどくれ」と。

3月23日
6:00起床(5:00さむ)、8:00出て8:40登校。9:20特別室にゆく。
高垣名誉学長92才と。杖ついて見ゆ。諸我高校長に「(※山川京子辞職に対する抗議)その節は失礼」とわびる。
9:30着席、新城(※常三)、田中、堀川(※直義)の順なり。卒業式すみ定年教授の紹介あり、安藤学長われのことを「詩人にして飄々たり」といふ。
会議室に呼ばれしもsemi生に会ふため133教室にゆけば塩沢孝子、津端かおるの2生来ず。Album久しぶりに渡されありがた迷惑なり。
明日は帝国Hotelにて文芸4Dの会と。「ゆかず」といひ新城博士と握手し、榊原副手より2月の会の写真わたされ校門前にて小泉生(※小泉凡) より挨拶うけ、一人だけ見覚えある4Dの女生たちと写真とられ、奥井(岡林)、石塚真弓の2人に誘はれしあと、大学院の磯岡哲也とその母澄とに会ひ歌集と詩集と菓子賜はる。
奥井、石塚昼食し、われ茶がぶ飲みし、会計たのむ。まっすぐ帰宅。やれやれとなり。
佐々木望、磯岡澄夫人とにハガキかき一日了る。
(けさ健太郎電話「きのふ来れず大宮のホテルに泊りし」と也)。

3月24日
ややに寒し。朝の中、大球会(※大阪高校野球部会)の勧誘文、頭の中で書き直し、午すぎ出て高円寺でハガキ2通投函。
15:30奥井、石塚2人来り、ユ石塚の許嫁指輪見つける。奥井夫人は6月出産の由。
19:00より吉祥寺の舅の生誕祝にと奥井とともに去り、天丼食はさる。
けふも下痢せしなり。鬱の徴候とユの話。
向ひの家、葬儀の為大工呼び下駄箱作る。苑子来り、危篤の症状かたりしなり。
終日ゆめ見心地なり。忠魂碑の宗教性を認め違憲判決大阪地裁にてありしと。

3月25日
寒し。文具まことやに行き野球部史のcopy100枚(3,000)、封筒(300)、のり(350)買ひ来り午后30枚ほど封筒かく。
(※省略)『東方学』63来り、榎ゐばりをり。(けふ山住dr.に遭ひし)。

3月26日
風なく寒さややのく。午前中に大球会の呼びかけすみ、午后は物故者の遺族(日野月先生、田村春雄、清徳兄のこと、益子ウタ氏、橋本千佳子氏-国行義道氏長女)への呼びかけ書き、あす投函とす。(※省略)
(けさ10:00津端かおる生来り、卒業式には出ざるも4月3日には出ると)。

3月27日
8:00さめ8:30起き、朝食後大球会の仕事すませ、午后「ツングース語」ちょっとやりプティ・パレへゆきなどしてをれば、
浜野治(旧姓三浦)氏より「発起人いや」と。すでに発表とかき投函かねて16:30出。
京王プラザホテル4階へ17:20着き、築島博士に遭ふ。18:00すぎ学長、理事長、南博教授の挨拶のあと大宅壮一未亡人の乾盃の温度とる。
大藤氏と同座にてそば食ひて帰宅(20:00)。夕食とりなほす。
(三好清明氏に「雪よりも白く」投函)。

3月28日(日)
夫婦とも礼拝休む。終日家居。「ツングース語彙」ちょっとやりしのみ。浜野治の心情よくわかる。

3月29日
30年以上会へぬ高梨フジ子(旧姓吉田)に「会ひたし」、渡辺怘氏に「浜野君に書かせよ」のハガキ書き、午后来し弓子(3孫同来、克次朗のけものとなり眠る)に投函たのむ。
「ツングース語彙」シロコゴロフを既に寫して作りをりし。
(※省略)「朔太郎忌5月9日」と『朔太郎研究会会報34』。
山口基氏より「亡夫人(サツキ)2.26逝去、3.28納骨」と。

3月30日
6:30さめ7:30起床。高校野球見たりねたりして16:30家を出、(※省略)
地下鉄にてまた京王プラザホテル43階にゆき、大藤氏既に来をるを知る。
経済学部所属の鈴木博士(『骨』の著者)と文芸学部、新城、田中、堀川の順に並び検査入院中といふ大山学園長に代り安藤学長より挨拶、代表の返事は鈴木博士し「明治生まれはこれにて了り」との安藤学長に反対せず(西山博士、明治45年生れにて来年定年なり)、われ退屈してタバコ飲む。
20:00すみhyreにて送りとどけらる。(※省略)
川久保より電話ありしと。ShirokogoroffのTungus語辞典よみゐるらし。

3月31日
6:30さめ7:00起床、朝食して8:00出、9:00まへ登校。大槻さんに詩集のことたのみ学園長室にゆく。評議員代表立会のもと解任の状と16,498,000(税込み)の手当ともらひ父兄会よりの手当をももらふ。
菓子食ひ挨拶してすみ、学長室にても一服。各課に挨拶して午食にB.lunch食ひ(600)、新宿にて茶(300)のみ帰宅。
一服して苑子のまた速記やらんかとの相談きき流し、末富家へゆき碁将棋ともに負ける。(※省略)

4月1日
よべ早くね(1服たす)23:00眠りしも6:30覚め、吉岡氏に全権委任速達す。(※省略)
午後ふたたび〒にゆき投函。(午食プティ・パレにてとり福地夫人に「詩集やる」と再び云ふ)。
(※省略)川久保訪ねShirokogoroffのTungus語辞典やるといはせ「書原」にて『奉天三十年 上下(800×2)』買ひて帰る。
退職第1日すむ。(※省略)

4月2日
8:00起床。ユ区役所にゆき聞けば「老人も保険金撮る。今年は今まで通り」と。
丸重俊来り、元校長鈴木楊一先生の小説集と京の漬物もち来る。
鎌倉の詩人日野零氏より詩集、角川書店赤塚才一氏より『達治・道造集』(※『鑑賞日本現代文学』第19巻)来り、それぞれ礼のハガキかく。(※省略)
15:00プティ・パレにゆきwineのみ(250)瀬見氏にdoubleし『東印度会社』売りにゆけば800に買ひ呉る。お礼に茶おごり帰り来る。(※省略)

4月3日
7:00さめ7:30起床。8:30朝食。東京新聞に中山太陽堂80周年の全面広告のりをり正子生を憶ふ。
無為にて待てば13:00日比野(旧姓坂)泰子2児つれ来り、ややして菱川(旧姓山野井)秀子も2児つれ来り、16:30まで4児出入りし騒ぐ。
(※省略)

4月4日(日)
7:00起き、雨止むも礼拝休み10:00杉並局へ速達出しにゆく(能勢正元へのハガキも投函)。
(※省略) 「Tungus辞典」の訳をし始める。分類はあととす。
小倉君より電話「来訪」とのことに「水曜15:00」といふ。ユにきけば「躁のとき連れ帰りし」由。

4月5日
8:00覚め下痢、腹痛す。(※省略)
宮本正都氏より「摂南大学に就任」と。彦根より3回目の転任なり。
「Tungus辞典」で目疲れ下痢はせぬも腸悪し。
夜、吉岡君に電話し、大球会の呼びかけやり直しをたのめど返事危ぶかりし。
仙台の京より電話20:00あり。

4月6日
4:00さむ。5:00起床。腹鳴る。8:00吉岡君に電話すれば「事務引受くも督促状はあなたやれ」と。「書類送り返せ」といひて仕方なしとあきらむ。
10:00麥書房に電話すれば「8日出来、9日来て発送せよ」と。「午后ゆく」といふ。
疲れしも眠れず「Tungus辞典」もやれず。(※省略)
13:00出て成城大学、(※省略) 文化史研究室のぞけば青木生、副手としてをり紅茶出してくれタバコのましてくれる(禁煙なり)。
民俗研究所にゆき茂木夫人に紅茶のましてもらひ柳田翁の話す。
帰れば畑女史より電話、(※省略)
辛島驍の息子より「けふ来る」と電話ありしにユ「あす」と返事せしと。
河野家に電話すれば娘出し故「字引買ふな」といふ。

4月7日
7:30さめ9:00起床。(※省略)
野田宇太郎全詩集刊行会より「(※出版記念会)3月20日」と「欠」の返事す。
(※省略) 吉岡氏より速達にて大球会の書類来る。
15:30辛島静志君来り眞浄寺より向丘の大谷会館にあり辛島驍博士の令息ではなしと。筍飯拝みて帰りゆく。
大球会あすやるときむ。

4月8日
大球会の書類作り投函(約半分)。14:00出て麥書房にゆき16:30印刷所より来りしを見る(※『田中克己詩集自選自筆1932-1934』)。
まあまあの出来なり。2冊もちて出、喫茶してのち小田急、地下鉄にて帰宅。

4月9日
雨止み暖し。午前中に大球会の仕事了へ佐伯にてシンチンガー『現代独和辞典』折から来ゐし配本屋にたのみ(10日位かかると也)、帰宅。
東京都知事より「去年600万以上の収入ありしゆゑ老人医療出来ず」と。
17:00近く麥書房、特製本と普及本10冊もち呉る。
大学へは午前中もちゆきくれ大槻女史くばり了へ、栃尾君より礼云はる。
17:30山住dr.にゆく。血圧125-80老人医療きかず実費とりたまへといひ1冊進呈すれば令息(※山住正己)読まんと也。
(※電話するも)西川は留守、小山正孝君も帰らず高橋君のみをり「5日熱海に来る。1万円1冊とりのこせ」と也。

4月10日
16:30麥書房来り、まだ全部ではなく正誤表刷り呉る。一盃飲みて去りしあと丸重俊17:20来り(※大学へ?)30冊ほど持ちゆけば1回より(男2)5回まで全部と、今年3名にて中に柳田、正岸(旧姓)をり、殆どわからず、20:00近く礼いひてすむ。丸、東高円寺まで同行、つひに結婚せざるらし。

4月11日(日)
7:00さむ。ユ聖餐式当番とて8:00前出てゆく。竹森先生への献本第3号(普通版)なり。
転会、信仰告白、説礼あり。3階にてイースターの茶会。竹森先生へ献本し、甥、成城高校の国語教師になりし人に紹介さる。
(※省略) 15:00瀬見氏来り特製本1万円にて買ひゆく(NO.4)「戦友」と署名し気の毒なり。新聞見れば小野勇氏死にしと也。

4月12日
8:00起床。近畿大学に銀行番号かき、山住dr.にゆく。低血圧なり。正誤表送り老人診察権なきをいふ。
〒にてNo.1神田先生(※神田喜一郎)に送る(300)。ユをして西川(※英夫)にNo.2送らしむ。
午后高円寺へとゆく途、プティ・パレに寄り福地、村上2女史にNo.5,8贈る(1万円本(※特製本))。
瀬見氏不在、わが本売れずにあり。15:00麥書房来り48万円(足らず)を受取り、のこりまたといひて去る。
「Tungus語」も進まず。上村肇氏より「静雄と与重郎」かけと。「かけず」と断りのハガキかく。
京より菓子着く(仙台市新寺小路マンションファラオ)。兼清君よりこの間の19期会の通知あり。彼も退職と。
夜、井上靖、大岡信2氏に送りのハガキかく。仙台に電話かければ健太郎出て賢し。

4月13日
7:00起床。8:00朝食、朝食、9:30出て成城大学。正誤表大槻女史にたのみ青木副手に10冊わたしてのち、高田瑞穂に1冊届け署名す。
「名誉教授はダメならん」と我いひし由。夫人娘ともに留守とて「待て」といへどきかず(※退去)。
駅前にてハムサンド(500)にcoffeeつきすまして帰宅。
村山氏より「大球会の通知御苦労」とてすみし。あす詩集1冊送ることとす。
「Tungus語」に精出すは老化防止と知る。(※省略)
池辺、宮崎2氏より礼状。「いづれ読む」とならん。古谷(旧姓森40口)夫人より「読みし」と礼状。
(けふ井上靖に特製No.2、大岡信普通No1.贈る)。

4月14日
7:00覚む。10:30紀要の校正来り、直し註にて大変。早速やり筑摩出版部に書留速達。
村山高氏に普及版送り、西川満氏に特製版No.5受付留守とて置き来る。
(※省略) 末富氏にゆき3目置いて碁打ち1番負けとして帰宅。(※省略)

4月15日
8:00よりうつらうつらしをれば8:30西川より電話「坂井正夫、田代さんに3,500送らす」と。
下痢。大雨。15:30電話小山君(※小山正孝)よりかかり「1時間半して来る」と。
大雨の中、土産もちて来り、わが本2冊にsignさし、特製本No.7喜びて持ち去る。
「21日総会」と教会より我とユに通知あり。(※省略)
21:00天皇フランス大統領ミッテラン夫妻を饗するさまをtelevi放送す。

4月16日
6:30覚め7:30朝食とる。けふ来ると思ひし花井夫人来ず。
大藤時彦氏に並製No.2、河村純一dr.にNo.7、藤野一雄君にNo.8送り「3,500送れ」とのハガキかく。
河野夫人に『シンチンガー独和辞典(2,900)』と西川満『日蓮と人』とを送る。
何もせず11:00出て地下鉄にて山王飯店にゆく。花井夫人より先に星野夫人来りをり、岩崎、久賀谷(水戸)、清水、田中、藤井、藤田、星野、南村、森田、安田、和田と12人集まり、三治、桝田、道下3夫人は仕事病気にて来られず。11冊詩集もちゆけば5万円呉れし。
料理は旨からず15:00までとのことにせかして散会。(※省略)
帰宅して食欲なく20:00茶漬食ふ。和田夫人より長い電話ユきく。

4月17日
7:00起床。朝飯食ひ軟便。外出せず。青木副手より「戸口教授詩集ほしがりをり」と。「送る」といひ「Tungus」もやらず豊田久男君より「重鎮の語源」と竹田誠伍君のclass雑誌にのせし「野球部の憶ひ出」来り「のせよ」と。(「のせる」と返事かき、未亡人にも許可を乞ふハガキかく)。
西山博士と森岡博士より受取(誤植教へらる)。
堀内君より「小山氏と仲直りした旨、電話あった」。
『浪曼』の「保田與重郎追悼号」来り、われの著書表のす。
(※省略) 夜、保田悠紀雄に電話すれば節夫人出て「本借り思ひ出してゐた云々、太田の柏原家の出が典子夫人」と。
悠紀雄も出て埒明かず(けふ17:00川久保来り『李朝実録』よみゐる。シロコゴロフの辞典はその内と)。

4月18日(日)
9:00起床。ユも遅れて覚め礼拝欠席。10:30〒へ戸口幸索教授へ1冊送り、(※省略)
「珈琲館」にて140のアメリカンコーヒーなるもの飲み封筒10(600)買ひて帰宅。
吉越笑子生「13:00来る」との電話に待てば来り声迹見す。(※省略)詩集No.99与ふ。
1時間ほどして帰りゆきしあと「Tungus」ちょっとやりしのみ。

4月19日
7:00起床。神田喜一郎先生より田中克己宛「「支那」以下熟読」と。
大岡信、登張正実氏より礼状。(※省略)
昼食後、野崎、鍛冶2女史に特製9,10を送り、瀬見氏に「20%渡す」といひて普通版の置き所かへさしプティ・パレに寄りて日本茶のみ、(※省略)。
「Tungus辞典」aまだすまず。
(保田典子夫人に「歌うましも哀歌にて気の毒」とハガキ投函「柏原のおまんさん心当りあるや」とも訊ぬ)。
(※省略) 村上氏、福地女史と来り、1万円と菓子賜ふ。あとあぢ悪きことばかり也。

4月20日
7:00起床。坂内明子へ卒論送りしが行方不明と帰り来る。
昼食後中山正子生と前田男爵とに詩集送る(中山生には1万円送れと也)。
ユ印とりに三鷹へと出しあと弓子来り、pãoもち来りしを食ふ。
義姉癌にて危篤の見舞の帰りと也。1万円の本与へる。(※省略)
松俊夫、山田俊雄2旧同僚より「詩集受取った」と。(山住教授と途で遭ひ「詩集のこと云々」と)。

4月21日
よべ22:00床につき名誉教授につき一寸考へ、西山、山田2教授の礼状来りしを吉兆と考へねつく。
6:30目ざめる。坂内秋子(※ママ)のadress間違へをりしを再送付、
石井正吉君に「詩集要るや」のハガキユに出さしむこととす。
午后ユの留守に末富家へゆき碁3目どまり将棋引分けとなる(始めてのこと也、王、双方とも敵方に入る)。
夜食すませしところへ都留生来り、写真帳くれ朝早やしと早々帰る。
22:00野崎その夫人より電話「8冊くれ」と。「特刷18冊にてもう鍛冶さんと汝とにて売切れ」と答ふ。

4月22日
6:30さめ雨音きき曇となりしも不快。河村純一先生より「茂吉より文明好き。金は別便」と。
藤田幸子夫人より礼状。川野直美より「シンチンゲル受取った」と。
昼食後、3人に詩集送りにゆく(築島博士にも同)。
そのあとプティ・パレにゆき福地、村上両夫人に礼いふ。退職の祝となり。
帰れば藤井陽子夫人より受取り。藤野一雄氏より「受取った。金送る。もう1冊女詩人に云々」。
西川満教祖よりも受取。(※省略) 戸口教授より受取。
(けさ西川(※英夫)より田代氏も買ふと。「1万円のはもうなし」と答へ「中公事業出版社長へ野球部の出版につき便宜はかれ」といへば「田代氏の知合なるも死にし」と)。
22:30石井正吉氏より「ハガキ見た。1冊づつ分けよ。28日来る」と。

4月23日
7:00さむ。「Tungus」2日間殆どやらず。ユの上野にゆくにプティ・パレにゆけば「退職のお祝ひ」と。coffeeなど値上げし若い娘を雇ふらし。
(※省略) 堀川、大藤2名誉教授より受取。
10理甲高橋宏氏より1万円を封筒に入れ「書くことなし」と。吉岡克己氏へ転送ユにたのむ。
(けふ山本みち子氏に1冊送り「藤野氏へ受取かけ」とのハガキ出す。柳田幸子夫人に1冊送る)。

昭和57年 4月24日〜昭和57年12月14日
25.0cm×18.0cm 横掛ノートに横書き


4月24日
10:00ユをして山住dr.にゆかしめれば筑摩の校正係来て紀要の註のdoubleしを取らしむ。
太陽神戸より田代氏と拓銀より高梨不二子氏1万円!
村山氏より「詩集受取った。京の味送った」と。東洋学報来り「1,750払へ」と。
中野清見より「北京へゆき竹内と我とを思ひし」と。(※省略)
岡一郎氏より「病気にて部生活も短く書く気なし」と断り来る。昨日の1万円と同じくいやなり。
プティ・パレにゆき福地女史に物いはれしもいい加減にせしところへ鈴木写真館来り早々逃げ帰る。
夜、日記帳みつからず。ふしぎなり。
(浦和より宮崎智恵女史電話かけ来り「三鷹の家建て直し」と。「この間、保田典子夫人に会ひし」と。「歌旨し」といへば「同感」と。)

4月25日(日)
7:00さめ20分前につき讃美歌うたへず。先生の老いたまひしを嘆く。(※省略)
夜、高梨不二子氏へ礼状かく。村山氏よりちりめんじゃこ来り、竹田夫人の原稿同封しあり。

4月26日
8:00起床。頭働かず夕方までに田代氏ほか3冊送らしめ村山氏に礼状と田代氏へ送り状。高梨夫人に「白楽天要るや」など書きユに投函せしむ。
(※省略) 『アンドロメダ』来り『西川満全詩集』の礼状にわが「詩集送る」とあり。
(※省略) 夕刊に「大東塾塾長、不二歌道会主催長谷川幸男君膵臓癌で逝去66才」とあり。

4月27日
6:30起床。7:30ユを起し8:00朝食、旧姓長屋夫人よりこの間の礼の電話あり。
成城学園より「会に出よ」と!
築島博士より「講師として出講か、帰り新宿にて会はん」!と。
(※省略) 筑摩出版の白髪の人15:00来り、髭そりて会ひ、註ごまかす。(※省略)

4月28日
曇時々雨。13:30石井正吉氏来訪。特製並製1冊づつ買ひ、色紙2枚書かし、各地で買ひ求めしわが書に署名ささし14:30去る。(あとにて紙包みあければ2万円ありし)。
われすぐ末富邸へゆき碁打ち4目となりて帰宅。
前田隆一氏より受取。中山正子より「送金した」と。
(※佐々木邦彦未亡人)佐々木富子夫人へ「老病外出せず」と書きしハガキ投函を石井氏にたのみし。
弓子の「義姉癌にて入院せしが逝去」と。(※省略)

4月29日
天皇誕生日。曇時々雨。家居。「明代の死刑」のせし『成城文芸99』来り、誤植見つく。
けふ勲三等羽田明、笹渕良一博士(79才と)ら貰ふ。

4月30日
村山氏より速達にて安藤徳夫君未亡人治子(12回理丙)の原稿つき岡一郎氏の件心得たと也。
野崎その夫人より1万円同封の菓子着く。(※省略)
夜、中野清見、野崎その2氏にハガキかく。

5月1日
曇。午前中4冊送り、ハガキ2通投函。浅沼教授、山本みち子(『東京四季』同人)より受取。
太陽神戸銀行より鍛冶さんの1万円入金通知。
15:30堀内君20冊もち来り、茶ものまず、小山君喜びし話し、立原の手紙のりしといふ『達治・道造集』(※角川書店『鑑賞日本現代文学』第19巻)を検せしむ。
ユひの去りしあと帰り来り中島圭子生よりの受取来りしを見す。

5月2日(日)
6:30さめユ、聖餐式係として8:00前出てゆき我9:34に乗り礼拝にゆく。
帰り古本屋見てまはりユの13:00帰宅を待ちて昼食。
連休に任もなきもユ、けふも花描きにゆき16:00帰宅。

5月3日
8:30さめ9:00朝食。祭日なるに郵便来る(石井正吉、鍛冶初枝2氏より受取)。
ユ荒れる。夜、高橋重臣氏より電話「7日夕食して来る」と也。
(咲耶来り、母を建に会はさんとせしもきかずと)。

5月4日
曇。暖し。2回に分けて詩集送りすみ、栗田で『李白(前野直彬)100』買へばdoubleをり。(※省略)
菖蒲(100)買ひ来て入浴し、夜23℃といふに寒し。

5月5日
9:30さめ10:00朝食。プティ・パレへゆけば娘1人、客は我1人、すぐ帰り昼食せず。
末富邸へゆき碁4目にて2番勝ち将棋負けて帰る。「Tungus」ちょっとやり眼疲る。
けふ予報通り久しぶりに晴。驟雨ありし。

5月6日
よべ睡眠不足、曇。午すぎプティ・パレにゆけば福地夫人あす早出して来ると。
16:00鎌田女史より電話「病気にておくれた。けふ教授会に貴下の名誉教授提案、通りし」と。
19:00西山博士(※西山松之助)より電話「全員賛成して通りし」と。
恰も大学院の入試手当7,000三井に入りし也。

5月7日
9:00さむ。伊藤博之氏より礼状。21:00高橋重臣君来り、酔ひをり22:30まで話し、われ眠くなる。
(福地夫人14:00来り菓子くれ、本よめずと帰りゆく)。ユ、体悪しと。

5月8日
9:00さめ高橋君11:00まへ去りゆく。(※省略)
ユ画にゆきしあとプティ・パレにゆき昼食。
瀬見氏来り3,500×0.8呉れる。(※詩集の)買ひ手は40才位の男なりしと。
ユ体悪しとて不快。(藤野一雄氏より「山本みち子氏の詩集送りし云々」。)(※省略)

5月9日(日)
8:30さめユの礼拝にゆくを見送る。今井翠来り「美紀子遠足の帰りに来る」と竹の子置きゆく。
51:00弓子、孝行つれて来り、1時間半して帰りゆく。
19:00美紀子より「来られず」と。熱海の高橋君より電話、詩作の年代について也。

5月10日
9:00朝食、ユ山住dr.へゆき健保満期とて10万円入る。
柏井へ歯治療にユ行きしあと太陽神戸銀行より「藤野氏より入金」と電話。
末吉栄三(※中学教へ子)より「八尾東高校長定年、関西女子短大付属高校に勤めし」と。
ユ疲れて昼ね。プティ・パレにて茶のみ帰宅。

5月11日
8:30朝食、ユ歯と銀行にゆく。(※省略)
佐伯休みをり『流れる星は生きている(中公文庫)』買ひ、echo20箱買ひしのみ。

5月12日
よべ21:00就寝。早くさめ8:00朝食。石川弘義教授より「坐右の書とす。代りに本贈る」と。
築島博士より「体を大切に」と。ユ、山住dr.、柏井歯科へゆき12:00すぎ帰り来る。
末富氏(※省略)魚もちゆき碁、将棋す。
ユ血圧やや低きも疲れとれざる様子。「Tungus辞典」やっとBに入る。
20:30坪井(※坪井明)「夫婦にて上京、勲4等もらふ」と也。

5月13日
5日間暑し。猿股一つでね、早くさむ。村山氏より上野照夫夫人の原稿来り、石川弘義教授より『石川弘義のベストセラー大百科』来る。

5月14日
「Tungus」ちょっとやりしのみ(石川氏へ受取)。夜、久しぶりに雨降り、涼しくなり電気ブトンを用ふ。

5月15日
晴。7:00前起床。「Tungus」ちょっとやり柴田美智子より受取見て高円寺。
『白川静博士古稀記念中国文史論叢(1,000)』買ひ、瀬見氏とちょっと話しプティ・パレにて茶のみ帰宅。
ユ16:00帰宅。4人にて画室満員なりしと。

5月16日(日)
ユ礼拝にゆく。われは無為。午后、史来り詩集と「明代の死刑」もちゆく。夕食を美紀子買へば4,000円と。

5月17日
午前中プティ・パレにゆき山口翁と話す。体中痒くユ山住dr.より薬もらひ来る。
吉岡克己氏より原稿と入金の表来る。

5月18日
昨日の薬よくきき午すぎまで朦朧。花井夫人三治夫人とあす午后来ると電話、ユ勝手に「よし」と答ふ。

5月19日
昼食する内、花井・三治両夫人、昼食もちて来り、ユ食ふ。
詩集2冊買ひくれ、我ものいはず14:30碁打ちに末富邸へゆき4目となる。将棋も負け帰ればユ、2夫人と外出。夜、高群逸枝よむ。

5月20日
7:30起床。ユ教会の婦人会にゆく。われ石光眞清よみ「Tungus」やり、花井夫人に電話して礼いへば「姑入院」と。
(※省略) 新潮社の小島女史より「保田與重郎かけ」と。「来月20日」にといふ。
(※省略) 市井社より「雪よりも白く」のりし雑誌(※『近代風土』)来る。体重40キロ、食欲なし。

5月21日
7:30起床。「Tungus」ちょっとやり、佐伯にゆき「詩集売れず」ときく。
午后高円寺にゆき瀬見氏見当らず店内に入らず。プティ・パレにゆき歌人大学生に茶出さる。(※省略)
けふ宮本馨太郎氏の本来り、『成城学園報』来り「大山学園長やめ平教授になり安藤学長、代理となりし」と。わが名誉教授のおくれもそのせいか。

5月22日
3:00さめ眠れず(よべ22:30臥眠)。江沢敏にハガキ。佐伯にゆき佐伯にゆき、3,900の本買ひ「詩集売れず」ときく。
14:00河野夫人、栃尾教授を案内して来る。「大山俊一博士重病。名誉教授まちがひなし」と。
河野夫人に1冊買はし、高見山の勝つを見る。(※省略)
(国学院大学法学部教授向山寛夫博士より「杜甫ならびに2子の墓は1680年以降鞏県にあり」と。わが『杜甫伝』の「平江県の墓・子孫は娘の後裔か」と)
吉岡克己氏に順調といふ。ユ仙台に電話すれば健太郎出て京よりも長く話す。(※省略)

5月23日(日)
ユゆふべ云ふこときかず。0:00前、眠剤足してのみ8:00起き礼拝にゆかず。(※省略)
「Tungus」ちょっとやりしのみ。フォークランドに英軍上陸らし。角力終り高見山9勝とて喜ぶ。

5月24日
けふは7時間半眠り「Tungus」やり、プティ・パレにゆき佐伯に寄り鶴見和子『南方熊楠』買ふ。
健康保険料年40万以上といふにおどろき、瀬見氏に「製本やめた」との電話す。(※省略)
けふ午食前プティ・パレにゆき中山翁(74才)に「男女7歳にして席を同じくせず」の席の講義をすれば感心さる。
(※省略) 「杜家村」につき国学院大向山寛夫法博に「湖南に残りしは男系」とかく。(※省略)
televiに東洋文庫増築の会あり、榎見え田中正俊「国庫より補助を」と訴ふ。可笑。

[5月25日](※日付不確か)
8:00起床。(※省略)われ15:00高円寺へゆき「岩波文庫」見しもなし(『米欧…記』)。
瀬見氏誘ひて喫茶。おごる。帰り裸本売る学生あり古本屋とりあはず森亮『白楽天抄(東洋文庫)400』買ひて帰る。
(※省略)(川久保に電話して「名誉教授になれたらしい」といへば「丹波と祝せん」と。早々に切らる。)
坂口允男氏より「1冊呉れ」と。

[5月26日](※日付不確か)
8:30起床。ユ歯直しに柏井へゆく。坂口氏へ1冊送りあと1冊となる。
プティ・パレにゆき嬢に茶出されしも14:00の映画見ると帰宅。
「Tungus」中止。『蘇東坡』書くか中国語辞典やるか決断つかず。
夜、宮崎部長より電話「名誉教授決定」と。礼いふ。
筑摩の松田森氏に電話し「来月野球部史まかす」と。喜びて「吉田氏と2人が係り」と。「あなた来月たのむ云々」。

5月27日
末富氏より土産もらひ、碁のこといへば工事中だめと。(※省略)
村山高氏より「出版社きめたか、写真集まったか、6月末締切にせん云々」。

5月28日
8:30起く。(※省略) 13:30戸田画伯のためユ出てゆき、われプティ・パレへ『ロシア語』もちゆく。
向山博士より「中国外貨獲得のため懸命」と。わがハガキあまりよまざりし様子。
成城大学総務課より「6月3日名誉教授の会のあと会食あるらしき様子」。
沢田四郎作博士の本よみなどして夜となり、(※省略)

5月29日
8:30さめ新見敏男氏より1万円と原稿受取り仁谷正雄氏より原稿送ったとのハガキ見てプティ・パレ。
(※省略) 15:30出て高円寺。山水書房にて『内山完造伝』買へば100円負け900円として呉る。
瀬見氏をらず悠々と歩き16:30帰宅。(※省略)

5月30日(日)
7:30起床。ユ8:00前出てゆく。9:00まへ美紀子より電話「母倒れた。見舞にゆく。金ありや」と。
(※省略) 佐伯にて『日本語と朝鮮語』買ひ、家に4版あるを見、(※省略)
美紀子16:30来りしに10万円渡し1万円はお見舞といひ、建のことも話す。(※省略)
夜、保田悠紀雄に電話し「史は役人」といふ。ペンテコステ無事すみ「Tungus」またやりたくなる。

5月31日
久しぶりにて雨。美紀子7:00出発せしならん。(※省略)
プティ・パレにゆけば嬢、茶出す。「福地夫人は忙しくて土曜のみとなりし」と嬢。
神保光太郎の詩碑建立の一口1万円と。午后新城常三博士より大著『新稿社寺参詣の社会経済史的研究(2万円)』来り、篠原全一氏より『歌日記』来る。夜、史より電話「松浦母上危篤らし」と。(※省略)

6月1日
9:00起床。雨。篠原全一氏へ「酒のみに来たまへ」と受取かく。史、夜をらず娘と淳一とにて飯作ると。
今井家より「母危篤、帰らず」と。あす碁出来ざることわかり安心。
(佐伯へゆき清水安三『北京清譚(後付けなし400)』買ひ来り読み了る。桜美林大学学長のキリスト教者の一代自伝なり)。京にユ、電話す。

6月2日
8:00さめ8:30起床。(※省略)
坂口允男君より3,500円と「読んでゐる。定年まで50年勤める。堀内君の歌誌を督しをり」と。
プティ・パレにゆき山口翁と話す。「400坪以上の土地もち、ひまには九州へもゆく」と。羨ましきこと也。
15:30「流れる星は生きている」「億万長者令嬢誘拐事件(洋画)」televiで見てのち高円寺にゆき散髪。
瀬見氏に喫茶さそひしもやめ山水書房にゆき韓国人の美人の奥さんと話し山田俊雄氏編『古語辞典(600に負けくる)』買ひて帰宅。
ユ、史宅に度々電話せしも出ず。(※省略)

6月3日
0:00すぎ1服よけいに飲み、9:30さめ朝食とりしあと10:00出て10:30成城大学着。
11:25学長室へゆき堀川博士来るを待ち、名誉教授の称号受け、ついでhyreにて西洋料理店へゆき饗応受く。
堀川博士と我とも一人酒のまずbeer一口にて乾盃。宮崎新学部長乾盃の音頭とる。われタバコのまず、安藤学長(学園長代理)73キロに減りし話きく。(※省略)
13:00すみて2台の車となり、(※省略) 佐伯休み、プティ・パレにゆけばあきちゃんお祝として茶代とらず、可愛し。
(※省略) 18:00史宅に電話すれば雅子出て「ユ、今出し」と。18:30帰り来り、飯くはす。淳一剣道部にて雅子より身長大きくなりしと也。

6月4日
9:00起き朝食9:30すみプティ・パレへあきちゃんにと本2冊もちゆく。『武蔵野』奥さん喜びて受取る。
12:30昼食すまして出、(※省略)学士会館へ13:15つき、待てば吉岡君来り、わが立替18,550と。原稿もう一杯なれども少し待つこととなり安達遂氏と握手(お茶おごらる)。
山本書店へゆけば『白楽天』売切れ『中国の自然と民俗』は売れ残りをり。實君をらず、(※省略) 新高円寺下車。山水書房へゆけば主人1,200の本を1,000にして呉る。
『ちくま』来り『保田與重郎選集』を古本屋求めをり。
ユ、依子に電話すれば「建40キロとなりて退院、明日出社」と。

6月5日
3:00さめ9:00起床。11:30プティ・パレにゆけば夫人「嬢に会はざる故『武蔵野』などわたしをらず」と。
いつもの山口翁(74才)と話し12:30帰宅。
日ソvolley-ball見しあとタバコ買ひに高円寺、山水書房のぞき帰り来る。(※省略)
「西脇順三郎博士逝去88才」と。このごろ前よりありし本よみみな面白し。

6月6日(日)
よべ21:30就寝、9:00近く覚め朝食、夫婦とも礼拝休む。
12:40昼食すみしところへ「田中」と栄太郎夫婦来り「とく叔母死に久美子浜松にあり」と。1時間ほどして帰る。
プティ・パレにゆきしも村上アキをらず、女子大生一人でやりをり15:00山水書房へゆき『部落の歴史と解放運動(1,000)』見つければ夫人100負け呉る。
echo1箱買ひて帰宅。18:30克次朗、孝行の2人そば饅頭もち来り、ユ1,000やれば喜びて帰る。(※省略)

6月7日
2:00眠剤追加8:30さめる。頭痛ややあり。朝食米飯。
「花井稲子逝去、喪主孝」と東京新聞、タヅさん楽になりし也。琳琅閣へ11,530振替かく。ユ出しくる。
我終日臥床、夕方、伊藤賀祐より1万円同封の現金封筒にて原稿来る。受取かく。(※省略)

6月8日
よべよくね、古本屋の広告3通来り、『狐の詩情』出をり珍し。シロコゴロフ3冊ともにあり1万何千円と様々なり。『李太白』も出をり。(※省略)

6月9日
8:30さめ無為。(※省略)
16:00伊勢すみ江夫人より電話、2時間して来り、祝返しに(潤子)博多の角帯くれ早々帰りゆく。
けふ碁呼びに来らず助かる。福地邦樹君より『海峡』来り、topに詩のせ彦根の宇田良子夫人の詩ものせ、小高根二郎「保田と岡本かの子」の恋愛かき保田の選集古本にて高価とかく論をものす。

6月10日
退職金には非ずbonus947,700成城より来る。
プティ・パレにゆき山口翁まてども来らずアキ嬢本の礼いふ。(※省略)
John Wayne一昨年の6月11日死にしとて21:00より(※televi)見る。
(美紀子より電話「史、東京国税庁総務部長に内定、母は代る代る娘たち看護、東京に引取るつもり」と)。

6月11日
よべよく眠る。体重41キロ。散歩に出て末富さんに会ひ(※省略)13:30末富さんに詩集もちゆき碁将棋ともにボロ負け。ついで高円寺。
瀬見氏より『昭和20年8月20日(500)』買ひteaおごり呉る。
大石書店で『白楽天(50)』買ひ山水書房に与ふ。帰れば市井社より3,000来り、藤沢桓夫氏より「おくれた。6枚となった」との原稿来る。 (※省略)

6月12日
2:00ごろ乗杉翁つひに死すと(84才)。われわれ3:00眠剤足せしも1時間ほどしか眠れず。
9:00起床。朝食すましユより「苑子呼ばれし。5,000円を香奠に」ときき(※省略)
藤沢桓夫氏へ礼状かき投函。
苑子外に立ちをり「月曜友引にて火曜葬儀」ときく。(※省略)
ユ、疲れて眠りをり。我、癌のJohn Wayne見ることとす。

6月13日(日)
よべ2服のみしもねつき悪く夫婦ともに礼拝休む。午后プティ・パレにゆきアキちゃんに藤沢桓夫氏の原稿copyたのむ(30×6)。
coffeeのみ冷房に閉口して帰宅。光化学スモッグ警報出てをり。眠きも荻窪まで散歩ときむ。
岩森書店の息子、われを覚えゐて神谷忠彦『保田與重郎論(1,000)』呉る。
隣の竹中書店『日本語の起源(900)』売りをり。こは方言より起源を探らんと也。
(あすよりともあれ保田與重郎を書くつもりとなり。)(※省略)
藤沢桓夫氏に電話すれば「留守(東京の田中)伝言承知」と。

6月14日
よべも追加のみ9:00起床。9:30朝食了へ藤沢桓夫氏へ詩集出しにゆく。
途中、弓子の子3人に遭ふ。(※省略)宏一郎に1,000やれば喜ぶ。けふより梅雨入りなり。
與重郎のこと(大和の)書かんとするもよべの睡眠不足と寒さのためできず。(※省略)
21:30安達氏より電話2回「23日11:30学士会館にて村山氏と会合、決定せん」と也。

6月15日
(※省略)9:00起床。9:30朝食。11:00となる。福地邦樹君に詩集送りに高円寺南〒にゆき山水書房主人に荻窪の岩森本店に電話してもらひ(けふ休業と。支店の本とりのけおくと也)14:00帰宅。
14:00帰宅。午食し23日15:00より3,000にて苑子夕食して呉れることとなる。
成城大学より「7月1日17:30京王プラザホテル2階和食あしび」にて文芸学部懇親会に出欠問ひ来り「出席」と返事す。
保田の『R火』時代書き200×29とせしも書き直し必要。

6月16日
よべ眠剤のみユと同床、追加の眠剤のみ9:00起床。「午后15:30より来い」との末富翁の電話受け、(※省略)
「保田與重郎」よみ直し書き直しを決意し眠くてたまらず夕食18:30とりしところへ都民銀行阿佐谷支店の市川功監査役来り「加藤貞雄と同級」といへば「私の姻戚」と。(※省略)

6月17日
よべ入浴2回。眠剤足してのみ9:00起床。プティ・パレにゆきアキ嬢「短大卒業」と1人でやりをり。(※省略)
瀬見氏留守にて(※省略)、高円寺の古本屋みな温泉へ芸者買ひにゆき、山水書房は休み。
新潮社の女史より電話ありしといふに21日出来といへば喜ぶ。(※省略)
われ長尾良夫人に電話し去年の桜桃忌の話し「またおこし」といへば「来る」との挨拶。(※省略)
けふ私学共済より4〜5月分(178,000×2)来る。

6月18日
よべ0:00再入浴。1服眠剤足し9:30起床。朝食し11:20プティ・パレにゆき(※省略)
村上夫人から小言いはれ「福地夫人とは日本画の友、彼女の裸婦はモデル」ときき、(※省略)
愚本3冊買ひ瀬見氏より本代550もらひcoffeeおごり帰宅。14:30午食うまく食ふ。
(※省略)けふ吉祥寺教会より「月額の5倍をトヨ牧師の慰労金の半ばとしてXmas前に出せ」と。(※省略)
Argentine敗戦にて大統領辞任とnews。

6月19日
9:00さめ10:00朝食とり12:30美紀子のもち来しすし食ふ。(※省略)
「建の病状ほぼ伝はりをり」とユの話。プティ・パレへ2回ゆき茶のみ福地夫人に戦中のキリスト教徒の抵抗かきし本やり、美人画の本貸す。
夜、ライシャワーの中国訪問きく。夫人は後妻にて松方公の血を引くとユ説明す。

6月20日(日)
ユ礼拝にゆく。我プティ・パレに2回ゆきしのみ。保田のこと旨く書けず老いたり。
17:00弓子、孝行と来り23,24日の「夕食承知」と。われにステッキ用傘呉る。老人の日なればなり。(※省略)

6月21日
7:30我さめし直後魚屋来りユ起床、ことわる。ユ昼食時帰り来る前われ「高校生の保田」かき15:00来る新潮社の小島喜久江女史まち、(※省略)
小島女史道忘れしと14:00来り「原稿ひとまづ拝見」よければ「『コギト』時代の保田もかいてもらふ云々」、詩集1冊もち帰る。
20:00仙台より電話、ユ「22日上野発の特急でゆく」と返事す。
われ3日間の食費と小使ひと9,000もらひ23,24両日の夕食は三鷹でとす。

6月22日
8:00さめ9:00朝食、ユ昼食にさばずし買ひ来り、11:00上野へと出てゆく。
(※省略) われ高円寺。山水書房で『美人画の書き方(700)』買ひ、(※省略)帰宅。
(※省略) televiによればけふ夏至と。夕食またpão食ひしもbutter見つからず。
久々に妻ゐぬわが家なすすべもなくてテレビを全開しをり。
20:00ユ仙台より電話「butterは冷蔵庫にあり」と。

6月23日
ユのゐざること忘れ9:00すぎさめ、パンbutterなしで食ひ、高円寺で散髪し学士会館へつけば一番。
(※省略) 村山高氏と別れ山本書店へゆき蘇東坡やめるといへば、きかれず。
15:00帰宅すれば平凡社より電話。「明日来る」とのことに「14:00来れ」といひ17:00出て小林家へゆけば腕時計1時間遅れをり。
野菜食ひ、孫たちに1,000づつやる。克次朗、孝行2孫駅まで来しゆゑ200づつやれば喜ぶ。哀れなり。
20:30入浴すませしところへユより電話「弓子心配しをり云々、あす帰らずとも良きや云々」。
けふ『民研紀要』5冊と抜刷30部来る。わが略歴はのらず。新城博士よき論文かく。(※省略)

6月24日
9:00さめ9:30紅茶わかしゐる最中、安達遂先輩より電話、(※省略)
12:00出てプティ・パレにゆき喫茶。帰りて『野球部史』の刊行の辞を代作し安達遂氏に速達出し一旦帰宅。
18:00まへ高円寺へゆけば瀬見氏不在。成城大飯店にて野菜麺食ひ、店主に「あす午食くひに来る」といひ雑誌2冊貰ひ(※省略)
帰りプティ・パレへまたゆき(※省略)帰宅。20:00入浴。
(けふ平凡社来り東洋文庫『大運行発展史』もちくれ「月末再来」と。「200pにてよろしく、3冊同時に出す。大体は向ふにて選ぶも80〜90首」となり)。

6月25日
よべ2服のみ22:00ねて10:00さめpão食ひしあとプティ・パレにゆけば掃除中。
成城大飯店へゆく途中、瀬見氏と話し大飯店にて焼き餃子(500)包ませ本を昨日の雑誌の礼にやり、プティ・パレにゆけば2夫人をり。(※省略)
帰宅すれば弓子をり(※省略)末富家、将棋で一番勝ちしのみ碁4目ムリとわかる。
ユ19:30帰宅。(※省略)健太郎、環境になれしも稲田哲夫帰宅0:00又は0:30と。
禎子オバアチャン云へるやうになり(※省略)
楊雲萍氏の「台湾史上的人物」ことづかりしと法政大学総長中村哲氏の小包。

6月26日
10:00近くさめ中村哲氏へ礼状かく。楊雲萍氏に礼状かき「詩集船便にて」と記す。
東豊に電話して聞けば「本局へゆけ」と也。「支那」もかまはずと。
ヘーグ国務長官辞任、米中関係に変化あるらし。(※省略)
『野球部史』大変なることわかる。(※省略)
ライシャワー「原爆は一発でよしといひし」松方ハル夫人の声もきく。

6月27日(日)
9:00さむ。ユをらず。10:00朝食、11:45までtelevi見、出て高円寺へゆく途暑さに羽織足袋ぬぎに帰宅すればユ帰宅しをり。(※省略)
プティ・パレにゆけば福地夫人をり。アキちゃんに茶注文せしあと家へ帰りて栗羊羹もちゆく。(※省略)
帰宅。Vietnam反戦運動televiで見る。戦死4万余その他1万名。
(※省略)ユ戸田画伯と銀座の個展にゆく。(戸田謙介氏老人無料の渋谷行busに乗り浅野晃氏宅へゆき帰りはいつも泥酔と)。

6月28日
8:00さめ眠し。(※省略)9:50山本書店に電話すれば實氏未出勤と。「来れば電話を」とたのむ。
(※省略) 山本實氏に「10枚送れ」といひ12:00プティ・パレにゆき中山君と歓談。
12:30帰り昼食後、高円寺に散歩にゆけば山水書房開きをり。『竹久夢二(600)』買ひて帰宅。(※省略)

6月29日
よべまた2服0:00すぎ眠り8:00さめ頭痛す。(※省略)
加福龍郎先輩より「発刊の辞」、山本實氏より「蘇東坡」10枚来り、No.のちがひ発見す。
訳まだ堅く売れざらん。川久保に電話すれば応答なし。加福先輩は話し中。(※省略)
13:00川久保にゆけば(※省略)この間東洋文庫にゆき榎に会ひて感心したと。久しぶりに彼の笑ひ声きき帰宅。
ちょっと休んで15:00電話に出ざる丸家へゆけば夫人も昼ね、丸の起床にひまかかる故Hope10ケ買ひにゆき思ひ出書き直す。
日蓮宗とのことに何とか入院すればと思ひしも「重俊このごろ孝行」その他をいふ故「みな死にし。ガンバレ」といひ夫人に「火事に気をつけたまへ」といひ18:00高円寺よりユに電話して帰宅。
『野球部の歴史』にて「明日14:00学士会館1階に」と安達遂氏に電話。吉岡君に同じ旨電話すれば「都合つけば出る」と。(※省略)
筑摩の松田寿氏「2日午前電話して来る」と。(※省略)

6月30日
2服のみて8:00さめ、ユにいはれて山住dr.の診察受け、脈搏125-80
「タバコやめます」といひて喜ばる。プティ・パレにゆき山口氏に『末摘花』托し、(※省略)
帰りて昼食にpão食ひ地下鉄にて学士会館。
我、最先に着き、茶おごり1時間にて編集会議了る。(※省略)また地下鉄、(※省略)
夜、禁煙もありて一向にすすまず。今夜より我は4畳半、ユは6畳と臥処入れかはる。寒きなり。

7月1日
16:00家を出て成城大学文芸学部会に招かれ17:00着き京王プラザホテル(※省略)
17:30よりの開会に最上席、高田老い、栗山「最後の仕事せよ」、山田「ツングース止めよ」などいはれて最先に出て帰宅。
茶漬半杯くふ。(※省略)

7月2日
よべ2服のみしも9:00さめ12:00プティ・パレにゆけば山口東一翁(74才)をられ『末摘花』さしあげ佐生夫人にも本2冊やり、
能勢より「原稿送りし」との電話に叱りつけ(筑摩の松田氏には「1週間まち」をたのみ)
14:00来る平凡社の人には来週水木金の3日13:00より16:00まで共にやることを約束し、(※省略 外池生)19:00ごろ阿佐谷駅より電話あり、
駈足にてゆけばwhiskyもち来る。(※省略)

7月3日
よべ23:00まへ眠剤のみ7:00さめ朝食。午すぎ田中栄太郎来り、殺虫剤ならびに噴射器呉る。そのあと末富家へゆき(13:40)碁・将棋し、
プティ・パレに福地夫人『竹久夢二』を与ふ。折あしく鈴木写真館をり、変なこととなる。帰りて野球部史の整理(※省略)

7月4日(日)
よべ22:00就寝6:00覚む。(※省略)8:30杉並〒へ安達氏あて吉岡弥之助氏の第1回生写真(能勢より来りし)を速達し、(※省略)
まっすぐ駅へ出、吉祥寺下車。coffeeとteaとにて時間つぶし9:30教会着。(※省略) 出て帰宅。
(佐伯にて『歴史読本8月号(350)』買ひ来る。300諸侯の維新の時の去就をしるしをり)。野球部史すみ、(※省略)
英文の泰斗斎藤勇先生(95才)狂気の孫に殺されしとtelevi、われその『杜甫』を引き『杜甫伝』送りしに礼状たまひしことあり。キリスト者なりし。

7月5日
6:00さめる。曇。朝食後8:00筑摩の松田寿氏に電話すれば「19:00に来る」と。(※省略)
楊雲萍氏へ成文出版社内にて詩集送りに杉並〒にゆく(770)。船便なれば安価なり。(※省略)
プティ・パレ臨時休業といふに、山口東一氏探して歩くも見つからず番地も不確かなり。(※省略)
中野清見より『いちのへ』10号来る。巻頭にわがこと書く。(※省略) 苑子呼び小せん祖母のこときけば「こはかった」と。
禁煙のためかおちつかず(※省略) 筑摩の松田寿氏19:30来り、原稿受取り(※省略)「組み見本見せるまで7-10日まて」と去る。(※省略)

7月6日
けふはNoelの如き心地して6:00さむ。ユもすでに起きをり。8:40成城に電話し青木副手に「常民文化紀要もち来れ、公用として」といふ。 返事ハイハイとのみ。
駅前〒にて諏訪に詩集送り、ハガキ4枚買ひ、佐伯にて本150にしてもらひて帰宅。(※省略)
(浜田青陵『橋と塔』見つく。裁断橋を記し中川瀬兵衛の小田原陣の時、子を失ひし云々)。(※省略)
新潮社小島女史より電話「編集会議の結果のせられずお返しす」と。保田全集出すつもりかどうか、悪口批判は喜ばず、われは史料を提供することとなりし也。
(※省略) 15:30高円寺へ散歩。川西奎之祐「一応退職61才」との手紙へ「元気で」とのハガキ投函。(※省略)

7月7日
雨降りをり。6:00覚め7:30朝食すむ。(※省略) 郭沫若の『李白と杜甫』の中、李白のところよむ(須田禎一訳)。
プティ・パレにゆき山口東一翁へとアキちゃんに「百人一首」托し帰らんとすれば、ユ恰も帰宅。
花巻の佐々木健司生より「高校の通信教育にて漢文も教へをり、花巻名産送った云々」。すぐ礼状かく。
平凡社来り、大沢氏も「7月末までに李白かく」との貴言に喜ばんと。Whiskyのみ名いはず。日記検すれば6月24日来し時も名を記さず。
「李白・酒」(※『天遊の詩人 李白』)よりはじめん。(※省略)
20:00安達氏より写真送り返さる。わが藤沢桓夫と思ひしはちがひをり。(※省略)
李白の「酒」書き直し、やっと「月下独酌1-3」すみ「冬夜酔」とせんとす。あすゆっくりとやらん。入浴21:30。ユ疲れて眠りをり

7月8日
よべよく眠り、さめて「李白・酒」書く。プティ・パレ村上夫婦にてやりをるを見、山水書房に「本注文してくれ」と云へば「いや」となり。
参って瀬見氏のゐるを見て立ち話して帰り来る。李白やっと200×41にて「酒」すみしか。
午后2人より原稿「会費は吉岡君に」とならん。(※省略)吉岡君へその旨報告す(電話にて)。

7月9日
7:00起床8:00朝食、プティ・パレにゆけば福地夫人をり。(※省略)
16:00筑摩の松田氏に「9pを10p(※10ポ活字)に組み替へるはいかに」と電話す。pageあまり少なしとのことなればなり。
変な世の中にてわが心配はみなむだ。全国区参議院比例制とすと自民党単独にて決定す。羽田明君より『中央アジア史研究』賜はる。
斎藤勇博士の孫「祖父殺害」の罪を問はれ75日入院を命じらる。キリスト者-教育者のほかわれは『杜甫』の著者として関係もつ。

7月10日
晴。「李白」一心にやり200×120とし、プティ・パレにゆき山口翁と遭ふ。福地夫人に本与へ、山口翁より荷風『四畳半』見たしと。「来週土曜午に」と約束す。
成城の照屋夫人より「青木副手には重すぎる」と『日本常民文化紀要8(1)』20冊賜ふ。西山博士画才あることを知る(茶杓を製する也)。
「朧頭」にて通すも「隴頭」と気づく。(※省略) ユあすトヨ先生追悼費出すと(5,000✕5)封筒にsignす。

7月11日(日)
7:00起床、8:00朝食すみ、西山松之助氏へ『紀要』の文につきハガキかく。出し忘れてユと1電車早く教会へゆく602番うたふ。むつかし。
すみて長島長老まち、さそひて喫茶、(※省略) 昼なにもせず眠くて困る。(※省略)
夜、諏訪澄より「詩集受取りし。トボ理科系へゆきたがるも南山大学にてはダメ」など長き電話なりし。
21:30川久保より電話あり、岩波シロコゴロフの再版を計画すと。「きみに任す」といひてすむ。

7月12日
よべ雨大いに降る。22:00眠り7:00起床、「李白」にかかる。午ひと休みにプティ・パレへ茶のみにゆき福地夫人に会ふ。山口翁けふは来ざるらし。
帰りて昼食すれば平凡社の久米旺生氏、原稿用紙多量にもち来り、暑き中を「また来る」と。
筑摩の松田氏より「あす10:00来る」と。折しも村山高氏より「60万までは出せ。君ひとりで出す必要なし。2万円は今までの費用か」と。
「あすまて。60万までは出す」とハガキかきユに投函せしむ。
けふはじめて冷房を我家にて動かす。20:30疲れて「李白」200×153にて止む。吉岡克己氏に電話してきけば(※省略)、
丸家に電話して重俊出て来し故「オヤヂ大丈夫か」ときけば「大丈夫」と。「一度来よ」といふ。(※省略)

7月13日
5:00さめ6:00朝食了る。「李白」162になりしところへ筑摩出版の松田氏来り(※野球部史)60万にては無理と。「ダメならダメといへ」と村山高氏のハガキ見せれば「再考せん」と。「早く返事してくれ」といふ(11:00)。
昼食後、高円寺まで歩き脳貧血起す。瀬見氏椅子出し相手してくれ14:00帰宅。
川久保「来て宜しきや」と電話、15:00来て「羽田の本、受取らず云々」大笑ひして去りしあと電話にて「来てをりし」と。(※省略)

7月14日
よべ22:00ごろ就寝7:00さむ。こはし。下痢す。こらへて「李白」182枚とし次は「友情」。(※省略)
末富さんより「13:30碁に来らずや」と。「ゆく」と答ふ。(※省略) 午后「李白」またやりをれば筑摩の松田氏来り「70p以上にしたく75万円はかかる。それ以下ならいや」と直言す。吉岡氏へその旨云ひ、村山氏にも電話することとす。
岩波の松前氏より「シロコゴロフ再版21日15:00川久保邸にて会ふ。(※省略)」
北沢元長老召天、今夜19:00教会にてお通夜、(※省略)
21:00村山氏に電話し「75万円いる。いま70万しか集まらず、あとわし出す」といへば「そんなこといらん。何とかする。大高の会は11月」と。
すぐ筑摩出版の松田寿氏に電話してその旨いふ。川久保に21日岩波の話すれば「その日は家内留守」と。「わが家でもよし」といふ。(※省略)

7月15日
7:00さむ。8:00朝食すみ筑摩出版の松田氏に見積書たのむ。ユ北沢佐雄旧長老の告別式にと12:30出てゆく。
われプティ・パレにゆけば福地夫人をりアキちゃんとともに我を警戒す。
帰りて「李白」つづけ220枚とす。ユ帰り来り、北沢氏昭和19年東京女子大教授として勲4等(※省略)
われこの前の発病の時以来ものいひ得ず。戦中の勲章はいかがなりしならん。(※省略)

7月16日
7:00さむ。下痢。(※省略) 松田氏来り75万円の見積書くれ「10月半ばに出来上る」とのことに村山氏へ速達(200)。
佐伯へ寄り『日本における朝鮮語の研究(2,500)』買ひ、(※省略) 咲耶より建の病状しらせ来り、仕方なく見舞かき1万円送ることとす(ユにたのむ)。(※省略)
平凡社久米氏より「李白」につき聞かれ、書きゐるといへば「月曜来る」と。

7月17日
7:30起床、雨。「李白」女の部かき12:00。プティ・パレにゆき山口翁に本貸したのみて帰宅。
藤沢桓夫氏より「詩集愛読」と1万円来し。受取のハガキかき吉岡克己君にもその旨いふ。
村山高氏に藤沢氏の会費の報告す。70万円となりし也。長島長老の名「昭」と教へらる。あす来訪ならよからんに。

7月18日(日)
9:00就寝5:00覚め5:30起床、ユ風邪とのことに我一人出て礼拝にゆく。(※省略) まっすぐ帰りて昼食し、(※省略)
乗杉研寿氏の77日(※四十九日)すみしと向ひの長男猛?氏より挨拶ありしと也。

7月19日
雨。5:00さめ6:30朝食す。朝の間「李白」の原文ぬけゐしを写し、4:00久米氏、馬場英子女史(お茶大出、阪本越郎氏に習ひしと)と来り、
原詩のぬけゐしを云はれ「あと征戦と江南とにて抜きたまへ」といふ。夜、「李白」の原文ぬけすみたり。(久米氏、澄を知りたり。ふしぎ。)
仙台の荒木修氏より海苔贈らる。茨城大教授の元中尉か。問合せのハガキかき投函す。

7月20日
6:40さめ8:00朝食了る。「李白」の「女」ほぼすみ昼となり、川久保に明日のこといひ腹立つ。(※省略)

7月21日
雨。「李白」のつづきやりて時間つぶし、午后の碁将棋ことわる。三鷹の3孫来り将棋さし500円づつ小遣ひやることとし(けふより夏休みとなりし也)、
13:30川久保にゆき岩波の来し時の誤植訂正の箇所いひ、15:30まで待ちしも岩波の松島君来ざる故「まかせた」と帰宅。
19:30川久保より電話「おくれて来り、あとがきあさって渡す。700部にて5,000」と。わが予想は「300部にて1万円」と。ほぼ当りをり。
雨やみ滝本女史に遭ひ思はず物云へば「茶のみませんか」と。汁粉屋へゆき餡蜜あつらふ。岸和田へ帰るときは挨拶に来ると。(※省略)
『風日』来り、保田夫人の歌会を主催するを伝ふ。(※省略)

7月22日
曇り時々雨。李白の「憶旧遊」との最長の詩を書きをれば筑摩出版の松田寿氏来り、(※『天遊の詩人 李白』)
10月15日出版、初校わたす時30万円を先渡し、のこりは出版の時わたすとの誓約をす。これにて安心す。
プティ・パレへゆけば福地夫人は神戸と。(※省略) 帰りて昼食し髭それば、(高松)丸木夫人蓮田市より一番に来り、30分して白水(坂根)、宇井(井上睦子)、押上(得津佳子)の3夫人来り、ユのわが病歴と現況とをきき16:00宇井夫人「一人息子の弁当もちゆく」にて解散。
我は駅まで送り、佐伯にて『楊貴妃後伝』、『満鉄調査部』にて800払ふ。タバコ止め、野球部史すみてスカッとす。(※省略)
ユ、母のところへゆき大の話きけば云々、(※省略) 「建、外科の手術またといひ見舞(咲耶、大、千草)に蒲団かぶりて泣いてゐる」と也。(※省略)

7月23日
7:30さめ「李白」やり了へしあと川久保より電話「あとがき」書き了へしと。
平凡社の久米氏「15:00来る」と。喜びて待てば(※省略)来り、「多すぎる3分の1削れ」と。「削りまかす」といひ、李白わたし、あと「晩年を足す。来週来たまへ」といふ。
(※省略) 安達遂氏より電話「編集後記を村山高氏にかかさん」と。賛成す。(※省略)

7月24日
よべ11:40震度4の地震ありしと。7:00さめ8:00朝食すまし村山氏へのハガキ投函にゆく。西空まっ暗なり。
(佐藤春夫夫人自宅で逝去と新聞、林富士馬君、脈とりしならん)。
12:00プティ・パレにゆき仲好しの山口翁に本貸す。帰りて無為。「李白」けさすましあとは伝記かけばよし。
福地君よりやっと(※詩集の)受取。『西康省』もちをり比べしと。(※省略)
秋川の鳥羽貞子女史より詩集のこと『東京四季』に書くと。山本みち子氏に教へられて手に入れしと。「その内電話して来よ」といふ。

7月25日(日)
雨仕度して礼拝にゆく。(※省略)まっすぐ帰り何もせず15:00千草来り、建の見舞につき何もいはず。咲耶に泊めてもらひ(※省略)となり。
京より小包来り、わが下駄などあり。

7月26日
6:00さめ7:00朝食、雨降りつづく。東京の水不足を補ふ雨なり。ユ午后西武へ喪服とりにゆき、ついでに中共展見ると。
われ茫然としてをれば福地夫人、神戸の菓子もち来り、本返すと(『山水画』)。返さずともよしといひプティ・パレにゆき茶のみ、出てゆくを見、
帰宅してユの帰るをまつ。15:00ユ帰宅。展覧会のtext「故宮」1,600と。(※省略)

7月27日
7:00さめ8:30朝食すむ。長崎の鉄砲水のこと今日も話題となり諫早の先年の水禍思出す。けふは雨止みをり。
筑摩出版の松田寿氏に電話し編集後記のこといへば「よか。初校8月10日すぎ出る云々」。高橋重臣、渡辺登美子へハガキ出しにゆく。李白の伝記書き出す。

7月28日
7:00さめ8:00朝食。「李白」の伝記すみ昼食後平凡社に電話すれば久米氏公休。馬場女史来ると。
まてば15:00来り、茶のみしあと詩集1冊与へ「pageの配分好きな様に」とたのむ。明日より蘇東坡にかかることとす。
神田喜一郎先生より頂きし『敦煌学五十年』よみ先生84〜85才とわかる。(※省略) 13:30久しぶりに末富家へゆき碁将棋す。(※省略)

7月29日
8:30覚む。曇。午后「蘇東坡」1枚書き考へこむ。(※省略)

7月30日
6:00さめ7:30朝食すませ「蘇東坡」のつづき書き550枚としてのち東豊書店に電話す。簡さんわが声おぼえをり。
12:30着き楊雲萍氏の本売りしこととなり仕方なく『萬暦野獲編上中下(1,610)』、『古代清宮断案記(判官物なり)400』、佐藤武敏『長安(1,200)』、『京城古蹟考(270)』、『人人文庫』2冊など買ひて帰宅。
傘はステッキ代用となりし也。(簡さんわれを頼氏に紹介す。お茶大教授にて我その本使ひしことあり。和田久徳君のこといへば「もはや休みとなりし」と。近日挨拶せん)。
「蘇東坡」は西湖の開鑿にて564枚となる。あと医院のこと記して汴京(※開封)に帰らさん。

7月31日
6:00さめ8:00朝食すむ。山本實君へ「蘇東坡」8月中とハガキ。安達遂氏より「村山氏、編集後記は田中にたのんだ。金は関西で集まった云々」の電話。
プティ・パレへ午食してゆき山口翁に本貸し、一度帰りて高円寺。(※省略)
球陽書房本店にゆき夫人より島義『満洲雑感』、(滝川博士『非理法權天』都丸でdoubleし)、『津軽艶笑譚(200×5)』など買ひ、瀬見氏昼食にかへりがけ「和歌山へ帰省」とことわる。
またプティ・パレに寄り福地夫人に笑はる。雨時々降り梅雨明け近くなりしを知る。
けふ村山氏より「編集後記貴下にまかした。部員名簿より除きたき者あり云々」、夜、吉岡君に電話しその旨いひ(※省略)
『満洲雑感』よみ終る。工兵大佐としてUralのあなたに捕虜生活送りし也。
このごろ無戦派の活躍に腹立てをり面白かりし(沢田四郎作とはちがって面白かりし)。(※省略)

8月1日(日)
7:00さめ朝食後8:00長島昭氏に電話すれば夫人出て「けふは学生との会あり礼拝にも出ず」と。(※省略)
ユ8:00出てゆく。聖餐委員なればなり。雨中9:10出て9:40教会着。(※省略)  長島夫人に「上げるものあり」といふ。詩集最後の一冊を献ぜんと也。
出て氷しるこ(450)食ひ古本屋2軒見て、外口(※書店)にては野田又夫氏わがこと書きし『ユリイカ(500)』(※1975年10月号「コギト派の人々」?)買ひ、伊藤信吉『現代詩の鑑賞』なる愚著をも買ふ。
ユ13:00帰宅。昼食後川久保に電話し「行く」といひ雨中ゆき「蘭」を『図書集成』で見、orclidなるに呆れ、川久保より岩波は護雅夫の指図にて10月金呉れると也。
秋浦『鄂倫春社会的発展』東豊にてdouble買せしを土産にもちゆき、はげまして帰宅。
蘭みれば『詩経鄭風』の箇所われぬかしをり。夜、野田又夫氏にハガキ書き「日高次郎詞兄へ」と詩集包み明日出すこととす。
(書原にて『ビルマ敗戦行記(380)』、『復讎と法律(500)』と買ひ吉祥寺で『父南方熊楠』にて金なくなる。(※省略))。

8月2日
6:00前さめ羽田へ包む。ハガキも書く。9:00羽田へ送り野田又夫氏にも送る(2氏へのハガキも投函)。
蘇東坡ちょっと書き、動悸すとて書もちて山住dr.『昭和万葉集』ならびに『中公文庫(※田中克己所載24巻)』おきあり。
同席の患者にわがこと説明しdr.に『紀要』類進呈、中国侵略を「進出」と教科書に書き、中国より文相の訪中ことわられしに正己教授に同感といひ、検査受く。
(※省略)(佐伯にゆきdoubleし滝川博士『非理法權天』他1冊を,500にて売り『旗田巍先生古稀記念論集上下(9,000)』買ひて来し也。)
成城大学に『新城博士古稀記念論集』送れと電話すれば教務の課長出て「承知」と。高田瑞穂に電話すれば夫人出て「浜松へゆき2,3日泊り来ん」と。
わが声みなにわかるらしきに我ながら感心す。プティ・パレにゆけば山口翁をりバカ話して帰り来る。『津軽艶笑譚』よみ中野清見憶ふ。(※省略)
文相訪中断られしときき「中国やるな」と感心す。次は鈴木首相の10月訪中なり。それまでに下士官どもの智慧いかがならん。田中角栄程度の訪中はなきがよき也。

8月3日
6:30覚め起きる。中国の植物検し、雨の中ユの出てゆきしを待つ。(※省略)
佐伯あかず散歩、250の紅茶のみに「朱鷺」といふへゆきアーケード下の本屋にて高群逸枝『母系制の研究(860)』買へば「田中克己先生」といはる。
(※省略) 夜、小山正孝君へ電話、(※平凡社『唐代詩集』の訳出を励まされた)おかげで「李白すみし」といふ。 (※省略)
船越苑子16万円にて佐伯へ本売りapart横川へ移ると也。

8月4日
6:00さめる。雨止みをり。朝食後、大林太良邸へ刊行物もちゆきしに就寝中か夫人の応対不十分に腹立つ。
10:00大林博士抜刷もち挨拶に寄り「これから大学へ」と逃げる。
高橋重臣君より「熱海へは呼べなかった」(※省略) 吉岡克己氏より(※『野球部史』刊行に総額)83万円の寄附ありしと。
(阿佐谷の町散歩し『歴史と現代(850)』買ひ来る。シロコゴロフ引きTungusと華北にをりしと引きをり) (※省略)

8月5日
晴。『野球部史』の編集後記の下書すませ、安達遂氏へ速達出しにゆくついでに東豊へゆかんと簡宅へ電話すれば「出し」と夫人。
(※省略) 東豊にて『南州忠烈伝(680)』、『四時纂要校釋(770)』、『島夷誌略校釋(770)』、『中国法律与中国社会(700)』、 『 蒲松齡學術討論會專刊(980)』、『王漁洋(2,700)』、『中国民族志(1,350)』、『 歴代歌詠昭君詩詞選注(700)』買ひ、ついでに『梨洲遺著彙刊上下(4,000)』、『満清野史1-8(16,000)』、『清朝開国志研究(420)』、『熊廷弼與遼東(1,200)』、『長白彙徴録(3,000)』、『台湾土著族的文化・語言分類探求(1,950)』借り、
ラーメンとってもらひしも、まづくて食へず(250)来週渡台といふに楊雲萍氏へ土産たのむといひ9日再訪といふ。帰りて「朱鷺」より電話して帰宅。
昼食すます。(※省略) プティ・パレ福地夫人をり。toast注文して食ふ。渡辺珠雄氏より「ソ連に東洋学盛ん」とらしきハガキ来る。(※省略)
渡辺珠雄氏といふ親ソ派に自民のバカと鬱憤かく。ソ連2万5千噸の潜水艦こさへし由なり。中国、台湾、韓国みな日本の(※教科書の)「進出」に怒りをり。
文部省の検定官僚みな無戦派なると、文相らは内地にゐしとのため也。

8月6日
6:00前さむ。腹悪くpão半分食ひて上厠。(※省略) 宮城県知事よりも金と原稿とる(投手なりしと)と。9:30出て高円寺。
都丸支店瀬見氏、駄本2冊4,000で買ひくれ、すぐ出て代々木東豊、楊雲萍氏への手渡したのみ、『蘇詩補註(7,350)』──帰宅後在庫とわかり電話す。『馬淵東一著作集1,2(6,800×2)』、『木村正雄先生退官記念論集(8,000)』借り来る。計5万円の借金できしなり。 『宮本常一著作集3』注文し、来れば送ると也。12:10帰宅。(都丸で『中国奇談集』、クノー『宗教及び信仰の起源』2冊500買ふ。)
麺くひ、森亮氏より『ヘリック詩集』来し故、麥書房に電話し堀内君に森亮氏へ1冊送本たのむ。(※省略)
午后退屈、涼しくならんとして佐伯へゆき『新しい中国』、『東海道昔と今』2冊500買ひ「朱鷺」へまた寄り涼みteaのみtoast2枚食ひて帰る。(※省略)
20:30鳥海カヨ子に電話せんとしをれば西島順より電話「父もう近し」と。夜23:30建、肝臓癌にて死。57才と順より電話。

8月7日
曇。6:30さむ(よべ0:30睡る)。大より電話「9:00来る」と。史、わが代理として伊勢へゆくと。我は下痢にてゆけず。ユ3女の香奠もち今夜の通夜に出、名古屋泊、月曜帰宅と予定たて、(※省略)
あす16:00よりの葬儀に出ると也。14:00出て高円寺。大石にて『赤穂義人纂書』1万円で見つけ躊躇せしあと買ひ、瀬見氏探せどをらず。
成都大飯店にて麺(700)食ひ、都丸支店にまた寄り『中国女性史(800)』買ひて帰宅。
20:00かっきりに名古屋へ電話すれば依子出てユ伊勢のhotelへゆきしと。腹立つ。
けふ藤野一雄氏より「小商売大分涼し」と。(※省略) 山本實氏より「蘇東坡8月末までに」と。20:35瀬見氏より「あす出発につきけふは来られず」と。

8月8日(日)
7:00起床、8:30出て9:00喫茶(「朱鷺」で)。9:30教会へ着き上厠。(※省略) すみて長島昭博士夫婦見つけ、夫人にことわって共に出て、
豚カツrice食ひ、吉祥寺駅にともなひ「朱鷺」でまた喫茶、わが家へ伴ひ詩集最後の1冊呈し、『常民文化紀要』をも呈し、プティ・パレへ同行、 また喫茶。駅まで送る。
(※省略) 佐伯にて『伊波普猷、金田一京助(1,400)』買ひ新本屋で『ある終戦工作(440)』、『朝鮮語のすすめ(doubleゐし420)』買ひて3階にて夕食。
また「朱鷺」にて喫茶して帰宅すれば澄より「ユ19:00にのり22:00ごろ帰宅せん」との電話ありし。
眠くて弱る。ユ22:00帰宅。われ眠剤のみしあとにて赤福餅くひて眠る。
 神のこと知らず死にたる弟と再び会はむ日をわれ知らず
 今はすでになれがむくろはもえはてて煙となりて空にのぼりし
 せは高くものはいはずに命はや終りと知りて哭きしがあはれ(礼拝中、建を)
 罪はみなゆるされしこと信じ得ずつぶやきながら死にし友はも(杉浦正一郎)

8月9日
5:40さむ。8:30朝食すみ安達氏の電話きき(※省略)宮城県知事山本壮一郎君の家に電話すれば出庁と。知事室へ電話すれば「不在」と。
留守の属官に「野球部史に書かねば皆怒る」といへばこちらの電話ききてすみし。
「朱鷺」に茶のみにゆきし留守に澄より電話ありし「平凡社の久米氏知りをり」「兄君、前沢外科に入院」と。(※省略) 午すぎ三鷹の3孫来り小遣ひもらひゆく。(※省略)
(※教へ子より暑中見舞 省略)それぞれに返事かきプティ・パレにゆき帰宅。ユ見舞にゆけば諏訪兄、寝たきりにて看護婦つくと。
けふ安達氏の「編集後記」「あとがき」とし、わが署名にて全然別文となりをり。(※省略)

8月10日
よべ22:00ねて5:30さむ。7:00朝食すませ東坡56才になりしところでハガキ買ひに出れば向ふより平凡社の久米氏、お茶大卒業生(馬場女史)と来る。
「朱鷺」につれて茶のませ用きけば「来週原稿もち来る」と也。出て別れ、帰宅して昼食し、川久保に電話し(※省略)川久保家。
榎の「絶対服従したら雇ふ」といひし話すれば「本当か」となりし。「書原」まで送りて逃げし故『きけわだつみの声(500)』と『珍書(800)』と買ひて帰宅。
(※省略) 浦和の渡辺珠雄氏「高島屋の食堂で知合となりし。日銀やめあと2年にて退官。中国韓国への日本人の態度危険」と。「一度遊びに来たまへ」とハガキかく。

8月11日
6:00まへ覚め8:00簡君へ電話し「10:30行く」といひ「朱鷺」にゆきしあと(吉岡君より電話「山本宮城県知事3万円送金、原稿はかけず」と。最も宜しき結果となりし也)
中央線にて代々木、簡さんより『馬淵東一選集3(6,800)』受取り『蘇詩補註(7,350)』返し、悪しとて『北京旅游冊(480)』、『崇禎長編(590)』などにてはすまず『蒙古史論叢上下(9,600)』借り来る。
10月シロコゴロフの金入れば払ふと也。(※省略) (13:40より碁将棋末富家にて2時間やり、負けつづけなり)。
(昨日は神田信夫君、けふは和田久徳君へ送本300)。

8月12日
6:00すぎ起床、東坡かく。(※省略) われ出て「書原」にゆき茶のみて帰る。(※省略) 山住dr.にゆき血圧105-80、糖尿でなきも危険ゆゑ糖分・酒ダメと先生。
(※省略) 佐伯へゆき愚本1冊買ひたきも金なく借り「売る本あり来てくれ」といふ。否ともいはず。
「朱鷺」に2度目にゆく。(※省略) 宮崎智恵さんに電話すれば「次男いま北海道、保田の原稿集めをり」と。「新潮」(※依頼原稿不掲載)のこといへば憤慨し呉る。
「東坡」揚州刺史となる。

8月13日
6:30さむ。(※省略) 佐伯に2,300払ひ1,000にて『中国のニノの悲劇(900)』と『刑法総論(100)』と買ひ、『日本医学史』と『薬学史』と買ひに来てくれといへば、(※省略) 漢籍をも含めて5万円にて買ひくれ3万円おき2万円あとにてもち来る。
途であひしは筑摩出版の松田氏にて10pほど組上りしを見せ、(※省略) 高円寺へゆき大石書店にて『中国史の散策』、『ある作戦参謀の悲劇』など買ひて1万円くづし、(※省略)
都丸支店に寄り『植村正久(300)』見つけ成都大飯店にて糕子包ませ(500)、青木書店にて『熱田裁断橋物語(1,000)』買ひ18:00すぎ帰宅。(※省略)

8月14日
晴。7:00さめ8:30川久保に電話し10:00ゆくといふ。佐伯に堀多恵さんのdouble本売り雑書4冊買ひ川久保にゆき軍に協力の点ただせば事実無根と。
(※省略) 帰り来り、東坡かくつもりとならず、(※省略) (けふ戸田謙介氏とまた会へば痩せてこの世の人とは思はれず。われもしかるか)。
ユ帰らざる故プティ・パレへゆき日本茶注文、福地女史「山口翁来りし」と。われ相手にせず。すぐ帰り「東坡」603枚とす。(※省略)
村上菊一郎君の序文あり広島の木下夕爾の弟子といふ石口敏郎君より『聴雨』といふ詩集来る「も一つ物足りず」とハガキかく。

8月15日(日)
5:00さめて入浴。敗戦記念日なり。7:20朝食了り、礼拝にゆかずと定む。(※省略) われ「東坡」恵州着628枚にて休むこととす。
朝、堀内君に電話すれば夫人出て「ねてをり」と。(※省略) 佐伯にて『喜田貞吉(1,800)』と『スマートな日本人(200)』買ひて帰宅。
12:30ユまだ帰らず、麥に再び電話すれば「まだねてをり」と。折しも起き来り「15:00来る」と。
来りて3,100を森亮氏への送本代とす。「森亮氏怒りをらん」と豪華版の限定もらひしをいふ。17:00すぎ町会ありと帰り去る。
われ散歩に出、『大和古寺風物誌(200)』を古本屋にて買ひ「書原」にて『ガリヴァ旅行記(360)』、『般若心経(300)』、『漢文入門(320)』と文庫3冊買ひ1万円くづし、
「Chat noir」にて喫茶。(けふ木下夕爾の弟子にて広島出身、村上菊一郎序文の詩集『聴雨』贈り来りし石口敏郎君に「感心せず」とハガキ、ユに投函せしむ。) (※省略)
森亮君、女づれにて来り、われ気を悪くせしとユおぼえをり、その訳詩の苦心かきし本もらひしままによまざりし也。

8月16日
5:00前さめて「東坡」書く。60才に入る。微雨。阿佐谷駅前〒に衛藤瀋吉教授への小包出しにゆき佐伯にて『ベーベル婦人解放論(600)』、 『父夏目漱石(200)』買ひ、静志堂にて『参謀辻政信(380)』、『古代国語の音韻に就いて(300)』、『語源を探る(440)』など買ひて帰宅。
昼食後、(※省略) プティ・パレにゆき山口翁と話し村上夫人に『ガリヴァ旅行記』貸して帰宅。
戸田氏にユをして電話せしむれば戸田氏出て「来てよし」と。
ゆきて宮本令息と中川理事長の要請にて『民間伝承』ゆづり渡すとのことに「酒にのまれず長生きせよ」と説教して帰り来る(中川と喧嘩すと決心)。
15:30平凡社の久米氏と馬場夫人と来り、初校見本を見せる。諏訪澄を知りをり「澄よりも宜しく」とユ伝ふ。

8月17日
よべ早くねて5:20さむ。「東坡」644枚となり、昼食すませ「朱鷺」でtea(250)。斎藤茂太先生に『古稀記念論文集(250)』とハガキと送り、
「書原」にて蘇峰『近世日本国民史世相篇(980)』、『同、義士篇(880)』買ひ、佐伯に寄り『万里の長城(600)』、太宰治『津軽(50)』、『張騫征西考(200)』、『後世への最大遺物デンマルク国の話(50)』買って帰宅。
(※省略) 山本實君に「東坡」の進行報告せんとすれば不在外出と。「24日持参」と奥さん?に伝言たのむ。(※省略)
12:00まへ山本實君より電話(※省略)「26日持ちゆく」といふ。昼食し出て高円寺、都丸にて雨宿りし(※省略)、
『大行山脉』、『東洋の新しい地図』、『露伴校訂平家物語(300)』、『ソ連所蔵名品百選展』など買ひて丸家にゆけば高校野球見てをり西川より見舞のタバコ吸ひをり。
(※省略) 早々出てまた都丸にて杉森久英『天才と狂人の間(200)』買ふ。島田清次郎の伝記にて他人事とは思へず。(※省略)
『関東大震災の思ひ出』世田谷区出し、巻頭に林二郎(下北沢の古本屋なりし元詩人)書きて送り来あり故、電話すれば耳遠く18才にて罹災と。(※省略)
山際文雄に電話すれば夫人出て「本送れば受取る」と。(※旧稿)『海南島の蘇東坡』出て来り大喜びす。
筒井護郎(※中学教へ子)に電話すれば「調停委員」と。「来て泊れ」といへば「来る」と。(※省略)
吉越笑子に電話すれば母出て「月末までイギリス、フランスに5-6日をりて帰国」と。「帰れば勉強させよ」ときつくいふ。

8月18日
7:30さむ。9:00すぎ出て阿佐谷駅前〒にて山際文雄君に返本し1万円札で釣銭1,000札で受取り「朱鷺」で喫茶して帰り来る。
青木副手より夕方来ると電話ありし由。11:00すぎまた出て「Chat noir」で喫茶。焼き糕子(280)買ひ来て昼食とす。旨し。
「朱鷺」へゆき13:30より末富家。碁将棋ともに負け16:00前帰れば望来てをり。
弓子、宏一郎もあり。望に小使ひとして用意の5,000やり小林へ泊ることとす。日曜まで滞在となり。
16:30青木正子来り、Helshinki knifeくれよとのことに与ふ。(※省略) 折から川久保来りあとがき見す。漢字多く感心せず学際的なる言葉をつかひ、云ひしも使はれるときかず、(※省略)

8月19日
4:20覚む。(※省略) 東坡63才690枚まで写しひと休み。11:00朱鷺ゆきし間に平凡社の久米氏「14:00来る」と電話ありしと。
久米氏来るまでプティ・パレのぞけば20日まで臨時休業と。「ザマ見ろ」也。
久米氏来り、意外にも座談会に平凡社より「李白」につき話せと。相手中村真一郎、大岡信、井上靖などいひしも林富士馬といひ電話かけさせれば「承知」と。酒と長寿の話を李白につきすと也。
(夕刊見れば15日福永武彦の三周忌軽井沢のCatholic教会であり中村、堀多恵さんなど出しと)。
久米氏帰りしあと佐伯へゆき雑本買ひ、また朱鷺にゆき我一人となり顔覚えられし。(※省略)

8月20日
7:00すぎ覚む。曇りて暑し。(※省略) ユ、望を池袋につれゆく。美紀子、弓子も参加と。われ書原、朱鷺と往復し「東坡」65才となる。
(国分直一『壷を祀る村(3,500)』買ふ。前に見し論文多きもCampbell師のこと載す)。
16:00筑摩の松田氏(※野球部史の)初校もち来り、(※省略) 30万を筑摩に入れることとなる。(※省略)
17:00ユ帰宅。望は史の子、弓子の子とともにのこりしと。19:00帰り来り、くしゃみ盛んにす。こは澄の遺伝なり。(※省略)

8月21日
4:00さめ野球部史の校正6:50了る。8:00朝食了る。望まだ眠りをり。
本保与吉市(八戸)の歌集『月下の籟』の受取りのハガキかく。11:00ハガキ出しにゆき山住克己閣下に遭ふ。元気なく気の毒なり。
プティ・パレに入れば山口氏来り12:00辞去。午食し望はといへば朝食兼食くって本屋へゆきしと。われも出て高円寺へゆく途中、夕立し馬橋稲荷で雨宿りし山水書房にて(※省略)W.G. Burchett『ふたたび朝鮮で』買ひ、大石にて『日本人と朝鮮人』、『青春の北京』買へば内儀茶のましくれ但馬の出と。
都丸支店に瀬見氏をらずそこらにゐし女学生(獨協大がSchinzinger先生の独和辞典買ひ、も一人は専修大の経済学部と)に茶おごり、上へ行けば瀬見氏をり、ともに喫茶。
(※省略) 望何もせず、あす13:10の小人の切符ユ買ひをり。
(都丸支店で『日本人と植物』、『元禄時代』、『人類の生活』、『考古学入門』で900)。(※省略)

8月22日(日)
よべ入浴せず。21:00すぎ就寝、4:20さむ。入浴。「東坡」臨終までかき(200×735)9:00出て礼拝(ユは望つれゆくとて休む)。
吉祥寺にて時間余り喫茶(※省略)。阿佐谷駅売店にて『武蔵野(350)』買ふ。(※省略)
(※讃美歌)284うたふまで『武蔵野』ときどきあけ「わが苦しみ」『POET'S SCHOOL』にと書く。
すみて金なく阿佐谷まで直行、駅下の中華料理店で炒飯(450)食ひ、佐伯へ寄りて石川達三『心に残る人々(30)』、『西方の人(70)』買ひて帰宅。(※省略)
瀬見氏に電話すれば「そのうちゆく」と、またスカさる。瀬見氏、紀州土産いろいろもち来る。
一方松田寿氏「散歩の序でに大高名簿返却に寄る」と。ユ出ず我相手す。19:00近くなりてユに「何か飯を」といへば瀬見氏「帰る」と風呂敷忘れてゆく。(※省略)

8月23日
よべよくね6:00さめ朝食8:00に了ふ。昨日作りし「わが苦しみ」『POET'S SCHOOL』にと清書す。(※省略)
9:40出て高円寺、新本屋あきをれば『昭和58年幸福暦(300)』といふを買ひ都丸支店にゆき瀬見氏に忘れ物返し、
『民族学入門』、吉川幸次郎『中国文学入門』など安き文庫本買ひR.A.ミラー『日本語とアルタイ諸語(4,000)』借り来り、朱鷺にて朝食sand食ひ11:30に出て(※省略 帰宅)。
馬場女史来て原稿もち帰りしと。日販より電話(※省略)「李白につきての対話いつ宜しきや」「林君の都合次第」といへばまもなく「27日14:00山の上ホテルにて1時間ほど」と也。
(※省略)『東京四季』来り、わが詩集出せしをのす。(※省略)鈴木猛といふ未知(小杉茂樹といふ代表以外はみな知らず)の筆なりし。

8月24日
4:20さむ。(よべ和本唐本の欠ばかりなりしを知る)。あとがき書き直し、(※省略)
朱鷺へ寄れば男子ばかり、帰って「蘇東坡のあとがき」すませ、明日の用意すみしと喜んで昼食。
12:30ユに先立ちて出、瀬見氏に4,000の借金払ひ、マリノウスキー・ブリフォールト『婚姻(800)』買ひて散髪(1,050)すませまた亀井勝一郎『風神帖(100)』買ふ。(※省略)また朱鷺にゆきて帰宅。
ユ17:00ごろ帰宅。(※省略)松浦母のこといふ。
山本書店の主人山本敬太郎なることに気づき文求堂のケイ太郎(※田中慶太郎)と字違ふことをはじめて知る。(※省略)
(辻夫人塔影詩社─河井酔茗(堺出身の詩人歌人)創刊のハガキかき投函す)。(※不詳)
(※省略) televi、茂吉100才忌とて茂太先生、夫人のdance-hall事件、永井ふさ子女史のことなどかくさず。(※省略)

8月25日
よべ1:00さめまた眠り4:30さむ。動悸し眩暈し10:30山住dr.、血圧128-78とわが最高なり。吐気止めの薬もらひ、
あすのため「蘇東坡」見をれば章分けあやしく山本書店主人の名、田中文求堂と混同しをり、また途中ぬかしゐることなどわかり、けふ呈出でなくてよかりし也。
神田君(※神田信夫)「年譜に昭和57年を56年としをり」と見つけ明日よりMalayaへゆくと也。(※省略)

8月26日
4:00さめ讃美歌うたふ。昨日果物たまひし末富夫人(病気とて碁将棋ゆかざりし)草むしりをり挨拶さる。
蘇東坡そろへ1:00すぎ昼食。(※省略)地下鉄大手前でのり替え次駅の神保町(※省略)、途中で『思ひ出の愛誦歌集(200)』買ひ、
山本書店へ13:00着き敬太郎店主と話さんといひ、實君も来て、坐り原稿見せれば「蘇東坡」をわれに(※書くやうに)名指しせしは實君なると判明。
よろしくといひ、出て100円の本4冊買ふ。本庄栄治郎『日本社会経済史』、『憲法と私たち』、『大阪・神戸』、『8億の友人たち』
岩波の表通り、小学館の大きくなれるに吃驚。学士会館に坐りこみ1時間あるに困る。
5分前に安達さん、かっきりに村山氏、5分おくれて吉岡君来り、村山氏原稿見せる。東京、大阪でべつべつにやる。最後までやれとのこと也。
吉岡君体わるしとて気の毒なり。酒席にゆき安達さんのおごりにてbeerのみ村山氏飛行機にのるとて15:30去る。
われまた筆談せんと思ふ。(※省略)
『侵略(880)』大手前の紀伊國屋売店で買ひ南阿佐谷へ出れば財布なし。鍵入りをり。
朱鷺の割引券その他も惜しけれど印鑑もなくせし也。
(※省略) 13:30澄来り洋菓子くれ(※省略)美紀子弓子16:00わが家にて会見せしと。Jhon Wayne見て23:00臥床。

8月27日
涼しき風ふく。6:00起床、7:00朝食。「李白」の下調べもせず本3冊もちて12:30出、地下鉄にて新御茶水、山の上ホテルへゆけば2階と。
(※省略)待てば林富士馬君来り、やがて日販の男女来り、のちほど課長来ると。14:00より録音、話うまくゆかず疲れて一休みして(beer少々のむ)歌はしてもらひ、李白は天才、杜甫は秀才といひてすみ、下にて茶おごってもらひ早々すませて林君と別れて御茶水駅より急行にて高円寺下車。(3万円−3,000)の薄謝に気をよくし瀬見氏より『中国少数民族服飾(1万)』、『Der Anfang(300)』買ひ歩いて阿佐谷。
プティ・パレにゆけばあきちゃんをり、電話かからず16:30出て帰ればユ帰りしところと開けをり。
林家へ「薄謝、林君あてになりをり」と電話すれば入浴中の林君出て3万円田中宛となりをりと。そのままといふこととす。
夜、野球部史の校正す。(※省略)

8月28日
5:00起き野球部史やり了へ、平凡社よりいひ起せし林君への送り状速達にて送り、佐伯にて雑本1冊と『新約聖書講釈(800)』買ひ、朱鷺にてice-teaのみて帰宅。感じわるし。
新書屋「書楽」にて蘇峰『家康記』3冊、『三光T』買ふ。三光は戦犯の手記にてこれも本当かどうか怪し(昭和30年刊の再版なり)。
(※省略) 昼食後、川久保に電話すれば「15:00来い」と。高円寺へ出、山水書房にて『天皇の軍隊』、『赤光』買ひ、
大石にて茶のませざるを得ぬやう話し『茂吉の周辺(1,000)』、『私の外国語(100)』、『日本語の個性(150)』、『日本人の内と外(150)』買ひ、都丸へゆけば暑く瀬見氏忙し。
本店へゆき『飛鳥(500)』、支店へ帰り『女性のための古代史(500)』咲耶の天武天皇のため買ひて帰れば、
(※郵便)花井夫人と森亮氏(わが詩集よみをり。とりわけ「略歴」丁寧によみくれ藤沢桓夫氏と同じく笑ひ出せし由、早速礼状かく)。
東豊に電話すれば夫人出て「もうすぐ帰宅」と。台湾へゆきゐる也。
17:00松田氏来り、ボケをり。危し。筑摩出版とこれにて縁切れん。
井上靖の6月の講演televiで聞き、春夫忌に物云はざりしは我をこはがるかと思ふ。

8月29日(日)
7:00起床、ユに森亮氏と花井夫人のハガキもたして礼拝にゆかせ、われ残る。
10:00出て朱鷺にて喫茶。佐伯にて『わが生涯の物語』、『狩猟と遊牧の世界』、『騎馬民族説』買ふ。(※省略)
新書屋にて『三光(680)』買ひして、書翰箋まことやにて買へば250と。
朝、川久保に電話、(※省略 ゆきて)『日本語とアルタイ諸語』、ベルンハイム『歴史とは何ぞや』など見せ「騎馬民族き」と問へば「Tungus」でよしと。
11:00退去、(※省略)15:00まで休息、咲耶来ざらん。佐伯へゆき(※double)本とりかへ、また朱鷺に寄りて帰宅。
俗語辞典のcardとることとす。ツングースも同。四季・コギト同。

8月30日
2:00さめ、あと眠りし感なく、しかも無為。7:00起床、驟雨あり。中国俗語辞典ちょっとやり、傘もちて高円寺。
都丸支店、若さん帰りをり瀬見氏整理して相手にならず『なごやことば(50)』といふを100渡し『日本の歴史2(500)』、『プロテスタントの歴史(100)』、『日本語の純潔のために(200)』、『白衣を紅にそめて(200)』、『あの星の下に(100)』買ひてプティ・パレ。
冷い日本茶のみ、旧知の老婦人挨拶もせぬに気を悪くして帰り来る。苑子来てをり転宅の相談す。
ユ、柏井へ歯ぬいてもらひにゆく。京より「10月上京たのしみ」と。
中山夫人より誕生日祝に高価なlighter賜はる。咲耶遂に来ざる也。(※省略)20:00中山夫人に電話かからず、礼状かく。

8月31日
よべ0時近く眠剤1服足してのみ4:00さむ。大和日記のせい也。
咲耶9:30来ると電話あり、来りて歌みせ、下手といひ、保田夫人の『くちなし』貸す。東大塚山の雄略陵なることしらず「道明寺の諸部落は夙にして(※省略)ならずと」。その通りなり。
11:40帰りゆきしあと電話、三鷹の克次朗ならん。「来る」と。(※省略) 13:00、3人来り、我300づつやり、
13:30東豊書店へゆき、けふ位帰宅といふ留守番の夫人より不満たらたらと1時間きき、
『元稹(990)』、『李秀成(810)』、『王船山(530)』、『呂晩村(500)』、『顧炎武(360)』、『蒲松齢(500)』、『孔尚任(450)』、『王國維(150)』と伝記計4,290、
『台湾語入門(1,500)』、『屈原赋譯釋(350)』、『中国古典文学双刊1-3(3,000)』計4,850とを借りる。
倦怠期なるらしく困りしこと也。
(※省略)夜、高田瑞穂に電話し13日成城の講師室にて会ふこととす。

9月1日
よべ早くね、5:30覚む。8:00咲耶に電話し歌作れといふ。「保田夫人の本写して返せ」ともいふ。
佐伯にゆき『私残記(150)』、『満州事変(150)』、『差別(150)』、『京都(100)』買ひ金なくなる。
午前中、瀬見氏に本売りにゆけば300と。田中卓『海に書かれた邪馬台国(300)』買ふ。
15:00久米氏来り、挿絵相談す。われ「挿絵などやめて980円としろ」といへどきかず。「李白のみ特価1,100」と。売れざらん。酒すすめしもきかず帰りゆく
わが対談全然出来ざりしを云ひ、3万円は林君には我同様小遣ひとなりしをいひて嗤ふ。日販より速記来れば直すこととす。(※省略)
16:00出て『PlayBoy』両手にもち(10キロ以上あり)山住dr.に遭ひ「あす検査お願ひ」といふ。
3度休みて佐伯へゆけば500と。『啄木詩集(50)』、池田弥三郎『話のたね(50)』買ひ2度目「朱鷺」にて休息。(※省略)
Ingrid Bergman のJeanneを見て就寝23:54。

9月2日
6:00起床、尿とる。(※省略)『小説劇語辞典』やり「Tungus」やりしてすごす。8:30山住dr.、(※省略)Rentgenとり血を採りてすむ。
帰りてpão食ひ、簡氏に電話すれば夫人「店へゆきし」と。10:10東豊書店につき茶のみのまされ、『清史稿3冊(2.8万)』をはじめ、
『池北偶談 上下(1,120)』、『精華録2冊(1,730)』、『漁洋山人精華録箋注6冊(3,600)』にて王士モキみ、
『王荊公年譜考略(650)』にて王安石、『屈原賦譯釋(350)』にて楚辞、『大唐西域記古本3種(770)』にて玄奘、
『宣和遺事.靖康傳信録(430)』にて徽宗・欽宗、明清のキリスト教関係の本3冊(480+720+240)にて重かり。朱鷺にてユに「今帰る」と電話して帰宅。
竹内好の日記につき『ちくま』にほめられしとかくがあり、珍し。但し竹内の北京の恋人の頭文字のす(大阪のbarのmadamか)。(※省略)
夜、マカロニ・ウェスタン2度目を見る。眠剤0:00足す。

9月3日
9:00起き9:45朝食すみcardやる。ユ不逞。11:00佐伯へ本売りにゆく(8,000)。喜びて『日本大雑誌3冊(2,400)』、 『黄泉の王(500)』買ひ、
「書楽」のぞけば注文の本売りをり2冊(580×2)と『京都地図』買ひて朱鷺で喫茶、12:00かっきりに帰宅。(※省略)
14:00渡辺珠雄氏より電話、駅まで迎へにゆき遂に勤め先出身学校問へず「Tungus語辞典」と「Nanai語辞典」の序文訳したまふと。
喜びてユにwineもらひしこといはず駅まで送り駅ビルの書店にて『日本の唱歌 下(480)』、『薬になる植物(500)』、『日本捕虜志2冊(320×2)』、『花の文化史(980)』買ひ、
3階の喫茶店にて紅茶(300)のみて帰宅。ユとシャガ問答す。日本名なく日本原産となり。(※省略)

9月4日
涼しくなる。2:00さめ6:00さむ。(※省略) 渡辺珠雄氏へTungus・Nanai両語辞典の序文の大意の訳たのむとハガキ。(※省略)
11:30プティ・パレにゆきアキちゃんに渡辺珠雄氏へのTungus辞典の序文2種copyしてもらひ(420)紅茶のみ、山口東一翁病気ときき探しにゆき、
(※省略)帰りて昼食すませ(※省略)、川久保訪ぬれば昼食と。またされ出て来しにきけば「眠きばかり」と。がっかりして「書原」にゆき、
『植物知識(360)』、『揚子江(360)』、『京都史跡見学(580)』、買ひて帰宅。われも眠たく床にをりしもねむれず。戸田画伯病気とてユもねてをり。
ケ健吾氏「日本へ帰化、東山姓となりし」と!一筆書く。「おめでたし」とはいへず。ふしぎなる人なり。
平凡社より速達来り、64pとなる。もて来しは愛場君なり。おだやかなかほしてをり。夜Ingrid Bergman見る。
死にしものいまだ老いずに美しくありしを見たり老いたるわれは。

9月5日(日)
6:00さめ7:00まへ朝食すみ、ユ聖餐当番と出てゆくわれ9:10出て佐伯に寄り、ゆっくりと教会。(※省略)
11:30すみて氷汁粉(450)のみて東急の古本市にゆき、『東海道五十三次(800)』買ひ、荻窪の岩森の息子に包ませ貴重書なきゆゑ「我売る」といひ、帰宅。
(※省略)高円寺へゆきたしと思ふところへ岩森より電話、息子来て立原の手紙とハガキにて2万円おき喜びて帰る。
われ出て高円寺の古本市。佐伯氏みつからず『隠語辞典(2,000)』、『魯迅の印象(500)』、『中国文学と私(1,200)』買ひ大石に寄り『東北アジア民族説話の比較研究』、笠井清『南方熊楠』買ひ、(喫茶し(280)、新本にて林芳雄の名の『生体解剖』買ふ)。
プティ・パレの村上氏の義弟?死亡、お通夜とて人々並びをり。(※省略)  Ingrid Bergmanの「ガス燈」見て23:00就寝。

9月6日
6:00前さむ。7:30朝食すむ。8:00松田氏に電話すれば話食ひちがひをり初校ひとまづ我が許へ来るとなる。老廃め。
佐伯へゆき3,000払ひ、会はず『万葉の女流歌人(250)』買へばdouble、『折口信夫の晩年』、『差別(300)』買ひ、山口東一翁三井銀行に入るを見つけ、
問へば「点滴に通ふ」と也。猪瀬氏のぞきしに静かなり。凡てすみしらし。(※省略)
9:40平凡社に電話し馬場さん呼びしも未勤、出し取次にガンガンいふ。われに校正再校の控へはひどきなり。井上靖に「詩集返せ、縁なし」とハガキ。
近江詩人会より「次号の原稿受取」と。プティ・パレにゆき村上夫人に挨拶す。
平凡社久米氏来り「300p越す。控へに意味なく再校後、直してもらふ」と。(※省略) 東京新聞(※同姓同名)田中克己氏逝去。10月1日葬儀と出てをり。一度会ひしのみ也。
久米氏より18:30電話「『李白』の挿絵に東岳泰山入れる」と也。(※省略) 良からんとは思ふも一寸づつ感覚はづれるはふしぎなり。

9月7日
8:00さめ9:00朝食了る。ユの縁談世話に怒る(京の親友にて32才の娘なり)。10:00散歩に出て140のcoffeeのみ人気なき新本屋にて
『壬申の乱(380)』、『天武朝(460)』買ひて帰宅。荒木修氏よりハガキ。(※省略) ハガキかき3種論文送る(240)。
佐伯へdoubleし本もちゆき『ロメオとジュリエット』とかへてもらひ朱鷺にて喫茶して帰宅。(※省略)
15:00松田氏来り、校正と原稿とみな置き「あさって8:00とりにくる」と。3校を安達氏にたのむこととし、(※省略)
渡辺珠雄氏より丁寧な手紙来り、わが送りし「辞典の席丈」の訳もしてくれる様子なり。

9月8日
3:30覚め『野球部史』の仕上す。夜明けまで『俗語辞典』やる。7:30朝食了る。9:30阿佐谷駅へゆく。佐伯休み。
新本屋にて『京都市街図(500)』、『西部開拓史(380)』、『抗命(320)』買ひ朱鷺にて喫茶して帰宅。
中野書店(もと三鷹)「神田に移った。(※うちにも)書翰売れ」と。(※省略)19:20馬場夫人「李白」の初校もち来る。(※省略)

9月9日
よべ22:00までにね、3:30覚む。仕方なし。『俗語辞典』やり松田、久米2氏ともに遅くなるときく。昼食後散歩に出「朱鷺」へゆきて喫茶。
新本屋にて『渡来文化(480)』買ふ。(※省略)16:00松田氏来り再校もちゆく。(※省略)
18:00前、久米氏、馬場氏来り訳に文句つける。「かえこと」わからず「交換」と直せしも「とりかへ」にて宜しかりしならん。(※省略)

9月10日
5:00まへ覚め『中国語辞典』やり(※省略)、宇宙13:30家を出る。新宿へ14:00前つき西口交番ききしあと小田急dept.、10階書籍部にて『人類史への散策(560)』、5万分一『青梅』『五日市』買ふ。上川霊園のためなり。14:40安達先輩来られしに小田急dept.14階の喫茶室へ案内す。
耳きこえざるも御自分の原稿のりしを承知、(※省略) 茶代おごってもらひ代々木まで国鉄(120)。東豊へゆけば夫人やせて目ばかりとなりをり。
『香祖筆記(440)』買ひ、茶のませてもらひ帰宅。
ユをらざるところへ電話、井上靖にて「小説かきに忙しく(※返事書けず)、詩集大切にしてゐる。返却はゆるせ」となりし。けふ野田又夫氏にも投函せし。
『抗命』『喜田貞吉』などにて腹立つところ、李白、集英社よりも出ると東京新聞に出てをり。
18:00くれしあと夕食すませれば久米氏、馬場夫人と来り「かつら」は「つたかづら」とにごり「柏」は「中国では」と入れることとす。(※省略)

9月11日
3:30さめ入浴す。大球会の段どり考へる。(※省略) 佐伯にて『古代地名発掘(800)』、『続日本の戦歴(100)』買ふ。(※省略)
プティ・パレにゆきしも山口翁来ず、福地夫人にきけば村上夫妻やる気なき様子なり。(※省略)田中宣一氏よりわが去りしあとのこと、研究室のあとをつぎし也。(※省略)

9月12日(日)
5:30覚む(よべ22:00ねし)。雨降りをり。ユ9:20礼拝にとゆく。(大球会の案内いやいやかく)。『中国語辞典』大仕事になる(card一山あるを発見)。
220日の台風、静岡御前崎より甲州へ吹き、夜も騒がし。

9月13日
ねたりさめたり7:00起床、台風一過晴れをり。9:00前出て佐伯へ1万円くづしに入り『ダッタンの山』、『太宰治の思い出』、『満州雑感』にて1,990払ひ、書屋にて『シベリア強制収容所(550)』買ひ(※省略)帰宅。(※省略) 馬場女史来り校正すみし。夕方高田瑞穂に「ゆけず」と夫人に伝言たのむ。夫人わが声おぼえをり。
戸田謙介翁あす(河北病院に)入院と。咲耶より『くちなし』返却。

9月14日
5:20起床、『シベリア強制収容所』よむ。card作りて疲る。(※省略) 19:00馬場女史よりまた訂正の電話。

9月15日
7:00さむ。8:30朝食すむ。雨ひどし。午すぎ雨やみ末富家、碁2番勝ちしも3番目負けにて5目のまま、将棋もダメ。『日本ゴム協会誌9』貸し与へらる。(※省略)群馬大講師も10年つとめしと初めてきく。
宮崎さん(※宮崎智恵)の次男(※早川弥比古)より電話来ると。来りて話し始めしところ(※省略)、史、淳一美紀子と来り、気がかはりて帰りゆく。
早川次男20:30夕食すませ、わが日記と歌集とをもちて帰りゆく(山口書店に電話せしも出ず)。

9月16日
4:30さむ。8:30朝食までcardやる。朝の〒に野田又夫博士「病気し夫人も重病(※返事書けず)、本送る」と。意外なり。
『東方学64』来り、藤田亮策先生の思ひ出を諸氏語る。13:30出て高円寺へ散歩、瀬見氏見当らず、(※省略)の青年も飯くひにゆきしに、
吉川『陶淵明伝(100)』、『玄奘三蔵(100)』と新書2冊買ひしのみにてプティ・パレにゆきあきちゃんより紅茶(330)。
帰れば『シロコゴロフ』3版来りをり。(※省略)

9月17日
5:00さめ8:00朝食。10:00ユ柏井へ歯の治療にゆく。山本より10:45「實氏16:30相談したきことあり来る」と。
中野清見より「22日東京泊り、23日丸を見舞たし」と。16:00山本實氏来り「『蘇東坡』新書版にしたし」と。「安くして売れ」といふ。
平凡社の次(※の計画)は「近代詩(漢詩にても毛沢東まで入れる)」と。訳者の名も知りをり。
『文芸春秋』の『シベリア強制収容所』よみ了る。「Russian(※ロシア人)は善く、ボルシェヴィキは悪し」と也。(※省略)

9月18日
よべ22:00すぎ臥床6:00前起床、cardやり11:30プティ・パレにゆきあくを待ち12:20まで山口東一氏待ちしも来ず。(※省略)
午后、ユ戸田画伯へゆく(謙介氏河北に入院、付添ひ必要と也)。
野田又夫氏、白水社より全集出し第5巻賜はる。「島々」等「コギト派」につき書き、我を「興味あれど書かず」と、中島より「コギト派」と後世いはるるは宜しからずやといはれしと。
夜、野田氏へ礼状かき、中野には「23日午食わが家にて」とハガキかく。Monaco王妃Grace Kelly(※死去ニュース)2晩つづく。

9月19日(日)
6:00覚む。7:30朝食。ユを礼拝にゆかしめcardちょっとやりしのみ。午后も外出せず。ユ17:00野田又夫氏と中野清見への〒出しかたがた出てゆく。
(※省略) Grace Kellyの「上流社会」見る。

9月20日
6:00覚む。card少しやり、吉越笑子生の来るを待ち(※省略)、
15:00ごろ来り、タバコ菓子などくれし。われフランス語の本(浅野建夫の遺品)与へ、lighter2ケ与へて地下鉄まで送り、(※省略)
川久保に寄りシロコゴロフのprofを小文字でかきゐるを咎めしに、彼も朝日に烏拉を長春郊外とかきゐるに抗議し、あやまらせしと。(※省略)
帰宅すれば(※省略) 高橋重臣、本多、荻村の諸氏にたよりかく。荻村雅子の書かざりし木曽福島の小正月に「ツボツボ」食ひとあり、ツボツボは里芋をはじめとする七種の野薬の煮物なり。
(けふ「書原」にて文庫買ひ、金田一『日本語の特質(900)』(※省略))

9月21日
7:00さめ10:00早川弥彦君(※早川弥比古)わが日記返却に来り、タバコもちゆく(山口基へは他の者ゆくと。わが知りゐし社長、伊賀の奥西兄君死にしと也)。
『風日』来り、典子夫人また「叱られし」と歌ひをり。
筑摩出版に電話すれば入れちがひに松田氏来り、大高名簿返却。16日には必ず間に合はすと也。(※省略)
瀬見氏に『シロコゴロフ』4,000にて売り『杜甫(2,500)』買ひ来る。西川より電話『李白』を田代氏と2人買ふと。広告見しならん。(※省略)

9月22日
7:30さめケ、栃尾2氏へハガキかく。敦煌よりのヱハガキの返事なり。10:00出てユと地下鉄(※省略)、新宿より京王にて八王子、(※省略)
上川霊園へ12:00着。(※省略) 墓地へゆき草ぬく。讃美歌うたひ教会の墓にトヨ先生入りをりと一礼。(※省略) 15:00阿佐谷着。
書原にて『英語発達小史(450)』、『漢字の過去と未来(430)』買ひて塩ラーメン食って帰宅。
木曽の荻村の娘6月29日生れにて清夏(さやか)とのヱハガキ来をり、入れちがひなり。
渡辺珠雄氏よりNanai語の序文の訳来をりマンジュ語とあり、不審。20:30中野清見より電話、ホテルは銀座と。(※省略)

9月23日(秋分の日)
雨。7:00さむ。11:00中野清見来り、ユすしやに電話してもち来らせ、われ2ケ食ひ、丸に電話してゆく。煦美子をらず重俊出てわがよこに坐りしを喜ぶ。
中野Hope20箱と金一封とを呈したり。16:00地下鉄まで送り、われ歩きて大石書店にゆき『元禄忠臣蔵(1,000)』、『近世における一老農の生涯(300)』、『処女の館(250)』、『流れる星は生きている(230)』、『女大学集(1,000)』買ひ、(※省略)

9月24日
曇。4:00さめ、また眠りしか7:00起床、西島治子、渡辺珠雄氏へ信かき、10:30出て投函。文房具屋にて建の(※遺品の)万年筆にインク入れてもらひ、赤鉛筆2本買ふ。
佐伯へゆき『非行の前兆』、『中国』、『しゃくし定規』など買ふ。『日本の詩歌』の文庫本200にて出てをり、これも買ひ末富氏に贈らんとす。
(※省略)  われ末富家へ『日本の詩歌』もちゆき碁将棋す。末富氏、軍属でなく商社人としてJavaにあり、もてしといひ『日本ゴム協会誌』返せと。
(※省略)平凡社より電話「馬場夫人『李白』5冊もってゆく」と。(※省略)  馬場夫人来り、5冊(9月30日発行)もち来る。
礼に『中国』と『日本地理大系近畿篇』とを与ふ。夕食後『日本ゴム協会誌』出で来る。

9月25日
7:00さむ。雨降りをり。(※省略)西川に電話すれば「『李白』を会社に送れ」と。田代氏と西川には自宅へ、野田又夫氏にも1冊包み、プティ・パレへ1冊もちゆき村上夫人に渡す。
(※省略) 東豊へゆけば借金10万円を9,900越しをり。10万円のみ渡し、また2万円余り借金として帰り来る。『授時通考辑要(290)』のみ払ひ、
『布朗族社会歴史調査(600)』、『中国少数民族(4,400)』、『順治太后外紀(800)』、『中国民族志(1,350)』、『岑参集校註(1,120)』、『王漁洋詩論之研究(1,440)』、『漁洋山人感舊集(2,400)』、『感舊集小伝拾遺(600)』計 12,710+9,960。
角力、大関強く隆の里優勝。(※省略)

9月26日(日)
7:00さむ。(※省略) 新聞に加福氏の逝去のりをり。安達、村山、吉岡諸氏、松田氏にも電話。(※省略)
美紀子松茸もちて来ると。教会夫婦とも休み、我は〒へ野田、西川、田代3氏へ『李白』出しにゆく。(※省略)
川久保にゐればユより電話「村山氏より花そまへよ」と。(※省略) 柳町の花屋に3万円の花あつらへしと。(※省略)
探し探しして市ヶ谷マンションにゆき13:00焼香、入口でまちをれば花屋とどけに来り、われに挨拶す。(※省略)
武田昌造元検事正に挨拶し、虫の悪口いひて14:30出て(※省略) 出棺送りて武田家へゆき美紀子の運転する車にて帰宅。
松茸2本くれ『李白』もちゆきしあと母宅へとユ案内す。腹立てど仕方なし。

9月27日
7:00起床、10:00松田氏来り「加福氏逝去、本文には入れられず。別刷にして配本に挿まん」と。仕方なく原稿かいて渡す。(※省略)
入れちがひに久米氏来り、刷部数1.6万、特別定価1,100円(来年1月まで)。印税率8%、支払10月16日、2月1日より定価1,400円とす。(※省略)
渡辺珠雄氏よりTungus辞典の序文を全訳しマンジュ語と直しあり。礼状かき、本一山もちて瀬見氏に売りにゆくと予告。(※省略)
瀬見氏に一山呈すれば1万円呉る。うれしく喫茶にさそひ、すみて『和露辞典(1,000)』と『荒川外来語辞典(2,800)』買ひて国鉄下を佐伯まで歩き、
佐伯にて田中宣一君解説の『年中行事覚書(150)』買ひて帰宅。(※省略)
『解釈と鑑賞』の「浪曼派特輯」よむ。中河与一氏85才にて62才の弟子歌人と再婚と朝日毎日(大きくのす)記す。(※省略)
久米氏、わが『李白』に4,000部申込すでにありと。(※省略) けさ日販の座談会速記、普通便で来しゆゑ校正、補足して速達にて送り返す。
20:30神田信夫氏へMalayaより無事帰国たしかむる電話す。夜、安達さんにも電話 (※省略)

9月28日
6:30起床、9:00西川より電話「『李白』ついた。田代氏と2,500送る」と。「野球部の追想記集買ふや」といへば「買はず」と。「然らばやる」と問答す。
山本實氏に「『李白』1.6万部出す。1冊もってゆく」といふ。(※省略) 瀬見氏に「Baedecker(※ドイツ語旅行案内書)そろひ売る、 とりに来たまへ」といへば、(※省略)  佐伯へゆき『韓国の村祭り(10,500)』借り来りしあと、15:30瀬見氏来り、
わが出せし本2.5万(Baedeckerなど旅行記と『日本医学史』等)で買ふといひ、ゆっくり18:00までをり。(※省略)

9月29日
5:00さむ。9:00ユpermaかけにゆく。(※省略) 末富氏より電話あり13:30ゆきて碁将棋ともに負く。高円寺へ散髪にゆき『歴史手帖4』と『歴史と人物・忠臣蔵の人々』本店で買ひ、支店にて『博友社ロシア語辞典(3,500)』買ひてプティ・パレにて喫茶して帰宅。(※省略)

9月30日
9:00起床、10:00朝食了る。(※省略) 東京国税庁総務部長として史、千葉県の汚職官吏のあやまりを東京新聞にのす。
渡辺珠雄氏より「また来る。ソ連人に貴君の計画話した云々」。(※省略)
北口の千章堂にて『発禁本百年』、金関博士『お月さまいくつ』買ひ、佐伯にて『失われた九州王朝』買ひ金なくなる。
武田明君より『続日本笑話』賜りしも面白くなし。

10月1日
6:00さむ。武田明氏へ「愚著贈られ迷惑、わが李白いるならいへ」との意味、手紙にてかく。四国一の民俗学者なる由。
武田氏へ投函かたがた『赤穂義人叢書』などもちてプティ・パレで喫茶後、高円寺(※省略)。瀬見氏7千円で買ひくれ、本店で本買ひ支店でも買ひ、
通りでも買ひ、大通りでこの間店主と話せし古本屋で買って打止めとしプティ・パレで喫茶して帰宅。(午食は成都大飯店で麺くふ)。
竹内好『方法としてのアジア』読み了る。大高時代の小説のせをり、保田のこともいひ、わがことはいはず。200万円の本の内容よくわかる。
松田毅一『南蛮巡礼』、『地図をつくる』、『華族』、『徳川家康』、『帰化人の安置』、『巨大古墳と倭の五王』、『古事記の証明』、『大転秘録』、『昭和の軍閥』が高円寺で買ひし本なり。ユ「歯の治療」と称して柏井へゆく。

10月2日
井上靖氏へ「(※返却の要なし)中国へやってくれ」とかき『李白』とともに〒へ出しにゆき、佐伯にて本買ひ、
(地下街で守衛と喧嘩し、巡査に自転車でからみ、佐伯で「あなたも変人」といはる。) プティ・パレにゆき(※省略)
森山夫妻12:45に来り、(※省略) 16:00まへ出てゆきしあと東豊へゆき借金払ひ、
『鑑真大和上(450)』買ひ『中國古典小説研究專集()』買ひ沢田瑞穂はもと天理大学の中文の教師なりしことわかる。
酒井美意子、夕刊に本売りたき時はイナリに祈るといふに憤慨、他の新聞に変へるやもしれずと投書(前田将軍の息女、姫路の酒井家に嫁ぎ敗戦後怪しげなることせし女なりし)。
ユ不逞、絶縁申しわたす。近江詩人会33年記念会やると。退会申し出づ。



10月3日(日)
8:30起きて朝食。ユの出てゆくを見送り、ねてをり。午后、大来り2万円返す。後期の仕事出来しと也。『李白』1冊渡せばサインせしむ。

10月4日
6:00さむ。10:00山本書店に電話すれば「實君外出」と。「午后ゆく」と伝言たのむ。台湾、北京の大使館に包み、中山正子に包む。
ユ出しにゆき、われ神田へと本もち新宿三丁目をへて神保町。山本店主に本みせればみなにて5,000と。
實君に1冊『李白』を呈すれば署名ささる。『平妖傳』買ひ、南海堂にて善海の本『中国村落制度の史的研究(帰宅してもらひゐること判明)』、
文泉堂にて『立原道造・愛の手紙』買ひ(※掲載された自分あての手紙)証拠に見せれば『コギト』copyに来ると店主荒川義雄の名刺呉る。
家へ電話してもダメ、高円寺「山水書房」月曜休みとあり大石にて新書2冊(120×2)と『古事記と天武天皇の謎』買ふ。(※省略)
林富士馬氏より『李白』受取ったと。

10月5日
疲れて鳥海生と武田昌造氏とへ『李白』包み、林富士馬氏へのハガキとともに出す。午食して瀬見氏に電話して都丸へ善海のダブリ本売り『李白』1冊進呈し、
加藤先生へ文庫本2冊と『解釈と鑑賞361』買へば1,000にまけてもらふ。疲れて帰宅。夕方、山住dr.へ『大唐の春』呈し、 VitaminCのめと(390)。
『李白』を正己先生もちて東北へと。(※省略)

10月6日
雨、7:00さめる。村山高、鍛冶初江2氏に『李白』包みカヂさんにはハガキかく。〒なし。書店にて『狂雲集(780)』買ふ。七五町に記し意味不明なり。
(※省略) 東城書店に17:10電話すれば係17:00までしかをらず(伝へおくと『醒世恒言』の訳3冊13,000ほしといひし也)。(※省略)
小高根太郎に電話すれば夫人出て呼んでくれし故野田又夫夫人病臥のこといふ。末富氏と13:30より碁将棋さし藤井博士の『諺の研究』新書版を呈せし。
文泉堂に電話すれば「金曜14:00来る」となりし。

10月7日
6:00前起床、雨降る。昨日より『平妖傳』よみをり。9:00傘もたず出て地下鉄立ちしままゆき小田急は坐る。
(※成城大学にて)神田信夫氏のありか忘れ、浅野忠允君の家がまうらなるを知る。
神田夫人に『李白』わたし、疲れて講師堂へゆかんとすれば青木生、民俗学会とかで来てをり。栃尾君まつまに高田瑞穂に電話すれば夫人「幼稚園へゆきをり、帰りに寄るならん」と。
果たして11:30来り『李白』呈し、栃尾君と、東山君まつ間「菫」へゆきて待てと。
図書館でリスト19貰ひ、新城博士記念号、わが記念号など拾ひあつむ。
栃尾君と「菫」へゆけばwhiskyの水割り2杯のまされ、高田君払ひて去る。われice-teaのませて別れ、
各停にて南新宿、東豊へゆけば酔出て苦しくtoiletに入り、台湾の棚の前にうづくまり『植物図説(6,000)』、『台湾的仏教与仏寺(1,130)』、『清代台湾之郷治(4,200)』、『客家人(1,810)』、『一視同仁の果て(1,500)』外3冊にて16,470、前回の借金と合せて3万円をもちてゆくこととなる。
茶くれしに茶碗2ケ割り、はふはふ帰宅。
内山より「11/10までに『人民中国』3年分5,000納めよ」、東城書店へ16:00電話すれば『醒世恒言(1.2万+650)』すでに送りしと。2,000の小説追加注文す。

10月8日
雨。6:30さむ。新城常三博士へ『李白』包む。(※省略)12:30吉祥寺へ禎子つれにゆき三鷹の弓子のところで遊ばし17:00連れ来る。 (※省略)
(14:00雨中、杉並区役所へ文泉堂荒川義雄君迎へにゆき『コギト』の欠号大阪より注文ありしといふにプティ・パレへつれゆき(※copy)やらす。
8pなれば安く、われ茶代払ひし方高価なり。これより中央線の古本屋見てまはる由)。
『五采』来りし故、編集の久谷もと子氏へ電話し阿佐谷北の福島氏と来よといふ。「未亡人にていやいや書いてゐる」と。
諏訪澄より「友人に『李白』送れ」と。20:00名古屋にユ電話し「2冊送る」といふ。21:00京、禎子つれに来る。雨強くなると。

10月9日
9:00夫婦とも起床! 雨止む。11:30プティ・パレにゆけば山口翁まちをり。(※省略) 12:15帰宅。東方学会より総会京都でと案内あり。
羽田、武長の施設に勤む。和田博徳君、梅ヶ丘生と也。大分無職ふえたり。武田明君より『李白』くれと。

10月10日(日)
ユ11:00孫ら迎へにゆくとて、われ一人礼拝に出、(※省略)すみて竹森先生に『李白』進呈。一旦帰宅しユより1,000もらひて加福邸。(※省略)
霊前にて全寮歌うたって帰り紀伊國屋へbus下車。『文化人類学への招待(430)』買ひ地図買はず東高円寺まで地下鉄。迷ひながら丸にゆき1冊渡す。
礼もいはれず暗澹として出、大石にて杉山平一『詩のこころ・美のかたち(200)』を150に負けさし無一文となりて帰宅。(※省略)

10月11日
8:00さむ。ユ、孫どものせきにてねられざりしと。午まへ飯もって弓子来り、京に姉らしくす。3孫加はり14:00まで何も出来ず。
ユつれ立って出しあと野球部史と『李白』と包む。(※省略)
東城書店より『醒世恒言(13,600)』、『剪燈新話(2,350)』来り、『日本近代詩全集』と来る。
麥書房に「杉山平一氏へ詩集送りくれ」といへば夫人「承知」と。
吉岡克己君へ2袋。安達さんへは2冊、長島祥氏へ『李白』と包む。あす出すこととす。
 孫らみなさはぎてをればわが心水にはあらず生ぬるき湯ぞ。

10月12日
6:00起床、雨止む。ユを〒にゆかせれば京より「16:30に乗る(※省略)」
午后、佐伯に来てくれといひ野球部の送本2度やる。佐伯に寄れば『北方ツングース』売れたと也。(※省略)
けふ野田又夫氏より受取り「読んだ」と也。杉山君へ詩集送ったとハガキ。本多夫人にも『李白』。
佐伯にて『金瓶梅(1,600)』別訳なれば買ふこととす。15:10佐伯さん来て『北支調査報告6冊』1.5万円で買とり、『李白』『華族』等で上田学而『金瓶梅』4冊を差引して呉る。
(ユ昨日67才の誕生日なりしと) 鈴木首相突然辞意表明、71才の同年にて無能なり。(※省略) 袋書了る。

10月13日
7:00まへ起き9:30川久保へ電話し、ゆくといへば(※省略)、駅前〒にて「野球部史」全部すまし『李白』を羽田へ。
川久保へゆき『北アジア学報3』出しくれしも不要といひ『李白』1冊おく。帰り「書原」にて雑本5,000近く買ひて帰宅。
鍛冶初江さんより「受取った。一度上京する」と。末富さんへ1冊もちゆき「予備役」といふ。将棋珍しく勝つ。
美紀子より電話あり、松茸もち来り『李白』の紹介くはしくしをりと。(※省略)
22:30村山高氏より電話「受取った。発送した」と也。

10月14日
6:30起く。〒へ「野球部史」の最後の便出しにゆき「書原」にて集英社の『李白(980!)(※小尾郊一)』買ひ来り、平凡社へ電話しわが『李白』なきをいふ。
「1,100円は高すぎる」云々といひしに、あとにて電話かかり「売れてゐる。安心せよ。近日久米氏来る」と。
ユ「地下鉄の本屋にては並びゐし」と。午后、中山正子夫人より『李白』の受取と蘇州へゆきゐしとヱハガキと寒山寺の碑の石刻と来り閉口。
久谷もと子氏よりも詩集。(※省略)11/14、東洋史談話会、会費5,000護君講演と。「出席」の返事す。(※省略)
花井夫人より電話「長男自動車事故にて吉林大学医院に入院、あす来られず」と。(※省略)

10月15日
6:00起床、8:00朝食。ユ展覧会とて戸田画伯に呼ばる。17:50磐長谷、中西、森田3生来り、中西維新前の志士の証文よみくれと。森田は落語やりたしとて一休よめといふ。
22:00になりて帰りゆく。中西、森田はわがsemi断りし故1年おくれしと也。

10月16日
8:00覚む。(※省略) 書原にて『李白』1冊見つけてきけば5冊のうち4冊売れしと。集英社の『李白』は積みあり。
佐伯にて『川柳雑俳集(1,500)』買ひて帰れば家にあり。(※省略) プティ・パレ山口氏待ち12:30まで待ち来しに本貸し帰宅。
15:00咲耶より電話「来る」(※省略)来て歌集の原稿見す。来ありし『新刊展望(※林富士馬と対談のす)』やり『李白』買へ「歌は旨し」といひ、
高円寺にゆき散髪し瀬見氏と会ひ杉浦正一郎『奥の細道(150)』、『玄奘三蔵の道を歩く(250)』買ひて帰宅。17:30より真っ暗となる。
21:00(※保田)悠紀雄に電話すれば玉井家出の夫人出て「ユキヲ西下、保田の小坊ちゃん恒三郎8月急死」と。妹は勝田マサ子、辻岡トシ子にてマサ子は未亡人なり。
諏訪澄子より電話、『李白』の受取なり。依子をユ呼びて話す。

10月17日(日)
6:00覚め7:20起床、晴、寒し。ユ礼拝に出しあと10:10出てcopy(誤字誤植)3枚し11:00学士会館着。tea(130)のみ305号室の会場へゆけば、
15分まへ野口医博おこし、下へ見にゆけば安達、吉岡の2氏あり。会の次第打合せ、12:00浜野、野田とで6人となり安達さん開会の辞のべしところへ村山氏来合す。
(※省略) われ次期大球会東京支部長を2年やることとす。(※省略) 15:00散会。浜野君と茶のまんといひ阿佐谷までつれ来り、(※省略)
本2冊貸し「また来る」と帰りゆく。兄と仲悪きは「兄が甘える」為となり。美少年の面影なし。(※省略) 大阪の大球会は渡辺恵が会長と。

10月18日
6:00さめうつらうつらと8:00起床、10:00松田寿氏より(※省略)「請求書は少しまて」と。(※省略)宇田良子夫人より54年刊行の詩集1冊。
成城より『成城文芸101』阪本名誉教授書きあり。(※省略)プティ・パレにゆき村上夫人、客はわれ一人にて愛想よし。
宇田夫人に「詩やめし」とハガキ投函。夕方Yami族の本一時返却を戸田謙介氏にいはれ探しまはりもちゆく。わが病中の原稿のこと云はれし。
(※省略) 中日、大洋に勝てば巨人に代りて優勝すとて名古屋大騒ぎの由。

10月19日
3:30さめて眠れず。11:00朝食。何もする気力もなし。(※省略) 『一視同仁の果て』よみ了る。

10月20日
8:00前さめて床あげる。(※省略) 末富家で碁負け将棋勝って14:30、出て東豊書店にゆき3万円もちゆき29,180払ひ8,780借金して帰宅。(※省略)

10月21日
7:00起床、佐伯へゆき5,500借り、帰れば2冊double。インク買ふ。
 北平の土とならんといひしときいなまれしことわれは忘れず(橋川先生)
よべ日記よみをり、彦根より富士ハウスに移りしところまでよむ。佐伯へ雑本売りにゆけば2,000余り。李家正文『遺物が語る古代史(2,000)』買ひ、
金子書房で夫人より『玄奘三蔵(1,000)』買ひ直しプティ・パレにゆき喫茶。(※省略)
けふ筑摩出版より757,000(内30万支払すみ)請求。麥書房より杉山君に贈与の2,750の請求来り、前者を吉岡君へ転送。(※省略)
『星の古記録(430)』、『邪馬一国(380)』と新書高し。

10月22日
7:00覚め7:30起床、(※省略) われ『平妖傳』よみ了る(昨日、春夫訳『平妖傳』見つけし)。琳琅閣の広告来しのみ。
14:00出て高円寺、瀬見氏保田の『万葉集』(※新潮社『わが万葉集』)見す。飛鳥書房のぞき大石ものぞき本買はず帰宅。Tungus3冊すましBやっと終りに近し。

10月23日
6:00さむ。ユ8:30大に会ひに金もってゆく。(※省略) 母入院するなら他へといふつもり、大もさなりと。
プティ・パレへ11:40ゆき山口翁に本貸さんとすれば「この前見し」と。(※省略) すぐ帰りて午飯、(※省略)

10月24日(日)
よべ22:00ねて4:00さむ8:30起床、ユ礼拝にゆく。鈴木内閣の後任4人立候補。(※省略) 午后出ず、(※省略)
夜、吉岡君に電話すれば金、筑摩出版にあす送る。我の立替も送ると。(※省略)

10月25日
7:30起床、11:00本局へゆき渡辺恵君に書類一切全部送る。2包にて1,500とらる。開き封とせざりし也。
書原にて永井ふさ子『愛の手紙(1,200)』買ふ。全集に入りゐる由なり。
昼食しteleviの映画見了り「散歩にゆけ」といはれ1万円もらって東豊にゆく。重なりしもの買戻してもらひ2,000ほど残る。
新宿まで歩きて地下鉄、また書原にゆく。これにて気がすむ。(※省略)
(東豊で『大唐西域記』、『中国民族性研究』を「人人文庫」で買ひ500ほど払ふ)。
 老いづきて恋せし人のおもひをばわれは知りたり失ひしもの。

10月26日
6:30起床、(※省略)10:00村山高氏と渡辺恵君に正誤表送る。佐伯にdouble本売り、黒板勝美『国史の研究 上(500)』買ひ来る。(※省略)
 去りにしはわれが若さか革命は見ずて去りたる人のごとくに。
 わが生れし辛亥の年革命の起りしことをわれ忘れゐき(宗慶齢追悼のteleviあり)

10月27日
0:00ねて7:30さむ。15℃なり。(※省略) 末富家で碁将棋早々にすまし、ユ母のところへゆきしに竹田誠伍未亡人より缶詰と『御旗かざして』貰ひ受取かく。(※省略)
 歌つくり詩は作らずと決めにしもいつの誰かの定めしことか。
 茂吉はも55にして恋をして苦しみつつも楽しみしらし。

10月28日
家居。夕方弓子来り、克次朗のことにて心配しをり。竹森トヨ先生の本11月に出てあと記念会と教会とより通知。中国の人口10億8710万と。

10月29日
8:00起床、10:30「書楽」にゆき『李白』減りしを見、『倭人伝を読む(460)』買ひ佐伯に寄りて帰る。(※省略)
吉岡君へのハガキ投函に高円寺へゆき、大石書店にて目加田誠『唐詩散策(1,300)』、『母の国・父の国のことば』等買ひ、瀬見氏より『北支蒙疆詳図(100)』買ひ、
プティ・パレにて喫茶、(※省略) 『平妖傳』のcardとり「ツングース語」■まで来る。(※省略)
松田寿氏来り5冊呉れしを2冊吉岡氏に送り、その旨ハガキ書く。

10月30日
6:00覚む。旧稿よみ直し「史の日記見て父には不快を感じるとあるを見し」と。エディプス反応強きなり。吾に似しかど吾より強しと思ふ。
11:00千草来り、保険やめ裁縫にて暮すと。昼食して大のところへゆく。
(プティ・パレに中山翁に会ひにゆきしに来ず。福地夫人も休み、明ちゃんsurvice、客なく廃業か。)
(※省略) 15:30中沢二郎夫妻、治子と来り(※省略)、乾杯せしところへ「千草待つ」と大より電話に、眠りゐし子覚めて出てゆく。

10月31日(日)
よべ1個頓服足してのみて眠り6:00さむ。ユ礼拝にゆき我休む(10:00ごろまで体調悪かりし)。12:00ユ帰り(※省略)昼食後、荻窪へゆく。
岩森支店立退きとなり2年後ビル建つと。この間の立原の手紙売れしらしかりし。帰りて佐伯に寄りて帰宅。(※省略)

11月1日
8:30起き、花井夫人「14:00来る」との電話、和田夫人より「来られず」の電話あり。
青梅街道の「書原」まで『李白』買ひにゆきしとて花井夫人15:00近く来り、16:00すぎまで花井母の死亡後、世話せしを無視されしといふ。 気の毒なるも仕方なきことなり。
送りかたがた出て、(※亡弟)建の記念のpencil直りしとて300とられ、「書楽」にて保田・棟方志功共著の『R火頌』といふを買ふ。440円にて4月15日発刊の講談社文庫なり。
けふ「三火会16日12:00、1,500円」と通知あり出席ときむ。安達さんより我と吉岡君へ何か記念品をと電話、20:20「その必要なし」と答ふ。

11月2日
8:00覚む。『人民中国』3年分払ふ。井上靖氏より「その内機会を見て中国へ」とハガキ。昼食後高円寺、新本屋に『李白』なし。
都丸支店にて『邪馬台国(600)』買ふ。『中国展(800)』はdoubleをりし。春夫訳『平妖傳』はやめ『平妖傳』にてcardとることとす。
河野夫人より電話にて「古田房子、癌でけふ死にし」と。

11月3日
8:00覚む。秋の叙勲、中西実、勲一等。讃岐喜八、勲2等。岸田茂雄、久保亀夫、外山軍治、藤枝晃、勲3等なり。坪井が勲4等もらひしは去年なりし。
浜野治(※省略)来て貸した本返し3冊中国関係もちゆく。専門の話を大学で特別講義したき由。われ「勲2等ほし」といへば嗤ふ。
駅前へつれゆき書泉で『李白』買はせ750の本与へて別る。televiでMozartの一生を何時間もやりをり。寒くなり来る。(※省略)

11月4日
よべ2時まで眠れず。安定剤1錠足してのむ。8:00起床、16℃なるらし。ユ、母のところへゆく。(※省略)
午后、安達遂氏に事後報告。佐伯へ本売りにゆき(2,000)『日朝小辞典(1,200)』と堀三千『父との散歩(600)』と買ひて帰宅。(※省略)

11月5日
8:00さむ。ユ〒へゆき留守。8:30、400枚(×40)買ひて帰宅。10:00ユ、治子に会ひに出てゆく。堀三千夫人に読後感。
午食プティ・パレで昼食ピラフと紅茶(710)。
午后の配達にて守山の大野新氏より詩集と文集、天野忠を愛読するらし。手紙かく。
平凡社久米氏より電話「『李白』評判よき故2,000増刷する予定。直す箇所ありや」と。
「小山正孝君にきけ。わが考へにては直すところなし」と答ふ。

11月6日
8:00起床、山本書店に電話すれば實君「42Pまで校正出し、その内かためて送る。『李白』はあれほど宣伝すれば(※売れるだらう)」となり。
「木村由三郎翁逝去」と。帝塚山で我を愛せし用務員にて小母さんと二人そろひゐしも小母さんに先立たれ天寿を全うせし也。弔辞かきて投函。
プティ・パレにゆき福地夫人に『東洋画』7冊贈り山口翁まちしも来ず、午飯くひ、ユの戸田画伯に出てゆきしあと「書原」にゆき神近『トルキスタンへの旅(800)』買ふ。かなづかひ「支那」などそのまま大阪を活かせし也。
川久保(※省略)待ち、帰りしと話し満洲関係の贈られし本見る。
出て書泉へゆき『新潮』の保田與重郎論のりしを買ひ来る。我に代りてほめゐる。(※桶谷秀昭「戦後の保田与重郎」か。,)

11月7日(日)
22:00すぎ鍛冶初江氏を霊媒とする計画考へ眠り4:00さむ。
ユ聖餐当番とて8:00出てゆき我9:30出て3列目、終りトヨ先生追悼集(2,500)ユに購入せしめて帰宅。13:00近くユ帰宅。
午食し、横になりしも眠れず。

11月8日
8:00さめ8:30起床、けふ立冬と。12:30出て高円寺、大石書店に寄り1,250
の沢田瑞穂『中国の動物』を『差別』に1,000出してかへことし、都丸支店にゆき新書(100)買ひ残金150にて帰宅。
茶のむ。夜、京より電話あり。

11月9日
よべ2:00にねて(card入れ)8:00さむ。10:30card買ひにゆき(※省略)、中西進『万葉集入門』買ふ。
佐伯にゆき『妖怪談義(150)』、『長男の本(250)』買ひて帰宅。(※省略)
石井正吉君より「ハガキみた。平凡社売切れ、月末再版といひし。ノヴァーリス『青い花』もって来る。いつが宜しきや」と。
返事かき「電話せよ」といひやる。(※省略)

11月10日
6:30覚む。借金あるとの夢想ありユにきけば「なし」と。(※省略) 13:30末富邸にゆき碁5目にて勝負あり。来客申し立てて帰れば15:00滝沢(50年卒)来り、(※省略)
(朔太郎の会会長、伊藤信吉と。西脇さん死にし後釜なり。我には来まじ)。(※省略)
未堂徐廷柱氏署名本の詩集『朝鮮タンポポの歌』の受取あす書くこととす。

11月11日
6:00さむ。(※省略)史8:50〜9:00国税庁総務部長として「主婦の内職79万円まで無税」といふ。
(※省略) 山本實君に電話し「内校よくできをり」といふ。諏訪賢氏より退院祝。木村山次郎氏より「手紙霊前で読んでやりし」と。
夜、televiで「ソ連ブレジネフ逝去」と。(※省略)佐伯へ1冊売りにゆけば500円と。『車窓から見た自然界(300)』買ひcard買ひて帰宅。
けふ半島の詩人未堂氏に長い手紙かく。詩にふれずわが半島感なり。

11月12日
6:00さめ9:00まへ朝食了る。仕事し、午飯のあとcard買ひにゆき古本屋で『法曹漫歩(300)』買ひ来ってよむ。
本多浩君より『室生犀星文学年譜(8,800)』贈られ礼かく。(※省略)夜、丸に電話し「汝も漫歩かけ」といへば反対もせず。
本多君に礼状かく(下痢す)。

11月13日
7:30覚む。10:30山住dr.にゆき大分またさる。尿異状なし。血圧106〜75、血液採られ結果水曜と。診察料1,800とらる。
11:30山田翁に会ひプティ・パレ福地夫人のブリッ子を云ひて12:00まで待ちしも来ず。
高円寺へゆき4店の古本屋まはる。都丸支店でReclamの『Heinrich von Ofterdingen(※青い花)(250)』見つけしがうれしきことなりし。
竹岡のむすこ本くれ名刺呉る。平凡社より『中国の名詩』第2回配本来り、麥書房より滝沢用の詩集来る。

11月14日(日)
ユわれに飯くはし(8:00)礼拝にと9:00出てゆく。われcard買ひに出しあと高円寺へ散髪にゆく。内Mongolaにゐし憲兵といふが待ちゐてよくしゃべる。
すみて古本屋ちょっとひやかして帰宅。辞典にてこのごろ時間をつぶし15:30となり出て本郷学士会館へゆく。
岡部、京都より来をり、われを嫌ふ榎、市古など来をらず、植村先生81才とて乾杯の発声さる。ソ連寄り来し昭和26年生といふMalyavinといふ留学生(※省略)「わが家へ来い」といへば来るやうな返事す。
護雅夫博士のトルコの話は刷り物ありてよくわかり、まだ学問も発展途上国なり。老人と青年、右翼と左翼は使用語ことなる由。
すみて質問ありやといへば川久保「対日感情は」といひ「日本の軍事的援助を期待す」と日露戦争の日本をおぼえをりとなり。
20:30すみて植村先生の歩みたまふを追ひぬき(※省略)川久保と地下鉄。南阿佐谷で別れpão食ひ、柿食って就寝。(※省略)

11月15日
7:00さむ。10:00すぎ出て書原にゆき『李白』2冊あるを見(某氏の『李白』は4冊)帰り来る。
五十年となりて病むとふこのをみなわれゆるさじとにくみをあかす。ユ13:00より吉祥寺へ出てゆく。(※省略)
われ讃美歌集を見て「雪よりも白く」の句ある(※実母)これん愛誦の歌を検し「521イエスよ、こころに宿りを」と探し当てる。
君津の坂井昭君より「ハガキありがたし。四季派について早くかいて下さい」と。(※省略)
コーナー『思ひ出の昭南博物館』よみ了り(※省略)、
中西生18:30来り夕食し、山陽の「木米集序」よましむ。草書にして苦心惨澹す。21:30すみて再来といひて帰りゆく。

11月16日
6:30覚め7:00起床、10:00出て11:00数寄屋橋ニュートーキョー9階へゆき11:45入室。正野虎雄氏に『回想記集』1冊呈し、
浜野来り、原田来しほか知合少く、中西実氏来り勲一等の祝ひで『回想記集』呈すれば返さる。きけば津田氏も勲一等なりしと。
但し披露ありて皆柏手す。平井啓一氏(17LB)の防衛費など概論あり、浜野君と終りまできき『回想記集』の披露ささる。
早川敏一氏より挨拶あり13:45すみて浜野君と出て餡蜜くひておごり、(※省略) 山本書店へつき實君しばらく待ち、
「1,000部まで刷れ」といふ。「印税は本でもらふ」といひしもあまり欲しき本なし。(※省略)

11月17日
(※省略)0さむ!(※省略) 兼清君より19期生会の通知。末富家へ13:30より15:30までをり碁将棋。ユ吉祥寺へ買物に出ゆく。われマコトヤにcard買ひにゆく。

11月18日
9:00さめる。(※省略) 午后card買ひにゆき佐伯に2,500の借金出来る。

11月19日
9:00起床、ユ午后花井夫人に誘はれ上野へゆき序でに清水和子の画も見しと。われ太陽神戸より1万円引出し佐伯に払ひすます。(※省略)

11月20日
9:30起床、おそき朝食了へ、ユ買物へゆきしあと美紀子より電話かかり、柏井へ歯の治療にゆきし史、暁子と3人で来り、
美紀子仕度して麺くった去る。
われユの絵にゆきしあと高円寺、成都大飯店にて麺(550)、殆ど食はず瀬見氏よりソ訳中国文学史見て『三千里─日本人と朝鮮語(200)』買ひしのみにて久しぶりに山水書房にゆき富士川英郎『菅茶山と頼山陽(1,000)』買ひて帰宅。

11月21日(日)
8:30覚む。ユとともに礼拝休み、午后ユ写生にゆきわれ三鷹、竹中書店にて『最後の藩主285人(500)』買ふ。ユの曽祖父、井上河内守の像あり。

11月22日
8:30起床、〒なく事なく、ユpermaにゆきし間にまことやへcard買ひにゆきしのみ。

11月23日
けふのトヨ先生の出版記念会の時の話に苦労する。山本書店より『蘇東坡』の校正来る。
13:10出て吉祥寺教会、会堂に半ば満ち、礼拝すみて森田先生の司会にて祝賀会。
われ小声にて聞えにくかりしとユの話。トヨ先生の思ひ出ゆっくりは話せず。16:30をすみて竹森先生のお話ありてすむ褸。(※省略)
21:30校正すむ(但しあとの方、原稿なくて出来ず)。

11月24日
9:30起床、10:30朝食。昼食せず、千草来りしを見て末富家へゆき碁4目となる。帰ればユをらず、(※省略)

11月25日
8:30起床、寒くcardやり外出せず。山本の校正も出来ず。末富家より柿と林檎返礼に賜はる。
『風日』来り、保田夫人もはや救ひ難し。

11月26日
8:30起床、午后山本へ校正出しにゆく途中、印刷屋に年賀ハガキ400枚の印刷たのめば「12月4日出来5,000」と。
card買ひに『平妖伝』と『醒世恒言』と引き続きやる。中曽根内閣をtelevi報ず。

11月27日
寒く、外出せず。(※省略) 鬱となりしか下痢なほらず。

11月28日(日)
礼拝休む。下痢に近く神経ならん。cardやり石井氏に問合せのハガキす。

11月29日
8:30起床、11:00ユ平林夫人に会ひに出てゆく。午后石井正吉氏より電話「風邪ひいてゐた。2日13:00来るつもり」と。

11月30日
9:00さめ10:00朝食了。cardやり午后散歩。(※省略)戸田画伯夕方お越し、戸田謙介氏倒れ、会に代りて出席せしと。
浅野晃氏より預りの『ものぐさ手帖』とYami族の本とを改めて賜はる。
桝田夫人より電話「本買った。和田夫人と来る」と。ユ出て「縁談のことなら一人で来よ」と。

12月1日
9:00起床、末富氏「出社、けふは勝負せず」と。午后高円寺まで歩き阿佐谷でcard買ひて帰宅。(※省略)
鬱にて何をするもいやなり。(園田博光氏「逝去」と令息より)

12月2日
8:30さむ。早川君より保田のことにて11:00来ると電話。弥彦君10:00前来り、『コギト』の署名なき保田の文章を鑑定せしめ「母に新居に逢ひに来れ」と。「鬱でなければゆく」といふ。
(※省略) 14:00近く石井正吉氏来り『李白』与へ、もち来し『ハイネ恋愛詩集初版』『青い花2版』にsignし捺印せよといふに印出して捺してもらふ。33才にて未婚となり。
山本より「蘇東坡」142pまで来り、美堂正義氏より「詩集の序文くれよ」と。
橋川夫人より時雄先生10.19逝去。(※省略)

12月3日
8:00さむ。川久保、柏井歯科へゆきし帰りと寄り早々に帰りゆく。校正すまし太田三男の見合にゆくユに投函たのむ。(※省略)
林語堂の引用につき訂正したく、あす山本にゆくか電話せんと思ふ。

12月4日
校正の誤正しに山本へゆき、また一台分もち帰る。印税いらず本でもらふといへば實君喜び父呼びしも不在。
『話本小説概論』買ひて12:00すぎ帰宅。(※省略)金沢(※金沢良雄)より『本来無一物』来る。(※省略)

12月5日(日)
6:00さめ礼拝にゆく。ユより先に帰り13:00近く戻るまで待つ。けふはまだ暖し。(福地夫婦のプティ・パレにゆくに遭ふ。貧寒なる男性なりし)。
21:00彦根の藤野一雄氏より電話「7日13:30訪ぬ」と。きけば娘を訪ねに上京となり。

12月6日
5:00起床、寒く、校正すましユをして投函せしむ。村山氏より内田夫人の手紙のりし報告来る。

12月7日
7:30起床、無為。13:30藤野一雄君来る。「詩集出す」と也。嬢、船橋にて理髪の見習ひす。16:00東京駅で会ふと15:00出てゆく。
(山住dr.にゆけば95と低血圧。血圧昂進剤もらふ)。

12月8日
寒く、外出せざりしも。末富家に呼ばれて碁4目にて打ち2勝1敗。将棋にも勝つ。ふしぎなることなり。
中山正子夫人より蜜柑一箱、森山氏より鮒の甘煮。(※省略)

12月9日
寒さそのまま。13:00弓子来る。(※省略) 宇井(井上)、丸木、白水、押上(得津)、豊島(森田)智子の5人来り、(※省略)
けふ浅野晃その他へハガキ3枚、弓子に投函たのむ。

12月10日
よべ不眠にて参る。詩集2冊来る。中山正子夫人へ礼状、あすにとす。

12月11日
眠剤1錠まし9:00まで眠る。中山正子夫人へ礼状かき投函かたがた散歩。佐伯にて『桃太郎の母(800)』買ひ、card買ひて帰宅。
(※省略) 木曽の荻村家より林檎来る。新学社より詩集の印税899送金したと。夜、宮崎女史より「明日来い」と。

12月12日(日)
よべ1服のみ足して7:30起床、ユ礼拝にゆき(※省略)、桝田夫人の話ダメとなりし。

12月13日
よべ眠りて午前中校正すまし、午食後自分で〒、(※省略)中西生より電話、来ると。18:00夕食すみし頃来り、頼山陽よませ全然できず21:50帰す。(※省略)

12月14日
8:30さむ(眠剤飲み方かへる)。田中栄太郎より贈物来り、美紀子来る。史、毎日飲酒と。暁子を今井家へおき来しと。17:30帰りゆく。(※省略)

昭和57年12月15日〜昭和57年12月31日
25.0cm×18.0cm 横掛ノートに横書き


12月15日
9:00覚む。ユもおそく起きし。ものうく何もせず。午すぎ最後と碁将棋しに末富邸へゆき将棋負け碁3目となりて帰り来る。
「賀状20日までに出せ」と。アイウエとばして書く。来年よりは止めん。平凡社「中国の名詩3」として目加田誠老の75調の『詩経』来る。

12月16日
7:30さめ9:00より賀状かく。岡正雄氏老衰死と。午后高円寺へ散歩にゆく。瀬見氏をらず。地下通りて阿佐谷へ出、card買ひて帰宅。(※省略)

12月17日
8:30さめユpermaに9:30出、13:00帰り来る前、賀状かき了へ午食すませ高円寺南3丁目局へ投函、瀬見氏けふもゐず。
帰りてまた賀状片づけ阿佐谷駅前局へ投函。card買ひて帰宅。(※省略)
『喜田貞吉』よみ了る。(※省略) 桑原武夫氏の推薦で本となりしと著者。

12月18日
7:30起床(よべ眠れし)。午食後、加藤定雄への手紙出しに高円寺、(※省略)。大石、瀬見夫人より本買ひ、瀬見氏ゐざる故、今年はこれでといふ。(散髪せし也)。プティ・パレにゆき福地夫人にも別れいひて帰宅。
蘇東坡の校正し「偶得」の原文見られず、あすと止める。

12月19日(日)
7:30起床、ユ8:00に出てゆく。われ9:10出てひと電車早く礼拝にゆき、すみて(※省略)中国料理店にゆき粥くふ。(※省略)
ユと遭ひて佐伯にゆき『シンガポール育ち』買へば白水(※白水繁彦)の訳なりし。帰りて雲呑くふ。(※省略)
澄より5,000(『李白』3冊代)と依子より菓子とユへの洋服来る。仙台より「物ついた」と京。

12月20日
8:00起床、9:00朝食すませ止むを得ず「蘇東坡」の校正半分やり昼食すませ13:30高円寺、瀬見氏をり。
『シルクロード西域の詩』買ひ「夜ゆく」ときき流し飛鳥書房へゆけば帰り来し店主「お茶のみませう」と一緒にゆき、
われは茶、向ふはうcoffeeのみわれおごる(兄弟にて我が家へ本買ひに来しと也)。それより大石へゆきまた本買ひ、高円寺これにてすむ。
(校正了り298pなり)。山本實君には「あす14:00もってゆく」と電話しありあり。(※省略)
夜、西川に電話すれば夫人出て「主人宴会にて未だ帰らず」と。(※省略 中西生の就職)西川にたのみたくなりし也。
(山住dr.にゆき血圧125と高し。「躁にて云々」)。(※省略) 夕食まへ瀬見氏歳暮もち来り、正月出直すと。
20:30近く西川電話くれ「あすの三火会出るや」ときけば「出ず」と。

12月21日
6:00さめ歌うたひ、ユを起し8:00朝食すみ、10:30出てまことやにてChristmas-card(200)とcard(300)買 ひ、地下鉄にて銀座。
beerhall9階の会場にゆけば話者田崎君をり(10SC元海将補)12:00まへ幹事正野虎雄君来り、会費1,500払へば9LAにて我を知りをり。(※省略)
開会直前に原田運治来り、(※省略) 話すみ地下鉄(※省略)、山本書店にゆき實君に校正渡し(責了と)、
『高山族簡史(500?)』買ひ、林語堂『蘇東坡』借り、2〜3月に出版せよ、30冊著者買上げ、残りは本にてといへば實君喜ぶ。(※省略)
仙台よりの小包来り2万円を父母にと、健太郎の画など入りをり。20:00礼の電話われかけしに、わが訛りに健太郎わからずと。禎子出て「ヂイちゃん」といふ。
神田喜一郎先生の編に係る『森槐南遺稿中国詩学概説』来をり早速礼状認め、Canadaの富山鈴子にChristmas-cardかく。山口基君にもハガキかく。(※省略)

12月22日
5:00さむ(よべ1:00眠りし)。「通訳Gulmahum」探せばにありし。(※『東洋學論叢 : 石濱先生古稀記念』1958所載「通訳グルマフン」)
9:00出て神田先生、山口基への便投函。富山鈴子へ航空便、(※省略)
書泉にゆけば『李白』2冊『近代詩集』3冊『詩経』10冊積みあり。集英社の本はなし。毎日新刊300冊入ると店員我を知りをり。
(※省略) 躁の徴候甚し。(野村Touristより(※悠紀子夫人)ソウル行の件きき来し故「2月たのむ」といふ)(※省略)
園田淑郎氏に厳父博光氏の弔文かきて疲る。けふ田中角栄の訊問に「事実無根」と答ふ。右翼さはぎしと、ふしぎなり。冬至とてユ風呂にlemon入る。

12月23日
6:00さめ歌ふ(9:00とあやまりし)。9:30出て佐伯に鮭半分もちゆき家にある本2冊(850)買ひて帰宅。
野村ツーリストの会長神原藤佐尾氏に『李白』書泉にて買ひ来しを包み、また駅前へ出しにゆく。
ユSeoulにともにゆくと決心、2月26日より3泊の予定、Seoul数泊、釜山1泊ときむ。猥本をユの留守に懸命によみ、帰り来しときは方々に電話す。
深沢紅子女史の娘が佐々木望の夫人とわかり電話すれば望、通院中と。深沢女史の娘と確認し、なつかしやといふ。あとにて望より電話、新学社関係ならん盛んに上洛と。「その内来れ」といふ。
滝沢勉に電話、(※省略) 2月10日札幌より恋人上京、わが家へつれ来ると也。(※省略)佐々木望の義兄は竹内正夫氏とわかる。賀状にその旨かかん。

12月24日
5:00さめ竹内正夫氏へ賀状かく。『新潮』12月号よみ津村節子、桶谷秀昭に「会ひたし」とハガキかく(新潮社気付)。
東豊書店へゆきたしと思ひ、書原に出て5,000本買ひ14:00帰宅。ユ金呉れず書泉にて『李白(1,100)』買ひ帰宅。病気また起りさうになり、
Christmasの歌うたひつつ、すし食ひ麥書房へ金送るの電話す。(※省略)白水生に「本買った。よく出来てゐる」とほむ。(※省略)
ユ22:00近く帰り3孫みなにラーメン食はし金なくなりしと。残飯くらふ。
美堂正義君に何枚いつまでかと問合せのハガキかく。(※省略) 和田マサミといふ女生より『楊貴妃とクレオパトラ』見せよと。「来よ」といひし。
(※省略) 17:00正野虎雄に本もちゆくことを約束す。
(今朝の新聞、中河与一85才、62才の弟子と結婚まへ68の夫人と60の夫とより慰謝料500万円の訴訟となりしと。老醜にして終りを飾るに足る。)
(東豊にて都立大中文研究室曽士才君に自己紹介「家へ来よ」といふ。「神戸に家あり帰宅後来る」と)。

12月25日
5:00まへ起床、眠し。入浴。ユのさむるを待ち蜜柑食ふ。うまし。ユを8:40起す。その間『果樹園』よみをりし。10:00出て美堂君宛ハガキ投函。
電話しおきしに川久保にゆき、『清朝前史の研究』買へとすすむ。11:30出て帰宅。午餐toast-pão、
13:30戸田謙介邸へwine(1,500)酒(570)もちゆく。14:35帰宅。televiの西部劇見る。16:00ユ帰宅を見て家を出、(※省略)
古本屋にて『デルス・ウザーラ(100)』、『442連隊戦闘団(100)』買ひて交番にて巡査に途きき、ゆけば(※正野虎雄)黒めがねかけて待ちをり。
(※省略)伊藤朝生、佐々木喜市、全田忠蔵、酒井賢などの話す。夫人外出とて近道教へくる。
わが出しあと、岩森書店来て白鶴くれしと。電話して礼いひ「(※立原道造の手紙)谷川俊太郎に貸せ」といひて電話すむ。(※省略)

12月26日(日)
西川に電話し「三火会に出よ」といふ。(※省略) 加藤に電話すれば「手紙くれたのは君だけ。火曜は常に用あり」と。(※省略)
岩森社長に電話し「10:00ゆく。店あけよ」といひ10:10に地下鉄にのれば店あけをり。坐らして「茶かコーヒーか」と。「茶」といひタバコもらひて2本吸ひ、「来よ。本は売らず。嫁世話する」といへば、「28才(※省略)」と。わがもちゆきし金尾の本3冊7万円にて買ひ、売りたくなき良き本と喜ぶ。
2万円近く買ひ、雨の中、重たがりて歩きechoみつけて買ひ、堀さん(※堀多恵子)にゆき、隣家の呼出し押せば娘さんで出て来て「お上り」と二階に上ぐ。
タバコ1本吸ひユに電話せしめればユ出て「下歯忘れゐる」と。大笑ひとなり12:00退去(近く来ると。
(※萩原)葉子の不品行話す。dance見にゆきしはまことなりし)。「俊ちゃん留守、専修大にゆきゐる」と。
12:00出て下駄をgarrageで直しゐれば夫人追ひ来り、忘れしechoわたし呉る。よくも途わかりし也。下駄入れてもらひ近道して帰宅(12:15)。
ユに話して昼食にpão食ふ。(※省略)3度目の入浴し(※省略★)、就寝。
(史18:00来り、(※省略) 我が「松浦の養子か」との一言に参り早々帰りゆく。17:30美紀子松浦より電話してわび云ふ。)

12月27日
5:00さめ小便し日記かく。(※省略) 10:30出て佐伯へゆき本(『長沢規矩也著作集1.2』、『朝鮮の通過儀礼』)とり、
向ひのタバコ屋にてecho2ケ買ひ、老爺と話せば碁相手にならず。(※省略)
国鉄にて代々木(140)、東豊へゆき1万5千円払ひ『人々文庫』11冊買ひ、
来合せし学生に「家へ来い。『酉陽雑俎』そろひあり」といへば返答横柄なる故「失礼な」とどなる。簡さん感心し、ラーメンとりて200円払ひ、
おほむね食ひ了り出て国鉄にて高円寺、重き佐伯の本瀬見氏に預け「3日来る」と聞き、丸家。
echo2ケやり、目の前にて吸殻落すを見、探せども見つからず夫人呼べば来て見付く。
重俊に「詩集もらはず」ときき「家へとりに来い」といふ。結婚相手きまりしと也。(※省略)出て瀬見氏より預けし本とり(※省略)、
阿佐谷駅につけば(※来ると約した学生)をらず。ユに電話すれば「来てをらず」と。交番前にゆき(※省略)、学生如きに「田中だ」といひ見れば「宇田」なりし。「和田」はききちがひとわかり、途教へつつ家へ伴ひ『楊貴妃とクレオパトラ』もたせ、(※省略)ノートとる。
『アジア歴史辞典』の「楊貴妃」写し、『外国人名辞典』の「楊貴妃」写さし、『楊貴妃とクレオパトラ』の楊貴妃伝よんでやりnoteさす。
ユ18:00に夕食出し、炒飯なり。彼女みな食ひ、(※省略) (※『楊貴妃とクレオパトラ』)貸すが必ず返せと借用証かかす。
音痴にてわが「Torna a Surriento」ききをり。8:20ユの声にて帰るとてユ、突き当りまで送る。(※省略)

12月28日
よべ23:00起床、4:00さめ、6:00歌うたひ(『果樹園』よみ美堂氏の初執筆は37号「法事」といふ詩、駄作なり。)(※省略)
ユと2月26日出発3月2日帰京となり(新宿野村ツーリスト)1月5日10:30新宿へゆくこととす。(※省略)
19:30竹岡に電話し『堀全集』いくらで買ふかといへば3.2万と。瀬見氏に電話してきけば3万と。佐伯に電話すれば入浴中、あす朝電話すと夫人。

12月29日
早朝目覚め(※省略)6:30離床。佐伯に8:00電話、起きず8:30再びかけしもダメ。(※省略)9:00佐伯にユかければ「10:30来る」と。
松田寿氏とかち合ふと思ひしに10:10来り正誤表もち帰る。佐伯10:30来りero本15冊7,000にてもちゆく。(※省略)
ユ阿佐谷駅で切符買って待ちをり三鷹で下車。歩きて道わからずGolf場の角にチエさん(※宮崎智恵)をらず、ユ電話かけにゆけば(※省略)はさみうちとなる。
しるこ買って新宅へゆき、しるこ食ひ、茶のみ、歌集呉れ、ついで『猪鹿猿』の文庫本呉る。弥彦帰り来ればPafi(犬)の散歩を命ず。
出て薬局にてFaston(※入れ歯安定剤)買ひ、チエさんと別れ(※省略)、長島家、254番合唱す。出て山岡書房へゆき、1,800円分八王子関係の本買ひ、
駅に出て18:00阿佐谷につき金子の夫人、番とて入り『みかぐらうた ; おふでさき』、『琉球の歴史』買ふ。(※省略)

12月30日
晴。4:00さめ6:00televiつけ7:00ユを起し、pão食ひて8:00郵便局(※省略)、川久保のbell押せば今起きしところと玄関払ひ。(※省略)
餅屋来り払ひす。ユ帰れば重久武志生より「あわび」来り、原田運治への『詩集』送りにゆかす。
丸重俊にやる分は麥書房にたのむ。夫人出て「主人鬱性とは誰の言か」、笑って答へず、堀多恵さんの言なり。(※省略)

12月31日
11:00ねて8:00さめ朝食。televiに「後藤新平岩手生れ」と。ユと柏井へゆき井上河内守の写真みせ、史に見せしのち柏井の有とすと。
ラーメン4人分(350×4)とりて食ひ、出て、千章堂で980円買ひ、佐伯に本買ひ、本売るといひ23,000差引し、島本久栄氏の『塔影(※河井酔茗生誕百年)』の文章ほめるハガキかきて投函。
(※省略) 加藤俊彦に電話すれば「何か用ですか」と。「堀多恵さん」といひて切る。


付記:プライバシーに配慮して一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。


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