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田中克己日記 1955


【昭和30年】

 この年、詩人の初めての歌集となる『戦後吟』が計画され、2月11日に出来上がると、その送付先や評判に関する記録が日記の前半にこと細かく記されるやうになります。

戦後吟

 壽岳文章博士からの「会津八一に比肩す」との絶賛をはじめ、出来栄えについては概ね好評でしたが、出来上り(造本)については、同時に評伝 『李白』を刊行した筑摩書房の土井一正氏からプロらしいチェックも入ったやうです(3月10日)。 なるほど云はれてみれば私の所蔵本は、本文紙が厚すぎたのか、紙目も逆でノドに皺が寄ってをります。

 奥付をみると京都で印刷業を営んでゐた『骨』の同人、山前実治の文童社からの刊行となってゐますが、日記をみるとどうやら山前氏の諒解(アドバイス)のもと、 近くの格安印刷屋(中野印刷所)が使はれた模様です。そんなこともあってか山前氏が印刷代をさらに勉強させたのでしょう(2月27日)。ただ詩人本人は不満など書いてませんし、 私も聞いたことがありません。安く作ってもらったことにホッとしたのではないでしょうか(先年12月27日)。

 題簽を明星派の歌人だった父西島喜代之助(西島南峯)に、意匠のトリコロール柄は長女の依子氏が塗ってさしあげたといふ、上製文庫版のこの歌集。新時代風の明るいデザインと家庭的な手触りの風合に仕上がりましたが、 著者にとって生涯唯一の歌集となったことを思ひ、望蜀の感を申し上げるなら、本書をその格調に相応しい、も少し仰々しい装釘で見たかったとも思ってゐます。例ふるなら棟方志功の装釘や、 今一度『詩集西康省』とお揃ひの鉄色表紙の和装本などで如何でしょう。

 そもそも『戦後吟』といふタイトルですが、内容をみれば戦後吟(昭和21年−29年:65首)だけでなく、戦中吟(昭和17年−20年:64首)、そして田中克己の代表歌である「このみちを・・・」の歌を巻末に据ゑた年少吟(昭和5年−8年:65首)を含んでゐます。 それ以外の昭和9年−16年を謂はば「詩人としての黄金期」とするなら、詩作よりむしろ作歌に高い調べが感じられた前後の時代が三等分されて収められてゐる訳で、最近作を以て世に問ふ思惑があったとはいへ、 肯へて「戦後」の名は冠せずともよかったのでは、と思ってしまひます。

 実は私自身が先師の没後、御遺族の依頼を受けて『田中克己詩集』を編んだ際、和歌は『歌集』として別に上梓すべきと一旦は外したものの、編集後になって雑誌追悼号を出してくださった歌人の平野幸雄氏から、 「刊行の栞」として自費印刷してでも添付したいとの要望があり、量的にも『戦後吟』だけなら付録の体裁に収まってしまったといふこともあり、御厚意に押し切られる中途半端な形で付してしまったこと、 『全歌集』として冊子物の体裁をあらためて与へることができなかったことに対して、個人的に後悔を感じてゐるといふ次第です。

 またこの年。昭和30年の後半からは、懸案となってゐた新雑誌がいよいよ創刊にむけて動き出します。その原動力は田中克己といふより、もう一人の発起人=小高根二郎の発願にかかる、結核に斃れた『コギト』の盟友伊東静雄に対する顕彰に傾けられた情熱でした。 資料としてあつめられた亡き詩人の書翰、ことにも失恋に終った恩師令嬢(酒井百合子氏)へ宛てた書翰の存在は、さぞかし小高根氏に衝撃を与へたことでしょう。 「伊東静雄書簡編緝所」と戯れに自称する報告(5月7日)に、手紙の解析にいそしむ熱中ぶりが感じられます。しかしこれには当然花子未亡人の反対がありました。8月18日、9月11日と、 夫人と親しかった田中克己を介してのやりとりが記録されてゐますが、説得の場に同席した詩人の目に、

「許さねば『静雄研究』とするとの小高根君の脅し効きしか。」

 と映ったのは、花子夫人があくまで公開を許さないなら、すでに資料を手許に確保してゐる小高根氏が、学術論文として、つまり引用といふ形をとってでもこれらの書翰の存在を知らしめたいと、 夫人に対し公開の許可を迫ったのではないかと思ひます。このあと10年の歳月を経て1000ページに近い浩瀚な研究書(『詩人、その生涯と運命 :書簡と作品から見た伊東静雄』1965)に結実することとなる、 小高根二郎氏の熱意ならではのエピソードです。

 さて一方の田中克己にしてみれば、すでに詩の発表場所として詩誌『骨』があった筈です。ただなにぶんメンバーは戦後になって識り合った、井上多喜三郎「多喜さん」はじめとする地元関西の気のおけない仲間たちであり、 詩人のタイプも様々なれば、この6人の集りから何らかの主張を世間に発してゆくといふ性格のリトルマガジンでもありませんでした。昨年来の『日本浪曼派』復刊計画に対しても、 創刊号の現物を見てから判断せんとしたものの、結局形にはならず、代はって保田與重郎を中心とした旧『祖国』編集陣を中心に創刊された総合文芸雑誌『新論』(なんと10万部発行!)は、 田中克己にはつまらぬ内容に映じたやうであります(6月5日)。小高根氏との間で、それならどのやうな話し合ひがもたれたものか。

 発起人の二人が同じくした気概は、『新論』と同様、戦後ジャーナリズムによる伝統否定の風潮に対しての抗議にありました。(詩壇でその神輿に担がれ、抒情詩批判の急先鋒にあった小野十三郎は、 田中克己とは職場を同じくする帝塚山短期大学の同僚でしたが、何変ったところもなく普通に交はり、むしろ舞ひ込んだ小学校校歌の作詞依頼の仕事は、戦犯詩人の自分などが書くよりはと、 彼に回すなど気を遣ってゐます。ただしその詩論に対しては、前川佐美雄主宰の歌会で悪態を吐く場に居って(8月20日)、関西人らしい(?)交際が偲ばれます。)

 肝心のタイトルも、さういふことで『コギト』の後継誌と位置づけられ、語源となった「cogito ergo sum: 我思ふ、故に我あり」から再びとって『スム』と決まりました。 でも響きがイマイチだったんでしょうね(笑)、結局『果樹園』といふ名前に落ちつくこととなります(11月3日)。

 そして志を同じくするやうな、脈のありさうな詩人たち17人に声をかけ、身近くあった岩崎昭弥や高橋重臣、芳野清といった後進はもとより、浅野晃、森亮、小山正孝、西垣脩、 池沢茂、斎田昭吉、上村肇といった旧『コギト』や『四季』の文化圏にあった人たちの賛同を取り付けることに成功します。発起人の並々ならぬ決意が伝はった訳ですが、 おもへば亡き伊東静雄の縁しが、四散してゐた同志を引き寄せたといってもよいでしょう。ことにも「詩の雑誌出せ」との、田中克己がふしぎがったといふ浅野晃からの慫慂は(10月7日)、 詩作を始めた彼の戦後の道行きを思へば、時宜の符合を感じさせます。浪曼派系の抒情詩の本統を継ぐべく興した雑誌『果樹園』が遺した成果のうち、最も大きなものは、 小高根二郎が書き上げた伊東静雄と蓮田善明の二大伝記でしたが、実作においては詩集『寒色』で読売文学賞を受賞することとなった、詩人浅野晃を世に送り出したことといってよいからです。

 年末に山田新之輔から聞いた「前川佐美雄が保田與重郎を破門した」(12月12日)といふ、聞き捨てならない事情については詳らかにしません。 田中克己は前川邸に息女の家庭教師として通ってをり、保田氏はこの年の前半は『新論』編集のため東京の旅館に缶詰めになってゐましたが、夏には毎年開催される「日本歌人」の歌会合宿に参加してゐます。 前にも記したやうにこの年は田中克己も参加し「小野十三郎の悪口」で大いに盛り上がった筈です。しかしその後胃潰瘍(による貧血?その実は宿痾となった肺浸潤がぶり返したものらしく典子夫人も喀血)を病んで警察病院に入院。 吉見良三氏による伝記『空ニモ書カン』(淡交社1998年)の中に詳しく描かれてゐますが、『新論』は当初の目論見を大きく外し、保田與重郎が入院した後は、 経営難の果てにわづか半年で廃刊に追ひ込まれてしまひます。彼を精神的支柱に仰ぐ歌誌『風日』が創刊されるのが昭和32年、そして京都鳴滝の「身余堂」に移り住むのが翌33年、 もはや政治的文学運動からは退き、孤高の文人の佇ひをもって再び中央ジャーナリズムに姿を現すまで、今しばらく雌伏の時をすごさねばならないことになります。

 思へば『新論』と『果樹園』とは、規模も背景も違ひますが、戦後一新された出版ジャーナリズムが文化を専横しはじめた時代に、焼けなかった京都奈良(伝統)を要する関西から、 満を持して放たれた一矢でありました。資本を投下して大仕立てで始めた『新論』は、戦後ジャーナリズムの宣撫が完了した東京においては、もはや異質にすぎ、脇の甘い拙速さも災ひして自滅気味に挫折したのは、 当時を振り返る編集陣の座談会(『保田與重郎全集 別巻3』所載)をまとめた吉見氏にすれば当然のなりゆきだったやうです。 浅野晃も再三助言したやうですが()聴き入れられなかったといひます。

 しかし『果樹園』の方とはいへば、かつて『コギト』が保田與重郎の文章を柱にしたと同じく、小高根二郎の連載を柱に月刊を堅持し、もはや肥下恒夫のやうなパトロンをもたぬことを肝に銘じて、 『戦後吟』を造った時のやうに節約にも節約をモットーに慎重に事を運んだ結果(表紙も作らず3段組で「8頁がよからん(10月16日)」なんて体裁は、節約に過ぎる嫌ひもありますが)、 細く長く17年205号を数へる長命を保つこととなったのです。

 コルボウ、近江詩人会と、創刊時の中心メンバーでありながらいつも真っ先に抜けてしまひ、これで3度目となる『骨』に対しては、田中克己もさすがにバツの悪さを自覚してゐたことと思ひます。 もとより「骨:コツ」とは自分の若かりし頃からの諢名でもあってみれば尚更のこと。けじめをつけやうと山前実治氏らに対し、休刊・解散を再三申し入れるのですが受け入れられません(7月7日・7月21日・8月4日)。 会合もすっぽかすやうになってしまった田中克己は、事情をまづ出講先の奈良女子大の職員として引き続き親しかったコルボウ時代の友人、天野忠氏に打ち明け(11月12日)、 多喜さんに打ち明け(11月13日)、最後は荒木利夫氏の所へゆき小高根二郎氏も同席の場で「脱退」を納得してもらふことになるのでした(11月21日)。

 詩誌『骨』はこれを契機に版型も小型になり、くだんの天野忠をはじめ、大野新などの若いメンバーを入れることによって組織を新しくしてゆくことになります。 そしてこれもまた息の長い歩みが、実はここから始まっていったやうにも思はれるのは、面白いと思ひます。

 雑誌の編集に若いメンバーが必要なのはその通りでありましょう。新しい『果樹園』でも、計画段階から参加し、編集・雑務とすべてに係り重宝された青年として「福地君」、 すなはち福地邦樹氏が登場するのもこの年からです。病臥する伊東静雄の許に通った最晩年の弟子であり、先師の評伝を連載する『果樹園』の発行を支へ続け、終刊の後も小高根二郎・田中克己御両人との関係は終生続きました。 最晩年の田中克己が悠紀子夫人を伴って突然福地邸を訪ね、そのまま一泊して帰ってきたこと。それが最後の外出旅行となったことを夫人から伺ひ、『コギト』人脈を語る際の最重要関係者として、 私にとって強く心に刻まれてゐる方です。さきの『田中克己詩集』を編集する際、どうして一言御相談を申し上げなかったのか、著書の交換のみで拝眉の機会さへもとうとしなかった己の愚かさ・頑さを、これも今に至って後悔してをります。

 この年はほかにもトピックとして、戦争を生き残り、中国文壇の大物として再来日を果たした中国の詩人郭沫若に、自分がかつて日中戦争の最中、日本の側からその生きざまを描いた長編詩「詩人の生涯」を書いて思ひを寄せてゐたことを伝へてもらひたく、 著書を贈るなど関係者に取次をしてもらったものの(5月2日)、京都人文科学研究所で行はれた講演の席(12月10日)では気がつかれず、積年の片思ひが片思ひのまま終ってしまったことに落胆する、 などといふこともありました。「詩人の生涯」は詩集『大陸遠望』に収められてゐますが、斯様な詩篇が障ったのでしょうか、戦地から還ってきた、この詩集を献じられた蓮田善明に出来栄えを一喝されたといひます。

 また山本事務所でながらく話相手をつとめてくれた佐瀬君(佐瀬良幸氏)が解雇されたり、職場の寮では食中毒や泥棒騒ぎ。彦根時代の後進で岐阜に移り住んだ岩崎昭弥氏が、「破門覚悟、詩集出させよ」(3月26日)と、 歌集制作の援助がだめなら詩集をと直訴?するのを説得して諦めさせたりなんてこともありました(4月4日)。ちょっといい話では帝塚山短期大学で、副手として働いてもらふことになった教へ子のsalaryが安すぎることを案じ、 院長に対して自分らのsalaryから本人には内緒で分け与へてでも倍額にするやう、長沖一氏と相談して決めるなど、侠気もみせてをります。

 昭和29年の解説にも書きましたが、ことほど左様に頼まれるたび卒業生の就職・見合の世話をしばしば焼いてをり、大阪市立大学で教鞭を執る服部正己の許にも教へ子の辻芙美子氏を助手として紹介派遣してゐますが、 恩師に宛てた手紙で「服部は我に似たり」と認めたらしく、辻氏については服部先生の御息女埜中美那子氏を通じて田中克己書簡を御寄贈頂いてゐるので併せてご紹介させていただきますが、 埜中氏の曰くには、「つまりは家族が大変な目に遭はされるってこと」。明治生れの詩人気質も、すでに当時の若者とは人生観がかけ離れてしまってゐる様子が、寮生との懇談会でもそろそろ本人に実感されてゐるやうです(7月17日)。 18歳となった長男、史(ふびと)氏にあっても「「父母ともに不快」と。こちらも不快なり。」(10月5日)って、そもそも息子の日記を黙って覗いちゃあいけません(私もですが 笑)。


昭和30年1月1日〜昭和30年3月31日
25.0cm×17.8cm 横掛ノートに横書き

横掛ノート

1月1日
短大卒業生より65枚、在学生より107枚、その他155枚、計賀状327枚。15:30小野和子より電話、4日に延ばさんかと、すぐ来よと云ふ。16:30来りしは和子のみ。夕食さす。18:00すぎ児玉君来り20:00すぎ帰りゆく。仲好きやうにてうれし。賀状の返しを天川勇司、川崎菅雄、川久保[悌郎]、武田豊、田中禎子、池田徹、佐々木統子、中村地平、武田信一、東井夫人、仙野美須夫、南部英美子、坂口允男、伊藤徳子、三村幸一の諸氏へかく。
夜、卒業生へ賀状6枚、林富士馬君へ『骨』、岩井大慧、神田信夫、和田久徳、星斌夫、佐中壮、鈴木俊、竹田龍児、浅野晃の諸氏に「蘇東坡」。みな賀状に代ふ。

1月2日(日)
よべ不眠。ひるまでうだうだし、12:43にて徳庵発(ハガキ100枚買ひ)、第5種アベノで投函。湖東家へ13:45に着き、折柄帰り来し順二郎君をまじへ1月末2月初に質素な式をせんと申入れのこときめ、丁度ありしtaxiにのりて北野家まで(920)つき、写真を御両人にとらせ、料理よばれ、18:00別室にて父母君に話し込めば早く挙式承知と。簡単にやることも賛成と。19:00出て湖東家。大体2月6、7日頃挙式、仲人は我が夫婦ときまる。睡眠剤もらひて20:30帰宅。
賀状13枚。大転宅(代田2の1058歓[貴]荘)。八木嬢、生駒生より礼状。立原[道造]研究の藤田君より手紙。

1月3日
賀状22枚。15:00までに計160枚の賀状かき、徳庵にて投函。道頓堀の支那料理屋にゆけば湖東すでに待つ。ややして順二郎、雅子現はれ、きけば指環けふ出来ずと。大阪城見にゆきしと。 湖東夫人と2嬢まつ間に簡素を説教す。17:003人来り、やっと料理はじまり20:20両人まづ起ち、ややして散会。両家ともに気に入りしと。新婚旅行は紀伊勝浦と。

1月4日
賀状24枚を見て、村田といふ大和の女に面接。明日より来るや否や早くしらせと云ひ、150渡して帰す。宮口、伝田2生来り、機嫌よく遊び、14:30ともに出て『李白』の原稿と初校を速達で筑摩に送り(185)、京橋で稲荷へ初詣での2生と別れ、天王寺よりbusにて北野の父君に会ひにゆき、2月6日住吉でと云へばよしと。
高野線堺東で下車、住吉大社へゆけば、りく叔母社務所にをり3,300前払ひして(※結婚式)6日13:00ときむ。住吉よりナンバをへて梅田。湖東に電話して6日決定のこと云ひ、吹田にてすし食ふ。

1月5日
梅田11:00。京へゆき祖国社へゆけば『祖国』12月号出来上りをり「蘇東坡」のる。羽田に電話すれば待つと。鍵谷洋子きげんよく働きゐる。高鳥、奥、西保、長尾良と話して出、busにて上賀茂羽田家にて屠蘇よばれ抜刷もらひ『内蒙古諸部落の起源』借りて15:30出、 山前の双林printへつけば『骨』の会。
佐田君上京のため出来ずと。『戦後吟』の組見本見て小高根二郎に電話せしも駄目。17:00出て古本屋見て京阪書房にて『屈辱と解放の歴史(90)』『豊太閤朝鮮役(150)』買ひ京阪にて帰宅。
上平生きのふ来り菓子呉れしと。山下幸雄、卵呉れしと。村田女11:00来り、8日まで就労できずといひしと。池元女より安部嫗を手伝ひに来ささば如何にと。よしと答ふ。賀状37枚。 (羽田夫人よりすぐき貰ひ、潮田氏へ[※池内]大学先生の書預かりし)。

1月6日
賀状7枚。阪本越郎、植村清二2先業よりのあり。午、里井生より電話、あす早く来よと云ふ。夜、上平博子より速達。会社やめたし、知合の縁談せわせよと。

1月7日
賀状4枚。村上新太郎氏より詩の受取。12:00上平生より電話ありしゆゑ、すぐ来よと云ふ。13:30上平生来り、富士レジンにて役立たず、病気中の事務員癒りし故やめたしと。里井生やがて来り、親類書見す。15:00出て天王寺、里井生と近鉄departのsalonにて話せば舅姑と合はず離縁となりしと。まあまあ探さんといひ、別れてbusにて天神橋。府立労働会館にゆけば第一会議室使用料900にて2月6日空きゐると。食堂にてきけば200にてコーヒー、sandwich、紅茶と。またbusにてアベノ橋。近鉄にて今川叔母に会へば久美子藤井寺と。湖東に云へば果物つけて300にてよしと。
明日北野家へゆき見んと云ひ、住吉神社の半金出させ、津熊家。父君に上平の話云へば先づ姉を話して見てくれと。呆然。親類書交換してすしよばれて帰宅。
けふ悠紀子、藤井寺へゆけば叔母の紋付だめにて洋服とover-coat呉れしと。

1月8日
9:00出て会社。辻のsalary立替分請求、原君に手当の件いふ。10:00、busにて小阪、池内大学の書幅を潮田邸に届ければ銀行へゆかれて不在。松本一秀の家を往復に訪れしが不在。堀内進(※教へ子経営の古書店)に寄り『石川啄木(30)』、牛島『女子の心理(40)』。上六に出る電車で中田善章夫人と同車。Bus待つ間、天地書房で小林『東西文化の交流(50)』、東條『方言の研究(60)』。堺東へゆきて北野徳治氏に相談すれば何もかも任すと也。北野邸へゆきすき焼よばれ、湖東家へゆく雅子嬢と同車。住吉東で別れて住吉大社。お[隆]叔母をり、写真2組の予約し、出て上町線にて天王寺。Busにて天神橋。府立労働会館に1号会議室予約をなし(900)、食堂に一人前300円にて35人位とたのみ、披露宴のこと了る。天満橋まで歩き、古本屋と新本屋見しあと、京阪で京橋。Groasset『アジア史』買ひて帰宅。
村田臨時雇に会ふ。午后来りしと。職安より40才位の女来りしにより明日返事すと云ひしと。けふ悠紀子、京をつれて鈴木夫人に会ひにゆき岡本家に寄りしと。松本善海より賀状。西宮一民氏より明日の会出られずと。宮口生より礼状。齋藤加寿栄より物送ったと。

1月9日(日)
8:30まで寝、朝食してすぐ出しも11:03発の片町線、鶴橋よりtaxiで「源平」にゆく。長沖氏14:00まで来らず、我一人に榎本、鍛治姉妹、菊地、岸、北野、相良、太田、守本、中田、野崎、疋田、藤野、本多、前川、松井、三木、安村、山口、山荘、山中、■田、和島の23女史集る。すみて萩原みち子嬢の招宴を長沖氏と受け、18:30傘借り菓子もらって出る。(米沢昭子よりtobacco姉預り来る)。
天牛南店にて『下谷叢話(60)』『音楽の西流(60)』。竹田龍児氏より「蘇東坡」見た。伝田嬢より礼状。渡辺鐐子より年賀状。池元賄人けふ帰省。久美子より電話「明日学校ありや」と。田中修氏より挨拶。

1月10日
よべ睡眠薬のみて10:00まで眠り、午后〒、高梨富士子氏より「子3人になりし」と。浅野晃氏より「海南島にをりし。蘇東坡、興ふかく見た」と。大阪国文読話会より15日14:00より相愛短大で近代詩につき会すると。寒き中を14:30出て学校。力身、小林、野村などに途で会ひ、研究室に来し〒見る。芥川比呂志の賀状あり。星野(旧吉川)綾子の賀状も来あり。潮田先生より礼状。漢文のprintに白楽天きり、鍛治君と話し、西宮君を送る。(府教委に太田、小西、井上の3人通りしと)。
夜、瀧本生来るまで鍛治君まち、語りあへば昔の同級生と。帰れば辻のsalary立替分、会社より来をり。

1月11日
登校まへ湖東より電話かかりし故、15:00に学校へ来よと云ふ。鶴橋で下車、『昭和詩集』2冊買ひ、ゆきて米沢妹に与ふ。山崎雪子氏より電話、けふは来られず明日と。15:00湖東来り、11:00吾家へ来しと。順二郎君15日来ると。
ともに出てアベノ橋で別れ、富士レジンへゆき薮本氏に会ひ上平のことたのみ、大阪駅前で別れ、上平待ちてしばらくつづけよと云ひ、小高根二郎の『浜木綿の歌』与へ、佐瀬と3人でrice curry。上平を帰して津熊家のこと云へば「助かった」と。Coffeeのみて別る。(Svarで『平田篤胤(50)』)。芳野清氏より手紙。木村三千子氏よりハガキ。

1月12日
9:30ねてゐる所へ湖東より電話かかり16日(日)田中修氏北野家訪問を伝へよと。10:30出てcollege-hourに出、14:30まで待てば山崎雪子氏来り、coffee呉る。(鍛治富子嬢来り縁談進行中と)。
15:00長沖氏来り教授会。申込まだ3人、学院よりは43人中27人が文芸志望と。ふしぎ。16:10より食堂で学生の料理の試食。まづけれど諸先生みな平げらる。17:30川原夫人と高野線、堺東で下車、古本屋で『町の民俗(40)』『菟玖波集(70)』買ひて北野家に行き父君に湖東の伝言す。近鉄departより問合せ。和田節子より年賀状。辻賄人より「教訓忘れず」と。

1月13日
登校、5分おくれ、歴史やり、齋藤加寿栄に会ふ。長沖氏休講。すみて12:30出(「かもめ」より鴎外全集第10巻と『結婚』)、梅田、天満。うなぎ食ひて帰る。神田信夫氏より「蘇東坡」みたと。(西保)梅田夫人(※西保惠以子)より10年の嫁の如く姑御と話すと。

1月14日
登校、伝田生誕生日とて九谷焼の湯呑賜ふ。家へ菱田久光氏より速達来り、15:00学校へ来るとの電話なりしも来ず。北野雅子君来り、披露宴の案内状かきて渡す。午後salary出る。 齋藤加寿栄来り就職なしとて泣く。長沖、西宮二氏whiskyのみつつなり。けふまでに志願者10名と。寺田町下車、『世界女性史』『近世日本農民史』『文字と言葉』みな50円。 けふ「かもめ」の本代440も払ふ。

1月15日
成人の日と。田中修氏よりこはだの鮨賜ふ。9:30出て省線にて10:55京都着。■・信姉妹と会ひ、ともにbusにて京都美術館へルーブル展見にゆく。萩原みち子、岩井みよ子と会ひし。13:30み了へて河原町三條までtaxi(60)。支那料理たべ、山前君に電話すれば出勤。ゆきて校正まだとききcoffee一金■おきて表紙置き、河原町三條へ引返し京阪にて天満橋。十合へゆき心ブラ(※心斎橋筋を散歩)してしるこ食ひ、天牛南店にて『日本考古学概説(140)』『日本文学の古典(80)』買ひtaxiにて上六(80)、鶴橋にて別る。十合にては『布施市街図』買ふ。伝田生よりハガキ。藤田氏より来週また来ると。

1月16日(日)
悠紀子に電話を湖東にかけしむれば「来よ」と。10:30湖東家につき田中修氏に会ひ、昼食たまひてのち順二郎君に会ふ。北野家にゆく順二郎君よりわさび漬と佃煮もらひて退出。寒風烈しき故、大丸にゆきnews映画見てのち、駸々堂にて二万五千分の一「粉河」「五條」「岩湧山」「内畑」買ひて帰宅。
けふ留守中、西村氏来訪と。松本一秀夫人より成蹊入学につきたのむと電話ありしに、ふしぎ。〒なし。齋藤加寿栄より砂糖3斤。

1月17日
雪降る。寒く、西垣脩氏よりの手紙と成蹊詩社の23日案内見て床にをり、15:00やっと出て登校。開生、奄美大島の朱欒漬呉れしと。17:00までゐし太田昭子に住高の4先生にと年報、阿倍野高校へは小西啓子に渡す。夜、瀧本生来り、中野トシ子来り(『骨』の代200おきゆく)、2時間すませて瀧本と天王寺「Mocca」にcoffeeのみにゆけば松井佐和子の女友達と来るに会ふ。出て古本屋見しも何もなし。

1月18日
平凡社より『外国人名事典』来る。13:30登校、「国文学史」教へ、西村弘子に父君の登校日をきけと云ひ、出て堺東。北野家で母君に会ひbusにてアベノ。『媒酌人の心得(100)』買ひて帰宅。
山下幸雄出席日不足、成績もわるく退学せんと。松本夫人より電話「明日成蹊へゆく予定」と答ふ。原氏、土産としてかまぼこと羊羹呉る。

1月19日
寒し。上町線で西村弘子と会ひ、父君のこときけば今日学校と。college hourに出ず。守本主事曰く「申込すくなき理由を田中君に調べてもらへと学長いふ」と。川崎より電話ありしと云ふにかければ22日(土)、玉井邸へ白井と三人で行かんと。18:00ナンバ駅改札口と約束す。
地下鉄で梅田へ出、新京阪相川下車、成蹊にゆき西村先生に会ひ松本ヒロ子のことたのみ、就職斡旋は不要ときき、出て梅田。国立病院に松本訪ね、報告。竹島家の長女に学院中学部入学の世話たのまれ樫本校長に紹介。出て湖東家にゆき入籍手続書預かり、ふくさ借り、案内書の校正して出る。帰りて夕食。金戸守先生よりハガキ。

1月20日
風吹く。登校、西村弘子父君の手紙もち来る。よめば鹿内校長に云ひ、ほぼ大丈夫なれど他言無用と。川崎より電話かかり玉井家の仰せにて22日夕食をよばれんと。出て国立病院に松本を訪ぬ。弘子の落第は近視のため也。上六へもどり鶴橋まで歩きて帰宅。
けふ原課長より学校へ電話かかり村田賄人盲腸と。帰りて見舞しに夜には食とり歩くと。筑摩土井氏より速達と再校。

1月21日
朝、目ざめまた眠り、さむれば9:00。村田賄人呼び帰郷手術さとせしも効ありや。行けば4時限に5分遅刻。14:00すぎに北野嬢と湖東君と同時に来る。長沖氏よりPhilip Morrisもらひ15:00出てナンバ。高島屋特別食堂で喫茶して別る(けふ悠紀子の包みし祝渡せしに2,000なりしと!)。鶴橋へと日本一より乗りて帰宅。
山本隆三郎氏より香奠返しにhandkerchief一箱。宇野美佐子より父、[米]田中学に勤むと。けふ賀状の抽籤5等に当りし近江詩人会、山川京子、重本長生、横山薫二、辻芙美子、神木美智子、伊藤久子、岩橋節子諸氏の切手32枚、悠紀子とり来る。筑摩へ速達(41円)。

1月22日
午、会社へゆき、安部育にと2,720もらひ、電話して払へと云ひ、駅前にて上出房子に会ふ。14:30梅田、天満より玉井邸につきしは18:00。白井、川崎あたかも来しところ、理事よろこび迎へらる。次男サイパンにて戦死。わか子氏の婿New Guineaにて軍■として戦死(和田博士次弟と)、結婚3ヶ月なりしも1児あり。22:30までお邪魔し、川崎と京橋にて別れ、終電にて帰宅。

1月23日(日)
朝寝す。『戦後吟』の初校見てのち出て15:00成蹊短大にゆく。鈴木豹軒先生をられ、木村英一、橋川時雄、高橋盛孝、水野平次の諸氏にて13人。鹿内氏に西村氏を通じてと礼云ふ。18:00相川駅前の宿屋にてすき焼すみ、歩きて山本治雄。岡山の弁護士来りしを機に立ち、駅前にて『毛吹草(50)』『民族学の基本問題(30)』。

1月24日
午食して会社へゆき城平叔父に会へば富士ハウスの欠損大なる故、学生に貸す方針を立てよと。父に『戦後吟』の題簽かかし、15:00学校、鍛治君と話して時間つぶし、中野トシ子、瀧本、柏原など話して夜学終る。『研究年報』くばりしも1年は6冊のみしか取らず。明日桜塚高校へ出張命ぜられし。

1月25日
9:30出て豊中。岡町との由にて引返して桜塚高校。松浦校長に会ひてきけばわからず。出て『大隈言道全集(40)』『千家元麿詩集(20)』『キルギスよりアムールへ(50)』『万葉集1(50)』買ひ、上町線にて院長夫人に会へば、中田教授、胃癌が肝臓癌となりて急死さると。想像だもせざりし事なり。
北野雅子、研究室に待ちをり婚姻届書類預かる。2時間すまし、硲君来りしと話しをれば湖東君来り、書類わたし、15:20かかりし電話で北野、三木、前川、宮沢4生あつまりゐるを大丸で待たせ鍛治君とゆく。中2階で喫茶せしも鍛治君おごり呉る。別れて中田邸。夫人泣かる。出て帰宅。
村田賄人手術を申立ててやめると。入浴後来りしに150×15=2,250わたす。けふ白井夫人に学院前で会ひし。『万葉集』山本信江にやりし。

1月26日
11:30登校、college-hourで中田博士の追悼の辞。すみてカステラもらひ、13:50より教授会。けふ受験108人となりしとて院長大分ほっとせし様子。土曜の校葬に略歴をよむこととなる。
15:00出て藤井寺。大江叔母会ひゐしを呼び戻し、寮の継続につき明日城平叔父に問い[質]してもらふこととす。北村ウメノ氏再婚の話す。清水生に電話し、来週月曜来よといひ、帰宅。[板]原哲夫氏より年報の礼状。(けふ和歌山より書つき『長安の春(350)』あり)。『戦後吟』の校正、明日送ることとす。

1月27日
登校、9:05すぎ。歴史すませ、鴎外すませ、花柳有洸女史来る。入学斡旋にと也。松井和佐子来る。湖東に心臓病の母君のこと紹介す。菊地淑来る。これも従妹の入学斡旋なり。
けふ富士のsalary出ざりしらし。(長沖氏の香奠預かる)。竹田龍児氏よりハガキ。けふ『戦後吟』送らせしに送料8円なりしと。『薔薇』1月号来る。夜、池元姉妹呼びてきけば女中になる気なしと。

1月28日
朝、杉浦氏より電話。大江へ2、3日中に来れと。11:30登校、御香奠1,000渡し、堀[亙]母堂より電話あり14:30来たまへと云ふ。4、5時限すませ、来し松井和佐子よりきのふ湖東に日赤アベノ分院のdoctorに紹介されしと。14:30堀夫人、友人をつれ来り、受験するにつき宜しくたのむと。15:30より校葬の準備会。18:00すみてアベノ交叉よりbusにて新法院町の中田邸にゆき、夫人、長男より略歴承り、出て狐うどん食ひて帰宅。中西■子の友だち堀田節子、油賜ひしと。扇町高校の先生会ひたしと云ふと。

1月29日
朝、康平叔父より電話「原君の手当は会社よりわたす」と也。Morning着てゆき研究室で待ち、13:00来し御遺族に中田博士の母上の名ききてまた用なし。略歴をはじめにやらされやや困る。わが直せし食物栄養の井上旨くやりし。すみて記念撮影。橋本高校の某先生と西宮君と親類とて話す。(けふ扇町高校の小林氏に山本夫人をして電話してもらふ)。
小高根二郎より「日本浪曼派」4月かと。鶴身陽子より妹英文受けるゆゑたのむと。角川より『昭和詩集』の税2,270と(先日Heine再版のも来し)。富士[※ハウス勤務分の]のsalaryとどく。

1月30日(日)
羽田と小高根二郎とにハガキかく。湖東に電話し郵便見てからゆくと云ひ、出欠3枚と。筑摩の再校、「中国地誌広東省」、鈴木俊氏の「珍しいお話の御研究」の礼状と見て家を出、13:30湖東家につき、北野雅子君来りしと打合せし、16:00ぬくずしよばれて出(けふ扇町高校の小林先生、生徒をつれて来り、カステラ2本おきゆく)、藤井寺。大江家の前にautoとまれるを見て養老院の方を散歩せしあと、ゆけば康平叔父叔母なりし。長唄のけいこ聞きて夕食。
大江叔母にきけば富士ハウスもちつづけるゆゑ利用法考へよと。康平叔父の話きき、夕立に会ひし大江叔父迎へ来りしあと、叔父叔母とautoにて鴫野。杉浦氏、大江氏退職、大江叔母、城平叔父とガス会社設立と。
帰れば鳳高校の西林生たのみに父来りしと。(佐瀬君父君の紹介)。『李白』の再校を深更までやる(午前4時了る)。

1月31日
佐瀬に電話かけ西林氏のこと父君に伝へよと云ふ。筑摩へ小包代120かかりしと。会社へゆく筈なりしも止めて登校、15:30まで待ちて学院の子の面接、32名中1人悪きのありし。無意味にすまし坂根国雄氏の速達を見、高岡博士にきけば隣に住むdoctorの息にして西島大と友達と。夜学のとき山崎生(UL2)菓子呉る。瀧本と出てcoffeeのむ。(清水来しが忙しと見て帰りしと電話)。けふ〒なし。

2月1日
速達で『クレオパトラと楊貴妃』(※仮名遣ひ)をもと通りにせんと元々社。よべ遅く書きし手紙破りてよしと答ふ。3月上旬刊行と。城平叔父にも手紙かき12:00出て学校。扇町の小林氏より電話。前川生披露の祝辞原稿見せに来る。坂根女医来り、大谷出の娘よろしくと商品切手らしきものおきゆく。前川と北野家へゆき父母君と話し、住吉大社へゆき林叔父叔母と会へば、敏夫君4月1日佐藤■雄次女と結婚。19:30帰宅。湖東に電話すれば明日10:00電話かけ来ると。

2月2日
10:00湖東君より電話、花婿側の披露宴出席28名と。計48名なり。出てbusにて天満橋、労働会館にゆけば小会議室ならよかりしにと。Port wine230円にて15人分と。そを加へてもらふことたのみbusにてアベノ、登校、予餞会といふに出ず。阪大南校へゆきしも神田力氏不在。お宅へゆきてまた不在。15:00より教授会。文芸を2classにせよと云ふ。(けふ白井に電話すれば西川来て電話かけくれしと)。
帰れば『戦後吟』の再校。披露宴出席の返事2枚。2、3日中に城平叔父、寮へ来ると。

2月3日
試験。岩橋女史と監督。すみてぬくずし食ひ14:00出てアベノより平野。相野に会ひにゆけば不在。またアベノより歩けば運動中の後藤田笑子女史に会ふ。帰れば岩崎より歌集5冊位送れと。10冊送ると答ふ。夜、城平叔父より電話かかり荏原区に近き下宿として千草だめかと。

2月4日
8:45登校、面接に14:00までかかる。荒木利夫に電話すれば『骨』の原稿まだと。今川に電話してきけば品川区荏原に近きところをと。判定会で頼まれし子みな入れ、文芸専攻74名とし、また今川に電話し下宿心当りなきを云ふ。(けふ神田氏に電話もらひ火曜10:00に阪大寮委員長に紹介受くることとなる)。坂根女医にもらひしは“Peace”10ケなりし。

2月5日
湖東より電話、午後逢ふと約す。14:00出て放出中学の進学相談にゆく悠紀子と京と同車。近鉄より湖東に電話すれば来よと。ゆきて田中修氏夫妻に逢ひ、近鉄で散髪。半紙買ひ、桃谷で『地方史研究法』『外来語辞典』買ひして、徳庵で筆と墨汁買ひして帰宅。
けふゆき子はpermanent-waveかけし(小西啓子に寄り郡山高校堀内生の食物入学を云ひ、山本夫人に扇町高校の入学を云ふ)。八木嬢よりlist。夜、披露宴の席札書く。

2月6日(日)
京、ゆふべより発熱、8:00起きてうだうだする中10:00になり、悠紀子の着付すみ、駅へゆけば10:23出しあと。住吉交叉で下車、林叔母を訪ね、玄関で立話、500呉れしと。出ておりく叔母訪ねしに不在。やむなく高松権宮司宅へゆき直子嬢にたのみ、帰って火鉢に火入れるを見、しばしして挙式。仲人役不要にて楽。すみて写真とり、親類の紹介すみ、田中修氏、北野兄君、蒲田課長とtaxiにて労働会館にゆけば全く席出来てゐず、食堂に云ひ15:30やっと席らしくなりし処へ諸客来り、前田令息夫人をのぞきそろひしゆゑ始む。早島喜一氏、橋本兼次氏、上田部長、前川嬢の祝辞すみしあと祝電披露すれば橋本部長をぬかせしと。port-wine、coffee、sandwichのもち出し方ももたもたして苛立ちしも無事17:00北野徳治氏の「高砂」にてすみ、新郎新婦を送り出し、湖東君にtaxi代もらひて片町。
帰れば疲れ一時に出、沢田といふが入寮の挨拶。大塚の委員会出席をすすめしにみな床より挨拶し、原君の沢田入寮につき了解を云ひ来りしにもいいかげんにすます(生酔ひなりし)。
けふ雅子嬢「うれし、うれし」と云ひゐし由。湖東へ電話せしめしに喜びゐると。元々社より『李太白』3冊、『漢詩入門(※齋藤晌)』来をり。

2月7日
よべ1:00まで眠れず。16:00まで臥床、出て夜学。Salaryもらふ。瀧本、福井、西岡とアベノ橋Mocaでcoffeeのみ、西岡転任に坪井へ紹介の名刺かく。帰れば『戦後吟』の3校来をり。
けふ角川松原純一氏へHeine3版の印税催促書く。

2月8日
9:00出て神田力氏を訪ねるとゆく途中、宮口生と同車、けふ明日休講を伝へしむ。桃谷で下車、本屋あかず、アベノ橋ユーゴーでHeine買ひてbusにて南校前。神田氏を訪ね、寮総務に紹介してもらひ色々きき、出てbus待つ間、coffee店に入れば、西阪修画伯をり。別れてbusにてアベノ橋。京橋より京阪にて上洛。
双林printにゆけば山前氏、「11日骨の会をすると通知せし」と。中野印刷所へゆき奥付組ませ、11日発行、セピア刷などきめ、山前君と四條丸善へ和紙(見返し用)見にゆきtaxiにて帰れば佐々木邦彦画伯より電話ありしと。呼びて来りしとなべ焼うどん食ひ、山前君にたのみて別れ彙文堂。『人民詩人白居易』『唐代的長安』(5,200元で100円)、『大唐六典(400)』、西田太一郎『漢文法要説』買ひして三條で見付けおきし『李太白(70)』『マーシャル語の研究(80)』買ひて帰阪。
宮本君待ちをり、入浴夕食後話をきく。武庫川学院短大の夜学を教へると。湖東より電話、兄(※田中)修氏喜びて帰郷されしと。明後日会ふを約す。

2月9日
会社へゆき城平叔父に学生入寮のこと云へば適当でなければ入れずと。帰りて〒(西保)梅田夫人より母君病気でさびしとのハガキ。角川より『昭和詩集』再版。田中夫妻の勝浦よりの絵ハガキ見て待つに15:00前、土産もちて来る。新婦少し肥えしと。30分して出てゆく(けふ行きがけよべこはせし眼鏡のつる買ふ。250)。

2月10日
湖東より電話、11:00大阪駅1、2等待合室でと約す。疋田紀子より電話、明日研究室へ来よと云ふ。(けふ休講と電話せし也)。10:30出て梅田夫人へのハガキ投函。大塚に夜来よと云ひ、大阪駅にて11:00に10分前、第一生命ビルへゆき吉森氏に遇ひ、近日訪問を約し、山中嬢呼びて12:30の「はと号」のこと伝へ、湖東に会ひ、式、披露宴の立替表を見、11:45待合室にゆき12:00来し新郎新婦とplatformへ出る。見送り多く、前田夫人も同車。鍛治、前川、三木、山川の4嬢見送り出発せしあと、北野母君と湖東と3人にて阪急食堂。かきフライ食べつつ湖東の立替7,300を払ふことを母君に伝ふ。日曜午后父君我家を訪問さると。
別れて山本事務所へゆきしに佐瀬君やめしと。coffeeのみて新道の高尾にゆき『董金塚』『日置町誌』■れゐしを催促し、『大日本人名辞典』も註文し、真山青果『随筆瀧沢馬琴(100)』『童馬山房夜話4冊(180)』買ひ、『文芸春秋3月号』買ひて帰宅。
樫本嬢、東恒子となりしと。伊井利枝子お好み焼き「河童」を開業と。(けふ横山薫二に会ひしも話なし)。浦上退寮、沢田入寮。大塚つひに来らず。

2月11日
9:30出て池川医院に午后の往診たのみ登校、疋田嬢に12:30来よと云ひ、5時限の歴史休講の掲示す。鶴身陽子より電話、妹入学の礼なり。松井和佐子来り、湖東を通じての医師紹介の礼せしと。相野来り、伊東詩碑の100円呉る。今年嬢ちゃん高校と。やがて長沖氏来り、疋田生来る。
相野とアベノ橋まで出て別れ、疋田生と近鉄parlorへゆけば協和銀行員と縁談出来しと。祝を云ひて省線、京阪線、三條より山前に電話し、吹雪の中、歩きてゆけば佐々木、荒木の2君をり、やがて依田君来、出れば井上君来てみなそろひ「瓢箪」といふところにてすき焼。『戦後吟』見本10冊来る。依田君に3冊買はせ19:30まで話してtaxiにて三條。我まづ下りて帰阪。梅田(西保惠以子)氏より婚礼の写真。入浴、夜半まで眠らず。

2月12日
寒し。秋山昭子氏よりハガキ。田中修氏より礼状。13:00出んとすれば父より電話、城平叔父、益子氏に会ひしに常務、なつかしがり近日また連絡すると。来週月火の中にゆくと云ひて梅田。14:30藤野の妹に会ふ。姉9日南村姓となりしと。まむし食べて帰れば本位田重美氏より2度電話ありしと。大江氏Metan-gasの器具もち来り、貸代7,500とgas1,200と機械500と。21:30本位田氏より電話あり、明日午ごろ岩波文庫の『中国小説史略』の訳本借りにお越しと。

2月13日(日)
京、発症「はしか」ときまる。午飯どき本位田重美氏見え、上れとすすめしかどきかず、土曜再来といひ、魯迅と塩谷温と児島献吉郎ともち帰る。井上多喜三郎氏より『戦後吟』たのしくよみしと。『文芸日本』2月号と『日本歌人』2月号と、ともに我が文をのす。15:30湖東と北野徳治氏と見え、喜び云ひ、湖東は京を診察しくれ、18:00まへ帰りゆく。お礼にと10,000と羊羹3棹。夜、田中修氏へ報告かく。佐瀬へ問合せ。

2月14日
4:30起き、悠紀子起して7:00家を出、定期券買ひ、7:45京橋発にて京都。三條より歩けば自転車で来し山前君に追ひつかれ、きけばまだ出来ずと。11:00まで時間つぶしにLion自動車へ江馬訪ぬれば未出勤。歩きて半中歳子夫人訪ひ、見本刷わたし歌の話し苓次氏とも話す。
双林printへ帰れば11:30。まだ出来ずと。吉野書房へゆき高鳥君待ち、昼食くはせてもらひ、また電話せしに江馬欠勤と。山前より今日は駄目と。引返して鞄とり、悄然と三條。京阪書房で『南慧帖(70)』『成吉思汗は義経なり(30)』『塙保己一(20)』『霊元天皇乙夜随筆(50)』買ひて帰阪。
登校して夕食、中野トシ子来り、伊東夫人来り、近木慶子来る。近木は気がつけば羽衣415にて元と山口のゐし家に住むと。中学へ転任したしと。瀧本のapartにゆかせてたのむ。帰途、家の近くで中野印刷所のオサム君に逢ひ100冊もち来りしと。茶のませ礼云って帰ってもらふ。大源の娘さんより電話ありしと。眞野喜惣治より春照村へ転出さされしと。平凡社より税の届出。

2月15日
大源氏より電話、3月1日願書呈出後、松本のところへ紹介状もちゆくと答ふ。文芸2年Xより電話、明日10:00すぎ父君と研究室でと答ふ。12:00すぎ出てゆけば父と会ひ、城平叔父、新村先生を含めて(※『戦後吟』)5冊わたし、西島寿一、保田、野口、前川、安田、村上、『短歌』、中河与一、幹子、影山正治と10冊送る(160)。
梅田へ出て山中タヅ子に買はせ、産経蒲田氏訪ひしも不在。代理に1冊わたし、大毎天野愛一不在ゆゑ2冊托し、大朝山田新之輔、後藤孝雄、神崎とみな留守。吉村正一郎にと2冊托し、同盟通信に長尾禎子訪ね、1冊買はせてcoffee御馳走となる。和島みね子訪へば父君印度から中共へ旅行と。羨まし。1冊買はせてあともどりして『俳諧評釈』『軍医森鴎外(180)』買へば金なくなりて帰宅。
税務署より確定申告せよと。山前君より11日の写真。近畿民俗学会より20日14:00より沢田博士邸で例会と。

2月16日
9:00家を出て登校、(丸、関口、梅田、高鳥、齋藤、浅野、堀内、河村の諸氏に『戦後吟』送る)。
佐沢、庄野英二氏に『戦後吟』を托し、岩橋・南田2女史に紅茶のませてもらひ、1冊づつ贈り、佐藤春夫、堀口大学2先生へと切手貼り、きのふ電話かけ来し東順子の母君より、妹孝子君の特別入学のこと聞き、疋田嬢呼びて今村羊子と2冊分売り、伝田生に2冊、鍛治君に2冊をはじめ12冊売り、壽岳博士にわたして『戦後吟』の日なり。
天野愛一に電話すれば感心したが紹介未定と。15:15より教授会。未定なりし細原の妹入学させざることとし、東の妹あとへ決定を延ばしして終る。198名と。
帰れば佐瀬よりやめさせられしと。湖東より北野氏と相談せしと。マミ子けふ来りて「Goethe」の本4冊もちゆきし。出発は19日と。のちほど電話す。
夜、池島信平、岩崎昭弥、中野清見、西川英夫、小高根二郎に『戦後吟』包む。

2月17日
8:45登校、鍛治君5分して来る。歴史すませ鍛治君の知合で転科希望の子まつ間に小野和子訪ぬれば果して悪阻と。児玉君よべ宿直といふに早々式の写真とAlbumもらひて逃る。帰ればまちをり食物より文芸へと云ふに不可さとし、帰らしめてのち、加藤夫人にゆけば所用と。本わたしてすぐ出、庄野英二に会へばよみしと。ナンバへ出、萩原みち子に1冊わたし、野崎君に1冊売り(天牛本店にて『戦争と性v.3(80)』『不幸なる芸術(230)』買ふ)。天牛南店に浪速双書5,000学校へと註文し、『動く蒙古(30)』『満洲の今昔(30)』『浪曲選集(80)』買ひ、「面影」にてcoffee、Madame紅茶おごり呉れて出てゆきしあと、怪しげな男の話きき、荒木君訪ねしに会議中。
帰れば田中雅子より挨拶。夜、今川より電話、学院中・高入学について也。まみ子、今度は大江へ泊るといふに明日ゆかざることとす。小野和子へハガキかきしに又電話。まみ子の就職のこと。

2月18日
10:30登校、漢文やり、来りし2年生のreportの口頭試問し、午、院長に鍛治君の雇用、山本信江の無給副手、西宮君のsalaryと仕事とに考慮してもらふこととし、午食時間なくなり、家政の歴史きりて2年生の試問続行、西宮君に院長との会見話し、来りし和島嬢主婦生活編集長と話し、15:00和島嬢と出て、かもめ書店に『鴎外全集』に370払ひ、ナンバへ出て近鉄案内所。野崎、鍛治と4人にて喫茶。(野崎君の同僚にHeine与ふ)。
月曜、野崎家を訪ぬるを約しtaxiにて梅田新道、「小出楢重展」見て2嬢と別れて帰宅。西村市造氏より松本ヒロ子合格、手続もすみしとハガキ。
けふ『戦後吟』なくなり、悠紀子に2,500わたす。(けさ天王寺にて白井に遇ひ、きけば大垣に転任と)。

2月19日
家居、中河与一氏より文筆旺盛をのぞむと。午后、堀内民一氏より2冊ほしき人あり、代はあとでと。夜、小西啓子尋ね尋ねて来り、堀内生よりの礼と5,000置きゆく。

2月20日(日)
午前中雨と風。元々社より校正22、3日に出すと。疋田生より『戦後吟』うつくしと。堀内民一氏より「戦後もっとも美しき歌集」と。午、出て片町より坪井、高校入試問題作成に缶詰と。出てbusにてナンバ。玉出の沢田博士邸の「近畿民俗」の会にゆく。折口博士「さうやさかいに」の抜刷もらひ、辻野セツ子氏「蒲生郡朝日野村の採集報告」と鈴木東一氏「亀岡市犬甘野(※いぬかんの)の正月行事」の抜刷もらひ、山本信江の父君と話し、ともに出て住吉をへて白井家。明日赴任、大垣工場の庶務課長と。吹雪の中を『歴史家の散歩』よみつつ帰宅。(けふ松本一秀より3月初、西村氏に礼にゆくと電話)。(田中順二郎夫妻へ手紙)。

2月21日
京都市印刷所へ電話すれば土曜送りしと。会社へゆき父より10,000預かる。杉浦氏退職と挨拶す。康平叔父に池元久子の履歴書托し、学校へゆきて同窓会報と研究年報2冊とり、鶴橋へ出て奈良、野崎家で父君より推薦葉書10枚預かり、女子大付属高校へゆきて坂口允男の室へゆけば昼食中。塩見主事の室にゆき年報呈し、講師の希望ありや否やきかれ、漢文の先生とも話し、塩見氏と大学にゆけば服部部長(※服部英次郎)、席をはづす。天野忠と話せば服部氏、文学部長をやめると。受付に年報托して出、うどん食ひ『狐の詩情(30)』『朝鮮巫俗の現地研究(140)』買ひて前川(※前川佐美雄)邸。
朝日に(※『戦後吟』の)推薦かくと。山田新之輔、この間悪口いひしと。保田わが批評かきくると。吹雪瓢箪山までつづく。小阪で下りれば堀内休業。busで生駒家のmadamと同車。帰れば『戦後吟』つきをり、浅野晃、中河静子、安田章生の3氏の礼状。入浴。

2月22日
試験監督に登校、太宰博士の時間、久保田、十時の2生欠。『戦後吟』2冊頒け、電話かかり学院事務室へゆけば5女史に庄野英二君、頒ち与へしと。Signさされ帰りくれば院長秘書、礼として一封とタバコともち来る。出て東、力身2生に呼び戻され、すみて藤井寺。大江叔母に5冊買はす。北村ウメノ氏には下着類贈れと。清水生呼び、田中生呼び迎へにゆきて話す。田中生、勤務10年と。ともに天王寺に出れば百済生と遇ふ。ともにMocaにゆきcoffee。平岡生とに4冊頒ち、共産主義勉強するといふ百済生に驚く。これにも1冊与へて別れ、石塚書店にて『茂吉の手紙(100)』『ルーヴル美術館(130)』『若き女性の心理(40)』『日本詩史(60)』買ひて帰宅。
大源氏より電話、明日、夫人と松本の病室で会ふこととす。『東洋史研究13の5』八木嬢よりlist。岩崎昭弥より10冊はかさんと。藤野一雄君より中川いつじ君とに2冊送れと。河村純一doctorより礼状。大阪文学会より26日に会合と。『楊貴妃とクレオパトラ』の初校18p。やはりよみにくし。(学校へ大井氏より電話あり、相野の紹介なり。今あやめ池に住まると)。

2月23日
岩崎へ10冊、桐山、高垣、田中順二郎氏へ2冊づつ包む(24×3)。初校終へ(速達33)元々社へ挿絵として「狆を持てる美人」を佐々木茂索氏にたのむやうにとハガキ。岩崎昭弥へ10冊送るとハガキ。疋田生より電話、会ひたしと。午すぎ出てbusにて天満橋より国立病院。松本一彦の病室にゆき室井夫人を学院中学長樫本氏に紹介す。松本近々退院と。電車にて朝日にゆき山田新之輔に学芸部への紹介たのみ2冊おく。山本事務所にゆき1冊置き、class会より金もらへとききて出、京橋をへて帰宅。
西川英夫より3冊買ふと。咲耶より史よこせと。疋田嬢より歌。山中、今村2嬢と村上新太郎氏より感想。菊地淑より入学の礼状。角川より21,000−3,150=17,850。沼生より卒業式後の謝恩会出欠問合せ。元々社より初校32pまで。松井和佐子の師とききし中村斗志女史よりcoffeeの礼状。夜、江馬、沢井、富山、坂井、前田、梅本、後藤、川崎、俣野、坪井に(※『戦後吟』)包ます。

2月24日
9:00登校、note提出3名のみとわかる。疋田生より2度電話、縁談また行き悩みとなりしと。寺本生来り『戦後吟』1冊買ひ呉る。三木生の聞合せに来し人、また来り、ことはられしがまた一人学院出ありしと。名簿見しが見当らず。その旨いひて帰らす。畠山六右衛門氏より電話、きけば長男同志社へ入りたく紹介たのむと也。近日ゆくと答ふ。父より就職または縁談をと云はれし犬和の杉本嬢来り、就職たのむと。なしと答ふ。京の菓子おきゆく。Report提出、辻、明渡2人のみ。木村静子より電話。
13:30出て上六。木村嬢に今東光氏への『戦後吟』托し、小阪の三井銀行にゆき17,850受取る。堀内きのふ男子生れしと。(上六、天地書房にて『苗族と猓玀族(80)』買ふ)。小阪よりbusにて帰りしが道路工事のため遠く歩かさる。
けふ悠紀子、四条畷学園へゆき小学校毎月1,250、入学時の寄付3,000と。大より阪根嬢たのむと。阪根母上より礼送ったと。元々社の校正80p。「楊貴妃伝」すむ。

2月25日
9;30藤井寺へゆく悠紀子・京と共に出て郵便局。10冊(160)と西川への3冊(32)、その他郵便料多く払ひ、会社へゆき城平叔父に会ひ、salary請求書に印おしてもらひ、原君と話してのちbusにて天満橋より安堂寺橋の山本鋼業へゆきしも益子専務不在。『戦後吟』1冊おき、親子丼食って俣野博夫に会ひ、白井の送別会を3月26日(土)と定め、饗庭君を訪ねて話し、日生まで歩き藤原女史に会ひ、祝として1冊与へ、出て大阪日々会館に佐瀬訪ねしに不在。風呂敷ことづけ、市電にて荒木利夫を訪ねて話し、地下鉄にてアベノ橋より湖東宅。けさほど北野母君よりの電話にてききし写真とり、アベノ交叉までゆけば鶴身陽子に会ふ。話して古本屋見、アベノ橋で紅茶のみて駅で佐中壮氏に会ふ。織田ユリの仲人に成功せしと。話しつつ京橋で別れて帰宅。悠紀子と同時となる。
夕食中、室井夫人来訪。カステラ賜ふ。樫本校長に会ひしと。元々社校正96p。岩崎昭弥より1冊分1,500送り来る。野田又夫、小高根二郎より受取。[坂]根母堂より2,000。(けふ天王寺駅にて西川の友、安田に呼びとめらる。会社専務と名刺呉る)。

2月26日
〒なし。12:00出んとせしところへ本位田氏より電話、徳庵駅まで本返しに来るといふに不二家(※大阪文学会会合)のこと云ひ、busにて天満橋をへて心斎橋。不二家へゆけば盛会。祖国社の連中も保田も来るといふに、14:00前出て梅田。京都へゆき丸物で時計のひもかへ、ここの劇場での大の脚色「続・天下太平」を見る。面白かりし。

2月27日(日)
9:30出て雨の中を畠山氏にゆき(taxi60)、わが仲介不要を云ひ、autoにて鞍馬口、兒玉実用君に久しぶりで会ひ『戦後吟』贈りて出る。賀茂川べりまで出、『詞選(120)』買ひて双林社に電話かけ、busにて丸太町。麻生『日本文学史(150)』買ひて山前君に会ひ『骨』へと詩2篇わたし、中野印刷所の勘定きけば2万越えしを1.8万円に負けさせしと。オサム君呼びて払ひ、河原町丸太町で『富山市近在方言集(10)』買ひ、busにて京阪三條をへて帰宅。
史の友達来て咲耶のところへ厄介になれぬかと。数男へ相談せよと云ふ。前田光子より就職たのむと。元々社の校正128pまで。(けふきけば児玉君にも詩たのみゐると)。(京橋で亀井昇母子に会ひし)。

2月28日
風邪ひきてのど痛む。鍛治君に電話かけさし17:00頃ゆくと云ひ、ぶらぶらゆけばreportの子たち待ちをり、すまして野崎君より礼の電話きき、漢文の試験。出来ず。すみて三苫君に採点提出迫らる。清水、田中、瀧本の3人と天王寺のMocaへゆき、やがて平岡、木村来り、5冊の代金受取る。木村、京橋まで送り来る。(瀧本生にきけば中野トシ子醜態らし)。
けふ前田光子より就職依頼。木村三千子女史より100封入、歌集送れと。今氏(※今東光)より出席の礼状。総選挙開票、憲法改正やっと不可能と。

3月1日
病臥、38℃を越し、腰いたむ。夕方、蔭山Dr.の来診を乞ひ、きけば流感と。あすの教授会いひ、注射うってもらふ。江馬より受取。塩見薫より受取。元々社より挿図のこと。宮本正都より「歌集実費にてもでもお頒けいただきたし」と!

3月2日
朝になって熱下る。けふより京、幼稚園へゆく。学校へ電話して欠勤云ひ、また電話して千場和子のこと云へば西宮君より電話あり、嬢やYo-koと名付けしと。けふ西川より3冊代300。江口三五、沢井孝子郎2氏より受取りしと。

3月3日
幼稚園ひな祭と。湖東より電話「明日研究室へ来る」と。畠山氏より電話「試験出来ざりし」と。児玉氏(※兒玉実用)へよろしくたのむと速達す。元々社より初校160pまで来る。帯の広告とあとがきの原稿かく。富山忠雄より礼状。藤野和子、南村となり吹田市垂水168の39住友商事千里寮に住むと。小林千余子より関学を受けると。

3月4日
久しぶりにて登校、漢文の問題作りしあと何もする気力もなく、試験おへしあと湖東を待つ中、小西啓子、小林君子の2人来る。ともに国文学史まだなり。明日家へ来ることとなり、湖東と出てナンバ。明菜でcoffeeおごらる。(けふsalary出し)。大丸まで歩きて別れ、住所簿買ひ(330)、三井信託に森桃子訪ねて中野トシ子のこと云ひ、また十合。児玉円城君に会ひして、天王寺へ引返して帰宅。(寺田町にてClausewitz『戦争論2冊(130)』)。元々社より176pまで。小西啓子よりreport着きをり。田中雅子より「物送った」と。

3月5日
11:00、井上生、母とつれ立ち来り、菓子と商品券と呉る。小西、小林2生来り、国文学史のreport口頭試問。小西生に湖東君へと(北野)雅子の手紙托す。(けさ史、(※東大受験より)帰宅、田中順二郎へゆかざりしと。咲耶にゆきしと。子らへ土産、数男より。われにはtabacco)。太田陽子よりハガキ。山前君より「10日までは詩の追加を」と。齋藤加寿栄生より「府教委の試験うかりし」と。夜、田中雅子へ手紙かく。22:00千場和子reportもち来る。けふ寒し。

3月6日(日)
家居、史に筑摩へ印紙未着の速達出しにゆかす。風呂の釜とりかふ(2600)。

3月7日
家居、父より「林敏夫の祝を共同でせん」と。畠山氏に電話してきけば落第せしと(49×2)。田中順二郎氏より砂糖送りしと。

3月8日
京、四条畷学園小学部受験にゆく。われ9:30出て京橋で散髪、三條京阪書房で矢野『外国関係研究(450)』買ひて山前君。詩「初老」をかいてわたし、中野トシ子の200渡し、彙文堂にゆき『東江遺事(300)』『明季史料零拾(300)』『心史叢刊(350)』『清史要略(350)』買ひて吉野書房(途中昼食)。
高鳥、奥西保に『戦後吟』1冊づつわたし、折柄来会せし窪田雅章氏(正体何か我知らず)にも1冊贈り、羽田夫人に亨先生のお見舞電話し、畠山家にゆけば令嬢のみ。六右衛門氏に電話かけ、けふ兒玉実用氏に電話して補欠たのみしこと云ひ、京都駅より省線。梅田にて古本屋、『中国近世社会経済史(100)』。また親子丼食ひて帰宅。
京、口頭試問に答へしらし。奈良女子大より講義の日取と題目しらせと。筑摩より思ひちがへと謝りて印紙2,500枚。

3月9日
10:00出勤、採点す。西宮君来り、新庄吉田氏の礼1,000呉る。教授会にて壽岳博士『戦後吟』は会津八一に比肩すとほめらる。小林千余子来り、関学受けると。16:30すみ鍛治、小林2生と西宮君まじえて千日前。野崎君呼び出して喫茶。taxiにて鶴橋(けふ院長に奈良女子大(※出講)の了解求めしにあまり良き顔せず)。服部氏(※服部英次郎)より井上庄七氏(大高20回)と共訳のSchelling(※岩波文庫『ブルーノ』)。
白井三郎より大垣へ転任の挨拶。けふ学校へ兒玉実用氏よりハガキ。台湾大学図書館閲覧部主任永祥氏より手紙。

3月10日
悠紀子、北村ウメノ氏の結婚式にゆく(高津氏にゆく)。京、幼稚園休み12:00狐うどん食ひて出、四条畷学園に13:15つき、14:30までまたされうだうだ講話、中途で出て手続し(4000)、服(1800)、シャツ(800)、帽子(200)買ひて帰宅。悠紀子19:30帰り来る。林叔母に祝(1,500)もちゆきしに知合に嫁世話せよと。八木嬢より女中いらぬかと。筑摩書房土井一正氏より『戦後吟』(※造本)出来上り良からず、『李白』15日出来と。元々社より税金の申告(20,000−3,000)。湖東より雅子君の手紙返却。数男より「一次通った」との電報。大江に電話すればうちは不要と。大源氏より電話、72番の受験番号と。

3月11日
9:00会社へゆき城平叔父より風呂釜代もらひ、父と話し、鶴橋より奈良、女子大にゆき服部英次郎氏に会ひ、唐詩やることとし、天野忠とcoffeeのみてのち、12:00書類呈出。岩城隆利氏に会ふ。商高にゆき坂口允男に会ひ、出て昼食。野崎家によりてのち前川邸にゆけば翠夫人「山田この間来り、朝日に書きたり。保田はまだ」と。(途で吉村正一郎氏に会ふ)。奈良駅にゆけば桜井行出しあと、busにて檪本。極楽寺にゆけば「五重?」と。(※八木)明子氏と話し、かきもちもらひて出、14:42にて桜井。
保田にゆけば『祖国』に書くと。母上神経痛と。出て16:40の汽車にのり天理。松井家へゆきしも信子嬢、大阪の病院へArbeitにと。高橋君は猟にと。夕食くひてまたゆき夫人と話し、天理18:15発の準急にのり、小阪19:15。堀内で『人類学ノート』『星と伝説(100)』買ひ、19:40の最終busにて徳庵着。
けふ小林君子、この間の礼にと羊羹もち来りしと。西岡盈子より坪井に会ひうまくゆきしと。元々社より214pまでと。再校80pまで。

3月12日
10:00登校、採点表呈出し、日野君と話し、疋田、成尾2君を電話で呼び、白井へゆけば全家不在。引返して疋田生またせ成尾生に林叔母よりの話をし、疋田生とアベノ橋。「相手小心にしていらいらする」と。別れて梅田、雨ふる。帰れば成尾の母より電話かかりしと。22:00室井夫人より電話、合格せしと。小野和子より悪阻つづくとハガキ。彦根の『詩人通信』に『戦後吟』の取次をすと。

3月13日(日)
風吹く。林叔父より礼状。堀内民一氏より出講の日しらせと。千場和子より吉村氏の採点。堀内氏に『日本歌人』へ書いてくれとハガキ書く。

3月14日
寄永祥氏へ返書(35)。朝、湖東に電話すれば高木婦長に云ひおくゆゑ本院へゆけと。9:00池元久子つれbusにて天満橋より日赤。すぐ診察してくれ胃病と。別れて向ひの松本一秀見舞へば少しも良くなりをらず。出てcoffeeのみ(40)、市電にて心斎橋。梅本(※梅本吉之助)訪ひ女中いらずやと云へば心配いらずと。食堂で恰も田中定子に会ひ『戦後吟』やり、写真よこせと云ふ。出て心斎橋筋を南下、ナンバより住吉、林叔母訪へば縁談不要となりしと。気を悪くし、駅前より成尾家へ電話して道きき、母上に詫ぶ。鉄屋さんにて養子ほしと。やがて帰りし禧紗子君に送られ駅にて別れ、硲君のapartまで歩き、「我孫子前」まで送られて帰宅。
(けふ『八.一五事件』と『太平洋海戦史話』買ふ)。角川より色紙10枚。八木嬢より奈良の旅館の飯炊き見付け来りしも待たしゐると。(速達にて少し待たせよと返事)。元々社より校正。けふ悠紀子、税務署へゆき1,690払ふこととなりしと。

3月15日
京と幼稚園へゆく途、成尾保姆その他の人々に会ふ。9:45登校、卒業式すみて謝恩会(東の母、辻の母、道満の父より挨拶さる。和田節子明日頃来阪と)。悠紀子より電話あり、史より収入証明書送れと云ひ来りしとて学院事務室へゆき用紙もらふ。帰りて歌うたひ、鳥打帽子もらひて写真とられ、16:30西宮、鍛治2君と千日前。近鉄案内所へゆき、天牛南店で『続日本紀(400)』買ひして4人でまむし食ひ喫茶し、taxiにのりしに途中でエンコ。無代となる。野崎嬢と上六で別れ、西宮君と鶴橋で別れ帰宅。
梅本より女中見たしと速達。蔵本生、徳島より「点知りたし」と。戸籍記載事項証明とりに区役所へゆかねばならぬとわかる。

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3月16日
梅本に9:30電話すれば「ぜひたのむ」と。アベノ橋よりbusにて住吉区役所、戸籍係に西生ゐると発見、中川俊雄に会はせにゆきしも不在。名刺おき証明もらひ(30)、高野線にて住吉東、住吉社をぬけて郵便局より速達。林叔母へゆけば、けふ電話したが悠紀子不在、女中ほしと。ことわって出、まむし食ひ短大。
女子大へゆけば佐野道氏、学生と話して待たす。不快。昼間のことわり云ひ短大へ帰り、14:00出て学院の前にて則武、藤野、林、鈴木、北沢のgroupと会ひ、ともにナンバ。岩本に会ひして「面影」へつれゆき茶おごり(560)、別れて近鉄案内所。野崎嬢に和田夫人来ざることを告げ(けふ偶然弟来りしに会ひし)、『戦後吟』20冊、前川(※佐美雄)氏へと托し、上六。天地書房にて『未開社会における法(30)』『婦人と犯罪(30)』買ひて近鉄。西大寺、郡山にてのりかへ天理につけば17:40。
八木嬢に電話すれば「速達した。ゆけず」と。叱って本部前で出会ひ(中林、中村孝志に会ふ)、さとして八木家へゆき、すし御馳走になり、ゆくときき駅まで送らせて帰る。
けふ知念栄喜より『現代詩人全集』に蔵原、神保らと参加せよと。堀内民一氏より25枚かいたと。近木生より就職あきらめたと。安達生よりreportのこと。(けふ前田社長邸へゆく吉野書房の青年に会ひ、きけば保田19日上京と)。

3月17日
『楊貴妃とクレオパトラ』校了。梅本に電話して15:00上六でと約束し、白井より26日は土曜ゆゑだめとの返事。佐々木邦彦氏より『骨』近々出来とのハガキ見て14:30出、上六へゆけば15:30。藤井よしえ来り、喫茶室で話す中、彦根短大の田中禎子嬢に会ふ。次いで天理大学の畠中敏郎氏に会ひ、朝日に歌集の批評のるをきく。梅本来り紹介すみ、29日午后、八木嬢につれゆかす。定休2日、月給当分2,000ときまる。1,000貰ひてわたし、鶴橋まで歩きて帰る。
浜寺の上田氏といふが明日来ると電話ありしと。けふ創元社へことわりのハガキ出す。21:00天理より電話「藤井きらはれた断る」と。1,000もらひしことも云はざるやう也。

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3月18日
京、卒園式とて出しあと父より電話、高野敏子より学用品。八木嬢に21日来よとハガキ。開利枝にハガキ。前川佐美雄氏に礼状。筑摩の『李白』10冊来る。父来り『戦後吟』日銀へと10冊、『李白』城平叔父へもと2冊わたす。史帰り来る。高野へ齋藤はるみと2人にと『戦後吟』2冊、ハガキかく。依子けふ四条畷高校の入試。

3月19日
開生より電話、けふ来よと云へば「ダメ、火曜来る」と。やがて藤井よしえより現金1,000と400、400はタバコ代にと。成尾よりこの間の礼。堀内民一氏より『短歌』に『戦後吟』評のることとなりしと。眞野喜惣治氏より2人に2冊を、大津へ近々転任と。
ひるねせしあと八木嬢わびに来ざる故、早夕食べて天理、busなくtaxi(120)。400つっかへし叱りしもむだ。眞柱に『李白』もちゆけば来客、鈴木治氏の杖あるに気付き会ひたしと云へばややして「をらず」と。高橋君に寄れば不在。駅前にて25分あり、電話を八木君にかけて「2度と来ず」と云ふ。
けふ筑摩の土井君に「20冊送れ」はいかがなりしやと問ふ。堀内、成尾氏へもハガキ。(梅本に2回電話し、父に18才の女中ありとききてたのむ)。

3月20日(日)
眠し。7:30家を出て2部の面接にゆく。長沖氏も来る。三苫氏と院長に『李白』。長沖氏は買ふと。鍛治君に前川氏への『李白』を野崎君に托するやうにたのむ。半田生来り、京都美術と大阪学芸大と通りしと。15:00、47人の受験生みな通す。文芸は15人。白井家へ寄れば三郎君あり。当分家あかず。送別会はゆっくりせよと。すし御馳走となりbusにて上六。『竹斎(30)』買ひ近鉄をへて帰宅。
上田阿津子より市教委の試験通りしと。高野敏子より母君まだ入院と。齋藤はるみまた転任と。松本一秀夫人より西村先生の所しらせと。

3月21日(春分の日)
依子の入試発表に悠紀子ついてゆく。東夫人に電話し、「娘つれて院長のところへゆけ」と云ふ。12:00まへ悠紀子帰り来り、八木嬢来る。きけば方々かけまはり松井夫人の口より裏の娘を梅本へゆかさんと云はれしと。Airship2缶もち来る。松井家でやる紙石鹸の販売もやると。13:30よりの四条畷高校の注意に悠紀子出しあと、八木嬢と出て京橋より松本へゆけば、室井美代子氏わが出しあと来りしとて会ふ。礼置きゆきしと。樫本氏へも10,000もちゆきしと。
帰れば東家より電話ありしと。こちらよりかけて聞けば、院長2日後の予算会議のあとまで待てと云ひしと。室井夫人の呉れしは3,000と洋服地。
けふ10:00〒木村三千子氏より8円切手2枚、中川いつじ君より『戦後吟』買ひたしと。佐竹静子氏よりお好み焼き開業と。柴田天馬『聊斎志異研究』買ふ。

3月22日
家居、〒近畿民俗学会より4月10日天理参考館見学と。松井信子嬢、八木嬢の代理として「5日まで傘の仕事やめられぬ故、ひとまづお断りす」と。4月8日よりはいかにと速達す。午后、開生より「天気なら明後日来る」と。

3月23日
けふも雨。家居。本位田重美氏より「入試に関係せず。実方氏には云ひしも塩谷滋講師に会ひてたのめば如何に」と。夜、小林千余子に電話して伝ふ。川崎より『戦後吟』の受取。芳野の前氏より前川氏の評よみ生甲斐を感じたと。田中順二郎君より『戦後吟』学芸部へたのんだと、幸せなりと。

3月24日
前川氏より「詩人として著名な」といれしに省かれしと。八木嬢より4月5日まで云々は口実と。午后出て会社、ゆく途中父つかまへ日銀へ『戦後吟』もちゆくときく。会社へ月給の請求書出し、まみ子落第ときく。出て片町より国立病院、松本夫妻に云へば、返せば代りの品くれんと。
出て朝日、山田新之輔に『李白』2冊わたし、後藤孝[夫]と出て喫茶、高尾書店に9,900払ひ地下鉄、高野線にて堺東。北野家の父君母君に順二郎君の手紙見せれば喜ばれて、依子へ旅行鞄、我へneck-tie賜はる。
高野敏子に寄りbusまで送らし(齋藤はるみ浜寺中学へ転任と)、遠里小野橋で下車、小野和子訪へば児玉君もをり、悪阻癒らずと。沢之町よりbus、上六にて夕食、鶴橋をへて帰宅21:15。
元々社より後記の校正。(高尾で『近代女性史 写真版(150)』)

3月25日
梅本から電話。女中のこと放心せよと。東夫人より電話、きのふの予算会議いかがなりしかと。聞きにゆけと云ふ。開利枝来る。[喜]界島の産なり。10人兄妹の末娘と。入学後しばらくは泣きつづけしと。Chocolate賜ふ。筑摩の土井一正氏より在庫なくなりしゆゑしばらく待てと。「アララギに慣れた目に抒情新たに心に沁む感じです」と。
夜、八木嬢より電話、「あさって連れて来る」と。池元姉妹の父、初蔵([※長崎県]福江市赤島町)より礼状。

3月26日
松井信子氏より電話「電鉄st.でなければあす八木嬢つれて来る」と。梅本に電話すれば喜ぶ。堀内民一氏より15:00来ると。角川より486−72=414(『昭和詩集』再版印税)。佐々木寛幸氏より前川氏の文見たと150。西島寿一より「はじめ詩人の余技と見た」と。知念栄喜より林(※富士馬)、岩崎昭弥に会った、承知せよと。岩崎昭弥より「破門覚悟、詩集出させよ」と。4月2、3、4日の中に来る」と。
疋田紀子より縁談解消したと。15:30堀内民一君来り、夕食たべてゆく。その直後宮本正都君来り、caramel呉る。

3月27日(日)
私鉄ストとて八木嬢来ず。羽田より『李白』受取りしと。西川良江より教師忙しと。石田嘉子生(2部2年)より、4月3日学院同窓会総会と。

3月28日
梅本より電話、八木嬢けふ行かずと再答。湖東より電話「東京より帰りし」と。14:00ゆくと答ふ。堀内民一氏より礼状。里井、永井2生熱海よりハガキ。13:00出て湖東へゆけば菓子とわさび漬くれ、防衛大学へ運動すると。雅子氏肥え、4月帰り来ると。出て梅本に会ひ1,000返し、毎日へゆき天野に会ふ。『戦後吟』評書きしも未だのらずと。雨中帰り京橋の引場で炒麺。八木嬢14:00来りて明日来ると云ひしと。

3月29日
朝、城平叔父より電話かかり、マミ子の就職を樫本氏に打診せよと、不快なり。八木嬢より電話「来る」と。11:30現はれて配列につき本よまさる。女中の方は大丈夫の由。17:00帰りゆく。明日私鉄st.にても来ると。篠田統博士より今度の『李白』宜しかりしと。『戦後吟』は甘しと。齋藤晌先生より受取。一言もふれられず。森三樹三郎氏よりも礼状。岩崎昭弥より詩集のこと。

3月30日
八木嬢9:00来り、11:00ごろすみて帰る。入矢君(※入矢義高)より『李白』の誤指摘、(※本書の著者が)酒のまぬは不満と。面白し。竹田龍児氏より同礼状。和田先生より御自筆の礼状、5月同志社へ出講と。桑田先生より受取。田中雅子よりハガキ。梅田ゑい夫人より病気して『戦後吟』の礼おそくなりしと。田中定子より写真。
午后出て樫本校長宅を訪ぬれば出校と。ゆきて会へば「学院の音楽はふさがりゐる。弟(学芸大、正氏)に頼め」と。学院図書に『李白』買ひしと。1冊差上げて短大により、今川に電話し、府庁にゆけば坪井在席、たのめば味舌中学に口あり、明日面会と。今川に電話かければ夜相談すと。
『戦後吟』の1,000もらひ三越にゆけば薬師寺の講演にて亀井勝一郎来るは明日とわかる。梅田にゆき高尾にて中島『蒙古通志(300)』、鴎外『性欲概説(200)』買ひ、静安学社のX翁と話す。今川に電話して東住吉高校すすめ「明日また電話して返事きく」といふ。(坪井にきけば[防]衛大学20日に教授会あり人事決定せしと)。

3月31日
8:50梅田より電話してきけば「けふ面接にゆきしゆゑ2、3日留保してくれ」と城平叔父。府庁にゆき坪井に云へばきき入れ呉る。上六へ出て奈良、前川邸にゆき夫人に会へば、亀井氏は夫人と京都と。『李白』まだつかずと。1冊おき(昨日坪井に1冊)、野崎家により『李白』(※前川佐美雄へ渡すのを)留保してくれと置き手紙し、小阪をへて帰宅。
途中、悠紀子に会ひてきけば今朝電報来り、史残念会にゆきしと。岩崎昭弥「4日15:00すぎ来る」と。浅野晃より礼状。小林千余子より「関学3年に編入ゆるされし」と。夕刊にてみれば西岡盈子、淡路中学校へ転任となりしと。他人のことは旨くゆくやうになりし。


昭和30年4月1日〜昭和30年8月25日
25.0cm×17.8cm 横掛ノートに横書き

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4月1日
雨、11:00八木嬢、堀川きよみ女を連れ来る。けふより働く用意しありと。梅本に電話し、狐うどん食べさしてやる。可愛き子なるらし。
小高根二郎より『李白』の礼状。浜谷弘子よりハガキ。石田嘉子生より電話、来れと云ふ。けふ田中順二郎君に防衛大学の件、調査たのむ。父より電話「明日、咲耶帰郷につき史をして見送らすべし」と。和田先生、羽田、入矢その他のハガキかく。佐々木邦彦氏より『平福百穂』返却さる。
雨の中いでゆきしこと小さけどなぜか夜ふけて悲しみおもふ。

4月2日
朝、今川へ電話すれば、まみ子の友、山根嬢たのむと。梅本より電話かかりて堀川女気に入りしと。山本敬子生より「24日より勤めゐる。先生は最も印象わかかりし」と。中川いつじ氏より「女中心当りなし」と。眞野氏より「大津に勤めゐて快し」と。
午后藤井寺へ電話すれば、向ふよりも申込みしところ「史、いかに」と。夕食後、坪井にゆき山根嬢の面会月曜13:00〜14:00ときめ、沢田医院により父母のぶ子嬢と話して帰り、今川に電話すれば「山根嬢、今市校の話再燃」と。
けふ小松保の母来り、早生tomato呉る。咲耶帰郷5日となりしと父より電話ありし。

4月3日(日)
10:00出て京、依子をつれ近鉄にて散髪。屋上にゐし2人迎へにゆきて短大へゆけば宮沢、堀(妹)の2人ゐる。姉かと思ひて堀生と話し、学院前にゆけば文芸の今年卒業多くゐしが、みな逃げ、井上生に坪井へ紹介の名刺かき、研究室で峠夏津子、瀧本とゐすはりゐれば、去年卒の鍵谷、馬路来る。京と依子先へ帰し、城平叔父に電話かけ、出て文の里の吉森家。披露宴の写真もらひ、出て鳥本生の家へ2人送り込み帰宅。
けふ学校へ杉浦(※正一郎)よりのハガキ来をり「31日来阪、電話かけし」と。八木嬢より「堀川女つれゆきて喜ばれし」と。山前君よりやっと校正。吉崎生より下宿せしと。西岡盈子より礼状。関学の桂周作君より『四季』『コギト』の話ききたしと。城平叔父より電話かかり山根嬢一応お断りすと。羽倉裕景君より6日午后来ると。自治会会長となりし赤星来て、今夜他の者不在にて相談会せずと。(石井周作『日本古代文化研究(50)』を勝山通で買ふ)。

4月4日
城平叔父より電話あり、長々と坪井の世話にならぬ理由きき、早速手紙かきて史にもちやらす。井上恵子のことたのみしがあやなし。服部英次郎氏より『李白』の受取。「新学年の授業たのむ」と。成尾禧紗子より17日法事で愛和幼稚園に来ると。野球ききて時間つぶし16:00すぎ来し岩崎昭弥と話す。酒もタバコもやめゐると。創元社(※『現代詩人全集』参加の件)と詩集(※編集刊行させてほしいといふ要望)と両方とも断念せしめ、阪急Hotelへ泊れといひて出す。『祖国』もうすぐ止めると。
けふハガキ多くかき、山本敬子に手紙かく。岩崎帰りしあと創元社の知念栄喜君にことはり状出す。

4月5日
9:00出て登校、十時(下駄ばき)と共にゆく。上田阿津子、神尾と会ひ研究室へつれゆき、やがて来し西宮君と話し、2年の担任たのみ、11:40出て千日前。野崎に会ひ『李白』やること云ひ、2生と大丸で別れ、梅本にゆく。細川女気に入りしと。明日夫人礼に来るとて地図かかさる。胃悪しとて『李白』与へて別れ、前の食堂にて炒飯(60)。荒木利夫に会へば日中貿易で忙しと。(大丸前で疋田嬢母子に会ひし)。地下鉄で梅田、svarで『人種哲學梗槩(50)』金なくnews映画見てうどん食ひ扇町公園まで歩き天満より帰る。
田中順二郎君よりハガキ。(※防衛大学への就職口)むつかしさうなれど社会部大川氏に話さんと。9日雅子君帰省、15、6日頃下阪と。湖東より電話かかりと云ふに、かけ見れば教師に縁談をと。他日会見を約す。

4月6日
晴、悠紀子、京の入学式にと出でゆく。12:00すぎ梅本夫人来訪、(※世話した女中の)細川女気に入りしと。梅本けふ胃癌か否の検査と。菓子とかまぼこと礼にと賜ふ。鍵谷よりけふ進退伺に母を吉野書房にやりし。父母の意見にまかせ欠勤多かりしと。神田信夫氏より『李白』の礼状。毎日新聞(東京)より7日までに随筆2枚をと。夕食後「眼」と題して2枚かく。

4月7日
晴、朝速達2通、1は元々社より挿絵に苦心しcleopatraだめなりしと。15、6日頃出すと。1は岩崎より創元社も詩集も保留せよ、創元社は計画また変へ女流詩人を3名入れると。すぐ返事出す。
梅本より電話、胃癌になるおそれあり月末手術と。湖東より電話、明日13:50梅田の本屋の前でと。神田(※喜一郎)博士、影山正治氏より『李白』の礼状。井上恵子より坪井に会ひ親切に云はれしと。自治会長赤星来り、汚水流しの土管敷設を24日にやると。

4月8日
速達で元々社より6p3,500。12:00浅野晃『ワーズワース詩抄』、開生の礼状。東生の長崎よりの便り見て会社。排水路の工事伺ひ出して(叔父2人とも不在)、京橋。市電にて扇町商高へゆき沢井に杉浦(※正一郎)の来阪を機に白井の送別会せんと云ひ、また市電にて桜橋。湖東にあひ蒲田氏呼びて海機(※海軍機関学校)の同窓坂田君の花嫁探しを承諾。ともに三菱商事に横山薫二訪ね、別れて山中、吉森2君とcoffee。『岩出』(※和歌山県地図)買ひて帰宅。
鍵谷生来り、縁談ある故、汐時として(※吉野書房)やめると。佃煮おきゆき、小林千余子缶詰呉れしと。
けふ四条畷高校の入学式とて悠紀子も不在なりし。夕食後また電話、中西講師の紹介にて入りし井上暁子母子来り、whisky2本呉る。Wordsworthにつけた大木のHeineの広告にHeineの訳として田中克己・片山敏彦の2人ありと。
『楊貴妃とクレオパトラ』の寄贈名簿、土井、藤枝、羽田、原田、服部英次郎、入矢、吉川幸次郎、壽岳、川久保、神田博士・信夫、桑田、工藤、中河、西川、野田又夫、小野、佐藤春夫、篠田、田中順二郎、竹内、竹田、高垣、和田先生、保田の25氏にと。夜、東順子の母より電話、特別入学許されしと。

4月9日
晴、家居。三苫君に電話し、小林千余子に礼状。古谷悦子に『戦後吟』。午後父来り、日銀へと『戦後吟』10冊もちゆく。北野徳治氏より順二郎君の手紙返送。仙野(児玉)「東桃谷小学校長となりし」と。菊地淑「西洞院姓となりし」と。中井妙子より「稽古事しゐる」と。けふ京ひとりにて登校。元々社へ印紙速達す。

4月10日(日)
雨。本多和子より手紙。佐々木寛幸氏より『戦後吟』受取ったと。村上新太郎氏より「申込者少々あり、金送る」と。毎日新聞より原稿受取。電話かかりて田中雅子夫人来訪と。やがて来る。元気できれいになりをり。天然色の写真と栄太郎の飴とわさび漬と賜ふ。湖東君に電話して16:00訪ね、坂田君の縁談いやと云ひ、夕食ご馳走となる。

4月11日
登校、入学式。長沖、西宮2氏来る。山本信江、鍛治2君と共に紹介、山本君に住高校(※住吉高校)原、硲2君にと『李白』2冊托す。鶴身陽子、お礼にと何かもち来りしを受取らず。東順子の母、礼を云ふ。
14:00より教授会。東は聴講生と。他に苫米地。李○○といふ朝鮮少女入学ささんと云ふ院長に反対す。すみて東順子と共に帰る。西宮君、大手前へまだしばらくゆくと。500〜1,000のbase-upの未定のためsalary出ざるらし。
けふ学校へ阿閉良衛より歌集ほしと。本位田重美氏より小林のこと。家へ小野和子よりあやまり状。

4月12日
晴、家居。竹村氏、布施市会の運動に走る。この間杉田嬢の縁談に失敗したと。米沢昭子より手紙。俣野博夫Asia-Africa会議に18日出発と。服部正己より「臨時助手を」と。佐々木邦彦画伯より礼状。入試の成績よかりしと。服部に電話して「考へて見る」と。得津生の父より礼にと肌着。16:00風呂焚きしをれば東順子と母上と来訪。5,000と羊羹とを礼におきゆく。

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4月13日
定期買ひて登校、家より電話かかり羽田亨博士薨去とradioで報ぜしと。始業式に出、研究室に帰れば西、上田阿津子、神尾来をり、藤原生を通じて辻(※辻芙美子)生呼びをり、その結果にては上田生を服部に推薦せんと思ふ。
貝塚(※茂樹)氏来り、slideにて中国旅行を話す。すみて『李白』もちゆけば「いつよりこちらに」と。送り出してまた講演きき、すみて1年生に注意し、辻生待てども来ず。院長代理で羽田家へ弔問にゆくこととなり、salary(暫定)もらひ、ふくさ借りて出、波屋にて一昨日見付けし『朝鮮語』買ひて省線。京都にて吉野書房にゆけば鍵谷をり、高鳥君に電話かけ双林printに電話して上賀茂。羽田邸にゆけば受付に知人をらず、やや待ちて貝塚、神田、外山の諸氏に礼し、さだちゃんに伝言たのみて(?香資1,000と学校の3,000)出、双林printにゆけば山前君大多忙。この間4冊売りしが75%と。『骨』は生活のため再校見られずと。早々出てrice-curry食べ、京阪書房にて『遠野方言集』『家族制度と婦人問題』『日本紀年論批判』(400)買ひ、疲れてcoffeeのみて帰阪。
伊藤賀祐夫人より『戦後吟』の批判、千川義雄より「快方に向ふ」と。羽倉君よりハガキ。(けふ俣野に電話すれば11日vizaとれてBandonへ出発、5月15日すぎに帰国と)。

4月14日
8:55登校、例の如く鍛治君来をり山本信江休み。歴史すませ上田阿津子来りしゆゑ市立大学のこと云ひ待たす。羽田家へゆく積りなりしが止める。17日も入試中途にして式に行きてよしと。小林千余子来りしを待ち、14:00となり上田と出て天王寺。すしおごり別れ、服部(※正己)にゆく。
杉本町の校舎の私設助手にて辻芙美子宜しと(※リンクあり)。将棋一番して負け、ともに上六へ出、別れてtaxiにて三越。青龍展の佐々木邦彦見しも画伯は不在。学校へ帰り秋田生の退学きき、授業2時間、間に西岡生来り、ついで日本放送に働くといふ野村朝子来る。西宮君とともに帰る。
けふ京都芸大に通りし半田生に『戦後吟』乞はれて1冊与ふ。薔薇短歌会の村上新太郎氏より10冊代金として1,000。「今後、扉に毎号詩を書け」と。奈良女子大より土曜3、4時限に出講せよと。

4月15日
村上氏に10冊速達小包で送る(105)。登校、けふは山本信江来る。15:00来る田中順二郎夫妻を待ち退屈。順二郎君、大川氏が人事局長にきき呉れしに「(※上京就職希望)承知しゐる。運動つづけよ」と云はれしと。
出てアベノにて『近江奈良朝の漢文学(60)』『Man,woman and child(20)』買ひして湖東家にゆけば両人すでにあり、湖東君に「縁談の件、勘弁してくれ」と云ひ、その診察の終るを待ちて夕食たまひ、20:00になりて辞去。名医なるかな。羽田君より17日の葬儀通知。古谷悦子より『戦後吟』受取り100同封。(けふ幼稚園へ佐沢氏に10冊もちゆきし)。

4月16日
雨、家居。関口八太郎君(※防衛庁)より「13日の毎日夕刊を見た。我いまだ老眼でなし」と。磯崎潔、天草より礼状。羽田家よりまた葬儀の通知。矢野峰人先生の詩集買へと出版社より。夜、関口八太郎君に手紙かく。

4月17日(日)
8:30登校、9;20より試験監督。すみて採点漢文10人位(41人中文芸16人)。昼食に鰻丼とりくれしゆゑ12:00まで待ち、食べ了へて院長の名刺もちて出、省線にて京都。Taxiにて堀川[町]寺ノ内町興聖寺といふにゆく(320)。
京とも雨にて泥濘。お焼香すまし宇都宮教授と話しゐれば葬儀委員ゆゑ居残れと。桑原武夫氏より挨拶され、大島奈良女子大教授より挨拶され、三田村泰助氏見付け今西春秋氏に会ひたしと云へばのちほど遅れて来らる。前どほりなり。近く訪ねることとして羽田明君の委員たちへの挨拶きき、父の家。
母、下痢とてねてゐる。祖母84才と。この間胆石病にかかりしも癒りしと。町内会の遊山より帰りし父と会って出、京阪書房で『群書類従正続(6.8万円)』を注文し、四條まで歩きて新村出『あけぼの(20)』買ひて出れば「金支払ひしや」と追ひかけて店員ききに来、ついで天坊先生の本100との札見て買へば250と。断りて出、四條より乗車。けふ〒なし。

4月18日
原君より電話。大、外語大よりの広告見て城平叔父命ぜしと。午后ゆくと云ひ、ゆけば城平叔父康平叔父ともにをらず。しばらく待ちて出、藤井寺。途中、恵舟荘の松村生とともにゆく。大江へゆけば藤井寺の梵鐘落成とて帰り来し叔母に寮長辞任を云へば反対。梅本の病気云へば岩永生宜しと。帰り来し叔父に挨拶して出、(山下の妹来をり、婆さん女中気に入らず、帰すと)。梅本にゆけば明日国立病院に入り岩永外科の手術受くると。御馳走になり堀川きよみ女に送られて駅へゆく。
急行のりかへの為、松原で下り、ふと肥下にゆけば就寝しゐしが起き、堺脳病院長やめ、いやとなりしと。
9:30帰れば羽田家の会葬御礼。『新論』発刊の挨拶。齋藤加寿栄より就職なかりしと。けふ父『日本の隅々』呉る。

4月19日
9:00会社へゆけば康平叔父あり。やがて城平叔父来り「寮見に来てくれ」と云へば承知と。すぐ出て学校、国文学史1時間やり研究室へ帰れば東幸子の問合せに嫗、不快にて早々に帰す。
蒲田君より電話あり、15:30ゆくと云ひ、高野線にて木津川下車。大阪書籍にゆけば前田社長不在。高階次長と話し、出しに柳井三千比呂君に会ふ。引返して奈良女子大出の女史と話し(佐瀬和子の友と)、市電にて桜橋。
15:00なるゆゑ高尾へゆき『女四書(150)』『原始社会(180)』隣にて『日本生活史(180)』、土田にて『世界文化交流史(230)』。産経にゆき資材部長に会はされ、『楊貴妃とクレオパトラ』出てより文化部長に紹介してもらふこととし、坂田君と3人にて3階にてjuiceのまされ、結局嫁探し承知して帰宅。
村上新太郎氏よりもう3冊送れと。柳井三千比呂君より入れちがひに「河内長野に家もちし」と(50万円+α)。上田阿津子生より「就職たのむ」と。けふ八木嬢に細川女のこと速達す。夜、八木嬢より電話「通帳その他23日もち来る」と。

4月20日
保田へ『李白』送り登校、college-hourへ出ず。湖東より電話ありしに坂田君の書類返せと也。変心の旨云へば来ると。山本信江に『李太白』を大阪女子大へもってゆかせ、湖東と話して疋田家へゆき、母上に[命]ひ考慮してもらふこととし、住吉高校にゆけば板原、山本、硲の3君みな授業中。峯の里へ出て高野線にのれば西宮君あり。木津川で下車、大阪書籍へゆけば前田社長また不在。柳井君と話し、西浜をぬけて今高へ寄り筒井君と話し、、恵美須町まで歩き文華堂で『李白詩選(110)』『中国猿人(200)』買って帰宅。
朝日の藤原恵氏、東京毎日の桐山君より『戦後吟』の礼状。前田光子より「失業中、授業料未済」と。

4月21日
8:55登校、鍛治君電車の為来らず。授業はじまりて来る。午后basket部の子を学院へつれゆけば庄野英二君、歌集代を払ふと。藤原生、踊りの切符もちかたがた来る。疋田嬢より電話、来よと云ひ、ややして来しを榎本須美子訪問かたがたつれゆけば大体見合よろしと。写真もよくとれゐるを托されし。
(けふ小野十三郎氏、朝日に紹介をかくゆゑ『李白』くれと。石浜先生にも1冊差上ぐ。今西春秋氏、水曜午后に関大に来をりと)。
榎本嬢不在のため引返して別れ、学校へ帰れば瀧本生来り、中野トシ子現はれ、日銀の諸氏より預かりしと歌集3冊にsignさし、自己も1冊買ひゆく。理事長より月曜17:30より守本、西宮2氏と吾とを招待して飯くはすと。
夜学すませ帰りdance稽古の穴川生に会ふ。板原、宇都宮両氏より『李白』の礼状。小高根二郎より伊東散文集のこと。

4月22日
朝、会社より電話、ゆけば二葉会とか解散にて400円返され16,300の補助金と。日曜の勤労奉仕の菓子代1,000とを申請す。城平叔父よき顔はせざりし。父、歌集代700渡さんとせしゆゑ500のみ取る。健、京都へ転勤して親孝行すと云ひ来りしと。
登校、産経蒲田君に電話し、2時間やり、前田隆一氏に電話すれば麓氏に近々連絡せんと。山本邸の招待は西宮君の授業やめさして受けると? 井上、永岡2生来る。けふ山本信江は中退せしと。
出て朝日にゆき吉井栄治氏に会ひ『李白』渡して小野十三郎氏の紹介文掲載をたのむ、「よし」と。出て産経、蒲田君に疋田嬢の写真わたし連絡たのみ、ヨシカズ書店にて『西洋の起源(80)』買ひて京橋より帰宅。
東大より『蒙古史料4』、『東方学10』。元々社より『楊貴妃とクレオパトラ』2冊。東京毎日より4,000(−600)。
服部より辻芙美子の採用やっと決定せしと。田中雅子より礼状。(けふ吉田生に小野氏へと『李白』托し全部なくなりし。門前天理大教授、令嬢夜学へ入学とて挨拶に来る) 夜間の入学式を西宮君にたのみて休みし也。

4月23日
奈良大の初講義とて8:20家を出しに向ふへゆけば10:00。服部(※英次郎)、塩見、天野(※忠)3氏には会ふ。学生便覧もちひて見れば中村幸彦、千田正雄も今年より講師にて木村と我と天理図書館(※旧館員)4人そろひし也。
10:30より11:30までやり、出て野崎家。父君にきけば「前田正男夫人戸別訪問(※選挙違反)にて罰金1万円」と。前川家にゆき夫人と話し、佐美雄氏より歌集代2,000受取る。(けふゆくみち安田章生君に会ひ、帰途『言語関係刊行書目(120)』『インドネシアの民謡』『夢かぞへ(90)』『史学雑誌40の8(30)』買ひす)。
梅田に14:45着き、rice-curry食ひて昼食とし、まむし食ひて夜食とす。帰れば辻芙美子より「ドイツ語習はねばならぬこととなりし。服部は我に似たり」と。

4月24日(日)
下水工事と市議選とに逐はれ9:30家を出、梅田で古本屋を見、『仏伊・伊仏辞典』見付け買ってもらひ(300)、news映画見(阪急ですし食ひ)喫茶、大毎の短歌祭にゆく。
前川氏来ざるゆゑ橋本多佳子と松村英一の話きかされ、来し前川夫人にwhiskyわたし、安田章生君と喫茶して帰る。
けふ下水工事すまず、小出楢重夫人重子氏より『戦後吟』の礼状。

4月25日
傳田雅子より幼稚園やめ家のこと手伝ふと。田村春雄君より5月8日(日)14:00より母君7回忌と。
14:30出て片町より国立病院、松本と梅本引きあはせ、外に出て梅本夫人に会ふ。手術は明日なりと。歩きて植田初枝氏の前通りしに入口ふさがりをる。
天王寺より斎場前まで歩き、喫茶して時間つぶし山本家へゆけばゆけば30人に上る学院教師招かれをり、出るではなかりしとくやむ。先生たちの隠し芸と子らの唱歌とにて20:00すぎ散会。

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4月26日
9:00家を出て学校、山本恭子「先生お酒飲まれないのを存じ上げず失礼したと母申す」と。院長「山田光子の就職世話せん」と。
出て高野線の駅までゆけば(途中学院に寄り新聞にのせしわが詩云ひしも不明)、齋藤加寿栄来り、引返す。途中庄野英二君に会ふ。この間佐藤先生の会にゆき中谷孝雄氏らに会ひしと。齋藤生就職きまらずと。Coffee呉れしを西宮君にと押しつける(『李白』を山本信江父君に贈りしに「金沢大学の某氏もちゆきし」と)。
ナンバを出て先づ荒木利夫訪ねしも不在。米沢昭子に寄り、東幸子を訪ぬればこれまた不在。「面影」にゆきmadameと話しシャーベットのむ。近鉄案内所にゆけば西宮君をり、野崎君不在。鶴橋へ出て帰宅。たばこ代なくなりしも父に徳庵駅前で会ひ100円借りる。
保田より『李白』ほめ来る。篠田博士より『楊貴妃とクレオパトラ』受取り「又もや力作拝受、小生の様なナマケモノは唯々アレヨアレヨとゆうばかり…」と。壽岳博士より「昨年から今年にかけての文学的所産の質量に驚異の目をみはってゐます…」と。中河与一先生より礼状。林叔父より祝返しせしと。高橋重臣君より「RilkeとDuse」の抜刷。村上新太郎氏より3冊代と送料で500、詩は5月6日までにと。(父にきけば新村博士わが『李白』買ひたまひしと)。

4月27日
四条畷学園の参観とて悠紀子新しき服着てゆく。小野勝年、神田喜一郎、桑田六郎の諸碩学より礼状。榎本須美子近々来ると。三越より林の祝もち帰った、地図教へよと。東大阪大高clubより「15日天理見学」と。
14:00出て桃谷で日本読書新聞買ふ。4月25日号に『李太白』『李白』を都立大学助手今村君(※今村与志雄)の批評のると壽岳博士に教はりし也。竹内好のいひつけでか。
15:00鍛治、院長、長沖、西宮、三苫の諸氏に『楊貴妃とクレオパトラ』贈る。教員会とて可笑。すみて教授会、19:30帰宅。

4月28日
8:45登校、歴史すます。古典講読20人ほどにへり山本信江君聴く。すみて産経の蒲田君に電話し、漢文のprint切りしあと、ゆけば橋本部長をり、しばらく待たされ蒲田君帰り来しとき文化部の女記者来る。『李白』『李太白』『楊貴妃とクレオパトラ』わたし紹介たのむ。桂の女専出にて壽岳博士令嬢の一年先輩と。蒲田君「高峰秀子に似し子を」と写真かへす。(阪神に『楊貴妃とクレオパトラ』山積しあるを1冊買ひ、旭屋にて『李太白』を1冊買ひ)また旭屋にて1冊買ひて大毎へゆけば天野(※愛一)君の室へ通され、永井君に会ひしも挨拶せず。若き記者と3人にて喫茶(けふ橋本部長にきけば後藤田、水川怪しと評判となりしと)。
高尾へゆきSmith『Human History(550)』『現代詩人全集8(160)』、早川二郎『日本上代文化史(100)』、遠藤元男『古代史(100)』買ひしに遠藤はdoubleりゐる。
阪神にまた寄りしに『楊貴妃とクレオパトラ』少し嵩少なくなりし模様。帰校して親子丼食ひ(けふ試験手当2,000もらひ野崎嬢より鍛治君に托せし歌集の売上げ300[伊東、東、中馬と]貰ひし也)、夜学教へ、単位の指導2年の分やる。瀧本君を鍛治君断りしやうにてをかし。
帰宅すれば〒なく、前田光子より電話かかりしと。会社のsalary出しと。(けふ笠井信夫氏より電話、藤沢桓夫氏の祝についてなれば長沖氏に相談せしも結論出ず。)

4月29日
天長節、われは家居。悠紀子、弓子、京は心斎橋へゆく。午后、湖東と疋田家へ電話し報告す。市立美術館よりエトルスク・ローマ壷展の案内あり。夜、radioで和田先生、武者小路公共、森田たま女史と座談会。

4月30日
8:00家を出、駅までゆきし悠紀子と会ひ、共にbusで楠根小学校へゆき、市会議員と教育委員の投票をす。ばからし。
すみてまたbusにて小阪、奈良女子大へ10:00つき、塩見、大島大2教授に『楊貴妃とクレオパトラ』をと助手に托し、天野忠君と話す。塩見、服部(※英次郎)2氏に会ひしも話もなし。講義17、8名相手にすませ、出れば「あの先生えらくないわね」の声きこえし。
出て高校へゆき坂口允男に会ひしも無愛想。すみて外でしるこ食ひ、[もちい殿]歩きて『玉台新詠中』買ふ。女主人「お久しぶり」と挨拶せしは人ちがひならん。生駒へゆき服部(※正己)家にゆけば学習院の学会にゆきしと。辻嬢気に入られゐる様子。服部京子つれて『にんじん(※ルナール?)』買ひ与へ(育英中学へ入りしと)、『楊貴妃とクレオパトラ』見付けて買ひ、小阪で下車。 堀内に寄れば吉永孝雄氏来合はす。高橋盛孝『文化人類学講話(120)』買ひてbusにて帰宅。
川久保より『楊貴妃とクレオパトラ』の受取。筑摩土井君より印税内金3万円。原課長来り「村上入ることとなりし」と。次いで隠岐高校出の当人来て「入ることとなりました」と。月曜まで待てと云ふ。
一日中、変なことつづきの日なりし。(よべ2:00まで寝ず。5:30目覚めし)(奈良にて米田祐太郎『西太后・楊貴妃(50)』買ふ。愚本なり。)(けさ関口、朝日吉井栄治、毎日天野愛一へ『楊貴妃とクレオパトラ』。弘文堂へ取換本送る。送料64円と)。

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5月1日(日)
May-dayと。和田先生より「羽田先生の葬儀の日、末嬢の結婚式でゆけず弔電打ち香華供へられしに羽田より返事なく怒れるか心配す」と。神田信夫氏より学生に(※『李白』)推薦すと。藤枝(※晃)よりも礼状。岩崎より「体悪し。徳永氏に会ひし」と。
けふ大毎にまた「眼」をのす。村上姉来り、入寮の挨拶す!今川に電話せしも全家留守と。堀内民一君へ『楊貴妃とクレオパトラ』包む。夜、C室長[天]場来る。

5月2日
9:00すぎ出て会社へゆけば、城平叔父叱りゐる。待つ中、今村氏来りしゆゑ無視されしを云へば、労組の要求にて金曜にきまりしことを原君云ひ忘れしらしく、あまり怒る必要もなきこととなり、池元姉妹の保険のこと云ひて出、電車にのれば守屋君あり。けふ上京と。大阪駅で別れ阪神departで『楊貴妃とクレオパトラ』買ふ。(ぐっとへり、あと4冊位となりをり)。
市電にて府庁へゆき坪井に会ひて礼云ひ『楊貴妃とクレオパトラ』与へ、歩きて国立病院。外科医長長田博士に会ひてきけば「梅本今のところ胃と十二指腸の潰瘍。松本は長びかん」と。松本と梅本とそれぞれ見舞ひ、心斎橋まで歩き更に南下して荒木利夫訪へば居り、中共貿易団の帰国に托せよとて『楊貴妃とクレオパトラ』(空堀で買ひし)を包み、中国文化部次長孫平化氏へ手紙かき、郭沫若氏への伝言たのむ。大高3回の中日友愛協会勤務の某君に紹介され、湖東(出がけに電話かかりし)と約束の15:00に近くなりしゆゑ、あはてて別れ地下鉄にて十合。会ひて喫茶(また『楊貴妃とクレオパトラ』買ふ)。
心斎橋筋を南下して米沢姉妹、井上雅子らに会ひ、basket部の中島、楠戸に会へば、明日試合を見に来てくれと。湖東と「面影」に入り(縁談世話はやめときまりし)、出て別れ、荒木利夫に『楊貴妃とクレオパトラ』もちゆきしも不在。日本一まで歩きて帰宅。
田中雅子より『楊貴妃とクレオパトラ』の礼。岡本和子より「その中来訪」と。西阪修より「行動展」の案内。神田信夫氏より『中国史』と『三藩の富強の一側面』。安水稔和氏より『存在のための歌』と出版記念会の案内。

5月3日
憲法発布の日と。『東洋史研究13の6』着く。天野愛一氏より『楊貴妃とクレオパトラ』の受取。秋山昭子夫人より「河村doctorに『戦後吟』見せられ、あなたのこと多く歌ってあると云はれし」と!?
12:00出て府立体育会館のbasketにゆけば77-17で京都女子大に大敗。新人戦とて久保田ら出て醜態。武居と出て“grand”と云ふにてjuiceのませて別れ、鶴橋まで歩く。
夜、前田光子より電話、小阪にゐると。道教へ来りしにきけば「就職たのむ、兼松商事にArbeitしゐるも辛し」と。結局引受けて帰す。

5月4日
よべ3:00まで眠れず。前田生が為なり。9:00悠紀子より1,000借りて出、近鉄にて散髪。10:45登校、院長つかまへて
1.鍛治嬢の俸給の件、2.前田生のこと云へば、
1.は守本主事に任せあり、2.は我方も1人預りをりと。
守本主事に云へば「知らず」と。教授は2,000づつ昇給せしと、西宮君の話。院長は「大阪女子大にて調べ少なけれど」とわび云ふ。11:45より眼の話し、すめば院長「いつもこのやうな話ならcollege-hourの出席もよくならん」と、学生に云ひ、われには「卿の話の特徴3要素あり」と云ふ。詳しくきくにいとまなかりし。
浅香生来りて芥川比呂志氏に『戦後吟』わたせば今度は忙しくて会へずと云ひしと。榎本須美子生来て『戦後吟』1冊買ひ、体快調と。本屋町の親類にゆきゐしと。
漢文の追再試験し、その間梅垣女史に云へば「新日本放送(※毎日放送)」より1名募集来りをり通知せんと。安田栄治郎の会社に電話せしに「その会社の人々はこの頃来らず」と。茫然。
出て我孫子へゆき小野和子に小野ボタンのこと云へば、使用人10名と。8日の法事に云ひて見ん。児玉君にたのんで十合の臨時雇はいかにと。たのむと云ひて出、荒木利夫にゆき見れば欠勤。米沢薬局に寄れば「いまし方、姉妹と車坐と中馬の出産祝にゆきし」と。市電にて労演(※勤労者演劇協議会)にゆけば佐瀬ゐず、しばらく待ちて出、梅田。
19:00までrice-curry食ひ、角田『原始社会』買ひて待ち、吹田。家に電話すれば、けふ羽倉より原稿出来上りしとの電話ありしと。富山県より『戦後吟』につき問合せ。(高尾で『日本歴史のあけぼの(120)』買ふ)。

5月5日
子供の日。相川の辺り神崎川を見、天六(※天神橋六丁目)でtoast食ひ、梅田の万字屋にて森末『食物史(160)』買ひ、赤川2丁目の共産党診療所に寄りしのち天満橋に出て京阪。三條の京阪書房にて学校への本注文せしのち、依田君に電話すれば「18:00れんこんやで会はん」と。山前君にゆき『骨』20冊とり、れんこんやで会ふこととして出、彙文堂にゆき王瑤『李白(80)』買ひ、本学校へ送らすこととし、歩きてまた京阪書房。Brandesの『青春独乙派』もらひ、れんこんやで45分まち、出しところへ依田君来る。
天ぷらうどんおごらし『楊貴妃とクレオパトラ』与へて京都駅へ出て帰宅。
辻生の母、礼に来り、前田生より「新日本放送」受くと電話ありしと。岡本和子来り、夫婦ともに共産党と。桜井の芝君は共産党の良き顔と云ひに来しと。鍵谷生より「近々(※吉野書房)やめる」と。山本敬子生より「木曜けいこ日にて会へず」と。この間May-dayに宮口と会ひしと。梅田惠以子夫人より「近々新居に移転」と。
入矢義高氏より『楊貴妃とクレオパトラ』の批判。入れちがひに山前君より7冊問屋にゆきしと。小高根二郎君より伊東文集のこと。野田又夫氏より『楊貴妃とクレオパトラ』の礼。浅野(※晃)氏より東京では売れてゐると。

5月6日
朝「詩人の親と子」作り西宮の村上新太郎氏に送る。(※短大に)ゆけば長沖氏休講。教員免状とりに新年[生]多く来り、話す中11:45となり、漢文やり、午食の時間に1年の学科指導やる。家庭科の歴史やり、東生の電話きき、柳井君に電話すれば前田社長上京する故、今度は話つけて来ると。家の件まかせてくれと云ひ、出て児玉円城君に会ひにゆけば「十合だめ故、方々当りゐる」と。履歴書わたし、帰りくれば硲君に会ふ。(庄野英二君、歌集10冊代賜ふ)。研究室で話し、salaryもらへば1,500のみ(+)となりし。
(けふ行きがけ放出の眼科医で健康保険証とりゆきて学校へ渡せし)。『鴎外全集』代払ひ、鍛治君誘ひて松虫下車。前田光子の下宿さがし、きけば新日本放送の試験に6人来りしと。「かつらぎ」で喫茶して種々さとし、アベノ橋まで歩きて別れ帰宅。
けふ悠紀子税務署にゆけば控除50%は認められずと30%に改め、7,000ほど更に払ふべしと。河村doctorより『戦後吟』1冊送れと100円。浅野建夫とMalayで[識]ると。羽倉君より都合しらせと。
けふ来し諸生中、井上恵子栗まんぢう呉る。よる大塚女史より電話、『楊貴妃とクレオパトラ』買ひし故signたのむと。清田の室に夫婦者泊めんと赤星許可を得に来りしゆゑ許さずと答ふ。
(本俸26,300家族手当2,400手当6,3004月分差額1,500計36,500所得税2,549保険2,112慶弔会費30差引31,809)

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5月7日
河村純一氏に『戦後吟』1冊送らせ、8:40家を出、鶴橋をへて奈良、野崎家へ寄れば父君「永島福太郎氏の説に、田中君も帝塚山でのやうにいいかげんにやってゐればやっつけられますぜと」。
前川家へ寄れば[緑]夫人帰りに来てくれと。講師室の助手にHeine与へ、図書室へゆき天野(※忠)君と話し、午をともにせんと云ひ講義、別にやっつけられることもなし。すみて天野君の出でゆくうしろ姿を見る。バカらし。
川村徹博士に会ひし。Sign求むる助手君に「奈良山の木の間にひびく山彦のはかなきものをこひとは知りぬ」と書き、出て前川家に鞄預け、駅前でまむし(180)。
木原の向ひで森銑三『西鶴と西鶴本』。Juiceのみてのち前川家。起きし佐美雄氏と話して15:30まで帰らぬ嬢ちゃん待ち、英語見てやりしも出来ざる様子。夕食すすむるをふり切って生駒服部(※正己)家。夕食よばれ将棋一番して勝つ。服部収入82万円、税20万円と。
帰れば弘文堂より『ルネサンス』外とりかへ。堀内氏より『楊貴妃とクレオパトラ』受取った。小高根二郎「伊東静雄書簡編緝所」。
(けふ小野勝年氏に電話、来週会ふこととす)。高津高校のモリ本氏より坪井の紹介にて現代詩について20日から月末の間の月・金の15:30より話してくれと電話。小野和子より「口ありさうゆゑ履歴書3通を至急」と電話ありしと。

5月8日(日)
角川より『Heine』4版3,000を5月中旬にと。阿閉良衛より『戦後吟』代金100とsignをと『李白』。佐瀬より礼状。
12:00出てアベノ橋で『楊貴妃とクレオパトラ』とHeine買ひ、前田光子の下宿へゆき履歴書のこと云はんとせしも留守。置書し古本屋で『婦人の社会科(80)』『近代戦争史略(60)』買ひ、上野芝。駅前でうどん食ひてのち田村家へゆく。夫人の父母、清徳保男の母堂と姉など合せて20人。清徳母堂77才にて中津浜通りに住むと。看経ののち御飯よばれ、出て阪和にて東羽衣(昔の阪和浜寺なり)。旧居のあたりを歩きて沢田直也を訪ぬれば朝から飲みつづけと。火・水の名に国税局の事務官に紹介せんと。伊藤母子は結局10,000にて立ち退きしこととなりしと。
20:00駅まで送られて南海にてナンバ。「面影」へゆけば四天王寺学園の教師といふ文学中年に紹介され、いやになりて出る。前田生より電話かかり「十合へ履歴書もちゆきし」と。角川より夜、速達にて印紙。

5月9日
『骨9』を百済璋子、西川英夫、梅田惠以子、高橋重臣、中野清見、林富士馬、浅野晃の諸氏に送る。堀内民一氏より電話、16:00頃来ると。高津高校、森本氏よりまた電話、いやゆゑ坪井に云へといふ。山中タヅ子より手紙、句集出版の人にたのまれたと。堀内君来り『釈迢空』の原稿出来しと云ふに浅野晃氏へ紹介状かく。送りかたがた『サンデー毎日』買ひに出る。けふ史、宝塚へSymphony of the Airをききにゆく。

5月10日
登校時、アベノ橋「ユーゴー」へゆきて『楊貴妃とクレオパトラ』3冊買ひ庄野英二君に1冊進呈。高津高校の森本氏より電話、坪井と会ひし結果やはりたのむこととしたと。
守本主事「院長は鍛治君を副手として1,500しか出せぬときめし」と。けふにて1年の学科指導終り、13:30出て林叔母に疋田君の写真もちゆき、ナンバへ出てbus、市電にて北浜ビルの沢田君を訪ひ、taxiにて国税局。資産課係長の木下正三氏に会ひ「あす課長会議にて云ひおくゆゑ、会へ」ときき、出て別れ、府庁。坪井をらず、国立病院にゆき梅本見舞えへば土曜退院と。松本と話して出、片町をへて帰宅。
佐々木邦彦君、隠岐よりハガキ。桂君といふより批評をと。けふ学校へつきし『中国詩概説(290)』引取ることとす。明日教授会に出ず、長沖氏と相談して鍛治君の話きめんと思ふ。夕方、羽倉君より電話「AA会議について書きし」と。「それにては駄目」と答ふ。

5月11日
短大へ電話し、西宮君に鍛治君のsalaryのこと云ひ、ついで来し〒に傳田生、明日来校とありしを見て、明日休校のこと楠戸生に伝へさせよと電話し、13:30出て学校。院長にわがsalaryをさきて鍛治君に廻せと云ふ。中田博士未亡人来られしとて会ひ、教授会。年報分を提案して終り研究室に帰れば、織田優子より就職の礼にと羊羹? 東生より写真。西宮君と別れて前田光子訪ねんとせしが中途で引返し、古本屋見あるき、寺田町石塚で春夫『文学読本秋冬の巻(70)』買ひて帰宅。
原田俊仿、退社退寮をいひに来る。けふ平中氏より17日(土)17:00より、同氏邸にて和田先生歓迎会と。出席の返事す。

5月12日
創立記念日とて休み。9:00出てbusにて小阪。永和まで歩き府税事務所長三好一夫を訪ぬれば茶菓を供し、布施税務署に電話しくれ課長不在とわかる。筏井嘉一の弟子として歌作りしと。『楊貴妃とクレオパトラ』と『戦後吟』おき、出て樟蔭に寄りしも安田章生君未だ出勤せずと。堀内に寄りてのち帰宅。
村上新太郎氏より詩の受取。山前実治より『骨10』の締切25日と。午后吉崎雅子よりハガキ。夕方、元々社より速達にて『李太白』3版2,000の印紙。『楊貴妃とクレオパトラ』も売行よしと。
18:10小高根二郎より電話、19:00京阪乗場にてと約束してbusにてゆく。喫茶してきけば、伊東(※静雄)書翰は穎原(※退蔵)先生のお宅以外は少なしと。20:00別れて散歩してのち帰宅。川村一郎氏(元々社)に『李太白』の誤植訂正表かく。

5月13日
元々社へ印紙と訂正とを送り登校、西宮君と同車。よべ3:00まで眠れざりしゆゑ、だるく2時間いいかげんにすます。傳田生来り、三宝柑もち来る。
長沖氏を午后につかまへ(午前中、小野勇氏来り長沖氏を待ちし)、ともに守本主事・三苫君に1,500をわれらで出すゆゑ鍛治君には秘密にと頼み、長沖氏に3,000借用。
産経の蒲田氏より学園の某女の問合せ、その旨云ひてことはる。三好一夫に電話せしも不在。布施税務署にゆき所得税松井課長に会へば木下・三好2氏に会ひ、たのまれしと。田中係長と相談、新潮社の2,400を計算し50%として690円追加に払ひて放免さる。
沢田事務所に電話せしも不在。百済璋子より「猛烈に」恋してゐないと抗議。井上恵子より保姆講習を受けゐると。藤原加代より南松尾村小学に就職したと。入れちがひに小高根二郎、布施税務署より。和田先生歓迎会18日に変更と。京の受持宇津先生来訪。

5月14日
三好君へ礼状。8:30家を出て鶴橋をへて奈良。女子大へゆけば丁度よし。11:45にやめ博物館に小野勝年氏を訪ね、ともに昼食(280)。上高畑に地所買ひあり住宅資金ほしと。法隆寺献上御物展みせてもらひ、別れて前川家。
いま聞きし和田先生天理とのことに14:30の汽車にて天理。友井老に会ひ、taxi(190)にてゆき朝鮮学会の講演にゆき、中村栄孝博士のあと和田先生の朝鮮の起源について伺ひ、御挨拶し、眞柱にも会ふ。わが『李白』買ひし由。お別れ告げ、薮君と話し、出て西村君に会ひ、ともに高橋家、重臣君不在。夫人と話し出て駅前で喫茶。
17:53の汽車にて奈良。前川家にて20:00夕食。すみてすず子君教へ22:05にて奈良発。前川氏、奈良銀行頭取を小野君に紹介すと。我は痔の医師を紹介すと協定。入れちがひに高橋君よりハガキ(この頃この類多し)。西川英夫より礼状。佐々木邦彦氏隠岐より帰りしと。中山八郎氏、古市に居を定めしと。

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5月15日(日)
湖東より電話、朝日に小野氏の『李白』評のれるを報せ呉る。10:30出て前田生の下宿訪ぬれば姉と動物園と。十合へゆき児玉君に会へば「菓子屋に口あり、明日にても可」と。無痛分娩の書(120)贈りて出、表にて夕食(60)。地下鉄にて梅田。
阪神departにて2冊となりし『楊貴妃とクレオパトラ』買ひ、旭屋にて1冊のこりし『李太白』買ひして相川の成蹊詩社。鈴木先生おくれて来られ、木村、水野、橋川氏ら9人のみの会。鹿内校長に『李太白』と『戦後吟』贈り、『楊貴妃とクレオパトラ』(※鈴木)豹軒先生に進呈して出、山本治雄にゆけば、昨夜外泊のため喧嘩せしと。夕食よばれbeer半杯のみて、本家の田紳ら4人来るに会して出る。
徳庵駅にて前田生に会ひ、就職後のことさとして別る。(けふ靴直して400)。傳田生より礼状。大島利一氏より『楊貴妃とクレオパトラ』の受取。長尾禎子より18日岩崎姓となると。安村夫君今市氏と同級と。今中自彊会より21日(土)自彊会役員会と。
うたかたの此の世のいとも短かかるわが世をいとふ長き日のあり(成蹊詩社にて吟)。

5月16日
京つれて7:30出て8:45学校につき9:00すぎ長沖、西宮、鍛治、山本信江4氏と110人の学生と当麻寺。中の坊といふにて休憩、昼食。4,000払はされしに憤慨。石光寺といふにゆき30分。15:00二上口まで着きてまたbus。帰校16:30。
帰れば前田光子より電話、面接の結果を児玉君より我に知らすと。羽倉君より18日(※和田先生歓迎会に)ゆけずと。22日14:00より羽田博士追悼講演会を人文科学研究所にてと。28日(土)13:00より楽友会館にて日本言語学会と。原田俊仿退社退寮。

5月17日
登校、鍛治君に伊東の文章写してもらふ。午ごろ中学生来り、Junior-dayの詩をと。高岡博士「朝日の記事見た」と。久美子にも会ふ。小林千余子来る。塘に電話せしも往診と。百済生に電話し、その中会はんと云ふ。中山眞柱に藤沢桓夫氏の結婚式は29日としらす。横山より朝日見たと。
浅野晃氏より「堀内君の本は来月の編集会にて決定」と。小高根二郎の「前川佐美雄と伊東静雄」はきまったと。史、けふ姫路の友へ泊りがけでゆく。

5月18日
登校まへ桃谷下車、塘doctor訪ね、前川氏を川本doctorへの紹介かいてもらひHeine贈る。出てアテネ文庫2冊買ひ登校。
杉山平一君の話きき、院長。すみて日野君と話す。児玉君に電話せしに前田生、先方に気に入らざる様子と。堀内民一氏に電話すれば帰りしと。
省線にて京都。吉野書房にゆき『戦後吟』7冊分受取り、鍵谷生今月限り退職ときく。出てtaxi(80)、平中邸にゆけば硲君をり、17:30和田先生守屋君に案内されてお越し。羽田、大谷光照、八田、百瀬、桑田、中山、駒井、佐中、布目など15人にて20:30まで会食。京阪まで歩き、桑田、守屋、中山、八田、硲の諸氏と帰阪。羽田にwhysky1瓶送り礼云はれし。
竹田龍児氏より『楊貴妃とクレオパトラ』の礼状。小高根二郎君より礼状。堀内民一氏より27日高津高校で会ふと。辻生より明日来校と。

5月19日
8:30登校、よべ3:00まで眠れずだるし。井上生来りしゆゑ坪井に手紙と『骨』とを托す。午、蒲田君の友達坂田君来り、高校卒業の某生の身許しらべと、不快なれど案内す。毎日の齋藤君来り(この間天野に紹介されし)、長沖氏の談話とりゆく。藤沢氏の祝1,000づつ来週中にと笠井信夫君に電話す。
出て退学せしとの木村陽子生訪ねしに留守。母上に一度よこせと云ふ。佐中氏に『戦後吟』送り、帰りて住康子よりの海南市立巽小学校に就職との便見る。千場生も故郷にて就職しゐると。
堀内民一氏に電話して元々社のこと伝へ、宮口生よりの電話きき、来週木曜にでも来よと云ひ、17:00そろひし山本敬子、藤原由子、辻芙美子の3人と会ふ。山本生salaryよりもなか買ひて呉れし。
2年漢文追試やり(9人)、西宮君と帰る。
行きに会ひし井上生(2部服飾)と帰りも会ひし。阿閉良衛より礼状。当麻寺松村実照師より留守にて失礼と。横山薫二よりclass-mateの住所教へよと。(けふ出がけ齋藤の老嫗死せしときく、今川夫人の継母なり)。

5月20日
よべ8時間近く眠り、めざめに眩暈起りしはなぜならん。ゆきて講義。柳井君より電話、前田社長よりの伝言に「防衛大学迎へたがってゐるが欠員なし」と。湖東君14:00来り、坂田氏の失礼云へば「もうかまふな」と。
15:00ともに出て心斎橋。途中「シャルドン」といふにて喫茶、十合人事課に児玉君訪へば「前田生の就職きまりし」と。喜びて出、湖東と別れ、古本屋。Baedekerの『Rome(30)』『土中の日本(60)』『氏神の信仰(40)』買ひて帰宅。
大阪市立美術館より九州古陶名品展の案内ありしのみ。

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5月21日
朝8:30駅までゆきしが体の工合あしく電車の出るまでにとび出して帰宅。
(父に会ひ29日の薬師寺の信綱博士の会のこといへば「行く」と)。横山薫二より東京へ転任と。高津高校森下種次郎氏より講演のtext刷ると。臥床して終日。(前川氏へハガキ)。

5月22日(日)
9:30家を出て坪井にゆきclass会を6月5日に開かんと云ふ。出て市電にて梅田。juiceのみて「楊貴妃」を看る。そば食ひて天満まで歩き、省線にて天王寺。白井にゆけば不在。長男に5日にて都合宜しきやきくと伝へよといふ。
疋田嬢より電話かかりしと。今村嬢より長崎の支那菓子1折。梅田夫妻「新宅に移りし」と。天野愛一より土曜の書評について。羽倉君よりハガキ。けふアベノで『全国市町村字名総覧(80)』買ふ。

5月23日
前田生より電話、口きまりしがまだ働きに行かずと。鍛治君より電話、中西氏(伊東の親友)の住所を山本信江しらべて呉れしと。けふ授業参観に悠紀子ゆきしゆゑ、帰るを待ち14:00昼食。池元姉妹に一筆かかせて会社へゆく。重役会議と。Salary表と補助申請書おき、busにて天満橋をへて扇町商高。沢井君に会へば「class会のこと任す」と。山本事務所にゆけば上洛と。電話かりて横山にかけ6月5日class会といひ、俣野に掛ければ帰国上京中と。本庄先生の都合きくことをたのみて出、雨中京橋をへて帰宅。
けふ書きし「朔太郎のこと(10枚)」大手前高校へ持ちゆく筈なりしも出来ず。佐中壮氏より『戦後吟』の礼。

5月24日
登校まへ「朔太郎のこと」速達。学校へ岩田生来る。盲腸の手術しゐしと。(けふ古道具屋の人、殺されしと)。午、山本治雄より電話「すぐ来よ」と。本庄先生の渡欧資金カンパなり。
すぐゆけずと云ひ木村陽子と話す。木村彦左衛門の孫にて今高より来しが去年10月以来欠席と。むつかしけれど父君と相談せんと云ひ、ともに出て駅で別れ疋田家にゆき、坂田君の書類の返還受け、今村羊子生のこときけば知らずと。
出て住高。山本君より伊東の親友中西氏のこときき、硲君に会ひしのち大高。教務でclass-mateの出身中学きく。中島(※栄次郎)は天王寺商業の4年より高[資](※[高]等学校入学[試]験)で来しなりし。
出てbusにのりナンバ。荒木君に会ひ『楊貴妃とクレオパトラ』中国へゆきしと(孫平化氏の手をへて)。別れてbusにて鶴橋より帰宅。
殺人犯は稲田のAl中患者と。今村嬢より長崎へ旅行と。無名氏より大毎の切抜。前川氏より信綱祭の案内。会社より10,000つきし。けふ『中国文学報2(200)』学校へ来り、我買ふこととす(計490)。

5月25日
200もらひて登校前、近鉄で散髪。(父に電話し信綱歌碑建立式に我代りて出よといひ、前川氏にもその旨ハガキ)。ゆけば旅行についての注意とてcollege-hourに出ず。
俣野に電話すれば不在。生島のことにて電話すれば大阪相互銀行にては行先不明と。大河原も席にゐず電話のみきく。
13:00出て津守の大阪書籍にゆき前田社長に会ひ、麓保孝氏の手紙見る。装備局長と青木の親類丸山と双方よりのたのみ聞きしと。
出て戎橋。成見屋へゆけば主人不在。夕立を小杉と話して待ち、竹内栄太郎と帰り来しに会ひて、復学たのむときき、茶よばれ昌三叔父と商大にて同級ときく。
出て「面影」へ寄り、また茶よばれ近鉄案内所にて野崎嬢に会へばsoft-creamご馳走し呉る。金なく鶴橋まで歩きて帰宅。
前川氏より父の出席よろしと。小高根二郎より(※伊東静雄書簡集に?)中島あての便り入りしと。

5月26日
登校、よべ夜半ねざめし故苦し。午、長沖氏に藤沢氏の祝1,000と鍛治君の2か月分1,000とを渡す。俣野に電話すれば「5日の会宜し」と。宮口生より「来る」と。木村陽子のこと守本・須原2教授に談じ、電話すれば「明日来る」と。
出て白井家へ寄れば不在。歩きて林叔母訪ぬれば疋田嬢のこと明日返事きかんと。また歩きてpoolにゆき青木、浦畑2嬢の練習見、ややすれば和島嬢来り、ice-cream呉る。またしばらくして宮口・藤原2生来り、宮口君cake呉る。前田光子来り「明後日より十合へゆく」と。待たせて夜学了へ、姫松まで歩きて帰宅。 白井より「5日の会宜し」と。岩崎昭弥より十二指腸悪しと。

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5月27日
登校、木村陽子待ちをり、須原教授に会はせ、よしと思ひ父君院長にたのめと云ひしに、ややして父君来り院長に会ひ、昨年10月より欠席といひし故、1年もう一度やれと云はれしと。
歴史教へ5:30上本町4丁目まで市電。下りて歩けば坪井に会ふ。ともにゆき16:00より「現代詩の散文化」について云ひ、堀内民一氏より『楊貴妃とクレオパトラ』の「ぐろりあ」版もらひうく。
山崎女史も来り、別れて坪井と森本氏に付添はれ、上六の関急食堂の和食よばれ(礼2,500もらひし)、急に思ひついて5日(日)の会場約し(500の料理10人以上、17:00よりと)、出て2氏と別れ、天地書房にて『中国考古学研究(150)』『実践支那語篇(20)』『日本憲法史(30)』買ひ、近鉄にのり鶴橋をへて帰宅。
富士のsalaryおくれると。島居清君より『満文書写真集』。300以上集めゐると。安田章生氏より原稿受取った、6月20日頃出る7月号にのると。(けふ楳垣氏編『東條操先生古稀祝賀論文集(400)』頒けられ、長沖氏、藤沢桓夫氏の祝ひ届け了る)。

5月28日
よべ3:00まで眠られず、押して出て鶴橋9:40にのり女子大に10:28につきて11:45まで詩経やり、天野忠の室にゆきて昼食。すみて信綱先生後援会の講師室にゆき、安部忠三氏と20年ぶりに会ふ。平田春一、森口奈良吉氏に紹介され、前川・保田2君に伝言托し、廊下へ出しに信綱大人来着。明治5年生れ、当年83才と。
出しに古本屋の前にて元養徳社松井浩生君に会ひ、ともに入りて話す。失職中にてこの間、吉野書房の試験受け、はねられしと。彼の売りし『蘭和辞典(80)』買ひて出、帰阪。
けふ会社のsalary出。保険類を引きありしと。中河与一氏より署名入り『悲劇の季節』。『Heine4版』。八木嬢より明日来ると。けふ往復ハガキ20枚買ふ。
けふ、奈良女子大学長落合太郎(4月1日付)「講師(非常勤)(奈良女子大文学部)に採用する。1時間手当400円を給する。任期は昭和31年3月31日までとする」を貰ふ。

5月29日(日)
雨。Class会を6月5日、関急地下和食堂にて17:00より会費800ときめ、往復ハガキにて白井、井上、保田、生島、横山、山本、山田、俣野、藤田、肥下、服部、大河原、後藤、川崎、梅本、江馬、坂井、富山、前田の諸氏に出す。沢井には片信のみ。坪井には改めてせん。
林叔母より手紙来り、疋田嬢の相手に植松治雄とて大高27回阪大医卒のインターン(東住吉区東之町)推薦し来る。坪井へ通知。角川編集部へ『Heine青春詩集』の原稿返せと。中河与一、堀内民一、岩崎昭弥の諸氏へハガキ。
けふ八木嬢来ざりし。

5月30日
松井夫人に電話すれば来てくれと。9:00のbusにのらんとゆけば来ず、9:30待つ中、駅に下り立ちしは芳野清君。電話して家に待ってもらふこととし、松本にゆけば六條(二階堂下車)の吉村文子といひ、京都女子大受けて落ちしと。
西村氏に紹介状かき、ゆきて話して見よといひ(大進書房で『希臘神話(40)』『Chinese art(60)』)、帰りて芳野君と話し、疋田家に電話して16:00すぎ朝子嬢、帰宅の頃ゆくと云ひ、天王寺までゆき、昭和町の上村夫人といふに電話すれば不在。芳野君を美術館に案内し、九州陶器展を見、『古代の大阪』買ひ、別れて電車にのれば西宮君あり。ともに短大にゆく。
吉永孝雄氏、『文楽 首の名作3』呉れしと。話して18:00上村夫人に電話すれば、植松君といふより「若すぎて2、3年待たすわけにはゆかず、断る」と。出て姫松より疋田嬢にゆかずと断り帰宅。
八木嬢より電話、梅本のねえや電報よこし迎へに来よと云ふと。松本夫人より電話、吉村嬢、姉に会ひて止められし様子と。話のこはれる日なり、面白し。
けふ筑摩より22,900来りて『李白』印税すむ。東大文学部より『明代満蒙史料5』。佐々木邦彦より「明日上京、しばらく滞在」と。

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5月31日
浜谷生16日の写真おき呉る。国文学史すませて用なし。八木嬢より電話、堀川きよみ女、思ひ直せしが親きかず一度帰らして呉れと梅本に頼めと。手紙書きて投函。
けふ岩波文庫『女の議会』買ひて読む、面白し。帰り前川氏にゆかんと思ひしもだるく寺田町で下車、折口信夫『近代短歌(120)』『性生活の原初形態(80)』『日本二千六百年史(20)』買ひ、鶴橋で喫茶してのち帰宅。
けふ旅費450もらふ。八木嬢のハガキ。布施税務署より690払へと。すでに払ひし也。細野みち子より成績証明書送れと。

6月1日
登校、細野の書類、三苫君にたのみ、出来上りしも托すべき食物の田中生欠席。小野和子より電話「来る」と。その間に大高クラブ集金人来り、川端氏来らる。本庄先生は随意にといふことにせよと云ふ。
やがて来し小野和子の取扱に困り、北沢生の家へゆかす。教授会で木村陽子条件付き(3月15日卒業でなきこととし)で許さる。電話かけて父君呼びて申渡す。すみて小野和子にて憂鬱。アベノ橋の本屋見しあと帰宅。
欠:(生島、保田、梅本、服部。山本は「この前の立替の残金返せ」と)。出:井上、俣野、横山。父よりこの間、薬師寺へゆき会費とられざりしと。

6月2日
登校の途中、天王寺で木村家へ電話し、父同伴で来よと云ふ。1時間目すみて無事再入学となりしと礼に来る。午后、成尾生来り、ともに出て大丸で別れ、佐渡島金属へゆき見しに梅本未出勤と。雨降り来しゆゑnews映画で「Peter-Pan」を看、おそくなりあはてて地下鉄にて天王寺。
炒飯食ひ(90)、学校へゆけば山本夏津子をり、夜学1時間すませば清[正、本]、田中と来をり、2時間早くすませ、ややして前田光子を呼びて聞けば、今日我が家へ来しと。たしなめて出れば停留所にて清水、平和荘に転居し漆に負けし木村と、多くなり、清水、田中、山本と天王寺(山本sheets呉る)、喫茶して別る。
羽田家より満中陰とて(※先考の)遺影と『飛鳥奈良時代の文化』。Class会に後藤欠。江馬も欠らし。川崎は出と。

6月3日
登校、坪井に電話せしも不在。山本夏津子に『楊貴妃とクレオパトラ』送る。夜学2年の欠席4名に来週木曜の呼出かけ、志野の漢文必修を注意し、近鉄で『pomade(100)』買ひ、関みさを『枕草子の研究』『馬琴』買ひて帰宅。
富山、白井より出席通知。堀内民一氏よりハガキ。松本夫人よりわび状。夕方、広瀬公生来り、松魚4本呉る。高知電鉄に勤むと。

6月4日
8:00家を出、奈良へと小阪までbusにのれば駅で挨拶せしは夜学文2の中川(奈良高、夜間)にて、会社忙しきゆゑ休学すと。西大寺にて奈良高の旧師に紹介す(大阪外語、京大文学部言語学出と)。
奈良駅にて別れNHK奈良支局へゆけば安部忠三局長まだ来ず。9:30まで待ち、『戦後吟』贈れば17年末より南方徴員たりしと。
別れて木原にてアテネ文庫『古事記』『南北戦争』『堤中納言物語』買ひ登校、林助手に云へば昼弁当の注文は10:00までにと。12:00すまし12:30出て湖月にて蜜豆食ひ前川家へゆけば、女歌人『砂の上』出来上りしとてをり、やがて横田利平氏(奈良芸術大事務局)来り挨拶さる。すず子君教へて出る。前田政雄君よりclass会に出席と。元々社より失念したとわびて(34,000−5,100=28,900)大和銀行新宿支店払の小切手来る。

6月5日(日)
大河原より速達にて欠席と。沢井よりも出られずと。『新論1』来る。つまらず。
15:30出て片町より坪井にゆけば「入浴してゆかん」と。「この間、山本に呼ばれ残金返せし」と。17:00上六関急食堂にゆけば席、用意しあらず。忘れし様なり。やがて坂井、江馬、俣野来り、席かへんかと思ひしがやめ、井上、白井、川崎、前田(田中)政雄と9人のみにて白井の送別。
俣野のAA会議談をきき、7,100の勘定に1,000づつ徴し、不足を我払ひて関急Hotel。江馬のおごりにてjuiceのみて別る。

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6月6日
草刈せしのみ。〒なし。夜、原君来り、入寮1人9、10日頃と。この間のこと云ひしに、とがりしものいひせし。

6月7日
登校、salary出てをり(35,000−5,479)、他に共済組合長期掛金過納金1,584。
梅本より手紙来てをり「ねえや此間、帰省させしに喜ばれしと。帰れとすすめたのに帰らなかった」と怒りをる。山本夏津子より礼状。久美子呼び、4時限早くやめ昼食すまして外へ出んとすれば硲君来る。明日より修学旅行と。
駅で別れ鍛治君と3人にて(鴎書店に鴎外全集の代払ふ)千日前。野崎嬢と17:00再会を約しスバル座で「埋もれた青春」を見、出て喫茶。久美子にきけば富士鋼業に山本保三氏、社長として動くやうになり城平叔父不平と。
別れて成見屋に小杉に会ひ、隣りで『家庭の法律』、高島屋で『女性の歴史 中』、エシヤで『木馬と石牛』買ひして、野崎君呼び、taxiにて上六。奈良へゆき「湖月」にてしるこ奢られて別れ、前川家。
漢文出来ずと心配しゐしを教へ、英語教へて21:00退去。『日本歌人』に詩話のせることとなりし。芳野清君より礼状。富山よりclass会のわび状。

6月8日
家居せんと思ひゐしに、午すぎ小野和子より電話。「藤井寺へゆかん」と。14:30天王寺にて待てといふ。横山薫二よりことわり状。山中タヅ子より忙しと。吉崎雅子より詩人的なハガキ。
前川氏より昨日ききし『日本歌人』の原稿のこと。大和銀行阿倍野橋支店へ小切手(元々社の)を当座預金にすることとして取立てたのみ(100)、近鉄departでjuiceのんでのち、小野君と藤井寺(けふ児玉君、和歌浦泊りと)。
17:00より杉浦氏、城平叔父など集まるときき、出て駅で別れて恵我荘、梅本を訪へば不在。13日より出勤の予定と。石塚にて『源氏物語研究(50)』買ひて帰宅。

6月9日
8:45登校、石川先生(今中の物理)より電話あり、予備校の講師せよと也。おことわりしにゆくと云ひ、3時間すませ「かもめ」にて『楊貴妃とクレオパトラ』買ひてゆき、ことはれば、今井林太郎氏ら公吏みな駄目となりし補充と。coffeeご馳走となり、一度やりて見んとお別れし、本町二丁目の通産局へゆけば大高クラブ。御霊神社へかはりしと。
名簿預け北浜二丁目まで歩き、沢田直也君にこの間の礼云ひ(けふ三好一夫、西成府税務署長に転任と見し)、市電にて天王寺につけば、先生と寄り来しは相川とて2部2年生。やめたしと云ふに退学届出せと云ひ、すし食うぶればおごり呉る。別れて西川、岩井2生と会ひ、夜学。
小川環樹教授より「李詩の解釈については些か異論がないことはなし」と。

6月10日
登校まへ寺田町にて下車、市電にて新世界へゆき文華堂にて郭沫若『屈原賦今釈(120)』買ふ。天理大学中国科の某君来をり。平野行の電車にて阿倍野交叉へゆきペルリ『日本遠征記4』買ふ。
2時間授業、西宮君より250貰ふ。屈原のprint切りて帰宅。京橋にて沢田生(今年卒業)に会ふ。山本八郎氏の嬢と同級ゆゑ我を訪ひにくしと。
『法政文学』来しのみ。草刈りて入洛。けふ上田阿津子研究室へ来り、桃谷中学へ入れさうと。

6月11日
奈良へゆく途中、野崎家に寄れば松井君をり、この前、父君の紹介にて吉野書房受けしならん。博物館に電話すれば小野君未出社。女子大にゆき図書館にゆけば、天野君けふ居残りと。
後刻再訪を約して講師室。小野君より電話かかりし故、前川氏を訪ぬることをすすめ、『楚辞』教へ、40円の弁当食ひ、天野君と話して帰阪。
News映画を見てのち靴敷き買ひ、まむし食ひて帰宅。
小川環樹氏より『李白』の誤指摘、憂鬱なり。広瀬公生父子より礼状。

6月12日(日)
家居。小高根二郎君より16日(木)下阪、電話かけ来ると。前田光子より「愉快に勤めゐる」と。李白の詩みなよみ直し、noteとる。
16:00八木嬢来訪。松井信子、薬剤師より結婚申込まれ、ほぼ承知と。17:00帰りゆく。弓子に我にとtobacco呉る。夜、便所に青大将ゐるを悠紀子見つけ、小菅に捕へてもらひbeerを贈りし。小川氏に手紙。

6月13日
家居、水道とまり夕方まで出ず。草刈り入浴せしのみ。林叔母より32才の松下電器に勤めゐる青年ありし。いかがせん。

6月14日
悠紀子に1,000借りてゆき定期買ふ。近鉄departにてslipper買ひ、大和銀行で預金通帳受取り、国文学史2時間教へて研究室に帰れば、湖東待ちゐる。ともに出てナンバ。ABCといふgrillにゆきbeefsteakおごってもらひ「面影」にゆきてシャーベットおごり、ともに心斎橋歩きて大丸前で別れ、佐渡島金属にゆき田中十八重役に紹介してもらひ、十合に児玉君に会ひて礼云ひ、ice-creamおごられ、出て駸々堂にて2万5千分の1「柳生」買ひて帰宅。
堀内民一氏より『日本歌人』に「現代詩の散文化」書けと。

6月15日
10:30登校、西宮君、東田氏、樫本氏と上町線で同車。小野十三郎氏のcollege-hourの講演きく。「詩はcriticなり」と。昼食に陪座、すみて泉尾高校の堀内民一氏の電話ありしと。かけ返せば29日(土)14:00より高津高校で「李白」の話せよと。諾といふ。
教授会にてごてごてと問題多し。高野山会議27〜29日と。すみて西宮君と出れば北畠より疋田紀子君乗り来る。林叔母に明日行かんと思ひゐし也。八木嬢よりDapperの本なしと。『台湾風物5の4』来る。石原道博の論文またのりをり。(けふ鍛治君に3,000礼として渡す。恥かしがりて中々とらざりし)。

6月16日
8:45登校、暑苦しくて耐らず。菊池よし(西洞院)来る筈なりしが貧血起して来られずと電話。大毎永井氏より「本と私」の記事とりに来ると電話あり。
14:00来て写真とられ話す。中央アジアに捕虜としてゐしと。話旨く出来ず帰してのち憂鬱。小高根二郎君より電話ある筈なりしを思出し、家に電話すればすでに電話あり。学校と云へば会へずといひしと。夜学すませて帰宅。
田中順二郎君より写真入り手紙。1月に子供出来ると。萩原美知子より本の受取。4月後れてなるも、けふ長沖氏と話せしあととてふしぎ。
林叔母へ疋田生の話たのむとハガキ。八木嬢へOgilbyの『Atlas Sinensis』さがしてくれとハガキ。『李太白』3版来る。6月10日発行と。

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6月17日
9:30まで眠り登校。西宮君富永氏に7月8日ゆくと手紙かく。4時間目教へて光岡、太田サワ子の来るに会ふ。就職に奔走すと。やがて藤田孝子も来る。湖東に電話すれば知りをり、14:00来ると。
午後すませて湖東と話しゐれば津熊生来り、帰らんとする所へ梅田夫人来る。成尾生も来る。みな同窓会幹事会がためなり。
梅田令姑胃癌にて切りしもだめと。小出画伯の設計不便にて改造せしと。
長沖氏と出て近鉄地下にて散髪。長沖氏も明日奈良へ写真とられにゆくとて散髪。帰れば傳田生よりハガキ。和歌山にわが行く日を待つと。

6月18日
雨傘もちて出る。朝食殆ど食べざりし故、鶴橋でtoastとcoffee(けさ大毎の「本と私」の記事のり写真も出てをり顔赤くなりし(※写真))、ゆきて『詳註古詩源』を図書館、国文研究室とさがし廻りしを見付からず。服部英次郎氏話しに来らる。水川といふ仏文女講師にはじめて紹介受く。Salaryもらふ。4月分1,600−192=1,408。5月分2,400−288=2,112なり。
すみて40円の弁当食ひ、川村徹理学博士の研究室にゆけばcoffeeのまさる。前川家にゆき16:00まですず子君の帰りまち、夕食よばれて20:00出、野崎家により帰宅せしその君(※「そのきみ」ではなく「野埼その」君)と話す。雨、午後よりひどくなり、大雨の中を帰宅。
堀内民一君より電話「25日の講演は7月9日にのばす」と云ひしと。

6月19日(日)
林富士馬より「創元社の全集(※『現代日本詩人全集:全詩集大成』)に出せ」と。井上恵子より保母講習終ったと。13:00出て片町より上本町1丁目まで市電、松本一秀訪へば経過思はしからずと。夫婦悲観しゐる。慰めて15:30警察会館の「薔薇」短歌会にゆく。村上新太郎氏とは一度会ひしと。藤野福雄(大毎)氏来り、保田のfanらし。2次のbeer会に出て一寸話して出、古本屋のぞき『諸国語の系統(40)』『日本文学に及ぼしたる西洋文学の影響(60)』買ふ。途中、文学座みるとふ生徒に会ひし。夕食たべて坪井。帰れば20:30。

6月20日
会社へ山本保三氏に挨拶にゆく筈なりしも、とりやめ無為。〒もなし。

6月21日
会社へゆかんと思ひしが止め、赤星にきけば、叔父その後来社毎日と。「蚊帳たのむ。雨漏り止めてくれ」ときき、学校。鍛治君、この間の礼の中1/3をtobaccoにて返してくる。泉尾の堀内民一氏に7月9日の講演承知と電話す。
13:00出て日赤アベノ分院で松本健次郎氏に会ひ、松本一秀の見舞たのみ、出て『支那語法入門(50)』『本朝神社考(40)』買ひ、新世界通りぬけ文華堂にて『白居易研究(110)』『大唐三蔵取経詩話(30)』『楽府詩選(130)』買ひ、歩きて「ちとせ」でうどん食ひ、お徳叔母に会はんとせしも留守。高島屋で『楊貴妃とクレオパトラ』買ひ、荒木利夫に会ひ『骨』のこと話して鶴橋に出る。途中市電にて吉村謙二君に会ふ(和泉高校)。
けふ学校へ浪中で教へし(園克己の親類)大塚嘉雄といふより「大毎の写真見た」とハガキ。浅野晃氏より『主義にうごく者』。桐山同窓会長より25日会合と。天理大より25日資料展観と(行くと返事)。上田阿津子より勝山中学に就職したと。(けふ中井妙子と2人の縁談につき守本主事より問はれし)。

6月22日
8:30会社へゆけば叔父既にあり。山本保三(副社長)に会ふ要なしと。『楊貴妃とクレオパトラ』托す。久美子、大江の息子にて北海道の防衛隊にゐると話きまりしと。
出て学校。宮口に琴教はるといふ英2の河合生とゆく。大田、藤田2生の履歴書おきあり。望月信成氏の講演ききしあと用事なく、考へたあとbusにてナンバ。十合にゆき前田光子をドーナツ売場にたづね、100買ひて屋上にゆき児玉君にわたし、藤田のArbeitの口ありやと問へば、なしと。
出てAthene文庫3冊を「しんしん堂」にて買ひ、長堀橋まで歩き、大日本セルロイドに百済生を訪へば、加治生(高校にて教へし)も居り。別れて玉造でcold-coffeeのみて帰宅。小高根二郎よりハガキ。鍵谷生より退職の挨拶。角川より『Heine』4版の印税21,000−3,150=17,850。

6月23日
登校、4時限やめて飯くふ。西洞院夫人(菊池淑)来るといふに待ちしも来ず。京都吉野書房より電話。「廬山煙雨浙江潮」の句もつ東坡の詩さがせといふに、つひに見付からず。あやまり状を大阪書籍の柳井君に吉野書房の所きいてから出す。
夜学まで研究室に坐りつづけ、了へしころ福井房子来る。清水ら滞納の授業料あつめて呉れしと。帰れば八木嬢よりOgilbyの『Atlas Sinensis』なしと。ふしぎ。中国訪問日本貿易代表団より『楊貴妃とクレオパトラ』を郭沫若氏に届けしと航空便。けふ古田生、石光寺での写真呉る。

6月24日
暑し。9:30のbusにて三井銀行小阪支店へゆき17,850受取り、近鉄にのり鶴橋で思ひ付きbusにてナンバ。地下鉄にて十合をぬけ(前田生見付けあとを追ひ来し)、隣の本屋で『楊貴妃とクレオパトラ』1冊買ひ(鍛治富子にと)、また地下鉄にて天王寺。Juiceのみてのち登校。天理行をbusにするか電車にするかで、やっさもっさする。荒木利夫君に中国よりの便りのこと電話でいひ、16:00帰宅。途中、京橋で元天理図書館、いま樟蔭高校の入江春行(※)に会ふ。放出の学生の家に住むと。
横山より東京本社資材部と。竹田龍児氏より論文抜刷。(けふ上平生より電話。富士レジンに愉快につとめゐると。本庄先生渡欧費のため働くと)。

6月25日
Busにて小阪。普通にて石切にゆき、のりかへて奈良。野崎家で汽車時間表見せてもらひてのち登校。天野忠に来週会食せんと約し、講義早くすませ(試験はreport「中国文学に関する――誌の批判」10枚)、小川講師と話す。「生島遼一氏の弟子にて吹田東口に住む」と。
13:06にて天理にゆき、暑き途あるきて14:00、着けば守屋君1人。『アジア言語研究』の礼を芹沢君にと名刺おき、Mc.Laodの台湾地図写し、Ogilbyの本なきをたしかめ、中村孝志君に云へば、西村に訊ねおかんと(富永が売りしやもしれず)。『中国地誌』の4校見る。石浜先生15:00来られ、桑田博士を会長に南アジア学会を作らんと。笠井君にたのみて出る。新井トシ、松井の小母さんに会ふ。和楽館。

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6月26日(日)
11:00出て天六までゆき、ふと思ひついて筒井にゆきみる(大宮小学校前)。筒井不在。母君と話し、37才になり独身ときく。妹君のとりよせしすし一口たべ『李太白』置き、野上の貸しくれし金のこと扱ってくれとたのんで出る。(4、5日前もわがこと云ひをりしと。ふしぎ)。
帰れば吉野書房の礼状来ありしのみ。この間、犬一晩のみゐしが、けふは猫松井の母上もち来る。

6月27日
晴。梅雨すぎしらし。〒なし。角居来り、佐藤来り、「清田24日夜、工場に泥酔してゆきswitchとめ馘首されさうゆゑ、城平叔父にたのんでくれ」と。夜、清田来りたのむ。
松井和佐子来り、長姉の家、淡路の野島にて作りし枇杷一箱賜ふ。『戦後吟』返礼とす。八木嬢より電話、松井の紙石鹸のこと。

6月28日
8:20会社へゆき、角居・佐藤の嘆願書出し、城平叔父に穏分の処置たのむ。今村部長にも会ふ(城平叔父また久美子の縁談いふ。式は来春と)。
学校へゆき1時間くり上げ、久美子呼びて祝ひを云ふ。山本信江嬢creme-aux-choux(※シュークリーム)沢山呉る。藤田孝子来り、ぜひ就職したしと。筒井護郎に電話すれば「忙し。近日電話す」と。涼しくなるまで武居豊子と話し、帰る。(宮田民雄といふ青年よりturk語の手紙)。
夜、佐藤来り、30日懲罰委員会を開く故、我も出席せよと。けふ近鉄で扇子買ふ(100)。Cutter-shirtに汚点つき、鍛治嬢にironかけてもらふ。日本予備校より電話「8月に講習たのむ」と。

6月29日
8:30家を出て鶴橋。新潮文庫『月下の一群』見付けて買ひ、府立体育館にゆき浜谷の父姉、叔父に会ふ。10:00より始まりし西日本大会に山口女大と当り52×19で大勝。11:21ナンバ発にて登校、壽岳博士の話きく。15:00より教授会。日野君、図書室を[辞]めさしてくれと申し出しと。
17:20すみて退出。西宮君と天王寺で別れ、古本屋見しが何も買はず。帰宅。入浴。
清田呼びて覚悟きく。島本貞三郎氏より同窓会の寄附のこと。金戸守先生より9日(土)14:30高津高校で「李白について」話せと。

6月30日
京、風邪にて初欠席。8:45会社に行き、9:15まで待ち(※清田の)査問会。山本保三氏「初めまして」と御挨拶あり。我と組合長と伸線組長とわびる側にまはり解雇・臨時雇ときまりし様子。
出て本町4丁目までゆき島本商事たづぬれば早く移転と。丸善にゆき『全訳悪の華』買ひ、心斎橋角にてすし食ひて登校。藤田孝子待ちをり、坂井源吾へ紹介状もちゆかせしに、あとで不在と電話かけ来りし。夜学停電のため早くやめる。天王寺で木村生と会ひし。漆まけ癒りゐたり。林叔母より「心当りの相手すでに婚約あり」と。八木嬢より「Ogilby見付かりし」と。

7月1日
朝、中毒発生のことに炊事場にゆけば池川doctor往診と。待ちゐれば原君知りをりし様子に腹立つ。16人中毒し、いか又は貝のためと。今川に電話し、やがて康平叔父来る。池元姉も中毒。よべ遅かりし故いはざりしと。
登校し漢文すませ、大高3回の矢村氏といふが来る。今中15回と。午后、映画「Hellen Keller」を学生見、我は14:30まで神戸山手短大の学長を待ち、話きけば交換講演と。学長以下難色あり。15:00まへ終る。
けふsalary出る。西宮君と出、天王寺で別れ、新世界入口の文華堂にて『官場現形記2冊(310)』買ひ、ゑはがき(70)買ひして天王寺。桃谷で『李太白』又1冊買ひて帰宅。
中毒さはぎすみしと。入寮又1人と原君云ひに来しと。佐々木画伯2〜7日個展と。吉崎生より詩の如きもの。

7月2日
朝、早起して下調べし9:00鶴橋よりの急行にて奈良。早すぎて古本屋に入り、三興[出版部]の『ハイネ詩抄(50)』(※田中克己訳)、『オランダ語四週間(180)』買ひて奈良女子大。川村徹博士の研究室にゆけば未出校。『李太白』置きて引返し、天野忠君と昼食の約束し、12:00前すませてともに出、商工会議所食堂で食ふ(520)。別れて前川家にゆけば夫人病気と。すず子君の来週の都合ハガキで知らせと云ひ、『日本歌人』もらひ、わが著書4冊の広告のせ賜ひしを見て出(次号の原稿は来週でよしと)、生駒服部[※正己]にゆき将棋さす。辻嬢評判良しと。夕食2:30帰宅。羽田より「4日14:00大福寺へ来てくれ」と。

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7月3日(日)
暑し。京のみ学芸会の予行にゆく。清田呼べば礼云ふ。阪口といふ天草生れの男入寮。西保(梅田夫人)君より手紙、小出氏と設計のことにて不快と。
悠紀子三越へゆき替jubon(2,300)とcutter買ひ来る。

7月4日
悠紀子、京の学芸会にゆく。12:30出て天王寺より交叉までゆき鞄直し、ひまを見て天海堂で宋雲彬『中国文学史(160)』。扇子2回目に買ひ(70)などして鞄受取り(30)大福寺へ14:00着けば羽田まだ来ず。住職と話して待てば羽田夫妻14:45に現はる。
武田製薬でおそくなりしと。「池内先生の父君を基と云はれし」と住職よりききし。羽田の来りしは墓碑作るためと。住職の読経ききてすみ、taxiにて千日前。不二家の二階で羽田はwhisky、われはrice-curry食ひ、地下鉄にのりて梅田。子供にと岩おこし与へ、別れ て青山道夫『養子(50)』買ひて帰宅。けふは〒なし。
夜、大阪新聞のため「夏の詩」(1200字)を杜甫「江村」をもとに書く。羽田「2、3日中に亨先生追悼の詩送れ」と。
夜半、猫、陶所先生の書に排尿。偶然か、ふしぎなることかな。

7月5日
雨。登校、国文学史を1時間目に下げしことを忘れてゐし。天理行の指導をし、中島悦子より児玉氏からの矢野博士『挽歌』(※矢野峰人詩集)受取る。
大阪新聞の福田君に電話して「夏の詩」は古人のものときき安心す。
午后、鍛治富子君、羊羹をもちて来る。不眠で苦しくすぐ去る。(岩崎君肝臓病で暁明館に入院と)。寺田町石塚で『古代の書物(70)』。また1人近々入寮と。

7月6日
雨、時々晴る。藤野一雄より中川五次に送れと110同封の手紙。横山薫二より3通、細野美智子より就職きまらずと。
17:00出て小阪までbus。前川家へゆけば18:00。夕食出されしが食べず、すず子君教へて22:00すぎ、あはてて出しも片町線最終。悠紀子傘もちて迎へに来る。
けふ社員にもbonus出し様子。(『日本歌人』へと「現代詩の散文化」7枚かきてもちゆく。猫、下痢をはじめ悠紀子捨てにゆく。わづか1週間なれど哀れなり)。

7月7日
登校(京、下痢して絶食せしままむづかるを連れゆく)、坂井源吾に電話せしに出社せずと。藤田孝子より電話あり。学生課の世話にて就職出来たと。宮口より電話、来るといふに「来週にせよ」と云ひ、松本のこときけば退院と。
13:00出て三越へ佐々木邦彦展見にゆく。Sketch一枚呉ると。『骨』の休刊もしくは解散を申入れ、歩いて御霊神社。島本に会ひてきけば睾丸炎にて無職と。横山のハガキ渡し、出てbusにて天王寺。
近鉄departにてすし買ひて帰校。松本宅に電話すれば親戚の田中医院にゐると。湖東より電話ありし由なるも、こちらよりはかからず。
17:00までに夕食すませ山本夏津子、木村、瀧本、篠田のGroupのもち来し菓子もらひ、夜学2時間とも早めにすます。西洞院夫人(菊池淑)来り、夫君(立命出)の就職たのむと。
帰りの電車で日野君にきけば、関学の図書館、事務長を院長入るるつもりと。けふ楳垣教授にきけば、羽田博士の録音なくなりしと。京、絶食と。

7月8日
9:00登校、すでにbus来あり、野崎君busにつきて来をり。1人をのぞいて皆来り、9:20出発。11:00天理図書館につき岸事務長に会ひてたのみ、書庫を見さす。みな我がreportの勉強を熱心にやる。14:45出る。(今年の卒業生のreportの製本を友井老にたのむ)。
唐招提寺に寄り17:15帰校。18:00出てナンバより道頓堀の「dohton」といふにて夕食。恰も来し和田夫人(佐々木節子)、野崎君も加へ7人。払ひを長沖氏にとられ(2,000)、ついで鍛治君の提案にて御堂筋西のbarにゆき、みなみな洋酒おごられ20:30別れて西宮、野崎2君とtaxiにて上六。
野崎君の同僚のはじめしNeccoといふbarにて西宮君にHigh-ballのませて帰る。父より「城平叔父に会ふべし」と電話。

7月9日
12:30すぎ出て鶴橋をへて高津高校。14:30より漢文学会での講演。金戸先生をはじめ数人のみ聴講、うまく出来ざりしも浅利氏面白く、ややして堺工高の梅原慧運君(大高9回)より、條をあげて『李白』の誤読訂正におそれ入る。
夕食たまはり2,000もらひ、堀内民一氏と上六まで歩く。
浅野晃氏より「折口信夫」留保との返答ありしと。けふ兒玉実用氏よりハガキ。

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7月10日(日)
よべ4時間ほどより眠らざりしも10:00出て吹田駅前の古本屋で目加田誠『詩経(280)』買ひて京都。高槻で乗換まちゐれば安村君よび、岐阜への出張の夫君も挨拶。
京都駅より電話して羽田邸。先生追悼の詩、旨く出来ざるを云ひ、9行清書しておく。15:00出て稲荷の羽倉君に会ひ、また出て15:30、宇治まで汽車にのり小高根家へゆけば伊東静雄の弟子2人をり、ともに鴻池新田に住むと。すし食べて出、帰宅21:30。
暁明館に入院の岩崎次男氏より反対に挨拶。木村陽子の父、成見屋木村貞司氏より砂糖と醤油。

7月11日
けふ京、久しぶりに登校とて悠紀子つきそひて行く。9:00すぎ会社より電話かかり、すぐ行けば城平叔父、新喜多大橋の落成式に出る前と夏季手当5,000賜ふ。父にきけば賄人の分は我よりぢかに話せと。池元姉妹2,500、1,500の原案かきて置き、赤星に蚊帳のこと反対と話し、busにて天満橋。
市電にて暁明館。17号室の岩崎次男氏見舞ふ(『鎗・穂高(100)』)。中西doctorは分院のことに、うどん食ひてゆき千川たずぬればまだ入院(『長野県(100)』)。中西にきけば岩崎氏心配いらずと。千鳥橋に出て市電で桜橋。旭屋で『楊貴妃とクレオパトラ』買ひ、大毎にゆけば天野未出社。藤野福雄氏呼べば今から会葬と。『楊貴妃とクレオパトラ』贈って朝日。山田新之輔と会ひMeillet & Cohen『世界の言語』20%引きの2,000で頒けてもらひ、茶おごりて話し、前川夫妻に会へば病院へゆきしときく。大同生命に寄り力身好子呼びて井階房一への紹介かき、労演へゆき佐瀬呼出し、山本(※山本治雄)夫妻の話きく。本庄先生には山本もあまり出さざりしらし。別れて日生へゆきしも16:00すぎて閉店。市庁に筒井訪ぬれば出張と。
『小公子』京に買ひて帰宅。前田光子より「生きてゐるのがいやな時あり」と。

7月12日
朝、宮口時喜子より電話、夕方来ると。次いで西洞院淑より電話。長野よりとて聞きとれず、来よとのみ云ふ。浪速中学より「17日(日)同窓会ゆゑ来よ」とハガキ。布施税務署より1期分160払へと。16:30西洞院夫妻現はれ、立命館出の夫君「教師はいや。文学やりたし」と。「長沖氏と今氏にゆけ」と云ひて送り出す。juiceとtobacco賜ふ。ついで宮口生大きな西瓜もって来る。

7月13日
9:20会社へゆけば城平叔父会議中。父、病欠と。康平叔父に町会費のこと云へば町会長と話さんと。草刈らせよと。山本保三副社長と話す。益子氏このごろgolfに熱中と。城平叔父にbonusの件話して印もらひ、17日8:00〜9:00寮生と懇談会すと。赤星より自治会役員会に出ざりしを告口されしと。
Busにて天満橋。ついで心斎橋。兒玉円城君と昼食(洗ひ御飯と300)。前田光子に会ひ悲観を戒め乾葡萄やる。
地下鉄にて天王寺をへて登校。Bonus出をり35,000−4,900=30,100。鍛治君にと1,000托し、木村陽子に会ふ。度々我を訪ねしが会へざりしと。またナンバに出て荒木利夫訪ねしが不在。溝端書店で『星と東西文学(200)』『支那全図(30)』。心斎橋筋歩きて大丸へゆき、『国語学叢録(150)』買ひ、製本部をきき『諸蕃志』と『支那家族研究』を預く(180+280。27日出来と)。文楽座にて「巴里祭」を看、駸々堂にて『巌窟王』と『楊貴妃とクレオパトラ』買ひ、市電にて玉造。ice-coffee(40)のみて帰宅。
悠紀子に2,6000渡す。浜谷、中川井上恵子よりハガキ。康平叔父より電話ありしと。

7月14日
朝から草刈り。会社に電話かけ康平叔父にきけば町会費のこと。ついで父にかければ今日は出勤と。午すぎbusにて小阪、堀内で『和英(80)』、天坊『上代浪華の歴史地理的研究』『法隆寺』『源氏と平氏』にて220。工事して休業すと。
服部にゆき八田、松田、両主事の住所教ふれば、高津中学に既に話つきしと。前川家へすず子君にあやまりにゆき、和英辞典贈り、きけば夫人病気にて入院か否か明日わかると。帰り小阪の松本家を訪ひしも無人。をかしな日なりし。
夜、前田光子より電話、「明日夕方来る」と。小高根二郎君よりハガキ、福地君(※福地邦樹)来ると。
けふ賄にbonus与へし(池元かよ子2,500、久子1,500)。短大より「三越より額縁来し」と電話ありしと。佐々木君のsketch贈られしならん。

7月15日
前田光子より電話、夕方来よと云ふ。草刈り。赤星来り、ごたごた云ふ。午后また草刈り。赤星、除草剤を買ひ来る(20坪分120)。佐々木邦彦君より画送ったと。転居とり止めたと。芳野清君より林富士馬に会ったと。山村貴美氏より『[歌集]砂の上』。伊東静雄の手紙2通とハガキ2通見付く。みな昭和22年のものなり。22:00前田光子来る。菓子呉る。(けふ赤星に鳴田の2,600渡す)。

7月16日
午前中、草を焚き、殺草剤(丸善薬品産業クロレート・ソーダー)を半分まく。
午后出て散髪。京橋より市電にて桜橋。高尾にて学校へ本注文し『有馬晴信(70)』買ひ、天満に出て夕食、喫茶。『自習ビルマ語捷径(60)』買ひ、子供の本2冊買ひて帰宅。

7月17日(日)
8:00前、今川より電話かかり、寮生の月収表、城平叔父忘れしを写しとる。7:55城平叔父来り、康平叔父、父来る。8:15より懇談会。寮生の考へ方の、我に理解出来ざることふしぎな位なり。9:15すみ、4、5日中に会社の返答ありと。
12:30出て鶴橋をへて上六。浪華荘へゆき見れば堀内民一、山村貴美氏らあり、前川氏未だ来ず。すぐ出て浪速高校。ciderのまさる。正富氏(87才と)、渡辺垣治、眞野吉之助、川相常五郎など(※旧同僚)の老人長講。川西栄之祐、内本二郎、道井新左右に挨拶さる。(道井の従兄田中、この間死にしと)。
出て南住吉apartに硲君訪ぬれば不在。山本君訪ね、小野和子訪ね、busにて上六。まむし食ひて鶴橋まで歩く。(天地書房にて『近代神仙譚(130)』、ハイネ『ルチチアU(20)(※書誌不詳)』。)

7月18日
6:30起床。7:19徳庵発。7:46天理行準急に乗る。森田淳一博士前に坐し給ひしも挨拶せず。天理8:55着、busにて天理図書館にゆき友井老に会へば58冊の製本(※学生の卒論製本)出来、2,000と。支払ひ、浜谷生に来るを待ちしが遂に来ず。
Ogilby見、朝鮮史2冊見、鈴木治氏の室にて『李白』に感心せしと云ふ高橋亨博士に会ひ、八木嬢よりすし振舞はれ、本4冊もらひ、島居君よりも『Biblia4』もらふ。
15:30出て高橋(※高橋重臣)家。Beerと刺身馳走となり、『楊貴妃とクレオパトラ』おきて準急にのり、小阪で降りて19:40発のbusにのりて帰宅。
河原憲一氏より暑中見舞。井上恵子より履歴書3通。大塚の父婚姻につきたのむと云ひて帰郷と。福地君より電話ありしと。

7月19日
晴。福地君来り、天野、永井2氏に紹介状かき、我に来りし伊東書簡渡す。31日[小高根]二郎と伊東夫人と会ふよし。
昼寐してのち蒲池君の「伊藤整」よむ。山口玲子、松田亘代より暑中見舞。夕方もとゐし辻賄人来る。不快。

7月20日
けふ21日と思ひちがへして登校せんとせし。とりやめて草刈り。千川君より『古典語典』よめと。暑中見舞、中野英夫、田中啓之、中川いつじ、吉本恭子、岩田和子、田中順二郎、村田温。小川環樹氏より[鈴木]豹軒先生詩集刊行袵の発起人にと。

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7月21日
9:00前出て登校、鍛治君あり。高尾より本着きをり、部落問題3冊我とる(840)。学生来ず。荒木君に電話かければ不在。浜谷生に電話かけ天理のこと云ふ。
12:00鍛治君と出て近鉄案内所。野崎君に松竹のこと(※松竹に伊東静雄の懸賞募集児童映画脚本の童話「美しき朋輩達」があるや否や)云ひ、ともに出て喫茶。別れて荒木君にゆき『骨』解散を云ふ。
出て成見屋にゆき吉田栄次郎をも呼び、茶ご馳走になる。『楊貴妃とクレオパトラ』買ひて萩原みち子にもちゆきしが不在。鶴橋をへて帰宅。宮本君より池田市立病院に子供入り岡崎dr.に世話になると。渡辺鐐子より暑中見舞。
夜半、気がつけば我、時計、ズボン、紙入とられ、史、ズボン、学生服、シャツ2枚、財布盗られし(2:30)。のち学生服、シャツ1枚、財布(2,850の金とられし)庭隈に捨てありし。
(けふ手帖学校へ忘れ近鉄案内所までとどけしと。鍛治君また戻りし也)(夕方笹尾とし子の母より電話「明日来よ」と云ふ)。

7月22日
9:00福地君来り、野崎生に紹介す。悠紀子を交番に告げにゆかせ、会社に電話すれば城平叔父飛行機にて上京、明日帰ると。父と笹尾生の母と来る。笹尾とし子退学を希望と、父母望まずと。高校の時も家出上京靴磨きせしと。25日(月)朝訪ふことを約し、海苔賜ふ。
山下実美氏より中元送ったと。藤野一雄君より新木菊子氏に『戦後吟』送れと138同封。浜谷弘子より「9月1日天理へゆき製本とり来る」と。井上暁子より暑中見舞。
被害届書けば時価11,450(tropical trousers2着、時計citizen型2,000現金2,950バンド2,500開襟半袖shirts300紙入100)。
夕方福地邦樹君、手帖もち帰りくれ、松竹の方(※伊東静雄資料の探索)は野崎君自らゆきて後刻報告すと。

7月23日
茲雨。11:00すぎ出て会社。父あてに[西島]寿一よりハガキ。『短歌』に堀内民一氏の評のりゐると。
旅行届と給料表かき、大雨の中帰り来し副社長と城平叔父の自動車にて食堂へ渡り、話きけば寮をやめ社宅とすと。皆以外とて困りし様子なり。父より5,000預り、中元祝儀500もらひて出、徳庵通で悠紀子に会ひ、寿司食ひて駅で福地君に会ふ。「小高根二郎より血圧に異状ありと云ひ来りし」と。福地君阪大国文らし。
鶴橋にゆき玉造まで歩き(紙入買ふ。75)、『古本説話集』見つけ、京橋まで乗り『短歌』見付け、氷西瓜食べて帰る。
赤星、我に会ひたがりしも後で考へ直せしと。高野敏子より「biscuit1缶」。早雲もと氏より「平井昌子のみと教へよ」と。寿一より我にもハガキ。北野徳治氏より暑中見舞。木村三千子氏より20日大阪新聞にて「清江一曲」見しと。大塚の父より宜しくたのむと。日本予備校より「8月17〜19日12:10〜13:40出講せよ」と。

7月24日(日)
時々雨。午寝しをれば山下実美氏より角砂糖。高野敏子より母君退院と。青山一枝よりYMCAにて料理習ふと。浅野建夫より「上京の節は立ち寄れ」と。刀谷恒子(U/文)より病気休学の相談。
史に国史問題集借りにゆかす。つまらず。大阪新聞21日号来る。なるほど写真もつまらず。

7月25日
8:00家を出、山崎(80)の笹尾とし子宅にゆく。駅より30分の水無瀬川岸なり。着けばまだ園部の姉宅より帰らずと。12:00すぎ帰り、色々話せしが退学すと。理由は「勉強したくなし」と。同志社高校の歴史の大沢氏を好きなりしと。靴磨きせし家出の件も話す。15:00自転車のうしろにのせられて駅まで帰り梅田着。
上六の日本予備校にゆけば教務をらず。明日電話することとし、上六でうどん食ひて帰る。(けさ下痢シ笹尾家で昼食くはず)。渡辺三七子より暑中見舞。梅田惠以子夫人より同。島稔より同。児玉君よりshirts賜はる。小林仕太氏(君子父)よりcheezeなど賜はる。

7月26日
依子病臥。午后出て日本予備校へ断りにゆきしも試験問題集渡され、8月17〜19日12:10〜13:40やることとなる。その前電話して笹尾中庸氏と15:30港保健所で会ふこととし、上六天地書房で松井君に会ふ。千日前に降り野崎君に会へば松竹の知合巡業中と。出て境川で降り、市岡元町4の港保健所まで歩き、笹尾dr.に会へば築港の会館につれゆかれ、懇談。父君の心情をあからさまに話したまへとすすむ。湊町までtaxiで送られ、下りて米沢家に寄れば昭子君幼稚園に就職。向ひに高橋和子(U部2回)嫁ぎをり。東幸子は不在。VitaminCとtobacco貰ひ、昭子に千日前迄送られて帰宅。
留守に東亀太郎氏夫人来られ、2,000とunder-shirtと賜ひしと。けふ東幸子、川勝重子(文1)、優谷芽沙子(服1)、浅野亘子より暑中見舞。

7月27日
6:00起き7:30家を出てナンバ。早すぎて氷西瓜食べてゆけば諸同行皆集まる。
8:40出発、(※高野山)成福院に入り23:00迄会談(石井千鶴子母子を呼ぶ)。図書館長をやることとなる。

7月28日
終日会議。夕方石井よりbeer1打もち来りし故、西宮・長沖2氏を誘ひて礼にゆく。

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7月29日
午前中会議の結論。研究科を置くときまり(今東光氏を呼びたしが院長の内心と)、授業料その他を値上げすることとなる。赤不動見にゆき、岩波写真文庫『高野山』買ひ、絵葉書かきて昼食。碁4目で1番負けに終り、石井のbeerを楳垣氏に餞けて15:30出発。16:56発の高野号にのり17:30ナンバ着。不二家南店にて夕食。Taxi代100もらひて西宮君と上六同乗。鶴橋で別れて帰宅。
久保田初美の父と原田比富の父より中元。今川へけふお中元もちゆきしと。依子いまだに臥床。『日本歌人7月号』に小高根二郎、茂吉の悪口いふ。山村貴美夫人より『砂の上』につき書いてくれと。鈴木治氏より「Keene:The Battles of Coxinga(※ドナルドキーン『国姓爺合戦』)の書評をかけ」と。小林千余子より「遊びに来てくれ」と。上田弘子、丹羽千年、根岸治子、西川良江、小山正孝、則武加代子、山崎敬子、羽倉裕景、花井裕、金井節子、日野谷頼子の諸氏より暑中見舞。硲君より8月になれば来ると。佐々木邦彦画伯より表具屋にて汚点とるが見つかりしと。梅田惠以子夫人より母君この夏が危しと。

7月30日
午睡たびたび。夕方郵便。岸明子、芦屋へ転居と。長雄英子、元々社、菊地成子、丹波道久、葛井博子、瀧井美智子、松田久(亘代の父)の諸氏より暑中見舞。
東順子、孝子の母上に電話す。山田新之輔より『唐詩選』へのはさみ込み3〜5枚を一週間以内にと。

7月31日(日)
依子まだ悪し。悠紀子、弓子、京にて生駒へゆく。我も出て鶴橋まで同行。駅にて天理へゆく入江に会ふ。久宝寺口駅前の小林千余子に本2冊もちゆけば不在。母上と話し、出て今東光氏に会ひ、専攻科を院長に話せしをきく。この間盗人に入られ30,000とられしと。
出て上六いづも屋でうなぎ食ひ、大丸へ製本とりにゆく(460)。古書部で万葉関係4冊(1,000)学校へ届けさす。十合へゆき前田光子を見、児玉君と食堂。シャツの礼云ひ、別れて十合映画館に入り納涼。16:00帰宅。鍛治初江君よりjuice2本贈らる。東井昇之進、佐々木満嬢の2氏より暑中見舞。悠紀子ら21:00帰り来る。

8月1日
午后外出。映画もろくなものなく、すし食ひ、氷西瓜たべしのみ。
夏の帽子買ふ(100)。堀内民一氏より『日本歌人』9月号の原稿たのむと。
山前君より4日15:00依田宅で『骨』の会。『戦後吟』22冊売れ代金1975円を『骨』同人費にと。
東孝子(母君に朝電話せし)、大道裕子、清水文子、古谷悦子、山本陽子、原田比富、松山幸子など文芸卒在の暑中見舞。

8月2日
晴。西宮君より電話「明日10:30来る」と。池元久子に伝ふ。中井妙子、吉崎雅子、成尾禧紗子、石田嘉子、生徒住禎子、加藤ハルミより暑中見舞。鍛治初江君より送り状。午后八木嬢来訪。弓子に本2冊賜ふ。

8月3日
10:00西宮君来る。池元久子を相手に五島のaccentをしらべbiscuit贈って去る。悠紀子その間に藤井寺大江へゆく。元々社より『李太白』3版の印税20,000−3,000=17,000来り、青木大乗氏よりwhiteshirt1着。日野月先生より大朝学芸部定年退職の花光健三氏(明治33年富田林出身、大正13年東大英文科卒)を学院にたのむと。新木菊子氏より「子供を疫痢で亡くした経験あり」と。
眞野喜惣治、広瀬公生、中田富子、助野正子、藤原由子、板原順子より暑中見舞。悠紀子16:00帰来、大江叔母の説にては管理人として残る見込と。
けふ西宮君に貰ひし一成堂書目では『詩集西康省』350で売られゐる。父来り、咲耶の編みしjumperもち来し。

8月4日
晴。11:00今村部長来られ、清田結婚するとて城平叔父に借金申込みしと。小林千余子よりわが訪ねし日、父君脳溢血にて倒れしと。百済璋子より中元送ったと。島稔より『コギト』川口朗(大高18年卒、岩手大助教授)氏に譲ったと。佐瀬良幸より『暮春挿話』ゆづると。西岡照子、西令子、溝端清子、山中通子より暑中見舞。
13:00出て『文芸春秋』特別号買ひ、朝日へ「唐詩愛好者の言」4枚速達し(山田に電話しきけば間に合ふと)。京阪にて京都。京阪書房で学校へ『日本書記通釈』その他送らせ、『物語東洋史3冊(100)』買ひて、市電にて依田邸6:00みな集り『骨』廃刊通らず、25日締切にて10号出すと。
羽田に電話して来週会ふといひ20:00出て京阪までtaxi(100)。井上多喜三郎の長男学校へ行き出せしと。野崎その嬢より電話ありしと。

8月5日
9:00出て靴裏の釘打たし(10)、大和銀行アベノ支店で17,000の小切手取りよせたのみ(100)、ワイシャツ仕立てに近鉄departへゆく(17日出来と)。短大でsalaryを河原女史より貰ひ、西宮君待つ間、壽岳博士の来られしに花光氏の履歴書托し、11:30来し西宮君より250返却を受け「かもめ」書店に『鴎外全集』の払ひすまし(400)、ともに住吉交叉へゆき出雲屋でまむし(120)、林叔母訪ねしも不在。ナンバへ出て散髪。野崎訪ぬれば「伊東静雄の脚本は松竹になし」と。
出て天牛南店にて『葱南雜稿(100)』『打出の小槌(150)』『日本地理大系台湾篇(250)』。荒木君に寄り茶のみ、京町橋まで市電。佐瀬を訪ね『暮春挿話』もらひ、朝日会館にゆきて喫茶(120)。別れて山田新之輔訪ぬれば原稿つきしと。図書課長原田正男氏に紹介さる。「花光氏は東大銀時計にて皮肉屋。吉村正一郎と合はず」と。
出て高尾にゆき『日本奴隷史(500)』『北国銀行(150)』。途中、堀口大学『シュペルヴィエル詩集』『月下の一群』『社会科学辞典』にて帰宅すれば、わが残金500となる。
けふ平凡社より「ガルダン」「ガルダンツェレン」を9月15日までに書けと。百済璋子より羊羹3本賜はり、田中米店電気stand賜はる。『新論』第3号。井上源一郎、浜谷姉妹(上高地より)、伊藤登美子(奈良女子大「芭蕉と杜甫」書く)、穴川裕代(十和田湖より)、田中智慧子、永井洲子、林克子、杉多永子より暑中見舞。村上新太郎氏より『薔薇』の詩15日迄にと。

8月6日
朝、湖東博士より電話「午后来訪」と。『日本歌人』の原稿かけず。鈴木治氏よりKeeneの本(※ドナルドキーン『国姓爺合戦』)、書留にて来る。浅野建夫君より、松田緑(食2)の姉、都嬢につき八尾804脇田方に滞在の夫人にしらせと。
吉川博士より『杜甫』(※吉川幸次郎『杜甫ノート』)送ったと。辻芙美子、市村伎餘子、今市佐恵、藤原加代、上田阿津子より暑中見舞。東幸子より不在のわび状。隣地の場主より「8日9:00より実地検証に立会を」と。会社へ電話す。
湖東来り、順二郎夫妻月半来ると。Drop1缶賜って帰りゆく。夜、悠紀子、京、依子とつれて天満へ買物に出てゆく。

8月7日(日)
福地君より電話「夜、来い」と云ふ。依子picnic。弓子病気。竹内より『続 魯迅作品集』。前川佐美雄より「原稿たのむ」と(けふ2枚ほど書きていやとなり困りゐし也)。暑中見舞、西本幸子、伊那迪子、南定子、安部順子、東順子、中井英子、岡本和子、馬路晨子、山北録枝、尾崎菊子より。鈴木氏、Keeneの本の送り状。大高clubより「9日15〜18日北浜2丁目清友clubへ来よ」と。
夜、福地君来り、小野十三郎氏へ紹介状かかす。詩作見せしが上出来なり。八木嬢より「母上帰宅されし」と。清田英雄結婚のため退寮(東淀川区北大通2の108村上菊一方)。

8月8日
8:00城平叔父より守本氏のadress訊ねて電話。8:30康平叔父、竹村氏をつれて来り、土地の境界に杭を検分ののち木村菓子屋の地所検分。米沢昭子、沢田宣子、瀧川裕子、吉田照子より暑中見舞。悠紀子より1,000借りて散歩。宮口登喜子chocolate一箱もちて来しと。
けふ硲君より午、電話。来ると云ひしを断りし。深更まで依子の買ひし『田舎教師』よむ。『日本歌人』の原稿かきし為眠れざるが故也。

8月9日
朝、八尾804脇田氏に電話せしに「浅野夫人留[美]子他出」と。福助足袋に電話し、松田健威津総務部長に「午すぎ伺ふ」と云ひ、10:00出て短大。
食堂須原教授に松田線のこときけば「覚えず」と。京阪書房より来し書籍中『日本書記通釈』返送を鍛治君にことづけし、二部三年の池島と同車。堺下車。
北野店に寄れば母上をらる。すぐ出て福助足袋にゆき父上にきけば都嬢7月24日に約婚と。
Taxiにのせられ堺脳病院にゆき肥下に伊東の手紙のこと云へば「14日の日曜に探す」と。「保田の次男また寄留をたのみに来し」と。「夫人喀血せし」と。
出てナンバ。河原町の店にゆき、お徳叔母に久美子の約婚賀し、大源の室井氏に会ひ、夫人に松本一秀の症状問へば「知らず」と。手拭8本もらひて北浜二丁目の清友会館にゆけば島本君あり。住所録訂正し、出がけ仙石永博氏に会ふ。沢田直也に会ひてきけば木下正三氏布施へ転任と。手拭3本置きて出、天満橋をへてbusにて帰宅。
西浦孝子、木戸礼子、開利枝、瀧口喜久子、富田芙二子より暑中見舞。けふより涼しくなり出す。『日本歌人』に速達す。夜、開利枝banana一房もちて来り、すすむれども友達と共に入らず。池尻かよ子の見合の相手来る。千林の洋裁屋、一月に妻一子をのこして亡くなりしと也。

8月10日
朝、浅野夫人より電話、松田氏のこと伝ふ。大掃除。我は概ね草刈。硲君来る。羽倉君のこときけば後藤氏に云へば宜しからんと。Calpis置きゆかる。
小雨模様につき畳入れしあと町会長徳野来る。赤星と会ひしこと云へば曖昧な返事す。『日本歌人』8月号来る。原田満喜子(竟病院看護婦)より単位の問合せ。近江詩人会より戸塚定雄氏(短大工科講師)亡くなられしと。神島輝子、竹屋貞子、塚本光子、四方あや、傳田雅子、南部英美子、斎藤かずゑ、秋山昭子、中島悦子より暑中見舞。室井氏より電話、「松本2、3日前より自宅へ帰りやや良し」と。

8月11日
やや涼し。筒井嬢より電話「平凡社より稿料送り来りし」と。井上恵子juiceもちて来る。津熊照子、吉森安治夫妻、佐々木種子氏より残暑見舞。末吉栄三「城原工に転任」と。松本夫人より帰宅と挨拶状。夕方、毎日の齋藤君より電話。「8月15日の詩20行位を13日午前中に」と。
けふ細川君の叔母来り、悠紀子に就職の世話たのむと。

8月12日
筒井嬢に電話すればまだ来ずと。細川さち子の叔母来り、藤井寺に電話せしむれば「すでに新しき女中来り、今川へ世話せよ」と。久美子に電話し、悠紀子つれゆきしに夜、来りて「2,000の月給と多人数ゆゑことわる」と。城平叔父に電話してことわり云ふ。西洞院淑子より「無為の夫にいや故、ぜひ口を世話せよ」と。
村上新太郎氏より薔薇短歌会21日と(ことわりて詩「夏」送る)。小高根二郎君より清水文雄氏と保田に行きしと。『文芸春秋』買ひ来る。

8月13日
9:00出て学校。平凡社より540−81=459(アムルサナ世界大百科)来をり。鍛治君の外、学生6、7名。12:00かっきりに大毎。齋藤君に「8月15日」の詩わたす。Tomas Mann死にしとて忙しらし。天野愛一君にcoffeeのまされ、出て高尾。学校へ『日拉字典』と『万葉図譜』(3,000)送らし、我は中川善之助2冊(250)。鰻丼食って帰宅。
井上多喜三郎氏より21日近江詩人会5周年に来よと。ことわる。
暑中見舞、高橋啓子。けふ高野線で園克己に会ひし。長沖氏に菊池淑の手紙見てくれと。鍛治君に托す。

8月14日(日)
晴。やや涼し。草刈。堀正江、森桃子、安村明美より暑中見舞。山本治雄より9月4日電話34-8251(代)とかはると。けふ会社盆休み(明日とで2日)。片町の木村家主人8日に写しくれし写真を送り賜ふ。

p17

8月15日
草刈。大阪新聞より稿料(3,000−450)2,550。浜谷照子、安田千晶より暑中見舞。村上新太郎氏より原稿受取。毎日新聞に掲載。夜、福地君を家へつれ帰り肥下のこと云ふ。『四季』と『野村英夫詩集』貸し与ふ。

8月16日
晴。草刈。疋田君より電話、写真返せと。松本一秀より一度来れと。亀井昇、明渡淑江、生駒セツ子より暑中見舞。父来り、咲耶明日帰郷と。『東洋史研究』14の1、2合併号来る。欠280と。悠紀子に300送らさんとせしも郵便局しまりゐしと。夜、細川静江女再来、「女中でよきも3,000以上、家族少なき処へ」と。

8月17日
晴、11:00出てゆけば徳庵の町で守屋美都雄夫人に会ふ。12:00前に日本予備校につき、石川校長先生にきけば「岩城隆利氏は準太郎の息、秋より来てもらふ」と。12:10より200人を相手にすまし、老先生3人と近鉄depart大食堂で氷西瓜たべさしてもらひ、ナンバへゆき、住吉より林叔母の許へゆけば、疋田嬢の写真返し、上村家おそはり、住吉交叉で鰻丼食ひ、疋田家へ電話し、姫松駅で待つうち東孝子に会ふ。「彦根へゆきし」と。
疋田君に写真返し、詩の原稿大毎より返りしを受取り、文ノ里の上村家にゆき未亡人と若夫人に会ひ、明日(※女中候補の)細川しづえをゆき子につれゆかすと云ひ、給料3,000月一回休日とを約束す。(近鉄departで『空から見た古墳』買ふ)。
平凡社より印税残り510と。長沖氏より「西洞院夫人より同じ意味の手紙来あり」と。和島美禰子、豊田佐世子、中村貞子より残暑見舞。本田晴光氏より詩。中井英子より「克己」の「己」まちがひしわび状。田中順二郎君より電話、明日帰京につき会へずと。

8月18日
悠紀子、細川しづえ女を上村家へつれてゆく。11:00出て上六。予備校にゆけば昼食にrice-curry食はせてもらふ。すみて上六より奈良まで切符買ひ小阪下車。松本にゆけば経過良好と。24日入社試験ゆゑいかにと。本年度は応ぜしめずと云ふ。宮口の組合運動はかまはずと。
出て奈良へゆき家につけば夫人をり、堀内、山村2氏に会ひ、吉野行、小高根君も未定故21日(日)ときめ、出て野崎家に寄り、あやめ池で下車。上田阿津子を訪ね、叔母、母上と話しゐる中、父君帰られ、引留められて夕食よばれつつ、井上生の就職たのむ。
服部へゆくを止めて帰れば(20:30)、伊東夫人待ちをり、福地君につれられて来し。書簡発表に反対すと「小高根君に伝ふべし」と云ふ。
けふ末吉来り「亀井と絶交のまま」と。上村家に細川女2時間ゐしあと、田舎より女中来りつれ戻し、菓子賜ひしと。田中文子、齋藤かずえより残暑見舞。吉川幸次郎博士より「本見付かりし故送りし」と。

8月19日
晴天まだつづく。朝より下痢。押して予備校にゆき昼食中の老人の出で行くを見しに酒井先生!追ひかけてきけば「まさ子嬢夫君精神病、三児を抱へて三重県で四苦八苦」と。気の毒なり。すみて謝礼もらへば3,000。石川先生をられず。出て箕面へゆくつもりなりしも天地書房で『徒然草(50)』買ひ、昼食食べしあといやになり帰宅。
吉川博士より贈られし本『杜甫私記 第1巻』の5版にて落胆。吉原陽子、鍛治富子、宮口時喜子、大住蔦子より残暑見舞。(けさ湖東君より電話「雅子君を日曜午后に招く」と)。(鶴橋で靴ひやかし1,900までまけられて買ひし)。

8月20日
暑し。草刈。毎日新聞より2,352−312受取。新宮よりの岸明子の信。
小高根二郎より『日本歌人』の会不参の通知見て、急に吉野へ行く気となり、出でんとすれば北野夫人より電話「雅子、与謝より預りし果物もちゆくべきも来られず」と。腹立てど22日夜、悠紀子行くと返事し、1,000もらひて鶴橋・八木・橿原神宮前を経て吉野にゆく。
途中、靴痛く弱りし上、みな無愛想にてすぐ帰らんと思ひしも、待つ中、保田来り、夫人に令姉(城北幼稚園・寺西輝恵氏)への紹介書いてもらふ。
夜12時まで歌会、小野十三郎の悪口!云ひてすみし。夜、不眠。(けふ橿原神宮駅で平井昌子に会ふ)。

8月21日(日)
5:00起き洗面し、如意輪寺へゆきし一行を待ちて[朝]食。9:00恰も来し自動車つかまへ前川、保田2氏に挨拶せず、堀内民一、梁雅子らに見送られ、cableまで来て下車(160)。停電のことに他の一組と元の車に乗り吉野神宮前(200)。
上六までの切符買ひ、橿原・八木で乗換へ準急にのりて八尾下車。氷食ひ、久法寺口でまた下車。小林家へゆけば千枝子在宅。父君良好と。学校はやめずと。出て駅で母上に会ひ、共に鶴橋まで行き、別れて炒飯食ひ『文学界』9月号買ひて帰宅。
昨日荒木利夫より中國人と会食誘ひ賜ひしと。杉浦源治氏より暑中見舞。奥野博子?より残暑見舞。

8月22日
雨よべより降る。一ヶ月ぶり也。長雄英子より「宮本猛夫は日置駅長」と。梅田夫人より「姑君、18日感謝して逝去」と。得津佳子より残暑見舞。
涼しき故、午すぎ北野家に電話してゆくといひ、悠紀子、京と天王寺よりbus。ゆけば友達母子と同席。京都よりの20世紀一箱とshirt、靴下と福神漬もらひて退去。明日帰京と。
我のみ我孫子の児玉家に寄れば和子「児玉君の小野家入籍につき困りをる」と。梨10ケ置きて出、ナンバ、鶴橋をへて帰宅。
留守中、小高根二郎より電話かかりし様子。池元かよ子いよいよ縁談きまりし模様。史の友、カキ谷生泊る。

8月23日
けふ池元かよ女、縁談のこと云ひ「8月末にて退職したし」と。「久子は引つづき勤めさして置く」と。室井夫人美代子氏よりハガキ。榎本須美子より紀伊田辺へゆきしと。松尾さよ子より残暑見舞。
午後会社へゆけば、城平叔父不在。書類一応呈出し、帰る。夕方湖東に電話すれば「雅子君を駅まで送りし」と。我に縁談たのみし坂田君、伊吹の麓の工場行を命ぜられしと、ザマ見ロ也。

8月24日
8:30会社へゆき、城平叔父に印つかす。池元かよ子の退職申出急なりとふきげん。出て片町より市電にて保田夫人の令姉寺西輝恵女史に会ふ。むつかしけれど心がけておかんと也。出て天六で下車。住山重子と兄母と会ひ「薬大転学を思ひ止まりし」ときき、昼食の丼くはずtobaccoもらひて出、宇治金時食べて阪神に大河原訪ねしに不在。
三井商事に山中タヅ子訪ひ、藤原夫君に会ひcoffeeおごられて別れ、桑原『ソ連中國』買ひて帰宅。
弓場紀代子より残暑見舞。ややして角川より『昭和詩集』の3、4版7,500部の印税1,457−218=1,239来る。堀内民一氏より礼状。入洛中笹尾トシ子の母君来られ電車賃1,000と西瓜と賜ふ。「トシ子つづける」ときまりし様子。
夕方、福地邦樹君訪へば父君在宅。あとにてきけば農学にて台湾にをられしと。邦樹君を家に伴ひ話す。

8月25日
晴、中野清見より『骨』いつもありがたうと2,000。前川佐美雄より礼状。二五美佳子(奈良女子大1)よりハガキ。吉崎雅子より仝。森田宏子より子供の自慢。12:30出て梅田。「百舌鳥」見、noteもらひ夕食。小高根家に明日ゆくと電話せしも夫人。


昭和30年8月26日〜昭和30年12月31日
26.0cm×18.8cm 横掛ノートに横書き

p19

8月26日
10:00出て氷西瓜食ひ、弓子に『アンクル トムスケビン』買ひて上洛。吉野書房にゆけば高鳥・奥西ともに出張。羽田に電話して研究所で会ふこととし、小高根二郎君に電話して伊東夫人のこと云へば釈然とせず。
9月に会ふこととし、出て丸太町でtoast食ってのち錦林車庫前を廻って人文科学研究所。藤枝痔にて欠勤と。日比野氏をつかまへてきけば恰も『食貨』あり、借りて写し、すみて篠田博士より池田分校の話きき、来りし羽田の用談待つ間に、入矢義高氏つかまへ誤読指摘を謝し、誘ひ出して3人にて三條。Beerのみ支那料理食ふ。
19:00別れて京阪書房に寄り『芭蕉研究3(50)』。学校へと杉浦正一郎の『向井去来』送らせ、京阪にて帰る。
里井千寿子より残暑見舞。毎日新聞より「愛誦する夏の詩を」と。頼永祥氏より『鄭氏の地図』と中村孝志『近代台湾史要』の訳。

8月27日
よべより雨。旱害のおそれ全国よりなくなる。上田阿津子より井上のこと極力尽力してくれると。小高根二郎より入れちがひにハガキ。古川丈吉代議士より残暑見舞。近畿民俗学会より明日14:00一心寺で例会をと。午睡せしのみ。
夜、会社のsalary出、池元かよ子の退職手当は月末と。けふ中野清見へ礼状。夜、福地君葡萄もち来り、Holderlin借り『戦後吟』2冊もちゆく。

8月28日(日)
悠紀子、弓子と京つれて動物園にゆく。我、草刈りをれば大江叔母より電話「細川しずえ女を明後日よこせ」と。「本人の意思きいて見ん」と答ふ。小林千余子より「Seminarの題くれ」と。天満博子、林富美代より残暑見舞。鍋島友三郎弁護士より同。けふ大毎へ「秋草」の解説送る。史より『京大日本史2、3』を200で買ふ。

8月29日
朝、池元かよ子を会社へ挨拶にゆかす。細川しずえ来しゆゑ、明日大江へゆけと云ふ。田中雅子より挨拶。齋藤かずえより免状とりに6日来阪と。短大へ電話せしに筒井女史のみにてわからず。
史、外出せしゆゑ武部利夫『李白小伝』買って来さす。誠に「1時間文庫」なり。夜、退屈して陳乃蘖氏の訳を検するに誤訳だらけなり。

8月30日
悠紀子、細川女をつれて藤井寺へゆく。京ついて行かず、下痢。井上斌子より会社休みゐると。塚本光子も病気なりしと。梅田惠以子よりmamboに反感をもつ、来春遊びに来よと。毎日新聞より受取。昨日のpistol強盗は鮮人なりしと(※東海銀行強盗殺人事件)。栗林女を臨時に雇ふことと決む。京を医師につれゆき て悠紀子21:00帰り来しところへ大江叔母より電話あり「細川女陰気にて合はず、明日還す」と。仕方なし。

8月31日
〒なし。珍し。細川女来ず。栗林女を夜呼びて話きく。山本藤助邸の女中たち怠けると。浜谷生より電話かかり「明日天理図書館へゆく」と。
父より池元かよ子の退職手当預りし筈の原君20:30まで帰らず。22:30帰り来し池元女に5,500の手当と1,000の祝とを渡す(けふ昼、我も1,000祝ひし也)。細川女21:00すぎ来り、葡萄狩にゆきし大江叔母の帰り待たされしと。葡萄一箱と1,000在中の手紙ともち来る。退職申渡せしもおどろかず。

9月1日
二百十日と。風やや吹き涼し。藤枝晃より「克己」の印ほかくれしと。小野和子より藉の事心配不要と。佐々木邦彦画伯より『毎日グラフ』。池元女午前中に荷出し、16:30出てゆく。みな独力でやり泪ぐまし。子供ら今日より学校。小林といふが寮に寄食と。

9月2日
府会議員森田氏といふより電話、きけば幼稚園3所の中、今里の神路幼稚園に欠員あり、井上恵子に会ひたしと。寺西夫人の紹介なり。月曜9時にゆけと速達す。台北頼永祥氏より『清和の支那治海』の史料につき問合せ。鄭氏の『台湾地図』らしきもの発見と。前の訳をやっつけ、答を書きて送る(70)。散髪す。
けふ日本予備校より14日の日曜に出講をと。平凡社より残金510。

9月3日
5:00起き、6:30家を出てbusにて小阪。7:25の準急で天理。Busにて仙田氏と共になる。飲酒の為か老いたり。『清朝実録』借り17:00まで写しにうつす。2冊のこりしを八木嬢に借出してもらひ、高橋君に電話すれば不在。
歩きて木下で『楊貴妃とクレオパトラ』買ひ、鈴木治氏にゆけば『Bible』の原稿いつにても良しと。夕食よばれ西大寺に出れば保田の弟夫妻にplatformの向ふより声かけらる。
帰れば井上恵子より速達、「月曜都合悪く火曜に学校に来る」と。相良紀予子より手紙。田中順二郎君よりtelevi抽籤にて当りしと。八木嬢より入れちがひにハガキ。『大清実録』抄し了れば23:20。

9月4日(日)
よべ1時間より眠れず。7:00家を出て小阪にゆき、日曜とて準急なきを知る。のりかへて郡山にてjuiceのみ、天理着。パン買ひ、自動車にて図書館(190)。田中女史のみをり、八木嬢へと礼の「味の素」托し、実録つづき借出す。
富永館長をり『中国地誌目録』出せば呈すと。25周年に呼ぶと。『太宗実録』v.51まで抄して疲れ、高橋重臣君に会ひ「Sum」加入を約させ、15:45の王寺行busにのり法隆寺前で下車。
井上恵子の家へゆけば母君在宅、「1日より法隆寺[事]務所に勤務、布施市教委より公民館へ来よと云はれしところへわが(※幼稚園求人の)速達」と。
法隆寺へゆき17:00終業せし井上君と会ひ、歩き乍ら(※話し)布施へゆかすこととし、急行busにて17:50発。天王寺をへて帰宅。寺西、森田両園長にことわりの電話して寝る。
けふ奈良女子大より「17日の授業あり」と。菊池淑より電話ありしと。福地君、歌集代100もち来りしと。大東夫人(※大東幸子)が買ひ呉れし也。

9月5日
朝、西洞院淑よりまた電話、ぜひ会ひたしと云ふに13:30玉造の駅で待合すこととす。小高根二郎君より11日(日)14:00高島屋1階食堂にて伊東(※寿恵男)、福地君と会せんとハガキ。
池元初蔵氏より娘よろしくたのむと。日本予備校に電話し、今後の講義ことわる。午すぎ出て玉造駅より菊池家にて話きき、別居さすことをすすめ、夫君に会ひて就職努力せんといひ、帰り来れば笹尾とし子に途で会ひ、連れ戻して礼云はれ、父の愛情も知りをると云ふに、今後心配さすなと云ひをるところへ桂周作とて詩作る関学生。立原道造のことききたしと小林千余子に道ききて来る。夕食食べさしてゐるところへ福地君来り、桂君帰りしあと23:00まで話す。

9月6日
登校、鍛治、山本2君をり。salary出る。天理行の出張手当(200)。佐藤、小西2生より電話「東洋棉花につとめゐる」と。次いで家より電話「全田の叔母来り、浅香山小学校の校歌たのみに」と。木曜にことはりにゆくと返事し、出んとすれば笹尾生来り、映画「旅情」を見にゆかんと。諾してまた電話。上田阿津子といふに14:00、[中]で待ちしも来ず、置手紙し、ややまへより来し小林千余子と4人でナンバ。別れて松竹座へゆく。すみて茶おごり、話せば可怪し。別れて天牛南店へゆき、『印欧語比較文法(280)』買ひて帰宅。
けふ楳垣先生より『船場言葉』もらひ、代払へば又1冊賜ひしゆゑ、本位田重美氏にと小林生に托す。池元かよ子より礼状。渡敦子よりも同じく依頼状。千川(※千川義雄)より『俳句研究』送り来り「清江の一曲」のよみ方わるしと。何を吐かす也。坂井源吾君より学校に「富士金属針布(旭区赤川町3の456電35-3394)に常勤」と。

9月7日
悠紀子を定期買ひに先行させ、京と駅。別れて気がかりなりしは乗りおくれざりしやと。鶴橋より府立体育館にゆき奈良女子大とのbasket-ballの試合をみる。40−24で負け、山本恭子、増田の2人と登校。
昨日上田阿津子14:30来りしと。college-hourきき、昼食すませば硲君来校。折しも湖東の電話かかり大阪女子学院へ出講と。住宅資金当りしと。西洞院夫妻来り、夫君と話せば中々自信家。学長に話し長沖氏に話して見んと帰せしところへ長沖氏教授会のため登校。(木村陽子ら紅茶をご馳走し呉る)。
教授会にて高野山会議のむし返し。図書館の件、決定。すみて研究科相談し、今東光、前川佐美雄に話してみんと。17:30すませ2氏より1,750もらひ鶴橋にて下車。京、弓子の本と後藤守一『食物の歴史』買ひて帰宅。
近江詩人会と近畿民俗学会の例会通知。

9月8日
京をつれて出る。昼まへ院長に会ひ西洞院君の履歴書示せば、どこか学校に世話せんといひ、学院は駄目。出て浅香山。全田へゆけば叔母、茶の会をしをり、すぐ小学校にゆき次田氏に会ひ、(※校歌依頼の件)ことはり、小野十三郎氏に云ふこととなり、堺病院。
肥下に案内さして原田満喜子に会ひreport今一つ出せと云ひ、また全田により片山純子に送られて出、我孫子前の児玉家に寄り、木曜休みの夫妻に会ふ。予定出産日は10月3日と。二人に駅まで送られ、帰校して親子丼食ひ、漢文の卒業試験。原田また出来ず。1年早めにやめて西宮君と帰る。八木嬢よりハガキ。井上恵子より礼状。

9月9日
台北の頼永祥氏宛て『身体呼称』の抜刷航空便で送り(25)、雨に降られて小野十三郎氏を訪ぬれば就寝せしところと。起きて「浅香山小学校校歌承知した。但し来週木曜現場見たし」と。
登校、次田君に電話してよしとなり、文2のclass委員らと文科講師の相談す。「1/3位来るやも知れず」と。出しところへ石川先生の電話といふに、ゆけば日本予備校より「試験問題丈にても作製せよ」と。ことわりて午後の授業すまし、山本信江誘ひてアベノ橋の古本屋。われは『満洲帝国文省地図(200)』買ひ、信江君にと2冊買ひ(430)、出て喫茶し、鍛治君待ちて「暴力教室」見、けふ菊池妹の(※姉の事で)泣きしが気がかりとなり、玉造にゆけば、母も共に淑子と喧嘩。木村病院といふに泊りしと。電話して呼ぶま話し、やがて来しに院長に会ひにゆかすことをすすめ、避妊せよと云ひ、やがて又夫君よりかかりし電話に木村病院といふにtaxiにてゆけば中村外科の向ひ。茶のみてともに出、condom買ひ与へ帰宅。
浅野晃氏より「堀内君の本、来月きまらう」と。「保田(※体調)悪し」と。ふしぎ。

9月10日
休日。昼寐1時間足らずす。24日(土)13:30外語で桑田博士の講演と。大阪書籍に電話すれば柳井三千比呂欠勤。高階次長呼びて保田のこときけば「そんなことは知らず」と返答、不快。

9月11日(日)
10:30西洞院淑より電話。院長に会ひしが学院は駄目、むずかしけれど探すと。木曜長沖氏と会へと云ふ。佐々木邦彦氏より『骨』の原稿井上君を除きて集りしと。
12:00来し福地邦樹君と出て高島屋へゆけば、小高根既に来をり、14:00伊東夫人来り、(※書簡公開をあくまでも)許さねば『静雄研究』(※論文中の抄出扱ひ)とするとの小高根君の脅し[効]きしか。
別れて「面影」へゆき雑誌出さんいひ、madame呼べば「も早この店を他人に譲りし」と。Juice御馳走し呉る。出て天満橋で小高根君と別れ、坪井に寄れば出張中と。片町より電車にのり福地君を家に伴ひ、太郎の本2冊貸す。
けふ小高根君にきけば「柳井三千比呂、大阪書籍をやめし」と。昨日の電話にはじめて納得す。

9月12日
堀内民一君より電話かかりしに『日本歌人』の原稿土曜に前川家へと。保田のこときけば「夏の末、前川家でbeerのみ、その日より腹を悪くせし」と。浅野氏のハガキの内容伝へて用すむ。
安田章生君より『白珠』に文10月5日頃までにと。桂周作君より礼状。けふ午后より眩暈。

9月13日
登校、湖東より電話かかり「来る」と。成尾喜佐子より同。国文学史やりをれば岡田とて新任の学院高等部の先生会ひたしと。行けば柳井の紹介せし奈良大出の元大阪書籍の編集部員。また来よといひ、すませ成尾、湖東、西洞院と3組の来客と話す。成尾君は一人子の家へゆくと云ふに反対す。西洞院夫人は離婚すと。湖東は20万円借りたしと(180万円新築に必要、他に予備費を。担保なしで2年と)。
帰れば林叔母より全田叔母に婿候補ありと。井上多喜三郎氏より我以外の原稿みな集りしと。小林弥毅氏より退院せしと。けふ久美子来り、「城平叔父、痔瘻にて悲観しゐる」と。
けふ池元かよ子饅頭もちて来りしと。林とし子夫人来り、愚痴いひしと。(けふ東洋棉花に入りし小西啓子の父に天王寺で会ひ、湖東紹介す)。

9月14日
college-hourは自治会役員選挙とのことに学校へゆかず。radioで「短大を専門学校にする」と文相。中川禎子より勤やめたと。細川しずえ女、木村屋の喫茶につとめゐると。けふ毎日新聞で「筒井護郎、消防局総務課係長となりし」と。

9月15日
出勤。8:30に鍛治君すでに来をり、前田光子より帰れと云ひに来りしと。ことはれといひ、児玉君にも云はんといひ、15:00西洞院君と話すみし長沖氏に礼云ひて出、浅香山小学校。次田校長に小野十三郎氏紹介し、帰り我孫子前にて下車。
小野和子訪ぬれば児玉君Lunge悪しと。それを云ひしとて児玉君怒り、早期治療をすすめしに聞かず。出て帰校すれば輪島B子嬢来をり、話して夕食。三苫君、事務所やめて教師の方にかはりたしと。ふしぎなることかな。
夜学2時間のみ。早めにすませ半田君に欧文card作れといひ帰宅。
山前君より『骨』の催促。『Corbeau詩集X』。

9月16日
よべ3:00までねられず。けさ京「赤い大陸」観にゆくと早く起き、我も7:00に起き10:00登校。山本信江来をり。梅垣女史、三村、光岡の二人就職と伝ふ。西洞院夫人より電話、近々夫の家へ帰ると。宜しと答ふ。
小野勇氏来り話しゆく。吉森幸子(藤原)より電話「東京へ旅行する故、横山に紹介状を」と。郵送すと答ふ。14:30岩橋女史と出て帰宅。千川より謝り状、11月検診ののち帰職と。

9月17日
8:30出て奈良。野崎家の前は挨拶して通り、旧の貴賓室が講師室と変りしに坐り、図書館にゆき天野忠と話す。(出がけに三木といふ女性、前田光子に復職すすめに来る)。
授業すませreport3人から受取り、小川講師と話して昼食し、長橋講師と話し、6、7月分のsalaryもらひ(6月3,200−448=2,752。7月800−96=704)、小川女史と出て前川家。よべ書きし4枚見せ、保田のこときけば「十二指腸潰瘍にて大阪警察病院に入院」と。
出て上六(古本屋で森本忠『僕の天路歴程(25)』、内村鑑三『非戦論(60)』)より警察病院にゆけば在らず。十合にゆきて前田光子に会へば、このままつとめると。児玉君に会ひにゆけば欠勤と。大森係長に会ひて云へば、本人とゆっくり話して見んと。
出て心斎橋歩き、岩井嬢とその友に会ひ、juiceおごり、成見屋へゆき電話借りんとせしに梁雅子女史の姓思ひ出せず(帰りて電話帖しらべしに見付からず)。光岡貞子より関西ペイントに勤めゐると。

9月18日(日)
前田光子より電話、「中央プラスチック社ことはりて呉れ」と。係長と話したと。布目潮渢氏より『唐方子伝注』の抜刷。原田満喜子よりreport郵送。夜、福地邦樹君来る。

9月19日
8:30家を出て順慶町の中央プラスチックK.K.にゆきしも無人。丸善へゆき図書原簿2冊(1,000)注文し、今和次郎『女性服装史』買ひ、消防局へゆけば筒井、係長としてをり、野上より返事なきゆゑ10月2日13:00阪和天王寺で待合せ10,000返さんときめる。
出て十合にゆき前田君に会ひ、決心たしかめ、児玉君に会ひにゆかんとすれば、大江叔父に会ふ。児玉君けふも欠勤。6階の販売推進部長としてゐる昌平叔父に会ひ、児玉君の病気のこと云へば承知と。入籍問題はむつかしと。
中央プラスチックに電話すれば来てくれと。行きて社長中尾唯雄氏に会ひ、保留せよといふをあきらめてくれと云ひ、羊羹返せしをまた渡され、市電にて梅田新道。
山本治雄に会ひにゆけば裁判所。昼食にrice-curry食ひ、ややして帰り来しに、東住吉農委会長高橋巌氏と一座して「川波」と云ふにて昼食に付合ふ。「湖東に11月迄に10万円は融通せん」と。折から上田女史来り「我を恨みゐる」と。佐瀬を通じてみなバレしと。3人にて「Boir」といふbarにゆき、紅茶のまされ、羊羹置き、出て梅田新道で『奉使俄羅斯日記(50)』。
高尾へゆき学校へ2冊と。矢野仁一『動く支那(20)』、高桑駒吉『東洋近代史十講(20)』。波屋書房へ寄りしに青木ら4人と会ひ、ついで安村嬢に会ひ、小林千余子もゐるといふに呼びて喫茶。
(けふ梅本に会へば女中島根より年契約で来しと。木村静子に電話して梁雅子氏の所しらせとたのむ)。帰って湖東に電話すれば喜ぶ。

9月20日
登校9:20、退屈しつつ待ちゐれば田中久美子来る。「城平叔父やや宜し」と。荒木利夫に電話すれば神戸。すみて14:00住吉へゆき硲君と話し、出しに中塚教諭(大手前高)に会ふ。梅田でbus待つまにアテネ文庫『古今集』『伊勢物語』買ひ、千鳥橋行にのりて北野高校にゆきしに藤井君、席にゐず。30分待ちて名刺置き、上六行のbusにのれば梅田へゆかずと。中津でおろされ、富士レジンK.K.に寄り、薮本君より松本広治社長に紹介さる。上平博子とちょっと話して出る。
吉森幸子より礼状。夜、赤星来る。寮生小林久夫を除いて35名と。

9月21日
けふ会社へゆくつもりなりしもやめ、10:00家を出て登校。College-hourに出て旅行の心得きき(1年出席20名、2年25名)、退屈して図書室のcardを検して岩崎嫗に講義し、教授会。
佐竹の退学認め、専修科の相談をす。長沖、西宮2氏と出る。長沖夫人わが「おしゃべり」を発見せしと。朝日新聞社より2,500−375=2,125。『薔薇25』来り、「次号の詩、月末までに」と。高木正一『唐詩選』。平凡社よりGaldanとGaldanTselengを25日迄にと。堀内民一氏より「保田自宅にて静養」と。毎日新聞より出版文化賞の問合せ。

9月22日
登校8:30、このごろ岩崎嫗を指導す。鴎外の『即興詩人』すみしこととし、『Torna a Sorrento』教へ、2部卒業の漢文採点すまし、荒木利夫に電話すれば「昨日多喜さん来阪、わが原稿のこと云ひし」と。
山本信江君さそひ「夫婦善哉」見にゆきしに満員。喫茶してまたゆきしに入れず。第2Orion座といふにゆきて「哀愁」と「我が海は緑なりき」をそれぞれ半分づつ見、信江君と別れて帰校。
木村静子来らず。2年の大野叱りて不快。『アジア史講座』2冊来をり。けふ石浜先生にきけば「成蹊詩社の会、来月に延びし」と。

9月23日
9:00会社へゆき城平叔父に会ふ。機嫌悪し。Salaryと補助金の書類受取り、栗林栄を日給150にとの案は置いてゆけと。散髪せんと思ひしも満員。漢文やり岩崎嫗と図書の打合せし、午後は試験の注意せしのみにて打切り。
15:00出て浅香山。全田叔母に会へば片山夫婦去りしと。渡、課長待遇なれど、本庁へ帰る運動せよと。婿2人のこときき、出てともに藤原静の家へ行きしに不在。浅香山の駅へゆけば来りし電車より下車。叔母に紹介して帝塚山で下車すれば赤松眞千子に会ふ。(けふ会社で補助金の中5,000前渡し受く)。
小高根二郎より25日午后中河与一氏の代理として保田を見舞にゆくと。
上田阿津子より井上恵子の便りなく心配と。片山純子より恰も母の方へ下宿人たのむとハガキ。

9月24日
平凡社のためガルダンとガルダンツェレン書きゐたれば、竹村氏見え、地坪の杭うちに来しと。これにて100坪増すと也。うどん食ってもらひ、13:00出て大阪外語にゆく途中、天地書房にて『北越雪譜(50)』。
Islam学会と南亜学会と合同の桑田博士「宋と大食(※アラビア人)」ききゐるは20人ほど。石浜、高橋盛孝、少名子、中村孝志、守屋、岡崎などの外に笠井信夫君をり、printもらひて笠井君に挨拶して出、市電にて梅田。『袖珍名著文庫7冊(280)』買ひて帰る。福地君、柿もちて来しと。

9月25日(日)
家居、臥床。日野月先生より花光健三氏1万円にて宜しき故急ぐと。井上多喜三郎氏より『骨』の原稿急ぐと。八木嬢より電話「尼ケ崎の義弟の転職を」と。「無し」と答ふ。

9月26日
羽田と上田阿津子にハガキ。岡崎精郎君よりハガキ。「天坊幸彦先生の葬儀にゆきし」と。「遺稿あり」と。日野月先生、保田へ手紙かき、「現代風景」かきて(※『骨』の)山崎君に送り、午后小阪へゆく。堀内に寄りしも本なし。松本一秀にゆけば好調と。「夫人、家購入のため神に伺ひかけに出し」と。
布施まで歩き、深[●]より天満橋行のbusにのれば、「先生ぢゃありませんか」と乗り来しは浪中の卒業生と思ひ、いい加減に相手す(岩橋女史の夫君なるらし)。森ノ宮で下車。玉造へゆきて『地中海(100)』買ひしのち帰宅。

9月27日
8:30登校、4時間つづけて試験監督なれど、国文学史は自由に書かす。修学旅行参加者30名とて西宮君叱られしと。原田裕代欠席とて西宮君電話かけしに、あとで来るとわかり、呼びて云ふ。
昨日菊地淑より来た電話ありしと。松井和佐子来るとて待つに、高校岡田女史来り、柳井君と15:00会ふこととなりをると。天王寺でと約束し、松井君と会へば「服飾出で高島屋につとめゐし中西英子gas自殺せし」と。
14:30出て近鉄にて散髪。15:15より16:00まで待ちしも柳井君来らず、けふ保田を見舞にゆきしと。大阪書籍にて林和比古と喧嘩して6月やめしと。
(けふ瀧本生に会ひしに黄疸と。木村静子この間忘れし也と)。昨日会ひしは岩橋氏にまちがひなかりし。

9月28日
typhoon来ると。12:30出て登校の途、帝塚山書店に寄りしも何もなし。行きて奈良女子大のprint切る。
昨日17:00岡田女史に柳井君より電話ありしと。16:00より教授会。専攻科文科のみ成立と。2部の及落会、原田満喜子英語不足のため半期おくらし25名及第。
18:00帰宅。保田より警察病院318号室に26日より入院、5、7日中に退院と。小高根二郎より同じく保田の入院のこと。けふ『薔薇』に「秋季試験」送る。

9月29日
8:30登校。「かもめ」で石川淳『森鴎外』。文科の歴史を自由にかかせ、古典講読書かせる間に天王寺。大和銀行で10,900引出す。利息200円ほどつきをり。天海堂へゆき『人類と婚姻の歴史(100)』『京言葉(40)』『聖母マリア(70)』『民族移動史(20)』。出て「Erie」でjuiceのみ帰校。
答案受取り、小野十三郎氏より浅香山小学校校歌受取り、昼食しをへしに院長より呼ばれ専攻科会議。我に「女性文化史」をと、可嗤。庄野英二君の出講を院長喜ばず。我は川西君の仏語をけり、一先づ文部省に書類呈出。あとにて相談せんと云ふ。
14:30出て(池田君あひまに来りしに、小野君の原稿わたす)、アベノ交叉よりbusにて上本町9丁目。古本展で春夫『幻燈(20)』と『日本の民謡』と買ひ、保田を318号室に見舞へば夫人をられ、我が手紙けふ見せしと。「胃潰瘍にて出血せしも、もはや良し」と。
17:00前出て近鉄departで鯖ずし買ひ、アベノ交叉の綿野で『ポルトガル語四週間(180)』と『奇本・珍本・本の虫(70)』買ひて帰校。
半田図書係に「婚姻きまりし。当分別居にて土日2日に会ふ」ときき、妊娠せざる様、注意せよと云ひ、岩井君を研究室に呼びて話し、試験用紙くばりて帰れば木村静子来をり。梁女史、帝塚山に住むと。ややして松尾生、漢文の点ききに来る。この前来し岡田生と共に吾を好くと。すみてアベノ橋につれゆき氷しるこ食はせて別る。
(けふ近鉄地下にて光岡に会ひし)。梅田夫人より出産予定日10月22日(土)と。けふ藤井君より電話、羽倉君に心配いらずと。(原田生、英語とれゐしとて及第26名となる)。

9月30日
筒井より電話「2日差支へあり、明日野上家へ行かん」と。「15:00まで待て」と云へば「いや」と。けふ17:00役所へゆくこととす。
元々社より千代田区神田駿河台2の1に移転と。15:30出て京橋で福地君に会ふ。玉造で市電、十合に寄り、前田光子にこの間の経過伝へ、消防局へゆけば16:55。17:15の退庁時まで待ち、梅田新道までtaxi、曽根崎の「すし亀」につれゆかれ、彼は飲み、我は食ひ、風月堂で野上への名刺托し、10,000と歌集とを明日届けてもらふこととす。彼の同級会ありしに、皆我の悪口いひしと。

10月1日
8:00すぎ出て奈良。教務課長に河村博士なりをる。聴講者card見せてもらへば国文より英文多く、その他混合なり。採点は後期と共に1回で良しと。天野忠に会ひてきけば9月23日の会なりしと。
早めにすませ(長橋講師に『Heine』贈れば小川講師へんなりし)、昼食すませて前川家へゆけば、夫人、根来寺へゆきしと。佐美雄に保田の病因と財産問題とききて楽しまず。
野崎家へゆけば永島福太郎氏をり、関学に行きゐると。やや話して出、服部家へ寄る。キョウ子高津中学へ通ひゐると。将棋して帰り美奈子に会ひし。
けふ児玉君より電話「男児けさ出来し」と。村上新太郎氏より詩の受取。佐々木邦彦君より四條河原町「西京都ギャラリー」にて5日まで素描展をやりゐると。吉崎雅子よりtyphoonを待ちゐしと。梶原来り、1万円貸せといふに2,000貸す。 

10月2日(日)
〒なし。家居。京の運動会とて悠紀子、弓子ゆく。午後、依子出しあと福地君来り、16:30まで話す。

10月3日
tyhoon23号来ると。家居。悠紀子を府立病院の小野和子の見舞にゆかす。自動車にのり早期破水せしと。児玉家にて入籍その他の手続して呉れると。松本健次郎よりハガキと、寝小便のこと書きし冊子と。
夕方湖東に電話すれば木曜頃まで忙しと。筒井より電話かかる筈なりしもなし。夜、『白珠』の為「立原道造のこと」13枚書く。

10月4日
[23]号はそれて滅えしと。会社へゆき父に会ひ、栗林のsalary150×17もらふ。busにて大江の坊やと同行。大手前高校へ寄り、吉 永、杉野2先生と話し(石山氏病気と)、西宮君に遇へば原田裕代の家へ行ってくれと。諾して府庁へゆきしも坪井不在。原田裕代の家探しまはり、探しあてれば全家不在。夜再来を伝へてもらふこととし、天王寺へ出て短大。守本氏に会ひて原田を旅行に参加させざるを云ひ、出れば雨烈しく正門前で拾ひしtaxiにて府立病院。137号室の小野和子を見舞ひ、搾りし乳見せられていやになり、北沢君に電話すれば不在。別れを告げてアベノ交叉より天王寺まで歩くみち、湖東(姉)に会ふ。久美子のこと知りをり。『ドイツ抵抗詩集(30)』『日本書紀3(70)』買ひて帰宅。
岩崎昭弥よりわが詩集用の金(※ポケットマネー)つかひしと。
入浴、夕食ののち原田裕代の父に会へば事業再開の為、娘のことに心廻らずと。今もArbeitの先を知らずと。罵倒すれば法華経信者にて成行を楽観すと。呆れて出れば駅にて裕代に会ふ。(※修学)旅行にゆきたしと泣くを、止めよと云ひて別る。桑田忠親『千利休』買ひ、soft-cream喫して帰宅。けふ筒井より電話あり、野上10,000受取りしと。

10月5日
試験休み。一眠りして楳垣氏にと電話すれば未だ来ずと。午、電話あり原田裕代のこと云ふ。他にも間ぎはになるまできまらぬのがありと。西洞院淑より手紙。「肋膜で病臥、他よりもて来し就職を先生に任しありと夫ことはる。舅もせかす」と。
午後また〒。松本健次郎より夜尿症のこと。漱石のは「道草42」に験ありと。露伴は幸田文の「みそっかす」にありと。史の日記に「父母ともに不快」と。こちらも不快なり。梶原方々に借金あり、ずっと休みて居所不明と。悠紀子そを知りて貸せしと、これも不快なり。「予定されたることを覆さんと予定されたる家に入らず」とXが云ひしを忘れず。

10月6日
湖東より電話、山本にゆかんと。13:00梅田新道で会ふこととす。安田章生より受取「12月号にのる」と。秋山昭子氏よりこけし人形贈らる。
11:30出て京橋より市電にて山本事務所へゆけば12:45まで帰らず。湖東迎へにゆき「みます」でcoffeeのみてきけば、地面9,000 で売れることとなり、10万円で餘る予定と。13:30来し山本に引合せ11月初に貸すことを約束す。
出て梅田新道で別れ、高尾書店へゆき、学校へ本送らせ、我は『那珂東洋小史(20)』『那珂東洋略史(20)』同じものなれど後者の方、先に出版され可怪。
けふ筒井に電話すれば野上「遊びに来てくれ」と云ひし由。〒後便にて『新論5』と近江詩人会の案内。

10月7日
8:30登校。教育心理の試験立会は宜しとなる。漢文の問題切り、日野君と話し洋雑誌のlistもらふ。市立美術館の藤井源一氏、講師ことはりしと。吉岡生に電話して原田生の代りに払ひし旅費いづれ返却すといひ、basket部の住山に中島生の家教へ、菊池妹に土日の来訪を止め、横浜商高の小島樹君と堺市の紋野英子(女詩人と)の手紙よみ、salaryおくれると三苫君よりききて、『那珂東洋略史』贈り、石浜先生より日本中国学会の案内受取る。
午后、長沖氏来り聞けば、西洞院夫人より便りありしと。午后すまして早々帰宅。岩崎昭弥より雑誌のこと。港野喜代子氏より『魚のことば』。午后便にて浅野晃氏より「詩の雑誌出せ」と、ふしぎ。
百済璋子より天の橋立の絵はがき。
けふ今村氏、梶原のことしらべに来寮と。入質の期限切れかかりし他人の物多くある様子。家へ手紙せんかと、とへば「2、3日待て」と。夜、小島氏に「大鵬賦(※李白)」写してやる。よべ京、遺尿。わが子にして珍し。毎日の出版文化賞に泉井博士『世界の言語』推す。

10月8日
30円もちて家を出るまへ、菊池家に電話すれば成子すでに留守。母君、西洞院家との喧嘩を長々と話さる。天王寺の大和銀行にゆき10,200引出し、3ヶ月の定期買ひ(2,540)、天王寺美術館にゆきて藤井源一氏に会ひ、短大へ出講すすめしに夜学だけ承知と。樋渡氏とも埴輪展で会ひ、別れて行動展見る。芥川比呂志君のHamlet画きし向井潤吉の絵あり。西垣修のはChrist処刑図にて、こたびはやや良し。市立図書館にゆき館長吉井良顕(大高1回)と話し、片山君とて良[●]の弟がcard作製すと云ふに紹介さる。
出て公園出口にて望月氏に会ひにゆく木村英一氏に遇ふ。アベノ交叉まで歩き、古本屋見しが何もなく、『岩波小辞典 日本文学古典』買ひ、省線にて鶴橋。まむし食ひ、京橋へ出て、四貫島の暁明館病院にゆく。中西院長は分院。岩崎氏見舞ひ、出て桜橋。蘆花『自然と人生』もらひ、弓子に本買ひて帰宅。
留守中、筒井に来し野上より電話かかりしと。けふ省線にて竹村氏に遇ふ。今川夫人タバコ屋やるとてゆくと。原田裕代より礼状。天理図書館より18日の開館記念日の招待状来る。

10月9日(日)
9:20登校すれば、鍛治君来をり。途中、西宮君と一緒になり原田の件で説教しておきし。楳垣氏欠席(のちほど睡眠剤中毒とフラフラ来らる)のまま、卒業式始まる。文芸26名皆出席。
すみて石浜恒夫君来り、美術史の講師のこときまる。花光氏のこと長沖氏と相談し、小野勇氏の代講に推薦せんとす。謝恩会まへ、岩井生([過]卒業生ただ一人の出席)に『戦後吟』やり、謝恩会中、松尾生に『戦後吟』やる。皮肉屋と紹介受けし我より、東田君のずばすば云ひに呆る。すみて白井に行き見しに転宅。
学校へ引返し、菊地成子に電話し、原田裕代に連絡し東洋棉花受けさせよと云ひ、天王寺にて決心して大江へゆけば、叔母この間の細川女のおかげで女中ゐつくやうになりしと。梶原に2,000貸せしを叱られ、ねんねこも高すぎるとたしなめらる。
port-wineのみて梅本にゆく。田舎より来し女中、宜しきらし。肥下にゆけば夫人羽曳野の病院に入院と。
寺田町で炒飯食ひ、石塚で『続膝栗毛(50)』買ひて帰宅。
けふ齋藤かずえより教員免状受取ったと。(日野月先生に小野君に連絡し、推薦させよと云ふ。清水文子に電話せしも不在)。

10月10日
朝、福地君より電話「午後来る」と。〒日本著作権協議会よりのみ。子ら女3人とも運動会休み。
14:00福地君連れ来しに伊東の女弟子、大東夫人。用件は従弟(夫の)に疋田紀子の縁談あり、問合せと。ほめてすみ、菓子おきて帰りしあと入浴。夕食して16:00前登校。
Salary出、税金少し安くなり、本俸26,300+家族手当2,400+手当6,300=35,000−(税2,015+慶弔会費30+市税730+保険料2,112)=30,113と。
昨日卒業式に来ざりしと遅刻とを咎めて新授業の1年生こはがらせ、2年も叱り、あてし伊東、吉本、予習せざりしとて早く切り上げ、地下鉄にて大阪会館にゆけば多喜さん(※井上多喜三郎)と女詩人木村女史とまちをり、多喜さんより『骨』の校正日きかれ、欠席を云ひ、源一郎君ともなひてcoffeeのみ、大阪駅にて21:17にのる多喜さんに飴わたし、3人にて梅田の鳥料理小島家といふにゆき馬鹿話し、autoにて木村女史送り、自動車強盗の非常警戒にひっかかりて京橋着。22:43にのりて帰宅。
『文芸春秋』買ふ。けふ学芸大の坂井氏といふより電話あり。日本予備校引受けしとて引継をきかる。

10月11日
登校。「奥の細道」の句を抄しprintし、旅行の注意す。久美子と散歩約し、原田に貸せし8,000受取りて吉岡信子訪ね返却し、住吉東よりナンバへ出、喫茶し、きけば松尾とはこの間会ひて話合ひしと。
天牛の隣で雑煮くひて、野崎君に挨拶し、地下鉄にて天王寺をへ、学院へ引返し、誕生会といふに出て、銀の匙1本もらふ。
けふ学校へ日野月先生より手紙「花光氏時間なしと云ふを説きて時間作らせることとした」と。ふしぎなることかな。17:00帰宅。
菊池眞一氏より「江口、前田両氏に会ひ、うはさをききなつかし」と便り。服部より「藤沢桓夫氏に講演の斡旋を」と。
夜、赤星来り梶原の捜索をしゐると。女と逃げゐるらし。(けふ北沢みち子に会ひしに、小野和子を見舞にゆかざりしと。披露宴に出てくれるかと云ふに、出ると答ふ)。

10月12日
college-hourなく、教授会なきゆゑ家居。朝、城東工高へ電話し、末吉に来よと云ひ、短大筒井嬢より日野月先生の速達来しと電話。15:00末吉の来りしと話しゐる中、羽田君より電話「天王寺にゐる」と。17:30大阪駅でと約束して末吉と出、「北京」にて御馳走し(1,120)「Calm」で茶のみて別る。
けふ八木嬢より「17日は平常通り。18、9日の為わが家にて泊れ」と。蒲池氏より『中國現代詩人』。『日本歌人9月号』に「現代詩の散文化2」のる。夜、梶原より電話。神戸のHotelにをりとて、赤星ら会ひにゆきしと。

10月13日
9:00前登校。一昨日朝日の雑喉氏といふが訪ね来てぜひ会ひたしと云ひしと。日野月先生の速達見れば「朝1時間目をよこせ」と。無茶なり。
歴史すませ、産経の鎌田君の電話をきけば阪大英文卒見込の女子を世話せよと。古典の時間「ぢいさんばあさん」よみ、帰り来れば中国書ひっさげて来る。『宋江三十六人考實(70)』『晩清戯曲小説目(140)』『京本通俗小説(50)』『宣和遺事(70)』『元史紀事本末(130)』『瀛涯 勝覧(80)』『長生殿(360)』『論語疏証(540)』『元代白話碑(320)』にて1,760、廉し。
雑喉氏に電話せしも不在。文芸のclass写真とり、長沖氏に逃げられてのち、原田裕代の授業料未納なれど証明書発行のことを三苫君に談じこみ、出て上六。日本予備校に歴史のプリントわたし、小野勇氏の宅を訪ぬれば不在。鶴橋まで歩きて帰宅。
田ノ上に会ひしに梶原帰り来しと。あとで詫びに来る。寸借詐欺になることを教へ、入浴。
けふ堀内民一氏より電話。15日奈良で『日本歌人』の歌会あり、出よと。横浜の小島氏より「大鵬賦」の礼。浪速中学より16日運動会と。杉本長夫氏より詩集。
けふ上六の関急産業に木村静子訪ねて月曜に来よといふ。

10月14日
10:00登校。杜詩のprint切り、筒井より電話ありしときく。産経の鎌田君より12:30来ると。漢文すまし鎌田君と出て上町線、地下鉄、淀屋橋よりtaxiにて土佐堀のYMCAにゆきcoacher関大の藤原君と十時、中島、楠戸、久保田4生と6人にて卒業albumの写真とり、出て朝日新聞へゆき、校閲の雑喉氏呼べばまた不在。後藤孝夫呼びて伝言たのみ、労演へゆき佐瀬君より上平博子恋愛中ときく。
出て大阪駅まで歩きて帰宅。(筒井に電話すれば16日野上と来るゆゑ、徳庵駅まで14:00迎へに来てくれと)。新大阪新聞より随想3〜4枚をと。小高根二郎より16日来訪と(福地君よりも都合問ひ来りしと)。
山前実治君より15日校正会と。前川佐美雄氏より明日16:00雲井荘にて座談会と。
けさ日野月先生に速達し、花光氏の断念を乞ふ。夜、福地君より電話、日曜の朝来ると。(住山生、九州の土産に蜂蜜呉る。中野トシ子病気しをりしと。昨夜来て河童こけし人形呉れしと)。

10月15日
菊池眞一君に『戦後吟』送り、10:00前奈良女子大へゆき、天野忠と話しゐれば、服部英次郎氏、学生課長をつれ来り、「11月5日午后3時藤沢桓夫氏を招きたく交渉たのむ」と。天野君にsalary-day毎月17日ときき、講義すませ小川講師にも『戦後吟』贈り、出て前川家に寄り、緑夫人と話せしあと16:00よりの座談会ときき、野崎家へ寄れば、その嬢には年下の商ひやる養子をと。
出て放送局にゆき、安部局長よび出せば、麻雀中。講師に来る気あり。出て15:00雲井荘にゆき寝て待ち、16:00すぎ横田利平氏来りしと話し、ついで前川主宰、横田俊一、堀内松花、堀内民一と集り、座談会といふこととなりしもtape-recorder旨くゆかず猥談のみ。保田月曜退院と。11月23日浪華荘で出版記念会と。
20:30までをり、出て急ぎ梅田駅へゆき文芸29人の(※修学旅行)出発を見送る。山本[蔵]助夫人令息、菊池夫人、西洞院君など来をり。原田裕代、吉岡の2生と出、原田生に授業料分納をさとす。朝日雑喉氏より電話あり、明日午后来ると。平凡社より「起運(存留)」書けと、断らん。

10月16日(日)
まづ福地君来り、「春風馬堤曲」しらべ午まへ帰る。ついで野上、筒井の2君を14:00駅へ悠紀子に迎へにやりしに(我風邪)つれ来り、菓子たまひ5,000返済さる。令嬢今年6年、来年学院の中学へ来る様子。筒井にbeerのませしあと、送り出せば雑喉氏。吉川博士の紹介の刺もちて来る。用件は花光氏のこと也。
福地君再来して話す中、小高根二郎君来り、肥下に会ひしと。新しき雑誌『Sum』ときめ、見積り、同人選定など来月[●]宇治(※小高根宅)へゆきて相談すときむ。8pがよからんと。

10月17日
短大へ電話すれば石浜恒夫君の授業4時限と。それより髭剃りて12:25に着けば、長沖氏紹介に来てくれしと。奈女大の11月5日の来講2氏にたのむ。けふは石浜夫人の一周忌と。
児玉君に電話すれば洋史(ヒロフミ)と名つけしと。明日悠紀子とゆくと云ひ、15:00出てナンバ。荒木利夫訪ぬれば東京出張。天牛で『歌合集(80)』、南店で『東洋ア史大辞典9冊(10,000)』を学校へ注文し、帰りて藤原静と話し、1時間すませば木村静子、岩井美代子、平岡英茂来る。1時間またせ、岩井生より歌集代100もらひ、木村、平岡2嬢と天王寺、お好み焼き食って別る。
けふ久美子に会へば城平叔父、河原町叔母とも臥床と。

10月18日
天理へと雨中をゆけば薮君に会ひ、taxi用意ありと。のりて10:30図書館につき、鈴木氏の室で元館員星川清孝氏に会ふ。茨城大教授と。長沖氏への伝言托さる。
11:00(※開館記念日の)式はじまり御神楽歌をきく。式後、宴はじまり中村大阪図書館長、貝塚、岩村、江上、泉井、藤枝など諸学者あり。『中國地誌目録』『Christian MissionU』などもらひ、高橋重臣、山田新之輔(朝日より写真『天理』出すとて来りし)と『Sum』の話し、大浜、鳥居(海軍大佐なりしと)と話し、『清実録』借りて東詣所へゆき、八木嬢の隣室でとめてもらふ。

10月19日
早起教とて5:00頃よりガヤガヤし、6:00八木嬢起きるまで待ち、よべ『清実録』早くすみしを云ふ。
9:00出て駅まで歩き9:55の天理発にのり、生駒で下車。服部(※服部正己)にゆき藤沢桓夫氏招致の媒介ことはる。夫人のみなり。 
12:00すぎ帰宅。梅原糸子氏より薬師寺君(※薬師寺衛)の十周忌とて虎屋の菓子。多喜さんより礼状。辻芙美子より近況。筑摩より税の申告。悠紀子ねんねこ持ちて小野和子にゆく。われ風邪なほらざれど午睡の後入浴。

10月20日
風邪を押して登校。1限すませ帰り、暴風警報出しに気付き学校へ電話し、三苫君に休校を云ひ、帰りてまた電話すれば休校せしと。但し暴風は13:00すぎより去る。
けふ学校へ『中國文学報3』。硲君より「アフガニスタンの旅」の案内。梅田善彦氏より「18日男児出産、母子ともに元気」と。大東夫人より礼状。桂周作君より追分の絵ハガキ。森井順子生、大館より同。

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10月21日
9:00出て天王寺より市電でナンバ。府立体育館へゆく。久保田、中島、十時、楠戸の4人と肥後のteamにて滋賀大学teamと対戦、17−7にて勝ちゐるを見て帰校。のちほど大勝せしときく。長沖氏に会ひ藤沢桓夫氏のこときけば、すすめておいたと。石浜恒夫氏に電話してきけば「朝日新聞の小説にて忙し」と。
湖東君来て『本草綱目』の雷丸の項よます。
ともに出て北畠で下車、住高へゆけば硲君PTAに出をり、『瀛涯勝覧』贈りて帰る。アテネ文庫の『増鏡』『近松』を買ふ。きのふつきし書目に琳琅閣に金尚憲の詩集10冊10,000にてあるを見る。
けふは十和田湖より4枚(※修学旅行中よりの便り)、中に西宮君(よく眠り、用なしと)と菊池生のとあり。

10月22日
早めに家を出てゆきしも、奈良女子大に着きしは10:00すぎ。早速教務へゆけば林女史、手当とり来らんと。弁当代の立替へ(40)せしと。こはふしぎなり。学生課へゆき課長に会ひ、藤沢桓夫氏のこと云ひ、叩頭し、ついで横田氏の研究室にゆき、この間のこと云ひ、図書館の天野君にも会ふ。手当は(800−96=)704なり(9月分)。
講義すませれば史学科の3学生来り、演習の漢文教へさす。服部氏「(※藤沢氏斡旋の件)桑原氏よりもことわり来りし」とて苦い顔しゐたり。
14:00前川邸へゆき夫人に会へば、この間の録音入らざりし故、要旨書けよと。天満ですし食ふ。駅で会ひしは去年2部卒の横田久子。菊池眞一氏より「来月9〜13日来阪、会ひたし」と。田中雅子夫人より米沢(藤田夫人)と渋谷のdepartで邂逅せしと。平中苓次郎氏より「同窓会を2日17:00三條春豊園で」と。

10月23日(日)
京の学園文化祭に悠紀子ゆく。我14:00出て梅田で『万葉集辞典』『世阿弥』とアテネ文庫買ひ、松井信子姉妹と待合せて文楽座へゆき「Romeo and Juliet」のみ観て、誘ひ出し夕食。Taxiにて上六までゆき、鶴橋にて姉と別れ、京橋にて妹と別る。11月3日9:00より人文科学研究所にて京大東洋史談話会と。新坂、浜谷2生より「松島雨なりし」と。

10月24日
〒なし。午后、会社へゆけば城平叔父まだ欠勤と。書類出して登校の途、『唐詩入門』『漢代の社会』と買ひ、着けば鍛治君をり、同窓会にて忙しらし。
日野月先生より「花光氏了解、先生も高野山大学教授となりしが名のみにて無給」と。吉田定一氏来り、文学雑誌に月末までにEssey10枚書けと。長沖氏の推薦と。
中村貞子生呼びてきけば「結婚の相手ことわりし」と。父君祐介氏は学校反対と。久美子呼びてきけば城平叔父、疼痛にて大騒ぎなりしも、やっとやや軽快と。岩橋女史にきけば愉快なりしと。西宮君も同じと。バカらし。
夜、四方生『和泉式部』返しに来り、柏原、木村、清水、瀧本、西岡、平岡の外、中野トシ子来る。中野生、盲腸炎にて死にかけしと。7人でアベノ橋で喫茶して帰宅。

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10月25日
登校。山本、増田組で人形、菊池、森井組でこけし人形(※修学旅行)みやげに呉れ、全員より栞と菓子と呉る。久美子呼びてあとでゆくと云ひ、出るところへ硲君来訪。文化の日に上京するやもしれずと。加藤夫人と話しつつ天王寺、城平叔父見舞ひ、正平に英語きかれ、出て湖東の新築工事見、宅へよれば不在。
けふ学校へ浜谷照子来る。中山八郎氏より「虬髯客伝」のprint。在東の藤田幸子夫人より「田中雅子夫人に会ひし」と。

10月26日
よべよりの雨、午后にやむ。『日本歌人』のため「短歌と詩」9枚書き、研究年報の「金尚憲のこと」を書きはじむ。
「北沢みち子と伊藤和一氏との挙式11月11日17:30新大阪ホテルで」との案内来る。八木嬢より「Das zerbrocheneRinglein(※アイヘンドルフ「壊れた指輪」)」の写し。「20日に来阪、電話する」と。
小高根君に「3日午后ゆく」とハガキ書きしに、夜、福地君より電話あり、来てもらへば「上六にて6,000円余にて刷りくれる印刷屋、父上より見付けてもらひし」と。3日15:00ごろ小高根家にて落合ふこととす。伊良子清白『孔雀船』賜ふ。

10月27日
8:30登校。鍛治君より早かりし。北沢みち子嬢の披露宴に出ると返事。すみて荒木利夫に電話すれば15:30まで会議と。湖東君に電話すれば外出と。
市電にて饗庭君に会ひにゆけば不在。俣野にゆきしも亦不在。
森宮を経て帰宅すれば、菊池生より電話ありしと。ややしてかかりしをきけば、西洞院夫人にして夫君の従弟の就職たのむと。夜、湖東より電話、300部なら5,600にてやると印刷屋云ひしと。
けふ原田裕代の父より、娘遠慮して登校せずと。梅垣女史にきけばArbeitしをると。

10月28日
徳庵で散髪して登校。西宮君上機嫌にて旅行談す。午后湖東君来り「桑津の印刷屋にてなら(※元市印刷株式会社)」といふ。ともに出て近鉄departで喫茶。寺田町で下車、文庫Que-sais-je(※文庫クセジュ)の『ルネッサンス』買ひて帰宅。
11日東大阪大高clubの会と。ことわる。奈良女子大より来週休みと。毎日新聞より出版文化賞の内定。夜、会社のsalary来る。

10月29日
奈良女子大の途中、前川家に寄れば、佐喜雄氏串本へゆきしと。原稿おきて登校。天野忠君に正倉院同行を誘ひ、授業すませば小川講師もゆくと。3人にてゆき見畢りて「湖月」にてしるこ食ひ、小川氏と鶴橋まで同行。梅田に出てアテネ文庫『サラセン文化』買ひて帰宅。
大高clubより13日13:30より阪大南校で同窓会と。欠席の通知す。けふ博物館にて平岡武夫氏夫妻に会ふ。

10月30日(日)
梅田惠以子夫人より幹人(みきと)と命名せしと。12:00福地君より電話、来よと云ひ、きけば斎田昭吉君は十合時計部に勤め、その斡旋にて16p、5,000以下にて出来ると。も少したしかめよと云ふ。
16:30八木嬢より電話、大阪駅にゐるとのことに呼び、『清陰先生集』(※金尚憲著作)の捜索をたのむ。琳琅閣より返事なきが故なり。送りゆき、電車賃なしとてまた引返し100貸す。夜、『大阪人』のため随筆かかんとせしも旨くゆかず。

10月31日
朝、鍛治君より電話、『清陰先生集』売れたとの返事ありしと。けふ〒なし。
16:00学校へゆきしに同窓会の幹事会は8日と。菊地淑君の置きゆきし履歴書、西洞院愛信とて市大商学部を来年卒業の見込と。久美子にきけば城平叔父、笑ふやうになりしと。
けさ書きし「私は大阪に帰ってきた」13枚を預け、鍛治君と話す中、中野トシ子現はれ、やがて夜学はじまりしを最後まで待ちゐる。天王寺まで瀧本生を誘ひ、結局瀧本に逃げられ、むっとして追ひてあやまらんとすれば中野生もゆくと。アベノ交叉で下りて帰り来る。

11月1日
登校。山本恭子、増田と来り、basketの応援にゆくと。止むれどもきかず。昼、フシヤとやら云ふ出入の本屋と話し、月1万円づつ買ふこととなりゐるを知る。岡田女史の紹介にて近鉄宣伝課の福持君来る。伊賀赤目の人と。宣伝用の写真のmodelを出せと。梅垣女史に紹介す。
14:00帰り、亀井昇11月5日結婚との通知見る。硲君より電話「上京す」と。
けふ帰途、平中苓次氏へ明日の会欠席の速達す。吉田定一氏に原稿わたす。弓子、早朝白浜への一泊旅行に出発す。小野洋史の宮参りとて小豆。(原田裕代、滞納の半額出せしとて来をり)。

11月2日
きのふ欠勤の届けして、けふ教授会にも出ず。羽倉君より電話かかりしも出ず。八木嬢より100送り返し『清陰先生集』東洋文庫にはあり、天理にはなしと。
父来り18:00弓子白浜より帰り来る。我にpipeを買ひ来りし。
けふ「発刊の辞」書く。夜、福地君来り、23:00まで話す。

11月3日
北川労組組合長より電話あり、来りしにわれ清田の減俸取消申請書に捺印。9:30出て京大人文科学研究所へ11:00着。小野勝年氏に玄関で会ふ。前川氏に紹介受けしも住宅資金に落選。我に30万円貸せよと。
『東洋史研究』の羽田博士追悼号受取り、110払ひ、会場にて浦廉一氏の話にゆき、やがてすみしあと仁井田博士、中村治兵衛、鈴木俊、百瀬弘の諸氏と会ひしも話さず。やがて蒙古班とやらの岩村、藤枝、内田吟風、鈴口、青木富太郎と駸々堂にゆきsandwich & coffee。 すみて別れ、『台湾蛮界踏査記(70)』、中村地平『日向(70)』、『近代日本女性の解放(50)』買ひて京阪書房。学校へ本註文し、小高根家へゆけば15:10。
福地君、既に来をり、19:00までかかりて(※雑誌タイトル)『果樹園』ときまり、17氏に参加勧誘状出すこととなり、(けふ嬢の誕生日とて夕食よばれし。『日向』を近々宮崎にゆくと云ふにおく)退出し、京橋にてcoffeeのみて帰宅。
天理図書館よりまた『地誌目録』1冊。『薔薇No.26』。

11月4日
登校。Salary出てをり、教授会で来週水曜遠足実施と。長沖氏の夫人の実家のある道明寺天満堂ときむ。
日本予備校の石川氏より電話「補講してくれ」と。「忙し」とことはる。出て天王寺より地下鉄にてナンバ。荒木利夫君訪ねしにまた不在。米沢薬局に一寸顔見せ(裏にゐし東嬢転宅、四条畷に新築中と)、市電にて京町橋下車。御霊神社にて同窓会名簿買ひ(350)、佐瀬に寄りしも不在。
朝日へゆき、山田新之輔に会ひて話せば『果樹園』参加承知と。Coffeeおごり桜橋まで歩き、高尾で『菅原伝授手習鑑』買へば2なりし。市電にて京橋をへて帰宅。松尾さよ子より卒業の礼状。夜、山前君より電話、『骨』出来上りしゆゑ6日(日)17:00依田邸へ来よと。

11月5日
元々社より1月〜9月印税調書54,000中8,100と。村上新太郎氏より、この間の詩、女性に評判よかりしと。山前君より「同人費もって明日来れ」と。午后出てすし食ふ。

11月6日(日)
今中同窓会報来りしのみ。芳野(※芳野清)、岩崎(※岩崎昭弥)、高橋(※)3君に勧誘かきしところへ福地君来り、斎田昭吉、谷口の2君承知したと。18:30依田君より電話「みな集りゐる」と。風邪を申し立てる。
けふ疋田嬢より電話、盲腸手術にて13日欠席と。夜、京、歯痛で泣く。

11月7日
池沢茂、小山正孝2君に(※『果樹園』勧誘)ハガキ。和田先生に案内のハガキと『中文地志目録』郵送(48)。菊池君より「9日9:00天王寺へ大和号で着きあと2時間ほど話したし」と。
14:30出て登校。採点ほぼすます。中野トシ子来しが会はず。2部2年御手洗生せめなければならぬと泣く。きけば両親なく勤先の温情にすがると。けふ瀧本生忙しと峯和田より電話かけ来る。

11月8日
9:00すぎ出、近鉄departの開くを待ち、『東京案内』2冊買ひて登校。けふもbasket-ballの試合とて部員欠席。久美子来りて明日の遠足にゆきたく守本氏に云ふと。「国文学史」すまし岩崎嫗にきけば一般図書費あと2,000と。
13:30出て(けふ道満の父君来り、昭和6又は8年生れの嫁ほしと)、北沢家。歌集とともに3冊お祝ひとす。みち子嬢の姉君挨拶に出らる。東京四谷のApartに住むと。守本氏も招きしと。
住高へ寄れば硲君まだ帰らず。山本重武君と話し、出、『アテネ文庫』買ひて帰宅。
菊池氏より電報「明日来ずあと文」とありしと。伊東の弟子、山根忠雄氏の詩集来をる。久美子に電話し、明日旅費もちゆけと云ふ。

11月9日
9:20登校。まちて10:20出発。1年生55人と石浜、長沖、西宮、鍛治、山本信江の5人の付添。道明寺天満宮、道明寺を見て、南の村外れの長沖氏夫人の実家で昼食。すみて薄田隼人の墓を見、誉田八幡に詣でて帰校。
山本正子といふがまたやめたしと云ふと笹尾生の話。学校へ西垣脩君より『果樹園』に参加との手紙。
出て府庁へゆけば坪井席にあらず。三竝と荒井に茶おごられ、引返して坪井に会ひ、西洞院愛信(よしのぶ)君のこと云へばむつかしと。帰りて菊池夫人に電話し、明日学校へ来よと云ふ。(けふ道明寺へ山荘、和島の2嬢来り、山荘君に道満氏の件話す)。『日本歌人』10月号来り、東幸子より大領町1の13にありと便。けふ田中秀子の話にて、千草の友、三好信子(既に死亡と)の妹、千草のことききをると。

11月10日
寒し。登校。昨日よりgas stove入る。11:30西洞院君つれて淑君来る。府教委の試験の手続せよと云ひ、中々ないと云ふ。小野十三郎氏にきけば浅香山小学校[之]歌につきよばれ渡敦子に会ひしと。礼はまだと。
湖東君来り、きのふ山本より10万円貸してもらひ、利子15%ときめしと。ともに出て帰宅。昼寐せんとせしが出来ず。(赤松眞千子、養子を21日に迎ふと。院長よびしとて趣味を電話できく。院長と図書室のこと話し、一般4万円を(※図書費に)流用ときめる)。
吉崎雅子生より一度会ひたしと。夜、池沢茂より電話、読売校閲部と。来週水曜電話して会ふこととす。

11月11日
冬over-coatにて出て散髪。登校して授業し、長沖氏より750もらひ、17:00のつもりで出て天王寺で靴みがき、淀屋橋へゆき時間余り喫茶し、高尾まで歩き『馬来語会話(20)』買ひ、taxiにて新大阪ホテル。神崎、守本、竹内(小学部)の諸教員と則武、村岡、青木房子(結婚せしと)、北野和子(?事実上の仲人と)などの同窓生と。
新郎は伊藤和一とて丸紅専務の息。クレムにつとめゐると。北沢みち子別れぎは我を認めしらし。またtaxiにて大阪駅、疲れて帰る。記念品に一輪差しもらひし。
『骨10』来をり。井上恵子より布施の採用試験おくれゐると。小山正孝君より『果樹園』参加承知と。

11月12日
よべ眠られず。7:00起きて朝食。下調べせずして奈良へゆき、横田俊一氏に『骨』贈呈、曽沢教授に紹介さる。天野君に会ひ『骨』脱退を云ふ。
講義すみて小川講師と話し、前川家に寄り、26日亀井君と会ふといひて出、眠くて家まで直行。
和田清先生より『中文地誌目録』受取った、上京望むと。芳野(※芳野清)、浅野(※浅野晃)二氏より『果樹園』参加と。

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11月13日(日)
起きて飯食ひて出れば10:00すぎにて11:30学校へゆけばやっと始まる所にて、来会者多し(※同窓会総会。出席者一覧書き出しあり)。歌と踊りとすみて昼食。長沖氏の来るを待たせしも14:00すぎて文芸散会。ことし卒業の連中にさそはれ諾しながら山荘、和島、椿下、本多、安村、鍛治富子と出て戎橋で喫茶。別れて梅田までbus、帰り来れば福地君来りしと。
夜、電話ありしに呼びて22:30まで話す。けふ井上多喜三郎君よりハガキもらひ『骨』脱退理由を『果樹園』のためと明かせし。

11月14日
多喜君への手紙。浅野、芳野、小山の諸氏にハガキかききしあと、岩崎(※岩崎昭弥)より参加と。体悪しと。
14:30出て山前へ2,000現金書留で送り(53)、登校。藤原加代に贈られし柿食ひ、夜になりて来し瀧本、岩井、藤重と話し、瀧本より「中野トシ子先生に惚れゐる」ときき、出て天王寺にて産経体育部に勤むる和田生と同車。『骨』1冊を社へと托す。
菊池君と電話、来阪しゐると。けふ駅にて父に会ひ、きけば城平叔父けふより出勤と。来月1日より上京すると。久美子にきけば大江の女中帰りしと。

11月15日
菊池君より電話かからず、9:00出て登校。二見行のmodelとして楠戸、中島の2人をすすめ、岩橋女史について行ってくれるやたのむ。
風邪気にて出、寺田町石塚にて『空より見た東京湾(70)』『金印の出た土地(75)』買ひて帰宅。
『白珠』12月号。森田宏子夫人より挨拶。綾部より3人来り、鳴田の行方を問ふ。4、5万円もちて女つれて家出し、2、3日前寮に来りしも衣川がかくしてくれと云ひをると。22:30三人また来り明日来ると。衣川にきけば結婚を反対され逃れ来しと。

11月16日
9:50まで待ちしが綾部の3人来ず。登校。11:45より図書室のこと話す。旨くゆかず。すみて池沢待てば14:00来り、『果樹園』同人は承知と。原稿はかけるや否わからずと。
山荘来り、写真わたすを待ち、雨の中を出て松虫で池沢と別れ、道満家へゆけば父君不在。洋子に伝言たのみ帰宅。
電話もかからざりしと。けふ楠戸・中島modelとなることをやめると。試写に来りしも会はず。

11月17日
登校。学長によばれ図書室の建築計画きく。400万円の予定と。亀井勝一郎君に「28日(月)15:00より講演に来てくれぬか、礼は3,000位」と手紙かく。
児玉敬子来り南[●]輪中学に勤むと。小野十三郎君に講演たのむと。またせて話しゐる中に『知性』編集長ら、また小野氏にと来る。児玉君会はせ、鍛治君と盲腸にて市大病院に入院の疋田紀子を見舞ふ。近日退院と。大東夫人の親類は心当りなしと。
高橋重臣君より「同人承知」と詩1編。「司書の件、具体的には如何」と。
井上多喜三郎君より『骨』脱退承知と。山前君より同人費受取ったと。
けふ大安書店来り、また1,000余、本買ふ。

11月18日
登校。楳垣教授、川西君に年報の原稿たのみ、学生にも書かしゐると、不快。午后学長に司書として天理短大出を雇ふことを考慮せられよと云ひ、半田生の退職については我より話すこととなる。冬のArbeit雇ふは宜しと。中井生ら同窓会の幹事と話し、出て地下鉄にのれば藤原恵氏「朝日へ遊びに来よ」と。
十合にゆき斎田昭吉氏と会ひ、茶おごられて話す。別れてbusにて梅田新道、大安書店に1,760払ひ「Boir」をのぞけば山本をり、湖東の礼云ひ、市電にて京橋をへて帰宅。
奈良女子大より三和布施支店へ3,200−448=2,752。千川義雄より大阪病院の許可もらひしも12月15日頃まで入院し、来年早々出勤と。奈良女子大より「12月1日以後、10:30に始まる」と。
小高根二郎君より上村肇氏参加、中村地平、中河与一の2氏応援したまふと。
夜、鍛治初江君より電話、二見浦への監督にゆくと。きのふ大安より買ひしは『中國歴史要綱(440)』『九朝律考(360)』『殷代社会生活(160)』『中古文人生活(100)』計1,060。

11月19日
8:30家を出て布施に下車、三和銀行にゆけば未送金と。奈良女子大にゆきて会計に放出支店へ代へてくれと云ふ(住友銀行に送りしと)。講義10人位しか出ず。早くすませ弁当代払ひ(120)、前川家へ寄りて小野、長沖2氏の発起人承知を伝へ、前川氏を出て奈良駅へゆけば14:00。
ややまちて天理、高橋家へゆけば山へ鏡打ちにゆきしと(※不詳)。八木嬢呼びて伝言托し、100借り、駅まで送られ、芝田義孝と同車(中島の姑に途で会ふ)。湖声社、錦織恒夫君より「日記にわが詩のせし」と。荒木利夫君より『骨』はつづけると。

11月20日(日)
福地君来り話してゆく。疋田氏より電話、令嬢を幼稚園に入れたしと。紀子君と相談せんと云ふ。安田章生氏より『日本のコント2』。錦織君より『日記』、我の「春旅」を録す。鳴田ら見付けられ綾部へつれ帰る故安心せよと。

11月21日
「金尚憲のこと」9枚かき、昼食くって出、布施の住友銀行へゆき2,752受取り、荒木利夫君に電話かけて行くといふ。行けば3、4人の中に小高根二郎もあり、新人入れ、そろはなくても『骨』出すとなり。結局わが計画ききて脱会認めてくれし模様。
短大にゆき武居、生田の両新聞部員と話し、鍛治君の土産の赤福餅もらふ。亀井勝一郎氏より「28日は関学に14:00よりゆく故」との断り来をり。夜学すまし半田祐子に会へば、12月19日学校すめば新婚旅行と。そのあと出来るだけ早く止めたしとのことに難問片付く。
出て相川、篠原の2生と話しつつ帰る。関目の蓮池の近所に篠原住むと。

11月22日
登校。児玉君より電話、25日(金)夜、御馳走すと。行くと返事す。冬季Arbeitを12月1日より人数いくらでもと梅垣氏に云ふ。昼、硲君来訪。東京の談話会盛会なりしと。楳垣、西宮2氏帰り来り、14:30より高校との連絡会。桐蔭高校の松野三郎校長、住高の浜中氏、泉尾高校の金戸氏など、吹田高校の岡本新太郎氏より紹介状もちし人も来をり、気づまりにてつまらず。すみて武居生と出、「No.1」にてぜんざいおごりて別る。
小高根二郎君より森房子氏同人承知。26日18:30ごろ『日本歌人』の会に来ると。堀内民一氏より元々社へ催促たのむと。

11月23日
勤労感謝の日と。赤星呼びて補助申請の人員36名を35名と訂正すればブツブツ云ひし。菊池博士より14日講演して夜汽車で帰りしと。1月末に再来と。佐瀬和子「5日に結婚、三毛姓となりし」と。和田先生より『満文老檔1』賜はる。
14:30出て『明治社会史(アテネ文庫)』買ひ、鶴橋でまむし食ひて帰る。

11月24日
登校。長沖氏休講。小野十三郎氏来り「浅香山小学校まだ礼くれず」と。電話すれば次田氏、記念品贈呈とて彫刻作製中と。金にせよと云ひ5,000近日中に持ちゆくと。小野氏にその旨云ひて出、河原女史と同車。
アベノ橋で近鉄別館の古本屋見、池内先生『満鮮中世史1(280)』、川田順『源実朝(40)』、生活社『日本叢書40冊(40)』買ひて帰宅。
この頃図書室の事務用card書く。夜、福地君来る。日曜午后谷口卓男をつれ来ると。

11月25日
登校(中野清見に『骨10』送る)。講義すませ岩崎嫗に司書講習をす。長沖氏の出るを待ち、鍛治君つれて山本信江君にゆけば、母上Noiloseらし。信江肥えゐたり(けふ「面影」の大塚女史より電話、明日川端康成氏観劇に見えるゆゑ、すみし頃女学生つれ来れと。時間をきけば22:00なり、ことわりて石浜恒夫君に報せば知りをる)。
18:00前、我孫子の小野家にゆけば夫君19:00まで帰らず。料理食はされ21:00出て帰宅(斎田昭吉氏を知ると)。
小高根二郎君より森亮、伊藤桂一、小島信一みな参加と。伊藤氏の原稿同封しあり。百田宗治氏を慰める会より1口500円と。

11月26日
よべ中ばにめざめ眠きうへ、print不足に気付き奈良女子大へ休講の電話かけさし、ひるねし、「金尚憲」かき、和田先生へ『満文老檔』のお礼かく。島本幸子より「平林姓に11月11日なりし」と。
16:00出て浪華荘にゆけば(※『日本歌人』の会)開会18:00。亀井(※亀井勝一郎)、長沖、小野十三郎の諸来賓みな来る。亀井君と齋藤史女史とに『戦後吟』呈上。柳井道弘来り、きけば吉野書房につとめゐると。石川信夫氏われに新宿のおでんやで会ひ、萩原朔太郎先生よこに居られしと。
奈良女子大の英文科の竹内正夫氏より挨拶受く。佐々木恒清先生の女婿にて旧宅に住まはると。来々週土曜に訪問の約束す。安部忠三氏よりよろしくたのむと。
小高根君と出てjuiceのみしのち、守口行の電車にのり京阪東口で別れ、我は片町より帰宅(伊藤桂一の同人費300預かる。森亮一昨日来りわが 『戦後吟』本屋に註文せしも受手出来ざりしと)。川端康成氏に会ひにゆかず(女性を好むと)。

11月27日(日)
10:00まで寝、昼食のとき依子を叱る。午后「金尚憲」書き乍ら谷口卓男をつれ来るといふ福地君待ちしに16:00電話あり「谷口君来ず」と。やがて福地君来り、昨日小高根君より預りし同人費とり出せば200よりなし、可怪。
Noteとハガキ買ふことをたのみ、帰りしあとまた「金尚憲」。けふ湖東君の転居通知。高橋重臣君よりRillkeの抜刷。『Biblia』の原稿用紙。

11月28日
「金尚憲」かく。午すぎ疋田紀子嬢より「退院して自宅で療養」と。午后会社のsalary受取りて15:30出、登校。
「かもめ」に『鴎外全集』の500払ひ、山荘嬢の母上の手紙受取り、「論語」のprint切る。17:30道満洋子来り、山荘嬢の相手。占ひを見てもらって断ったと。けふ写真多く受取る。瀧本君来ず。早目にやめて21:00前帰宅。
彙文堂の『冊府3』来る。「西園寺公の註文は概ね艶笑小説なりし」と。

11月29日
登校。遠足の付添手当200もらふ。天理短大より平岩君来り催促す。高橋君の推薦するは田中嬢とて大阪に叔母ありと。昨年の就職は最低8,700と。院長15:00まで来らずとのことに返事するとて帰らす。近鉄の古本屋にまたゆき『柳田国男先生著作目録(30)』『帝王の二十四時間(50)』、柳田国男校『紀行文集(60)』と買ひし中、『東北方言(180)』はdoubleをりし。

11月30日
10:00まで書きて登校。山本信江嬢来をり、12:00ごろまで西宮、沢井君と相談し、230p位と計算。印刷屋来りて見積りさせれば15万円位と。1月20日頃出来と。我も5行ほど書き足して69枚とす。親睦会より600返金受け、萩ノ茶屋へ出て『支那の幌子と風習(60)』買ひ、地下鉄にて梅田。「万字屋」にて福地君に会ひKipling『Barrack Room Ballads(60)』『日本文化(100)』買ひ、京橋にて喫茶。
小山正孝君より『逃げ水』。白珠社より歌集。けふ院長に350のArbeit3人、5〜7日を申込みてよしときき、天理短大へ手紙出す。

12月1日
よべ睡眠不足にて眩暈し、鍛治君に欠勤しらす。芳野清より原稿。生田敦子より手紙。けふ原君の秀子入院。

12月2日
登校。山荘「差支へあり月曜来る」と。前田光子より速達、あけ見れば詩!
午后salaryの出るを待つ。『鴎外全集』繙訳篇18冊にて完結(400)。帰れば八木嬢より「仙田氏より指導いはれしも25日まで勤務あり」と。石田嘉子生より礼状。文芸春秋特輯『日本陸海軍総決算』買って来てよみ終る。
けふ徳庵にて散髪し、森亮氏に『戦後吟』贈りし。

12月3日
奈良女子大へゆく。まだstove入らず。天野の室にゆき12月17日に会食の約束し、郭沫若氏、明日奈良へ来るときく(後藤守一『衣服の歴史』買ひよみもてゆきし)。
12:00すまし、後期試験2月11日ときめ、出て古本屋にて『日土辞典(300)』買ひ、吉村正一郎氏に会ひ、前川家へゆき(昼食「いづもや」でrice-curryたべ、野崎家にて汽車時間表見し)、出て電車で天理。西大寺で酒井先生と会ひ、ゆう子氏の夫君犯気の話再びきく。興地先生の未亡人、いま銀行の掃除婦と成下りゐると。高橋君にゆけば夫人も留守。呼びてきけば「高橋君は九州へゆきし」と。
16:00田中嬢来るとのことに八木家へゆき、茶よばれてcardのかき方おそはり、Arbeitの監督たのみしをことはり、送られて高橋家へゆき、田中嬢に会ふ。永和に知合ありと。
小阪よりbusにて帰れば田中三郎兄(※妻方の義兄)来阪とて史、迎へにゆきをり、入浴して夕食すませば来る。船越章失明に近く、借金も大きく困りゐると。明日京都へゆくと。咸子女子薬大3年、すみ子青山学院短大生と(『大阪市区分地図』買ふ)。

12月4日(日)
三郎兄10:30出てゆく。悠紀子も京つれて阪大病院より十合へとゆく。われよべ4:00までねられざりしにより昼寐。北沢(伊藤)みち子より礼状。四谷の須賀町のapartに住むと。芳野清君より同人費300。夜、来りし福地君にわたす。

p23

12月5日
登校の途次、本多顕彰『指導者』買ひ、よみもてゆく。保田與重郎が彼に折紙つけしと。college-dayにて弁当とsoupと賜ふ。Chorusききしのみ。石浜恒夫君来り、「面影」に共にゆかんと誘ひしも時間おそくなり取止め。
瀧本生来り話す中、「我に離婚の勇気なし」と云ひしを鍛治君にきかれ憂鬱。すみて木村生と瀧本生と3人にて天王寺にてお好み焼食ひ別る。けふ山中タヅ子より「歌作る」と。

12月6日
風邪気味と電話して欠講。板原順子よりArbeit5日よりすと。伝田雅子より「13日13:00学校へ来る」と。
小高根二郎君より「森房子夫妻の訪問うけ同人費1,000預りし」と。山根忠雄君より同人参加を申込み来りしと。日本学術会議近畿支部より10日(土)9:30より中国科学院訪日学術視察団と懇談会と。日本の人口8,926万9千人と。

12月7日
京のPTAで悠紀子出てゆく。9:00出て府立体育館にゆけば近畿短大協議会の開会式。神崎院長(※神崎驥一)が会長なりし。卓球、volley-ballのあとbasket-ball光華短大を22-21で敗る。出て荒木利夫君訪ねしに郭沫若氏のこと知らずと。十合へ出て児玉君に会ひ、前田光子の父の名訊ねしも知らず。出て丸善にゆきloose-leafと紙ハサミを注文し、梅田に出て大河原訪ねる気となり、山田鷹夫判事に会ひ、大河原の席にゆけば沢井判事をり、あとで茶おごられる。生島は貸倒れの責任とって銀行やめしと。波屋へゆき『李太白』1冊のこりしを買ふ。
けふ奈良女子大へ10日の休講届け、佐々木恒清先生の墓詣りも出来ずと竹内教授に書く。(けふ桑田博士に片町線でお会ひす)。田中順二郎君より「阿佐谷2の557久野方へかはりし」と。安心。『新論』新年号。
けふ夫婦の留守に都島署員来り、この間の盗人捕へしと。(天理短大の付添に来し平岩君に会ひしも要領を得ず)。

12月8日
よべおそくまで眠れざりしも9:00前登校。1時限すましてのち3、4時限切る。山前君6日来校とて名刺おきあり。11:00出てナンバの府立体育館。Basket-ball敢闘して武多川学院に31:27にて惜敗。昼食券もらひ食堂にて廉内成蹊学長と話す。出て野崎嬢にあふ。「鍛治初江君退かねばならぬと考へてゐる」と。よろしく伝言たのむ。
「面影」にゆき大塚女史に会ひてきけば石浜君をmanagerにとは川端夫人の笑談と。鶴橋をへて帰宅。
京、風邪より耳炎。夜、都島署より電話。中野刑事と。いろいろ聞かれしもわからず。けふ羽田君より10日郭沫若氏の会のこと。天理の金子和正君より『中文地誌目録』について『Biblia』に書けと。鈴木豹軒先生の詩集予約1,500を20日までにと。

p24

12月9日
9:00家を出て会社にゆく。父帰りをり東京土産、栄太郎の飴呉る。大(※西島大)、送金のこと云はざりしと。池元2,000栗林1,000の祝儀申請をおき、登校。湖東博士より電話「来る」と。あとでまた「来られず」と断り来る。石浜恒夫氏より電話「面影」の件ことはられてすみし。
16:30出て野崎君のところへゆけば帰りしあと。(けふ学長宛に田中嬢の履歴書来あり、19日以後のArbeit期間に面会さすこととなる)。田中俊子姉(※妻の姉)より礼状。三郎兄、我を若しと云ひをると。
けふ山本信江君、父上よりと松本文三郎『達磨』もち来る。(父より1,000借りし。)

12月10日
6:30起き7:30出て8:23の京橋発にて京阪三條。Taxiにて人文科学研究所につけば(200)まだ早かりし。百瀬弘氏と会ひ、きけば案内176人。内100名以上来て10:00より翦伯贊、熊復、尹達3先生と座談会。翦氏は「中國史の時代区分」の原稿を藤枝に読ましめしに一向わからず、熊氏の「中國歴史学会の現状」話し中に郭沫若先生来場。「私は史学者でない」との話なりし。肥えて若々しき気持よき印象。梅原末治博士と抱擁し10分後退場。百瀬、羽田の2氏と昼食、羽田におごらる。

12月11日(日)
『文芸春秋』新年号買ふ。福地君来り、16:00小高根二郎君、ややして大東dr.夫妻、またしばらくして達原実君、終戦後Medanにても暴動ありしと。夕食たべてもらひ18:30出てゆく。
25日14:00より小高根邸にて編集会ときまる。小高根君(※日本レーヨン)本社管理部へ転任うれし。池田市あたりに転宅の予定と。馮乃超氏と明日14:00新大阪ホテルにて会談の案内あり。福地君に『李太白』と『楊貴妃とクレオパトラ』の譲受を乞ふ。頼永祥君より『台湾風物』5の8+9と年賀状。夜、福地君再来、2冊もち来り呉る。

12月12日
岩崎昭弥より「小説送る。同人費もかためて送る」と。12:30出て京橋より肥後橋。靴直しさし、朝日へ行き山田新之輔に会ふ。吉村正一郎氏、夫人に原稿をのせてもらへと云ふ由。前川氏「保田を破門した」と云ひをる由。
紅茶おごってもらひ、出て新大阪ホテル。桑田博士とまごまごしてゆけば14:30より尹達氏出席、出席者の名簿は阪大、市大、関大のみを録し、質問も守屋君あたりの問ひが主。我2冊(※著書)を贈り、今後のこときけば日中関係次第と。
200払ひて出、毎日に天野愛一訪ねしも不在。高尾にて柳田国男『村と学童(50)』買ひて帰る。
けふ金子和正君に締切と枚数訊ねるハガキ出せしもあとで小包に手紙同封「15日までに11〜18枚」とあり。山下実美氏より砂糖6キロ。

12月13日
登校。商工会議所で中国側と会見との案内来をり、荒木利夫君に電話すれば出ずと。忘れゐし伝田生来て家庭で教へゐる子たちの文集出版の世話せよと(※『足音』1956刊)。承知して鍛治君と3人で千日前。汁粉おごり外出より帰り来し野崎君に「銀馬車」といふ開店の純喫茶につれゆかる。別れて天牛南店で『台湾蛮界展望(150)』買ひて帰宅。
けふ机の上に松尾さよ子生のCastilla1箱と風邪薬3瓶おきあり、昨夜来しらし。伝田生も漆器をくれし。
夜、赤星と前田と来り、浅沼断り徳庵市場で副食買ふこととすと。

12月14日
『果樹園』発行所の印註文、400円位ならんと。10:00すぎ三和銀行放出支店へゆきて見しも為替まだ来ずと。Card作りし(『昭和史』買ふ)。
専攻科設置の相談を壽岳、楳垣、西宮の3氏とす(長沖氏は小野十三郎氏長嬢の結婚式にて来られずと)。15:30より教授会。外部より今(※今東光)、矢本(※矢本貞幹?)二氏呼びて一先づ発足、授業料18,000と。すみて伝田生よりもらひし漆菓子器もちて帰宅。原田章氏より砂糖5kg贈らる。桂信子より『女体 (※句集女身』)と贈り状。大菊佳代生より酒井姓となりしと。(けふ平岩氏よりArbeitに2人推薦し来る)。

12月15日
登校。このごろ司書業務を毎日やりをる。長沖氏、小野氏来り、専攻科の報告す。Arbeitに開、生田の2生来てくれると。山荘君より電話かかるを待ち、14:42にてナンバ、出口にてまちゐし山荘君と喫茶。経過話し(※見合)写真預かることとす。背高く別居が条件と。野崎君訪ねしに不在。鶴橋まで同車して別る。
けふ北野徳治氏より衣料。森亮氏より『戦後吟』の礼。

12月16日
ハガキ3枚投入。放出の三和銀行にゆき2,112受取り、登校してprint切り、堺の浅香山小学校へ電話すれば次田校長不在。天野愛一君より電話、(※大阪毎日新聞の記事として)家庭忘年会の写真とりたしと。けふ新坂、原田早苗の2人専攻科へ入りてもよしと。山本実子にきけば祖母快癒と。印刷屋呼びてせかし、出て古本屋見まはり、寺田町石塚で『本の話』『戦争と平和』『戦争と日本人』と『写真文庫』3冊(215)買ひて帰宅。
鈴木治氏よりまた原稿用紙。(けふ桂信子に会ひ『戦後吟』贈り『女身』の礼云ふ。林叔母四国へ転任と)。夜、福地君より電話、浅野晃氏原稿と500来れること云へば「日曜にとりに来る」と。「森亮、森房子2氏の原稿来をり」と。(けふ学校へ松尾さよ子来りしも話さずして帰る)。

12月17日
悠紀子、都島署へゆく。我10:20奈良女子大へゆき昼食代40払ふ。昼食を共にせんと約束せし天野忠欠勤と。12:00まへやめ、出て奈良放送局にゆき安部忠三氏に会ひ、専攻科に来年は呼ばすと云ひ、前川邸にゆき夫人に同じこと云ふ。
けふより寒くなりてたまらず、服部へゆかんと生駒で下車すれば吹雪。やめて帰阪。玉造で『文芸春秋漫画読本4冊(160)』買ひて帰る。
岩崎昭弥より同人費1,000。『東方学11』『東方学論叢3』夕方福地君より電話「明日来よ」と云ふ。悠紀子ズボン2着750にて取返し来る。他品はなかりしと。

12月18日(日)
悠紀子、京をつれて原秀子ちゃん見舞にゆく。伝田雅子より「よろしくたのむ」と。法隆寺の井上恵子来る。布施市教委まだきまらずと。海苔置きゆく。小野円城君よりshirts上下。午后福地君来る。印をとり来れと500わたす。

12月19日
7:30家を出、寺本生と一緒になる。肥えゐたり。物尺買ひ(55)、生田、開2生岩崎嫗と待つ中、田中洋子嬢来る。上六よりナンバをへて来りしと。今一人は行方不明と。仕方なく整理やり、文2のclass会へ出、16:00すます。帰りみち教へて寺田町下車。『死都ポンペイ(70)』買ふ。
けふ康平叔父、会社のbonusとどけてくれしと(5,000)。池元久子(2,000)、栗林栄(1,000)にもわたす。
小山正孝氏より詩と同人費1,200。小林千栄子よりseminar旨くゆかずと。

12月20日
9:00登校。天理の高橋君より電話「田中洋子集中講義にて午前中来られず」と。やむを得ずわれcard書き、開・生田2生を使ふ。午、浅香山小学校へ電話すれば「近々小野氏に礼にゆく」と。前田光子より電話「國の父より物来りしを夜9時もち来る」と。
16:30鍛治君とともにナンバへ出、busにて梅田新道。大安へ本代1,060払ひ、『中國分省地図(360)』買ひ、餃子を鍛治君と食べ、「Boir」へゆき見しに山本をらず。Madameに本渡せと云ひwineおごってもらひ、市電にて京橋。春山行夫『詩人の手帖』買って帰宅。
硲君より忙しとて夕陽丘予備校の摸擬試験票賜ふ。次田氏より入れ違ひに手紙。21:00悠紀子、駅までゆき前田光子に会ひ、米と黒豆ともらひ来る。このごろ商品の売行きよしと。兵庫県教委の試験受けたしと。けふ悠紀子、今川へ歳暮もちゆきしに久美子のみにて上れとも云はざりしと。けふ17:50宮口生Castillaもち来りしと。

12月21日
登校9:15。三沢、井上ら本を見に来る。産経の和田章子に電話して早川生の欠席のこと云ふ。湖東に電話して17:00ゆくと云ひ、筒井に野上へ27日ゆくことを云ふ。16:30すませ湖東の新宅へ。佐々木画伯の林檎もちゆく。過労と。出て寺田町にて炒飯食ひ(700)、玉造にて『文芸春秋漫画読本5、6(90)』買ひ7冊そろふ。
西垣脩氏より原稿。羽田より忌中欠礼のハガキ。けふ前田光子より電話「県教委の試験受くるなら授業料片付よ」と云ひしに、20日締切と。父に断るひまなくあきらめると也。河井ちづの父、定吉氏より奈良漬。

12月22日
9:30登校。志野姉、研究室へ来る。岩崎嫗、早退申出でしによりいやな顔す。山本夫人の旧師と。小林千余子seminarのことききに来り、羊羹3棹と菓子と呉る。
帰り京橋で福地君に会ひ、後刻来よと云ひ、帰れば笹尾母子缶詰一折と干柿ともち来りしと(16:00頃)。久保田初美よりHam詰合せ。秋山夫人より菓子贈らる。田中順二郎氏より歳暮贈ると。

12月23日
9:30登校。岩崎嫗むつかしき顔しゐる。つづけて整理しゐる中、bonusもらふ(52,000−年末調整5,348)。山本信江君来り、校正おしへてやらす。西宮君、沢井君も来り、見積りのこと印刷屋に云はす。ややして住山生来り、きけば新聞部の金4万円とて預り、あけ見れば3万円なりしと。泣く。川原女史、木村使丁と変となりしなり。楳垣教授の扱にて問題とせずとのことになり帰りゆく。武居生にも手伝はし、16:40すませ、職員会の菓子折あけ、酔ひし西宮君と泣きゐる信江君とに困りつつナンバへ出、支那料理を3生におごり、鍛治君よりjuiceおごられて帰宅。
31,500を悠紀子にわたす。けふ坪井の紹介にて英文科受けたしと昭和26年高津高校卒の高木信嬢来り、羊羹たまふ。田中順二郎君よりwhite shirt来りしと。夜半、天理の『Biblia』の原稿12枚かき了ふ。八木嬢より子らにChristmas-card。

12月24日
9:30登校(原稿鈴木氏に速達す)。上町線にて文1の松田亘代(阿倍野高)と同車。周防大島の出と。田中洋子来り、松田生手伝ひ仕事大分すすみしも終らず、田中嬢に9〜11日来よと云ふ。
山本信江けふも泣く「親類中に副手と云ひふらせしがさうでなし。西宮君の酔って云ったは本当」とて我を信ぜず。我[は]教授扱ひされをらず名などどうでもよきも他人前ありと。学長に会ふ決意す。守本主事呼びて無給副手なることを云はす。
12:00印刷屋来り、わが校正わたす。昨日くれし靴下もち帰らせ16:00すみて3人にそれぞれ1,050づつわたし、京橋で散髪(100)して帰宅。沢田宣子来りChristmas-card呉る。けふ高野敏子より飴呉れしと。東孝子の母君、塩鮭もち賜ひしと。「金尚憲」校正を了る。


12月25日(日)
高野敏子よりハガキ。早ひる食べて福地君と14:00小高根邸につき、『果樹園』の編集。15:30にすみ、岩崎昭弥の小説は送り返すこととなり、16行のみあまるを後記とし、小高根、我の2人にてかくこととす。(28日印刷屋へもちゆかん)。
17:00佐々木邦彦夫妻、稲垣タルホと現はれ、タルホ先生丸山薫氏の許にて会ひしことをおぼえゐたり。佐々木画伯に揮毫してもらひ、21:00散会。福地君は退屈せしと。我はたのしかりし。
東井夫人タバコとcakeもち来り、親戚の娘短大へたのむと。硲夫人、悠紀子の留守に来りHamたまひしと。23:00石井良旺来り、京にChristmasの贈物呉れし。

12月26日
10:00出て梅田。「svar」で『縁々堂随筆(40)』買ひ、梅田新道の古本屋ひやかし、高尾にて『大阪方言事典』学校にと買ひ、市電で四貫島。『ルネッサンス』買ひて暁明館に岩崎氏見舞へば、昨日神崎院長夫妻見舞に来り、1月より出勤となりしと。15:00帰院せし中西に大事とらせよとたのみ、中央キネマで「慕情」と「愛の泉」とを看て夕食、天満。

12月27日
梅田より大丸にゆきオルゴール(1,100)買ひて戎橋に出、鶴橋をへて阪和にて久米田。天王寺駅にて咲耶母子に会ふ。昨日京都(※下総町の実家)で泊りしと。長男成績優秀と。殆ど5なり。
岡山行のbusまちて終点にて下車、たづねて野上にゆき、弘君の帰宅したるに聞けば学芸大附属を受けさすと。これも成績良きらし。帰りに土産くれ、自動車で久米田駅まで送らる。南田辺で下車、千川義雄訪ぬれば在宅。明日病院の荷物引取ると。
帰宅すれば会社より電話あり、福地君、夜再来と。萩原みち子君昨日来りしと(鯛のみそ漬たまふ)。百済璋子より砂糖。楠戸生よりcoffee。湖東君より蜜柑。鶴身生よりそばボーロ賜はる。
夜、来りし福地君にきけば、芳野君と割りてわが原稿のせよと。77行こさへると。29日湖東に紹介され、印刷所へゆくと変更す。
年賀状かき、田中順二郎、神田博士、岩井大慧、畠山、浅野晃、西川、前川、白鳥、関口、野上、城平叔父、田村春雄、田中修、和田先生、桑田博士、大江、中河与一、林、小高根太郎、北野徳治、石浜先生、服部英次郎、川久保、工藤好美、松本善海、中野清見、河村純一の諸先生、熟知、親戚へ27枚。
(野上の土産あけて見れば高島屋の5,000の商品券なりし!)。石田嘉子より1月2日午后来て宜しやと。

12月28日
9:00前、康平叔父より電話、来よと。10:00ゆきて城平叔父に会ひbonusの礼云ひ、きけば赤星、釜の蓋の修理を要求せしに、康平叔父、我に相談せずにと云ひしと。赤星呼びて今後は我にまづ云へといひ、塩谷に頼むことを命じ、salaryもらひて帰宅。
鈴木氏より4,5人か45人かと問合せ。『文芸日本』。悠紀子に賀状出しにゆかせ、福地君より二郎氏の編集後記来りしとの電話きき、16:00来りし西宮君に山本信江生のことで注意す。無給を気の毒に思ひしと也。原田裕代のことでも注意す。砂糖5斤くれしゆゑ飴やりて帰す。
けふ野上をはじめ礼状7枚。石田嘉子に「2日来て好し」と返答かく。井上福蔵氏(子父君)より味の素。

12月29日
湖東君より電話、12:00来よと。15:30〜16:00にと約束す。12:30父来り、蔵書わたす。つづいて福地君来り、湖東君との約束云ひて「発刊の辞」と「編集後記」と書く。「郭先生のこと」は午前中に77行かきし。
新城英太郎氏より『Encyclopaedia Britannica 13版』13,000にて河原三條の赤尾にありと。宇都宮利子より喪中欠礼と。14:30出て湖東家へゆけば、Dr.まだ帰らず。16:00帰り、夫人丹後ちりめんを悠紀子にと賜ふ。礼状はすでに出しあり。3人にて桑津町5の8(77-2802)元市印刷K.K.にゆき、社長元市有泰氏に原稿わたし、桑津北口まで歩きて福地君と別れ、雨中を歩きて「石塚」にてTurgenev『散文詩(40)』『奈良西部(70)』『奈良の大仏(70)』『動物渡来物語(90)』買ひて帰宅。
依子にAlbum貼らし100与ふ。夜また青木弥与子より林檎1箱。かもめ書店より蜜柑1箱たまふ。

12月30日
晴、家居。坂根千鶴子の母君より砂糖。京、池元久子につれられて姉、高田かよの家にゆき、餅もらひ来る。鍛治嬢より送り状。山根忠雄君より山口に帰郷と。夜、石井良旺来り、結婚の為、本日限り退寮と届けす。

12月31日
寮生餅搗く。赤星帰郷と。大江も呼ばず。我に断りもなし。
原夫人帰り来り、京に首巻、我にも礼云ひ、退院許されざりしと云ふ。本多和子より手紙。


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