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たなか かつみ【田中克己】『戦後吟』1955


戦後吟

歌集『戦後吟』

田中克己 歌集

昭和30年2月11日 文童社(京都)刊行
86p 15.4cm   上製 私家版  \100


表紙   見返し   

   戦後吟(昭和廿一年−廿九年)

北支那のなつめ林にわがいのち棄つべかりしをかへり来しはや
いそのかみふるきふみよみ老いなんと思ふこころもつきにけるかも
山の辺にうすあかりさし松の木のこずゑほのぼの明けそめにけり
たたかひに出でゆくわれと知りしときすなはち身をばまかせしひとか
むらさきのひともと摘みてかざしにすいつの日またも会むをとめぞ
とらへむとすれば飛び立つ鳥われとつれなくいひてなれは笑まひぬ
鳥見山(とみやま)の北のふもとにわが住みてあづまのかたをおもふあさひる
山かげのちひさき家にゐろり切りふたり住まへるゆめをわが見ぬ
秋草にならびゐしとき奥様(セニョーラ)と呼ばれしひとをいつかわすれむ
ますらをののぞみをたちてをとめごと歌かはさむとおもふこのごろ
おもふことなき世なりせば山の辺のみささぎ守(も)りてあらましものを
山の霧下り来る町のゆふぐれはただひとりして住めるがごとし
疲れたるたびびとのごとひとつの火めざしてあゆむわれをあはれめ
木蔭にてひととひもとく歌の本こひうたおほくしるしたりける
秋立てる大和国原ひととゆきみちのきはみに消えゆかましを
この国にさちあるなれと吾(あ)といひしときになみだは落ちにけらずや
わがのぞみ成らぬさだめと思ひ知る野に咲く花の日にやくるころ
わがごとくをとめとゐたるときすぎてこの塚ぬちにねむるひとはも
このをとめなよになよらにうちなびきひとにたよらむその日あらすな
奈良山のこのてがしはのふたおもてつくるをとめにいかりてぞ来し
わだのはら八十島かけてこぎいでてかへらぬひとをわれは忘れず
かのひとみけふもまぶたにおもへどもちちははゆゑに会ふこともなし
三室戸の杉の木の間にひとめおぢふるへつつ吾にだかれしをとめ
うつくしきをとめのために船に乗りあだをうちしはむかしとなりぬ
小雨ふる丘べのあざみな摘みそ※のひとのをしへをわれや忘れし  ※摘むな
佐保川のつつみの花をつみゐれば稲田のうへに風吹きわたる
夏花のもゆるおもひをうたはざるわれがうたをばひとはゆるさず
なれをこふこころかはらね紅葉する逢坂山を越えてわがゆく
うちひさす都をすぎてささなみの滋賀をとめ(乙女)らを見るはくるしも
伊吹根にふぶきするときわがおもひかはらず燃ゆとしらせてましを
湖のそこひにしづく白玉のつげずありせば悔いなかりしを
みなひとの知るべくなりしわがおもひ知らぬさましてやるは誰が子ぞ
うらがなしなにのさだめか汝とわかれ近江篠原しぐれみる身ぞ
うたつくるこころとなりて丘のみちのぼりてゆけば蕗の薹もゆ
難波江の蘆のかりねのひとよづまそをさへわするわれならなくに
焼けあとの芽生えのごときわが胸のちひさき青きものを踏ますな
落つる日を落つるがままにあらしめてわれら海べにくちづけてゐし
かのひとみわがため燃えし日ありきとおもひつつわれひとり旅ゆく
わがこころときにしほたれ死をおもふかかるさがをば母やさづけし
うなだれてつつみの道をゆきしとき青くちひさく咲きし花はも
韓国(からくに)のたたかひのことくだくだとうれふるなれをいだき海見る
この土(くに)にたたかひの火のもゆるときなれとひそまむ林はいづこ
血に塗(あ)へて死ぬるよそびとあはれともいはぬこころにわれはなりにし
比良山のふもとをめぐりわかれこしなれをおもへばみさごとびかふ
とこしへにかはらじといひなれが目にすなはちなみだわくを見しはや
ひとあまた山のあなたにつどひつつわがめづる子に言(こと)とふらしも
海へだて住む日かなしみわがひざになみだおとしてゐたるをとめか
雪うづむ越路にちかきひと冬をわが世のうちにくはふ(加ふ)べしとは
あふみの湖(うみ)ながるる水の京にゆきなには(難波)にゆくと思へばうれしも
わがこころこごゆるときしこの国のこほれる土に眠りはてむを
うたうたふ雲雀のごときわがこころ春めく空を見ればうれしも
指折りてあふ日かぞふる京をみな浪花をとめをわがこふらしも
みづうみのなぎさに立ちて夏の日をおもへばかなしひとはまた来じ
わがために泪おとして送りゐしひとはいまはや眠りつらむか
わが友ら城山の上(へ)にうちつどひこひかたる日はいまかきたりし
長瀬川ながるる水の清かりしわがわかき日はいづちゆきけむ
甘きおもひ粉とくだきてそむきゆくをみな(女)のさがをなれももちしか
そむかれしかなしみ告げむひとをなみ※高野(たかの)のやまにわれは来にける ※無いので
かくばかりかなしきものと知るときしなれをやらじとこころきまりぬ
とつ国のひとらあつまり作りおきしのりにたがはむわがこころざま
いやはての息ひきとりしながむくろ抱きあげてこそ泣くべかりけれ
ふたりしてのぼりし山のものいはぬ巌にぞよりて泣くべかりけれ
あをなでしなが腕とりてつめたしと声あげてこそ泣くべかりけれ
かぎりなくおつるなみだぞ若草の丘べにひとりわがゐたるとき
まなこあげ遠くゆく船ながめゐぬわがかなしみのはつるはいづこ
にがよもぎ苦くしありぬ国ほろびこひにやぶれてまちに飲むとき

   戦中吟(昭和十七年−廿年)

みんなみのいくさうたへとうたびとのわれさへめさる大きいくさに
よきひとのひそみにならひ醜(しこ)われもうたの一巻のこさざらめや
うつくしき妻子をおきて船に乗りますらたけをはつるぎを撫づる
椰子の葉の蔭におもはむながおもてこよひうれひをおびてうつくし
さらば稚児ら汝とながちちと汝が母とそをまもらんといでたつわれぞ
軍港の春あさくして看護婦らしめやかにゆくが美しく見ゆ
島山のすがたきびしくとりかこむ港の水のつめたくは見ゆ
われがゆく道の四つ辻とし老いしアンナムをみなあくびする見つ
道のべのキャフェーに入ればガルソンら仏蘭西うてとわれにいふなる
並木路をうつくしとおもひ名をとへばアンナムびとは槐(グェイ)とこたふる
わかれ来しわが子おもへばアンナムも支那人(シノア)も仏(フツ)も幼(いと)けなきよし
賭博場のわれにとなりし安南の娼婦(たわやめ)ふとも寄りそふごとし
ここにして家をうれひず汝がわれをおもふにしかぬことをうれふる
夜の明けに寺々の鐘なりわたるサイゴンおもへば夢のごとしも
吾子よ吾子よなれがほ(欲)りする金米糖氷砂糖を食うぶる父は
バナナをと手紙をくれし史※ゆゑバナナをはめばなれをおもふも  ※(ふひと)長男
夕まけてなれらむづかりその母にあらそひよりて眠るとするか
戦ひはほとほと終りわが船は昭南島にちかづくらしも
わだのはら八千島あれどことごとにみはたうち立つときとはなりぬ
祖(おや)たちのうまれつぎ来し三千年いまをおもへば永くもあらず
この日々を海にいさなの卵流るわれが生命も子らにかよへる
船旅の疲れしるしもまなこくぼみ眠れる友のすがたに見れば
朝戸出に南十字の星みゆるくだかけの音はかはりなけれど
手長猿飼ふ兵あるをわが見しが時すぎぬればあやしともせず
草ねむはわがふるるとき葉を閉づるそをかなしみて幾分かゐし
なれと見しシンガポールの稲妻はまたの日たれを照らすあかりぞ
たまゆらを光るいなづま爆撃のあといちじるき家並を見す
はたた神鳴りはためくをマラヤびとわがみいくさのみいつとまどふ
いくさ神まつる庭べに桜花ちるてふしらせわれは聞きけり
わだのはら千里をこえてたより来ぬわがふるさとに花散りぬると
みちなかにひたとまなこをあはせつつ避けむともせぬ支那びとのあり
われに二目おかせし独立工兵はコレヒドールに血にあへけむか
みんなみの珊瑚の海に敵の艇しづむしらせをわれは聞きけり
屑米をよりわけてゐし支那人のむくろにあらむ哀れともいはず
瀬戸にそひ並木路ありゆきめぐりわがゐることもゆめのごとしも
サルタンの王宮をすぎわが友らたむろせる野にちかづきにけり
海うつくし並木路よしと印度人のまなこくるめく子らと語れる
海わたり大和撫子このつちになじまぬ見ればあはれといふも
鳳凰木の梢にのこる夕ばえをアラブわらべをつれつつぞ見る
海こえてわが来しときに船追ひてとびしましろき鳥はありしか
ながなみだそそぎてたびし茉莉花(モウリンカ)日かずへぬれば枯れにけるかも
スマトラのメダンのまちになをこふとひとは知らねばものいひにけり
兵営に消燈喇叭の鳴るときし南十字はかたむきにけり
をみならの飲むよはき酒のみゐればホテルの廊にひるさめしぶく
長官の邸につどふサルタンら黄金の太刀を佩くをけふ見し
あをこふとたよりよこせし汝のことも忘れてありと思ふ日のあり
かく弱き軍属もてる兵国を近衛師団と知るものもなし
父祖のまちことごとく焼きこの腕に銃と剣とをとらしめし火や
妻子おきくぐりし門のきびしさに死ぬ日をおもひゐたり兵われ
海峡をわたりて着きし釜山港硫黄島なる玉砕を告ぐ
北京城はるかに見やり南下する軍用列車われをのせたり
秋風嶺(しょうふうれい)こえ来しこともほとほとにわすれてわれは兵としなりぬ
ふるさとを出でて年へし古兵らのすさべる見るが日課となりぬ
全装備三十キロをかるがると若き兵らは負ひて駈けるも
日本の都市はおほむね焼けしとふ妻子のこともいまは思はじ
かなしみもよろこびもなし高梁のまじれる飯を懸命に食む
かつて吾をうちし伍長はこのゆふべむくろとなりてかへり来しはや
引き鉄(がね)をおのが足もて引き死にし上等兵をおもふ日のあり
夕まけて営庭に立ち正行の戦死のうたを兵らうたひぬ
あかあかとあだのたく火を見やりつつひところさじとわれは誓ひし
一選抜上等兵となりたしと思ふ日のありふしぎなれども
をさならに言ひのこしきていまひとめ会はむおもひにけふまで生きき
京漢の鉄路のかたへ牽牛花つみてかたりし子らはわすれず
ひとみなを焼く火おちたる国原に萌え立つものを見にとかへらむ

   年少吟(昭和五年−昭和八年)

あけぼのの光のなかに目ざめゐぬなをかなしむと吾はのこされし
咳すればのど痛むゆゑ浅田飴こころ幼くのみてねむるも
ほのぼのと空にかかれる雲ありぬそこに咲き見ゆ白梅の花
このこひはつひにはかなし栴檀のいまだ芽ふかぬ枝に実ありて
夏草に紅のはな光りゐぬをとめとわかれたびゆくわれは
雨あとのにごりはふかし奈良井川いく山川をあつめたりけむ
身はしばし仙蔵院にとどまりてゆふくれがたはひとを恋ふるも
北風にむかひてわれは歩みしが髪ことごとくうしろになびく
空のいろ淡蒼くしてきはみなしきみ葬ることを念念にもつ
正元※もなるべくなりし海港はこのあしもとにひろがりてある   ※増田正元・夭折の友人
冬花(ふゆばな)のマーガレットの白ければきみに買はむとかねておもひき
うつしよのからだ爛汚(らんお)にちかづけばくちいろどりしひとはありける
みはふりの教会の窓のそとゆきし白猫のことも忘れざらむよ
三輪山の尾の間の谷や樫の木の下に仏をすゑたてまつる
群松のこぬれうごかぬしづけさやとほくのとよみいまはやみたり
蒼々とひろごれる空見つめてあり誰のまなこかかがやき出づる
青山のちらばり立てる国原はわがかなしきがおくつきどころ
娼婦らの若きを見しが三月のなげきなりとはひとに知らゆな
山吹の咲くやぶかげのにはたづみ光りてゆくは春の魚かも
ゆふなぎさ波のうねりも深ければ率ゐる犬は海にむかひぬ
かなしきは遍照光の消ゆる見つつちちははの国にわかれいづるも
ほのぼのと味噌汁のにほひながれたり朝啼く虫に地震(なゐ)はふりたれ
わが窓に椿咲きぬと告げに来しとつぐに近き十九のをとめ
ゆくさきをまじめに思へばなみだ出づゆでたまごをば食はざりにけり
はこべらは花をたもちぬいづくにか雲雀ひそみて鳴く日となりぬ
この村はにれの高木の多くあるけふをはじめて屋根にのぼれり
幼恋おもひもいづるそらまめの花はさかりとなりにけらずや
ゆふぐれはやもり硝子をはひのぼりかはゆきかもよ腹うごかしゐる
埃みちわがゆきしとき匂ふ花ほかになければ葛と知りたり
蔦の葉もいろづく壁に朝日さしきみがねむりはさめんとするか
すすきの穂ゆれてさわげるこのみちをよきメトヘンをつけて来にけり
高き山せまれるまちにちちのみのちちと争ふゆめをわが見き
川の霧ほのかにあましほつたりと城山の灯はつきにけらずや
うれひつつ道を来れば十月のもみづる山にちかづきにけり
まなかひの丘ののぼりに家はあり百済王家もたえにけるかも
はぜの樹のもみづる家やいくつならむうれひの去らむことは思はず
はろばろと遠つやまなみはてしなし山かげにして山はありしか
鐘鼓(しょうこ)ならし祭の群のゆきしあとひとりのわれは行きにけるかも
ゆふばえの光うつせる池なかに動かぬ水ありなにかさびしも
くぬぎ生(ふ)のかげをうつせる大池にひるすぎの雲すぎにけるかも
全快のときをかたれる友のかほ死相ふかければわれはそむけり
にれの木の高にれの木のむら木立死にていますはたが仏かも
首蒼き鴨の羽がひの夕光り光り消えなば眠りにいるか
はりま野をはるばる来ればはりま灘海のそぎへに白き雲立つ
むかつ山のしげみに赤き花くさぎ花の中より雀とび来る
散髪のあとにあたまをあらふ水しみてつめたし秋に入れれば
まつ暗き檜林をあゆむときひところさむとひそかに思へり
ゆふあかりのこりながしもすすき根にのこる雨水しろじろと見ゆ
手のさきに冷さ感じあるきゐて菊売るひとにあひにけるかも
丹波山(たにはやま)とほつらなりてうらがなし森博元※はいまあらずけり   ※夭折の友人
おもおもと空は低しもこぬか雨きみが柩車にふりにけらずや
わがまへにならびゐませるみはらからことごとく泣けばわれも泣きたり
ひるすぎて時雨やみたりわが友のむくろはつひに燃えはてにけむ
小雨ふる京のちまたをゆきければあはれま白にさざん花咲けり
ひと一人はふりてのちの身の疲れ電車にのりて東山に到る
ゆふあかり冬木のうれにしろじろと雲かかりゐてうごかざる見ゆ
ひたすらにゆふべとなればきみ思ふわかき心はすぎにけらしも
風寒き枯草原の起き伏しのかなたにひとはあゆみゆきにし
柿の木のむなしき枝にとびうつり千羽雀もものいはずけり
国原の中つところとある村にきみのゐまさむこともうれしも
青山の山かげの田の穂にいでて垣ほもしげきこひとはなりぬ
いまの世も世に立つわざを知らずしてこひするをのこしりぞけむとす
白き花われがおよびに咲くといひをとめに見しむそをも信じぬ
春の夜のあたりの風もしづもりて松のこずゑに双子星見ゆ
この道を泣きつつわれのゆきしことわがわすれなばたれか知るらむ

奥付

奥付


メモ:表紙のトリコロールの装幀は長女依子氏による由。年少吟の原型は自筆『嶺岡耿太郎歌集』


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