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いぐち しょうか【井口蕉花】『井口蕉花詩集』1929 【全文テキスト】


井口蕉花詩集

井口蕉花詩集

井口蕉花 遺稿詩集

昭和4年6月5日  東文堂書店(名古屋)刊

114p  18.5×13.3cm  上製函 \1.20

春山行夫・川合高照・金子光晴・高木斐瑳雄・佐藤一英編集   装釘 松下春雄 100部限定

国会図書館所蔵

函と本冊

函と本冊

扉


井口蕉花詩集 目次

序詩

白い蜘蛛
01.指に泣く王人
02.被呪詛者
03.MEDUSA
04.罌粟の惡念
05.渇仰散歩
06.枯草のセリー
07.美しき遊惰
08.春よ樂慾に窒へぬ
09.罌粟の惡念
10.病ひ
11.白光を虐げる
12.花のごとき孤獨
13.妄念に酔ふ
14.仰天の一節
15.青蛇は眠る
16.木蘭
17.乳色の像

墜ちたる天人
18.手
19.嬌春譜
20.繊巧なる法悦
21.春よ樂欲に窒へぬ
22.白い蜘蛛
23.跫音
24.孟夏
25.連翹の音を盗む
26.歓会の月
27.思ひで五章
28.花梗を求める白宵
29.時

エスキース・・・・春山行夫

目次

略歴


序詩

 落ち葉を焚く

晩秋の落葉を溜めてある朝ひそひそと焼けり
静かに火を挙げればわが賢明(はしこさ)と怜悧なる手の温みより
すべて飽くなき初冬の感情(こころ)は素朴の匂ひにうち霑(ぬ)れ
宿世(すぐせ)さびしい庭の大氣に音なく鎧(よろ)ふ風に流れて
いみじい思念の中に花くづをれるかとも見え
或は尼僧の影の忍びかに行過ぎるかの様に白く烟り靆(なび)きぬ
『おゝ汝がよき沈黙のなかに銀(しろがね)をもとめなば』
せめてはわが美身(びるぜん)の郷愁(のすたるじあ)の幽に遠く胸を弄(まさぐ)り
嘗て在りし日 山荘の寵人(おもひびと)が好める幸福(しあはせ)の蔓草(くさ)も雁羽色(かりがねいろ)の落葉もともに術なく焚けるを・・・・・・
あゝ そしてこの銹(さび)れる烟りの中に淡き新月の現れゐしを見たり


  

白い蜘蛛

01.指に泣く王人

私は鋭どい春の小徑に出ました。

すると悩ましい光と網とは私を囚にして
羽搏きのような愁と熱い獨唱の花とが
サフイヤの空とともに耽るのですもの。

私の渇いた唇にさしあてた指にも
病神經の霊に隅どるピクニツクの風にも
泣きすゝるよろこびの草の香がありました。

どこを歩いても哀れなスペクトル
春の時計の日は
美しい微塵がところどころの中空に結晶して
その響きの中に 夢みる大きな手が錘るんですもの。

犇々と柔らかさと汗ばむよろこびと 愛憐の影の私と、
逃れゆく胸の火に點じて感じやすい心臓に疲れた病息が、
咲いた卵色の百合にかゝるのです。
絢(きら)めいた草花と 病者の手は、
乾いてしまつた繊細の明るさではない?

一筋おかれた河に
戀の邪曲のやうに揺れ光る水と
蒼白い哀傷の地楡は
一人寂しさとよろこびの思惑と肺血の痛さをもつた私に
あゝ 儚ない 重い足のみ跼ませるのです。

けれど微細な薔薇が煙つたかのやうな
眞晝の精氣が
何處からとも知れない妖音を鳴り響かせてゐるのです。
草に倒れた私は感激の中に沈んでゐた憧憬と微酔に
うつとり瞳を閉じてしまふのでした。

それは何處からか不思議な杳かな細い喇叭の滴る金がとろめくやうな
そして微かな澄み合つた空中にと
その不思議な響きがつたはるやうで
私もやつぱり空を見ました。

空を過ぎゆく瞬間の風が響かす 限りない奇麗な響でした
私の充血した輕い猜みと焦だたしさは、
風の過ぎゆく響と、春が飾つた季節の眉とにしみじみ、
亂美の色をふるはせるのでした。

歩けばよい 歩けばそこに失へるものが炎となつて落ちてゐるかのやうに
音聲が小さな私の王人を呼ぶやうに、
たまらなく頸(うなじ)の血を打つのですもの。
いくら空にある日でも 胸にある日でも
美しい病ひの嬰兒のために豪奢な夢見心持を私は見せてやらなくてはならない。

私は美しい呪ひにその百合をとつて額をあて
血汐と空想と 忘我の裸體に火花のやうな慾情をさへ起さうとして
病が戀した指に泣くのでした。


02.被呪詛者(アナテマ)

輕い眩暈のする太陽の中に
私は病の愛憐に點した指先の輪光を見つめて
奇麗な寂しさをおもひました。

草の羽蒲団(クーザン)の柔らかさが
無精に淡い足の裏に吸ひよつては離れ
離れては擦り寄つてくる光の絲に哀感を紡ぎながら
そのほとりの幽韻に包まれるのでした。
そして私の胸のMEDUSA(メヂユサ)が見ようともしない夢の中に落ちこむやうに
色彩のもの影へと秘められてゆくのでした。
病念の貌(かほ)を搏つ 草の咽びや 春の香料は、
毛莨の金の明りを悩まして
私の白い足についた珠子の花粉が ふと立ち舞ふのでした。

優しいMITAよ、
美しい呪ひよ
風と微細な緑と青の 顫へる中に
ところどころ燃ゆる蛇苺は
熱恠(ねつ)の疲れの堪へがたい神經の破片でした。

物懶い河の水に温んだ亜麻色は
微睡(まどろ)んだ黄楊(つげ)の下に
ぎんぎんの泡沫をつくつて ひとつ消え、またひとつ浮んで溶渦(とろ)みました
私は午睡の甘さに
瞳を閉ぢて そこにゆつたり坐つて
わけもなく なき出しさうになりました。

病を戀して夢の中に
頬と思慕との褪せたる感傷の中に
顫へて泣きたい、霊を揺りあげて・・・・・・
こゝに亂れて戰く觸覺の花々や 怪しい春の跫音に煙る愁に
いまも病の被呪詛者(アナテマ)が泣かうとする背後から
忍びやかに來て私の肌理(はだ)を密つとかい擁いてくれる人はないか

誰か黒髪をふり亂して幻の白い腕を
私の頸に捲きつけて數多く 息づまるほど強く接吻してくれる人はないか。

そしたら私は蜘蛛が餌食を捲きしめて 吸ふやうに
無精に泣き貪るでせうに 唇に血をにじませて・・・・・・

あゝ 狂ほしい。
被呪詛者のこの愛憎の初夏を 肋の畦に咲いた晝の星を
泣けば力なくうなだれてしまふのでした。


03.MEDUSA

それは白晝の桐の花の冴えて落ちる音です、
夢うつゝに聞いた人聲の忍びやかさです。

それは初夏の愁の神經に響くさゝやきです。
薄絹をふりまく日の光です。

それは妖しいものの吐息です。
静かに、静かに物思ひしてゐた胸に
いつとなく微睡(まどろ)んだMEDUSA。


04.罌粟の惡念

私の錘(おも)い瞼は剥げて俛(こぼ)たれた。
そこに大きな罌粟の花が愁の惡念に咲いてゐた。
紫金に溺れようとする蠱惑よ
精艶(あざやか)な太陽の羽衣の下に亢奮する初夏の嗅覺よ。

懶惰の手はそのままに
大きな罌粟の揺れる明りを魅入つたとき
心像の中に美しいViolationは生れ
私は恍けてそれを貪り感情の小蛇となつてしまうた。
おゝそれは精力の[足+宛](のた)うつ夢だ。

この廢園に二つ大きな罌粟に舌を失ひ
私は[火+替]耀く初夏に顔を浸して
甘い空に新月(みかづき)の羊角(つの)が秘(ひそ)んでゐるのをふと見仰げた。


05.渇仰散歩

小鳥のやうな奇麗な風が
微塵の中空に舞つてゐる。

そのはるかな響の不思議さを
仰いで聞いてゐる。

それは 瞬間に響く美妙な竪琴
美しいしきりに爆發してゐる春の物音である。

野の小徑の鋭い春の光に
私は重たい足取で歩いてゐる。

彼方の青黛(クロサン)の山脈(やま) 淡紅色(マロン)の林
圓い海の水銀に十字架の帆は走りぬける。

私は渇仰散歩する
過ぎゆく風の中空を幻にしながら。

私は重たく歩いてゐる録金の鷄である。


06.枯草のセリー

冬のなつかしい情緒の日光(ひざし)は
明るく恍(ぼか)し點じ枯草のセリーにきます。

枯草のセリーの上は
わたしの首すじに練布(ネル)のような厚みのある氣體を生み
あはれゆかしい冬の日あたりは刺のない覇王樹の頭にも燃えます。

裏庭の閑楚な花床に
金柑の實が熟れてその輪光のいろや
木目のように流れる瞼の所現の
また仄かな心もちに觸れる陽あたり

冬よ 柔らかい朱欒に涙ぐましめ
珍らしく肺に汗するものゝ
土も匂ふ干草のセリーに身を投げ出して静かにあるとき
わたしは正午(ひる)の日時計に趁ひながら温みに浴びるのです。

そして或は冬の蝿をきいたり どこか大きな蜉蝣のまふさまを觸覺したり
小春日を吸ひこむでゐるわたしです。

私に束ねた枯草がかうもわたしの鬱血を晴らさうとするいとしい冬よ
わたしの傍で同じように眼をほそくしてゐる猫の毛の光ることよ
何にしてものどかなセリーの陽あたり

わたしと猫はうつとり背を燃やします。


07.美しき遊惰

わたしは蠱惑の指を顫はせて胸をひきしめ
熱恠(ねつ)にかきみだされてゐます
匂ひとその壓迫の霊は[口+僉][口+寓](あぎと)しながら
顔は光りにおしつぶされやうとし
感情は火に悩む蛇のように
妖ましい血と夢の像は香氣に呪はれてくるのです。
空は彩粉に罩められ
白日の焔は紫金をうちたゝいて冲り恍す
そして嬌婉の花葩は響もなく頽れかゝるのです
あゝ わたしは恰ら大きな花の精を喰ひ
嘘唏いて凝思する孔雀光(ラスタア)の昆蟲に悶へ
いまはさんさんこの金屬の血に戰ぐ羽衣を抱いて
 美しい遊惰に溺れようとしてゐます
華麗な淫殉の褥に極樂の婀娜者を見るように
太陽は幻となり花園に燻りV(かがや)くそのとき
神は眉を失ひ魔はあざむかれて樂しい戰慄をします
わたしは蝕ばまれた寶石に似た睚(まぶた)でいま怪しい夢を匠(たく)まうとしてゐます。


08.春よ楽欲に窒へぬ

繊弱(よわ)い神經でできてゐる音色をもつて
みづみづした女の乳の彈力をもつて
陽炎はわたしをひきしめる

春よ 香りのなかのひとすじの
煙りかと思ふ風のたちまよふ白日よ
わたしはいま薔薇を焚く空に魅入られて
妖しいほのめきをもつて重たくあるくその上から
昂奮の膩(あぶら)は濺(そそ)がれる

そして空中玻璃の宮殿に咲く
幻色の花びらのやうな粲(あざやか)な頬に
王妃が唇にあてた火焦花(まじようりい)の赤い
眞赤な怨みがふりかゝる

春よ その美しい嘆きをしたたらすものは
わたしの血情にたへずたましいを隈どり染めて秘めやかに病を虐げる

わたしは柔らかく肉たいのやさしさを抱き
かつて涙ぐましい日のおもひに耽り
睚(め)をとぢてその樂慾(ぎようよく)の窒(た)へぬ匂ひを
風は吹きそよぐ草園のちまたに・・・・・・

そして感覺の獄房(ひとや)を偸み出てきた蝶が
燃える花の上にやすやすとvIOLATIONを行ひ
たかく飛び立つたあとはわたしの肋骨の一枚が
 觸覺に失はれたかのやうな愁をたゞよわす
しみじみと春の嘆きをするためにわたしは心臓をもてあそぶ。


09.罌粟の惡念

青玉の空からふわりと風の翼が降りて
私の睫毛のふちに美しい色を顫はせる媚しさ

彩艶な光りの中に顔を浸してゐると
私のやさしい病躯の血汐がほつと愛撫の喘ぎをするのです。
そこには紫金罌粟が惡念に咲き
懈怠の眼はとろみ、燃ゆる甘さに唇は痙(しび)れました。

異性の乳房がうづくような、そして柔い丹念な指先に
 觸れる朱欒の光りが愁にうたれました。
私の涙ぐましい羽衣よ。
太陽は柔いバネスのように私を包んで草だゞみに
そつと病ひを横たへてそこに十字の罌粟を眺め入る幻覺(ビジヨン)よ。

春は湧いて色亢奮にみたし
蠱惑の瞼は みどりの青の草むらに咲いた罌粟に
 溺れるではありませんか。(饐へてゐる酔のうちにも)

私は印度大麻を啜るように淡精な心臓で
見あげると、青空にはひとすじ
 白い纓絡の雲が垂れてゐました。

私は美しい小蛇の感情となつて
 また罌粟の惡念に見魅るのでした。


10.病ひ

    T

病ひは驕りて夢は多く
彫金の手はいつか寂しき胸をつくる

    U

あはれ香蘭の日病めり
淡き夢よりわが目覺めたるとき
看護婦(おんみ)は薬のむ時刻(とき)を計りて
水差しの清水を硝子に瀉(つ)ぎゐたり

看護婦は平常より冷たき手をわが額の上にあてたるのみ
わが病室の哀傷の扉を軌めて去れり

晝開かれし窓の外に知更鳥(こまどり)は胸毛をやき声を刻む
婉雅なる桐の花はほのぼの咲けるを・・・・

あはれ香蘭の日なつかしく病めるが寂し


11.白光(ひかり)を虐げる

木葉は房ふさと垂れて疲れ
おぼろに懈怠を犯す畏怖の絢爛は
いとけなき白日をもやし
もの戀ふる私の印象のうへに
靭(つよ)く相觸れて風をば挑む

そこに快樂(けらく)の青葉はふかく照りおちて
小脳の響は襲(かさ)なり
實に瞳は病根を凝視(みつ)め
美しく香腮(おもひ)は私の純心に泊(は)て匿れる

されば白光の舌を虐げてもの云はず
鋭き驕る初夏の[木+聖]林(はやし)に幻を盗み來て
孤寂(ひとり)私の掌(て)のうちに青傷を鬻ぐ
そは情緒の胸に[口+寓](あへ)ぐべき若き祷りの透明(あかるみ)か
そは私の感耽を趁ふて集る死より新しき夢の奥秘である


12.花のごとき孤獨

美しき眉を白日にぬらし
虚空(そら)に指を瞶(みつ)むる
心霊(こゝろ)はあざやかに孤獨は花の如く純心は溜息す
匂ひは翔けり現身は慄(ふる)ひ
爛れを窺ふ香気に包まれてりら噴水の夢など追へり
かゝるとき水鳥の生殖おびたゞしくなりて
淑(し)めやかな我が掌に戰ききたる祈りこそ
青春華やかなその異端なるを。


13.妄念に酔ふ

かつて苦しき鸚鵡の血は塗られ
揺籃さびはてたる肋骨(あばら)の中に囚はれて
孤寂(ひとり)たまゆらの妄念に酔ふ

わたしは其處にまたも鵠(くぐい)の化身を夢み
祈りは堕ちて妖しき艶麗さは縷(いとすぐ)に縊(くび)られようとする

這時(かかるとき) 聖らかな孤獨の淵に棲む
わが華やかな傷心の魚を愛する

あゝ 快樂はただ幻想の池に潜み行けば
いまは譬ふべくもない嘆きの佛陀さへ來りて慴(おび)ゆる


14.仰天の一節

仰いでゐるとその雲はとうとい空に渡り
清浄なけしきは高く列んでゐる。
捉へがたい奇異(ふしぎ)な美と心は創られる

見よ 一條(すじ)昇る掌の噴水
霊は影と姿のその中に嚠喨と立ち騰る。

おゝ 紫水晶の柱を傳ひ
たぐひない神秘をもつて立ち騰る雲よ

聖天の彼方へ


15.青蛇は眠る

群がる光りに追はれて丘に攀(よぢ)れば
空の海耀き
わが交歓は飛びあがり魚のごとくに
聰明(さかしさ)をもつて盪心する

おお 額づける鸚鵡の絶唱とも
また天に鋭く玻璃けづる嘆きともなりて
わが遥かに青蛇は眠るぞ


16.木蘭

麗はしく實(げ)に圓光はほのぼのと空に魅入り
午餐の曇天(そら)に新しき古雅を燃やす白木蘭よ
わたしは樹下の微風を愛し驕春の心鬱勃とさせるのです

ああ その大いなる情趣は鮮やかな佛の恍惚(ひかり)となり
木蘭は蒼白くうたた陶快に眩(めくら)むのです


17.乳色の像

明るい芭蕉の花が緻くこぼれ落ち
白磁のやうな滑らかななつかしい空から辷ってくる風が
窓からふわりと私の寝椅子を戰かすと
透蚕(すきご)のやうな眠りとなる白昼(まひる)の。

開いた窓に流れる五月の氣色(ひかり)が
濃い青葉の寂(しん)と照りはへた澱みに忍びより
大きな艶のある觸覺がそこいらを泳いで
蝉の孵(うま)れるのを待つてゐるんです。

柔らかいセンジユアルな私は太股を伸して疲れ
白い聖書(バイブル)の文字を匐ふイメージは
これはまた恍やけてゐる眼のなかに現れた弄(なぐさ)みなんです。

あゝ 寂として私の首を撫でる物音もない新緑の砒素と
甘い亢奮が静脈の中に潜りこむこの白晝
私は侘しく匂ふ精氣を凝らしめ
いまは乳色の夢像が昏々としてゐるのです。


  

墜ちたる天人

18.手

    華やかな殺生を愛する手 ゆめ幻を噴く手 淫樂に匂ふ手 あゝ美しき罪人の手(わが手の一節より)

繊細(ほそ)き蛾のごとき手よ
青傷の光に泣ける手よ
十字架の青き芽を潤した手よ
盲(うしな)へる黝き月を指した手よ
夜ごと密房(へや)に鍵卸せし手よ
鷄小舎に擾(さわ)げる蚊を捕へし手よ
妻の懷妊(みごもり)を啄きし手よ
物乞ひの犬の背を撫でし手よ
喰へぬ木の實を投げし手よ
艶めいて酒盃(さかづき)を煽る手よ
實(げ)にこれらすべてわが奇怪(アブノーマル)な片手なり


19.嬌春譜

いまはさかんなる金屬の音色と香料を噴き上げてスペクトラムを鏤み
草木の銹るこのなかに多くの妖精たちが花を焚(や)くではありませんか?
閉ぢて仄かにまた開く瞼は爛れ大脳の疲れは肉に堪え入り樂しい戰慄をします
恰(さなが)ら病める鳳凰は南國の肌も呪はしく微睡(まどろ)み
香料は地熱とともに虚空の契點(さなか)に吸ひ合ふて微塵となるのです
私は現(うつゝ)なき血汐の悲鳴に悶へてくるのです
そのほとりに昆蟲らはよろめき伏し花は咽び
空を辷るそよ風は蕩心の色 畏怖の色を啄んで幼い蠱物(まどはし)のけむりとなるのです。

私の白臘の手 白檀の足の鳳梨(あななす)の唇へ怪獣(デモン)が飛びまはり
蜜蜂の神や森の侏儒 蜴蜥の兵士 風鳥の姫など
或は繊い病笛を吹き 蠱惑の銀琴を鳴らし
異端のパレツトを覆し神秘の擾騒(どよもし)をするのです
その時です 降りた白い雲が瓔珞となり
 山の霞が青い女蛇となるのは・・・・・・
樹は青銅(ブロンズ)に嘆き 花畑は瑪瑙の上に躍り 河は黒い熱を吐き
私は銀の屍のやうにその上に浮現(うきあらはれ)する幻となるのです

あゝ 汝(おまへ)は天の羊が(ママ) 私は美しい地獄に生れ
 この高貴(いみじ)い白日夢曲に假睡するのです
汝よ 遥か空より墜ちて來い
そして人間でゐられなくなつた私の嬌春譜を空の花に魅入らしめ
汝の翼に抱擁(いだか)れもして現世瑰麗に顫(うご)きくるふでせう


20.繊巧なる法悦  佐藤一英兄に贈る

初夏(なつ)ふかく尤(い)と寂しげな疎林のなかに
價とうとき青空(そら)を眺めた
それは新しい淋漓の白日
わたしはひとり麗貌の冴ゆるを覺えて
所どころ樹の間の偃(ひなた)こぼれる徑を
その風淑めやかな所を影短く歩いた後に・・・・・・

わたしはあゝ聞いた
見仰げる黒い梢に火のこゑを喚んだ小鳥の
暫し感裂の窃(ひそか)なる精氣を・・・・・・
また遠い樹の間に血痕の印しあるのも見た
わたしは旬日花少ない疎林を逍遥(そぞろあるき)し
いまは全く新緑の情に爛明(あかるい)繊巧なる法悦を口誦む。


21.春よ樂欲に窒へぬ

さかんに湧きあがる春の温氣に煽られて
蒼白い羽蟲がわけもなく私にとまる神經は輕く寂しい
私の心臓がちくちくと汗に刺され
肉體のあこごれ(ママ)のイメーヂにとりすがるとき
 蠱惑のふるへは匿(かく)されて
黒い琥珀の兔督郵(はにぐま)を抱いて忍びなきする怠惰よ
 また麗しい艶めきの胸よ 現(うつつ)よ
精氣はけぶるその中に澄めるたましひが
ふんはりと降りて また ひらりと翔ひあるく孤獨は
 桃色に装はされてよろこびに哭(な)くのです
野べのあかりのうれしさに
蹌踉と力なく愁の觸手を抱きあぐむ白日(まひる)の温かさに
うんざり額を太股に埋めて
痛む瞳を可愛くしづかにも思ひに耽つてゐるわたし
病院を窒(いまし)める匂ひ あゝこのわたし
黄なるセルロイドのひゞきから
女の乳の甘さをしぼつてたゞよつてくる氣光よ
わたしはそつと瞳(め)をあけて
白く淋しい指紋をみ 泉のやうな空を仰いだ
そしてふつくらと手の股のやうにふくれあがつた
山脈の影のうれしさに
その遥かに遠くいちれんの雲が
 うかんでゐるのをなつかしむのだ。
あの美しい桐の畑も橄欖(オリーブ)林も圓い霞に包まれて
 冲きあがるやうにぼーとする
青い桑畑や草原 農家生垣の間をくゞつて
 黄色い電車が走るのを宙冲りになつて消えたりして
胸を趁ふてくる微風がいつしらずに淡く
わたしの瞳を閉ぢさしてしまふ
いつかいちれんの雲も見えずなつた
空はひはいろかわはり どーんと午砲(ひる)のもの懶いおとがきこゑた。
わたしはやりどころのない溜息を投げるのでした
金の猫(日光)を抱きよせてゐたわたしの溜息をほつと・・・・・・


22.白い蜘蛛

あゝ とうどう(ママ)わたしの胸のうちに
 冷たい情緒を絡みつけてしまつた
それはいみじく艶めいた寵(おもひ)の中に現れた
 白い蜘蛛の仕業です。


23.跫音

 わたしはいま剪りとつたばかりの薔薇を
 不思議さうに見てゐるのではありません
この薔薇のなかに現なく音楽が響くのを聞いてゐるのです
鮮かな蕩心に匂ひをうつしてうつとりと
 草によりかゝつてゐるのです
あゝ 恰度いま花の中で小さな幽霊(エルフ)が躍つてゐる跫音が
 かすかにきこえるではありませんか


24.孟夏

呼吸(いき)窒(た)へぬばかりに熱風がくる
こゝの罌粟囿に緘黙し彳めば
旺んなる罌粟はわが額に眩(くる)めく
慘(いた)ましきその昏睡の午後である
ふと黄なる蜥蜴は幻影のやうによぎる

煌(や)ける日はこの孟夏(なつ)である
太陽はいづこにか金猫を悩殺したであらう
わが肉親の蠱毒もいまは堪えがたい。

異様に物音のないこの霊魂のあしき唇を嗄らし
恠しい火喰蟲の疫む體(み)を擁きをるが
あゝ金屬の叫哭(かなきり)こえがする

罌粟囿のなかに血と爛れを胎んで死ぬは寂寞の土である。


25.連翹の音を盗む

四邊(あたり)は未だ仄暗い黎明(しののめ)です
この虚空上層に立ち罩める濃霧(きり)は深く
蓮池(はちす)は神の牢獄の上に眠つてゐます
時あれ下界の何處(いづく)にか庭鳥のひと聲たかく
寂寞を破り感嘆しければ
蒼天よりやゝ光明(あかるみ)を増してくるかと覺しく
嚴かなる雰圍気は遍(み)ちる
おゝ 蓮池の中なる宏いなる蓮の花蕚(うてな)に凭れて
 眠つてゐたのは新しい古恠です

重たげな力の下に揺れるともなく
黙祷(いのり)をきく静謐(しづか)な霊化の韻(ひゞき)は
これは我が“ぴうりたん”自然(おのづ)と智(し)れる
 不思議なる實在世界(もの)であり
涅槃より生れきたる姿相(すがた)のそれかと似通(まが)ふ
蓮の花梗の貌よ
花魂(はな)よ おんみらおめおめとたちさはぎ
誰か水に咳(しはぶ)きするかと思はれる 聲音(こゑ)勃(す)るをきくは
人らみな厦(いへ)に棲(ひそ)み覺(めざめ)ぬ不可説な昧爽(あさ)、
 仄暗い時刻(とき)のことです。


26.歓会の月

わが殉情を弄姦(なぐさみ)にする秋よ
この蠱體いと美しい夜の酒の對手(あいて)にすれば
恒に肉感を窘(くるし)めようとするは 罪人の慣(ならひ)か?

其處に女精の唇と蠍座(スコルピオ)現はれよ
最早夜鶯の聲は外苑を去つてしまつた
この白宵(ゆふべ)大古の如き静謐(しづけさ)を領し
兩つの盃杯(さかつき)に冷たい蟲の聲をあさつた

せめて駘樂のなかに躱(かく)れた血貌の姿よ
懶惰の手を持つた薔薇盗人の心像(こころ)を
いま樹の間に昇る月の蒼い籟に歌はうか

いやそれでは智呆の白い幻の蜘蛛が
霊智(たましひ)の中に浮現(うか)び出て胸に思情を絡むであらう
さめざめと抱擁して死布(かけぎぬ)を破るに相違ない

妙(よ)き書物も 好(よ)き愁憂(うれひ)も 高雅な殺戮も 觸手ある偶像も
この白宵 脈搏より 勃(おこ)る胸膜(むね)の中に
色欲の薔薇花火のやうに現はれる恐ろしい歓びがある
這(こ)は酒精に倚(よ)つて祭司(まつ)る陶酔(よひ)である

あゝ暫らく肌膚を捲いて呉れる妖しい手と髪はないのか
讃めよ わが霑(し)めれる額を嗅がうと
いま樹の間より静かに惡魔的情婦の月が昇るぞ


27.思ひで 五章

祈るともなく現れて霊の契點に浮び出る思ひ出よ

過去(むかし)白刄のひととき危きサンチマンタルの行衛か
凄き笑ひを持ちて胸に甦る思ひ出よ

わが静かなる指紋よ
白き繊き手にいつも殘酔の香を載せる思ひ出よ

逝ける多くの日哀れなるは
 哭きながら毒杯に苦しめる嬰兒(みどりご)よ
父王(ちち)の嘆きに衰へて肋骨(あばら)に捉(つか)まる思ひ出よ

殉情よ 思ひ出よ 青春の緻(あやち)もいまは唇の皮幾度も破れ
 夢に彩(いろどり)なく
たゞ老いたる黒瞳(ひとみ)少し大きくなりたるのみか


28.花梗を求める白宵

いまひとたび野の花をこの冷たき額の上に宛てよ
逍遥(さまよ)ふは力ない秋の光(ひ)にぬれる思慕(おもひ)である
枯れ草のしらじらと吹くは薄暮の風である

私は昨日衰へた指先に花を求めて歩いた
これは病める者の慰めにして
胸はそこはかとなく涙によってさそはれる

時あって夕陽が射せば
此処は寂しい蚊帳吊草を赤く染め(私の影は長く仆れた)
あゝ 誰となく遠くで吹き澄ます草笛をきくは儚い

せめては傾斜(なぞへ)の方(かた)へ行つてみよう
もし明るい花に手を触れて
 たまゆらにやさしく向ふとすれば
寂しらに靡く草影に凭れて
 空しい追想(かたみ)も抱いてみようものを・・・・

白宵聖歌(うた)ごゑもなく祈念(こころ)だに陽は没した
[木+聖](かわやなぎ)の影も鎖されたけれども一筋つゞく小徑は青白い
苟且(かりそめ)に清き山蘿蔔(まつむしそう)の大いなるは見あたらず敢(はか)なく
 心疲れを覺えた

あゝ いまひとたび鈴の花をその冷たい額の上に宛てよ
しみじみと來るよき愁に
己が生命の心と孤独なる情を思へば・・・・


29.時

蒼白めた葡萄の葉かげに
昼の月のミニアチュール


エスキイス  井口蕉花の詩について  春山行夫

 用途なしに置かれるであらう極度に技術的な構造を持つた機械があるであらう。ひとびとは僕たちが決してそれを實現することが出來ないであらうにもかかはらず、 しかし尠くとも現在と未來の都會を區分するであらうところの、巨大な都會の設計を精密に計畫するであらう。途轍もない、極度に完全な、ひとがそれに殆ど及ばない自働人形が、 僕たちに行動の正確な観念を植えるに役立つであらう。
 詩的な創造は、やがてこの確實な性質を取入れるため、謂ふところの現實のかくも奇異な境界を移動するために喚出されてゐるであらうか?ある種のひとびとが、 記憶の能力とは別個に所有する喚起の眞實の賜である。ある種の幻想的な力は、最早無視されないであらう。

                 「現實の貧困に就いての序説」 アンドレ・ブルトン

                  ★

 井口蕉花についてひとびとはあまり彼の詩を語れない。彼の詩は詩なのであるか?
 彼は詩を書くのであるか?恐らく彼はあまり詩を書かない。僕たちは彼が詩に書かない詩を知らない。彼の書く詩は、彼の書かない詩の屑だ。彼は書かない詩を書かうと、 ただその努力だけであまりたくさんの詩を書く。勿論、それによつて、彼の書かない詩は一層彼から遠くなり、一層完全の度を加へる。なにが彼に詩を書かせるか?
彼の詩は彼をわるく表現してゐる。

                  ★

 彼の現實の生活は彼になにものをも與へない。彼は彼の現實の生活からなにものをも受けてゐない。彼の希望は彼の現實を二十倍に贅澤にすることである。 しかるに彼の現實は彼に二十パーセントだけしか滿足を與へない。彼が現實の生活に對して二十遍の虚言で手形を亂發する所以である。

                  ★

 彼はシユウル・レアリストであるか。彼の希望は時に藝術的な病氣にある。彼はそこに於てのみ初めて情感(センチメント)を静かな病床に見出す。 彼は現實に於て純白なシイツに睡るか?彼は少女の看護婦に香蘭の花籠を枕元に運ばせるか?が勿論そんなことはどうでもいい。彼は幻想の馬車に睡つたまま、 やすやすと彼の入院を申込む。彼は生活を生活しないのか?彼は現實を回避するか?彼はそれに答えるためにだけ、彼の日々の侘しさを、愉しさをそこから通信する。 それがいかに生活に値し、現實的な光りに滿ちてゐるかを。

                  ★

 神は彼にあつては、彼の不器用な肉體を彼に與へたといふ怨恨だけで彼に存在する。
神が彼の肉體を不完全につくつたにかかはらず、彼がいかに彼自身で“やつてゆく”ことができるかを證明するために。彼は夢で現實を破りながら生きる暗夜の燈臺である。
光がとほりすぎると闇がすぐその過去を縫ひつける。彼から彼の肉體について多くの歴史を知ることは不可能だ。彼は彼の歴史を蟹が空間を捧げて歩くやうには捧げない。
彼自身が最初にそれを拒絶してゐる。僕たちが時々の彼に接觸する。そして彼を識つたと思ふ。しかるに彼はそのことに毛頭責任を持たない。彼の二十人の友人は、二十人の彼と交際する。

                  ★

 文明は彼にあまり價値がない。郵便に用ひられる總ての機關を除いては。何故といふに、空想の一部分が偶然によつて現実化したものほど彼自身の感覚や環境に對してまだるつこいものはないからである。 その點で、彼は郵便を──若しできたら無線電話を──唯一の文明の恩恵であり、退屈から彼を救ふ救濟機關だと考へてゐる。彼は彼の友人に手紙を書きそのなかで通知するアトリエのカアテンのことで、 一週間位苦勞する。彼はそのために氣をもんだり、遣繰を考へたりしてやつとそれを決定する。さうして彼は安心してそのアトリエから戸外へあるきだし、そしてポストにそれを投函する。 そのやうにして、彼は何十回でもアトリエを空想し、かはるがはる新しいカアテンを用ひることに不足しない。また彼はポストへ入れたばかりの手紙を訂正するために、急いで僕のところへやつてくる。

                  ★

 彼はひどい近眼視で彼に雲が見えるかどうかが疑問だ。彼がとほりかかると、路傍の木や花が彼を呼びとめる。まごまごして彼はあまりに多くの挨拶をしてしまふ。 また彼は新しい花や果物を好んで買ふ。それによつて彼は花園の一部分に面しながら仕事をしたり、ぶらりと果樹園を散歩する。

                  ★

 詩は彼にとつては患者用のコルセツトである。そのコルセツトを彼は時々脱いでしまふ。ミユウズが彼を擽りやすいように。彼はひとりで聲を立てる。するとかれの文學が顰め面をする。 彼はひどく周章てて現實を裏返しに着てしまふ。彼の詩が情慾(デジイル)のままなのはそのためだ。

                  ★

 彼の時計には一本の短い針しかない。僕の旅行に際して彼は頑固に貸してやるといふ。

                  ★

 蕉花とはバナナの花であるか。芭蕉、バナナ、Banalite

                  ★

 彼はまるで彼の詩を推敲しない。彼が詩を書くのは、文字の鐵片たちを磁石に吸ひよせることだ。彼がそれを書き終へそれを僕たちに見せると、磁力は消え、 文字たちはバラバラに紙の上に散つてしまふ。それに氣がついて、彼は急いで書き直す。一體彼の仕事場にはグラムマアとハンマアとが同じ場所に置かれてゐるので、 時々僕はグラムマアのつもりでハンマアを振回し、彼の詩を一層コナゴナにしてしまふ。彼の大型の銀行簿記のノオトに書き飛ばされてゐる、バラバラに千切れたインキの雪崩がそれだ。 夢が彼を訪れぬ日、彼はその雪崩を見ながら、ゆつくりそれに詩を反芻する。

                  ★

 彼の詩に色彩があるか?不思議に彼の詩には色彩がない。彼の詩は無色だ。彼の詩は褪せない。

                  ★

 彼は寧ろ家畜と懶惰に話す。彼は贅澤な空想を遠慮しながら夢見る。

                  ★

 彼はポオやホフマンを原文でしか讀まない。彼はポオを讀みながら、ホフマンの話を讀んでゐる。彼は愉快になつてそれを翻譯したり僕たちに筋道をつくつてくれる。 彼の語學はどこの國にも屬さない。また彼はブラブラ遊んでゐる外國語と識合ふ。彼は詩を書くまへに一遍だけ辭書を繰つてみる。がどの頁にもない。しかし關らず彼はそれを詩に書いてしまふ。

                  ★

 君等の無知な批評をしないでは作品の見られない讀者たちに對して、僕は結局彼が天才であることを保證する。唯彼の天才は、天才を充分技術的に發達させることの出來ない天才である點で、 他の多くの天才と異つてゐる。彼はまるで働かない天才である。

                  ★

 彼の詩を賞讃することは、その賞讃者が間違つたものを賞讃してゐる證據である。
彼が彼自身をマガヒものだと知つたら、彼はもつと得意に詩を書くだらう。それ程彼の詩は正直過ぎる。

                  ★

 彼は時々出掛ける。グンニヤリした扁平な鳥打帽詩を冠つて。遂に彼はどつかへ出掛けてしまつた。僕たちは彼の葬列に列し、彼の石油箱一杯の原稿をカキ廻はし、 さうしてこの詩集を出版する。カムチヤツカと澎湖島とを同時に發音するこの行衛不明の選手は、それをどつかで讀むだらうか?あるひはあとで絶版を悲しむだらうか? しかしそんなことのために、折角の失踪の成功を、彼が僕たちにまで破らないことは確かだ。

                  ★

 Demon litterature on le Prodigiuse fecondite(フイリツプ、スーポオのロオトレアモン論)
ロオトレアモンの詩がさうであるやうに、彼の詩もその部類に屬する。彼は天使をあまり夢見ない。彼を偶像視すること、それは彼を一層醜惡にする。
                                        三、一九二九


目次(前掲)


井口蕉花・略歴

明治二十九年
 十一月十日 名古屋市中區七曲町に生る。本名、井口三郎。

明治三十五年
 四月、東區芳野町、縣立第一師範學校附屬小學校に入學す。學年末、成績優秀のゆゑをもつて賞を受く。
 翌三十六年、長久寺町より善光寺筋に移轉の結果、撞木町、棣棠小學校に轉じ卒業に至るまで同校に學んだ。
 在學中、次第に視力減じ、向學の精神に燃えながら、志を得なかつた。
 小學校卒業後、父兄の勧をいれず、奉公に出でんと思ひ母に乞ひ、紹介業者の手を經て衛生夫となり、陶器畫工の見習となり、のち轉寫紙製造の技を探求しえた。
 その間、短歌、詩作、評論の筆をとり、獨學よく英佛露の原書を漁つた。

大正八年
 三月、高野千代子と結婚す。

大正十年
 四月、詩誌「赤い花」を春山行夫と編輯し發行した(通巻7冊)。男子、三樹衞を挙ぐ。

大正十一年
 九月、詩誌「青騎士」を高木斐瑳雄、春山行夫、斎藤光次郎、岡山東、三浦富次等と共に發行し、専らその編輯に携はつた。名古屋詩話會の發會をみ、佐藤一英、野々部逸二、安井龍等が加わった。

大正十三年
 四月十八日、主税町四丁目の自宅に逝去す、享年二十九歳。自宅に佛式をもつて葬はれ八事山に荼毘になる。墓所、東區高岳町、高岳院の墓地。謚號、覺誉蕉花好道居士。

大正十三年
 六月、「青騎士」は井口蕉花追悼號を餞とした。本號をもつて青騎士は廢刊す。

  井口蕉花詩集 畢

奥付

奥付

凡例

表記は仮名遣ひの不統一(様・よう・やう)などすべて原本に従った。ルビは( )内に、また表示上該当漢字がないものも( )に読みを記すにとどめた。(追って改良します)。
新漢字のあるもの、明らかな誤植はこれを改めた。詩篇には頁の代はりに番号を新たに付した。(編者識)

【付記】
本詩集公開にあたりましては、書影撮影・テキスト書写に関り快く原本を貸与下さいました郡淳一郎様に深甚の謝意を表させて頂きます。ありがたうございました。


コメント:
 長らく「幻の詩集」として名を馳せてゐたこの稀覯詩集も、たうとうテキストの全文が掲げられることになって、その原本の価値も「骨董品」として茲に安んずることとなった。 これまで名古屋の戦前詩壇を俯瞰しようする際に立ち塞がってきた最大の障壁、すなはち大正末年の同人誌「青騎士」の中心的存在として活躍しながら、 自身の命と共に雑誌の幕引きをして伝説に語り継がれる詩人となってしまった井口蕉花そのひとの詩業を、詩集書影と共にこのHP上で今回顕彰することができたことについては、 郷土詩人の業績を追っかけてきた管理者としても些かの感慨なきとしない。「春山行夫詩集」(吟遊社,1990刊)所載の初期詩篇、「棚夏針手詩集」(蜘蛛出版社,1980刊)、 或は彼と同じく大正末年に夭折して、装幀ともにこの本に倣った遺稿詩集 「夜の落葉」(東文堂書店,1931刊)を仲間によって編まれることになった野々部逸二の詩業とともに味はって頂ければ幸ひである。

 さういへば何の符合によるものか、この詩集の序詩もまた「落葉」を歌ってゐる。野々部逸二の詩集タイトルに限らず、戦前名古屋詩壇における詩人達の作品を見てゐると、 不思議に髣髴させるイメージとして私には「陽だまり」「小春日」「木漏れ日」「落葉」「焚火」といった、表日本の晩秋から初冬にかけての歳時記キーワードが連想されてくるのだが、 どういふ理由からだらうか。ただし井口蕉花について語る際には、いまひとつ、日夏耿之介や大手拓次の影響を感じさせる“濃いい部分”にも触れなくてはならないだらう。 つまり、「青騎士」以前からの一番の親友だった春山行夫が、後年のモダニズム詩のなかで、“白いペンキ塗りの洋館に住む微熱がちの”、 繊細な抒情青年「恒(つねし)くん」のイメージとして回想された井口蕉花の肖像は、それを「光」とするならば、正しく「影」といふべき、 退嬰的なエロチシズムを纏った孤独で陰鬱な悪魔主義の半身を茲に現はしてゐるからである。

 確かに「青騎士」メンバーの中でも、高木斐瑳雄が、ホイットマンや佐藤惣之助といった向日的開放的な抒情に私淑した一方の代表と立てられるのであれば、 井口蕉花はおなじ孤独をうたっても反対の極で、陰湿な日蔭にひっそりと育つ茸のやうな、閉鎖的で無音の詩風を春山行夫とともに育てることをもって最右翼を任じたものに違ひない。 ともあれ二人が故郷名古屋で丹念に築き上げてきた口語象徴詩の閉鎖的世界は、病弱だった井口が没することによって終焉を迎へることとなったのである。彼の死の衝撃は、 同人誌が彼の追悼号を出して潰れてしまったことをみてもわかるだらう。さうして親友の死を乗り越えて新しい出発をするためには、つまり感性がモダニズムへと“変態飛翔”する際には、 井口蕉花といふ存在は、破られるべき「蛹」のやうな役割をもって青年春山行夫の前に立ち塞がったものに相違ない。春山はその袋小路の呪縛から逃れるために生活環境さへ一変させることを決断する。 故郷を出奔して上京したのである。さうして井口が自家薬籠中のものとしてゐた異常な象徴イメージの行きつく先に、開花するべき“シュールレアリズムの幻華”を仮想することによつて、 彼の業績と自分の習作時代とを、自らのモダニズムへの年代記に体よく位置付けることに成功したのである。それが、この遺稿詩集が担はされた稀覯本としての宿命であり、 春山にとっては過去を清算して振り返ることのできるやうになった昭和4年のこと。その前年にはすでに「詩と詩論」が創刊されてゐる。 しかも井口との蜜月時代は終に春山のモダニズムの性格を決定付ける抒情の核として、モダニズム色に“白く漂白されて”刻印され、 以後「詩と詩論」発表の春山の諸作のなかで結実していったのである。さて、一方の友情の証の現物は・・・、 限定100部の地方出版詩集といふ函のなかにひっそりと封印され・・・・春山行夫はこの年長の友について、言及することはあっても、戦後を通じて一度たりとも詩集の再刊を企てることはなかった。 尤も彼自身名古屋に帰ることなく、その詩業さへ長らく限定版詩集の中に封印して平気だったのであるから、 「中部日本の詩人達」を執筆するために会見を申し入れた久野治氏を拒んだその心中を察することは困難であるには違ひないのだが。

 「青騎士」とは一体どんな集団であったのだらう。雑誌の復刻が未だされない今、グループの中心人物達の単行本の業績がこれでほぼ全て出揃ったことは、 喜ばしい限りである。今まで回顧することさへ困難であった空白の意味とともに、地方詩壇の雄として一頭地を抜きんでゐた名古屋戦前詩壇の精華を俯瞰して、 詩史上にいつでも誰もが検証され得る形で位置付ける作業をさらに継続してゆきたいと考へてゐる。(未完 2003.1.6初稿up)

 四季派の外縁を散歩する「名古屋の詩人達 その1」


いぐち しょうか【井口蕉花】(1896〜1924)

文献

「井口蕉花ノート (一)」木下信三著 「東海地域文化研究」第2号 1991.5 73-82p
「井口蕉花ノート (二)」木下信三著 「東海地域文化研究」第3号 1992.6 54-69p

「井口蕉花の追憶」 坂野草史 詩誌「詩人時代」第5巻2号(昭和10年2月号)71-73p

 まことに不遇であったこの故人を偲び、語る事は、私にとって傷々しく堪え難い思ひがある。と同時に、郷土に於ける一先覚者としての、この故人の足蹟を顧みることによって、 当時黎明期にあった名古屋詩壇、乃至は「日本詩人」を中心に最盛の面影を示しつつあった日本詩壇への、大きな影響力に想至して、時・人・物心の劇しい流れの中に、 事新しい想ひを致さずには居られない。

 この故人なくしては、全く現詩壇の一分野も、又尚、地方詩壇中の王座を極めた名古屋詩壇詩運動史の重要な意義も、半減せられてゐたに違ひない。 この故人の大きな陰の勢力或ひは不思議な黒い感化力が、いつの間にか日本詩運動の核心にまで喰ひついてゐたといふ事が、宿命的な程強い魅力となって我々を捉へ、 且我々をして一層故人に接近せしめるのである。聞き伝へるまま、偲ぶままに、この故人の逸事を一二誌してみよう。

 故人の身辺縁故に就いては甚だ漠然としたものがある。最も親しい友人として、春山行夫、佐藤一英、高木斐瑳雄、金子光晴等の諸氏を挙げ得る。 特にその内でも春山氏とは裏合せに居を構へ、両家家業の近似も手伝って詩人としての、そもそもの交渉成立時代から最後侘しく生を終るまで所謂「竹馬の友」として、 肉親以上の友情が交されてゐたものであるといふ事だ。竹馬に乗る事、詩を愛する事を知り詩作し、そして詩論を構へる事、総て春山氏は井口氏に、深くその影響を被ったと云はれてゐる。 殊に後年、春山氏がその先鋭な論法を以って変幻自在、縦横無尽に論じ尽くして行くあたりは、全く井口氏のやり口を見るやうだ。とは高木斐瑳雄氏の述懐である。 この故人なくしては或は春山氏も現れなかったかも知れず、更には後年「詩と詩論」によるすさまじい新詩運動も、あれほどの華々しさは見られなかったかもしれない。 この辺の消息は、誰よりもむしろ、春山氏が最もよく自覚されてゐる事であらうし、その故に詩としても故人を思ふてはひとしほ感慨深いものがあらうと思はれる。

 大正十年四月(井口春山)二氏共営で詩誌「赤い花」を出版するに当り、当時故人が陶器面に腐食印刷を施すを家業としてゐた関係上、手刷印刷機械を家蔵してゐたのを利用し、 自費を持って九ポイント活字を購入し、交る交る一頁づつ組版し、出来上がれば機械に掛けて一枚づつ刷り刷りして終に一冊とするといふ熱心振りで、それがまた可成り好評を博したものである。

 此間、更に高木斐瑳雄氏と相識り、佐藤一英氏と交り、漸く名古屋詩壇の主流をなすに及んで、益々詩への情熱を高めて来たが、時既に職業上より健康を害し、 晩年悲惨の最後の第一歩が故人を襲ひ始めたものと思はれる。然し乍ら故人の気概は寸毫もその気配さへ表はさず、愈々自在に、愈々精悍に詩運動に笞うち続けて行くのみであった。

 故人の生誕の地は一般には名古屋市内と信じられてゐるが、「実は佐渡だよ」と述懐したと高木斐瑳雄氏も語られてゐるが、此に就いては面白い挿話がある。 といふのは、故人は常に詩稿といふものを一定にし、整理して置くといったやうな事は少しもなかった。個人が「赤い花」に次いで大正十一年九月、高木斐瑳雄、春山行夫、佐藤一英、 斎藤光次郎、岡山東、三浦寅次、澁谷榮一、野々部逸二の諸氏と共に名古屋詩壇画期的詩運動であると同時に他地方詩壇啓蒙運動でもあった「青騎士」中心の運動を企て、 此に従事する間も、しばしば原稿を書きっぱなして春山氏の机の中へほり込んで置いたり(青騎士発行所は春山氏宅であった) さもなければボール製菓子箱の内側にペンで書き付けたままにして置いたりなぞしてゐた為原稿の所在がわからず止むなく不載のまま出版するといった具合で、 井口氏はなぜ書かぬか?といふやうな疑問を人々に与へる事もしばしばであった。が実はむしろその反対に可成り多作家で、ぐんぐん書き飛ばしたものらしく、 その点に於て後年友人の手によって出版された遺稿集のエスキースの中に春山氏はこんな事を述べて居られるのを見受ける。

井口蕉花についてひとびとはあまり彼の詩を語れない。彼の詩は詩なのであるか? 彼は詩を書くのであるか?恐らく彼はあまり詩を書かない。僕たちは彼が詩に書かない詩を知らない。彼の書く詩は、彼の書かない詩の屑だ。彼は書かない詩を書かうと、 ただその努力だけであまりたくさんの詩を書く。勿論、それによつて、彼の書かない詩は一層彼から遠くなり、一層完全の度を加へる。なにが彼に詩を書かせるか? 彼の詩は彼をわるく表現してゐる。

 事実、故人程幻想力の豊かな詩人も稀であるし、亦故人程文学活動に於て多角的な才能を示した詩人も珍しい。ほとんど正確な学歴としてない人であったが、 秋田雨雀、生田長江氏等によってエスペラントが伝へられるに及んでは直ちにエスペラントを、自らは亦独学よく英・仏・露の語学を習得し好んで原書をあさったと伝へられる。 春山氏の博学独習のねばりも、佐藤一英氏の頑張りも、また故人に影響される処多々あったのではないかと私かに思ふ。 そして常に机上に備へた大型の銀行簿記帳簿に矢鱈無性に何彼の詩歌を書きつける癖をもってゐたもので、それが一つの不可解な謎を詩壇に投げてゐる。 といふのはその書き付けられた詩篇の幾多に偶々「本間五城原」と署名せられてあったのが果たして故人のペンネームなのか、それとも全く別人なのか、全然不明、殊に当時二三の詩誌に、 「本間五城原」のサインによって殆ど故人と同傾向の作品が載せられてあるのを見るに及んで、友達は全くその真偽の程を計り兼ね、遂には大勢一致して井口即本間といふ事に意見が傾いてゐた折も折、 大正十三年一月講演に来名せられた金子光晴氏がそれを耳にし、帰京せらるるや直ちに「名古屋で本間に逢った。本間はとても面白い男だ」と友人間に伝へられたのが原因となって、 全くそれが決定的な事実と信ぜられて来たもののやうであったが、数年前の事、佐藤惣之助氏が招かれて佐渡へ渡られた時、偶然にも「本間五城原」と名乗る男とめぐり逢ひ、 「嘗ては詩筆を執った」と語られた事から謎は再び新しい息吹を吹きこまれた態となって、又新しく友人間の話題となったことであるといふ。

 兔もあれ斯ふした一面華やかな詩人的生活の中にあって自らは陰鬱な健康に苦しめられ乍ら、尚昂然として詩を、シュウルに属する象徴の色濃い、 そして宿命的な音響のはげしい、それでゐて不思議に病的な妍麗さのある幾多の詩を書き続けながら、遂に大正十三年四月十八日淋しく逝去して行ったのだ。 思へば最も古い闘士であったこの故人が親しんだ詩友佐藤一英氏は大正十一年四月に、更に春山行夫、 高木斐瑳雄の二氏は翌十二年三月に日本詩話會に推され夫々の光ある途に進んで行かれたのに故人のみは何の故にかこの推挙に洩れ、独り寂しく地下に睡り続けるのである。 が然し、その影響の大きな拡がりを思へば、故人も亦慰められるものがあらう。故人を繞っては「ひとみ」「曼珠沙華」「赤い花」「独立詩文學」「青騎士」等幾多の生彩ある詩誌が営まれ、 故人亡き翌々月には、青騎士を以って故人の足蹟を飾り、更に昭和四年六月には春山行夫、川合高照、金子光晴、高木斐瑳雄、佐藤一英の諸氏によって故人の詩篇は集められ、 遺著「井口蕉花詩集」は編まれ、以って故人の霊は高められてゐる。今古びて苔むした墓碑に刻まれた「覺譽蕉花好道居士」の諡号のみ侘しく悲しい。 一子三樹衛君既に長じて十五歳東濃地方の片辺にありといふ。

函と本冊


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