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『鷃笑新誌:あんしょうしんし』


鷃笑新誌

『鷃笑新誌:あんしょうしんし

1集〜11集合本(明14年[9]月〜15年8月)
 16.9×11.0cm 各号9-11丁 各号定価5銭 鷃笑社(大垣郭町1番地)刊行

合冊表紙

一集 明治14年9月10日

野村藤陰「鷃笑新誌引」

戸倉竹圃「題鷃笑新誌」
小原鐵心「跋藍川舟中霞山人醉筆描眞景圖後」

杉山千和「辛巳新年作」
溪 毛芥「明治二年十二月。勅祭梁星巌等於京之東山以旌表其尊王忠志。而又賜俸二口於其未亡人張氏紅蘭。以終其身矣。蓋曠世偉典也。紅蘭有感悚詩。和韻以贈。」
江馬金粟「今尾舟中」「賀某氏新婚」

溪 雲嶂(※毛芥子息)「梅雨欲霽」「看插秧」
高木如石「送葆逸君遊京師」「聞杜鵑」陳曼壽評

戸田眠鷗「梅雨偶成」
安田豐洲「浪華雜詩」
郷 水竹「送森槐南還東京」
中島蘆洲「與交翠夜話」
野口水蓮(女流)「論詩絶句」

矢野栗所「無何有荘小集。席上限韻。」
小川果齋(後の木蘇岐山)「偶感」陳曼壽評
山川雪鴻「霞間溪觀花」
一柳芳洲「移居雜詠」

脇坂竹坨「閑適二律節一」
関口伯斐「高徳白書櫻樹圖」
杉山三郊「柳橋夜飲用郭白眉[揚]州感舊韻」
観瀾居士「不倒翁賛」「希夷(※仙人の名)長睡圖」

後藤聴濤「夏日雜詠」
若園蕉窓「觀烟火戯」
伊倉香雪「觀蓮」

内藤硯香「初夏偶成」
牧野交翠「題自畫墨竹」
鈴木半渓「贈今日庵主人」
安田烏林「播州途上」
戸田葆逸「辛巳春。清客胡鐵梅。来遊吾大垣。一日過其寓樓。席上漫賦長句以示。」
「讀無明關」
野村藤陰「題松竹深處軒」「發東京途上口占」
奥付



二集 明治14年10月

江馬金粟「鷃笑新誌題辞」
小原鐵心「題蛭子神図」
小林卓齋(西京)「鶴」
野村藤陰「死生説」

江馬天江(西京)「辛巳之秋。余将東游。賦以送別諸友。」
杉山千和「墨水移居」
戸倉竹圃「洗竹次蘇長公咏竹韻。並傚其休。三首之一。」
溪 毛芥「寄兒文雄存英國。蓋其行次徑巴利府云。句中故及。」

種田菡陂「咏富士山」
若園蕉窓「扇」
戸倉香村「秋夜雜吟」
大橋醉石「柳蔭喚渡圖」
矢野栗所「石榴」

石川柳城(愛知)「偶感」
佐竹春陂「咏史」
郷 痩石「秋感」
戸田眠鷗「清簞看棋」

安田豐洲「田園雜興」
牧野交翠「晃山途上作」
戸倉半圭「秋日偶感」
岸 觀瀾「送葆逸君遊京攝序」陳曼壽評

山川雪鴻「所見」
郷 水竹「美人對薔薇園」
片野南陽「辛巳八月。上毛伊香保寓樓即事。」

中島蘆舟「蘆汀夜笛」
溪 雲嶂「岐阜懷古」
中島瀟碧「風雨踰觀潮坂」
高木如石「狐説」

安田烏林「千歳樓曉望」
清水任所「即事」
杉山三郊「移居」
関口伯斐「咏史」
後藤聴濤「客舎思郷」

小川果齋「送別關根痴堂」
原田西疇(安藝)「辛巳秋。簿遊在大柿[大垣]。偶訪鷃笑社長藤陰野村詞伯。即賦此以贈」
陳曼壽(清國)「鷃笑社小集。歸後賦此紀事。以呈葆逸仁兄。」

戸田葆逸「題蘆鴈圖」
奥付

岡安慶介広告


三集 明治14年11月20日

小原鐵心「醉石記」
小野湖山(東京)「宿大垣城下」
野村藤陰「節後野菊」「洗竹」陳曼壽評

陳曼壽(清人)「送葉松石歸國」
溪 雲嶂「冩眞鏡美人」
戸倉半圭「秋日偶感」

石川柳城(愛知)「鷃笑社小集。席上賦以似曼翁」
小林卓齋(西京)「紅於亭記」

杉山千和「同黄石學海五松諸老。游柳洲旗亭。得鉤字」陳曼壽評
脇坂竹坨「庭前瘦菊」
一柳芳洲「移居雜詠」
原田西疇「訪葆逸道兄。見示新著鷃笑新誌。即題拙句請正。」
若園蕉窓「題畫」

清水任所「訪曼翁席上賦呈」
高木如石「題歸去來圖」
郷 痩石「江樓題壁」
杉山三郊「墨水移居」
小山湘雨「題畫」

岸 觀瀾「鷃笑新誌」
牧野交翠「過桶挾間」
矢野栗所「旅中秋曉」

井倉香雪「夜泛」
溪 毛介「詩仙堂」
安田豐洲「藍川歸舟所見」
石原墨荘「晩秋即事」
山川雪鴻「呈曼壽陳先生」陳曼壽評

佐竹春陂「鯉魚」
後藤聴濤「秋曉」
戸田眠鷗「月夜泛舟」
関口子裁「偶興」
内藤硯香「秋夜即事」
江馬金粟「記舟行抵佐屋驛」

戸田葆逸「辛巳晩秋。同曼翁及千和柳城諸老。飲[于]與偕園(※旧大垣藩庭園)。席上分風花雪月字爲韻。得風字。」陳曼壽評
奥付 岡安慶介広告 


四集 明治14年12月20日

小原鐵心「刻地下十二友詩序」(※「故あって」未刊。)
谷如意(近江人寓西京)「絶句」
橋本蓉塘(西京人寓東京)「次韻杉山三郊香山作」
頼支峯(西京)「泛湖」
神山鳳陽(西京)「題自愛小瓢」
清水任所「再疊前韻呈曼老」

山川雪鴻「送柳城石川君官遷于岐阜。次其留別韻。」陳曼壽評
岸 觀瀾「送柳城石川君之岐阜序」

溪雲嶂「偶成」
杉山千和「秋日寄懷墨水諸同好」
中島瀟碧「寐語里」
小林卓齋「犀戴鐘聲 積翠含青樓八勝之一」

高木如石「呈鷃笑社長」
藤林逸心(西京)「讀果齋兄鴨東竹枝」
石川柳城「和葆逸盟兄韻却答」
小川果齋「明眸」

原田西疇「題行看巖花圖」
中島蘆舟「同曼壽千和諸老游金生山」
関口子裁「梅花書屋圖」
森 槐南(東京)「寄懷杉山三郊在香山」

永井三橋「歳晩感懷」
杉山三郊「書伊東紫浪書巻後」

兒玉石峯「咏松」
安田豐洲「訪友人」
戸田眠鷗「秋日遊高尾山」
牧 年魚市人(愛知)「内津歸途」
牧野交翠「贈曼壽明經」

戸倉半圭「黄葉」
脇坂竹坨「歳晩書懷」
齋藤百竹「晦日送窮」
田邊拙齋「得鷃笑新誌喜而賦」
郷 水竹「秋晩」

矢野栗所「訪葆逸盟兄席上賦呈」
石原墨荘「松下歩月」
永田嘯東「梅花水仙同瓶」
陳 曼壽「次韻答藤陰盟長見贈」
野村藤陰「楠公」

戸田葆逸「次韻答西疇原田兄」陳曼壽評
奥付


五集 明治15年1月20日

小原鐵心「刻救荒事宜序」
小野湖山「壬午新正」
山中信天翁(西京)「絶句」

陳 曼壽「同人游養老山觀瀑布」
原田西疇「不破關」
戸倉半圭「冬夜雜咏」

小林華山「煎茶歌」
溪 毛芥「石」
山川雪鴻「題鷃笑新誌」

早川撲堂「梅花下少飲」
杉山千和「送柳城石川君官遷于岐阜。次其留別韻。」
牧 年魚市人「水明樓即目」
森槐南「時調小曲」
小川果齋「冬夜書懐」

佐久間石居「題寒江獨釣圖」
橋本蓉塘「三郊自香山歸。余徃訪。賦似。仍用前韻」
田邊拙齋「入京作」
神山三野「介水樓即事」

江馬天江「題畫」
小林卓齋「兒島雪晴 積翠含青樓八勝之一」
石川柳城「似原田西疇」
高木如石「松島竹枝之一」
岸 觀瀾「曼壽明經見訪酒間賦謝」陳曼壽評

杉山三郊「除夕祭詩十首之一」
堀口竹西(近江)「寒夜獨酌」
清水任所「歸田書懐」
戸田眠鷗「寒曉」
矢野栗所「壬午元旦」

溪雲嶂「讀青砥左衛門傳」
順 天外「曉起觀望」
関口子裁「偶感」
脇坂竹坨「新年作」

牧野交翠「小樓坐雪」
井倉香雪「觀菊」
野村藤陰「書先哲肖像後」

戸田葆逸「偶感」
月課詩題
奥付


六集 明治15年2月20日

小原鐵心「跋雪爪師書」
王黍園(清国)「陽暦壬午元旦晨起偶成」
小野湖山「王黍園寄示午元旦偶成作次韻和答」
岡本黄石(近江)「信游雜詩之一」
藤林逸心「壬午一月二十九日小川果齋師寓居小集席上賦似諸同人」

和紀醉石(近江)「雪夜泛舟」
陳 曼壽「同人招余宴於江馬氏別荘。即席賦以留別鷃笑社諸君」
山川雪鴻「次曼翁留別韻」陳曼壽評
矢野栗所「同」

牧野交翠「送曼翁歸國」
神山鳳陽「詠犬」
岸 觀瀾「送友人留學於支那序」陳曼壽評

杉山千和「壬午新年」
戸倉半圭「春雨溪村」
小林華山「柳城石川君善書及詩畫。頃獲狻毫筆。有詩見似。因和芳韻以呈」

中島瀟碧「簾内美人」
清水任所「同」
石川柳城「訪小林華山於長良村席上賦示」
郷 水竹「題畫」
関根痴堂(三河人寓東京)「新年風月相知社集口占」

安田豐洲「春夕客散」
小川果齋「題畫」
戸田眠鷗「同」
森 槐南「解嘲」
高木如石「咏史」

関口子裁「題石竹圖」
中島蘆舟「觀梅於多度村」
棚橋藍水「楳花」
溪 毛芥「讀兒文雄洋行日記」
早川撲堂「春初即事」

石原墨荘「出游」
野村藤陰「岳父増田耕曹翁八十壽序」

戸田葆逸「求揮筆曼翁。副以一首。時翁歸期已迫。」陳曼壽評
奥付



七集 明治15年3月20日

小原鐵心「錐股餘嘯序」
陳 曼壽「題春山仙奕圖」
小野湖山「送何張兩星使西歸」
森 春濤(尾張人寓東京)「次癡堂主人風月相知社小集詩韻」
長 梅外(豐後人寓東京)「同」

永阪石埭(愛知人寓東京)「同」
小川果齋「失題」
堀口竹西「歳晩作」

杉山千和「與諸同人。游無何有荘。酒間次鴻雪爪舊題詩韻」
森 槐南「戯贈補恨石女」
小林卓齋「擊劍説」

藤林逸心「東山雜詩」
和紀醉石「偶感」
清水任所「春日偶成」

佐久間石居「枕頭吟」
高木如石「春山晩晴」
安田豐洲「觀梅」
戸倉半圭「春雨溪村」

戸崎英嶽「江村晩眺」
大石小石「鬼念佛圖」
岸 觀瀾「送木村宗次君歸國並引」

石川柳城「題熊本城撮影」
戸田眠鷗「探楳」
安田烏林「一谷懷古」
早川撲堂「牧童」
山川雪鴻「簾内美人」
郷 水竹「夜歸」

牧野交翠「題畫」
中島蘆舟「探楳」
野村藤陰「尺牘階梯題言」
戸田葆逸「別後胡銕楳代簡」

奥付


八集 明治15年4月20日

小原鐵心「記霊水寺飲」
岡本黄石「送松浦北海之九州」
三島中洲(備前人)「辛巳小春。訪鳥尾得庵於高田別荘。得庵平生嗜釋老。此日又與中村敬宇諸子會讀周易。故及。」
陳 曼壽「壬午二月束装入都寓金石樓」
胡 鐡梅「歙研歌」

石川柳城「清水任所辞官帰郷里。賦詩留別。乃和其韻。並送行。」
江馬金粟「辞世」
杉山千和「哭金粟翁」

森槐南「次癡堂主人風月相知社小集詩韻」
小川果齋「同」
堀口竹西「過小倉有感」
藤井香山(隠岐)「春陰」
小島松陰(尾張)「湖上晩歸」

牧 年魚市人「水明樓即事」
本多淡山(西京)「偶成」
若園蕉窓「春蝶」
戸倉半圭「觀梅歌」
山川雪鴻「題葆[逸]道兄所爲小景山水」曼壽評有

清水任所「春夜即時」
戸田眠鷗「春江夕陽」
早川撲堂「壬午四月二日。辱藤陰先生高駕。席上有詩。因歩其瑤韻仰正。」
杉山三郊「江上獨歩尋花」

森 春濤「賀三郊買宅」
栗田柘南「讀項羽本紀」
兒玉石峯「鶴」
矢野栗所「寒曉」
岸 觀瀾「遊霞間溪公園記」

岸 觀瀾(承前)
岸 觀瀾(承前)
牧野交翠「送葆堂兄西遊」
藤林逸心「淡林師見訪賦以贈」

野村藤陰「清水先生碑」
野村藤陰(承前)
戸田葆逸「傷春詞」
奥付



九集 明治15年5月20日

小原鐵心「虎説」
永坂石埭「次新川老兄韻。送西荘詞兄還越中。」
杉山千和「同」
江馬天江「望岳襍咏」
山中信天翁「題畫」
玉 星江(清国)「述懷十二章之一」

伊勢小淞「杏花春雨圖」
篠原睡村(播磨)「藤樹先生畫像」
衛 頑鐡(清国)「果齋詩僧以詩見眎[示]。即用其韻却答。」
石津灌園(西京)「寄題栗園宇田翁岡崎村居」

和紀醉石「訪小菅莵峯遂留宿」
小田藍洲「燕剪」
陳 曼壽(清国)「壬午春三月葆逸仁兄枉過鴨涯寓樓詩見贈即次瑤韻求正」
王 冶梅(清国)「次葆逸仁兄贈曼壽老詩韻以奉贈」

原田西疇「同」
小林卓齋「同」
山川雪鴻「寄懷葆逸盟長在西京」
戸倉半圭「夏日偶成」
早川撲堂「雨訪蕉窓氏席上作」

矢野栗所「歩雪鴻兄惜春詩韻」
小川果齋「時復」
中島東淵「病中冩懷」
一東石如(愛知)「流民行」

石川柳城「偶成」
和田秋村「平薩州眠花圖」
小林華山「咏石十五首應人需」
葉 松石(清国)「鴨東賞牡丹」
牧野交翠「華嚴瀑布」

若山春雄「苦蚊」
溪 雲嶂「遊糺林」
熊谷夜城「山行有感」
若園蕉窓「早發」
溪 毛芥「勾當内侍墓」

野村藤陰「白説」
戸田葆逸「留別西京諸同好」
奥付



十集 明治15年6月20日

小原鐵心「記飲九編 並序」
江馬天江「横浜雜詩之一」
伊勢小淞「新柳」
胡 鐡梅「鴨川寓樓和陳明經韻遣懷二首之一」

谷 如意「醉中戯題」
陳 曼壽「觀都踊並引」

小林卓齋「九蟠港留諸同人 港在備前上道郡」
一東石如「自題冩照」
小川果齋「五月十六夜。同陳曼壽衞鑄生二老。飲鴨西金石樓席上賦似」
原田西疇「葆逸道兄來訪賦乞郢削」

篠原睡村「蓮生法師」
和紀醉石「早秋夜坐」
石川柳城「美人撲螢圖」
石津灌園「討蚊檄」

石津灌園(承前)
戸倉半圭「秋山朝爽圖」
溪 雲嶂「答人」

和田秋村「送友人之九州」
棚橋藍水「客舎聞子規」
王 冶梅「題畫並引」
若山春雄「曝書」

岸 觀瀾「詩稿自序 14年9月鷃笑社課題」
石田冷雲(和歌山)「夏日偶成」

山川雪鴻「夏日偶成」
高木如石「送脇阪君之東京」
野村藤陰「牽牛花説」

戸田葆逸「漫興」
奥付



十一集 明治15年8月20日

小原鐵心「記飲九編 其二」
江馬天江「田園即興」
陳 曼壽「與葆逸仁兄」(※水害見舞)

陳 曼壽(承前)
伊勢小淞「春游歸途」
石津灌園「題華頂山茗讌圖二首」

衛 頑鐡「曼老明經招飲寓樓即席書贈葆逸仁兄」曼壽評有
小川果齋「夏初間游水郭」
溪 雲嶂「竹亭夏日」
和紀醉石「烟巒曉景圖」
篠原睦村「新秋」

和田秋村「菅相公」
戸倉半圭「湖上消夏五首之一」
野川湘東「七月二十八日。游養老公園。書呈鷃笑貴社諸彦。此日有四君子會。句意故及。」
石川呉山(越中)「題自畫山水圖」

原田西疇「鴨沂卜居二十五首之一」
松田松濤「雨中牡丹」
牧野交翠「哭片野南陽」
山川雪鴻「達磨畫賛」
石川柳城「友人犀江林兄。來游岐阜。其門下諸子。延之開宴於津國樓。余亦見佳招。席上分手把酒杯。伋獨醒句。爲韻。余得手字。」

岸 觀瀾「山寺早起」
野村藤陰「雕刻説」
戸田眠鷗「夏夜偶唫」

神山鳳陽「虎」
溪 毛芥「古錢歌爲某翁」
龍 蘭台「長崎寓中作」
早川撲堂「養老瀑布」

岡本黄石「偶咏」
草場船山(肥前)「題畫」
戸田葆逸「題竹田翁畫」

戸田葆逸(承前)
奥付


合冊裏表紙

鷃笑社 社長:野村煥(藤陰) / 編集長:戸田鼎耳(葆逸) / 印刷兼売捌:岡安慶介

各府県売捌所:大坂心斎橋南 松村久兵衛 / 大坂備後町 吉岡平助 / 西京寺町本能寺前 佐々木惣四郎(竹苞書楼) / 名古屋本町八町目 片野東四郎(東壁堂・永楽屋)/  伊勢津 篠田伊十郎 / 江州大津 小川義平 / 岐阜米屋町 三浦源助(成美堂) / 岐阜大田町 春陽社

「鷃笑:あんしょう」といふのは、荘子の故事で、鵬(おおとり)の気持など理解できぬ斥鷃(せきあん)といふ小鳥が笑ってゐる謂。


戸田葆逸

『濃飛文教史』1937伊藤信著 より 483p

戸田葆逸 (『鷃笑新誌』編集長)

名は光、字は修來、通称鼎耳、初め葆逸と号し、のち葆堂と改む。別に保眞堂、問鶴園、十二洞天齋の号あり。旧大垣藩臣戸田義尚の長子なり。 嘉永四年十一月二十九日を以て生る。 父義尚、家を継がずして没す。葆堂時に歳十六、祖父義賢の後を承けて禄七百五十石を食み、御番頭に任じ、藩主戸田氏共侯に侍して四書五経を講習す。穎悟強識、王父(祖父)小原鉄心、 深くこれを愛し、常に人に語りて曰く、「姪孫鼎耳あり、以て意を強うするに足る。」と。
 明治二年、王父に従ひて東遊し、昌平黌に入り、刻苦精励、業大いに進む。居ること二年、病を載せて還る。藩儒野村藤陰および岩瀬尚庵、井田澹泊等に就きてその薀奥を敲き、 出藍の誉ありきと云ふ。岐阜県令小崎利準、抜きて官に薦む。葆堂、病と称して固く辞す。のち京師に遊び諸名流と詩酒徴逐す。たまたま清人陳曼寿来りて大垣に寓す。 乃ち就きて詩法を問ひ、得る所少なからず。葆 堂また兼ねて渲染を善くす。初め天野方壷に学び、のち明清書家の名蹟を参観し、別に旗幟を樹つ。酣古高逸の致、 鞠すべし。及門の士、大橋翠石の如き最もその秘訣を得る者なり。
 明治十四年、同士と相謀りて鷃笑社を創設し、野村藤陰を推して社長とし、自ら編集長となり、月刊雑誌「鷃笑新誌」を発行して斯文を鼓吹す。 盟に加はるもの多く、 また文壇の一偉観なりき。
葆堂、資質蒲柳の如く病を擁し榻に臥して客に接す。或は儒流と経義を弁じ、或は老衲と玄理を談じ、二豎(病気)の身に在るを知らず。明治四十一年七月五日(七日は誤り)遂に没す。享年五十八。 桃源山先塋の次に葬る。男、秦氏(号芸窓)、家を嗣ぐ。著すところ『問鶴園遺稿』一巻あり。

 絶命詩 明治四十一年七月

有始者終合者離 玄々妙理奚疑 有人若問死生事 笑答風辺花一枝

始め有る者は終り、合ふ者は離る。 玄々妙理なにをか疑はん。 人有りて、もし死生の事を問はば、 笑って答へん、風辺の花一枝と。

『問鶴園遺稿』より肖像(大橋翠石画)


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