『酔古堂剣掃』(すいこどうけんそう)
嘉永6年 1853年和刻本
左:合冊明治刷 右:二分冊嘉永版(ほかに四分冊ものがあり初刷りに近いか)
【原文】
刻酔古堂劍掃叙
書可以益人神智。劍可以壮人心膽。
是古人所以書劍併稱。而有文事者。
必有武略也。但世上之奇書。多出於
西土。而刀劍則 我邦獨冠絶於宇
宙。不啻紫電白虹。剸[尸+羊]断蛟也。余夙
有刀劍之癖。坐一室。左劍右書。竊
以比南面百城之楽焉。毎當其抑鬱
無聊之時。輙發匣払拭而翫之。視其
星動龍飛。光彩陸離。廼大聲叫快。妻
兒婢僕皆騒然以爲狂。不知余之精
神煥發。靈慧開豁。一掃面上三斗俗
塵也。古人以謂撿書焼燭短。看劍引
杯長。讀書倦時須看劍。英發之氣不
磨者。皆可謂先獲吾志矣。然今此樂
也。余之所獨。而世人之所不同。若夫
讀書之中。[實]看劍之趣者。其惟酔古
堂劍掃兮。其命名已奇。而分門更奇。
蓋裒古人名言快語。以成[帙]。字字簡
澹。句句詠雋妙。可以煥發精神。可以開
豁靈慧。亦猶看劍而星動龍飛。光彩
陸離。其快意可勝言哉。往年偶獲謄
本。欲刻之以當一部説劍。然魯魚頗
多。因循未果。頃者借崇蘭館所蔵原
本。校訂而開雕之。嗟呼。讀此者。磨其
英發之氣。以一掃面上三斗俗塵。而
神智自可益。心膽自可壮矣。則以斯
書爲我宗近正宗之利劍。亦豈不可
哉。是爲序。
嘉永壬子蒲月陶所池内奉時題
於容安書屋
三井高敏隷
【訳】解読中
【原文】
後叙
天下廣矣 未嘗無才子焉 而
才子者往々懐不平之氣於
是乎 放浪烟月流連麹蘗
珠以簾畫欄 嬌歌慢舞 以取
快於一時樂 則樂矣 然興尽
酒醒則意況索然 無聊殊甚
向所以快意排悶者逼足以
長其不平耳匡坐一室上下
千古 明目快心 以蕩滌胸中之抑
塞者其唯讀書乎 而其書 成
於不平者 其感人爲尤深也 予
頃得明陸湘客劒掃者 讀之
蓋湘客亦一不平才子也 當著
此書以排其鬱悶 自序云 甲子
秋落魄京邸乃出所手録刻曰
劒掃甲子即天啓四年魏璫
横恣擧朝婦人之秋也則湘
客之寫不平於此書可知也此書
輯古人名言碎語 分部奇
警剪裁雅潔 人一繙帙不能
釈手自賛所謂 快讀一過恍
覺百年幻泡 世事棋秤 向
來傀儡 一時倶化者信也矣 嗚乎
湘客不平之人 而爲快意之書
又使後世不平人讀之 快意不此
何也 子長曰 古來著書出大抵聖賢
君子發憤之所爲 蓋非不平人無
知不平之情 自解[以]人皆得其要
固不足怪也 余曰与池内士辰謀
梓以行世今也 天下才子幸際
太平極治之運 而讀此快意之
書唯應覺其有瑞雲祥烟往
來紙上耳
嘉永六年癸丑春日頼醇撰并書于眞塾
後叙
天下は廣きかな、いまだ嘗て才子の無きことあらず。
而して才子は往々不平の気を懐く。
是に於いてか、放浪烟月、流連麹蘗(きくげつ:酒の謂)、珠簾画欄、嬌歌慢舞、以って快を一時に於いて取る。
楽は則ち楽なり。然れども興尽き、酒醒めれば、則ち意況索然。無聊、殊に甚だしく、
向ふ所、快意を以って排悶(気晴らし)せんとするも逼足、以って其の不平を長ぜしむるのみ。
一室に匡坐(正坐)して千古(歴史)を上下し、明目快心、
以て胸中の抑塞を蕩滌(洗い流す)するは、それただ読書か。
而して其の書、不平により成るものは、其れ人をして尤も深く為りて感ぜしむる也。
予、頃(このご)ろ明の陸湘客の『剣掃』なるものを得る。これを読むに、蓋し湘客また一の不平才子也。
まさに其の鬱悶を排せんことを以って此の書を著すべし(著したのだらう)。
自序に云ふ、甲子の秋、京邸に落魄し、乃ち手録する所を出して刻して『剣掃』と曰く、
甲子は即ち天啓四年(1624)、魏璫(宦官魏忠賢の謂)横恣(ほしいまま)にして、朝を挙げて(国中みな)婦人(の様に意気地無き)たりし秋也。
則ち湘客の此書において不平を[寫]すを知るべき也。
此書は古人の名言砕語を輯め、部に分けて、奇警は雅潔を剪裁す。
人一たび帙を繙けば手を釈くあたはず、自賛して謂ふところ、。
“快読一過、恍として百年は幻泡、世事も棋秤(囲碁あそび)にして、向來の傀儡(わだかまり)一時に倶に化するを覺ゆ”
とは信(まこと)なり。
嗚乎、湘客は不平の人にして、快意の書を為す。また後世の不平の人をして之を読ましむ。
快意これにあらずんば何ぞや。
子長(子張:後藤松陰)曰く、古来、書を著はすは大抵聖賢君子が発憤の為す所なり。
蓋し不平の人に非ざれば不平の情を知らず、自ら解いて、人皆その要を得る。固より怪しむに足らざる也。
余、池内士辰(陶所)と謀って曰く、梓して以って世に行はんは今也と。
天下の才子、幸ひに太平極治の運に際す。
而して此の快意の書を読めば、ただまさに其れ瑞雲祥烟の紙上に往來するを覚ゆるべきのみ。
嘉永六年癸丑(1853)春日、頼醇(三樹三郎) 真塾にて撰并びに書す。