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【江戸後期詩人たちの周辺】

『酔古堂剣掃』(すいこどうけんそう)

嘉永6年 1853年和刻本



 明末の読書人、陸紹[王行](りくしょうこう、字は湘客)によるアフォリズムのアンソロジー。書名の由来は“酔古堂(号)の著した、鬱情を剣掃する書” の謂。政権交代期の世相に背を向けた隠遁文学者たちの手によって、明末から清初の時代にかけてアフォリズム文学が流行したが、それらを中心に編まれたアン ソロジー である本書もまた、採録にあたっては当時の所謂“山人小品文学”の理念であったところの、文人の節操や処世、また自然礼賛の色濃い箴言警句をもって選ばれ てゐる。
 アフォリズム文学はしかし以後本国では流伝されず、却って本邦において文人の教養書として珍重されるに至った。該書 は京都の儒者池内陶所と頼山陽の季子三樹三郎が翻刻して以来、幕末から明 治にかけて盛行したものであり、写真もそのおびただしい後刷の一種で ある。著者の心情を当年の政治状況に重ね合はせて含むところある賛意を寄せてやまぬ、出版企画人である池内陶所の序文および鴨克O樹三郎の跋文を茲に紹介 する。安政の大獄に遭ふ以前の、得意の絶頂期にあった彼らの意気をみたい。

    

左:合冊明治刷  右:二分冊嘉永版(ほかに四分冊ものがあり初刷りに近いか)


序文:池内陶所









【原文】

刻酔古堂劍掃叙
書可以益人神智。劍可以壮人心膽。
是古人所以書劍併稱。而有文事者。
必有武略也。但世上之奇書。多出於
西土。而刀劍則 我邦獨冠絶於宇
宙。不啻紫電白虹。剸[尸+羊]断蛟也。余夙
有刀劍之癖。坐一室。左劍右書。竊
以比南面百城之楽焉。毎當其抑鬱
無聊之時。輙發匣払拭而翫之。視其
星動龍飛。光彩陸離。廼大聲叫快。妻
兒婢僕皆騒然以爲狂。不知余之精
神煥發。靈慧開豁。一掃面上三斗俗
塵也。古人以謂撿書焼燭短。看劍引
杯長。讀書倦時須看劍。英發之氣不
磨者。皆可謂先獲吾志矣。然今此樂
也。余之所獨。而世人之所不同。若夫
讀書之中。[實]看劍之趣者。其惟酔古
堂劍掃兮。其命名已奇。而分門更奇。
蓋裒古人名言快語。以成[帙]。字字簡
澹。句句詠雋妙。可以煥發精神。可以開
豁靈慧。亦猶看劍而星動龍飛。光彩
陸離。其快意可勝言哉。往年偶獲謄
本。欲刻之以當一部説劍。然魯魚頗
多。因循未果。頃者借崇蘭館所蔵原
本。校訂而開雕之。嗟呼。讀此者。磨其
英發之氣。以一掃面上三斗俗塵。而
神智自可益。心膽自可壮矣。則以斯
書爲我宗近正宗之利劍。亦豈不可
哉。是爲序。
嘉永壬子蒲月陶所池内奉時題
於容安書屋
           三井高敏隷

【訳】解読中

「酔古堂剣掃」を刻すの叙
書は以て人の神智を益すべし。剣は以て人の心膽を壮にすべし。
是れ古人の書剣を併称する所以にして、而して文事ある者は必ず武略ある也。
但し世上の奇書、多くは西土に出づ。而して刀剣は則ち、我が邦ひとり宇宙に冠絶せり。
ただに紫電・白虹のみならず、[尸+羊]を切り蛟を断つ也。
余、夙に刀剣の癖あり。一室に坐して、左に劍、右に書、竊かに以て南面百城※(天子富豪)の楽に比す。
其れ抑鬱無聊の時に当る毎に、輙ち匣を発(ひら)き払拭してこれを翫す。
其の星動龍飛、光彩陸離を視れば、すなはち大声叫快し、妻児婢僕は皆な騒然として以て狂となす。
余の精神が煥発し、霊慧は開豁にして、面上三斗の俗塵の一掃せらるるを知らざる也。
古人のいはゆる「書を検して燭を焼くこと短し。剣を看て引杯長し。」※杜甫「夜宴左氏庄」
読書倦む時は須く剣を看るべし。英発の気を磨せざるは、皆な先づ吾が志を獲ると謂ふべし。然らば今の此の楽しみ也。
余の之(ゆ)く所は独り。世の人の之く所と同じくせず。
(も)し夫れ読書の中に、実に剣の趣を看る者は、其れ惟(た)だ酔古堂剣掃なり。
其の命名すでに奇。而して門を分って更に奇なり。
蓋し古人の名言快語を裒(あつ)め、以て帙と成す。字字は簡澹。句句は雋(俊)妙。以て精神を煥發すべく、以て靈慧を開豁すべし。
また猶ほ剣を看るごときにして星動龍飛、光彩陸離。其の快意、言ふに勝ふべけんや。
往年たまたま謄本を獲る。これを刻せんと欲すれば以て一部を当てて剣を説く。然るに魯魚(誤字)頗る多く、因循未だ果さず。
ちかごろ崇蘭館の所蔵する原本を借りて校訂、而してこれを開雕(出版)す。
嗟呼。此者を読み、その英発の気を磨し、以て面上三斗の俗塵を一掃せよ。
而して神智を自ら益すべし。心膽を自ら壮とすべし。
則ちこの書を以て、我が宗近・正宗の利剣と為す。また豈に不可ならんや。是を序と為す。
 嘉永壬子(五年)蒲月(五月) 陶所池内、容安書屋に於いて時題を奉る。三井高敏、隷(書)す


本 文リンク(国会図書館近代デジタルライブラリー) 解説リンク(『醉古堂劍掃』と文人)

跋文:頼鴨




【原文】

後叙
天下廣矣 未嘗無才子焉 而
才子者往々懐不平之氣於
是乎 放浪烟月流連麹蘗
珠以簾畫欄 嬌歌慢舞 以取
快於一時樂 則樂矣 然興尽
酒醒則意況索然 無聊殊甚
向所以快意排悶者逼足以
長其不平耳匡坐一室上下
千古 明目快心 以蕩滌胸中之抑
塞者其唯讀書乎 而其書 成
於不平者 其感人爲尤深也 予
頃得明陸湘客劒掃者 讀之
蓋湘客亦一不平才子也 當著
此書以排其鬱悶 自序云 甲子
秋落魄京邸乃出所手録刻曰
劒掃甲子即天啓四年魏璫
横恣擧朝婦人之秋也則湘
客之寫不平於此書可知也此書
輯古人名言碎語 分部奇
警剪裁雅潔 人一繙帙不能
釈手自賛所謂 快讀一過恍
覺百年幻泡 世事棋秤 向
來傀儡 一時倶化者信也矣 嗚乎
湘客不平之人 而爲快意之書
又使後世不平人讀之 快意不此
何也 子長曰 古來著書出大抵聖賢
君子發憤之所爲 蓋非不平人無
知不平之情 自解[以]人皆得其要
固不足怪也 余曰与池内士辰謀
梓以行世今也 天下才子幸際
太平極治之運 而讀此快意之
書唯應覺其有瑞雲祥烟往
來紙上耳
嘉永六年癸丑春日頼醇撰并書于眞塾

後叙
天下は廣きかな、いまだ嘗て才子の無きことあらず。
而して才子は往々不平の気を懐く。
是に於いてか、放浪烟月、流連麹蘗(きくげつ:酒の謂)、珠簾画欄、嬌歌慢舞、以って快を一時に於いて取る。
楽は則ち楽なり。然れども興尽き、酒醒めれば、則ち意況索然。無聊、殊に甚だしく、
向ふ所、快意を以って排悶(気晴らし)せんとするも逼足、以って其の不平を長ぜしむるのみ。
一室に匡坐(正坐)して千古(歴史)を上下し、明目快心、
以て胸中の抑塞を蕩滌(洗い流す)するは、それただ読書か。
而して其の書、不平により成るものは、其れ人をして尤も深く為りて感ぜしむる也。
予、頃(このご)ろ明の陸湘客の『剣掃』なるものを得る。これを読むに、蓋し湘客また一の不平才子也。
まさに其の鬱悶を排せんことを以って此の書を著すべし(著したのだらう)。
自序に云ふ、甲子の秋、京邸に落魄し、乃ち手録する所を出して刻して『剣掃』と曰く、 甲子は即ち天啓四年(1624)、魏璫(宦官魏忠賢の謂)横恣(ほしいまま)にして、朝を挙げて(国中みな)婦人(の様に意気地無き)たりし秋也。
則ち湘客の此書において不平を[寫]すを知るべき也。
此書は古人の名言砕語を輯め、部に分けて、奇警は雅潔を剪裁す。
人一たび帙を繙けば手を釈くあたはず、自賛して謂ふところ、。
“快読一過、恍として百年は幻泡、世事も棋秤(囲碁あそび)にして、向來の傀儡(わだかまり)一時に倶に化するを覺ゆ”
とは信(まこと)なり。
嗚乎、湘客は不平の人にして、快意の書を為す。また後世の不平の人をして之を読ましむ。
快意これにあらずんば何ぞや。
子長(子張:後藤松陰)曰く、古来、書を著はすは大抵聖賢君子が発憤の為す所なり。
蓋し不平の人に非ざれば不平の情を知らず、自ら解いて、人皆その要を得る。固より怪しむに足らざる也。
余、池内士辰(陶所)と謀って曰く、梓して以って世に行はんは今也と。
天下の才子、幸ひに太平極治の運に際す。
而して此の快意の書を読めば、ただまさに其れ瑞雲祥烟の紙上に往來するを覚ゆるべきのみ。
嘉永六年癸丑(1853)春日、頼醇(三樹三郎) 真塾にて撰并びに書す。
 



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