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飯塚西湖(弘化2年(1845年) - 昭和4年(1929年)12月6日)
飯塚静庵 のち納(おさむ)と名を改む。西湖は号で、字は脩平。『ウィキペディア(Wikipedia)』
西湖四十字詩序
徃年、余、佛國に遊び始めて飯塚西湖君と相ひ見ゆ。君、尤も佛文に長じ佛語を善くす。
余の巴里に在るや、常に君の耳目を借りて嚮導と為す。其れ恩を爲すこと實に少なからず。
然りと雖も、余は唯だ君の歐學に精しきを知りて、其の漢文詩律に達なるを知らざる也。
歸朝後、屢ば五言律詩を示さる。詞句の巧緻精錬、殆ど鬼神を泣かすべき也。
其の説を聞くに云ふ、君の佛國に在るや、日本技術を以て之を誇らんと欲するに、一に將碁を用ひ、一に五律を用ふと。
五律はもと漢土の輸入なり。然れども我國の之を用ふる、既に久しく、即ち我物と爲す。
且つ詩律中、五律は合調(語呂合わせ)を為すを極め、外人は之を排する能はざる也と。
葢し其の精神は、愛君憂國の餘に出づる也。世の作家の騷章麗句とは撰を異とする也。
今また四十字詩を刻すと聞き、聊か之を序して以て、世の此の詩を讀む者を諗(いさめ)る也。
明治癸卯(36年)六月 浪華客次梅屋 古香居士 種樹(秋月種樹) 撰
西湖散人四十字詩序
西湖散人。一日飄然として吾が廬に來り造(いた)る。開口、詩を談じて娓々として已まず。
一詩藁を懷より出し、序を屬して去る。披いて之を視るに、造句奇警、頗る人目を驚かす。
其の詩すでに奇なれば、則ち其の人の奇も知るべし。
散人の歐洲に遊ぶや、甞て杜集(杜甫の詩集)を講じ以て洋客を服せしむは一奇也。
專ら洋學を修めて漢詩を好むは二奇也。
官爵を貪らず風月を吟嘯するは三奇也。
五言律を愛して他を作さざるは四奇也。
富才にして苦吟するは五奇也。
人に逢はば必ず推敲を問ふは六奇なり。
此の六奇有りて其の詩傳ふべし。もし外客をして之を視しむれば。また必ず其の奇に服すのみ。是れ序と爲す。
癸卯の冬 如意山人 谷餓臣
西湖散人、四十字詩一巻を示して題言を徴す、此を賦して以て贈る。
大臣と為らず乞兒と為る。散人の一語、奇なるは斯くの如し。
散人年少にして大志を立て、海外を遠遊して良師を求め、早く法律學士の稱を占む。
瑞西(スイス)國裏に留學の時、更に餘技有りて雙絶を稱ふ。四十字詩に象棋とを兼ね、佛都の橘仙(将棋名人の謂)、勁敵と推す。
英京の文海、妍辭を傳へ、此より縉紳、爭って交を結ぶ。
遠邇嘖々として名聲を馳す。米國の淑女、才藻を慕ひ、結褵(結婚)誓ひて連理の枝と爲る。
懸弧令辰(男児生まれて)騏驥を證す。弄瓦吉祥(女児生まれて)門楣に耀かす。
一朝萬里歸來の日。五言の長城(五言詩の名人)旌旗を掲ぐ。到るところ風を批しまた月を抹す(吟風弄月して貧す)も、學士の稱を人の知る無し。
散人の襟懷、何ぞ落々たる。飄蕩、數奇を歎くを須(もち)ひず。好し、官海、畏途の外に向ふとも。或ひは象棋に隠れ或ひは詩に隱れん。
昭陽單閼(癸卯)南呂(8月) 蔣逕 大竹温 拜草
西湖詩鈔序
飯塚西湖。蚤(はや)く奇人を以て世に著はる。其のともに交る所は。皆な天下奇傑の士にして、道に游ぶこと極めて廣し。
人となり簡易坦率。禮節に拘らず。尤も詩を爲すを喜ぶ。而して其の體は獨り五律に限る。
常に其の志を山水崖谷の間に肆(ほしいまま)にし、至る所、流連吟詠。往々にして歸るを忘るると云ふ。
余、其の名を聞くこと久し。而して未だ其の人を識らざる也。
一日、客の踵門(訪問)有り。直ちに入り余の坐邊に來り、弱゚一揖す。状貌偉大、身に洋裝を着す。隆鼻、而して目深く、鬚髯は蝟毛(ハリネズミ)の如し。
余、其の唐突に駭き、心竊(ひそ)かに是れ歐米人と以為(おも)ふ。其の刺を見るに及べば、則ち西湖なり。
因りて掌を抵(う)って驩呼し、相ひ共に詩を論ず。已にして(やがて)懷を探り、其の作る所、五律若干首を出し以て余に視しむ。
余、之を讀み、佳句に至る毎に、輙ち激賞す。西湖欣然として笑ひて曰く「子は眞に能く吾が詩を知る者かな」と。
其の後、屢ば來る。皆な初めて來たる時が如し。
頃者(このごろ)將に其の著す所「西湖詩鈔」を刻せんとし、序を余に徴す。余曰く。
「善きかな君の舉や。曩時の藤井竹外、奇人にして詩に工みなるも、其の體は獨り七絶に限れり。沒後、殆んど四十年。今に至りて其の詩を讀む者をして。
激賞やましめず。之を當時の詩家の諸體を具ふるに較べれば、而して風味の索然たる、其の優劣、豈に啻(ただ)に天淵のみならんや。
今、君と竹外と均しく奇人と為す。而して其の詩において、七絶と五律との異は有りと雖も、獨り一體に限るは、未だ嘗て同じならざらず也。
嗟夫(ああ)。七絶の工なる竹外の如き、五律の妙なる君の如き、先後相ひ輝映す。美を藝苑に擅(ほしいまま)にする者、亦た甚しく奇ならざるべけんや。
且つ余は之を聞く。君の海外諸國に漫遊するは、盖し十有八年と。
其の間、城郭山川、昆蟲艸木の美、賦する所の者。固より應に多かるべし。是れ竹外の無き所。而して君の獨擅する所ならん。」
言、未だ畢らざるに、西湖欣然として笑ひ曰く「子は眞に能く吾が詩を知る者かな」と。遂に書して以て序と為す。
明治三十五年壬寅冬十一月 和泉 松堂 山田連 撰
西湖散人詩集敘
西湖散人、詩を善くす。詩は必ず五律にして語は必ず巧みに鐫り、徃徃にして人を驚かす。
其の大坂に寓して殆んど二十年、吟宴有らば必ず相ひ臨む。
人、或ひは其の必らず律にして變化乏しきを議し、又た或ひは其の推敲に盡力するを賛稱す。
一字として妥せず、琢磨して措かず、當を得て而して後ち止む。刻苦の状、年少の及ぶ能はざる所なり。
余は獨り、散人の能く詩の用を知るを取り、賛と議との間には居らざる也。
盖し散人幼くして歐に邃(おくふか)く歐語を學び、歐情を悟り而して歐に佞らず。
實業に從事し理財を務め、而して財に溺れず。自ら散人と稱すは、此れ詩を嗜むの效か。
風雅の道は能く二弊を破る。散人の詩に於ける、大用を知る有るかな。
頃日、近作を刻さんと欲して余に敘を徴す。乃ち余の平素散人に取る所の者を序して以て弁言と為す。
浪華 南岳 藤澤恒 撰
西湖山人四十字詩序
「男兒、自より天爵(生来の人徳)在る有り、人爵(栄誉)に耑ョ(端ョ:たよる)すべからざる也。」是れ西湖飯塚君の言なり。亦た以て其の心事を察するに足るのみ。
聞く、君蚤く泰西に遊び法律を學び攻(おさ)むと。足跡殆んど歐洲に逼し。歸朝後、將に大いに爲す所有らんとして、世と合はず、老驥千里空しく槽櫪に伏す。
乃ち志を當世に絶ち、磊落不覊、放言縱談、汎く海内の士と交り、而して浮沈窮通を論ぜず、平等に之を視て眼に青白なし。
平生、將棋と詩とに耽る。將棋は則ち「胸中の成竹(成算)」を試み、詩は則ち「滿腹經綸(述志)」を敘ぶ。
而して詩は五律に限る。天機の發する所、眞情の自ら存するを露はす。
加ふるに精錬推敲を以てし、五言の長城に據りてより、世は獨り四十字の王を擅稱するを推す。居然たり、詩國の老將軍か。
復た何ぞ人爵を慕ふの爲に區區たらん哉。然りと雖も余、窃(ひそ)かに國家の為に惜む所有る也。
君、夙に有爲の資を抱き、而して經綸に滿腹、未だ諸(これ)を實地に試すを得ず。僅かに詩國の老將軍を以て、自ら居り、將に終焉せんとするが如し。
其の境遇を察すれば豈に洵に悲しまざるべけん哉。今また將に其の近集を刻せんと、來って余に序を徴す。
余、是に於てや、聊か所感を述ぶること是の如し。君の意は果して如何なるや知らず。
明治三十六年六月 遂軒 關コ 撰
西湖山人四十字詩敘
昌黎(韓愈)曰く。險語、鬼膽を破ると。少陵(杜甫)亦た曰く。語、人を驚かさずんば死すとも休(や)まずと。古人開口するも。豈に其れ容易ならん哉。
其れ白湯を飲み黄蠟を嚼むがごときにして、則ち安んぞ能く人を驚さん。况んや鬼に於いてをや。
是れ必ず人より異なる有りて、而して奇なる者なり。
西湖山人、夙に奇を以て大いに天下に鳴る。ゆゑに其の詩も亦た一に窠臼(旧套)を超え、奇にして警絶。
常に曰く「詩は東洋美術なり」と。其の錘錬の極や、口を脱すれば、斬新鮮活、鯨呿鰲擲(勇躍)たるも、牛鬼蛇神(面妖)たるも、亦た以て奇と爲すに足ざるなり。
山人、久しく西洋に游ぶ。最も瑞國(スイス)の湖山を愛し、而して煙水の上(ほとり)に風咏す。
而して其の郷の雲(出雲)の松江と爲して歸(き)せば、松江の景、亦た髣髴、因りて自ら西湖と號すと云ふ。
秀靈の鍾まる所、人文は奇傑を俱にす。今、湖山の勝を以てす。加之(しかのみならず)文物の美、之れ東洋美術と謂ふは寔に是也。
其の風雲の變態、花草の精神、春緑に月明く、潭清く鳥白く、煥爛暎發、此の四十字詩と爲り。以て一世を驚かす。
而して唯に其の奇を以て大鳴するのみならず、亦た以て昭代の盛を鳴すに足らん。
明治壬寅十月 三舟 日柳政愬(日柳燕石長男) 撰
西湖四韻詩序
予の飯塚西湖の識を得るは辛卯の歳(明治24年)に在り。
西湖、大阪に來りて首(はじ)めに予が家を訪ひ、予が政友、大井馬城(大井憲太郎)の言を傳ふ。
予、始め政客を以て待つも、而して談、偶ま泰西の學術に及ぶに、其の説、明確。識見また不凡。尋常學者の儔(ともがら)に非ざるを似(しめ)す。
既にして(やがて)西湖、懷を探り、其の詩卷を出し示す。其の詩、皆な五言律に限る。首首鍛錬精熟し、格調俱に高し。
夫れ西湖、既に尋常西學者と爲るに甘ぜず。何ぞ况や詩人をや。而して其の詩の此の如きし何ぞや。
聞く、西湖嘗て瑞西に遊び法律を學ぶと。英佛の間を往來すること數年。
自ら謂ふ、「西人の智慧の精敏の所、及ぶは易からず。獨り詩は以て凌駕すべし」と。是において專ら力を詩に致すと云ふ。
西湖の為人(ひととなり)率易坦蕩、辺幅を修めず。其の状貌を観るに白皙紅毛、酷(甚だ)しく欧米人に肖る。而して其の處心も亦た頗る歐米人に似る者有り。
盖し其の議論、専ら平等を主にし、富貴に阿(おもね)らず貧賤を侮らず。公卿大臣より白面書生に至るまで視ること等夷(同輩)の如し。
是を以て人或ひは以て奇と目し、西湖其れ奇を以て自ら安んずる者か。
故(も)と其の歐西より歸りての始め、實に一布をして其の學ぶ所を展かんと欲す。然れども世運未だ熟さず事と志と睽(そむ)き、殆んど奇人を以て終る。
是れ豈に西湖の本志ならん哉。
馬城また法律を學び、其の志を得ぬこと西湖と同じ。而して予もまた窮廬に伏し童子の師と爲る。
夫れ予の不才は、何ぞ世に於いて輕重有らんも、獨り西湖と馬城、千里の才を以て竝べ、而して櫪下に老ゆ。慨くべし。。
夫れ近日、西湖、其の五言律詩を刻して世に問ひ、予をして一言せしむ。
故に予、其の平生を敘して以て之に贈る。知らず善く西湖の意に中(あた)るや否や。
明治三十五年十二月 大阪 梅崕 山本憲
管理人蔵書本文PDF (13.2Mb) 国立国会図書館デジタルコレクション
總評
詩は文字の精華なり。精華の中、其の一體に限るは、是れ乃ち精の精なる者。
西湖の平生の作詩、諸體に渉らず五言律を以て耑(専:もっぱら)とし、為に字を尚びて句を烹て錬り、其の極に抵りて止む。
一家の長を擅まにするを似(しめ)す。古人の所謂「四十個の賢人、一の屠沽兒も着かず」者に非ざるか。還(ま)た此稿に及びて一言以て之を書す。
(※劉昭禹「五言律如四十賢人,著一屠沽不得。:(40字の)五言律詩は四十の賢人の如し、一屠沽(下賤の俗字)著けば得ざる」)
明治癸卯夏日 周峰 福原公亮 識
字錬句鍛、五律上乘にして法を得たる杜少陵(杜甫)。今時の作者は及ぶべからず。
山田新川 評
五律の幽怨は少陵を本乎とす。今人、此の體を專攻する者なし。予輩を以て見る所、十餘年來、惟だ一に西湖有るのみ。
佇興(物思い)して言を忘れ、悠然として自得す。其の性情の高澹たる、此の如し。極めて平易の處を似(しめ)し、正に是れ其の精微の處を極む。
澄練(白絹)を淘汰して超々元箸(玄妙)※。豈に五字の長城(五言の名手)に非ざらんや。
清流の逵(大路)を貫く如く、孤鶴の群にて出づる若し。十餘年來、五律の名家は首めに西湖に指を屈す。
其の名の甚しく著れるを顧るも、世に鍾期(知己)なきこと久しきか。
五言の閑適、杜を以て本と為すに仍(よ)る。敢て韋・柳の門逕(韋応物と柳宗元の得意な絶句)に入らず。而して蕭(しづ)かなこと眞に絶俗、優れて隱逸詩宗の堂に上る。
此れは是れ、西湖の特に長ずるの處。十餘年來、一格を墨守して時習(時の風習)に染まる所を為さざるは殊に得難き也。
槐南 森大來 評
飯塚先生西湖四韻の詩題詞。雅政(大雅粲政:斧正を乞ふ)
「賢人四十坐す。一屠沽も著かず※。」 此の説は神悟に歸し、其の言は道膄(清瘦?)を味ふ。
長城はこれを得る。五字ここに在り。隨州(五言名手の劉長卿)に告ぐるを作さんと欲す。千秋、コは孤ならず(必ず隣あり)。
寧齋野口弋 題
浪華客次、西湖老兄、其の著『四十字詩』の為に題詞を需め、詩有りて示さる。乃ち其の韻に次(韵)して之を作り併せて大政(大雅粲政:斧正)を請ふ。
高懷、諷咏を寄し。動履(起居)風流に儘(まか)す。幽谷蘭邊の杖。空江篷裏の舟。五言、獨歩を稱す。
一律亦た千秋。聞達は志にあらざるを知り。神(精神)は亡是(亡是公)の遊に從ふ。
青萍 末松謙 澄題
題西湖散人四十字詩
燕山瀟水、詩才を養ふ。自ら西湖と號す亦た善き哉。二十四橋十六景。五言八句、奇を闘ひて來る。
膽山 生駒章 題
寄西湖先生、雅政
海内、知己稀なり。閑居歳月深し。三年、萬卷を破り。一語千金に直(値)ふ。
獨り君の我を憐む有り。交りは古への今に似たる無し。暫時相ひ遇ふ處。伯牙の琴を賞し難し。
赤羽四郎 拜題
跋漫吟小冊
友人西湖居士、逍遙として詩を嗜み五律を專攻す。其の作る所、風調は淡雅、意思は蕭散、俗氣は絶無なり。
或ひと曰く「居士は嘗て歐洲に游び、彼の學に通暁す。而るに反って漢詩も能くす。是れ異とすべき也」と。
予曰く「五律は格法を尚ぶこと嚴密なり。中に一種超妙の處有り、蓋し歐洲の學、理數に邃く、浮泛の有ること無し
今、居士、五律の佳處を窺ふは、安ぞ之を歐學の推理の力に於いて得るに非ざるを知らん哉。書して以て之を質(ただ)さん。
壬寅秋十月某日 苔園 田部密 識
西湖詩集跋
農を為す者は商を為さず、商を為す者は工を為さず。是れ古人の教ふる所なり。
近く泰西に分業の説有り、其の要旨はまた此に出づ。
盖し人の精力は有限なり。有限の精力を以て無限の事業に用ふれば、敗れざらんと欲すと雖も、得べからざる也。
獨り事業のみならず、凡百の技藝は皆な然らざる無し。
詩は固より小技と爲すも、世態を描き人情を寫し、萬有を羅に包みて遺す所無し。
是を以て諸體を兼ね、各(おのおの)其の妙に臻れる者は古來甚だ少し。
飯塚西湖君は當世の偉才なり。夙に歐西に游び、其の學術に精通し、而して詩の嗜好に於るや尤も厚し。
五律一體を專攻し、推敲倦まず、鍛錬して備(つぶ)さに妙に至る。
句は徃徃人を驚かすに足り、以て後世不朽に傳ふ。
余輩は淺劣、漫(そぞ)ろに諸體を兼ねて修むるも、一として得る所無く、君に恥づること多し。
是に於いて益(ますます)古人の我を欺かざるを信じ、また泰西分業の説の據る所有るに服する也。
岡田英