(2022.03.13up / update) Back


『伊藤整とモダニズムの時代』

曾根博義 著 2021年2月3日 花鳥社刊行 

21.5x15.5cm  x, 441p 


  岐阜市立図書館に入れて頂いた曽根博義先生の遺著『私の文学渉猟』ですが、岐阜県図書館にはすでに『伊藤整とモダニズムの時代』が入ってをりました。小説家に転じた伊藤整の、理知的なリベラルぶりを論じたお堅い論文集と思ひ、冒頭の「詩人伊藤整」を読むだけのつもりで借りてきたのですが、文学畑出身でない著者の、衒学的ではない実証的な姿勢とフットワークの軽さ、読み手を意識した語り口に引き込まれました。

 主題はタイトルにあるやうに、抒情詩人からモダニズム文学者へと転身した伊藤整についての論考なのですが、彼が携はった同人雑誌を手掛かりに、 関はりのある人物・事項についてその都度、大きな道草をしつつ三章(/全四章)を当てて、戦前・戦中の時代をたどってゆきます。人間的には破綻をみせない伊藤整そのひとよりも、その道草において登場する人物がおもしろく、真偽や前後関係を正してゆくアプローチに、紀要論文とは一風異なる読みどころやオチが提供されてゐます。

 といふのも、検証作業が文献調査・書誌的な渉猟に留まることがない。現地踏査はもとより当時の生存者がわかれば、ためらはずにコンタクトを取って証言を直接採集するといふ、斯様のフィールドワークには、どうしても人生ドラマがくっついて来るからです。“はじめに”紅野謙介氏がその手法について
「資料に即した実証的な研究において信頼性が高かったが、人と人のつながりに強い好奇心を抱き続けた志向は論文という形式よりも、エッセイや読み物に合致していた。」
「それは本書収録の論文の多くが後半に訃報を記し、亡くなった経緯にふれていることからもうかがえる。」
と指摘してゐますが、宜なるかな。

 さうして渉猟された結果もまた、信頼性が高い披露にのみ留まるものではない。対象への肉薄は、例へば伊藤整本人について言ふなら、私は「詩人が予言する」といふことについて常日頃から注目してゐますが、これについて文中から引いてみます。

「伊藤整の詩は、わが国の抒情詩の多くがそうであるように、回想を抒情の基本としている。過去をうたうというだけではない。現在の自分も、時には、この詩(※海の捨児)のように未来の自分さえ先取りして過去化しようとする。」7p

「これは、現在の生命の、方向を知らぬ過剰さゆえに捉えがたい自分を、何とかして捉え、定着しようとする青春期の衝動の一つのあらわれといえるかもしれない。(中略)
右のような回想と自己捕捉の方法において、伊藤整は、終生、詩人だった。」7p

「伊藤整の回想癖はこの自己把握と一体である。回想は過去から現在を経て未来に及ぶ。未来にまで及んだ回想はたんなる回想でなくて自己予知である。」14p

「そしてこの自己予知の的確さが、伊藤を自分以外のものから守ると同時に、未知の体験による成熟を妨げ、いつまで経っても自分の外に出られないというジレンマを生む。そこには自分以外の人間とのドラマが生じない。他の人間との葛藤をはじめから回避しているのだ。」14p

 また詩人として出発した当時の「純粋さ」と「そつのなさ」、戦時中においては戦争への「純粋な没入」と「生活感覚」、それぞれの時代に認められる俗的な共存をえぐり出してゆきます。そして驚きつつも、そのまなざしに学者じみた、自分を棚に上げた鼻持ちならぬ所が些かも感じられないことにも敬服しました。

「(※日記を)伊藤整という人間を中心に読んでいくと、戦争下を一人の庶民として必死に生きる伊藤整の生活防衛本能の強さが印象に残る。ところが思いがけないことに、それと平行して、祖国を思い、大和民族の運命を思う愛国的心情が戦争の最後の最後まで綿々と消えることなく続くのである。」45p

「私はそういう部分が出て来るたびに我が眼を疑い、最初のうちはこれは本心ではなかろうと思った。」45p

「戦争への熱狂と生活者としての計算が伊藤整自身にとっては本質的に何ら矛盾するものとして意識されていないことは、やはり不思議だといわなければならない(これは、かつて上京にそなえて貯金を怠らなかった抒情詩人の面影を思い出させないだろうか)。」46p

「しかし思い返してみれば、これが戦争中の大部分の一般生活者の実際の姿ではなかったろうか。伊藤整は文学者や知識人の特権意識を捨て生活者になり切って懸命に戦中を生きた。その姿が右のような心の痛みを感じさせながら、なるほどその通りであったろうと思わせ、私を感動させずにはおかない。」47p



 全体を通じて主題の伊藤整を横において頻繁に移動する視座(道草)は、著者のロマン派資質を示してゐるんだらうと思ひます。けれども実証的でありながら、煩瑣にわたる物証が散漫な印象を残さないやう、要所要所に要約が用意されてゐて読みやすい。伊藤整の小説はもとよりフロイトもジョイスも読んだことの無い私が本書を読みとおすことができたのはそのおかげでした。現地踏査は新しい住居表示で記されてゐるので、Googleストリートビューで文学散歩を楽しむこともできました。

 伊藤整が家計の為に川端康成の代筆をしたのはよく知られた事実だったのでしょうか。「麻布飯倉片町」の梶井基次郎や、北川冬彦の詩篇「戦争」の異同、タイトルの「レビュー」「細胞」の語句に込められた二義性など、ほかにも読んでゐて「なるほど」「ほほう」「だよね」と相槌を打ちたくなる場面がしばしばありました。「現在とは一味違うその研究の意義」を大切にされた大学の先生が書かれた文章の中で、さうして何より面白かったのは、 第3章後半に収められた、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を共訳した、永松定と辻野久憲との二人をめぐる物語。これに尽きました。もっと若い頃に読みたかった(笑)。正直なところ、読むことが遅すぎた感じです。

 永松定といふ英文学者のことは全く知りませんでした。辻野久憲は『四季』の歴史のなかで、真っ先に結核に斃れて追悼号を出された同人ですが、詩人的資質・批判力のゆたかな人であったらしいのに単行本の業績は翻訳ばかりで自説の印象がはっきりしない。追悼号では潔癖症で孤高の人格を持したことが一様に取り上げられてゐますが、最晩年に伊東静雄との密な人間的交流があり、萩原葉子氏が『父・萩原朔太郎』の中で記してゐる昭和11年二・二六事件のあった大雪の日の出来事(保田與重郎と連れ立って訪問した彼を朔太郎の老母が忌み嫌ふさま)などは、とりわけ強く印象に残ってゐます。第一書房を去るべく後釜を東大在学中の田中克己に打診してゐたことも、私は田中先生より直接聞いてをりましたが、キリスト教に親炙しリベラルな印象の強い辻野久憲が、『四季』よりはむしろ『コギト』の人々と交流が濃かった背景には、西欧文芸の翻訳ものに多くの誌面を割いた初期の高踏的な『コギト』の雰囲気が、伊藤整が追悼文で記してゐるやうに、潔癖で高尚なものを好む彼と性が合ってゐたからかもしれません。

 この本ではしかし、その『四季』辻野久憲追悼号の巻頭に一文を寄せた恋人、加藤よし子氏(日本橋のバー「リラ」の女給。源氏名エマ)本人からの聞き書きがそのままの形で載せられてをり、不倫の果てに浄福の昇天を遂げた彼の人間ドラマをまざまざと見せつけられます。たいへん驚かされたことでしたが、『四季』同人を愛する読者にはこの279-319pの2節だけでも目を通されるとよいと思ひ、拙サイトで特に本書を紹介させて頂いた次第です。

曾根博義著『伊藤整とモダニズムの時代』2021年2月花鳥社刊行・x, 441p・ISBN:9784909832283

曾根博義著『私の文学渉猟』2021年12月夏葉社刊行・392p・ISBN:9784904816394

 

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