(2007.09.27up / 2015.10.10 update)
「三 好達治の端書」
京都市上京区大宮田尻町三二 西田様方 田中克己様
東京都世田谷区代田一ノ三一三 岩沢方 三好達治
久しぶりのおたよりありがたく拝見
名古屋へゆかれたと傳聞してゐました[が]
彦根の方へゆかれた由。松村君は旧友[、]
一度ゆきます。一昨日は桑原貝塚両先生
上京してゐましたが、小生は俗用にか
まけて會へませんでした。税吏になやま
されてゐます。申上度きこと山々なれど
不見く[●]
過日何の気なしに「日本の古本屋」サイトを検索してゐたら田中先生宛の三好達治の葉書がみつかり注文しました。 伊東静雄の葉書と同様、破格だったのは値段のみならず、破れと、それから今回は染みまであっ て、これらはすべて後年私が買ひ戻せるやうに予定調和的に破損を蒙ったのだらうか、 と勝手に思ひ込んでは喜んで居る次第です(笑)。
消印は昭和25年、発信日等はありませんが、使はれなかった官製年賀状に認められ、新年の言葉はありません。この年、田
中克己は3月をもって天理図書館を依願退職し、
彦根の滋賀県立短期大学に教授として迎へられてゐます。「名古屋へゆかれた」云々とあるのは、
神田喜一郎博士と一緒に名古屋大学へ教員として転職する話があっことを踏まへてゐます。
おそらく日記に記された、4月12日に出された転任挨拶状に対する返信(4月17日到着)であると思はれます。(昭和25年日記参照)
文中、桑原[武夫]、貝塚[茂樹]は有名ですが「松村君」は就職の際に世話になった松村一雄。三好達治の同窓でもあったか、滋賀短大の同僚(学芸部長)
として日記に出て参ります。「税吏に悩まされて」のくだりも、詩で食べてゆくといふことが俗事から解放されることを意味するものではない事をはからずも吐
露してゐるやうで、面白いですね。