謎の郷土詩誌 その1
わが郷土岐阜の戦前詩誌といへば、「角笛」(大垣/稲川勝太郎編輯:大正15年創刊)、「詩魔」(岐阜/岩間純編輯:大正15年創刊)、 「山脈詩派」(高山/和仁市太郎編輯:昭和8年創刊)、「詩風俗」(岐阜/殿岡辰雄編輯:昭和16年創刊)といったところの数種が著名なものとして詩史に記録されることが多いが、 実際はどれほどの同人雑誌が発行されてゐたのだらう。先日も近所の古書肆で全く無名の詩誌とその一同人の手になる稿本詩集がみつかったと知らせていただき、些か興奮したのである。 岐阜県では昭和8年に前記の岩間純編輯によるところの「岐阜県詩集」といふアンソロジーが刊行され、 県内詩人を網羅した合同詩集の嚆矢とされてゐるのだが、この発見された昭和6年創刊の「白燈」といふ詩誌は巻末の詩壇年表にはおろか、参加の詩人たちの名もそのなかには一人も見当たらない。 もっとも「岐阜県詩集」は、上京して詩集を出した地元詩人や恐らくは編者に縁ある招待詩人には厚いものを感ずるものの、多分にこの民謡詩人であった岩間純といふ「仕切り屋さん」詩人の独断による、 岐阜県における民謡詩興隆を公言した偏向の強い編輯方針が顕著であって、他の地域で出された合同詩集と比べても相当な時代遅れの呈を相する該書をして岐阜県の詩壇の正真を映したアンソロジーと見なす訳にはゆかない。
しかし彼らの名前がその後のどんなアンソロジーや詩誌のなかにも現れてこず、のみかは岐阜県詩壇にあって最も詩誌の通史に明るく、 これまで度々となく岐阜県詩史に言及してこられた故平光善久氏の過去のどの文章にも現れてこない、となると、これは一寸どんな人々だったんだらうと興味も湧いてこようものである。
誌面に当時の同時代詩人の名前が交流とともに語られてゐれば少しは手がかりもあるのだが、さういふ記述もなさそうであった。一ヶ所、 名古屋港等商業学校(CA)を取次所とした歌集の宣伝をしてゐるページがあって、名古屋詩壇の伝統とも少しは繋がりがあるのだらうか、と期待もさせるのだが、 さて実態は所謂昭和初期の「三号雑誌」として同人もその後は文学との関はりを一切絶ってしまったところの「青春の遺物」に過ぎないものであるのかもしれない。
その詳細はまだ手元に現物を置けない今は詳らかにし得ないが、不取敢それらの資料を押さえることに成功したので、 追ってこの日本全国どこにも所蔵のない詩誌については紹介したいと思ふ。 内容は文学青年たちによる「民衆詩風+せんちめんたる」といった感じで御世辞にも新機軸とは言はれない詩風だけれども、 当時の岐阜市のアマチュア詩人の間では民謡ばかりが流行風靡してゐたのだらうといふ偏見を解く一助になるのではと思ってゐる。
以下簡単に書誌を列記する。
孔版詩誌「白燈」 昭和6年10月創刊号
昭和6年12月 3号
昭和7年 1月 4号
同人:長谷川政雄、岩井喜久雄、小島賢一、伊佐治文衛、矢野味津三、高井茜、一柳哲也、五島欽市
岩井喜久雄 稿本詩集「はかなごと」昭和6年(?)
同じく「チッチパッパ」(昭和6年12月〜7年2月の作品より)
袋とじの中央に自作の(?)版画を挿入し、「透かし」っぽく見せたりしてゐてなかなか凝ってゐる。