「日記」 第十一巻 その2(「夜光雲」改題)

昭和11年1月1日 〜 昭和11年12月23日


昭和十一年一月

  冬海のほとりに住む
夜更け目覚めて聞くと海は遠い紡績工場のやうだ
絶間ない轟音の間にかん高い女工たちの行儀の悪い歌が聞こえ
テノールの監督たちの叱り声がまじつてゐる
やヽあつて終業の汽笛 微かに声長く──
いやあれは午前一時の最終航路
(幾百の船酔ひに苦しむ夢をのせて)

  アツタ・トロル (ハイネ)
傲慢に抜んでた灰色の山々が四周に聳えてゐるところ
流れ墜ちる荒い河音を子守唄と聞き 夢の町のやうに

谷間に雅かなコーテレーの町が横はる バルコニーのある白い家々
そこに美しい婦人たちが立つて婉然と微笑んでゐる

婉然と微笑みながら彼女たちが瞰下してゐる 人々のごたごたと群れてゐる広場では
ドウーデルザツク(バグ・パイプ)の音につれて牡熊と牝熊が踊つてゐるのだ

アツタ・トロルと彼の夫人の黒いムンマが踊り手で
  バスクびとたちは感心して叫び声を立てヽゐる

気取つていかめしく
荘嚴な態度で貴族アツタ・トロルは踊つてゐる が房毛の夫人には威嚴と体面が足らぬ

さうとも 僕なんかもう少しで彼女がカンカン踊りをしてるのだと思ふところだつたし
お臀の振り方にはグラン・シオミールを思出さされた

彼女を鎖でつないでゐる感心な熊使ひさへも
その踊りの背徳性を認めてゐるやうすだ

それだから彼は幾度も鞭で彼女をひつぱたくが
その時黒いムンマは山々が反響(こだま)するほど吼えるのだ

この熊使ひは尖り帽に六つの聖母像(マドンナ)を挿してゐるが
これこそ敵の鉄砲玉や虱を防ぐに役立つんだらう

彼は肩には五色の色の祭壇の掛布をマントの代りにかけてゐ
その下からピストルと短刀が覗いてる

青年の頃には僧侶であつたが 後には盗賊の隊長となつたが
その二つを結合さすため最後にはドン・カルロスに仕へたのだ

ドン・カルロスが円卓騎士たちと一緒に亡命し 大抵の勇士たちが
律義な手職にありつかねばならなかつた時──

(シユナツプフアーンスキー氏は作家になつたが)我等が騎士は熊使ひとなり
アツタ・トロルとムンマをつれて諸國を廻ることとなつたのだ

かうして彼は二匹を踊らす 人々の前で 広場の中で──
コーテレーの町の広場の中で縛られてアツタ・トロルが踊るのだ

嘗ては荒野の誇れる君主として 自由な山の高みに住んでゐた
アツタ・トロルは人間共の中で谷間で踊る

それどころか軽蔑すべき貨幣のために踊らねばならぬ
  嘗ては畏怖の尊嚴にみちて 己れを世界主と思ひなしてゐた彼が    ※

失つてしまつた森の支配権 青春時代を思ひ浮かべた時
アツタ・トロルの魂から暗い声が呟き出した

フライリヒラート[※ 詩人の名]の黒いモール公のやうに 陰鬱に眺めて
太鼓の調子が狂つたとき 怒りのために旨く踊れなかつた

それでも同情を得ず 哄笑だけが起つた
ユリエツテさへもがバルコニーから 絶望の一踊りに笑ひを投げかけた

ユリエツテの心には心情(ゲミュート)など少しもない
彼女はフランス人で外面だけで生きてゐて しかもその外面がすばらしくて魅きつける

彼女の秋波は甘い光の網で その網目にかヽるとわれわれの心は魚のやうに捕へられてしまひ
たヾあがくばかりだ

                                [※ 以下未完。]

  五月二十五日
暗澹と日がある。たヾ我は日を逐うて強められ、自信を持つて来る。この我の完成過程は勿論、
完成の暁にも幸福はない。世俗的にも絶對的にも。

  計画
儒林外史、あるひは水滸傳の訳
ホフマンシユタール詩集訳
歴史小説、洪承疇、或は鄭成功
十二月迄に清朝と蒙古に関する論文一篇
二十四史買ひ度し

[※ 自分の]詩集安くて出し度し

柚梨枝(Yulie) 登邇雄(Tonio) [※生まれてくる子の名前の案か?]

  老者の夏へのあこがれ  [※ 訳詩。不詳]
最後に三月が七月とかはつてくれるなら
辛抱はしない 馬か車かに
わしは席を取つて
美しい丘陵地にやつて来る

そこには群れをなして大きい木
プラタナス 楡の木 楓や槲が寄り添うて立つてゐる
それを見なくていくとせ經たことぞ

そこでわしは馬から降りるか
馭者に云ふ 停れと そしてあてどもなしに
夏の國のおくふかくへ進んで行く

こんな木々の下で休息する
その梢には晝と夜とが同時にあり
この家の中でのやうに日毎が

まるで夜のやうに荒涼(すさ)んでゐ
夜毎が晝のやうに鉛色で待ち遠しいのとは違ふ
そこではすべての生が光と輝きとであるんだ

そして蔭から夜の光の幸の中へ
わしは踏み入り そしてそよ風が吹きすぎるが
どこにも「こんなものはみな無だ」などとの囁きはない

谷はくらくなり 家のあつたところには
燈がついた そして闇がわしに息を吹きかける
しかし夜の風は死については語らない

わしは墓地を通つてゆき
花ばかりが最後の光の中にゆらいでゐるのを見る
その外には何にも近くには感じない

もう暗くなつた 榛の藪中を
小河が流れて行つてる そしてわしは子供のやうに耳を欹[そばだ]てて
しかし「こんなことは空だ」との囁きをきかない

そこでわしはすばやく着物をぬいで その中へ
とびこむ わしが小川と組打ちして
そしてわしが頭をもたげたときには 月が出てゐる

氷のやうに冷い波から わしは半ば身を出して
滑らかな礫を陸にむかつて
遠くへなげながら月光の中に立つ

月に照らされた夏の國に
一つの影が遠くへとどく それがこの こんなに悲しげに
この壁ぎはの褥に埋もれて ここでうなだれてゐる奴か?

こんなに悄気こんで悲しがつて 夜明け前に
半身しやちほこばつて 朝の光に痛がつて硬直し
わしら二人の間に何かが待伏せしてるのだと知つてゐる奴か?

この三月の意地悪い風に こんなに苦しまされ
毎夜 眠りもやらず
自分の心臓の上で黒い手をひきつらせてゐる奴か?
ああ 七月と夏の國はいづこ?

  七月八日午後八時、男児分娩。
大きな眼、あくびする。大きい声で啼く。くさめする。

  八月二十二日
 畠中先生のフラウ逝去され、川口教会で葬儀ある旨、服部より知らせ来る。四時頃行くに電車で全田の叔母と一緒になり、円タクでゆく。まだ早く誰かれ来てゐず。
その中に大高の諸教授来る。中島、松下と並んで坐る。キリスト教の葬式はつまらず、会衆不慣れな爲、余計をかしい。
式後、本庄、興地諸先生を誘うたが成らず、服部、五十嵐、野田と六人で川口の支那料理を食ふ。五十嵐君おごる。気の毒の上不愉快。何か不道徳的な責務を感じ、カフエーをつれ廻る。
どこもつまらず帰りたくなる。その気持ち尤もみじめ也。心サイ橋のミラクルといふ所で服部珍しく怒る。皆同じ気持ち也。

  八月二十三日
きのふのビールでけふは晝寝大分す。叱言大分云ふ。妹二人、建[※ 弟]来る。天沼のネエヤ、帰ることを一日延ばしたり。

  九月四日
原先生と保さんの見舞にゆく。上がらず。田村へゆき、春雄君と永い話。病院内部のことを色々と聞く。外科の若い医師は皆、切りたがつてゐる由、脊髄カリエス、
丹毒などはそれ故いやがる。痔の手術、下手なものがやれば粘膜が外へ出て、一生猿股が汚れるなどと。ドリーシユの形而上学、保さんの訳あり。
自費出版でもいヽから出したいといふことになり、熊野君を帰りに訪問、考慮してもらふこととす。

朝明け山へのぼる
つゆ草につゆある道
蝉は目覚め 蝶は羽うち 蛇は寝返りをうつ
高みで太陽を迎へる──歓天喜地
雪は慇懃に波を打つ
水筒で水が沸りかへる

  九月五日
佐藤春夫「南方紀行」、よみ返すほど巧みなり。昨夜は水滸伝で眼をつからし、頭痛はげし。
〒・山崎清一君。

  九月六日
熊野君、学校へ来られ、ドリーシユの清書をすべき由、諾否を明らかにせず。

  九月八日
 専修院教道居士三回忌。彰夫氏に保さんの病気を告ぐ。帰途、田村へゆき、ドリーシユ原稿もち帰る。
やはり趣味をもたぬ学問のことヽて困る。自分の仕事のことも考へると嬉しくなし。
〒・山本書店。ノヴアーリス原稿返送のことは許せ、近く十五銭のにして出すとのこと也。
                                  [※ 山本文庫「ヒヤシンスと花薔薇」]

  九月九日
  6 死へのあこがれ  [※ ノヴアーリス「夜の讃歌」訳]
光の國をはなれて 地の懐に下りゆかむ
苦痛の狂乱とあらあらしき打撃とに
樂しき旅立ち(死への)のしるしあり
小き舸に打のりて
早くも天の岸に到り着きぬ

永劫の闇夜は頌むべきかな
永劫の眠りは頌むべきかな
晝はわれらを暖かにしてくれたるも
長き憂ひは却りてわれらを萎ましぬ
他郷の樂しみは去りゆけど
父のもと 我家へと行かまし

この世にありては愛と誠を
われらはいかに爲すべきや
古きは蔑[ないがし]ろにされぬ
新しきはわれらに何たるや
あはれ さびしく佇ち 深く悲めり
厚く虔しく 太初を愛する者は

太初よ 諸感官が明るく
巨いなる炎となりてもえしとき
父のみ手とみ面を
人類のなほ見しりゐしとき

  1   [※ ノヴアーリス「夜の讃歌」訳]
 生ける者なにか、自がまはりに広ごれる空間の、なべての不思議の現象にまさりて、万象を喜ばす
光を愛せざらん──その色とその光條と弯曲と、あかつきのときの和やかの偏在とをもてる光を。
 生の最奥の靈のごとく、そを小休みなき星辰の巨大世界は呼吸し、踊りつヽその青き潮の中に漂ひ──
閃々たる永劫に休らへる石、感官もてる乳を飲む植物、荒々しく燃えて様々の形したる獸も、そを呼
吸し、──就中、感覚するどき眼と飄々たる歩みと、やさしくしまれる佳音に富める唇とをもてる莊
嚴なる外来者、そを呼吸す。
 地の自然の王の如く、そは勢力ことごとくを呼び来つて、様々の変形なさしめ、無限の同盟を結び、
解き、そが天つ像を地のものことごとくに懸けしむ。その顕在のみ、この世の不可思議像の莊嚴的を
啓き見せしむ。
 されどわれ、光にそむき、神聖なる言語にたえたる秘密なる闇に左袒す。この世は遠く下に横はり
(ふかき洞窟に沈みて)そのありか荒涼として轉た[うたた]淋しや。胸の琴線(いと)はふかき哀愁が
かき鳴らす。
 露の滴に身をしづめ、灰に身をまじへんとす。──思ひ出の遠き代々、若き日の希望のかずかず、
幼年の夢あまた、永き一生の短き喜びと空なりしのぞみとは、灰色の衣着て、陽の没りの後の夜の霧
のごとく来りぬ。他の空間には光がたのしき天幕を張りぬ。あどけなき信もて、彼を待ちこへるそが
子たちに、彼はかへり来ざるべきや。

かく予感にみちて心中にたちまち湧き来り、哀愁の微風を呑むは何ぞや。暗き闇よ、汝もわれらに好
みをもてりや。目に見えずしてわが魂に力強く感ぜらるる何を、汝は外套(おほひ)の下にもてるなりや。
貴き番膏、汝が手より、一束のひなげしより滴り墜つ。心情の力強き翼を汝はあげぬ。昧く物云ふす
べしらに、われら動かされたるを感じ、嚴しき顔をわれたのしく驚きて見、そがやさしく虔ましくわ
れに向ひて禮し、無限にもつれし母が巻毛の下に、めぐし児を示したり。この時、光りはいかにみじ
めに子供らしくわれに思はれしぞ──晝との訣別のいかに喜ばしく、祝福されたるものなりしか──
 されば、夜が汝の召使どもを汝より背かしめたるに依り、汝は空間の遠きに輝く球を繙き、汝が別
離の時、すでに汝の全能(汝の再帰)を告げ知らす。かの輝ける星よりも、われらはわれらの心中に
開きたる無限の眼を尊し(ヒンムリッシュ)と思ふ。かの無数の群なせるいと淡きもののどもよりも、遠く
を見はるかし──光の要なくして恋するものの心情の淵をも洞見(みとほ)す──より高き空間(そら)を
ことばにいへざる情念もて充す心情。── 世界の女王、神聖世界の高き豫告者、幸多き恋のみとりめ
看護婦の賞賜よ──彼女はわれに汝を送りぬ──やさしき恋人を──夜の愛らしき太陽を──今われ
覚めぬ──われは汝のものにしてわがものなれば──なれは夜を生として告げたり──われを人とな
したり──わが躯をたまの熱情もてくひつくし、われをして空中にてなれと烈しく混和し、永劫に新
婚の夜をつヾかしめよ。

  九月十日。
〒・羽田。四日、上海にて投函したる葉書着す。二日午後三時半発なりしとのこと也。

  九月十二日
  2   [※ ノヴアーリス「夜の讃歌」訳]
 朝は永劫に還り来るものなりや。現世(うつしよ)の支配の力は終らぬにや。夜の天國的なる飛来を
ば凶々(まがまが)しき雜務が食ひ盡しぬ。愛の秘密の犠牲は永劫に燃えざるべきや。
 その時は光に配当されたりき。されど夜(闇)の支配は時間なく無間なり──睡りの継續は永劫
なり。神聖なる睡りよ──夜(闇)の祓ひ清めし者どもに、この晝の間の業のまに、しばしばに祝福
を与へよ。汝を謬りて覚り、なれが眞の闇の、かの薄明のときに、われらに同情して投ぐる蔭なる睡
りを知らぬものは愚者のみ。葡萄の房の黄金の水にゐるなれを感知せず──巴旦杏のふかしぎの油、
ひなげしの褐色の汁にゐるものとも。愚者たちは、なれこそたわやめが乳房のまはりに漂へるものと
も知らず、その膝を天國となすものとも知らず──古き傳説ゆ、なが天國の門をひらきて歩み来ると
も、無限の神秘の、もだせる使者たる幸夛きもの住居への鍵をもたらすとも悟り得ず。

原正朝氏と清徳氏見舞、玄関先にて帰る。それより中島を訪ねたるに、父君逝去とのことゆゑ、
寺田町の家を訪ね弔問。松下に電話し、服部を訪ねてその旨を伝ふ。夜、五時すぎ、阿倍野斎
場にゆく。その後野田君を訪ね、ドリーシユのテキスト五十嵐氏より預かりくれたるを持ち帰る。
服部、関大を又振られたる由、大高四回の上道氏が行く由。

  九月十三日
 父来る。午後、服部来る。ともに夕飯。畠中先生をたづねしに不在。興地先生をたづね九時ま
で話す。畠中先生、旅行して今にも帰つて来る気持と奥さんのことを云はれをる由、コギト翻訳
陣強化をハツトリと語る。

  九月十四日
藤岡晃死す。鶴町の自宅で告別式あり。梅田生と共に参列。五時まで三時間ほど待ち疲る。晃、
小くして眼黒く、歯出でたる線病質的生徒なりし。〒川田總七氏より「若き蛇」。「歴史研究」

  九月十五日
〒江間章子氏轉居通知。彙文堂より「嘯亭雜録」一.六〇。羽田に手紙書く。

  九月十六日
 午後、京都にゆく。藤枝に研究室で会ひ、「台湾府史」借りてもらふ。藤枝は関大予科の講師
になる。生徒の行儀悪い由、窓の外より返事するもの有り、入室した時號呼したなど。
東洋史大辞典の原稿書き終へるまで下宿で待ち、正宗ホールにゆく。十一時前帰宅。

  九月十七日 防空演習豫行。晝、中島を訪ね、碁をうち丸善にゆく。
  九月十八日 南野の子供来ず。

  九月十九日
 國学院新理事 高畠氏、工藤氏(百舌鳥社)
新監事、井岡氏。原さん喜ぶ。昨日の評議員会で新しく入つた人間を紀主任にし、前からゐる原君
をせぬのは如何なるわけか、出来ぬやうな人間なら止めさせろと校長に云はれた由、前田さんの話也。
吉村少しあはてた旨。〒セルパン。「請海紀」製本出来。

  九月十七日
日下貝塚発見十周年記念祭。中島と碁を打ち、夕食後服部を訪ね興地先生とエリーへゆく。

   小い市にて
ある日 手提鞄を提げて
小さい駅に降り立ち
木犀咲く練塀小路をゆき
タバコやの角を曲り
濠につき当つて 一廻りし
天主の跡に登る
市は低くて一目に見渡せ
青い秋の海が穏やかに湛え
山々は静かにそのまはりを取巻き
目に見えぬ星辰の中央に
輝く太陽はその歩みをつヾけ
光を浴びて突立つ建物は
旅館観海楼と
わるい案内人に指さされはしたが
市中は秋の晝を和やかに眠り
遠く紡織の煙のみが生々と
紡錘形の雲を漲らしてゐるのが見えた
手提鞄の案内記で承知したところでは            ※
こヽは百年前までは安倍大内記の御城下で
わたしもその一族の貴公子と交あつたことがある
彼は当時泥酔して
電車の駅に佇つてゐたが
その鼻は高くその丈はすらりとして
たヾ少し猫背で人々を見下してゐた
今は宮内省の主馬寮に勤務し
わたしには寒暑にも見舞さへよこさない──
案内人は頬杖ついてベンチにゐたが
長い欠伸の後 わたしの耳もとで
昔の家老筋の娘の経営する
小いカフエへ案内しようといふ
城壁を攀ぢ降りて
タバコやの角を折れ
練塀小路をゆけば
小い駅前で彼女は
夜の待機の姿勢を
二階の四畳半で專心してゐたのが
訪なひを聞いてトントンと降りて来
店の隅に囲つてゐた中学生たちの頭を撫で
私たちにしづかに会釈を与へたが
チリメン皺のかげから
中学生たちのふかす
安い煙草の煙が立ちのぼり
かうして日が暮れるかと私は途方に迷つた

   帝政時代の追憶
人々は帝政時代をともすれば讃美し
今の共和政をプロパガンダにすぎぬといふが
老いたわたしから見ればそれは謬りである  [※ 未完]

  十一月六日
精神文化講習で、平泉スマシの悲憤慷慨を聞く。

敵の陣営を覗くのは良いものだ
タンポポ帝国でも方々に
そのためスパイを派遣してゐる
教授は壯んに清貧を説いたが
彼の棒給はいくら位あるか
彼はこの講演でいくら銭をかせぐか
彼の祖先は義貞を蒔島で殺した
平泉寺の悪僧の一人ではないか
彼は若年で博士の学位を得
しかも尚野心にみちみちてゐるが
更に若く更に貧しい小学教員共に
何の忠君愛國を強要する権利ありや
彼は低声に しかもりつぱな声で
壇下をにらみ付け 盛んな拍手で
なで肩をゆすぶつて降壇してゆく

ホフマンシユタール
   旅のうた
われらを呑まうと水は墜ちて来る
われらを打たうと岩は轉がつて来る
鳥は力強いはばたきで
われらを攫み去らうとかヽつて来る

しかし下方には土地がある
果実は見わたすかぎり
齡ひ[よわい]をもたぬ湖に影を映してゐる

大理石の額(ヒタヒ)と井戸の縁とが
花咲く野から聳(タ)つてゐて
そよ風が吹いてゐる

春近きころ
春風が
裸の並木道を吹いてゐる
その風の中に
ふしぎなものがある

涙のあるところでは
彼は体をゆすぶり
みだれた髪の毛には
身をかヾめた

彼はアカシアの花を
ゆすり落し
呼吸づき乍らもえ立つ
四肢をひやした

笑つてゐる唇に
彼は手を觸へ
やはらかく萌え立つ
草原をくまなく搜しまはつた

笛の中をすヽりなく
叫びとなつてすべりぬけ
たそがるる赤色に
飛び去つた

ひそひそ声のする部屋は
もだして吹きとほり
懸ラムプのうすらあかりを
おじぎして消してつた

裸の並木路を
春風が吹いてゐる
ふしぎなものが
その風の中にある

高低ない裸の
並木路を
その風は蒼い影を
追ひまくつて吹く

そして彼が来たところから
匂りを
昨夜来
彼がもつて来た    ※

  十二月二十三日 独乙文学と私。
 もし僕が、ペンクラブの使節としてでも南米あたりのある國へゆく、するとどこかの國と同じやうに早速新聞記者がやつて来て、インターヴユーをとる、
彼はやはりどこかの國の新聞記者のやうに、文学、就中、ドイツ文学については何も知らないに違ひないから、僕は昂然且つ悠然と答へるだらう。
「何故ドイツ文学が一番好きなのか」
「それは他の文学を知らないからさ。僕はイギリス文学もロシア文学もペルシア文学も、更に甚しくは日本文学についても殆ど知らないからだ。
知のないところに愛はないといふことわざを知つてゐるだらう。もし僕がも少し不正直なら、僕がドイツ文学を愛するのはその中に現れる理智であるとか、或ひは樅の木であるとか、
青いバラの茂みになく夜鴬の歌であるとかが好きであるからだといふのだが」
「では、ドイツ文学では何といふ作家と何といふ作品とを愛するか」
「先づゲエテのフアウスト。シラーのある種の作品。最近の作家ではカロツサ云々」
「今後どういふ方面で活動されるつもりか」
「ドイツ文学の正しい紹介を行ひ度い。幸ひ日独協定もあることだし、大使館あたりが中心になつて、かういふ事業を援助発展さしてくれればいヽと思ふのだが。
ともかくドイツ文学と日本文学の相似性、いひかへれば両國民性の近似点を求めて、日独親善の基点とする必要があると考へてゐて、この仕事にこそ男子が一生をかけてもいヽと考へる云々」

(つづく)


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