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田中克己日記 1983


【昭和58年】

 昭和58(1983)年、田中克己は名跡『四季』の復刊に、主宰者として立ち上がりました。
 堀辰雄が最初に編集した2冊のクォータリー(昭和8年)を第1次として、「四季派」と呼ばれる詩人たちが活躍した第2次(昭和9-19年:四季社版)、戦後堀辰雄が再起再興を図った第3次(昭和21-22年:角川書店版)、そして丸山薫を擁して残党の旗揚げとも呼ばれた第4次(昭和42-50年:潮流社版)と、これらに継いで9年後の復刊となる訳ですが、『四季』が第5次まであったことは現在に至るまで周知されてゐません。

 理由はあります。
 当初目論んだ、往年の編集同人2トップを代表に掲げる体制にならなかったこと。もう一人の編集同人神保光太郎は認知症を患ひ参加できず、前回の『四季』終刊から9年の間には、丸山薫に続いて竹中郁・田中冬二の両先輩も既に他界してゐました。
 よって神保光太郎の了解を待たずに飛ばされた檄文・檄電話でしたが、“癇性の詩人”田中克己の情緒不安定は既に詩壇・文壇・出版社の知るところとなってをり、『四季』落城後に生き残った残党・遺臣たちから、思ふやうな協力をとりつけることができなかったこと、これらが出発時点での躓きでした。
 一番頼りにしてゐたのは、日頃より詩人の世話に苦労する悠紀子夫人を気遣ってゐた堀多恵子夫人でしたが、堀辰雄の未亡人である彼女が同人でなく会員の身分に強いて自ら留まったのは、さうした他を見ての困惑ゆゑであったかもしれません。

 殊にも現役で詩を書いてゐる、小山正孝、杉山平一、大木実の三者、そして彼等の盟友といふべき『山の樹』の同人たちを呼びこむこが出来なかったのは、『四季』の名で功績を語るためには最大の遺憾事であったといってよいでしょう。欠くべからざる実働部隊の不参加、これが前回の第4次『四季』に寄稿してくれた人たちのみならず、新規に投稿者を呼び込むこともできなかった一番の原因だと私には思はれます。

 中国文学への造詣を同じくする小山正孝は、詩人とは長年良好な関係にあり、東京で身近に連絡が取れる一番の詩的盟友だった筈でした。共著となった『唐代詩集(昭和44年)』では李白・杜甫を訳し分けた二人ですが、出会った戦時中こそ、田中克己を詩歴・学識両面において華々しい先輩としてうやまったものの、戦後は活動するホームグランドを『山の樹』・『果樹園』と異にし、関西から上京して以降の詩人については、短気で度々絶交を言ひ渡す対人姿勢に呆れ、最後は愛想を尽かして歩み寄ることを止めてしまひます。
 復刊に色よい返事をしない彼を、時間をかけて説得しようとせず、『山の樹』人脈から、鈴木亨、伊藤桂一、安西均等々の有力詩人たちを引き抜こうとしますが、計画に乗り気だった江頭彦造を差し向けて、
「小山正孝をのぞき十人近く同人とせよ(鈴木亨も入れる)」
といふやうな打診をしてみたところで、なびく者はありませんでした。

 元帝塚山学院同僚の杉山平一も、最初は桑原武夫に「三跪九頭して同人たのむ」とまで積極的だったのに、これまた逆に説得されたものか、桑原を同人に迎へるどころか、三好達治「燈火言」の衣鉢を継いで当初投稿詩の選者となる予定だったのもどこへやら、結局雑誌への寄稿はありましたが同人とはならず、旧『四季』同人の中では遠方にあって絶交の難を逃れた唯一人の理解者として留まります。

 大木実を「四季派ではない」と除外したことを後悔したとは、後に詩人から直接聞きました。
 一時かかりつけ医であり当然賛成してくれると思はれた林富士馬からも断られ、『コギト』の旧友では小高根太郎と野田又夫、日本浪曼派系では浅野晃を確保しましたが、高森文夫などコネの無い人物には始めから声を掛けることをしませんでした。

 日記を見ると室生朝子などは初めこそ乗り気だったやうです。ですが「室生萩原の姫君を擁した落武者の旗揚げ」と前回復刊時に称された彼女、此度は『山の樹』同人だった萩原葉子に聞き合はせをしたものか、旗揚げの状況が判ると参加を取りやめてしまひます。
 同じ阿佐谷に住み、評判をとった「サヨナラダケガ人生ダ」のやうな訳詩を期待した井伏鱒二からは、「同人辞退せぬもかけぬ」と体よくいなされ、 代りに詩人が自らペンネーム「秦海人:はたかいじん」を名乗り一人二役で執筆することになりました。

 結局、同人となることに同意したのは、職場や学界で尊敬措く能はず師礼を執ってきた先生と、過去の交流のなかで詩人の性分を理解してゐる同僚そして『果樹園』の旧同人。つまり田中克己個人の意向が強く反映された陣容になってしまった訳ですが、浅野晃、森亮、矢野峰人、松枝茂夫、植村清二、藤沢桓夫といった面々の協力を取り付けることが出来たことで、文学者としての主宰者のメンツは保たれました。
 そして江頭彦造と、彼に呼ばれて迎へられた国友則房と、二人は立原道造の数尠い縁者でもあってみれば、四季社といふ看板を掲げたメンツもまた、辛うじて保たれたやうに思ひます。

 ただしその二人とも、やっぱりといふか、のちに喧嘩別れしてしまひます。
 更に『山の樹』とは別に当時、抒情詩の詩誌として『東京四季(東日本)』と『季(関西)』とがあり、第4次『四季』終刊を惜しむ後進詩人たちがそれぞれに集まってゐたのですが、田中克己は『東京四季』から、戦前『四季』投稿者で同時代人として期待した小杉茂樹を代表人物として引き抜いたものの、寄せられた詩に対する選定が厳しく(結局選詩は詩人が行った)、彼をはじめ二誌の若手詩人たちとも疎隔し、一方では足りない同人を補ふため個人的に教へ子に声を掛けたことで、一層この第5次『四季』を『四季』とは認めたがらない風評が広まることになりました。

 前途多難の『四季』“最後の船出”のその後については、翌年の日記の“航海日誌”を見て参りましょう。

 さて、年末の創刊号発刊に至るまでの一年ですが、別途、色々な出来事が詩人の「躁鬱の波」の中で起こってゐます。

 信徒だけに配るため僅か30部きりが刷られたといふ最後の詩集となった『神聖な約束』は、教へ子の自殺に動揺したことも刊行理由にあったでしょうか。躁の時には創価学会や倫理研究所、エホバの証人と、他宗教の動向にも興味津津で、会合に首を突っ込んで相手になったりしてゐます。
 もとより寂しがり屋で、話し好きな、書痴(古書狂)を自認する詩人です。退職後も蔵書の入れ替りは激しく、支払ひや外出付添ひなど、これまでにも増して雑事・対人面の全般に亘って尻拭ひに奔走する悠紀子夫人ですが、日記のなかでもとりわけ夫人が代筆した部分の記述からは、夫に振り回される苦労や、詩人と対した相手が蒙った難儀の数々が察せられます。

 尤も詩人にしてみれば、中央公論社で持ち上がった半自叙伝『老兵の記録』の出版計画、名誉教授となった成城大学の紀要のために執筆した論文「清初の十王」、 そして前著『天遊の詩人 李白』の余勢を駆って東洋文庫のラインナップに並ぶ約束のもと書き上げられた『五雑俎』、 これらの原稿がことごとく編集子による判断で反故にされ、 挙句は周りの友人の誰彼もが勲章を授与されることに堪りかね、博士号取得の計画を立てるも断念せざるを得なくなるなど、 ここに来て単独個人の営為がことごとく思惑通りに進まず、威信喪失のショックはいかばかりの事であったかと察せられます。
 この年、『四季』復刊を主宰しようとしたのは、人生最後に背水の陣で臨んだ挑戦ではなかったでしょうか。


 この年の出来事

1月、西島大や丸家息女と喧嘩して絶交。飛鳥書房、都丸書店に大量に本売却。平凡社に『五雑俎』出版打診。
2月、大阪で大高野球部同窓会。帝塚山同窓会。
3月、日本橋公会堂で立原道造の会にて講演。吉川康子女史と知合ひ石井正吉氏とともにファンとして出入りする様になる。
3月、平凡社東洋文庫に『五雑俎』出すこと決まり執筆開始。
4月、日本近代文学館小田切進に『コギト』の再版すすめる。
4月、博士号取得の計画するも断念。
4月、教へ子の白水千鶴子自殺。
5月、鬱症状激し。戸田謙介死去。
6月、麥書房にて『神聖な約束』出版計画する。
7月、杉森久英と知合ひ彼を通じて中央公論社で「半自叙伝:老兵の記録」の出版計画起こる。
7月、小杉茂樹氏より『東京四季』に詩依頼される。
8月、木更津の愛弟子宅を訪ねて宿泊、歓待される。また仙台の三女を訪問。
8月、『成城文芸』に「清初の十王」書き始める。
8月、行きつけの喫茶店をプティ・パレからC’est beauに変更。
8月9月、躁激しく電話・訪問(辻政信宅・植村清二)繁く、創価学会や倫理研究所にも興味を示す。
10月、保田與重郎のR火忌に出席、肥下宅に泊る。
10月、『成城文芸』に「清初の十王」掲載を断られる。
11月、『四季』復刊を志し、旧同人に連絡を開始する。出版を都丸書店の瀬見伊三郎が斡旋。
11月、中央公論社より半自叙伝の出版を断られる。保田悠紀雄や川久保悌郎に絶交申し渡す。
12月、『四季』同人固まり編集に着手、夫人は疲弊の極に陥るも年末に『四季』創刊号出来上がる。

 1月 1日〜11月 8日
25.0cm×18.0cm 横掛ノートに横書き


1月1日 
12:00、108の鐘(※除夜の鐘)きき村山高氏へ50円封筒かき投函にゆく。
史宅に電話し「(※出た孫に)父母より先来よ」といひ、11:30正野(※虎雄)君来て乾杯し14:30まで笑はせ、帰りしあとすぐあと、
雅子より「15:30ゆく」と。15:10出て財布なきゆゑ警察に届けし。
3児を交番に入れ、本屋去りしあと調書かかされ、出て文章堂に3孫見にゆけば、淳一は買はず他の女児は買ふ。
われも980文章本買ひ、家へつれ帰り、史夫婦17:00来るまで3孫静かなり。
史と乾杯、管まく。ユ、美紀子より「歳暮の返し7万円。局長宅留守にて隣の実家に挨拶すませし」と。
3孫と美紀子、我と史、五色飯食ひ19:00帰りゆき19:30帰宅。と電話あり。
ユに表書かかせ賀状の返事大体すむ。22:00前入浴。日記かく(ユ、日記かきそむ)。

1月2日(日) 
(※省略)礼拝にゆき、(※省略)
大来る。「お前みたいなバカない。母の通夜にゆかず。」といひて(※いへば)、本3冊もちて憤怒して帰る。
われ「絶縁。金貸さず」といひしも聞こえしや否や返答なし。
12:50ユ帰宅。弓子より「午后来る」と電話。15:00すぎ3孫来り、小遣ひ1万円やり、将棋3人とし負かす(克君、負けたといふ)。
16:00弓子夫婦来り、1万円の礼いひ、0:00より始まりし「山本五十六(televi)」見て動かず(※12時間超ワイドドラマ)。
子供は見しかど、ユ、われのteleviに遠慮して(※子供を連れて?)帰る。
かへりし直後、子供にもわかる恋愛談となり、ユに「よくぞ帰せし」とほめし電話かける。(※弓子氏宅へ?)
9:00入浴、9:30史に電話すれば「来客20人にて史ねてをり」と美紀子。(※省略)
「山本五十六」11:40すみToilet、入浴、3服のみて賀状10枚かき眠剤1服足して眠る。

1月3日
1:00眠り4:00起きて賀状のつづきかき先輩先生の賀状53枚。(※省略)
10:30馬場女史(※平凡社馬場英子)「先生宛名の誤字にてお怒りか」と。ユ「お礼受取りしか」と問へば「受取らず」と。
ユ三越dept.新宿店に電話すれば「即刻調べる」といひ11:00になるも返事なし。
11:00電話し「歳暮まだつかず。支店長あやまりによこせ」といふ。次いで瀬見氏に11:30電話かけ「すぐ来る」とのことに、まてど来ず12:05瀬見宅に電話すれば「10分前に出し」と夫人。漢詩の表装たのむ。
酒のんで酔って、堀多恵さん来るやもしれずと追返せば表装忘れて帰りゆきし。(※省略)

1月4日
9:30起き朝食11:00了る。ユをして堀夫人に電話さすれば「今週来客あり来週歯の治療、再来週来訪」と。
(※省略) 純子・阜子久しぶりに来る。阜子『李白』を3冊買ひ1冊三郎兄へ送ると。(※省略)

1月5日
3服のみ23:00就寝。(※省略) 8:00出て『和仏辞典(3,200)』買ひ、(※省略)
鶴岡君に「11:30ゆく」といふ。(※省略) 麻布領事館にtaxi(680)、女の子「池袋へゆけ」といふ。(※省略)
池袋Sun-shine-buil.5階の韓国文化会館にゆけば、(※省略) 未堂徐廷柱氏の電話番号(※省略)ソウル市冠岳区南陽1洞(※省略)と教へてくれ「この間来日、会を開きし。2-3月はSeoul」と。

1月6日
2:30尿。足立たず、下着かへて再眠。10:00さめ賀状の返事かく。(※省略)

1月7日
10:50起床。13:00家を出、山本書店に(※『蘇東坡』)150冊買ふ。寄贈者名簿送る。2.30までに仮綴とどけよ。といふ。
麥より詩集3冊来る。

1月8日
戸田(※戸田謙介)へゆき酒のみ歌うたひ14:30ユを促して帰宅。(※省略)
有金はたいて『戦争を知らぬ子らへ』、『女の歴史』、『トルコ辞典』、『日本語の世界』買ひ、
大岡信に腹立て「詩集並製No.1返せ」と書く。

1月9日(日)
22:30就寝。9:40起床。11:30瀬見に電話すれば「裏打ち承知」、「今後上官と扱はず」といふ。

1月10日
10:30起床。10:00平凡社、集英社、講談社に電話。林より電話(※省略)。飛鳥書房15:00来り、11万円本売る。22:30臥床。

1月11日
9:00起床。pão半分食ひ、馬場さん宛平凡社に1万円送る。周子4冊送り来る。『中国の自然と民俗』と『天遊の詩人 李白』送らす。
床屋へゆけば休み、都丸で9万9,700買ひ(佐伯に3,700借る)、
15:30久米氏(※久米旺生)と(※空白)氏来り、馬場夫人(※馬場英子)17:00(重俊来り、本もち署名さす)。
2人に天丼(我と(※空白)氏)、すし(久米氏と馬場夫人)、酒のみ帰りゆく。山本へ朝ゆくといふ。

1月12日 
尿で起きる。(※省略)。8:50家を出て11:05山本書店着。集英社11:50、3人(氾敬、室長日置智久、佐渡拓平)来る。(※省略)。
山本は寄贈者名簿通りに送れば印税越すと。夜「送り返せ」のハガキかく。
出て『萩原朔太郎写真集』買ひ、(※省略) 山口基(※山口書店)に会ひ、くやみ云はんとすれば、ユミ子といふ娘ゐて父外出と。
近所で炒飯(480)食ひ、山口に帰れば雑本1,000足らず買ひ、残金交通費とも900残る。
正野社長に電話すれば「15日10:30来る」と。
近藤達夫より無礼なる手紙来る。「誤解経の1人」、「ひまあらば返事くれ」と。相手にせざることとす。(※省略)

1月13日
8:00さめ、7:30朝食、copyにゆき、集英社にわびの電話と各版1冊づつくれと塩沢部長にいへば「日置すでに送りし」と。
飛鳥に「早く来い」といひ午ね。(※省略) プティ・パレから飛鳥が電話、13:30来り、雑本1万円で買ふ。
ユ、丸夫人へゆく。(※省略) 丸(※三郎)の世話は長女と次女やりをり近日退院と。
16:30佐伯へゆき差引3,700の借金を17:00帰宅のユに払ひにゆかしむ。(※省略)
佐伯は装幀師病気と。実は飛鳥にたのみゐし也。吉村氏より「保田の高校時代copyとりし」と返却。

1月14日
9:00起き9:30朝食、10:30柏井歯科(※省略)。佐伯へ本売り、小包の内容が違ふので電話すれば、
中公新書『日本の詩歌』24と6とかへこ(※交換)とで、待てば若い女来り、大声で呼んだが玄関より帰り大激怒。
18:20丸に電話すれば煦美子出し故、父に重俊のこと一言も云はざりし故、絶交といふ。(※省略)

1月15日
6:00さめ7:00朝食、10:30正野社長菓子3つもち来り、4,000売る。4,000ユにやる。
残りは日曜にとりに来る。掛物はこれから交渉すると。
小高根二郎「保田ではなく亀井勝一郎かもしれぬ」と。(※不詳) 南陽生に24日の午食くはんといふ。
「中公新書『日本の詩歌』24、10冊と八木重吉と送れ」、「話のわかる男よこせ」といふ。
山本治雄には23日の会たのむといふ。(※省略)

1月16日(日)
よべ眠剤のまず(※省略) 本の片づけする。(※省略)

1月17日
(※省略)8:30起床。9:00朝食、(※省略) 飛鳥書房呼び5.3万売る。昼食すませれば丸木夫人来り、
■峻(※暉峻康隆?)の本、味噌の代りにやる。(※省略)帰宅すれば残金80円。(※省略)
木村禧一「杜甫の詩軸大切にしてゐます(※昭和52年日記参照)」
Leningrad N.Ballet団のtelevi見る。EcatherinaU(※エカチェリーナ2世)の残酷性わかった。
大東幸子夫人より「22日上京会ひたし」と。その日西下といふ。

1月18日 
8:30起き、業績表作り、加藤のため■の詩copy。12:10つけば一人一言と。(※省略) 原田・Xと我と3人の7回生は珍し。神原氏は来ず。帰りて野村ツーリスト支店に(※韓国旅行の)断りいふ。(※省略)

1月19日 
8:00さめユ掃除、われ本運ぶ。飛鳥来り、寒山寺返却。13万6千円置き4千円は買ひにゆくこととする。
12:40午ねし、13:40堀夫人来り17:00まで加藤俊彦夫人の病気(※省略)養女高崎へ通ふと。
丁度山本書店より『中国の自然と民俗』来りし故、詩集(※差し上げ?)、色紙かかせ、「9日瀬見氏に会ひし」と。(※省略)
筑摩の中島大吉郎より『中國后妃伝』は売れしも先細りで(※再版)やめし。残部さがす」と。
多恵さんの色紙と(※小高根)太郎の色紙と入れかふ。西川より電話なし。

1月20日 
9:00さめ朝食、(※省略) 実印を申請にゆき12:00すぎ帰る。(※省略) 佐伯へ本もちゆき1.3万で売り3,000借る。
麥の詩集10冊来り、25,200。堀さんにまちがへて特製本わたせしことわかりユ、あすゆくこととなる。
15:00西川より「野村ツーリスト連絡つかず」と。韓国行、寒きゆゑ止めしとユ云ふ。
末吉さんにカマボコもらひ土曜に碁将棋。平凡社の久米氏に『五雑俎』(※出版)のこと促す。(※省略)
中野清見に丸と絶交いひ、戸田謙介へゆき「陰名考」かくといひ、佐伯、ことぶきやの坊や、戸田夫婦より(※陰部の呼称)採集。川久保(※川久保悌郎)に「あすゆく」といふ。

1月21日
柏井へ歯の治療にゆく。10:30午后、千草来り、15:00川久保へゆき(※呼称)調査す。麥より詩集10冊(〒共25,200)。(※省略)

1月22日
8:00さめ金沢(※良雄)に10:30ゆき調査す。(※省略) 13:15末吉邸へ詩集もちゆく。14:20高円寺の飛鳥へゆく途、本重く大石に売る(4,000)。(※省略) 瀬見にゆき『詩篇(5,000)』買ひ成城大飯店へゆき(※省略)。
20:00筒井護郎、西村美那子大阪より電話、会ひたしと。2月22日午食に呼ぶといふ。
筒井に泊ることとなり23日山本(※治雄)に泊ることとなる。23日は村山氏の(※大高野球部の)会、夕方はclass会。
24日は帝塚山の会の午飯、そのあと広島、宮浜観光ホテルへ泊る(※実際には中止)。晩、咲耶夫婦に会ひ翌日ナゴヤ泊り。
(ほるぷ出版より「原爆」の詩掲載ゆるせと。「諾」と返事す)(※省略)

1月23日(日)
(※省略) 6:00さめ6:20ユを起す。礼拝にひとりでゆく。(※省略)

1月24日
7:00起き、麥(28,200)、中公(6,584)、南陽さんあて詩集7冊中公文庫7冊送らしむ。

1月25日
夕方外出せず。入浴3回。夕方佐伯で本買ふ。中島大吉郎「copy送る」と。(※省略)

1月26日
8:30起床。風邪と称し末富さん(※囲碁将棋相手の末富栄樹)ことわり、柏井へ歯の治療受け、(※省略) 角栄裁判懲役5年罰金5億円と。

1月27日
風といひて午ねす。昌三叔父より「臥床。十合顧問として用なし」と細字。(※省略)

1月28日
8:00起床(3:00入浴)。家居。(※省略) 中曽根内閣批判の声のみ高し。日記よむ。(※省略)

1月29日
23:30就床。8:00まへさめ村山氏に電話し23日午食をといふ(ローレルクラブ都合悪し夫人に云ふ)。瀬見氏来り6万円本もちゆく。

1月30日(日)
礼拝休み14:00までにと西荻窪より歩き紅松(※一雄)家へゆく。(※省略)

1月31日
よべ3:00さめ鳥羽貞子氏より写真3日出来るとなり。石井正吉氏より「来たし」と。(※省略) 14:00瀬見氏来り、■■■関係7万円で買ひゆく。

2月1日
よべよく眠る。柏井へゆき歯一応すむ。日記よみ疲る。

2月2日 無為。下痢す。
2月3日
下痢とまる。川久保より「来たし」と。風邪いひてことわる。「金沢(良雄)入院」と。 
14:00鳥羽貞子、山本みち子2女史駅にて待つと。白酒買ひて伴ひ帰る。「東京四季同人」と。「10日頃すぎても原稿よし」と。タバコと菓子賜ひ16:00写真とりて去りゆく。

2月4日
8:30さむ。(※省略) 村山高氏より「23日午食代1,000」と。

2月5日 よく眠り、(※省略)丸夫人より(※退院)全快祝来る。
2月6日(日)
7:10さむ。ユ当番として出てゆきわれ礼拝休む。無為。夜、美堂(※正義)氏より「初めて会ひしは朔太郎の会(昭和11年)」と電話あり。

2月7日
よべもよく眠る。やる気なし。徐廷柱氏より「送りし本未着」と1月27日出しの手紙来る。

2月8日
よべよく眠る。8:00起床。山本実氏より『蘇東坡』出本につき問合せ。「いらず」と答ふ。
堀多恵さんに渡せし本(※『田中克己詩集 自選自筆1932-1934』)は1万円本(※特製)かとユにとりにゆかせし由。やはり1万円本ではなかりし。
美堂正義氏の序文にて難儀す。

2月9日
鬱。下痢のかず。午后末富家へゆき碁将棋とも敗ける。鳥羽貞子氏より礼状。

2月10日
『東京四季』ならびに美堂氏へことわりの速達。(※省略)

2月11日
よべ一服足してのみ呆然としてすごす。ユ13:00すぎ出てゆき桝田紀子夫妻つれ来る。夫君能弁なり。(※省略)
滝沢修、札幌の今井恭子嬢つれ来る。(※省略) 3月26日(※省略)挙式、一席たのむと也。(※省略)

2月12日
よべも一服足す。午前中呆然(※省略) 小泉凡より「對馬にゆく」と。徐廷柱氏への12月のハガキ住所不明とて返り来る。
(鳥羽貞子氏より電話あり、体悪く『東京四季(※同人)』ことわりしといへば「お大事に」と)。

2月13日(日)
よべ一服のみ足して呆然。美堂正義氏より「速達見た」と。(※省略) 奥戸武逝去、東京銀行監査役たりしと。

2月14日
よべよく眠る。いらいらしゐるところへ川久保来り令嬢(39才)の婿ほしと。(※省略)  徐廷柱氏へ手紙かけども出しにゆかず。(※省略)
金沢肺気腫。青山定雄博士逝去。あす成城Catholicで葬儀と川久保。

2月15日
よべ眠剤一服足し午前中茫然。10:30徐廷柱氏に航空便出しにゆき、銀座までゆきNew Tokyo9階につけば西川、兼清をり。(※三火会)
われ訪韓止めといひ、原田の来るをまつ。経済の話わからず。(※省略) 吉本青司より小説集『虹立つ』送らる。成城より送別の会の招待状来るも心進まず。

2月16日
伊勢夫人来るとて末富邸へゆかず。16:00すぎ来り、21:20まで話しゐる。

2月17日
雪。(※省略) 平凡社と小山正孝氏より『杜甫(※『漂泊の詩人・杜甫』)』来る。訳よくできをり註は多し。

2月18日
「23日の会、大球会に合流す」と山本治雄。苑子(※船越苑子)来り、ユを木下病院につれゆく。母元気なりと。(※省略)

2月19日 
寒く、家居。13:30石井正吉氏来り2冊にsignさす。詩集館たてたしと也。ユ寒き中を外出して元気。松枝茂夫氏より『笑府 下』賜はる。

2月20日(日)
礼拝われは休む。ユ元気にて17:30より戸田画伯の会へと出てゆく。(※省略)

2月21日
ユpermaにゆき10:3014:30まで帰らず午飯くへずいらいらす。大東夫人より贈物。まちがへて1万円の(※特製)本送りしらし。

2月22日
寒さややゆるむ。(※省略)  山本実氏より「(※『蘇東坡』)2冊もって来る」と。
その間、ユ大阪行8:00のひかり買ひ来る。夜ユ眩暈と。筒井より「16:00南千里駅へ来い」と。
 
2月23日 
晴。傘もちて7:00家を出、8:00のひかり(※省略)難波まで地下鉄、
村山高氏はじめ野球部(※能勢正元・白井三郎ほか)と、山本、相野、後藤の3人にて歓迎会してもらふ(※大高同窓会)。
14:00すみ上野芝の田村邸へゆけば令息自動車にて病院へつれゆかれ春雄喜びて落涙せしと。階段まで歩きて回復しつつあるらし。
17:00天王寺。林夫人とユ、ひと電車おくれて来り、中華料理くひ1万4千円の室に泊る。林夫人、ユの肩もむ。

2月24日 
9:00すぎpaoと紅茶に手11:40竹葉亭心斎橋店といふへゆく。山本実子など名わかるものわからぬものあり自己紹介す(※帝塚山同窓会)。 狐うどん特別にとりくれ、詩集にsignささる。太田夫人写真をとる。
西洞院夫人、次の本も送ると。(※省略) 16:15南千里につけば筒井まちをり。夫人ともども歓待しくる。

2月25日 
9:00出て難波より近鉄にて名古屋着、地下鉄終点、歩けば依子迎ひに来る。望、泰ともにもの云はずなる。
澄20:00東京より帰り来る。よくねてtaxiにて名古屋駅。10:07に乗り帰宅。午食す。
ユ、戸田画伯(※夫人)にゆけば謙介氏、半身不随となり入院と。

2月26日
疲れて終日臥床。兼頭生より電話あり。ユ、戸田家に往来す。

2月27日(日) 終日臥床。(※省略)

2月28日 やっと筒井に礼状かく。ユ元気なり。

3月1日
雨。山本に電話すれば(※『蘇東坡』)寄贈すみしと。植村先生より病臥したまひし「本受取った」と。栃尾氏(※栃尾武)より同じく。午后末富家へ碁将棋にゆく。
松枝茂夫氏より『中国の西北角』もらひ『蘇東坡』の受取も来る。(※省略)

3月2日 終日臥床。

3月3日 山田俊雄氏より(※『蘇東坡』)「閑話休題多し」と。和田久徳氏よりも受取り。堀内達夫君15:30来り27日「立原の話せよ」と。 (※省略)
小高根太郎より「この間外遊せし」と。

3月4日
能勢正元より写真来る。午后花井タヅ子来り、姑死にてのどかとなりをり。(※省略)

3月5日
ユ、画へゆく。我、高円寺。都丸に瀬見氏をり、竹田正夫、武田昌造、新城常三、前田隆一の諸氏より受取。(※省略)

3月6日(日)
6:30さめユ、7:30出てゆく。われ眠りしか、丁度礼拝に出、竹森先生に『蘇東坡』進呈。(※省略) 21:00築島教授(※築島謙三)より「11日会ふ」と。(※成城卒業生会)

3月7日
10:30さむ。村山高、渡辺珠雄、田代耕二、能勢正元諸氏よりたより。(※省略) 「29日18:00京王プラザ43階ムーンライトで会」と通知あり。

3月8日
8:30さむ。大分元気となり礼状かく。成城大より「23日の卒業式に出るや」と。「出ず」と答ふ。(※省略)

3月9日 
8:30さめ13:00出て瀬見氏に『蘇東坡』与へ、新高円寺より地下鉄、14:16山本にゆき、(※省略)敬太郎社主も出て来て漫談。
『蘇東坡』売れさうと。『コギト』写しに来し古本屋により、山口基にゆき(※細君への)悼歌2首やる。娘をり。
地下鉄にのるなどして、京王プラザの4教授送別会に出れば大藤(※時彦)氏すでにあり、高田(※瑞穂)来り、栃尾と話し、大藤の発声にて乾杯。
4教授(西山(※松之助)、■山、渡辺(※渡辺珠雄)、亀井(※亀井孝))のヨーロッパ文化の補充教授みな挨拶す。(※省略)

3月10日
雨。出て書泉にゆき雑本買ひ、佐伯へゆき売りし本買ひ戻す(3,900)。ユ、戸田夫人扶けに河北病院へゆく。(※省略)

3月11日 
暖か。(※省略) 小山正孝君、高崎へ入試にて宿泊と。夫人に杜甫の訳よしとほむ。

3月12日 
8:30さむ。林富士馬君に電話す。佐伯へ本もちゆき貸しとし2,600雑本買ひ、(※省略) 戸田画伯に遭ひ礼いはる。(※省略)
14:30吉越笑子来り、茶入れ菓子呉る。(※省略) 卒業まで恋愛するなとさとし、(※省略)
(平凡社より『中国の名詩3(※憂愁のうた 漢〜六朝 伊藤正文、一海知義訳)』来る。感心せず)。John Wayne見了る。

3月13日(日)
8:30さむ。大雨にて礼拝休む。川久保に電話して「無為」と。美紀子16:30来り18:00までをり色々のもらひものす。入学祝は本人に取りにこらせる由。

3月14日
9:30さむ。朝食し12:30出て高円寺、瀬見氏『東シナ海の道』2,300を2,000としてくれる。(※省略) 高橋重臣君Indiana大学と『芸香』来る。
平凡社久米氏に「(※『天遊の詩人 李白』)3版よせ。『五雑俎』出せ」といふ。

3月15日 
8:20起され、田中久夫・羽田明2友より『蘇東坡』の良かりしとのたより見、三火会へゆき前パキスタン大使の話きく(加藤、原田、高垣の3級友あり)。
地下鉄にて高円寺下車。山川にてdouble本買ひ『ハイネ恋愛詩集(100)』に署名して瀬見氏に与へて帰宅。(※省略)
佐伯に『蘇東坡』買はして署名し(1,000×2!)、川久保にゆき(※中国)東北史万歳の乾杯し、書原にて『随園食単(文庫本360)』その他買って帰宅。

3月16日
よべ眠りがたく9:00さめ『蘇東坡』もち、安藤学長にと1冊総務部長に托し、法学部長らに13冊、大槻(森)夫人にはめこまし、午食おごり民研へゆく。(※省略)

3月17日 
よべ22:00眠り9:00起床。山住dr.に躁いひにゆき「帰れソレントへ」の1節歌ひ、(※省略)
佐伯休み、北口の古本屋にゆき売買し新本屋で雑本。瀬見氏に電話し「本買ひに来よ」といひて午食後来りしに2、3万売り『高群逸枝全集』と交換す。
夕食前、笑子の母来り、(※省略) 本棚の空き一つ出来しも書庫ほぼ満つ。
夜、浜野治に「野球部旗を三火会にもちゆき正野君に托せし。次期大球会長はきみがやれ」といふ。
羽田に電話すれば「謝恩会にゆきし。元気」と也。(※省略)

3月18日
6:00起床。(※省略) 書原に寄る。佐伯けふも休みをり。午后また出て築島博士に送本。文庫1冊買ひdouble。白井三郎より先月23日の写真。(※省略)

3月19日
8:00さめ朝食し、9:30ユ、同窓会にと千葉へゆく。われプティ・パレで朝食。福地夫人をり。昼食810。高円寺へゆく。(※省略)
20:30瀬見氏来りしに2.5万売り5千円貸す(あす靖国神社参拝と)。加福竜郎氏より遺稿集(※『読史余話』)来る。戸田みつき氏に色々忠告し前田病院入院をすすむ。

3月20日(日)
6:00さむ。ユ礼拝にゆく。我佐伯にこの間二重払ひせしをいへばカカア貸しなりしと。加福氏の本の礼状、発行所にかく。八木憲爾と同じbuil.の汽船会社なり。
(※省略) 新本屋にて色々買ひ『杜甫』(※小山正孝『漂泊の詩人・杜甫』)の出てゐざるを見る。
川久保より「15:00来る」との電話きき午寝し、川久保に共著ならマンジュ学やるといふ。(※省略)

3月21日
8:30起き、佐伯休みをり書原にゆき『倭人伝を読む(830)』買ふ。昼食前高円寺へゆき(※省略)、
大石にて『聖書民俗考』、『中国美術の旅』、『天界と地獄』買ひ、帰宅前プティ・パレにて茶のみ昼食。
13:30末富氏にゆき碁将棋、『荷風と風葉(※四畳半襖の下張?)』と貸す。鳥海香代子に「来い」といひ、
高田、松本善海未亡人、紅松、小山(※小山正孝)に電話。能勢正元より「愉快なりし」と。

3月22日
3:00まで眠れず。6:00さむ。8:00出て書原にゆき『蘇東坡』注文せよと、(※省略) 9:30高円寺へゆき瀬見伊三郎君に電話し、来るを待てば2.5万円と。地下鉄に出、神保町にゆき山本主人に本みせれば2.3万と『今古奇観』を2.5万といふに負けさし2冊『蘇東坡』もち文学本の多きへゆき2冊(1,000×2)売り近くで『満洲娘娘考』買ひ、山口へゆき誘へば飯くふと、定食満員の中で食ひ、別れて、
(宇佐美斉『立原道造』、『立原道造の自然』をも文学本屋で買ひしもダメ。) 新装成りし集英社にゆけば日置さんといふがをり『白楽天』の7版承知、「中国のことは我を顧問にせよ」といへば承知。茶おごり呉れtaxiで新宿まで送り呉る。
石井正吉氏より「蘇東坡受取った。近々来る」と。『万葉花譜』高円寺で買ふ。瀬見氏、茶おごりくれ軍歌合唱す。
留守に正野氏より電話ありしといふに20:00かければ「5月に三火会で話せよとの予定」と。20:30河野生「4人にて25日午後来る。 signしてくれ」と也し。

3月23日 
8:00さめ昨日の睡眠不足とりかへす。簡木桂君に電話し9:30ゆくといひ、着けば先客あり灸の本多く買ひゆく。
われ8,000余買ひ、南新宿より成城大学にゆけば卒業式と。(※省略)
西山松之助教授に退任めでたしといふ。小泉凡と森田晃一とに挨拶受け、高田瑞穂に「本返せ」といひて帰宅。(※省略)

3月24日
6:00さむ。9:00出て佐伯にゆき売りし本とりもどし、北口にて『栄花物語』、『古書街を歩く』、佐伯にて『西域列伝』、『天山の雪』、『秘本を求めて』など買ひ、佐伯に来てくれといへばすぐ来る。
雑本売り「末富氏へゆく」と電話し13:30ゆき碁将棋一盤づつやりて帰宅。15:00まへ瀬見氏「ゆきてよしや」と、「よし」といひ、
丹波鴻一郎に「近々会ふ」といふ。瀬見氏酒飲みて17:00
3,000おきゆく。(※省略) 藤沢桓夫氏より礼状来りうれし。(※省略)

3月25日
8:00さむ。8:30出て佐伯へゆき「本とりに来てくれ」といへばすぐ来て3,000!神田信夫君より「文学部長となり読み了らず」とわび状!(※省略)
午后川久保より電話「窪徳忠より池内先生奥様なくなられ千駄木町団子坂全生庵にて今夜7時より通夜あす葬儀」と。「われゆく。君お葬式に出よ」といひ、
(9:00雅子入学祝とりに来り、礼いはず帰りゆく) 書房にゆきなどして落ちつかず。河野、長友、[脇]本3夫人来りしに猥本1冊づつやり『李白』にsignし、河野に「『蘇東坡』も買へ」といふ。
16:00ともに出て(旧姓山野井)菱川秀子にゆけば待ちをり。(根津下車。山野井先生旧宅と老婆に聞き電話して迎へに来さす)。(※省略)
19:00全生庵への近道教はり礼いひて別れ、(※省略) 焼香し、夜食とて羽田の隣に坐る。喪主は宏先生の孫、一君の子、博と。
(※省略) 躁とてこわいものなし。一番に座を立ち池内夫人に千駄木駅まで送られ恐縮。(※省略)
書原あきをり『聖地の花(1980)』買ふ。帰りて粥食ひて23:00就寝。

3月26日 
6:00さむ。川久保に電話し「あす羽田と話せ」といひ、書原にゆき、『立原道造集』double買ひし、『続日本笑話集』正註文し、
『ペスト大流行』、『漢語の知識』、『Dietrich』、『A.Hepburn』と雑本1冊買ひて目黒駅より都ホテル東京へゆき、(※教へ子披露宴。) (※省略)

3月27日(日)
4:30さむ。10:00佐伯に本もちゆけば300!『スペイン語入門(英語)100』買ひ書楽にて雑本3冊買ひ、(※省略)
麥書房12:10来しと国鉄にて新宿、taxi拾ひて日本橋公会堂につけば室生朝子をり、ゐばりゐる。
山田某君(※山田俊幸)司会にて(※立原道造の会)はじまり、朝子30分にて了り、われ1時間しゃべり、2次会お好み焼き川まんまで案内さる。名刺きれ2女性に「来よ」といひ、我またTorna a Surrientoうたふ。鈴木亨君の半年ゐし吉林大学は長春にあり旧の建国大学を使ふと也。

3月28日
8:00さむ。高円寺〒へ後藤宛の手紙出し、(※省略)川久保にゆけば羽田と殆ど話せず榎、山本達郎らみな来しと。窪ちゃんとききゐしと。
15:00堀内、本返却に来り、(※省略) 高円寺に出て瀬見君に来よといへば「14:00来る」と。(※省略)
16:10来り、3,000返し、わがやりし猥本の文化史改本との表題に抗議せよとすすむ。(※省略)
平凡社に電話すれば久米・馬場不在。(※省略) 小泉凡より電話「4.1夕飯くひに来る」と。

3月29日
7:30覚む。9:00佐伯へ本売りにゆき(800)、(※省略) 10:00出て11:00まで山本にをり『今古奇観』返却、
『鷗北詩話(5,000)』のほか『東京夢華録訳(5,200)』、『簷曝雑記 竹葉亭雑記』、『児女英雄伝』2冊、『高適詩集編年箋註』にてつりもらひ、
地下鉄にて新宿三丁目下車。(※省略) 12:30小田急dept.14階につけば築島博士すでにをり15分待ちしと。
lunchをワリ勘にてとり、われ食はず話し結局1,500払ひ、またと別れ帰宅。(※省略)高円寺へゆき『日々の読書』、『大谷光瑞 上下』、『折たく柴の記』買ひ、(※省略)
相野忠雄より「愉快なりし」と。角川より『竹中郁詩集』贈呈と見る。
夕食後、久米・馬場2氏来り、平凡社東洋文庫に『五雑俎』出す。1冊分は600枚(400字詰)と。喜びて乾杯。
帰りゆきしあとtelevi見て眠り11:20覚む。

3月30日
6:00さめ8:30朝食。(よべ『東方学』に「ヌルハチの十王」かくこととす)。9:40築島博士に「詩集送る」と電話す。佐伯に本売れば200。(※省略)
山本実に電話すれば「和田氏来り(※『蘇東坡』)2冊買ひし。400は売れし」と実情いふ。14:00弓子母子来るとのことに早飯。(※省略)
高円寺へゆき朔太郎売れば1.5万。本少し買ひ大石にて茶のませし老嫗明治45年生と。ユに『美人の画き方(1,000)』買ひて帰宅。
宏一郎・克次朗に将棋たやすく負く。神田信夫氏より電話「喜一郎先生全集編集に専念」と。(※省略)
和田収一君より電話「山本敬太郎に感心せし」と。(※省略)

3月31日
4:30さめ東豊、和田久徳、荒木利夫に電話すれば「結核にて入院せしも療養中」と。天野忠、依田義賢の無礼を咎む。
筒井に電話し「上京せぬか」といへば「せず」と。和田収一君に電話すれば「よみかけてをり山本書店主に感心せし」と。
(※神田神保町へゆき)少し本買ひ『シロコゴロフ』で金少なくなり、あと印税でと。親子ともに不在なりし。
市ヶ谷で地下鉄、のりすごして国鉄代々木へゆき(※東豊書店)、7万円余の借金しjuiceおごらる。重ければ一部を残して帰宅ときむ。
プティ・パレにて茶のみ『真珠』とて武田豊派の詩誌2冊来るに「下手」とかく。(※省略) 山本書店より読書感送らる。
高円寺にて瀬見に1.3万円の『満洲実録』の借金かき、(※省略) 「多爾袞(※ドルゴン)考」書き改められさうなり。(※省略)

4月1日 
0:10入浴、7:30起床。8:30雨中佐伯へゆけばしめをり書楽にゆき『古代史私注』、『弥縫録』買ひ、地下街の書店にて文庫3冊買ひ、金なくなる。
昼食後、待ちて末富氏と碁将棋、(※省略) 『五雑俎』の序かき了へ本文にかからんとすれば17:00。大雨とてか小泉凡10分遅れて来る。鎌田semiとのことにわれを本semiにせよといひ、夕食くはせ出雲因幡の境土神に十三峠の佛もありと教ふ。(※省略)
(川久保に「金沢Singaporeにゆきし」といへば気を悪くす)。ユ「築島博士やきもちやきし」といふ。22:00就寝。

4月2日 
快晴、暖かし。8:30起床。佐伯に電話し「10:00前に来てくれ」といふ。10:20来り3,000にて買ひゆく。午睡せず、
瀬見に度々電話し、(※省略)来りしにBaedeker(※旅行案内書)2,000売り、商人なるに感心す。プティ・パレのぞけば「福地夫人やめし」と。
(※省略) 夕方、便利屋、東豊書店の本もち来り、(※省略) 復活祭献金をし、(※省略) 5月の三火会のわが話に諸先輩の来るを電話し、(※省略)
井上靖氏に電話すれば「申込み多く中々に困難なれど詩集拝見す」と。小田切進氏に『コギト』の再版すすめ、わが無欲をいひ『辻馬車』『日本浪曼派』くれといふ。「考慮せん」と也。

4月3日(日) 
3:30小水にてさめ、(※省略) 羽田へ京大中国文学にて『杜甫伝』、『蘇東坡』にてはいかがにやと依頼状かく。「清初十王考」かくつもりなり。
(※省略) われ9:05まで五雑俎やりあはてて着換へ外套着て教会へゆく。(※省略) 
先生に詩集の題見せれば「神聖な約束が宜し、序文かく、幾枚がよきか」と。400字2枚と申上げ快諾さる。(※省略)
古本屋にて7冊買ひ、丸井へゆけばbenchなし。やっと見付けて坐りをり。14:09調布行のbus、16:03京王八王子発のbusにて上川霊園(※墓参)。

4月4日
8:00さむ。(※省略) 佐伯・書房にゆきてのち(8万円もらふ)帰宅し10:00出て、(※省略) 東豊に払ひすまし、また3万円近く借金し、帰ればユ不在。
プティ・パレにて午食し、(※省略) 川久保に電話すれば(※省略)、川久保を訪ね、「満洲旅行の手続」をきけば書類貸し呉る。
すぐ出てcopyし、衛藤長老にたのめばよきことわかる。(※省略)

4月5日 
(※省略)6:30覚む。堀多恵、瀬見伊三郎、船越宛に電話す「(※船越章より)のど自慢に申込め」と也。
小山正孝君に電話すれば出張中、2:00までに帰れば電話すると。大岡信に電話すれば徹夜にて眠りをりと。(※省略)
10:30瀬見氏来り、『Poet’s School 1-36』6,000とし、もち来し(※請求)本代3,000引き3,000呉る。(※省略)
13:09のbusにのり13:50桜丘駅につき、『世界名歌集(600)』見つけて松本邸。夫人迎へられ、令嬢も顔見せられ、(※省略)
やがてわれ、のど自慢の予習としてOrganにあはせ2〜3曲うたひ注意受け、一休みに紅茶賜はり、
「Solveig(※グリーグ)」うたひ「春」と「荒城の月」うたひ、出来をきけば「サアネ」と。わが耳と声とちがふことわかりしあと暇告げれば駅まで夫人送らる。
途中の古本屋でまた本買ひ阿佐谷着。婦人しか買はぬ本屋にて『路傍の石(150)』!買ひ、(※省略)帰宅。
山本より『五雑俎』と築島博士より重複と『蘇東坡』返却と〒函にあり。18:00山住dr.に血圧測ってもらへば126と。最高にて先生「宜し」と也。
(※省略) イナダケンタロウより「おじいちゃん、おばあちゃん、おげんきですか。よしこちゃんもぼくもげんきです。おかねをほんとちょきんとつかいました。いつかえをまたおくりたいとおもいます。そのえはきにとりがとまっているえにかきたいとおもいます。おばあちゃんおじいちゃん、さようなら」。

4月6日
6:00さめ(※省略)、佐伯へ本売りにゆき(2,000)、昼食、瀬見氏に本売り高円寺・市ヶ谷・神保町のルートとり山本書店へゆけば父子そろひ、『塵餘(1.5万)』その他、(※『蘇東坡』の)印税として買ふ。ゆっくり売りて再版待つとなり。帰途途中本買ひ、花買ひ、野菜買ひ、(※省略)、帰る。
禎子より電話あり幼稚園へゆくと也。保田悠紀雄(※保田與重郎次男)、坪井明に『コギト』復刻のこと了解したとなる。

4月7日 (※★省略) 6:00さむ。山本書店にハガキ出しにゆき、高田瑞穂に電話すれば「あす来る」と。
(※省略) 「清初十王考」かきをれば10分早く和田、桝田夫人来り、われ非礼を怒り、仕事つづけ、買ひしとの『蘇東坡』にsignす。
ユこれと話すうち14:10となり、末富家へ碁一番、将棋も負く。帰れば2夫人まだをり16:00出てゆく。
われ後追いて高円寺、(※省略) も一度瀬見氏確かめて帰宅。19:00山本より5.7万円余の本来る。(※省略) 瀬見氏より電話「4,000で買ふ。製本引受けた」。(※省略)

4月8日
8:30さめ(※省略)、高田10:00来り、午食にとりしすし1ケ半平らげ『大正文学の個性』呉れて早々去らんとするに、南阿佐谷へ案内せしに阿佐谷駅へと去る。
(※省略)都丸書店にゆき瀬見に会へば6,000呉る(紀州方言2冊借る)。茶のみに誘ひ軍歌うたふ。まっすぐ帰り、(※省略) 
(山本実に一度来させよと敬太郎氏にいふ)。川久保に電話すればいやいや「あす午前中来る」と也。

4月9日 
よべ検せしに父の亡くなる年の日記(※昭和36年7月26日-9月27日 「東京日記11」)なくユ、我焼きしと也。(※省略)
川久保に電話すれば「11:00来る」と(※省略) 川久保11:00来り激論「一期一会」と仏語つかひ、無信仰・鈴木都政にも批判なく呆れ、われより折れて12:00帰りゆく。
道造の会にて会ひし女人13:30来ると。(※省略) 午后吉川女史来る。

4月10日(日)
ユ展覧会とて我のみ礼拝にゆき、竹森先生に序文のこといへば「書きあり。直して送る」と。長島長老に茶おごられ、busにて下連雀に下車。
すしやに入れば(※少ししか食べず)630なりしも、にぎり手不満らしく包丁もておどかすに「110番す」といへば内儀あやまる。
訊ねたずねして弓子にゆけば焼きそばしをり。3孫と食ひ了りしあと将棋を宏一郎とさして勝ち、(※省略)帰宅して16:30ユと殆ど同時なり。

4月11日 
6:00さめ9:00山住dr.にゆけば血圧98と。高円寺まで歩き、(※省略 都丸にて)『Leonardo da Vinci(1.3万)』借りて帰宅。(※省略)
近代文学館へ\20,900『辻馬車』代として送金す。吉本青司氏に『悲歌』のcopy送り、(※省略)
丸木夫人に本(※『蘇東坡』)買へといひ白水※に「佐伯にて買へ)といひてすむ。」 ※白水千鶴子(※しらうず、旧姓坂根、青年座)
西山松之助博士退任の挨拶に電話してすむ。大人なり。(※省略)

4月12日
よべ23:00ねて6:00さむ。松本規矩子夫人に出し「Loreleiでのど自慢に出る」といへば「よからん」と。
9:30出て瀬見氏に1.3万わたし、また『岩波西洋人名辞典(1.3万)』借りて帰宅。(※省略) 近代文学館より『辻馬車(※復刻)』来り、村山氏「病気にて夏まで上京せず」と。

4月13日 
よべ2:00さめ(※省略) 10:30瀬見氏に1.3万わたし300円借りて帰宅。眠れず。桜桃忌の主宰者に連絡とれる。太宰をめぐる人々のこといはんと思ふ。
(※省略) 眠らんとすれば瀬見氏来り、あげて夕方まで話す。山本実氏より電話、ヨミウリの(※『蘇東坡』短評)切抜送り呉る。
(※省略) 竹森先生より「まえがき」来り、電話にて礼いふ。(※省略)  村山氏に見舞のハガキ。(※省略)

4月14日
2:00さめ「五雑俎」にかかる(詩は今週中にすむと自信あり)。5:00眠り8:00さむ。
11:00白水※、丸木、押上、豊島、4夫人来り、昼食する内、宇井(井上)睦子夫人来る。歌うたひしも豊島夫人音痴とて同感せず。(※省略)
われ書房へゆき、帰りて末富家にて碁5目にてはむり、将棋、2番惜敗す。

4月15日
2:00さめ詩集にかかる。8:30起床。朝食後出て成城大学。Skey女史に会ひ、(※省略) 高田瑞穂に会ひ一杯水うすめてwineのみ、共に出て14:00小田原駅にゆけばSkey女史すでにあり。(※省略)  小田原より新幹線に乗り換へて静岡着。
古本屋への出口おそはり、まけて貰へば店しめる。小田原にてわさび漬買ひ、ゆきがけに買ひしシューマイ食ひ、茶買ひて食ひつつ新宿へ20:00つき帰宅。
22:40丹波に電話し「退職祝せよ」といへば「古稀の祝せし」と。八木君に受取かかぬは失礼と咎めし。

4月16日 
8:00さめ爽快。雨、山住dr.へゆけば血圧106.(※省略) 高田に失礼いひSkey女史に礼状かく。(※省略)
近藤達夫より千葉に転居と印刷のみ来りしを無礼咎む。西洞院文昭に無礼咎む。馬場英子夫人に「一度来よ」とハガキかく。

4月17日(日)
6:00さめ9:00礼拝に出んとせし。恰も丸木夫人より電話、ユきけば「白水のひとり息子自殺」と。、礼拝にゆき歌つくり、竹森先生にまえがきのお礼申上げ、(※省略) 一旦帰宅。
13:00出て、(※省略) 14:00Manshon Hatagaya3階の白水家へつけば納棺しあり。白水千鶴子泣くのみ。朝起きれば電燈よりぶら下りゐし、あす10時起せの遺書ありしと。狂気の沙汰なり。大の友なる白水(※胖)氏と話し、大と絶交の話し、火曜の葬儀に来られずといひ16:30丸木夫人に送られ駅へゆく、(※省略) 帰宅。藷、葛餅食ってねてしまふ。

4月18日
2:00さめれば雨止みをり。(※省略) 8:30本多さん来り、庭の松をはじめ多く切る。われ相手す。午まへ出て散髪(1,050)、都丸本店支店で本買ひ帰宅。(※省略)

4月19日
曇。8:00さめ本多さん既に来をり、9:00出て(※省略)、東西線にて12:20ビヤホールに着けば浜野、吉岡2君既に来をり(※三火会)。
遺伝子の話、鼠の実験までと(※同姓同名の)故田中克己博士のこといへば返答曖昧なりし。次は「大高の文学」を我すと。聴衆最も少なかりし。
地下の喫茶店で吉岡浜野2君と会し、大球会東京支部会を開くこと定め、(※省略) 神保町に出て山本実君に会へば−7万円余と。「本売る。来れ」といふ。
明大大学院にゆき島田博士(※島田正郎・明治大学総長)に(※省略)15:00ゆけば在室、研究室につれゆかれ、
「中国の元以後の女性に関する法」につき書き、神田君とが(※博士号の)主銓考委員と。今年中に呈出といひ、地下鉄にて帰宅。(『清朝蒙古例の研究』もらふ)。
夜、神田君に(※博士論文提出につき)大略電話、宜しくとたのむ。

4月20日
咲耶より電話。(※省略) 10:00copy(清朝世系)にゆけば長島夫人ら来り、岩波新書『日清戦争』序文よませ隔週とす。
中西博士より『柿本人麻呂』来る。昼食後、成城大学へ紀要もらひにゆく。(※省略)石川、尾形2教授と話し高田つかまらず「桜子」にて餡蜜(420)食ひ、東豊へよれば4月4日の分と併せ併,759の借金となる。
(※省略) よろしくと島田正郎博士へ紀要とハガキにてたのみ状かく。 (※省略)

4月21日
6:00起床。(※省略) 菱川夫妻来り、夫醜く、わが本革本見せ、漢名字典出せといひしも無力ならん。よき返事せず。(※省略)12:30帰りゆく。
(※省略)

4月22日
3:00さめて眠り、8:00さめ(※省略) 10:00すぎ中公事業出版社来り、麥の仮製本(※出版計画中の『神聖な約束』)につき、見積り100万円(100部)と。50万円でのページ計算せよといへば浮かぬ顔して帰りゆく。
保田悠紀雄夫人に電話すれば「今年3回忌には呼ぶ」由。
集英社日置氏14:00来ると。(※省略) 14:00集英社来り、学術書をといふ故、色々中国関係話せど無駄にて『白楽天』の7版のこといひて逃げ去る。
14:10集英社来り、学術書をといふ故、色々中国関係話せど無駄にて『白楽天』の7版のこといひて逃げ去る。(※省略)
村山高氏へ「東京支部長を浜野治にゆづりし」旨ハガキかく。

4月23日
4:00さめる。(※省略) 出て高円寺へ重き荷もち(立原関係)売れば1万2千。藤田徳太郎『声曲類纂』を2千円で売り付けられ喫茶(600)おごる。15:30帰宅。
ユの帰るころ川久保来り、わが信仰に反対しshamanismなりと。この2日間ほどの変なのはいかなることならん。わが「退職祝早くせよ」といひて帰す。(※省略) 丸木夫人より白水千鶴子離婚との電話ありし。

4月24日(日)
礼拝夫婦ともに休み、雨とて外出せず。『五雑俎考』よみ直し「五雑俎」に解説として入れんと思ふ(馬場夫人に相談せん)。
丹波に電話すれば11:30阿佐谷に来り、電子の研究しをりと。中国料理店に案内しbeerのませ、
彼はギョーザと八宝麺食ひわれはギョーザのみ。近々また会はんといふ。学習院の同窓13人と会すと也。

4月25日
快晴。(※省略) 川久保、山本実氏より朝日新聞に書評※のりしときく。
※『蘇東坡』短評(朝日新聞・無記名子) 筆禍による死刑宣告釈放前後の詩がないのが物足りないとし「詩人としての思い入れが随所に見え、それがこの伝記の個性ともなっている。」
※『蘇東坡』書評(図書新聞・入谷仙介)「訓読のない現代語訳を名人芸と持ち上げた後「東坡伝としては無用のおしゃべりに似るが、著者の東坡に寄せる思いがひしひしと伝わる」
(※省略)
島田正郎氏より博士論文の詮考むつかしく主査たり得ず、通過困難ならんと書簡封筒来り、腹たちしも、実力養成し「元典章」をよむこととす。
18:00吉川康子嬢(※立原の会にて面識)来り、飯出すとてユ用意に出てゆく。
学界のむつかしきを知るも仕方なし。22:00吉川嬢「原文入りの唱歌集」借りて再来を約し去る。ユ駅まで送る。

4月26日 
神田信夫氏に博士論文辞退のハガキかく。滝川博士にも同。島田博士には縁なかりし旨手紙かき投函す。

4月27日 
風邪気味にて微熱あり。一日臥床。渡辺珠雄氏よりnanai語のSyntax贈られる。
道造の会の時世話してくれし秋山千代子氏より写真贈らる。
中公事業出版社より詩集とりやめとて書類返しに人来り、ねまきにて受取る。鬱にて材料そろふ。

4月28日
昨日とまづ晴にて暖し。渡辺氏に礼としてシロコゴロフ(山本書店にて買ひし)送る。秋山氏に礼状かく。
televi2度白水千鶴子の自殺を告ぐ。(ユ、丸木夫人に電話すれば「昨日も見舞ひしに」とのことなりし。血統+境遇にて夫の不信を怒る資格なきを反省す)。(※省略)
久米・馬場2氏来り『五雑俎』抄とすべく400×1,500枚(2冊分)といひ、その内馬場氏に100枚位かけしところ見てもらふこととなる。
ユ不逞にて瀬見氏の面前にて叱責し、太宰忌に吉川氏と同道とりやめときむ。(「十王考」『東方学』に書くこととす)。

4月29日
(天皇誕生日) 何もせずにゐるところ「午后来る」と美紀子より電話あり。
史、風邪ひきゐる暁子とともに現はれ、物云はず「帰ろう帰ろう」に腹立て「厄介にならぬ」と絶交申し渡す。

4月30日 
臥床2:00さめ、ユの枕許にゆき懇々と史の頼りにならぬことをいふ。
8:00起床。吉川康子氏に「桜桃忌欠席、そのうち来よ」、江頭彦造氏に「天野忠の詩掲載は不合理」とかく。ロシア語辞典失ひツングース語しばらく休まん。(※省略)
夕方、考へ変り『ロシア語辞典(1,600)』佐伯にて買ひ、余生を悠々と送らんと思ふ。

5月1日(日)
4:00さめ夫婦にて礼拝にゆく。白水胖に対する憎しみたへず、ゆるさじと決すれど仕方なし。※両親の離婚予定を知った息子が自殺し、ショックで妻も自殺したこと。
12:00帰宅。午食し無為にて22:00床につく。

5月2日 
6:00さめ朝食後。9:00小泉外科にゆけば直腸に切れ痔ありと。(※省略) 津村昌子氏より鎌倉にをり「信夫文集」にわが文のせるがよきやと。(※省略) 島田正郎博士に本代1.2万送る。これにて絶交と定む。 (※省略)

5月2日
憲法発布の日と。6:00さめ終日家居。午寝す。
小野勝年博士より喜寿記念として発行の『雪村友梅と画僧愚中』ならびに『東大寺献物帳考証序説』贈らる。
『辻馬車』とばしよみ『神崎清の追憶』よみ了る。

5月4日 
晴。6:00まへさめ、(※省略) 都丸書店にゆけば瀬見氏より「少しまて製本出来をり」と。(※省略) 渡され礼とらず。(※省略)
白水千鶴子の自殺を許さず。太宰治の桜桃忌にも出ず。9日の文芸学部の会欠席と決心す。

5月4日
晴。子供の日なり。鬱々として読書す。夜、健太郎より「仙台へいつ来るや」と。ユ「6月」と答ふ。(※省略)

5月6日 
よべ不眠。不安なれど仕方なし。肥下夫人より『コギト』につき心配ありがたし、来訪の時は電話せよと。村山氏より1カ月入院と。(※省略)

5月7日 
よべ眠り9:00さむ。日中無為。花井タヅ子より様子問ひ来り、白水夫人の死のことにて答ふ。

5月8日(日)
よべ眠り22:00すぎ1服足してのみ7:00さむ。礼拝休むこととす。(※省略) 無為。

5月9日 
鬱はげしく無為。(※省略) 夜、川久保より「会す」と。鬱いひて断はる。

5月10日 
無為。左川ちか氏につき問合せ来る。関係なきなり。瀬見氏に礼いかんとして果さず。

5月11日
長島夫人10:30、2児つれて来り「日清戦争」の開戦よりよむこととす。鬱とれず弱る。

5月12日 鬱の薬のめどきかず無為。

5月13日 鬱のかず無為。

5月14日 依子より「来るか」と電話、「ユゆけず」と答ふ。

5月15日(日) 礼拝休む。無為。

5月16日(※ママ) 三火会の講演失敗、補正の話あり。(※省略) 『楚辞』来る。

5月17日 
瀬見氏に14:00製本の礼として清酒一升もちゆく。そっけなく不快なり。山本実氏に「精算書送れ」と電話す。

5月18日 
研文出版より79,030の請求書。野田又夫氏より云々。午后三郎兄来り、楽観的なり(67才と)

5月19日 
ユ研文出版へ郵送。柏井墓地へ三郎家入るため相談にゆく(染井墓地の井上河内守(※祖先)の墳荒れをり)。
(※省略) 大谷従二氏より「コギトにのせし詩」を含む『朽ちゆく花々』送らる。われのせしと也。

5月20日 ※記述なし。

5月21日 ※記述なし。

5月22日(日) 6:00さめ夫婦にて聖霊降臨祭にとゆく。(※省略)

5月23日 (※省略) 保田の文のせし雑誌来る。

5月24日 午后意外にも重久武志ものもちて来り色々の苦労話す。(※省略)

5月25日 (※省略)千草来り、大分おとなしくなりをり。

5月26日 無為。ユ柏井歯科へゆく。戸田謙介氏危篤と也。(※省略)

5月28日 
戸田翁8:20死去と。金沢に祝送らずと兼清のハガキかく。『辻馬車』瀬見氏1.5万で買ひくれしゆゑ茶おごる。

5月29日(日) 
9:00さめ礼拝にゆかず。ユ、戸田謙介翁の為右往左往す。今夜18:00よりお通夜とて満員。(※省略)

5月30日
よべ睡眠感なし。(※省略) 12:00ユ、戸田家へお花料1万円もちゆく。北海道の養子女帰り来り、末弟挨拶せしと(浅野晃らしきが焼場へゆきしと)。(※省略)

5月31日 
晴。暑し。佐伯にゆきしも本来ず。 あすよりは仕事をせんと思ひつつ半月すぎぬ人もすぎゆき。

6月1日 無為。

6月2日 同。

6月3日 夜、ユと戸田家へゆき霊前に礼し、夫人、養女と話して帰宅。

6月4日 この間よりの返信みなすむ。(※省略) 荻窪へ地下鉄にて往復。(※省略) (※★省略)

6月5日(日) (※★省略) 9:30起床。ユのみ礼拝にゆく。(※省略) 中山正子土産もちて来り、(※省略) 雑本悦びもち帰る。

6月6日 9:00起床。無為。(※省略) 高円寺へゆき『中国古代書籍史(1,800)』大石で買ひ瀬見氏さそひて茶のみ帰り夕立に会ふ。

6月7日 大石書店休む。瀬見君も来ず『昭和年表1979(300)』買ひ、(※省略)

6月8日 9:30電話あり10:00、3女史来り、日清開戦までゆく。長島夫人最も良く出来る。午后高円寺へゆき『理科年表』買ひ(※省略)

6月9日 9:30さむ。(※省略) 中山正子夫人より「本、汽車中でよみ残念」と。

6月10日 8:30さむ。白水胖より香典返し来る。佐伯にて『東北(150)』(※省略) 八木敏雄君より『アメリカの文学』もらひ礼かく。

6月11日 八木君へ投函。(※省略) 午后高円寺『1941年12月8日(200)』買ひ、(※省略) けふより「中国小説語彙」また始む。

6月12日(日) 8:00さめ鬚そりユと教会にゆく。竹森先生に(※詩集)8月末出来といひ、(※省略) 自民党勝ち徴兵制とならん。(※省略) 「7月ゆかん」と京に電話す。

6月13日 入梅。無為。外出せず。
6月14日 ユ区民税納む。豊島夫人に白水千鶴子のこといへば知りをり。(※省略)
6月15日 水道のなほしをユ、佐伯にたのむ。われ10:00瀬見氏に2,000の本売り、(※省略) 近代文学館より「『コギト』のreprint不能」と。

6月16日
梅雨入り。(※省略) 『鴎外屈辱の死(1,400)』買ふ。東洋大学の三浦佐久子女史より小説もらふ。
肥下光子夫人に保田の一周忌にゆくとハガキ投函。

6月17日 9:30起床。ユ、柏井・山住両医院へ出てゆく。(※省略)

6月18日 6:30さむ。(※省略) 15:30下水道屋来る。

6月19日(日) ユ礼拝にゆく。(※省略) 午后父の日とて小林宏一郎・孝行の2孫菓子もち来る。桜桃忌の由。

6月20日 6:30さむ。(※省略) われ『中国小説戯曲詞彙研究辞典』のcardかく。

6月21日 
三火会にゆき福永英二の話きく。サイゴンの礼いふ。
平凡社へ電話し金曜来たまへといふ。津村家よりわが文、うたのりし『頬笑みよ返れ』2冊賜ふ。
麥書房に本出したし、津村の会にといへば「近々夕食後来る」と也。西山氏の最終講義のりし『民俗学論集』来る。敵もさるもの也。(※省略)

6月22日 夜、吉川女史来り、色気なきに感心す。わが詩よみ飯くひ「埴生の宿」うたひて去る。

6月23日 
よべ眠りがたく9:00起き、石川君(※石川弘義)より『女のボディランゲージ』もらひてよみ、
16:00すぎ出て石原恭著『ことわざ 上(800)』買ひ、京王プラザの成城大学文芸学部の会にゆき、
栗山、高田、堀川3名誉教授にあひ、事務局長に大藤はじめ早く勲章請求しろといひ、
小杉茂樹君より『東京四季』に詩1篇9月10日ごろまでにと。(※省略)

6月24日 曇時々晴。よべ2:00までねられず。(※省略)

6月25日 9:00起床。10:00瀬見君へゆくまでに『背常者の系譜』、『アッチラとフン族』買ひ、(※省略)仕方なく『森鴎外 その若き時代』買ふ。けふ津村忌かとまちがへし。

6月26日(日) 
(※省略) 津村信夫の会に出る。鈴木亨君司会、秀夫氏(耳きこえずなりし)の挨拶のあと、われ乾盃を指名さる。
3分間づつ話し、われアジソン氏病の死に先立つ次男の死にて悲しかりしといひ、津村君の皆に愛されしをいふ。
婿は早大出と。 2次会に出ず追分まで帰る。堀多恵夫人と同席。(※省略) われは18:40帰宅。ユ19:00帰宅。

6月27日 
寒し。麥書房来り、30万円にて(※『神聖な約束』)やってみると。(※省略)

6月28日 8:00さめ辞引つくる。(※省略)

6月29日 午后晴る。昼食後、佐伯にゆき『李白』等1,300で買ひ「書房」でも買ひ階上で喫茶(300)。

6月30日 (※省略) 我14:00までプティ・パレにゆき昼食。(※省略)  「書原」にゆき雑本買ふ。

7月1日 
ユ中元にと出てゆく。(※省略) 「書楽」にゆき忙てて末富氏と碁将棋みな負ける。
18:00(※平凡社)久米氏来る。馬場夫人風邪と。(※『五雑俎』)第1冊(2冊)の原稿8月末に出来と約束す。

7月2日 
晴れたり曇ったり。(※省略) 猫、床下に子産みてうるさし。われcardかきをれば吉川嬢来り21:30まで話しゆく。(麥書房来り10万円(※印刷前金か)もちゆく。)

7月3日(日) 
7:00さむ。小雨。礼拝休む。cardやる。(※省略) 向ひの安延家の猫、一匹の子猫この間より床下で騒ぎしをとり去る。床板はがして大損害なりしもmelon賜ふ。

7月4日 
佐伯へゆき1,300本買ふ。『九大生体解剖事件』に森良雄死刑宣告ならびに告白ちょっとのる。『悪魔の飽食』2冊はハルビンの細菌部隊のことをのす。(※省略)
麥書房より「後記400×2.5送れ」と。(※省略) 山本書店に『中国人名辞典(10,000)』送れといふ。

7月5日 
6:30起床。雨。cardやる。麥書房へ「あとがき」送る。(※省略) 山本書店より本来り送料とらず。(※省略) 21:30伊勢すみえ氏来る。

7月6日 雨。(※省略) 長島・富永・鳥上3夫人、日清戦争講和までよみmelon饗す。(※省略)

7月7日 
浪速中学60周年に思ひ出かき郵送す。鳥海香代子へ「旧七夕ごろ泊りがけで来よ」とハガキ。山本書店より佃煮来る。西島治子より香典返し来り、中に数珠あり苦笑。(※省略)
(※成城大学文芸学部の会)三貴ビル地下のRheingauといふなり。定刻、我妻、鎌田、平山、佐伯、野口、森岡(幹事)の外、上島講師の隣に座る。
西山を最後に大藤、新城、西山と我と退職出席、痔を申立て中途退席、不快なる会なりし。(※省略)

7月8日 新聞に上原和の息子死にてBibleよむ(響)と。和田夫人より三治夫人癌にて絶望と。

7月9日 雨気味にて(※省略) 吉川老嬢来り、(※省略) 「五雑俎」200×14訳す。依子より中元来る。(※省略)

7月10日(日) 礼拝にユゆかず。我2列目に坐り献金1,000。2清水嫗に会ひ長島長老夫妻に会ふ。(※省略)

7月11日 寒くて外出せず。(※省略) 午后克次朗・孝行中元持ち来りしに500ずつやる。(※省略)

7月12日 小泉外科へゆき(※痔投薬 省略) 「五雑俎」少しやりしのみ。

7月13日 涼しく曇りなり。外出せず。夕方より禁烟。(※省略) 平凡社の漢詩了る。「五雑俎」やる気なし。

7月14日 末富邸で碁将棋、負け多し。(※省略) 山田俊雄氏より『詞林逍遥』賜ふ。タバコやめし故、一気によみ了る。

7月15日 タバコのまず無為。(※省略)

7月16日 梅雨空なれど降らず。外出せず。タバコのまぬ故、仕事も出来ず。(※省略) 天野忠より詩集『古い動物』送付。

7月17日(日) 寒し。6:00起床。礼拝休み無為。花井夫人より三治夫人の句きく。瀕死を知りをり。(※省略)

7月18日 6:00前起床。眠し。(※省略) 都丸本店で『韃靼漂流記の研究(2,800)』買ひて帰宅。

7月19日 6:30覚む。10:30ユと出て渋谷。探しまはりフランス料理「シエ松尾」といふへゆく(※奥村(森田)氏送別クラス会)。
花井、和田2夫人来て三治夫人の回復できざるをいふ。(※省略) ユと別れ代々木の東豊にゆき『易程伝(950)』買ひて帰宅。
(※省略) 河村純一博士より第2歌集来る。

7月20日 (※省略)8:00起床。雨降りをり。(※省略) 書楽にて『GHQ(480)』買ひて帰る。(※省略)

7月21日 雨。8:00さめ天野忠へハガキかき、(※省略)、東豊書店へゆき『台湾宝島(1,080)』、『中国高等植物図鑑補編第一(2,980)』他1冊、(※省略)、
鳥羽貞子氏より「『四季』にかけ。物贈った」と。(※省略)

7月22日 曇。(※省略) 「五雑俎」やっと40枚に入る。高円寺へゆき大石にて『クレオパトラ(1,300)』買へばdoubleをり。
他に『見聞談叢(1,000)』、『懐旧九十年(600)』買ふ。鳥羽貞子氏より物もらひしゆゑ『東京四季』にかくと電話にて礼いふ。
7月23日 5:00覚めて起床。(※省略) われ「五雑俎」記よりも註面白く、すすむ。

7月24日(日) 
7:30起さる。夫婦にて礼拝にゆき、(※省略)。別れて「外口」にて杉森久英『一癖齋放言(680)』買ひ、
(帰宅後よみて四高へ4年准卒(※飛び入学)で入りし明治45年生と知り、保田の背広で来学せしを覚えありとに、上智の田中教授の名きかんと高田瑞穂に電話すれば無人らし)。
『デルス・ウザーラ(100)』、『椿姫(180)』も買ひて帰宅。(※省略)。

7月25日 
6:00すぎ覚む。佐伯にゆき『長沢規矩也全集3』受取り、(※省略) 
『風日』来り、保田の文に「他人の手紙を無断で公開するな云々」。われ典子夫人に「一周忌に呼びたまへ。肥下夫人も云々」とかき10月3日なるを調べる。
(※省略) 麥書房「4日に校正見す」と。(※省略) 瀬見伊三郎氏、梅干しもち来り我と葡萄酒の乾盃し「禁煙にて苦し」といふ。(※省略) 杉森久英にね一言ハガキかく。躁なり。(※省略)

7月26日 
よべ23:00までねられず。(※省略) 我は瀬見氏に本売り(4,000)、『内村鑑三』、『柏井園説教選』、福永武彦訳『パリの憂鬱』にて700買ひしこととなり、瀬見氏誘ひて喫茶(630)、12:00前帰宅。
青木信子より暑中見舞来り、鳥海嫁にやりたけれど如何か。(※省略)  李白最後までよみてやっと白鵬を求むる詩ありしを発見20:30なり。

7月27日 6:00前さむ。朝食後、山住dr.に参れば血圧98-60。尿に糖なし。「禁煙苦し」といへば「水のめ」と。(※父上の)克己閣下の老衰をいへば「心配しゐる」と。
(※省略) 「五雑俎」74枚まで書き、荘子の引用わからず栃尾君に電話すれば坊や出て留守と。(※省略)
けふ午飯まへ東豊書店へゆき、劉枝萬博士『中国道教の祭りと信仰(1.8万)』、『明清伝奇選註(3,000)』、『西太后秘史演義上下(1,370)』、『百越民族史論集(840)』買ひ来しに、山本よりLaufer『中國與伊朗(※イラン)』来る。(※省略)
鳥海香代子に電話すれば母上「遊びに来よ。カヨ子はけふ木更津の友人の家に泊」と。帰れば電話さすと也。

7月28日 
5:30さめる。(※省略) 眠き中、近江の詩人会長鈴木寅蔵氏より電話「創刊のことききに来る。今東京駅」と。(※省略) 待つ内、鳥海かよ子より電話、見合せよといへば「まだ23才、姉あり」と。
(※省略) 14:30鈴木氏(※省略)わが家に案内、昭和25年のPoet’s Schoolの第1回の会のこと教へ、送別会の写真見せればcopyに苦心。(※省略)
(杉森久英氏会ひたしといふに電話し「明日14:00ゆく」といへば喜ぶ。)(※省略)
鳥海家へ電話すれば父君出て「家へ来よ」と。「行くが香代の姉の吊書写真欲し。入婿世話する」と答ふ。ユ心配しをり。我(※禁煙やめ)タバコまた吸ふ決心す。
手塚氏より「来れ、電話せよ」と。月曜にゆかんと思ふ。小杉茂樹氏より「『東京四季』に詩かいてくれ」と。いかにせば人は喜ぶ術を知りわれはうれしく歌作りをり。

7月29日 
よべよくねて9:00起き、(※省略) 13:00出て(※省略)豪徳寺下車。
杉森久英邸へ14:20付き詩集呈し『一癖齋放言』に署名さし、タバコ3本のみし頃、思ひついて高田瑞穂呼べば喜んで来る。
杉森夫人わが放歌に感心さる。戦時中創元社にわが著書いひ反対せし評論家は中島健蔵なりしと。高田来り、La Marseillaise合唱す。
17:00タバコ置き忘れて出、矢野家に直行すれば建て直しをり。(※省略) 出て(※省略) 帰宅して(※省略)鳥海家に電話すればカヨ出し故、姉の吊り書もらひかたがたゆく、汝も来てもよしといひ、(※省略)。

7月30日 
6:30覚め、(※省略) 山住dr.血圧92-60(※躁はげしく各所へ電話。省略) 吉川康子に2度電話せしに15:00まで来ず、(※自叙伝聞かせ 省略)
21:00近くなり止め曲がり角まで送りて帰宅。入浴。

7月31日(日)
5:40さめ、玉田先生(恵美第三小学校担任)の名、思ひ出す。藤田幸子夫人に「もうclass会に出ず」とハガキかく。(※省略) ユのこして礼拝にゆき、(※省略)
昼食せしあと入浴、「五雑俎」ちょちょっとやる。三鷹の3孫15:00来り、ユ連れてpoolにゆく。(※省略) 
出て鈴木(山本)敬子見舞にゆく。(※省略)  、「五雑俎」ちょっとやり34℃の中を眠剤にて熟睡。

8月1日
7:00さめれば雨降りをり。朝食して「五雑俎」にかかる。(※省略) 午食してすぐ出、(※省略) 江ノ電にて鎌倉につけば小雨。手塚氏(※手塚隆義)迎へに出てをられ、taxi。夫人より「若し」といはる。手塚氏自宅にゐて一度も上京せず、白鳥清先生の未亡人は現在芳郎宅にあり。(※東洋文庫のこと 省略)
 
8月2日 
曇。よべ熟睡し8:00すぎさめ「おしん」見る。(※省略) 研文出版より『中国の自然と民俗』玄関に来をり、請求書なし。(※仙台行き指定席満席と 省略)
昼食して神田、山本書店にて7,000以上支払ひ、(※省略) 山口基(※山口書店)に2度寄りしも外出、「『南の星』送れ」と坊やにいひ『花月草紙(70)』ただでもらひ喫茶(300)。放尿して帰宅。(※躁の記事 省略)
杉森久英氏より電話「中公へゆく。本出さす。『楊貴妃とクレオパトラ』貸せ」と。新書版包みて書留とす。
神田の文学の本屋『コギト詩集』再版すと。宜しといふ。若き店主にて1冊汚れしをもち2.5万の値をつけをり。(※省略)
川久保に電話して「来い」といへば怒って「明日来る」と。吉川嬢つひに電話なく21:00ユをして「帰っても電話するな」といはしむ。(※省略)
折しも京より電話、仙台の宿のこと聞いて来る。(※省略) 「五雑俎」すすみ天文のこと必要となり、薮田清博士の説を引く。うれし。
山口基君の長男より「南の星なし、心がける」と電話あり。

8月3日 
暑し。旱天。午前中「五雑俎」やり本文100(200字詰)、註50となり昼食してすぐ瀬見氏へゆけば本2,800に買ひくれし故、夫人より『昭和文学思潮(200)』買ふ。
『コギト』同人の主なる者をあげ『日本浪曼派』をいひ『四季』には触れず。(※省略) 久しぶりにPetit Palais(※プティ・パレ)に寄り冷き茶のむ(300)。
川久保来り、(※省略)帰りぎは「躁だね」と。京より「帰りの新幹線買ふ。作並温泉に宿あり」との電話をユきく。televi「おしん」(視聴率最高、酒田に碑立ちおしん人形・おしん餅売るとtelevi)。
(※省略) わが「四季の思ひ出」と某君の萱草につきてのわが論引きしを読む。「しなのなる木曽の山路にさきゐたる萱草枯れぬわが庭暑し。」

8月4日 
よべ熟睡。8:00さめ、朝食後「書楽」に久しぶりにゆき『中国の妖怪』ほか3冊買ひて帰宅。(※碁将棋 省略) 
帰れば杉森氏より電話ありしと。「中央公論社へ明日同行せん。新宿小田急急行出口にて15:00待合せ」となる。
入浴し「五雑俎」書き続け、(※省略) 夜、鳥海香代子に電話し「姉さん見に夫婦で土曜ゆく」といへば「木更津まで自動車で迎へに来る」と。(※ 省略) ユ気が変って「一人でゆけ」と。

8月5日 
よべも熱帯夜を熟睡、7:00起床。「おしん」見て「五雑俎」。和田博徳君より清先生の伝記送られ「詩集は兄久徳君の許にあり、転居にて(※『南の星』)荷造りの中にある筈」と、うれし。
(※省略)13:00出て、(※省略)新宿、杉森君を20分待ち13:30来しに案内され京橋、中央公論社へつけば山崎正夫君重役となりをり、
わが老兵の記録(コピー)を喜びてとり、つづきありとといひ、中公文庫(※『日本の詩歌』24)たのめばもち来りしを杉森君に贈呈、signしろに万年筆かりて書き、
杉森君用なきらしきを知りて出、(※省略) 都丸へ辿りつけば「和本も買ふ」と。(※省略) 帰宅、麥書房来り校正見す。(※省略) 21:00帰りゆく。(※省略)

8月6日 
よべ10:00に扇風機かけて寝、8:00起床。「おしん」を見しあと、(※省略) 11:00家を出、(※省略)木更津に着きて報され下車。
出口に鳥海カヨ子まちをり。自動車運転して50分にて邸につき、一家ともどもnews見、姉かへらぬ内に眠る。

8月7日(日) 
5:00さめ、(※省略 姉美砂江の)吊書われ書き、了りて祖父より漢文よまされ、返り点つけカヨ子によまし、序で美砂江より英文の訳たのまれスラスラ訳すればおどろく。(※省略) カヨ子の自動車に乗り、駅(※省略) 南阿佐谷着。帰ればユ「1時間早かりし」と。
(※省略) 京よりの切符速達とどけ呉る。10日10:30大宮発にて9:00家を出ることとなる。「五雑俎」やり陶朱公は(※省略)范蠡の異名 とわかり爽快。

8月8日 
よべ22:30就寝。8:00さめて朝食。(※省略) 19:00西川英夫に電話すれば丸山正三郎と、讃岐喜八君の葬儀に出会ひ、わがこといひ、
「恵美第三小学校にて一年後輩、千草はクラス一番の能筆なりしときく。今中入学われ13番といへば彼は53番にて先生に意外といはれし」と。
我は13番にて玉田先生より「何番で入るかが問題だった」とガッカリされし也。
プティ・パレに昼食直後ゆき、(※省略)隣席の夫人より「いいお声」とほめられ、(※省略) (※震度4の地震あり)

8月9日 
8:00起床。「おしん」を見、(※省略) 山住dr.にゆけば『立原道造展』見せらる。正己先生あとがきでわが名見つけられしと。血圧96、尿に糖なしと。
帰宅すれば (※省略) プティ・パレにゆき、(※省略) 劉炳文の諱探しに『中国人名辞典』の劉の部全部見了り見つからず『福建通志』を見るべし。
天理高校-岐阜第一高校7-0で岐阜勝つ。われはともかくユも岐阜に応援しをり。(※省略) 簡木桂の自宅に電話(※省略) 佐伯さん来て6,000円買ひゆく。
吉川老嬢に電話して絶交申渡し、(※省略) 寝んとすれば(※躁を心配した)ユ、山住dr.呼びをり。来診して血圧80-50と最低。

8月10日
よべ23:00ねて5:30さむ。3:00震度4の地震、われユを起せしと。覚えなし。(※省略)「おしん」見て9:30家を出、(※省略) 
10:30新幹線盛岡行に乗れば12:50仙台着。4人迎へに来りヨシ子「ヂイチャン」と来るにおどろく。(※作並温泉 一の坊宿泊)
2児わが放屁を笑ふ中、先づ健太郎逆さまにね、孝行23:00まで漫画本よみ、了りて夫婦ねいる。(※省略)

8月11日
6:00健太郎すでに起きをり、夫婦つぎ、最後に孝行起きて(※省略) 9:50のbusに乗り仙台駅につきtaxiにてユらPhalao Manshonにゆき、
われ内田未亡人に電話して、(※省略) 内田邸につき神位(内田大人命)に三拍して野球部歌うたひ、思ひ出集忘れて出る。(※省略)
仙台駅にて地図見しもわからず、(※省略) 京taxiより「お父さん」と呼び、乗りて1分してManshon。(ユ留守番にて禎子の守に苦しみしも近所の保育園の坊や来て助かりしと)。
駅前の農政会館へゆかんとすれば「隣に夫婦の室あり」と。よく眠る。

8月12日
4:30さめ6:30出れば健太郎さめをりteleviつけ「おしん」見る。9:10山本壮一郎知事(※野球部OB)より電話「昨日はまちゐし。 けふは14:30来よ」と。
14:00ゆけば(※省略) 挨拶すまし『李白』と雑本1冊送り、吉岡君へのハガキかかせ、別れ告げれば仙台平の札入と名刺入と印刷物と賜ひ「大先輩」とわれのことかきあり。
(※省略) 駅に着けば時間あり、(※省略) 阿佐谷で下車。(※省略) 佐伯にゆきて礼いひ『敬語(500)』買ひて帰宅。

8月13日 
よべ23:30臥床。6:00前さめる。(※省略) 「おしん」大震災にて源右衛門死にしところにてすみ、(※省略)
保田與重郎を偲ぶ会「R火忌」と命名、10月1日京都のホテルで1万円の会と出欠問ひ来り「出席1名」とかく。(※省略)
坪井に電話し(※省略)「R火忌」のこときけば「案内来ず」と。「また来い」といふに「君こそ上京せよ」といふ。けふ来し缶詰の礼を荻村家へ電話すれば、(※省略)
(※肥下夫人、石井正吉、高橋重臣に『南の星』探索依頼。)

8月14日(日) 
よべ22:30扇風機かけて眠り6:00前さむ。8:00すぎ鳥海家へ電話。(※省略 礼拝ののち、長島長老と上野国立博物館見学。躁の記事多し。)
半自叙伝のため『廉子遺稿』さがせしもなく吉川老嬢に電話すれば「机の上にあり」と。「また来よ」といへば喜びて「来る」と。(※省略)

8月15日 
よべ22:00ね、けさ6:00まへに覚む。(※省略) 8:30山住dr.血圧120-75。「五雑俎」の見直し(※省略) ソウルの徐廷柱氏にハガキと本2冊空輸(2,000+160)。雨中にて難儀す。(※省略) 千鳥ヶ淵の戦没者慰霊堂に天皇はじめてゆき中曽根ついで「私人」として(※靖国神社)参拝。(※省略) 
麥書房に電話すれば「出来し。29冊もちゆく。裏書心配いらず」と。23:00就寝。

8月16日 
0:00ごろ就寝、6:00に5分前起床。(※省略) 「清初の十王」かくこととす。(※省略) 
夕食後、戸田みつき女史をユと訪ね、謙介戒名の前にて般若心経となへ、あとにてきけばnihilistと。(※省略)
杉森に電話して「漢文学のNo.2」といへば「何」と。「漢文会(※界?)」といひ直せば「わかった。李白知ってゐる詩ばかり乍ら訳よかりし」とお世辞。
われ「汝は伝記作家のNo.1」といへば「おれもそう思ってゐる」と。高田瑞穂をほめれば反対せしに「人心を得る」といへばだまる。
鈴木文平に電話すれば「創価宗典」よみしや、「よみし」といへば「近々来て試験し富士市の本山に夫婦つれゆく」と。
川久保に10:00ゆき「十王考」かきをへしといへば「おれはダメ」と「20日より信州へゆく」と。(※省略)
「半自叙伝」夜かき本文18枚、註18枚となる。杉森氏の話では長くても宜しと。(※省略)

8月17日 6:00さむ。(※省略) 創価学会の聖書探せしもなく、佐伯に(※省略)とりよせ至急たのみてすむ。

8月18日
5:00起床。(※省略) 「書泉」にて本買ひ、上の「せ・ぼー」へゆく。寒きにwaitress半ば以上足出しをり。(※省略)
けふ電話、高橋夫人より「ドイツにをり9月帰宅」と。われよりは丹羽、川久保、内村に会せん。「7人のこりし4人」といふ。当日午后2時にて酒茶の会と決定す。(※省略)

8月19日 
5:40起床。(※省略) 佐伯にて「創価学会の本、直接注文されよ」とききて帰る。(※省略) 「五雑俎」の注の不明を正して、(※躁の記事多し。省略)
4畳半にて「半自叙伝」かかんとし『果樹園』より「田中正平」きりぬきユに貼らし28枚となる。ShubertのWien生まれにて、師サリエーリを追ひ抜きハイドン、モーツァルトに学びしと『西洋人名辞典』を写す。Wien「ヴィーン」と書きをり気をよくす。母の「うらぶれ」すまし「妣の国」のうたに入りし也。イバラを好みしとてShubertの「野心3」くはしくかく。
詩集の送り先、井上靖を先頭に長島、大塚2長老を加へて20冊の送り先決定。竹森先生には10冊おまかせときめる。0:00就寝。

8月20日
5:20覚め、ユ窓を開ければ涼しくShubertのつづくかく。朝食後9:00より大車輪にて「五雑俎」にかかる。
 『不二』170の「肥下恒夫を哭す(※未確認。不詳。)」探せしもみつからず。(※省略)
けさ鈴木文平に電話すれば「用便中」と。創価学会本山へ夫婦にてゆくこと9月に延期とたのむ。(※省略)

8月21日(日)
よべ0時に眠り6:20さめ「おしん」最後(作者橋田壽賀子の苦心談)見る。(※省略) 「五雑俎」132枚、註95枚となる。(※省略)
吉川女史来り「Lindenbaum」教ふるところへユ帰り来りrice-curry。(※省略) 22:30「半自叙伝」44枚となる。
木下正男14:10来り、(※省略) 加瀬奉仁(のりひと)氏を紹介すと。喜びて『中国の自然と民俗』に訂正してやる。木下は『蘇東坡』ほしと。
送りて駅までゆき「セ・ボー」にゆき可愛きwaitressに名をきけば伊藤ハルミと。われの名も渡し「明日来る」といひ握手す。(※躁の記事多し。省略)
われ「清初の十王」をかき22:00前眠くなる。

8月23日
5:30起き朝食すまし吉岡君(※吉岡克己)待てば11:00来り「セ・ボー(C'est beau)」らつれゆき喫茶。阿佐谷No.1伊藤ユカリ(※ママ)来り、(※省略)
外へ出れば暑く急いで帰宅すれば、(※省略) われに全寮歌うたはし帰りゆく。瀬見氏に(※省略)本3,000で売り、
球陽分店に『唐・新羅・日本(100)』、都丸支店で『スペイン語研究入門篇(300)』木下のため買ひ『ああ戦友』買ふ。(※躁の記事多し。省略)
けふ『日本の原爆文学』来り、わが詩「二十四年」を76pにのす(※13巻詩歌)。
小高根太郎に電話すれば『南の星』ありと。肥下光子夫人の手紙にては「肥下の蔵書に『西康省』と『南の星』のみなし」。(※省略)
 なよなよとわれにつきこしこのをみなわがなきあともひとり祈れや
ユ22:00「もう呼ぶな」と就床。(※省略)

8月24日
(※省略) 0:00眠り6:20さめる。けさの準備すまし木下に電話し「明日来い」といへば眠き声して「来られず。近々ゆく。縁談は当人にまだ 会はず」と。
(※省略) 佐伯に直行すれば休み、「書房」にて1冊1,000円買ひ「C'est beau」にゆけば未だあけず。山住dr.にゆけば低血圧。(※省略)
植村先生(※植村清二)に二度目は出られ「金曜は一日空いてゐる」と「3時」と申上ぐ(※ママ)。小泉凡に電話すれば、(※省略)
エホバ来り、ユ怒る。われは「あす10:00」と約束せしなり。(※躁の記事多し。省略)

8月25日
0:10塩沢に電話、母出て不審がられ父と相談して返答なし。われ危篤と思ひて眠れず、ユ眠り少なしと。
7:00朝食、7:45家を出て「C'est beau」に入り(※省略)伊藤カオル(※ママ)より釣もらって地下鉄、
小田急にのり狛江で下車。塩沢家へ電話すれば全家不在。病気でなかりしとわかり安心。(※省略)
代々木上原経由渋谷までゆき下車。17:30まで歩き(※省略)、平元(辻規子)家訪ねれば「待ってました」と。上りて父上辻政信伝のこといへば「母怒りをり」と。
杉森久英呼出し、今井翠と電話し「3姉と会ふ」こととなる。(※躁の記事多し。省略) 22:30眠る。

8月26日
8:30起き昼食し、方々へ礼の電話すまし、(※省略) 河村純一先生(※不詳)よりきのふ賜りし(※不詳)Singapore地図みれば古し。
「C'est beau」に17:00ゆけば「父は潮出版社」と伊藤みのり(※ママ)。21:00眠る。

8月27日
3:30さめ入浴し、溺れかけゐしとユ。一眠りして8:20さめ、「おしん」を見、佐伯に本600円で売り、(※省略)桜台で下車。
午飯を松本家で素麺よばれ、キク子未亡人ゐて地図かき呉れ、(※省略) 14:30先生(※植村清二)喜びて本を見せてもらへば(※省略)、
桜台3丁目のbus停留所につけば先生taxiとめられ5,000を運転手に渡され阿佐谷まで2,000足らず、ユ払ひ夕食、(※省 略)22:00就寝。

8月28日(日)
5:20さめ(※省略)、「五雑俎」にかかり佐伯に本売りにゆけば700円と。650円本買ひ、2冊「C'est beau」の娘にやり「明日も来る」といひて退去。
(※省略) 史、美紀子、暁子3人来て松浦家の手伝のあととて疲れをり。(※省略) 文泉堂に電話し『コギト詩集』再版のこといへば留守の夫人礼いふ。

8月29日
よべ「半自叙伝」かかず眠剤のまず21:30床へ入り、(※省略)  「C'est beau」にゆかず、(※省略) 麥「30日8:00ごろ(※新刊詩集)持って来る」と。
プティ・パレにゆき明子ものいはず、山住dr.血圧85、(※省略)
徐廷柱先生より「世界一の詩人」といふ。『西康省』『大陸遠望』をもっと。韓国にも来よ、と。

8月30日
晴。6:00前さむ。(※省略) 8:30に出て佐伯にゆき700円売り650円買ひ山住dr.脈搏98。(※省略) 麥書房いよいよ「夜6時」とわかり、(※省略)
「C'est beau」には270しかなく「文泉」にて『Focus(150)』買ひ残りし120にて切手4枚買ふ。全く無銭となる。帰れば1:50(※省略)
麥書房来りて(※出来上がった詩集『神聖な約束』)見るに、Milano(Mailend)をマインラントと誤植す。ユのもつ601、605と歌詞ちがひ、
22:00やっと(※電話)通ぜし吉祥寺教会、副牧師さん「明日13:00参る」といへば「伝へる」と。

8月31日
72回目の誕生日。よべ21:00ねし故5:00過ぎさめ、徐廷柱先生へのハガキと新刊『神聖な約束』包み航空便にて出すこととす。
6:00「自叙伝」の書き直しに掛る。7:00前、草壁焔太氏へ「5行詩の創始者」と礼状かく。大分前に『穴のあいた麦わら帽子』くれし也。
17:30吉川老嬢、瀬見氏と夕食くらひ20:30吉川嬢を下宿迄送り、(※省略)  吉川嬢に詩集やる。

9月1日 
9:00起床。朝食くひ10:00すぎ文化女子大高校の理事長に会ひ、漢文の講師など欠員なしとのことに今井翠訪ね13:00帰宅。(※省略)
末富家へゆき碁一番、将棋にてはじめて勝つ。
川久保、羽田を迎へにゆき2人来しあと丹波、プティ・パレの村上氏に案内されて来り、(※誕生日会)酒殆ど飲まず17:00散会。
川久保は羽田を案内し、われは丹波を「C'est beau」に案内せしも伊藤嬢来ず。(※省略) 「荒野の七人」を21:00より見る。(※省略)
詩集、高梨富士子、紅松一雄、石山直一、中西義章、坂口允男の諸信者に1冊づつ野崎その夫人に2冊(1冊は鍛冶初枝嬢へと)、上原教授に2冊。

9月2日
6:00起床。7:00朝食。2,000もちて詩集を出しに駅前へゆき、「C'est beau」あかず、ことぶきやにて製本。弓子の3男に本買ひて帰宅。
(※省略) 佐伯に本もちゆけば買はず。やりて50円の本2冊50円にしてくる。(※省略) 瀬見店のぞけばつまらぬ詩みなのけあり。
(※省略) 球陽にも(※省略) 瀬見とともに来れといふ。夕食後、プティ・パレにてcopy特別にたのめば快く夫人、父の歌全部copyしくる。

(※日付末梢下に)
23:00就寝。8:10に起床。■■氏より「沖縄方言」承る。(※プティ・パレの)村上氏より厳重に注意受け(※不詳)山口東一先生のお越しまち連れ来る。

9月3日(※9月4日(日)の間違か)
8:00起され9:20家を出、西荻で降りbusでゆき20分遅刻66,605番うたひ、「(※詩集)3冊くれよ」と先生よりお話あり。
大塚、長島2氏には別に送るといふ。 (※省略) 「C’est beau」に二度ゆき、佐伯で売りし本代(5,000)残りなし。「半自叙伝」22:30までかかり23枚。

9月4日(日)
朝早くさめ散歩に出、徹夜営業の「中村屋あと」に入りsoupのみドーナツ買ひしあと5:00始発の上りにて中野へゆき北口下車、
北行すればわけのわからぬ一団あり、男2名女9名なり。今年中に69万人とするといふ。(※倫理研究所。9月6日付に重複記事)
6:00までゐて跡かたづけし会長夫婦のbykeにて去りしあと、また国鉄阿佐谷へ帰り、(※省略) 「半自叙伝」休み「五雑俎」ちょっとやりしのみ。
概ねまことやに破れ本補修に行く。(※省略) 出来上がりしを佐伯に売り「C’est beau」に花もちゆく(皆同一の赤花なり。Poinsettiaか。)。(※省略)

9月5日 中公の重役山崎氏来り「12月までに(※「五雑俎」)何枚かいてもよし」と也。(C’est beauに追ひ来りおごりくれし。)
まこと屋にゆき(※詩集の)製本、夫人にしてもらひ高橋(※重臣)留守宅、紅松に送る。(※9月6日付に重複記事)
19:00ねて3:30起き、起され「おしん」見る。ラーメン高円寺で食ひ、瀬見氏に「あす10:00来い」といふ。

9月6日
3:30起き5:00の初発で中野へゆき倫理会研究所なるものに出る。男3人女6人「569万人を会員とす」と。(※重複記事)
船戸といふ詩人10:00に来るといひしも来ず。まこと屋にゆき(※詩集の)夫人に製本さす。早くて巧みなり。
高円寺でラーメン食ひにゆき15:00帰りも詩集送り(※重複記事)、19:30ねて3:30覚め(※重複記事)、倫理研究所の正会員になると。

9月7日
ユ不快とて飯くはず、瀬見氏より1万円もらひ書房で本買ひ、『陶淵明』もらひしも出来悪し。
(※C’est beauの)伊藤ゆかり(※ママ)とmanagerに電話かけ「家へ来よ」といへばうべなふ。(※省略)
神田の文泉堂へ「(※『コギト詩集』再版は)江頭彦造への承諾得よ」といふ。「自叙伝」かき19:00夜食くひて眠る。(※省略)
中山正子、紅松一雄より詩集の礼状来る。

9月8日
曇。時々雨。8:00さめ「おしん」見、佐伯とまこと屋にゆき虎屋の菓子と茶のむ。(※省略) 末富家で碁4目となる。将棋は1勝1敗。
7:30丸へとゆき途中安いすし屋ですし買ひ(※省略)、丸へもちゆき半分別けす。煦美子帰り来り、高円寺駅まで車で送りくれ瀬見氏、球陽に予約す(1万円位か)(※不詳)。夕立ひどかりしらしきも知らず20:00帰宅。夕食す。

9月9日 
よべ21:30臥床。2:00はげしき咳にてさめる。杉山平一に激励文かく。(※省略) 8:30佐伯をへて山本へゆく。
時間早くあけると同時に(※山本書店に)入れば、「主人、若主人ともに不在。8,000」と。代々木に出て(※東豊書店の)女主人の留守番より本買ひ、
重きを間違へて高円寺に下車。(※省略) 瀬見氏に本預けて成城大飯店にゆき(※省略)歩きて阿佐谷へ出、(※省略)
「C’est beau」のmasterに「Shingaporeへいつゆくや」といへば「行きたけれど云々」、腹立てて文房にて本買ひ、帰宅。(※省略)

9月10日
6:00さむ。川久保に電話してゆき嬢の世話するといひ(舟越清)、「C'est beau」にゆき飯くひ鳥海香代子来しに喜び、姉の世話するといひ、(※省略)
大山俊一博士(※前成城学園学園長)脳梗塞にて急死と学校より通知あり。高田にいへば笑ひ乍ら、葬式に出ると也。
石山直一氏より「(※詩集は)竹森先生の指図にや」と、「違ふ」と答へ船越章の惨状伝ふ。

9月11日(日)
6:00さむ。のど悪し。8:00出て大友信一副牧師の説教。眠くてたまらず。(※省略)
「文房」にて中公新書26(※日本の詩歌(26) 近代詩集(中公文庫)?)注文す。木下の友に中公文庫送ることとし「文房」の本着くをまつ。
けふ母の死の直前まで「半自叙伝」かく。

9月12日
よべ21:00ね、3:00さむ。「半自叙伝」大分かき、中通りの本屋にて中公文庫買ひ500円の花買ひて「C’est beau」ゆけば只にしてくれる。
婆さん夫をSiberiaでなくし3人は兄妹と。Miss Asagaya1週間休むと。(※省略)

9月13日
早くねて4:00さめ、(※省略) C’est beauに3回ゆきこの間の弁護士に茶おごる。瀬見氏来り1.5万円本買ひ、球陽堂2万円で買ひくれ、
夕食後、ユより2,000もらひ500円の字引「C’est beau」の奥さんにやれば只となる。(※省略) 
佐伯にて(※省略)本5冊にて2,000全部使ひ、帰りて「なつかしの歌うたふ」皆tempoのろくて困る。〒なし。

9月14日
6:00さめ眠り足る。(※省略)日本文化研究所長大井清氏の丁抹(※デンマーク)談をきく。(※省略)

9月15日
敬老の日。6:00さめ7:00朝食。無為。「C’est beau」に2回ゆく。(※省略) よろず屋の女子けふは見ず。鉛筆一本買ひ「C’est beau」にやる。
鍛冶さんより受取。「一度来よ。泊める」とかく。3孫来り、雨の中、祭にゆく。400づつやる。宏一郎は使はざりしと。感心。(※省略)
中山太陽堂より『70年史』来る。(※省略) 正子の夫不明、ともかく受取かく。

9月16日
ユ7:00出てゆき、7:30さめればsandwich山ほど作りあり(※)。
(※省略)「自叙伝」の整理。(※省略) ユ21:00前に食事もとらず帰り来る。

9月17日
7:00さめ7:30朝食。(※省略) 土曜とてプティ・パレにゆきしに明子嬢出ず、小母さん帰れといひ、もう二度と来ぬときめる。
15:00吉川嬢来り、鮎平げ(※省略)、鷺ノ宮まで案内200円借りる。

9月18日(日)
礼拝2人ともゆかず。8:00前さめし也。プティ・パレ、C’est beauともにゆけずなり、(※省略)

9月19日
曇。よろずやにゆけば(※省略) 『廉子歌集』(30)製本してくれる。この間C’est beauにて会ひし建築屋来る。2年後といひて帰す。(※省略)

9月20日
雨。よろずやにゆき父の歌ボール紙にて製本してもらふ。

9月21日
無為。曇。(※省略) 午后、松枝茂夫氏より『中国名詩選 上』来る。18:30高橋重臣より「あす泊めろ」と電話。

9月22日
無為。18:00すぎ夕食すませれば(※アメリカより帰国の)高橋君現はれ、 18:00高橋重臣来訪、Gelbe sorteくれ
「滞米中、日本的生活に不自由なかりしindana大学、学生4万人蔵書400万冊」。22:00まで飲みかつ話し眠る。

9月23日 7:00さめ高橋君さめて10:00都丸書店へゆくといふを送る。(※省略)

9月24日 雨時々降り、ユ画にゆき終日家居、無為無能なり。(※省略)

9月25日(日) 夫婦にて礼拝にゆきユと別れて帰宅。無為無能なり。(※省略)。 吉越夫人より「来訪せず」と。 (※省略)

9月26日 よべ眠剤1服足し7:30さむ。丸木夫人より「あさって来る」と。

9月27日 6:30さめる。(※省略) 「五雑俎」訳註の前半見つからず悒鬱なり。(※省略)

9月28日 7:00さむ。雨。15:30丸木夫人来り、焼身自殺の話長々とす。「丸木側に責任なし」と也。(※省略)

9月29日
午后雨止む。よろずやにゆき父の遺稿の製本すむ。瀬見氏15:00前来り、「五雑俎」市にて引き手なかりしと。
ユにきけば「五雑俎」の訳注、(※平凡社)馬場夫人に渡せしと。

9月29日
雨やむ。ユ平凡社に電話すれば「馬場夫人埼玉大学にて火曜に出勤」と。(※省略) 何もする気なし。(※省略)

10月1日
早くさめ11:30家を出て京都着。16:00前会場へゆき中谷孝雄氏司会にて開会。(※第一回R火忌)
淺野晃の次に中河与一氏の話、不快なる会と(保田夫人、瑞穂をらず。
岩崎昭弥より(※岐阜の)江口三五氏の死にしことを知る) 。
「ディオティーマ(※『コギト』昭和9年3月号所載の詩)」保田全集にとおき、
近鉄にて橿原神宮前より乗り、高田よりあととまらず、天王寺で下車。河内松原へ準急に乗り下車。
探しまはり、肥下家につけば夫人まちをり、うどん屋に案内され『神軍』に署名して只にしてもらふ。
肥下夫人ぬる湯に入れてくれ蒲団2枚かけてもらひ熟睡。
(保田に肥下の(※資金と編集事務の)援護ありしこと誰もいはず。不快なりし。)

10月2日(日)
肥下夫人に駅まで送られ「一度御上京を」といふ。難波より近鉄名古屋着。地下鉄終点より電話すれば澄と望と迎へ来る。依子昼飯くはしくれ、(※省略)
19:00すぎ帰宅、夕食す。

10月3日 川久保にゆく。(※省略) 馬場夫人午まへ本文100ページ預かるといひ来る。

10月4日 よべ眠剤1服足す。(※省略) 鬱にて何もせず。馬場夫人も来らず。(※省略) ユの帰るまで孝行来り500やる。衛藤長老より「詩集受取った。「中島栄次郎」よし」と手紙来る。

10月5日 快晴。7:00さめ9:00すぎユ、柏井と河北病院へゆく。(※省略)

10月6日 秋晴つづく。8:30山住dr.。(※省略) 鈴木(山本)敬子夫人14:30来り、20:00すぎ馬場夫人来り「201p見つかっ た。12月31日は誰がきめし。3大学の講師しをり」と。苹果持ちて帰りゆく。
植村先生より「この詩はいつ出来しや」と。小川環樹見れば引きあり。
(※省略 成城文芸編集部より)「清初十王」返却さる。躁にてかき不十分なりしことを反省す。

10月7日 
晴。寒し。(※省略)  植村先生に小川環樹『蘇軾』に引く詩の作年問はれしにその旨(42才)返事す。古書展の広告3冊来り、シロコゴロフ6,000と下がりをり、これも不快。

10月8日(日)(※日付ミス、10月9日の筈)
雨中を夫婦にて礼拝にゆく。(※省略) 美紀子2女をつれ来り、殆ど物云はず「(今井へ)帰ろ帰ろ」と。
孝行入れ違ひに来り、ユに500もらひて帰りゆく、これは可愛く不思議なり。吉川老嬢より音沙汰なく縁切れしと思ふ。(※省略)

10月9日(※日付ミス)
秋となり炬燵をつけたり消したり、何もする気なし。西武優勝してユ西友dept.にゆけば混雑せしと。
7:00さむ。日中大雨。ユ河北へゆき16:30山住dr.へゆき抗鬱剤もらひくる。「五雑俎」自信なくなる。(※省略)

10月10日
一日中秋晴れ。(※省略) televi田中角栄の有罪判決を報じ田村代議士も出て来り不快。(※10月12日の筈)
 桶谷秀昭氏より『保田與重郎』贈られ迷惑す。

10月11日
抗鬱剤3回のみしも効果なく、ユふやしてもらふ。
午后晴れて鈴木文平夫妻来り、大石寺(※創価学会総本山)へそのうち誘ふと。これも迷惑なり。

10月12日 7:00さめ、ユ運動し来りしと元気にて9:30河北病院耳鼻科へとゆく。(※省略)

10月13日 午后晴。(※省略) 肥下夫人より、末孫「おぢちゃんは?」といひし由。
佐伯へゆき篠田博士『中国食物志(4,000)』買ひ、帰宅。doubleゐるに気づき再び佐伯にゆけば内儀、2,000の愚本2冊ととりかへ(1冊まことやの女店員にやる)、(※省略)

10月14日 (※省略) 吉川老嬢より音沙汰なく、手塚隆義氏より『南の星』なし、と丁寧な手紙。(※省略)

10月15日 (※日付ミス、10月16日(日)の筈) ユ礼拝にゆきわれはゆかず。13:00帰り来り平然としをり。(※省略)

10月16日(日) 曇。ユ14:30吉祥寺へと出てゆく。(※省略)

10月17日 秋晴れ。ユ6:30母のところへ投函にゆきしほか活発に動く。われは無力。

10月18日 終日雨。われ8:00起され無為。(※省略)

10月19日 8:00起さる。雨夜までやまず。13:30しぶしぶ末富家へゆき碁将棋、ともに2番づつやり惨敗。

10月20日 (※記事なし。)

10月21日 (※省略) 8:00起床。秋雨にて不快。(※省略) 浪速高校より『60年史』と角川版『大阪府』と来る。

10月22日 
けふもユ散歩(雨中を)。高石の猛者(田中三治)より「村田幸三郎生存、(※省略)村田光也方にをり」と電話。

10月23日(日) 
7:00さめて快く、鬱とれしが如し。ユ8:40出て荻窪まで歩いてと礼拝にゆくと。(※省略)

10月24日 
7:00さめ、(※省略) 山住dr.に低血圧98-65測ってもらひタバコのむこといへば「薬は奥様に」と。
15:00庭先より出て高田等、わが売りし本のこれるを見て憂鬱すこし。(※省略)
けふ小沢長老より礼状らしきもの来り、キリスト者の言むつかしきことわかる。

10月25日 
晴。寒し。7:00起床。(※省略) われゆふべ再び禁煙の誓ひ立てる。(※省略)
われ禁煙、苦しくも楽しくもあり、夕方、山住dr.にゆきそのこと云ふを忘れ、「鬱のきがけ」と申上げて帰宅。
(※省略) 美紀子のもち来りし松茸を夕食にし、サワラの刺身にてユ「これが中流階級」と。

10月26日 
7:00起き9:30ユ柏井へ歯の治療にとゆく。我すぐ出て散髪屋、(※省略) 昼食して15:00前、郵便配達くれしをみれば村田幸三郎にて「49年より慈恵医大電気主任転任」と。喜びて電話すれば(※省略)「近々来る」と。(※省略)

10月27日 
昨夜睡眠感なく、(※省略) ユわが不機嫌見て「タバコ飲め」と。控えめに飲む。(※省略)
けふ池田勉博士より『半眼微笑』送らる。山本書店より『蘇東坡』送らしむることとす。
亜東書店より、注文もせぬに『中国歴史地図集』送り来り、ユ「送り返せ」と。(※省略)

10月28日
22:00就寝。(※省略) 亜東書店に電話すれば「注文せし」と。仕方なく代金為替にて送る。

10月29日
8:00さめ「おしん」見て昨日の角・中会談失敗の新聞見る。
鬱ほぼ直り、14:00吉川老嬢1月余にして現はれ喜びて話す内、ユ、花井夫人と帰り来る。(※省略)
花井夫人に吉川嬢を「後妻候補」と紹介す。
16:00花井夫人ユの炊き上げし松茸飯もちて去り、吉川嬢も17:30「銀座で会あり」と松茸飯もちゆく。

10月30日(日)
よべ早くねて4:00さめ睡眠不足と家にをれば村田幸三郎より電話「16:00来訪」と。喜びて(※省略)
22:30まで話聞く。(※省略) 村山高氏より電話あり、東京のHotelにをり、我に電話せんと思ひしところと。
村山中隊長、村田小隊長とて長電話し、(※省略)
22:00前、送りかたがた国鉄の駅へゆき終夜営業の喫茶店にてcoffeeおごり(※省略)帰り来る。

10月31日 
けさも早く起き、(※省略) 出て佐伯にゆけば長沢規矩也全集まだ出ずと。「書楽」移転中なり。(※省略)
11:00山住dr.にゆき、(※省略) 亘理君に2度電話せしもかからず。(※省略)
夜、亘理信一君に電話して「6日14:00ゆく」といひ、(※省略)

11月1日
7:00さめ山住dr.にゆけば98-60。(※省略) 「五雑俎」の註よみ直す。(※省略) 
まこと屋へゆき(※省略) C'est beauの女老人に嫁なしといへば「それよりもっとお越し」と。(※省略)
中曽根、同期生といひて田中角栄をかばひて泣く。22:00就寝。

11月2日
6:00さめ9:30山住dr.にゆき歌うたひ、川久保へ10:00ゆき友人総代を羽田ときめる。
午飯くって瀬見にゆき(※省略)球陽書房で『太平洋の生還者(360)』買ひ、帰ってまことやでpin(120)買ふ。
「五雑俎」ちょっとやり、(※省略) 前田隆一氏より『全人的人間像の科学論』贈らる。(※省略)

11月3日
5:00さめ木下雅夫と新潮社気付桶谷秀昭にハガキかき、ユ起き来り「またそれ」と叱る。よべ22:00まへ[憤]りし也。
8:50家を出て9:30教会につき、原長老運転の自家用車にて、(※省略 上川霊園墓参)。
昼食の時、竹森先生に中公文庫の大岡信の解説のみおよみをり。紺のベレーの少女はユと申上ぐ。(※省略)
原さんにたのんで禅林寺にゆき鴎外の墓に花供へ、歩いてあるいて小林宅へゆき、(※省略)18:30帰宅。(※省略)

11月4日
8:00さめ「おしん」見、「五雑俎」やり、午出て球陽にて平山博士に会ひ誘ひて喫茶。(※省略)
都丸にて『笑辞苑』買ひ、書房にて鴎外『即興詩人』2冊買ひ、佐伯にて『中国民衆叛乱史4冊(6,300)』払ひ、(※省略)
小山正孝に電話2度すれば21:30まで帰らずと。小高根太郎、築島謙三2友に電話。

11月5日
3:00さめ眠れず御進講を考ふ。6:30起床。9:00より「五雑俎」の註、本文の番号づけやり、
林富士馬、小山正孝、竹森満佐一先生に電話し、(※省略) 吉川老嬢に電話すれば、すぐ来て夕食し、
19:30C‘est beauへつれゆき、我先き出て金達寿『古代日朝関係史入門(850)』買ひ、
まこと屋に寄り女の子からかひ、夫人に近々漢文よんでやることとなり帰宅。(※省略)

11月6日(日)
1:30さめ雨降りをり。Gelbe Sorte1本吸ふ。3:00又眠剤2服足し7:20覚む。
(以下悠紀子夫人代筆)
9時教会にゆき(※省略) 雨の中を和田静子家を探し見当たらずころんで右手をくぢき(※このため代筆か)、
(※省略) 亘理家に電話して(※省略)やっとたどりつき御夫妻にお茶、淡路名産いよかんの砂糖づけを頂き3時半辞す。
奥様は淡路の出身で田中家の事を遠い親類だと云はれる。(※省略) 帰れば手ますます痛くなり、(※省略)
夜いたみ安眠出来ず。(※省略) 小山(※正孝)に電話

11月7日(悠紀子夫人代筆
朝四時半起き、(※省略) 山住先生に行き、手に手当てをしていただく。高田先生(※高田瑞穂)に家へ来るよう電話して、(※省略) 南阿佐ヶ谷に迎へにゆけば彼は国鉄で来てゆき違う。(※省略)
高田先生5時すぎ帰りセミさんと5分程顔を合して本は売らぬといふ。セミさん6時帰る。(※省略)


11月8日
3:00さめうつらうつら、4:45おゆきを起し6:05起床さす。文房にゆき『戊辰物語』、『日本の方言地図』と岩波文庫買ふ。
8:55山住dr.にゆきNo.1。『教壇上の文学者(山住正己著)』に「田中克己入れよ」といへば(※母の主治医)「先生、申し伝へます」と。
(※省略) 『成城文芸』に「十王」かきたく、森(旧姓)に「編集委員出せ」といへば「今日は来らず、来れば連絡す」と(※省略)

 11月 8日〜12月31日
25.0cm×18.0cm 横掛ノートに横書き


11月8日
(悠紀子夫人代筆)
朝4:30起き早々と散歩し、「書楽」で本3冊買い、(※省略)
小山正孝氏来る。「『文学館(※潮流社)』をやめて第5次『四季』をやらう」と云ったが「考へる」と云って逃げ去った。同人を見せたが返事なかった。
夜9時半ねたが12時半目ざめ薬をのみ足し3時半ねて次の日10時までねた。(夕方東豊に行き6,800の本12月までにかえす)

11月9日
(悠紀子夫人代筆)
10時に起床。川久保さん10時10分来宅。11時半まで大声で談話。すぐ高円寺の都丸、大石に行き本3冊買う。残金30円也。山住正己先生より『回想教壇上の文学者』の本をいただく。


11月10日
6:30起床。『コギト詩集』文泉堂「出さず」と電話に答ふ。(※省略)
「半自叙伝」ユのすすめで書くこととす。山住dr.にゆき血圧111。(※省略)
高田(※瑞穂)邸へ14:30着けば喜びて「待ちをりし」と。夫人と合唱し、高田の得意のかへ唄に苦笑す。
honey wine 半分のみ、彼はwhisky。17:30駅まで荷物もち呉る。「この次は汝の来る番」といへばうべなふ。
小田急dept.14階の料理店にdinner予約。
(※血液型)、美紀子B、雅子O、淳一B型。諏訪にきけば澄がB、泰O、望B、三鷹は皆O、仙台は稲田哲夫B、健太郎B、ヨシ子B、(※田中克己O、悠紀子夫人O、よって史氏依子氏弓子氏京氏はO)

11月11日
10:00さめ(※省略) 中央公論社の山崎編集長「ダメ。老兵の記録送り返す」と。われ背信をなじる。
高田に都丸より電話し「カカア(※高田の細君)がなんといっても(※君の蔵書を)売る」といひ、瀬見に電話して「早くゆけ」といひ(※不詳)
C‘est beauに「吉川断りし」と云へば紅茶のます。「吊書かけ」と。
17:30早川より一歩早く小田急dept.14階の喫茶店にゆきdinnerおごられ、
寮歌歌へば注意され「もう来ず」といひ「茶太郎」にてrice-curry半分食ひ400払ひて帰宅。21:00。

11月12日 5:30までねられず10:00起床。無為。村田幸三郎来て夕食し酒のみて泊る。
11月13日(日)
晴。村田幸三郎朝飯くはず茶のんで出てゆく。我目ざめて「又来いよ」といふ。(※省略) 夫婦で礼拝にゆき、(※省略)
『利根川図志(500)』、『じゃがたら紀行(440)』買ひ、(※省略)
 保田悠紀雄に電話すれば(※会に)「典子夫人来り、瑞穂は出ざりし」と。われに「話さざりしは幹事の責任」と。
「おまへが悪い。あやまりに来い」といへば「史さんは代議士に出られますよ」と。
呆れて絶交申渡し、嫁よべば入厠中と。出て来しに「あす来い」といへば「あすはPTA」と。

11月14日
3:00目ざめうつらうつら。瀬見氏に高田君の(※蔵書処分の)斡旋の電話す。
10:00東豊へゆき6,900の借金返し4万円余の借りは12月払ひとし、(※省略)
阿佐谷に帰り『南京大虐殺のまぼろし(360)』など買ひ、「佐伯」「書楽」にて18冊買ひ、(※省略)ダイコン(40)で無銭となる。
川久保呼べば19:30来り、抑留生活の「苦しみもなく家族のこともはざりし」と。
「著書はシロコゴロフのわれとの共訳のみにて勲3等もらひしは国立教員の特権」と恥ともせず。
絶交申渡す直前に酔って帰りゆく。
井上書店より『万葉植物と古代人の科学性』来る。22:40眠る。

11月15日
8:20覚む。(※省略) 三火会へゆき紅松、原田、加藤3人来り、(※省略)
東豊書店の本(4万円余12月払ひ)来る。(※省略) 石井正吉君より「小菅に転居」と。(※省略)

11月16日
22:30眠り8:30起床。中央公論社取締役山崎来り「わが半自叙伝出さず」と。原稿もちて「杉森久英と話す」と帰りゆく。
瀬見にゆき町沢直治氏(82才)つれ来る。(※省略) わが家へ「来い」といへば杖つきて来り15分ゐて茶のみて帰る。
村田幸三郎より『Don Quixote1905年版』来り、(※省略) 鳥海に「養子はダメ、孫にあとつがせ」といふ。
麥書房に電話すれば不在。小山正孝に「四季再建」いへばはかばかしき返事せず。
鳥羽貞子に電話すれば「東京四季の主宰者を先づ同人にせよ。1年かかる。」云々。
われまづ一ケ月にて出すこととし、杉山平一に電話すれば喜びて「桑原武夫に三跪九頭して同人たのむ」と。
日高次郎(野田又夫) 、小高根太郎を入れ、われと神保は名のみにて選は杉山平一にやらすこととす。発行所をわが家とし、選者は杉山平一とし、大木実を除外する。などユと相談す。

11月17日
3:30さめ(※省略) 8:00ごろ麥書房に電話し「今頃までねてゐる奴とは離婚しろ」といへば、
9:00山住dr.の診察中に怒って電話し来りしと。
『四季』の印刷製本は大阪の杉山平一君にまかせ、発行所のみわが家に置き権威を(神保老衰)保たんと考ふ。(※省略)

11月18日
22:30にね、3:00覚め歌うたひユを起す。6:00朝食、「五雑俎」ちょっとやり、『四季』のため方々に電話す。杉山平一大賛成。杉山平一と神保光太郎に往復ハガキかく。
『山の樹』の同人「小山正孝をのぞき十人近く同人とせよ」と江頭彦造にいふ(鈴木亨も入れる)。
植村清二先生に「(※実兄)直木三十五の思ひ出400字にかけ」といへば快諾さる。
林富士馬に「同人となり詩、月末までに」といふ。
杉山平一に新同人の通知し、「会員の詩の選をまかす」といふ。桑原武夫に三跪九頭すと也(※既出)。
「麥」は「出版に手を貸さず」と。夜22:00(※★省略) (末富邸に13:00ゆき将棋、よき勝負す。碁は5目といひてかへず)
鳥羽貞子氏よりわが文(※『東京四季』29「堀さん」)topにのせると校正送り来る。誤字訂正す。

11月19日
8:00起き朝食しながら「おしん」見る。第5次『四季』創立につき電話。神保杉山に往復ハガキ。
末富邸に13:00ゆき15:30帰来。夜は『四季』につき方々に電話す。
石浜恒夫が最後にて26人(うち同人費免除4人)。
同人費は2,000、四季に出すこととまづきめ、関西の杉山に詩の選択をまかす。
但し詩、同人費、会費(500)は我あてと独断し、神保と2人の連名にて勧誘状かく。
堀多恵、神保光太郎には別にハガキにて了解を求む。あとは印刷所と製本屋につき瀬見君に世話たのむ。

11月20日(日)
よべねつき悪し。教会休む。(※省略) 杉森君より速達にて「(※没)原稿送る」と。
方々に電話し、高田のみOK、栗山、池田はダメ。杉山平一が思ひ返してOKとなる。

11月21日
5:30さめ6:30朝食、池田勉博士より「『四季』同人断る」と電話。9:00山住dr.にLorelei1教へ、
佐伯に寄り、東豊に3万5,650払ふ。高円寺下車。雑本10冊買ひ、『Renoir(※ルノワール)』もらひ、(※省略)帰宅。
(※省略)室生朝子より「『四季』同人になりたし」と。萩原葉子にも入れと(※返信に)同封。総計30人。
植村清二先生より「2.5枚かきし」と。(井上靖は「2号より書く」と也)。
瀬見氏より9万円以下で印刷と。
平凡社の久米さん来り、広告の件だめ「五雑俎」の原稿は「渡してから出来るまで半年かかる」とのこと。

11月22日
8:00まで熟睡。瀬見氏に電話し「印刷屋へ11:00同行」と決定。
同行すればタバコ屋兼業、タイプ印刷なれば見本もらひて、決心促し一旦帰宅。(※省略)
印刷屋にゆけば「やってみる」と。「近々いくらか前金置く」といひて出、山住dr.にゆき唱歌教へる。
夜、吉川康子にユをして電話せしむれば「借りし本みな返す」と。

11月23日 
5:00起き「五雑俎」やり、(※省略) 『四季』同人に吉本青司を加へ、中山正子に「広告かけ」といふ(2万円)。
植村清二、野田又夫2氏の原稿来る。佐伯と北口の古本屋へゆき『Green ten(500)』買ふ。(※省略)
21:00福地邦樹より『四季』同人(※勧誘)杉山平一より云ひ来しと。
「30日までによき詩送れ」といへば閉口す。

11月24日
村田幸三郎より電話「汝の家にて忘年会賛成。亘理に電話す」と。(※省略)
『四季』のことやり、印刷屋へゆき2万円前渡し植村、野田2氏の原稿わたし、
(※省略) 20:30瀬見来り、0:00帰りゆく。

11月25日
8:40起き「おしん」見るも途中なり。(※省略)
小高根太郎に原稿催促し、午后久米来り、広告につき相談。「五雑俎」、抄にて2冊とすといひてきかず。
吉川康子より『神聖な約束』帰り来る。伊達温、坂口允男より原稿(坂口は2,000同封)。
伊藤桂一派は断り来る。井伏は「同人辞退せぬもかけぬ」と。われ代りに唐詩訳す。
7人の原稿出来。※(田中、植村、野田、伊達温、坂口、田中(訳)、高田)  (山住dr.と歌を合唱す。)

11月26日
8:30さめ朝食。高田瑞穂より原稿と2,000、「服部タイプ」にもちゆき、成城大飯店にて昼食。
帰って来て石井正吉来り、我に署名を強いしもきかず、米と柿もらひ詩集もちゆく。『四季』出来れば「1部買ふ」と。
服部Type、2万円返さず、あやまりて承知さす。
ユ、戸田みつき師(※夫人の絵の先生:杉並アマチュア美術連盟。1906−1996)喜寿(※祝賀)に出て帰り来る。
https://www.t-artforum.net/page_archives/artist_of_shonai/artist_detail/index.html

11月27日(日)
礼拝休む。末富氏と御将棋。よき勝負す。但し全敗。『四季』のため方々に電話す。
上原和来り、落涙す。詩集1冊返す。死児に贈りし也。

11月28日
4:00起き8:30までねる。成城大に電話し中西(※中西進)「同人承知」。
ユ、川久保の帰る時、毛利のエセー来る。四季社の印3,500であつらふ。電話を一日中かける。(※省略)
(※西島)寿一来る気あり。山住正己氏30日来る。末富氏より2,000の同人費と原稿来る。

11月29日
1:00さめ6:00ユを起す。(※省略) 堀江忠道君より電話「10:00来る」と。
堀江君、悠々と昼食し李白の詩の訳してゆく。これを投稿とし、夜、ユと『四季』の編輯了り33.5pages出来、あと高橋、金井(※高橋重臣・金井寅之助)の稿待つこととす。
(高橋に電話して「金井もかく」といへば動ぜず)。(※省略)
成城の高田家へ「あす瀬見(※蔵書を)見ゆく」と。瀬見には「甘く価つけよ」といふ。(※省略)

11月30日
(悠紀子夫人代筆)
朝6時起きる。午前中手紙待ち13時淺野晃先生見える。
朝電話して「来い」と云ったよし、先生2千円出される。戸田先生宅まで御案内する。
午後4時母へ行く。朝の主人の電話で稲垣さん腹立てる。夜はだいぶしづか。
(※『四季』同人)林富士馬氏ことわる。絶交を云ひ渡す。


12月1日(※重複記事。)
13:00淺野晃来り「原稿送る」と2,000円呉れ「(※R火忌欠席の)保田の瑞穂共産党」と。
色々話し戸田家へと去り、「井上靖が加入するならいや。(※戦時中の)中島健蔵の将官待遇」とを話して去る。
われ「電話して呼びし」と。覚えなく当惑しをり。(※以上前日のことか。)
稲垣カメラより絶交申渡さる。「南方の思ひ出気に障り電話せし」と也。

12月2日
8:30熟睡。電話の応対恐怖す。「金(キン)買はぬか」とあり。ユ銀行へゆき年金出し、
 瀬見氏呼び、「『四季』の印刷必ずやる。あすでなくてもよし」と、20:00まで応対す。
(悠紀子夫人代筆)夜遅くまで原稿をうつす。

12月3日
(悠紀子夫人代筆)
山住正己先生午后1時半に見え3時帰る。3時より4時半まで留守番する。『四季』のことで一杯。
「服部コピー」に原稿渡すに瀬見さんについてもらう。今日は主人にこにこなり。
12時15分高円寺より走り帰る。明日同人表を渡すことにする。(苑ちゃんにつきあってもらった)(※省略)

12月4日(日)
(悠紀子夫人代筆)
教会に行き帰り、ラーメンとスープで昼をすまし帰る。苑ちゃん同人表をかいてくれる。
主人の「老兵記」をかきうつす。(ユ代筆)

12月5日
(悠紀子夫人代筆)
「服部コピー」に「老兵記」とどけ48ベーヂにたりなければたしてくれるようにたのむ。(※省略)
夜、瀬見さんくる。11時すぎまで酒少々のむ。主人と2人でないしょ話し、
瀬見さんの170,000の高田先生の(※蔵書売却)話は17,000のこととわかる。
この頃なににでもびっくりしてゐる(ユ代筆)。
電話又先生にするが、耳がお悪くほとんどわからないのでつかれきる。

12月6日
(悠紀子夫人代筆)
朝7時半おき萩原さんに電、室生さんにも電。御二人とも同人にならぬ様子。
堀さん(東京の家)に電。「昨ドロボーに入れられて明方までねられずこれからねる。
二号にはなんとか(※執筆)出来るかも」と。「びっくりして元気なり」とのこと。
銀行にゆき(※省略) まことやでコピーと『かぎろひ』の製本をしてもらひ520円。
瀬見さんわざわざ来て「必ず24日までに『四季』出来る」とつたえてくれる。
朝9時すぎ主人、本を佐伯さんに13,000で大きな山ほど売る。
一日中「つかれた」と外出せず、夕方コピーをした(※『四季』創刊)文書を朝日、毎日、読売新聞に郵送する。
まことやのマダムから本返してもらう。少しもよんだ様子無く、主人腹立ておこってゐる。
きげんななめで23時ねる。(ユ代筆)

12月7日
(悠紀子夫人代筆)
朝9時、午前中服部タイプに行きペーヂ6ペーヂ足りないとのことで急ぎ帰る。
その前に郵便局より本荘氏に50,000円送金する(主人がぜひ返したいとのことで)。
午後、急ぎ末富氏の南方の話を、残りの部分のコピーをのりばりして持って行き、丁度足りるとのことで国鉄に乗り帰ると、主人鍵かけずいない。
ポストに四季社の名前を書いている時帰ってきて、末富さんのコピー前の方をもって行くのを私が忘れたと、がんがん怒られる。
そのため服部タイプに行き、主人とやりやって逃げてしまい、瀬見さんを呼んできたよし。
私が忘れたのではなく、先日書き写した原稿を主人はすっかり忘れて、早とちりで、
おかげでがんがんどなられてばかをみた。瀬見さんに気の毒。
タバコの代金200円を返してもらうよう電話でいろいろ頼む。つくづく悲しくなる。いつまで続くのか?
夜は9時半ねむくなる。浅野先生、石井小吉、鳥海へハガキ。

12月8日
(悠紀子夫人代筆)
今日は平凡社の馬場さんの来る日で朝から待ったがこないので一度ことわった。
末富さんのところで碁をうったが頭は『四季』の事で一杯でまけばかり。
夕方5時半馬場さん来る。「五雑俎」の中身好きな様にしてよいとのことだが、まだ手をつけること気がすすまず、カードの事も気になり出す。
馬場さん8時頃、夕飯して帰る。『四季』の製本、速達2通(藤沢・石浜)。

12月9日
(悠紀子夫人代筆)
8時すぎ目がさめる。一日中風呂で家。夕方堀さんに電話して朝十時頃おじゃますることにする。

12月10日
(悠紀子夫人代筆) 
朝7時に起き、9時家を出て堀多恵さんの宅に着く。
堀さんに『東京四季』をあげる。会員になると2000円もらって、主人は荻窪の古本屋に行く。
家に帰ると瀬見さん今夜1回目の校正を持ってきてくれるとのことで、主人も安心して風呂に入り夕方まで家にいる。
夜、瀬見さん校正を持ってくる。『堀全集』主人買い戻す33,000。道造画集10,000を払う。
長崎女史見えず。吉岡克己さん電「道楽はだめだ」とのこと。

12月11日(日)
(悠紀子夫人代筆)教会やすむ。午前中うとうとして躁は終わったもよう。
4時、亘理さん村田さん見える。牛肉のしゃぶしゃぶでお酒。村田さん泊る。亘理さんにうどんいただく。

12月12日
(悠紀子夫人代筆)
朝6時に起き、6時半、村田さんを起こして朝食後7時半帰られる。
主人はそれからそのまま居眠り。村田さんに1,000『四季』代もらう。
瀬見さん夜、原稿持ってきて全部直させて活字の号の違いを3人で確認する。大きい方から4、5なり。
夜9時半ねむくなってねる。1日中出る気なし。

12月13日
(悠紀子夫人代筆)
6時起床。加藤和子(詩)、室生朝子(ことわり2000円間違って入れる)。(※省略)
中山正子みかん、石井正吉氏リンゴ持ってくる。『四季』の校正出ず。

12月14日
(悠紀子夫人代筆)
1日中家にいる。木曽(※荻村雅子)よりりんご。朝礼状(北海道、河盛氏)を出す。外出せず。

12月15日
(悠紀子夫人代筆)
1日中なにもせずうとうとしてすごす。瀬見さんに電話するがはっきりせず。
ハガキに福地さんの弟さんの死去の事と中西薫さん黒豆送ったとのこと。木曽に礼状かく。

12月16日
(悠紀子夫人代筆)
1日中うとうと、外出せず。賀状10枚書く。(※省略)
福地邦樹弟の死を知る。葉書にてくやみ出す。依子より果物。高野夫人より歳暮。


12月17日
4:00起床。7:00ユ起し朝食、(※省略)
相良の小杉より『東京四季』2月に出せし後は『四季』に来さす。
詩、この度は下手なりし。母死にかけゐしも死にし故かけると也。
平凡社の広告につき瀬見氏より「活字の大小まかす」と答ふ。

12月18日(日)
7:00起床。ユ礼拝に出てゆく。われ四季の会のハガキ数枚かく。
(※『四季』創刊号)印刷中にて瀬見氏より電話あり。(※省略)

12月19日
8:00起床。「おしん」見て、選挙に田中角栄派全勝し福田・中曽根に勝ちしなど見聞す。
国民の金権に不感症となりしを知る。(※省略)

12月20日
早やくさめ、10:30出て(※省略) 銀座の三火会会場に11:30着。浜野の「匂ひの話」きく。(※省略)
浜野、吉岡2君と喫茶おごり、『四季』買への勧誘の紙わたす。(※省略)
次回には現物もちゆき現場販売ときむ。帰宅。
瀬見氏来り(※『四季』2号)初校わたす。21:00すぎまでかかりすます。川久保青森のリンゴ呉る。会はず。

12月21日
曇。(※省略) ユ10:00印刷屋にゆき(※『四季』創刊号納品)、瀬見氏に助けらる。萱といふ字なく棋はあり。(※省略)

12月22日
8:00起床。(※省略) 我、朝食後10:00出て高円寺局にて投函、小杉氏へ返事。瀬見氏に礼いふ。(※省略)
昼食後、末富氏にゆき御将棋にて負けつづけなり。山本知事に「買ってくれ」とボカして書く。
山本治雄に「買ってくれ」と書く。森開社に礼と「買ってくれ」と書く。(※省略)

12月23日
7:00覚める。曇。8:20朝食了る。10:00出て高円寺局にて投函。瀬見氏2人の従業員を供ひ、ちょっと話し本買って帰宅。
(※省略) 小杉茂樹氏より『四季』売りくれると。ユ16:00帰り来る。

12月24日
8:00さめ朝食すませ佐伯にゆき「書楽」にゆき「まこと屋」の開店まてず山住dr.。血圧105-80「薬ユとりに来る」といひて帰宅。
(※省略) 筒井護郎に賀状かく。諏訪澄より電話、わけわからず。

12月25日(日)
7:00起床。ユと礼拝にゆけば小林の3孫待ちをり。Xmas礼拝すみ竹森先生の本買ひ、(※省略)
ユ『四季』を包む。われ入浴して21:00臥床。

12月26日
7:00起床。「おしん」見る。ユ印刷屋へ払ひにゆく。(※印刷代金不詳) 
弓子と孝行来り、吉越笑子生来る。(同級1人をつれて)すぐ帰り行く。
苑ちゃん会員となる。花井夫人来り10冊もちゆき入会費2,000払ひて帰る。

12月27日
7:00起床。(※省略) ユ『四季』を包み郵便局へゆく。弓子これを手伝ふ。

12月28日
7:00起床、(※省略) ユの出しあと小杉茂樹君より電話、20冊覚悟と。
ユ『四季』を包み郵便局へゆく。われ無為夢想。

12月29日
7:00起床、(※省略) 山本みち子氏より1冊くれと500+160。
小杉茂樹君より電話あり20冊分+送料+同人費1,2500送らる。伊達氏より1万円(5冊分)。
平凡社久米氏より「広告見た」と。植村先生より「10冊買ふ」とお電話。

12月30日
よべ不眠、ユ代行して〒にゆく。矢野峰人先生より誤植指摘。
関口八太郎君に「自衛隊につきかけよ」とのハガキ幸ひに帰り来る。
小杉茂樹氏より「直送するな」との名を列挙。内に鳥羽女史すでに送りしとて困る。
大阪の備前芳子氏より切手60×40=2,400来る。

12月31日
21:00より7:00まで眠る。朝の中、河盛好蔵氏より「同人になるつもりなし」と怒りの手紙。
ユ郵便局へ再びゆき1万円送り返す(われ独断専行のわび状かく)。
「千草よりききし」と1冊送れと坂井春彦君(青山学院教員)より。入浴。眠し。


付記:プライバシーに配慮して一部省略して記してゐます。原文pdfは現在非公開です。


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