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田中克己日記 1957
【昭和32年】
戦後、堀辰雄の『四季』が失はれた後の田中克己の詩作活動は、同窓との関係も国威との絡みもない、つまり『コギト』や『日本浪曼派』とは離れ、地元関西であたらしく識りあった詩人達とともにあり、彼らと交流することで思想にとらはれない詩的境遇を復活させてゐたもののやうに思ひます。
京都・滋賀において詩誌『コルボウ』『詩人学校(近江詩人会)』『骨』を興し、『コギト』の盟友だった保田與重郎と距離を置きはじめ、抒情詩批判のボスだった小野十三郎とも職場同僚として折合ひをつけながら、戦争協力者に対する排斥キャンペーンはなかった地方詩壇の一隅に翼を休め得て十年、抒情詩人の地位を墨守してきたと云へるでしょう。関西ならではと呼んでよいのか、アプレゲールが集結する政治色に敏感な首都圏内では求むべくもなかった人間関係だったに違ひありません。
総じて志を得なかった十年ですが、田中克己としては、戦争詩人と呼ばれっぱなしで終ることに、作品を以て応へるしかない気持ちがあったのではないでしょうか。総括の意味で出された詩集『悲歌』といふタイトルには、表題に呼応する作品「哀歌」のみならず色々な理由を感じさせてくれます。
井上多喜三郎や天野忠をはじめとする人生をみつめる詩人達との蜜月は、さうして戦後関西詩壇の土台作りを終へたところで田中克己の側から一方的に放棄されたのですが、離脱の背景には、気の置けない寄合ひの仲間とは別に、堀辰雄や伊東静雄の亡きあと、心にわだかまってゐた戦前『四季』『コギト』の抒情精神の灯をふたたび掲げ、守り継いでゆきたいとの思ひがあり、それを形に表した『果樹園』の創刊がありました。詩とは別にこれまでの体験を文章にして綴る場所が『祖国』の廃刊により無くなってしまった今、時事警醒へとのめりこんでゆく保田與重郎とは別のホームグランドが欲しかったといふ事情もあったでしょう。
しかしその主幹者たる地位をも放棄し、たった一年で詩筆を折るとさへ宣言するに至ったのはなぜでしょうか。これまでの同人誌の旗揚げに際しても、毎に中心で関はりながらいづれも雑誌が軌道に乗りしばらくすると、突然住居ごと移って抜けてしまふ。また雑誌の中でも一寸したきっかけが原因で連載を中断してしまふ、そんなことが普通だった人でした。このたびは昭和31年の年末、詩集『悲歌』出版記念会の席で宣言した絶筆宣言の数日前に催された、東大東洋史学科の同窓会にて期するところがあったやうです。
昭和25年、大阪大学への就職に失敗し、併せて名古屋大学のポストも棒に振り、彦根に流寓した際にしたたか思ひ知らされたことでしたが、その後も京都大学の学閥で固められた関係者の周りをどれだけめぐらうとも、自分に与へられる席がこのさき無いであらうこと。親友羽田明が何かとフォローしてくれるとはいへ、また、だからこそいつまでもさうした状態で京大に出入して関係者と交流を続けることにも抵抗があったのではなかったか。
そして近畿圏では地元新聞からも度々寄稿を求められる「詩人」として認められるやうになったものの、それが却って災ひし、学界の恩師たちにはいつまでも「学者」として一本立ちしない、二足の草鞋を履いた不徹底な態度や原因として映ってゐるらしいこと。これは終生の僻みとして田中克己のプライドに糊着し苛んでゆくことになりますが、帝塚山短大の専任教授となって同僚にも恵まれ、やうやく家族を食べさせてゆける経済状態にもなったのに、このとき遂に、自分の本分はあくまでも学者であり、中央で身を立てなければとの、居ても立ってもゐられぬ焦燥感が爆発したのではなかったでしょうか。
もとより東京が大好きだったといふこともあります。そして詩壇史的にながめても、田中克己の関西詩壇からの退場は、次世代の戦後現代詩詩人の台頭と時を同じくしてゐたのだ、とも云へます。田中克己の抜けた『骨』は代りの気骨的先輩人物として天野忠を迎へ、世代交代しながら面目を新しくし、『果樹園』も編集が小高根二郎に移されることによって、詩誌といふより伊東静雄研究(のちには蓮田善明研究)を長期連載する奇特な雑誌として文学研究者間に知られるやうになります。一方、詩集『悲歌』を刊行して以後の田中克己といへば、こと詩作品に限って云へば、世に問ふべき詩集として再びまとめられるやうな内容の作品は、(晩年に『神聖な約束』が編まれ信仰関係者に配られましたが)、さびしいことですが書かれなくなってゆくのです。
さて日記に見られるやうに、年末より急速に上京するための就職活動を行ひ、浅野晃からもたらされた伝手によって、ともかくも東洋大学の専任教授のポストを得ることに成功した詩人ですが、移籍した大学の講義では夜学(2部)しか持たされず、それも毎クラスの生徒がたった一人とか二人とかいふ有様。何かたいへんな間違ひでもしでかしてしまったのだらうかといふ不安も消えぬうちから、つづいて今度は「動揺大学」とも呼ばれた当時の大学内紛に巻き込まれてしまひます。ことにも田中克己を引っ張ってくれた齋藤晌文学部長がその当事者であってみれば、一宿一飯の恩義もあり黙って居られる訳がありません。学内政治的な行動こそ自重しなくてはならない時期と身分の筈ですが、小室栄一氏や村上正二氏をめぐっては実に危なっかしい立場に立たされたやうです。
すなはち東洋大学への口利きを熱心に行ってくれたといふ小室氏が、悠紀子夫人の同級生の兄であることが分かったものの、やがて失望と蔑視とを感じ、しかし明治大学へ引っ張ってやると云はれ一転して「いい人では」と思ひ直し、土産を持って挨拶へ出向いたものの、その帰りに和田先生から陰口を叩かれてゐたことを知らされたなどいふ条りは、同じく陰でファシスト呼ばはりされて蔑まれてゐた村上正二氏から、講義のコマを譲ってもらったものの、非常勤講師の渡辺道夫氏の心配までせざるを得なくなったといふ事情や、さきの阪大就職をめぐっての桑田六郎博士との関係と同じく、師弟関係に律義で情にほだされ易く、裏心のある人物からも都合いいやうに翻弄されてしまふことが、(生前先生に訊ねたら怒ったに違ひありませんが)間々あったやうに私には観ぜられるのです。
ただこの年にはまだ芳賀檀とは仲違ひはしてゐないやうです。どころか親愛の様相を呈してゐるのは日記にみるとほりで、むしろ文学面では、影山正治や中河与一との交通はあるのに、保田與重郎や、肥下恒夫氏との没交渉が気になって仕方がありません(前年前川佐美雄夫人から聞かされた保田氏の不倫疑惑は、五味康祐が否定してゐます(8月22日)。信奉者による証言ですが、どうなんでしょうか)。
家族の話題にもこと欠きません。長男史(ふびと)氏の学費督促にあって、悠紀子夫人もパートで働くことを決意する始末。只でさへ余裕のない家計が火の車にあった年なので、気の紛れるやうな話題にも乏しいのですが、途中の7月18日
「依子の担任橋本先生に会へば「率直にして判断早きは長所にして、みなりにかまはず、人にゆづることなく、総じていへば可愛くなし」と。我によく似し。」
といふ個所では、ひどいなあ、と思ひつつ可笑しくて、長女の依子さんに御報告かたがた当時の聞取りを行ったことでした。日記を翻刻する際に活かしてゆくつもりですが、なかで知った意外な人脈や親戚関係について不取敢ここでメモしておきます。
詩人の同窓の丹波鴻一郎氏の弟が俳優の丹波哲郎であったことは、青年座の脚本家だった弟の西島大さんも御存知だったでしょうが、親戚で今後の日記にしばしば名が上るやうになる、田中克己の従弟で、太宰治の研究会にも所属してゐた西島寿一氏の孫が、同じく俳優として現在活躍中の斎藤工氏であることまでは、最晩年に聞き及んでをられましたかどうか。とまれ弟の大さんは、このさき詩人が精神的危機を迎へた際に、数々のサポートを差し伸べてくれた家族の恩人だったといふことで、今後も仄聞されるだらう当時の青年座の舞台裏の事どもと共に、チェックしてゆければと思ってゐます。
昭和32年。皆が惜しんで引き留めてくれる関西から思ひ立っての上京――そしてまったく先の見えない運命揺れ定まらぬ状態がうち続いた「東京日記」最初の一年目でした。
20.9cm×15.0cm 横掛ノートに横書き
昭和32年1月1日
9:00起床。寮生新年会すと呼びに来りしも出ず。賀状254枚。岩崎節子氏喪中と。夜、依子にalbumはってもらふ。
1月2日
賀状34枚。前川氏より『日本歌人』1月号わが稿少し削ったと。清水文子のgroupより忘年会の寄せ書。夜までかかりて賀状70枚(きのふ35枚)かく。大江(※叔母)、伊勢(※弟の建宅)へゆきしと土産を京にもち来る。
1月3日
賀状124枚。ハガキ100枚を買はす。坂根千鶴子より電話、14:00来りて古事記伝をやめ古事記につきreportかくと。岩田、増田2生来ると電話あり15:30来り、岩田manila葉巻呉る。夕食さしゐて日くれしあと、増田の靴、犬がくはへて出しことわかり、探せば片足だけ見つかる。悠紀子の靴はいてもらふ。けふ『日本歌人』正月号来り、わが「春夫先生のこと」のす。削除の箇所わからず。
1月4日
早朝、悠紀子さがせば、庭の北東隈に靴片足ありしも、かざりとれゐたり。靴やへもちゆけば4日ほどかかると。増田生に電話しことはる。
けふ賀状20枚。他に板倉鞆音氏より『パアゴラ』1号。小山正孝氏より『山の樹』復刊1号。小山君1,500の豪華詩集を出すと。
午后、喜界島の開利枝生より電報賀状。依子の中学の友、檳榔みつ子投身1ケ月後発見されしと新聞に見ゆ。
1月5日
7:30咲耶(※妹)より電話、河野舅君死に、明日葬儀と。父母ゆきをりと。賀状20枚。吉村淑甫氏より『悲歌』と(※『果樹園』)7号以後をと300。
午后出て吉村氏へ『悲歌(〒16)』と『果樹園(〒16)』6冊と送り、京橋、鶴橋とpicnicして帰る。柳井三千比呂より詩送り来る。
1月6日(日)
8:30出て和泉府中に10:00着き、bus30分待って内田。河野宅へゆけば出棺15:00と。待ちて父母ともに役立たぬを見る。
5,000香奠出すを見届けさされ(我は1,000+酒1本)、健の伊勢より来りしと会ふ。帯谷治郎の母と話し、来りしと会ふ。岑夫と従弟なり。鶴亀の蝋燭立てもたされて墓地へゆき、17:41のbusまでに夕食たまふ。健と天王寺まで同車、別れて帰宅。
けふ賀状28枚。東幸子、伊勢市に嫁ぎ五味姓となりしと。
1月7日
赤星帰り来しゆゑ、呼びて寮の解散を話す。うけがふ(※承知の)色あり。生田(中馬)夫人の賀状きのふとりのこされゐし。原野栄二氏より『悲歌』くれと200。小高根君とは会ひゐると。
賀状17枚。午后出る筈なりしも寒くして出られず。「伊東静雄の詩」書いて送る。
夜、福地君来り、12号清算その他おはる。われ12号同人費未納。
1月8日
9:00出て平凡社へ「朱一貴」200字送る(近畿車輌に桂信子氏訪ねしに風邪にて欠勤3日と)。愛和幼稚園へ寄りしに園長講話中。そのまま寺田町へゆき、元市印刷へゆき、21日原稿もち来ること云ひ、2,000の商品券返却。
出て天王寺をへて地下鉄、ナンバ。荒木利夫君訪ねしに未出勤。天ぷらうどん食ひ、渡辺怘君訪ぬれば、渡辺三七子の口、二三さがしゐると。
出て消防局訪ねしに筒井護郎外出。佐渡島金属へゆけば、梅本(※梅本吉之助)外出。十合へゆき、安川部長訪ねしに不在。『果樹園』1冊おき、
児玉君に茶おごってもらふ。梅本にゆけばをり、南生に院長の推薦書つけば確実と。
出て心斎橋筋を南下し、山下陽子生に会ふ。busにて鶴橋。徳庵に帰り、愛和幼稚園へゆけば園長不在。他日を約して帰宅。
白鳥先生(※白鳥清)より実践、昭和、中央の学長に(※転任希望)話しくれたまひゐると。佐々木邦彦君「山科に新居かまへし」と。賀状3枚。
1月9日
寒し。午、父来る。石井習君より200。『悲歌』1冊ほし。のこりは『果樹園』へと。賀状5枚。上村肇氏より10冊送れと再度申込。
14:00福地君の父君来訪、吹田高校長に訊ねてのち運動たのむかもしれずと。けふ増田久美子に悠紀子電話し「修繕おくれる」とことはりしと。
1月10日
雨、登校。庄野、長沖、小野(※庄野英二、長沖一、小野十三郎)3氏に会ふ。古田房子に80円のつり返す。増田生に会ふ。
学校へ賀状14枚。中に山本夏津子「結婚せし」と。森副院長不在とのことに帰らんとすれば院長、autoにて出、天王寺までのせてくれる。家へ賀状9枚。瀧口喜久子より300(『悲歌』1冊と10号以下をと)。
1月11日
定期券買ひ、雨中をゆき「中道」にて途中下車。散髪す。
登校11:00。「琵琶行」をprintす。小野勇氏来室。鍛治君(※鍛治初江)やはり3月退職したしと。
長沖、西宮2氏(※長沖一、西宮一民)より500づつもらふ。鍛治君(※salary援助)の(+α)の分なり。
学院へ森院長に会ひにゆけば、近鉄社長来をりて話せず、来週と約す。
竹田誠伍君より賀状。奈良女子大より12月分支払おくれると。角川書店より『コギト』そのうち返却すと。
1月12日
8:30出て鶴橋へゆけば9:05。特急は0:02と0:32と。空きしも急行でゆく。野崎家へゆけば、その君明日出席するやもしれずと。女子大にて50分あり、図書館にゆき天野忠に見舞いふ。23日非常勤講師につき教授会と掲示あり。講義12:00すみ、昼食して出る(けふ服部教授(※服部英次郎)と竹内教授と遭ひて変なりし)。
前川家へゆき紅茶贈り、夫人、佐美雄氏と話す(わが原稿十分まにあひしと)。
出て古本屋ひやかし、特急にのりたく三条通りまでゆきし途中、横田利平氏に遭ふ。特急、西大寺にとまるのみにて30分。鶴橋で下車。本屋、古本屋見て上六までゆき、departで吹田地図買ふ(doubleなりし)。
近鉄にて鶴橋へ引返し、省線にのれば小川和女史のり来り、京橋で誘ひて喫茶、その1時間講師料220と。別れて帰宅。
羽田君より写真代5,070×2=10,140と‼ わが後任に京大出を推せと。
池内一氏より礼状。伊藤徳姉より賀状(けふ帰途、桂信子氏を訪ふ。昨日より出勤と)。井上多喜三郎氏より「博士論文書け」と。山根忠雄氏より「史を洛陽高校へ来させよ」と。
1月13日(日)
朝、電話かかり10:00田中米屋の夫妻、長谷の田中氏母子つれ来る。同じく大手前にて食物栄養志望と。増田久美子より電話かかりし故、
14:30、Dotonへ来よといひ、13:00出て戎橋。
14:30には3教師と榎本、鍛治姉妹、峯、太田、椿下、谷、生田、枡田、平山、南村、本多、柏崎、橋本、山荘、山中、山尾、吉原、南隈、渡辺、森田と21人集まる(うち夫人10人、子供づれで来しが生田、森田2夫人)。その中、藤田氏子供つれて来り夫人2月出産のこと伝ふ。恰も八尾に帰り来しと也。
16:00まで我beerの小gocky2本あけ、出て「御門」まで南隈、山尾、山荘、橋本、柏崎、本多、南村、椿下、太田、鍛治姉妹をつれゆき、山本治雄に電話してゆくと云ふ。山本謡曲をきかせたがりしもbeerのみ、子らのかはりしを見て辞去(増田生よりもらひしCastilla1折をおき、『悲歌』1冊買はす)。
通りにて小川講師に遭ひしはふしぎ。八木嬢より手紙、200を同封す。井上多喜三郎氏より19日(土)13:00佐々木邸にて宴会と。
池沢、岩崎より原稿。藤野一雄よりハガキ。平凡社より原稿受取。けふ巡査来て「(※先月寮内で起きた)盗難は内部ではなきか」と。
1月14日
台湾の頼永承氏に10,140なりと航空便。山根、森2同人より原稿。森氏の題を12号にては誤記しをりと‼ 米沢昌江生より2月2日(土)17:00〜20:00千日前でクラス会開くと。小島スヱ嫗より、その中に来ると。
1月15日(成人の日)
朝、服部三樹子氏京都より電話。原稿いまより送ると。風吹き福地君来ず。港野喜代子氏の賀状、不足2円。山中タヅ子生よりクラス会の礼状。小山正孝君より速達にて小説12枚。日本歌人の会、浪速荘にてあるもゆかず。
1月16日
福地君10:00ごろ来り「卒業論文にて忙しかりし」と。12:30芳野、浅野2氏の原稿来り、page不足となる(われ「葡萄」13枚かき了る)。
登校。森副院長に会ひにゆきしも他出。山本氏より電話といふに、きけば正英氏にてalbum返すと也。けふ明日もらひにゆくと答ふ。教授会にてまたも東孝子の編入議題に上り、卒業よろしとなる。図書室移転を今月末にせんといひ、すみて鍛治君に西保泰男氏のこといひ、生物の試験問題見、19:00まで熊沢君と院長の悪口いふ。わがままと忘却癖と無責任となり。中野トシ子文学やるといふ少女つれ来しも話さず。
授業了れば瀧本君来をり、ともに出て上町線。天王寺にてみなと別れて帰る。
けふ『日本歌人』で見しとて隠岐國彦氏より『悲歌』1冊注文あり。佐々木邸の建築祝に欠席と井上多喜三郎君に通知す。賀状抽籤しらべしに4等肥後恵子、5等山本夏津子、佐竹喜代子、秋山昭子、井階房一、山内和子、伊藤桂一、津田賄、伊藤賀祐、金子多美子、中河与一、上田典子、沢田利、田中順二郎の諸氏差出のもの当りゐし。
1月17日
10:00登校(途中、山本八郎夫人と同車)。森氏を訪はんとせしに院長と会議と。庄野、長沖、小野氏と話す。近鉄より電話、長沖氏の礼につき。太田陽子夫人に渡辺生をして電話せしめ、紹介状と『悲歌』もちゆかす。
14:00今東光氏来り、直木賞候補と。森氏あきらめ歩きて明光商事へゆき、album2冊返却を受け、ナンバへのbusにのり今高へゆき筒井君に会へば、3年の転校むつかしきらし。地下鉄にて天王寺へ出て帰宅(けふ長沖氏に100借りし)。
小高根氏より原稿とハガキ。『日本歌人』の新年会にゆかんとして伊東夫人の見舞でおそくなりしと。佐々木画伯のAtlier開きには出ると。
佐々木氏より案内。玉井一郎君より『果樹園』に300。田中保子よびて問題を見す。album開けば手紙入りをり(※見合希望に)数十名を指名す‼
けふ阪本昌代生、学校へ来りしはふしぎ!米沢昌江に2日の会、欠席と通知す。石口敏郎君より電報にて「原稿けふ送った」と。
1月18日
9:30家を出て井上睦子、東、田中智慧子らと上町線同車、珍し。森副院長に会ふまへ院長につかまり、南須美子を佐渡島金属より近鉄departに入れる方よからんと。山本正英氏に電話すれば「11:00来る」と。
森氏に会へば学園にも空きなしと。中島氏来り、図書館のことうだうだ云ふ中、山本氏来り、辻本、沢田、松本秀子に交渉してくれと。われ富永英子をしらべて見よと云ふ。そのあと江馬春夫、長沖氏に礼もち来り、われにも羊羹1箱賜ふ。漢文すませ写真とられ、南にきけば院長紹介状くれざりしと。われ推薦状かき、院長邸へ母親同道にてゆけと云ふ。漢文print切り、熊沢氏と話す中、15:00となり、高等部の懇談会。院長中退のあと「裏口をしめよ」と云はれし。
帰りて渡辺の電話を東孝子にきき、電話すれば(立川)太田陽子夫人親切なりしと。松本一彦に電話して報告し、赤星呼びて20日(日)11:00城平叔父に呼ばれし理由きけば器具のことならんと。
けふ伊藤佐喜雄よりハガキ。『婦人倶楽部』2月号の村上菊一郎君の紹介見しと。(salary出る)。
1月19日
鶴橋にて『婦人倶楽部』2月号買ひ、村上君の詩の紹介欄見しに何もかきてあらず。
9:30の特急に乗り女子大へゆき、横田教授訊ねしに会へず。講義すまし昼食くひ、前川邸訪ねしも応答なければ、出て野崎家へゆく。(林夫人に『婦人倶楽部』の付録贈呈)。
けふ父来り、明日の叔父の話は富士ハウスを野球場とするためと。齋藤先生より2月6日の教授会にかけると。わが名あげしにすでに反対の声ありしと。市村其三郎は策動して理事者教授連にもきらはれゐる故、連絡するなと。早速返事かく。
小山君より「詩集まだ送れず」とハガキ。3,000送金(内300はわが詩集代と)。角川書店の松原純一氏より『コギト』送り返すと。服部三樹子氏より「明日来られず」と。歌稿と同人費。石口敏郎君より同人費と原稿。
1月20日(日)
9:00に起き、10:00に会社へゆき、城平叔父の野球部と話すま、赤星と話し、ついで叔父にきけば寮解散は今季行へずと!ついで赤星と寮器具の不整理について叱られ了る。
成尾氏に電話すれば「16:00〜17:00好し」と。帰りて太田陽子夫人の手紙を見、13:00すぎ来し福地君に帖簿つけさし、小高根、山根、池沢の3君と編輯会。
すみて相談すれば東京へゆきてよしと。福地君の高松行もとめず、3君にて編輯ならびに事務やると。池沢、この間、学芸部に杉山平一君の『悲歌』評のらざりしわけききしに、わが同誌(※読売新聞)とらざる故と、慄然。
16:30すみて夕食。5人にて出、われ福地君と元市印刷へゆき、(※『果樹園』1-10号の)合本(100円位と)と13号の印刷たのむ。
25日初校、26日校了と。(表紙2度刷りにて2,000位と)。
あす9:00徳庵駅にて(※福地氏と)待合せ、桜塚高校へ松浦校長に会ひにゆくこととす。
夜、岩崎昭弥君に売上4,000寄附をたのむ。(同君の『悲歌』評は8ポに変更のため割愛となる。) ふしぎなる日なりし。
深更齋藤先生(※齋藤晌)に心境披瀝、(※かつて転職活動に失敗した)名大の例をあげ、再考を乞ふ。(岩崎昭弥に4,000寄附せよと云ふ)。
1月21日
9:00前、家を出、齋藤氏に速達し、徳庵駅で待ちゐし福地君と会ひ、岡町下車。桜塚高校へゆき松浦校長に会ふ。
欠員東淀川、東住吉2校だけ。2年程経験あり1.3万円までの教師を好むと。高松行に反対されず、令息京大法科のtopなりし。福地君呼び入れて紹介し、夜学に欠員あるやもしれずときき、出て古本屋で春山行夫の本買ひ、梅田にて福地君と別れ、昌三叔父に会ひて、食物むつかしと石田氏に伝へることたのみ(斎田君欠勤)、まむし食ひ、金田一春彦『日本語』買ひして市消防局にゆき、昼食に出し筒井まち、会へば住宅協会のapart世話するときき、市電にて信濃橋。
千川に会ひ『悲歌』1冊代預り、大保商店に社長父子に会ひ、惠以子君(※梅田[西保]惠以子)の出産予定2月末ときき、肥後橋まで歩き、市電にて片町。沢田医院にゆき夫人に会へば寛子君昨秋、阪急の野球選手と結婚、明石に住むと。
徳庵にて愛和幼稚園にゆき、成尾園長に会へば、布施の進修園長に電話したまひ、面会すとのことに喜び、樟蔭の齋藤園長令嬢にと電話せしに昭和5年生れとて気の毒なりし。
帰りて松本夫人に電話すれば、看病のため就職やめることとほぼ決定せしと。バカらし。
けふ〒なし。夜、福地君来り、「高松の校長感じよく、ほぼ決定」と。
1月22日
8:50登校。鍛治君来をらず、南海延着の為なりし。4時間すませ、南生に母同道院長訪問をすすめ、渡辺生に推薦状かきてわたし、住山生に富士伸鋼へ紹介せんといひ、井上睦子にきけば19日石切駅で待ち呉れゐしと。守本氏にきけば院長うるさしと。ききすてにして出、赤星生と話しつつ天王寺にゆけば13:25の和歌山行出しあと。Coffeeのみ14:03発の汽車にのれば学生をり、南京豆呉る。
和歌山につき、梅田邸にゆきてきけば、泰男君bechaと云ひしと。離婚の件、目鼻つかずと。すし食はされ、タバコ貰ひて出、市駅にゆき19:00鍛治邸に電話すれば弟君運転の自動車にて初江君迎へに来、母上、富子、父上とも挨拶し、4月以後も少し留任することとなる。
21:30の佐野発にのり23:00帰宅。
〒けふもなかりしと。両田中嬢、服飾に志望と変更せしと‼
1月23日
寒し。康平叔父より電話、父2日間欠勤すと。明日、史やりて見舞はさん。神経痛ならんと答ふ。
〒『詩宴』24、岩崎昭弥書きをり。電車にのり合せし夜間生『悲歌』買ひしと。けふ斎藤教授に『果樹園』4冊と抜刷、千川君に『悲歌』1冊送り、八木嬢へ手紙。佐々木邦彦君にあやまり状出す。
登校すれば三苫君「女の人待ちをり」と。ゆけば山本信江生‼ きけば市大病院にをりしDr.と結婚すと。2月6日16:00よりGas buil.での招待状もち来をり、入試面接につき不明といひて帰す。清水生来しところへ根木生来り、「昼間へかはるはいかん」と。やめよと云ふところへまた涌井生来り、「先生かはれると仰しゃった」と。変相して否定し、授業。すみて来ゐし田中、木村3生と平和荘の瀧本生の室へゆき、帰りまちしもだめ。
21:30出て帰宅。寮のsalary請求表かく。
1月24日
8:30史に父母見舞命じをれば会社より電話、風邪ひきしと。庄野、小野、長沖氏と会ひ、古典講読すませ、近鉄よりの電話を長沖氏にとりつぎ、鍛治君の身の上いふ。山本信江、きのふ長沖氏にも案内せしと。文芸志望21人となりしと。藤井寺の石田嬢、服飾に志望し300なりし。
今東光氏来り、湊野女史来り、産経新聞の井上文夫君来る(花嫁来年秋までに欲しと)。木村静子来り、南隅みね子君来り、2月10日(日)家へ招待すと。野崎夫人にも伝へよと。
長沖氏より500もらひ、和歌山の増田幸子より『悲歌』くれときき(井上睦子に歌の本やる)、鍛治君と3人にて天王寺へ出、喫茶して別る。
今西春秋氏より『異域録解題』の抜刷。森亮氏令妹、倉八千代氏の展覧会案内。
けふ学校へ後藤田女史より関響の招待券2枚来をりしを新田嬢へ与へし。
1月25日
登校の時、渡辺生と同車(あとにて立川pen
Co.より呼ばれて面会にゆきし)。西宮君よりきけば後藤田女史復学希望と。鍛治君のこと云ひしに無反応。すみて酒のみ、ともに出しに上町線にて山本重武君に会ひ、mode喫茶へつれゆかれbeerのまさる。
『文芸 堀辰雄文学読本』買ひて帰宅。頼永承氏より10,800東京より送ると。井上睦子より速達、「昨日泣きし」と。涌井生より「母来さす故、日をしらせ」と。(元市印刷に電話せしに校正27日(日)と)。福地君よりも電話。小林来り、結婚して退寮せしと(20日)。渡辺生より電話、面会すませしと。
木村三千子氏より電話、荒木君と井上源一郎君と集りゐると。荒木君「依田義賢、中国へゆくこととなりし」と。増田君来り、浪大2部卒業せしと。
(けふ上田阿津子より電話、漢文学史の参考書かせと。「月曜に会はん」と云ふ)。
1月26日
涌井生に母親29日(火)13:00又は30日(水)14〜15:00によこせと速達。9:32鶴橋発の特急にのり、奈良へゆき、野崎その夫人に会ふ。永島氏夫人(根本嬢の姉)小清水教授を識り、だめと云ひをられる由。
女子大にて天野忠君に会ひ、横田氏、竹内氏と会ひ、来年(※来年度)も講師委嘱と23日の教授会できまりしときき、前川家訪問を約し講義。
すみて前川家へゆけば2教授も来会、芳賀檀氏、昨日来り、東洋大に出講しをる由。(※田中克己転任に)何とでも努力すると云ひ、けふ来るやもしれずと。
14:00竹内氏と出てbusにて天理市北大路、足達家、洋館出来をり、八木嬢に会へば「入れちがひに送りし」と。高橋君を訪ね、Ginのまさる。電車にて小林君(天理大法律教授。奈良女子大講師とて一年同僚)に遭ふ。
帰宅、夕食。風邪気味なり。室清より「接収されゐし明治生命本館にかへりし」と。
岩崎昭弥君より「御意のままに」と1,000の同人費。林富士馬君より同人費。小山正孝君より1,500の詩集(※『愛しあふ男女』)。
1月27日(日)
9:30ごろ寮の二階整理する故、立会へと。松本ひろ子嬢10:30に来る筈なる故、いつもの事乍ら不快。やがて来しは鳳高校佐瀬良篤氏の紹介にて向井順子嬢。盲学校の先生の子にて、兄阪大仏文助手と。white-shirtたまふ。そのあと二階見にゆけば原君指揮。やがて松本ひろ子来し故、悠紀子と共に愛和幼稚園長にあやまりにゆかせ、阪急より届きし松本家よりの「味の素」1箱受取り、夫人よりのハガキ見、
12:40出て学校へ寄り、八木嬢の手紙受取りて、倉敷紡績常務岩田信次氏に会ひにゆく。住吉中の南側なり。増田久美子も来をり、色々しゃべり、次女に受験の心得はなし。増田生の就職斡旋たのみ、夕食にすしたまひ、菓子もらひて出、学校へ預けて元市印刷へゆけば6pだけ校正出る。
福地君と見、あす家で残りをすることとし、寺田町に出て雲呑おごられて帰宅。
1月28日
風邪にて臥床。上田阿津子よりの電話に「家へ来よ」と云へば都合わるき様子なりし。佐々木邦彦、竹内好の2友よりハガキ。伝田雅子より『足音』の3集原稿を元市印刷へもちゆきしと。
(けふ羽田君に頼君の送金のことかき、山本信江の式には「出られず」と父君へことはりせし)。夜、増田久美子より電話「梅垣女史より山本商店へ斡旋受けし」と。「ことはれ」と云ふ。
19:30福地君と校正しゐれば、木本晃氏より電話、前田福太郎氏と酒宴し、江口三五(岐阜)に電話かけてわが電話知りしのちかけしと。天津の礼云はる。
22:30校正すみ、あす印刷屋へはゆけずと福地君にことはる。
けふ会社のsalaryわたせしに浦本浜子不平の様あきらかと。安部育6,000余に比し、浜子4,000余なれば也。
1月29日
風邪。学校へ電話し、欠勤いひ、涌井の母来訪の時はたのむと云ふ。〒なし。昼寐。上田阿津子より今日来ると。
17:00涌井母子来訪。守本氏に会ひしと。1年へ入り直すこととなる。卵賜ふ。上田阿津子来り、本4冊貸す。山本令息の写真わたし、近々父母に会ふといふ。渡辺三七子より電話、太田夫人に会ひしと。
21:30福地君より電話、校了にし31日か1日出来上ると。
1月30日
雨。午后ゆくつもりなりしも、ふらふらして休講の電話かける。鍛治君に山本信江わが出欠ききに来しと。池元かよ氏、赤ん坊を抱きて来る。『悲歌』大阪屋より1冊註文あり。
1月31日
寒けれど9:00家を出て登校。古典講義「うたかたの記」終る。上田阿津子より電話、本返すと。あす16:00家を訪ふ予定と答ふ。
きのふ教授会で小島の転部転科、涌井の転部ともに難航せしと。小島母子来りしゆゑ、あやまる。今氏のお祝の会を専攻科と共に14日にやることを尋ねんとして出来ず。(増田幸子への『悲歌』を和田生に托す。岩田生の父君、増田生を某社へ推薦したまひしと)。
天王寺より地下鉄にて荒木利夫訪ひ、依田君の送別会の主催者になる資格なしと告ぐ。大阪屋にゆき1冊売り、帰宅。
新学社の転居通知。入浴後、元市印刷に電話すれば『果樹園』出来しと。19:30来りし福地君と発送事務、22:00了。
2月1日
登校。漢文のprint切る。きのふ太田陽子夫人より渡辺三七子の就職99%確定と。渡辺生呼びて伝へれば喜ぶ。礼状かく。西宮君、守本主事に叱らる。勝手に小学部と交渉せしと也。
鍛治君に『果樹園』わたし90×2受取る。長沖氏にも渡す。四肢だるし。
今市佐恵夫人より電話、アベノ交叉近くへ移りしと。知合の夫人、調査に来ると也。やがて来しを日野君に紹介、chocolate一箱たまふ。
午后、風邪を申し立てて学院面接を逃げ、家政科の歴史やめて出しも、桃谷で下車、勝山中学へ寄り見れば上田阿津子をり、けふ行けずと云ひ、父母の意向きけばyesと‼
月、火の中にゆくと云ひ、隣の東桃谷小学に校長仙野美須夫訪へばをり、塘に電話せしも不在。今宮中学にては児玉姓なりし也。出て天王寺までbus。徳庵駅で父に会ふ。金尾未亡人二階より落ちて入院と。
帰れば高尾の書目来をり、『社会主義詩集(児玉花外)』のこと云ひ、金尾のことを話す。この頃かかる種類のふしぎ多し。
台湾より『台湾外記』3冊、『台湾海国紀』『海天孤憤』贈らる。東京より金、未だ来ず。(卒業生よりの贈物を問はれ万年筆ほしと答ふ。桂信子を会社に訪ひ『果樹園』わたす)。
2月2日
奈良女子大へ10:30着。天野(欠勤)、横田、竹内、小清水博士に『果樹園』くばり、小川講師にもわたして講義。小清水博士にゆきしころより風邪気強くなり、出て古本屋で吉村正一郎氏に会ひ、横田氏『文学試論』もらひ、折から来し横田氏にsignしてもらひ、ともに前川家。
この間、芳賀檀氏入れちがひに来りしと。出て鶴橋で飯くひ、蔭山医へ寄り注射してもらへば寒気なくなる。
けふ〒なし。(本田助教授への『悲歌』1冊托す。来年度教課概要を9日までにとどけよと教務課に云はれし)。
2月3日(日)
雨時々降る。朝、菊池とて電話かかり、来よと云ひしが来ず。終日臥床。
『薔薇』来り、わが最後の詩をのす。米沢昌江より2日のクラス会欠席承認、『果樹園』よみゐると。硲君よりその中会ひに来ると。笹尾生の母より『悲歌』小森より受取ったと。午后『果樹園』の会にゆけずと電話す。
2月4日
6:00起床。8:30登校すれば文芸以外はそろひをり。3時間半試験監督。
本位田氏(※本位田重美)、X女史をつれ来り、学院高等部に入れしと。わが東京転任の時、あと引き受けると。成城の漢文、欠あるゆゑ講師なら有望と。
採点しをれば長沖、西宮2君にはcoffee、われには菓子と云ふに注文さして出る。東京の曳田武人といふより『婦人倶楽部』で見たと。メダカ会よりよせ書。八木嬢より訳見てくれと。橋本貫一より住所かはりしと。
2月5日
8:45登校(八木嬢への速達投函)。2年の国文学史を最後の授業とて説教す。
田中智慧子、縁談きまりしと。渡辺、南、住山生と話す。増田幸子より150預りて寺本生来る。松原順子就職きまりしと。
長沖氏の作文採点を見のこして出、中道にて下車。散髪し、busにて上六。江馬君訪ぬれば会議中と。急行にて石切下車。井上睦子と藤井美知子夫人訪ねしにいづれも不在。
昨夜少眠のため苦し。学園前にゆき上田阿津子の家訪ぬれば、タバコやしをり、母上と話せば(※見合)伯母反対すれど本人乗気と。書類と写真とを届けよと云ひ、tobaccoもらひ駅まで母上に送らる。
小阪下車、堀内(※堀内民一)訪ね、『二都物語(80)』買ひ『果樹園』1冊おきて出る。『桃』来り、咲耶より富士ハウスにて壻さがしてくれとハガキ。
夜、福地君来り、事務片付てくれる。府教委の試験通りしと。桜塚の松浦校長よりwhite-shirt賜はる。わけわからず。増田来て話す。
2月6日
面接のため9:45登校。昼まで文芸24人やる。向井順子生2番。岩田の妹も15番?で及第確実。
17:00すみ、山本正英氏に電話せしに他出と。長沖氏の教授申請を院長やるつもり也。
夕食たべ、涌井生つかまへ明日の院長面接の注意し、2年の国文学史すまして研究室にかへれば、瀧本生と共に武居生をり、前金切れの代としてport-wine1瓶もち来る。天王寺まで同車。金なくそのまま別る。。
梅原伊都子氏より茶、「薬師寺衛の13回忌」と。天野忠の批評のりし『日本詩壇157』。井上睦子のあやまり状。岩崎昭弥より『桃』の石田圭介わが愛読者と(※切り貼りあり)。林富士馬氏より『日本歌人』の春夫先生(※1月号「春夫先生のこと」)よみしと。田中雅子より上京したら会すると。涌井生より入れちがひに手紙。「百済生まだ勤めゐる」と。
2月7日
9:15登校。涌井の院長面接を第一にやり、許すといはれうれしさうな顔せし。面接午すみ、14:00より判定、結局食物栄養を60人とることとし、ほぼ落第なくなりし。21:30すみ、port-wineのみて帰宅。
田中保子より問合せありしと云ふに悠紀子に電話かけさす(大手前の最劣等生と)。
小山正孝君より詩集の評をまたわれにと。瀧口生より前金切れしゆゑ送ると。
2月8日
登校。漢文の時間に本運びさす。住吉区役所の中川俊雄君より及落の問合せ。
午后歴史やり、山本氏に電話かけさせれば来ると。15:00来訪。上田阿津子気に入らざる様子。新卒たのむと。
別れて山口玲子、西田洋子2生と話し、ともに出しも来週映画見ることを約して別る。山中タヅ子より見合に上京と。塚本生、中座の隣の「Echo」にゐると。角川より28,000払ひしと。上村肇氏より売上300。
2月9日
9:00家を出、福地君と同車、10:00の特急で奈良。天野忠訪へば欠勤と。(悠紀子より恰も電話、「東洋大OK」と)。
試験監督中、横田氏に(※転任の件を)云ひ、ともに文学部長に会ひ、来年度集中講義にしたしと云ふ。すみて服部英次郎氏(病臥中)、竹内正夫氏(東京の高校長に知合多くあり)、前川佐美雄氏(横田氏も同座)と歴訪、折柄東京転任の挨拶に来しは元三興出版社浅田広治氏(住友商事物資課)。
出て野崎家に寄り、営団前で降車。林夫人と上田家まで同行、父君、阿津子ともに不在とて、母上に案内され、島居清宅訪ねしにこれも帰らず。上田家で待ち、帰り来し父君に(※見合につき)山本のだめと井上文夫君の話し、夕食たまひ、帰り来し阿津子生に送られて駅。『文芸春秋』買ひて帰宅。
斎藤部長(※齋藤晌東洋大学文学部長)の手紙見れば、全員一致で史学科教授に可決。芳賀氏も独文科に同と。
桜塚高校長より受験生の名を列挙しよろしくたのむと。百済生より一度会ひたしと。
小高根二郎氏より17日夕食出すなと。竹村氏より礼状。村上新太郎氏より原稿くれと。
2月10日(日)
10:30竹村氏より電話、お礼いかにと也。その中に田中保子嬢よこせと答ふ。角川より「Heine7版2,000部の検印15日までに」と。
14:00出て天王寺。東長居行のbus、20分まちて南隅夫妻の新居訪ふ。鍛治姉妹、椿下、山荘の4君あり、御馳走になり天然色の映画見る。夫君よき人なり。
18:00出てbusにて天王寺。けふ財布忘れしゆゑ、鍛治初江君に100円借り、ナンバへゆき「Printemp」にて喫茶。別れて鶴橋より帰宅。
けふ斎藤教授に礼状。栗山(※栗山理一:成城大学)、白鳥(※白鳥清:立教大学)二教授に講師依頼。浅野(※浅野晃)、八木2氏に報告のハガキす。
2月11日
寒し。短大に電話し、桜塚の補欠たしかめ松浦校長に手紙かき、東京佐々木書店に送金の件たしかめる速達かき、15:00出て藤井寺。大江叔母に東京転任云へば「よし」と。城平叔父に電話せしに「会合にてけふはおそくなる」と。久美子2月1日出産、艶子と名づけしと。夕食よばれて出、駅にて喜代造叔父に会ふ(初枝叔母に石田生入学のこと云ひし)。
帰りて小山、林、上村、森、小高根の諸同人にハガキ。林君(※在京の林富士馬)にはアパート心がけてくれとたのむ。
森房子より同人費2,000と、『悲歌』見たしと。早速1冊贈る。角川より印紙2,000枚来る。浅野氏より内定の旨ききしと入れちがひにハガキ。和田先生へおしらせす。
2月12日
8:45登校。鍛治君より先なりし。Basket部の加藤生、coacherとして関学生をといふ。院長に直接いへと云ふ。3月13日部の送別会をすると。太田夫人に訪問の可否ききしに夫君病気にてだめと。
楳垣教授に転任あかせば宜しと。図書館長引受けてよしと。長崎講師に中田文庫を図書館へおろせといひにゆき、茶のまさる。
出てナンバ。荒木利夫訪へば東京出張中と。十合へゆき児玉、昌三叔父ともに不在。斎田君に見付けられcoffeeのまさる。同人費2ヶ月分預る。天満橋をへてbusにて会社、みな不在。あすまた来てみん。
岩崎君より原稿、山根君より原稿と同人費。比留間一成氏より諸代として500。島居君より不在のわび状。
入浴中、福地君より電話あり「明日9:00来る」と。西川英夫にアパート探したのむ。
2月13日
9:00福地君来る。記帳してもらひ、われ小高根太郎君に(※娘の)高校転学の問合せかき、山根君にハガキ書く。田中順二郎夫妻にアパート探したのむ。
梅原伊都子氏に薬師寺衛13回忌の供養の礼かく。
父に電話せしめしに城平叔父すでに他出と。乾武俊より高石町に転居と!
父来り、わが東上を喜ぶ色あり。城平叔父けふ帰らば都合きいて報さんと。風邪にて声嗄れたり、哀れ。悠紀子の貯金出しにゆきしあと父より電話、「城平叔父にすぐに会ひに来よ」と。よきて話せば「よし」と。
出て定期券買ひ、登校。神崎院長(※神崎驥一)に電話すれば「来てよし」と。ゆきて話せば「意外、も少し早く云って欲しかった。6月まで待てずや」等、「明日会議して返答す」と。後任に本位田重美氏を云ふ。母親学級に我を指定せしと。
学校へ帰り2部1年2名の就職斡旋きき、清水、田中2生の来しと話しゐれば、熊沢君来り(元市印刷に合本せかす)、2時間目の講義早く切り、
来週打切りを云ひ、試験問題を「日本浪漫的文学」と「日本現実主義文学」とし、出て2生と瀧本のアパートにゆけば未帰。木村静子に会ひ伝言たのむ。2生とアベノ橋にてpeppermintのみて帰宅。
栗山理一氏より漢文もう決定しゐると。浅野氏より祝詞。芳野清君より同人費2,000。
2月14日
登校。石浜先生さがせしも来られずと。古典講読の試験に歌うたはす。坂根生このあひだ上京、青年座で大(※西島大)に会ひしと。川西奎之祐より電話あり。畝傍高校の先生、入学金の延期たのみに来らる。守本氏に会はせ、天満博子の問合せに返答書き、鍛治君と出て「御門」で喫茶。後、
別れて佐渡島金属に寄りしに田中、梅本2氏ともにまた不在。
阪急Hotelにゆけば長沖氏のみあり。(けふ院長と話し、途方にくれし顔せしと。も一度話せと云はれしと。壽岳博士令嬢呼べと云はれしと)。ややして小野(※小野十三郎)、西宮(※西宮一民)、庄野(※庄野英二)とそろひしところへ今東光氏来り、直木賞祝賀会(※写真)。
今氏の「葬式に出れば1,000、読経代30円」といふがをかしかりし。17:30すみて西宮、鍛治2君と出、鶴橋までtaxiにのりて帰る。
池沢君より原稿、上村肇氏より詩と伊東リツ(※伊東静雄妹)の歌と‼ 奈良女子大より昨年度の申告(21,200−2,628)。
けふ母親学級にと古田氏より話ある筈にて3月25日と!
2月15日
堀内に寄り、悪書うり『牧羊神(200)』分けてもらひ登校。古田氏に電話し、弟の結婚のためだめといへば、25日以後でもよしと。長沖氏けふは院長と話さず。村田悦子来り(服飾3回卒)、夫のつとめる住吉一中の校歌添削さす。長沖氏に本庄実先生の使来り、先生脳出血と。
15:00すぎ鍛治君とともに出、堺東にゆき、太田家探しまはり、古本屋にて『本草和名2冊(50)』買ひ、結局北野家の祖母君にきけばすぐ近所。
16:00訪へば待ちゐしと。渡辺生を社長秘書とすると。三国丘中の齋藤校長に電話し、高野生のこと問へば元気と。はるみ君、浜岡中学につとめゐると。Sherryのましてもらひ出て北野店訪へば母君をられ、「この間、順二郎君来し」と。
出てbusにのり、ふと小野家を訪へば夫君帰らず、和子生、大江叔母に会ひ、ききしと。『悲歌』もらひしと。親子丼よばれ、駅までゆく途、夫君に会ひ、引返して酒のまされ、東京転任になるやもしれずときく。23:00帰宅。
白鳥先生より「来年の立教大学院の講師よりなし。宅地世話する故一度来よ」と‼
八木嬢よりの開き封(※書籍小包)、中に手紙あるを発見され罰金4円とられしと。角川より検印の受取。高橋君より原稿。芳野君あて伊藤桂一氏より手紙。(けふsalary出、悠紀子への借1,400となる)。
2月16日
13:00出んとすれば上田阿津子より電話、「写真・・・」といふに鶴橋にて会へば忘れしことはりの電話と、ばからし。上六にて飯くひゐれば向ふに坐りしが説田敏行とて浪中の卒業生、いま凸版大阪支社の課長代理と。今里の渡辺家にゆき就職後の注意す。
松本一彦に電話すれば、なほりて出社と。この間、西原直廉来り、殿井に案内せしと。我をのけ物にせしと恨みいふ。
けふ和田先生よりお便りにて「東洋大学は内紛多く、待遇わるきも(※一時の)足場ならよからん」と也。
森房子より150。けふきけば杉浦正一郎直腸癌となり枕辺に博士論文通過をはり紙してゐると。
2月17日(日)
依子のcamera買ひに悠紀子ともにゆく。西川英夫より50万なら売屋ありと。Apartは6畳1間で5,000位と。
小高根太郎より「転学はむつかしくない」と。「10日ほど泊める故、家さがしに来よ」と。
松浦良雄校長より礼状。米沢昌江より「会ふ日しらせ」と。桑田博士退官祝賀会1口300にて3月15日までと。
13:30小高根二郎君まづ来り、福地、山根、池沢とそろふ。発行所を小高根邸にうつして印刷所も変へ、果樹園社と変へることとなる。
われ小山正孝『愛しあふ男女』の評かき、編集後記もかかさる。16:30みな出てゆく。
依子のcameraリコレットとて6,800を児玉君にたのみ5,400にまけてもらひしと。
2月18日
天野忠へ見舞。関口八太郎へ転任するとハガキ。田中雅子より心がけるとの返事。畑和子氏より『悲歌』1冊をと170。増田正男氏より手紙と海苔。
13:00上田阿津子へと電話すれば欠勤と。出てbusにて天満橋。大手前高校にゆき吉永孝雄氏に転任話す。ついで府教委に坪井明訪ぬれば。転勤知りをり(福地君より?)、杉浦の病気は知らず。
出て日本経済に井上文夫君訪ぬれば不在。沢田直也君訪ぬれば不在。日生に松本一彦訪ね、別れつげ、山本事務所にゆけばこれも不在。高尾書店まで歩きしも父子ともに不在。『李太白』旧版(100)買ひて帰宅。。
2月19日
雨。京と共に家を出、歴史すみて原田生と話し、上田阿津子、井上文夫2君の(※見合諾否の)電話まつ。12:00高等部にゆき岩崎氏と話しつつ、庄野英二君待ち、来りしに別れいへば長沖氏よりききしと‼ 岡田都に新任の女史のことたのみ、研究室にかへり、上田阿津子の電話に17:00までにゆくと云ひ、出て泉君に会へば「某女史のこと主任の我に話なかりし」と憤慨。こまりて別れ、鍛治君と大丸。
棟方志功展みにゆけば柳井三千比呂をり、棟方夫人に挨拶し、保田が来るといふに待つ中、堀内民一、山崎雪子の二歌人来る(けふゆきがけ五条高校出の某生、平井恵美女史の教へ子と)。
15:00になって別れ、十合にゆき児玉君に会ふ。「東京へは転任せず」と。camera割引の礼云へば(※転任を)悲しむ。「南須美子につき努力する」と。
出て田中春太郎dr.を訪ね、野球部の名簿訂正さし、心斎橋筋を下りて中座よこの「Echo」といふ喫茶店に、塚本p子訪ねしも不在(「松本」の隣なりし)。Bus「巽神社」行にのりて勝山中学。上田阿津子呼びて写真受取る。この間、父君近所へ問合せにゆきしと。
帰りて『日本歌人』2月号を見、増田よびて話す中、井上氏より電話、明日21日来ると(14:00)。電話電報にて畝傍高校のマスイ氏よりワダアケミ(341)入学ジタイと(院長今夜より東上と)。
羽田君、史の試験監督に来り、「台湾へ写真送らうか、金はあとでよし」と云ひしと。
2月20日
家居。岩崎昭弥より「上京いやなしらせ」と。涌井生より「以後休む」と。父より電話「咲耶の(※上京)転居費3万円なりし」と。西川、田中雅子に返事。羽田に来週月、木のいづれかにゆくと。岩崎にも手紙かき、投函かたがた夕方出て鴻池新田。福地家へゆき、父上と話せば「明日、坪井に(※息子の就職につき)会ひに行かる」と。
自転車にのせてもらひ、大東先生(※大東勝之助)に別れ告げに参れば塚本邦雄君あり。20:00よりport-wineご馳走となり、また自転車にのせてもらひて帰宅。福地君の卒業祝にwhite-shirt。
2月21日
晴、寒し。服部三樹子氏より「この間来られず歌も出来ず」と、500。『日本詩壇158』にわが詩作止めしを誌す。
元市印刷に電話かけ17:00迄にゆくと云ふ。14:00井上文夫君来る。上田阿津子の写真と吊書わたし、なるべく早く返事せよと云ふ。
帰りしあと出て元市印刷。社長に会ひ転任云ひ、他の印刷所へかへること云ひ、14号の校正26日午前中に学校へもち来ることとなる。合本は5日出来。その日送別会してくれると。
湖東家へ電話すれば「田中雅子よりの手紙来をり」と、嬢ちゃんの話。千川に電話すれば、送別会を筒井とすると。Port-wineのまされて近鉄departにて菓子買ひ(300)、石浜先生にゆく。まだ酔ひさめず、転任いへば「驚いたね」と。
出て短大まで歩き、長沖氏に会へば「院長けふ帰阪せしも何も云はず」と。小野十三郎君に転任云ふ。(涌井生に欠席みとむとハガキ)。
夜、湖東より電話、「送別会する」と。
2月22日
10:00登校の途、渡辺生と同車。明日より立川pen
Co.に出勤と。長沖氏「院長によばれ、わが退職やむを得ずとなりし」と。のちほど我もよばれ認むとなる。
神戸大の二宮教授(※二宮尊道)より電話「のちほど来る」と。米沢生来り、「うすうす知りゐし」と。山中タヅ子来り、「送別会の日きめたし」と。山本夏津子来り密談ありと。
やがて二宮氏来り、きけばエンライト氏(※D.J.
Enright)監修で日本詩集の英訳を出すと。わが詩「偶得」「曠野」を訳されゐる。(※『The poetry of living Japan』)『果樹園』と『李太白』と贈り、cake1箱たまふ。
小野和子来り、山本夏津子の用件きけば、教へ子2人中学へ入れたき故、院長に会はせよと也。会はして鍛治君と4人でナンバ。小野夫人と別れ3人にて雲呑くひて帰宅。
(けふ住吉一中の村田氏より、小野氏(※小野十三郎)が作歌することになった、礼いかほどと。10,000以上せよと云ひやる)。
本田義憲氏より礼状。堀内歴(※堀内進)より『Viking』2冊と詩歴長くかき来る。
奈良女子大より「講義内容を25日までにしらせ」と。石浜先生古稀記念会より執筆依頼。
2月23日
10:00まで採点し、すみてすぐ出て奈良。採点を教務課へ提出、来年度の教授要目しめせといふに、文学部長に会はんと云へば会議中と。天野忠君に会ひて話し、呼びに来し林女史と帷子二郎氏たづね、会へば「事務局長と相談、旅費と宿泊手当かさむ故、来年度たのまぬこととなった」
と。ともに横田君に会ひにゆけば不在。
別れて高校に坂口允男訪ね別れ告げ、前川家へゆき、前川・長沖氏にて送別会すとのことに、希望人名あげる。(9日の土曜の予定と)。
出て野崎家へ別れ告げ、折柄来し前田隆一氏(※吉野書房・大阪書籍社長)令息に父君の在否とへば、在と。帰り来し野崎父君にきけば先ほど会ひしと。
あやめ池で下車、前田邸へよれば夫人出られ、まだ帰られずと。上田家へゆけば阿津子君、家へ電話しわが来訪知りをり、父君と「つるはし」と。
島居清君訪ねしに在宅。天理と浪速中学の思ひ出話す。杉浦1月末博士となりしと。中村幸彦、眞柱代理として見舞にゆきしと(※杉浦正一郎は元天理図書館員)。
出てまた上田家。父君に会へば、先日十合へ問合せにゆきしもわからず。旧居中津しらべたく、その番地しらべてくれと。諾して前田邸へ電話すれば社長帰宅20:30と。
生駒で下車、服部(※服部正己)家へゆけば「この間、父君逝去、夫人まだ徳島」と。(昼食わすれゐしを思ひ出し途中ラーメン食ふ)。転任告げてのち帰宅。
保田より『日本歌人』の「伊東論」(※「伊東静雄の詩」)ほめて来し。けふ前川家で自讃せし直後ゆゑふしぎ。森房子より『悲歌』ほめらる。
2月24日(日)
9:00まで寝、10:30出て漫歩。『Biblia2』見付けし。山本治雄に電話かけてゆき、従兄渡辺氏(子息京大法科1年)よりの謡曲の稽古きく。わが送別会を3日(日)山本邸ですと。この日、彼の誕生日と。
23:30帰宅すれば、渡辺三七子母子礼に来り、下衣と菓子賜ひしと。深瀬基寛教授より『SpenderU』。石田英男氏より礼状(万里春醸造元)。天野忠君よりいれちがひのハガキ。荒木利夫君より送別会すると。『ハイネ恋愛詩集7版』1冊。台湾風物雑誌社より東京佐々木書店へ転送をと。貸借につき書きし手紙同封しあり。
(※大阪毎日新聞の杉浦正一郎訃報記事貼り込みあり)
2月25日
保田へ別れ。齋藤晌氏へ17日面晤の予定と。佐々木栄一店主へ問合せ。
悠紀子郵便忘れ、京つれて十合へゆく。大阪書籍に電話すれば社長まだと。
福地君より電話、13:00来る。元市印刷に電話せしに校正明日17:00と。袋は1枚1.4円にて4日かかることのことに断る。千川より電話してくれと。河出書房より税金申告票。16:00悠紀子帰宅。昌三叔父には会へざりしと。
2月26日
京と家を出、8:45登校。歴史試験「私の考える私どもの将来」。山中嬢来り、13日不二家でclassの送別会してくれることとなる。村田悦子の夫君来るとかいひしを断る。中島老、typeの古を買はんと云ひしに、館長辞任を云ひ、待たす。奥西兄君より子息学園高校へ入れさしてくれと。
11:00出て山中嬢に千本通まで送ってもらひ(見合の相手渡米と。井上生の母ゆくへ不明と)。西成府税務所に三好一夫所長訪ね、東上云ひ、
政岡生の転任たのみ、昼食よばれautoにて今高まで送ってもらひ、卒業式とて筒井待つ間、加島秀夫君に酒のまされ、比島Bontokで終戦迎へし話きく。森中先生わがこともおぼえをられし由。
筒井に幹事辞任、千川を後任にと申し出、地下鉄にて千川。会費90もらひ、その中時間見付け「いづもや」にて送別会をといふを受け流して出、住友金属に本荘健男訪ね、小畑信良少将いま成城学園前にありときく。隣の小林政K.K.に殿井(専務)不二男訪ね、西原直廉白髪となりしときく。
出て紡績協会に村山高氏訪ねて挨拶し、伊藤忠に伊藤とく従姉訪ねて別れ告げ、協和銀行に河野岑夫訪ぬれば母君幽門閉塞にて食物とれずと。咲耶(※妹:嫁としての)の苦労察するにあまりあり。
俣野博夫訪ぬれば欠勤。秀英印刷に饗庭君訪ね、夫人と話す中、帰り来り、きけば夫人は日本生命につとめゐると。松本一秀君に紹介書く。沢田事務所まで歩きしに直也弁護士不在。書生君に離婚のこときき、busにて徳庵に帰る。
留守中、堀内歴来り、tobacco-caseと林檎賜ひしと。岩崎昭弥より「その中に『果樹園』のsponcerとなる」と。森房子より『ラマンチャ』に「金閣寺」評かけと。
田中順二郎君より「王子に権利金6万円、月々4千円の2間あり」と。『果樹園』初校、22:00すむ。
2月27日
林叔母へ転任告げ、山本正英氏へ縁談の世話ゆるせとことわってくれとの手紙。深瀬基寛氏へのスペンダーの礼状。
朝刊に昨日会ひし三好一夫職員課長に転任と。松下文雄氏監査委員事務局長とも見ゆ。
田中順二郎君へ18日訪ねるとハガキ。石浜先生古稀記念会へ執筆諾。題名は「インドネシアに於けるインド文化要素―言語より見たる―」と返事。
14:00寒き中、出て元市印刷へゆき、再校見了りしころ福地君来り、18:00までかかりて了る。元市、食事出さず寺田町にて雲呑食ひて帰宅。けふ〒なし。(千川より明日送別会をと。ことはる)。
2月28日
寒し。父より電話、河野母上、中島dr.の推察にては癌ならんと。上田阿津子より電話、前田隆一氏今週中、午后在宅と。
10:00出て京阪にて三条。奥西兄氏訪ねてわからず。三条よりtaxiにて二条東大路の新学社。訊ねまはりてのち行けば奥西保、高鳥賢司2君ともにをり、兄君に電話し、昼食よばれて待つ中、羽田に電話し、14:00大学研究室にてと約し、兄君13:30来しと話す中、森氏来る(秘密と)。森院長にと名刺わたし、吉野書房の文京支店北村正男氏に紹介もらひ、出て京大。
羽田すでに来をり、里井彦七郎君を歴漢の後任推薦のこと諾し、前田氏とのこときき、佐々木書店の話してすみ、別れて依田義賢邸へゆき見れば、
三条の旅館にて仕事中と。
ゆき見て別れ告げ、京阪七条より市電にて畠山邸へゆき、令嬢に他出の父母呼んでもらひ、夕食にと東山の「菊の井」。Pork-steakよばれて帰宅。
杉浦美知子氏より(※杉浦正一郎の)死亡通知(けふ京阪書房にてうはさせし)。
田中順二郎君より西巣鴨に2ヶ所、林富士馬氏より東洋大学の事務、大森倖二氏に(※アパート探索)たのみしと。長沖一氏より「9日17:00より丸万にては如何に」と。三苫君より電話「2年の成績しらせよ」と。
徳庵タバコ店の妹娘、昨夜gas自殺せしと。
3月1日
丸、中野(※丸三郎、中野清見)へ転任のしらせ。森房子氏へことわりの返事。長沖氏へ「9日18:00よりの送別会よろし」と返事。筑摩書房より『李白』再版1,000部。訂正せよと速達。林富士馬氏へ礼状。三苫氏へ電話し、採点明日にのばしてもらふ。井上文夫君に電話せしもつかまらず。
12:00小吃して出、近鉄barbarにて理髪(150)。white-shirt仕立てさせ(12日出来と)。Hugo書店にて『岩波文庫おくのほそみち(※杉浦正一郎校註)』買ひ、上六。近鉄tourist-bureauに野崎君訪ねしに出張と。江馬春夫訪ね、別れを告ぐ、
3日の案内あらず。天理にてRugby部の会と。
あやめ池にゆき前田隆一氏訪ぬれば、午后会社へ連絡せよとのまちがひと。来週月曜ごろ会社へといひ、生駒にて下車。服部(※服部正己)訪ぬれば夫人また不在。将棋さして負ける。泉井久之助と小林英夫をほめし。別れて帰宅。
井上君より電話なかりしと。『おくのほそみち』服部家へ忘れしに気づく。20:00まへ福地君来り発送、23:00すむ。5日16:00に元市印刷へ来れとことづかりしと(あとにて『おくのほそみち』発見、老年の兆候いちじるし)。
3月2日
寒し。寒し。9:30住吉高校に山本重武、硲晃の2君を訪ね、別れを告ぐ。
登校して採点報告す。南須美子来りし故、梅本に会へと家を教ふ。山本実子来り、住山生のこと父に云ひ、ひきつづき雇ひくれさうと。東孝子、順子姉妹に電話す。
坪井に電話かければ「明日16:00山本宅にてgroupの会」と。坂根生と出て(兄、この間また上京、大と会ひしと)、天王寺にて近鉄departへゆき、松浦元一氏をまた訪ぬれば会議中と。別れ告げればneck-tie賜ふ(850)。大丸へゆきwhite-shirtあ
つらへ(9日出来と)。十合にゆき児玉君に会ひ、昼食をともにし、昌三叔父訪ねしにまた会議中。出て新谷太郎博士訪ぬれば往診と。
朝日にゆき後藤孝夫に会へば明日15:00ごろゆくと。吉村正一郎氏呼び出して呉れる。吉村氏、西太后のこと云ふ。別れて山田新之輔訪ひ、茶おごられ、毎日に天野愛一訪ねしも他出。
高尾書店に本引取れといひ、梅田より帰宅。
井上多喜三郎氏『骨』同人その他にて10日(日)京都にて送別会したしと。浅野晃氏より13日原稿送りしと‼ 瀧口喜久子より忙しと会費300円。(けふ大道裕子、叔父二宮難波店長・大江叔母よりわが転任ききしと)。
19:00井上文夫君来り、見合承知と。夜、堀内進に電話し、明日14:00までに来いといふ。
(夕方、住吉一中の先生、(※校歌作詞斡旋の)礼にと2,000の商品券と羊羹2棹もち来らる。(※斡旋した)小野十三郎氏にも1万円とtobacco礼せしと)。
3月3日(日)
井上多喜三郎氏へことわり。午前中、手紙の整理し、やっと了り、昼食すませしあと堀内歴来る。Whiskeyのませ、われはwineのみ、詩の話し、本見せ、“Pantheon”10冊贈る。
井上多喜三郎氏より『浦塩詩集』来る。頼永承氏より写真代立替へてくれ、里井君の兄上にはドイツ語習ったと。
桑田先生を囲む会を21日に行ふと(欠席と通知せん)。
蒲池歓一氏より『悲歌』1冊くれと。沢田直也君より「栄転」祝ふと。渡辺三七子よりreport卒業式の日まで延ばしてくれと。
片岡壽夫氏より『果樹園』見たしと50円。15:00まへ堀内送り出し、髭剃りて山本(※山本治雄)邸。後藤孝夫20分前より来をりしと。山本は謡曲の稽古す。坪井(※坪井明)、川崎(※川崎菅雄)、大河原(※大河原倫夫)とそろひ、後藤帰りしあと、すしのお座敷屋台出来、
beerのみ、山本の従弟たち来りて可怪しな会となる。われ飲み、食ひし、鯛もらひて渡辺氏とともに出、駅にて大河原、川崎と別れ、渡辺氏の案内にてcabaret“Empire”といふにゆく。つまらず。
すみてtaxiにて片町、坪井と別れ21:30帰宅。
けふ松本一秀君より上京の日しらせと電話かかりしと。(吹田駅前でリク叔母に会ひしに小さく白髪のおばあさんとなりゐし)。
3月4日
室井夫人より電話、友人の娘中学入学に10万円を斡旋料と吹きかけられて憤慨と。「樫本校長に会ひて話せ」といふ。山中タヅ子より電話、会ひたしと。10:30天王寺にてと云ふ。ゆけば待ちをり。『果樹園』西川英夫、小清水卓二、横田俊一、天野忠の諸氏に贈り、羽田へ頼永承氏の手紙同封して出し、井上多喜三郎君に『浦塩詩集』の礼出してから、公園にゆき話きけば、画学生好きと父母に打明け「田中先生に聞いて見よ」と云はれしと。明日同道して来宅せよといひ、別れて勝山通。
通産省工業研究所に寄り見れば、前田福太郎所長欠勤と。勝山中学へゆけば上田阿津子、忘れ物してとりに帰りしと。東桃谷小学校にまた仙野美須雄校長訪ね、完全給食くはされ、時間待ちせしも上田嬢帰らず。
Busにて戎橋。荒木利夫訪ねて別れ告げ、送別会ことわり、大阪書籍に電話し、桜川をへて前田隆一社長に会ひにゆけば、池内先生の本300円にてよしと。寄贈者と読者をはっきりせよと。東京支社の使用はたづねおかんと。
出て帝塚山短大へゆけば、本位田氏あり。学長に相談され国文学史引受けしと。あとは何もしらずと。東京にて会はんと云はれ、西宮君と話し、里井君と云へば不満らしかりし。
事務室で2生のreport受取れば西林生、銀行に就職出来しと。三苫君、河原女史わが転任知りゐしと。三苫君、漢文歴史の後任希望をいふ。
千川に電話して17:30出雲屋で会ふこととし、ゆけば待ちをり、200の定食くはさる。吉田栄次郎店主も来り、喫茶「Dega(※ドガ)」にて[喫茶]せしのちtaxiにて上六。あやめ池へゆく西大寺まで特急。引返して上田家へゆけば井上君、この間校長に会ひしと。
帰れば荒木利夫君より電話、「8日の夜、送別会すと井上多喜三郎君ときめし」と。渡辺三七子よりreport。
齋藤はるみより手紙。安部忠三氏より「神戸国際会館につとめし」と。向井薫より入学の礼状。
3月5日
筑摩書房井上達三氏へ『李白』の訂正表送る。大森倖二氏(東洋大学事務)に転学とアパートの問合せ。蒲池歓一氏に『悲歌』。山中タヅ子母君より電話、生根神社々司も昨夜会ひ(※恋愛)反対せしと。
荒木利夫君より電話、8日17:00より大阪駅待合室にて『骨』同人と会ふことときまる。高橋重臣君より赴任までに会ひたしと。12:00山中タヅ子君、岩井清君をつれ来る。社交下手らしき好人物。色々話し今日明日中に父君に会ひて話すこととす。
服部(※服部正己)夫人来り、悠紀子と話す。東順子生より電話、小林生と明日18:00研究室へ来ることとなる。
14:00福地君来り、『果樹園』宛の郵便もち去り、ついで山中組、服部夫人と去る。
われ15:30出て元市印刷。合本発送すでに福地君やりをり、婚礼にゆきし有奏社長帰り来しあと和定食とすしにて送別会。われはport-wineのむ。万年筆をそれぞれ贈らる。(※『果樹園』1-10号残部)合本代とわが詩集30冊(※製本し直し)とをのこして19:30出る。(※元市印刷社長)よき人にて名残惜しまれし。
入浴、茶漬食ひしあと増田現はれ4年の成績見す。けふ三洋電機の某君に電話かけ、取次の女史に腹立てどなり返して止む。
3月6日
山中家に電話すれば10:00に父君来るとのこと、掃除して待てば10:30母君と来られ、止むを得ず許すとのことなりし。Sheetsと生菓子賜ひ、ともに出んとすすめられしも断る。
12:30昼食して出、近鉄departで田中秀子生に会へば、けふ皆report出す予定と。ゆきて受取り採点し提出して要注意なくなる。
みなわが退職を知りをり、(※卒業後に)専攻科には来ずと。
(安村)今市夫人来り、副手承知と。16:00より教授会はじまり(近鉄より礼にとtobacco20賜ひをりし)、最後にわが退職審議、5分間にてすみ、高岡博士「惜しけれど先生の命なら仕方なし」と。
17:20会議すみ(卒業式にmorning-coat着用と)、今市夫人まだをりしと話す中、齋藤はるみ生来り、東順子生来り、小林千余子来る。
19:00国文学史の答案用紙くばりしあと、帰り来れば武居豊子生来り、みなわが送別のためなり。
20:20すみてともに出れば和田、島田groupと同車、退職告げ、天王寺にて木村家に齋藤、武居と行く(小林生、菓子1折くれし)。我はpeppermintのみ、2生はhigh-ball! 齋藤生、布地たまひ、高野敏子を13日つれ来ると。
22:30帰宅すれば小高根君より「長沖、前川2氏の会の日しらせよ。杉浦のこと後記にかく」と。池沢、野間光辰2氏よりハガキ。(けふ意外なりしは卒業順位、村田、青木、山本実子の順なりし)。
夜半まで眠れず、小高根二郎、池沢、向井薫(新入生)、高橋重臣の諸氏へハガキ。齋藤部長に18,19,20の3日の都合問合せ。
3月7日
8:30会社へゆけば城平叔父、話し中。康平叔父「きのふ大江叔母よりききしも、東京へ行くか」と。おくれし挨拶をし、城平叔父に決定なりしを云ひ、東京の住居のこと問はれ、辞表出さんかといへば返事きこえず。
増田春恵の就職斡旋いへば黙ってせよと。出て山本鋼業。社長、話し中とのことに益子常務に会ひ、東京行いひ(佐々木三九一氏、羽衣住ひと)、
山本藤助氏に会へば「知らざりし」と。
ついで向ふより挨拶されしは西垣脩氏の父君。住山生、本決りとなりしと追って来って語る。
出て大日本セルロイドにゆき百済生に話したきこときけば、縁談きまりさうと。祝ひ云ひて出、新谷太郎博士訪ひて別れ告げ、筒井訪ぬれば市会と。
大毎にゆき天野愛一に別れ告げ、茶おごられ、高尾書店にゆき9日(土)10:00(※不要蔵書買取に)来るときき、産経にゆき今沢幸君に会へ
ば、南川らと送別会すと。ことわりて阪神に寄り、大河原よりすしご馳走となり、市電にて本町2丁目、俣野博夫訪ねて別れ告げ、西村生の履歴書托し、またcoffee。
市電にて大手町。調停裁判所に沢井判事訪ぬれば開廷中なりしも会ってくれ、別れ告げ、市庁にゆき松下文雄氏訪ひしも留守。三並、荒井の2君訪ぬれば多忙中。Coffeeのましてくれ汽車をいへと。
出て森ノ宮をへて天王寺。大江叔母訪ねて「10万円貸すや」「齋藤部長への礼、何をいかほど」と訊ね、「貸す」「ラクダのシャツ4、5千円のにしろ」ときき、夕食よばれしあと、20:00昌三叔父訪ね、別れ告ぐ。
帰れば室井美代子氏より樫本校長と会ひしと。好結果ゆゑ4月来りて報告すと‼ 福地君の母上来たまひ切手(1,000)賜ひしと。
3月8日
西村生と政岡生に転任告げ、就職の斡旋したことを云ふ。雨中、市大病院へゆきしに、田村dr.10:00まで来ず、外へ出て道で遭ひ、別れ告げる。
登校すれば太田夫人来りし故、渡辺の礼いふ。文1の漢文早くやり、昼食。秀邦印刷来り、西宮君の方言手帖の印刷につき相談する。守本主事に会ひ学院への挨拶。学生への挨拶。漢文試験問題作成につきいへば院長、西宮君に不快がりゐると。
basketのcoacherとして関学生来りし故、わが退職告げ、加藤主将、順子よび同じくこれを告げて善処すすむ。13日11:00花壇前駅(※現:関大前駅)に集って部の送別会と。合宿するとて寝具類の保証人とならさる。
15:25梅垣学生主事と出て早川麗子に会へば、今沢幸の使者として「ひまなる日を見つけよ」と。「無し」と答へ、梅垣学生部長の悪口ききつつ大阪駅。
17:10来りし荒木利夫君にきけば、多喜さん以外来られずと。やがて来し井上氏と3人で天満橋「民芸そば」へゆき、食ひ、本贈られて別れる。荒木君、人形町のPL信者の家を宿にせよと紹介し呉る。
堀内歴より「(※不要蔵書は)高尾と我とに見せて高く売れ」と。「伊東夫人の義弟来り、石切のおかげで軽快。伊東に嫁ぎ損したと夫人云ふ」
と。
小川和女史より別れ。小清水博士、上村肇氏よりハガキ。丸三郎より「(※体調)軽快、家探さん」と。
けふ西垣脩氏へ挨拶。20:00三苫君より15日16:30より送別会すと都合きき来しと。『東洋史研究15-3』来り、佐口ドイツにあり、
鎌田三鷹に住み、守屋評議員となりしと。
22:00室井夫人より電話、たのむと。
3月9日
田中米店へ「けふ来るな」と電話させれば「来るつもりなし」と。安部育嫗呼び、新寮長きまるまで辞職せざれと返事す(看護婦会より問合せ来しと)。
福地君来り、元市印刷に電話すれば合本代1,800と。われ三苫氏に電話し15日16:30の送別会受けると。ややして守本氏より電話、別れの挨拶を「蛍の光」の前にさすと。
高尾に電話すれば息子出しと。11:00来り、依子と我の運びし約1,000冊見て23,500にて買ふと。すみて福地君に同人費2,000(13、14号分)わたし、ひるねす。
赤倉より大道ら5生のヱハガキ。森房子氏より合本の受取。清水文子のハガキ。佐々木邦彦君より別れの挨拶。筑摩より「検印紙どこへ送るか」と。筑摩へ「今の所へ」と。千川に礼かき、16:30出て「丸万」へゆけば横田利平、堀内民一と長沖一氏とすでにあり、18:00小高根、吉村、前川、石浜、庄野英二、杉山平一、小野十三郎の諸氏にてそろひしこととなり、魚すき焼きたべ20:00出て「正弁丹吾亭」にて二次会。こたびは平田春一氏のおごりにて、長沖、前川、吉村、小野、石浜と我の7人。22:00先に座を立ちて帰宅。
井上文夫君より「10日、13日宿直」と。清水文子生より「明日来られず」と。ともに電話ありしと。
3月10日(日)
10:00運送屋、本をとりに来る。堀内民一の本1冊をのこし、のちほど行くと高尾書店に云はしむ。田中保子、令子の二母君お越し、退職いへば「その方よろし!」と。菓子と金1封置きゆく。林叔母より「転任承知した。ことわり承知した。東京へゆけば訪ねる」とのハガキ。妙高池の平より井上京、森田、宇都宮3生の絵ハガキ。13:00出て高尾にゆき、堀内の本のこといへばよろしと。ついでとり出せしは天理図書館の『国姓爺合戦』。眞柱来店の時返却するつもりなりしと‼ 頭下げて500で買戻し、服部宇之吉『支那研究(250)』買ひ、別れ告げて出る。
天理八木君に返却を4月後に鈴木氏へとたのみ、上田家へゆけば両親ともに不在。網干へもゆきをらざる様子。待つ中、次第に帰り来り「20日迄に行きて(※見合の)返事す」と。「会計監査にてゆけず」と。
帰れば母うるさくなかりしと。西村生来りしと。三洋電機宣伝部長、亀山太一君2度来りwhiskey置きしと。畠山伊都子の夫にして、妻「かく細く変った先生」といひしと。(依子、家中の撮影をす)。
3月11日
亀山君にハガキかき、定期券買ひにゆく悠紀子にもち出さしめしに「whiskeyの礼なし」と。見れば字にじみをり、叱りてwhiskey返却に三洋電機へゆかしむ。
菊池生より電話、あす原田裕代と18:10梅田一二[等]待合室前で待つと。上野、山本実、佐々木の3生「熊本へゆきし」とハガキ。
17:00悠紀子帰り来り、あやまり不完全と。路傍の人なり。けふ9:00ごろ私鉄st.解決、総評の第一波なり。夜、採点す。
3月12日
よべ雪降りゐる。9:00出て登校の途、市大病院に樫本真中等部長を見舞ふ。退職伝ふれば悲しむ。
出て登校。採点わたし、楳垣氏の図書部長ときまりしをきき、900渡し、英文2年と会食。図書室に「石の上ふるきふみよみ新しきをみなとなれと我はすすむる」と書きのこし、山中タヅ子の母に「のちほど訪ねる」と電話せしところへ、鍛治、山中2君来る。
ともに出て学院。森副院長まつま長く、2生を去らし、古田秘書、山田書記と話し、森氏に退職のべ、玉井理事訪ねて退職の挨拶し、山中家を訪ぬ。母君と父君「恋愛結婚の先生など訪ねさすのではなかった」と云ひあひし由。山中嬢より詩集預り、ともに出て玉出駅前で汁粉くって別れ、沢田四郎作博士訪ね、お別れ申上げ、『近畿民俗』の会費200払ふ。山本信江、月経止り、盲腸炎にて入院と。ナンバへ出、busにて梅田新道「大安」へゆけば移転しをる。『切紙ゑはがき』『古今註』『本草衍義』にて240払ひ、梅田駅で待てば30分して菊池来り、原田裕代(鬼城)つひに来らず。19:20、2人にて地下の食堂で夕食とbeer。Coffeeのみて別る。餞別に文箱とふろしきとを2人して賜ふ。
帰れば中外貿易K.K.より12,000わたすと。小高根君より写真貸せと。小林千余子より『悲歌』2冊代300。丹羽美佐より送別会すると。深更、堀内歴へことわり状。瀧口喜久子へ別れのハガキかく。
3月13日
桂信子を訪ね、丹羽の送別会ことわる。9:00家を出て、梅田よりbusにて十三。井上文夫君の家訪ね、父母に会ふ。母曰く、「この子、方々へたのみ廻り先生まで迷惑かけし。年が一つしかちがはぬのが云々」。仲人の件もまだ早しと。
出てともにcoffeeのみ、花壇町で下車すれば加藤順子ら待ちをり、われ先づ平川唄子の家へゆく。井原coacherも来り、beerのまされ、すき焼食はされ、肥後生につづいて出る。(会費として1,000おき退職いひ、後任として長沖先生を顧問にせよとてふ)。天六に出、阪急貿易に古田君訪ね、小川俊郎君に会ひたしといひ、電話してもらひしに不在。中外貿易を訪ね、12,000の小切手貰ひ、taxiにて不二家へ16:30つく。
長沖、西宮2氏の外、生田、伊藤、井上、今市、榎本、太田、鍛治姉妹、岸、相良、山荘、塚本、椿下、寺本、枡田、本多、松井、三木、橋本、森田、山尾、山中、吉原、南隅、渡辺の25夫人令嬢集り、金一封賜はり(山中嬢に時計買ひて賜へと渡す)、塚本兄妹の営む「Echo」にゆきしのち、taxiにて上六をへて帰宅。
けふ悠紀子会社へゆき、康平叔父に会ひ、大江叔母よりの下衣貰ひ来しと。来ずともよしの手紙入れあり。
留守に青木正子、生田美恵、井上律子、吉田恒子の4人より餞別としてライター賜ひしと(生田生を除く3人来しらし)。
東洋大学の大森倖二氏より「依子の転校を文京学園に了解させし」と。
辻芙美子より「出発前に一度会ひたし」と。山口玲子より、もはや十合に勤めゐると。梅田惠以子より2月20日男児出生、郁人と名づけしと。亀山太一氏より事務を叱りおきしと。岡季美子より姉幸子の代理の電話ありしと。帰りて酔さめ物悲し。
3月14日
よべ睡り足らず11:00来りし田中保子・令子2生と話し、入学後の心得いひ、祝としてNoteと手帛とを交しゐる中に、まづ岡季美子より電話「姉、あすわれを送りたし」と。次に西保泰男氏より「業界新聞のため座談会主催してくれ」と。「あす午后来校せよ」と答ふ。
ついで井上文夫君より電話、「網干の家への道教へん」と。「その必要なし」と答ふ。百済生より餞別1,000。
林富士馬氏より「駒込にapart見付かった。返事を電話又は電報にて」と(敷金とも10万円、家賃毎月8,500と‼)。13:00出て徳島局より林氏に「16ヒマイルヘシマテ(※16日参るべし。待て)」と打ち、航空郵便買ひし。
busにて天満橋をへて三和銀行平野町支店へゆき12,000受取る(史をして羽田にまづ届けしめてfilmの送付たのみ、池内先生の本300にてと、買贈明記せよ、里井君の就職の件だめと報ぜしむ)。
小雪の中、日本生命まで歩き、松本一彦君に会ひ、3生呼びて別れ告げをれば室井幸太郎氏より電話。中川嬢passせしと。礼に来ると)。出てトッパンの階下にて喫茶、雪やむをまち市電にて天満橋。
Bus今津町行にて廻りて会社へゆけば城平・康平の2叔父ともにあらず。田中課長に旅行のこといひ、原課長に安部育のこといひして出、門衛に大江叔母よりの品渡され、一旦帰宅後、出て守屋教授‼に会ひて転任告げ、桑田博士の記念品代300托す。同君東洋大学にゐしと。案内されて桑田邸にゆけば博士不在。夫人出られわが転任知りゐしと。令息令嬢のための下宿さがせと。
出て福地君にゆき瀧口喜久子の会費300わたし、うどんよばれ、父君と話し、ややして来たまひし大東夫人と話せば、亀山君を識りをり好まずと!toaster贈りたまふといふに、出てtaxiにてわが家。堀氏の『かげろふ日記断簡』贈り、福地君をとどめ、山中嬢の詩集を見さす。
けふ八木嬢と井上多喜三郎君とにハガキかきしあと、八木嬢より17又は21日来ると。21日にせよといふ。亀山君よりわが「口笛または歌を口ずさんで歩いてこられようとは考えませんでした」と!
夜、頼氏へ航空便かく。けふ悠紀子税務署へゆき、4,500払ひしと。
留守に谷省吾君(寺本信子生の夫)来りて、推薦たのむと抜刷おきゆく。「杉浦正一郎を悼む(11枚)」かき福地君にわたせし。
3月15日
朝、「15日夜より20日夜までの旅行届」を会社へと托し、9:20登校。
卒業式順調にすすみ、専攻科の次に文芸専攻62名の呼名をす。式すみて院長より紹介され、われ退職の挨拶す。旨く出来ざりし。「蛍の光」にて了りとなり、古田、高松、井上[暁]、山本実子、井上(英)、田中などの父母より挨拶受け、記念撮影。次いで謝恩会。
この間、わが為に泣きし子ありしと、あとにて高岡博士の話。わが見しは岩田生なりし。15:00すむまでに西保泰男君来りしを長沖氏に紹介し、16:50より専任教員のわが送別会と今、長沖2氏の受賞祝賀とをかぬる会あり。餞別6,000贈られ18:00西宮君と出て帰宅。
入浴、夕食し増田春恵会ひに来しと話し、荷物もちてもらひ梅田。岡生の電話ありしに家までtaxiにてゆき(70)、酒2本姉妹よりふるまはれ、松前ずし賜はってまたtaxi(100)。「明星号(21:30)」に乗車、こみしを増田のおかげにて坐れしも、猥雑なる2組ゐて眠りがたし。
3月16日
8:00すぎ東京着。神田にて下車。大阪書籍支社へゆきしも誰もゐず。北村氏(奥西楢市氏紹介)は出張と。
10:00出て東洋大学まで都電でゆき、大森倖二氏に会へば、多忙中せわしてくれ、服部紗智子嬢に紹介され、駒込駅近くのapartにゆき見る。新築にて他にもありさう、考慮すといひて出、疲れて喫茶。おかげで紙入れ忘れしに気付き、服部嬢とり来り呉る。追分町まで戻り文京学園を見る。また考へてしるこ食ひ、向丘高校の近くあるを見、東洋大学に帰り、教務課長大野文吉氏に紹介されしに、齋藤部長(※齋藤晌)恰も来をらると。
ゆきて会へば「東大推薦といふことになりをり、小室教授(翠雲令息)が熱心に推してくれし。戦犯詩人といひしは講師と」。
会議とて別れて、待ちゐし林富士馬君に誘はれてtaxiにて西巣鴨の宅へゆく。厭人といふ中、感化受けてこっちも悒鬱となる。恰も往診依頼、ともに出て送られ、池袋駅まで歩き、新宿ですし食ひ、小田急にて経堂。
cake買って小高根(※小高根太郎)家。母上2、3日前入院と。転校先は直接当れ、だめならば板橋高校にいってやると。Port-wineのまされ、大阪書籍に帰れば長尾良君居り、ともに出て喫茶。入浴して眠る(※大阪書籍泊)。
3月17日(日)
8:00目さめ、9:30朝食よばれ、西川(※西川英夫)に電話してゆきしも家忘れゐて、また電話して迎へに来さす。
長男成蹊大学に入り、入学手続4万円と。Whiskyよばれ15:00ともに出て、上中里1の12小池むめ氏方に伴はれ、家探しの基地として10日ほど貸してもらふこととなりし。学校は明日直接当ることとせん。
本郷まで帰り、「鉢の木」にてbeerのみ、飯塚浩二教授(文博)の家に伴はれしも原稿かきに他出と。地下鉄の駅まで案内受け(西川宅にて丸と電話で話せし)、お茶の水より新宿。「高野」で羊羹買ひ、和田先生お訪ねするに不在。奥さまに挨拶し、busにて渋谷。地下鉄にて大阪書籍へ帰り来れば万年床! 入浴後、荒木利夫の宿へ電話せしも来をらず、関口(※関口八太郎)に電話せしにこの次会ふと。辻芙美子、山口玲子へハガキかく(けふ家へ速達せしあと、上中里のこときまりてバカらし)。城平叔父、艶叔母へハガキかく。山中タヅ子へ同。悠紀子に小池家のこと速達かく。
3月18日
9:00起床、朝食後、三島重役に礼いひ、向丘高校への紹介たのむ。長尾良すでに来をり、話して社長、三島氏に会ひにゆけば、鈴木支社長より向丘高校、松沢教頭に電話してもらひ、すぐ行き会ふ。物理生物の件は心配いらずと。一般社会とりをるやを気遣はる。鈴木氏の旧同僚宮本校長病臥とのことに、よろしくと頼み、まちがへて農学部前に出、肴町に戻って東洋大。大野課長とX氏に『悲歌』贈り、再会約してtaxiにて筑摩書房。
井上君に土井編集長呼んでもらひ、呉茂一『ぎりしや詩選』もらふ。『李白』の検印は4月でよしと。産経会館までtaxi(80)。田中順二郎君来客とて1時間まち、多忙と知り再度上京の日と約して地下鉄にて東京駅。東京建物に西川訪ひしに不在。昼食とり、また訪ひしもまだ帰らず、省線で神田。
大書(※大阪書籍)にゆき長尾君に再会約し、鈴木氏へ伝言托し大丸にて買ひし菓子(325)を礼にとおばさんにわたし、東京駅へ出、16:21の小田原行きにのり、8:15の浜松行にのりかへ、20:17静岡着。本位田昇に電話し、taxiにて官舎(80)。23:00まで夕食たまひ、夫人ともども話してtaxiにて出る(長女中学、長男6年と)。
23:35発「明星」満員。浜松にて後部へゆき、名古屋にてやっと坐る。殆ど不眠。
3月19日
帰ってすぐ朝食。昼寝す。吉崎雅子より別れのハガキ。田中智慧子より卒業の礼状。父君十八氏より折畳式傘賜ひしと。井上睦子?来り、カステラ呉れしと。依子留守のためわからず。
室井千代子氏、中川家と双方より3,000づつと、かき餅たまふ。仲介人どなり込みしと(3人の先生に3万円づつと饗応費1万円の筈なりしと)。
西村生来り、21日電話すると。羊羹たまひしと。
11:00さめて高野敏子に会ふ。忙しかりしと。別れを惜んで15:00まで話しゆく。熱心なる先生なりしと、うれし。入浴、夕食。疲れとれず。
(父昨日来り、富士の退職手当3万円と重役の餞別1万円。うち1万円を酒代にくれといひしと)。
村田幸三郎より電話あり、玉村式索道K.K.(65-1967)にゐると云ひしと。
3月20日
9:00会社へゆき、城平叔父来るまでに挨拶す。おくれしと康平叔父怒りゐしと。
10:00すぎ来りし城平叔父より餞別もらひ、auto三輪の借用申込む。後は原課長に引きつぎてよしと。生田、青木、井上律子、吉田恒子の4人に『悲歌』つつみ、吉崎雅子、田中智慧子(梅本に電話し、父君十八氏によろしくとたのむ)、田中雅子、西川英夫へハガキ。
(安村)今市佐恵よりの2度目の電話に出て見送りことわり、副手舅姑に内緒でといふこととなる。山本敬子に電話して別れ告ぐ。けふ同女、辻、藤原由子より同時に別れにゆきたしと便りありし也。他に中村文子、潮岬よりヱハガキ。
浦本浜子、安部育の2人にあとのこと原君にいへといふ。丹羽美沙子別れに来り、衣料と菓子賜ふ。青木弥生子(ふろしき送り来る)、井上睦子へ礼状。
悠紀子17:30帰り来り、大江叔母に15分間会へしと。初枝叔母胃潰瘍にて面会謝絶と。清水生に電話すれば、明日来て猫引取ると。住山重子にbasket部への礼状。友井啓輔君へ礼状。湖東君に電話かけ、美千子見られざりしをいひ、送別会ことはる。
夜、衣川母と対談中の原君に事務引継ぎし、釘賜へといふ。赤星来りしに24日12:00よりの会に出るといひ、林夫人よりの電話とりつぐ。
3月21日(春分の日)
西村生より電話ありしに俣野の勤先教へ「会ひにゆけ」といふ。昼近くなりてはじめて八木君より電話「14:00ごろ来る」といふに「すぐ来よ」といふ(信子君来られずと)。
11:00清水文子1人にて来り、田中文子、谷川真佐枝みな来られずと。致し方なく13:00会社より来りし老爺と本の荷造りし、15:00選択終って15箱を作る(300円礼せしと)。
福地君に電話かけ来りし故、叱りてすぐ来よといひ記念撮影し、小猫を箱に入れ、14:00出て鶴橋にて猫つれし清水生と別る(悲しく、児女の情に我と呆れる)。
八木嬢の同僚への祝といふ陶器の選択手伝ひ、ともに特急にのれば「あやめ池」臨時停車。別れて上田家へゆけば「(※見合)いまだ決心つかず明日電話にて返事す」と‼ (けふ本の選択にて東洋語学、鴎外、春夫そのた1/3を京都に置かざるを得ざりし)。
石田嘉子生より「その中会ひたしと」と。東京へ去ることを告ぐ。原夫妻、25日帰郷と。無責任なることかな。
18:00西宮君来り、悠紀子も留守なりしに、谷君難航(推薦が古田氏との理由で)と置手紙しあり。
3月22日
9:15帝塚山短大に電話すれば河原女史出、退職手当のこと云へば中村門左氏に云へと。古田秘書に電話すればをらず、中村事務長呼び出し、手当出しときは大江叔父に送ってくれと云ふ(大河原君に電話せしに起きて来り、日通に云はんと)。
大河原君より電話、「日通の友人病欠のため徳庵駅長に通ずるやうにした」と。ふと気づき近鉄Tourist
Bureauの野崎善男君に電話し、24日夜行の寝台券たのむといひ、筒井護郎に電話せしに不在(3回とも不在にて、東京へ去りしといへと云ふ)。
父、午すぎ来り、酒代として母(※義母)に内緒にて5,000わたす。祖母ののこせしタンス、水屋は売ることとしたり。
けふ吉田恒子らへの『悲歌』ゆき子に送らせ、西宮君と石田嘉子へのハガキも出さす。(昨日須原教授の写せし写真もち来りしと)。
夕方、大江叔母に電話し、10万円月曜に貸してもらふこととなる。(野崎君より電話あり、寝台全くだめと。16:10の普通にてゆかすこととす)。
上田阿津子の父より電話、「仲介人なしの直接交渉にては如何に」と。井上文夫君にきいて見るといひ、電話せしに「父母に相談す」と。福地君と話しゐれば返事かかり「母者だめと云ふ」と。「その通り伝へん」と答ふ。
福地君、大東博士夫人のため歌かかす。赤星けふ結婚のため帰郷。けふ丹羽美佐よりハガキ。「敬意を表しに参りしことを認めよ」と。
3月23日
8:00起床、9:00来し福地君と京都行の本を入れる。昼まへまでに大凡すみ、うどん食ひて帰りゆく。上田阿津子に電話し、この話打切りと云ひしもわからざりし様子。
康平叔父に電話せよと父より云ひ来り、すぐせしも不在。甚幸来り、1,000の餞別くれし。あとにて康平叔父より電話、「明日、家明け渡す」といふ。
父来り、山下幸雄に550の日給と云はれしと。八木嬢に電話、「来阪しゐる」と。明日の見送りことわる。
夕方入浴し、鍛治初江君来りしに出て話す。Tobaccoたまひし。そこへ河野岑夫来り、cake呉る。夕食し、3人にて出、京橋にて岑夫君と別れ、梅田に鍛治嬢ともなひ、lighterに油いれ(5)、喫茶。おごられ、別れて石橋。
小高根邸へゆけば夫人出ず。明日20:00増山君帰朝を迎へにゆくと。『果樹園』1日ごろ出来る。4p増すと。『悲歌』5冊預く。(けふ疋田君よりと鍛治君1冊買ひくれし)。(井上文夫君来り、礼にとwhite-shirtたまふ)。
出しあと渡辺三七子生より電話、「(立川)太田夫人にたのまれた。出発の時間しらせ」と。湖東君よりも同。(けふ羽畑桂子より別れのハガキありし)。
3月24日(日)
7:30起床、8:30山下来り、史の分と京都行の本積込む。寮生2人手伝ひくれ、出しあと6周年祝として1,000わたす。日通のauto三輪来らず。佐伯翁荷造りしくれ、了りて悠紀子催促にゆけば一向大河原の話通じをらざる様子也。
11:00来り(鈴木一雄君手伝ひに来り。母吐血せしと)、やうやく積込み、悠紀子駅まで同行(あとにて聞けば、運賃田端駅払ひとなりしと)。
われは寮の会に出て酒のみ、一場の挨拶す。15:00ともに出て山本八郎夫妻、松井母者の見送りを受く。(砂糖礼にせし佐伯氏も来る)。鴫野で妻子下車、われは吹田。山本治雄宅にゆき泊めてもらふこととす。
16:20駅近くまでゆき、汽車の走るを見る。大阪駅頭の混雑はなはだし。
3月25日
9:00目覚めしも出る時11:00。天六に出、喫茶後busにて上六。鶴橋まで出、note(20)買ひ、天王寺をへて藤井寺。大江叔母待ちわびてtaxiにて往復せしと。三和銀行の10万円の小切手(心斎橋支店)貸してもらひ、初江叔母見舞にゆけば、その2妹あり。別れて駅頭にて清水生に会ひ、柏原、西岡、平岡、田中、福井、谷川、山本と8人よりの贈物neck-tie受取る。
京都駅より羽田に電話すれば夫人出られ、大学にて待ちわび、帰宅し来ると。後ほどゆくといひ、下総町(※父宅)にゆけば父母をり、母、本をあけ並べてくれしと。史の言に「この本10万円」と。送金の件で気まづくなり、lighter忘れて出しも、母追って渡し呉る。
羽田家で酒よばれ、21:00のbusにて京都駅。折から来し「彗星」の空きゐるに気付きのりこみて坐る。//
20.9cm×15.0cm 横掛ノートに横書き
3月26日
沼津で弁当買ひ、7:27東京着。
駒込をへて小池むめ氏方につけば、依子、悠紀子受験にゆき、京、弓子残りをり。京つれて向丘高校にゆき見れば、依子試験場にをり、悠紀子見えず。京としるこ食べてのち、小池方に帰りひるね。
12:00悠紀子帰り来り、きけば岐阜まで坐れざりしと。富士ハウスの寮生多く送りに来しと。
13:00出て上中里駅より東京駅。西川訪ぬれば不在。産経までゆき見れば田中順二郎不在。taxiにて吉野書房へゆけば長尾良不在。大阪書籍の鈴木支社長も不在。
三越をへて前を通りし東京銀行に寄り見れば、奥戸会議中。産経にゆきしに順二郎まだ帰らず。置手紙して(数男(※義弟)に悠紀子電話し、われ小山正孝君に電話せしに不在)、地下鉄にて池袋。省電にて田畑をへて上中里。近くの空室訊ねしもわからず、帰りて早夕くひて寝る。悠紀子、小池嫗と話し来る。
3月27日
5:00起き、悠紀子に飯炊かせ、9:00依子と発表見にゆかす。12:00帰り来り、通りし女児2人の1人と。悠紀子に田中順二郎君への電話させしに風邪にて欠勤。小林氏案内さすといふに断りて、西ヶ原2丁目のapart見にゆき、夫人入りてほしかりしらしきも、5月末とのことに考慮して王子まで歩く中、相沢といふ斡旋屋の広告見て入り、王子駅北すぐの岸町1丁目に建ち了りしばかりのapart(※北区岸町1−7中込アパート)の階下2室よしと思ひ、帰りて斡旋屋にゆけば「家主旅行中にて明日夜まで待て」と。権利金1室1.5万、室代4,000+4,500と。
別れて神田、大書支社へゆき鈴木支社長に会へば、(※向丘高校の)校長教頭に会ひ「まあついて行けるでせう」と云はれしと。
前田社長の令弟専務をり、長尾良に置手紙して支社長への礼、高島屋の切手1,000渡してくれるやうたのみ、歩きて日銀前に出、鎌田人事局次長(※鎌田正美)に会ふ。4月初、歓迎会すべしと。紅松一雄君に案内してもらひ「大学講師をさがせ」ときき、また歩きて西川英夫訪ぬれば用談相手は大江叔父なりし! 小切手現金に換へんとの手紙をことづけたまふところなりしと。同buil.の7階の十合事務所につれゆかれ、三和銀行京橋支店まで同行、10万円を現金にて賜ふ。別れて都電。
赤門前で下車、藤島亥治郎『台湾の建築(120)』買ひ、西川宅へゆき見れば「早くは帰らず」と。長男日本医大に入れしと。「小池嫗への礼につき教へよ」といひ、帰りて夕食。
西川気付にて井上律子「清水姓となり『悲歌』受取りし」とハガキ。
3月28日
悠紀子は京と依子つれて家さがし。われ弓子を留守におき、「お茶の水」へ都電でゆき元々社さがせしもわからず。小山正孝君に電話すれば会議中と。
12:00また電話するといひ、角川書店へゆき松原純一氏訪ひしに不在。代りに山本容朗君といふが出て『西脇順三郎詩集』もらふ。市村其三郎の『日本史』新刊と掲示あり。
歩きて山本書店に出、元々社きけどわからず。蒲池歓一氏に電話すれば裏と。ゆきて小山君に再び電話し、神保町角まで行きてともに待てば来り、喫茶し、話し、出て蒲池氏と別れ、小山氏と昼食し、西垣君の電話番号をきき、別れてお茶の水。
上中里駅より帰れば悠紀子らすでに帰り、良き家見つからざりしと。入浴(15)、夕食して18:30。悠紀子と相沢克己といふにゆき見れば、まだ管理人旅行より帰らず、あす8:00再訪を約す(けふ田端に荷物つき9,000の運賃と)。雨降る。
3月29日
4:00起き5:30朝食。7:30に依子と京つれて相沢克己にゆき見れば、まだ交渉しをらずと。電話かけて「宜し」となり、ともにゆき権利金8,500円、家賃8,500、相沢への謝礼8,500払ひ、依子らのこして相沢方に帰り、やがて来しauto三輪にて小池嫗に挨拶し、積込みて中込apartに戻り(400)、荷解く一方、悠紀子は田端駅へゆく。やがて来し27個の本箱ひらき、12:30、3女つれて近くの支那そば食ひにゆき、夕刻やっと本並べ終る。
18:00悠紀子、3児をつれて西川夫人に礼にゆく。22:30帰り来り、西川にも会ひしと。「関口、札幌の棍成第一旅団長に転任、4月8日16:06上野発。歓送迎会を4月3日やる」と。
父より転送のハガキ。丹羽千年(24日)、田中雅子(24日)、角川第3編集部よりのアンケート。『ユリイカ』より「立原君の詩」の再録いかにと。
3月30日
朝より大江叔母、父、小高根二郎、小山正孝の諸氏に転居通知かき、入学手続に妻と依子出てゆきしあと、関口宅へ電話すれば夫人出らる。産経に電話せしに田中順二郎君他出、中込アパートをしらせ、近くの印刷屋に転居通知300枚あつらふ(260×3)。ついでその上の山本歯科にゆき右奥歯みてもらふ。
西川に電話すれば「3日の会、室君(※室清)せわしくれゐる」と。13:00出て渋谷をへて東横線祐天寺下車、白鳥清先生訪ぬれば御在宅。
(※夭折の子息)郁郎君のこと話さる。手塚君(※手塚隆義)と話し、来年立教の大学院に呼ぶと。
出てbusにて渋谷。青年座たづねまはり、ゆけば「大、痔のため来をらず」と。男女俳優の稽古中なるを見る。電話して明日あたり来よと家教ふ。
帰りみち、看板見て映画「カラコルム」を見る(50)。岩村、山崎、梅棹3氏の姿見えたり。天然色にして山はうるはし。帰宅17:30。
悠紀子ら待ちあぐみし様にてすぐ数男宅へと出てゆく。23:00帰り来り、船越章殆ど失明、妻を派出婦とし、母をも働かしゐる。100万円蕩尽は女ゆゑとの陰口なり。数男太り、俊子(※悠紀子姉)しは寄りしとの話也。
3月31日(日)
9:00山本歯科にゆき健康保険証返却してもらふ。明日も来よと也。城平叔父に礼状かき、浅野晃、林富士馬の2氏に配慮を謝す。
11:00西川英夫来り、区役所の転出すませくれしと。小池嫗へは礼に物もちゆくらし。4月3日の会は会費払へと。我もともに出る気なりしも、田中順二郎夫妻も来るかと。(※順二郎夫妻参加させるのを)とりやめ送り出す。
15:30入浴、田中雅子、尾崎菊子(西川気付にて写真入りの手紙よこす)の2教へ子にハガキかく。
けふ父よりのハガキ見しに西島寿一退院の通知来しと。伝田雅子の『足音3』転送す。蒲池氏より150の現金書留!来りしと。
(※中込アパート)階上の弁護士、平野静雄氏(酒巻法律事務所と)挨拶に来る。けふ我も管理人村田氏夫妻に挨拶し、家主中込夫人に挨拶受け
し。
4月1日
共済組合証を王子郵便局にて書留にして短大へ送り返す(45)。八木嬢にも手紙。
それより東洋文庫に寄りしに11:00まで誰も来ずと。和田先生は第二火曜の10:00に来らると。
歩きて東洋大学へゆき、大森君に転居通知し、大野課長にもしらし、明日組合証明書もらひに来ると約し、東大より昨日電話ありしと云ふに、文学部研究室にゆけば、けふより休み。東洋文化研究所にゆけば善海(※松本善海)は大塚と。
西川に寄り夫人に会へば、速達来りしを会社へもちゆきしと。電話して小使にもちゆかせしと。3日の会「鳥九」でときき、帰宅。
印刷屋で校正見、昼寐せしあと読売新聞をけふからといひにゆく(速達は証を返せとのことなりし)。
夕方また速達来り、3日の教授会に出席を令す。
17:00出来し移転通知22:00までに200枚かき、途中山本歯科にゆけば、今夜疼むとおどかされ、明後日また来よと。
4月2日
移転通知王子局へ出しにゆく。料金別納の印は自ら捺す(228×5)。あとにて横田利平、加藤順子と2枚追加かく。悠紀子、西川夫人に会ひにゆき、井上福蔵、睦子父こよりの手紙と小高根君のハガキと『果樹園15』10冊ととり来る。
15:00出て東洋文庫。榎君(※榎一雄)と話し岩井主事に会ふ(閲覧券の為なら会はずともよしと云はれし)。
羽田より宜しくたのむと云ひ来ありと。
すみて山根幸夫君に会ひ、東洋大学のこときけば、「皆うるさく、いい加減に切り上げよ」と也。
森君に会へば「証明書まだ出来ず」と。あさって来ると。出て帰宅。『果樹園』に池沢わがことを書く(※15号編輯後記)。伝田雅子に『足音3』の受取。
4月3日
井上父子、菊地成子に転居通知。小高根二郎君に受取。杉浦未亡人に『果樹園』。悠紀子は父、大江叔母、原義元夫人に手紙出す。
小高根二郎君よりあと5冊送ると。浅野晃氏より「連絡とれ」と。
14:00出て(悠紀子、柏井玉子叔母見舞にと高円寺にゆく)登学。事務室で待ち、健康保険代用証もらひ、15:30教授会に出る。我と某老師(浅井治平)と新任として紹介さる(芳賀氏(※芳賀檀)欠)。
17:00すぎまで会議つづき、学長候補に齋藤晌氏選出。小室栄一氏に自己紹介受く。元々社より本出せしと。
西川に予め電話して、都電にて銀座東「鳥九」へゆけば、関口らすでにあり。杉野祐二郎珍し。あと丸を最後に久保、紅松、室、西川、奥戸、鎌田、高垣、原田と12人集り、会費1,600(われ1,200わたし、あと西川に借りたり)。酔ひて関口の車に西川、丸とのせてもらひ、西川を本郷で下ろし、われも王子で下車。
父より手紙来り、角川の11,900来りしが預ると。不快。夜半起きて水のむ。依子の写せし(※富士ハウスでの)写真出来をり。
4月4日
竹内(※竹内好)、倭、矢野のクラス会欠席者に挨拶状出す。蒲池氏に同。松本善海より研究所と自宅の電話しらし来る。林敏夫より「いとこ会」を4月21日(日)にやらんと。
中河与一先生より「一度来よ、ラマンチャの会14日(日)16:00から」と。西下経一氏より歓迎と。
悠紀子、平林英子、父に手紙かき、京は原秀子に写真送る。
善海に電話かけ、明日ゆくといふ。山本歯科に証明書を出す。加藤定雄君に転居通知。山本八郎夫人静子より手紙と写真を悠紀子あてに。
帝塚山学院より私学教職員共済組合長期給付組合員手帳送付し来る。川端直太郎氏と畠山六右衛門氏より挨拶。
夕食すまし、悠紀子火鉢を買ひにゆき、我は藁灰を作る。
19:30大森倖二氏と服部嬢と来り、果物一籠たまはる。「ラマンチャ」の会にほぼ出席と中河氏に伝へることたのみ、手帳を托す。
林俊郎に21日(日)家族の会にせよといひやる。
4月5日
9:00山本歯科。朝の郵便まてば10:30となる。八木嬢より「信子君あきちゃんの家に10日頃までゐる」と。秋山昭子夫人より「赤坊のため訪ねられず」と。
12:30出て大塚をへて東洋文化研究所へゆき、松本助教授善海君に会ふ。『大木文庫目録』を賜ふ。見たきものなし。
出て地下鉄にて産経へゆけば田中順二郎君恰も空きをり、喫茶して「雅子夫人赤ん坊の先天脱臼にて外出できざりしも7日(日)訪ね来る予定」と。
別れて神田へ歩き長尾良君を訪ね、中学参考書
(※の原稿)引受ける。喫茶し、14日(日)16:00ラマンチャの会にともに出んといふ。
都電にて帰宅すれば、西垣脩氏来りのちほど又来ると出しと。郵便多く、転送は井上恵子、伝田雅子、民子叔母、中谷(旧姓中田)充子、堀内歴、蒲池歓一、南村和子の諸氏。転任通知に対し、太宰施門、野田又夫、神田喜一郎、前川佐美雄、相野忠雄、小野勇の諸氏。他に山中タヅ子より哀れなる手紙。
西垣氏再来、『果樹園』の会を11、12日に久礼田邸にてやることとすと。「この間、山本藤助氏上京、田中が厄介になってゐはせぬか、と云ひし」と。不審。
入浴(西垣氏『悲歌』代金として1,050置く。余りは返さん)。(けふ西川に2度電話せしも不在。明日の会のことわからず)。
夜、南村、萩原母君、中谷充子、井上恵子へハガキ。
4月6日
王子中学へ弓子つれゆく。2年5組山下先生担任ときまる。校長荏本(エノモト)太三郎氏と名刺交換す。
すみて教科書買ひにゆき(770)、炭取り(140)買ひ、史へ「畠山氏と連絡せよ」とのハガキかき、中河与一先生に「14日(日)伺ふ」とかく。
山本歯科へゆく。和田久徳、鹿熊猛2友より「栄転を喜ぶ」と。昼食後、新宿よりbusにて成宗へゆき、交番できけば堀辰雄氏の家のまへを下りし井上といふ家が高野明子の貸間。ゆけば「きよし」といふ男児と婆さんとあり。大きな腹をし「昼ねしゐし」と。
依子のワイシャツたのみ、信子君と9日に来るといふをききて出、加藤夫人(※堀多恵子義妹)に会ひ、転居通知わたす。堀多恵子氏も外出と。
電車にて高円寺、赤川君(※赤川草夫)にゆけば、夫人とほくより吾を識る。このごろ嬢と駅前に酒場を開くと。Beerのまされ、丸家(※丸三郎宅)にゆけば夫妻ともに在宅。話せしのち関口家に電話し、明後日の出発16:05と坊にききて帰宅。
坂根母堂みつせ氏より千鶴子生のこと。瀧口喜久子より手紙。池沢茂、小川浩(渡辺坦治翁79才で3月10日卒去と)。堀内民一、入矢義高、羽倉裕景の諸友よりハガキ。
夕方、2女とたばこ買ひに出てアテネ文庫『産業革命』買ひ来る(けふ富士ハウス大江君より写真多く来る)。東洋史研究会へ移転通知。
4月7日(日)
清水文子へ写真送る。〒朝のみにて野崎生と無名(森良雄博士なり)。散歩にゆき『週刊朝日』買ひ来って待てば、田中順二郎夫妻12:00すぎ来り、菓子おきて去る。小林氏の方のことはり宜しと。20日すぎ大阪より帰り来ると。我よりも答礼にゆくこととす。13:30去りしあと、他は来ず。
4月8日
子ら始業。京はひとりでゆき、依子は入学式とて悠紀子つきて出る。沢井種雄判事、今沢幸に転居通知。田中春太郎dr.に同。大江叔母に退職手当催促すべきや否、相談す。山中タヅ子に手紙。
郵便多く、父より10,000転送。硲晃君より餞別に2,000。その外、堀内歴君より『果樹園』代として400。久礼田房子氏より「自邸にて12日(金)17:30より会す」と。
杉浦源次、末吉栄三、藤井通雄、北野徳治、前田善弘(帰郷のため見送り出来ざりしと)の諸氏よりハガキ。大江久美子より赤坊(艶子)の写真。
鍛治初江君より「坂根父君の会社より招かれしもことわりし」と。
太田陽子夫人より「5月25日頃上京、藤野夫人も5月上京」と。果樹園社より14号の決算書。
12:30悠紀子の帰り来ると入れちがひに出て、東洋文庫にゆき、金尚憲『清陰集』よむ。
14:30出て都電にて上野。すでに関口からplat-formにあるを知らず。juiceのみなどして15:45入り見れば西川と川崎民昌とあり。関口は(※自衛隊より)星2つ、3つのが1人送り来し。長嬢泣く。汽車の出しあと池田徹と西川、川崎(杉野祐二郎来りしも帰り)と4人にて東京建物地下の「蘭」にゆきbeerわれは飲む。
帰れば大より「痔にて入院」と。大江叔母より「高い家賃でどうするか」と。荒木利夫氏より26日18:30依田、山前2氏と京都駅へゆきしと。楳垣実、竹内好(旗田氏(※旗田巍)人文学部長と)、江口三五、中野清見(4月中に上京と)諸友より「上京よろし」と。
岩崎昭弥より「果樹園の色彩ちがひし」と。山本敬子生より「東京へは嫁げず」と。
4月9日
新聞で(※『李白』の)広告見しあと筑摩書房より使ひ来り、印紙1,000枚に検印さす。これと同時に我も出て(名刺100枚150出来)文庫(※東洋文庫)。
昨日に引き続き『清陰集』よみをれば、和田先生お越し。伺って東洋大へ推薦されしこととなりをる旨云へば「承知した」と。「学問の仲間を」と云へば「南海史よみにいかにや」と。『清陰集』より殆ど得る所なく、11:30出て帰り来れば平林夫人(浅沼氏)来をる。昼食にとりしそば食ふ。
西川より転送は吉田恒子生の『悲歌』の受取。他に神田信夫氏より「老档研究について教示を」と。
散髪にゆき(100)、本屋にゆきして待ちしも松井信子姉妹来らず。
午后の郵便、東孝子、岩田生(連休に上京し来ると)、同妹の手紙。初枝叔母、隅田先生、鹿内健三学長、川久保悌郎(4月休中に上京の予定と)の諸氏より栄転祝賀。
16:00入浴、歯科へゆき『万句合』買ふ。
4月10日
大江房子に見舞。長尾良に14日中河邸へと訂正。堀内歴に『果樹園』代の受取。池内一氏より挨拶状。
(※村上新太郎の)『薔薇』「また詩をかかすつもり」と。
山本歯科へゆけば「4、5日来ずともよし」と。12:00学校へゆき大森氏に会ひ、時間割もらへば和田先生の仰せ通り夜学のみ3時間。大森氏、心配げなる顔しゐたり。
出て研究室見にゆきしも入るに由なく、すぐ出て都電にて駕籠町、それより伝通院前に出、思ひついて芳賀檀氏に電話かけしもののかからず、坂下町さがして着けば全家留守。名刺ほりこみ、また歩きて芭蕉庵の前通り、早稲田に出、あんみつ食べて早大文学部事務室に石口敏郎君のこときけば、第2文学部の教育出と。下宿教へてくれしも29年の届けゆゑ駄目と分り、busにて高田馬場、代々木八幡の井上病院に大(※弟:西島大)訪ぬれば経過良好と。「肉親より友達の方たよりになる」と。
出て本位田重美氏訪へば在宅、いろいろ話し夕食とお酒たまふ。その中(※大学内での)内戦心がけおかんと。昇君(※本位田昇)9日着任と。
20:00出て渋谷をへて帰宅。
けふ14:00高野夫妻と松井信子氏と来り「今夜帰阪」と。はじめよりけふ来訪のつもりなりしと。長沖一氏より写真を速達にて送らる。千川より詩のりし『俳句作家』。藤田福雄、松浦良雄、山根忠雄の3教育家よりハガキ。林俊郎君より5月19日(日)にいとこ会したしと。
4月11日
寒し。長沖一氏へ礼状。岩田姉妹へハガキ。悠紀子、下十条(駅の名4月1日より東十条と改まる)へ買物にゆく。
長沖氏より入れちがひにハガキ。加藤定雄君より「元々社つぶれし」と。
われも午后東十条へ散歩にゆく。古本屋1軒あり。(石口君しらべんと淡交会といふに電話かければ「淡交」と関係なしと。淡交寮といふに電話すれば炭鉱関係と。可笑)。
午后の郵便として福地君、高松より。東順子「父母に結婚せかされる」と。
4月12日
8:00家を出、都電にて小台下車、果物買って(300)鹿熊猛君を訪ふ。一間を借り、夫人と朝食中。Arbeitたのみて出る。田端まで歩き省線にて帰宅。
小高根太郎君より「内職さがさん」と。芳賀檀氏より「百万の味方を得し」と。寿一(※西島寿一)より『李白』の広告見たと。
12:30出てまづ湯島まで都電、小雨そぼ降る中を筑摩書房にゆき、井上君に会へば、けふ『李白』送りしと。6冊買ひ鈴木俊、高垣、原田、本位田重美、小室栄一の諸氏に署名して送ってもらふこととす。
歩きて東洋経済の前に出しに、寄り見れば原田運治未出勤。日銀へ寄り見れば鎌田正美会議中と。『肉蒲団』の伏見沖敬訳を受付に托し、東京銀行に寄り、奥戸武に会ひ『李白』と『万句合』とを贈り、西川英夫に会ひにゆき(東銀で電話かり本位田昇と話す。中野住宅に住むと)、土産なくなりしに困る。
大江叔父来ゐるといふに、ゆき見れば不在。名刺を托して出、時間余れるを承知にて五反田にゆき、雲呑たべて戸塚橋までゆき、古本屋にゆき『中国現代史(70)』買ひ、新本屋で『Soviet百科中国史』買ひし。
雨にやむを得ず17:00久礼田家へゆく。17:20浅野氏来会。やがて帰り来られし久礼田博士と話し、18:30より(※ラマンチャの会)
開会。芳野(※芳野清)、西垣(※西垣脩)、小山(※小山正孝)、林富士馬、森房子の『果樹園』同人の外、知念栄喜、糸屋鎌吉(明治44年4月8日生れと)、曽志崎信三、萩原葉子、鈴木亨の諸氏来会。22:00までゐて浅野、小山、芳野、知念の諸氏と出、小山駅より目黒、池袋、赤羽をへて23:45帰宅。
川久保悌郎君より「上京中につき連絡せよ」と速達あり。田中秀子、辻芙美子の2生よりハガキ。植村清二先生より「上京うらやまし」と。
他に悠紀子あて史と八木嬢とよりの手紙来をり。
4月13日
8:00川久保君に電話し、来宅を乞へば「来る」と。『果樹園』に「西堤の家」3枚書きしころ来る。いろいろ話し、松本善海君に電話すればこれまた午后来ると。14:00まで待ち、やっと来り苺賜ふ。折しも筑摩書房より『李白』2冊来りしゆゑ、良き土産となる。『悲歌』ももちゆき川久保君は神田信夫氏の『呉三桂』その他もちゆく。2人とも家族少なく生活も楽にして羨ましきこと也。
午前中、大森倖二氏より転居通知。加藤順子より「バスケット部合宿効ありし」と。
午後、山本恭子・実子姉妹より「4月初めは上京しゐたり」と。根木豊生より惜別。高松直子生より「日本生命にて楽し」と。沢井種雄判事より「栄転を祝す」と。和田賀代氏より夫婦にあて「その中訪ねる」と。
4月14日(日)
荒木、福地、田中秀子、高松直子へハガキ。小高根君に1,000送る(同人費500、売上90、堀内会費400)。12:00『西堤の家』9枚かく。
杉浦美都子未亡人より「九州にのこる」と。伊東花子未亡人より「このごろ体良し」と。手紙出し、王子郵便局へ速達出しにゆく。
12:30出て新宿で一休みし、小田急にのりて経堂。小高根家へゆけば太郎あり、戸板女子短大に話してみんと。さそひて16:00中河(※中河与一)家へゆく。
「ラマンチャ」の同人会、一昨日会ひし糸屋、曽志崎2氏の外、堀内幸枝氏あり。船越章のこと訊ねらる。1時間合評会につきあひ、座をはづし中河幹子女史に会はしてもらふ(長尾良さしつかへありて来られずと電話ありしと)。
出て駅前交番にて訊ぬれば、小畑信良閣下住まはると。新宿でまた下車、20円古本屋にて北山康夫『近代の中国』買ひ、赤羽をへて帰宅。夕食、入浴。
21:00訪ふ声に誰かと思へば岩崎昭弥!村田家の犬に咬まれしと。「20万円出来しゆゑ使ってくれ」と。22:30帰りゆく。
4月15日
八木嬢へ改訳送り、歯科へゆけば「書類出来るまで治療まて」と。(悠紀子をして村田家へ犬のこといひにゆかせしに「狂犬でなし。犬きらひを咬む。傷その他は弁償す」と)。
山本恭子・実子姉妹、根木薫嬢へハガキ。父より手紙。奈良女子大より10,275来しと。浦井千恵子より「入学式に名きかずふしぎに思った」と。西宮君より「谷省吾君、講師に決定。漢文は石浜先生に一任となりし。高中小の教師で組合こさへた」と。
塩見薫教授より挨拶。井上睦子より近況。『東洋史研究15の4』来り、−90と。
14:00本位田重美氏より速達、「18日18:00坂本泉、河田為也氏らとSchinzinger先生を呼びて会食、もし会に参加するなら河田氏に電話せよ」と。
15:00父より転送『詩と現実』『芦笛』『美酒』。他に食物栄養の新卒堀田節子より礼状。
けふガラス障子を修繕、しまりなくなる。西宮君へハガキ。
4月16日
9:30〒来り、長尾良より「気分あしくなりし故」と(※欠席の)あやまり。志野和子より「日本製鋼へつとめた」と。
出て東洋大学。大森倖二氏に健保のこと云へば致し方なしと。
芳賀氏(※芳賀檀)来講とのことに講師室にゆけば恰も在室「11:30より昼食をともにせん」と。都電にて三崎町にゆき古本屋見しが何もなく引返して会ひ、天ぷらとbeer、真赤になりて戻れず、別れて本郷を散歩。
通りの古本屋みな見しが何もなし。三井不動産の河田為也氏に電話すれば「Schinzinger先生差支あり、会やめる」と伝言あり。本郷三丁目より都電にて帰宅。
けふ買ひしは河野密『孫文の生涯と国民革命(40)』。堀内(山本)信江より「体よくなり幸せ、弟中央大学へ入り、父上京の時、藤田亮策先生
近くゆゑ訪ねて宜しきや」と。「宜し」と返事かく。金子多美子講師より挨拶。大江房子より勉の所しらし来る。この間のわがハガキ名をしるさざりしと。
4月17日
〒なし。9:00すぎ声かけしは小野円城君。隣の労政事務所で新入社員の講習に来しと。正午来るといひ、待てば13:00来り、20日まで引きつづき講習と。この家の近くなりしは知らざりしと。
増田春恵より東京転任待つと。弟、急死せしと。手紙の字で履歴書の字は他人のものとわかる。渡辺三七子より「楽しく勤めゐる」と。
野田宇太郎氏より「一度会ひたし」と。小高根二郎君より16号の内容。わが送りし金つきしと。石口君の住所、この間早大でききしと同じなりし。淡交salaryを出さざりしと。上田阿津子に手紙かき、石口君に「連絡とれ」とハガキ出す。
(けふ平野弁護士新婚旅行より帰り来るとて、叔母君よりcake1箱賜ひし。)
18:30出て東洋大学。大野課長にきき講師控室で待ち、20:15「18号室」といふにゆき見れば消灯(※聴講者なし)。他の教室にも人影なく20:25帰り来る。
4月18日
家居。芳野君より石口君の所しらせ来る。小高根君のと同じ也。午后福地君より高松の様子しらせ来る。岩崎昭弥に犬のわび状。けふ依子の旅行積立返却を受く。
4月19日
朝より悠紀子十条の職安へゆく?依子炊事す。本位田重美氏より手当のこと折を見て話さん、『李白』は受取ったと。小高根太郎より「戸板短大よりはことわり来し」と。
午、十条へnote買ひに出る(50)。午后、矢本貞幹氏より「研究室へ行って(※転任)知った」と。大江叔母より「もう少し待て」と。矢本氏と平田春一氏へ挨拶状。
16:30登校。2時間とも聴講なし。大野課長にいひて帰り来れば、大19:00ごろまでゐしと。京都へ3,000送金したと。
4月20日
悠紀子働きに出る。われ9:30児玉君のこと訊ねしに、けふは新宿にゆきしと。出て飯田橋より角川書店。主人をらず松原君をらず。若き女史(野田?)出て(※貸した)『コギト』その中もって来ると。
出て日本歯科に北園克衛訪ねしに未出勤と。名刺おきて神田へゆき古本屋みる中疲れ、お茶の水をへて帰宅。
川久保より礼状。『ユリイカ』立原の特集号。小高根太郎へ相模女子大よろしとことわり、歓迎会も同じ。福地、畠山、渡辺三七子、森房子の諸氏へもハガキ。八木嬢に「cardたまへ」と。悠紀子18:00帰り来り、仕事単調と。
4月21日(日)
よべの雨にて昨日汲取りし便所に浸水。鈴木亨氏に『果樹園』同人加入をすすめる。
〒松沢教頭よりの礼状を西川より転送。小高根二郎君に芳賀檀氏同人加入の件を報告。
12:30青木陽生、千草、秀樹と来る。大江房子の入院知らざりしと。夜、鍵を悠紀子買ひ来る。
4月22日
8:00みな出てゆく。西垣脩氏へ300借りのこと。大江叔母へ退職手当のこと。清水文子生より「猫にチョコ・ボンボンと名づけ元気」と。辛島驍博士より「この間の水曜、村上君と研究室にて20:30まで待ちし。この次は19:00より会す」と。
峯明子生より「4日まで東京にゐし」と。悠紀子へ山本静子夫人より受取。昼食にpão(※パン)1斤(30)買ひ来る。
4月23日
けふも雨。岸明子、清水文子へハガキ。藤田幸子夫人より挨拶。森房子氏よりこのあひだ中河邸へおくれて行きしと。石口君の友人、山中玄造氏より同君帰省中と。村田幸三郎より「出張中なりしが当分在京」と。
簡易保険の集金来り、明日再来を約す。14:30京帰り来り、14:45依子帰る。われ傘もちて出、東洋大学へゆき、齋藤文学部長に会ふ。
「ドイツ語2時間もて」と。同時に野尻貞雄学生部長(一般教育化学)、広池利三郎教授(哲学)に紹介さる。
出て大森君に会ひ、会計課へゆき見ればsalary出をり、本俸29,000家族手当2,250−源泉所得1,000積立金100=30,150。
大森君と明夜beerのむを約し、出て正門前まで歩き、加藤泰造『唐朝史の研究(100)』買ひ、濡れて帰宅。
三苫君より試験手当2,000来り、あひかはらず不愉快と。堀内民一君より「元々社だめゆゑ筑摩の東博君に話さんか」と。「保田、学芸大の非常勤講師となりし」と。
樫本真氏より「退院した」と。梅本吉之助君より「南生40点で落第した」と。(辛島博士への返事を大森氏に托す)。
4月24日
小雨。梅本へハガキ。王子郵便局へ62,500預けにゆく。空巣よけの為なり。
山本歯科へ健康保険証もちゆく。「治療してゆくか」と也。「後で」といひて出る!簡易保険の利子576とりに来る。
11:45また簡易保険集金に来り1,035もちゆく。森中篤美先生より便り「忘れず」と。
14:30京帰りしあと谷省吾君より礼状。八木嬢より「25日頃、明子夫妻社宅へ移る」と。父より河出書房の(※経営破綻に関する)書類転送、われにも負債6,000余りありと。小高根二郎君より「16号は5月3日出来上りの予定」と。
関口君より挨拶状。庄野英二君より「潤三君のところへ遊びにゆけ」と。
依子のこさへし夕食くひ、出て悠紀子の帰り来るに会ふ。
18:30登校。史学研究室へゆき、小室教授と話す中、辛島博士来しもごたごたして出入し不快。19:30鳥羽正雄、宮崎幸三、市村其三郎の諸教授集り紹介されしも、わが任命に異議ありし模様。ドイツ語はこれを救ふ為らし。鳥羽教授につかまり話す中、辛島博士「九大の目加田氏に会ふ約束あり」と出、みな退出、われも21:00鳥羽教授をふり切って出、大森倖二君さそひ出し、「天松」にて天ぷらとbeer1本、茶漬食って帰宅。
4月25日
朝、ゆき子寝坊せしに叱りつけ、炭1俵買はす(520)。谷[信]吾君より『日本(桃李改題)』来りしのみ。小野寿人は20年6月Borneoで戦死と見ゆ。谷、庄野英二2氏へハガキ。
河出書房債権者委員会へ委任状。午寐2時間。父より3,000のみ送り来り、清等のちにすと。大より3,000ゆきしと。
4月26日
晴。友井啓輔君へ礼状。史へ『岩波新書』と『アテネ文庫』と送れと。散髪にゆく(140)。東洋大学の税金書類を大森君より転送。服部紗智子氏より礼状。林富士馬君より「この間愉快なりし」と。青木陽生より「倭周蔵に紹介してくれ」と。13:30簡易保険また来り132追徴してゆく。
八木嬢へハガキ。頼永承君へ航空郵便にて問合せ(30)。
弓子16:00帰り来り、出て神田明神前下車、筑摩書房へゆき東(ヒガシ)博君に会ひ、堀内民一君の原稿のこと云ふ。『李白』3冊買ふ(720)。
白山ですし食ひ登校。辛島博士にと1冊托し、教室へゆき見れば無人。細川助手にきけば3年2人、1年2人との由(西田卯八博士に会ふ)。その1人に会ひ帰宅。
けふ午后の郵便にて山口玲子、上田阿津子2生より手紙。『薔薇』に5日までに書けと村上新太郎より。
4月27日
雨。前川佐美雄に手紙かき「坂戸事務局長によろしく」と。堀内民一氏に「筑摩に話して見よ」と。
5月1日14:30より定例教授会。その際辞令わたすと。鈴木俊氏より『李白』の受取。同時に中野清見より電報、「15:00東京第一弁護士会にて会ひたし」と。
12:00山本嘉蔵氏より鯛の浜焼を大阪高島屋より。
11:30でて有楽町、毎日新聞社に桐山眞訪ねしに「宮内庁に常詰」と。歩きて第一弁護士会にゆけば、丸と話しゐるは武居眞(8回文乙)。
15:30来りし中野清見と4人で八重洲口にゆき、beerのまされ竹井君に『悲歌』1冊贈り、別れてtaxiにて新宿。夕食して高野へゆきfruits食べ、駅にて別る。中野いろいろ企業に発足すと。丸にきけば退職手当要求に根拠なしと。八木嬢よりcard来り、増田より「身体に自信なきも現場にても可」と。入浴。
4月28日(日)
西川に電話かければ在宅と。関口、中野清見(杉野祐二郎のadressしらす)へハガキ。
13:00出て西川宅。葡萄酒のみ、ともに出て古本屋歩き、『高砂族慣習法語彙(250)』を井上(※井上書店)で買ひ、(Dubarbier『近代中国史』買ふ)、帰れば10分前山本嘉蔵氏、令息と来訪と。藤田亮策先生宅へゆかるとききをきし故、追ひてゆけば意外にも信江夫妻もをり、17:30まで話し、王子駅前で父子と別れる。
けふ高野明子夫人も来り、依子のwhite-shirtおきゆきししと。大島、6丁目に木曜より住むと。
(藤田先生にきけば辛島博士は中文専攻と。何で博士となりしかし。京城大の助教授となりゐしは明らかとなる)。
4月29日
悠紀子、工場へゆき、3女高野明子氏に遊びに出る。帝塚山学院会計課へ給与票送れとハガキ。
筑摩書房井上達三君に『李白』を藤田亮策先生にとハガキ。守本文生氏(※帝塚山学院の学務主事)より挨拶(退職手当のことは云はず)。卒業式の記念撮影2枚。西川よりの転送来ず。
11:00すぎ十条へ散歩。野上豊一郎『シエバの女王(70)』、風間阜『近世中国史(120)』買ひて帰り来り、昼食す。
13:00芳野清君来訪。14:30、3児帰宅。依子の料理にて夕食。去りしあと悠紀子帰宅。(芳野君、中村屋のcake1箱たまふ)。
4月30日
和田節子よりやっとハガキ、「椿下生この間、上京しゐし」と。石見益田のdr.岡崎澄衛氏より詩集『遠望』とハガキ。上村肇氏と知人と。広西よりの撤退を詩に作る。
田中雅子に「5月5日午后ゆく」とハガキ。高野明子に礼状。岡崎dr.に寸感。和田節子に「椿下生を遊びに来させよ」と。
午後また〒、枡田紀子より『悲歌』受取りし。山坂上り下りしつつ赤ん坊の生長祈ると。小森明子生より「勉強せよ」と。辛島博士より『李白』の初版もちゐると。八木嬢より陽子君に会はずと。
15:00出て都電にて日本橋。三井精機訪ぬれば「倭周蔵は下丸子の工場にあり」と。地下鉄にて青山一丁目。間組訪ぬれば、池田徹は購買課長にて不在。疋田氏は出張中と。
都電にて渋谷にゆき、青年座訪へば、大はradio忙しくて来ず。中野に住むと。帰りて夕食すませ倭宅へ電話すればまだ帰らず。明朝7:30までは在宅の予定、出発は9日と夫人の話。
5月1日
晴。7:30倭に電話すれば「9:30来よ」と。いまいましがりながら出てトロリーバスにて池袋(15)。渋谷行にのりつぎて東郷神社前下車。天理教の隣のよき家に住む中学同窓に、whiskyのまされ10:30まで話す。2ヶ月で帰朝と。菊池眞一夫人によく会ふらし。陽生(※義弟)のため本社の課長に紹介かかし、三越へ買物にゆく夫婦のcarに便乗
、都電にて帰宅。
岩田生より「28日夜、乗れざりし」と。石口敏郎君より「相談に来たし」と。陽生に倭の紹介同封。枡田、岩田、小森の3生へハガキ。
13:00出て東大研究室。石橋助手に会ひ「山本教授、教授会」ときき、4日(土)東洋史談話会、南洋史研究会は水曜10:30からときく。
出て井上で『清末七十年史(60)』買ひ、東洋大学へゆく。
教授会まへ齋藤部長に会ひ本俸2.9万円の礼云ひ、ドイツ語のこといへば「のちほど」と。会議15:00より始まり「8時間以下の教授は地位危し云々」と部長説き、不快。
18:00まで会議つづき、すみて辛島博士にきけば「村上君の授業時数は今年も維持さすが条件」と。曜日がへを我にのぞむと。近々会って話さんと云ひ、今夜も聴講なしとて帰宅。
桑田博士の退職醵金11万円弱あつまりしと。帝塚山学院より昨年の所得「給料425,870賞与61,200、計487,070。税27,488+5,400未納6,312、計39,200」と。
(けふ家主中込夫人来り、契約書に印捺さし、家賃並びに敷金の受取くれし)。
5月2日
曇。京、井の頭公園へ遠足にゆく。憂鬱とれず『薔薇』に原稿ことわり、八木嬢へ米田のことたのむ。筑摩書房井上達三君より藤田先生へ送りしと。『不二』4月号ここ宛に来る。
史より『アテネ文庫』と『岩波新書』と送り来る。午后の便にて「送料285。7月は半すぎまで上京せず」と申し来る。
堀多恵子夫人より「軽井沢にあり」と。井上睦子、得津佳子2人にて天の橋立へゆく車中。日野月明喜先生より御挨拶。
小高根二郎氏より本社復帰と『果樹園』4日出来、6ポ(※新しい印刷所で刷った編輯後記の活字)不良、その中に元市(※元市印刷)へかへさんかと。
堀夫人、西川へハガキ。京、依子、弓子の順に帰り来り、雨降る。石口敏郎へ「土、日の午前来ぬか」とハガキ。
5月3日(祭)
8:30松本善海君へ電話してゆくと云ひ、9:30ゆけば迎ひに出てくれゐし。話して村上正二君の近きに気付き電話すれば来る。都立大学にをりと。月曜と金曜の交換よろしと云ひ、夫人と嬢ちゃん出しあと昼食にすし御馳走となる。
14:00出て帰宅。増田久美子より速達にて「つとめゐる。その中に初salaryより何か贈る」と。田中雅子夫人より「5日運動会にて順二郎氏不在なれど来てよし」と。陽生より礼状。父より回送にて小島樹君編集の高等国語参考書と同君のハガキ。小清水卓二博士より『日本歌人』にて転任知りしと。中林茂子、山中良造2氏より『果樹園』の会費。小清水、小島2氏に転居挨拶。西宮一民君に退職手当の調査たのむ。
5月4日
大東幸子夫人よりわが旧居のあたりゲンゲ咲く。『李白』買ひしと。渡辺三七子より「牡丹咲く」と。
午まへ案内あり、出れば石口君。よく話し、28才と。尾崎一雄、村上菊一郎に愛さると。井伏氏こわしと。13:00すぎ帰り来し依子にいひてすし買ひにやらす。15:00前去ってゆく。
岩田生よりハガキ、「増田と2人でneck-tie買ひくれし」と。13:30出て本郷、西川夫人に会ひてこの間の転送未着ゆゑ今後とめおきたまへと云ひ、山上御殿(※東大和田清研究室?)にゆけば無人。古本屋へゆき弓子へと本買ひ(50)、16:30再びゆけば和田先生をられ、「宇都宮大学の講師にゆかぬか」と。お願ひし、國學院大學のこと云へば市古君に云へと。市古君には近々訪ねることのみ云ふ。
けふの会者50人(※東洋史談話会、南洋史研究会)。中に顔知れる人、山本、榎、西島の3君の外、和田久徳君、竹田龍児君、鈴木俊、須藤、中島敏、神田信夫、岸也成雄、矢沢、松田の諸氏。松本善海おくれて来る。山本教授より新来として宮本延人氏、われも久しぶりとて紹介受く。榎君の印度滞在談おもしろかりし。20:00すみて松本と喫茶。また鈴木、市古2氏と会ひ、市古君に「清初の奴隷」わたして引上ぐ。
弓子、母に働き止めよと云ふと。
5月5日(祭日)
父より「史、全力を尽くして本の荷造りせし」と。西川君より今後転送せぬと。
千川義雄君より『俳句作家』中に句あり「酒酌まぬ別れ春灯にまむし食ふ」。われ答へて「酒のまぬ別れの座下の春の水」。
悠紀子、弓子、京つれて田中順二郎(他出と)家を訪ね、16:30帰り来る。
5月6日
小雨。京、出てゆきがけ給食用エプロン汚しといひ、悠紀子洗ひ、われ届くることとなりしも、乾かざるに炙りてこがす。代品買ひにゆけば160。もちゆきて小使さんに托す。
近藤博子生「結婚して浅田生となりし」と。午すぎ岩田、増田の贈物neck-tie来り、またしばらくして藤原、山本敬子、辻の3人より額ぶち来る。
散歩に出て帰って夕食(けふ平野夫人(※2階の弁護士一家)、電気25kiloなりしと。我家との計49kなり)。
5月7日
小雨。10:30小島樹氏よりの挨拶のハガキ(『果樹園』来ず!)見て出、上野より地下鉄にて渋谷。都立大へゆけば竹内(※竹内好)不在。
旗田巍文化部長に会ひ、矢野峰人総長に会はしていただく。『果樹園』ごらんと。
「行春哀歌」の曲は藤村より採りしに、これはまた鉄幹より採りしと。『悲歌』贈り『去年の雪』いただき、出て駅前で支那そば食ふ(『毛沢東(80)』を都立書店で買ふ)。
それより東急のりかへのりかへして洗足にゆき、浅野晃氏訪ぬれば不在。neck-tie置き、五反田に出て帰宅。
辻芙美子より送り状。瀧川恵美子生(2年)より手紙。けふ弓子遠足にゆきし。
5月8日
小雨。9;40出て東大東洋史研究室へゆき石橋君に「清初の奴隷」呈し、南洋史研究会待つ。和田久徳、白鳥芳郎の2君より知らず。山本教授来りておほむね近着印度史目録の話。15分ほどHall: A histry of South-east Asiaを山崎君?よみして了る。
急いで東京女子大にゆき市古宙三君に会ひ、國學院大のこときけば「欠員なし」と。『李秀成供』の繙訳すすめられ、toast食って東洋文庫前で別れて帰宅。
北園克衛氏より「12:00ごろ学校に在り」と。村上菊一郎氏より「9日13:40〜14:00大隅会館で会はん」と。
(けふ今東光氏に「和島弁護士にたのめ、石口君よろしくたのむ」と手紙出せし)。
八木嬢よりPLに入団せしと。午后『果樹園16号』10冊と小高根・池沢2氏のハガキ来る。芳賀檀氏同人に加入せしと。石浜恒夫君にも交渉すと。瀧川生へハガキ。小高根氏に山中良造、中林茂子2氏の金おくる。
17:30村上君より速達「川口博氏逝去のため16日14:00に延ばしてくれ」と。
18:30家を出て登校。所得申告票わたせば1〜3月分でなければ駄目と。史の在学証明書2通出せと。
大野課長、大森氏、会計嬢と『果樹園』3冊贈り、大学院研究室で時間つぶす。
辛島博士の講義すみて話し、法経2部の一般教養東洋史の渡辺講師?に挨拶受く。東洋大学で守屋君に習ひ、早大大学院にて松田寿男博士に習ひ、唐末専門と。
20:30出て帰り来る。平野弁護士は陸軍中尉の中央大学出と。けふ学校へ『天野美津子詩集』『詩人学校』『山本書店書目』来をりし。
5月9日
三苫君に「1〜3月の給与証明くれ」とハガキへ。藤野和子夫人、服部紗智子嬢、林富士馬君へハガキ。羽田明君へハガキ。林俊郎へ「19日の会よろし」と。
村上菊一郎君へ「16日寄る」と。
坂根千鶴子生へ「一度来よ」と。東洋大学より4月1日付「本大学専任教授を委嘱する 文学部勤務を命ずる」との辞令。
浅野晃氏より「近日来訪」と。すぐ出せしに登校と。井上多喜三郎氏へ「荒木、山前、佐々木の三名」のあやまり状。天野美津子氏へ詩集の受取。16:30入浴。
5月10日
晴。平野夫人と電気料の話せしもわからず『週刊朝日』よみ、田中文子生へハガキかく。西宮君よりハガキ「大腸カタルにて今週欠勤」と。
16:30出て靴に金打たし登校。大森君に会ひ研究室へゆく。聴講card4枚来あり(2人)。西洋史27年出の高橋講師と話す。神戸大学の西洋史学会にゆくと。井上幸治君いま神戸大と。名刺わたす。
18:00出て西川英夫にゆく。春本3冊貸し呉る。こは天津以来かれが癖也。
5月11日
晴。〒午后、山根君より『果樹園』の精算書来りしのみ。赤字1,440と。
16:00訪ふ声し、寐床片付けさされて会ひしは角川書店松原純一氏と野田嬢。(※貸与した)『コギト』92冊もち来り、『果樹園』そろひ1部もちゆく。『立原道造全集』(※月報)用に3枚かけと。散歩に出てのち夕食。
5月12日(日)
芳賀氏より「明日16:00会やる故来れ」と。夕方十条まで散歩(山根君に誤植の訂正たのむハガキ)。
5月13日
晴。西宮君「しらべしに院長忘れた顔せしらし、6ケ月分」と。川崎宏子生「ガクブチもちて17日以後来る」と。
山中タヅ子嬢より「小山君の小説(※16号所載「爪は桜貝」)よし」と。
12:00訪ひ来しは坂根千鶴子。「17日青年座の試験」と。伊予蜜柑賜ふ。菓子買ひにゆかせ、京帰宅せしのち共に出て大塚。せんべい1箱(300)買ひ喫茶し、青年座に電話せしに大、伊豆へゆきゐると。
別れて芳賀(※芳賀檀)邸へゆけば馬場文翁教授(東洋大学ドイツ語主任)あり。薔薇100本、すずらんなど庭を見せられ、beerのみ始めれば林富士馬君来り、あと18:30大野文吉、橋本俊子と東洋大教務2氏来り、すしいただいて退出(大阪の平田春一氏上京に付き明日ともに会ひにゆかんと)。
けふ午后、渡辺三七子君より手紙、「立川陽子の夫君また胃病」と。小高根二郎君より「石浜恒夫君、同人に加入承知した」と。手塚隆義氏より「立教大学へ来てよし」と。
5月14日
9:30出て東洋文庫へゆき『燃藜室記述』写す。和田先生お見えにならず午帰宅。
〒来あらず。立川、山中2生にハガキ(あとにてわかりしが西保泰男君、留守に来り、平野氏にみやげport-wine2瓶、香水1瓶托し、第一Hotelに在りと云ひおきしと)。
16:30出て曙町に菊池眞一氏留守宅にゆき、母上に挨拶す。夫人9月に渡仏と。
17:00史学研究室にゆき貫(ヌキ)達人氏に紹介さる。桑田六郎博士の義弟と。辛島博士「5月末限り家追立を迫られゐる」と。
芳賀氏来室、ともに出て水道橋をへて有楽町。雨の中歩きて銀座の料亭に平田春一氏訪ね、御馳走になる。木村捨録氏(『短歌研究』編集)に紹介
さる。60才と。ふしぎな程若し。長沖氏の写せし写真贈りて東京駅までtaxiにて帰り来る。
芳賀氏「明日より20日まで近畿大へゆく」と。小高根君に会ひたまへとすすむ。
5月15日
晴。朝、第一Hotelに電話し、西保泰男氏14:00来訪ときまる。10:20東大研究室へゆき和田久徳、白鳥芳郎氏と話す中、向ふより来りしは太田常蔵君(学芸大小金井分校)。20年ぶりに話し、研究会終りてのち「鉢の木」にてともに昼食。内村君も在京と。
13:00帰宅。浅野晃氏より「17日14:00鶯谷駅出口にて」とのハガキ。百済璋子生より「いつまでも先生とゐてほし」との手紙。鈴木治氏よりの『和鷹考』見てのち、来訪せし西保君とport-wineのみ、惠以子妹にと『果樹園』と『悲歌』とを托し、ともに出て省線にて神田。都電にて「高島屋」。青木大乗個展にゆき大乗画伯、夫人と話し茶菓ご馳走となる。(※教へ子だった娘の)弥恵子生(白根男爵邸に寄寓)いま帰阪。17日17:00会ひに来るといふ(この間、西川家へハガキよこせしは、青木生または学習院の生悦住(イケズミ)生らし)。
出て喫茶、西保氏と別れて東洋経済社にゆき、原田運治君と話す。西洋史の青山吉信助教授をよく知ると(salary1万円と)。出て一旦帰宅、クラス会にゆきし悠紀子まだ帰らず。夕食して登校。
けさ速達にて来し帝塚山学院の手紙見せしが何のことなしと。1−3月の給与票わたし、研究室にゆけば学生1人あり。
講師控室にゆき川西正鑑経博学長に当選、齋藤晌氏は理事留任の掲示を見る。
20:10「18号教室」にゆけば、老学生2人あり。清朝前期史やるといひ、参考書をあげてすます。
悠紀子の旧友、小室栄一教授の実妹。栄一氏は小室翠雲画伯の養子と。世の中狭きかな!
5月16日
8:30みな出てゆきしあと「忘れられぬ」13枚と、「東京吟5首」とをかき、小高根二郎君に速達す。百済、渡辺三七子、池沢の3氏へハガキ。父より葉書「田中甚幸結婚、その式に会ひし大江叔母、退職手当のこと云ひしと。30日上京し来るつもり」と。
12:30出て都電にて早稲田、大隅会館にゆき、13:40村上菊一郎氏と会ふ。昭和17年、仏印Saigonで会ひしきりなるらし。
Beerよばれ、やがて来し石口敏郎、広沢雄一郎の2淡交社社員の不平きく。庭見しあと茶寮にゆきcoffeeふるまはれ恐縮して都電にて帰宅。
林俊郎君より「いとこ会」を6月2日(日)にと。服部正己より「19日11:00神田神保町進省堂で会ひたし」と。
(けふ大塚にてpott『支那史概説(80)』買ふ)。
5月17日
500札なきため同人費おくれず、小高根氏へことわり状。学院田中欽一氏にハガキ。
父より転送、眞野喜惣治君手紙(『果樹園』代210同封)。笹尾とさ氏より「一周忌のお供へ送りし」とハガキ。千川義雄より『俳句作家』に書けと。川崎宏子生より「上京少しおくれ23日までに」と。
13:00出て鶯谷、改札口で待てば13:40浅野氏来られ、ともに博物館にゆき、普及課長鎌原(カンバラ)正巳氏訪るしも席をはづす。待つまに近世初期風俗画展見せてもらふ。師宣以前の煙管は曲り方ちがひゐしに気付きし。見了りて鎌原氏と話し、『Museum』もらふ。
16:00すぎとなって高島屋の青木弥与子君に電話せしに父母と食堂と。明日訪ねると伝へよといひ、研究室で待てば、演習に辻村久弘生1人。
話す中、吉原竹虎生来り、text英語でときまる。ついで中国現代史は吉原生の外、小野彰(昭和7年生)と2男子、安部(昭和8)、土橋(昭和12)、佐藤(同)、河田(昭和4)と4女生。
19:30すませ(野原『中国現代史』をtextとすることに決める)帰宅。
父よりまたハガキ。「史、Arbeit一つ見付かりし」と。夜、鈴木治氏に挨拶。八木嬢に「明子君の出産しらせ、休みしらせ」と。
5月18日
笹尾とさ氏へ礼状。眞野喜惣治君へ受取。小高根二郎氏に同人費500円と眞野君の200(10円は郵送費にとると)。
10:00京の学友今井理髪店へゆく(120)。大分はつさいらし(※発才:おてんば)。帰って立川陽子氏より「5月上京、23,24,25といそがしく会へぬ様子」と。藤野和子氏より「vizaおくれゐる。夫君も会ひたがりゐる」と。村上菊一郎氏より『愛の詩集』。
京の帰宅をまちて昼食すまし、12:00出て都電にて高島屋。青木弥与子生に会ふ。「来週土曜に生悦住、坂根3人にて会せん」と。出て神田下車、吉野書房へゆけば長尾良君をり「(※中学参考書の仕事の件)催促しようと思ってゐた」と。
ともに出て鶯谷で別れ帰宅。
服部紗智子氏より「月曜来る」と。西洞院淑子夫人より「特別に思ってゐた」と(けふ青木生にきけば、我と鍛治君と同時に辞めし故、疑ふ者ありと!)。
「明治天皇と日露大戦争」見にゆかんと入浴夕食と早くせしも150円なることわかりバカらしと止む。
村上、山本敬子、藤原由子の3氏へ礼状。西洞院夫人にはひいきせざるをハガキ。
5月19日(日)
10:00出て西川英夫に寄り、借りし本返し、初音町まで送られ、神保町につけば11:00。
服部と板倉鞆音氏父子(嬢ちゃん東京女子大の英文か生と)待ちをり(※服部正己と板倉鞆音は愛知大学旧同僚)。新省堂は休みなりし。裏の喫茶店Brazilにゆき、『果樹園』のこと云へば「入らず」と。けふ都立大で独文学会ありと。
父子と別れ、服部と古本屋見しあと、われは雲呑たべ、13:00別れて大塚窪町。古本屋見まはり、尾崎秀実『現代支那論(60)』買ひて都電にて帰り来る。
丹波道久より「泉大津署にかはりし」と。史より在学証明書。根木薫生より「さびし」と。増田春恵より「自衛隊でもよし」と。
5月20日
雨。増田春恵に履歴書かき直せと。根木薫生へ「ふるさとの藤野花見に来よといふ友もあらなく夏たちにけり」。
「立原道造の系図」6枚をついでに書く。本位田重美氏に院長への(※退職金)催促たのむ。丹波道久へ挨拶。
今日、依子休日。『Biblia
No.8』寄贈。清水文雄氏より『悲歌』もらったと。小高根二郎氏より原稿受取。父より「布施税務署より17日出頭を命じ来りし故、電話すれば宜しとなりし」と。「31日8:23安芸号で上京の予定」と。「甚幸の新婦は大江夫妻の媒酌にて関目?の文具屋」と。同時に速達来り、「羽田君21日上京、23日が都合よし」と。
12:00雨中を出て王子郵便局。1,930引出し、松本(※松本善海)に(※羽田来訪のこと)電話すれば「23日、同君宅で会せん」と。「太田常蔵君にもしらす」といひ、帰りて羽田、太田2君に通知かく。
午后の便にては大江房子「25日退院」と。16:00服部紗智子君来る。『アテネ文庫』の国文関係もち帰りもらふ。史の在学証明書をも三浦嬢にと托す。夜、大へ父上上京のこと青年座気付でしらす。清水文雄、小高根二郎2氏へもハガキ。
5月21日
10:30出て東洋大学。Salaryもらふ(29,000+2,250−共済組合費1,560−源泉所得税780−積立金
100=28,810)。
白山上より都電にて神保町。『中共領袖の素描(40)』を赤本屋で、東西堂で『英仏西伊日語辞典(80)』、巌南堂『中国歴史概要(120)』買ひ、都電で数寄屋橋。
東京駅前より西川英夫のり来り、New-Tokyo
Beer-hall前で矢野昌彦に会ふ。支那料理にて桐山喜一郎氏の印度感心談「指導者偉く、人民ばかなれば将来性あり」と。坂本泉、西山安三、竹井眞の3氏をしれるのみ。
国電にて飯田橋。日歯(※日本歯科大学図書館)にゆけば北園克衛また不在。角川にゆけば社長、松原2氏不在。野田嬢に「立原道造の系図」(※『立原道造全集月報』原稿)わたし、研究社にSoothill『支那の歴史』のこときけば戦後版行せずと。
神楽坂あるき、juiceのみて都電のりかへて帰り来る。
長沖一氏より「3月博士になられし石浜先生の祝ひ1口500円、参加を強ひず」と。東方学会より「24日(金)10:30〜17:00まで第2回国際東方学者会議」と。
小高根二郎氏より「芳賀檀氏に会はず。小山君の原稿おくれて来り4p増した」と。
福地君より「上京する弟の保証人たのむ」と。服部三樹子氏より「右京区桂下豆田町に転居」と。河出新社(※再建された河出書房新社)の株主になれと。
20:30表の市原夫人挨拶に来り、誤配されし服部嬢の速達もたらす。「typewriterは10:00までしかつかへず」と。(長沖氏に「2口1,000を川崎生にわたす。退職手当の件たのむ」とハガキ)。
5月22日
晴。よべも寝つき悪かりしゆゑ、ノートこさへず、研究会休むこととす。福地君にハガキ、「令弟家へ来させよ」と。
鍛治君より手紙。安村君出勤と。富子妹、梅田夫人のはなし、交際して1,2回して断りしと。鍛治君へハガキ書き、卵3ケ(36)買ひに出、昼食して東洋大学。大森君のよこにてSoothill『A histry of
china』2pを演習用にprintし、帰途白山上の古本屋にて小島祐馬『中国の革命思想(90)』、矢野仁一『満洲支那領土説の批判と満州国の建国(20)』買ひて帰宅。
15:00学院より待望の退職手当来りしに84,700!!!三苫君少額にておくれてとわび状書きあり。早速西宮君に「催促せしゆゑ減りしや」とハガキ出す。
『日本歌人』の夏季吟行8月17〜19日箱根にてと。簡易保険とりに来りしも明日といふ。大江叔父叔母の消息きかんと(※従弟の)勉の会社(住友海上火災営業第2部)に電話せしに、帰宅せしと。本位田重美氏にも報告。
18:00悠紀子の帰りしを待ち登校。小室、宮崎2教授のゐる所にて教室がへ宮崎氏に云へば小室氏色をなす。悦子氏は「遠縁の娘」と。齋藤氏いま不満らしと。
服部嬢、演習用のprintもち来り呉る。『清朝史前期』鈴木、吉原2生にやり、Nurhachi出現にて止む。鈴木生「豊島師範にて櫻井芳朗君に習ひし」と。
5月23日
よべおそく寐、朝、父に「語学関係の本チツキ(※手荷物国鉄で送る)にしてくれぬか、31日朝迎へにゆく」と書く。
9:30住友海上火災の大江勉に電話してきけば「喜代造叔父月曜帰阪」と。「日曜夕方にでも悠紀子をして返金にゆかしむ」と云ふ。八木嬢より目録。天理図書館の休み8月かららし。明子氏の出産6月と。
大江叔母へ報告。渡辺三七子生より「太田夫人この度の上京では会へずといひをる」由。
産経を7月よりとると約束、towlもらふ。念のため羽田卓氏に電話かければ外出中と。このごろバカらしきこと多くバカ丁寧は止めんと思へど。
16:00出て都電にて向原下車、林富士馬君訪ぬれば疲れた顔してゐると。VitaminBを夫人に打たしめらる。出て池袋まで歩き、松本邸にゆけば18:10。太田君よりは行くと電話ありしと18:30来り、19:00になりても羽田(※羽田明)来ざるにより不安になり、わが歓迎会と変へんとて食事はじめし所へ来る。
和田先生わが事心配され、白鳥先生と相談されゐると。(※斡旋予定の)宇都宮大学返事なく(石原道博われをきらひゐるらし)云々と。帝塚山学院のこと(※退職手当の額のこと)云へば、頼みすぎ、いらぬことする故に非ずやと。史(※長男)、われにひどき反感もちゐると。
21:30まで居て写真とり、明日再会を約して退去。太田君と3人にて池袋に出、coffeeをMeijiにてのみ別る。十条にて下車、帰宅23:30。
5月24日
よべ師恩をおもひ眠れず。
予習する中、筑摩より『李白』の金23,100(30,000−買上10冊24,000−税4,500)来り、今市佐恵より「出勤、研究室に
てさびしがってゐる」との旨、ならびに今氏受賞祝賀会の写真。
井上幸子より「文部省の役人と称する者来し」と。中河与一先生より「25日(土)15:00バラ見に来よ」と。
11:00出て太田陽子夫人に電話。藤野明子の夫君5年間Singapore駐在の予定と。肴町、白山上をへて神保町。第一銀行支店に筑摩の小切手もちゆけば口座に入れよと。
出て東京都民銀行神田支店長加藤定雄君訪ね、預金にかへて貰ふ。明日引出せると。
出て錦町河岸より田村町、炒飯たべて霞山会館にゆけば午后の講演はじまりをり、羽田紹介者席にあり。
15:00の休憩まちて和田先生にお礼申上げ、桑田六郎、石田幹之助、増井経夫、小林高四郎の諸教授に挨拶。
出て地下鉄にて上野。筑摩に電話すれば井上達三君他出。「26日(月)16:00訪ねる」と伝言たのみ、一旦帰宅。
西宮一民君よりハガキ。「(※退職手当)送りしときき安心した」と。バカらし。
夕食くはず出て登校。細川助手ゐず、鍵あけ待つ中、吉原生ひとり来り、演習やる。すみて茶2人でのみ、現代史にゆけば吉原生を入れて4人(小野、河田、X嬢)教科書手に入らざりしか。19:40すませて帰り来れば17:30川崎宏子2人づれにて額縁もち来りしと。電話かけあす12:00お茶の水駅で待合はすこととす。
(けふ『宋慶齢選集(20)』を白山上で買ひ、東方学会で『1954,55年東洋史論文著書目録(70,80)』買ふ)。(額の絵は田中了とて新人の作なり!)
5月25日
雨。8:00白根松介邸へ電話かけ、けふ会するや否や青木弥与子に問へば「1日帰阪となり、帰郷後」と、バカらし。
10:00出て王子郵便局で3,700を現金に換へ、史に6,000送り(60)、八木嬢に目録送り、都電にて湯島。都民銀行へゆき、加藤定
雄君に10万円の小切手作ってもらひ、11:00明大に寄り見しもわからず。(古本屋にて王枢之『孫文伝(100)』見付けうれし)。
11:30より12:00まで待てば川崎宏子とその姉来る。連れて「揚子江」にゆき昼食(410)。文2クラスへ礼状かく。意外なりしは本位田氏きらはれゐると。出て水道橋まで歩き、別れて新宿。
46円しか金なきも中河邸へゆけば小高根君は呼ばざりしと。『桃』の山川弘至夫人(※山川京子)をり、(※『桃』同人で岐阜の)岩崎昭弥の話す。保田家にて会ひし也。
堀内夫人もあり。16:00より会はじまり、西垣脩君来りし故、(※帝塚山学院の神崎)院長と断交のこと云ひ、鈴木亨より『果樹園』に入るとのこときき、萩原葉子、大森倖二、三浦嬢など知合やうやく多し。澁沢秀雄氏令嬢も来あり。
萩原先生の塑像の写真見せられ涙催し、その作者舟越氏に礼云ふ。夫人をばわれ顔を見知りゐたり、ふしぎ。
Slideにて幹子夫人、長女夫妻の対米日記見せられ、石川生思ひ出す。糸屋鎌吉君持参のbeerにて微酔。
20:00出て、われ経堂に下車、小高根家にて100円借りて帰宅!
山根忠雄君より『果樹園』1日刷上り、誤植訂正したと。高垣金三郎君より『李白』の礼状。小高根家にて借用申込みし『白楽天』を忘れ来し。
5月26日(日)
昨日一家留守中、セキネ(坂根?)来り、月曜10:00再来と平野夫人に云ひおきしと。
山川京子へタバコの礼。今市佐恵夫人にやめざれと。(※帝塚山学院事務)三苫氏より少額におどろきしと手紙。短大新聞を同封。
昨夜の借金と『白楽天』とのため、悠紀子小高根家へ寄らしむることとす。20:30悠紀子帰り来り、小高根家にて夫人に会ひ『白楽天』借り来りし。大江勉夫妻にも会ひ、手伝ひし、叔父けふ来ず。明日9:00帰阪と。小切手勉に預け来しと。
(三苫氏に今後のため抗議す。受取送らずとハガキかき、入浴。十条へ散歩して午后すごし、藤田亮策先生にゆくつもりなりしもとりやむ)。
5月27日
鎌原正巳、松本善海2氏へ礼状。10:00坂根千鶴子生来り、きけば「青年座不採用なりし」と。あくまで俳優になりたしと。なぐさめ学院の話し、依子帰り来しゆゑ上へ鰻食ひにゆく。
(尾崎菊子生より田中生のノロケききしと手紙。涌井千鶴子生より「2部生たりしことを云ひふらす者あり」と。短大新聞も同封。父より「31日(金)8:03の明星号で上京」と。長沖一氏にきいてもらへと)。
ともに出んとし、ひげ剃りゐればまた〒中野清見君より山本治雄のこと丸にききしやと。
西宮君より「熊沢氏の計算にては(※退職手当)138,600となる筈」と。沢井、須原、高岡、三苫、守本の諸氏にも云ひしと。
(羽田君より内藤湖南『遊清記4』戊申氏よりのを送り、台北へのfilm郵送の受取も送り来る)。筑摩に電話すれば「待つ」と。
坂根生と都電にて湯島、喫茶せしのち別れ、井上達三氏に会へば「beerのみにゆかん」と。『白楽天』3〜400枚を『名詩鑑賞』に入れると(※叢書:実現せず)。
引受け、17:00より会ふ予定の吉川幸次郎博士の宿舎「富士見荘」といふにゆき色々話す。「三尺下って師の影をふまず」は中国古典になしと。またbeerのまされ森亮君の『中国古詩訳』は河出にたのむ筈なりしもだめとなりしと断ってくれと。諾して18:00出、井上君と別れ、西川宅に寄りしに帰りをらず。
5月28日
井上幸子へあやまり。羽田明君へ承知。尾崎菊子へなつかし。山川京子氏より『悲歌』くれと。
依子早く帰り来るとのことに待ちしも駄目。14:00出て東洋大学。芳賀檀氏に会ひ「大阪では誰にも会はざりし」と。齋藤部長の会議を待ち、会ひて来年より学科多くなりて宜しと申上ぐ。我をFascioと云ひしは村上正二と!!
芳賀氏と喫茶。『去年の雪2冊(40)(※矢野峰人自伝)』買ひ、1冊贈り、printきり了へ、大森氏に地図かいてもらひ、都電にて新庚申塚。
大塚駅前より歩きて林富士馬氏を訪ひ、健康保険証を提示。『去年の雪』贈りVitaminまたうってもらひ、大塚まで歩き都電にて18:30帰宅。
山中タヅ子より「恋あきらめし」と。中千枝子より「得津29日結婚、文芸の第2号」と?!
(けふ丹波鴻一郎君(※東大同期?丹波哲郎(正三郎)兄)、上富士前に帰りゐるを電話帳にて発見せし)。
21:00平野夫人、里帰りするとて挨拶に来り、1,000預けゆきし。
5月29日
丹波君へ転居挨拶状。森亮氏へ吉川博士の伝言。小高根二郎君に「母上見舞に来よ」と。
9:30出て森川町にて幸田成友『東洋歴史(50)』見つける。こは珍し。
研究室にゆけば和田久徳君「先生の伝言ありしも先週われ欠席せし故云々」と。(※和田清先生と)お会ひして感激せしを拙く云ふ。
太田君来ず。12:30すみて井上書店にて『中国通史簡編1(150)』。帰り来れば〒なし。
悠紀子帰りてのち19:00家を出て登校。研究室にて小室栄一氏『贋作拝見』受領。茶のみゐれば福地君の弟来る。昨日来てききしと。田無に友だちと家借りしと。履歴書の保証人の印捺し、茶のみて「清代初期」講義す。鈴木生「昨夜、蔵原伸二郎氏にゆき、わがことききし」と。
(『去年の雪』吉川幸次郎氏にとまた1冊買ふ。20円)。
肴町にて西垣脩氏に電話すれば「明日13:00〜15:00明大にて」と。
5月30日
父より「31日8:03明星号または8:23安芸号にて上京、迎へに来よ」と速達。吉川、山川2氏に本送り(16×2)、吉川博士、大江叔父叔母、小室栄一氏、中、涌井2生へハガキ書く。
けふも雨なり。八木嬢より「今月中に訳片づけたし」と。川崎宏子生より「姉、感激しゐる」と。林dr.より『去年の雪』感激してよんだと。倭周蔵より「出発6月1日」と。
12:30出て13:00明大にゆけば西垣氏見えず、13:15来り、帝塚山学院のこと云へば「考へさしてくれ」と。父君にきいて見ての上と也。山の上Hotelといふ喫茶室にゆき、茶のまされ、熊沢君も誰も信用できずと。われもはや投げるといひ、別れて東京都民銀行。1,000引き出す(けふ西垣氏に残金300返却)。
加藤君不在ゆゑ『悲歌』1冊托し、山本書店にゆき『東洋史上より観たる古代日本』買ひ、蒲池氏にゆけば不在。夫人より大福餅頒けてもらひ、日大と國學院大とに講義ときく。
帰れば小高根二郎君より速達。「母君見舞の為上京。1日(土)15:00〜16:00新宿あたりで小山君(※小山正孝)とに会ひたし」と。
18:00帰り来し悠紀子に不満。けふも雨なりし。(増田春恵より履歴書来る)。
5月31日
悠紀子にものいはず。7:30出て東京駅ホームにゆけばすでに父つきてあり。ややして青木陽生来り、大見えぬままに帰宅。大、9:23にゆきしと追ひ来り、10:30父とつれ立ちて出る。
史の送りしチケット荷物として来りし本47冊受取り、日本レーヨン支社に電話すれば、小高根君他出と。小山正孝君に電話すれば「明日17:00まで出られず」と。小高根君に「17:00高野Fruits-parlourにて」と速達す。
山中タヅ子へ歌3首。16:30夕食たべ靴みがかせて登校。2科目やる(演習辻村と吉原。現代史4人)。
帰れば石口敏郎君待ちをり、「明日小高根君に会ひに来よ」といふ。
21:00父帰り来る。大江叔母より「(※退職手当減らされたのは)6年間家賃払ひしと思へ」と。
6月1日
9:00前、父日銀へと出てゆく。王子の清掃事務所へ電話かく。八木嬢のため目録誤訳訂正、acharyaの語しらべにゆかん。
11:00、2枚のみ送る。里井千寿子生より「(※上京の)本望達して嬉しきならん」と。
十条へ水道代(288)払ひにゆき、橘樸『支那社会研究(100)』買ふ。
けふ暑し。3:00入湯、帰り来れば坂根千鶴子まちをり、「今日大に会ひ『俳優やめよ』と云はれしも止める気なし」と。ともに出て新宿。高野Fruits-parlourにゆき西垣君来りしに紹介せしも、芥川比呂志氏への紹介肯んぜず。
林富士馬、石口敏郎(女学生つれ来る)、小山正孝君おくれて来り、beerとjuiceのみ、林君払ひて帰りしあと、小山、石口と(※小高根二郎と)4人にてrice-curryたべ、両方とも奢ってもらひ気持よからず。神田まで小高根君につき合って別る。「あす石浜恒夫氏の結婚式に出るため帰阪」と也。
(けふ西垣君より大阪に電話し、父君にいひしも仕方なしと)。
曽根桂子生よりあやまり状。石浜君より結婚通知。
6月2日(日)
父、世田谷の叔母に会ひにゆく。依子きのふより流感臥床。2部史学科の新入生歓迎会5日(水)17:30よりとの通知来しのみ。曽根、里井2生へハガキ。
12:00出て有楽町。十合へゆき田中甚幸結婚祝にHandkerchief3枚(500)包ませ経堂行のbusにて渋谷。東横百貨店にてtobacco買ひ包み忘れあはててとりにゆけばありし。
井之頭線にのりて東大同窓会館といふにゆけば、林俊郎君迎へに来り、難波逸夫夫妻2子をつれて来をり、やがて西島寿一夫妻と2子、父と大来り、わが家、京とで13名。林俊郎夫人風邪にて来られずと。16:00まで話す。
難波逸夫は三菱銀行池袋支店にあり。東田町に住むと。大、父を送りて青木にゆくといふに我のみ渋谷へ出、地下鉄にて上野。見切の本2冊京に買ひて帰宅。
大の言によれば「坂根生(※女優は)だめ」と。
6月3日
依子臥床。1,584共済組合長期掛金31年5月より32年3月まで過納の戻金として三苫君より転送。
西宮君より「(※さきの退職手当)84,700は共済組合加入前の2年9月分の計算」と。いよいよ無茶ゆゑ「再考せよ、(※不足分)引渡の時期を早くせよ」との公開状かき速達す。
他に長尾良君より4日(火)午后来訪と。川崎宏子生より大阪に帰ったと。
12:00すぎ出て東洋文庫。Acharyaしらべんと梵語辞典2冊借り出せしもよめず、新唐書に白居易伝なきをたしかめて出、東洋大学の図書館にて梵語辞典引きしも見つからず。研究室にゆき村上君の来るを待ちしも「14:25の授業に16:00来るが常」ときき、呆れて出、千駄木町の通りあるき、鴎外先生の胸像に拝礼し泪出る。
千朶書房で『文芸春秋6月号』買ひて帰宅。父帰り来り、青木陽生来る。父に三和銀行放出支店のGift-check1,000わたす。
6月4日
父に先立ち9:30出て東洋大学。橋本係長嬢に仏教辞典編纂室へ紹介させācāryaは阿闍梨とわかる。バカらし。
散歩して菊坂までゆき、支那そば食ひ『朝鮮会話(150)』買ひて13:30帰宅。
14:00長尾良君訪ねまはりて来り、「7月15日までに原稿を」と。明日より大阪へゆくと。『果樹園』1そろひ贈りwhisky-bonbonもらふ。
16:00送り出して散歩、中島健蔵『昭和時代』買ふ。ためにならず。
18:00坂根千鶴子来り、悠紀子帰宅。父の見送りたのみ、夕食たべさす。滞京と。21:00悠紀子帰り来り、大より「明後日電話せよ」との伝言。坂根嬢に伝ふ。
父beer3本のみて汽車にのりしと。けふ〒なし。
6月5日
三苫氏へ受取(1,584の)。八木嬢へ目録の訂正。
10:00出て東大東洋史研究室。太田君来り、白鳥、和田2君来らず。すみて太田君去り、われも一旦帰宅。小高根二郎君のハガキ見る。石浜恒夫君の婚礼に出席、長沖一氏、わが退職手当のこと心配されゐしと。『果樹園』おくれしらし。
昼食すまし、14:00出て東洋大学教授会。給料是正を申出でよと宮崎氏しつように云ひ、文学部史学科が最も割高と国文教授より発言ありし。
われがこといふか。
芳賀氏さそひしも用ありと。18:00より新入生歓迎会(原田運治君に云はれし青山助教授に挨拶受けし)、教師側みな出席。すみて3時限休講を辻村生にことわりて出る(鈴木、吉原の2生いかがせしやらん)。
(けふ西新学長の挨拶ありしに、入場退場に礼せしは我のみなりし)。
深夜しらべしに我と同じく夜のみの教授は鳥羽正雄、辛島驍の2氏。村上正二の待遇よきに(教育上)気づく。原田、長、坂本太郎の3博士は1時間づつのみ。
6月6日
雨。けふ学祖祭の通知ありしもゆかず。昨日郵便局より10:00に再来を云ひしは、帝塚山学院の府助成金3年度分にして三苫君のわざわざ請求しくれし4,900−392=4,508。
三苫君「上京のため宝くじ30万円当るを祈れり」と!森亮氏より「原稿たのむ」と。千川義雄君へハガキ。
依子早退して帰宅。風邪なほらず。弓子もこの間より流感のため学校早く帰し来る。
西垣脩氏へ公開状発送の旨。林俊郎君へ「いとこ会」の礼状。帝塚山学院へ受取。
夕食後、長沖一氏へ石浜先生の祝ひ1,000封入。藤田亮策先生のお宅へCastilla1折(300)もちて訪ねしに「鳥取へと今し方出られ、14,15日御帰宅」と夫人のお話。
6月7日
また雨。渡辺三七子生にハガキ書き了れば、太田陽子夫人より来書。ふしぎ。「7月来る」と。令姉宅は板橋区志村前野町と。依子試験とて11:00帰宅。白楽天詩譜作りをり。
15:00出がけに郵便。今井恵美子生より「先生の手紙とカチコさんの手紙を西宮先生によんでもらった」と。川勝重子生より川崎生に会って所知った。「富士山」の文句教へよと。
15:30東洋大学。教務でprint切り、大森君と話し、出て白山園で雲呑くひ、研究室へゆかんとすれば受付「さきほど永山氏(※不詳)より電話かかりし」と。また電話かけてくれ、けふ20:30水道橋で待ち合はすことを約し、17:40より演習、吉原生のみ。すみて現代中国史は吉原生と河田千鶴子生の2人。
19:45すまして雨中、水道橋。駅構内のlunch-roomでチャーシュー麺くひ了れば永山来り、20:20鈴木文平も来る。3人にて
taxi、銀座西2「寿加川」につれゆかれbeerのみ、料理くはされ永山の話きく。平壌にて終戦、鞍山に戻り優待されしと。久保田鉄工所につとめゐしと。今は叔父の会社と。鈴木は中尉として信州にありしと。
23:00出しにまた「銀花瓶」とかいふbarにつれゆかれ、24:00新橋駅。帰宅すれば依子、試験勉強しをり。
6月8日
雨。朝の郵便にて父より安着。『堀辰雄全集第7巻』『東方学』等、布施に来をり、奨学資金のため住民登録と布施市の税金領収書送れと。史よりも「書類12日着にて送れ」と。『果樹園17』10冊来着。高尾書店の書目来り、わが売りし本の一部分にて3万円の値付けをり。他に『文学雑誌』。
午后、子らみな帰り来り、清水文子より「猫元気、『悲歌』1冊送れ」との手紙。涌井千恵子より漢文の後任は関大の壷井義正君(文学部長と‼)と。
入浴、夕方雨やむ。平野夫人の土産に名古屋の外郎1本いただく。けふ白氏文集の年代順ほぼすむ。
6月9日(日)
9:00出て(悠紀子速達にて税金票のこと父にたのみにゆく)。散髪(130)、思ひつきて丹波鴻一郎君訪ねしに掃除しをり。1,000万円の借金負ひて中和商事をつぶし、家を抵当に入れ外人に貸し、夫人の父上の土建小池組の営業部長と。祖父君(※丹波敬三)の鴎外関係書類なしと。岡部長章君、東横学院につとめゐると。
出て西川家。浅野建夫君に電話すれば「けふ在宅」と。丸に電話して山本治雄のこときけば心配いらずとのみ。水道橋まで歩き、途中、楠林南陽堂といふに入れば鴎外『蛙(100)』。書目もらひて中央線。吉祥寺下車。
竹内好の家訪ねまはってわかり、村上正二との調停たのむ。大工入りをり、beerのまされ、金素雲『恩讎三十年』もらひて出、三鷹下車。浅野建夫君訪ひ、またbeerのまされ、血液型の伊太利本の訳の話きき、薄井夫人(※薄井敏夫未亡人)つひに来ざりしをたしかめ、18:30autoにて駅まで送らる。長男慶応医科へ入学せしと。
高円寺下車。「赤ちゃん」といふにより赤川(※赤川草夫)夫人に会ひ、Highball生れてはじめてのみ、100払ひて赤川君訪ねにゆきしもわからず。ことわりて帰宅。中千枝子生より結婚第1号は伊庭生と。
(医科歯科大の田中克己博士に名刺托す)。
6月10日
悠紀子休み。区役所出張所へ住民登録票もらひにゆく。清水文子、丹波道久、山根忠雄、中千枝子の諸氏へハガキ。林俊郎君より「いとこ会」の写真。天野忠君よりずっと病臥『果樹園』くれと。『文芸春秋7月号』買ひ来て清水君へ『悲歌』贈りしゐる中、大阪より転送の小包にて『堀辰雄全集7』と『東方学13』、他に平凡社より「籌海図編」(※辞典の項目原稿)を7月31日まで200字をと。
八木嬢より「目録」の終り来り、明子妹6日男子出産と。原田早苗生より「おこし」の送り状。西田敬一君より「神戸に家買ひし」と。
18:00夕食すませ、表で待ちゐしに通りすぎしとふ京の受持松井先生(8年教師つとむと)をつかまへ、20:30まで話してゆかる。『悲歌』ならびに『果樹園17』もちゆきもらふ。叔父上東大文学部事務長たりしと。悠紀子23:00歌舞伎座より帰り来る。(立教女学校のクラス会に招待されし也)。
6月11日
曇、gas代515とりに来る。田中雅子夫人より「遊びに来よ」と。鎌原正巳氏よりハガキ見たと。西川英夫君より南邦彦氏の履歴書その他。
12:00昼食し、弓子帰宅せし故、省線にて東京駅。西川に会ひしのち歩きて十合。地下2階の前川人事課長に会ひ履歴書わたし、4階の齋田(森脇)昭吉君訪ね、coffeeおごられ雪ケ谷に住む、水曜休みときき『果樹園』1冊わたし、私鉄経営者協会に田中勤氏訪ねしも不在。
朝日調査研究部の阪本泉先輩訪ね、四方太父君のことかけと云へば「何も知らず」と。高垣(※高垣金三郎)は不在にて学芸部へよろしくとのことになり、出て帰宅。
山本陽子生より「坂根生と木曜夕方来訪」と。原田早苗より「おこし」送ったと。里井彦七郎君より礼状。渡辺三七子より「みかん食べよ」と。
西宮君より「手紙を三苫君と文生に見せ、そこにてストップらし」と!
八木、林俊郎、小高根二郎、太田陽子の諸氏へハガキ。
夜、坂根千鶴子来り、大に会ひし結果1年勉強して来年かさねて試験受けると。山本陽子と明後日まち合せの約束せしと。送りゆきハガキ買ひ、西宮一民、堀多恵子夫人、新潮社へハガキ。
6月12日
雨。『果樹園』2,200の赤字と。弓子、京、流感のため北区休校。14日東洋大学新学長就任式と(東大研究室へ本よみにゆき、白鳥芳郎氏の脚本を見せたまへと清先生への伝言たのむ)。
帰りて卵くひ、ひるねし、小高根二郎君より「杉山平一君参加、赤字は未納あつまれば(高橋、芳野、福地、森脇にて6,000)よし」と。
夜、雨やむ。登校すれば吉原生流感と。鈴木生のみにて特講すます。朔太郎を論文にすと。
けふ原田早苗よりの「おこし」着く、うまし。
吉川幸次郎博士より、森亮君の『中国古詩抄』と『ルバイヤット』書留にて来る。
6月13日
晴。京、流感らし。あさ「センチメンタル」2篇かく。原田早苗生に「おこし」の礼。吉川博士より「北海道にゆくにつき、夫人に送らした」と。
桐山眞氏より「不幸のため返事おくれた。宮城内へ訪ね来よ」と。
千川義雄君より「血圧190あり、腎臓悪し」と。西垣脩氏より手紙見たと。
ひるすぎ東十条へ散歩にゆき、京に雑誌買ひ来る(京ねたままなり)。
15:00入浴。悠紀子帰宅。熱計れば京39℃。19:00山本陽子と坂根生とcakeもちて来る。陽子に茶漬くはす。(午后、長沖一氏より1,000受取った、退職手当まだなら院長に話すと)。石浜恒夫氏に祝辞。
6月14日
西田敬一君に転居通知。中島悦子生より「転任知った」と。筑摩書房海老沢利彦氏より新刊の『太陽』のことにて会ひたしと。
12:00出て筑摩へゆき、井上達三氏呼べば不在。海老沢氏に会へば「楊貴妃のこと7月10日ごろまでに4、5枚」と。
土井氏呼んでもらひ、森亮氏の原稿わたす。「編集会にかけて返事す」と。
中央大学へ寄りて見しに「鈴木俊氏14:30より講義」と。東京都民銀行へゆき2,000引出す。加藤支店長は来客中。
都電にて和田倉門へ行きしにのりこす(「東京駅前」といふがそれなりし)。坂下門より入り、宮内庁記者クラブに桐山眞君訪ね、21年よりの話す。矢加部勝美君red-pageにてをらず。田代継男君も退職と。この次内閣文章見るときの便宜たのみ、出て中央大学。16:30講義すむ鈴木氏まつ間、胡華『中国新民主主義革命史(50)』(『和漢朗詠集新歌(150)』をそのまへ買ふ)。ゆきて会ひ、あす吉野書房前田社長に会ふ予定話し、池内先生の本のこと云ふ。
夕食くひ神保町まで歩きて曙町。登校すれば研究室あかず。辻村生来ず。新学長就任式に出ずして帰宅。
井上幸子より礼状。八木嬢より速達の受取。今市佐恵氏より「法円坂のapartに移りし」と。父より「布施市の税金票、田中米店にたのみてとれし」と。
6月15日
父、中島悦子、平凡社(7月31日までに「籌海図編」0.5枚と)、『文学雑誌』、田中雅子、里井彦七郎、天野忠、今市佐恵の諸氏へハガキ。
10:30出て国電にて神田。大阪書籍鈴木支社長に会へば我を忘れゐたり。「前田社長の上京18日」と。階上吉野書房へゆけば長尾良君をり、「下阪のとき池沢茂君に会ひし」と。前田社長への手紙かきて長尾君に托し、昼食にさそひ、すみて別れ、銀座7丁目より文芸春秋社訪ね、印南寛君おとなへば不在。安藤直正君呼べばcoffeeおごり呉る。会ふでなかりしの感ありて憂鬱。
他に約束ありと追立てくひ、有楽町まで歩き、経堂行のbusにのり(45)、小高根太郎君を訪へば在宅。
『白楽天詩集3,4,5』借り、さそひて舟越昭武氏訪ひ、夫人とに引合せ、道案内してもらひ、西島寿一の家を探しにゆけば、中村真一郎家の帰りといふ堀辰雄夫人に会ふ。ふしぎ。
加藤俊彦君(※多恵子夫人弟)東大経済学部教授となりしと。27日より軽井沢といふに一度訪ねることを約す。
そのあと訪ねあぐみて都立明正高校前までゆけば寿一の家。叔母をり、寿一帰り来り、すが子君帰り来り、また出しあと夕食よばれ、羽衣の家のことにて沢田直也君にたづね見ることとなる(寿一君と同隊なりしと)。
梅ヶ丘の駅まで送られ、新宿で京へ本買ひて帰宅。22:30。
平凡社より「Tsewang Araptan
(※ツェワン・アラプタン)」7月31日まで0.8枚をと。福地邦樹君より「高松いやになりし」と。
6月16日(日)
平凡社へ承知と。福地君へ「詩を書いた」と。小高根二郎君より「文芸春秋社の樫原雅春氏、『コギト』の読者なりし」と。1日訪問早すぎたりし。清水文雄氏より『和泉式部日記』改訂版贈らる。『薔薇』35号。
6月17日
京、まだ熱あり休校。大安よりcatalogue。兼頭淳子、川崎宏子(履歴書送り来る)、田中保子(広島へvolley-ballの試合にゆきしと)。
森亮氏より「きれいな本にして出せ、いそがず」と。田中保子をのぞく3氏へ返事。西巣鴨交叉点まで散歩。
6月18日
悠紀子けふは出ささず、京いまだ休校。
小高根二郎君に「もう5部(※『果樹園』)おくれ」と。
11:00出てNew
Tokyoへゆく。佐々木喜市校長来り、いやいや挨拶す。長尾良君来り、奥戸武君来り(浅草支店長となりしと)、和田浩君(東邦大学と)来り、鈴木憲三?、西寛治2氏の話きく。
西氏はアメリカの人文科学今後発展せんと。皮肉でなく云ひし。西氏に挨拶し、肥下のこときかれ「後日くはしく」と云ひ、長尾良と出て国電神田で別れて帰宅。
田中保子より広島の絵ハガキ。父より「甚幸に祝品わたした。河野博士母上軽快」と。田中保子へ返事。
沢田直也君に「羽衣の家いくらで貸せば適当なりや」と。
夜、西川より速達、「南君のことたのむ」と。
6月19日
晴。暑し。渡辺、涌井2生へハガキ。白鳥芳郎氏に電話かけしもかからず。研究会やすむ(京、休校のため)。
午后兼頭歌子夫人より手紙。変なり。小高根二郎君より「18号原稿少なかりし」と。
19:00出て登校。三島嬢に会ひ大森君へと『果樹園』托す。吉原生休み、鈴木生1人を相手に「清代史」。蔵原伸二郎氏、小学館の仕事すと。
6月20日
晴。暑し。中野清見へハガキ。元市有奏氏(※元市印刷)へ『悲歌』残部送れと。
9:30出て東大。経済学部研究室の受付できけば、加藤俊彦君、社会科学研究所にて未出勤と。堀夫人あてに雑誌2冊托し、busにて池袋。
立教大学へゆき手塚隆義氏に13年ぶりに会ふ。鎌田重雄のこといふ。小林通雄教授に挨拶さる。松岡中尉いま神奈川県会議長と。『史苑』4冊もらひ、昼食でご馳走となり、佐々木喜市氏の室へつれゆかれて出る。
帰れば帝塚山学院の慶弔会より1,000来る。入浴。悠紀子けふにてArbeit了りとなり6,000もらひしと。
6月21日
曇。三苫君へ受取。頼永承氏へ清算。東洋史談話会29日(土)17:10より本郷学士会館で。村上正二渡印と(きのふ手塚氏よりききし)。
池沢君より「齋田昭吉に連絡してくれ」と。池沢君へ「もう5冊送れ」と。談話会出席と。
吉川幸次郎『人間詩話』買ひ来る。
14:30出て東大社研へゆきしに「加藤俊彦君けふも来ず」と。演習のprint忘れしに気付き、筑摩書房にゆくを止め、久保天随『白氏評釈(200)』『十八史略(100)』買ひて一旦帰宅。
橋川時雄先生(博士になりたまひしやらん)より転任祝賀のハガキと、川崎宏子の手紙見て出、白山園で冷麺くひ(50)、登校すればsalary14,000と半分。三浦嬢「詩を見よ」と。諾して研究室。細川助手にきけば「村上君の渡印は2年半の予定」と。
辻村、吉原2生とも休みて演習出来ず。現代史も小野、河田(女)の2生のみ。橋川先生へ礼状。
6月22日
8:40浅野晃氏に電話かけ「相談に参る」といひ、10:10ごろ訪問。東洋大学の話し、「齋藤晌先生に会ひにゆく」と云へば、ゆきてよしと。枇杷1籠を土産に置き(280)、東京急行にまたのり、元々社へ電話かけんと旗の台にて下車。
ふと秋山家を訪へば夫人不在。隣の奥さん、わが名を知り「すぐ帰る故待て、四日市へ転任」といふに、近所でそば食ひ手帛買ひして待つ(元々社の電話応答なかりし)。
12:30昭子夫人帰り来しとて上らされ、むつみちゃんとて6ヶ月の女児相手にし、健三氏に電話かけにゆく間待つ。「ここへ移りて1ヶ年、四日市は7月赴任」と。13:40まですしよばれて待ち、帰宅後beerのまさる。
16:00すぎあはてて立ち上り駅まで送られ、五反田より気かはり渋谷へ出、中村書店とて宮益坂の詩集多き古本屋にゆく。『四季』120で10冊ほどあり、『詩集西康省』は450、『コギト』1冊のみあり60。『李白(220)』1冊と春夫『わが1922年(50)』『小杯余瀝
集(80)』買ひ、地下鉄まであるくみち、不二歌道会の前へ出、長谷川氏に会ひたしと云へば、鈴木氏、影山氏と出られ、保田、軍隊の話して出る。帰宅20:00。
『果樹園』16、17ともに10冊づつ来をり。(秋山氏、燃料研究所にて田中楠弥太氏に会ひしと)。
6月23日(日)
小高根君に受取。松本一秀君に川崎宏子生の履歴書。
8:30家を出て雨中新宿。「高野」で羊羹2棹買ふ(280)。京王電車わりあひ早く10:30齋藤晌部長邸へつき、村上君の補充のこと云へば承知と。白楽天の話うかがひ、わが『李太白』人間的すぎるときき、11:30出て新宿。
ラーメン食ひ中村屋にて支那饅頭買ひ(150)、堀さんにゆく。夫人不在。加藤俊彦氏に会へば風邪ではなかりしと。29年に訪問しゐると。やがて夫人帰り来られ「7月2日に室生犀星先生と追分ゆくと変更されし」由。三上次男氏の夫人、女医にて堀さん手当受けられしと。15:00出て阿佐谷まで歩く。
けふ沢田直也君より親切な返事。6〜7,000が至当ならんと。尾崎菊子生より「東京へ嫁に来いを2度云ひし」と。井上多喜三郎氏より「誤植は了解」と。山根忠雄君より「家庭教師心がける」と。
6月24日
雨。寿一君へ沢田直也君の手紙転送。尾崎菊子生へ吊書送れと。井上睦子より「絵送った。得津佳子は押上姓となりし」と。成蹊詩社より「橋川時雄先生も博士となられ、30日祝賀会」と(欠席の返事す)。
今中同窓会より22日の幹事会(辞任申出で、千川義雄君を後任にと)。
12:00出て筑摩書房。井上達三君に会ひ「原稿用紙くれ。1冊『李白』と手塚隆義氏に」とたのむ。森亮君の原稿返却すと。
出て東京都民銀行のぞきしも加藤君ゐざる様子。小学館にゆき蔵原伸二郎氏の消息きけばしらずと。
蒲池歓一君訪ぬれば日大芸術科へ出講の直前。蔵原氏の来をるやと、しるこ屋に案内され、小学館編集部長浅野次郎氏、日本児童雑誌編集者会塚方氏とに紹介されしもすぐ出て、山本書店にて万曼『白居易伝(70)』、聞一多『唐詩雑論(120)』買ひ、
中教出版のありかききしてゆけば小山正孝君不在。角川書店へゆき野田嬢にきけば鈴木亨、小山君と『山の樹』会しゐると。
『果樹園』2冊わたし、出て日歯(※日本歯科大学)にゆくみち北園克衛氏に遭ふ。茶おごられ『果樹園』またわたし、歩きて「大安」へゆき『辞海』の予約申込をす。
石階上れば恰も元々社の前に出し故、よりて見れば「電話とめられし」と。齋藤晌氏の姪といふ女人と話し、『楊貴妃とクレオパトラ』10冊借り、歩きて西川英夫宅。
夫人に「南君の採用むつかし」と云ふ。
帰れば池沢君よりまた4冊『果樹園』着く。23:00電報「25ヒアサ9ジマデニデンワタノムナカノ83-4624」。
6月25日
8:30中野清見君に電話せしに眠さうな声なりし。「16:00第一弁護士会で」ときまる。
新坂康子生より手紙。井上睦子生より「あじさゐ」の絵。
13:00出て王子中学分校へゆく。弓子の担任、山下氏がleadしてまづ要望、ついで成績公開となるところで15:30。
あわてて出、第一弁護士会館へつけば、丸、中野に杉野祐二郎君まちをり、すぐ出て検事局の部長本位田昇君に会ひにゆき、17:00まで待ち、つれ立ちて銀座へbeerのみにゆき、丸、本位田と別れて3人にて夕食。上野まで同車。杉野と別れ、中野の旅館へ荷物とりにゆき、22:00上野駅。すでにとまりゐる「おいらせ号」に送りこみて帰宅。
清水文子生より詩集代を切手にて。秋山昭子氏より反対に礼状。(けふ丸、中野、本位田の3人に『楊貴妃とクレオパトラ』1冊づつもちゆく)。
6月26日
井上睦子生に礼状。秋山夫妻に『楊貴妃とクレオパトラ』。
10:00出て東大。白鳥芳郎氏に会へば電話故障なりしと。郁郎君の「七月七日」もし返ってきたら見せると。太田君と久しぶりに会ふ。和田久徳君は来らず。山本達郎博士9月渡欧と。(石橋助手に『楊貴妃とクレオパトラ』1冊わたし、きけば村上正二の渡印2ヶ年の予定と)。
12:30出て帰宅。東洋大学より70周年の寄附をしろと。筑摩書房より「8月15日までに詩495行を録せよ」と。
森亮氏より『ルバイヤット』は不足分に入れるためと。角川書店松原純一氏より『立原道造全集』の月報に『萱草に寄す』のわが解説(『四季』13年2月号)をのせよと。
森亮氏へ「創元選書ではいかに」と。清水文雄氏へ礼状。清水文子へ受取。
19:00登校。細川助手休み。研究室しまりゐる由にて須永君に『楊貴妃とクレオパトラ』わたし、講師室で待ち20:15になりて18号室へゆけば無人。30分に鈴木生現はれ『四季』貸す。「太守の蒙古経略」やり了へ『楊貴妃とクレオパトラ』1冊やりて別る。
6月27日
また雨。浅野晃氏より挨拶。元市印刷所より『悲歌』そのまま送ると。(午、元市より小荷物来る)。
午后米田弘恵生より漢文の点くれに失礼な手紙。(西宮君に送りて見せることとす)。増田春恵より「長山帰郷せし」と。
6月28日
雨。悠紀子、職安にゆきまた工場にゆく。田中保子よりvolley-ballのこと。
16:00東洋大学。七十周年の寄附のこと大森君にきけば職員は10%を10ヶ月割と。会計課長に会ひ3,000を3ヶ月ときめ、七十周年記念会にゆき田浦義光氏のこときけば共同通信社会部次長と。
演習1人も来ず。須永講師「天理教文教会長の息」と。いろいろ話しsalary残り15,100もらふ。
夕食炒飯くひ、現代史3人に教ふ。来週ありなし教授会できまると。
6月29日
吉原生へ演習のprint送る。田中保子へハガキ。田浦義光氏へ転居通知。西島寿一より礼状。
午すぎ十条まで散歩。加藤(岡本)和子より「詩をやめ共産党運動やめ母となりゐる」と子供の写真。
15:00入浴。16:30出て本郷学士会館の東洋史談話会へゆく。入口で竹田龍児氏に会ひ、会場へ早く入りゐし故、話出来ざりしが、村上正二送別(8月末出発、2年の予定と)、満文老檔学士院賞祝賀(神田信夫氏挨拶)、中国考古学見学団(関野雄、原田淑人2氏挨拶)、江上波夫氏の近東視察談、長くてslide20枚ですむ。
吉田金一氏、岡部長章君に23年ぶりに会ひし。鈴木俊氏に鳥山喜一先生へ紹介してもらひし。仁井田陞博士に挨拶されし。帰宅。
(石浜先生の記念品16,500集りしと報告ありし)。
6月30日(日)
八木嬢、加藤和子、川崎宏子の3女史にハガキ。坂根千鶴子に「増田春恵のこと父上にきいて見てくれ」と。頼永承氏より「フィルム到着のこと前便で申した」と。手塚隆義氏より『李白』ついたと。羽田明君へハガキ。
昼食すませ悠紀子、京と十条へゆき、靴(1,500)買ひ、古本屋見て帰り来る。
7月1日
悠紀子けふよりまた勤めに出る。森亮氏より「創元社にたのんでくれ」と。父より「食費受取った」と。
小山正孝氏に電話し、「14:00社にゆく」と云ふ。悠紀子帰り来し故、出て肴町で白山上にゆき、三崎町に下車。時間早かりし故、波木井書店にゆき、小泉丹『眉毛眼上集(20)』『法文中国坤輿略史(20)』『世界史概観(60)』と買ひ、中教出版にゆき小山正孝氏より中学社会教科書と教師用参考書ともらひ、『楊貴妃とクレオパトラ』呈上すれば「Köln」といふ喫茶店へつれゆかる。鈴木亨君、同人費えらくて返事くれぬ由。
別れて元々社へゆけば、この間をりし男女ともにクビになりし模様、(※『楊貴妃とクレオパトラ』の)750払ひ、お茶の水より吉野書房に電話すれば長尾君、他出。「来てくれ」と伝言たのみ、また岩波文庫『和漢朗詠集(50)』『春雨物語(30)』買ひて神田明神より都電にて帰宅。
藤野一雄君より『詩人学校詩集』にわが詩をとると。菊地成子より「東京弁になったか」と。
夕方、長尾良君来るかと思ひしに来ず。けふ買ひし本よみてすごす。菊池、藤野2氏へ返事。
7月2日
晴。きのふ小山君よりききし旺文社の参考書買ひにゆき(130)、『The perospect for Communist
China(60)』買ふ。何だかわけのわからぬこと也。暑さのせいならん。東洋大学七十周年会より礼状。
ひる、お菓子買はず茶漬くひしのみ。渡辺三七子生より屋上浸水腰まで来たと。得津佳子より「5月29日押上和喬氏と結婚、名古屋に住む」と。
小高根二郎氏より「5日〜7日滞京、7日夕、会をしてくれ」と。15:00長尾良訪ね、いろいろ云ひしもきかれず、小山氏に電話かけ「会場世話せよ」といひ、西垣氏と相談の結果を明日きくこととなる。
渡辺生へ見舞状。19:00訪ふ声して坂根千鶴子生。きけば「父君の会社、事務は子供1人」と。今日より青年座の事務手伝ふこととなりしと。近々帰阪すと。
7月3日
雨。朝の郵便なく、吉野書房の仕事(※中学参考書)にとりかかる。得津佳子(押上夫人)に祝のハガキ。
15:00小山正孝君[より]電話かかり、高野Fruits
parlourの2階で200円の会費で7日(日)18:00『果樹園』の会をすることときまり、芳賀、浅野、石口、芳野、森脇、小高根の諸氏に通知。
西垣、林、小山、森、糸屋の諸氏は西垣君の責任とす。
松本一秀君より「短大出をとることとなれば助力す」と。同時に川崎宏子より依頼状。山田正一氏(和島弁護士のところに勤めゐし)より独立したと。
けふの教授会に出ず、19:30ゆきて辛島、宮崎、千葉3教授の話すをきけば、事務の1/3削減は30万円しか出来ずと。教員の方は切り崩しにかかると。
清朝史けふも鈴木生1人にて、今週限りとなる。
7月4日
『古今評論(わが転任をのす)』来しのみ。南側に塀作り、物干しこさへんと管理の嫗より云はる。悠紀子に相談してと答ふ。吉野書房の仕事やる。
午后、八木氏より「母上先月19日以来上京」と。父より久保和友氏あての手紙を田中克己気付にて来てゐると。父、松本氏、川崎生へハガキ。八木氏にもたより。名刺100枚出来しを弓子にとりにやらす(160)。
7月5日
5:00めざめ、また寝て8:30起きれば無人。秋山夫人より「13日頃出発」と。山本陽子生より「6日(土)14:00来訪」と。手塚隆義氏へ礼状。西宮君より「米田生ら、再試は教授会に出し、われ怒ってゐる故、西宮君がやることになりし」と。
中野清見君より「夏に江刈に来ぬか」と。佐々木邦彦画伯より『果樹園』の詩見た。『骨』も出ると。
西宮君に手紙かき、16:00出て東洋大学。健康保険証とりかへんとすれば、京、脱落しをり、4、5日して三浦女史がもって来てくれると。大森君と話し、coffeeのみてのち細川助手の来るを待ちて、辛島博士への祝200わたし、辻村生1人を相手にして演習。吉原生と同じくよめず。現代史は河田、小野2生。
帰って夕食し、玲音荘に電話すれば小高根二郎君をり、「わがハガキ見し」と。『果樹園』は送らしたはずと。
7月6日
王子郵便局にて4,550引出す。大江叔母、佐々木邦彦画伯へハガキ。
午、散髪。14:00山本陽子来る。坂根生より連絡なしと。15:00帰りゆきしあと入浴。〒なし、珍し。
7月7日(日)
田中順二郎氏より「お中元送りし。雅子夫人、美千子坊ともに流感」と。『文学雑誌25』短大文芸機関雑誌の看を呈す。
悠紀子、京をつれて齋藤晌先生へのお中元買ひにゆく。13日の盆の入りまでにすべき由。『堀辰雄全集7』よみゐれば、われあての25年のハガキ1枚、21年の箇処に入れあり。不審(※)。
16:30夕食して神田廻りの国電にて新宿。仕方なく高野Fruits
parlourへゆけば、やがて小高根二郎君来り、石口敏郎、浅野晃、芳野清、小山正孝、広沢雄一郎、森房子、糸屋鎌吉(新入すると。広沢君も同じ)とsandwichにcoffeeにて騒しき中、20:00すぎまでをれば齋田昭吉君も来る。
この間われ十合を訪ひしあと、野田宇太郎氏来り、ついで小野円城君来りしと。20:30散会。
いつのまにやら別れ別れとなりて帰宅。(西垣脩氏『皿』創刊、忙しきもむりなし)。
7月8日
『文学雑誌』の礼状。「大安」来しのみ。弓子帰り来し故、吉野書房に電話してゆき、長尾君に会ひ(※中学参考書作成用の)原稿用紙もらふ。ワリツケもたのむと也。帰り来れば渡辺三七子、川崎宏子2生より手紙。
7月9日
吉野書房の仕事よべおそくまでやり、やっと4枚。鹿熊猛よりわび状、「社長大変」と。
けふ涼し。夕方、三越より田中順二郎君よりの砂糖5斤とどく。悠紀子bonus500もらひし由!
7月10日
中野清見君に「ゆかず」と返事。田中順二郎氏へ礼状。午后の便にて高橋秀助教授より『東洋大学紀要』に10月21日までに400×30書けと。
芳賀檀氏より7日18:30高野へゆき訊ねたが、しらずときき、帰ったと。残念なることかな。
7月11日
雨。千川義雄より『俳句作家』(元市印刷も浸水したと)。寺本和代より近況。
寺本に返事かき、京、依子帰り来り、散歩かたがた林dr.(※林富士馬)のもとへゆかんとせしところへ、平凡社より稿料1,300−195=1,105来る。
出てタバコやより林医院に電話し「1時間以内にゆく」と云ひ、ふりかへれば帝塚山高等部で教へし鶴崎裕雄生(関学経済)、「YMCAより香港へゆくこととなりゐしにvisaおくれてだめとなり、事情調べに来し」と。ともに出て大塚まで都電、『グールモン詩抄』買ひて与へ、雨やみまちて喫茶。大塚駅まで送り、taxiにのり(70)林医院へゆき、Vitamin注射してもらふ。Beerのまされて恐縮。17:00すぎ出、向原より都電にのりて帰宅。
7月12日
曇。ゆふべの睡眠不足に仕事せず昼寐しゐれば、毎日新聞の勧誘来りておこさる。
影山正治氏より『一つの戦史』と『朗詠歌集』来をり。『果樹園』にと歌5首かきしあとなり。
13:00弓子帰り来しゆゑ雨中を出て、郵便局にゆき、2,000引出し『果樹園』に500円と切手150送り、国電にて新宿。中村屋にゆき、干菓子2箱(500+400)。まづ和田先生お訪ねすれば御不在。新宿、渋谷をへて上目黒の白鳥邸お訪ねすれば、ここも不在。奥様「郁郎君の詩集(※遺稿詩集『しりうす』)印刷中」と話さる。
出てbusにて渋谷。『文芸春秋』よみつつ帰宅。池沢君より「また5部送った」のハガキ。
17:30秋山昭子夫人来訪。友達ゐるとてためらひしを上げ、悠紀子帰りしに送らす。15日西帰と(『悲歌』1冊与ふ)。桃1箱賜ひし。けふ吉野書房の仕事休み、爽快。
7月13日
久しぶりに雨やむ。午すぎ影山正治氏へ礼状。池沢君へ受取かき、王子郵便局へ誤配3通もちゆき帰り来れば、筑摩書房の海老沢君、催促に来る。
15、6日に届けると云ひ、帰せしあと不安。尾崎菊子生より「父母にすすめられ写真送る。婿見つけてくれ」と。入浴。
7月14日(日)
影山正治氏の林房雄、中河与一2氏批判のりし『不二』来る。わが訪問が機会となりしと。石浜先生古稀会より原稿用紙。
午后出て西川英夫訪ねしにbeerのまさる。帰り顔赤く、水のみてのち電車。けふも吉野書房休み。(西川この間、大江叔父に会ひ、十合商事社長となりしこと承知せしと。南氏のこと臨時雇やめて他にたのみしと)。
夜、住吉区役所中川俊雄君に本籍変更の手続きく手紙かく。
7月15日
9:30出て郵便局にて4,500引出し東洋大学。本の出しは10:30、『開元天宝遺事』『明皇十七事』『安禄山事蹟』見了りて『雍煕楽府』見はじめしころ時間切れ、もり食って(35)六義園見にゆく。12:40よりまた見て、14:00了り帰宅。
北海道へゆきしbasket部の3生よりハガキ。西宮君が顧問と。村上新太郎氏より「7月末までに詩をくれ」と。鈴木文平より暑中見舞。
午后の便にて和田先生より御中元の礼と「いそがずともよきも履歴書よこせ」と。
依子の担任橋本氏より富士銀行推薦は1日考へさしてくれと。18日より20日まで父母と懇談すると。(18日を選ぶ)。夜、「楊貴妃」9枚かく。
7月16日
千川義雄より『皿』受取ったと。弓子帰宅を待ちて出、元々社へゆけば表札もなく、齋藤氏の姪御も姿なし。
『楊貴妃とクレオパトラ』5冊買ひ(350)、古本市見て春夫『自然の童話(30)』買ひ筑摩。海老沢君に「楊貴妃」9枚と本とわたし、明治書院へゆき編集部の眼鏡かけし女史に教師用の誤植訂正わたし、『白詩新釈』もらふ(『楊貴妃とクレオパトラ』贈る)。
歩きて吉野書房へゆけば長尾君帰宅せしと。「10日間延期伝へてよ」といひ、都電にて帰宅。小高根二郎氏より受取。「同人費集りわるく16pにするやもしれず」と。
7月17日
朝〒なし。吉野書房の仕事やりてふらふらになる。屎尿汲み取り来り210円。鈴木文平へハガキ。
八木嬢より「chorusの奉仕をする」と。感心なこと也。「長沖氏、この間天理図書館で手持ちぶさたなりし」と(鈴木氏欠勤のため)。気の毒也。
『薔薇(※村上新太郎主宰)』に「バラと女」。
7月18日
八木嬢へ米田千代生のこと。訪ふ人に誰かと思えへば筑摩の海老沢氏。もはや『太陽』(※原稿「楊貴妃」)の稿料もたらしたまひし也(5,000−750=4,250)。
齋藤部長より受取。辻村久弘生、故郷より暑中見舞。
14:30出んとせしところへ史のハガキ。「25日帰省す」と。向丘高校へゆき依子の担任橋本先生に会へば「率直にして判断早きは長所にして、みなりにかまはず、人にゆづることなく、総じていへば可愛くなし」と。我によく似しとあやまり、富士銀行の身許調査票もらひ来る。
出て本郷通歩き、長尾良君に電話すれば「18:00までゐる」と。都電にてゆき、きけば「前田純敬君待ちゐる」と。17:30まで待ち、近所の喫茶店にてbeerのみ、ややに気分直りしころ19:00前田君来る。我に初対面と。庄野潤三君、都落ちの決心せしと。(長尾君に月末原稿もち来る故1万円先払ひをとたのむ)。家族に1千円わたす。
7月19日
平川唄子、辻村久弘、尾崎菊子3生へハガキ。明日10:00より「大学の現状財政に対する対策について」臨時教授会を開催すと。
川崎宏子より暑中見舞。弓子帰りしに12:30家を出て「三輪橋ゆき」都電にのり「水天宮行」にのりかへ金杉1丁目で下車、歩きて浅草。「明治天皇と日露大戦争」見る。すみて氷しるこ食ひ、上野まで歩きて国電にて帰宅。
南村和子より「夫君22日夜Singaporeへ飛ぶにつき明日電話かけ、22日の昼食ともにせん」と。増田春恵よりshirtsと靴下。
悠紀子にまた500やりしもふくれをり、依子に遺伝せし悪質。
7月20日
8:30南村和子夫人に電話すれば「今日15:00銀座小松storeで会ふ」と。出て東洋大学。誰も来らず大野教務課長に『果樹園』わたせしあと、「Anggin」へゆきて喫茶。
10:20より教授会。墜死せしは49歳の老嬢と。助教授を贈り、753万円の欠損をカヴァーするため減俸止むなしとなる。12:00一時休会。委員起草の間そばよばれ、12:45より再開。学長、常務理事の無給等を条件として減俸のむ。
(電話かかり、出れば吉田東洲氏『古今評論』の筆者、14:30会ひたしと)。13:10すみ組合の総会に出る。服部緋沙子嬢、執行委員たり!中途にて14:10となり、教務で待つ中、吉田氏来られ、salary半額14,000もらひて、きけば村松正俊教授にも会ふと。3人となりて村松教授の案内にて近くののみ屋にゆきbeer3本、村松氏におごらる。話中々面白かりし。
15:10となって別れ、氷水のみて日本橋まで都電。両国川開きにて雑踏。小松storeにつきしは丁度17:00。南村夫妻とあひ、東京駅前の住友Hotelにゆき夕食よばれ、Singaporeの体験話す。30才の青年にして自信満々たり(かつての我を見るが如し)。大阪外語中国語科より京大法科へすすみしと。20:00東京駅前で別れて帰宅。
米沢昌江より「上京する。訪ねるやもしれず」と。(研究科にありと)。中川俊雄君より「120円送り戸籍謄本2通とれば本籍変更可能」と。高田かよ子より暑中見舞。
小高根二郎氏より『果樹園19号』は22日出来と。父より郵便転送のこと。その1通、『英訳現代日本詩集』に「自殺未遂」のせてよきや否やと。(よしと返答)。(けふ西義雄博士に、花光氏のハガキわたせし)。
7月21日(日)
増田へ礼状。南村和子夫人に太田陽子夫人の姉の家しらす。高田かよ子(池元)、川崎宏子へ暑中見舞。頼永承氏より『台湾研究2』と『鄭成功史料合刊』贈らる。
浅野晃氏より『学芸手帖』に400×13を8月3日までに書けと。影山正治氏より「歌6首を『不二』にのせて宜しきや」と。林俊郎君より「祖師谷大蔵に移転せし」と。
午すぎ西川英夫君来訪。依子、富士銀行受験につき、仁谷正雄氏にまづ紹介をとたのむ。土屋文明『万葉集』もちゆく。浅野晃氏へ『学芸手帖』しめ切1ヶ月おくらしてくれと(『桃』のこと書かん)。影山正治氏へ「掲載随意に」と。
7月22日
中川俊雄君へ「戸籍謄本2通たのむ」と120円送る。けふより3女夏休み。
簡易保険料1,035とりに来る。川崎宏子より「日本生命の書類もらへることとなりし。推薦者は松本一秀君」と。小島樹氏より「そのうち会ひ
たし」と。村上新太郎氏より詩の受取。
午后の便にて中川君あての手紙に切手はり忘れし故、返し呉る。福地君の令弟茂樹君「吉祥寺の従兄宅にあり。進駐軍に働く」と。川崎、福地、小島の3氏へ返書。
7月23日
依子、きのふにつづき職安へゆく。けふも雨。
午后田中秀子より暑中見舞。『東洋史研究16の1』来り、内藤湖南先生の「游清第3記」をのす。誌代不足220円と。田中秀子に返事。
(依子、製函工場へ明日よりゆくと。「8時より6時まで働きて200円」と。あはれ)。
鹿熊猛君へ稲葉直氏のこと(去年9月19日BKにて会ひしと)。
7月24日
よべまた眠り足らず。けふ久しぶりに晴れたれど寒し。依子も出てゆきしゆゑ、弓子主婦となる。
午后『鴎外の新研究(季刊『明治大正文学研究22』)』買ひ来る。吉野書房すすまず。平川唄子より返事。羽倉啓吉氏より暑中見舞。
夕方より咽喉いたみ微熱。
7月25日
依子けふもゆく。熱少しあり。食欲はあり。小室栄一教授より暑中見舞。坂根みつせ氏より礼状。山中タヅ子生より近況。長尾良君より「現金だめゆゑ仕事中止せよ」と。
小山正孝氏より『山の樹2』。小山、小室、山中タヅ子3氏にハガキ。創元社知念君に電話すれば不在。長尾良君に電話すれば「来る」と。
やがて来しにきけば「吉野書房いよいよ金づまりて駄目」と。奥西弟に長尾近々会ひて相談するらし。
長尾出しあと知念君にまた電話してゆくと云ひ、飯田橋よりゆき、森亮君の原稿預ける。武部利夫氏の『白楽天』近刊と。これもよきことにてはなし。
出て家へ直ちに帰り来れば、留守中「大阪より」と女性来り、夕方までに帰るといへば、のちほどと出てゆきしと。米沢昌江ならんと思ひしに、果たして16:30崖上より声かけて来る。以前本位田重美氏宅へも泊りしと。「専攻科、今氏(※今東光)の時間だけ押すな押すな」と。
18:00帰りゆく。
神戸大学二宮尊道氏よりエンライト氏と共訳の『The poetry of living Japan:John
Murray』https://archive.org/stream/poetryoflivingja007840mbp
/poetryoflivingja007840mbp_djvu.txt)』いよいよ出る。稿料は払へず。わが詩『偶得』と『曠野』、伊東
の『夕の海』と『子供の絵』のせると。
鈴木登美子より「友出来なかった。卒業後の縁談きまった」と。史けふは帰らずと悠紀子早くより寝る。伊東花子氏へ二宮氏の文、転送。
7月26日
悠紀子と入れちがひに史、帰省。森亮氏、坂根みつせ氏、鈴木登美子生へハガキ。
影山正治氏より「(※自衛隊幹部の)関口君への紹介状ほし」と。
父よりハガキ。「(野田宇太郎氏「文学散歩」)田中正平博士のことは(八)にかき、昨日(23日?)付」と。浜谷照子より原田早苗と喧嘩すと。
(関口君への紹介状かき不二歌道会へ史にもちゆかす)。
住吉区役所より戸籍謄本2通。弓子に梓の死亡と同じ記載あり。我の結婚届10年11月21日。父母の同大正3年7月4日。家督相続同年6月25日と記載。
北区役所へ転籍の手続ききにゆけば、謄本2通持ってくれば宜しと。
夜半、元市印刷所主の東京見物に来て会ひに来てくれしを夢見て覚む。
(夕刊に大村諫早出水。諫早の死者2,000人と見ゆ)。
7月27日
区役所へゆき転居のこと問へば悠紀子の抄本必要と。京ひとりで古本屋さがしにゆき見付からざりしと。つれてゆき帰れば坂根千鶴子より「帰郷して20日になる」と。
小高根二郎氏より散文は700〜1,000にせんと。すでに各個に了解求めゐると!二宮尊道氏に返事出し、午后面影橋まで都電。高田馬場より西武電車、野方下車。
井上千代、田中勤夫人俊子に会ひ、系図(一郎氏写)と写真出して問ひしも知らずと。千代氏、わが母は知りゐたり。正平博士未亡人、楠弥太夫人と合はず、いま鎌倉の養老院にありと。明日再連絡することとして、中野よりbus。新宿をへて帰宅。
川久保君より在京、寄れずとて神田信夫氏の抜刷返送。志野孝子、辻芙美子2生より暑中見舞。『日本歌人』6月号、久しぶりに出しらし。8月17〜19日箱根龍宮殿にて夏行と。悠紀子、史と京をつれて西川家。
7月28日(日)
田中勤氏に電話し「14:00ごろ伺ふ」といふ。東京大高clubより8月3日(土)15:00よりNew
Tokyoにて会すると。井上恵子より暑中見舞。
13:30田中勤氏訪ぬれば昼食用意されゐしと。結局わが曽祖父わからずて了ひし(一郎翁の書かれし系図は写しそのままなりし)。
16:00帰宅。けふ33℃なりしと。夜、藤田亮策先生を訪ねまいらせしに御在宅。歓待されしも『燃藜室記述』はもたれず。昭和7年京城、朴栄部ナ『朴趾源 燕巌集』貸したまふ。
7月29日
晴。史に大学病院へゆけといふ。『燕巌集』よむ。藤田幸子夫人より暑中見舞。父より布施税務署の27日の呼出状と日本生命より「8月2日頃集金に来る」との通知転送。『果樹園』第19号15冊。井上文夫、野崎その2氏より暑中見舞。
夜、林富士馬氏へ氏とともに診断書受けにゆき注射投薬たまふ。(けふ史、柏井の戸籍抄本とり来る)。小高根、辻芙美子、藤田幸子の3氏へハガキ。
7月30日
京つれて散歩。9:00になりしゆゑ区役所へゆき、大阪市住吉区万代西4の20より東京都北区岸町1の7へ本籍移りしこととなる。(京に盆栽買ってやりし)。
鶴崎裕雄生よりこのあひだの礼状。川久保、志野孝子、坂根千鶴子、井上文夫、野崎その、井上恵子、鶴崎裕雄へハガキ。住吉区役所中川俊雄君に報告。
午后、健康保険証とりに東洋大学へゆく。知人の事務出勤は服部紗智子君のみ。8月10日ごろsalary出るやもしれずと。暑中見舞。塚本p子、天野美津子、小山正孝の3君より。
(正午頃より腹痛と下痢)。夜半のめざめ慄然としてport-wineのむ。
7月31日
晴。暑し。塚本、天野2女史へハガキ。小川和、瀧口喜久子、岩佐東一郎、田中雅子、東井恵美子、志野和子の諸氏より暑中見舞。笠野芳子生(2部)より「なつかし」と。花井彩より「北海道旅行、あす日本女子会館に宿泊」と。中野英夫氏より「雪ケ谷departに開業」と。
岩崎昭弥より「服部三樹子氏の歌集『瓔珞』を出しやる」と。小高根二郎氏より「印刷所かへ安くなった、上村氏(※九州諫早の上村肇)の災害は、問合せ中」と。
岩崎君へ「(※『瓔珞』を果樹園)双書編入よろし」と。中野、小川、滝口、岩佐、東井、笠野の諸氏へ返事。
王子郵便局にて1.5万円出し、500円もちてお茶の水。元々社へゆけば『楊貴妃とクレオパトラ』9冊のみありと。借用証かきて(630)みなもらひ、西川にゆき、富士銀行仁谷氏に電話かけてもらへば他出と。
暑き中を大手町まで歩き、産経に田中順二郎君訪ね、「暑きゆゑ訪ねられず」と云ひ、みち教はりて共同通信に田浦氏訪へば、18:00出勤と。向ひの東京新聞に西寛治氏訪へば論説委員となり他出と。
田村町にて白鳥先生に電話すれば「けふはおそくまで帰宅されず」と。あしき日なり。新橋より国鉄にて帰宅。
須永梅尾講師より暑中見舞。夜、京と弓子つれて上十条へゆき、赤羽をへて帰宅。
8月1日
晴。9:20白鳥先生電話すれば、御在宅「来よ」と。小高根君に電話すれば、玲音荘に未着と。国電にて上野、また電話して(※小高根二郎へ)「ゆく」と云ひ、訊ね訊ねしてゆけばゆっくり時間ありと。『果樹園』を休むこといひ、出て地下鉄にて渋谷。白鳥邸へは12時前につく。
アジア文化研究所の設立は北アジア学報にありと。解散は20年8月末とせよと。名誉研究員の期間は在職としてよしと。吉岡永美氏とは仲直りされしと。郁郎君の詩稿見せられ「母に」の1篇みて不覚にも落涙。「明智光秀」なる脚本、文学座にみせしに、やがて福田恒存?作として公演となりしと。
校正見ることを約して出、祐天寺駅前でそば食ひ(鮎川義介氏の金にて研究所設立運動中と)、渋谷に下車。青年座訪ぬれば「大は千葉県にをり、4日頃帰京」と。
帰れば前川氏(※前川佐美雄)より「箱根の歌会に来よ」と。松原純一氏より「角川書店やめた」と。林良子生「北海道より5日ごろ上京、叔父宅に泊る」と。伊東花子氏より「諫早は人命に被害なかりし」と。林富士馬氏より史またよこせと。
父より田甚(※田中家)の第一代は他より養子、第三代が甚城(※祖父)、その妻は船越の出と。
18:30女子会館に電話せしに、大阪府立女子大生未着と。20:30また電話すれば花井生をり喜ぶ。
8月2日
弓子、八木嬢にハガキ出す。『古今評論』来しのみ。
午后、西宮一民君より原稿用紙と宝文館の手紙転送。西宮、小山正孝、林富士馬、田中勤の諸氏にハガキ。
午后、花井彩嬢来訪。「姉嫁ぎてすぐ帰り来し」と。三好達治を卒業論文とせし女子大生なりし。15:30京と3人にて上野より浅草にゆく。京と握手して別れし。(飴賜ふ)。史、帰京したしと。
8月3日
晴。史、青木(※叔母宅)へと出てゆく。文学部長より臨時教授会を5日(月)10:00よりと。暑中見舞。友井啓輔、山本実子、関田淑子、百済璋子、原田比富より。太田陽子夫人より「上京せざることとなりし」と。
午后、原水爆禁止協議会に出席せよ、旅費支給すと。自然科学者とまちがはれしらし。東順子より見合して成りし様子。15:30入浴。夜、散歩。
8月4日(日)
悠紀子日曜出勤。三浦久子氏より「salaryの半ば出し。もち来らん」と。松本一秀君より「川崎宏子生の受験許された」と。
依子炊事し、散髪し写真とる。われも散髪。12:00に5分前、郵便局へハガキ買ひにゆき9枚かく。
史、大に電話せしに不在と。明日あたり西下したしと。夕方、京と散歩。
8月5日
9:30出て東洋大学。7月分のsalary後半14,000もらふ(70周年醵金引きあり)。教授会に川西学長、小野常務理事出席、9月より月給下ることきまり、「削減に関する基本方式」なるもの示さる。村松教授発言す。
12:30休憩。「Anggin」にゆきcoffeeとtoast。帰り来れば蕎麦出ありし。8月のsalaryのあてどなしと。
14:00出て神田、波木井書店にて幣原坦『極東文化の交流(50)』、長野朗『支那辞典(10)』、『和漢朗詠集註解(80)』買ひ、note7冊(100)買ひ、神田をへて帰宅。
京大より「9月21日迄に授業料4,500払へ」と。涌井千恵子より「壷井氏の著書多しとは思ひ違ひ」と。梅田惠以子夫人より『悲歌』受取りゐると。
杉本長夫氏より『果樹園』見たと。富士鋼業より暑中見舞。二宮尊道教授より『果樹園』の講読方法しらせと。森亮氏より「矢野峰人先生の仕事やりゐる」と。
悠紀子、体わるしとて早退しをり。米田よりの便りなし。このごろ全逓の休暇闘争中なり。
史にArbeitをたのむと、坪井、硲、殿井(小林政とは父の友、與謝野夫妻の友、小林政治翁か)、奥西、高鳥の諸氏へ依頼の名刺、羽田へ手紙かく。
夜半にねがたくたより来ぬひとをうらみて痩せし身をねじりくねらせ床にをり。
かの子かの日に忘れじといひしをつゆもうたがはね 路のとほさよ運の尽き。
菊つくりしちちうへはいまは亡き身となりにしか やさしき母ぞなかなかにこひのさまたげなしにける。
8月6日
史、悠紀子8:00出てゆく。母子別れに何もいはざるはふしぎ也。山口玲子より「十合にて愉快」と。吉岡信子より暑中見舞。
11:00出て秋葉原。亀戸をへて堀留橋行busにて高野家訪ぬれば、明子君2児とともにをり、母上よりのハガキにて「八木嬢8日頃上京」と。勝美君、労組の住宅委員と。
出て村田幸三郎君の玉村式索道KK訪ねしに不在。錦糸町駅前でrice-curry食べて帰宅。
枡田紀子夫人、東孝子嬢より暑中見舞。入浴すまして出れば京、まちをり「来客」と。帰れば坂根千鶴子君。「昨日、大に電話せしに9月まで待てと云はれし」と。誰にも会はず帰り来し模様。
悠紀子帰るまでをり、夕食して20:00帰りゆく。悠紀子近くの医師に見させしに過労と診断。
夜、筑摩書房より速達。詩集410行と。
8月7日
8:30出て東京駅。西川に電話かけてもらひ、仁谷正雄氏に会ひにゆく。30分またされ『楊貴妃とクレオパトラ』進呈、依子の受験のこといひ、たのめば「身体検査むつかし」と。帰宅すれば長尾良君来りしと。電話して「15:00ゆく」といふ。増田春恵より「富士鋼業不況にて今年中には必ずやめて上京し、就職さがす」と。
福地邦樹君より『コギト』の欠本、送るゆゑしらせと。
暑中見舞転送。石田英男、古川文吉とともに南河内より。千川義雄より『俳句作家』、平凡社より「ケ茂七」と「図書編」を9月20日までにと。
枡田、吉岡、東、山口の諸生へハガキ。
20.9cm×15.0cm 横掛ノートに横書き
8月8日
郵便沢山来る。北海道より宇都宮和子生「13、14日東京に滞在、訪れる」と。
暑中見舞。山本敬子、藤原由子、新坂久子(康子生の母)、川勝禧子、向井順子、西宮一民、四方綾子、井上達三、丹羽千年、瀧川恵美子。
広沢雄一郎氏より「小説56枚も書きし」と。永井、里井2生、蓼科より。三浦久子氏より「9日18時ごろ訪ふ」と。
午后、笠野芳子生より『悲歌』の礼状。(小山正孝氏より『詩集西康省』の選、「(※長篇でも)「西康省」を入れよ」と。井上京子生より「自律神経障害にて療養」と)。
岩田生より5日出せしハガキに「11日(日)訪問するにつき地図しらせ」と。
速達出しにゆき、窓口に夏季闘争の衆知せしめをられざるを難ず。
(角川書店越智宏氏より『日本古典鑑賞講座』22巻の「蕪村・一茶」に「孤愁の詩人」20枚(400円×20)を9月10日必着で書けと)。
史へ「蕪村関係の本ありなししらべてくれ」と。
8月9日
曇。風邪ふく。『詩人学校84』に小林英俊「good-by」をかく、あはれ。
暑中見舞。北野徳治氏、清水文子、中千枝子より。大森志郎氏より『学芸手帖』の原稿25日までに14枚までと。栗山理一氏より「角川よりたのんで来たらきけ」と。
小林英俊氏に見舞状かく。角川の越智君に電話して「書く」と返事す。
午后、八木嬢、妹明子氏と坊やつれて来り、明子氏はすぐ帰りゆく。明日より目録の論文かけとすすむ。疲れたりと。
夕食せしめしところへ三浦久子氏来り、詩を見す。やや宜しきと1篇をおかし、八木君の帰りしあと話しゆく。「明日より西那須野へ帰省、17日ごろ俸給準備のため帰京」と。
午后、兼頭淳子より暑中見舞。(八木嬢、松坂屋の商品券1,500賜ふ。渡辺三七子生よりwhite-shirt仕立券付きたまふ)。
岩崎昭弥のハガキも来ありしを発見、「服部三樹子の歌集出す」と。手ごたへなかりし!
8月10日
大森志郎氏へ『学芸手帖』の原稿を8月27、8日までのばしてくれと。前川氏へ「箱根へはゆけぬ」と。浅野氏へ「箱根へ行ってくれ」と。
平凡社へ「ケ茂七」と「図書編」書かぬと。栗山理一氏に「蕪村」引受けたとハガキ。
篠田統博士より「今度はおちつけさうか」と‼
根木薫生、末吉栄三より暑中見舞。田中保子よりbasketの報告。
八木嬢15:00来るまで吉野書房の仕事ちょっとやり、来しに目録ちょっと手伝ひ、「泊れ」とすすめ、中央郵便局へ電話かけさせ、夕食して飛鳥山へ散歩。就寝前ちょっと仕事す。
8月11日(日)
八木嬢11:00帰りゆく。〒なし。16:30みな数男宅へとゆく。田中保子をほめ、増田春恵にお説教の手紙かく。23:00悠紀子ら帰来。
8月12日
晴。浅野氏より「箱根へは行けぬ」と。
小高根二郎氏より「諫早の上村氏(※上村肇)、母、夫人、2女、3女と4人失ひ、長男、2男のみのこりし。カンパ100づつす」と!哀れなることかな。
秋山昭子氏より「四日市の社宅不便」と。千川義雄、田中令子、薄昭子より暑中見舞。
12:00出て東京駅大丸へwhite-shirtの仕立ゆけば23日出来と。
神田にゆき吉野書房に寄りしも長尾良君不在。鶯谷より上野を散歩して田村実造博士に遭ふ。「学術会議よりの帰りにて明日ドイツへ出発」と。
帰宅すれば井上恵子より砂糖。岩田生と又1人(あとにて増田久美子とわかる)来り、cookieおきゆきしと。
夕食して電話すれば(倉敷紡績天沼寮)、増田生20:15にて帰阪と。岩田生に来よといへば来り、飛鳥山の盆踊りにつれゆき泊める。
けふ鍛治初江君より暑中見舞。
8月13日
晴。きのふにつづき風吹き涼し。岩田生11:00帰りゆく。寺本和代生より「手製の品送りし」と。貯金通帳帰り来り、28,615と利子115つきをり。
午后、王子神社の夏祭を通りぬけ郵便局にて3,400引出す。
東亀太郎氏、井上恵子、渡辺三七子へ中元の礼状。小林英俊氏より「体重9貫となりし」と‼『滋賀詩集』2冊来る。わが詩3篇をのす。
岩田生の妹、市村伎餘子、沢井幸樹氏より暑中見舞。藤野一雄君より送り状。鍛治、岩田生の妹へハガキ。
8月14日
晴。暑し。郵便局へ8円切手30枚買ひにゆき、帰宅すれば八木嬢来てをり、筑摩書房の原稿つくらす。長尾良君より「15日連絡せよ。150〜60枚にせよ」と。
渡辺三七子より手紙。穴川裕代より相談。井上幸子より「新田ベルトにつとめし」と。服部紗智子君、北海道より。上田阿津子、堀内節子、楠戸規美子より暑中見舞。三木、重谷、山下、大谷4生岡山の鷲羽山より絵ハガキ。
小高根君に切手8×30と500を送る。100円は上村君のカンパ。140は売上となり。
『骨』12号、形をかへて出る。梅棹君も加はりしと。中々よろし。
八木嬢の仕事16:30ほぼ片付き、出んとするところへ宇都宮和子、尾崎菊子の2生、北海道の帰りとて立寄る。上十条に下車して尋ねまはり、17:00に会ふ約束しゐるとのことに、平常着のまま送りに出て東京駅。喫茶店へつれゆき、支払はす。尾崎生、写真を送り来ると。
帰りて筑摩書房の原稿に略歴200字を付す。
8月15日
朝、目ざむれば悠紀子もはや出しあと。ゆふべ2:00まで吉野書房の仕事やり92枚とせし也。朝また一寸やる。
前川佐美雄氏より「(※箱根行の際に)東京へは来ず、夫人のみ1、2日滞在」と。
12:00出て筑摩書房へゆけば、東博君、昼食に外出と。やがて帰り来しと会ひ、原稿わたし、箱根へゆかざるとことわり云ふ。土井氏にも遭ふ。
神田駅より長尾良に電話し、「つらくて(※分量)のばせぬ」と云ひ、鶯谷、駒込より六義園。歩きて上野に出て帰る。
けふは終戦記念日なり。梅垣安子女史より「この間、上京してゐた」と。深更めざめ穴川裕代へ手紙。
8月16日
悠紀子休暇、松坂屋へとゆく。松本一秀君より日本生命東京総局受験手続しらすと。田浦義光氏より「会ひたく電話した」と。「森武二郎写真技師、自動車事故で死んだ」と!
城戸慶子より暑中見舞。本田晴光氏より「上村肇氏なぐさめたし」と。
佐々木満禧、辻本(成尾)禧紗子、南部英美子諸生より布施へ暑中見舞。
14:00長尾良君に電話して吉野書房へゆき、前金貸せといひしに出来ずと。茶おごられて帰宅。
山本陽子、宮口時喜子2生よりたより。(けふ吉野書房より田浦氏に電話「その中あひたし」といふ)。寺元和代生より布来る。
8月17日
21日(水)10:00より臨時教授会の通知。
12:00出てトロリーbusにて亀戸。高野家訪ね、八木君にArbeitにたのみしに「明子君の手伝ひにて来られず」と。悠紀子、毛糸編み機を借り来る。中島悦子生より残暑見舞。和田節子夫人より「鍛治君、近々上京」と。
8月18日(日)
悠紀子、日曜出勤とて出てゆく。花井彩より礼状。加藤順子より「18日から26日まで福井県高浜にて合宿」と。
増田春恵、富士山頂よりヱハガキ。井上暁子、橋本(宮沢)
弘子より暑中見舞。小島樹氏より「21日より25日までの間に来訪」と。
川久保より「16日上京、月末まで東洋文庫に通ふ」と。小島氏へ「25日(日)午后お越し」とハガキかく。『文芸春秋』9月号買ひ来ってよむ。
8月19日
川崎宏子より「日生を山内和子も受験、一度会ひに来る」と。午后、鍛治富子より「白馬に登りし」と。
八木君来り、「岡田温整理部長に転任たのみし」と。夜、履歴書かく。
8月20日
八木嬢と話す。「早く天理をはなれたかりし」と。意外。
11:00ともに出て谷中墓地を見る。他日再び訪はん。暑し。
筑摩書房の東君に電話せしに欠勤と。尾崎菊子より「帰阪、父母よろこびゐる」と。
大東塾より「25日(日)14:00より14烈士12年祭に出よ」と。
福地君より『コギト』欠本送った、大東dr.小型自動車を買はれしと。
小高根二郎君より「名誉同人となり時々詩を送れ、岩崎昭弥とも会った」と‼
増田春恵より「わが云ひしこと承知した」と。羽田明君より「史、訪ねた」と。「しばらく辛抱せよ、吉野書房は中大へ100冊送りし」と。
岩田生より「橋のところにて泣きし」と。史よりノート6冊のみ来る。
わが愛するものことごととりあつめ焦くる日迎へをらんとぞ思ふ。
8月21日
協議会にゆけば齋藤部長神経痛とて佐久間教授が代理。定員数に達せず流会となりしあと、理事「会ひたし」といひしを拒否す。Salary出ず。文学部の不協力の為といふらし。大島理事の名をはじめてきく。善隣協会の大島理事?
村松教授より住所きかれ、『楊貴妃とクレオパトラ』1冊贈る。われと同じく4月新任の地理の浅井治平教授と話す(身体不自由の老人也)。
辛島博士より村上君の時間2時間もらふことを話さる。また夜間の特殊講義なり。不可解。
帰宅すれば青木弥与子箱根より。15:00民子叔母より「家賃5千円ときまりしとて、1度くるゆゑ地図教へよ」と。新坂康子より花井生にききしと。妙高より山本?佐々木2生。筑摩書房の東博氏に電話すれば「前川夫人、五味康祐邸にあり」と。電話してあす五味邸を午后に訪ぬることとす。
入浴の帰り、京、迎へに来り、八木姉妹来訪と。帰れば八木君「けふ大和号にて帰郷」と。名残惜しく香水1瓶を贈る。Tobacco賜ふ。
送り出して夕食後、履歴書かきしに旨くゆかざれば、東京駅にゆき乗車口に待つ中、高野夫妻と現はれし八木嬢にたのむ。22:30発の汽車、21:30改札開始と。21:00高野夫妻と帰り来る。
笑まひつつ去にし姉ゆゑ妹のすまながりたるこころかなしも。
大東塾十四烈士十二年祭
天つ日も光けしぬるくやしさによよぎがはらにゆきしひとはも。
やまとだまかくこそありけれといさぎよくよよぎかはらにゆきしひとはも。
8月22日
歌2首墨書して大東塾へ送り、12:00まへ早昼くひて池袋。西武depart休日とて迂回して東武departへゆき思案にあぐみて月餅(330)買ひ、五味康祐邸へゆく。
池大雅の絵かけ、夫人は前川夫人の従妹と。Beerよばれ「保田の恋愛うそ」との話きき、庄野潤三氏渡米ときき、電話すれば「26日夫人同伴出発」と。
あとにて電話かかり来よとのことにゆき、夫人と話し、潤三氏と話す。Ohio州GambirのKennyon大学に1年入学と。『バングローバーの旅』貰ひ、井荻へbusで出、高田馬場をへて帰宅。
東洋大学長より24日(土)15:00懇談会に出席を命じ来る。
高松直子より手紙。福地邦樹君より『コギト』欠本9冊。
8月23日
井上睦子より速達、用なかりし也。平凡社より「9月1日までにてよろし」と!乾武俊より『現実』なる雑誌来り、「戦後の詩の中に現代詩に反発し、時には反発も与へずに過ぎてしまふ」ものとして田中克己「現代風景」(※昭和30年『骨』10号所載)を挙ぐ。ご丁寧なこと也。
12:20東洋文庫へゆき、田川孝三氏に面会もとめ話きく。「すべてを朝鮮におきて来し」と。すみて川久保に会ひ、「西王母」の資料とり、松本に電話せしめて会ひにゆく。池袋へ出て喫茶店にて19:00となり帰り来る。
尾崎菊子の母上より履歴書「姉の嫁ぎ先は近鉄自動車部業務課長松村英治氏」と。伝田雅子、田中文子より残暑見舞。
夜半、「西王母」かきはじむ。生活の不安をややに感ずれば也。
8月24日
睡眠不足にて苦し。書店へゆき『中央公論』の巌谷大四の文を松本善海よりききゐしとてあけ見しに、「現代詩人会」とかに出席のことのみ。
王子郵便局で5,000引出す。浅野晃氏より『現代に生きる』を賜はる。
午后、八木嬢より「無事帰宅、東京駅でわれらがうしろ姿見て泪ぐみしと」!
苦しければ夕食たべてのち林富士馬dr.に注射うちにゆけば『文芸日本』の会に出席と。夫人に注射していただき豊島区役所の隣の会館にゆけば、中谷孝雄、外村繁、榊山潤の3氏列席。会費50円もたず林氏に借る。外村氏の新著の批評会。やがて牧野吉晴氏、金子光晴夫妻来会。色紙かかされて21:00散会。林氏に都電まで送ってもらふ。
夜半までかかりて「西王母の歴史」28枚書き了る。うれしく憂鬱なくなる。けふ尾崎菊子の写真来る。
8月25日(日)
けさ9:00起床。わりあひ快し。郵便局へ「西王母」を速達しにゆく(33)。浅野晃氏へハガキ。尾崎菊子母上へ手紙。金子多美子氏より残暑見舞。
13:00小島樹氏来訪。二松学舎を出て兵隊たりしと。月餅たまひ、愉快げに話しゆく。民子叔母、史へハガキ。八木嬢へ手紙。
8月26日
依子、弓子ともに出校。長尾良君来り「31日までに金出す」と。書くこと承知し、藤井(萩原)美知子夫人の残暑見舞見て昼食後、新宿をへて鍋屋横丁に鳥山喜一教授邸さがしまはり、ゆけば不在。本と菓子おき、都電にて荻窪。国電にて三鷹、浅野建夫君訪へば往診。まつ中、帰り来り、「も少しまて」とまた出てゆく。この間の医師もはや相手きまりしと。雛子夫人は尾崎正一郎氏を知りゐると。21:00まで御馳走となり、自動車にて駅まで送られて帰り来る。
『太陽』来り、尾崎菊子生よりまた手紙来をり、「宇都宮君、朝日新聞社員と縁談きまりし」と。硲君君より残暑見舞。
8月27日
よべ2時ごろまでかかりて『太陽』よみ了る!服部三樹子氏より歌集のこと、「小高根二郎君も序文書く」と。
専任教授連合会結成準備会より「31日14:00第2回総会」と。浅野夫妻に礼状、菊子生の手紙を同封す。松本一秀君に人事課への紹介たのむ。
午后の便にて若狭和田より住山重子生とbasket部生。山本夏津子、清水、田中の3生。山本実子より「電話かけないで帰阪した」と。大森志郎氏より「原稿受取った、挿絵教へよ」と。
16:00三浦久子氏、俸給4,000と葡萄ともち来りたまふ。川久保に電話せしに「帰心つき、忙し」と。
8月28日
晴。青木弥与子へハガキ。福地邦樹君に『コギト』4冊。
8:40出て王子郵便局、史へと6,100送る(60)。向原まで都電、林dr.に注射たのみ、この間の50円返却。近所と喧嘩して患者へる由。
帰れば浅野晃氏より「九州へゆきゐし」と。午后、八木嬢より履歴書2通、おのが履歴書も送りしと「太りたまへ」と。
『薔薇36号』(「バラと女」をのす)。入浴。
8月29日
小高根二郎氏より速達、「上村肇氏上京、親和銀行東京支店にあり」と。電話すれば「11時30分たちよる」と。
筒井護郎より「29日(28と見ゆるも28日出しなり)18:00新宿駅中央線上り急行ホームへ来い」と。涌井千恵子よりゴタゴタと相談。八木嬢より「手紙見た。タバコ代送る」と1,000‼ 東洋大学長より2日より開始、印おせ」と‼
上村肇氏に5回電話して通じ、髭そりて銀座資生堂へゆけば、直木賞穂積氏?と話をり、十合へ案内すると出し途中、朝日新聞に寄り、安西均学芸部次長と会ふ。職員食堂へつれゆかれcoffeeのまさる。「わが転任知らざりし」と。
別れて斎田君「野田宇太郎氏との雑誌にかはらんとす」と。別れて有楽町駅より蒲池歓一氏に電話し、taxiにてゆく。近所のとんかつ屋へつれゆかれ、beer小山正孝君に電話して来てもらひ、17:00となりしに別れ告ぐ。諫早の洪水は電撃的にして、しらぬまに天井につかへしと。
まだ悲しむひまもなき様子なりし。
新宿へとゆく途中、八木嬢へと堀口大学『白い花束(50)』買ふ。(蒲池氏に穎原博士『蕪村』借る)。17:30より18:30まで待ちて筒井来ざるに苦笑して帰宅。八木嬢に礼状。筒井に残念とのハガキ書く。
8月30日
よべ少眠にて苦し。東洋大学労組より規約。午ねちょっとせしらしく(taxiにのるゆめ見た?)そのあと京つれて散歩。ホリーダネス『印度の歴史と社会(40)』買ひ、八木嬢に本送る(24)。
帰れば松本一秀君より「川崎、学科面で通りし」と。東京総局人事課長成尾重蔵氏と平島一氏とに紹介の名刺。川崎生よりも「電話でしらせてくれた」と大喜びのハガキ。鳥山教授、箱根より礼のヱハガキ。村松教授より『国民文庫』。
8月31日
8:30家を出て都電にて日本橋。高島屋内の日本生命にゆき、成尾人事課長に会ひ、願書もらふ。「10人に1人の及第にてむつかし。松本は酒好き」と。西川に会って報告し、東京駅より国鉄にて帰宅。
安西均氏よりハガキ(『西康省』を少年の時よみ賜ひしと)と『花の店』。『文芸日本』7冊。
散髪して昼食し、東洋文庫へゆき吉田金一氏に会ふ。『籌海図編』見る。平凡社『百科事典』のため也。
13:30すみて登学。三浦久子氏に会ひにゆけば「けふ15:00俸給の残り出る」と。「萩原葉子氏、いつでも会ふといひ玉ふ」と也。
専任教授連合会の第2回協議会に出て、郡司博士の司会にてうまくゆく。一ノ瀬弁護士の糺弾その他、法学部に問題集中せし。18:00すみて肴町にてすし食って帰宅。
けふ学校へ来ゐし天牛南店中谷政一氏のハガキ見し。「花光健三氏よりききし」と。辛島博士「1単位?をわれにゆづること確定」と。令息昇君、天理図書館見学の便宜はからへと。
渡辺三七子、大道裕子より手紙。父より「史、退屈しゐる」と。長尾良君14:00ごろ来りて未了ときき、連絡せよと云ひて帰りしと。夜、『文芸日本』よむ。
9月1日(日)
朝より平凡社百科事典のため「ツェワン、アラプタン」と「籌海図編」かき11:00速達しにゆく。(島居清君へ「辛島昇君よろしくたのむ」とのハガキも同時に速達)。
青木陽生より「倭周蔵君、帰朝しゐるにつき電話してくれ」と。大より青年座公演にその作「女優の死」をやると招待状(10日18:30神田一ツ橋講堂)。
知念栄喜氏より創元社編集会議にて「古風」といはれ、(※森亮氏の)原稿返戻すると!
午食の後、京をつれて十条へゆき『蕪村』さがせしも見当たらず、『伊東満所(70)』買ひて帰宅。夜、朴趾源『燕巌集』を抄し、吉野書房ちょっとやる。
9月2日
吉野書房やりゐれば長尾良君来訪。「困ってゐはせぬかと来た」と。金つきゐるらし。
史より「蕪村見付からざりし」と。大東塾より礼状。東洋大学より教室変更の通知。
長尾とともに出て神田。Toastとcoffee(220)。別れて有楽町。東朝に安西均氏訪ひ『果樹園』と『悲歌』と贈り、十合にゆき斎田君に『果樹園』わたし、別れてお茶の水『蕪村句集(30)』『蕪村七部集(40)』見付け、小田急梅ヶ丘。和田先生お訪ねすれば「東洋文庫へゆかれし」と。われも行かんとせしも思ひ返し、下北沢下車、古本屋3軒見る。アテネ文庫『蕪村(20)』見付かる。
経堂へ行き、小高根君(※小高根太郎)訪へば在宅、学校は明日よりと。17:30ラーメン食ひ、古本屋2軒見て梅ヶ丘。
和田先生お訪ねすれば帰宅されをり、「聖心女子大1,500を白鳥先生の10,000と合せてゆづらんと思はれし」と。業績表出せと。仁祖時代の満鮮関係やりたしと申し上げ、夕食用意したまひしらしきにあはてて辞去。帰宅すれば21:00。
史より『世界名詩選2冊(〒70)』。知念君より森亮氏の原稿。佐々木邦彦君より展覧会の案内。筒井護郎より「29日16:10より30分待ちゐしと」と。Platformちがひしならん。
子ら今日より学校、悠紀子けふより在宅。
9月3日
4:00寝覚めし、起きれば10:00。朝食し、平凡社より原稿受取のハガキ見る。『文芸日本』への礼状。倭周蔵君へ帰朝祝賀、青木陽生へ
「連絡した」とハガキ。薔薇短歌会より「20日までに詩をくれ」と。吉野書房の仕事、現代史を残すのみとなる。夜、著書論文目録を作り、ほぼ出来上る。
9月4日
晴。また寝覚めしてねむし。母より「大に7、8月分(※仕送り)催促してくれ」と。前川緑夫人より礼状。
12:00出て国電有楽町より松屋にゆき勁草展見る。「佐々木邦彦画伯、1日に来るといひしに来ぬ」由。それより三越にゆき青龍展を見、日銀に鎌田正美君訪ね、富士銀行への紹介たのみしに「もう1人たのみしゆゑ駄目」と。
出て都電にて東洋大学。大森君と話し(三浦女史「15日のラマンチャの会の日、萩原邸へゆかん」といふ)、教授会。
村上君の時間の中、昼の特講演習われに来るとて鳥山教授に礼いふ。夜も概説来るらし。理事不信任案出さんとの堀教授の発言にみな困惑せし。小室、宮崎両教授に礼いひ、支那そば食ひ夜学待つうち、渡辺講師(※渡辺道夫)来り話す。「唐末の藩鎮が専門」と。意外!
川久保より「帰宅せし」と。山本夏津子生よりハガキ。
9月5日
晴。疲れて目覚めしは10:00。福地邦樹君よりハガキ。「教師に適してゐる」と。午后の便にて上村肇氏より礼状。椿下清子より『太陽(※「楊貴妃」所載)』よみしと。
夕方入浴。疲れゐる。川久保悌郎、竹内好の2友へハガキ。吉野書房の仕事、本文あと1日?八木嬢にハガキ。
9月6日
(安村)今市夫人より「来年2月出産につき副手やめる」と。「夫君10月12日頃上京」と。
午后の便にて能登川の池田夫人千代子氏より『太陽』よんだと。八木嬢より「出納にまはされし」と。
16:00東洋大学。演習用のprintを切り、大森氏にたのむ。芳賀檀氏に会ひ、Pen-clubで忙しと。
夜学2時間とも学生来らず。この間(※教授会で)hystericになりしは教育学の堀秀彦教授。「あまりに無責任だからわざと乗ってやった」と。雨の中を帰宅。
9月7日
夜明け寝ざめし、朝食後ひと眠りし、覚めれば11:00。『果樹園』20号15冊来をりし。長尾良君来り、「頁数すこしふやせ」と。今日、明日中に本文終ることをいひ、『果樹園』5冊を三浦久子氏に(16)、1冊を安西均に送りにゆく。
(けふ尾崎吉子夫人に医師の件、だめなりしことをしらす)。午后より雨。夜より台風雨。
吉野書房の本文、第2次大戦までゆき131枚。依子けふArbeitの金とりにゆき1,000もらひしと。
9月8日(日)
硲晃氏より「大阪に家庭教師あり」と。川崎宏子より「入社通知もらひし」と。坂根みつせ氏より「果物送った」と。関口八太郎君より「ご無沙汰しゐる」と。和田賀代より悠紀子に「高田外語(37-7669)につとめゐる」と。
午すぎより胃痛してねたまま仕事せず。夜、岡本医院へゆき注射と投薬受け、絶食して眠る。
9月9日
朝、ねたまま。午、粥食べる。村上正二君より「講座ゆづる」との手紙。東洋大学より「試験について申告せよ」と。
夜、悠紀子をして松本善海に村上正二君の見送りについて訊ねさせしに「東京では見送らぬが普通と!」。
けふ坂根みつせ氏より梨1箱届く。坂根氏へ受取。硲氏へ礼状(悠紀子をして史に連絡せしむ)。
9月10日
村上正二君に電話すれば夫人出らる。「見送りできず。代講承知した」といふ。三浦久子氏より受取。東洋大学専任教授連合会より「14日(土)14:00出て来よ」と。薔薇短歌会へ(※詩稿)「秋山」。
青年座「女優の死」看にと悠紀子やりしあと、坂根、山本陽子の2君来り、14日(土)夕、3人にて看にゆかんと。大に切符都合せよとの名刺を坂根生に托す。
22:00悠紀子帰り来り、2/3の入りなりしと。主人公の名「克己」と。
9月11日
また雨。前川佐美雄氏よりハガキ。毎号書けと(7枚くらゐ)。
13:00登学。大森、三浦2氏に会へず。大野課長に会ひ、長尾君に電話し、「明後日ごろもってゆく」と云ひ、須永助手に会ひ、眠くてたまらず、角川書店に電話すれば係、齋藤君と。20日印刷屋へもって参ると。教学課に夜学休講をとどけて帰宅。
父より兼頭父君死去と。奨学金まだきまらずと。清水文子より猫の写真。田中秀子よりハガキ。『文芸春秋』10月号を悠紀子に買ひ来さしてよむ。
9月12日
雨のち曇。吉野書房の仕事をつめてやり、ふらふらとなる。角川書店齋藤氏より催促のハガキ。堀内民一氏より『まめ山三里』。
夜、林dr.にゆき(下痢)投薬、注射してもらふ。21:00中野清見より電報「14ヒ1ジベンゴシカイニテアイタシナカノ」。
9月13日
曇。下痢してだるし。9:30長尾良君来りし故「今日午后もちゆくつもりなり」と云へば、午后留守「明日来よ」と。あと寝んとせしがだめ。
15:00登学。試験届出し、業績のtypeを大森君にたのみ、三浦女史に「萩原家へ行けず」と云ひ、研究費3,630もらひ、夜学の休講とどけて「Anggin」にてcoffeeのみて帰宅。(鳥山教授に会ふ)。
けふ〒なし。2,000悠紀子にわたせば、依子とradio買ひに行く。(依子日本生命の入社試験にゆき、問題やさしかりしと。女子350人
位来しと)。
9月14日
史より「(※アルバイトで)硲さんのお世話になる」とのハガキ。昨日来りしらし。小高根二郎君へ切手で160送る。
10:00吉野書房の仕事ひとまづ了り、国電にて吉野書房東京支社にゆき、長尾良君より前金2万円貰ふ。
村田幸三郎に電話せしも不在。busにて九段下までゆき引返して山本書店にて王瑶『白居易(80)』、辛文房『唐方子伝(120)』、堤留吉『白楽天(450)』買ひ、他にて清水孝之『蕪村の解釈と鑑賞(240)』買ひ、都電にて日比谷。
第一弁護士会へゆけば、丸のみをり、toast食ひ、中野清見来しゆゑ少し話し、丸と出て有楽町にて「最後の突撃」とやら見て時間つぶし、資生堂にゆき、中野と某女史とに落合ひ、西川に電話し、重役祝を早めに始むることとし、本郷蓬莱町までtaxi(280)。西川丁度来り、18:00までbeerのみて一ツ橋会館へゆき、坂根、山本陽子2嬢に会ひ、大いに食ひ、たのみて引返し、20:00までbeerのみて三筋町のbarへゆきしあと、西川と菊坂までtaxi。別れて都電にて帰宅。
硲氏より「史に会ひし」と。八木嬢より「今のところ心配なし」と。吉田恵氏より王瑤『李白』の訳。訳詩下手なり。
けふ関口、山本治雄へ寄書す。帰りて入浴して体重はかれば40kgありし。
9月15日(日)
吉田恵氏へ礼状。八木、硲2氏へハガキ。〒来ず。
16:00出て本郷。『郷愁の詩人与謝撫存』買ひ、汪洋『明治の青春(40)』買ひして西川家へゆき、倭周蔵に電話し、浅野建夫に電話して今中のクラス会を29日(日)15:00決定。
雨中、傘を借りて神田一ツ橋講堂にゆき、大の「女優の死」看る。観客250人位。きのふの2生、金を払ひしと。20:45すみ、炒飯食ひて帰宅。(大にきけば毎日新聞に東洋大学の騒動出てゐしと)。
9月16日
ハガキ12枚買って10:00西川の会社へゆき、クラス会案内のtypeたのみ、歩きて新橋駅待合室。
11:00中野清見父子と会ひ、知合の会社へゆき、西寛治氏に電話すれば「堺中の同窓会」と。「すぐ行く」と云ひ、taxiにてゆき中野父子を紹介し、受験できることとなる。(肥下の住所しらせと)。出て朝日新聞。阪本泉氏と4人にて昼食とり、ここも受験できることとなる。
別れて東経の原田運治に電話すれば、「関西出張にて来週帰る」と。日比谷公園にて中野と別れ、共同通信にゆき田浦義光氏に15年ぶりに会ひ、
『新潮』19年2月号の写し貸し、東洋大学への応援たのみ、出て西川の受付にゆき、print受取り、鶯谷の古本屋にゆきしに見当らず。帰れば恰も雨降り来る。
西宮一民君より『近畿方言調査簿』。「9万円かかりし。吉岡信子を副手とせし」と。『東洋史研究16-2』380円の欠と。高橋重臣君より「28、9日上京につき連絡せよ」と。
睡眠不足にて床にゐれば、白鳥清先生お越し、砂糖たまひ、郁郎君の詩集(※『しりうす』)
再校64pと「明智光秀(※脚本)」とをおきたまふ。傘貸しまいらせし。
今中会の案内を岡島源之助、田中幸三郎、藤田貢、中村治光、雑賀留夫、西原直廉、柴谷利嗣、柴山胖、川崎民昌、金沢良雄(※法学者)、倭(※倭周蔵)、西川(※西川英夫 東京建物)、浅野(※浅野建夫)、広島通(国際電電)、兼清隆二(日立製作所)、と19枚書く。
西宮、高橋2君へハガキ。
9月17日
雨。終日家居。角川よりまた催促。
午后、山中タヅ子よりハガキ。尾崎吉子夫人より「他にも縁談あり」と。青木陽生より「三井精機に入れることとなりし」と。小島樹氏より速達、「28日(土)国語部会で唐代文化について話せ」と。諾の速達す。
夜、坂根生来り、明日11:30東洋大学の学生課へ下宿斡旋につれゆくこととす。チェーホフ「かもめ」のradioききて22:00去りゆく。山中タヅ子へハガキ。
9月18日
よべ2:00和田先生と守屋美都雄の夢見て覚め、9:00まで眠り、起きてすぐ登校。
大野課長に会へば「6時間となりし故、昇給すべけれど云々」、その必要なしと云ひ、毎日の記事のことただせば云々。
すみて大森君よりtypeをprintにすときき、礼に200円わたす。服部嬢にたのみしあと、坂根生来り、掲示板見せしも該当なしと。
出て水道橋にて支那そば食ひ、渋谷へ出て青年座へゆけば、大をらず。Apartにもゐざる故、15:00再来を云ひ、白鳥邸。
夫人に問へば「(※息子の遺稿)原稿はドンボスコ社に」と。電話して明日ゆくことを伝へていただき、出て青年座。
大のあとつかめざる故、坂根生と貸間につれゆかれ、駄目とて帰る。案内女、Singaporeよりの引揚げにて北町一郎を知りをり。
帰り、渋谷よりの乗越し20円とられて抗議せしも駄目。
日本生命より「遺憾乍ら」と来り。悠紀子、西川邸へ傘返却にゆきしと。平凡社より「籌海図編の著者は鄭若曽と藤井宏君の説あり、いかに」と。
中野英夫氏より「一度会ひたし」と。
夕食して19:00出て東洋大学。渡辺講師に会へば「特講は学生なし」と。時間給にて1,600円のみと。概説ゆづりてよしと云ひて別る。
「清代史」は鈴木生のみにて、試験やめ後期は詩をやらんと云ひて別れ、西川に電話して「富士銀行仁谷氏へ(※依子就職の件)よろしく」とたのむ。
夜、床にて気付きしが、渡辺君のsalaryを村上より我へと転化のことと辛島、宮崎、小室、部長?の相談ありし也べし。大野課長の言と照らせば3,200の減俸となりしか。悠紀子いやな顔す。
9月19日
ゆふべ17枚まで書きし「蕪村」を朝よみ返せばなってなし。心鬱して八成町のドンボスコへと行きしに、野々山氏とやら不在にて、殆ど話すことなく、のこりの校正もらひて井荻へ出、高田馬場にて高田外語へゆき、和田賀代氏に会ふ。ほとんど銀髪。船越章の200万円の使途を妻も知らずと。
別れてラーメン食ひ、大塚にて下車。林Dr.にゆきしに応答なく、帰宅。
けさ小高根二郎君より『果樹園21号』東京からは浅野氏のみ。芳賀、斎田2氏を同人より除きしと。
午后の便にて小島樹氏より「28日の講演13:30より。13:00横浜駅へ迎へにゆく」と。
夜、下駄穿きにて林Dr.にゆき注射うってもらふ。帰途、白鳥家へ電話すれば清先生出らる。
夜半、3:00めでたく40枚書き了る。ただし自信なし。
9月20日
10:00起き、見直してのち角川書店へ原稿もちゆけば齋藤氏不在。野田嬢は7月退職と。社長も未出勤といふに出て、法政大学へ寄り、河原正博君のこときけば「土曜13:00出講」と。
平凡社へゆき係、藤田君?に会ひ、藤井宏君の「籌海図編」著者考見せよと云ひしに、ただ字典に書きあるのみ。出て餡蜜食って帰宅。
田中雅子よりハガキ。『東方学14』。帝塚山短大2部卒業式謝恩会の案内。高松直子より「日生に山内生も入れし」と。
給料もらひ研究室の細川君に会ひ、南方史研究会の25日(水)10:00よりとの通知を見、業績目録のprint受取り、28号教室にて辻村生と話せしあと、ice-creamを「Anggin」にて摂り、『近代詩人集(100)』、『運命の人(20)』買ひて研究室に戻る。(西田博士にきけば「国富博士、今夜出講ゆゑ会ふべし」と)。
2時限誰も来をらず帰宅。Port-wine1瓶買ふ。
9月21日
11:00大に電話させれば「10分前出てゆきし」と。松本善海に電話すれば「中耳炎でねてゐる」と。長尾良君に電話して、問題集送り返すこととす。
田中雅子夫人に行けずとことはり。八木嬢に業績のtype見す。
小高根二郎氏に名誉同人のことはりと三浦久子氏の同人加入ことはりと。高松直子へハガキ。
平凡社へTsewang Arabtanと訂正かく。
9月22日(日)
終日臥床。八木氏にまた訂正の速達す。大に電話せしめしに不在。昨日今日と〒なし。
9月23日(秋分の日)
『不二』と『桃』と来りしのみ。
11:00出て、藤田亮策先生に朴趾源『燕巌集』返却に参れば包みおき賜ひし『東文選』7冊いただく。
一度家に帰り、また出て白鳥邸。清先生、夫人ともにゐます。これにて校正見了りしこととし、出て駒沢住宅探して和田節子夫人訪ぬれば、父君10分前に出たまひしと。鍛治君もはや来ざるらし。Coffeeとcakeとたまひ、大橋まで送られ、上通にて下車。
青年座にゆけば「大、こよひ18:00来る」と。名刺おき帰宅。
夕食後電話すればをり、「明智光秀」(※白鳥郁郎遺稿脚本)もちゆく。
けふ大野晋『日本語の起源』買ひてよみ了る。若き学者なり。今日午后、石口敏郎君来り、転居せしと。
9月24日
松本一秀君より「(※日本生命)東京総局人事課長より(※川崎生の面接)成績悪かりしを云ひ来りし。落してすまぬ」と。八木嬢より元気にて『太陽』よみしと。
11:00出て都電にて吉野書房。長尾君に会ひ、村田幸三郎君に電話すれば他出と。長尾君を外に誘ひ出せば窪田雅章、金子智一の2氏に遇ふ。
金子氏はインドネシアへ今日出発と。喫茶後、筑摩書房へゆき『李白』1冊購ひ、土井氏呼び出し喫茶。問へば『白楽天』書きてよしと(加藤定雄君に会ひてきけば室清君病気、角川書店37人を免ぜしと)。
別れて古本屋見てまはり、『李太白』『楊貴妃とクレオパトラ』の廉売店にあるを見、1冊づつ買ひ『明治の御宇(20)』買ひ、蒲池氏訪へば不在。(※中教出版に)小山正孝氏を訪ひ、酒饗してもらふ。『立原道造全集』市場に出てゐると。
(村田に電話かかり明日18:00会社に訪ふことを約束)。帰宅。
尾崎菊子より23日見合と。宇都宮和子11月12日挙式と。夜、西寛治氏へ肥下のadress書き、山本嘉蔵氏に「藤田亮策先生へよろしく」と。
9月25日
9:00目覚め、雨中rain-coat着て東大。南方史研究会へゆく。Hallの本了り、次は漢籍をtextにすると。太田常蔵君をりしが
忙しとて別れ、電車待つ間に中華そば食ひ、都電にて肴町通りしに気付き、下車して東洋大学へゆき鳥山先生にゆけば帰られしあとらしく、又偶然齋藤部長を見かけ、部長室にていろいろ話す。
渡辺道夫講師のsalaryは出るはずと。山室教授の夫人が国富博士の令嬢と。
(けふ八木嬢よりtypeにて業績来り、和田先生にゆく筈なりしも郵送す)。
増田春恵より催促。萩原葉子氏より「一度話したし」と。硲晃氏より「史に浜寺の坊やの家庭教師また世話したまひし」と。
15:00村田幸三郎君に電話して17:30行くと云ひ、16:00出て錦糸町よりtaxiにてゆけば17:00。一寸話して用すむを待ち、
自動車にて銀座までつきあひ引返して深川の料理屋。御馳走となり小学校の同級生の思ひ出話す。肝臓わるしとてわれのみ酒のみ、21:00出て自動車にて家の前まで送られる。夜ふけ八木嬢に礼状。
9月26日
小島氏より「迎へに出ず。聴衆にわが教へ子あり」と。蒲池歓一氏より「この間、蔵原伸二郎と小学館にて噂さしゐし」と。
和田節子夫人より礼状! 尾崎吉子夫人より「菊子君の見合好かりし」と。入浴。
19:30電話して松本善海を訪ふ。慢性中耳炎と。夫人音楽会とて帰りたまはぬ中、辞去。ハガキ書く。
9月27日
浅野建夫君より29日の(※今中会:今宮中学同窓会)出席10人。中に珍しきは柴山胖か。村田に礼と増田春恵の就職依頼。尾崎吉子夫人にお祝ひ状。和田節子夫人に『悲歌』。
台風南を通る。美堂正義君より「呉にあり」と布施へ。平凡社藤田正典氏より「訂正承知」と。川崎きく子よりcookie(宏子の姉ならん)。
9月28日
9:00起床、散髪にゆき、浅野建夫君に電話して尾崎菊子の(※別の)縁談ことわる。川崎きく子氏より送り状、果して宏子の姉なりし。
専任教授連合会より10月4日(金)13:00必ず出席せよと。
11:00出て国鉄(桜木町行といふがあり)、南太田までゆき中華そば食ひ、横浜市立商業へゆけば無人。ややして市教育主事蕪木直行氏に紹介され、『詩集西康省』もつ横田氏(鶴見工高)に紹介され、わが教へ子(法政中学)と話す。熊谷孝君森村学園にありと。「唐代の文化」(※講演)20人足らずを相手にやり、3,000を謝礼にもらひ、『太陽』2号よみつつ17:00帰宅。
高橋君来らず。中野清見君より「令息のことたのむ」と車代2,000。21:00古道具屋へゆき机(600)買ひ来る。(和田賀代氏より「依子就職につき、月曜会ひたし」と)。
9月29日(日)
朝9:00高橋重臣君の訪ひに目をさまし、葡萄酒のみつつ話す。天理教の財政立直りの傾向と。毎月訳詩すると。
10:00出しあと朝食とり、11:30出て池袋departにてlighterに石と油入れ(15)、吉祥寺にて下車。
古本屋見、『Heine全集』2冊1,300にてあるを見し。
竹内(※竹内好)訪へば在宅、中野清見の長男の就職斡旋たのみ、14:30となりて出、busにて吉祥寺。
雨中を武蔵小金井駅より「料理の寺子屋」探しあてて着けば15:00。誰も来をらず。
やがて浅野、藤田、西川、広島、柴山、雑賀、金沢と集り、倭を最後に皆出席。(西原、柴谷は外遊中)。柴山は東宝喜多見の撮影所長と(※のち円谷プロ代表)。大(※西島大)を識りをり。
18:30まで笑ひ語り、撮影して解散。
柴山の自動車にて金沢と駅まで送られ、帰宅すれば中野剛宣君来り、再訪を云ひしと。待てば程なく来て話し、竹内、原田に紹介の名刺書きて渡す。
9月30日
雨。川崎きく子へ礼状。宏子へ同。松本一秀君へクラスの有様。
午后東洋史研究会へ500送る。『果樹園21』15冊来り、『帝塚山短大研究年報3』2冊着きしのみ。
依子をつれて悠紀子、和田賀代女史に会ひにゆき17:00帰り来る。
10月1日
西宮君へ礼状。子ら東都祭で休み。
12:00鳥山教授に電話すれば御不在。東洋文庫へゆき『果樹園』くばり、鳥山教授に電話すればまだ帰られず。萩原葉子氏も留守と。
帰れば岩田生より手紙。けふ依子を西川に行かし「仁谷氏へよろしく」と頼む。
夜、竹内好より速達、「一昨日わが帰りしあと杉浦(※杉浦正一郎)未亡人と田辺東司氏訪問、杉浦家吉祥寺へ移住。未亡人は4日まで田辺家にあり。連絡せよ」と。すぐ電話すれば在り「聖心女子大へ嬢を転校さすつもり」と。
10月2日
晴。10:00東大東洋史研究室へゆけば無人。10:30よりと。
出て古本屋ひやかし11:00前より『梁書』を読む。すみて社研へ加藤俊彦君に会ひにゆきしも不在。「牧山」にて昼食し、鳥山先生に電話すれば「来てよし」と。
新宿より鍋屋横丁のお宅へ参り、『李太白』進上して帰り来る。先生70才になりたまふらし。大塚をへて帰宅。
筑摩の井上達三氏より「白楽天を冬までに」と。小島樹氏より礼状。夜半、岩田生、池沢茂の2氏へハガキ。
10月3日
晴。入浴す。(※東洋大学紀要に)「劉アイタのこと」書かんとす。
なにものに憑かれてあれやこの十日たよりよこさぬなれをおもふも。
うつくしき秋天見ればなれが眼に似たりとおもふものおもふ日の。
10月4日
晴。堀内歴より「なつかし。椿下来し」と。長尾良君より「本日退社決まる」と。
12:00出て専任教授連合会にゆけば小室栄一氏来をり。渡辺講師のこと云へば「知らず。私講師にて今迄は村上君が払ひし」と。不快。また曰く『西洋史研究序説』の原稿を出版社に世話せよ、と。
竹村(安田生命社長)、川西(※学長)、齋藤(※文学部長)3氏辞表を出せしと。理事総辞職にならざりしも一応成功と。
16:00電話といふにゆき見れば、鶴崎裕雄。16:30肴町で会ひ、喫茶してきけば「加藤勘十代議士に大映へ推薦受けし」と。ここより長尾良に電話すれば「いま申し渡されゐる」と。2人にて歩き、東大案内し、産経田中順二郎氏に「明日19:00訪問す」と伝ふ。
10月5日
曇。和田夫人より『悲歌』受取りし。鍛治嬢よりは返事なしと。
12:30出て東洋文庫。『燃藜室記述』と『史料叢刊初篇』とを借出す。和田久徳氏来り、やがて和田先生お越し。「聖心女子大へ履歴書出した。鳥山君にきけば村上君の時間ももらひ、salaryは羨ましい程ださうだね!」と。
15:30出て帰宅。17:00悠紀子と家を出れば坂根生に会ふ。「神泉町に下宿見付け3,000なりし」と。修学旅行は10日出発と。
池袋で玩具買ひ、新宿より方南町行busにて雑色住宅の田中順二郎夫妻を訪ぬ。「来年4月出産」と。美千子父親につく。21:00帰宅。
けふ、8日(火)15:00村上講師代講の件につき2部教授会開くに付き、月曜休講にせよと速達。小室栄一しゃらくさし!
夜、竹内、小島、井上達三3氏へ礼状。その他。
10月6日(日)
雨。父より転送の古本屋の広告来りしのみ。夕方、依子をつれて悠紀子、和田賀代女史の紹介の東京証券取引所計算課長佐藤氏にゆく。「今年度は12人採用」と。悒鬱耐へがたし。「劉アイタ」書く。
10月7日
京、運動会。東洋大学大森氏に電話し、出講時間たしかめれば14:20〜17:25と。京に弁当もちゆきし悠紀子の留守をす。
鍛治初江君より「上京出来ず」と。西宮一民氏より「typhns(※台風)たりし。修学旅行は17日5:35上野着。5:50〜8:00水月
館」と。
参考書その他もちて14:00登校。宮崎教授に会へば「2部教授会は知らず。小室氏のままに。齋藤部長との関係如何に」と。
須永助手、高橋助教授と話し、千葉栄教授と話す。「安藤藤島宮宮司、高松住吉神社宮司をよく知る。三木正太郎氏と同級。額賀大成生の父いま香取神宮宮司」と。信頼すべき人の如し。
昼の学生も来らず、7:00出て帰宅。
青山定雄氏より速達「防衛大学講師として1週4時間東洋近世史を講ぜざるや、返事直ちにききたし」と。速達し、和田先生に電話して伺へば中島敏氏も講師たりしと。
(けふ富山大学へ集中講義に出発前の鳥山教授に会ひて「和田先生に心配いらぬ」と申されし趣承る)。
池沢茂君より「福地邦樹君、東京では田中氏奥さんを働かさねばならんと云ひしに、それ見たことか」と云ひし由。鍛治、西宮2氏と史へハガキ。
10月8日
井上睦子生より「打明けたきこと起った」と。
12:00前出て東洋文庫へゆきて見しも休憩中とて六義園で休み、12:40より『明清史料2篇』見しも青山定雄氏来られず。太田常蔵君と小使さんにたのみて出、東洋大学へ14:30ゆけば、谷講師「教授会は16:30に変更」と。
帰りて早夕食し砂糖もちて出、ゆけば千葉、辛島2教授を加へて4人で会議。小室氏の説通り、概説は年寄りの我、特講の学生あるなら渡辺君やり、報酬はあとまはしとなる。細川助手帰郷。代り見つかりしらし。
渡辺君と出て内職さがさんといひ、高橋秀君とも同車。新宿にて別れ、祖師谷大蔵訪ねて青山教授に会ふ。「防衛大の清水講師の後任としてまづ半年やれ。麓氏(※図書館の麓保孝)には話して見た」と。履歴書わたして訊ぬれば、我がことは知り、和田先生心配しをられし故と。ありがたし。
21:30帰宅。
富士銀行きまらぬゆゑ、依子hysterieおこせしと。午后浅野君より写真4枚来りし。
10月9日
ゆったりしてゐて気がつけば水曜。あはてて髭剃り東大東洋史研究室へゆき見れば南方史研究会はじまりをり。山本教授も帰国して出席。
すみて(欝金香をtulipとわが云へば博士はsaffronと)、太田君と出て、すぐ別れて帰宅。
昼食し、八木嬢に履歴書また1枚たのみ(このごろ便りなし)、井上睦子に「何でも語れ」と書き、13:50出て教授会にゆく。
助手の件通り、渡辺君の新講は通らざりしと。ふしぎなることかな。毛塚図書館長より「天理出張につき紹介を」とたのまる。すみて芳賀氏とちょっと話し帰宅。
笠野芳子生より2部卒業式6日にありしと。渡辺三七子より仏教に感心すと。松本一秀氏より「けふハトにて上京、10日〜12日滞京、東京総局へ電話せよ」と。
(夕方、西川に電話すれば「忙しく富士銀行のこと聞かず」と。)
19:00また登校。鈴木生つかまへ、三浦氏にきけば萩原葉子さん「いつにても」と云ふ由。「12日(土)14:00小田急ホームで」ときめ、史学研究室にて細川助手にきけば「吉原生休学」と。
齋藤昭三新助手に会ひ、鈴木生と相談、来週休みと決定。別れて西川君に電話し、松本との連絡約す。
渡辺道夫君より履歴書受取り「中教(※出版社)へ話してみん」といふ。
10月10日
『果樹園』へ「東京哀歌」送り、笠野、渡辺2生へハガキ。増田春恵へ「履歴書送れ」と。日生秘書課へ電話すれば「松本君学習院大」と。行けば「帰社」と。また電話すれば「まだ帰らず」と。
池袋で西川にその旨伝へ帰宅。昼食せしあとまた電話すれば「面接中」と。尾崎菊子より「(※縁談まとまり)うれし」と。入浴。
17:00また松本に電話し、「忙しとてあす夜20:00東洋大学へ電話する」と。依子帰宅。富士銀行第一次向丘高校にて5人通りし1人と。
10月11日
晴。帝塚山より転送の『NHK国語講座 方言と文化』3,200部の印税を3〜6月後支払ふとのハガキ見て、林dr.に注射打ってもらふ。夫人浜松へ旅行中と。
小山正孝氏を訪ふつもりなりしも一旦帰宅。悠紀子、上十条へ鞄の修理出来しをとりにゆく(250)。
平野氏(※自宅電話ないため取次)に和田賀代、船越耐姉妹より電話かかり、西荻窪に離れありと。小山君に電話せしに文部省と。あきらめて17:00まで家にをり、
八木嬢よりまた入れちがひのハガキ見る。「松茸をO先生に送りし」と。
山本敬子生より「神戸市灘区篠原本町鈴木廸雄(日立造船大阪本社)と10月21日結婚」と。「28日14:00〜15:00東京にゐる」と。
川崎宏子生より修学旅行の在京時間しらせ来る。
登校。細川清助手を関口に紹介する手紙かき、演習に学生なく、現代史は河田生1人、そこへ国文の学生質問に来る。この次よりと云ひて帰宅。
(登校せし時、恰も松本より電話、「明日14:00より時間空く」と云ふに萩原邸訪問を云ひて断る。)
西荻窪の家の持主、共立女子大の教授にて1間はsun-roomと。ことわれとすすむ。
10月12日
よべ睡眠不足。山本敬子への祝状出させ、『俳句作家』受取り13:00出て新宿。
三浦嬢、鈴木生待ちをり、梅ヶ丘駅よりたずねたずねして行けば、萩原葉子氏「一寸用たしに」と。
上りて待てば帰ってお越し。茶菓を盛んに饗さる。『青い花』(※同人誌)賜ふ。よく書けあり。
『萩原朔太郎全集』来年新潮社より出ると。鈴木生なにも話せず。(※朔太郎に関する)わが追憶おきて出、門前にて別れ、寿一宅訪へば門前にて寿賀子に会ふ。
きけば飼犬のことでねじこまれゐると。で見てゐしに突かれ、寿賀子に警察へ電話せしめしに去る。「この次は食っちまふ」と云ひしが可怪。叔母来訪のひまなき様子に、悠紀子を来さすといひ、pãoもらひて帰宅。
『架橋2』来りしのみ。悠紀子電話せしに、先方に神経異常の息子をるとて止めよと和田賀代氏云ひしと。難問かんたんに解決す。
10月13日(日)
山口玲子生より「十合小野君、業務監察室に転じた」と。中野清見君より盛岡方言ヱハガキ3袋。岡田、隅田、筒井信義3先生に写真包み、ハガキ書き、宇都宮、尾崎、山口3生にヱハガキ。浅野建夫君にも同。夜、中野令息に電話せしに不在。
10月14日
晴。史より「奨学金もらへなかった。本見つかった、送る」と。服部英次郎氏より「小川和女史10月7日急死」と!
小高根二郎氏より「原稿受取った」と。高橋重臣氏より『漢訳西洋人名字典』『学芸手帖5』来り、わが稿6にのると。
依子けふ富士銀行の面接とて午前中在宅。弓子運動会のあとの休み。
13:30出て登校。16:00までに4年中村生と、その呼び来し櫻田生と2人のみ。(※前任の)村上君とちがひ14:30より始め、演習は
『唐書日本伝』。特講はcoxiugaやることとす。
17:00中華そば食べ(三浦嬢(※昨日あれから)あと30分ゐしと。萩原葉子さん喜びゐしと)、17:30より研究室にて待ち、3人集りし
(国史3古巣正吉、大正14年生。同2浅見輝雄、昭和12年生。社会3片岡惠次、昭和4年生)に、この次、中世より始めることとす。
中野剛宣君より電話、「朝日より返答なく、岩波はやめた。東洋経済は原田に会へず。昨夜来しも寝ゐる様子に帰りし」と。
けふ依子、富士銀行にて「細し」と云はれしと悲観す。学校へ横山薫二とゆきしと伊藤賀祐君との寄せ書。
夜、中野剛宣君来り、「東京新聞の第一次通りし」と。深更、服部英次郎氏と萩原葉子氏に礼状。
10月15日
西寛治氏へ「中野君のことたのむ」とハガキ。増田春恵より速達にて履歴書。長沖一氏、川崎宏子、文芸一同よりヱハガキ来る。
夕方、坂根生来り、父君の持ちたまひし松茸を呉る。『果樹園』22〜24号分90預る。
史より『楊英実録』、『明清史料4』10冊、『清文虚字指南編』、『清文補彙』6冊来る(95)。
依子帰り来り「合格通知ありし」と。明日身体検査と。深更「小川和女史追悼(東京哀歌2)」を書く。
10月16日
晴。10:00藤代へき社会学研究所に加藤俊彦氏訪ひしも、例の如く不在。研究室へゆき「睿親王九王考」史学会にと問へば満員と。(園田氏は固説らしきも、われAmin jirgalangをかぞふ也)。
『梁書』の印度の条よみ、帰宅すれば、八木嬢より履歴書。『月光』には乗ると。
防衛大学校教務部長保柳睦美氏より「木曜にきまる予定」と。小山正孝氏に電話せしも話中にてやめて入浴。
堀内歴より『蝉の歌わらべ歌』と送り状。保柳、青山2氏へハガキ。
10月17日
4:00起きし(よべ2:00に就眠)、2番電車にて上野にゆけば4:50。5:35に着く筈の汽車12分おくれ、着きしとbusにて花園町
水月旅館に入り、長沖、楳垣、、新任の同志社出の英文講師と話し、4氏入浴の間を文芸20名の室にゆく(井上明子とやらNeuroseと)。
落合、兼頭、川崎、羽畑、村上、山内などがわかりし。一同よりこけし贈られ長沖氏より手拭賜はる。山内ら菓子をくれ、またbusにて一周。東京駅につけば「つばめ」発車に20分前。先にplatformに入り、坂根生と待ち、10分前に来りしと話して別る。川崎の姉、来りしも話さず。
坂根生とcoffeeのみ、別れて西川にゆき礼云ふ。大丈夫ならんと。
みちききて野村buil.に西島寿一訪ぬれば不在。竹井眞訪ねしも不在。産経に田中順二郎君訪ね「こけし」渡し、紅茶よばれ、神田橋より都電にて三崎町。中教出版に小山君訪ね、(※渡辺同僚に)Arbeitありやなしや問ひしに「なし」と。国電にて帰宅。
午ねして14:00になれば訪ふ声して渡辺君。20:00まで話してゆく。
依子帰り来り「通りし」と。田中順二郎君より祝賀電報。青山氏より速達にて「今夕20:00湯島聖堂にて麓氏に会へ」と。麓氏に電話すれば母堂出られ「連絡なし」と。睡眠不足ゆゑ渡辺君と話してゆかず(守屋君上京し来ると)。
依子のこと、悠紀子賀代女史に電話すれば「(※紹介した東京証券取引所は)自ら断りにゆけ」と。風の中を出てゆく。21:30帰り来る。数男を訪ひしと。
10月18日
晴。寒し。9:30まで寝て疲労回復。史に「本の残り送れ」と。青山氏に親切を謝し「来週麓氏に会ひにゆく」と。
17:40登校。18:00吉原生来り、病気なりしと。『唐書日本伝』を演習のtextにかへると云ひ、Soothillの最後をやり、引きつづき現代史。小野生と吉原生。19:50やめて帰宅。新聞に「一足とびに冬」と見ゆ。
10月19日
9:00東京駅。彗星と月光とを見る。麓保孝氏より「木曜9:20より14:20まで?! 25日(金)17:00〜18:00湯島聖堂にて会ひたし」と。
田中雅子夫人より「土橋氏に訊ねて合格知りし」と。隅田虎市先生より「19期は良いclassなりし」と。筒井信義君よりも受取。
10月20日(日)
雨、寒し。広告2通来りしのみ。「Aita(※劉アイタ)」清書しゐれば、悠紀子爆弾をおとす。明日、小光母の10年(※忌日)にて、けふ姉
弟と染井墓地へゆくつもりなりしと。「2年待て」といはれる。われ思はず落涙す。「私とゐるばかりにろくな仕事もできないで」の一言痛切なり。
依子けふ運動会。和田賀代氏より電話にて「この間寄らざりし」と船越耐氏、悠紀子に怒りゐると。
夜、麓保孝氏へ「24日(木)午前、学校を訪ふ。25日は17:00〜18:00授業」との手紙投函。「Aita」夜半に39枚となる。
10月21日
曇のち晴。悠紀子あひかはらずhysterie状態にて出てゆきしあと、講義の下調べす。
昼、帰り来て依子に「残りしfilmにて2人を写してやれ」と云ひしあと、郵便局にて金引出し来り、おきゆく。
13:30出て登校。演習にtext1人ももち来らず。(山崎敬子より電話かからず。宮口時喜子団体旅行にて来しと電話かけしと)。
すみて大森君に会ひてきけば「salaryの見込つかず」と。Coxingaやりはじめ、6:30すませて渡辺君に会へば、「大学書林の面接受けてよきや」と。宮崎主任に防衛大学(※講師副業)の了解求め、中華そば食ひ、研究室にて待ち、18:00より概説はじめ、唐代了れば18:45。
あはてて帰りしに八木嬢来ずと。夕食すませ19:30おとなひ受け、『天理図書館稀書目録洋書第3』もらひ、依子に祝500もらふ。
悠紀子、先人の戒めをくどくどと垂れ、21:00すぎ2人にて駅まで送りゆく。けふ工藤好美先生より「(※名古屋大学より)京大へ御転任」と。
10月22日
晴。家居。萩原葉子氏より礼状。午后訪ふ声し、大道裕子、三木和貴子、山下陽子の3人来訪。16:00まで話しゆく。「大谷治子静岡へ嫁ぎ来る。山本恭子東京へ嫁ぎ来る」と。こんぶ賜はる。大道生に連絡時間書き与へし紙は「Aita」の29枚目なりしこと、あとにて判明!
深更「Aitaの伝記 ―中国官人の一性格―」54枚(※東洋大学紀要原稿)書き畢る!
10月23日
晴。東洋大学組合より「土曜の臨時総会に出よ」と。けふは南方史研究会休み。ぐったりしゐしも、12:00出て秋葉原より都電にて山本書店『羽田論叢』を800で売り、近くで『楊貴妃とクレオパトラ(50)』。蒲池君に寄りしに不在。団子食ひて待ちしも帰り来ず。
東京堂で『立原道造全集』見、またゾッキ本で『楊貴妃とクレオパトラ(40)』『李太白(40)』。Bate『Report from
Formosa(100)』買ひて筑摩書房にゆき、井上、海老沢2君とも不在ゆゑ、東博氏呼び、『李白』2冊借り、『楊貴妃とクレオパトラ』贈って出て東洋大学。
大森君に組合総会の委任状托す。齋藤部長に防衛大学の了解求め、高橋助教授に「Aita」渡し、14:30よりの教授会に出る。鳥山教授、相談なしにきめし時間を見せ、2部も同じ。辛島博士来て小室氏と相談し、17:00すむ。
渡辺君に時間ふえず。帰りて岩田生の手紙見、19:00出てまた東洋大学。渡辺君「大学書林の感じよかりし」と。特講鈴木生のみにて「けふ卒業論文出せし」と。誘ひて湯豆腐にて浅酌(2人で一合105なりし)。
けふ小室氏に防衛大学の了解求むれば「お祝ひ申し上げる」と!
10月24日
9:00出て品川にて京浜急行にのりかへ、10:00ごろ馬堀海岸へ着けばbusなく、歩きて山上の防衛大学へゆき、客案内中といふ保柳教務部長を12:10まで待ちて会ふ。(京城大学にて鳥山、藤田両先生を識ると)。履歴書呈出し、案内されて図書館に麓保孝氏を訪ね、丸山氏(※丸山薫)との関係問はれ、中華そば食べさしてもらひ、田中秀雄教授に紹介さる。
busの時間きけば恰も13:05来りをり、駈足にてのり、馬堀より横浜まで乗り、外へ出てtoast食ひつつ思案し、東横妙蓮寺前まで乗りて大口仲町の田中幸三郎dr.を訪ぬ。見おぼえなけれど、たしかに19期生なりし。岡島源之助の話し、大口より東神奈川まで出て帰宅。井上睦子より「来春上京す」と。
10月25日
曇。堀内歴へ詩集の礼。防衛大学総務課人事係板垣事務官より「研究業績概要を」と。西川より「仁谷さんに会っておけ」と。
午后速達にて板垣氏より「受取った」と。八木氏より「やまとで帰りし。眠りがたかりしならん」と。
渡辺三七子生より英文typeならふと。17:00雨中を出て登校。台風19号来るとかにて、小野生2時限に来しのみ。Salary明日出ると云ひし人あり。
西川に電話すれば小唄と。夫人に「仁谷さんに行くのおくれると伝へてくれ」とたのむ。
悠紀子、戸籍謄本を見て、「10月21日はわれらが結婚入籍の日にて小光叔母死にし日なること」発見。
10月26日
曇のち晴。大田浩より「林富士馬氏にきけば、つまらないように云われるということですか」と詩集。
西川より依子に祝としてbag。午后、中野令息来り、「東京新聞第2次にも通りし」と。
けふ八木氏へ手紙。渡辺三七子へハガキ。(朝、羽田より速達にて目覚む。「28日ユネスコにて中央大学へ来る。会ひたし」と也)。
10月27日(日)
晴。中野、青山定雄、浅野建夫の3氏へハガキかき、散髪せしのみ。18:00西川に電話すれば不在。
10月28日
今市佐恵夫人より「夫君在京中来られざりし」と。涌井千恵子より「2部の方よかった。百済璋子29日泉大津へ嫁ぐ」と。
専任教授連合会より「30日(水)12:10より臨時総会」と。
12:00まで講義の下調べして湯島3丁目より中央大学。13:10まで待たされ、羽田君よべば「30日夕方空きをり」と。
早々出て東洋大学。鈴木(山本)敬子夫人の電話まちしもかからず14:45より講義。17:10昼の部すます。
(けふ理事長名にて「15:00俸給わたす」との掲示ありしも後刻撤回)。
構内食堂にてrice-curry食べ、宮崎教授に会ひて話せば「salaryいつ出るやらわからず、(※齋藤晌)部長ならびに我に少々用意あり。いつにても云へ」と。「はじめ君を呼ぶに部長少々強引なりし」と。
夜の概説すませ、西川に電話すれば「まだ帰らず」と夫人。天理図書館より『biblia9』と『善本写真集9、10』。倭周蔵君より「増田まづ見込なし」と。
あを父のごとく思ふといひし子はわれに告げずにとつぎゆくらし。
10月29日
曇ゆゑ京、荒川に遠足にゆきしに雨降り来る。藤田幸子夫人より「田中雅子夫人に会ひし」と。東方学会「11月7日(木)14:30日大本部にて」と。
午后出て都電にて吉野書房。北村氏にきけば「長尾良君25日に退職した。[卿]の参考書とは関係なし」と(※不詳)。出て日経に寄りしも原田運治君不在。歩く中、住友海上火災見つけ、大江勉呼び出してお茶と菓子よばれる。「大江叔父叔母3月東京へ来る」と。
出て西川に会ひ、行きてよしときき、富士銀行仁谷氏に会ひにゆけば「会議中」と。本2冊と名刺おき、野村建設に竹井眞支店長訪へば、「嫁世話せよ」と。寿一訪ひしにまた不在。
堀内歴より礼状、「すべて富士正晴まかせ」と。あはれ。
夜、松本善海に電話し、「羽田君に連絡とれ」といふ。「芋の話に異議あり」と。夜に至りて悲しくてならず。
10月30日
工藤好美、倭周蔵、今市佐恵、八木嬢の諸氏にハガキ。中野清見氏より、令息を一度に西氏に会はせよと。白鳥夫人より校正。二宮尊道氏訳の『新体詩』。
悠紀子、新聞広告にて見し橘町の商店へ出てゆきしあと昼食し、12:00東洋大学。
鳥山教授に保柳氏のこと云へば、「来週あたり会ひたしと云へ」と。専任教授連合会に出て学長代理、理事長の後任を議す。salaryは組合が労働金庫より借りると、小沢委員長発表。14:00帰宅。
硲氏より「史、礼に来り、防衛大学出講聞いた」と。悠紀子帰りをり「(※パート採用可否の)返事あと」と。
夕食してまた東洋大学。白鳥夫人に伺へば「ドン・ボスコ社へ直接送り返したまへ」と。松本宅に電話すれば「羽田に会ひにゆきていまだ帰らず」と坊や。渡辺君来り、「大学書林返事なし」と。
特講また鈴木生のみ。来週2時限にくりあげ『昭和詩集』よむこととす。
10月31日
6:00起き、7:25王子発。9:30防衛大学に着く。茶、弁当など教官用の設備なく、学生もなんとなく不快なり。麓氏を図書館に訪へばまだ来らず。15:00前やめ、疲れに疲れて帰り来る。
父より手紙。「心身ともに多忙。大より送金せず」と。前川緑夫人より11月10日までに必着にて「漢詩について」書けと。
11月6日(水)14:30の教授会に専任助教授、講師も出席さすと。夜、中野剛宣君に電話すれば「父より物来る筈」と。それを待ちて行くこととす。
今日、史より『清文彙書』『三合便覧』『清文啓蒙』『清文補彙』来り、近々売りに行かんと思ふ。
悠紀子面会にゆきて一時勤めと云ひしに夜、「それにてもよし」と速達来る。(吉田東洲氏、高橋匡四郎を識りしと『古今評論』)。
11月1日
悠紀子7:30出てゆく。二宮尊道氏へ受取。関口、青木陽生2氏へ防衛大学のこと。前川夫人へ「11月10日までに送る」と。涌井、藤田幸子夫人へ返事。白鳥氏の校正をドン・ボスコ社へ送る。
訪ふ声に誰かと思へば長尾良君。「吉野書房やめしもX社にゆくこときまりをり。吉野書房より2月まで8千円づつ貰ふ上、失業保険あり、心配不要」と、うれし。
わが原稿料は4月後は催促してよしと。青山氏より京都の学会へゆくと。
長尾君去りしあと昼食し、14:00ごろ中野剛宣君の訪ひ受く。父よりbutter来る筈にて、それを待つこととす。大江叔母より元気と。「博士になれ」と。『果樹園』22号来り、(※編集後記で)池沢「奥さんを働かして」と云ふ。
11月2日
みな出てゆき最後となりし京「お父ちゃん起き!」とおこし呉る。
岩崎昭弥より16日(土)静岡への出張のついでに来ると。Heine
Geldern氏の講演13日(水)18:30〜19:30。Walter
Fuchs氏の講演21日(木)16:00〜17:00と。ともに出られず!
午、中野清見君よりbutter6ケ。尾崎菊子より菓子2箱。
15:00中野剛宣君に電話すれば外出中と。満文書5種もち神田をへて山本書店にゆき11,000で売る。『唐国史補(80)』『李白詩論叢(120)』買ひ『李太白(40)』ゾッキ本で買ひ(『楊貴妃とクレオパトラ』見当らず)、神保町歩き『南十字星(20)』『東亜史雑攷(100!)』買ひして帰宅。
夕食しゐれば中野君来り、またせて18:30ともに出、渋谷代官山に西氏訪ぬれば、未だ帰らず。夫人に明日9:00中野君再び来さすといひ、渋谷で青年座にゆき、麻雀屋の大のもとへ案内させ、百軒店の酒店で待つこととし、来しと話し、京都の本を売ることとし、20:00帰宅。悠紀子機嫌よし(室代払ひしと)。
11月3日(日)
依子、弓子と留守番にて楽。ハガキ4枚(父、岩崎昭弥ヘ西下の予告す)かき、16円と値上がりし銭湯にゆきしのみ。
11月4日
三木生より27日帰阪、大道生は急に帰りしと。八木氏より「7、8、9は図書館会議」と。宮口生より「会ひて相談することありし」と。
14:00登校。salary、2日に出しも殆ど受取るひとなかりしと。大学祭は23日を中に一週間と。
怪文書まはり「齋藤派の陰謀。一刀両断せよ」などとありしと。羽田君の名刺と菓子と研究室受付におきあり(あとにて聞けば30日夜来り、しばらく待ち呉れしと)。
昼2時間すませ、炒飯食ひ、須永助手にきけば京華(※中学校)は全く東洋大学よりはなれゐると。
夜学すませ帰り来れば専任教授連合会より5日(火)15:00より小野理事の話に先だちて会議すと即日速達。
小高根二郎君より「美堂君詩集買ひしを雑収に入れる」と。(鴎外『現代小品』を150にて見付けて買ふ)。羽田、八木、宮口、小高根へハガキ。
11月5日
京、蕁麻疹にて休校。林dr.、夫人に電話して「レスタミンのませよ」と教はる。三木和貴子、青山定雄氏(10日午すぎ伺ふと)、岩崎昭弥君へハガキ。
レスタミン買ひにゆき『ニューディール』と『太陽3』買ひ来る。京にpão食べさし、14:30依子帰り来らざるに出て国鉄にてお茶の水へゆけば、中野君待ちをり、きけば今日の面接の結果わからずと。都民銀行(駿河台下)へゆけば加藤定雄16:30まで外出と。
中野君をつれて宝文館へゆき『方言と文化』もらふ。ついで三省堂にゆけば休み。東京堂にゆき『末摘花評釈 下(380)』買ひ、岩波書店にてきき、歴史学研究会事務所へゆきて、三島一氏還暦祝(200)渡せば金なくなる。
古本屋見て加藤君に会ふ。「創元社又は平凡社に紹介せん。筑摩は『太陽』にて危し」と也。
お茶の水まで歩きて中野君と別れ、上野にて絵本買ひて帰宅。大道生より礼状。谷川真佐枝「岐阜へゆきし」と。
11月6日
大道、谷川2生へハガキ。吉田東洲氏に高橋匡四郎のこと。楳垣教授へ『金田一論叢』のこと。
京、流感らしくけふも休校。奈良女子大自治会の文化祭の案内を大阪より転送。これに住所変更と「小川和女史を悼んで」同封の手紙かく。
12:30弓子早引きして帰り来り、京をみさして14:00登校。鳥羽正雄教授と同道。
15:00より始まる会に宮崎教授より怪文書見せらる。われのみ来らざりし也。
社会の米林氏まへに曝露せし河合良成の婿といふ松本信次法学博士より対決せまられ、部長、広池、宮崎、野尻の諸氏証人に立ち、反対せしはドイツ語の馬場氏のみ。
部長より五島慶太氏出資のいきさつ話あり、ついで野尻氏の報告あり。
17:10すむ。われ帰宅し、前田光子よりの手紙と作品と大阪より廻送されしを見、鈴木助次郎『駿河大納言』その他受取り、ややにして鈴木生と繰上げを約せしに気付きてゆけば、停留所にて見付かる。河井酔茗よみて終り、渡辺君に守屋君との連絡たのみて帰宅。
11月7日
快晴。暖し。7:30家を出、品川よりのりかへて行けば9:56のbusまで待たされし。(※防衛大学にて)printくばり3組の進度そろひし。昼休み麓氏に会へば丸山氏のこと云ひし。
15:00前すませ、横須賀駅までbusにのり逗子、鎌倉をへて横浜へ出て帰れば17:30。
角川書店より『蕪村・一茶』来り、わが文のりゐたり(※日本古典鑑賞講座『蕪村・一茶』346-355p「ロマンチックな詩人」)。
頼永承氏より5日来日と。堀内民一君より「蕪村の抜刷くれ」と。岩崎昭弥より「16、17日の上京未定」と。西島寿一よりわび状。
頼氏の宿、芝Park
Hotelへ電話すれば、会ひたけれど忙しと。会議中とのことわかり早々切る。渡辺道夫君より速達。「守屋君土曜15:00文庫にて」と云ふと。
11月8日
京つれて林dr.にゆけば富士馬氏まだ寝をり。起きて注射打ち、投薬たまひ、初診料とりたまひしのみ。『果樹園』よまず書かずと。
出て大塚まで歩き、絵本買ひてやり帰宅。志野和子生より「この間上京した」と。
午后、千川より『俳句作家』2冊。「1冊は倭に手渡せよ」と也。
依子帰りしのち、17:00家を出て東洋大学。辻村生18:00来り、来週帰省と。次はいつも通り小野、河田の2生。
けふ中野剛宣君来り、東京新聞補欠らしといふにより、丸に電話すれば電報打ちて清見君呼ぶと也し。
11月9日
よべ2:00ごろまで眠れず「詩人のありかた」と題して白楽天の48才をかき、朝書き足し14枚にし、9:30速達しにゆく。『文芸春秋12月号』買ひ来る。
青山教授より「明日不在」と。堀内民一、志野和子、西島寿一3氏へハガキ。
14:30家を出、東洋文庫にゆく。展示中の満文『平定準噶爾方略』にTsewang Rabtan, G’aldanとありし。
増井経夫、鳥羽正雄、岩井大慧、白鳥清、手塚隆義、佐中壮の諸教授に挨拶。青山定雄氏もお越し、挨拶せしが変なりし。守屋君(※帝塚山学院同僚)来り、16日池田に転居と。渡辺君のことたのむ。防衛大学のこと知りゐたり。歩きて帰宅。
岩田生より「先生怒りますか」と。鶴崎裕雄より礼状。尾崎菊子、山下陽子よりハガキと、帝塚山day!
関口八太郎君より2〜3月渡米と。入浴せんとせしも休み。
11月10日(日)
岩田生へ「アホバカマヌケ」と返事。鈴木助次郎、鶴崎裕雄、山下陽子の3氏へハガキ。父より「腑甲斐なし」との手紙。
13:00出て古本屋にて檀一雄『太宰治(50)』買ひ、よみつつ成城学園前下車。訊ねまはりて小畑信良閣下訪へば他出と。土産と名刺とおきて中河邸。
「ラマンチャ」の研究会なれど三浦女史のほか知る人少なし。公平、三浦女史の小説朗読きき、批評さされてのち、そばよばれ、蘇峰の書見せていただいて退出。
悠紀子風邪とて臥床。21:30銭湯へゆく。
11月11日
雨。細川清君より挨拶。岩崎君より「17日午前来る」と。楳垣実教授より「17日国語学会に西宮君と出席するが会へず」と。百済璋子より「林姓となりし」と。
13:30京、帰り来り、留守番させて登校。学生2人のみにて不快。16:00すませ学生食堂にて粗末な飯くはされ、待てば頼永承氏より電話。「きのふ学会の諸名士に会ひ西下」と。「楊雲萍君によろしく」との伝言たのみてすむ。夜は聴講3人。不快がりつつ帰宅。
11月12日
晴。林(百済)璋子夫人へ祝辞。細川清君へハガキ。三火会より「19日井沢淳君の映画の話」と。
午后の便にて西宮一民君より「大道生よりきけば、(※西宮氏上京に対し)何も云って来ないと云ひし由」と。「笑談ならん。16日ごろ36番教室へゆく」と返事。石浜論叢に「Gulmahun(※箍爾媽混:うさぎの謂)」書くことと決心。
11月13日
9:30中野剛宣君に電話すれば「父上上京しをり、片づくまで会ひたくなしと云ひゐる」と!
小畑信良閣下より「忘れた」と。早速ハガキかく。
午后、堀内民一氏より『日本歌人』の原稿受取。19:00出て東洋大学へゆきしに渡辺道夫君来ず。助手をして捺印せしむ。ふしぎ。
丸家へ電話すれば「まだ帰らず」と。風邪ひきし鈴木生と柳虹、犀星、春夫よみて21:00了へ、帰れば中野清見より速達。「15日夕方、丸と2人にお礼の一杯飲まさんと思ふ」と。
11月14日
悠紀子に中野君への電話たのみ、8:20品川発の特急に乗り防衛大学。寒し。事務の嬢にきけば「俸給は21日」と。17:30帰宅。
浅野晃氏より「18日田園調布に転宅」と。
11月15日
寒し。西宮君より速達、「16日13:00すぎに東大にゆく。一酌したし」と。中野清見君に電話すれば「すぐ宿へ来よ」と。「東京哀歌」清書し速達して御徒町の宿へゆけば、今夜本郷の宿屋へ缶詰と。自叙伝を平凡社より出すと也。
(※本郷の)宿へゆき神田の組合へゆき、東京新聞にゆきしに西氏不在。昼食し、西川に会ひ、農林省へゆきまた東京新聞。西氏また不在とて日比谷で映画を見、電話すれば「今夜差支へる」と。
夕食して(東洋大学。に休講の電話す)、nude-show見て別れ、21:30帰宅。
小野彰生より欠席通知。植村清二先生より「中村図書館長より貴台の後任に推すといふにつき、内容しらせ」と。八木氏より「風邪ひいた。連休に来るや」と。(丸、坊やの看病に房州へゆきしと)。
11月16日
前川緑夫人よりも受取。本位田重美氏「岡本に転居」と。尾崎菊子より宇都宮和子結婚の様子。岩田生より「会ふのはおそろしい」と。
13:00中野剛宣君来り、「東京新聞より断り来りし」と。父のところへゆかんと昼食し、ともに宿へゆけば外出と。
(※東大)38番教室にゆき西宮君掴へ「18:00王子へ来い」と云ひ、また宿に引返し、待てばほどなく帰り来り、西君に電話かけささる。
10人にまで入りしも6人のみ合格せしと。補欠はなしと。中野君月曜までゐることとなりしと。
出て帰宅。入浴し(筑摩書房より申告票)、18:00都電の駅にゆけば西宮君来り、port-wineのみつついろいろ話す。川崎この間ものいはざりしは井上の狂気の原因つくりしゆゑと(井上帰阪、入院退学と)。兼頭の母、長沖氏にも同文の手紙出せしと。鍛治君、院長の世話にて御木本に働くこととなりしと!
11月17日(日)
よべも睡眠不足。岩崎昭弥待ちゐれば、郵便にて花井彩の詩、中々よし。山本敬子より挨拶状、「この間、電話かけざられざりし」と。驚きしは東洋大学理事長に大島豊★任じられ、18日紹介式と。
そこへ岩崎昭弥来り、「保田、新学社より雑誌出すとて京都に泊まりこみ」と。「服部三樹子の序文、保田かかず」と。
依子に昼食つくらしめ、tobacco1箱もらひ、13:00ともに出て浅野晃氏を訪ぬ。お多福風邪と。岩崎「紙と製本代負担して(※浅野晃
の)詩集出す」とて相談し、わが話さんとせしところへ窪田雅章君、名古屋の人を案内して来る。大島のこと簡単にいひ、喧嘩するといひて出、洗足駅前で喫茶し、新宿で岩崎と別る。山川京子の家へゆくとなり。
悠紀子と京と19:00帰り来る。
(★後日記 欄外:理事長は鈴木中将とてrobott。常任理事にして高商長をかね、下に齋藤貢とて無学の実行家ありし。白鳥先生のことにて我反論し、即日退職せし相手。官僚的なる男なりし)。
11月18日
悠紀子に休講の電話たのみ、植村清二先生へ「止めよ」とのお返事かく。落合明美生より21日上京と。早速ことわりのハガキ書く。尾崎菊子、鈴木(山本)敬子へハガキ。
10:00より雨やむ。夜、中野剛宣君来り、「父の言ふには東京新聞へ銀行関係より運動したく、しらべてくれ」と。承諾して帰らす。
悠紀子、学校へ電話すれば「お大事に」と云はれしと。
11月19日
曇。「23日9:30より七十周年式典に出るやいなや」と東洋大学より。八木氏より「風邪きつし」と。
依子早く帰宅。散髪し、14:00出て東洋大学。大森君にきけば「大島は土建社長」と。明日salary出ねば貸してもらへると。旅行のこと云ひ、70周年欠席とどけ、研究室へゆけば小室、千葉2氏不在。野尻教授つかまへてきけば「大島は右翼、当分静観」と。
出て神保町より東京都民銀行にゆけば加藤君不在。筑摩にゆき井上達三君に白楽天かかずとことはり、『支那之実相(30)』買ひて、加藤に会ひ、東京新聞の銀行ききしもわからず。けふ平凡社へゆきしと『詩人』呉る。
都電にのれば丸ノ内へ出、東京駅をへて帰宅。
渡辺三七子より手紙。悠紀子20:00前帰宅。西川に電話すれば「宴会にて未帰宅」と。
11月20日
晴。風。岩崎昭弥へ「高千穂号にて22日17:29(※岐阜駅に)つく。都合わるければ江口(※江口三五)氏へ」と速達。花井彩へハガキ。
父へ「25日頃、古本屋を(※蔵書売却に)つれてゆく」と。
京、帰りしゆゑ14:00出て飛鳥山よりbus、三越前(25)で下車。日銀に鎌田正美訪ぬれば流感と。原田運治訪へば「今年度は採用せず」と。
歩きて西川訪ぬれば17:00まで外出と。第一弁護士会へとゆくに日比谷公園で杉野祐二郎に会ふ。丸に会っての帰りと。ゆけば夫人もをり、長男心配いらずと。「西氏を訪ふことにせよ」と。
本位田昇に寄りしあと東京新聞にゆけば西氏不在。新橋へ出て帰宅。
西宮君より礼状。夕食し、19:30東洋大学へゆき、salaryもらふ。講師室ふさがりをるに研究室へゆき、中野剛宣君に電話、「加藤君と西氏に自らゆけ」といひ、渡辺道夫君に会ふ。「この前東洋文庫でおそくなりし。守屋君に帝国高女へ紹介してもらひし」と。青山助教授「成田節男君会ひたし(講談社教育図書)と云ふ」との伝言を置きあり。
鈴木生と話し、来週休講ときめて帰宅(加地信『中国尚用十年』買ふ)。
11月21日
品川8:40に乗り防衛大学。麓氏に会ひて「昼休みに来よ」といはれ、行けば校長来り、台湾の話す。すみて「青山氏多忙につき火曜の2時間も引き受けぬか」ときき「臨時代講なら」といひ、「salaryもらふはいつか」ときけば会計、教務にききてくれ、手続未了とわかる。放課後またききにゆけば「来週たぶん出るでせう」とのことなりし。
帰れば太田陽子夫人より速達「渡辺三七子の母亡くなりし。孤児ゆゑ引受けてやる」と。西宮君より「木村小使よりよろしくとの伝言忘れた」と。大東幸子夫人より「文学と絶縁しゐる」と。
中野清見君より「西氏に脈ありやきけ」と。いつもあとを追かけ来るが事件か。
悠紀子20:30帰宅。入浴して爽快。
11月22日
8:30出発。悠紀子けふ休暇とり機嫌よく送り出す(3,4千円借りる)。東京駅で出、西川に会ひ中野の話し、銀行関係しらべしもわからず。
10:15東京駅構内へ入り11:00高千穂にのり17:34岐阜着。
岩崎君迎へに出てくれ、18:30より座談会すると。江口氏にことはると云ひ、taxiにて杉山町にゆく。大増築やりをり。柿羊羹たまひ(岐阜一の弁護士と)、またtaxiにて岐山荘。座談会には女4人と男3人(中に大橋君といふが、ひとり受け答へしてくれし)。21:00すみて謝礼1,000もらひ、夕食。
昭弥夫人志津子来たまふ。伊藤賀祐に2度電話せしに夫婦にて外出と。佐藤春夫66冊にて3千円(※で岩崎昭弥が引取る)と話きめ、金受取る(5千円わたされし)。
11月23日
8:00朝食。写真とってもらひ(伊藤に電話すれば夫婦とも就寝と!)、taxiにて駅にゆき、8:27発の準急にのれば満員。彦根まで立ちつづけ、busにて土橋にゆけば戎講とやらにて町賑はし。
河村純一dr.に会ひて小林君(※小林英俊)のこときけば、病進行しをり、いふことをきかざる故、叱りくれと。Tobaccoいただき京都の同窓会にゆくと云はるるに同行。駅にて豊郷病院副院長清水博士と同行。
京都station食堂にてrice-curryたまはり、別れて羽田に電話すれば「来客中なれど来てよし。西下の理由は史よりきいた!」
と。
busにてゆけば来客はWalter
Fuchs博士!「東洋文庫の講演は出られず延期されし」と。やがて来し三田村泰助氏に本見せられ、たのしき会話し、上加茂神社へと出たまひしを橋ぎはでAuf Wiedersehen!を握手。(羽田に亨博士論集、松本へと吾と2冊わたさる)。
京都駅への途中、下総町によれば父、史ともに不在。25日堀内君(※堀内歴=堀内進)つれ来る予定をいひ、母に土産料1,000おきて出、京都駅を17:40出て吹田、山本(※山本治雄)に泊めてもらふ。
11月24日(日)
15:00出て吹田東口より天六に出、coffeeのみて渡辺三七子に電話せしにかからず。東家に電話すれば順子生出て「孝子不在ゆゑ渡辺の電話わからず」と。天満、鶴橋をへて近鉄に乗れば孝子と同車。ともに藤本家にゆけば「母上、京都にて亡くなられ三七子京都に在り」と。太田陽子夫人の手紙見せ、線香(300)置き、京都に電話してくやみのべ、太田夫人の言つたふ。
堀内に電話すれば在宅と。(すしよばれ)東孝子と出て駅で別れ、堀内にゆけばwhiskyのましくれ、明日京都行承知と。10時すぎ電話すといひ、上六にて岩田生に電話し(堀内宅より古田房子に電話すれば不在なりしが、母上「泊りて宜し」との返事ありし)、taxiにて阪急Hotel。
房子生に出迎へ受け、太田陽子夫人に電話して礼いひ(立川Pen Co.にて電話ききし)、山中タヅ子に電話し、山本治雄と電話にて話し、21:30来し岩田生に説教し、菓子?一折たまひて送り出し入浴。
11月25日
7:30目覚め、高松直子に電話し、宮口時喜子へ伝言たのむ。朝食に卵2つきをり。9:00帝塚山学院短大に電話し、木村使丁夫婦、河原女史、三苫氏と話し、西宮君に会へずといひ、やがて日本生命の宮口、藤原、谷川3生と電話で話す(田中秀子より電話、10:00までに来ると)。堀内進に電話して「11:00大阪駅platformにて待合す」といひ、田中生と中千枝子と2人に会ふ。田中生、蜜柑くれ中生tobaccoくれし。10:15、3人にて出(阪急Hotel970といふに1,000と茶代300置く)、地下鉄にて大阪駅。
紅茶のみ11:02堀内の現れるを待ち、2生と別れて快速車にのる。
下総町へ12:30着き、母に天ぷらうどんたのみ、大の本見させれば1,600と。ついで我が本を見、12,500といふ。
母と思案せしも致し方なく、『鴎外全集(1万円と)』のこし外へ積出させれば16:00。吉野書房へとわれ出て営業部長に会へば(知人は宮山兄1人となりし)、出版おくれると。社長のadressきき、夕食ささんといふをことはり、新学社へ電話すれば奥西弟をり、taxiにてゆく。
「保田いまは桜井」と。新雑誌、長尾のことを話さず。宿屋世話せんといふ。高鳥も多忙げなれば17:30、渡辺三七子にまた電話して話し、依田義賢氏に電話すれば夫人出て「上京中、大のtelevi見てゐる」と。
市電にて下総町に帰り、父に会へば悲観しゐる。「城平叔父とはものいはず」と。
史に畠山氏へ電話せしむれば六右衛門氏出て「来よ」といひしと。春夫の本の送料とて1,000を渡し、2包の本もちて市電にてゆけば21:30。
酒のまされ、新潟へ今夜出発、30日上京ときき、22:00ひげ剃り(石鹸箱忘れ置きらし。阪急Hotelには襟巻忘れしらし)、autoにて京都駅。
ヤミ屋に彗星(指定席)急行券500にて売付けられ、ヱハガキ買ひ(100)て乗車。茶2杯(30)。みかん(50)を名古屋、朝食(100)を静岡にて買ひ、9:03東京着。(畠山邸より羽田に電話すれば「来て泊れ」といひし)。
(※欄外別記:母の話に「史、小林政社長殿井に気に入られ、反対に史は殿井をきらふ」と。板原哲夫氏に礼として『白楽天』とtobaccoとに添へし手紙もちゆけと命ぜし)。
(※鍛治初江、八木嬢、山崎実治、井上多喜三郎、肥下恒夫らには連絡せず。)
11月26日
本包み重がりつつ帰宅。裏へ廻れば依子在宅。流感休校と。
筑摩書房の『現代日本文学全集』のわが詩のことにつき、問合せの速達来をり、早速返事す。
藤田幸子夫人より家の地図と「昭子妹の式来春に延びた」と。井上京子生より「すっかり癒った」と。鈴木登美子生より「西宮先生より話きいた」と。23日に芳野清君来しと。最中1箱置きあり。昼寐ちょっとして元気となる。増田春恵より手紙。
夜、坂根千鶴子久しぶりに来り、「踊り習ひゐし」と。悠紀子に6千円渡す。『明清史料』しらべればそろひゐし。
11月27日
よべよく眠り、覚むれば悠紀子すでに出てゐし。岩崎へ礼状(春夫本、預りとせよと)。江口三五、河村純一、古田房子(マフラーありやなしや)へ礼状。松本善海に電話すれば流感にて欠勤。羽田より預りしこといひしも今日来よといはず。羽田にその旨ハガキ。中千枝子、田中秀子へ同。山本達郎博士に南方史研究会のわび状。大東幸子夫人、小林英俊氏へハガキ。
講談社成田節男君に電話して16:00ゆくことときめる。青山定雄教授に「当分の代講なら」と。
井上京子、鈴木登美子2生にハガキ。
弓子の帰り待ちて出、都電にて日ノ出町2丁目にゆき、あと歩きて(※講談社)訪問すれば、喫茶店へ案内さる。「鄭成功」書けと。石原道博のこと云ひしもきかず。大学入試参考書を青山、渡辺2君にやらし、われ監督し、中島敏、杉勇の名借りよと云へば、採用せし様子。歩きて大塚へ出るみち『白鳥博士還暦記念論叢(380)』を見付け、Zweig『マジェラン航海記(130)』、Verne『世界大探険物語(100)』買ひ
て大塚より都電にて帰宅。けふ〒なし。
11月28日
7:40家を出、8:40品川発にて(※防衛大学)登校。10月分とて2,040もらふ。
麓氏と話さず。15:06にのり「横須賀中央」にて下車、本屋をさがし、汐留まで歩き、Singaporeを思ひ出せしは土産物店多きが故なり。神田で下車、雲呑たべて帰宅。
悠紀子帰宅せしを促して古物屋を見にゆき、本棚売れしとて本箱(1,600)買ふ。明日もち来ると。
花井彩生より「歯は入歯でなし。詩人にならず」と。12月分家賃払ふ。
11月29日
晴。10:00本箱もち来りしも一向片付かず。吉田東洲氏より「病臥」と。山本達郎教授より転居通知。芳野清、前田隆一2氏へ礼状。
午后、西宮君よりハガキ、「伝言ききし」由。
17:20夕食して登校。1時限、辻村生「福地君に会ひ、先生上京止めし。下宿またかはりし」と。2時限小野生1人。
丸に電話し、畠山氏上京を伝ふ。中野君に電話し、「明日夜、来れ」といふ。
帰宅すれば速達2枚。1は筑摩書房竹西寛子氏より「写真正面向きを」と。1は東洋大学より「教員の身分に関する件」につき臨時教授会を明日13:00よりと!?
11月30日
妻子ら送り出し、床にゐれば窓を敲きて頼永承氏来訪。『北台古輿図集』を猪肉酥と賜ふ。台湾史料の話し、『パイワンの工芸』『西洋漢名字典』と『悲歌』2冊(1冊は楊雲萍教授にと)もち帰りもらふ。これから東洋文庫へゆくといふに同行せんと云ひしもきかず。
青山定雄教授より「代講の要なし」と。古田房子生より「マフラー忘れありしゆゑ送りし」と。物事旨くゆきてうれし。
12:30出て東洋大学。定員数に中々達せず、14:00前はじまりし。議題は、齋藤晌氏、文学部長を免じられ、大島豊部長事務取扱。他に免職8人。文学部は小沢、広沢2教授。他に野尻学生部長も同と。
文学部教授会でこれを認めざることとなり、われも(※大島氏の)善隣協会専務理事時代のことをいふ。辛島博士拍手せし。
けふ松本善海に電話すれば、坊や出る。「明日午後早くゆく」といふ。
麓保孝氏よりの預り物を齋藤部長に渡せし。
帰れば『桃』来をり、「保田10月20日東京に来をりし」と。中野君来り、あす西氏に電話かけることを約せし。
12月1日(日)
増田春恵に「就職斡旋出来ず」と書き、西寛治氏に電話すれば「これ以上の運動やめよ」ときびしき語勢なりし。すぐ中野君に電話かけて、そのこと云ひ、父にもハガキ書く。
松本に電話すれば「来てよし」と。宇都宮和子より「笠松姓となりし」と。中千枝子より写真2枚と、「姉のこりゐるゆゑ交際を」と。古田房子よりマフラー送り返さる。
東洋文庫よりFuchs教授の座談会を3日(火)16:00〜17:00」と。
12:00出て松本宅にゆき、この間、羽田と2人にて東洋大学に来しときく。出て椎名町下車、池袋まで歩き、地図3枚買ひ、池袋界隈の雑踏におどろき、歩きて林dr.に注射打ってもらひて帰宅。
けふ丸に電話すれば房州へゆきしと。田浦氏には電話かからざりし。
12月2日
悠紀子、けふ休みとて平林英子氏に会ひにゆく。古田房子へ礼状。渡辺三七子、堀内歴より礼状。
悠紀子13:00帰り来しあと登校。須永、亀田2講師相手に熱を吹きしあと、演習すまし、宮崎教授によばれてきけば、矢野健三氏と会ひわがこと話されしと。齋藤部長喜びゐしと。小沢委員長の解職に労組動かずと。いやになり、次の特講やらず16:10竹井君に2度目の電話して17:00[懸]けてくれといひ、雲呑麺食ひ、加藤定雄君に電話すれば「平凡社、創元社でことわられし」と。竹井君の電話きけば「もう80%話きまりゐる」と。明日午前中にゆくと云ひ、夜学やりて帰宅。
弓子またhysterieと。(けふ垂水に便り)
12月3日
紙屑屋つかまへ新聞(1貫匁26×2)、雑誌(仝20×1.9)売る。
10:00出て東京駅より野村建築に竹井眞君訪ぬれば「23日見合して交際ときまりし」と。昼食くはされ、山田、沢田、島などの話す。
別れて西川訪ね、『紳士録』によって大島豊写す。(竹井氏にけふの毎日に(※学内騒動の)記事ありしを教へらる)。
出て共同通信に田浦氏を訪へば「東洋大学の」田中といはせて「会議中」と云はれる!?
隣の日比谷図書館の中国朝鮮書籍展を見てのち、丸を訪ねしも不在。日比谷より筑摩書房の竹西寛子女史に電話すれば、「来よ」と。都電にてゆき写真撮られ、東博氏と話し、別れて都電にて東洋文庫。
和田先生をられ、大島豊のこと話し、喧嘩承知していただく。森克己、小林高四郎、青山定雄、山本達郎、諸教授も出席。Fuchs博士に天理の写真集差上ぐ。話は面白からず。Erich Haenisch、Otto
Frankeの話などわかりしのみ。園田一亀先生をられしことわかり、榎教授より「田中さんなにか話は」と云はれ赤面して閉会。
帰宅すれば岩崎昭弥君より「(※佐藤春夫初版本)5千円では少なすぎるが」と。(飛鳥山で滝遼一『東洋音楽史(70)』買ふ)。
12月4日
午前中無為。前田隆一氏より「野崎と噂す」と。角川書店より400×40−2,400=13,600を現金で。
齋藤部長より先日の決議事項の写。社会学科は全欠。他は過半数?
13:00また学長事務取扱大島豊より6日(金)13:00文学部教授会を速達通知し来る。
中千枝子生にあやまり状かき、前川、浅野両氏に報告かく。『太陽』1月号買ひ来ってよみゐれば、また速達。「金曜出席するな」と。
19:00出て登校すれば、昼、学長代理の学生への訓示ありしと。夜もまたやりゐる様子。渡辺君に講談社の話すれば「承知した」と。
21:00中講堂より出て来し齋藤助手にきけば、「大島の話すみしあと、千野氏はじめる教授の話あり、まだつづきゐる」と。学長室より出て来し大島ら意気揚がらざりし!渡辺君さそって一杯飲む(210)。悠紀子喜びゐる様子なり。
12月5日
7:00起きて防衛大学へ雨中ゆけば学生ゐず。教務課にきけば「行事で休み」と。「11月分手当は送る」と。研究室に平田俊春教授のゐるに気付き、訪れて話す。杉浦正一郎、和田浩と佐賀高で同僚たり。日野月先生が校長たりしと。教務にゆき抗議せしも女の子叱られてすみし!(※意味不詳)
けふ浅野晃氏の立正大学出講日なるに気付き、平田氏に案内受けてゆく。中華そば御馳走となり外より帰り来し浅野氏に話せば、傍に波多野通敏氏もあり(立正大学文学部長と)。
講義はじまり1時間待ちて帰り、親子丼食ひ、五反田より渋谷へ出、青年座へ寄りしに「大は下宿」と。
電話かけて日曜午后来ることときめ、大塚より都電にて帰宅。(渋谷にて『はぐれたる春の日の歌(150)』見付ける)。『果樹園』23号来をり。大森倖二君転居通知。
大島豊より「6日(金)夜学休め」と。夜に入り、「キンキユゴコンダンシタシアスゴゴ四ジオイデコウ トーヨダイ」と電報来り、宮崎教授に電話かければ同文91通打ち、その対策は明日きめると。
きのふ昼も学生大会で大島派やられしと。悠紀子も毎日に記事またのりをりしを持ち来る。
(藤野一雄君より「小林君[宅]でわがハガキ見た」と)。
12月6日
晴。暖し。八木氏より『満文書籍集』はもうなしと。11:00出て東洋大学。宮崎教授に会へば「けふの教授会に1人だけ出ることとなった」と。print見せらる。それをもちて「大安」へゆき『広陽雑記(150)』と『本事詩(70)』買ひ、中教出版にゆき小山正孝氏に会ふ。
「西垣脩氏、胆石」と。
別れて『ホンコン脱出記(10)』買ひ、中央線にて吉祥寺にゆき、竹内好君訪ぬれば「流感なりし」と。宮坂長安君は早大と。大島、人よくなしと。励まされて出、阿佐谷で下車。
和堂書店みつけ杉浦明平『細胞生活(90)』買ひて、水道橋より東洋大学へゆけば無人(14番教室で大島らの話ききゐると)。printと同じく8教授非難のビラ貼りあり。明日ストとのビラは大分はがされゐし。
帰りて(※階上の)平野夫人との応対で悠紀子どなり、あとにて云ひ返されし。
12月7日
東洋大学より「文学部長事務取扱を6日付竜山義亮(教育)とせし」と。
鹿熊猛君より「世田谷区松原みどり荘へ移転せし」と。
13:30依子帰宅。昼食して林dr.にゆき、注射打ってもらひ、マフラー返してもらひ、芳賀氏に電話せしに他出、西垣脩氏に電話すれば「胆石軽快」と。
帰宅して山口玲子より「このごろ楽し」との手紙。田中秀子より「鍛治初江君宅にあり」とのハガキ見る。
大学のこと心配なれど仕方なし。
12月8日(日)
雨。竜山偽部長より「9日(月)13:00教授会」と速達。西宮一民君より『帝塚山短大研究年報5』と新聞。石浜先生古稀記念会より「会費を来年1月までに」と。丹波鴻一郎へ電話せしも不在。田辺東司君へ電話すれば杉浦夫人来てをり、「近々挨拶するつもりなりし」と。
笠松(宇都宮)和子、西宮一民、竹内好、山口玲子の諸氏にハガキ。
野田宇太郎『関西文学散歩』出版記念会(18日(水)17:00千代田区役所4階会議室)に出席通知。
大より電報「キヨウコラレズ」と。13:30出て新宿で羊羹2箱(300×2)買ひ、祖師谷大蔵下車。
まづ栗山理一氏訪ね、角川の礼云ひ、東洋大学のこと云へば、「来年(※成城大学に)新設の史学科に考慮せん」と。
出てすぐ近くの青山氏訪ぬれば、米林富男(東洋大学社会科主任)と知合と。いろいろ話してうどんよばれ、出て経堂下車。小高根太郎君訪へばすでに門をとざす。駅に引返し、思案して新宿へ出、ちょっと散歩して帰宅。
留守に田中順二郎夫妻来訪、お歳暮賜ひしと。「ゼヒデテクダサイ」の同文電報来あり。宮崎教授に電話すれば「出よ」と。
(けふ経堂にて『Philips’ handy-volume-atlas 18ed.』100なりしを買ふ)。
12月9日
岩崎昭弥君より佐藤春夫(※初版本)受取ったと。12:00出て東洋大学へゆけば、宮崎教授の室にて齋藤、佐藤、南日、早坂の諸教授集りをり、千葉君とともに加はり、13:00会議室にゆけば大島派12,3人集りをりし。やがて龍山義亮(元弘高校長、教育学)の議長にて始めんとせしゆゑ、齋藤氏起ちて話さんとせしところへ大島来り、その後退席をきかず。40名ほど出席して19:30まで闘争。くたくたになる。
途中入りて話さんとせし同窓会副会長柳井君を野溝七生氏となだめにゆき、後刻話さんと約せし。
散会後、そば食はしてもらひ、千葉、西ら10人にて同窓会と話し、20:30すみて、おでんやにゆき千葉氏と飲みゐれば、柳井君とともに入り来し、畑山博とて『歴程』同人と(赤羽中学校長 ※東洋大学講師、『歴程』同人「畑山浩」)。わが『西康省』知りをり、また飲まされ瀧野川の家へつれゆか
る。齋藤氏を退職、他を停職とする予定、「お前は引受けた」と!家まで送られ、礼云ひて帰せしあと戦慄。動悸し六神丸のみてやっとおさまる。
鈴木助次郎の出版記念会を13日(金)18:00「レバンテ」にてと(「夜学にてゆけず」とことはる)。
12月10日
10:00までねて(6:00まで不眠)、朝食。筑摩書房より写真来る。13:30弓子帰り来し故、留守[番]さして畑山氏を訪ぬれば同じく欠勤と。14:30まで話し、『悲歌』贈りて帰宅。入浴。
史より手紙来り、「岩崎君に本(※佐藤春夫初版本)送りし。板原氏に礼もちゆきし」と。夜、坂根千鶴子生来り、「山本陽子生、大阪にて肺炎」と。
「明日14:30より教授会」との速達また竜山義亮名にて来る。(けふきけば、塩山の三沢師、もと東洋大学常務理事たりし。畑山氏の2,3年先輩と!)。八木、岩崎、藤野、田中秀子へと4枚ハガキかく。
12月11日
『不二』正月号に「わが昭和33年の抱負」400×3を20日までにと。東洋大学校友会より「調停委員会にまかせよ」と。
悠紀子に電話して住宅課のこときけば14日までよしと。13:00出て東洋大学の研究室へゆけば、野尻、広池、小沢の3教授あり。畑山氏に会ひし顛末を(千葉氏よりききしと)話せといふに、誠心誠意話せよとすすめ、学部長後任云々といふに柳井正夫氏にききゆけば、野口(中国語)君ゐてきけず、ここにても三沢氏のこと云ひ、「Anggin」にてcoffeeのみてのち、会議室にゆけば、齋藤氏あり。「君に来てもらってすまなかった云々」。
さて会議始まれば竜山議長、前日通り。大島やや態度かはりし様子なりしが、退席もとめて大島出しあと、けふの議題は「諸氏よく御承知ゆゑ申さぬ」との竜山の言にわれ、「何をいふか、とりけせ」とどなり、とりけせしもあとにて堀秀彦に云はれ、ともかくわれも取消して了解となりし!
(四元学生課長にも退席せしめし)。
大島、小野、勝の話のあと、4教授の抗論あり、「ゼヒデテキテクダサイ」は元々社あとよりの発信までしらべゐしを知り、また大島の竹村氏と一高同窓なることも知る。
防衛大学へ「アスヤスム」の電報を庶務より打たせ(し筈)、鈴木生に休講あやまり、居合せし女子学生より好かれし。また千葉氏と一杯やり帰宅。
けふ途にて原田淑人先生に挨拶し、国富博士に自己紹介し、勝承夫理事にも挨拶せし。
12月12日
晴。浅野晃氏に電話かけ、明日午前ゆくこととせし。15:00京を留守番として都庁にゆき、住宅の申込用紙もらひ、西川に寄り、大島のこと云へば「中々の勢力者」と。別れて田端下車。散歩して上中里より都電にて帰宅。
「14日(土)14:00教授会」とまた速達。
12月13日
雨風の中を8:30出、東京都庁へ住宅困窮の申請書もちゆき、有楽町まで歩き、国鉄にのり目黒より田園調布へゆき、浅野氏の新宅は新築なることを知る。
齋藤氏の援助云へば「高慢ゆゑ」と見殺しの態に落胆。折柄来あはせし『国民評論』の河野芳郎氏の話すをきけば「森本忠氏健在。佐々木望君、小説をかき『文芸日本』に投稿せし」と。
今夜の鈴木助次郎氏『駿河大納言』出版記念会への伝言たのまれ、出て思案し蒲田をへて雪ケ谷にゆき、rice-curry食ひしあと、雪ケ谷depart.内の中野英夫君訪へば、新妻と店にあり。
やがて二階の私室に案内され、「三沢師はむかしの師にあらず。金に汚し。遺骨宰領に来春、中国にゆくやもしれず」と。大島を知れる如く「俗事より手を引き教育に専心せよ」と(※自分を)さとす。佃煮もらひて出、急ぎて16:30帰宅。
鍛治初江君より「ミキモト・パールすでにきまりをりて就職できず、家事やりゐる。新田嬢(新副手)11月結婚して東京にあり。伊藤生来春鹿児島へとつぐ」と。
夕食たべて登校。歴史の大学院研究室は無人。西田卯八博士と話せしあと、吉原生の病気癒りしとあひ、演習辻村生と2人となる。ついで現代史は小野生と2人相手にやり、すみて小野生に誘はれ酒のむ。曰く「金曜の2時限が唯一の楽しみ」と。微酔して帰宅。
茶漬くひゐれば、訪ひしは畑山夫人、「すぐ来よ」とのことにtaxiにのせられてゆけば、「black-listにのらぬやう、明日の教授会出るな、出たら発言するな」と。三沢師のこと訊ぬれば「高潔」と。齋藤氏退職、あとは現在のまま、ただし明日の教授会にては議決せずと。
帰宅すれば23:45。
(『駿河大納言』の会へは電話してことわり、浅野氏の讃辞伝ふ)。
12月14日
鍛治初江君へ手紙。『果樹園』『骨』さがし出す。史へハガキ。
13:00畑山君へ雑誌もちゆき、夫人に言づけし(東洋大学へゆきゐると)、東洋文庫へゆき『世祖実録』『李朝実録』『朝鮮史』よむ。16:00帰宅。入浴、痔わるし。
悠紀子より「21:00まで帰れず」の電話、平野夫人とりつぎくれ、21:30帰り来り、6,000、bonusとしてもらひしと。
12月15日(日)
中千枝子生より「気にかけず」と手紙。14:00出て西川にゆけば夫妻とも不在。紅茶とMilkとおく。
室町3丁目まで都電でゆき、田辺東司君を訪ねしに「杉浦家へゆきし」と不在。浅草橋まで歩きて帰り来る。
12月16日
『バルカノン』来しのみ。14:00出て東洋大学へゆき、演習にただ1人の学生相手とし、すみて心配しゐるときく中、千葉氏来り、この間攻勢に出られしときく。
ついで特講すませて雲呑くひ、概説すまして宮崎教授(※宮崎幸三)に礼いふ。東洋大学一の正義派なり。(土曜、大島のよみ上げし「怪文書」に白鳥先生のことをつづると千葉氏の話)。鈴木幸太郎生へハガキ。
12月17日
平田俊春氏へ礼状。渡辺三七子へハガキ。防衛大学より「8,160(9,800×0.85?)三菱銀行王子支店で受取れ」と。
西川英夫より「近日中に来る」と。竜山義亮より「18日(水)15:00教授会」と。石浜論叢委員会へ題目「通訳グルマフンについて」と届ける。
訪ふ人を誰かと思へば西保泰男氏。今日午后飛行機で帰ると。Port-wine賜ふ。
午后散髪にゆき、帰れば田辺東司君よりわび状。昼寐しをれば石口敏郎君来訪。国文の卒業論文について質問す。
12月18日
早朝、小室栄一教授より「本日の教授会にぜひ出席せよ」と速達。「通訳グルマフン」5枚かき、昼食して三菱銀行王子支店にて8,160受取り、秋葉原をへて神田。『李太白』6冊(250)買ひ、山本書店にてFerrand『明代倭寇考略(160)』買ひてのち曙町。Anggin
に紅茶のみに入れば亀田講師をり、『李太白』1冊与へ、研究室にて千葉栄氏に1冊与へ、大森君にも1冊与へて齋藤、野尻氏と会ふ。
野尻、小沢の2氏は3月末退職と。教授会に出れば大島、態度やや改まりて愉快。
17:00まで小沢氏の竹田復氏との関係きき、辛島驍氏に委任状托して中座(小室氏「明大へ来ぬか」と云ひし)。
千代田区役所での『関西文学散歩』出版記念会に出る。矢野峰人(衾町に転宅されしと)、栗山理一、木俣修、西脇順三郎、日夏耿之介、石田幹之助、正富汪洋、小堀杏奴、嘉治隆一、長谷健、伊藤整、高橋新吉、幸田文等の諸氏の話あり。われ林(※林富士馬)、斎田(※斎田昭吉)2君とならびて話なし。
20:00出て、金尾文淵堂『寂しき人々(200)』買ひて、秋葉原をへて帰宅すれば、畑山氏来訪。さそひ出して酒のまさる。「わが去りしあと教授会は調停委員会裁定をのみし」と(『李太白』1冊贈る)。
12月19日
よべ不眠にて防衛大学へゆき、やや元気に講義す。小泉嬢けがして休みとか。代理の嬢、気がつく人なりし。平田教授は自宅。
昼休み、教務課にゆきてきけば電報の届にてよかりしと。15:00中哲の助教授と話しつつ帰る。荒木中尉の下級と。大森海岸で下車、大森まで歩き雲呑くひて帰宅。
『文芸春秋』買ふ。楠戸規美子生の父逝去らしく年始の欠礼届来しのみ。
12月20日
平田俊春氏に『李太白』送る。年賀状の印刷出来しをとりにゆき、活字汚しと叱りしもとりあはず(300)。八木嬢へ「履歴書たのむ」と。『文芸日本』の忘年会24日18:00から300にてと。
頼永承氏より年賀状(12月4日帰宅されしと)。角川書店へ忘れゐし受領書出す。鹿熊猛君にハガキ。
16:00辛島博士より電報「明日10:00必ず出席乞ふ」と?
夕食して17:00東洋大学へゆけばsalary18:30ごろ出ると。研究室にて千葉教授にきけば、明日齋藤氏の査問会と。西川君より送り来し『同行』見す(石橋派なるらし)。
出て神保町をへて都電「青山六丁目」にゆき『不二』社訪ひ、けふしめ切りの原稿ことはる(『昭憲皇太后』をみやげにもちゆく)。宮益坂の古本屋2軒ともしまりをり、失望。
青年座にゆき大のこときけば、「わからず。25日忘年会」と。地下鉄にて上野をへて帰宅。
12月21日
10:00登校。Salaryもらふ。三浦嬢「年内に遊びに来る」と。宮崎教授の来るをまち、きけば「齋藤氏に有利にせん」と。
10:30はじまり、瀬川「齋藤氏の訪問の結果、決裂」と報告。ついで市村其三郎「中世的な男らしさ。大野になるか大石になるかの齋藤派は大野になることをすすむ」と原稿よみて演説し、ついで馬場文翁「古くよりの知合なれど云々、大島とは一高で同期」といふ。村松、宮崎、早坂、国富、鳥山諸教授の提案にて「教授会の権威と自由みとめよ」の意見を新部長をして云はしむること満場一致で通過!!
ついで寄附行為規則改正委員に鳥山、辛島の2氏。教授会記録確認委員に早坂、西の2氏と歴史科の策戦成功。
12:00すみて小室氏を26日午前中訪問の約束し、千葉、土屋敏雄2教授さそひて白十字(途中、芳賀氏に会ふ)。昼食しbeerのみて別れ、琳琅閣にて秋山『東亜交渉史論(120)』、井上書店にてRiess『台湾島史(250)』買ひて東洋文庫。きもちよく勉強し、山本達郎教授に廊下で挨拶し、和田先生をられるに会はず(青山氏に遭ふ)、丹波邸に寄れば(※丹波鴻一郎)未帰宅。
帰れば宮崎氏の出席をすすむる手紙のみなりし。(けふ小室氏に成瀬正勝=雅川滉(※筆名)教授に紹介してもらひし)。
12月22日(日)
曇。寒し。筑摩書房竹西寛子氏より『コギト』1冊貸せと。石浜先生記念会より「グルマフン」で宜しと。
牧野吉晴氏(50才)、昨夜銀座のbarで斃れしと新聞に見ゆ。佐々木邦彦君の絵にあふ額縁(70)買ひ来る。賀状110枚書く。佐々木君の絵もちて畑山氏にゆく。酒よばれ「牧野氏、他殺の疑ありて解剖されし」と高橋中也画伯の電話きく。『恋愛名歌集(30)』買ひて帰宅。
賀状「父、田中城平、大江艶、田中康平、田中昌三、林茂子、田中三郎、柏井数男、西島健、青木千草、和田賀代、大江勉、増田久美子、林俊郎、丹羽千年、難波逸夫、西島寿一」18
「和田清先生、西角桂花先生(※小学校恩師)、村田幸三郎、沢田直也、隅田先生(※帝塚山学院)、岡田剛先生(※帝塚山学院)、松本一秀、倭周蔵、西川英夫、千川義雄、浅野建夫」11
「坪井明、竹内好、山本治雄、石浜純太郎、江口三五、硲晃、池沢茂、小高根太郎、湖東栄次郎、丸三郎、村山高、中野清見、西寛治(※東京新聞)、長尾良、大河原倫夫、関口八太郎」16
「野上弘、荒井平次郎(※大阪府庁)」2
「植村清二、鳥山喜一、和田久徳、白鳥清先生、松本善海、羽田明、川久保悌郎、桑田六郎博士、神田喜一郎博士、神田信夫、岩井大慧教授、手塚隆義」12
「田中順二郎、山本八郎、山根忠雄、芳野清、八木嬢、依田義賢、矢野峰人博士、赤川草夫、天野忠、荒木利夫、浅野晃、秋山健三夫妻、千場栄、青山定雄、藤田亮策教授、麓保孝教授、林富士馬、服部英次郎教授、井上多喜三郎、畠山六右衛門、岩崎昭弥、板原哲夫、石浜恒夫、河村純一dr.、大東勝之助dr.、桐山眞(※毎日新聞)、小高根二郎、小山正孝、栗山理一、小室栄一、辛島驍、北園克衛、三苫(※帝塚山学院事務長)、前川佐美雄、久礼田房子、村松正俊、前田隆一、村上菊一郎、元市有奏、宮崎幸三、長沖一、中河与一、西宮一民、西垣脩、中野英夫、高橋重臣、楳垣実、西保泰男、杉山平一、齋藤晌、田中勤」51 計110枚。
12月23日
朝より「Gûlumalûn」考へゐるも書けず。12:00すぎ郵便。
鍛治君より「いまのところ結婚考へず」と。山中タヅ子君より「この間の電話で泣いた。見合一度してことわられた」と。坪井明より喪中欠礼。岩崎昭弥君より岐阜でとりくれし写真2枚。
鍛治君へハガキ。をみな子のこころ弱くてひとすじにすすめぬことをわれも知りたり。
14:30依子帰り来りしゆゑ、都電にて筑摩書房。竹西女史に『コギト』3冊貸し、(王子郵便局にて年賀郵便投函。『李太白』を青山教授に送る)、駿河台の元々社小石邸にゆき見しに無人。
引返して『Hongkong(100)』と軍書5冊(30)買ひて都民銀行。「この間中野清見来りしも、(※子息の就職)斡旋みな駄目なりし」と加藤君語り、手帖2冊賜ふ。
蒲池家へゆきしに不在。秋葉原へ出て帰宅。「ラマンチャ」の新年宴会は1月11日(土)17:00より中河邸にて会費300と米一合と。
(けふゾッキ本にて『楊貴妃とクレオパトラ』35円にて2冊見付けし)。
12月24日
寒し。紙屑28円売る。島稔夫人より「物贈る」と!八木嬢より子どもらにCristmas-card。
速達にて筑摩書房の校正来る。13:00筑摩への速達送り、山中タヅ子、岩崎昭弥、坪井明、中千枝子へハガキ書き、東洋文庫。16:30までに『李朝実録』見了りて帰宅。
硲晃君への礼状書くところへ坂根千鶴子Cristmas-cardもちて来る。ともに夕食しcakeたべてのち、池袋までbusにて同車。明日帰阪と。
文芸日本の会、19:00すぎまではじまらず、浅野氏(齋藤晌氏6ヶ月ほど静視すと云はる)、中谷孝雄氏の外、一戸務、林富士馬、伊藤桂一(鈴木生来をり)の諸氏。榊山潤氏、閉会まぎはに来りて牧野吉晴氏の死にぎはを話す。
林邸へ同伴、「味の素」贈る。(長谷健氏もこの間、死にしを林君も云ふ)。
12月25日
島稔と北野徳治氏より贈物。社会思想研究会出版部八坂安守氏より『李太白』出したしと。京大より「授業料4,500を1月23日までに納めよ」と。花井彩よりCristmas-card。
午后、八坂氏に電話せしに不在。午后、東洋大学教務課より「年末手当支給された」と。山本達郎博士より『歴史の見方』賜はる。入浴。楠戸規美子へ弔状。京、太田dr.の家へ招かれ、21:00まで帰らず。
12月26日
8:30家を出て西荻窪へゆき小室栄一氏訪ぬれば、夫人出て「電報打ちことはりし」と。上げられてport-wine贈り、履歴書わたす。青山公亮先生に(※明治大学斡旋)云ふと也。
途中にてchocolate買ひ、竹内好訪ぬれば「この間、小沢氏来り、楽観的な顔しゐし」と。「さにあらず」と力説して12:00出、駅前で中華そば食ひしのち阿佐谷に下車。
和田先生に電話すれば御在宅。1時間してお訪ねすと云ひ、新宿にて毛靴下買ひ(1000)参れば、至文堂の編集来をり、帰りしあと東洋大学のこと報告し、(「白鳥と大島の喧嘩のときは白鳥の方(※分が)わるかりし」と)、成城のこと云へば「推薦承知」と。
明大のこといへば「(※斡旋すると云った)小室君は君の悪口云ってるよ」との仰せ。
石原道博、教育大に博士論文提出せしと。「君より猟官巧みだよ」と。
よろしく願って出れば雨降りをる。(聖心女子大(※講師斡旋)、原田先生承知されしも2,000と)。
水道橋へゆきライフ社探せしもわからず。小山正孝君呼び出して探してもらひ、もとの元々社あとなることわかる。ゆきて齋藤先生に会ひたく連絡たのむと云ひ、「Köln」にて喫茶。17:00(※小山氏と)別れて古本屋見るうち眩暈して帰宅。
影山正治氏より『千里行脚歌集』。篠田統博士より『鮓考』その他。硲氏より送り状。
八木氏より「(※履歴書)Type、25日すぎになる。T君にはこのごろ会はず。岡田温先生より機を見てと云はれし」と。大東夫人より『詩経』よみゐると。社会思想研究会出版部八坂氏より「1月7、8日頃会ひたし」と。兼頭歌子氏より喪中欠礼。
12月27日
夜半に雨やむ。小室栄一氏へ速達。山本達郎、影山正治2先輩へ礼状。24日大川周明、けさ砂田重政逝去と。
鍛治君より送り状。平田俊春氏より『教育者』5月号に400×20、2月末までに書けと。中河与一先生より『探美の夜』。
平田俊春氏へ諾と。中河与一先生へ礼状。兼頭歌子、淳子母子へ挨拶。鍛治初江君へ礼状。畑山博氏へ賀状追加。
夕食中「あす2時来よ」とライフ社より電報。井上恵子より菓子。
12月28日
8:30電報局へゆき小室氏へ「2ジコラレタシ」と打つ(76)。家へ帰り呆然としをれば、三浦久子嬢来りbonus8,000わたし呉る!!! カステラ賜ひ、詩3篇見せられる。詩はみな面白く、話すうち訪ふ声に誰かと思へば村田幸三郎と西野平造。
三浦嬢去らしめしのち話きけば、年越せず。東京銀行に話したしとのことに待ちゐしautoにて浅草支店へゆき、奥戸武君に紹介す。話わからねど12月分のsalaryとbonus払へぬらし。
13:30となり出てtaxiにて三崎町(190)。東京ライフ社へゆけば齋藤先生まだ来られず、そば食ひ待つ中に来られ、「転任よろし。自分はガンバる。『李太白』は4月元々社より出す予定」と。
茶のみにつれゆきたまひ、16:30別れて「大安」へゆき、和田先生より承りし珍本『帝京景物略(90)』のほか、陳寅恪『唐代政治史述論稿(140)』、汪伯岩『中国近代史講話(160)』、『北京游覧図(30)』買ひて帰宅。
けふ史8:00帰宅。本2冊もち帰りし。齋藤先生より「死ぬる前に」いただき、影山正治氏より「いつにても書け」と。林富士馬氏より屠蘇散。
夕方、訪ひ来しは西島寿一君。礼として菓子など呉る。悠紀子帰るまで待たし風呂敷返せし。
防衛大学より12月分として4,080来し。ふしぎなる日なりし。
12月29日(日)
家賃払ひ、餅代払ひし。井上恵子、八木嬢(朝、速達にて(※タイプされた自分の)履歴書2通と幸福の米とどけてもらひし)、齋藤先生へ礼状。大東夫人、篠田博士へ返事。寺本和代より喪中と。物送ったと。渡辺三七子より「骨納めした」と。押上(得津)佳子より「妹の入学につきたのむ」と。
史をして大に電話せしめしに不在。午后青木へゆき、年賀に来るときいて来る。
12月30日
9:30三菱銀行へゆき、防衛大学の手当もらひ、河村敬吉『若き鴎外の悩み』買ひ、ハガキ100枚買ひ、朝食し、昼食まへ京つれて十条まで散歩。野上豊一郎『エヂプトの驚異(90)』、岡崎義恵『鴎外と漱石(40)』買ひて戻れば、中野剛宣君来しと。昼食了へれば再来。日活の2次まで通りしと。けふ16:00帰郷と。
防衛大学へ受取。押上佳子へ「長沖、西宮氏に直接たのめ」と。悠紀子19:30帰り来り、salaryとbonusとにて史への金を出す余裕なきことを申す。不快!
12月31日
晴。寺本和代より織物2枚。その礼状と渡辺三七子へハガキ。父より「体が第一」とのハガキ。栗山理一氏へ履歴書送る。悠紀子18:00帰り来り、風邪ぎみとて何もせず。