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田中克己日記 1952


【昭和27年】

帝塚山学院短期大学の教員に落ち着いた詩人ですが、それにともなひ、住まひも彦根から布施市(現東大阪市)徳庵の富士鋼業の社宅へと移ります。 前に述べたやうに、帝塚山学院短期大学の理事長が富士鋼業の社長。そこで重役を務める叔父たちの差配に従ひ、短大の講義だけでなく社員寮の管理も任され、 生活の安定確保が成ったのでした。

 関西の東端から京都を通り越し大阪に活動拠点が移った結果、足しげく通ふ友人も、大阪高等学校時代の旧友である、長男が通ふ大手前高校の教員であった坪井明や、 吹田事件で多忙となる弁護士山本治雄の名前が頻繁に記されるやうになります。ことに大高クラス会の幹事にもなった坪井氏は、長男の進学相談に乗ってあげたりと、 天理時代の服部正己氏や京都時代の羽田明氏のやうに、詩人とは相性の良い気安い関係であったやうです。

 さうして関西在住の旧コギト同人らの話題が増へるわけですが、髯を生やし長髪となった保田與重郎の話にはじまり、薄井敏夫の訃報、中島栄次郎の蔵書、 松浦悦郎の遺構集『五つの言葉』を遺族から譲り受ける話、そして同窓会に誘はれるも会費がなく、閉会間際にやってきた肥下恒夫の話に至っては、 のちの運命を思ふと不憫に思はれてなりませんが、それを受けてのことでしょう、就職口を坪井氏が探してきたり、それを断った農生活に徹する信念の堅い肥下氏のために、 今度は種子代を集める発起人になったりしてゐます。

 その他、コルボオ詩話会では小高根二郎、井上多喜三郎、臼井喜之助といった脱会者・除名者が相次ぎ、異動そして世代交代が始まってゐます。 田中克己には「休会」といふ名誉同人的沙汰が近江詩人会同様に申し渡されましたが、こののち詩人は小高根二郎とともに雑誌『果樹園』を立ち上げることにります。 そこで小高根が伝記連載の対象に選んだ伊東静雄、彼の病床を詩人が見舞った記録もこの年の3月24日に見え、目を引くところです。

 けだし7月には新薬ハイドラジッドによる小康が伝へられたものの、昭和24年より永らく療養生活を続けてゐた伊東静雄は、翌28年3月12日、 47歳で入院先の病院で結核に斃れます。詩人が見舞に行ったのは亡くなるほぼ一年前、そのときの回想が当時の雑誌に掲載されてゐますので抜粋して掲げます。

病院

(前略)それから二十年つきあひをつづけ、二十七年の三月廿四日、意を決して千代田村の大阪病院長野分院に伊東を見舞ふ。
 意を決してと書くのには色々わけがある。同じ病気でねてゐる保田與重郎から、自分の代りに同病の友を見舞つてくれ。医師からきけば夏までもつまいといふ手紙を受取つてから何日かになる。
 死ぬと決まりつてゐる病人を見舞ふのには勇気がいるのである。その上、病気で神経がますますするどくなつてゐる人間に、こちらの表情を見られるのが一番つらい。
 僕は林檎の入つた籠をぶら下げながら、思案にくれて病院へゆく坂を登つて行つた。しかし面会の結果は来てよかつたと思つた。
 病人は声もかすれ痩せてはゐたが、笑ひかけていろいろと話す。最後に「あまり腹を立てなさんな」といつて笑つた。
 昔ながらの腹立て虫が四十を過ぎて相変らず腹のすはらないのを隣れんでくれてゐるのである。僕はありがたいといふ目で、笑つて答へて病室を出た。
 外は三月の末には珍しい吹雪である、雪の小止みになるのを待つて、食堂でうどんをすすりながら、伊東はもう腹を立てないんだなと考へてゐた。
 あのするどい神経の詩人が腹を立てなくなつたのはいつからか。息さへしなくなつてからももう何ケ月かになる。
                                   『詩と真実』8号 (昭和28年11月) 関西詩人会発行より

 私自身、「小野十三郎が見舞ひに大枚を包んできてくれたと云はれて。まいった。果物なんかを持参してきた自分が恥ずかしかった。」  といふ話を、晩年の詩人から直接伺ったことがあります。しかし日記には、「小野十三郎1万円もち来り恥ぢいりしと。」  と、見舞に現金を包まれた伊東静雄自身が恥ずかしがったこととして書かれてゐます。特効薬が高価なため辞退する言ひ訳をしてみせたり、最期まで含羞の生活を貫いた伊東静雄でしたが、 現金の見舞は助かったに違ひなく、小野十三郎との見舞品の差を辱められたわけではなかったこともわかります。

 またこの見舞は保田與重郎の便りが伝へた病状に驚いてのことであり、報告がその後、詩人により方々になされてゐることが知られます。これまでみてきたとほり、 日記から窺はれるのは、詩人の筆まめ且つ訪問魔ともいふべきアクティブな行動履歴でありますが、この年、実は一度も田中克己は保田與重郎本人とは会へてゐません。 両者の交友の一番の相違は自分の学生時代を知る友人との関係にあり、超然と構へる保田與重郎は、恩師のためには動くものの、文芸と関はりのないクラス会には行きません。 一方、連絡を入れれば旧い仲間内全体に話を伝へてくれる、フットワークの軽い田中克己の存在は、保田與重郎に限らずこの時期の大高同窓生にとっての要めの消息筋として機能してゐたことが、 日記によってほぼ証明されるやうな気がします。

 さうしてかたや恋人の結核については快方に向かってゐるやうで、よかったと申すべきか、名前を伏せて書いてあるので却ってわかってしまふことなんですが(笑)、 デートはしてゐるやうであります。しかし生活の安定や彼女の病気が頭を冷すきっかけとなったものか、詩人にとって「恋」は、むしろするより相談に乗る側に移った感じもいたします。 彦根時代の後輩である藤野一雄さんと岩崎昭弥さんのお二人が、とある女性をめぐって恋の鞘当てを演じてゐた(?)など、(そして二人おなじく破れたらしいなど)、 初めて耳にしたことでしたし、そののち当の彼女が別の男性との恋に走り、煩悶を詩人に訴へるべく、絶交したはずの岩崎さんと同道して彦根から詩人を訪ねてきたなどといふ条りには、 噴き出してしまひました。詩人平光善久氏から詩集を送られ挨拶されたのは、岐阜に転居した岩崎昭弥氏からの口添へもあってのことだったでしょうか。 同庚の伊藤賀祐氏もこの年に岐阜へ移り、のちに岐阜大学医学部名誉教授となられて何と2011年まで存命だったといふことを知り、驚いたことでした。(つづく)


昭和27年1月1日〜昭和27年12月31日
25.0cm×17.8cm 横掛ノートに横書き

ノート   田中家系図

1月1日
10:00会社へゆき年賀。叔父今年より好景気とのニュースを得しと。乾杯して帰り年賀状105枚受取りしところへ岩崎昭弥、藤野一雄の二人来り、 ややして岩崎君保田にゆき藤野君と20:30まで話し寝しところへ昭弥帰り来る。保田髯生やし長髪となれりと。
けふ徳永昭子、●雅子、中田秀雄、寺島徳八郎、、太田守松、林正哉、河村純一、岩崎次男、岩佐東一郎、百瀬弘、岩崎寿雄、鈴木治、金井寅之助、山崎忠、依田義賢、西島寿一、 平戸禎一、佐々木邦彦、澤田直也(退官と)、藤井通雄、諸氏へ年賀かき、状なくなる。昭弥百人一首呉る。うれし。硲晃君、 年賀に来り白鳥庫吉『朝鮮語とウラルアルタイ語』置き、史に小遣ひ賜ひ上らずして帰りゆく。

1月2日
9:00藤野君近江詩人会費200もちて昭弥と退出。賀状5通。外に橋本貫一のハガキあり。午後亀井母子来り砂糖呉る。戦災の話してゆく。けふハガキ50枚買はせ賀状の返事かく。やや寒くなり概ね炬燵にあり。

1月3日
けふも賀状20枚ほど。終日臥床、入浴せしのみ。
初ゆめに出で来しなれとほとほとにものいはず来てさめてかなしも。

1月4日
家居4日目。八木嬢より5日頃来るやもしれずと。藤野君より礼状。夕方、浅沼君に賄のこときけば1ヶ月3000にても引受けがたしと。
わが思ひかよはずとありと思はねど山川越えて何の神ぞも。
夜22:30より歯疼む。
泪もてつづる日記を書きつがむ心はとはとわれも知らずも。

1月5日
川村多実二、日野月、池内諸先生より賀状の返礼いただく。西垣修(※西垣脩)、芳野清、川崎菅雄、星斌夫、和田久徳、宮本正都より賀状。山城生より年末父を亡くせしと。10:00家を出て省線で上洛。 吉野書房へゆけばもう執務。池内先生の校正表のこといひ、天ぷらうどんよばれ奥西保(また歯痛)高鳥君らと話し、社長と一寸話して出、衣笠校まへの荒木二三邸へゆく。 大浜、高橋、小高根などみな来ず。いやになり羽田に電話し(『Variétés sinologiques』近く連絡すると)ゆかんとせしが思ひ直し宴会に出、 酒のみ苦しくなって佐々木君に干柿もらひて山村順と新京阪で帰阪。
われ待つとあるひはきみが佇ちけらし駅のホームを夜となりてゆく。
けふ悠紀子、杉浦家へ答礼にゆきしと。和歌山の寮生池田庸夫?われにコーヒーおごりてくる。はじめて也。

1月6日(日)
家居。伊藤徳、伊井玲子、高橋重臣、萩原基衛、篠田統、中村地平の諸氏より賀状。羽田亨先生より賀状のお返事。山城生へ悔み状かき、諸友へ賀状。

1月7日
寒し。終日炬燵をはなれず。和田先生、工藤先生、宇都宮清吉より賀状の返礼。関大高校の武本生、近江八幡の錦織君より賀状。
かの子はも炬燵にあたりむだ口に我を忘れてあるがごとしも。
けふ天理の中村孝志君に抜刷送る。

1月8日
寒し。岩崎昭弥よりハガキ。午後思ひを決して肥下にゆきコギトそろへてくれよといふ。けふ片山君と全田純子の結婚式と。出て大江にゆきお徳叔母と3人で夕食。 田製薬の話すればゆきて見よと。20:00帰宅。留守中、羽倉君来しと。新聞社駄目なりしと。杉浦総務部長来られ黒田の話専務待ち受けゐると。
汝を負ひて荊棘の中わけゆきしいつの夏ぞも今も忘れず。

1月9日
寒し。午まへ坪井より夏の写真、よく写りゐる。竹内(※好)のリーベ大塚女史よりところしらせてくれと。山前実治よりバイロン11500と。埜中より「くれなゐ」『天雲』を15日迄にと。 八木嬢より手紙。6日毎となりしと。神田信夫、高鳥賢司、白鳥清先生より賀状。会社へゆけば専務あり。「黒田の話急がず」と。タオルを賄にもらひ、 徳野酒店の[上書]に対する非礼を竹村保長にいひ電話かけさせ亀井まで歩き、ともに出て布施までバス(20)。孔舎衛坂まで電車(40)。留守とて引返し上六(60)。 ともに天ぷらうどん食ひ(140)、北浜の黒田へゆけば(20)銀行と話中と。明日電話かけよといふに引返し(20+20)帰る。夜、黒瀬の顔見たく呼びしにかまぼこ呉る。

1月10日
登校。石浜先生にお目にかかる。正月禁酒をとかれしと。藤枝のこと云へば放つてくれと。藤枝より「中島栄次郎文庫」との印彫りて住吉へ届けしと2日付の手紙来あり。
歴史の授業すまし黒田の吉岡専務へ電話すれば来よと。行きて話せば550万円と。天満橋で新見吉治『日本に於ける武家政治の歴史(40)』買ひち、バスにて会社へゆけば叔父出しあと。 15:30も一度ゆき話せば明細表とり来よと。けふ眞野喜惣治君より賀状。

1月11日
よべ雨降る。10:00出て片町より黒田製薬にゆきしも吉岡氏出られしあと。置書し、梅田7日毎になりしわが会ひイエホヴァ神定めし数と思ひつつをり、お好み焼き食ひ、 小坂の堀内にゆきシェークスピア全集のこと云ひしも返事よからず。ワ゛リエテのこともぴんと来ぬ様子。本庄『我国近世の農村問題』、竹越『日本経済史3』、一柳『印度の法律思想』、 富倉『日本戦記文学』4冊で90。山口実にゆきお茶のみ新年宴会のことわり云ふ。帰れば相馬、服部正雄、犬養孝諸氏より賀状。川邨みしほ氏より15日歌会すと。けふ留守、武村生来り、広瀬来しと。

1月12日
登校。住高山本君来りしと。文学史2時間すませば待ち居り、文芸へ1人志願す。大毎の支局長の女、よろしくたのむと。コーヒー奢り呉る。ともに出て木村書店にゆけば主人留守。 帰れば日野君『沙翁全集』買ひたしと。1500と決めて帰る。神田先生より賀状、平凡社より宣宗仁宗(1枚づつ)末日までにいかにやと。けふより寒し。

1月13日(日)
寒し。植田弥之助氏より14日16時来よと。日野月先生より佐賀大の河瀬先生のこと。西垣(※脩)君より『三角帽子』2冊。午すぎ武本生来り15:30まで話しゆく。 夜、大浜君の紹介にて西宮君(※西宮一民)来る。奈良中、皇學館、京大卒。近畿専門学校に今ゐると。タバコ賜ふ。

1月14日
悠紀子より1000もらひ定期買ひ『奥の細道』教ふ。雨にて寒し。守本氏の話にてはベース改正は4月からと。バカらし。午すぎ全田の叔母来り明日披露と(ハガキも来ゐたり)。 神田力氏に電話かけしも欠講と。
けふ片山君、留守番ゆゑ来よと。14:00すぎゆき聞けば健と天中にて同級。弟は大と同級と。トーマスマン研究すと。関高2時間にて500円と。叔母帰り来しに明日来るといひ、 黒田にゆき社長とも会ひ、明細書借りて今川、英語やらず書類預けて帰る。電車賃200貰ひし。宮本正都より14、15両日中に山前君にゆき金わたすと。 中村孝志より「1647年の台湾蕃社戸口表」送ると。『白珠』3月号の原稿送れと安田章生より。夜、5首写す。

1月15日
成人の日とて休み。水弘子より年賀状。12:30出て全田。城謙三、河村判事、肥下、堺市立高校生島校長、教頭、肥下、われ、渡にて(※片山家・全田家)披露宴。 城教授、全田叔父にそっくり也。片山、生いきにていやとなり。18:00帰る。

1月16日
登校。午まへ船越こせん小母来り、家教へる。午後教授会(守本氏欠)。中田博士と待遇改善に付き近々院長に進言せんといふ。今川へゆき城平叔父の帰るに会ひ、こせん小母のこと云ひ、 黒田のこと云ひ、自動車にて帰る。こせん小母あり。(※船越)章、退職金50万円もらひ、和田聡子交際中妊娠して結婚せしと。 (※義弟柏井)数男、(※義姉田中)俊子に家売りしことにて(※義母の遺産を)一部分けんと。可笑。けふ宮本正都よりハガキ。10日位にて初校出ると。西宮一民君より依頼重ねて来る。

1月17日
登校。歴史教へ石浜先生と話せば、服部(※服部正己)、派閥のため関大(※への移籍)だめなりしと。気の毒にして腹立つ。帰れば船越小母去りしと。ゆき子への分け前は7万円と。入浴。 夜、衣川、魚住来り不快。西垣修氏(※西垣脩)より『コルボオ詩集』の礼状。

1月18日
10:00出て会社へゆき図書費1月分もらひ、明日帖簿作りに来ることを約す。康平叔父に船越小母の話す。梅田にて八木嬢に会ふ。 来週羽田にゆきてその結果(※結核診断結果)まちて館長に云ふべしといひ、上六にて別れ、埜中にゆきしも不在。隣家に「天雲の作者」(※原稿)4枚ことづけて帰宅。
多喜さんの戦友、大塚雪郎より『翅のない天使』。史の担任[小谷](※尾谷)先生に明日来訪のことわり云ひしもはっきりせず。

1月19日
耐へがたく思ふ日続く西北の風吹くみちを海に向かひて。
登校。2時間の講義を1時間ですませば、もっとやってと西保。かもめ(※書店)で『Popular science』1月号とり、放出校にゆき待たされて史の受持尾谷氏に会へば、坪井に2月初、 会はして呉れよと。会社へゆき帖簿作成する筈なりしがわけわからずなり、ノート2冊もらひしのみにて帰る。日野月先生より阪大助手に交渉せよと。若森君より会社やめ帰郷すと。 本屋の広告にて島田正郎法学博士となりしと。夜、西宮君来り、遠藤教授に云へばすぐ推薦状書かんと。困る。

1月20日(日)
一日在宅、夜、亀井昇来る。

1月21日
登校。きのふもけふも俄雨降る。中田博士と院長会ふこととし15:00すぎやっと会へて4月より昇給、1月は遡及と。ベースは人毎に変へんと。 わが云ひしは高校よりサラリーおそきなど差別待遇のこと。研究費のことは反対されし。かもめ書店で『鴎外全集』30受取る。庄野未亡人「潤三に云ひて原稿かかれよ」と。 今川で古本屋にゆき犀星『田舎の花(10)』、実方清『古代歌論(10)』、鈴木俊『唐宋時代の支那(10)』、五十嵐『ビルマ史(20)』、松枝『中国の小説(30)』みな安し。 3従妹弟教へて帰れば、遠藤教授より「西宮君院長に推薦した」と。弘瀬より「青木富太郎に会ひしに十歳くらい年上に見え、田中短気と語りし。荒木氏事務でも忙し」と。荒木修より「小説見たし」と。

1月22日
登校。午後すませて藤井寺。叔母にこせん小母のこと云へば会ひたかりしと。16:00かき餅よばれて出、松原の肥下へ寄れば恰も帰り来る。コギト20冊もらひ話す間もなく退去。 再登校、夜学すませて雲吞をアベノで食べ帰宅。鈴木治氏より山本治雄に会ひ感心せしと。森永豊やめるとて挨拶に菓子もち来る。異例なり。

1月23日
登校。院長東上のため教授会なく、13;00出て住高へ行き山本君に会ひ、大毎金沢支局長馬路氏の嬢のこといひっ、漢文の教師の件だめさうときき、硲君にゆけば『考古学論攷1』賜ふ。 東洋史特集号に書けとなり。出て大手前へゆき石山君に会ひて聞けば船越小母には会はざりしと。訪ねしも知らざりし。服部のこと伝へよと坪井へ伝言たのみ上九で下車。 加藤東知『英国の恋愛と結婚風俗の研究(150)』買ひ、アベノで雲吞食ひ、ためしに手袋片あしありやときけば拾ひありともち来る。うれし。今川にゆけば大江叔母来合す。 まみ子に英語教ふることとなり「スケッチブック」をやらされ担当の非常職に憤慨す。土曜も来ることとし、折柄帰り来し叔父の自動車に乗る。村上鋼業退職希望者は熟練工のみ、 しかも人数を上廻りしと。服部よりハガキ。上道氏の速達つきしと。善処せんと。青木富太郎よりハガキ。夜、吉本旧正月に帰るとて来り、出来合制の結果粗悪品多しといふ。

1月24日
曇、登校。石浜先生に鴎外『小倉日記』のこと申上げしも御返答なし。長尾禎子するめ一包賜ふ。11:00上洛(かもめに『鴎外全集』第7回欠のこといふ)、 13:00吉野書房にゆき『祖国』10冊もらひて荒木修氏に送ってもらふこととし、羽田家に電話して三高たることを確め15:00ゆき16:00出て研究室に寄りしのち、 しんしん堂でお茶よばれて別る。華僑芦屋にあり早速にきいて報さんと。老先生一度礼に夕食賜はんといはると。(彙文堂にて『越絶書(100)』、魚返『大陸の言語(50)』、 横尾『東亜の民族(50)』。京阪書房にて『頼山陽詩鈔(40)』)
京阪三條17:35発、京橋にて親子丼(100)食ひ帰宅17:30。〒なし。労働者名簿作らんとし順々に呼ぶ。

1月25日
9:00会社へゆき原課長に用紙もらひ労働者名簿と賃金台帳作製、重役会すむを待ち安全につき云へば松尾部長怒り、今村部長に粗悪品のこといへばもともとのことなりしと。 原田恒三郎天理教のため退社すといふに会ひ、夜を考へて一先づ梅田。八木嬢に会ひ雲吞おごり足袋買はせして(※12/17紛失の)『Variétés sinologiques』ついに帰らぬことをあやまる。
山本治雄にゆけば遺産もらへる筈ゆゑ丸(※三郎)にいって見よと。おでんと酒とおごられ梅田駅で別る。夕方、原田呼べば科学によって日本中を天理教にすと。瘋癲らし。 1000貸し明日一月大祭にゆき教会長に相談せよと訓す。

1月26日
原田7:00すぎ出てゆきさうなれば原課長に短大への欠講ことわってもらひ、ついて丹波市にゆく。春季大祭に偶然参拝のこととなる。高橋重臣に寄る。司書室主任となりしと。 大浜にゆきしに会はず。日和佐詰所にゆき息子に不言実行いはせ(原田落涙)、本殿に参拝。図書館にゆき吉田女史に茶の接待受け、またお墓へゆき足痛ませて帰り来る。 埜中、西宮両君より礼状。夜、衣川来り、原田のこときく。『千夜一夜物語』『デカメロン』『鴎外』を図書室へ寄贈す。天理教的一日。

1月27日(日)
晴。寒し。午後今川へゆく筈なりしも原田父来るかと思ひて待ちぼけ。宮本夫人よりゆき子へ便り、彦根短大、池洲町は女子専門となるらし。中村孝志より『日本文化』。 山崎忠より『アジア言語研究2』。夜、「ゆめと知りせば」と「チャムピオン」と書きて原田22:0会ひに来しが会はず。

1月28日
原田メシアあさ来り誘ひて労務にゆき、田中栄太郎君にも会はせしがだめ。引返せば父来り、話して会はせば「●度です」と匙投ぐ。会社へつれゆき一時帰郷をいはせ、 きのふ貸せし金云はれしが200のみとりかへして帰す。われ今川へゆき「sketch-book」をまみ子に教ふ。叔父上京。明日も来ることを約し、すしよばれて帰宅。 けふ田中俊子より(※遺産として)「50,000年末までに送る、史の大学への費用にせよ」と。

1月29日
登校。志願者(推薦)37名で昨年と同じと。午後高校achievement test。散髪にゆき今川に行きしもまみ子帰らず。大鉄デパートで『戦国策(90)』。
けふ全田の『沙翁全集』代1500日野氏より預かる。夜学すませ帰り来れば八木氏より手紙。富永氏に(※診断結果)いへば無条件で許され3月まで自由出勤を許されしと喜び来る。

1月30日
登校。高校2Bすすみすぎと申立てしにより自習。推薦50名を超えし由。『マノンレスコオ』買ひ来りよむ中、硲君来り『越絶書』進呈。15:00より教授会。 西宮君推薦の遠藤教授の手紙見しに「田中君よりお話の」と明記しあり、弱り、会ひしことなく調べ見んといへば壽岳博士「令嬢にききて見ん」と。17:30今川にゆきsketch-book。 すまざれば日曜に来ると。帰れば徳永嬢より(※藤野一雄氏からのアプローチ)「田中に激励されたとてしつこくて困る」と。

1月31日
登校。雨となる。石浜先生と一寸話し12:00「明星」で雲吞たべて帰宅。入浴。郵便なし。西宮君その他のことにて悒鬱なり。

2月1日
寒し。会社へゆきしのち17:30瓢箪山の西宮家を探せしも見つからず、うどんやに入りハガキ書きしところ、息子の中学生さがしにゆきくれ、 見つからずと帰り来しところへ役場の女史来り、つれゆき呉る。夜学とて夫人のみ。他言せざる様子とのことに帰り来れば宮本正都君来り待ちゐる。いろいろ話ききて24:00まへ寝る。 けふ祖国社より池内先生の本送り来る。

2月2日
寒し。国文学史の講義の間、宮本君またせ、すみてコーヒーおごり阿倍野橋で本屋に「スケッチブック」さがしにゆき白秋『花樫(20)』買ひ、支那料理おごりて鶴橋で別る。 帰りてひるねせんとしたれど果さず。荒木修氏より「老兵の記録」見しと。返信かく。夜、西宮君来り、遠藤教授の話の場に壽岳令嬢ゐしと。 物贈らんとせしを断って帰ってもらふ。近畿29時間教へて1万2千円と。

2月3日(日)
朝、『白珠』へ「スマトラ」5首送り、荒木修へハガキ。午、久美子とまみ子来り、厄おとしのしるこ食ひ16:00迎へに来し叔父の自動車で帰る。福神漬もらふ。 夜、字典に「仁宗、聖祖、宣宗」かく。けふも寒し。

2月4日
推薦選考とて9:00出勤を命ぜられゆけば長沖、服飾の主任を加へて6人で15:30までかかりて6人面接。10人のみ第2次選考にのこる。文芸は15人中1人。あと学院より12人来り一般は少しと。 19:00までかかりて夕食くはされ帰る。神田信夫君よりハガキ。岩崎昭弥よりハガキ。

2月5日
朝、頭痛して欠勤の電話かけしむ。原田の父より分裂症と。数男よりゆき子へ6月のボーナスにて俊子払はんと。『祖国』への小説かかず。

2月6日
登校。饗庭源吾氏より電話かかり会ひたしと。12:30より第2次面接。服飾にて落ちて文芸へといふが数人ありし。すみて教授会。西宮君のこと壽岳博士云はず。饗庭君来りやせゐる。 17:30今川へ寄り風邪とことわりて帰る。けふ藤野一雄より手紙。

2月7日
朝9:00になり頭痛やまざれば電話かけさせて欠勤。雪降り寒し。〒なし。

2月8日
曇。10:00出て会社へゆき聞けば原田父より届出しと。城平叔父、杉浦氏とともに在らず。高井弟君、洋画の師たのむと。出て片町より歩き坪井宅へ寄り、 学校へゆき、服部のこと話し、10日に尾谷氏のゆくこと告げ、山田の事務所ききて梅田で雲吞、コーヒー。山田にゆけば不在。明日電話せんといひ天王寺をへてかへる。 夜、西宮、藤野、岩崎昭弥諸君にハガキかく。

2月9日
登校。午飯時、守本氏よりの話にては、来年度12時間(夜学4、昼8)院長教務をやらさんと云ひしをことはり呉れ楳垣氏擬せられゐると。講師長沖氏に女子の人あるらしきゆゑ相談せよと。 山田に電話せしも埒明かずゆき見れば留守。用件かきて留守居にわたし、丸善にて旗田巍『朝鮮史(260)』、増井経夫『太平天国』と2先輩の本かふ。何れも容共左翼なり。 平凡社より原稿受取り。稿料3月半までにと。けふ久しぶりに入浴。

2月10日(日)
晴、午后も出ず。日野月先生より推薦うまくゆかずと。創元社より外山、羽田二氏の『京大東洋史』2。

2月11日
出勤。けふまでに(※よその)高校などサラリー出しと、不快。森本生、叔父風邪薬呉ると。山田に2度電話すれば、かかりて「来よ」といふに13:30行く。 1/3遺産相続権あれど嫁入仕度を引くべし、今年で5年になるゆゑ時効にかかると也。西田来会す。今中同期にて洋裁研究所長と。
14:00出て丸善にゆき『鴎外全集7回』買ひ、戎橋まで歩き、途中新谷病院見付けゆきしも病気とて閉め、小杉にゆきしに風邪薬くれず。今川にゆき教へて帰る。
うたがひの心はもたね冷しと時ににくみの心湧き出づ。
なれと似しおもわと思ひゆきずりのひとをみつむるおろかなれども。(これらの歌はうきなり、子の顔すぎていねられず)

2月12日
出勤。昼の授業すませて藤井寺へゆき、大江叔母に相談して昌三叔父に砂糖3斤[托]し、夕食よばる。叔母3月末上京、その節、柏井(※妻実家)方面へ交渉してもよしと。 夜学すませば小雨。帰れば西宮君より礼状。宮本正都よりコルボオ詩会に出しと。

2月13日
登校。漢文やり午となり山城、津熊二生のヒステリーききゐる中、硲君来訪。『京大東洋史』は買ひたりと。教授会に先立ち壽岳先生にきけば令嬢、西宮君をほめゐしと。 教授会でもその旨云はれありがたし。我はサラリーのおくれることを文生氏にまた云ひおきし。坂口允男君の『シェリー詩集』を壽岳博士に差上げ、 今川にゆき帰りの電車で亀井と一緒になり家まで伴ふ。吉岡弥之助氏より問合せ来をり。ふしぎ。宮本正都君より『バイロン詩集』2冊。

2月14日
登校。石浜先生博士論文かかると。関大佐藤長あきしに某呼ぶと。長沖氏来り、西宮君のこといへば自分の時間割く気なしと。ともに不快。田木繁の義妹の履歴書預りて出、 山本重武君に会ふ。高等教員免許状あれば一級教官になれると。饗庭君のこと話して出、梅田にゆき西宮君にゆく気なきにも非れど風邪きつく鶴橋より引返す。
『祖国』3冊来をる。けふはわが誕生日とて待つ父母のもとへ帰りて古きこひ見む。
けふ西保生に記念帖へ歌かく。

2月15日
雨。子ら登校後ふり来る。会社へゆくつもりなりしも止め、西宮君に速達す。岩崎昭弥より春に徳永嬢と大和へゆかんと。奥西保よりハガキ。夜、安倍賄人ごまかし云ひしと叱りしあと、 埜中[清市]、山口[実]二君来る。『くれなゐ』出来、山口君の『長崎』見本出来しとなり。話し『廉子遺稿』もち帰りもらふ。

2月16日
登校。文二喧嘩せしらしく半分のみ。ストーヴ囲んで朔太郎、春夫の詩よませ国文学史の最後とし、日野君より全田の本代5000受取り、藤枝の「中島栄次郎文庫」の印わたし、 ストーヴに当りゐれば院長おこし、西宮君のこといひ、田木繁の義妹のこといひしに「藤沢[恒夫]一派か」と。日野月先生へウイスキーもちゆく筈なりしも中村事務長出しあととて止め、 全田へ金もちゆけば叔母も風邪とて臥床。帰り来り西宮君まちしが来ず。
けふ『コルボオ31』『ケロイドの顔(※佐々木邦彦詩集)』の外、丸山薫編『新しい詩の本』来をる。

2月17日(日)
晴。『白珠』来る。『くれなゐ』とダブル歌1首あり。午後西宮君来る。明日来学と。

2月18日
晴。西宮君来り、少しまちて来し院長に会はす。専任とし6時間もたさんと。よろし。我が時間につき高校泉君に云へばやってもらはねば困ると也。送り出して、 実習にてもめゐし扱ひなし西尾中学教頭にあやまりにゆくに附合ふ。すみて三苫君より1500預り、日野月先生へwhisky(\250)もちゆく。いろいろ心配されしと也。 大江に寄りかき餅たべ、久美子へと預って出、17:00ゆき1時間して帰る。(『新しい詩の本』置く)。

2月19日
登校。ひるすませ、坪井の所へゆかんと思ひしがストーヴに当りていやになり、そのまま三苫君の辞職説ききゐる(理由は官吏よしと也)。 夜学すませて帰れば創元社より現代詩集のこと、佐々木邦彦君の長男亡くなりしと。わが訪ねしころ二階にねゐしなり、哀れ。
数男より悠紀子へ手紙、(※遺産の事)まだまだもつれん。

2月20日
登校。遅刻10分。二年生ら記念帖にサインを求めに来る。硲君来りしとコーヒーのみ(月給もらふ)、かもめ書店に『鴎外全集』の代払ひ、別れて全田、1500と200の借金払ひ、 婿片山と一寸話し、『大陸遠望』『楊貴妃とクレオパトラ』『神軍』とり返し、学校へ寄り、出て今川。ワイシャツ地賜ふ。(大鉄百貨店にて『アメリカの婦人(60)』『黒人論(25)』買ふ)。 帰り途、亀井母子と会ひ家へ連れ帰れば病気全快とて就職たのむと。20:30有馬来て挨拶してゆく。けふ藤谷明子より外語と帝大とへ紹介せよと。『Poets’ School』。 就寝後、原課長呼びて寮生25名馘首と。

2月21日
今学年最後の講義をし、長沖氏に西宮君のことと来年の講義科目承認してもらひ、石浜先生と一寸話して散髪。入江来布氏に李笠翁の十宜詩よめずとことわり、 斎藤、長尾2生つれてアベノ橋まで出しが雪もよひゆゑ、けふは来ざれと云ひ、帰れば八木嬢来をり16:00帰りゆく。

2月22日
会社へゆき退社寮生31名の名を聞く。理由は原課長も知らずと。庶務にゆき専務に会ひ午後また来よと云はれゆきしも用なし。大手前へ坪井に会ひにゆき礼いひ、 田木繁の義妹のこといへば府教委の[後]業あり。履歴書とり出さんとせしに無し。コーヒーおごりてもらひ帰り来る。
夜、西村来り退社といふ。けふ山前実治に『シェリー』15冊代375送り(小為替料3)、大に教員免状の件でたのみ(速達)、丸山薫氏へ承諾の返事す。

2月23日
会社へゆき上田澄夫の退職とりけせと云ふ。組合内の問題と。亀井の履歴書、康平叔父に托し、会計課長の弟、その弟、浪速外語に入学のため昼の修業やめしときき帰宅。 (松本善海よりハガキ)。岩崎昭弥、徳永昭子へハガキ。夜、衣川呼べば後始末して辞職せんと。いさぎよし。22:00高橋寿彦来り金貸せと。失礼なり。 (『東方宗教』送り来り地方委員に推薦すと道教学会より。おしつけがまし)。
もの云はでやりにし子ゆゑこの日ごろ心さぶしも飯は食めども。

2月24日(日)
晴。午後タバコ切れ鴻池新田の守屋君に池内先生の本もちゆけば学校にもすでに買ひしとてダメ。しばらくだべり、歩いて徳庵駅前へ来れば西宮君に会ふ。 コーヒーのませて時間を7-9時間といひ専任待遇にして呉れと云はれて別れ、丹羽千年にゆけば留守。桂信子と一寸話して帰る。
けふ岩崎昭弥より岐阜の新聞に中島健蔵書いたと新聞も来る。西垣君より『三角帽子』。

2月25日
よべ睡眠不足。9:00まへ会社にゆき11:00までかけて今村氏に会ひ上田の退職取消を云ふ。丹羽千年にゆき市立大学の採点法きけば無記名番号かくしと。 中島夫人に云はんといひ12:00出てアベノ橋明星食堂で雲吞食ひ、歩いて大谷短大にゆき吉井君を30分まち、卒業免状の写しもらひ、帝塚山へゆけば三苫君上京と。 守本氏と一寸会ひ今川にゆけば久美子風邪と。帰りて和歌山の井上らの不平とりしづめ、高知の送別会で歌うたひて帰る。
けふ山前君より受取。八木嬢よりまた風邪ひきしと。けふ丸山薫氏へ18枚選詩送る(8.00)。

2月26日
定期券買ひて登校。よべ雨ひどくrain-shoesなり。高校の漢文すませ、12:30藤谷明子氏来り、先月10日頃名大より(※中島栄次郎の洋書代金)23000もらひてすみしと。 日野君と我とに礼呉れる。入学試験の方は同志社にてすみしと。藤枝の(※中島栄次郎文庫の)印のこと云ひ、礼状たのむ。
午后の授業すませ大手前。坪井に聞いて学務課の平尾課長より社会事業短大の卒業免状の文おしへてもらひ上六、天地書房に寄り中河与一『秘帖(20)』『上世年紀考(30)』、 山川菊栄『武家の女性(20)』、川田順『西行(20)』『和漢朗詠集(30)』と買ふ。帰りて日野君と話し夜学レポート十人あまりより受取りて帰る。
けふ八木女史のこと佐野氏にきき、妹在学中ゆゑ訊ねささんと。西宮君のことも云ひ、昨年度11000にて5000の税金ときく。われも田中会計にきけばこちらにて書き直し彦根と帝塚山と一つにせんと。

2月27日
登校。高校の漢文終へ、田中会計に彦根と計算してもらへば税未納3791となる。13:00すぎ山本、硲二君来校。住高に●あるゆゑ藤井君に高校長に云はしめよと。羽倉のためなり。 山本君馬路家よりとて1000呉る。教授会に出ていろいろのことしをへ、西宮君●入を長沖氏に了解せしめよと。専任講師の名にて客員講師とせんと。税金のこと云へば手なしと。 瓢箪山の西宮君にゆき(長沖家へゆきしも留守)、明日10:00すぎ来よといひ、帰りて西田末人、鳥飼2人を次々に呼びて説教す。けふ山口実の『長崎』来る。万年筆(300)買ふ。コーヒーおごる(180)。

2月28日
登校。9:30来りし西宮君またせ歴史の授業すませ長沖氏に紹介。院長にゆけば待たされ12:00面会さす。別れて梅田。ベーベル『婦人論(100)』見付け『吉井勇集(30)』買ひて帰り、 津田に辞職すすめサラリーわたし説教す。寮生10人に退寮を命ず。
けふ大より返事。書類来るゆゑ府教育委員会にて手続せよ、雲井は駄目ゆゑ原稿とり返さんと。

2月29日
会社へゆくまへ居残り退職組に退寮さとす。谷端などかみつきしも結局すみ、会社にてその話す。学校へ行けば入試問題5日までよしと。硲君にゆけば家庭教師。 羽倉の口として住高の社会科時事問題ありと。北野高校へゆき藤井通雄に云ひ、林武雄校長宅へ挨拶にゆきて帰宅。天理文芸より詩の選者にと。

3月1日
会社へゆけば父来合はす。城平叔父忙しく、まちて父当分休職となりし経緯きき、寮の今後のこと聞き、父とともに出て1000小遣ひにとわたし、 われ梅田『西太后に侍して』に書入れ多くせし京大社会学部矢野といふ記あるを買ひ(80)、上六にておこのみ焼食ひ、和歌森太郎『日本歴史辞典』買ひ、小阪にゆき堀内、 山口実と一寸話して帰る。両隣出づ。けふ退社みな引上ぐ。階上を当分使はぬ旨、衣川に申渡す。澤田直也より弁護士開業挨拶(備後町第二野村ビル2階毛利法律事務所、北浜2322)。 宮本正都より近江詩人会21日をかけて来よと。数男よりゆき子へ6.5万円と。

3月2日(日)
一日家居。入浴。夜、原口早大へ入ると云ひに来る。衣川、部屋替と大掃除との打合せに来る。羽田へハガキ。

3月3日
登校。「奥の細道」試験。すみて入試問題世界史作りへとへとになり、コーヒーのみて今川。徳永昭子嬢と東山生とより3月20日彦根へこ来よと。

3月4日
晴。会社へゆき城平叔父と会ひ、津田の勇退云ひしも後に入れるとかで確答なし。大江の善信つれて中西ドクターにゆき事務ならよろしときき天満橋でコーヒーのまして別れ、父に会ふ。 うどん食ひ大手前にゆき坪井より試験問題集かり、コーヒーのまされて帰宅。
迫田退社。西よび療養さとす。けふ佐々木邦彦の長男遺稿集来る。夜おそくまで入試問題作製。

3月5日
登校。漢文試験。すみて壽岳博士と話せば学長に気をつけよと。高校へゆき漢文の採点し、15:30より教授会。文芸40人を越え50人まで入れんと。西宮君専任講師決定、 ただし待遇は薄くてもよしと云ひしと。17:30すみ今川。夕食よばれ帰れば岩崎よりハガキ。高知の浜田より挨拶。

3月6日
会社へゆき寮の会計写す。庶務課長の杜撰なること[瞭]然。出んとせしところへ電話大江よりかかり千草来をるにつき来よと。夕刻ゆくと云ひて梅田。雲吞食ひ怒りしのみ。 藤井寺にゆき話きき、陽生の出たらめと千草の小悧巧とに不快なり。大江叔父の帰るを21:00まで待ち(あり金900をはたいて千草にわたす)、きけば使へずと。 大江叔母と3人にて今川にゆけばまた留守。22:40までまみ子に英語教へ、われ先に出る。
けふ原田の母より手紙。中野英夫より手紙。コルボオ9日に会すと。(けふスバルで牧野巽『支那家族研究(50)』、吉川『支那人の古典とその生活(20)』)。

3月7日
一日雨。学校会社ともにゆかず。東大より成績証明と人物調査書。既修科目、史学概論、国史概説、江戸時代史(後期)、東洋史概説、明代蒙古(前学年ノ続)、満鮮史演習、西洋史概説、 教育学概論、、教育史概説、国文学と教化、平安朝仏教史、中世史、支那語前期、支那制度史、満鮮上世史、高麗朝史、朝鮮史演習、近世都市ノ発展、言語学概論、満州近世史ノ研究、 東洋史学演習、産業革命以後ノ欧州ノ社会。
人物調査書には「1.思想−穏健。2.性格−明朗。3.指導力−責任感強ク指導力ニ富ム。4.研究心−真摯。5.社会性−円満。6.長所7.短所−特ニナシ8.その他−なし 教育職員としての適格性−適格」とあり。

3月8日
府庁へゆかんとし坪井に寄れば史の願書やっと出て安心せしと(けふ最終日なり)。府教委へゆき教育タイムス社にゆき用紙買ひ(10)、卒業証明書必要とわかる。
登校。試験の採点し、すませて電話し上野芝の田村春雄にゆき夕食たまふ。身体検査書に印捺してもらひ、笠井信夫と相野忠雄へ紹介状かき帰宅。

3月9日(日)
郵便、丹羽美佐より難波夫婦来るにつき23日(日)正午より阪急別館で在阪従兄姉会と。河村純一氏より20日彦根へ来よと。『天理文芸』門馬実氏より詩2篇とハガキ。 午後、大に善信礼もち来りしゆゑ発[奮]して中西にゆく。梅村きあはせ17:00頃まで話して帰る。
けふ東山[覚]雄、河村純一二氏へ彦根にゆくと返事。東大へ卒業証明書の請求かく。小阪の文進堂にて遠藤元男『源頼朝(30)』、[伊藤]東涯『制度通2冊(30)』『加賀鳶(30)』『菅原伝授手習鑑(10)』。
夜、須崎の藤岡退社とて送別会に呼びに来る。ゆかず。山下幸雄よび、康平叔父に工高受験のこと話せといふ。

3月10日
会社へ8:30ゆきぐたぐた仕事をし登校。笠井君に電話かけ試験答案しらべ了り、疲れてコーヒーのみにゆけば笠井君来り、ともに話し田村春雄と連絡とらんとせしもだめ。 夫人に水曜朝の中または14:00とのみ云ひ、16:00すぎ出て今川。水曜来ずといひ(おうめ祖母の忌日と)、帰宅。
『東方学会』2冊来る。西宮君より手紙来り時間割のこと。滋賀短大より卒業式10:00からと。
野辺の雨みねには雪と見えゐたり春とはなれどまだ花咲かず。
(けふ東大文学部事務室へ卒業証明書請求に100円送り、小為替組みしあときけば現金封入は違法ならず、このこととなりしと。30円の為替料高しと思ひしにバカらし)。

3月11日
試験監督に9:00まへゆき壽岳博士と組み、10:45すみて採点、5:00終る。出来ざりし。昼食たまひ夕食うなぎ食はさる。けふ田村春雄来るとのことなりしかど来ず。 亀井より明日夕方来ると。津田、本日付で辞表提出。

3月12日
登校。9:00より院長の来る11:00まで待つ。午すぎよりと思ひ違へしと。面接し、橋本と西田の卒業式の辞直し、20:00までかかる。文芸専攻で3人おとし8人おちし。帰れば東大文学部より卒業証明書。

3月13日
家居。庶務課長来り11名やめるとなり。昨日退職願出せし津田呼びて今後出勤に及ばずと申し渡す。『Corbeau』来る。入浴。『天理文芸』の詩の評かく。 史の担任尾谷先生より学区制のことにつき注意あり、返事かく。

3月14日
雨。登学。理事長祝辞作り、散髪し、中央病院に小松保博みまひ帰宅。丹羽美佐より23日11:00アベノ百貨店7階でと。けふ悠紀子、数男より来し1万円にて史の洋服など買ひ来る。 尾西史郎に遇ひ雲吞おごらる。放送局へ入りたしと。

3月15日
8:00出て住吉区役所へアベノ橋よりバスでゆき、身元証明書(80)と戸籍抄本([9]0)ととり、硲君へゆけば学校と。ゆけば未だ来ず、秋永氏と話し、 やがて来しにこの間の藤井君との会見のこと云へば成功したや否や不明と。
帰りて花柳嬢のため黄鶴楼のこと書き、やきもき屋で昼食におこのみ焼。帰れば硲君来りまたコーヒーのみにゆき散歩して別る。
卒業式14:30より無事すみしが、その後わがままなるに腹立ち、謝恩会なるものに出、皮肉のあやまり云ひていやとなり、すし菓子もちて帰宅。
けふ亀井来り明日来ると。斎藤、長尾2生も明日来ると。藤野君より歓迎攻めもせぬゆゑ来よと。(けふ北畠で新村『船舶史考(30)』)。

3月16日(日)
大江叔母より陽生就職出来たとハガキ。咲耶よりゆき子に23日会ふと。岩崎昭弥より20日待つと。11:00斎藤、長尾2生来り13:00まで話しゆくに機嫌直りし。 夕方亀井来りし故、一度中西ドクターへゆけとすすむ。同窓会わが家で来月5日にてもやらんと。けふ悠紀子買物にゆく。『白珠』来り順位大分下りし!

3月17日
会社へゆき城平叔父、康平叔父に千草のこといふ。一旦帰り昼食し、大手前高校にゆき坪井を待ちて石山君と話し、坪井と府庁にゆき府教委にて高等教員免状一挙に片付く。ありがたし。 コーヒーのまされ法務省へゆきしも帰り浜中君に会ひ、本荘健男帰りて東京にありときき、出て藤井寺。陽生、十合取引の外人商社に12日より就職。2万円位にならんと。めでたし。 今川の[空]巣のこときき見舞に寄る。和服17点13万円ほどとられしと。けふ若森、徳永と彦根の二氏よりハガキ。20日来るを待つと也。

3月18日
雨。はれ間に工事場へゆきしにややして八尾土木の事務所の者来る。会社へゆき庶務課長にいへばまかさる。20,21両日の旅行届を杉浦部長に出し、原課長と話し冷酷なる話ききて出、 バスで小阪へゆく。堀内に伊東静雄のこといへば(けふ保田よりの信にて危きらし)、行きて宜しく仰せあれと。山田『方丈記(20)』『中村憲吉歌集(30)』『堀口大学檳榔樹(50)』借り来る。

3月19日
雨。史、依子ともに学校すみ、史は明日入試、依子は遠足と。千草より陽生の就職ききて最後の働き場所と喜ぶと。悠紀子阪急へ史の帽子こり●へにゆき午かへり来る。中野英夫の手紙。 大江叔母へハガキ。夜、亀井来り中西にみてもらひしに不治の病と云はれしと。12日18:00よりわが家にて蜻蛉会(※今中教へ子による同窓会)せんと。

3月20日
けふ依子卒業旅行に新和歌浦。大、大手前に入社とて悠紀子4:30起き、われも5:30起き6:29にのり梅田7:00発東京行。喜多村教授を見しのみにて彦根着。河村先生に鞄預け、短大。 長々しき卒業式に出、すみて萩原博士と話し、謝恩会に村上、宮川、川崎、田村の諸教官と出、すみて宮本氏と河村先生に参り、夕方やりやにゆく。広田一彦、中川、若森、徳永、守田、 宮本、河村先生の外、岩崎[昭弥]岐阜より帰り、朝日の田川君のちほど来り22:30河村邸に泊めていただく。

3月21日
よべ睡眠薬もらひて寝、9:00頃宮本夫妻来り散歩してまた来るとのことで起き、朝食後来しに庭で挨拶し、徳永嬢来りしと話し、11:00中村竹次郎を訪へば安土に勤めて不在。 カワラ町を歩き岩崎と3人にて徳永嬢のお寺にゆき母上に挨拶し、丘にのぼる。「わが血肉埋めし土をものいはず踏みつつ来り一年をへぬ」
帰りて河村ドクターと昼食、藤野君の自転車の尻にのり杉本長夫氏、広田君などと正法寺『Poets’School』20の会。マルクスボーイも半パンもありて不快。17:00まへ河村、宮本、 丹沢(大津のレーヨン社員)、宇田、徳永2嬢などと出て彦根駅着。[17:]35にのりて丹沢君と話しつつ大津、ついで国文を卒業し関大の短大に入るといふ池田生に、 3年へ入るやう交渉して見んと云ひて大阪着。
留守中、伊井、越智2生よりレポート。牧司より挨拶状。

3月22日
陽生より報告。平凡社よりまた彦根銀行の小為替にて2700。11:00早ひる食べて会社へゆき杉浦部長に礼いひ、城平叔父に彦根土産わたし梅田にゆき小松見舞ふ。あさって退院と。 関西大学短大へゆけばよしと。山本にゆき卒業生名簿を引受け21:00すぎ帰宅(末吉あす結婚と)。

3月23日(日)
池田生へハガキかき、河村先生へ手紙かき、風邪ひきし京抱きて池川へおき、1:00すぎ電車。アベノ橋では11:30、難波の子へ本2冊買ひ従弟会へ出る。丹羽夫妻、はじめて見る難波君、 かず子(眼鏡かく)男子、林敏男(工科の助手となりしと)、3姉弟そろひ、渡夫婦2児(片山夫妻欠席)、咲耶夫婦子で4人、われとで15人。
渡12:30で上京とのことに本荘健男へ伝言たのみ、岑夫にきけば讃岐喜八は松尾村の出で、いま東京と。14:00散会。帝塚山へゆく『鴎外全集』第10回借り来る(580‼)。 三苫君に会へば西宮君一万円は呉れよと学長に云ひしと。坪井宅へ寄れば(※京大入試)判定会と。史、出来ゐたりと。中島夫人また婚したしと。同窓会名簿原稿托す。
帰れば広田君のハガキ。守本主事より10時間やりたしと。この間電車で会ひし女詩人山根氏より『夜の詩会20』。広田、井上、武田、徳永諸氏へ礼状。

3月24日
8:00果物かごもちて家を出、大鉄汐の宮下車、国立大阪病院長野分院の伊東静雄を見舞ふ。北病棟にあり。面会謝絶でもなしと。ゆけば夫人尿瓶もちて出で来らる。 入りて御無沙汰のわびいふ。桑原武夫来りてわが名大のこと云ひしと。小野十三郎1万円もち来り恥ぢいりしと。死者のことのみ思ふとetc。 帰らんとすれば吹雪‼ うどんを食堂で食ひて待ち、やや小止みねらひて出で藤井寺。
大江叔母に千草陽生の手紙見せ、27日上京の時よろしくと云ひ、松原で下車。肥下にゆき伊東の病状云ひ、今川にゆけば正平のみ。帰れば[岩崎]昭弥のハガキ。南部英眞子のハガキ。

3月25日
また氷雨ぽつぽつの日。史をつれて入学手続に大手前へゆき坪井の話きく。中途で出、吉永氏より岩波写真文庫『文楽』もらひ、山田に電話かけし、天満橋で雲吞くひて朝日新聞の後藤に会ひ、 阪神電鉄に大河原訪ね(留守。住所のみわかる)日銀で鎌田の住所きき、市役所で筒井を見、山本の事務所にゆきしが不在。クタクタに疲れて帰宅。羽田先生より「この間の礼を送った」と、 恐縮。藤野、山根敬子、南部英美子、若森、岩崎昭弥、牧司へハガキかく。

3月26日
会社より呼びに来しゆゑ、行き寮規則の改正(退寮3日以内と)。すみて池田生に関大のこと云ひ、願書早く出せといひ、城平叔父より史の祝いはれ、大手前へゆき坪井より高[校]教[員]社会科一級免状もらひ、 府庁へゆき荒井と三●敏邦にお茶おごられ、別れて今川。4月14日まで休むこといひ帰れば水、東山、宮本、眞野、広田と彦根の諸氏よりハガキ。原口より東京にありと。
けふ会社より佐藤、魚住君に電話し梅本の声20年ぶりに聞きうれし(※梅本吉之助)。羽田博士より饅頭とバター。

3月27日
終日雨。史、教科書買ひにゆく(1338)。亀井来り12日の会の打合せとて例の長尾[も]昼食してゆく。
中西ドクターわれに会ひて話す。9月まで療養せよと也。午後父も饅頭もち来る。夕方宇田良[子]、東山、水の諸氏に礼状かき、広田君には30、31両日以外に来よと。

3月28日
10:00会社へゆき図書費2000もらひ、原、竹村2課長の間を往来して7人30日に入寮せしめることにつき相談す。帰りて昼食。15:00ごろ丹羽へこの間の礼をかね、 金井君の岡山聖心女子大へ就職のこと報じゆけば、彼方へもしらせしと。徳永嬢より京(※三女みやこ)の玩具は「犬ならず熊」と。岩崎よりまた求婚されしと。 池田生より関大商学部76番と。けふ白井三郎に電話し万代西4の8に住みゐると。紅松の住所ききたり。

3月29日
同窓会名簿原稿送り、羽田博士へ礼状出す。硲君より木曽へゆく、羽倉君ダメと。木村三千子といふ女詩人より大阪へ転居と。小林英俊。埜中清市より31日上六で会ひたしと。 ことわり書く。けふ一日家居。無為。

3月30日(日)
7名の進入者つかまへて寮則説明。10:30眞野君来り、郵便来る。桑原武夫氏より中島の原稿返送。守本氏よりわれ8(後10)、西宮君には夜間事務手伝はすと。河村ドクター、 藤野君よりハガキ。池田生より関大試験旨くゆかざりしによりたのむと。眞野君と昼食、出て片町より坪井にゆけば留守。明日吉永登氏の住所ききに来るをいひのこし、中西にゆけば不在。 堀内に100返し、コロンタイ『婦人論(20)』買ひ、西宮君にゆかんとし、電車賃なくなりしに気付き帰宅。

3月31日
家を出れば雨となる。丹羽千年と会ひ、片町より歩き坪井にゆき、西宮のこと語れば奈良中での教へ子と。大手前にて吉永詩の家きき雨の中を新森小路にゆき伊丹市の登氏の家きき、 雨ゆゑ行くをやめて梅田にて中華そばくひて帰る。宇田良氏よりハガキ。
春の雨いまだ冷く病むなれに障子を見ればわれもかなしも。
ひとり立つ心をもたず男われも時に失ふその心ゆゑ。
父来り3000もちゆきしと。依子の教科書代1031と。桑原氏の受取。木村氏へハガキ。金井氏の祝辞のハガキ。けふ聞きしに芝田馘首されしと。

4月1日
晴。依子におくれて放出中にゆく。入学式とてうだうだと説教きかされ、金儲けのうち見ゆ。帰れば広田君来あり。宇田嬢のハガキ来あり。竹村課長より今1名馘首せよと。

4月2日
広田君と朝食とり10:00大手前で別れ、高校にゆけば入学式はじまりしところ2000の寄付とるためうだうだと長し。持合せざりしにより抜けて帰る。眞野君より礼状。 けふ会社にて由良やめさせんといふゆゑ、吉村の健康わかりてのちといふ。
わが力国を救はず妻子らの飢みたすのみかかずらひゐる。
小高根二郎へ伊東静雄の病状。新聞に鎌田正美福島支店長となりしと。

4月3日
家居。畠やらんとせしも力及ばず。難波香寿子より礼状。島稔より本宮の娘、恋愛しゐると。
午後、庶務課長よび、水氏と蚊帳のこと相談。父来りしゆゑ金づまりを云ふ。咲耶富士ハウスのこと知らず、明日京へゆきて泊ると。

4月4日
晴、家居。『不二』来る。衣川のよべ買ひ来し本みなよむ。マーク・ゲイン『ニッポン日記』など。

4月5日
西宮一民より礼状。松尾部長をつれて竹村課長来り令息卓尓君の転校を桃山へ世話せよと。11:00来りし夫人と令息にあひしのち桃山へゆく。途中、中山勝次夫人に会ふ。 田辺本町5の55と隅田先生のおところ聞き、山本重武に寄りしも留守。隅田先生にお会ひしてたのめば8日つれ来よと。岩鼻先生の隣にてまへに一度お訪ねせしことありと。出て今川に寄る。 (途中、『日暮硯(5)』、茅野蕭々『独乙浪漫主義(50)』、板澤『昔の南洋と日本(5)』富成『日本科学史要(20)』、安藤『国語国字の問題(10)』を買ふ)。久美子以下あり。 出て北田辺までにて今川夫人に会ふ。会社に寄り松尾部長にいひ、保証人の印、竹村氏にもらひて帰宅。きのふよりウラルアルタイ語彙作りそむ。

4月6日(日)
終日家居。『三合便覧』終りソロン族終りゴルヂ終る。足立生よりレポート。不快。
子が飼ひしひよこ死にしをかなしみてわれはさめしを子らは眠りぬ。
うつそみのはかなきおもひはるかなる山辺の子をばこひしみてゐる。

4月7日
朝、史を区役所にやらし、昼、来りし父より『日本歌選』受取り、史つれて大手前。13:00ごろ着き、中塚先生と対面。この間のテストに国語80 (7/349)、英60、数70と。杉野、吉永、石山の諸先生と話し、事務室で2000の寄付出し、片町で定期(140)むりに売らせ、帰りてしばらくす れば羽倉君来り、北野の2部に就職せしと、うれし。洋菓子もらひ、長浜ボーロ返しとす。

4月8日
雨、子ら学校へゆく。われ家にをれば竹村課長呼び来り、ゆけば松尾卓尓君桃山だめなりしと。夫人隅田先生に成績証明とれずと云ひ、そのため校長より断られ食ってかかりしと。 桃山へゆかんか否迷ひ京橋へ出しに亀井に会ふ。梅田より天六にゆかんとし迷ひ、南田辺にゆけばお留守。天六にゆき平田君の家きき、塚口より雨の中ゆけば岡山出張。 明日学校へ訪ねるといひ靴に足くはれて京橋、蒲生。竹村課長にいひて放出をへて帰宅。
貧しくて苛立つわれのポケットに小銭かためていれてわかれぬ。

4月9日
よべ中ごろ目をさましてねむれず。8:30会社へゆき松尾部長と話し、関大へゆき平田君に会へば「末吉や吾の知るところならず、●直接校長にいへ」と。 明日午後来るといひ浪高にゆき平石氏に会へば丁度転入試験中。校長にききてくれ成績よければ入れん、金もちゆきても入るるや否、不明と。不快となりて帰り竹村、松尾2氏に云ふ。 明日関大浪高と順々にゆき見ることとし、帰れば小高根二郎よりハガキ。伊東見舞には13、15両日の中ゆきてみん、コルボオは3月限りで脱会せしと。夕方眠らんとして駄目。 帝塚山東高のこと思ひつきてふしぎ。

4月10日
9:00会社へゆきガラス、門扉破損の始末書かき、松尾氏に会ひ帝塚山東高校のこと云へば乗気せず貿易学校へゆくらし。成績証明書見しに1学期すでに成績わるし。 杉浦氏にいへばこれにて打切れと。竹村氏とともに出、関大にゆき平田君わび云ひ、山本の事務所にゆけば不在。阪神に大河原を訪ね、横山の所ききいろいろ話し(20年ぶり也)、 茶おごられ別れて山本にゆき本庄先生に会ふ。帰り省線にて●井の米田清治に会ひ家につれ帰る。西京大学講師とならん。西宮君とは知人と。17:30帰る。けふ隅田先生よりお手紙。 夜、日本史、世界史の2部の試験問題作製。

4月11日
久しぶりに登校。西宮君、楳垣教授とは旧知らし。中学兼任を命ぜられしと。式の学長の永き話に疲れ、文芸科の生徒に学科指導をし、すし食べながらの教授会。高岡氏入り、 長沖氏あり中田博士欠。石浜先生来られ14:00すみ、西宮君を佐野君に紹介にゆき、別れて住高。山本重武君と話し帰宅。亀井来り出欠の返事おきゆく。 10人以内にて毎回来ざりしは川西位と。
時間割

4月12日
天野忠のハガキ。宮本君より彦根の卒業生名簿、『コルボオ』来る。午すぎ散髪にゆき、会社へゆき帰りて待てば川西圭之祐先づ来り亀井、服部、荒井、高橋、橋本、三●、 後藤一人と8人来り、兵隊時代などの話して愉快なり。22:30帰りゆく。

4月13日(日)
晴。9:30面接に登校。41、2才のババアどのもまじへ50人をみな及第と。15:00すみ漢文の入試問題作りて白井にゆき見しに、わが旧宅のすぐ近く。全家留守らし。 帰宅して疲れて入湯、眠る。彦根短大の卒業式写真送り来る。

4月14日
9:00すぎ上町線の定期買ひて登校。古武、石田両博士の講演きく。退屈。庄野英二に伊東の病状いふ。この間佐藤先生の還暦祝にゆきしと。高校の漢文教科書受取り、 泉君と話し帰りて昼食。夜まで困り、住高にゆき市立病院にゆき(田村春雄出ぬ日らし。途中奥村嬢に会ひきけば結婚せしらし)、今川にゆきて遂に藤井寺。 大江叔母陽生に説教しくれしと。千草病気よきらしと。借金切り出せず学校へ帰り夜学の始業式に出る。明日欠勤を西宮君にたのむ。依子風邪欠席。

4月15日
あさ雨。10:00出て放出中学へゆく途、バス待つ亀井に会ふ。進学祝に木曜朝来るとなり。辻教官に700托し、梅田より大朝。谷川[新之輔]呼出し伊東の病状つたふ。吉村の息子、 皮肉なところ我にそっくりと父親云ふとなり。コーヒーのまされて別れ、上六。
天地書房にて『女性西洋史(50)』、坂井『日本歌謡史講話(60)』買ひて帰宅。本買はず子らがよみ物買はんとし、安本買ひてわれと苦笑す。依子の風邪はいまはやり風邪らしく、みよも3日ねしと。
古き恋ながほこりかに語りしを夜来にめざめていきどほりをり。

4月16日
登校。(早ひる食べて)初授業とて教科教授法やり相変らず手応なきに失望。1時間にて切上げ15:00よりの教授会開くを待つ。従来のメンバーに高岡、楳垣両教授の外、 三野助教授加はり教育論にて守本氏みなにやらる。われも出席よい加減を云ひ、下向かせしを気の毒に思ふ。二部の夜間一般の応募ほとんどだめならんと予想。 帰りて早寝(けふ今川にゆく日なりしも18:00まへとなりし故サボりし)

4月17日
休みとて寝てゐれば竹村課長来り25日弁当持参にて琵琶湖への遠足に行くべしと。亀井9:30来り、史の進学祝にノート10冊もち来る。この間の剰り金をみなの相談にてとのこと也。 藤井龍太郎死亡せし旨、従姉より云ひ来しと。そこへ郵便にて後藤一人のハガキ。早速返事かき序でに川西のところへ増田の弟やることとす。 その他に木村三千子女史のラヴレターめく手紙。中野英夫より悲観した如きハガキ。無きこと也。増田の父より柑橘一箱送り来り、 ややして松尾夫人この間の礼にと卵一箱(30ケ)とかまぼこ、梅焼などを賜ふ。亀井16:00までゐて帰りゆき、増田の弟20:00帰り来て駄目なりしと。

4月18日
私鉄ストの日。杉浦氏より黒田[製薬]しらべよと。10:30家を出て黒田にゆけば吉岡弥之助氏やめしらしく社長も不在。会計課長に会ひ明日短大へ電話たのみ府立図書館。 中村[祐吉]館長にたのみてカードのことなど萩野司書にきく。支那地誌150部位。出て市役所にゆき渡君にコーヒーおごられ本荘健男、小畑大悟の女と結婚しゐるときき、 市教委に八田君訪ねしも不在。筒井にまたコーヒーとケーキおごられ、梅田より帰り、会社にゆき杉浦氏に報告。
帰りて蜻蛉会員に礼状。七理にも書く。
いつもいつも貧しきわれを知る男けなげとほめてコーヒーりましぬ。
なが住める国に電車の通はぬ日それもかなしと山脈を見る。

4月19日
登校。45分前なりし為退屈す。高校2年手ごたへなく家政の歴史手応なし。岩崎君より謝恩金600もらふ。黒田にゆき吉岡専務に会へば止めしと。 社長とも話し天満橋で天ぷらうどん食ひ、坪井に会へば同窓会せんと。別れて会社。城平叔父に報告し松尾氏のこといへば謝礼返せと。25日の遠足ゆかずともよしと。 帰れば山城和子より手紙。

4月20日(日)
試験のため登校。西宮君には通知もれ、守本氏にいへば君より云ふべしと。月給はベース未定のため何時出るやらわからずと。国語の監督採点し歴史の採点し、 面接し、不満なり。すみて17:00、雨ゆゑ傘借りをかねて白井三郎にゆく。夫人近藤芳美(アララギ歌人)の妹と。夕食御馳走になり傘借りて帰る。
けふ入江来布氏より入学依頼。堀内進より本買ってくれと。大阪府立図書館萩野氏へ礼状。

4月21日
白井家へ傘返しに寄ってから登校。歴史(1文)漢文、国文とやり、やきもき屋へコーヒーのみにゆき(『東方学』2冊図書室へ引取ってもらふ)。2部の入学詮衡みなパス。 17:00今川へゆけば久美子胃病。正平とやり、すぐ出て古本屋を廻り、原隨園『アテナイ人の国家(30)』、加茂『世界文化史 上(50)』、折口『世々の歌びと』(きのふ折口信夫『日本文学の発生序説』買ひし)、 『近松 上(20)』、『其角句集(80)』など。帰れば岩崎昭弥より徳永嬢と絶交せしと。高橋一好より礼状。安田章生より夏にただで講演せよと。

4月22日
9:30家を出、大鉄デパートへ寄り『大阪東北部[※地図]』買ふ、25円に値上。『風土記(120)』。住高へ寄り硲君と話し、大高名簿未着とききしらべたのみ登校。高等学校教へ、 また大鉄へゆきコーヒーのみ、上六天地書房で『十訓抄(40)』『新葉和歌集(40)』『珊瑚集(20)』と岩波文庫買ふ。 大津の山本なる医師、結核の外科手術に自身ありといふと。けふ安田章生へ返事。寒し。末吉よりハガキ。

4月23日
私鉄ストにて学校休み。一日床にあり。ハガキ多くと。中野英夫への手紙かく。徳永昭子氏よりハガキ来しのみ。
わがよはひたけくしなりぬ放埒の翌朝のめざめ鏡を見れば。

4月24日
〒なし。岩波文庫144冊ありと計算。16:00家を出、2部入学式にゆく。市役所のアルバイト申込なき様子。学長いつもいつも大学のあり方につき長[口]舌。すみて又々京大出と紹介さる。 19:00出て帰宅。

4月25日
雨。会社ビワ湖へ遠足とて出てゆく。休めば欠勤とすと也。我臥床、シロコゴロフよむ。岩崎昭弥より『西康省』くれと。 『天理文芸』より稿料510!しかも上村孫作氏のと入れちがへ也。森生よりレポート。

4月26日
私鉄第3次スト中なるもゆき見れば天王寺で上町線動きゐる。高校休講。大学も一寸話せしのみ。渡にアルバイトのことにて電話すれば今の所不要と。塚本、安村2生とコーヒーのみ、 大高へ名簿のことでゆき見れば着きしと。警察病院にゆく途中、電車で藤村誠一と話し(15年ぶり)、病院にて耳鼻咽喉の主任といふ里村と話し(口ひげ生やしをり)、金沢、 松本一彦など帰阪ときき、玉井君ゐることを知り、西見舞ひしのち、西のレントゲンたのみ、保田、伊東のこと話して帰宅。
鈴木治より天理図書館にゐると。原田より病気全快したと。けふ自治会総会ありしとて菓子呉れ、衣川来りて委員長に再選されしと。写真帳作りたしと。

4月27日(日)
晴、家居。〒なく無為。

4月28日
8:50までに登校。9:00からの講和記念貨式に出、講義すませ15:00日赤アベノ分院へ松本健次郎をたづぬれば堺分院と。今川にゆき久しぶりに久美子教ふ。勉らは4日まで帰省しゐると。 今川ねえや逃げしと。学校へ帰り夜学の式に出、講義して帰る。けふ4月分のベース差額呉れ月俸21500と。石浜先生より原稿催促。玉井君より西のこと承知したと。父来り本2冊おきゆきしと。

4月29日
天長節とて休み。会社より呼出し、行けば俸給と賄人へビワ湖の弁当代。われ税金248。雨ひどく帰りて出ず。『天理文芸』来る。庄野誠一相変らず関係しゐる。 夜、栗生金3000借りに来る。間服出しにゆき子ゆく(1600)。

4月30日
登校。(天理文芸へ為替送りかへす)。時間早ければ大鉄百貨店へ松浦元一氏訪ねしも不在。藤沢昭子氏へと6枚書きて事務に托す。帰り田村春雄を訪ねしに藩札目録送ると。 Hydragid(※結核特効薬)は手に入らずと。また松浦氏見にゆきしも不在。今川にゆけば久美子あり。やがて来りしまみ子教へ、史の入学祝とてアルバム貰ひて帰り来る。 衣川呼びて栗生に金返せといひ、英語やりて疲る。(けふ黒田氏より催促の電話)

5月1日
10:00会社へゆき黒田社長のこといひ、城平叔父よりくはしく聞き、由良賄人のことにて終り、住吉高校へゆき山本君にタバコもらひ、硲君風邪欠勤とて隣席の女史に旗托し、 黒田へゆかんとせしが止め、梅田より市電にて松井氏にゆく。20:30うどん食べて帰宅。末吉より挨拶状。玉井ドクターより西、別状なしと。『薔薇』4月号にわが歌ほむ。けさ「スマトラ」6首『白珠』へ送りし。
メーデーは春北欧に来る日とぞ春の終りをなとともにゆく。
夜のおもひうたたかなしくうどん汁のみほしゐたりひとりとなりて。

5月2日
終日家にゐてカード作り写真帖はりかへす。亀井10:00より15:00までゐて兵隊の話してゆく。夜、衣川を呼び栗生に3000返してもらふ。

5月3日
憲法発布の日とて休み。昼すぎて大鉄百貨店へ寄り松浦元一氏と話し大江へゆけば勉らあらず。(子供の本160)。この間、父来り500とりゆきしと。叔母疲れて機嫌わるく説教ききて帰る。 (鹿熊鉄と電話で話す)。帰ってゆき子に説教伝へふくらす。けふ『東洋史研究』来る。

5月4日(日)
雨、終日家居。きのふアルバム帖はりかへすまし、けふ小説かかんとせしもやらず。けふより悠紀子副食節約と。安田章生より「ハイネの詩について」と予告せんと。

5月5日
子供の日とて休み。一日家居。小竹氏、久美子の「けふ来ずとよし」との便りもち来り明日会社へ来よと杉浦氏の伝言。

5月6日
会社へゆけば吉村の退職手当3000の稟議書かけと也。学校へゆき高校の漢文教へ未だ登校せぬ長尾嬢にハガキかき、遡及3509もらひ(税過納とて709返してもらふ)、 北畠にてストライキ期間の定期のばしてもらひ、奥村君に会ひして帰宅。けふ『天理文芸』より原稿料改めて来る。不二出版社へ藤田徳太郎氏『日本歌謡史』の注文かく。 けふ沢樹生、坂口允男の家の地図を届く。志賀直哉の旧邸のすじ向ひなり。

5月7日
朝から労務課総出で草とり(昨日に引つづき)気の毒なり。10:30出て住高にゆき硲君に礼いふ。日の丸受取りをらず。姫松の木村でクロー『支那人気質(20)』、 五十嵐『平家物語の新研究(15)』、倉石『支那語教育(50)』買ひして学校へゆき教科教育やる。壽岳博士、河上肇の漢詩訳の原稿を見せらる。(唐五代宋の詞なり)。 教授会なしとて今川へゆき、卵くはされて帰る。松浦元一氏より坂口徳三郎君のところ報せらる。

5月8日
終日臥床。史、和歌浦へ遠足、土産もちて帰り来る。木村三千子氏よりハガキ。『コルボオ』来る。衰へたり。「宣伝中隊」けふまで書きしがいやになり書直せしが旨くゆかず。

5月9日
会社へ寄り亀井に寄りして坪井に会ひ、同窓会名簿わたし24日に会とほぼきめて梅田。この間22:30ごろ帰宅せしと。上六にて泉井『這語民俗学(20)』、毎日新聞『世界の歴史・日本(80)』、 天地書房にて野尻『星(50)』『古今和歌集(20)』買ひて20:30帰宅。徴兵貯金48払ひしを200返してくれしと。

5月10日
雨、登校。高校大学教へしのち、西宮君とともに生徒さそひて朝日講堂の万葉学会講演をききにゆく。藤野、塚本、山中、斎藤、安村、平山ら8名。大浜、吉井2君来会す。 神田先生の話おもしろかりし。雨中を歩きてコーヒーのみ、タクシーにて大阪駅へゆき別る。齋藤生にきけば長尾禎子退学する由。けふ寮にて取引先を招待、大さはぎなりしと。

5月11日(日)
終日家居。「宣伝中隊」30枚を越す。天野忠より6月例会8日と。木村三千子氏より詩。

5月12日
〒なし。千草よりみさ子の古着るゐ送り来る。「宣伝中隊」68枚となり、ひるすぎ警察病院へゆき玉井君にわたし、真法院町の日日新世界社さがせしもわからず。 アベノ橋まで歩きアテネ文庫『アテナイ人の生活』見つけ、市立工芸へゆき笠井君教務課長となりしに会ひ、平野線で今川。西川如見『町人嚢(20)』買ひ、正平、久美子教へて帰り来る。 けふリッジウェー(※第2代連合国軍最高司令官)帰来。

5月13日
学校へゆく途、散髪す。高校なく12:50までに梅田O.S.劇場へゆけと。古本屋見て時間つぶし「ホフマン物語」[観]る。子らわからぬらしき様。山本治雄にゆく。 (劇場に本庄先生来[合]はさる。支配人大高と)。この間東上、西川に会ひしとてハガキかきゐしに寄せ書す。
出て伊庭孝『日本音楽史』買ひ、大東楼で会食。英語の川口徳彦氏と●●話す。すみて生れてはじめてパチンコやり「光」2ケ。土屋文明『万葉集入門』買ひて帰る。八木嬢よりハガキ。

5月14日
早昼食べて登校。教科教育法やり(硲君来りしと。夜間月曜に詩●会やると)。教授会。1年文芸47人。夜間一文37人と。17:30すみて帰宅。

5月15日
家居。〒なし。入浴せしのみ。(亀井来り『戦陣訓』もち呉る)。

5月16日
東方学会より会費請求。昼すぎ出て会社へゆき図書費もらふ。府庁にゆき荒井に会ひ、蜻蛉会の写真もらひ大手前高校にゆきグランドにて野球しゐる坪井にきけば24日の会は彼上京のため駄目と。 (『万葉集 下(90)』)。

5月17日
登校。長尾生より速達にて「退学とり止む」と。20日高校のPTA総会にて参観ありと。「会議は踊る」の学生券2枚買ひ(140)て出、梅田。「ヴァレンティノ」[観]る。 帰れば西保君より歌集出したしと。坂口君より21日の予定報せと。

5月18日(日)
臥床、入浴。〒なし。
この一日心あはずてすごし来しわが云ふときにうべなひし子も。

5月19日
登校。歴史、漢文国文学おしへ月給もらひ、文2委員たちに奈良旅行のための万葉抄わたし、阿倍野交叉で『上宮聖徳法王帝説(30)』『後撰和歌集(20)』『ぎや・ど・ぺかどる2冊(40)』買ひ、 田辺で駒井卓『人間の遺伝(40)』、藤井乙男『俳諧研究(30)』買ひして今川。久美子に「会議は踊る」の切符やり真み子まで教へて帝塚山。うどんパン食ひ2部教へ、 詩歌の会といふに21:00までかかりて帰宅。角川書店より創刊『俳句』。

5月20日
雨、登校。齋藤生、万葉のプリントきれいに仕上ぐ。高校4時間目なく5時間目母2人見学。14:00出て地下鉄。大丸隣の佐渡島金属にゆき梅本(※梅本吉之助)に20年ぶりに会ふ。 ビルマより帰りしと。出て大丸へ本見にゆき地図『田辺1/25000』買ひして今川。みさ子に絵本買ふ(50)。けふ東方学会へ800送金。名刺130にてあつらふ。

5月21日
奈良への遠足に付添ふとて徳庵で鳥打帽買ひ(430)、30分まちて遊覧バス3台に160人のる。津熊、山城、伊井3卒業生を加ふ。法隆寺中門で説明さされよわり、中宮寺へ25人ゆくにつきそひ、 20分おそくなりしとて守本氏いやな顔す。奈良三笠山の下にて解散。万葉植物園へ西宮君と12、3名つれゆき写真、樟の木の下でとってもらふ。東大寺まへで乗車。 阿倍野斎場で吉井巌君に逢ひ、降りて西宮君と3人にて茶のむ。

5月22日
不二歌道会鈴木正男君あて『日本歌謡史』のとりしらべたのみ、会社へゆかんとしゐしに電報。山本治雄より「丸、下阪につき来よ」と。すぐ行けば山本、丸ともに行方不明。 沢井判事にゆきしにわからず。三越へ佐々木邦彦の「穣高」見にゆき村山高の勤先さがせしもわからず。沢田の事務所もわからず。梅新でパチンコして時間つぶし、 16:00丸の泊る大一ホテルへゆき山本まち、大松先輩の酒場「ローレル」といふへゆき夕食。そのたと梅新のCAFÉにゆき23:20までビールのみ駅前で別れて帰る。 (けふ父に会ふ。口みつかり城平叔父「手川の家かす」と云ひしと。)

5月23日
家居。『日本歌謡史』来る。岩波講座『日本文学』所載のものと。『Poets’School 22』来り、あひかはらずわれを会員とす。『玉台新詠』と『古詩源』とを校(※くら)ぶ

5月24日
登校。寺本信子奈良万葉植物園での写真呉る。田村春雄にゆけば在宅。芝田氏の藩札のリスト預り、向ヶ丘の立野保男訪ぬれば在宅。分裂症なりしと。いま商大講師としてドイツ語教ふと。 別れてアベノ橋で雨降り出づ。京橋でパチンコ屋へ入り30で光3ケ、キャラメル1ケもらひ、あと20円つかひ放出でまた下車。買物して帰宅。

5月25日(日)
9:00家を出、丹羽千年にゆけば桂信子岡山の句会へゆきしと。知合の嫁たのまれ、出て梅田へ「Der Kongress tanzt(※会議は踊る)」見にゆきしにかはりゐる。 ナンバへゆきしもここもかはり、上六にゆき『覚後禅(130)』(そのまへ木下杢太郎『食後の唄(150)』)。18:30天地書房で『南蛮更紗(60)』、史学会『世界史概観(20)』、 井村『中国古代社会経済の研究(100)』、『ドイツ民譚集(30)』と買ひ、小阪にゆき堀内で『好色一代男』『義経記』『詞華和歌集』と『覚後禅』ととりかへ、 山口実にゆき西保の200わたす。只一人の(※女学生で『祖国』)購読者と喜ぶ。引返して中西にゆき、きけばhydragid手に入るゆゑそのうちにやらんと也。21:30帰宅。茶漬くふ。 父より前任者健康恢復、口だめと。東方学会より「800受取り300あまりし」と。間違なり。

5月26日
昨夜0時すぎまでねられず苦し。登校すれば長尾生わか布たまふ。聴講指導やり国文学史の時間流してしまふ。コーヒー柴田へのみにゆきてのち今川。 「Der Kongress tanzt(※会議は踊る)」見しと。引返して夜学。クタクタになって帰宅。
快き疲れにあらね兵隊のわれのたびたび欲りし眠りよ。
けふ二部歌会へ2首わたす。

5月27日
雨。登校。高校2時間やり硲君来りしと話す。金なくてつらく早々別れ市立病院へゆけば田村君帰宅。今川へゆき久美子不良化の原因を守本氏ときき17:30帰宅。入浴、食後すぐ眠る。

5月28日
竹村課長来りしゆゑ話し、丸、徳永昭子2氏のハガキ見しところへ父来る。3000わたして出、住高に寄り硲君に会へば市営住宅当りしと。午後2時間すまし教授会。すみて自治会との話合。

5月29日
休日。玉井君より小説7月号へと手配せしと。次の締切20日と。八木君より中西先生にさとされハイドラジッド熱(※所望熱)さめしと。富永(※天理図書館長)月末まで上京と。 徳永、丸2氏へハガキ。大阪国文談話会へ8日の会のことわりす。会社へゆき坪井宅へゆけばまだ帰らずと。ゴンチャロフ『日本渡航記(50)』、小林『地獄の季節(30)』、 エウリピーデス『ギリシア悲壮劇(70)』、西鶴『男色鑑(50)』買ひ、大手前へゆき坪井と7日の会の相談し、西鶴与へ家へゆき、茶よばれて帰る。

5月30日
終日家居。〒なし。

5月31日
登校。『エウリピーデス』図書室に買はせ、硲君より市営住宅のこと市役所で問題になりさうときき、大高同窓会の手紙受取り、長沖氏の分、同氏宅の郵便受に入れて別れ帰宅。〒なし。

6月1日(日)
静安学会より7日住友家の銅署見学の案内ことわる。これにて7日2つ、8日3つ会あることとなる。入浴、無為。

6月2日
登校。遡及出ず『鴎外全集1』出しと。立川陽子写真2枚呉る。齋藤と出てアベノ橋。今川で真美子より松尾東高校へ就職らしときく。風巻『日本文学史ノート2(20)』、 荒木『中世日本の庶民文学(20)』買ひ雲吞食ひて夜学。山城和子より手紙。広田一彦よりハガキ。

6月3日
登校。高校の漢文教ふ。遡及2、3月分7080もらひ、長沖氏と話せしあと14:00出て大鉄デパートより上六。枇杷食ふ。天地書房にて春夫『風流永露集(50)』『蝗の大旅行(70)』買ひ、 鶴橋にて西宮君に会ひて帰る。〒なし。けふ『鴎外全集1』受取る。

6月4日
道教学会へ300送り、西保、山城2嬢へハガキして登校。(大より雲井移転先さがしにおくれしと。9月出すと云ふ由)。教科教育すませれば、齋藤生アカハタと朝日グラフと見よと貸しくる。 教授会。図書費文芸10万円と。すみて山本にゆけば中々帰らず。書生サセ君と韓国人と話す中、18:00帰り来り今夜20:00より講演と。桜橋にてビフテキおごられ講演きかさるることとなり、吹田、 山本宅へ夫人とあき子ちゃんと呼びにゆかされ、破防法ききて山本宅へ帰り、夕飯くはされ、碁一番やれば電車なくなり泊る。山本7日のクラス会へ出席と。

6月5日
10:00すぎ山本と出て梅田で別れ、古本屋まはり柳田『方言覚書(70)』、散髪(150!)、疲れて帰宅。坪井より出席者と欠席者一覧。大河原一派来ずと。雲井書店と大にハガキ。

6月6日
吉川綾子の送別式との由にて8:30家を出てゆけば長沖、小野諸氏も来をり。すみて出、藤井寺の大江叔母にゆく。合服暑さうなりとて裏無しとぬぎ替へて昼食たまひて出、 日野月先生と途で逢ひ挨拶し、肥下にゆき畑へゆけば、雨降らずば(※同窓会に)ゆけずと云ひ、会費出せずといひす。今川へ映画の切符もってゆく途で松尾四郎に会ふ。 平野へゆき寄宿舎の相野訪ね、ともに出て古本屋見、ソーダー水のまされアベノ交叉で別れ又古本屋。野尻抱影『星の美と神秘(20)』、中川『妻妾論(100)』買ひて帰宅。

6月7日
登校。長尾生、相談ありと。12:00まで待ち、齋藤生と3人で出、大鉄デパートの喫茶室できけば演劇方面に就職世話せよと。齋藤生も教師となると。細工谷のクラス会場まで伴ひ話きく中、 坪井来り2生退去。坪井と碁うち(4、5回)、梅本、白井、郷崎、山本、山田、本庄先生、関口と順次に来り、肥下閉会まぎはに来る。5500の収入にてあと坪井にまかせ、 われは名簿発送引受く。関口の自動車にてゆく6人と別れ、桃谷駅にて白井、梅本、肥下と別れて帰宅。

6月8日(日)
会社の遠足の日なるにまた雨。昼寝せしところ14:00中野英夫君来訪。夕食後、心斎橋へゆき大塚女史に会ひ、きけば此間は竹内に会はざりしと。自殺せんとせしことありと。 電話なきため森永へゆき守口に電話せしにかからず。自動車にて天満橋、守口へゆき松下病院へ中野嬢たづね、我家へとすすめしもきかれず。雨中帰り来る。 (けふ名簿の発送のことしをへ、天野忠より500受取りのハガキもらふ。あと300と。)

6月9日
中野君をのこし(三沢先生と武田嬢のところきき)登校。立野君より手紙。詩をやりたしと。長尾生見合するゆゑ就職ちょっと待つと。吉川綾子に送別の名刺托し今川。 すませて学校に帰れば長尾、斎藤まだあり。話して夜学。帰り来れば中野君10:30ごろ出しと。正剛の息子らしとゆき子の話。なるほど叔父の話(※詩人の)秀人のことらし。咲耶より挨拶状。

6月10日
登校。長沖氏と話す。(名簿の発送す、16通160)。ひるすぎ出て田辺東之町6丁目芝田氏をたづぬれば山本へ転居と。今川へゆき梅本へ紹介状かき電車賃200もらひて帰宅。 『祖国』6月号と藤本真理子氏より「近畿ところどころ」5枚17日までにと。

6月11日
登校。すみて(田村春雄をゆきがけ訪ねしに8日より6日間上京と)放送局、藤本まり子氏に会ひ、原稿承知といひ、大手前へゆき坪井に会ひてきけばクラス会まだ[精]算せずと。 守口にゆき中野嬢に会ひて大略話し、近日来たまへといひて帰宅。大毎より25日までに詩1篇をと。山本家創業80年のバックルを杉浦氏とどけたまひし。『文学雑誌』の杉山君の専務物よむ。

6月12日
会はずして日数へぬればいかばかりかなしくあらむためし見むとぞ。
伊井玲子より西保への伝言何なりしやと。亀井来り末吉2.4万円貸せといひしが答へざりしと(卵もち来る)。午後会社へゆく。自炊にせんかと。

6月13日
家居。横山と俣野より名簿つきしと。ウラルアルタイ学会、d松(※あべまつ)氏より29日に講演せよと。諾の返事かく。(シロコゴロフの『ツングース語字典』につき話さん)。

6月14日
登校。電話立野保男君よりかかり来り、13:00まで待ち中島文庫見せ、家へ伴ひ帰る。応対少し変なれど勝手にこちらのみしゃべり夕食食べてもらふ。由良賄人より25日頃までと佐世保より。 『不二』来り保田の写真のれるを見れば髯生しをり。けふ「続 宣伝中隊」かきそむ。

6月15日(日)
家居。ハガキ多く来る。北海道の高梨富士子氏より母上死なれしと彦根へ。紅松より名簿の礼状。岩崎昭弥より7月来たしと。コルボオより7月例会13日と。 昼寝し前後にJOBKのため「野崎参り」10枚かく。衣川ら本買ひ来り安田徳太郎『人間の歴史2』よむ。大して腹立たず。

6月16日
登校。
遅刻すと泣きじゃくりつつ出でし子を時すぎしのち忘れかねつも。
教へ了り今川。すませて春夫『花と実と棘(10)』買ひ、帝塚山4丁目でうどん食ひ、学校へ帰れば長尾生パン呉る。夜学生すみて短歌会するとのことなりしも流会。喜んで帰る。 伊井嬢よりハガキ。保田より同。

6月17日
登校。午後齋藤龍太郎と藤沢桓夫2氏来校。帰らんとすれば長沖氏コーヒーおごらる。この頃ラヂオで好評と。今川へゆき中野嬢来るかと思ひて帰りしに来ず。 西保恵以子より25日に来ると。安田章生より8月8日に「ハイネについて」話せと。『俳句』2、『白珠』7月号。

6月18日
登校。すみて教授会。吉川綾子に10万円もちゆかせしと。白浜行で院長と守本氏と対立。サラリー出ず。「G線上のアリア」安村生にきかされて退出。けふも中野嬢来ず。 徳永嬢より8月来彦のうはさききしと。d松氏より礼状。

6月19日
9:00会社へゆき図書費5、6月分2000もらふ。城平叔父、康平叔父を叱る。出て大手前にゆき坪井の授業待つ間にJOBKにゆき22:40より放送とたしかむ。 坪井、氷うどんおごり呉れ、この間の会5700ですませしと。梅田にゆき帰り小雨。鎌田よりハガキ。

6月20日
朝から「続 宣伝中隊」かけずうだうだしてゐるところへ〒。薄井菫子夫人より薄井(※薄井敏夫)23年7月発病、25年4月6日亡くなりしと。かなし。西川よりハガキ。立野保男より礼状。 硲君よりまだ転居せずと。玉井一郎に会へば原稿月曜でよしと。保田夫人心臓脚気と。帝塚山学院へゆき、川西、高岡、三野諸先生の評判わるしときくところへ高岡博士来らる。 月給もらひ『鴎外全集』13回とりて藤井寺へゆけば大江叔母病臥。初枝叔母服くるると。夕方になり肥下へゆけば夕食中。薄井のこと告げ、ジャガ芋もらひて帰宅。

6月21日
きのふより風邪、発熱すれど登校。45分まちにつき定期を買へず。すませて大学南校へゆきしも要領えず。(帝塚山書店で田中香涯『江戸時代の男女関係(50)』)。帰りてひるね。 熱とれず。藤田久一より礼状。けふ坪井に手紙かき、史にもちゆかせしも反響なし。

6月22日(日)
けふも発熱36.8℃位なれど暑くねころがるのみ。山城和子より手紙。保田、西川、関口、高梨の諸氏へハガキ。「宣伝中隊」うまく書けず。

6月23日
発熱、せきも止まず。9:00ゆき子に学校へ電話かけしむ。雨ひどき中を17:00女の声するに齋藤、長尾2生見舞に来りしと。菓子と花呉る。日くれさうゆゑすぐ帰りゆく。気の毒なり。

6月24日
10:00出て警察病院へゆき名刺通じて散髪。玉井君にことはり云ひ、出て上六まで歩き天地書房にて『春夫全詩抄(60)』。大手前にゆけば坪井あり。関口より28日15時すぎ京都へつれゆくと。 出て古本屋で田代晃二『言葉の使い方(130)』買ひ、春日出行にて暁明館(※病院)。中西の診断書受くれば結核はなしと。咽頭炎の薬もらひて大毎へゆき「七月の大川」受付へわたし、 山本の事務所へゆき忙しげなるに薄井の死を告げて帰宅。けあ中野英夫へ中野嬢来ずと速達。大高同窓会へ420振替。

6月25日
よべ中西の薬のみて寝しに副作用ありて眠れず。学校へ電話かけ西保和歌山より来ば家まで来よとの伝言たのむ。来ざりしは如何なりしやらん。夕方まで食欲なくぶらぶらす。

6月26日
10:00暁明館へゆき(西成線野田よりゆけば早し)、薬の副作用いへばさることなしと。また調剤注射し呉る。八木嬢来ゐたればつれて天満でうなぎ食ひ『詩経(60)』買ひしてバス。 徳庵橋で父に会ひ「健に送金いへ、大より結婚の相手見つけたと手紙ありし」と。丹羽の信子に再婚の気なきやききあはせに行ってもらひ八木嬢と16:00まで話し、入浴。

6月27日
終日臥床。東洋史研究会より90送れと。シロコゴロフ辞典をよむ。旨く話出来さうもなし。

6月28日
登校。みな見舞云ふ。2時間すませてウラルアルタイ学会の原稿切り、(硲君に会ふ。住宅うまく行きさうと)。そこへ村田幸三郎より電話。田代重雄九州より来阪しゐると。 すぐゆき田代に会ひ、中間の炭坑の自動車課長らし。藤田に紹介せんといひ、村田西尾の仲悪きをきく!ともに出てLaurelにゆく途、西野半造来り4人にて麦酒(われは喫茶)。 15:00すぎ自動車にて大手前まで村田に送ってもらひ、30分して来し関口の自動車で京都。畠山六衛門邸(大京KK専務)にゆけば大阪と。18:00すぎまで待ち円山公園の「菊の井」にゆき入浴、 夕食。祇園の「みの家」といふに席移し、又singer。われのみ23:30畠山氏へゆきて泊る。(台湾嘉義にありしと。令嬢同志社中学へたのむと)。

6月29日(日)
鯛もらひ10:00自動車にて京阪三條まで送られ、特急にのりて11:00すぎ京橋。一旦帰宅。父よりハガキ。『祖国』7月号(つづきとをはりに記しあり!)。下調べして13:00家を出、 14:00まへ外大へゆき、山本守氏のあと「シロコゴロフのツングース辞典」につき話す。あと鴛淵博士(※鴛淵一)つまらずだるく先出て(会費100払ひ!)、 大軌デパートで井筒『マホメット』買ひて帰宅。

6月30日
登校。3時間教へ、守本氏に夜学の断りいへば、補講西宮君にゆく。4:00出て今川にゆけば大江叔母の看病に藤井寺と。(アベノ交叉綿野でBaedeker『Paris(100)(※旅行案内書)』『耳袋(80)』)。 南方(※熊楠)全集よめば昨日の鴛淵博士の話そのままにあり。

7月1日
雨。登校。高校の授業今週限りと。太宰博士補筆油たまはる。鞄にぬれと也。中馬生、東京土産とて海苔呉れしをもちて藤井寺。久美子にも会ひ、 帰り近鉄百貨店で後藤朝太郎『佛印・泰・支那言語の交流(80)』買ふ。わけのわからぬ本なり。眞野君より木之本へ転任にならんと。原田運治より礼状。 岩崎君より本代300。毎日夕刊に詩出ず。

7月2日
雨、登校。教授会。帰れば『東方学4』と八木嬢のハガキ。『南方熊楠全集』よむ。風邪ほぼよし。

7月3日
9:00出て布施へゆく途、竹村課長と同車、楠根川溢る。小阪にて大進堂により、米田祐太郎『支那艶詩選(40)』買ひ、郵便局で1700とり、上六より大手前。坪井に会ひ、 村田に会ひにゆきしに東京出張と。大毎の前通り、2日夕刊に「7月の大川」のれるを見る。19:00帰れば大毎より金送りしと。山本書店より書目。東洋史の本上りしもよきものなし。
いつしかに真夏となりて金もたぬわれらなげきてちまたゆきかふ。
別れぎは金のことをば云ひしをば別れしのちの悔しさとなす。

7月4日
家居。大毎より掲載紙。玉井君より7月20日までに「宣伝中隊」をかけと。大高同窓会より11日森田先生の会と。断り状かく。父来り『八代集』もち呉れしに200わたす。夕方守屋君へゆきしも不在。

7月5日
登校。高校の試験問題わたし、住吉高校へゆけば山本君授業中。硲君に300托し弁当食べて萩ノ茶屋の古本屋へゆきしに見付からず。ナンバへ出、朝日会館へゆき「会議は踊る」を見る(100)。 泪出しは青春を思ひ出してなり(20年前見し)。梅田より帰る。白鳥先生の次男郁郎氏死と。田代より挨拶状。西保より大毎の詩を見しと。『南方全集』3、4、5よむ。

7月6日(日)
家居。数男よりゆき子に20,000送り来る。難波[礼]二『朝鳥』跋にわが名あり。午後正平来りビスケットもち来る。(午、森来りパン食ひゆく。原課長だめなりと。 安倍の嫁去ると挨拶しゆく)。山前あてに詩2篇書く。

7月7日
登校。点きつく出欠厳重にてわが評判よくなきらし。出て金田一『北の人(10)』、市村『文京論集(50)』と長沖氏の少女小説(10)とを買ひ、今川。すませて学校へゆけば丁度時間よし。 芝居にておそくなりし松井生らと帰る。岩崎昭弥よりハガキ。

7月8日
白鳥郁郎君の[弔]み状、清先生へ(500同封)。岩崎昭弥より『詩集西康省』つきしと。登校。高校へゆけば漢文は土曜、今度より1単位となりしと。伊藤生、白鳥郁郎君に習ひしと。 夫人ありしと。15:00すぎまでコーヒーのみなどしてアベノ橋。天海堂で芳賀檀『英雄の性格(30)』。今川にゆきまみ子と日本歴史、英語。帰れば20:00。

7月9日
安田章生より8月8日の案内に入場券5枚と送り来る。売って小遣ひとせよと、嘔吐!登校の途、長沖邸に寄り『コギト』(池沢の預けし)7冊受取る。授業すませ給料受取り市民病院にゆけば春雄手術中。 地下鉄にて(コーヒーのみしあと)心斎橋。駸々堂にて地図と『アテネ文庫』2冊。ピース10ケ包まして山田の事務所にゆきしも不在。引返して新谷病院を訪ふ。白髪になりたまふ。 西垣清一郎3人目の妻女共産党員にて共産党と。今中の会報もらひて出、帰宅。(十合、大丸と見し)。けふ大毎の稿料来しと。

7月10日
会社へ久しぶりにゆけば大掃除のこと、電気代のこと。次いで専務と会へば原君との間心配して今村氏に云ひおきたりと。彷々の態にて逃げ出し中西にゆけば日曜の同窓会にゆかんと。 八木君今帰りしと。大毎にゆき学芸の稲本君に会ふ。『コギト』よみしことありと。やがて永井正三氏来り、伊東、芳賀、保田のこと話し、雨の中を出て朝日。 谷川[新之輔]呼出し茶ふるまはる。伊東ハイドラジッドでよくなりしと。出て松坂屋ホールの「女の一生」劇を見る。見るに耐へず。 出て雨中、古本屋にゆき今『人間の研究(90)』『東蒙古(100)』『小説より見たる支那の民族性(40)』買ひて帰宅。をかしな日なりし。

7月11日
立野保男より詩、庄野英二より洋行の挨拶状。家居、事なし。

7月12日
登校前『東洋史研究』会費290払込。学校へゆき歴史(家政科)は話。すみて高校へゆき採点すませれば12:10。昼食し(平山、寺本、中馬、斎藤、長屋に『白珠』の入場券わたす)、 帰らんとすればBonus(10,800)呉る。コーヒーのみにゆき女子大生3人天理図書館の話するをきき紹介せんといへば後刻来る。高橋重臣にかく。 (同窓会名簿2冊240)。近畿方言学会楳垣先生主催であり出席。つまらぬこと云ひ後で気になる。東京の日本書房より来し本の 中、小倉『朝鮮語方言の研究2冊(500)』、金沢『言語の研究と古代文化(300)』、『原人の思想(100)』、小倉『国語及朝鮮語のため(380)』と1280払ふ。西宮君と氷のみて帰る。 入江来布氏より月曜までに何か書けと。『不二』。岐阜の詩人平光善久氏『伽羅雲』寄贈を受く。

7月13日(日)
午前中大掃除やり、平光君へ礼状。本荘健男へハガキ。14:00家を出、15:00今高へ着き中西、宮崎、塘、筒井と5人のみ同期。鹿島、粟津などと食堂で一緒になる。 18:00出て中西宅へゆき碁打ち夕食よばれて22:29帰る。ゆき子傘もちて迎へに来る。

7月14日
登校。2時間やり午後切捨てといひ昼食すませれば伊藤賀祐来る。論文の英文直してくれと。楳垣先生に御相談すればやって下さる由。(入江来布氏にゆき原稿のこと云へば明日でもよしと)。 庄野英二の送別会との由に職員会に出れば説教なり。理事者職員とも驚くにたへたり。教授会で明日のデモに参加とのことに引受けて上野芝へゆくこととし長尾生呼出し、 行けばまだ帰らず。19:00となり春雄宅へゆき夜学ことはりの電話かけ(春雄留守。)、長尾生と別れてゆけばまだ帰らず。父母と話しゐる中21:00帰宅。連れて駅までゆきき(※デモ不参加を)さとす。

7月15日
登校11:00。守本教授に11:00すぎまで会へず。やっと掴へて昨日の報告し、劇の援助金交付をも乞ふ。斎藤はるみを好まずと云ふ。すみしところへ八木明子氏より電話。 富永牧太氏今月末渡欧と。楳垣先生、伊藤に土曜会ひたしと云はれしゆゑ、出て上六へゆき散髪。明ちゃん呼出して茶のませ、伊藤にゆけば上れと云ふを上らず。 今川へ帰りて藤井寺へゆくと云ひ、手紙ことづかり大江。叔母全快祝をしゐるに行合せ、入江氏の雑誌の原稿かき、すしよばれウィスキー1瓶もらひ、風呂へ入って帰れば22:30。 山城和子生よりハガキ。

7月16日
登校。硲君来り、まだ転居せずと。教科教育の時間に漫談し、安村生に山城君の伝言たのみ(白浜行なしと。演劇部に5000わたせしと)、梅本に電話して15:00ゆき、 大丸喫茶室でコーヒーおごられ、湯川嬢のことたのみ、大丸と十合にて今川の子供たちに本買ひてお中元とし、わがためにも『小辞典』3冊と『中世歌謡集』と買ひして今川にゆき、 正平の成績簿見、帰宅。
天野忠君より臼井(※喜之助)除名。来月より活字に「コルボオ」をす。丸山薫より略歴送れと。中野英夫より結婚談はあとでと。(けふ十合で昌三叔父に会ふ。「十年」9枚を「梅花」社へ届く)。

7月17日
9:00出て小阪。山口実にミシンのこときけば15,000出せばよきのありと。布施郵便局で1700受取り理事長宅。執事にwhiskyわたし夫人に会はず(開衿シャツのため)。 近鉄百貨店で松浦元一氏たづね、コーヒーとアイスクリームよばれ、近日母上に会ひにゆくと云ひ梅田。暑くすし食ひてせん風器にあたり、池田亀鑑『平安朝の生活と文学』買ひて帰る。
『俳句3』(※角川書店)。白鳥家より挨拶。浪中より?20日同窓会と。
扇子買はせあふぎてやりて別れけり。
けふより史、水泳にゆき忘れし物を担任中塚先生(化学)届けたまふ。恐縮して夕食差上げ三高にて羽田に習ひしときく。夜1:00大震(※吉野地震)。

7月18日
家居。小川君のもち呉れしBonusを賄人にわたす。よべの震源は十津川と。悠紀子買物にゆき丹羽みさ子に会へば牧落に家買ひしと。父来りしゆゑ3000わたす。 西保より『日本歌人』に入らんかと。よからんと返事かく。

7月19日
登校。途中停電となり伊藤賀祐と同じ電車なりし。ゆきて待つ中、楳垣先生お越し。われは何もせず。午飯とり(300)、15:00出て近鉄百貨店で伊藤にお茶おごられ、 鶴橋で楳垣先生と別れ、伊藤に(※論文英語校閲)お礼3000とききて別る。
けふ近畿方言学会へ入会(200)。岩崎より『人類遺伝学』(※田中克己著)見し由、同名異人の仕業ならん。埜中君、丸山薫より。岡本和子「6ヶ月にて離縁していま埼玉」と。 けふゆき子山口君にゆきミシンたのみ来しと(13500と)。

7月20日(日)
家居。庭の草、実ととる。「宣伝中隊」69枚となる。中野英夫より地震見舞。礼状出す。夜、亀井来る。けふ浪中の同窓会なりしもゆかざりしと。

7月21日
会社へ久方ぶりにゆき、城平叔父、康平叔父と会ひ、警察病院へゆき玉井君に原稿わたせば保田大論文かきしゆゑ(※掲載を)2分せんと。インターンのこときけば城平叔父の名刺もらふべしと。 吉田和成見舞ひて(書店地方価いひしゆゑ見舞[ま]たず)今川へゆく途、『万葉女人像(20)』『見聞談叢(20)』買ひてゆけば、久美子大掃除の手伝ひにゆき真美子教へ、出て帝塚山。 太宰博士菓子をたまふ。長沖氏高野山へゆけずと。
けふ青木陽生より地震見舞。若森敏雄より暑中見舞。14:00ごろ山口実君ミシンもち来りくれ13,500払ひしと。

7月22日
郵便なし。家居。きのふより女流歌人集あむ。

7月23日
10:00出て会社へ旅行届出し原君にことはる。大手前へバスでゆけば坪井をり、十合たのむとのこと。出てカレーライス(80)食ひ、大阪新聞へゆかんとせしが果さず。 13:30省線にのりて芦屋下車。古本屋で『ハイネ書簡集(80)』買ひアイスクリーム食べす。(天満橋で『おあむ物語(20)』『玄奘三蔵』買ふ。)ざるそば食ひて別る。 風吹きてややよき日なりし。岩崎昭弥よりハガキ。

7月24日
9:05ナンバにゆけば9:00集合なりしらし。9:30準急で12:45成福院(※高野山宿坊)着。楳垣先生着をまち院長先生と碁打ち6目となる。22:45寝間へ退く。

7月25日
8:00より23:00まで会議。13:00より15:00まで散歩。去年来し古本屋に本何もなし。遠藤教授きのふまで高野山にありしと。けふ電話せしにをられず。

7月26日
会議大分らくになりし中、碁打ちにてふらふらとなる。夜、まとめて報告。隣室のさはぎをよそに眠る。ハガキ5枚出す。

7月27日(日)
9:00すぎ自動車にてケーブルまでゆき9:50発で12:20ナンバ着。支那料理くはされて帰宅。留守中『中国地方志綜録稿7四川省』2冊。『Poets’School24』。西保恵以子より3日来たしと。 藤野生より好きな音楽について。木村三千子より姉の詩集を臼井喜之助へ届けてくれよと!米沢生より暑中見舞。徳永昭子より某君と恋愛、結婚許されずいかがすべしやと。 日野君より図書購入について。

7月28日
よべ眠り足らず。家居。松永生より29日夕『狐の詩情』について話に来てくれ、8月12日もと。中川いつじより暑中見舞。都新聞より9日までに「詩人と思想統制」2枚半〜3枚と。
依子、宮本君に世話になりゐしが夕方(※彦根より)帰る。河村先生、藤野、徳永諸氏に土産もらひ来る。

7月29日
雨にて涼し。津熊生、西宮君、広田一彦君より暑中見舞。方々のハガキかき14:00出て会社。城平叔父にBonusの礼云ひ、梅田のSwan書房へゆき『狐の詩情』3冊(90)と長沖一『大阪の女(20)』買ひし、 藤井寺。大江叔父腹痛でねてをりダラ●助よろこびてのむ。17:30出て短大。松永、小山、平岡、斎藤と4人のみ。話し天丼食ひコーヒーおごりて21:00まへ別る。平岡生を中西に紹介す。 胸の病となり。留守中、学園の植山氏来り理事長の紹介にて空家さがしに来たと。

7月30日
よべ睡眠不足。家居。午前中『祖国』来り、中野英夫より暑中見舞。午後、杉森久英より『四季』かせと。角川へ紹介かく。荒井より暑中見舞。西保より4日午後になると。2児と草一寸刈る。

7月31日
10:00出て会社へゆけば、伍長死にしとて忙し。出て大手前へゆき坪井に会ふ。二階で碁将棋の会と。大阪新聞にゆき片山林左右氏に会ふ。村田と神志那の間に住むゆゑ一度泊りがけで来よと。 矢野兼三氏のことも話に出る。けふは変な日にて新書古書しもに買へず、ノート買ひて帰り、0時すぎても暑くて眠れず。
わがためにさげすまれしをいきどほり我もをりたり[なもさ]たりとふ。。

8月1日
史、中元(1500)もちて上洛。(※下総町の父宅に)2、3日泊り来るはず。上高地より山荘生。岩崎より8月17日徳永嬢つれて来ると。

8月2日
家居。〒なし。草とりを2女やりて日くる。けふ35.4℃と。

8月3日(日)
錦織恒夫より暑中見舞。草とりす。史、帰り来り、父の集めし地図もらひ来る。駅前にて露伴『一瓶の中(20)』購ふ。
わが父のかたみとくれし地図を見て我子は時へつ血色の水脈を。

8月4日
家居。草刈り。和田先生より秋、京都へ来たまはずと。『人類遺伝学』はわが訳かと。西保君より来ずと。山城、伊井2君より高野山より和歌山へゆくと。けさ西宮君お中元に光30ケもち来る。

8月5日
家居。草刈り。河村純一先生、藤野一雄、羽倉啓吉諸氏より来信。埜中清市君より難波君の歌集評を15、6日頃までにと。

8月6日
家居。草刈り。夕立す。暑中見舞3通。西保君より7日東京にゆくと。岡本和子より歌。夜、亀井昇、履歴書もって来る。

8月7日
家居。草とり。風吹き涼し。夕方「詩人と思想統制」2枚半。都新聞のためにかく。けふ暑中見舞3枚。三島の仲田といふ翁来り、堤の草刈れと、犬つなげと。

8月8日
父来り10日、史を墓詣りにつれてゆくと。ともに会社へゆき、竹村氏に犬と草のこといへば云はるる通りと。松尾氏に近々伺ふといへば隣に短大生西山あり。うはさすと。 出て片町でひやしうどん食ひ大手前。坪井に会へば、さち子君この間試験されしと。大江叔母よりの口ききめありしならん。松浦元一氏に紹介状かかされ、 図書館3階で『白珠』主幹安田清風氏にはじめて会ひ、(※長男の)章生君の話ききてのち「ハイネについて」録音され、時間引きのばされ弱る。矢内原伊作氏にはじめて会ふ。 出て来会せし短大生寺本、斎藤、藤野、塚本、山中、立川(他に平山)の6生にコーヒーおごりしてのち、松井信子氏の室にゆき夕食よばれて帰来。けふ木村三千子氏より礼状。 広田一彦君よりハガキ。けふ白珠気付で小野勝年君より「室見つかりし」と。

8月9日
草取り。山城生より卒業式前の写真送り来る。

8月10日(日)
朝より草刈り。都新聞より原稿受取。依子、海水浴に。史、宝国寺へ墓掃除にゆく。史、父より『三十六人集』預り来る。増田(※正元?)の弟、万年筆一本もち来る。(お中元にと200やる)。

8月11日
会社へゆく途、竹村氏に会ひ水代500づつ請求することとなり登校。サラリーもらひ特別手当2500もらひし。壽岳、高岡、中田、守本氏と院長とにて教授会の折、 住田講師(阪大南校教授)万代池にて溺死の報入る。英語教師として全田叔父とはよからざりし様子。出てアベノ斎場。綿野にて『Grimm(50)』『日本文学講座5冊(70)』、 志賀重昂『日本風景論(20)』買ひ「まむし」食ひ(130)、平野線にて田辺、隅田先生にお中元としてタバコ10ケもちゆき今川。瀧川『売笑制度の研究(40)』、 エレンケイ『恋愛と結婚 上(20)』買ひし、久美子、マミ子、叔母と話し藤井寺へゆきしに、叔母、明石へ墓まいりにゆきしらしく、帰る。「コルボオ」よりプリント。 徳永嬢より縁談やめ恋愛つづくると。

8月12日
草刈りしをへしところへ竹村、電気部長と来り鎌のとぎ方教ふ。東幸子よりお中元タオル5本。中島明子氏、南部英美子より暑中見舞。安田章生より礼。立川陽子より礼。 コルボウへ500送り、13:00家を出て散髪。『文芸春秋』買ひ今川。まみ子に英語教へ、お中元もらひて出、アベノ橋でライスカレー食ひ、学校へゆけば2年生4人のみ。 恋愛論して氷のませ梅花社へ入江氏たづね7月号もう一冊もらひて帰宅。

8月13日
寺本生よりみなの返礼としてバット13ケとマッチと送り来る。礼状かく。暑中見舞2通。西保君より山中湖にて。17:00すぎ出て天満橋。『文芸手帳詩歌篇(220)』買ひ『週刊サンケイ』の春夫先生の恋愛の件よみつつ、 京阪千林の松尾氏にゆく。卓尓君早ね。向ひの西山産科へゆき博子嬢と父母と話を松尾氏より承り、松尾氏よりピースもらひ西山氏よりお菓子もらひて帰る。

8月14日
草刈り。昼寝し13:00出て高尾で『南方記(70)』買ひ、[圖]本の松浦家にゆく。母上78才と耳もきこゆ。姪、山村智慧一の名にて踊り教へゐるを待ち、松浦(※悦郎)の戒名一如院●法日悦信士なるを知る。 恋人たりし森繁夫氏の女も死にしと。すべて20年の茫々。おすしよばれ遺稿集『五つの言葉』3冊もらひて出、 途中の古本屋にぐろりあ本あるを見、佐藤春夫『菊水譚(50)』、伊藤佐喜雄『花の宴(50)』、堀内『万葉大和風土記(110)』買ひし、梅田で吉川『新唐詩選』買ひしてかへる。 けふ出がけに夕立。徳永昭子嬢より16日岩崎とともに来ると。錦織恒夫より読書案内をと。

8月15日
草刈り。岩崎より徳子嬢つれて来ると。中元手当500とコップ半打とを会社より。松浦家へ礼状。マミ子へ宿題の解答。中島夫人へハガキ。
汝をすてて博士とならむ暑き夜を虫啼くこゑにめざめ思へる。

8月16日
草刈り。10:00すぎ岩崎、徳永2客来訪。徳永嬢の許嫁者、非常識にて破談し泣かれしと。硲晃、天野忠よりハガキ。徳永嬢16:00すぎ帰り、岩崎君泊る。

8月17日(日)
岩崎と9:30出て鴻池新田の官舎町返れば守屋の子遊びゐる。「又かへりしや」と問へば「たり」と。竹中靖一(2回文甲、近大)氏、追放書籍放任のため退職さされしとききて会ひしに好人物なり。 飯盛山へゆくといふに20分ほどして出、鶴橋より桜井。駅まへ通り舗装出来あり、冷しうどん食べ保田家へゆけば不在。父君にきけば高野山の夏季大学にもゆき今はまた大阪の夫人宅へと。 19:58まで西瓜よばれ桜井駅で岩崎と別れ、天理。八木家へゆけば信、よし、二嬢あり。大浜へゆけば下阪。高橋は瀧本へ。瀧井氏と話し養徳社のこときき(本屋で喧嘩して佐々木治綱『永福門院(50)』、 今井邦子『日本女流文学評論(100)』)、鈴木治氏へゆき夕食たまはる。富永泣き面してデンマークへゆきしと。19:00約束せしに匆々飛出して天理駅で信ちゃんと会ひ(明子嬢と許嫁者に会ふ。)帰阪。 京橋でお茶おごりて別る。矢野兼三氏より喜んでハガキ。齋藤、塚本、二生より礼状。毎日より図書推薦をと。

8月18日
家居。八木嬢から入れちがひのハガキ。不二より十四士七年祭の案内。丸山薫より詩の発表年月日の問合せ。

8月19日
草刈り。11:00右原厖の詩集もちて村井平七君来訪。14:30まで話きいて帰る。小野十三郎、越智生とつれ立ちて評判なりと。角川書店より『俳句4』、森田宏子、山口千恵子より。

8月20日
草刈り。大毎へ松井経夫『太平天国』推薦、『湖畔の声』にクリスチ『奉天三十年』推薦。徳永嬢より当分わが忠告に従ふと。藤野和子よりバッハ放送30日に延期と。 夕方入浴中に珍しや、小山正孝君来訪。中教出版の出版課長にて『百科事典』を大毎に推薦してくれよと。19:00まで話し名古屋へゆくとて帰る。けふ『祖国9月号』来り「宣伝中隊」終る。

8月21日
会社へゆき叔父に原課長のこと云ひ、8月分図書費もらひて出、一旦家にかへり岩崎、丸山薫(代)のハガキ見て、18:00梅田にゆき23:00ごろまで(※八木嬢と)話す。

8月22日
9:30帰宅。山中タヅ子より手紙。鈴木治氏より服部みき子「天ゆく影」に吃驚したと。矢野兼三氏より『南の星』はもらったと。堀内民一より『万葉大和風土記』贈ると。 草刈りやり夕食すまし四条畷の杉浦実にゆく。26日小橋君インターンの件にて城平叔父面会の時立ち会へと。

8月23日
朝、池川医院へ午後来診たのみにゆく。帰りて草刈り。〒なし。珍し。午後池川ドクター来り赤痢ではなしと。夕方道本呼びて叱れば泣く。関目康平叔父にゆけば一家不在。 世界文学全集『父と子 処女地(50)』買ひ来る。

8月24日(日)
八木嬢より27、28、29フランス語習ひに来ると。草刈り。徳永嬢へハガキ書き19:30熊本工高の[続]氏と原君で会食。23:00。24目かし、野良犬をすてにやる。

8月25日
杉森久英氏より『四季』まだ借れずと。午後ひるね。17:30守屋美都雄にゆく。[橘]君、夫人つれて英国へ留学と。池内先生の古稀に1000づつ集めしと。帰りてA室と会。希望なくして不快と。

8月26日
9:00会社にゆき杉浦実君の友小橋善雄君インターンにつき城平叔父にたのむ。われも玉井君に紹介す。帰りて眞野君のハガキ見る。14:00伊藤賀祐君来り、岐阜へ転居と。 江口三五に紹介かき、本田喜代治先生の名大にあることをしらす。17:00徳庵まで送りゆき氷西瓜たべて別る。肝臓病とかで衰弱見ゆ。(ゆき子によれば靴下やぶれゐしと)。夜、B[室]2名来り面白からず。

8月27日
昨日けふかへりて暑し。都新聞彦根より速達。8月26日号にのる。金井君よりハガキ。錦織君より礼状と「湖畔の声」。港野喜代子「紙芝居」。 北京よりのPeople’s China『人民中国』京都より回送。13:00まへ八木さん来りシャボンと梨とくれ20:00まへ去る。あすも来ると。夜C室6名と話す。

8月28日
家居。八木さん13:00来り泊る。高野山より藤野、西田、立川3生。小山正孝、藤野一雄、芳野清諸氏より。亀井昇夜、来る。四国へゆきゐしと。

8月29日
草刈り。13:00松井信子嬢来る。ゆき子とは初対面なり。昼食たべ入浴し16:00すぎるにて出、[廉]野保長、●幸にバスで会ふ。氷しるこ食はされ『天武天皇』買ひ、瀧井の寮にゆき、すしよばれて帰る。

8月30日
草刈り。残暑見舞来る。暑し。

8月31日(日)
誕生日。三木正治氏より退院せしと。来客なければ早夕くひて小阪。山口実にゆけばミシンの針呉る。松本一秀(彦根)訪ね、昔話す。(八木明子嬢の就職。山口君にきけばあいさうと。)

9月1日
山本治雄より電話新設堀川6702と。本位田より東京高検検事に転ぜしと。杉森久英より田中保隆氏28日に角川を訪ね『四季』合本4冊かり、あと4冊ありと。西保恵以子より始業日しらせと。 安田章生へ歌6首送り、定期買ひ定期入れ買ひ(15)、帝塚山へゆき、佐竹事務やめしと挨拶さる。氷小豆くひ(42)藤井寺へゆけば叔母留守。今川へゆかずかへり来り、夜、D室不在。 叱りを岩崎直に伝へさす。

9月2日
登校。漢文教へ短大へ帰れば待ちゐし面会人。田尻宗夫とて神戸商船大の先生と。硲君来合せミルクセーキおごりて田尻君と別れ、硲君宅へゆく。まだ市営住宅きまらずと。 中山八郎の書評に(史学雑誌)『台湾地図』のこと書けるを見て今川へゆき正平腕折りしを見、18:00帰宅入浴。田中保隆氏より『四季』借用の礼、相沢孝友の歌友と。 八木、松井姉妹よりたより。山本治雄より至急会ひたしと。けふ16:00驟雨ありて涼し。

9月3日
草刈り。明ちゃん来りシンガポールのせびろ裏返しにするとてもちゆく。山口実へ紹介かく。昼食して山本治雄にゆけば予想通り本庄先生の渡支費。我、坪井、長野、服部、 保田5人より1000づつ集めんと。吹田事件の主任弁護士として多忙。坪井に電話きかず、家へゆけばまだ帰らず。佐智子嬢4階へかはり礼云はんと思ひゐしと!
象のゐる山見しまなこはなれゆくながうしろかげもとめつつをり。
道の辺のかはらよもぎに風吹きてなれがそむかん時は来りぬ。
けふ父来り、村田幸三郎渡米と新聞に出てゐしと。

9月4日
10:00すぎ出て会社。小橋君はかばかしく報告せざりしと。釘もらひて電燈料(267)払ひて出、バスにて天満橋。大手前高校にゆき杉野女史と話し、 坪井を授業の間にとらへ本庄先生の「カンパ」500受取り、梅田、山本事務所にて本庄先生にも会ひ、アジア平和会議の説明うかがひ、山本と曾根崎の待合にゆきビールのまされて話し、 コーヒーのみて20:00梅田にて別る。けふ丸、保田、服部、長野へ手紙かかさる。

9月5日
家居。『梅花』来しのみ。夜、熊本の連中と話す。

9月6日
登校。高2Aの漢文。西宮君とアベノまで帰り藤井寺。久美子の英語やめることを叔母に云ひ、ひるめしよばれ散髪(100)して松原で下車。肥下夫人に会へば就職の世話してくれよと。 畑の肥下に会ひ近日学校へ来るといふのみききて帰る。大高同窓会より森田先生の寄付清算。けふ平和会議参加不許可と新聞にあり。山本に電話せしもかからず。

9月7日(日)
家居。コルボオの会ならん。草刈り。中村孝志より抜刷。杜臻の書引きて[様]にしながら我名出さぬはをかし。

9月8日
登校。始業式。すみて漢文のはじめ平和論やり、吉川綾子より紙切ナイフもらひ、ひるめし食べて国文学史。山本に電話すれば男子出来て早く帰るやうになりしと。 出て今川へゆけば久美子あらず。藤井寺にゆきしと。歩いてアベノ橋へ出、ライスカレー食べ17:00学校へゆけば山城和子あり。2つ下の学生に恋すと。 (けふ西保恵以子よりも電話あり)。夜の始業式にも出、21:00すぎ帰宅。

9月9日
登校。高2Cの漢文やり、長欠3名にハガキかき、長沖氏に本庄先生のこと云へば5000出さん、藤沢氏に云へば10,000〜20.000出さんかと。山本に電話すれば15:00〜16:00来よと。 出て大鉄百貨店に松浦氏訪ねしが見当たらず、今川にゆき久美子に会ひて正平の家庭教師のこと云ひ、30になるまでに死にたしときき、出て山本にゆけば16:00。 やがて帰り来しゆゑ俣野に電話して待つこととし、ビールのむ中17:00すぎあらはれ、3人にてDateなるCaféにゆきビールのむ。われ勧進文をかくこととなる。 けふ保田より1000送り来りあり。20:30帰宅すれば服部より断り、外山軍治氏より抜刷。丹羽千年より転居通知。

9月10日
登校の途、大鉄百貨店によれば松浦元一氏不在。学校へゆき府立女子大へゆきて見れば12日より始業とて誰もあらず。引返すみち相野[忠雄]に会ひ、 氷食ひ乍らきけば(※大阪学芸大学?)国史の教師空きしゆゑ来ぬかと。明日明後日の中に履歴書もちゆくを約し、中島文庫見せて別れ、昼食後、 1時間履歴書のかき方教へしのち高岡博士に「妻は職業か」の朗読してもらひ就職につき話してのち教授会。すみて藤井寺にゆき大江叔母に相談すれば反対乍ら一応城平叔父に話せと。 勉の応召時の話ききてのち出、今川にゆけば叔父あり。山本理事長一家は水臭くなきゆゑ安心してつとめよ、ことはれと。寮に共産党の手のびたらずや云々。23:30帰宅。 中野英夫名古屋へ転任と。

9月11日
10:00出て会社。今村部長と対談せんと思ひしも不在。大手前にゆき坪井と話し、(府庁の荒井に会ひ亀井の履歴書托し末吉に3000貸せし話きく)、 本庄先生頌寿記念会趣意書とを托し、信子の寮。田中嬢と議論し仏語、パチンコ教へて帰る。

9月12日
草刈り30分。9:00家を出『文芸春秋』買ひ、よみ乍ら平野、相野を待ち、宇治のみ古本屋見、引返して会へば12:00までまた授業と。正平の担任に会ひてのち寄宿舎でまち、 ことわれば北山康夫君に話し、講師いかにときいて見んと。礼云って別れ帝塚山へゆけば14:00。昼食にパン食ひ学長、主事に会へば修学旅行に付添へと。毎日新聞に4名志望ゆゑ会へと。 渡辺、斎藤、平山、菊池と会ひ、斎藤、平山とアベノ橋。茶のみて金足らずと思ひ齋藤より60出さす。(山本治雄に電話せしが連絡なし)。帰れば保田よりハガキ。

9月13日
登校。講義すみて山本に電話し、ゆけば吹田事件にて忙し。待ちゐる中、上田女来り3人にて出て昼食。本庄先生頌寿は俣野、山本2人の発案にて何も計画なきことわかり、 よろしくやってくれと任さる。天満橋で森岡『物語の様式(20)』買ひ、会社へゆけば今村部長、城平叔父ともにあらず。帰りてひるね。夕食まへ衣川と話して暮る。 けふ万年筆を山本事務所に忘れしらし。

9月14日(日)
雨よべひどく、水溜りて草刈れず。『白珠』来しのみ。史、ゆき子に怒りて出てゆき22:00すぎ帰り来る。われは本庄先生の仕事にかかる。

9月15日
行きがけ駅にて今村氏に会ひ、木曜の懇談会を約す。学校にては就職相談で忙しく、松井生にJOBKの藤本氏に紹介すれば今年も男より取らずと。西保君来り、話して授業。 すませてともに氷。おごってもらひ加藤夫人に会ひ(歌集『白き石』たまひし礼いふ)、大鉄百貨店にゆけば松浦氏見付からず、今川にゆきて、 叔母と話すところへえみ子来りしゆゑ共にゆき、この間の礼いひ久美子とも話し夕食よばれて夜学。帰れば坪井より肥下の就職ありさうと。

9月16日
登校。高校の漢文2時間すませ、長沖氏に本庄先生の会の発起人承諾してもらひ、サラリーもらへざるに失望して出、十合にゆけば昌三叔父あらず(ナルミヤで小杉に話一寸す)、 梅本に会のこといへば承知してゐたと。とろろそば食はしPhilip Morris一箱もらひてまた十合。展覧会のこといへば今のところ展覧会に貸さずと。出て山本。きのふ坪井に会ひしと。 本庄先生のこと一切まかすと。梅田より帰宅。

9月17日
早ひる食ひて家を出、(長尾生より退学したしと)、大鉄百貨店で松浦氏に会ひ『五つの言葉』のこといへば今ここになしと。展覧会場のこといへばききおかんと。授業すませて電話、 山口実氏より明子嬢の口みつけた故、明日15:30来宅してもらへと。やがて肥下来り坪井の手紙見て事務にてはいや、3000でよきゆゑ農業の片手間でやれることをと。 坪井にゆかせ教授会。すみて大手前にゆけば坪井あらず、寄にゆけば夫人、窓框ごしに話し腹立ちて帰る。(けふかもめ書店にて『鴎外全集』2冊740)。

9月18日
10:00会社へゆき杉浦、竹村2氏と会ひ、今村部長と話し12:00出て徳庵駅前で昼飯食ひ、御霊神社に園克己を訪ぬれば外出まぎは。短大こさへるとかゆゑやめよと云ひ、 大松氏のグリルのぞけば東京と。村田の会社できけば先月20日より台湾と。朝日に谷川訪ぬれば欠勤。瀧井にゆきフランス語。夕食よばれて20:00すぎ帰宅。 坪井より肥下のアルバイト見付けた。●代その他にて年内に金あつめ贈るはいかんと。八尾土木より契約書。(高尾でパジェス『日本切支丹宗門史 中(40)』、すりっぱ(100)と腸詰(110))。

9月19日
岩崎昭弥よりハガキ。硲君よりやっと転宅ときまったと。会社へゆけば東京旅行して宜しと。八尾土木への印押してもらひ、出て大高へゆき神田力氏に会へば1000を多すぎるゆゑ500とせよと。 学校へゆき15:15まで待ってGideon Soc[iety] の聖書寄贈式に出、一冊もらひて帰る。

9月20日
登校。来週よりも高校の8:30始業はかはらずと。落胆。大手前にゆき坪井と話し、肥下の種子代を集むることの発起人承知。帰りて早寝。

9月21日(日)
角川書店よりハイネ133pで半ぱと。『新文明』和木清三郎氏より詩1篇1000、9月末までにと。松本善海より景気好しと。西保氏より『二十一才』と題をきめたと。 ひるまへ竹中精一氏にゆきしに留守。昼食食ひて疲れ乍ら藤井寺。子供の本2冊(160)もちゆけば勉夫妻と城平叔父、久美子親子、ややして辻夫婦(東洋紡?)来り、城平叔父去る。 われは何となく悲しく、夕食よばれ中村治光にゆけば出張中。

9月22日
登校。大毎受けし4人みな失敗。「諫早」よめざりしと。平山に産経を世話せんかと思ひて云へば喜ぶ。坪井走るかと思ひしに相野来り国史専攻をとる。市村某も候補と。 ともにコーヒーのみ、別れて夜学まち。本庄先生より「25日15:30山本事務所で」と。『くれなゐ』『新文明』『新しい教室』。

9月23日
堀内民一より『新稿万葉大和風土記』、わが歌「秋立てる」のせあり。宮本正都より赤塚君帰りしと。15:00いやいや東大クラブにゆく。水川教育委員の選挙運動なり。 岡本新太郎に会ふ。八田君「火曜に来よ」と。中座して平山の家にゆき母君に会って帰る。

9月24日
登校。平山を学長に会はし教科教育の時間に説教。すませてすぐ帰宅。けふ角川より80pの校正。八木嬢より山口実へ明ちゃん黄疸としらせてくれよと。

9月25日
〒なし。午後会社へゆき今村杉浦二氏とはなし、山本事務所へゆき本庄先生に同窓会誌にしるしつけてもらふ。明日出来と。山本、福井とやらへゆき月曜帰ると。 けふ角川へ校正送り返し(16)、300頁の全訳にせよと云ひやる。けふ山本にて横山薫二と会ふ。20年目なれど話なし。

9月26日
よべ雨。家にゐて退屈し、寮の者よびて叱る。徳永昭子氏よりハガキ。16:00家を出て山本事務所にゆけば閉めてあり。
ややにややに老いをおぼゆるわれが身に冬づく日ざし見るは絶ええず。
近江路にこひする人らあつまりてこひなきわれに見せしめむとか。
あるときはにくしと思ひあるときはかなしと思ふをとめらがあつまりにゆき学説くときは(徳永嬢に)。

9月27日
登校。硲君来り府営アパートの4階に住むと。ともに出て山本重武に饗庭君のこと訊ねしもわからず(山本事務所の●瀬君に電話すれば昨日欠勤、本庄先生来られざりしと)。 関大にゆき東洋史懇話会。石浜、橋川、鴛淵諸先生、桑田博士おくれて来られ総数十名ほど。かへりまた桑田、守屋二氏と共に。難波礼二君より礼状。堀内民一より本売ってくれ。 西保君より月曜14:00学校へゆくと。

9月28日(日)
雨。本庄先生より大宮卒業生名簿とハガキ。

9月29日
竹内好より『魯迅』。武田の跋に「大阪高校の交友は日本浪曼派を結成して彼とは反対方向へ走った」とあり。午后出て俣野にゆけば10月2日まで東京と。出て学校へゆきしが西保来ず、 また出て市役所。中尾行政局長に渡より紹介してもらひ、財務課の佐々木政憲(12文乙)と3人出来(帝塚山中等部の吉田充21S3も承諾と)。 引返して悲田院町の西阪(※西阪修)氏へゆき修の弟にききて阪南町西5の24のアトリエにゆけば行動屋の準備で忙しき中会ひ画集呉る。 また学校へゆき「かもめ」書店の川端富之助君(10SB)に承諾せしむ。講義してかへり島田玲子生、伊藤忠につとめ伊藤徳を知ると。 (けふ市役所で筒井に会ふ。忙しと。バスで硲夫人に会ふ。)。

9月30日
登校。西保来り、きのふ電話して休みときき来ざりしと。原稿おきゆく。硲君来り、ともに出て上七で別れ、山本事務所にゆけば本庄先生来らる。近日発起人会開くべしと。 長野来阪と俣野に便ありしと。後藤に電話すれどもかからず。17:30おでんやにゆき大阪駅にて本庄先生とお別れす。八木嬢よりハガキ。『不二』より十四烈士遺蹟返還署名をと。

10月1日
本庄先生よりハガキ。午前中悠紀子[●]栗にゆき午後われ楠根小学校へゆく。共産党加藤充に投票し、裁判官みな×とす。警世をせめても表さんとなり。すみて大手前にゆけば坪井あらず。 日赤小児科の湖東次長訪ぬれば不在。名刺おき山本にゆけば長野[敏一]音沙汰なし。谷川[新之輔]に会ひて世話人諾せしめ、井上正蔵『ハイネ』買ふ。帰りてよめば容共左派の傾向物なり。
万世に平和開かすおほみむねくつがへらさむしれ(※痴れ)臣の子ぞ。

10月2日
松本善海より東京在着の日しらせと。午后出て会社へゆき図書費もらひ、大手前へゆき坪井に会ふ。肥下夫人喀血して内職できずとことわりしと。 瀧井へゆき土居の古本屋にて春夫『わが成長(70)』『朝鮮叢話(30)』買ふ。共産党0となり自由党ややへる。国民何を考へをるや吾にはわからず。

10月3日
家居。須崎工高の田村教諭と話す。『天理文芸』来る。午后藤野君来る。就職運動に来しと。

10月4日
省線定期券買ってバスにて登校。高校ダンスの練習とてやめ家政の歴史試験し、東京旅行の日程表もらひて俣野に電話かけ、バスにてゆきコーヒーのまさる。 きのふ大阪転任の藤田に会ひ一昨日長野に会ひしと。山本宅で会し、われにも連絡せしと。13:30出て第二野村ビルの沢田直也に会ひ、 出て堂ビルまで歩き東洋経済の中田英一に会ひして山本事務所にゆけばゐず。北野病院眼科の重松博士に会ひして(今昔物語1買ふ。)京橋、散髪、帰宅。藤野君終日家にゐしと。 杉山平一の『ミラボオ橋』送られ、わがうしろむき写真(※『現代詩人集第2』1940山雅房刊)のことあり。(けふ『狐の詩情(20)』3冊、スヴァルで買ひ大河原へもちゆきしも会議中と。)

10月5日(日)
西川、大、松本に東京泊の日をしらせ、教委選挙にゆき水川氏に投票。駅前でコーヒー、うどんにて藤野君と話す。「失恋して顔立たず」といふ。 16:30別れて松本健次郎にゆき発起人承諾せしめ疲れて帰宅。

葉書

10月6日
登校。試験三科目。出来ざるにものうし。午后より雨。学校にのこりて何もせず。楳垣教授より「部落調査表」借用(けふ寺本生、 中島文庫よりわが出せし13年12月のハガキ見付けくる。)。夜、また試験。

10月7日
雨。高校漢文。すませて社会事業短大へゆき音田正巳君に会ふ。帰れば藤野君よりハガキ。

10月8日
荒木二三より詩集(※『二つの帆』)。『不二』五周年記念歌集。ゆきて試験。よべ「特殊部落」写して眠れず、コーヒーのみて教授会(サラリーもらふ)。羽田博士、 壽岳博士にわがこと云ひをられし由。17:00すみて水曜の夜学の漢文のことぼやきてのち帰宅。けふ角川書店と大江房子にハガキ。

10月9日
ひるまへ父、来り昼食。大よりハガキ。16日帰洛。21日東京で会はんと(婚約に成らざりしと)。藤野君辞職せしと。西川より章文館近くゆゑ来ると。亀井より履歴書。 父とともに出て大河原に会へば貧乏し5000は出ずと。毎日にゆき渡辺英雄、落合浩一に会ひ発起人承諾(共産党につき云ひしも)浅井良任、中村了に会へず。14:00出て山本事務所にゆきしも会へず。
別れむとうはなりごとを云ひつつも涙おとしてゐたるなれかも。

10月10日
山本と10:00ともに出(祝200)、事務所にゆくまへ阪急デパートの食堂に水曜の会場たのみ、事務所へゆき電話せしも沢田と谷川のみより出席できずと。市役所にゆけば渡、 佐々木と話し200ならざればだめと。むっとして帰り、澤田、谷川に延期云ひ阪急ことわりて帰宅。(同窓会名簿2冊受取る。俵青茅に阪急で会ひコーヒーのませて別る。 われ休会とコルボオで決定と)。

10月11日
登校。すみて短大の教授会記録清書。守本氏父君危篤で旅行に行けざるかもしれずと。マードックス女史と話し、齋藤生に説教し藤井寺。久美子のこの間自殺しかけしと。 寿美子を叔父つれ帰り病気さして大騒ぎせしと。西窪氏のこと云へば「使ってみん」と。ボストンバッグ借りて帰宅。八木嬢よりハガキ。

10月12日(日)
朝、長尾生来り、病気なりしが卒業出来ればつづけると。香茸といふを呉る。ともに出て小阪。山口君にゆけば八木明子氏きのふ(※姉の八木嬢に)面会したと。 『狐の詩情』を礼に出し、堀内にて阿部知二『バイロン』、村田『ギリシア美の性格』『世界文学全集シュニッツラ』(70)買ひ、て中西にゆけば不在。 行動屋へゆき西垣に『狐の詩情』やり展覧会見れど、彼の絵わからず。今川にゆき全家留守のところ隣家にて「千成」ときき湖東の家たづねあてしも不在。千日前にゆき「ちとせ」探しあて、 お徳叔母見舞ひ、くみ子の卒業免状見せられ、松茸うどんよばれ飴もらひて出、山本にゆけば風邪にて臥床。夫婦喧嘩きき夕食よばれて帰宅。

10月13日
登校。新村博士、猛夫人逝去のため来られず。午後切捨。三苫君漢文引受を断る。(旅行の注意す)。出て散歩せしのち梅本にゆけば不在。名簿預け山田にゆきパチンコしコーヒーおごり、 山崎三七喜氏に話せずして玉造より帰宅。西窪氏来りをり、ゆき子と18:00大江へゆく。白鳥家より香典返しにふろしき。

10月14日
登校。高校の漢文、すみて社会事業短大に音田氏訪ねしも帰りしあと。歩きて大手前にゆけば坪井、胃癌の虞れありとてふさぎゐる。ともに出て帰り18:00来し八木明子嬢に説教し、八木嬢への手紙(16日15:00までに来よと)と中西ドクターへの手紙托し、『南方熊楠全集』よみて眠る。(吉永氏より同窓会名簿4冊預かる)。

10月15日
登校。旅行準備とて多く休みゐる。斎藤の母来り俳優座へのアルバイトとめてくれよと。あとにて呼びて母より金もらへと手紙わたし、平山に高岡先生に会ふ日つげ、 守本主事より手当6400(内1500は返さねばならぬらし)もらひ、十合梅田の古本屋見る中、雨となりて帰宅。安田章生、西よりハガキ。『白珠』11月号。

10月16日
朝、西窪氏来りひる食くはせ注意与へ大江へやり会社へゆき労務部長に留守中たのみ、帰りて15:00八木嬢来り、●れといへどきかず(角川より21日朝待つ。『コギト』見付からずと)。 小阪へともにゆき土居内にゆけば『近代劇』他へ売りしと。木枝増一『国語の道』『北越雪譜』『啄木歌集』と3冊100買ひて夕食。20:00出て大阪駅へゆき22:30の臨時にのれば図体とやらとのり合せ3人がけ。 悪日なり。夜、一睡もせず。浜松、静岡で弁当買ふ(120)。(けふ井上多喜三郎よりコルボオ空気かはりしゆゑ九月限りやめしと)。

10月17日
6:30富士着。遊覧バスにて白糸滝。朝食(9:00)西湖を廻りて河口湖畔に着、昼食。快晴なりしに雨降り出づ。入浴、夕食。神崎学長(※神崎驥一)、八木嬢にハガキ。(絵ハガキ30)。

10月18日
9:00河口湖出発、芦ノ湖をわたり強羅旅館に入りケーブルにのり公園にゆきす。家と井上多喜三郎にハガキ。

10月19日(日)
鎌倉へゆき江の島をへて鎌倉宮、鶴岡八幡宮へゆく途中、松岡正二によりしも不在。東京本郷章文館へ入り、西川訪ぬれば20日と通知せしと。コーヒーのみて一旦宿にかへり、 許可を得てまた出しも夫人帰らず。

10月20日
9:35上野発、日光につき湯本に泊る。

10月21日
9:00出発。出発まへ土産買ふ。羊羹2棹(100)、こけし(100)、湯の花(100)。晴れわたり男体、眞名子など美し。日光着。神崎院長へハガキ。上野までの車中、 文芸のひいきの子どもに詩かきて与へ疲る。16:00章文館着。外泊問題にてごたごたし、泣く子あり、わめく子あり。西川より電話かかりて早めに来れと。松本善海助教授来り、 ぼそぼそ話す中、大の電話かかりしゆゑ7:30出て東洋経済へとタクシー。松本と支那そば食ひて別れ、原田(鼻少しかけあり、戦傷と)、倭、本位田、西川、室のゐる所へゆき、やがて丸、 紅松、現はれいろいろ話し、本庄先生のこと話せしが最後とせしつもりの所、本位田、丸、紅松還るとて旅館まで来、21:00すぎ点呼すみて房子(土産呉る)その友、西垣修(西阪修とも西垣脩とも異なる別人)と話し、 電話かかりてうるさきゆゑ、大と出て百万石にゆき酔払ひどもと踊り帰れば23:00。守本氏苦き顔しゐる。

10月22日
9:00遊覧バス。国会図書館を1時間で見、中山八郎氏に名刺托せしのみ。12:30宮城前の無料休憩所で昼食。解散して河出にゆきしも杉森久英不在。 お茶の水へ出るみち園田一亀『明代建州女直史研究(80)』を買ひ東京駅へゆき14:30まで待ちしも大来ず。角川へゆき校正と『四季』4冊受取り(50pとし、70円とすと)、 酣燈社へ自動車でゆき堀場正夫に初対面。ハイネ(※『ハイネ詩集』)の清算見せよ云へば3150冊中返本992。68.5%の売れと。何とか挨拶せよ、『詩人全書』一そろひと『ハイネ』数十冊送れといひ、 夕食ふるまはれ語り合ひ、東京駅へゆけば20:00まへ。海苔土産に買ひクリームたべし、22:45にのりて西下。

10月23日
10:00まへ大阪着。解散。梅田にて写真屋藤岡、公社中[村]と守本氏と朝食たべんとせしに、守本氏そわそわして問へば親父のこと気がかりと。赤面。3人にてライスカレー食ひ、礼いひ、 おごらんとせしもきかず。別れて帰宅。井上多喜三郎より26日彦根の松茸狩の案内。北村うめの氏より気づらしと。岩崎昭弥よりハガキ。ひるねし、入浴してまた眠る。

10月24日
9:30家を出、会社にゆく。城平叔父[マ見]子に二次に洋裁を受けさすと。五氏に礼云はれてのち藤井寺にゆけば北村氏喜ぶ。お徳叔母●に久美子あり、湯の花を贈り診察に会ひしゐる中、 城平叔父来る。久美子太りし人きらひと。北村氏に叔母サラリー2000出すと。叔父の自動車にて奈良街道にゆき、降りて山口実にゆく。明ちゃん礼●●来しと。 堀内にゆき市村[瓚次郎]『支那史研究(90)』、黒板[勝美]『国史の研究3冊(650)』、大山彦一『中国人の家族制度の研究(300)』、太宰施門『文芸研究(10)』、 [京都大学支那哲学史研究会]『東洋文化の問題1(60)』と買ひ、足痛めて帰宅。(けふ上町線定期買へば350に値上り)。西川、本位田、[大江]房子に礼。小林英俊に茸狩の断り。 松本善海、大、角川松原純一氏にハガキ。

10月25日
登校。授業すませ山本へ電話すれば、本宮岩田より来りしゆゑ午来よと。石浜先生御用あり、連絡せよと。電話せしも不明、入江来布氏より500。『鴎外全集』とりて梅田。 13:00すぎ本宮来り、ローレルの大松氏訪ねしも不在。朝日に後藤訪ぬれば不在。神●秀雄と会ひコーヒーおごられ、山本事務所に引返し俣野と会ひ、 4人にて曽根崎「杉の家」「ダテ(※喫茶店)」といつものコース。23:00帰宅。
けふ父来り、大、東京駅でまちしと。青木徳一郎氏25日死せしと。大江より電話ありしと。竹内より『葉紹鈞(※竹内好訳『小学教師』)』、神田信夫氏より『呉三桂』。

10月26日(日)
礼状。●のみをのこし出し終る。大江房子より「別れの一言身にしみし」と。八木嬢よりハガキ受取りしと。本多の父より礼状。衣川、大塚にひる食くはす。 自治会長の慰労なり。ひるねし採点す。

10月27日
家を出れば雨。試験答案返し、再試験申渡す。夜学までのひまにローレライとブラームスの子守唄教ふ。守本氏の父君死去せしが香奠出さずときまる。夜学すませ西宮君と帰る。 大より14:30より16:00まで降車口で待ちしと。陽生より死亡通知。太宰博士より『東大文学部研究紀要』いただく。

10月28日
雨。登校まへ市役所へゆき市教委の松田、八田2主事に会ひ3生(齋藤、伊藤、野崎)の履歴書わたし再会約し、地下鉄にのり天王寺近くで松浦元一氏にあひ『五つの言葉』のこと云へば渡すと。 一階で待つ間に黒ネクタイ買ふ(480)。コーヒーおごられ学校へゆき2時間すませ、諸先生と15:00すぎ●浜の守本邸へ弔問にゆき、すみて林叔母に会ふ。父、日銀関係にて働きゐる由。 ピース一箱呉る。(けふ藤野生に『五つの言葉』一冊与へ、学校へ一冊寄贈す。)。ハイネ校正すむ。

10月29日
羽田博士来らるとて9:00家を出、散髪してゆく。11:00来られ「文学の話」きく。お下手なり。すみて挨拶すれば以前の礼云はる。その前、新城英太郎氏来りしも13:00再来と。 西保恵以子来り原稿そろへ香水呉る。教科教育の時間、羽田博士のこと教ふ。すませて新城氏と話せば学院に話してみてくれよと。別れて16:00羽田博士をお見送りし教授会。 修学旅行と就職探しの報告をし、テープレコードにてわが声きけば沢田直也そっくりなるにおどろく。白井へ『五つの言葉』もちゆき近日訪社を夫人に伝へてもらふこととす。 けふ硲君来り、2日[平]中氏へゆくこととす。けふ院長に話せず漢文休講、土曜また休講とす。

10月30日
石浜先生に会ひに学校へ。予想通り新城氏のこととなり、先生よりの推薦お願ひし、教育志望の子らに会へず。帰宅。昼ねせんとすれば八木嬢来り、昼食して早々帰る。 竹内よりわび状。岩崎昭弥より、彦根の茸狩に安西来り、わが悪口云ひしと。

10月31日
雨けはひ。天理へゆきしに遠足とて米田、八木2君のみ。やがて来合せし新城君と駅に出て帰る。眞野、小山みどり氏よりハガキ。

11月1日
晴。14:00より●●[園]にてシンチンゲル先生の講演ありとて天満橋まで出、新村出『花鳥草紙(60)』買ひしも頭痛し、坪井にゆけば本復せしと。家にて茶菓供されて帰る。

11月2日(日)
10:00家を出、京阪七條より歩きて山前実治にゆき『コルボオ36』もらひ、出んとすれば昼食たまひ四條にてコーヒーおごられチョコレート子供へと賜ふ。忙しくて正月に下阪すと。 別れて寺町歩く。彙文堂休み(京阪書房に『名著全集(4500)』あるゆゑ註文)、藤田徳太郎『平安時代の庶民文学(40)』買ひ、下加茂へゆき依田[義賢]によれば留守。 野田又夫に本●さんのこと云へば200よからんと。500賛成せしめ15回文乙佐野利勝、18回文乙前田敬作2独文助教授に連絡たのみ、また上洛として、 平中苓次氏別宅へゆけば池田[宏]先生きのふ亡くなられしと。羽田来ず仁井田[陞]、青山公亮2先生の外、青木富太郎、佐口透あり。平中氏は六神丸の家と。22:00まへ散会。 潮田富貴蔵氏と同車。23:00すぎ帰宅。留守中亀井来しと。(帰りの電車にて小野村胤久氏に会ふ。天理外語にゐし人なり。今は何処に勤むるやしらず)。(※池田宏訃報新聞切抜添付)
新聞切抜

11月3日
家居。終日臥床。

11月4日
家居。亀井来り29日蜻蛉会すと。角川へ校正送り、田中保隆、前川緑、神田信夫の諸氏へハガキかく。午後より雨。西保恵以子の歌集の序かきしもうまくゆかず。

11月5日
登校。Lied教ふる中、西保嬢来り序文に文句つく。饗庭君に電話すれば梅田に坂秀なる店を夫人に開かす由。硲君この日招待しゐたるかと思ひしがゆかず。 帰れば池田先生の通知。彦根をまはりて来る。この日多く写真もらふ。Eisenhauer(※アイゼンハワー大統領)選挙に勝つ。

11月6日
9:00出て会社へゆけば小橋君警察病院へゆきしと。城平叔父にと『アイヌの生活文化』托し図書費1000もらひ、森の宮の社会事業短大にゆき音田君に会ひ200か500の話す。結論出ず。 近々山本に会ってもらふこととし、俣野にゆき、うなぎ北浜にて食はされコーヒーのみ別れて、東京銀行梅田支店長の奥戸に会ひ、山本にゆけば丸、この間来阪と。 別れて饗庭君の家にゆき、来週土曜日、西保君とゆく旨、伝言たのみて帰る。藤野一雄よりハガキ。

11月7日
けふ会社の春日奥山遠足とて弁当くる。布施の巡査、林祐治の身許しらべに来る。12:00出て市大日研究室にゆき同博士に会ひ、本庄先生呼んでいただき来週木曜ごろお会ひせんといひ、 山本にゆけば不在。同窓会名簿2冊預かる。(室より2冊送れと)。裁判所にゆけば沢井判事火木土と。俣野にゆけば不在。 『[Tockee Ocsman](60cents)』と『身体呼称』とおき、梅本に電話してゆき1000と250受取り、山田へゆけば山崎弁護士よりまだ返答もらはずと。 和歌山県の地図買ひして帰宅。吉永孝雄に1000同封の手紙、史に托す、(スバルで『老年期(20)』買ふ。)。

11月8日
登校。サラリーもらふ。守本氏、この間石浜先生学長に新城氏を哲学の先生として紹介せしがその意いかにと。保導にとの意を明らかにす。12:00出て住高によれば休み。 アベノ百貨店で『東洋史講座7冊(250)』『東亜論叢4(30)』『良寛詩集(50)』買ひ藤井寺へゆき、鹿熊猛、鉄2人に会ふ。徳叔母良くなり近々河原町へ帰ると。 ゆき子へ衣類もらひ、くみ子に送られて帰宅。蔦美子より英語教へてくれと。角川より校正受取、毎日より出版文化賞の通知。(●生百科は準賞)。西保より手紙。

11月9日(日)
徳永昭子、田中保隆よりハガキ。13:00家を出、山口実に歌集『長峰』の批評4枚をわたし、堀内で『伊太利文芸復興期の文化2冊(120)』も眞鍋広祥『王朝文学の代表的女性(30)』買ひ、 松本一秀に会へば就職だめと。同窓会の役員にすと。出て中西にゆけば不在。今川にゆけば久美子不在。明日午后来るといひ、湖東栄次郎訪ぬれば発起人引受け、西山伊一郎、間島俊平、 木崎國嘉の諸ドクターにも云ふと。

11月10日
登校。2時間目歴史すみて立太子式の話、学長より。すみて漢文李白を教へ始む。昼食まへ学長に漢文のこと、就職のこといへば、三苫君事務好きゆゑ駄目。 時間は創業期ゆゑ相当に犠牲をしてもらひたしと。飯くひてLindenbaum教へ、出て鞄直し(20)、Baedekerの『西北ドイツ』と『南ドイツ』(50×2※旅行案内書)を●野で買ひ、 今川で朔太郎『港にて(20)』『北槎[異]聞(10)』買ひし、今川にゆきて英語を万美子に教へ18:00まへすませて帰る。電車で竹中精一氏に会ひてきけば同窓会名簿、 黒田製薬の東京支店にありと。土曜のクラブの会に来よと。けふ室に2冊送り送料68とられしと。佐々木邦彦君より宇治に転居せしと。
わがひとの頬のおとろへそのままに冬来りしが一のかなしみ。

11月11日
朝『白珠』にと史に杉野先生へ歌3首もちゆかしめ、9:30家を出て学校。靴裏直し(300)、パン食ひ長沖氏と話せしあと午後また高校漢文。 すみて守本氏と院長の悪口いひ(午、音田氏に電話し山崎三七喜氏を中心にせよといはれ不快)、出て本庄先生へ木曜4時山本事務所へと速達し、 きのふ買ひのこせしBaedekerの『Nordost-Deutschland(50)』を買ひて津熊照子に会ひ、コーヒーのませ西保君へ寄せ書し、別れて上野芝。斎藤母に会ひ、 ともに中学へゆき中学校長会より父君帰り来るを待つ。保田、蓮田、浅野、影山の本あり。早大英文出と。すし夕食によばれ駅まで送られて帰宅。 安田章生氏より『樟蔭文学4』『白珠』2冊。八木氏より金曜来ると。

11月12日
岩崎昭弥より保田に京都で会ひしと。佐々木邦彦より山の絵。登校まへ府立女子大にゆき東田千秋に会ひ、松浪有(十九文一、阪大北校講師)、松本淳(十一文甲)に会ふ。 講義すみて齋藤を説教し、(●●せし由是手紙しあり。)教授会。すみて『文芸春秋』買ひ来る。

11月13日
10:00出て俣野の事務所に寄れば不在。置手紙し阿波座中通の大藤を訪ぬればタバコや丁度来し十回理乙紫野●君にも紹介さる。出てローレルにゆけば大松氏まだ上京と。園克己不在。 増山訪ねしに出張。裁判所にゆき沢井判事に熊野啓五郎氏へ電話かけてもらひ南同心町に訪ね、[五十嵐]達六郎氏の話もし、出て山本事務所へゆけば15:10。 近くのドン洋裁研究所にゆき明ちゃんと話し、16:00すぎ本庄、音田、山本と4人で話し、一度発起人会開くこととし、饗庭君の坂秀へゆき酒のみ(2430、中1000われ払ふ)、 別れて山本とダテへゆきコーヒーのみ、出てライスカレー食ひて帰宅。八木嬢来りゐる。

11月14日
寒し。一日臥床。夕方入浴。八木嬢10:00まへ去る。やや肥えゐしに安心。

11月15日
9:00の高校に10分おくれて登校。すませて伊藤生に松田●への紹介状かき、11:00来るはずの西保待ちしに13:00来る。(三苫君にきけば3年勤むれば退職手当4月分と)。 山城来りしも話さず西保と瓦町にゆき饗庭君に紹介して出、南久太郎町の婦人子供服会館の大高クラブ総会にゆき熊野氏にきけば本庄先生の会はクラブでは取扱はずと。 京阪神急行の森専務、菅生弁護士に紹介され某教授の帰朝談(20分!)きき、岡野、日野月2先生に挨拶し、名簿10冊(野田久雄、木崎博士、中村治光、西山卯二郎4氏の分預り)もちて帰る。 安田章生より[●月谷郎]のこと12月15日までに書けと。埜中君より『くれなゐ』に歌かけと。千草より葬儀に今まですでに10万円かかりしと。けふ北村うめの氏に会ひにゆきしゆき子にきけば、 久美子再婚を金持にのぞみゐると。我とは血縁関係なしと云ひゐると。大江叔父冷酷なりと。不快。

11月16日(日)
家居。水曜に見学に来る清水谷高校生のため大掃除。我も草刈り手伝ふ。亀井来り29日会すと。写真3枚呉る。井上多喜三郎、埜中清市、松井信子、島居清へハガキかき、 自転車のうしろにのせられ竹中氏訪へば不在。帰り来る。杉浦部長へ押入の棚作られたしと手紙かく。夕方入浴。

11月17日
出勤。阿倍野の卒業生に野田久雄氏へ名簿托し、きのふ松田にゆきし2人より就職むつかしき報告うけ、『新文明』12月号受取り、Lied教へ、女子大へゆきしに東田君帰宅。 西山卯二郎宅へ名簿とどけ越智順一氏をたづね人とせしに安立町に転居と。かへりて夜学。けふ守本主事にきけば院長とくひちがひあり。

11月18日
出勤の途上、社会事業短大へゆけば三木君のみ。音田君欠勤に付、伝言たのみ、日赤へゆけば湖東君研究日。木崎氏仝。名簿ことづけ女子大へゆき山本忠雄博士に会へば承知と。 東田君とちょっと話し登校。高校教へ昼食時来し硲君に『東洋史講座』7冊贈れば家へ来よと。1時間待ってもらひ南住吉のアパートにゆき夕食よばれ、 ともに出て越智ドクターを安立町に訪ぬれば承知と。名簿頒けて帰宅。
八木氏より手紙。病状よしと。富士ハウス明日清水谷高校生100名来り、付添の先生3名と城平叔父と我家で昼食と。茶器買ひ坐ぶとんをゆき子作る。

11月19日
登校の途、京橋で散髪。住高へより山本君と話し硲君の部屋へゆき坂井君ともう一人に名簿頒布。出席を戒告する文かかされ、午後教科教育。中村治光に電話すれば菅生事務所と同じ大ビルにゐると。 音田君より電話かかり上本町4丁目の分校使へると。ボスひとり来てもらへと。夜までの時間つぶしかたがた北久太郎町の島本久三郎訪ぬ。よきおっさんとなりゐる。承知と。 大藤にゆき名簿頒け、中村に会ひてわたし、朝日会館につけば藤野君、妹とともにあり。生れてはじめて音楽会。父君とともにタバコもすはずきく。 Rachmaninoff: Concerto No. 8 in Cなり。帰宅22:00。亀井より29日の同窓会。

11月20日
晴。家居。祖国社より『祖国』11月号。[棟方志功]『反響神』、『明治天皇の御日常』来り、角川より『俳句』来る。西保君より5、6万円と云はれ3、4万円しか予定しをらずと云ひしに、 田中先生の顔立てさうすると云はれしと。木村三千子氏より会ひたしと。午后、室より名簿代550来る。

11月21日
晴。10:00出て会社へゆけば会議中。天満橋へ出、坪井を訪ね山本より云はれし某生のこときけば京大、阪大ならよからんと。日赤へゆき湖東に名簿わけ、両医長へたのみ、 うどん食ひて今高、筒井に会ひ19期の名簿訂正させ、山本にゆけば法廷。木村三千子氏を訪ぬれば詩の話ききたかりしと。30分話して別れ、山本まち山崎氏に電話かけ28日(金)夕方の会ときめ、 音田君に電話すれどかからず、佐瀬君と出てニュース映画見、コーヒーのみて音田君と電話で話し通知状出来上る。帰宅20:00。芳野清より「双十節」よみしと。

11月22日
登校。すませて昼食後、梅田へゆき42枚ハガキ書き、時間ありとて「カーネギホール」見にゆく。

11月23日(日)
阪急デパートで『伊丹』買ひ山本と話し、昼食。帰宅16:00。角川より目次につき問合せ。野田久雄氏より礼状。岩崎昭弥より「スム」(※コギトに関係の名?)に彦根にて1000位ならと。 梅本よりねえや駄目かと。(けふ梅田にて大谷君に会ふ。)

11月24日
登校。金なくパン食って夜学。漢文に6人出ておどかし利いたり。酣燈社より年末いくらか送ると。山前君よりコルボウ脱会つづくと。

11月25日
登校。朝日の田川君より電話かかり19:00梅田へ迎へにゆくこととなる。長沖氏に本庄先生のこと説明す。金曜の会来るやもしれずと。16:30一旦帰宅。松井信子氏より手紙。 田中真知子氏と来たしと。18:00すぎ出て梅田。Svar書店の上島氏と話す。やがて田川君と会ひコーヒーおごりて(140)、払へば電車賃なくなり困る。富山支局へゆくと。21:00帰りゆく。

11月26日
登校。授業すませ修学旅行の写真29枚もらひ15:00住吉中学へ齋藤、野崎、伊藤3生と松田、八田2主事をたづね、紹介の名刺もらひ、引返して教授会。 けふ和木氏より稿料1000。硲君来校。本庄先生の会につき注意たまふ。木村三千子氏より手紙。

11月27日
家居。八尾土木より3000来る。夜、課長より碁に呼びに来り、ゆきて3番負けつづく。和木氏へ受取。松井信子氏へ13日午后来よと。梅本へねえやのこと今しばらく待てと。

11月28日
16:30家を出、谷町6丁目で市電下り、古本屋にてGilas『支那文化展望(20)』と『西南太平洋(30)』と買ひ、もと軍人会館たる社会事業短大第二校舎へゆき、山崎、越智、俣野、山本、 永谷、三木、佐々木、立石、佐野、硲、吉田の諸氏とで12名。佐々木のおかげで「300円以上」とすることとなり実行委員として山崎、越智、音田、田中、硲、瀧川の6人。 締切を2月末日とする、勧誘状発送を12月末とすることなどきまる。山本、俣野と出、福井へゆく山本と別れ、俣野と坂秀へゆき饗庭君と話し、俣野を残して出る。駅までゆき子迎へに来る。 けふ陽生来てすぐ帰りしと。

11月29日
登校。授業終へ、女子大にゆきしに山本、東田、松本3英文教官みな不在。佐野●氏と話し帰校。写真を学生たちに分ち与へ、大学南校に神田力氏を訪問。平山生と知合と。 文珠、小松、林広治3氏へ発起人のことたのみ下されといひ、一部始終報告。パンもちて藤井寺にゆけば叔母温習舎と。2階にて時間つぶしゐる中、陽生現れ今川夫人現はる。 陽生を紹介し、16:00ともに出てアベノ橋へ着けば咲耶と遇ふ。別れて上六。会場さがし廻れば荒井、丹波道久、道に迎へゐる。21:00すぎ来りし速水を加へ、亀井、後藤、三竝、服部、 高橋と8人。22:30我、一足早く出て帰宅。けふ『鴎外日記2』配本。

11月30日(日)
家居。私鉄スト。〒なし。ひるね入浴せしのみ。

12月1日
登校。SchubertのStändehen教へ、大阪女子学園の瀧川君に会ひにゆき実行委員承諾してもらふ。(女子大へゆき松本君に山本博士への伝言たのむ)。 帰り歩きて奥『婦人問題十六講(30)』、吉岡『婦人に与ふ(30)』買ひ、うなぎ食ひて夜学。川端富之助君に話し、中西生に京橋まで同行。帰れば『詩人全書』24冊来あり。 天野よりコルボウ例会12月7日と。けふ本位田3日に(※東京より)来るゆゑ連絡をと、白井より電話。浪中の西崎宏より手紙。

12月2日
晴天の時は高校体育会とのことなりしも9:00丁度小雨。登校。白井へ電話すれば外出。13:00二君より紹介受け人事課鹿海係長に会へば、高校出といふことにして受験すべしと。 但しコネクションなければ見込なしと。梅本にゆき白井に電話し、明日17:30金屋会館に集らんといふこととなり、出て山田にゆけば不在。富士銀行堂島支店高橋玉ィ君に会ひ、 振替口座のこと承知せしめ、奥戸に寄りて明日の会へ来よといひ、山本にゆけば●人。坪井へゆけば帰らず。夫人に俣野、大河原、横山、後藤への電話たのむとの伝言托し帰宅。 池内先生の埋骨式、5日午後1時より上本町4丁目大福寺にてありと。京大佐野利勝君より300を500と改めよと強硬意見。

12月3日
寒し。早ひる食べて会社へゆき、松葉会とやらの会費催促され、図書費出ず。押入の仕切出来ずとやらで不快。小型にのり大手前。坪井に会へば(※本位田歓迎会)会場変更と。 別れて奥戸に会へず、しらせだけし、毎日の渡辺君に会ひ、ハイネ1冊とられ、浅井良任に会へず、向ひの三和堂島支店にゆき宮田君とやらに車時間またされて会ひ、本庄先生のこといひ、 また渡辺君に会ひしが浅井氏に遂に会へず。阪大医科へゆけば田辺教君転任。釜洞助教授さがしまはり、ともに増山に電話せしも不在。別れて曽根崎の朝日にゆき待つ中、17:00坪井来り、 漸次本位田、後藤を最後に関口、奥戸、白井、梅本、山田、横山と11名となる。珍し。関口早く帰りしあとDate(※店名)にゆき、21:30別れて帰り来る。
よのつねのひとにはあらぬ我がさがを知るや知らずや友らはわらふ。
22:00すぎ京橋で桂信子に会ひキャラメルもらふ。私鉄ストとて寮で泊ると。

12月4日
寒し。私鉄ストつづく。中野英夫君土曜に来ると。16:00山崎弁護士にゆかんとせしも駅より帰る。夜半ゆめ見る。「某所へゆく途、●一人あなたとXと怪しと。 その後会へばX俯し、きけば純潔を破りし」と。

12月5日
寒し、10:00家を出て学校へゆけば松井生迎へて出、大丸へゆきたしと。注意与へサラリー出ざるに失望。上町線に田中美智子君のりあはせ、13日来られず14日に来ると。 コーヒーとトーストおごり大福寺へゆく市電にて天高校長後藤安久氏といっしょになり、行けば田中正義、石瀬弘、浜田敦などと話す。明君にいひしゆゑ、 亨先生わが身許しらべせし新夫婦に家を世話せよと。承知し16:00出て山崎弁護士にゆき趣意書よしと。山田とパチンコしレモンティーのみて山本にゆき、待つ間、明ちゃん訪ぬれば欠勤と。 山本とおでんや、ダテと歩き、本位田帰京せしをききて帰宅。けふ花環代200のみにてすまず。
風寒き冬の日来りそむかれしゆめ見しをのこ何のあしどり。

12月6日
登校。よべ眠り足らず苦し。高校短大すませ富士銀行の高橋君より電話ありしとて、こちらよりかけしも不在。暁明館に電話すれば八木嬢まだ来ずと。伝言たのみ住高へゆけば硲君あらず。 近鉄アベノ百貨店で『兼好法師家集(30)』『概観維新史(50)』買ひて大江叔母に会ひ、中野君来ること云ひ、久美子の心境きき、羽田先生の件伝ふれば城平叔父にいふべしと。 大丸社長にも会ふべしと。昼食めざしにて食ひ、急ぎ帰れば16:30八木嬢来り、富永(※天理図書館長)明日帰国と。私鉄ストゆゑ急ぐと帰る。けふ松井、田中、両嬢より14日来ると(10:30)。 陽生より礼状。重松典雄医師より発起人会欠席のわび状。夜、増田万年筆修繕してもち来る。

12月7日(日)
島稔よりハガキ。本宮に会ひてききしと。ゆき子数男に催促のハガキかく。中野英夫まちて17:00出、万美子の家庭教師にゆく。(朝、近藤君月、水のどちらかに来てくれと云ひに来し)。 久美子もあり。一度話さんと云へばねえや逃げて月半ばまでだめと。叔父帰りしも疲れしとて会へず。21:00までやりて夕食せずに帰る。 (けふ古本屋にて『蹇蹇録(15)』板澤『杉田玄白の蘭学事始(10)』、ヘルツオーク『独逸民族史(30)』買ふ。)

12月8日
寒し。登校すぐストーヴなきことの不平云へば6号教室のみ守本氏入れ呉る。教員志望あす試験と。大丸社長に面会したしと手紙かく。住高へゆき硲君に会ひ、 帰り『常山記談(50)』木村で買ひ、山中生と塚西まで歩き越智ドクターにゆけば今一度発起人会をせよと。住吉交叉で親子丼食ひ夜学。漢文2人のみなるによりやめて帰る。 国会図書館より『中国地志』はじめて天理の本記入さる。

12月9日
徳庵−天王寺間の6ヶ月定期買ふ(2490)。登校して高校教へ西保君より原稿預けられ大阪女子学園にゆき、瀧川君と話し(けふ大丸社長より大学短大の入社試験すみしときく)。 田辺にて散髪。今川にゆき万美子教へ、18:00すぎになりしも夕食出ず、アベノ橋で雲吞食ひ、天海堂にて朔太郎『郷愁の詩人与謝蕪村(20)』、一茶『おらが春(25)』、 『蕪村七部集(40)』、古野清人『原始文化の探求(40)』買ひて帰る。全田の叔母より『シェークスピア全集』の金いかがなりしかと問ひ来り、城平叔父より黒田の書類返したといひ来り、 ともに無根。徳永昭子より恋人東北に就職?縁談たのむと。

12月10日
11:00家を出、学校で西保君に会ひ『歌集21才』の題字壽岳先生に書いてもらひ、卒業アルバムの写真とり、菊池生の資生堂への就職きき、平安文法1時間講義して教授会。 すみて音田君にゆけば発起人にハガキ出してきけと。羽田先生より催促たまふ。けふ全田へ返事して2月12日に渡せしと云ふ。羽田明、中野英夫へハガキ。

12月11日
10:00家を出、会社にゆき図書費2000もらひ、切り炬燵につき大工さんに杉浦部長より口きいてもらふ。電話すればすぐ来よとのことに学校へゆき、 石浜先生に新城君のこと云へば「あきらめさすのだね」と、羽田先生にたのむことを好まれぬ様子。お帰りのあとすぐ出て女子大。東田君に会へば「たのんで入れてもらふところでなし」と。 山本博士「本庄先生には200が好し」と。いやになり菅生事務所へ1250払ひにゆき梅田散歩。高尾でカロン『日本大王国志(150)』『南方諸民族事情(70)』。 土日で『平安朝文化(90)』『ジャム詩集(280)』。山本にゆけば吹田事件。帰って『祖国』3冊。角川より校正送ったと。

12月12日
終日臥床。岩崎昭弥、徳永昭子、山前実治、重松典雄、木村三千子、埜中清市諸氏へハガキ。電燈代464の請求を受く。

12月13日
登校。授業すませしあと、卒業アルバムへと句をさがしに多く来り、女子大の学生2人、1人は中也、一人は達治書くとて来る。『詩と詩論』2冊貸しやり、タバコ5ケもらふ。出て大丸。 北沢社長に会へばおそし。高校と同待遇はならぬと。腹立てて出、山本へ再びゆけば500で強行せよと。坂秀へゆけば俣野酔ってをり、饗庭君にきけば西保女史相変らず(※詩集用紙は)和紙といひしと。 本庄先生の見積り3800と。俣野と出てkohiおごれば羊羹かへしに呉る。帰れば角川より校正。151pとなりをる。全田叔母よりあやまりのハガキ。

12月14日(日)
11:00松井信子、田中美智子2嬢来り、みかん土産にもち、依子の外套、八木嬢よりことづかり来る(仕立代500)。〒なし。校正朝のうちにすます。睡眠剤のみて眠る。

12月15日
登校。松井和佐子に大丸だめとあやまり、服の鮮やかなのを着るを戒め、小野勇に逢ひてまだ本庄さんかといはれ、すみて唱歌。200出して茶会やり、京橋で本屋見しが何もなし。 帰れば音田正巳より300にせよと。けふ卒業アルバムに「わかれ」といふ詩書く。夜、弓子の友、細川君の父なる大工さん来りしが、会社にいひしと(※受注斡旋)ことはる。

12月16日
終日家居。睡眠剤に中毒せしにや、頭痛す。音田正巳より300にせよと。500にせんと発起人会出席の面々9人に書く。

12月17日
安田章生へ原稿ことわりのハガキ。ゆきがけ会社へ寄り城平叔父に今川の家のこといへば久美子にきいて見んと。学校へゆき漢文の試験問題へらし、中田博士と話し、 本学の諸先生は内職あるゆゑ高給不要と院長いふときき、講義1時間して安村、椿下二生とコーヒーのみて帰宅せんとし、また思直して会社へ黒田社長の電話取次にゆく。 地上物件売れし由。岩崎昭弥より相不変のハガキ。『白珠』1月号。

12月18日
家居。安田章生より『表情』。木村三千子より「先生は女性を喜ばすことお上手」と。宮本正都より三木老先生死せしと。井上斌子より山中たづ子の金ありしと。 大塚来り、会社側の承知せしボーナス13日分と。17:30野崎、伊藤2生クリスマスケーキもちて来訪。すぐ帰りゆく。

12月19日
8:00家を出、今川へ『シンデレラ(150)』と洋菓子ともちてゆけば叔父出しあと。久美子と話し、会社へ引返し11:30叔父に云へば短期間、荷物そのままならば宜しと。 羽田先生へ速達かき、12:30玉造で狐うどん食ひ、山崎弁護士にゆけば反対も来ずと。山本にゆき発起人勧誘の状かき、月曜に来るを約し、 饗庭君にゆき夫人に封筒2000枚たのみ(古本屋で『碧蹄館(20)』『スペイン語第一歩(80)』買ひ、久美子より『世界文学全集31』返してもらひし)。『不二』来りしのみ。

12月20日
登校。Bonus24日と。八木嬢より電話。先日の女子大花井嬢来り『三好達治論』の参考書かすゆゑ明日来れといひやる。楳垣先生より『俗語の語源』賜はる。 安田より朔太郎論いつでもよしと。中部日本放送より著作権印税につき。

12月21日(日)
10:00すぎ女子大花井嬢来り『四季』1冊と『日本詩壇』ともち昼食してゆく。藤村青一に紹介状かきたり。羽田先生より近日連絡せんと。翰林社より1月1日までに詩をと。 埜中清市よりハガキ。午后守屋美都雄君来り、東大東洋史学会名簿もち呉る(50)。16:00八木嬢来る。もはや気胸いらざるらしと。靴下たまふ。泊りてもらふ。年末手当団体交渉とて寮生帰り来らず。

12月22日
八木嬢を6:30送り出し、きけばよべ20:00妥結せしと。睡眠不足にて寒き中、高校へゆき保険の申告をし、採点し、12:00まへ終る。栂井君(?)西角先生泉大津の図書館にをられ、 わがこと話さると。短大で守本氏と話し、気に入らざるやうなものいひす。佐々木生来り、きけば伊藤生のみ試験に落ちしと。 14:00まへ出て饗庭君に会ひ封筒2000枚1000でこさへ呉れしを受取る。西保君の歌集は2月初。40,000で100p、200冊と。半額前払してくれと。出て山本事務所へゆけば山本、 多摩川へ24日夜まで連日通ふと。封筒150枚かき疲れ、謄写版代400立替へて無銭となり、坂秀へは明日原稿持参とことはりて帰宅。硲君来り、24日午まへ短大へ来ると。海苔たまふ。 羽田先生より月曜董君に電話せよと。

12月23日
晴、寒し。来信『俳句新年号』。12:30出て会社。重役会と。大工に炬燵のこといひしも怪し。置手紙して14:30出て山本事務所。文書の原稿作り饗庭君にもちゆき1000を封筒代として渡す。 封筒300枚もち帰りそろそろ書く。けふ発送代、佐瀬君立替る。埜中清市に街で会ひし。

12月24日
京、きのふより風邪。医者へと共に出、会社へゆけば城平叔父きのふ羽田先生のお手紙見しと。期間6ヶ月といひ、家賃いくらかで云ひ[きて]なりて叱らる。 あはてて出、学校へゆき1.5ヶ月もらひ『鴎外全集19』とり、硲君にあす来てくれといひ、(山本君肺病と)、昼食くひて羽田董君を呉羽紡績に訪ひ、ともに今川。家見せてもらふ。 きれいにしてあり。あす明君に山本事務所へ電話かけよとたのみて別れ、今川へゆき久美子と話す。27日のパーティーに行きてよしとなり。一度阿倍野橋へ引返し、 大和銀行で日野月先生への3000のお礼をgift-checkにしてもらひ(箱代30)、大江にゆき、字かいてお訪ねすれば留守。北村氏にあとでもってゆくことをたのむ。(今月より10%増俸と)。 帰り近鉄デパートで藤沢『流行歌百年史(220)』、天野『大東亜資料綜覧(150)』買ひ、仁井田『中国法制史』買ひし、くぢ引きて鉛筆2本もらひて帰宅。 けふ数男より38000来りて(※妻悠紀子への遺産分割)すみし由。藤野君より近江詩人会つぶれるやもしれずと。羽田より速達来りをり、西保嬢より香水4瓶来り、内2瓶こはれゐしと。 夜、賄3人にbonusわたす。

12月25日
10:00父来り問へば今月よりつとめ、隔日にて5000と。めでたし。ともに会社にゆきしも叔父不在。我のみ駅にゆけば中馬、東、吉川、菊池らの組と会ふ。 15:00来りし羽田と硲君とを饗庭夫人の所につれゆき酒のませ(1200)、16:30山本にゆき(そのまへ都正次に会ひし)、羽田らと別れて天ぷら食ひしのちDateにゆきChristmasを祝ひ、 20:00坂秀にゆけば饗庭眠がる。29日夜出来とききて出、校正のこと忘却。京橋で『ミュッセ詩集』買ひて帰宅。(羽田の言によれば移るか否か月曜に返事すと)。 伊藤久子より落第の報告とクリスマスカード。島稔より戯文。

12月26日
よべ不眠。Alcholと封筒書きとの為なり。午后出るときめてねてゐしところ、小沢大工来り、椿炬燵にかかりしゆゑ出られず(長浜の人と)。午後訪ひ来しは松本一彦夫人、 嬢ちゃん解析1点とて相談に来しなり。青山定文をさがし当てよといひて帰らす。けふ八木嬢よりこの間の礼。

12月27日
9:00家を出、会社にゆき叔父に羽田家月曜返事とのこといひ、けふのダンスパーティー云へば大騒ぎしゐると。杉浦氏にきのふの礼云ひ、小沢大工に1000わたせしと云へば多すぎると。 本町1丁目下車瓦町の印刷屋にゆけば校正出をり校了とし、沢田の事務所にゆき山崎三七喜氏に電話すれば異議申立なかりしと。第2野村ビル5階の通産局によれば藤田又一出しあとと。 沢田に再びゆけば鰻奢り呉る(2人前950!)。別れて内本町にて散髪(130)。舞踏会館にゆけば佐々木女史タバコ3ケとジンフィズ賜ふ。14:00現れし久美子、男連れをり、 武内先生につれゆきて礼云ひ、すぐ出て梅田。『唐詩選2冊(80)』ヨシカズ書房にて『平安女流歌人(70)』、高尾にて折口信夫『恋の座(70)』『日本雑事詩(100)』『伝道と民族政策(150)』、 土田にて『ギリシア女人群像(30)』『大黄河(30)』と買ひて時間つぶし、山本にゆけば出るところ。振替用紙なしにて発送ときまり、都正次、佐瀬と3人にてコーヒー(240)のみ帰宅。 埜中より1月5日新年宴会。日野月先生より受取れずと。鈴木治氏より朝鮮関係書目をと。

12月28日(日)
寒し。封筒かきゐる中、青の父よりシャツ、ズボン下、松本夫人より青山未帰還と。休みかたがた小阪にゆき山口実に会へば不景気と。埜中の新年宴会のことわりたのみ、 堀内へゆき百科辞典9000ならもて来よと云ひ、松本にゆき話し、日野月先生へゆくをやめて帰り、バス待つ間、また堀内にゆき藤岡『近世絵画史』『抱朴子』(100)『近世世相史概説(100)』、 高須『日本近世文学十二講(30)』『漢文大系唐詩選(100)』と買ひ集めて帰る。萩原・天満2生よりナイロン靴下3足贈らる。夜、西宮君来り砂糖3斤と菓子賜ふ。谷口砂糖2斤呉る。 夜、22:00までかかり18回まで終る。

12月29日
寒さややゆるし。羽田先生より2、3日返事まてと。文芸家協会より名簿原稿。10:00本荘先生の封筒1400枚書きをはり12:00出て会社。叔父へと羽田先生のハガキ托し、 梅田地下の古本屋で『南支那(25)』『マカートニー奉使記(30)』『支那家族の構造(80)』と安きを買ひ、ニュース映画見て吹田にて泊る。けふ来年の日記帖もらひ万年筆贈る。

12月30日
9:30出て梅田にゆき、万字屋にてきのふ見し『人類学の基礎(130)』とLoeb『スマトラの民族 下(40)』買ひ、喫茶して坂秀にゆけば留守。やや待ちて帰り来し夫人より印刷受取り(2600)、 重きをさげて山本事務所にゆけば佐瀬来ず。山本に電話し喫茶店にて待てば硲君、弟づれにて来り、喫茶しゐる中、佐瀬12:00前来り、作業開始。14:00来りし山本夫妻より5000預り、 15:00まむし食ひ17:30終り、バタバタにて中央郵便局へ運び(8×1747)、別れて坂秀にゆきコーヒーとケーキにて出、19:00帰宅。末吉より転居通知ありしのみ。 餅搗きすみ砂糖3斤礼にせしと。(饗庭君令息にゑほん85)

12月31日
中川いつじより詩集。餅食ひてねてゐし。夕方入浴終り年越そば食ひゐれば酣燈社より3000。


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