(2007.02.13up)
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たなかかつみ【田中克己】散文集 『李太白』1944


九 閨怨の詩人

 安禄山の乱とこれに対処した李白の事蹟とを述べる前に、ここで閨怨の詩人としての李白のことを一応のべておきたい。

 前述の如く、李白の居住は少年時代以来、流転を極めてゐる。僅かに最初の結婚の頃、即ち安陸時代と後の開封居住の頃とにやや定住の跡が見られる位で、その他の住ひは永きは数年、 短きは一年に足らず、羈旅の生涯といっても過言ではない。芭蕉の如き無配偶者、西行の如き世捨人ならいざ知らず、彼は妻子を有してゐたのである。子に対する愛情は既に述べた。 妻に対してはどうであったらうか。私はこれを李白に閨怨の詩の多い所以と解したい。

 李白の旅には妻子を伴ふことは殆どなかったと見られる。現に安禄山の乱後、彼が宣城より剡渓にゆき、また西に引返して盧山に赴かうとした途中、 秋浦(安徽省貴池県)で妻に送った詩があり、

   秋浦寄内  秋浦にて内(ナイ)に寄す
我今尋陽去 われいま尋陽に去り ※1唐の江州、今の江西省九江。
辭家千里餘 家を辞すること千里余。
結荷見水宿 結荷※2 水宿※3を見る ※2荷物をととのへる。※3舟のやどり場。
却寄大雷書 かへって寄す大雷の書。 ※4大雷池は湖北省の望江県にある。宋の鮑照がここで登大雷岸与妹書を書いた。
雖不同辛苦 辛苦を同じくせずといへども
愴離各自居 離れを愴(いた)んでおのおのみづから居る。
我自入秋浦 わが秋浦に入ってより
三年北信疏 三年 北信疎なり。 ※5北からのたより。
紅顏愁落盡 紅顔 落日を愁へ
白髮不能除 白髪 除くあたはず。
有客自梁苑 客あり梁苑よりし ※6梁園に同じ、開封。
手攜五色魚 手に五色の魚を携(たづさ)ふ。
開魚得錦字 魚を開きて錦字を得るに ※7錦に織りこんだ手紙、妻よりの手紙。
歸問我何如 帰ってわがいかんを問ふ。
江山雖道阻 江山に道阻(へだ)たるといへども
意合不爲殊 意合すれば殊なれりとなさず。

 といって、開封より家信を得たときの情を詠じてゐるが、これで見てもわかる通り、至徳元年には別離後すでに三年になってゐるのである。 また李白がこの妻に代って詠じた詩もある。

   自代内贈 自ら内に代りて贈る
寶刀裁流水 宝刀流水を裁つとも
無有斷絶時 断絶の時あるなし。
妾意逐君行 妾が意 君を逐うて行く
纏綿亦如之 纏綿(テンメン)またかくのごとし。 ※1まつはって離れざるさま。
別來門前草 別れてこのかた門前の草
秋巷春轉碧 秋は黄(?)に春はまた碧(みどり)なり。
掃盡更還生 掃ひ尽せば更にまた生じ
萋萋滿行跡 萋萋(セイセイ)として行跡に満つ。 ※2草の茂った様。
鳴鳳始相得 鳴鳳はじめあひ得しが
雄驚雌各飛 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。
遊雲落何山 遊雲いづれの山にか落つ
一往不見歸 一たび往いて帰るを見ず。
估客發大樓 估客※3 大楼※4を発し ※3行商人。※4秋浦の北の大楼山。
知君在秋浦 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑空錦衾 梁苑むなしく錦衾
陽臺夢行雨 陽台 行雨を夢む。
妾家三作相 妾が家は三たび相となりしが
失勢去西秦 勢を失って西秦を去る。
猶以舊歌管 なほ旧歌管あり ※5ふるくからゐる楽人がをり。
淒清聞四鄰 凄清 四鄰に聞ゆ。 ※6すずしく清い音をたてて。
曲度入紫雲 曲度(キョクド※7) 紫雲に入り ※7曲のリズム。
啼無眼中人 啼いて眼中の人なし。
妾似井底桃 妾は井底の桃のごとく
開花向誰笑 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君如天上月 君は天上の月のごとく
不肯一回照 あへて一たびも廻照せず。
窺鏡不自識 鏡を窺ふもみづからも識らず ※8自分でも見わけがつかない。
別多憔悴深 別多くして憔悴(ショウスイ)深し。
安得秦吉了 いづくんぞ秦吉了※9を得て ※9九官鳥。
為人道寸心 人のために寸心※10を道(い)はしめん。 ※10心。

 この詩は明清の詩人が多く作った閨怨の詩よりも清新である。ところでここで問題になるのは、その梁苑にゐる妻とは誰かといふことである。 李白の結婚に関しては魏以外に拠るものがない。魏は李白が妻を四度娶ったことをいひ、最初は許氏を娶って一男一女を生み(前述)次に劉氏を娶って離婚し、 三たび魯の一婦人を娶って一子頗黎(ハリ)を生んだといひ、四度目の結婚を「終ニ於宋ニ娶ル」といってゐる。そこで開封にゐた妻は、この後の二人の中のどれかでなければならないが、 この詩でみると新婚の情を湛へてゐるやうな所もあるから、宋に娶った妻のやうである。ところでまたこの宋が地を指すのか、姓を指すのかが問題になるが、李白が後に夜郎に流される時、 宗mといふ者に贈った詩があって、その姉が自分に嫁いだ趣をのべてゐるから、宋は宗の誤りで、宗氏の婦人を娶ったと解すべきだらう。さうするとこの詩の「妾家三作相」といふのば、 則天武后の治世に三度宰相になった宗楚客の家の出といふことになり、この婦人の素性は一層はっきりして来る。

 至徳元年の初には、安禄山の兵は既に開封、洛陽に迫ってゐたのであるから、李白の心配もさこそと思はれるが、 それよりもこの詩に表はれた孤閨にある自分の妻の心情をこれに代って詠ずるといふ詩作の態度が、李白の多くの閏怨の詩の基盤であったといふことが考へられる。 即ち彼は自己の生活が常に羈旅にあり、そのため妻とは殆どすべて別居の状態にあったが、この別居に関しては彼もたえず責任を感じてをり、 従って妻の立場になって考へることも多かつたのであらう。ともかく李白の詩中の代表として、今なほ愛誦されてゐるものの中には、閨怨の詩が多く、 これを看過しては李白の詩を論ずることができない。

 さて閨怨を歌ふ際に、李白はおのが感情、おのが妻の感情を基としながら、これに種々の背景を設置して、これらの詩が千篇一律に陥ることを巧みに防いでゐる。 かうした背景の一は、戦場にある夫を懐ふ妻である。例へば有名な

  秋思
燕支黄葉落 燕支に黄葉落ち ※1匈奴内の山。
妾望自登臺 妾は望んでみづから台に登る。
海上碧雲斷 海上 碧雲断え
單于秋色來 単于(ゼンウ)に秋色来る。 ※2単于大都護府はいまの綏遠省帰綏方面に置かれた。
胡兵沙塞合 胡兵 沙塞に合し
漢使玉關囘 漢使 玉関より回(かへ)る。 ※3玉門関、西欧への関門。
征客無歸日 征客 帰る日なく
空悲尅雀煤@むなしく悲しむ尅(ケイソウ)の摧(くだ)くるを。 ※4蘭の一種

 といふ詩がさうであって、当時の西北方への用兵をテーマとしたのであるが、中に出て来る地名の矛盾からもわかる通り、写実といふよりはむしろ、 前運の如く李白の夫婦生活の反映とし得る。さらに有名なのは「子夜呉歌」(秋)である。

長安一片月 長安 一片の月
萬戸擣衣聲 万戸 衣を擣(う)つの声。
秋風吹不盡 秋風 吹いて尽きず
總是玉關情 すべてこれ玉関の情。
何日平胡虜 いつの目か胡虜を平げて
良人罷遠征 良人 遠征を罷(や)めん。

 前二句で大都長安の秋の夜を正確に写し出し、そこにひ心く砧の晋で戦地にある良人のための衣をうつ妻ただちを超し来り、後二句でさらにその情あるはしめてゐる。 李白の最も得意とする手法であって、愛調されるのも当然である。また「子夜呉歌」の冬も同じ趣である。

明朝驛使發 明朝 駅使発せん ※1飛脚。
一夜絮征袍 一夜 征袍に絮(わたい)る
素手抽針冷 素手 針を抽(ひ)けば冷かに ※2白い手。
那堪把剪刀 なんぞ剪刀を把(と)るに堪へん。 ※3はさみ。
裁縫寄遠道 裁縫して遠道に寄す
幾日到臨洮 幾日か臨洮(リントウ)に到らん。 ※4長城西南端、甘粛省

 塞い夜かじかむ手で衣を縫って送るのである。これは前首のやうな大きな情景をとらへず、ある家の一人をとらへて、思夫の情をいはしめてゐる。地味ではあるが、 乾隆帝も真摯といつてゐる。この二篇の意をさらに敷衍したのが「擣衣篇」であり、これも佳作である。またやはり征夫を思ふ詩で「独リ見エズ」といふ楽府(ガフ)は少し趣を異にしてゐて面白い。

白馬誰家子 白馬たが家の子ぞ
黄龍邊塞兒 黄龍辺塞の児。 ※1契丹との対陣の地。
天山三丈雪 天山三丈の雪 ※2匈奴中の山。
豈是遠行時 あにこれ遠行の時ならんや。
春寫囂H草 春宸スちまちに秋草
莎雞鳴西池 莎雞(サケイ) 西池に鳴く。 ※3きりぎりす。
風摧寒椶響 風は寒棕(カンソウ)を摧(くだ)いて響き ※4しゅろの一種。
月入霜閨悲 月は霜閨に入って悲しむ。 ※5霜夜の夫のゐない寝室。
憶與君別年 憶ふ君と別るるの年
種桃齊蛾眉 桃を種ゑて蛾眉に斉し。
桃今百餘尺 桃いま百余尺
花落成枯枝 花落ちて枯枝と成る。
終然獨不見 終然としてひとり見えず
流涙空自知 流涙むなしくみづから知る。

 別れる時、自分の蛾眉の大きさであった桃が百余尺となり、更に枯れたといって別れの時の長いのをいふのは、李白の得意の手法で、或は嫌ふ人もあるかと思ふが、 私は好きである。五句の忽といふ字もこれとよく対応してゐると思ふ。

 夫婦の別離を敍するに当り、李白の借りる背景の第二は商人の妻である。この頃になって商人の行商も活発になり、特に江南の商人は長安、洛陽方面や揚子江上流方面に盛んに往来した。 李白は巧みにこの世相をとらへ来ったのである。楽府「長干行」の如きがそれで、その一はいふ、

妾髪初覆額  妾が髪はじめて額(ひたひ)を覆(おほ)へば
折花門前劇  花を折って門前に劇(たはむ)る。
郎騎竹馬來  郎は竹馬に騎りて来り
遶牀弄青梅  牀(ショウ)を遶(めぐ)って 青梅を弄(もてあそ)ぶ。
同居長干里  同じく長干の里にをり
兩小無嫌猜  両小 嫌猜(ケンセイ)なし。 ※1きらったりうらんだりすること。
十四爲君婦  十四にして君が婦(つま)となり
羞顔未嘗開  羞顔(シュウガン) いまだかつて開かず。
低頭向暗壁  頭を低(た)れて暗壁に向かひ
千喚不一廻  千たび喚(よ)ぶも一たびも廻(めぐ)らさず。
十五始展眉  十五にして始めて眉を展(ひら)き
願同塵與灰  塵と灰とを同じくせんと願ふ。
常存抱柱信  常に抱柱の信を存し ※2尾生の故事より、恋人に対する信頼。
豈上望夫臺  あに上らんや望夫台 ※3四川省忠県にありと。
十六君遠行  十六 君遠くに行く
瞿塘艶澦堆  瞿塘(クトウ)の艶澦堆(エンヨタイ) ※4揚子江の峡。※5瞿塘の峡口にある岩礁。
五月不可觸  五月 触るべからず
猿聲天上哀  猿声 天上に哀(かな)し
門前遲行跡  門前の遅行の跡 ※6夫がぐづぐづしながら行ったあと。
一一生緑苔  一一 緑苔を生ず
苔深不能掃  苔深くして掃ふ能はず
落葉秋風早  落葉 秋風早し
八月蝴蝶黄  八月 蝴蝶黄に
雙飛西園草  双(なら)んで西園の草に飛ぶ
感此傷妾心  これに感じて妾が心を傷(いた)ましめ
坐愁紅顔老  そぞろに愁ひて紅顔老ゆ
早晩下三巴  早晩 三巴を下らば ※7巴郡、巴東、巴西の三郡。
預將書報家  あらかじめ書をもって家に報ぜよ
相迎不道遠  あひ迎へて遠きを道(い)はず
直至長風沙  ただちに至らん長風沙 ※8安徽省貴池県の地名と。

 長干里は南京の秦淮の南に当り行商人の住地であった。この詩は冒頭の筒井筒の仲を敍したあたりも面白く、少女にして婦となり、夫婦の情を解せずといふ辺りも面白い。 なほこれと同じ趣の詩に「江夏行」がある。

 閨怨の第三は、宮中の美人が君王の寵を得ずして悲しみ怨むことをテーマとする詩である。かの「玉階怨」の如きはその代表的なものであって、

玉階生白露 玉階に白露を生じ
夜久侵羅襪 夜久しくして羅襪(ラベツ)を侵(おか)す。※1うすぎぬの足袋。
卻下水精簾 水精(スイショウ)の簾を却下(キャッカ)して ※2水晶。※3おろして。
玲瓏望秋月 玲瓏 秋月を望む。 ※4水晶のすだれの明るいすきまから

 の二十字は、寵愛を得ない婦人の無限の哀怨を湛へてゐる。李白の絶句、殊に五言絶句に至っては、古今にこれに比するものを見ないといはれるのも、 この詩などより起ったことで、不当の語ではない。その他「妾薄命」、「長信宮」、「長門怨」二首、の如きみなこれと同じ趣を歌ってゐる。

 以上のものとは異って、夫婦の地位、別れの原因を具体的にしない閨怨の詩も多い。「遠キニ寄ス」十二首はみなそれであり、「黄葛篇」もこの類である。

  黄葛篇
黄葛生洛溪 黄葛(コウカツ)は洛溪に生じ ※1洛水の谷間。
黄花自綿冪 黄花おのづから綿冪(メンベキ)。 ※2こまかにおほひかぶさってゐる。
青煙蔓長條 青煙 長條を蔓(はびこ)らし ※3長いえだ。
繚繞幾百尺 繚繞(リョウジョウ) 幾百尺 ※4もつれあふ。
閨人費素手 閨人 素手を費し
採緝作絺綌 採緝(サイシュウ)して絺綌(チゲキ)を作る。 ※5細糸とあら糸の葛布。
縫為絶國衣 縫ひて絶国の衣となし ※6遠くへだたった国。
遠寄日南客 遠く日南の客に寄す。 ※7漢の時、越南に置かれた郡。※8たびびと。
蒼梧大火落 蒼梧に大火落つるとも ※9 7に同じ。※10大火は蝎座のアンタレス星、陰暦七月末から西に流れる。
 暑服莫輕擲 暑服 軽(かろがろし)く擲(なげう)つなかれ
此物雖過時 この物 時を過ぐるといへども
是妾手中跡 これ妾が手中の跡。

 「子夜呉歌」に似た趣ながら、これは南方にゐる夫を思ふ情景に作り、また佳作たるを失はない。

 妻の征夫を懐ふの情は一たび翻せば、兵士の思郷の情である。「關山ノ月」の篇はこれを歌ひ、塞外の広漢たる状景の中に兵土の思郷の情の極めて深きを歌ふ。 恐らく夫子自身の中にある情がおのづからに発露したものであらう。

  關山の月  関山の月
明月出天山 明月 天山を出づ
蒼茫雲海間 蒼茫たり雲海の間。
長風幾萬里 長風幾万里
吹度玉門關 吹き度(わた)る玉門関。
漢下白登道 漢は下る白登の道 ※1漢と匈奴との対戦の地。
胡窺青海灣 胡は窺ふ青海の湾。※2クク・ノール。
由來征戰地 由来※3征戦の地 ※3もとから。
不見有人還 人の還るあるを見ず。
戍客望邊邑 戍客(ジュカク) 辺色を望み※4国境を守る兵
思歸多苦顏 帰るを思うて苦顔多し。
高樓當此夜 高楼この夜に当り
歎息未應[門+月] 歎息するまだまさに閑(しづ)かなるべからず。

 帰るを思ふ理由は自ら明らかである。玄宗の窮兵瀆武に対して諷刺の意ありと見るのはやはり儒学的見解に過ぎる。

十 茫々走胡兵へ


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