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わに いちたろう【和仁市太郎】詩集『流域』1999






詩集『流域』


平成11年6月25日 飛騨新聞社(高山)発行 77p 20.6×19.8cm並製ワープロ印刷 非売品

目次
無題/ことば/言葉/万年青/出発/ふる里にて/初冬/門出/寒梅/ある時/生命/クロッカス/独白/書信/蒲公英/熱い夜/時間(1)/梅落集/墓碑/図書館にて/心耳/流域/城址で/閑暇の記/蝙蝠/いま思うこと/飛行雲/友情/罠/雑草を抜く/人間(じんかん)/忘れ得べきや/耳聾しいて/憂愁/羊頭狗肉/勝負/羊歯/縋る/紫式部/野晒し/檀/証/耳聾/醜草/距離/花咲く樹/洋 燈/時間(2)/距離(2)/片道キップ/六郎にて(轆轤)/冬二に/憤怒の記録/凄潭/ある夢現(うつ)つ/ある訣れ/栃の花の咲くころ/少年時代(16)/少年時代(19)/高山詩抄/少年時代(22)/所懐/射水還り/秋意/木瓜酒/足入れ/母が語った言葉/生命と 言葉と/ 愛情記/虚しい/ある箴言/あとがき/あとがき(2)


【全文画像7mb】

【詩篇抄】


 万年青(おもと)

義兄が贈ってくれた万年青の幾株かが
土地の性に合わないのか年ごとに絶えてゆき
一株だけが紫陽花の古い株根の蔭に余命を支えていると思っていたが――
肥料も碌に与えず、園芸のたしなみも弁えず
無責任な老いた園生の主であった

昨日の夕暮れは裏畑の上で雪虫が柱になり
「雪おこし」も地鳴りし予告をしていた
今朝は、四、五寸積った雪を凌いで
短い茎に紅い粒々の実が穂状に副って
簪のように気品あふれ、誇らしゅう問いかけていた。



 初冬

庭の枯れた草紅葉の上に
燻銀に深く輝き霜がおりていた
佇っている脚に寒さが這い上がってくる

いちいの朱い実が五つ六つ
透きとおった響のようにたれて──
私はしばらく初冬の声を聞いていた

と──
一人の少年が跫音をしのばせ
葉の落ちた楓の下にくるとブリキ製の空気銃を構え
隣家の桧の茂みで囀っている
群雀をじっと狙っていた。



 書信

まず机の上を拭き
あなたからの手紙を改めて読み直し
書信の内容を反芻している
本当のことを自分に問えば
披げた用箋に想いが迸って
直ぐにもペンがひとりでに走り
思いのたけを躊躇なく書けるのだが──
六十年の変わらぬ友情がちょうど
獲ものを前に猫族が舌なめずりして
余韻を楽しんでいるようにして
幾たびも繰り返しあなたの心映えを偲んでいる。



 流域

私はよく知らねばならない
清例で孤独に流れつきない奔流の声を

白く皚々の雪原の渕を洗い
簇生する緑りの芦原の根を洗う
流れてやまない激情の意思を
時に粗暴に荒涼と変化する暴虐を。



 洋燈(らんぷ)

戦争に敗れて久しいあいだ
中華民国との国交が回復しない頃であった
中国の特産品の展示と即売会が催された
私の胸をすがすがしいかぜが吹き
通り抜けていく思いであった
僅かの小遣いの金を握ると
はやる心をおさえ会場に出かけていった
昔を訊ぬれは同文同種で
日本文化を助長された先進國であった
多くの即売品のなかから一個の
真鍮製の粗末な洋燈を購った
様ざまの想いをこめて──



 冬二に

この夏、銷夏の一助にもと、厚い田中冬二の全集三巻を読み終えた
尤も高山を愛した尊敬する詩人の著作集
ながいこと書棚に飾りぱなしで居たことが侮やまれる
冬二は良い時代に恵まれ生きた 大正から昭和の初期にかけた
大正ロマンの華やかな時代だからあの詩が書けた
第二次世界大戦よりあと徐々と
良い意味の日本は滅んでしまった
あなたは日本の良俗や花や雪虫、雲、洋灯を
空気のように白い紙に陳べられた。



 ある夢現(うつ)つ

このごろ見る夢は昔の記憶のことばかりで
混線した電話があちこち錯綜しているようだ

夢だな、と思いながら大方は賤(まず)しい
情景に溺れ、結構楽しんでいる
藤波橋の袂に庄田という八百屋が魚も売っていた
前を通ると店さきに童児(こども)の頭ほどのでっかい
夏みかんが五、六個、勉強品と値が一個十五銭
私の日給が九十八銭で、鉱山の購買部から
購ってくる半搗米が一升二十五銭ほどの
昭和五年の秋の不景気のドン底だった

店のばばさまが「よう働らきに行かしゃるな。」と
愛想いって、可哀そうねとわらっている
その横にある松烏賊が半分ほせて腹がうす紅く
少しいたんだのを一折り一緒に包んでくれんさした
一つちがいのここの娘の「お高さんが見えんようじゃが。」
と、訊ねると
「ありゃ、去年東京へ嫁にやったさ。」
(おたかさんと言っても衆議院議長のおたかさんでない。)
おたかさんはタイピストで長い海老茶袴を
ひきずるようにぞろぞろと
今日も水電の会社で一緒に働いていたんだが──
可笑しいな、あのばばさが少し惚げられたかな
自分のことは棚にあげてやはり理屈にあわない
夢うつつのなかだと思っている

朝浦の急な坂を登りつめると
そこに甘い杏子の大きい樹があって
石段をおりるとおらんちの家である
かかまが手造りの七輪に湯をいっぱいたぎらせ
春蚕の大繭をひいて肌けた肌をかくそうともしない
「わりや、やすいものを仰山かってきたな。」というと
嬉しいのか哀しいのか横をむき欷いていた
庄田の魚屋の家はかかまのへその緒をきった家で
祖父の清十郎が木賃宿をやってござったが
山師でかたわら鉱山に手を一攫千金の夢を見られ
みごと失敗し、没落、家を人手に渡してしまわれた

寝所から寒い階段をおりトイレから戻り
うすい布団にもぐりこむと
新派連鎖劇の古いフィルムを逆回転するように
さっき見た夢のつづきを多分見ることになる。
           10.12.5


 少年時代 (16)

騒がしいラジオもテレビジョンも発明されていなかった
大正もすでに終りちかく黄昏れる街の溜り場に
しずかに人恋しい電気の點ったばかりの
はだか電球のくらい照明から逃れ
集散する情報の中に暫く身を委ねるため
その縁台にさそわれていった──
身内のように交々の悲喜の噂さ話が撤かれる楽しい一時であった
あるひとは桔梗に芒の絵など画いた丸い団扇を腰にはさんで人懐っこく
向いの宮の湯の帰りに安もののシヤボンの匂いを漂わせ話題のなかへ入ってくるもの
はすっぱな亭主を亡くした女房など飛び込んできて
結構夕暮れは団欒の社交場になった
少し子供たちに邪慳な鹿間やの婆の目を虞れ
狭い店頭の一角に並べられた変わりばえない
黒砂糖の飴玉や肉桂玉、甘々棒や一銭饅頭の箱のなかへ目を移す
ちょろちょろと點滴の水輪の水槽のなかで
半透明な心太のやわらかい肌が浮き沈みし
やせた素麺の白い糸が群れ揺れている
若い鉱山がえりの鉱夫が二、三人腹をすかして
吾が家までの短い距離まできていて我慢できず
胃の臓腑の機嫌をとって店に入る
花街の娼婦(おんな)たちが白粉と香水を匂わせて
一杯の冷えた素麺を今宵に期待をかけて腹をふくらます
視覚に訴えるこれらの調った舞台装置は
食べたい盛りの少年の胃液をゴクッと呼びさまし
糸繰りの終わった母の時間を見計らい家に戻ってゆく

裏を流れる滝瀬川の急湍はひとしきり声をたかく滾らせ
山峡の町を夜の帷が包んでゆく。



 少年時代 (19)

 夕暮の幕がもうおろされる花街の黄昏れの一とときは物あわれで、夕顔の葩が鉢に三輪ほどあたりをほの明るくして咲いていた。その傍らで二、三人の妓が屯ろして微風を送り迎えて団扇の緑の芒の絵と浴衣の涼しい麻をあしらった絵柄がふしぎと、耳目の底にやきつき、廉(やす)い白粉の香が嫋々(じょうじょう)とただよい、子供の瞳にもきれいな女性(にょしょう)だという感じが脳裡に残っている。
 この妓楼の主人は越中から移住した人で立山館といい、遊郭の中ほどに数人の妓を抱え生業していた。悲しいことにここの次男坊によくできる同級生がいて、後年彼は師範学校を卒業し順応に出世街道を歩き、最後には校長にまでになった出世頭の一人であったが、脳を患い晩年は哀れであったが──小学校だけで進学できず鉱山に働らくようになっても、その家の前を通りまた街で出会っても、幼ない心が傷つき卑屈な想いが長く巣くった──
 母は近在の農家から野菜を買い出し、鉱山の池の上社宅を売り歩いた。この社宅の住人は俊秀なる大学出や技術者が特権階級のように君臨し、町の人びとは雲上の別天地の人たちに思われ羨望視されていた。母は朝はやく起きると竹で編んだ簣(あじか)を背にしょってふり売りに歩いた。
 高価な山葵は料理屋などでしか売れず、学校から帰ると、二、三十本の山葵を風呂しきに包んで遊郭を戸ごとに売り歩かねばならなかった。「わさびはいらんかな、安うしとくぜな」と、母の教えた言葉をきえいるような弱い声で呼び歩いた。羞しいやら、こわいやらで五、六回も行商は続いたか知ら。少年の日の記憶はながく尾をひき、創ついたが、世間への不条理には思いも及ばなかった。東北の田舎から冷害のため貧しく家の犠牲となって稼ぎにきている女たちの境涯を、子供ごころにもわかる気がして足のすくむ思いであった。
                         1.6.30


 足いれ

古い戸籍藤本がでできた──
昭和のはじめ東京へ確固たる将来の予想もたてず
郷里を出るとき町役場で「身分証明書」と「戸籍藤本」とを作らせ大事に
自分を証明する保証人のように行李の底に秘め
持ち帰って半世紀余りの日月が流れ去っており
その間なんどか見ても気づきもしなかったのだが──
今はやりの自分史のルーツを探り
貧しい越し方の一くさりを認めておこう、と、想ったのがきっかけになり
薄い雁皮紙の処どころに紙魚の跡が浮き
筆墨の一字ずつ判じて読むと
母の籍が自分の生れた五日後に届け出入籍され
私が生れてから十五日後に出生となって届けてある
「一太郎」と名づけ口頭で役場に届けたのが
小学校への入学通知書には「市太郎」となっていて吃驚したそうだ
明治の終りころ戦勝に酔った役場の係りも
浮れて重大なミスを犯したのも気づかず
訂正することが不可能で泣き寝いってしまった
母が老いてもときどき怨み言のように繰返し嘆じた
父と母の長子に対する血液のような温か味をふと感ずるとき
「一太郎」と命名して何を托そうとした思い入れだけが
産みっ放なしで社会に抛りだされた生き態がせめてもの救いである
一国の歴史や小さい一家の虫けらのような家系なんてものもどこまで信じてよいか──
昔は神岡あたりでは、はいからな言葉で、今様ならば「試験結婚」なんだが
当時は結婚の一つの形態であった、足いれといい
子を孕まなかったり、性格が合わず、家風になじめなかったら
行李一つもって気軽に遊んで婚家から
簡単に実家の敷居を跨ぐのであった。
                    62.3.31


 愛情記

鈍行の汽車は各駅を素直に停まり
再び鈍い汽笛を谺し喘ぐように発車する

海水浴にゆきたい、海をみたいとせがまれ
重い腰をあげた若い父は、でも幸せらしく
二人の年子の子供にひかされて
遠く新潟にちかい日本海の石田浜まできた
初めて見る海の闊(ひろ)さにあきれ
塩からい海の水にふしぎがり
繊い未成熟な胸盤を思いっきり
碧くひろがつた潮騒にまかせていた

めったに汽車に乗る機会に恵まれず
いつの日か成人し人の子の親となり
この日の短かい父と一緒に遊んだ行旅を
ふと想起する日はありやなしや
汽車の窓に倚り貌をだし嬉々と戯れる
飛び込んでくる蜩の涼しい音が
こどもたちの潮を含んだ髪を撫でてゆく。
              昭和二九年夏ころ



【拾遺】 久野治『山脈詩派の詩人(1987年鳥影社刊)』、『続・中部日本の詩人たち(2004年中日出版社刊)』より転載

 書簡

高山に居をさだめて四十有余年
そのあいだ私へ送られた諸々の私信が
いまもたいせつに蔵われている
一年かんに賀状をふくめて五百通くらいとし
そのかず二万と少しの量になろうか
せまい四畳半の部屋に年ごとに区分し
ボール箱におさめられ宝物のように積まれている
はがきで十五分くらい手紙なら一時半ほどもかかる
電波のようにまっすぐにむすび飛びこんでき
遠い想いを籠めて書かれた信書が
意志の通っただけで読み捨てなどできるものではない
郷土の先覚牧野英一先生が
晩年を眼疾に悩まれ不自由のなかから書かれた慈愛こもったお手紙――
弟の良三先生が議会のかたわら寸時を割いて認められた絵葉書のお便り――
「山の民」の作家江馬修先生が病床の立川市からの絶筆のような書跡蟒
詩人福田夕咲先生の紙碑のような詩稿など
高山に憧れて二度旅をしたという田中冬二先生の高山礼讃のお便り――
亡くなった木下夕爾が高山や私に会いたく
はるばる福山の街からやってきて
城山や古い三之町を歩いた
素朴な金釘流の礼状の文字――
三十五才の若さでフィリピンの戦野で戦病死した同窓の山口義男の遺書のような書簡のかずかず――

読みかえすこれら色あせてゆく紙幅から再びに語りかける
不日 私がこの世にいなくなったあとこれら書簡の累々たる息をひきとった屍が
絆をたちきられた私の魂から飛び散り
そこにこもって昇華した高貴な精神は
一体どうなって地上から消えてしまうのか。
             詩誌「すみなわ」第12号(1979年8月発行)所載


 ある偶感

北向きの陽の射さない湿ってうす幽く
二階の四畳半のせまい部屋
書斎とも寝床ともわからない
ゆうべの敷ふとんなどがたたまれず
拡げられたまま敷きっぱなし
書きほぐした原稿用紙が散らばり
書籍や紙魚の虫ずった古新聞の切り抜きなど
乱脈に散らばり足の踏み場もない
それでも自分には替えがたい一国の「城」である
泥沼に脚をつっこみ八十年余
憂き世のしがらみと焦燥の明けくれ
生活の滓のような無精な垢が 出口のない
袋小路に追いこまれ身についてしまった2006年3月丸山肇氏撮影
自分はながいこと生活に行き暮れつかれた
廃棄物の堆積のなかで呻吟しなければならない
失意の夜半は自分の行動に愛憎(※ママ)もつきる
ふっと予告もなく想いを反省して
自分は思考の梶をとり問い糾した
嵐のような奇跡が忽然と現われ
無作法に拡げられた紙魚を払い
散りぢりになった部屋に坐ると
神がかりに憑かれた神妙さに
自分を督(とが)め天啓に似た閃きが愕然と
内奥のこころの底を見すかした
明日の、あさっての極く近いうちに
突如、異変を迎えるのでは……と
いま身辺をこんなに整理整頓しているのは
自分に迫っている不慮な予告を
絶対な次元の世界を予測できる全能者が
こんなに自分を追い廻しているのではないか
             (※1998年岐阜市文芸祭 市長賞受賞。作品としては詩人の本領をあらわしてゐないが米寿記念の作品。)


 祭礼の夜

みがかれた格子戸の深い庇の下で
暫く曳かれて屋台を待たせてもらい
ほろ酔いの男たちが一期の時を惜しみ
すてきな時の過ぎ去る一会のときを
想い出の頁に記録されたであろうか
御神燈にあわく着飾った娘たちが頬をそめ
明日は新しい出発の門出をもたれたろうか

一日じゅう獅子舞いの笛の音、鶏頭楽のカンカコの鉦の響きが
雪を残した丘々に谺した、と
異様に空気がざわめき人々が流れ動くと
街角に屋台の列が現れた
提灯に明るく燈が入ると
纓珞は触れ合いきらびやかに金色に揺れた
一年に一度の逢う瀬が滅入るように
沈むのは何故であろう
華やかな歓楽のあとに襲う孤独の哀愁が
多感だった少年の日とかわらず
老いてきた精神と肉体を苛む
 返り歌
曳きわかる屋台の纓珞灯に映えて高い山からの唄声街に消ゆ
             2001年 『飛騨新聞』


 百歳記

与えられた「時」はもうわずかで終焉とでも臨終とでも称えてくれてよい
先途がみえて冷静に考えなくとも肉体は老いの限度をよく知っており
もう寸時の距離で手がとどく
ひとは無責任にあなたは百歳まで生きられますと言って喜ばせるが
酷使されてきた五感が肉体の老化を察知している
茫洋として冥い道が昨夜も臥床とともに襲い
孤独の底に墜としいれ苛ませた

招(よ)んでいられるあなたは何方(どなた)さまですか
誰さんでもいい もう自分の腕力の及ばない
神や仏さまでは勿論でないことは確実で
信心もない無信仰な自分を導いてくれる
奇特な絶対者などいる筈がない
思えばながい戦(いくさ)がつづき不倖せな冬の道であった
生きてこられた九十年にプラス十年もの余命がのびることになれば
一つの悲劇ではあるまいか、と思う

今となればすべて成るに委せて生きることしか考えられない
血肉を頒けたものたちに世話にもならず
自力で身体の用便が始末できれば生きるのも意味があるかも知れない
自分の生きた時代は明治、大正、昭和、平成と四代一世紀ちかく
国が亡びてしまうと思われる戦乱に捲きこまれ
小学生の頃は人間の寿命は、人生五十年と教わり
幸い生きのこり醜態をさらし生き長らえた
百歳などは童話の国の物語であった。


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