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わに いちたろう【和仁市太郎】詩集『薄暮記』1967






詩集『薄暮記』



昭和42年12月3日 山脈詩派社(高山)発行 136p 17.6×12.8cm並製・謄写版印刷 頒価¥200


目次
序詩/今は遠く/薄暮記/老樹/えにしだ(金雀児)/山路で/山清水/墓地で(1)/キヤンブの夜/葡萄/霜の隣る夜に/辞書/孤り坐して/梅雨の朝に/血脈/雉/春の音/菊を移す/落葉/万年青/サルピヤの路/独白/遠花火/老梅/鶺鴒/祭りの日に/夾竹桃/蟋蟀/路傍で/柿紅葉/岳麓詩信/取組/湯の宿にて/ある夜/新しい年に/峠で/遠足/登校/早春/初冬の朝/藪柑子/日記/独居/一つの 感情/アマリリス/石碑/仔熊/黒き犬/秋刀魚/行路/胡瓜/洋燈(1)/訪問/小菊/山の湖/画布/コスモス/洋燈(2)/悔悟/墓地で(2)/ 湯の宿にて(2)/飯山寺詣で/雲について/夜の廃園の記憶/岳麓の谿にて/あなた/巻末に


【全文画像20mb】

【詩篇抄】



 序詩

ふたたび羞かしい記録をここにつくらせた
生きたこと 物を考えたこと
こんな人問か地上に育ったことも
無為にながい人生を徒食したことも
誰にも知られずこの地上から痕もなく消されて
丘の上の原っぱに葬られたい その上を子供たちが遊び跳ねてー
それはいっも心の片隅にある祈願なのに
むなしいこの業にとり憑れて
所詮私もまた世俗に生きる平凡な人間で いやらしい垢を塗りたくり恥を重ねてしまった。



 今は遠く

子どもたちが大きく育ってくるにつれて
父の手の届くところには棲んでいなかった
何を想っているのか想像の絶した世界で
自分たちの幸せを掴んでいるようだ

黄色に汚れたおむつをきたないとも思わず
河原に降りて濯いでは干かしてやった──
妻のいないときは幼ない子どもの細い脚の間に
おむつを十字にならべては取りかえてやった──
いつ応召の赤い紙がとどくかわからない戦いのさなか
風呂に入った時など真珠でも磨くように
丹念に背中にシャボンを塗っては洗ってやった──

幼ない子どもたちの未だ熟さない肉体と
爛まんな瞳にうつる喜びと悲しみを
いつもこころのすみに受けとめ
呼べばすぐ傍で応える素直さに
父の掌が支配する感覚と把握とで
若い父は幸福をはっきり抱きしめていたのに

しかしいまはもう世界の事情が違ってきた
巣を飛び立った小鳥たちは
自分の羽根で自由に翔び交い
かつて父の膝にだまって小便を垂れたことなど
ととっくに子どもたちは忘れはてている。



 薄暮記

夕ぐれが一つの仕事の区切りにピリオドをうって
柿若葉のほの明るく照りかえす仕事場で
つかれた貌(かお)に蒼じろい安堵の色がながれる
一日を駆使された伴侶の鉄筆を
しずかに命あるもののように机の上に横たえる

いつからか老眼鏡のなかで拡大された文字を
産卵する蚕の蝶のように丹念に
三ミリの原紙のますに並べてきた
もはや悔悟もなく慣らされた多年の習性に
一日々々よそみもせずに生きてきた
他人の境涯をうらやむことより自分の道に徹して
爾後の生を托さねばならない

今日なさねばならぬ予定の仕事が
順序よくしまわれた気安さが急に
一つの疲労を倍加させて私は暮れゆく
柿の木の上枝のその遠い茜色の雲のただずまいに
しばらく瞳を空虚にして眺めている。



 老樹

その老樹の傍らを通る時
人々は不思議な生命の厳しさとせつなさに
しばらく佇み瞳をそこへうつすであろう
細く華奢に垂れ下がった枝のさきざきに
緑の生命のしずくが点々と咲き
和やかな街の風景を春のなかに置きかえる
北風に粉雪が激しくその老いた肌をゆさぶり
いのちの絆もたたれる永い冬の間
じっと再び巡り来るものを待っていた──
生きていてよかったと思うものはお前ばかりではない
人生のいくつかの峠を越えてはきたが
溷濁なる絶望の視界につまずくようなある時間
孤絶にひしがれ岸壁に追い込まれ進退のきわまった時
一つの灯となってお前への思慕が始まる──
脈々と新しい力が体内のすみずみまで春を喚んでくれる。



 えにしだ(金雀児)

夕暮が庭のえにしだの芽ぶいた
緑の枝々の影をしっとりと吸いとり
薄明の幕が下りようとしている
きょう一日の平安な生活が終った祝福の鐘の音が
高い穹のうえで鳴りひびき
妻が貧しい食卓の飾りに智恵をしぼっている
やがて子供たちがつぎつぎと慣らされた習性で
その回りに嬉々と集ってくる──

しばらくでその団業の時間が訪れる前
わたくしはたわむほど蝶形の花弁をつけ
自己の重さに惑溺しながら微風に揺れている下に佇(た)ってみる
そこだけがほの明るく神でも棲んでいるのか幽暗のけはいがふかく漂い
近づける自分の顔が花の精に染まるように蒼白く浮きだされていよう

五十年のながい年づき多くの人たちに愛され
自分もまた微力でも精いっぱいの愛情を注いできた
ともかく自分なりに年輪を刻んできた
声を高くして幸福な過去だったと手を揚げよう
枝々の花群を徐々(ゆっくり)と静かに降りてくる夜への訪ない
この一つの自覚に明日はまた新しい生きかたを発見する。



 山路で

山肌には残んの雪がいのちを断つ瞬間まで
生きつづける姿に似て雪しろを垂らしていた
林業試験場へのぬかるむ山路を自転車を押して登っていて
振りかえって見ると雄大な乗鞍岳が裾をひろげ
間ぢかに高く潔い大理石の肌をあらわしている

十年、二十年のあとに──
その時自分は枯れがれとした墓石の下で眠っていて
子供が仕事の見積書や印刷物の納品に
いま歩いているこの坂道を登るのではあるまいか
その苦渋な容姿がほうふつとして眼に浮ぶようだ
貧窮と仕事に追われ寧日のない生活が
二代、三代と宿命のように血脈のものに押し寄せてくる
生れたことを素直に感謝したことは過去に幾たびかあったが
この頃「生れていなかったら」と、自問してみる時が自分を領してならない
薮笹が風になびき松籟の音が高い空で鳴っている。



 山清水

街の雑踏の巷のなかで、炎熟にとけるアスファルトの上で
追いたてられるように駈け歩く一ととき
ふと慈母のようなあなたに想いをはせる
地の底より運きあがる清冽なあなたの生活のうたに──

風に揺さぶられて鳴る風鈴にも似た
庭前の柿の樹に夕暮れの涼しさを撒いて鳴く蜩の声にも似た
あなたを想うと生活の疲れと暑気が一度に吹っとび
暑熱に喘ぐ炎天のもとで驟雨のように心を濡らしてくれる

峠のあの幾まがりの道を、今は誰も歩いて登るものがいなくなった
一日何百台のトラックやバスが砂塵を巻きあげて登りおりした
かつて、あなたの冷たい真清水に喉をうるおした誰もが
いまは見むきもせず、ここに泉のあったことさえ回想のうちに浮ばせない
私はよくその坂道を自転車を押しては登った
それが三伏の酷熱の時季であったら
流れる汗をふきふき楽しみに踏む足に力を加え
車を止めて道したのあなたの傍にいつも立ち寄った
大きい楓の古木の根もとで、あなたは人が知ろうと知るまいと
こんこんと汚れも知らず湧いている山清水
小さい砂礫の粒がリズム正しく洗われるようにもくもくと溢れ湧くが
濁りもせず清らかに沸々と湧きあがり谿に流れる
深い山懐ろの岩のすき間を沪過され
蒸溜水となって雲の流れるのを映している泉

あなたは立ち寄るものを拒もうとせず
誰にも同じような美泉の甘露を掬するものに与えたのに──
今も年ふりた楓の根っこで一秒の狂いもなく
あなたは借しみもせず溢れる清水を湧かせて歌を唄っている。



 墓地で (一)

わたくしでも こころの隅の底に
記憶し温めて懐しく思わなかったら
あなたを知っている人は
この地上にもういなくなってしまう
はやあの時から五十年か過ぎてしまった
油気の少ない蓬髪に白髪が年ごとに増してきて
わたくしの人生もたそがれのかなたに
ピリオドをうつ境涯に置かれることになった
早春の雪のない故里の街をはるかに望まれる
丘の上に久しぶりに立った
周りには華やかに磨かれた石碑が
妍を競って世にあった時の栄誉を誇り建っているのに
あなたのは高原川から拾い上げられた自然石の墓碑で
その上を土地の童児たちが踏んで遊んでいても気づかれない
若く、美しく、十九の秋、胸を患らってみまかったあなたが
幼なかったわたくしを負ぶってくれた記憶は
母の時おり語る伝説のなかで今日も花を開かせてくれる
一握りの線香にする火でを点けると紫の煙りが
枯草のうえを流れてゆき
思いっきり冷めたい水を自然石の墓にかけると
胸のなかを言葉にならない安らぐ想いが通りすぎていった。



 霜の降る夜に

こよいおそい霜がおりるのだろう 冷えびえと
幼ない蛙の鳴きごえもとぎれる
印刷機のしたに素足を組合せて
自分の体温で自分を温めている
この世に自分のほかに頼るものがなかった私が
二十余年前の雪の霏々とふる一月の終り
神原峠のけわしい幾曲りをトラックの上で
荷物と一しょに凍えて運ばれてきた
縁者もいないいとなみの術も知らない若い一途に
なりわいの拠点をうつした無謀の出発が
いつも頓めるものは二本のほそい腕であったと思う
登校のまえに朝あさ牛乳を配ってくる少年も
父を亡くした近くの母子寮の童児たちにも
非情な石のように冷たい眼で生育を眺めてやれるのは
そこから負けずに立上って貰いたいため!
負けん気の剛情な雑草の根のような
しぶとい生活力が心のうちに宿って貰いたいため!
自分で自分を温まらせ さなぎより還る蝶のように
二つの足を重ねて暖をとり一枚々々紙を刷ってゆく。



 辞書

その日は街に粉雪かさらさらとふっていた
私の手に大槻文彦の「大言海」が握られていた
雪が掌や頚にふりかかっても冷めたくはない
ごむまりのようにはずんで脚が
さくさくと雪をふんで家路にいそぐ
ずっしりと手応えのある重量感が
わき上ってくる喜びを内省させる
なめし皮の濃い茶色の背に金文字で
「大言海」の文字が金色にさんぜんと光っている
昔のように言うならば菊倍版二千数百頁
その代金三千七百円なリ
一代の晴れがましい失費にこころふさぐものがある
三十年私の胸のなかに燃えつづけた悲願が
雪の道を酔うように私を歩かせていた。



 孤り坐して

夜業を終えて離れの仕事場から棲みかに帰ると
もう家族のものはしずかに寝ていた
疲労が急に襲い空腹が寂しさを増してくる

裏畠に出ると十七日頃の月が
中天に明るく冷たく懸っていて
ねぎ畠の葱に銀いぶしの霜が降りている
私はつるし柿のよく熱したのを撰び
二つばかり縄を解いて家にもちかえる
くる日ごときまったように仕事に追われて
自分をかえりみ物を書く時間も与えられない
今日は師走の半ばを近く
私の人生もことしのように既に終った

独り食べる熟し柿が臓ふの底に
冷たくとけこんでいった。



 血脈

期せずして
二十一日は私を育ててくれた父の命日
二十二日は私の本当の父の死んだ日
九才の秋、実の父が死んで四十七年
育ての父が敗戦の暮に逝って十八年
この二日つづく父たちの死んだ朝の一とき
仏壇もなく箪笥の上に
戒名だけを安置して祭った霊前に
一ぱいのお茶を供えることにしている

声咳に接したこともなまの顔も知らない子どもたちに
縁のないはるかに遠い血脈の人と嘲っているだろうが
私にしても無信仰に近い日々の生活のなかで
霊魂などの存在することは信ぜられないが
こうしなければやりきれない寂しさに
せめて私だけでも生きている限り
かすかな想い出をかきたてて朝のひと時
父たちの御魂にしばらく話しかける。



 

窓をあけて庭をみた
庭にはいちいや柿の木、藤、松などが雑然と
積った雪にあらがって立っている
降りつづいた雪がやんで原色の蒼い空がまぶしく目に飛びこんでくる

山王の裏山の禁猟区から飛んできたのだろう 雌の雉が三羽
枝々の先きに残った錦木の実を啄んでいる
翆り黒くつやめいた羽毛が陽に光りかがやき
眼は柔和に赤く賢こく空をうつしている
私と二間ほどしか離れていないのに安堵した姿勢で
人間を怖じることも疑うことも知らず
啄ばむ觜を休ませたあいまに
じっと私のほうを眺めている。



 春の音

家のものが寝しずまって自分の耳だけが
暗やみのあやめ(※文目)もわからない空間を
静かに訪ずれるその声をきいている
枕もとの頭のすぐそばの土壁をへだてて
溝をながれる水声のとうとうたる
春を呼ぶ声をきいている
暖かい雨が一日ふって雪の消える
点滴の屋根をたたく音がきそく正しい
一つの諧調となってさやさく
なまめいた風に水かさが増して
そうそうと春のちかい山飛騨を訪ずれる山気が
寝部屋にいる自分にせまってくる

糊のきいた敷布をかぶせた清潔な蒲団に
ながながと横わりふと残された人生について考える
ことしも春に巡りあえる喜びを
しっかりと心耳にうけとめると
「自分はこれで幸福なのだ」と自分に言ってきかせる。



 菊を移す

その日の夕暮、私は白菊の苗を移植した
新しい素焼きの鉢に肥料などを交ぜて──
梅雨にはいった頃、挿した菊は伸びて
もう永い間無言の訴えを送っていたろう 鉢に移されるのを──
責められるように負担が心を重くしていたが
今日すこしの暇をみて責任が果せた
秋には大輪の白い菊が重たく粧うであろう

私もいつか五十才になって
他人にいくたびか偽られだまされてきた
人間でないものに信頼をかけ
愛情を注いでみたかった
横に出た柔かい芽を爪で調え
病葉を根気にむしりとったりした

夕食の膳に妻の心づくしの一本の徳利が出て
盃をもった手に菊の香がほのかに移っていた。



 落葉

秋には珍しい小春日和の温かく
香ぐわしい落葉の匂いに甘えて一日を無心に
公園の樹のあいだに遊びつかれていた
二人づれの若い人たちの姿も一組一組
腕をくんだその顔にみちたりた想いを輝かせて
桜並木の坂道をしずかに降りていった──
さらさらと風が生きもののように葬らいの唄をうたうと
色とりどりの落葉は舞いあがり吹き寄せられていった
僕だけが静寂に還った大地にしゃがみ 逝く秋の言葉を聞いている
きょう一日を耀やき平和に自転しつづけた太陽が
遠い白山のかなたに沈んでゆこうとしている
にぶい落陽の閃めきが裸木の木立の群れを
巨人の脚のように影がながく尾をひいて
僕はぎょっとその影におびえて立ちあがる
誰か呼んだようにふと馳けだすが
遠い誰かの木霊であったか知れない。



 万年青

二本の柿の樹が夜の幕(とば)りのなかで風葬をつづけていた
木枯らしのふきつのる深いよる、低い枕に臥している破璃窓のかなたで──
葉の一枚々々が諦悟のおもいに大地に還ってゆく
彩られた錦の豊麗な色素を惜しげもなく──
その下に植えている幾株かの万年青(おもと)が濃い青さを拡げ
霰から雪にかわったけさの庭に
誇った姿勢でつぶらな朱い実を髪挿しの珠のように耀かせている
いきいきと、身にふりかかる雪と
凍み徹る寒さに抗らって明日の運命も知らず
自分を活かしきった生活の確かさ 気高さ
私も負けてはならない叱責の声を
朱い実の一つから聞いた、確かに耳朶に厳しく
造物主の神はそこにただずまれていた。



 サルビヤの路

ことしの夏がゆく高原の町では
どこの空地にも花壇が設けられて
サルビヤの花が王者のように咲いている
傲岸に血しおをほとばしらせ
いちように秋を喚(よ)んで真赤に咲き競っている

むかし親しかった人の訃をきく日──
友情のきずなは永久に断ちきれてしまい
還ってくるのはただ苦渋な後悔の想いと
のこされたものの独り歩く寂寥だけ
悲しみを語るすべもなく 赤い花の路を歩いていった
逝く夏の太陽の直射をあびて サルビヤの花は不吉に
影もおとさず原色の氾濫は私の頭脳を狂わせるようにつづいていた。



 遠花火

人びとの流れより離れてきて山裾の田んぼのわきで
独り遠い街の上の花火を観ていた
あたりがもとの静けさにかえると
足もとで虫たちが競って合奏をはじめる
いちめんにつづく穂のはらみかけた稲のうえを
涼しく渡ってくる徹風が甘ずっぱい香りを
鼻口にくすぐったく戯れ去ってゆく

美しく華やかな七彩の火の宴が
夜空にさまざまのレースの模様を描いては
はかなく闇のなかに消えていった
ちょうど私が希いつづけた人生の夢が
空しく散りじりに壊されていったように──
散り去る時にもなお晩節を美しく飾った花火
私もいつか老醜といわれる時代に入ろうとして
美しいいのちの滅ぶ時の華やかさに憧れる
独りでいると華麗なる饗宴のあとの寂しさが
倍加された深さに自分が突きおとされ
明るい街の人の群れへ戻っていった。



 夾竹桃

花が咲くまでそこにやせたひと群れの花茎が
落合っていることも忘れさせているが
時秒の推移がただしくあまねく恵み
紅い花がその存在を知らせるように咲く

私たちのように 私たちの生活のように
肩を抱き手を組んで同胞のものが絶えず嵐のなかにたっている
人に忘れられ 社会からうとまれて拠り処もなく
花を咲かす遠い日のために草むらのなかにたっている。



 蟋蟀

秋が訪れた清々しい夜の気配に
湯槽のなかに瞳をじっとつぶっていると
今年もまた一匹の蟋蟀が迷いこんできて秋を奏でている
事務を引継ぎする忠実なる官吏にでも似て
忘れずに正しい時の到来に歌うべき宿命を鳴きつづけている
せまい風呂場の隅のすり減らした糸瓜の蔭にでも身を隠しているのであろうか
静かに飛沫もこぼさず湯槽から出て
鏡に向うとのびた髭を根気に剃っていた。



 柿紅葉

汽車は宮川に沿いごうごうと朝もやの鉄橋を渡った
白い霧がはれると山がすぐ裾をめぐらし
霜月のうすら寒い太陽が真上に顔をだした
家いえをとりまく柿の樹の植込みは
真盛りのたわわに垂れた橙の色も深く
柿紅葉の葉もつやめいて饗宴のひとときを拡げている
雨と嵐と雪など一年の営みは惻々と厳しく
安らい日とてなかった

生活にゆとりのある村人の落付いた足どりに
収穫の悦びが現れている
すでに白い土蔵の壁に串にさされて乾され
熟してゆく果実の醗酵する甘ずっぱい芳淳の香りが漂っている
このあたり光寿庵という寺院の趾があって
布目の古い瓦などが出土している。



 湯の宿にて

山岳にかこまれた湯の宿の朝まだき
真夏というのに底びえする静蓋な夜の続きなのに
雀や鶺鴒、うそ鳥などの饒舌が
湯づかれの身体をもの憂く現実を呼びさまし
私はしばらく床の中で腹ばい
その嬉々とした羽根のすり合わせる繁殖の
囀りの音をじっと聞いている

きのう高山からバスに揺られて登り
また羊腸の平湯峠の緑したたる樹液と
原色の盛りあがった色調が
網膜の底にはっきり印象されている
窓をあけると斑らに雪を残した
四ッ岳の褐色の荒い岩肌が非情にまで
鋭どい壁となって威圧するように立ちはだかっている

わずか一夜ではあったが恵まれた人生のこよない奇遇は
私につきまとう意地悪い神様もきっと
貧しい一生に幾度とない饗宴に微笑され
祝福の言葉をそっと洩らされて
厳しい現実に垂幕を降ろされ
しばらく世間の現実と遮断されていよう。



 登校

霜のいぶし銀に降りた道を二人の子供は
ランドセルを背負って学校にいった
妻が倦まずたゆまず毎朝お下げに髪を結いあげ
時に紅く時に黄色のリボンを飾ってやると
宿命のように素直に古風に
一つ違いの女の子はふた子のように仲良く
お手々をつないで家を出る
木ざわしの柿の実が一つ一つ朝の陽に耀きかけた下を──
その後に「もりの小人」の歌声が合唱となり
余韻をひいて流れていた
倖せな無風帯な一日が今日も
ほどちかい学び舎に子供たちを待っている
父と母とが何か満ち足りた想いでうなずき
そっと顔を見合せ窓の硝子戸を閉める。     (※木ざわし:樹上で脱渋した柿)



 早春

せまい湯殿で埃っぽい髪を洗った

雪が溶けてトタン板に点々と滴が春を喚んでいる

今日街の花屋の飾窓でシクラメンの紅い花が
おりから舞う牡丹雪の白い花弁に染ってふるえていた
春を待つ自分のように──

自分に成し遂げられると思ったもろもろの自信が
淡雪の消えるように遠のいていった
未径験はいつも若さを帯びていると思い
来たるべき花咲く時節を待っていたのに──

さわやかに濡れた頭髪をストーブで乾かし
一ぱいの番茶に喉をうるおした。



 薮柑子

正月を間近く太陽があたたかく照って
静かに音もなく霜柱がとける庭で
童顔の老翁が薮柑子の若木を幾本か鉢に移していた
鼈甲の簪の珠のように朱いつぶらな実が
その顔に明るく映えて喜悦に興じている姿が
過誤もなく生き抜いた七十年の生涯を
静かに辿らせたことを語っている

棗の小枝で群雀が先刻から白い腹をふくらませ
暖かい日射しに何かを囀っている。



 黒き犬

長くふり続いた雪がやんで
夕暮がその雪の背を辷ってくる
山につづく坂道を躯まで埋める雪をこざいて
一匹の黒い犬が思案にあまった面もちでのぼっていった

自分の貌にときどき現れる不安と憂愁
世を拗ねた挙動に似る孤独なる二つの瞳

その奥に人も棲まぬ雪路を
幽かに残光に照らされ何かをもとめて
犬はのぼっていった。



 雪景

遅しい脚の猟犬は慣らされた技巧とその本能で
獲物を見つけ雪煙りをあげて飛んで行った

藁で作ったはばきを足に巻き
樏(かんじき)を履いた猟師は銃を肩に
ゆっくり名優のように落付き迂廻していった

清流は一ときわ音をとどめ
樹氷をわたる木枯も一瞬止み
舞台は一発の統声を待っていた。



 訪問

雑巾をもつと露ぐさが咲き野菊が二輪三輪ほころびかけた小路を流れに下りていった
昼の蟋蟀が跫おとに鳴声を止めず叢をふるわすように啼いていた

今日これから都で大きい雑誌を編集している人と会うことになっているのだが
なぜか足の裏を洗ってからでないと会いたくないと思った

流れは秋の色いろな草ばなを映して清しく
汗がにじんでくるほどの好い陽がそそいでいた。



 小菊
     ―故里の老いたる母上におくる―

子供たちが軽く寝息を夜具の上に波うたせ
更けてゆく部屋に静安が訪ずれると
机の上の小粒の群咲きの白菊が
しんしんと匂ってきてあなたへ思索がはじまる

菊の咲くころ生れられたあなたのお名前のように
お母上よ ふくいくと私語くように
匂っているのは小菊なのてしょうか

真実に子供のために生涯をかけてこられた
七十年にちかい一途への捨て身の愛情
秋も逝く今宵ふる里の家の貧しい二階の
暗い灯のもとで昔ながらのおさの音を
とんとんとたて機を織っていられるお姿が
とだえがちの虫の音にまじって浮んでくる。



 山の湖

 険しい路であった。氷壁にゆく手を遮ぎられ、はばまれ、身をよせた絶壁で一歩みはずすと深い千仞の谷がロをあけて自分を呑もうとしている。脚に傷を負い、目がくらみ、身を托した尖った石に腕のしびれるような圧力をかけて生死の間を彷徨する。一つの岳を越えるとまたより峻嶮な次の岳が毅然と聳えて行手をとざす。稀薄になった空気がひりひリと咽喉を痛め、山麓で唇をうるおした谷の真清水の音がりょうりょうと耳の底に聞える。疲れた足に重たいりュックがかがんた背を圧して這うように次の岳に目を移す。生き抜かねばならない。どうして自分だけこんな苦行に生きねばならないのか、 どこかで子供たちの声がする。「お父さん!」夢寐のなかにも忘れられない分身の懐しいその声、それを背後に聞いたようにおおもい踏みこえなおも山嶺めがけて登攀のピッケルを岩壁の尖った肌にカチンと打降して登ってゆく。獣のように登ってゆく。

 急に視野がかわった。濃霧が切れて遠のき、さっき越してきた岳々は遙か彼方にはじらうように薄く化粧している。生きていてよかった、夢幻のなかの記憶をひとつひとつたぐり寄せるように、わたしの視覚と聴覚の覆幕がはがれ、焦点がととのえられ、現実の自分に還って、周囲を見迎すと湖水の傍にたどりついていた。美しく清澄に透きとおった水底の小石までが一粒一粒数えられる碧い水が、ゆさゆさと豊かに満たされ、かって人跡の印されたことのないその周囲の岸辺には、名も知らない白い花が繚乱と咲き乱れ、汚辱を知らない処女の瞳のように美しく見開いていた。漂う白雲を胸まで白く粧った岳々と、緑の若芽を吹いた橡や楢の若い林が、まつげのように繁り逆さに影を落していた。うるんだ優しい智慧を現した湖水、焔のように青く燃えて抱擁しようとする深い愛情、清楚に清々しく孤高に誇りを秘めて誰か訪なうものを待っている湖水、情感にほとばしり溺れるわたしの胸の鼓動も言葉も知らず、さざ波一つたてず山上の湖水は理智と哲理に輝き、冷厳に千古の静寂を破ろうとしない。ここは人煙のはるか遠い禁断の孤園、地図にも載っていない破滅の湖水てあろうか。



 コスモス

 幾度かの颱風にもまけずコスモスは細いなよなよした茎にいま薄桃色の花弁を群がるように粧おわせた。この花を見るたびに私は日本女性に負わされた宿命といったものが象徴されているように思われてならない。種子も蒔かないのに春さき裏畑の隅などに、何本かのコスモスが芽吹いているが、それが秋になると一丈にも届く草だけになって、うだる三十度の暑熱にも、風速十五米の暴風にも抵抗し、折れそうでいて折れもせず遂に花弁をつける。薄いせんさいの縁の葉と淡紅色の花、この対照の清潔さ、真紅の花はあくどくて好きになれないが、コスモスはやはり淡紅色に止めをさす。
 一日、秋の陽がさんさんとふり灌ぐ午後、鉄筆で痛む指を撫でながらその丈余の花茎のもとに行った。「コスモスが咲きますと、今年も済んだと思って寂しいですね」と、近くの夫人が挨拶して通られる。ぶんぶんとかすかな羽根の音をたててこの花苑に集まった無数の蜂が、僅かに残された命を存分生き抜くように飛んでいる。蜂の命と私もなんの違いがあろうか。やがて迫ってくる恟々たる長い冬の足おと、しかし花弁は何も知らぬげに、今日一日を優艶に粧いをひろげている。



 洋燈(らんぷ) (二)

 少年の私は洋燈のホヤの掃除係りであった。七、八寸の製材屑にボロをまるけてしばり、ハアハアと息を吹きかけて磨くのであったが、ホヤは正直もので美しく澄明にみがいておくと、喜んで精いっぱい明るく応えてくれた。骨おって磨いた洋燈に石油を満たして吊り、味噌汁に葱の香などたちこめると、貧しくとも夕餉を待つのは楽しかった。早くおとなになって働き家を興さねばと独り誓う少年であった。
 若かった母は土間で糸をひかれた。繰り枠がカラコロとまわると、鍋の中の繭が白い蝶のように踊り、身は薄くはがれて昇天してゆく。私は面白くそれを見守っていた。『大繭を五っ鍋もひいたぞ』と母は子供らへ炎天の路地へ打水をしたように声をはずませて仕事をしまわれる。ガランとした室に天井から吊るされた洋燈、その下で拡げられる貧しい夕餉、父と母と幼ない弟妹とそして私──。
 私はいつも自分の存在を洋燈のようにありたいと願っている。暗い星明りほどもない絶望の人生、私の少年時代のように、光りを求められなかった人生──暗い世間の人たちに私は燈びを点じよう、明りをともそうと。たといニ分しんの洋燈のように細いほのくらい灯であっても、百燭のネオンより時に親しみはあろうと。



 墓地で (二)

 故里を離れて生活するようになって二十年経った。時たま故里に帰省すると、きまったように町を一望できる先祖の墓に詣でることにしている。子供の私の肩のあたりまで背が低くなり、自髪のとみに増した母はよりそってきて、大きくなった子を見上げ、『よんべの夢見がよかったら、ひょっとするとおみが帰るような気がしたよ。』と言う。その朝は霜が深くおりて裏庭の白い捨て菊などをかかえて墓にゆくのだ。『とっつあまの大好きな水やった。』で、と、藤波橋の上手の石段を転げるように下りて、こんこんと湧いて出る水を汲んでくる。父と後ぞいの夫と二人までここに葬った母は、年ごとに気が弱く信心のこころがきざしてきて、念仏講などに精を出しているという。
 私は昔も今も神や仏をあるともないとも思わず、ひたすら人びとに損をかけない生きかたに、信じあい助け合う生きかたに、後生も極楽も日々の現世のなかにあると思ってきたが、故里に帰った時はつとめて逆ろうことなく母に随って、お寺やお宮に詣でることにしている。老い先きの短かい不幸なる母の生涯を思うと信心のこころをかき乱したくないと思う。
 こうして母と子と語らいてゆく日がもはや幾度恵れることであろう。孝行することもなく老いを刻んでゆく母、責められる言葉もなければなおさら四十の子は自責の鞭に打ちひしがれる。
 鉱山のある故里の町は帰省するごとに変貌を加えてき、機械の響音と煤煙は町を覆っているようであるが、墓地のみは昔の郷愁をじっと堪え、冬のちかいにぶい秋の陽のなかに透くように碑は立っていた。



 湯の宿にて (二)

 宿の三階の窓をあけて湯にほてったからだを乗りだすと、四ッ岳の截りたてた荒々しいセピア色の岩壁が、肌のところどころにまだ残雪を白く耀かせている。
 きのうバスに揺られて降りてきた、つづら折り幾曲りの平湯峠は、緑に盛り上った油絵のようにむんむんと青い樹液を発散させていた。栃は白い花を真盛りに飾り、馥郁と窓からそれとわかる匂いが忍んでくる。白樺の樹は若葉の間にこの世の穢れを知らぬ童女のように清純にはにかんでいた。春蝉と幼ない鶯の声が競って鳴き、ここでは春と夏が同じ画布のなかに棲んでいて、記憶は逆さに回転させたフィルムの影写のように、きのうと今日の連関が遠い涯のように思えて、秩序ある時間を整えるのに私は少し冷静に、時間の推移について考えなければならない。
 ながい親たちの労苦の営みがようやく理解される年齢に達した四人の子供たちに、好意ある餞けの言葉に奨められて、妻と二人いっしょになってはじめて九里の道をいで湯の客となった。澄んだ太陽の光とオゾンに満ちあふれた高原のいで湯の、夏の訪れの晩いここでは夕暮は早く岳々の肩よりすべり落ち、家においてきた、留守をまもっている子供たちのことが雨のように心のうちを通りすぎる。
 生きていてよかったと思う日は数多くあった。苦しい日々の営みであればこそ、生き抜きたかったのかもわからない。永かった或は一瞬のように過ぎた、三十年に近い吾々の越しかたの日記に特記される好日であった一日、自分をもてあます僭上の沙汰に、まゆのごとく幸せにくるまり、蝉時雨の音を天じょうの声のように聴いていてひととき忘我のなかにいた。



 岳麓の谿にて
     ―戦死せる山口義勇に―

 あなたはもう還ってこない。おん骨も遺髪も書きのこされた一つの詩片も還ってこない。あなたの高い英知と美しい肉体は、熱帯樹が繁茂し爬虫動物の匍うジャングルの泥土のなかに、杏い遥かな祖国を思い千古の眠りにつかれてしまった。
 饑餓をしのぐたたかいの厳しさに、山菜を摘む手をやすめた谿流の傍らで憩うーととき、わたくしの心のなかに還ってこられたが、一言も語られず、 微笑のみはその明哲の顔に浮んでいたが──ああ、それははかない夢幻の一瞬に過ぎない。きょう遠く岳麓の谿に傾むく急斜な山腹には、野生の人参の花は真白く咲き、花を分けて降りると白い花は足もとにこぼれ散った。深く喰いこむ湿った大地を、地下足袋の布をとおして冷めたい水がにじんで来てひんやりと、遠くへきたことを自覚させる。
 あなたが還って来られたわたくしの傍に、三十年の友情が堰をきって固く手握りあう、あなたが語る、声高くさくさくと、戦塵の激しく敗退に荒野をさまよったことを。わたくしは語る、小年の日、ひとりの娘を愛したことを。ひとことも交えず二十歳の夏に胸をやんで死んでいったその娘のことを。 磨かれた川原の小石をもてあそんで語る。交々と語ることは子をもつ親の苦しさと、喜びと、生きがたい世にはらからのものを生き継がせてゆく糧を集める苦労である。ふたりは谿流を前に、淙々たるたぎち流れる水声に魂をひたらせ、忘我のうちに時が過ぎた。
 あなたはもはや其処にいない。あなたはいずこかへ立去った。わたくしのそばを白蝶がとび、谿に沿って白い衣粧を飜えし去っていった。冷んやりと風が頬を撫で頭髪をなびかせた。ひとり谿岸の小石原を歩いて大きな巌にくると、滴して落ちる水をうけて、山葵の葉が緑の風にそよぎ、白い花はあなたの貌のようにわたくしを招いている。



 巻末に

 昭和三十三年春『禁猟区にて』を出版してから十年ちかく、その間、高山で発行される新聞や同人誌に発表した作品ならびに、戦後の作品で前者に掲載できなかったものなど、六十六篇をもってこの詩集を編集した。

 前著によっても想像はできるのであるが、本詩集に対して、世間がいかなる批評をくだすか、またいかなる時壇の位置を示すかということなどは、私には残念であるがよくわかるのである。古風で、自然主義的で、低徊趣味で、恐らく文学的には革新、新鮮味などというものは一かけらもない。朝日新聞が「今日的な意義といったものを別にすれば、平凡でつつましい生をいとおしむ心が、山国の自然と溶け合ってかもし出す叙情は清潔。」と、この過分?の批評紹介は、今度の場合も大同小異であろうと、寂しくはあるが自認せねばならない。平易で、観念的でただ自己の周囲をぐるぐると、目隠しをされた馬が、庭で、よそ見も世ず一本の中心の木に縛られて、絶えず回転しながら労働する中国の風景をなにかでみたことがあったが、そのように私だけは社会や政治というものに、目をおうて(※覆って)自分を凝視してきた。謂うなれば私の詩は、小説でいえば私小説に対していうと同じで、詩型式で自分の回りを描いてきた。
 面白くもない、作者といえどもやりきれない感慨である。
 しかし反面、現代の多くの人たちが、自己や人間、社会というものを洞察し、自己の精神に厳しく立ち向うという態度が欠除していることは、現代の大きな病患であると思う。

 人間不在の物質万能文明や、高度に機械化された社会機構は、人間本来の生き方の根本的な過ちを冒し、人間が従属的に生きてひきづられているといっても過言ではない。ひとつここらで本来の人間性をとり戻し、せめて静寂なる朝のひと時、夕暮の陽の沈む一瞬、草原で、巷の一劃で自分の心に静かに自問してみるのも決して悪いことではない。勿論、私は自分の作品がそんな反省の一助となるなど僭越な精神は毛頭もっていないが、こういう世俗的には敗者の生き方も、好むと好まざるにかかわらず、業苦のように私に課せられた宿業であると思っている。一昨年から原紙にむかって筆稿し、去年は忙しくて一枚も書けず、今年にはいってまた暇をみて製版してきた。もう還暦もまぢかく目前にむかえ、孫たちも三人にふえようとしている。そうした境涯を思うと四十年以上詩作をしてきたことは、無駄な詩業に、再び巡ってこない貴い人生を一かけたことが悔やまれ、哀れに思われてならない。
 幸い私の子供たちは、詩などに一人も興味をもたず、愚かな父の所業に冷然としていてくれることは、私には一つの救いでもある。
 妻や子供や、また老いた母に慙愧の念を以って一言ここに記しておきたい。

 ご覧のようにこの詩集は内容、印刷とも、詩集の草稿のようで、世間の識者の顰蹙を買うことと思うが、私はまた浅薄な内容とともに、こんな読み捨ての型式の装丁もそれなりに気楽でよいと思っている。仕事着のように、普段着のように、晴れがましい所に飾られもできない作品、しかし、これが本当の意味の真蹟版なんだがなァ、とも思っている。

 ともあれ既に自分の処から飛びだしていったこの分身は、もはや作者の意志を離れて行動するだろう。

 一つの峠の頂上に立ってまた次の人生の峰に対っている。限られた生を充実させるために、更に生活し、思索し、詩作して生き抜いてゆかねばならないと思っている。大方の忌憚のない御批評、御叱声を賜らんことを。

  昭和四十二年九月八日

      初秋の岳のよく晴れた日              和仁市太郎

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