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わに いちたろう【和仁市太郎】詩集『石の獨語』1939






詩集『石の獨語』


昭和14年2月15日 山脈詩派社(高山)発行 113p 17,5×14.5cm \0.40並製・謄写版印刷160部 定価¥0.40


目次
母へ贈る詩/アート紙/ザラ紙/模造紙/バッタ/終幕/除夜/蔦/放浪/新聞/分水嶺にて/小犬/習慣/凝視/時雨の辞/老齢/ 渡り鳥/枯れ茗荷の詩/自嘲/鶏/無題/夏夜/石の独語/短唱/常夜燈/諦らめ/忍従/血/故里詩譜/生きる/諦念/浅春/下/畦で/愛情/母へ/病みて/花によせて/犬/終焉/思慕/声/夕焼/仮睡/高山詩抄/Kに寄せる詩/清貧賦/山峡詩篇/或る夜/秋思/暮景/ 五月 の詩/短 夜/秋/生命/銭湯で/いのちに/憎悪/高山駅にて/冬日詩抄/老父/あの道/蛍/母/功徳/機智/早春記/年忌/段階/藤橋/手よ/朝/馬/寒さ/道で/或る夜1/或る夜2/少年の日へ/真夏/あとがき

【全文画像79mb】

【詩篇抄】

【短評】
家族への愛情深い眼差しを写した詩を中心に、共同体を軽んじない彼には、在日朝鮮人の苦労・悲哀に同情する詩と、南京陥落の報せを受け在日中国人の身の上を“歓喜”を以て察しようとする詩とが同じ詩集の中に同居するといふ、いはゆる戦時色が濃くなってゆく中での一般日本人の心の在り処がそのまま映されてゐるのが興味深く読まれます。


 除夜

もう何時間か後には東山につらなつた寺々から
除夜の鐘が打ち鳴らされるであらう

私の横に黙々と湯に肉体をもてあそばせてゐた支那人の生身が
濁つた湯をとほして私のからだに触れた

挨拶も交したことはないが
この近くに住んでゐる顔見知りの支那人の肌は
私達と同じ黄色人種であつた

稚気なこの発見が当然なことであつたが
敵と互ひに呼び 尊い血潮を山河に
彩られねばならなかつたのか

南京陥落の号外の鈴の音が
勇ましく若者の腰で鳴つて
街は歓喜にうづもれていつた十二月十日

あの日もこの支那人は私の前を歩いてゐたが
走り出して一枚貰ふと立止つて読んでゐた
あの時の顔に現はれた憂愁と安堵の似た交叉した表情

ああ四億の民衆を焦土に立たせ
あくなき抗日の幽霊にとりつかれた
蒋介石政権の亡び去るのを喜んでゐるのであらう

亜細亜の歴史は大いなる廻転をし
祖国の危機は旧年と共に去つて
いま新しい黎明と共に近づいてくるのを
彼の想念の中に走るのであらう

手を出して握手でもしたいのを私は堪へて
浴槽の中から彼の思索を破るまいと思つて出た。



 時雨の辞

遠い山は時雨れて霙にかはりさうな冷たい雨が荒涼とした山肌を叩いて降る

芒の白い穂が揺れ、葉の落ち尽した樹々が冬を前に粛然と立つてゐる

川に沿つた道が二つに別れ一つは坂道となつて山に入つてゆく

学校の帰りらしい子供が二人その坂を登つてゆく
風呂敷に包んだ書籍をしつかり小脇にかかへ
一人は荒縄で平たい桶を背に負うてゐた

灰褐色の野面に雨が冷たく降り、傘もたない子供の姿が芒の間に隠れ又現れる

昔ながらのにぶいランプが二人の帰りを待つてゐて その下で親子が互に労り合ひ
一年一日の如き食膳の語らひが炉辺で楽しく話されるのを思ひ浮べた

子供の後ろ姿を見守つてゐた私の姿を、誰か又その後で眺めてゐる眼を感じた

私もやはり寂しい子供の姿とどこが違ふかを自問して見るのだ

時雨が冷たく自転車のペタルを強く踏む車輪を洗ひ、垂れた肩と古びた帽子を寒々と濡らしていつた。



 無題

油気のない赤くきれた手の甲をさすやうに雪が降つた
慣れない背に重たい冬籠りの薪を負ひ
鉄路を渡り刈りとられた稲株の上を踏んで幾度か往来した
これで春三月迄は焚けると妻は去年の家計簿から目をはなして言ふ

ずきずきと背筋の痛む身体を臥床に横たへると
何だか心のくつろいだものを感じた



 夏夜

何かの用で更けたその暗い道を通つた

炎熱に焼かれた高いコンクリートの塀壁は
まだ無気味なぬくもりを放つてゐた

この壁一つ向ふには交際を絶つた別個の世界がある

壁に耳をあてすましてゐると底も知れない空洞の中から響いてくるやうな音が小さく聞こえてきた



 石の独語

或る人間の足に蹴られた私が、満身の力で踏止る
絶壁を転落すれば瀬音激しい蒼い流れである
世にも怖しいここは運命の岐路
幾つかの仲間がここから無惨に突落され
早瀬の底に人を詛(のろ)つて流れて行つた
日の光も届かない深い底で
頭を割り、手を削がれ、足を折らされた
再び立ち上れない痛手が仲間の生活を襲うた

風雨にさへ私の生死は決定されようとする危急の際に
またどこかで足蹴にされた仲間の一人が
断崖を背に踏止つた私の正面から礫となつてぶつかかつてくる
考へもなく突差に手を組むとその顔も見定めず
私達は世に負けた哀歌を唱つて
まつしぐらに水面に身を躍らせた。



 忍従

峠の下から蛇のやうにうねつて吹き上げてくる霧が
またたく間に登つてきた道をつつんで
シャツまでも濡らした重たい躰を
千尺の空にたたせると音を立てて覆つてしまふ

間道を下りる三人の朝鮮の人達の肩も垂れて
トランクを背負つた前の背に無言で瞳を移してゐる
あなた方でなければ語れない真実の言葉が
胸底の中にしまはれる
〈語つてもどうにも仕方がない故に〉

ひもじくない日々が仕事と共に待つてゐてくれと祷る言葉が
しまひには自分への頼みに変るのだが──

傘もたない人たちに雨さへ情(つれ)なく降つて
山に咲く白い木蓮の花々が
山深い細い道を上りくだりする旅人をどんな心で眺めるのか
自分は暗い心で自転車(くるま)の後を押してすぐ近い頂き目指して登つてゆく。



 故里詩譜

ほそい流れに沿つて坂をくだると小さい橋が架つて、そのそばに昔のままに少年の日をよみがへらせて人も住まずあれはてた家が今もある。崖の上にたてられた家の階下は搗屋(つきや)で、北に向いた板壁には水車がぎつたんぎつたんと廻り、白い水が飛散して蟻川の流れに入る。

夜は杵の石臼を叩く音が単調な響きを、二分芯のランプがいつか消えた暗やみの闇に終夜はこんできて、眠つかれない物怖じた夜もあつた。

窓の破れた障子を開け、手すりから眺めると大きい槻の木の緑の間から、蟻川は名のやうに狭く流れてゐた。あぶらめや鰍(かじか)や蟹が友達となつて、夏は浅く澄んだ流れで世の不平も苦慮も知らない平和な日が満足となつて展げられたのだ。

蛍が向ふの竹林から甘ずつぱい光を浅瀬にうつして飛上る頃は、町の悪たれ共の群に加はつて、一本橋と呼ばれた狭い橋上で、ほうほう蛍こい、あつちの水はにがいぞ、こつちの水は甘いぞと呼び、竹竿の先に蛍草を結びつけて一匹の蛍に友を招ばせて、手許に近づくとはたき落し、我先にと奪ひあつて捕へると、でつかい源氏蛍はほろにがい匂ひと憐光を放つて寒冷紗の袋にとらはれる。

家の横の畑にひともと、春くれば香はしき花を咲かせ、夏くれば青梅をたわわに実らせた若い梅の樹、父が好んで食べたがるのですつぱい実を樹に登つては採つて来た。貧故にさもしいことを覚えて樹の上から耽々たる瞳をひからせ、病いの父の悦ぶ顔に道義もなく小さい胸を一途に悪に走らせた。

猫額の畑が段々高くつづいてそのぼたを縫ふやうに道が交叉し、日当りのいい急な勾配の田圃が戦争ごつこの楽しい戦場であつた。たんぽぽが咲き、かけつが繁り、月見章が夢のやうに咲いたぼたも、悪童の時代には高い崖にも思ひ怖れ、広い畑とも思つたであらう。深くて泳ぐのも恐かつた青い潭も腰までもない浅い流れである。

火事があつて私達一家が災厄にあひ、ここに逃れてからより衰運へのきざしに鞭うたれたのだ。住むには余りにも荒れたこの二階で五年余の歳月を送迎し、この家で不遇の中に父に逝かれた。三十有六、四人の兄妹と若き母は血みどろに生きねばならないことを、秋風と共に知つた。大正七年の晩秋、風冷たい薄暮に一家が風邪に臥した中から亡骸を送つたのだ。

時折り故里に帰ると、この幼ない日の山野に私を立たせる。徒らに二十年の歳月を距て、豪華な悪童の日に幼い精神を取り戻すと、何物を以てお前達に誇るものがあらう。利に走り、名を追ふ人生の一日、一瞬をここに立つて感慨にふけるとき、私はあの頃の清純な童心と涙を、その疲れた胸底に泉の如く湧かすであらう。



 諦念

姿見の中で髪をあげてゐる妻の顔は白く笑つてゐる

外には雪解けの滴がトタン板を叩いて居り
窓にかけられたおむつを旭日が透して
畳には縞の模様が画かれる

若い身空を貧しさの中に何もかもあきらめて
うづら豆でも買つて来て煮ませうといふ
妻の言葉にも今は寂しさはない

食べきれないだらうと近所の人が言つた
大きい桶に漬けた漬物も
もう食べつくしたことを私は知つてゐる。



 浅春

水のなごんだゆるやかな流れに
どじやうがぴりつと動いて砂の中にもぐつた

掘立の物置小屋の蔭などにはまだ雪が白く残つてゐる

田の畦がぽこぽこと浮上つて
子を負(お)んだ私の長靴は心地よく喰込んでゆく

しめつた土は腸炎燃えてよい香(にほ)ひを放つ
よく眺めないと草の芽はわからない

流れに沿つて歩いてゐると
まだ通つて間の経ない靴跡に出会はせる。

くらしがこれ以上に悪くならうとしても
ここに画かれた1つの線より下へ陥りつこはない

ああ、思想を盲にし感情をしひたげてゆけば
いつまでも平安はあるといふ。



 愛情

今日も東の山脈をうずめて雪が降つた

二階への階段であやふい音をたてて
聞き慣れた跫(あしおと)に老婆の貌(かほ)が現れる

失明に近い前の老婆は玉子を温める雌鶏のやうに
手紙をふところからとり出すと読んでくれと云ふ

平湯の実家から来たんだといふことを
スタンプの墨色と叡(さと)い勘で判じた老婆に
雪の山脈とそこに育つた温湯の香(にほ)ひが去来する

寒かつたらうと思つてさつきからこの手紙を
この肌でしつかり温めてゐたといふ
章句を読んでゆけば夫も子もないこの老婆は
あか児のごとくしくしくと泣きくずれる。



 母へ

母の送つてくれた手織りの絹を仕立ててゐる妻は
青鼠色に染上げた反物のふちに
一本の頭髪が織り込まれてゐるのを抜取つて私に差出したのだ

繭から糸 機に織り 染めて高山に送つてくれるまでに
老いた力が一すぢにこの光沢(つや)のいい織物に乗移つてゐるかが知れるのだ

子供等がみな親もとを離れて四散し
火の気も少ない二階の機場で
昔のままにとんからんとんからんと音をたてる

とりあげて陽にかざせば少し白く見える
母の頭髪の老いませた姿を
はるか山河の彼方に浮ばせる。



 思慕

馬鈴薯(いも)の花の咲く頃みまかつた
ひとつのたましひ

語りもせでひらかなかつた扉が
今日も胸の中に蔵はれる

子を抱けば私は汽車の見える
夏草の茂つたこの路にやつてくる

香はない花弁をいつぱいつけた
馬鈴薯の白い花を重たげにゆすぶつて
長い列車が夕霧の中に隠れる。



 高山詩抄
(2)片原町

遅れて訪れてくる山の街の春はまづ川端の柳に何かささやく 暖かい日があつて雨が降つたタ暮をそこを通ると もう黄ばんだ枝垂柳は微風と戯れる 酒倉の白壁が宮川の流れに影をおとし 道にならべられた幾つかの大きい酒桶が渋で黒く光り 窓からもれる男の太い歌声に新酒の匂ひが漂ひ 薄春の中に浮いた白壁のひさしには鳩が巣くつてほうほうと夕暮を呼ぶ ここを通れば心はいつも素直く 薄暮の中に私は何時もある。



 山峡詩篇

はるかに御嶽に源を発するといふ益田川が青い潭をつくり、私の寝てゐる古い家の頭上を阿多粕谷(あだがすだに)の流れが鈴のやうに音をたてる。

細い雨が高い山々の青葉を叩いて訪れてやがてやみ、乳色の霧が川をこめたと思ふと、竹林の向ふの茅家をとざし橋をのんで上へ上へと登つてゆくと、 初秋の空が晴れて少しばかりせまい天に青空が覗く、ここではもう秋は冷え冷えと郷愁を運んで私は街の家のことを考へる。

仮睡から目を覚すと妻のせるの着物が私にかけられてなまめかしい触感が心良く私をゆすぶる。寝足りた瞳に椋の花が雨のやんだ庭に今をさかりに咲いてゐる。でもそこに漂うものは秋の憂愁である。

黒い建物に夜は五分芯のらんぷが細い光となつて寝静つた中に夜を明かす。ゆくりなくも故郷の蟻川畔の家があはい灯の中にゆらぎ、私は幼き日の父の声を闇の流れの音の中に想ひ起こす。
           九.九.九



 暮景

そんなあかい顔ではみつともないと妻がいふ
一合の酒に酔つた顔がほてるので
それと自分にもわかるのだが――
まつかに沈んでゆく夕焼けの空を
見おくる誰もの顔を
健康な色に映してゆくのだ
いい夕焼けやなアとひとり何度もロずざんで
家のなかが昏くなつても
窓からあかずのぞいてゐると
しばしの間に遠い山脈の上では
雲の色があせてゆき
酔つた瞳にもはつきり色彩の変化が数へられる。
            昭和一〇.一〇


 短夜

養蚕が忙しいと言つて妻が実家に戻つて三日、またあの頃に変らない呑気な自炊の生活に還つて、しみじみと独り居の静けさの中に自分を見出す。落しきれない印刷いんくが爪ぎはに残り、広い掌からは一夜漬の白菜の匂ひが発散する。窓外には永らく待ち続けた黄金のやうな滋雨が街灯に照らされて白糸のやうに揺れる。開け放たれた窓から涼風が私の心を和ませる。そこで机の上の古い暮鳥の詩集に目をうつす。
            昭和九.八



 

炭俵の空袋を一枚一銭に
買集めて歩く寡婦の
血気のない顔に浮んだ明日の生活

箱橇の中には三四枚の炭俵と
その隅に眠つた頑ぜない無心の童児

やつれた肩をうづめて
うづめてまつて灰色の雪がふる。    (※埋めてしまっての岐阜弁)



 老父

何も言はなくても会へばそれでよかつた
よごれた畳にいつものやうに坐つて
がん首のつぶれた煙管から
はぎの青い煙りを吹いてゐる。



 

「雨がふつたら可哀さうですから逃してやりませうね」
と軽い風邪で気の弱くなつた妻が言つてから何日か続いた

籠の寒冷紗を透して夜毎に青い光は数少なくなつていつた

連日の好天気にとたん板は熱く焼けて夜ふけても暑苦しかつた

雨のふらない夜では近所の子供にとられてまうと言ふので幾度か星空の彼方に祈つた

待つてゐた慈雨が今朝から広い葡萄葉を叩いて静かな夜を運んで来た。

暗い室で妻は白い顔を窓に向けると私は籠の中の蛍を一匹一匹と逃してやつた。



 

心ばかりの私の結婚式に列するのに
九里の旅を初めてと言つていい位に
はるばると車にゆられて
母は三十年ぶりに高山を見るんだと言つてやつて来た

乗物に乗つたことのない母は
酔つて苦しかつたのか熱つぽい額に掌を当てて呼吸を大きくやつてゐた

母と子のこんな嬉しい語らひが二度と恵まれないのをふと感じて
母の手をひくやうにして夕暮に近い街を歩いた

多くの子を育てるために半生どころかその全生涯を贄にした 母の苦行を思ふと ぢつとして居られないものを潮の如く感じた。



 早春記

鼠が天井をひとしきり駆けまはつて
静粛なもとの室に戻り
私は再び冷たいアート紙にベンを運ぶ

電球の姿が吸いつくされないインクの溜りに動いて
久しぶりの春雨の音を窓外にききながら
こんな夜はやはり生きることが嬉しいと思ふ。



 年忌
     ―子供に頼りかけた母の言葉―

岐阜からリセや秀子が帰つたらな
親子が久しぶりで一緒になるんだから
みんなで殿村の円城寺さまへ行つてよ
父ッつぁまやじいさまや坊やぬい子の
年忌のお経をあげて貰はう

この間、和尚さまにあつたらな
ひとり一円宛に勉強するからと言つておいでだから
五円も奮発すればいいんだからな

お経は死んだ者に聞いてもらふんぢやないぞよ
みんな生きてゐる俺アの為なんだ
あの声をきいてると心が洗はれて亡くなつた人の後生を静かに祈るでな

父ッつぁまが逝つてから十五年にもなつたのに
今年こそはどうしてもお経の声を聞かせてやらんにゃ
九つだつたちつちやいお前が
今年や二十五になつたのだからな。



 手よ
    ―誰よりも一番信ぜられる我が手に―

この頑固な手から詩も生活も生れると思ふとたとひ貧しい詩であり生活であつても軽蔑できなくなつてくる

少年の日から憧れて来たこの手ではない
節々の高く盛上つて、鉄筆のたこが固く光りインキが爪の間に泌みこんで馬鹿に大きくなつた手よ!

終日、烈日の寒風にさらし、北風の河床に躍動する筋肉労働者のそれでなくても
心の上ではそれ以上の誇示をもつて
私の仕事に毎日忠実に操作する手!

朝々に雑巾はこの手で床を走り
米をとぎ、ローラを握るのも皆この手だ!

かつては人の前に恥づかしくて出せなかつた大きい手よ!
が、今は誰にも恐れない
私の生活も詩もこの手から皆創られてゆく
感情を粧ひ、肉体の扮飾は出来るだらうが
この手ばかりは永久に偽りきれない裸像だ

五月の朝、街角を曲つた一隊の労働者に振られた旗の力の溢れた手のやうに
今こそ誰よりも一番信ぜられるこの手よ!
祝福と最後の勝利がたといこの手に恵まれなくても
同志!おお、この手よ!
お前のありつたけの力と正義とをもつてこの人生に闘つて行け!



 

朝霧が寒むざむと深く降りて
隣りの主人の馬車ひく姿が
街の角に消えて行つた
小犬がいつまでも後を慕つてないた

例年よりも一ケ月早く槍に初雪が来たといふ

叔母の送つてくれた
熱い弘法茶を美味しく飲んだ。

(弘法茶とは草ねむの葉で製した茶代用の風味ある飲物)



 

隣家からは酒を呑む馬方の声がやがて大きく怒気が交つて病ひにねた友の顔を見降してゐる寒い室の私に聞えてきた。

黒い庫裡の門を出ると二匹の馬がゆはへてあつて人なつこい声をたてて長い顔を大きく曲げて持つて来た

只そこを通りかかつた未知の誰にでも、あをよと言つて呼掛けて貰ひたいやうな馬のしぐさが私の生活の中に何か空虚なものを投影した。

寒い師走の風の中に親方を待つてもう何時間かたちつくしてゐるのであらうと思ふて私も灰暗い灯の流れる路上で無言でしばし立つてゐた。



 寒さ

雪の降つた山脈がこの町を取巻いて
紫に耀く夕映えの美しさ

寒さが心の隅に訪れると私は
私の本然の歩みに立還る
寒さこそ心の棲み家 羅針盤

幾つかの過去の新しい生活の発足
美しいと思つた都への一歩も
疲れて再び田舎への逃避も
みんな寒さと共に
むち打つやうに私を追ひたてた
寒さこそ心の揺籠 ふるさと。



 道で

雨を避けてゐると
茅ぶきの屋根に野菊の咲いた家から
よちよちと出て来た童児は
懐しさうに私を見まもつてゐた

玩具も友達もない孤独な童児に
私は過去つた私自身のかげを見た

自転車につけてゐる妹達の土産に買つて来た
甘々棒(かんかんぼう)をくれてやらうと思つた。



 真夏

神原峠へ自転車で向ふ時 父は門口に立つて
中風で発音悪くなつた言葉をもぐもぐと
清水(みづ)飲む時は、手で一旦すくつて
呑まんといかんぞ
ひるを飲むとこわいでなア

と言つて私を見送つてくれた。  (※神原峠:神岡から高山に向かふ途中の峠。)



 あとがき

期せずしてこの小著は二十代を葬る餞けとなつた。詩は二十代のものだと言はれる。果たして左様であるかどうかわからないが、この情熱に心身を打ち込んでゆく覚悟で今日まで来た。こんな拙い作品に一時でもそれに携はる間、自分の全魂を傾けて行く程、自分をおめでたい人間ではないと思ひながら、こいつには妖しい力がこもつてゐて今日まで引きづられて来た。
昭和八年春、高山に寓居を構へ、その夏には在京二年の作品をまとめてそれを記念するため詩集『暮れゆく草原の想念』を上梓した。ここに収録した諸詩篇はその後の作品で、その大部分はその秋に五六人の同志と共に発行した詩誌『山脈詩派』に発表したものに時折り飛騨毎日新聞、高山日日新聞、東海文芸等に掲載したもの約百三十篇から八十二篇を選出してここにまとめたもので、年齢から言ふと二十四の夏から二十九の秋までで五年間の作品である。作品の配列は最近の作品を真先きに、旧作を後部へ廻した。

本年二月に出版を計画して約三十頁製版し、仕事や身辺の事情のために九月まで中止せねばならなかつたが、また余暇を見出して一頁々々と書いて漸く十一月になつて書き終はり印刷することができた。十二月に入ると一番多忙な時期に遭遇するので果たして全部了して世間に出るのはいつであらう。
        ※
欧州大戦の砌りにはフランスやドイツの詩人たちはザラ紙の美しい詩集を出版したさうだ。日本は昨夏より東亜永遠の平和樹立のために皇軍は日夜寒暑と泥濘と飢餓とを征服して全支にわたつて戦つてゐる。そして銃後の国民はこの長期戦に職場を守つて聖戦の貫徹に全力を傾注してゐる。しかし幸ひ日本は斯る状態にあつても国民は自由をさほど感じず、ザラ紙で詩集を出さねばならないほど物質に制限を加へられてはゐないのである。而るに私自身は何の余裕もない一介の謄写印刷人で、今の所これ以上の失費を掛けられないので、こんな不体裁な粗末なものになつた。しかし翻つて考へると内容と相俟つて丁度適応したものであると思ふ。
        ※
兎にかく私はこの小著を機会に新しく自分を振り返るだらう。慙愧し、反省し、そしてこれを一つの基点として再出発する為にも、大方の忌憚のない批評を恵与して戴きたい。

この詩集を出版するに当つて畏友住友雄君が装釘に、扉絵に、多忙の中から執筆して呉れたが、技術が伴はなくて申し訳がない。末記ながら友情を深く謝したい。

  昭和十三年十一月

    四囲の山脈雪白むころ         和仁市太郎


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