詩集「夜の落葉」のこと
ここで遇ったが百年目、ではないが、本当にあの時買っておけば!といふ胆を噛む思ひをすることが、古書漁りをしてゐると屡々ある。今回、 電子図書第一弾としてテキスト公開させてもらった野々部逸二の遺稿詩集「夜の落葉」(名古屋 東文堂 昭和六年)にしても入手するに至ってはたまさか十年を要した稀覯本である。 その昔「こんな本があるよ」と実物を店頭で初めて見せてもらったとき、中身を見て欲しく思ひながらもその時の古書店主の言ひ値に二の足を踏み、 さてそれが実際には目録で倍になって載せられたのを見て、ああ今度こそもう買へない、でもいいよ、きっと他所で見つかるさ、とタカを括って、さうして十年。そんなもんなんである。 そこまで俟って手に入れた本であるから感慨は一入で多少の瑕瑾も気にならない。ならぬどころか今回入手出来た該書はあらうことか盟友中山伸旧蔵の2番本であった。 気になる傷みも、嬉しいことにパソコン上では何の痛痒も無く修正され、電子図書としては見事な美本として映じてゐることと思ふ。
しかし今回彼ら、高木、野々部、中山、伴野の「なかよし四人組」のことを調べたく思ひ立ってから、不思議に今までみつからなかった詩集までが次々に手元に集まってきたのは面白いといふよりも、 故郷へ帰ってきた自分には何か運命的の仕業のやうな気がしてならなかった。目録に現れたところで自分には買へないと諦めてゐた高木斐瑳雄の処女詩集「青い嵐」も、 偶々立ち寄った岐阜県立図書館でその新本に見まがふ極美本を出してもらった時には(しかも此処には彼の著作はこれより無いのであるから)、 驚いたといふより流石に狐に抓まれた思ひがしたものである。それをコピーにとって一寸した「復刻本」にしつらへて、さて最後に残ったのが十年見かけず仕舞ひの野々部逸二の詩集であった。 何しろその刊行数はたったの百部。戦争と伊勢湾台風で多くがこの地域に配られたであらう詩集の残存数はさらに尠ないものになってゐる筈であった。 件の詩集は高木斐瑳雄の「天道祭」と一緒に名古屋の古書店から出てきた。店主からそれを知らされた時の私に如何なる思ひが去来したことか!翌日到着した本を一頁一頁パソコンに打ち込みながら徹夜して繰って行った。 著作権のこともあったが、もちろん四人のうちで最初に亡くなった彼の、伝説に包まれた友情によって成った詩集を一等最初に電子図書として上したい気持があったからである。 仕事は当然手につかぬから休み(年休といふのはかういふ時にこそ使ふものであらう)。寝ぼけ眼をこすりながら巻末の略年譜まで打ち終へて、 やれやれといふ感じでその没年のくだりに至った時である。「あッ」と、私は言葉を失はざるを得なかった。昨日、胸騒ぎがして古書店へ連絡して本が見つかった日、 つまり十一月三十日は正に彼の祥月命日なのであった。(1999.12.2)
後日談
その週末に、記された菩提寺「蓮照寺」へと、私は花束を持って向かった。しかし小さな墓地に彼の墓石は見つからなかった。ひとつひとつ丹念にあたったのだったが。(1999.12.5)